全国23億人の加藤学ファンの皆様

日本全国離島シリーズ第20弾~八重山諸島・黒島リターンズ~~
「7年ぶりの黒島にもはやトラッキーはいなかった・・・」 



皆様、こんにちは。今年の5月の連休は久しぶりに八重山に戻りました。

沖縄の天気はあてにならないと言いますが、今回ほどそうなったことはなかったかもしれません。週間天気予報を見て、いついつに雨が降ると予想はしていたのですが、雨の予報の前日には晴れに変わり、結局、滞在期間中は雨が降ることはなく、天気に恵まれました。ただ、八重山ではもう梅雨です。湿気があり蒸し暑く、もう梅雨の気候です。本島に戻るとまだ風が涼しく、沖縄も広いと改めて感じました。でも、そろそろ本島も梅雨入りでしょう。

今回、八重山に戻った理由は、新しくなった石垣空港を見たかったのとまだ訪問していない八重山の蔵元に行きたかったからです。それと、沖縄もそろそろ卒業かな、と思っていた中、八重山に戻るなら、最後にもう一度黒島に戻りたかった。

基本的に私は一度訪問したところには、自ら進んでは戻りません。戻る時間があるなら、他の新しいところに行きたい。ただ、折角八重山に行く時間があるなら、ついででも構わないので黒島に戻りたかった。

沖縄に何度もやって来て、ほとんどの離島を回りましたが、どこの島も印象に残り、島の人々にはよくして頂きました。そんな中、時間が許されるなら、もう一度会いたいと思っていたのが、南大東島の伊佐さん、多良間島の宮国さん、そして黒島の久貝さんです。

 

黒島の展望台より


 

黒島には7年ぶりの訪問です。同じ八重山諸島ですが、竹富島には年間45万もの観光客が訪れるのに対して、黒島には2万人しか来ません。人口200人、牛2,000頭の島です。久しぶりに黒島にやって来て、全体的な島の印象は変わりませんでしたが、何となく小綺麗になったような気がしました。黒島では久貝さんに会って、また一緒に飲めればそれで十分でした。それぐらい前回の訪問時にお世話になりました。

夜は久貝さんと飲むとして、折角黒島に行くなら日中は海を見たかった。ここの海を見た時は、私が沖縄に来始めて間もない頃だったせいか、その鮮やかさに驚きました。海の中はカラフルな珊瑚に熱帯魚の世界。非常に幻想的で、思わず、
「海の中に町がある。」
とコメントした程です。

今回、再びここの海を見たのですが、前回よりも珊瑚の白化が進んだような気がして、このことを島の人にぶつけると、これでも良くなった方だそうです。5年程前、天候に起因して珊瑚に多大な被害が出て、それがここまで回復した。この話を聞いた時に、時の流れを感じ、一方で珊瑚の急速な回復力に感心しました。


今回の沖縄滞在も出会いあり、再会あり、別れありで、非常に充実しました。

さて、今秋は宮古島に戻るつもりです。開通した伊良部大橋を渡ってみる予定です。これで沖縄は卒業かな。

では、次は秋に会いましょう。

P.S.
前回黒島に来た時もそうだったが、今回も滞在時はトラは負けた。今年はひど過ぎる。先発は勝てんし、中継ぎは打たれるし、打線もあかんし、盗塁も少ないし。で、同じピッチャーにやられてるし。こんなんで勝てるか。ごちゃごちゃ考えずに、来た球を打つ。これから交流戦が始まって、毎年、トラは交流戦に弱いことを考えると、来月末には今の成績がどうなっているか考えるだけでぞっとする。
今年は球団創設80年の年。何とかしてくれ。

トラよ、秋には胴上げを待っている
湘南より愛をこめて
17/May/2015
Manabu Kato


 




☆パナリ

 

 

 

 

 

 


     




☆黒島・パナリの海 vol. 1

 

 

 

 

 

 

 

 

   




