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日本全国離島シリーズ第13弾〜沖縄八重山諸島 鳩間島・西表島・小浜島〜
「鳩間島は不思議な島やったでー」



皆様、こんにちは。

この秋は八重山に戻りました。八重山諸島で、まだ行っていなかった鳩間島、西表島、小浜島です。結論から言います。今回の旅は、日本ハムの佑ちゃんの言葉を借りると、「持ってる」旅でした。

前週は台風15号の影響で悪天候で大荒れ。しかし、私が滞在時はほぼ晴天。途中、台風17号、19号が八重山諸島に接近しましたが、うまく西に逸れてくれました。帰京時、全日空のストが予想されていましたが、ストもうまく回避。滞在中も様々な出会いがあり、「風」が私に対してすべていい方向に吹いていました。

鳩間島は不思議な島でした。人口41人、周囲3.9km(2011.3現在)、徒歩で十分に回れる島。これまで色んな離島に行きましたが、こういう島も珍しいでしょう。まず、島を代表する産業が見当たらない。沖縄と言えば、サトウキビですが、その産業もなく、漁港もないし診療所もない。島に滞在しながら、
「どうやって、島人は食ってるのだろう?」
と何度思ったことか。


西表島、イダの浜





バラス島
食べられるところも限られるし、島に1軒ある商店に売られているものも限られたもの。島の周回道路は舗装されておらず、自転車を借りて回っている方もいましたが、あの道路なら徒歩で十分。特にすることがない分、時間がゆっくり流れていました。

そんな鳩間島で数日過ごした後、西表島に行くと、その大きさにびっくりしました。舗装された道路、信号もあるし、レンタカーも走っている。何と言っても、その植生。島のほとんどは亜熱帯の植物に覆われ、川沿いにはマングローブが広がる。鳩間島と西表島は隣同士なのに、こうも雰囲気が違うのか???シダを見た時は、「亜熱帯」であることを痛感しました。

鳩間島と西表島訪問は予定通りでしたが、小浜島は予定していませんでした。旅最後の夜は、特に予定を決めていませんでしたが、第1候補は石垣島stay。西表島でたっぷり遊んで、夜に石垣島に戻る。第2候補は、天候次第では最終日も西表島泊。で、朝に石垣島に渡って、そのまま那覇に戻る。第3候補は黒島。個人的に八重山では黒島がお気に入り。西表島でたっぷり遊んで、黒島泊。この3パターンを考えていましたが、西表島から直接小浜島に行く船があることを知り、且つ、小浜島に行くことによって八重山諸島は制覇になる、と考えると、だんだんと小浜島に行く気になり、西表島最終日に、翌日は小浜島に行くことに決めました。



小浜島は、イメージ的にはリゾート地と思っていましたが、他の離島と同じく素朴な島で、結果的に行ってよかったです。アップダウンがある島をチャリを借りて回ったのには後悔しましたが、アップダウンがある分、上方からの眺めは最高でした。何とすばらしい景色が眼下に広がっているのか!!!1泊だけの小浜島でしたが十分満喫しました。

さて、これで与那国島も含め、八重山諸島は全部制覇です。宮古諸島、八重山諸島と、本島以南の諸島は制覇しました。日本放浪中に屋久島まで回り、そこでバックパッカーの旅は一旦中断して、社会人になって再開したそれより南の旅。有休を使っての限られた時間での旅の繰り返しでしたが、沖縄はほぼ制覇しました。大東島、慶良間諸島、沖縄本島、宮古諸島、八重山諸島、そして与那国島。達成すると寂しいものですね。大まかですが、日本全国ほぼ制覇したかな・・・。24歳から旅を始めて、長かった・・・。

と言いながらも、沖縄本島近くの離島はまだ少し残っていますので、次はその辺りを攻めてみます。八重山諸島は、これで一旦卒業します。戻りたくなったら、また戻ってきます。

