全国18億人の加藤学ファンの皆様

日本全国離島シリーズ第10弾〜沖縄八重山諸島 波照間島・与那国島〜
「ついに日本の東西南北端を制覇したでー」



皆様、こんにちは。

この春は、再び八重山に戻りました。当初は、西表島・鳩間島を考えていましたが、台風の季節でない今のうちに、波照間島・与那国島に先に行こうと思い、急遽予定変更です。

波照間島は、(有人の)日本最南端、与那国島は日本最西端、これで日本東西南北端を制覇です。端っこフェチの私が、覚えている範囲で制覇した端は、以下の通りです。

日本最北限 礼文島・スコトン岬 (北海道礼文郡礼文町)
日本最北端 宗谷岬 (北海道稚内市)
日本最東端 納沙布岬 (北海道根室市)
本州最北端 大間崎 (青森県下北郡大間町)
本州最南端 潮岬 (和歌山県東牟婁郡串本町)
本州最西端 毘沙ノ花 (山口県下関市)
四国最西端 佐田岬 (愛媛県西宇和郡伊方町)
四国最南端 足摺岬 (高知県土佐清水市)
本土最南端 佐多岬 (鹿児島県肝属郡南大隅町)
沖縄最北端 辺戸岬 (沖縄県国頭村)
沖縄本島最南端 喜屋武岬 (沖縄県糸満市)
沖縄最東端 南大東島 (沖縄県島尻郡南大東村)
日本最南端 波照間島・高那崎 (沖縄県八重山郡郡竹富町)
日本最西端 与那国島・西崎 (沖縄県八重山郡郡与那国町)

今回行った両島については、

波照間島 与那国島
人口 543人 1,622人
面積 12.77km2 28.88km2
周囲 14.8km 27.5km
世帯数 264戸 798戸

です(2009.9現在)。



東崎周辺の東牧場 in 与那国島




ニシハマ in 波照間島





南浜 in 波照間島

天気は、連休前半と各移動日はよくなかったですが、それ以外は好天でした。波照間と与那国で1日づつ泳ぎ、波照間では自転車で、与那国では原チャで回りました。

波照間とは、”果てのうるま(サンゴ)”という意味。石垣島の離島桟橋から高速船で1時間ほど。話では聞いていましたが、黒島を越えて外海に入ると急に海が荒くなり、船は揺れるというよりも飛んでいました。それまでウトウトしていましたが、前の方に座っていたのもあってその衝撃で目が覚めたほどです。

石垣に戻る日は天気が悪く、朝から雨。昼からの船は欠航するだろうという話が広がり、午後乗る予定だった客も朝一便で帰る方がほとんど。臨時船が一便出て、船の中は超満員。そして、船が出たのはいいのですが、ここ何年も体験したことのない揺れ。正直、「よく船を出したな。」と思ったほどの大しけ。さすがに、あの揺れはきつかったですね。石垣に着いた頃はヘロヘロでした。ちなみ、予想通り、午後からの便は欠航でした(他の離島への船は動いていましたが)。

波照間は、街中へ行く際は坂を上がらないといけませんが、周回道路は比較的フラットで、数時間もあれば自転車で回れます。それにしても、観光客の多さにはびっくり。昼時ともなれば、食堂前は人、人、人。私のお気に入りは、ニシハマの砂浜に座って、すぐ横の製糖工場から漂う糖蜜の香りを感じること。この時間は最高でしたね。

与那国へは、石垣島から飛行機で30分ほど。島全体でアップダウンが多く、小ぢんまりした波照間から来た私は、その都会度に驚きました。

「島に信号あるやん。」

祖納、久部良と各集落に信号が1つづつあり、夜でも市街地は街頭の明かりで懐中電灯なしで歩けました。

正直、波照間よりも与那国の方が居心地がよかったです。与那国の方が広々とした感があり、何よりも波照間に比べると与那国での観光客の少ないこと。GWというのに、与那国行きの飛行機には空席があり、宿にも空きがありました。原チャで走っていてもそれ程人に会わないし。与那国滞在時はずっと天気に恵まれました。