Topics Vol. 239-244


Vol. 239 「行きつけの店が一つなくなった」

昨秋にママに頼まれたレトルトの海軍カレーのお土産を届け、ママに22時頃に改めて来ると告げ店を出た。
そして、店に戻ると電気が点いていない。中にママが見えたので店に入ると、

「昨日で店を閉めた。」
と。そう言えば、お土産を届けた時に店が散らかっているな、と思っていたら、そういうことだったのか・・・。ママは店の片付けをしながら、次にこの場所を借りたいという方が見学に来るのを待っていた。

「ゆがふ」はとても居心地のいい店だった。カウンター5席ほどにテーブル席1つという私好みの間取りで、何より料理がうまかった。那覇に来るといつもここに立ち寄り、特にママに私の名前、連絡先を伝えることはなかったが、私が行く度にママは歓迎してくれた。店を閉めることにしたママは、連絡先を知っているお客さんにはその連絡をし、わざわざ内地からお別れを言いに来たお客さんもいたという。ママは私のことも気にかけてくれていた。私が那覇に来て行く店がなくなることを想定して、ママの知人の店を紹介するつもりでいた。

立地的にはここはいいと思うのだが、結果的には儲からなかった。国際通り沿いの放っておいても観光客が勝手に入ってくるような店と違って、これが沖縄の現実なのかもしれない。ママにはまたどこかで店をやってほしいが、店を経営していたママが人の店で働くのもどうか、という気持ちはよく分かる。また、バイトとなると年齢的なこともあるし賃金の問題もある。それにしても沖縄のバイト代は安すぎる。自給650円スタート。東京のファーストフードの女子高生よりも安い。

沖縄のタクシーの初乗りは500円。東京よりもかなり安い。ここ最近、私は那覇空港に行く際は、ゆいレールよりもタクシーに乗ることにしている。荷物がある分タクシーの方が楽というのもあるが、空港まで1,000円程とそれ程高くない。なら、少しでも運転手の売上げに貢献できれば、と考えて、タクシーに乗ることにした。

羽田に戻る際に乗ったタクシーの運転手の話。
観光客には感謝している。沖縄にお金を落とし経済活性に貢献してくれているのだから。しかし、ことタクシー業界の話になると儲からない。空港に着くと、観光客はほぼレンタカーを借りる。そして、その車で島内を観光する。そのため、観光のためにタクシーをチャーターする大口顧客数は減ってきている。運転手は完全歩合制。基本給もなければ、ボーナスもない。月8万円程の給料の時も頻繁にある。
居酒屋「すいか」のマスターも同じようなことを言っていた。飲みに来るお客さんに対してよく言うことは、たった1メーターでも沖縄のタクシーは乗せてくれる。たかが1メーターでも運転手の収入になるので、タクシーを活用してほしい。
この距離の移動にタクシーを使うのは贅沢ではない。大げさかもしれないが、私は少しでも世話になっている沖縄の経済活性に貢献できればという観点でタクシーに乗ることにしている。


 

 

 

     


ママは店を片付けながら、私と一緒に飲んだ。冷蔵庫の残りものを使って私に料理を作ってくれた。豆腐がかなり余っていたので、豆腐をたっぷり使ったまかない料理。ママの料理は本当にうまい。しかし、ボリュームがある。私にはいつもサービスしてくれるのはうれしかったが、ここに来る時はいつもどこかで飲んだ後だったので食い切るのに苦労した。今となればそれもいい思い出。この日もボリュームたっぷりの料理を作ってくれた。店で中途半端に残っている高価な古酒も空けて行ってということで、遠慮なく頂いた。

ママは、しばらくは飲食業を離れて他の職に就く予定。就職難で賃金が安い沖縄でいい仕事が見つかることを祈る。で、いずれはまたどこかで店を開いてほしい。ママもその夢を捨てていなかった。今度ママが店を開いた時に連絡をもらえるように、今回、ママに初めて私の名前と連絡先を教えた。