では、次は沖縄本島近くの離島で会いましょう。





小浜島大岳より望む嘉弥真島


P.S.
小浜島を出る日、ここ最近の旅で垣間見た離島での阪神タイガースに関して、
「今回は出会うことはないやろう?」
と思っていたが、なんと港のフェリー乗り場の安栄観光の机上にトラ缶を見つけた。最後の最後にやっぱり今回もトラか?、と思った。

我がチームに対しては言いたいことはたくさんある。今回も、毎晩、携帯電話でトラをチェックしていた。神宮でヤクルトに3連敗した時は、江戸にいなくてよかった、と思った。江戸にいたら、間違いなく発狂して、引きこもりになっていた。

辞任を発表した真弓監督に一言。
あれだけの選手たち、このメンツで優勝できない理由が分からない。調子がいい時は、放っておけば選手は勝手に働いてくれる。そういう時は、戦術も何もない。単に放っておけばいい。しかし、調子が悪い時こそ、首脳陣の出番。そういう時は戦術や。監督の技量を問われるのは、選手が調子の悪い時の采配。

で、坂井オーナー、南球団社長にも告ぐ。
首脳陣の育成も大事。2008年シーズン後、突然、岡田監督が辞任して、急遽、場当たり的に真弓監督を選んだと思うが、もっと長期的に球団経営を考えてくれ。FAで補強するのも大事だが、若手の育成。且つ、フロント、首脳陣の育成も忘れず。要は人材やぞ。

毎年言うてるけど、トラ、来年こそやったれ
湘南より愛を込めて
16/Oct/2011
Manabu Kato




Glance in the sea around Island of Hatoma























☆ Topics; Yaeyama Islands Vol. 201 - 205

 八重山、一齧り vol. 3


今回で八重山訪問3回目になるが、今回も食は充実した。

1、「ゆみさんち」

鳩間島は食べるところがほとんどなかったので、毎日ここに通っていた。











船長のチキンカレー

正直、あまり期待していなかったのだが、くどくなくコクがあって普通にうまかった。
鳩間島滞在中、2度も食べた。




マンゴフラッペ

通常、甘いものは好んで食べないが、ここのお薦めでガイドブックにも載っていると聞いて食ってみた。
正直に言おう、「うまい」。氷自体がマンゴージュースだろうか?氷が解けても、マンゴーの味がしっかり残っていた。


くろきなバニラ

「こんなのもある」と言われて食べてみた。
バニラに黒蜜ときな粉をかけたもの。バニラにきな粉はいいかもしれない。しかし、「マンゴフラッペ」の圧勝。


豆腐ハンバーグのロコモコ丼

レタスを切らしてるとのことで、野菜たっぷりにして頂いた。
ヘルシーで良いと思う。



2、請福梅酒のアイスクラッシュ

請福梅酒は個人的にも好きな梅酒で、八重山のお土産によく人に薦める。
そのアイスクラッシュは、港前の「海風」で頂いた。

これは飲みやすい。酔うなぁ、これは。






3、西表島限定の「地ビール」

ヒッチ、バスを乗り継いでヘトヘトになって大原港に着き、「地ビール」のポスターを見つけ、思わず飲んでしまった。ラベルのデザインを見て、何となく予想はついたが、やはり、製造者は石垣島ビールだった。

種類は、私の好きなヴァイツェンで、まずまずの味。










4、西表黒糖リキュール

黒糖で製造されたリキュールは今まで聞いたことがなく、店でたまたま見つけて買った。

西表島産黒糖を使って、石垣島の請福酒造に製造委託したリキュールで、サイダーで割ると甘すぎたが、泡盛に少し入れると黒糖の風味がそれとなく付き、程よく南国を感じられる。乙女は牛乳で割ってもいいかも。









5、石垣島「まーさんラー油」

石垣島の洋食屋「シェ・ミィーロ」に製造委託し、西表島の玉盛商会が販売者。

もっと辛味が強いのをイメージしていたが、辛味もそれ程でもなく、食べやすいラー油。
癖がなく、汎用性があると思う。










6、「海風」のそうめん

スノーケリングに行く前、時間がなかったので、簡単にできるものということで何気なく食ったのだ、これがいける。鳩間島の天然もずくがいいアクセントで、歯ごたえがあり、薬味をたっぷり入れたタレに浸けて食べる。
一緒にスノーケリングに行った女性は、ここのそうめんを食べてスノーケリングするために鳩間島に来た、と。