それにしても、本当に離島の天気予報は当たらないですね。与那国滞在中は、天気予報では雨だったのに・・・。

さて、オフの期間も終わり、すでにオンの生活に戻っています。次回は、西表島・鳩間島を予定。これで、八重山は一旦卒業します。

では、また秋にお会いしましょう。



P.S.
過去のupdateに写真を載せ始めました。過去に写真を撮ったものをデジカメで撮って載せていますので、それ程きれいではありませんが・・・。作業を始めて1年ほど経ちましたが、まだ半分ほどしかできていません。今年中には終える予定です。是非、ご覧下さい。





南浜




ニシハマ




ニシハマ




西崎




ティンダハナタから望む祖納市街地




東崎周辺




与那国馬




宇良部岳から眺める東崎




西崎周辺



西崎灯台から望む久部良港



GW中にトラの調子がいいのはいつぶりだろうか?昨年は、球児が打たれたりと散々だったが、今年は甲子園で読売を3タテ。で、首位に立ち、知人に翌日のデイリースポーツを買ってもらおうかとも考えたが、
「これから首位が続くからええか。」

と思って頼むのを止めた。しかし、翌日にドラに負け、速攻読売に首位を奪われた。名古屋でのドラ戦をなんとかせんかい。



「トラ、今年は行けるぞ!!あとは、セリーグの他のチーム、読売に負けすぎやぞ!!」
湘南より愛を込めて
9/May/2010
Manabu Kato




☆Topics; ”Yaeyama islands” Vol. 184 - 189


 またしても、トラ、トラ、トラ

波照間にいる際は、宿でチャリを借りて島を回っていた。波照間を観光する人のほとんどがチャリを使う。もちろん、レンタカーや原チャリで回っている人もいたが、ごく少数であった。

波照間に着いた翌朝、とりあえず、最南端の地に行こうとチャリを走らせて到達。日本最南端の碑の裏を少し歩くと岩場で、その先には海が広がる。ここの碑は、本土の学生に建てられたものと、本土復帰を記念したものがあり、そのそばには、日本全国から持ち寄った石で造られた2匹の蛇がからまる様を形作った道がある。

最南端の碑の裏側には、日本の国旗があり、これを見ると、ここが日本の最南端と改めて思い知らされる。私は、この裏側からの碑と日本国旗を写真に撮り、何気なく表側を見ると、な、な、なんと、こんなところに、我が阪神タイガースの缶があるではないか!!なんでトラなのか、全く意味が分からん。しかし、明らかにトラの缶であり、缶はお賽銭箱のようだった。

「これはネタになる。」

と思って、この表側からもトラ缶が写るように碑の写真を撮り、その写メを仲間に送ると、

「自作自演やろ?」

という多数の回答が・・・。神に誓ってもいい。トラ缶を置いたのは私ではない。私は潔白だ!!しかし、トラ缶のトラロゴが正面に向くように缶を動かした犯人は私だ。

波照間から石垣に戻った日。波照間に渡る前に、何気なく”やぎそば”という看板が気になった栄福食堂に行ってみた。店には客は誰もいなく、私が入ると、店の中からおばあが出てきた。そして、やぎそばを注文し、何気なくテレビが置いてある棚を見ると、な、な、なんと、今度はトラッキーとラッキーちゃんのぬいぐるみがあるではないか!!なんで石垣にトラやねん、石垣と言えばロッテやろ???私のこの疑問をおばあにぶつけると、このぬいぐるみはある観光客が店に忘れていったものらしい。おばあ曰く、その観光客はトラッキーを旅に携帯していた、と。どんな観光客やねん。で、やはり、おばあも「石垣はロッテ」と言っていた。また、この写メを仲間に送ると、

「自作自演やろ?」

と。だから、ちゃうって!!

今後は、店を出て何気なく歩いていると、トラカラーのカラオケ屋の看板が・・・。おい、これも自作自演って言うんかい??