泡盛を飲まないママは、店にあった未開封の高価な古酒の処分に困っていたので、私は少しでも今後のママの資金の足しになればと思い、買い取ることを提案した。で、ママに値段を付けてとお願いしたが、泡盛の価値が分からないから私に値段を決めてほしい、と。そこで4合瓶3本を1万円で買い取ることにした。

本当は前日の最終日に来られればよかったのだが、閉店翌日ではあったがママに会えてよかった。ちょうど片付けに店に来られ、その翌日にここを明け渡す予定だったので、会えるとしたらこの日しかなかった。昨秋に頼まれたお土産も渡せたし。

那覇で行ける店が一つ減ったな・・・。そう考えると寂しい。




☆プロ野球キャンプ地巡り

ここまで来たら、プロ野球の沖縄キャンプ地を全部回ったろう。キャンプシーズンやないけど。

千葉ロッテマリーンズ
石垣市中央運動公園野球場
 

石垣島に何度も来ているが改めて訪ねてみた
改装したのか?思っていたよりもきれいな球場


 

 

     



横浜DeNAベイスターズ
宜野座市立野球場 

あれがインフルエンザで休んだ時に中畑監督が顔を出していてホテルか



 

 

     



中日ドラゴンズ 
北谷公園野球場


このブルペンで岩瀬とか投げてるんやろな
吉見に大野、うちが苦手にしてるピッチャーが多い
中日はなんか腹立つ

 

 

     



広島東洋カープ 
コザしんきんスタジアム


今回、一番来たかったところ
さすがにきれいな球場
自販機まで広島カラー
中に入りたかったな・・・

 

 

 

 

 

     



ヤクルトスワローズ 
浦添市民球場


思った以上に高台にあった
ヤクルトらしい球場かな、余り費用もかけていない感じ
今回訪ねた球場はすべて運動公園内の複合設備内にあった
沖縄がスポーツが盛んであることを改めて感じた

 

 

     




Vol. 240 「ニーランの石」

石垣島でのこと。
私はいつもながら八重山そばを食べようと、宿の人にお薦めを聞いてみた。しかしながら、宿で薦められたそば屋は過去に行ったことあるし、他にどこかないか探していた。で、レンタバイク屋で教えてもらったそば屋で、フリーペーパーに掲載された「ニーランの石」があった。

「どっかで聞いた名前やな?」
と思いながらここに行くことにした。開店は11時半~15時まで。スープが終わり次第終了で、ママが一人でやっている。一人で店を回している分、5人以上のグループは対応できないかもという貼り紙が貼られていた。バイク屋からはここの味噌そばを薦められたが、私はメニューを見て味噌カレーそばに惹かれた。ママにどっちかで悩んでいると伝えると、親切にそれぞれの特徴を教えてくれ、最終的に味噌カレーそばを選んだ。
麺は一般的な八重山そばではなく、特製の縮れ麺。ダシはカレーのスパイスが効き、程よく味噌味が出ている。うまい。二日酔いの朝にいいかもしれない。こうなると、次は味噌そばも食いたい。

その翌日、石垣島で特にすることもなく、黒島で昼飯にそばを食うか、石垣島で食うか悩んでいた。ママから、店は月曜定休日だが基本的に不定休、ただ翌日は開いていると言われ、即効翌日ももここで味噌そばを食うことに決めた。船に乗る前、開店直後に店に行くと、前日に明日来るかもしれないと言っていたのもあって、ママは私のことを覚えていた。

「ニーランの石」は、西表島にいる時に行ったそば屋と同じ名前。ひょっとしたら同じ店ではないか?そのことをママに伝えると、私の予想通り。西表島の「ニーランの石」は立ち退きにあって、4年程前に石垣島に引っ越して来た。計算すると、立ち退き直前に私は西表島の店に行ったことになる。当時、ここのママは北海道の方と聞いていたので訪ねてみた。そして、今回改めて聞いてみると、ママは函館出身で15年も西表島にいた。で、大家に突然立ち退きを言われて、3カ月で島を去る羽目になり、次を考える間もなく石垣島で店を開いた。