7、「帆」の鳩間そば

石垣島からの麺を使った八重山そば。
化学調味料を一切使わず、鶏がら、豚、タマネギでダシを取って、塩で味を整えたあっさり味。








8、「新八食堂」のそば

今回の旅で一番美味しかったそば。

船浮で泳いで、バイクで上原方面に戻っている際、スコールに遭い、ずぶ濡れになりながらそば屋を探し、ちょうどその時、近くで唯一開いていた食堂で、午後休憩前、ぎりぎりに入った。
ダシが効いて味もしっかりで、後で大原で何人かの方に聞くと、「上原で美味しいのは新八食堂」と言われたほど。



9、「でいご食堂」の西表そば

飲んだ後に連日食べた。
大原にある細平麺の西表そばを使ったあっさり味。
飲んだ後はいいかも。





10、「デンサー食堂」のそば

上原港近くの食堂のそば。
あっさりで素朴な味。






11、「猪狩家(かまいとぅやー)」のそば&さとうきびジュース

由布島近くのそば屋で、観光客が多いミーハーなところとも思ったが、私が好きな「サトウキビジュースあり」の看板に釣られて入った。
あっさり素朴で、ダシも効いてうまかった。



12、「ニーランの石」のそば

ママさんが北海道出身の方。
沖縄そばには珍しくあっさり醤油ベース。




13、「島夢人」のそば

小浜港前の食堂。
あっさりダシが効いた八重山そばでうまかった。



14、「あーじゅ」のそば

飲んだ後に食べた。
あっさりで、飲んだ後はこれぐらい素朴でいい。





☆ Glance in Island of Hatoma No.1












 鳩間島での日々

鳩間島は、本島に不思議な島だった。これまで色んな離島を訪れたが、こんな島も珍しい。島自体は小ぢんまりで、徒歩で十分周回できる。周回道路は舗装されていない。際立った産業がある訳でもなく、サトウキビ畑もないし、漁港もない。診療所もないし、雑貨屋で売られているものも限られるし、食べられるところも限られる。離島でよく見るちびっ子の教育のために設置された信号機もない。小・中学校は、全校生徒7名。現在の生徒は、先生たちのお子さんや里子で、元々の島民の生徒はいない。電気、水道は西表島から海底を通って送られる。
「島民は、どんな生活を送って、どうやって生計を立てているのだろう?」
島滞在中は、常にそういった感を抱いていた。

そういうのもあって、他の離島よりも、鳩間島では時間がよりスローに流れていた気がする。宿にテレビもないし、新聞もない。Softbankの携帯電話が港近辺でしか通じなかったので、滞在中は特にiPhoneでニュースを見ることもなく。することと言えば、飯食ってるか、海で泳いでるか、酒を飲んでるか。それ以外特にすることもなく、本当にゆっくりと時間を過ごしたいのなら、沖縄の離島の中でも鳩間島はお薦めかもしれない。私が滞在時も、めし、海、酒の繰り返しだった。

鳩間島では、民宿「あだなし」に泊まった。ここを選んだ理由は、いつものように特に理由はなく、なんとなく。宿に着いてまず驚いたのは、ヘルパーの数。
「なんでこんなにいるんだろう?」
10月いっぱいでほとんどのヘルパーが島を後にするようだが、それにしてもこの時期にここまでいるとは・・・。

私が離島の民宿に求めるのは、おじいとおばあがいる家庭料理が食べられるところ。しかし、「あだなし」は、それに全く反する。ここに来た時は、正直、
「しまった。」
と思った。
「でも、夜、外でめし食えばいいや。」
とも思った。しかし、その予定は速攻崩れた。鳩間島にはそういった居酒屋がなく、夜は宿にいるしかなかった。