トラ缶(日本最南端の碑を表側から)





日本最南端の碑を裏側から



与那国についてびっくりしたのは、関西からの移民が多いこと。宿の奥さんは富田林出身、スナックのママの義理の妹さんは尼崎出身。スノーケリング時に船を出してくれた夫婦も関西からの移民で、その旦那は尼崎出身の大のトラファン。その前日の甲子園での読売戦について、私と話したほど。トラの先発ローテも頭の中に入っていたし。もちろん、私は旅の間もずっとトラの試合を携帯電話でチェック。

こんなさいはての地に来ても、私の周りにはいつもトラだ。トラに関しては、私はそろそろ神の領域に来たかも・・・。


トラッキー in 栄福食堂


トラカラーの看板




 「なんやて、美人三姉妹???」



ばっちり3人でのスリーショット




しかし、また突っ込まれた
恐るべし、怪獣ども


本当に人の出会い、繋がりってものは分からないものである。今回、改めてこのことを痛感した。

沖縄に旅に出る前日、携帯電話に一通のメールが届いた。送り主は、高山に住む友紀ちゃんからである。

友紀ちゃんは礼文島時代のお客さんで、現在結婚して高山在住。3年前に高山をバイクで旅している時に再会した。その当時のことは、以下URLで。

http://www.manabu1218.com/hida2007/hida2007.html

メールの内容は、今度の連休に石垣島に行くから、いくつか情報がほしい、と。おいおい、わしも明日から沖縄に行くし、行き先も八重山やないか。ただ、今回は石垣は交通の拠点でしかないし、波照間から与那国に移る5月2日のある限られた時間帯しか私は石垣にはいない。

「折角なら会えればよかったけど、今回はニアミスやけど無理やな。」

と思って、自分が知る限りの情報と石垣滞在時間帯のことを伝えると、なんと友紀ちゃん家族(岩堤家)が石垣到着が5月2日昼過ぎで、ちょうど私が石垣滞在時間帯と合うではないか。いやー、ほんとに岩堤家とは何か縁がある。ということで、折角なので岩堤家の皆様と限られた時間だったが会うことにした。

波照間から石垣に戻って、少し街中をブラブラしていた頃に、友紀ちゃんから石垣到着メールが届いた。おそらく、朝早くからの移動で疲れているであろうから、私は岩堤家が泊まるホテルに寄って、波照間のお土産を渡して、そのまま空港に向って与那国に飛ぼうと考えていた。しかし、私の予想に反して、岩堤家は車で出かけるとのことだったので、離島桟橋を待ち合わせ場所にして会うことにした。

私が、高山に行った頃は、岩堤家のちびっ子は陽香(はるか)のみで、あす香はまだ友紀ちゃんのお腹の中にいた。3年ぶりに会った陽香はすっかり女の子らしくなって、あす香とはこの日が初対面。当然、陽香は私のことを覚えてないだろう。ただ、2人とも人見知りせずに、普通に私に接して来た。岩堤さん、友紀ちゃんとも久しぶりの再会。

前日にトラが読売を倒したので、私のバイブルであるデイリースポーツの差し入れをお願いしていたのが、なんで持ってきたのが、トラではなくドラファン愛読の中日スポーツやねん!!少ししかトラの記事が載ってないし(デイリーなら5面やで)。

陽香もあす香も、私に対して「変な人」「怪しい人」を連発。おい、誰が仕込んだんや!!ていうか、母親しかおらんやないかー!!



その後は、岩堤家は川平湾近くの川平ファームでパッションフルーツジュースを買いに行くというので、飛行機までまだ時間があったので、私も便乗させて頂くことにした。

車の中でも、陽香、あす香から「変な人」「怪しい人」を連発されるし、折り紙を折って、とせがまれるし。

「手裏剣作って。」

って、見たら分かるやろ、ちびっ子ども。わしに折り紙は似合わへんやろ。お前らも、わしのことを「変な人」って言うてるやないか!!それでも私は満面の笑みで対応。また、陽香からハート型に折った折り紙(茶色)をプレゼントされ、私は満面の笑みで、

「ありがとう。」

と返すと、

「これ、茶色の紙だよ。」

と今度は母親からいらんツッコミが来た。おい、子供が気持ちよく折ってんのや。赤でも茶色でもええんや。その夢を母親が壊してどうすんねん!!この2匹の怪獣相手だけでも大変やのに、そこにおばちゃんが加わるな!!挙句の果てに、自ら「美人三姉妹」って言うし。

”だ・か・ら、あなたは、もうO・B・A・C・H・A・N、お・ば・ちゃ・んなの!!”