 

みそカレーそば
 

みそ野菜そば
 

野菜マースそば


この日は、予定通り味噌そばを食べてみたが、これもうまい。私の嫌いな明らかに味噌っぽい味噌味ではなく、北海道の味噌ラーメンのように程よい味噌味で、油っこくなく身体に優しい。ママが油っこい八重山そばを使わず、特製のそばを使っているのが分かる気がする。

西表島にいる時は、店に他のお客さんもいたので、ママと一切会話しなかったし、何よりもほとんどそばの印象が残っていない。こんなうまいそばなのに…。単純に普通のそばを食べたのか?もしくは、ママが腕を上げたのか?

黒島から石垣島に戻る日。私はどうしてもここの味噌カレーそばをもう一度食いたかった。那覇への便は16時台だったが、開店直後の人がいない店で再びママと話したかったので、11時頃石垣島に着く船で黒島を出た。しかし、店は不定休なので、この日が空いている保証はないし、来る前に開いているかどうか電話で確認した方がいいとママに言われていたが、それでは面白くない。いざ行ってみると、運良く開いていた。店に入るとママもびっくり。島を出る前にどうしてもここのそばが食べたくてやって来た主旨を話した。

この日は、再び味噌カレーそばを食べるつもりだったが、改めてメニューを見ると、他にスパイシーカレーそば、塩そばもあることに気付いた。こうなったら全部食いたいが、2つは無理。またママからそれぞれのそばの説明を受けて、結果、塩そばにした。魚のマース煮はあるが、マースそばは聞いたことがない。いざ食べてみると北海道の塩ラーメンに近い味。鶏のダシが効いており、優しい塩味。私は味噌同様、塩が強調された塩ラーメンは好きでない。これこそ、宴の〆や二日酔いの朝によい。この塩そば開発の背景は、函館出身のママが地元の塩ラーメンをいつでも食べられるようにと。鶏は秋田の比内地鶏を使用。ママのお爺ちゃんが秋田で比内地鶏を飼っており、さばいて送ってくれるそうだが、高齢のためしばらくすると止めるらしい。よって、近いうちに塩そばは食べられなくなる。鶏を変えるとダシも変わるので、比内地鶏が届かなくなったら塩そばは終了するそうである。

スパイシーカレーに関しては、ママのご好意でスープを味見させてもらうことになった。結構辛い。カレー味噌の辛さの何倍も辛い。事前には聞いていたが、食べた途端、私は汗が止まらなくなった。ただ、辛い中にもしっかりと旨味があり、食べていくと病みつきになる。

たまたま入った「ニーランの石」でここまで楽しめるとは。味もそうだが、ママの優しそうな人柄。所々出る北海道弁のアクセントが非常に心地よく懐かしかった。西表島でママと話していたら、もっと面白かったろうに。湘南で店やってくれへんかな?






 


   




Vol. 241  「八重山、本島、一齧り」

今回も食いまくった。

 

 

 

居酒屋「すいか」(那覇)

ここのマース煮を食べるとホッとする。久しぶりにマスターともゆっくり飲めたし。  



 

 

 

 

 

 

八重山そば「まつむとぅ家」(石垣島)

ダシがしっかり効いてうまかった。この値段で食後にコーヒーが付いてくる。
この味、このサービスならもうちょっと取ってもええけどな・・・。  



 「栄福食堂」(石垣島)

2回目の訪問。今回はトニーそばを食べた。
あっさりでいいと思う。 


 
 

   



 「ハートランド」(黒島)

自家製味噌を使った味噌そばで素朴な味。
始めは、「えっ?」っていう味がしたが、慣れてくるとはまる味。
ここではジャージー牛の牛乳がただで飲める。 


 