ある日の夕焼け空



ゆんたく



Photo by Akira Komatsu



しばらく離島で観光客や内地出身の人間と接していなかったので、宿では最初は戸惑った。滞在初日は連休中だったので、観光客も多く、めしを食いながら、
「なんで八重山の離島にまで来て、東京の話をしてるんやろう?」
と宿のお客さんと一緒に話しながらも違和感があった。

連休が過ぎるとお客さんも少なくなり、客同士も小さな集団になった。最後日は客も数人になり、ヘルパーさんたちとの距離も縮まり、一緒に海に行ったり、酒を飲んだりした。夜は星を見に行ったり、ヤシガニを探したり。離島に来ると、星空に感動する。光がないところで寝転がり、目が慣れてくると、空に天の川が見えてくる。海風を浴びながらの星観賞もいい。今回、夜の海で初めて夜行貝も見られた。

「あだなし」のヘルパーの皆様は、本当に親切でいい人たちばかりだった。感じがいいし、一生懸命やってくれていた。色々話しながら、昔の礼文島ヘルパー時代の自分をダブらせ、懐かしくもなった。

これまで意図的に宿の客同士のゆんたくを避けてきたが、小さな集団のゆんたくはたまにはいいかもしれない。ゆっくり流れる時間の中で、深い話ができて・・・。

宿泊者何人かともメールアドレスを交換した。沖縄を旅していて、島人以外の方とアドレスを交換したのは初めてかもしらん。でも、たまにはこういったのもいいかもしれない、旅の醍醐味の一つとして・・・。


宿の皆さんで夕日を見に




宿の皆さんによる見送り




「海風」のここの席で毎日酒を飲んでいた


民宿「あだなし」




☆ Glance in Island of Hatoma No.2


































 わしのお気に入りのビーサンが・・・

私をよく知る方は、私がビーサン好なのはご存知であろう。大体、4月中旬〜11月上旬までビーサンで過ごし、常にビーサンの在庫がないと不安で仕方がない。常時5足ほどビーサンをストックし、それより少なくなれば在庫を補充する。中でもお気に入りが、バンコクのカオサンで見つけた黒ビーサンで、足のサイズよりも2cmほど大きめ、鼻緒部分が軟らかいゴムのもの。私にとってはNZ放浪中に見つけたビーサン以来のしっくりくるヒット品で、5年ほど前にバンコクで買い占めた。しかし、その在庫も残り3つとなり、且つ、ここ最近はゴムの劣化であろうか、ビーサンの寿命が短く切れやすい。そこで、最近では、島ぞうりの下敷きが黒いビーサンを代替品として在庫に持つようになり、今回も帰京前に那覇で数足購入する予定でいた。

今年7月、スペイン・マドリッド滞在時、スペイン広場でいきなり愛用のビーサンが切れ、泣きながら近くの土産物屋にいかにも観光客が買いそうな”Madrid”と書かれた代替ビーサンを購入した。それから2ヶ月。今回、旅に出る前も、ビーサン在庫を持っていくかどうか迷った。しかし、新調してまだ2ヶ月の現行品。ゴムが劣化したとは言え、バンコク産ビーサンはそんな柔ではない。事前にビーサンの状態をチェックし、特に問題がないことを確認して、在庫を持たず旅に出た。

鳩間島では愛用のビーサンで未舗装の道を歩きまくった。海外の岩場を歩いたり、獣道を歩いたり。1日20,000万歩近くは歩いたかもしれない。

そして、鳩間島滞在2日目。ふと、ビーサンの状態を確認すると、左足内側の鼻緒裏側が切れかかっているでは・・・。しまった、那覇でビーサンを購入するまでまだ5日もある。この破損は、鳩間島の未舗装の道を歩きまくったので仕方がないが、何よりも愛用のバンコク産ビーサンの劣化の速さにショックだった。新調してまだ2ヶ月も経っていないのに・・・。購入し立ての頃は、1シーズンは十分持った。在庫を持って来なかったことを改めて後悔したが、たらればは言っていられない。よし、アロンアルファで応急措置をしよう。そこで、宿にアロンアルファを借りようとしたが、そんなものはない、と。唯一島にある雑貨屋にも行ってみたが、それらしきものは見当たらず、店のおばちゃんにも、