3年前が美人姉妹で、今回は美人三姉妹やて(そう言える勇気だけは褒めてやろう)???私は、車の中で2匹の怪獣を相手し、表向きは満面の笑みで対応しながら、頭の中では2人をどついてた。

久しぶりに抱っこした陽香は重くなっていた。そりゃ、3年ぶりやからなあ。で、今回は、陽香とあす香を抱いて、2匹の怪獣と変な人とのスリーショット。満面の笑みでポーズを取ったが、次の瞬間、3年前同様、怪獣に突っ込まれた。この先の怪獣たちの成長が楽しみである。心配なのは、唯一、そう、母親のボケ・ツッコミ教育である(母親が、訳の分からんボケやからなあ・・・)。いい子に育っている、すくすくと、明るく。

人の出会いってのは、本当にどこでどうなるか分からない。礼文で友紀ちゃんと出会った頃は、まさか10年後のこの展開を予想もしていなかった。岩堤家とは、ほんと何かの縁を感じる。また、何かの機会にどこかで会うでしょう。大きくなった怪獣たちを抱っこするのを楽しみにしているよ。

あと、お土産の高山の地酒、ご馳走様でした。










































 八重山、一齧り vol. 2

1、「海畑(イーノー)」のソーキそば

波照間港の待合室にあるそば屋。ここのそばのだしは、しっかりとした味付けで、ソーキもいい具合に煮込まれている。石垣からの一便でそばがやってくるので、10:00過ぎからソーキそばが食べられる+300円で泡波が1杯飲める。私の波照間滞在時の朝食がここであった。朝起きて少し島を散歩して、第一便が着く頃にここに来る。で、ソーキそばと泡波1杯。最高の一時であった。


2、「みんぴか」

ニシハマから少し坂をあがったところにあるカフェ。ご夫婦だろうが、ここの若い2人はすごく感じがよく、店はいつも人がいっぱいだった。
波照間滞在時、夕方私はここを訪れ、ニシハマを眺めながら生ビールを飲む時間が好きだった。ここの杏仁豆腐も黒糖のシロップがいい具合でうまい。


3、「あやふふぁみ」

みんぴかのすぐ近く。昼は食堂、夜は居酒屋で、不定休なのでご注意を。私が教頭先生(後述)と出会ったところ。何と言っても、ここは珍味だろう。グルクンの卵、マンピカ(シーラ)の卵、カツオのハラゴ(腹側の肉トロ部分)などの珍しい干物が食べられる。マンピカの卵は、濃厚で今まで食べたことのない味であった。


4、泡波

幻の酒と言われている泡盛で、蔵元に行っても飲ませてもらえないし、地元の人でもなかなか手に入らない。島の商店で売っているのもミニボトルばかりで、私が滞在時、島から泡波がなくなったほど。しかし、石垣に戻ってお土産屋をのぞいて見ると、どこにも置いてあったのにはびっくり。泡波を買うなら、波照間よりも石垣の方がいいかも。しかし、波照間の居酒屋「あがん」では、3号瓶は2,500円なのに対し、石垣のお土産物では5,000円を超えていた。肝心の味に関しては、クセもなく飲みやすいが、正直な意見として、私は石垣の請福の方が好きである。

5、島豆腐

沖縄各地で島豆腐を食べてきたが、波照間の島豆腐は絶品である。味も濃厚で、食感もしっかり。島の商店で予約しておくと、夕方、豆腐屋から商店に豆腐が届けられる。どちらかと言うと、私はゆし豆腐の方が好きで、ゆし豆腐もあらかじめ注文しておくと食べられる。