まっちゃんおばあ」のサーターアンダーギ(黒島)

チャリを借りに行ったら、段ボールに入ったサーターアンダーギにびっくり。
おばあから食べて行くように言われ、選んだのが中がクリーム状になったもの。
「クリームか何か?」
って聞いたら、要は火が通っていなかっただけ。こんなサーターアンダーギは初めて。
ある意味当りを引いたかも。
 



     
「おでんまつやま」(那覇)

ここに来るとホッとする。
やっぱり、沖縄おでんと言えばてびちでしょう。



 
「大東そば」(那覇)

本当に久しぶりに来た。
昼時に入ったせいか、かなりの人でほとんどが観光客。
繁盛していいこと。
相変わらずここの麺はよい。

 
     
 石垣島でたまたまま「生のサトウキビジュース」の看板を見て入った。
店の人お薦めでシークワーサーで割るとうまい。
こんな飲み方知らんかった。


 「栄喜」(那覇)

テナジャーの土佐煮。
黒島でも食べたが、テナジャーは今が旬。
トラファンのマスターと共にこの日のトラ大敗を愚痴った。
「あさと家」(那覇)

 「すいか」のマスターと一緒に飲みに行ったおでん兼カラオケ店。
ダシは1週間ほどで作り直している。
ずっとダシ変えていないおでん屋に比べるとあっさりだが、これはこれでうまかった。




Vol. 242  「蔵巡り in 石垣島」

留守のところもあり、再訪問もあり、これで八重山の蔵元はすべて制覇した。

 1、池原酒造所

「白百合」で有名な蔵元。こんな街中にあるとは思わなかった。売店もあり、ストラップなどグッズも売られていた。島の方曰く、「白百合」の製法を変えてはいないのだが、最近の「白百合」は味が変わり、飲みやすくなった、と。タンクを洗ったのか?など、飲み屋で噂していた。
















   

     



2、  請福酒造

「請福」ファンの私としては、前からここを訪ねたかった。以前は街中にあったのだが、昨年、郊外の元パイナップル工場を買い取り、そこに移転した。そのため、かなり綺麗な蔵元だった。移転したせいか、これから「請福」の味が変わるかもしれない。それにしても、最近の「請福」の品数の多いこと。新しいのを開発するのはいいのだが、限られた工場のキャパで製造が追いつくのだろうか?「請福」ファンとしては、頼むから大企業にはならないで、これ以上規模を大きくしないでほしい。  
 

     



3、  仲間酒造所

請福酒造の裏にある民家の横に所謂小さな町工場がある。

「住所から見るとこの辺りなのだが・・・。」
と何度か近辺を往復し迷った。民家の横の作業場から米を蒸している工程が見え、半信半疑ながら、ここで「宮之鶴」が作られているのだろう、と思った。それだけ看板も出ていないし、直販どころではない。できれば、ここの誰かと話したくて、声を掛けてみたが誰もいなかった。仕方なく帰ろうとしたところ、ここの表札を見て仲間酒造所と確信した。「仲間」の表札の横に、「宮之鶴」のオブジェがあった。
 ほしい、これ。












   

     



 4、  玉那覇酒造所

「玉の露」の蔵元。ここも街中にあった。「玉の露」は私の好きな泡盛の一つ。残念ながら、留守だった。










   



 5、  高嶺酒造所、再び

川平湾近くの蔵元。ここは再訪問。もちろん、この辺りに来たからと言って、川平湾に行くつもりはなかった。蔵元訪問時は、中国人の家族だろうか。大きな声を上げて場を荒らしていた。「於茂登」はよく目にするが、ここの古酒「おもと」は言われてみると、余り見かけない。蔵元の方曰く、内地にはほとんど出回っていない。
 
















 
 

 

 

     



 6、  八重泉酒造所、再び

ここも再訪問。訪問時は大型バスの観光客がいた。添乗員も大変である。「八重泉」に樽熟成の泡盛があったとは。ここで蔵限定の古酒を購入した。
  
 