「そんなものあるわけないでしょ!!」
と。

「なら、ビーサンを買おう。」
と思ったが見当たらず。このままでは西表島に行くまでビーサンが持たない。そこで、島で仲良くなって毎日通った「海風」の船長のところに行き、

「これでよければ。」
と工作用ボンドを借りた。このボンドでは切れかけの鼻緒をくっ付けるのは無理なので、とりあえず、鼻緒と下敷きをボンドで固定する応急処置で、残りの鳩間島滞在時は対応した。



旅の間、連日このような晴天










西表島の南部



ある日の夕食






日本最南端のバス停


そして、西表島に渡る日。
鳩間島で宿の皆様に送られ、西表島上原港まで一緒に行ったメメさんを見送って、そこから宿泊する大原地区を目指した。そう、大原に着いたら、まず最初にすることは、スーパーでアロンアルファを購入することである。

宿は上原でもよかったのだが、上原のある西表島北部は鳩間島側で、鳩間島にしばらくいた私としては、できれば鳩間島と反対側の大原で滞在したかった。ただ、上原から大原まで40kmほどある。さて、どうやって行こうか?期待はしていなかったが、上原から大原への路線バスの便数もほとんどなく、なら、ヒッチしかないやろう。

ヒッチをするのは久しぶり。最後にヒッチしたのは、アラスカ放浪中の10年も前のこと。
「簡単に捕まるやろう。」
と余裕こいて車を待っていたが、お昼時だったのもあって、なかなか車が通らない。仕方ない、歩きながらヒッチ、と思って、炎天下の中、バックパックを背負い、バラス島で拾った重たい珊瑚の袋を持って、切れかけのビーサンで歩きながらのヒッチを敢行した。

しかし、本当に車が通らない。西表島を石垣島のような感じで捉えていたので、車なんて平気で捕まると思っていた。しかし、島はでかいが車が少ない。たまに通るカップルや乙女同士のわナンバーのレンタカーは、私を無視して行く(まぁ、当然やろう)。途中、
「ほんまにやばい。」
と思ったが、結局、炎天下の中、40分近く歩いただろうか。こういう時はやっぱり島人である。途中まで行くという地元の工事現場のおっちゃんに拾って頂き、バスが比較的多い由布島まで乗せてくれた。感謝感謝である。

由布島のバス停に着いたのはいいが、バスが来るまでまだ40分ほどある。ここまで来たらヒッチで大原まで行きたい気もある。と思って、再びヒッチを始めたが、本当に車が通らない。西表島は観光地のイメージでいたが・・・。シーズンオフなのもあって、車が少ないのか?炎天下の中を20分ほどヒッチを試みたが、ギブアップ。汗だくで喉がカラカラ。最後はそれから20分ほど待って、路線バスに乗って大原に向った。

さあ、大原に着いて、まず最初にすることはアロンアルファを買うことである。応急措置のビーサンは何とかここまで持ったが、応急措置のボンドはすっかり効き目を失くしていた。このままでは西表島滞在中に間違いなくビーサンは切れる。宿に荷物を置いて、速攻スーパーに向った。
スーパーは、食料品、日用品、雑貨も置いてある離島の一般的なスーパーで、
「これならアロンアルファがあるやろう。」
と思って、店の中に足を運んだ。入口から対角線上の奥に文房具らしきコーナーがあって、店の人に、

「アロンアルファ、ありますか?」
と尋ねたら、ある商品を指差した。しかし、よくよくその商品を見ると、「アロンアルファはがし」と書いてある。再度、店員に、

「これ、ちゃうやん。アロンアルファは?」
と尋ねると、これ以外ない、と。「アロンアルファはがし」の横は、木工用とガラス用ボンドが置いてあった。なんでアロンアルファはないのに「アロンアルファはがし」はあるねん。で、ボンドの横には、「島ぞうり 480円」の棚が・・・。