6、波照間島の黒糖

「あやふふぁみ」でめしを待っている間、何気なく黒糖の試食品を食べて、そのうまさに衝撃を受けた。濃厚な味、独特の風味で、こんな黒糖は食べたことがない。あとで調べてみると、波照間の黒糖は最高品質らしい。私は、お土産にそのケースを買ったほど。



7、「スナック来恋」

与那国祖納になるスナック。波照間の教頭先生から紹介して頂いたところ。先生から話は聞いてはいたが、ここのお通しのボリュームには驚き。これは、定食屋のおかずで、ごはんと味噌汁をつければ、立派な定食である。刺身と揚げ物がてんこ盛りでついてきて、生ビール1杯とこの量でたった700円。変な居酒屋に行くよりも、ここに来てママと話している方がよっぽど面白い。


8、花酒

与那国だけで造られる60度の泡盛。ここまでアルコール度数が高いと、分類はスピリッツとなる。泡盛というよりはもう消毒用エタノールである。

与那国には、「海波」の崎元、「舞富名」の入波平、「どなん」の国泉と酒造所があり、残念ながら、崎元酒造所はGW休みで閉まっていたが、入波平、国泉と見学に行き、両酒造ともに親切にご対応頂いた。

与那国を回っていて、驚いたのが水田があること。二期作可能なのだが、一期作で作付けされており、コシヒカリ、あきたこまちなどが採れる。しかし、今年は外来のタニシ害の影響で、稲の育ちがよくないらしい。この島米を使った泡盛が「どなん」にあり、従来のタイ米に比べると、島米の泡盛はクセが少なく飲みやすかった。





















9、「光里(ひかり)食堂

与那国比川にある豆腐を使った料理が売りな食堂。豆腐は自ら作っている。宿の人にもここをお薦めされた。メニューに与那国そばとあり、そば好き且つゆし豆腐を食べたかった私はその旨を伝えると、わざわざゆし豆腐をそばに乗っけたゆしそばを用意して頂いた。あっさりしてうまかった。



10、「わかなそば」

与那国比川にあるそば屋で、宿の人にそばを食いたいと話したら、真っ先にここが挙がった。メニューはそばと大盛りだけで、私が求める究極のそば屋のメニューと同じだ。11:30に開いて、14:00には閉まってしまう。ここのそばは、私的にはあっさり部類に入るのだが、とんこつラーメン風の味がしてGood。店の人に聞くと、原料の豚は、庭で飼っている豚だそうだ。


11、「ユキさんちのカレー」

与那国久部良にあるカフェ&飲み屋。カレーのメニューは日替わりで、私が入った日はソーキカレー。はっきり言おう、もしこれが東京でなら食べていない。ここからの西崎灯台を眺める風景がなければありえない。



12、「シーサーさしみ店」

与那国祖納にある宿から少し歩いたところにある天ぷら・さしみ店。海で泳いだ後、軽く生ビールとつまみがほしいと思って入り、無理言って、カジキの天ぷらとたこの刺身を用意して頂いた。カジキは地元産だが、タコはわざわざ北海道の増毛から取り寄せたものだった。私はここをすっかり気に入って、与那国を出る直前にも寄った。ここのお父さんには本当に世話になった(後述)。


13、やぎそば(「栄福食堂」)

石垣離島桟橋近くにある食堂で、やぎそばという看板が気になって入ってみた。久しぶりにやぎを食ってみたが、やはりクセがある。しかし、これはこれでうまかった。




14、石垣バーガー

離島桟橋ターミナル内の屋台。以前はこんなのはなかったのに、どこかのホテルが出している店。150gの石垣牛を使ったビックサイズハンバーガーが売りで、話のネタに食べてみたところ、味は悪くはなくおいしい。しかし、これで1,000円は高すぎ。