 

 

 

 

 

     




☆石垣の塩

 
 
 

     




Glance in Kuroshima vol. 1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     




 

 

 

 今回八重山に戻ったのは新しくなった石垣空港を見たかったのも一つの理由
吹抜けのテラスでオシャレな空港になっていた
フードコートも充実しているし、ええんちゃう




Vol. 243  Bar de bar en Isla de Ishigaki

これまで石垣島は八重山の離島に行く際の交通の拠点としか考えていなかった。今回、石垣島に来たのは、新しい空港を見たかったのと蔵元を回りたかったので。で、できれば、石垣島で一泊し飲み屋をはしごしてみたかった。改めて考えると、これまで石垣島でちゃんと飲んだことがなかった。

宿は、観光客が飲みに行きそうな中心街から少し離れたところにあり、宿の方にお薦めの飲み屋を聞いてそこに行ってみたが、あいにく定休日だった。知らない街で飲み屋に入る時は、宿の方や誰かに教えられて行く方が楽だが、私には自分の直感で行った飲み屋の方が、当然リスクは伴うが、結果的に面白い展開があることが多い。そういったことも考えていたので、宿の人に薦められた店が定休日と分かった時は、

「今日は、自分の嗅覚で探せってことやな。」
と自分に言い聞かせた。

最初に向かったのは、宿の近くの「奈美ちゃん」。外から覗いて、カウンターにテーブルが数か所と間取り的には私好みで、誰も客がいなかった。中に入ってみると、やる気のなさそうな下駄を履いたマスターがテレビを見ていた。私の姿を見たマスターは、島の人か観光客か半信半疑だった。後で聞くと、私はそれだけ島人ぽかったらしい。カウンターの上にメニューが掲げられ、飲み物のメニューはない。私は、この後数軒はしごするつもりだったので、軽く飲んで出るつもりだった。頼んだのはシャコ貝、アオブダイ、ソデイカの刺身と、ミミジャー(ヒメフエダイ)の煮付け。刺身はショーケースにあった地魚から好きなのを3品選ばせてもらった。味はまずまず。

そうこうしているうちに、観光客の若いカップルと子供連れの家族3人が入ってきて、明らかにマスターのキャパオーバーとなった。それまでカウンター越しに私と話していたが、そこからは大変そうだった。子供向けの飲み物は置いておらず、近くのコンビニでコーラを購入。あとからヘルプできたのは娘さんだろうか。マスターは何度か電話をしていたが、しばらくしてようやくヘルプが来て、店が回り始めた。見た目はやる気がなさそうだったが、なかなか味のあるマスター。なんでこのマスターに「奈美ちゃん」という店名なのだろうか?もう少し色々話してみたかった。








 



     


     


 

 次に、島おでんが食べられる居酒屋「もり」に向かった。おでんという文字が見えたので、私は迷わず入った。昔から店があるような小汚い感じで、おそらく地元の人ばかりであろう。カウンター、テーブル共に盛り上がっていた。カウンターに人席だけ空きがあり、私は必然的にそこに座った。島おでんと言えば、私にとってまず食べるのはてびちだが、店には申し訳ないが正直に言う。おいしくない。何年も継ぎ足しているダシなのは分かるが、醤油っぽくてダシのベースが感じられなかった。

さすが石垣島だけあって、八重山の各蔵元の泡盛が置かれている。「奈美ちゃん」では「請福」1合を飲んだので、ここではまずは「玉の露」を頼んだ。いくつかおでんをつまみながら飲んでいると、私の横に地元のおっちゃんが来た。ここの常連でママとも旧知なようで、隣の居酒屋で飲んだ後、結構出来上がって私の隣に座った。おっちゃんは「請福」の4合瓶を入れ、私にも継いできた。おい、わしは別の酒飲んでるって何度も言ってるやろ、おっちゃん。そこに他の酒を混ぜるな。多分、私と話したことを翌日おっちゃんは覚えていないだろうが、地元のマニアックな話が聞けて楽しかった。おっちゃんの4合瓶を半分近く私が空けてしまった。ちなみに、店のマスターだろうか?過去に神奈川にいたことがあるという話になって、その場所は辻堂だった。何とも偶然。その当時の辻堂の何社かの企業の食堂でごはんを作っていたらしい。