私の完敗である。ここまでがんばったのに、
「なんでアロンアルファはがしやねん???」
那覇で黒の下敷きのビーサンを買う前に、(少しでもタイガースカラーをと思い)鼻緒が黄色の島ぞうりを購入した。




ここまでヒッチで



民宿「池田屋」



お気に入り黒ビーサン(左)
新たに購入した島ぞうり(右)




☆ Glance in Island of Iriomote No.1






















On the Road to Funauki

































イダの浜





















鳩間島周辺の海もよかったが、イダの浜もよかった。何よりも人が少ないのがいい。
大原から白浜まで50kmもあり、且つ、船で船浮まで渡らないといけなかったが、船浮に行ってよかった。




  「でいご食堂」にて

西表島では、民宿「池田屋」に泊まった。ここも何となく決めたのだが、めしがうまかった。ボリュームもあり、大将が釣り好きなのもあって、料理の魚は自ら釣って来られる。大将が作る弁当はスーパーでも売られており、地元の人からも、

「池田屋の弁当が食べたい。」
となかなかの評判らしい。奥さんも親切で感じが良く、おばあとも色々話した。

夕食後は、毎晩、飲み屋に出かけた。そう、島人と触れ合うためである。初日に行った飲み屋は、観光客や島で働いてる内地の方が多く、いまいちだったが、2日目に向った「でいご食堂」はGoodだった。店に入ると、カウンター、カウンター近くのテーブルに数人の客がいた。見るからに地元の人ばかりで、私の希望する空間であった。店には、横須賀からのバイトの女の子がいて、マスターは酒を飲みながら客と酔っ払っていた。私は、ここをすっかり気に入って、翌日も来る予定だったので、「宮乃鶴」のボトルを入れた。

カウンターで座って飲んでいると、店のマスター、島人が私に話しかけてきた。話す内容は、

「どこから来たの?仕事何しているの?どこに泊まっているの?」
と、始めはたわいもない内容だったが、次第に仲良くなっていくうちに、話題は沖縄在留の米軍問題に発展した。

これまで色んな島の方に伺った意見と同様、ここで会った皆様も米軍に関して悪い感情は抱いておらず、むしろいい印象を持っていた。私も同感である。今の状況で、沖縄から米軍撤退となると、沖縄経済はどうなるのか?普天間基地移転で、その地主の収入、市の税収、週末に米軍たちが国際通りで落とす大量の銭はどうなるのか?

「大体、自衛隊、米軍の文句を言っているのは、内地から来た移民ばかり。」
店で話した皆様は、口を揃えてそう応えていた。

あるおっちゃんは、戦後、仕事を求めて、家族全員が竹富島から西表島にいかだで漂着した。そして、西表島で家を建て、土地を耕し、苦労しながら生計を立てるようになった。ある時、大型台風が島を襲い、家が破壊された。そんな時、米軍が様子を見に来島し、破壊した家を修理してもらい、米軍に対しては感謝しかない、と話していた。当時は、沖縄はアメリカ領で通貨は米ドル。日本返還と共に通貨が日本円になり、その時は戸惑ったらしい。

東日本大震災の時もそう。もし自衛隊、米軍がいなかったら、どうなっていたか?瓦礫の撤去、行方不明者の捜索は?今の原発問題に関しても、反対、反対とマスコミも反対をあおっているが、代替電力のインフラが整っていない中、果たして原発抜きでこの国はやっていけるのか?何より、原発がある地域の雇用、その家族、産業、税収はどうなるのか?原発を廃止するなら、その地域のことを第一に考えるべきではないのか?沖縄の米軍問題に直面すると、いつも、
「世論、マスコミ報道って何?本質って何?」
というテーマにぶつかる。