15、「カフェ沖縄式」の沖縄そばカレー

那覇旭橋から徒歩10分ほど。国際通りのぶくぶく茶が飲める喫茶店の本店。前から気になっていたのだが、私の好物の沖縄そばとカレーのコラボなら、食べない訳にはいかない。もちろん、ここで沖縄そばカレーを頼んだのだが、その色合いにびっくりした。カレーのスープに赤の麺。茶と赤という不気味なコントラスト。麺の赤色は、ハイビスカスとパプリカで色付けしている。肝心の味は最高。私は、カレーうどんが大好きであるが、私が求める味は、カレーが強すぎず、スープのだしが効いていること。このコンセプトにばっちり合い、カレーがくどすぎず、沖縄そばのだしも楽しめた。国際通りからここまでは少し離れているので、国際通りならここの「わしたショップ」店でもそばカレーが食べられる。ちなみに、ここで古酒カレーも食べてみたが、正直な意見として、もう少しスパイスを効かせてほしい(スパイシーとは謳っているが・・・)。





西崎灯台



馬鼻崎



馬鼻崎より望む



馬鼻崎への道



ナンタ浜より眺めるティンダハンタ



東崎灯台



東牧場周辺


西崎灯台


与那国空港にて




 Dr. カトー

Dr. カトーです。

与那国島と言えば、ドラマ「Dr.コトー」が撮影されたところ。そのことは知っていたが、私はドラマを一度も見たことがない。撮影で使われたセットが残っているという話を聞き、また「Dr.コトー」マニアから写真を送ってほしいと言われていたのもあって、折角なのでその診療所のセットを見に行くことにした。

私がいた宿は、島の北側の集落祖納で、診療所があるのが、島の南側の比川浜。ドラマを見たことがない私は、どんなセットかも知らないし、何が何んだかよく分からない。診療所に着いて、外観だけ写真を撮って帰ろうとも思ったが、中にも入れるでは。しかし、入場料¥300で、銭取るんやったら止めようかとも思ったが、折角なので入ることにした。

受付がドラマの診療所の受付で、¥300払って入場券をもらったが、さすがは診療所である。入場券が、「診察券」になっていた。ロケマップも頂いて、実際にロケで使った島の場所が記載された地図もあった。

ドラマでは待合室なのだろう。入ってすぐ右手にテレビがあり、ドラマのビデオが流れていた。玄関横の便所は、ドラマでは便所となっているが、実際は物置。

ドラマの美術さんってすごいなと思ったのが、鉄筋の壁かと思ったらベニアでできており、いかにも鉄筋ぽい。古めかしさをわざと作り、壁に貼られているポスターもわざと古く見せている。セットの一部の賞状の文章もちゃんと書かれており、どこでどう写るか分からないからということで、先生の机の前に緊急連絡網の紙が張られているのだが、ちゃんと連絡網になっていた。手術室は、東京にも同じセットがあるらしい。

「Dr.コトー」は、実際に存在した鹿児島県下甑島の診療所がモデル。ドラマを作るに際し、スタッフが下甑島に打診したら断られ、舞台が与那国になったとか。診療所のおっちゃんは無茶苦茶親切で、ここからのアングルがドラマでよく出るとか、ドラマの中で先生が食べていたヤシガニラーメンとか、色々裏話を教えてくれた。一応、この診療所のセットは、与那国町が預かっているという形らしい。ただ、最近テレビ局のスタッフが視察に来たようで、となると、また近いうちに撮影が行われるのでは、と。

先生の机がある部屋には、白衣がかかっており、この白衣を着て写真を撮って行く人が多いらしい。

「撮ってあげる。」

と言われ、私は断ったのだが、このセットを出て、しばらく原チャで走っていると、ふと、

「Dr.コトー???俺が白衣を着たら、Dr.カトー。これ、ネタで使える。」

と思って、翌日にわざわざここに戻って、白衣を着た写真を撮った。受付で診察券を見せて事情を話すと、おっちゃんも私のことを覚えており、笑っていた。

今度、時間がある時にこのマップと共にドラマを見てみる。

































































 島人との一時

今回、久しぶりに八重山に戻るに当たって、できれば民宿に泊まってゆんたくを楽しもうと思っていた。しかし、案の定、民宿は予約でいっぱい。特に、波照間では、宿泊場所の選択肢がなく、港近くの民宿「西浜荘」のドミならなんとか、と言われたほど。与那国でも祖納の「おじぃの家」で素泊まりだった。