ここを出た時は2時近かったと思う。ずっと泡盛を飲んでいたので、コンビニでビールを買って、宿で軽く飲んで寝ようと思っていた。しかし、酒好きの本能だろうか。ついつい寄り道をして、おでんが置いている小料理屋を見つけ、まだ店の電気が点いていた。ここまで来たら行くしかない。

店は小料理「絵夢」でスナック。カウンター越しにママが一人でいた。もう閉店かな?、と思い、断りを入れようとしたが、ママは歓迎してくれた。おでんと言えば、そう再びてびち。申し訳ないが、さっきのところは余りおいしくなかったので、ここでリベンジ。これぞ、おでんのてびち。おでん専門店ではないので、ダシをつぎ足ししている訳ではなく、定期的にダシから作り変えているせいか、ダシもあっさりでうまかった。こういったあっさりのてびちは初めてかもしれない。

ママは宮古島出身。なら、八重山の酒ばかり置かずに宮古の酒を置けばいいのに。そういった話をしたところ、早速「多良川」を置くから次回来る時も寄って、と。そこに常連のお客さんが来られ、結局5時近くまで話したと思う。

店を出ると、ビニール袋に入ったコンビニで買ったビールはすっかり温くなっていた。部屋でビールを飲むつもりやったのに・・・。こうして石垣島で初の飲み屋はしごの夜は終わった。






 Vol. 244  「南来にて in 2015

しま宿「南来」に着いた私は、すぐにトラッキーがまだあるかどうか探した。

今回で八重山諸島を卒業しようと考えていた私は、可能なら最後にどうしても黒島で久貝さんに会いたかった。これまで数多くの沖縄の離島を訪問したが、私がもう一度会いたいと思う方が3人いる。南大東島の伊佐さん、多良間島の宮国さん、そして黒島の久貝さんである。ただ、久貝さんはまだご健在なのか?連休の忙しい中、宿は取れるだろうか?事前に宿に連絡した際に、運よく部屋を抑えられ、わざと、

「久貝さん、生きていますか?」
と言っておいた。後で聞いたのだが、私の電話を取った奥さんは、案の定久貝さんにこういった電話があったことを伝え、久貝さんは何となく私の来島に気づいていたらしい。

2008年、阪神が10ゲーム差以上つけて首位をぶっちぎっていたのに、最終的に読売が優勝した。その読売が優勝する前日まで黒島にいて、読売が優勝した際は竹富島でかなり落ち込んだ。当時10月のシーズンオフの黒島では、3泊した私は、毎晩久貝さん、お客さん数人とゆんたくし、私はトラトークを爆発させていた。久貝さんは私のトラトークを爆笑し、読売が優勝した竹富島にも連絡をくれ、その翌日に石垣島で合流し、明け方近くまで一緒に飲んだ。その後、帰京しトラッキーを黒島に送った。


 

 

「南来」のある日の夕食
相変わらずボリュームがあり、うまい 


「南来」の別館に生ビールのサーバーが入った。午後に黒島に入った私は、夕方別館にビールを飲みに行った。ちょうどその時に樽を換えていたのが久貝さんだった。久貝さんも私を見るや否や二人で抱き合った。うれしい、7年ぶりの来島なのに、私のことを覚えてくれていた。驚いたのは、7年前の黒島での話、石垣島で飲みまくったことを鮮明に覚えていた。私でさえ忘れていようなことも。何年も宿をされて、年間何千人とお客さんが来る中、これには感激した。私が訪問した当初はまだ宿を始めて数年しか経っていなかったので、その当時のことの方がよく覚えている、と。且つ、私が意図的に記憶に残りそうな濃いトラネタを話したということもあると思う。久貝さんと今回の滞在期間もゆっくり飲もうという話をした。