「ていご食堂」2日目は、マスター、前日の常連さんともより仲良くなり、マスターからも帰り際に、

「名刺置いて行って。」
と言われた。ちなみに、カウンターで酒を飲みながら、携帯電話で我が阪神タイガースの試合をチェックしていると、

「こんなところまで来て、仕事しないの。」
とマスターに怒られた(仕事は仕事でも、阪神のチェックなんやけど・・・)。

この日は、郵便局長と仲良くなった。島を離れる翌朝には、挨拶も兼ね、局長が働く姿を覗きに行った。局長は与那国島出身。さすが与那国島出身だけあって、皆が「請福」「八重泉」など八重山の島酒を飲んでいるのに対し、局長は与那国の「どなん」を飲まれていた。局長は単身赴任で、家族は石垣島にいる。そんな局長から、

「もう一軒行こう。」
と誘われ、大原地区に1軒しかないスナックに向った。

スナックからはママがわざわざ迎えに来てくれた。夜、タクシーがない西表島では、ママが送り迎えをしないと、お客さんが来られない(もちろん代行なんてない)。スナックでは、ママと埼玉からの女の子が働いていたが、ママ曰く、お客さんは地元の方か工事関係者ばかりで、観光客はほとんど来ない、と。島のこういったスナックも味があって面白いのになぁ・・・。キープボトルは、ほとんど「請福」だったのは、いかにも八重山らしい。ママが言うように、私が訪れた時は、ボックスに地元の若者と工事の方数人しかいなかった。

ママの娘さん3人は、那覇で学生をしている。学費に大変な時期でもあり、ママも、

「色々大変よ。」
と笑っていた。ママは、ちょうどその2日後に那覇の娘さんに会いに行かれる予定で、その日は私も石垣島から那覇に戻る日であった。石垣ー那覇間は一日に何本もフライトがあるので、

「もし空港で再会できれば、会いましょう。」
と言って、ママに宿まで送ってもらって別れたのだが、那覇への出発当日、偶然にも私とママのフライトが同じだった。機内でママが私に気づいて、声を掛けて来た。

鳩間島での宿のヘルパー・客同士のゆんたくも楽しかったけど、離島ではやはり島人と過ごす方が私には合っている。島人は、思いも寄らぬ展開を演出してくれるし、何よりもあの空間がいい。宿の奥さんから、

「上原は内地からの人が多いし、店が多いので、夜が楽しいのは上原と思う。大原は、地元の人が多く、店も少ないよ。」
と言われていたが、大原にstayして正解だった。




Island of Yubu



















ベタではあるが、水牛車に乗って由布島に渡ったが、島まで遠浅で十分歩けた。宿の人に聞くと、別に水牛に乗る必要はなく、歩いて渡ってもいい、と(しまった・・・)。由布島の従業員は、白い長靴を履いて、歩いて島間を行き来していた。




On the Road to Maryudu Waterfall









































本当は、もっと本格的なトレッキング&リバーカヤッキングをしたかったのだが、浦内川〜マリュウドゥの滝・カンピレーの滝へのトレッキングでも十分西表島の亜熱帯を感じられた。




☆ Glance in Island of Iriomote No.2




























  1泊だけの小浜島

小浜島へは元々行く予定ではなかった。私の中では、小浜島はリゾート地というイメージで、八重山諸島の中でも興味のない存在だった。最終日の朝は石垣島発の飛行機だったので、前日の天気によっては石垣島に泊まる予定だった。いつも石垣島は離島への交通の拠点でしかなかったので、ゆっくり飲み屋を回ってみてもいいかな?、と。しかし、接近中だった台風19号がうまく西にそれて、且つ、大原港から小浜島直通の船があることを知った。八重山諸島の中で唯一小浜島にだけ行っていないし・・・。ということで、西表島を離れる前日に、急遽小浜島に渡ることにした。

小浜島では、軽く回って、飲み屋に行って、帰ろう、という軽い気持ちでいた。島を回るのもチャリで十分と思い、チャリを借りた。しかし、この選択を島を回りながら何度後悔したことか・・・。小浜島はアップダウンの連続。しかも、炎天下の中なので汗が止まらない。おまけに、借りたチャリがぼろく、慢性的に後ろブレーキが効いていたので、いざ坂道を登ろうとしてもブレーキが効いてスピードが出ず、坂道を登る度に炎天下の中、チャリを押すしかなかった。トータル3時間程、チャリで回ったと思うが、ペットボトルお水4本は空けた。