過去に何度も述べているが、宿泊者同士でのゆんたくはそれはそれでいい。しかし、離島は現地人と身近に触れ合えるのがいいし、その空間は他ではなかなか味わえない。なんで八重山の離島にまで来て、東京人同士で語らなければならないのか?今回もそう感じて、元々宿でめしを作る気もなく、宿の連中と少し話した後は外に飲みに行った。

飲みに行ったのは、宿から10分ほど歩いた「あやふふぁみ」。ここのカウンターでたまたま横に座っていたのが波照間中学校の教頭先生。この4月から波照間に転勤で、これまで与那国、鳩間などで教頭先生をされていたそうだ。私がこの後与那国に行くと言うと、与那国の飲み屋をいくつか教えて頂いた。そして、特に「スナック来恋」はお薦めということで、その場でママに電話して頂いた。こういう人が近々与那国に行くからよろしく、と。

先生には、八重山の情報を色々頂いた。どこどこに行くならココ、といった感じで。先生は波照間に単身赴任で、夜はよく一人で飲みに出られるらしい。飲んでいる途中で、校長先生から電話があり、父兄と飲んでいるから合流するように、と。さすがの教頭先生も校長に言われたら行かざるを得ない。

その翌日は、波照間で唯一の居酒屋と言ってもいい居酒屋「あがん」に行った。ここは、隣にある民宿「みのる荘」が経営している。教頭先生からも混んでいると伺ったが、私が行った日も島民、観光客でいっぱいだった。軽く飲んで帰ろうか、とも思ったが、泡波の3号瓶が2,500円と思ったよりも安かったのと、余ったらボトルの持ち帰り可ということだったので、1本ボトルを入れた。カウンターの私の横には、「みのる荘」のお客さんが一人でいた。折角なので、泡波をお裾分けした。

途中で「みのる荘」のおじいが入ってきた。現在、おじいは石垣に住んでいるが、GWの忙しい時期を手伝いに来た。息子さんが「みのる荘」を、お孫さんが「あがん」を経営している。お孫さんは、本島から波照間に戻って来たらしい。若いのにしっかりしている。帰りは、親切に私を車で送ってくれた。

おじいからも色んな島の話を伺った。島の歴史や裏情報を。普段はビール1杯飲んで寝るらしいのだが、

「今日は楽しい。」

と何杯もビールを飲み、店の女の子からも怒られていた。

「海畑」のおばちゃんとはすっかりお友達に。毎朝、ソーキそばと泡波を飲みに行っていたら、そりゃ私のことを覚えるだろう。































波照間の教頭先生が、わざわざ与那国のスナックのママさんに電話されたのだから、与那国ではこのスナックに行くと決めていた。幸い、宿から徒歩すぐのところに「スナック来恋」があった。

スナックに入って自己紹介すると、ママさんは私のことを待ってくれていた。教頭先生から私のことを聞いていたが、果たしていつ来るのだろうか?、と。私が早い時間に入ったのもあって、店にはまだ誰も人がいなく、何も注文することなく、話に聞いていた特盛りのお通しが出てきた。実際見ると、本当にその量にびびった。その前に宿で少し食べてきたので、完食するのが辛かったほど。遅い時間になると、結構人が入って来て、そうなると、店も忙しくなり、ママさんも常連さん相手で大変。1日目は生2杯で終わったのだが、このボリュームのお通し+生2杯で1,400円。安すぎる。これは申し訳ないと思い、2日目の夜は小さなボトルを入れた。