肝心の私が送ったトラッキーの行方は、数年前までは間違いなく宿に飾られていた。しかし、久貝さんの弟は大の読売ファン。ある時、この弟さんが宿にあったトラッキーを見つけ、それ以降、どこに行ったか行方不明。おそらく、弟さんがどこかに持ち去ったのだろう。そういうことなら納得。面白いオチ。それまでちゃんと飾られていたことに感謝。常連さんに聞いてみても、以前はあった、と。

宿に着くと、お客さんの数にびっくり。本館、別館共に満室で、前回のガラガラの宿しか知らなかった私は、最初は戸惑った、と言うか違和感があった。前回、八重山に来た時も秋。その前が5月の連休でその時は波照間島に行ったのだが、今回と同じような光景であったことを思い出した。これまで5月連休に八重山以外にも行ったが、大体、人が行かないところばかりにいた。何度も言うが、私は沖縄の離島まで来て(場の流れならいいが)意図的に内地の人間と話したくない。波照間島滞在時も、満員の宿でゆんたくせずに、意図的に飲み屋に出かけて地元の人と飲んでいた。

宿にいたお客さんは、ほとんどがリピーター。毎年来る方、年間何回も来る方、何日も滞在する方。Facebookか何かで連絡を取り合って、それぞれが島にやってくる。もちろん、内地でもよく会っている様子。久貝さんの偉いところは、島の人何人かと、毎年シーズンオフになると、内地を営業のために回り、そこに宿の常連が集まる。そういった営業活動の甲斐もあって、こういったお客さん同士の絆が生まれている。久貝さん曰く、お客さん同士こうやって繋がってくれているのが何よりもうれしい、と。久貝さんの気持ちはよーく分かる。私が礼文島時代には同じような気持ちだった。ただ、今の私の客という立場、自分自身の気持ち的なもの、沖縄に来る目的から考えると、久貝さんには申し訳ないけど、やはりここまで来て内地の人間と積極的には話したくはない。そういった気持ちもあって、宴に参加すべきかどうか部屋で悩んでいた。

最終的には宴に参加することにし、本館1階へ向かうと宴はすでに始まっていた。久貝さんから、私が来ないから電話しようと思っていた、と。始めは端っこで静かにしていたが、久貝さんに呼ばれて横に座った。で、トラトークに発展した。翌日は、トラがデーゲームで負けたのもあって、久貝さんから宴を始める時間に電話が来た。トラ敗北に落ち込んでいる私を励ましてやる、と。

2日間、久貝さんとトラトークで盛り上がり、結果的に他のお客さんとは余りかかわらなかった。私に気を遣って、意図的にトラトークを振ってくれていたのもあるが、おそらく久貝さんは私のトラネタは笑いの壺に入っていると思う。前回もそうだったが今回もそう。爆笑してはどんどん振りが入る。ただ、他のお客さんには本当に申し訳なかった。これでもかというぐらい久貝さんとトラトークをしたので、野球に興味のないお客さんにとっては退屈だったと思う。この点は本当に謝りたい。

久貝さんとは、今年の12月に内地に来られる際に会えれば会おうという話をした。それにしても、相変わらず久貝さんの三線はうまい。今回も聞き入ってしまった。
これで八重山は卒業かな・・・。



 



 

 

 「仲本海岸」
ここのベンチから海を眺める時間が心地よい
「南見家」の営業がとっくに終了していたのにはショック
ここで自分で生ビールをついでこのベンチでボーっと海を眺めながらウトウトする時間がよかったのに・・・




☆黒島・パナリの海 vol. 2

 

 

 

 

 

 

 

 

   




Glance in Kuroshima vol. 2