汗だくで身体はヘロヘロだったのに反して、アップダウンがある分、島からの眺めは最高だった。風も心地よく、島周辺の珊瑚礁、近隣の離島まで、晴天の中、すばらしい景色が眼下に広がっていた。半日あれば十分と思っていた小浜島であったが、確かに島を回るのはチャリでも3時間もあれば十分だが、隣の嘉弥真島、干潮時に姿を見せる幻の島など、意外にやることがある。

「もう1日、いたかったなあ・・・。」
というのが正直な感想である。

小浜島では、民宿「うふだき荘」に泊まった。沖縄の離島では珍しいのではないだろうか?宿がすごくきれい、部屋もトイレもシャワー室も。数年前に建替えそうで、こんなきれいな民宿が沖縄の離島にもあるのにびっくりした。宿の食事もおいしかったし。

夜は、近くの飲み屋「あーじゅ」に向った。私が入った時には、客は観光客数人。ホテルに泊まっているお客さんだろうか?西表島のスナック同様、店のスタッフが客を送り迎えしていた。夜は、タクシーや代行がない中、送迎しか遠くの方は来られないのは仕方がない。何度も言っているが、沖縄の離島にまで来て、積極的に東京の人間と話す気もないので、旅最後の夜、周りの観光客と話すことなく、島酒を片手に一人でもの思いにふけっていた。


シュガーロード





ある日の夕食



ちゅらさん展望台より望む



電線も何もない1本道


しばらくすると、だんだんと客が増えてきて、最終的には、私が座った大テーブルは、島人、ヘルパーでいっぱいとなり、宿のヘルパーさんたちも店に入ってきた。そして、突然、三線ライブが始まり、三線の音色がいい雰囲気をかもし出していた。そこにギターも加わり、本格的なライブとなり、店の方、島人がステージを囲み始めた。三線のみのライブより、ギターが加わるとよりいい。ギターを弾かれている方の中学生の息子さんもライブに飛び入り参加し、場内は大盛り上がりとなった。まさか旅最終日に三線ライブに遭遇するとは思いもよらず、旅の締めくくりには最高の夜となった。

宿のヘルパーで、私と同郷の羽曳野市出身の女の子がいた。羽曳野って聞いた時はびっくりした。大体、出身地を聞かれて、羽曳野を知っている方に出会った記憶はなく、出身大阪と言った後に、羽曳野を説明することが通常であった。彼女とは地元ネタで盛り上がった。どこどこに何ができたとか、どこどこがきれいになったとか・・・。彼女は、冬は長野のスキー場でバイトし、この夏は小浜島に来たという。過去の私によく似ている。ただ、この生活をいつまで続けるかは分からない、と。

離島でのヘルパー生活は、バックパッカーによく似ている。いわゆる「麻薬」である。はまると止められない。だから、自分でゴールを決めなければ、そのままドロップアウトしてしまう。離島は時間がゆっくり流れている一方、都会ではその10倍のスピードで時が流れている。そして、いざ「OFF」から「ON」の世界に戻ろうとしても、もう付いていけない。だから、「ON」「OFF」の繰返しが必要であり、「OFF」だけでは取り返しが付かないことになりうる。彼女は、今の日本の仕組みに納得いかない、と言っていた。言っていることはごもっとも。私も同じ意見である。しかし、それは仕方がない、日本に住んでいる以上は。嫌なら他の国に行けばいい。他の国に行けないのなら、日本のルールに従うしかない。少しお節介だったかもしれないが、彼女にヘルパー先輩として、そういった話をした。

たった1泊だけの滞在だったが、小浜島に来て正解だった。非常に密度の濃い滞在であった。


「あーじゅ」のもずく酢
この量で300円


三線&ギターライブ



民宿「うふだき荘」




☆ Glance in Island of Kohama