ママさんの義理の妹さんも店に手伝いに来ており、仕事の合間を見て色々話した。妹さんは関西出身。16年前に島に嫁に来て、最近は実家には帰っていないらしい。過去に子供を実家に連れて帰った時は、都会の騒音、空気の悪さ、マンションの閉ざされた空間に、子供からすぐに与那国に帰ろう、と言ってきたそうだ。宿の奥さんも同じようなことを言っていた。奥さんは富田林出身で、娘の詩音ちゃんを連れて帰り、富田林から阿部野橋へ向う電車の中で、1歳の子供が精神的に気分が悪くなった。子供は正直である。与那国のこの広々した環境で育ったら、都会は住みにくいだろう。ただ、高校になって島を離れて、石垣や那覇に出ると、なかなか若者は島には帰って来ないだろう。

スナックでの2日目は、島の若者が同窓会をしていた。島にはカラオケボックスがないので、カラオケならスナックに来るしかない。+常連さん等でスナックは賑わっていた。たまたま波照間の飲み屋で教頭先生に出会って、まさか与那国でこんな楽しい夜が待っているとは。

宿の近くの「シーサーさしみ店」では、お父さんに色々な話を聞かせて頂いた。店には、勲章や自衛隊のポスター、軍艦のカレンダーなどが飾られており、お父さんは、この分野にかなり精通している。そういう背景もあり、特に旬の話題であった普天間基地移設問題について話を振ってみると、個人的な意見、島民の意見、また与那国で話題に挙がっている自衛隊誘致問題など色々教えて頂いた。

何度も言うが、このように離島では島民とかなり身近に接することができる。触れ合って何気にネタを振ると気軽に応えてくれる。人が少なく狭く閉ざされた空間ならではの体験。宿で宿泊者同士飲むのは、それはそれでいい。でも、少し外に目を向けると、もっとすてきな経験が我々を迎えてくれる。





星空観測タワー




波照間製糖工場




与那国海塩




牛・馬が逃げないように与那国の道路にある溝




「スナック来恋」のお通し




ある日の朝食 in 波照間島




与那国島「おじぃの家」のマドンナ詩音ちゃん









 少しシリアスに)普天間基地移設問題

旬な話題である普天間基地移設問題について、島民を始め宿で一緒になった人にも話を振ってみた。

私が聞いた中で、県外移設に賛成している島民はいなかった。むしろ沖縄の経済を考えたら、米軍基地は沖縄に必要。県外移設に賛成しているのはエセ沖縄人、だとも(内地から移住してきた人や地主ではない人)。沖縄に何度も来ている私にとっても、県外移設には反対。ただでさえ景気が悪い沖縄で、これで米軍がいなくなったら、沖縄経済は破綻するのでは・・・?

与那国でも自衛隊誘致問題で揺れている。空港のフェンスには、誘致賛成、反対という両方の声が張られている。この問題について島民に聞いてみたところ、ほとんどが誘致賛成だという。経済的な効果もそうだが、与那国は国境の島なので、やはり怖い、と。台湾に近く、今は少し関係がよくなっているが、中国と台湾の関係がいつどうなるか分からない。仮に中国からの流れ弾が与那国に来たらどうなるのか・・・?

こういった島民の声を直接聞くと、テレビで流れる沖縄県民の声は一体何なのだろうか?マスコミの報道って一体何なのだろうか?私は、元々マスコミの報道には不信感を持っており、要は消費者をあおるエンターテイメントなのである。こういう風に報道した方が消費者は喜ぶとか、政府へのパッシングにもなる。なら、報道の本質とは一体何なのだろうか?



自衛隊誘致賛成


自衛隊誘致反対


鳩山首相一行 in 那覇空港



ただ、民主党の対応、特に鳩山首相のリーダーシップの無さには呆れる。那覇に戻った時、ちょうど鳩山首相一行に出くわした。何かをやる時は、当然賛成・反対の両方の意見が出る。私が政府に求めるのは、その決断力。優柔不断な発言、対応は止めて、決める時は決める。政治力とはそういうものだ。で、調子に乗っているのは自民党。野党になった今の立場で、与党の批判のみを好き放題言っている。あほか。社民党の福島党首へ、頼むから辞めてくれ。

私の個人的な案として、基地をそのまま普天間に残す。辺野古や徳之島に行っても仕方ない。その新規の設備投資にどれだけの費用と期間を要するのか?
普天間基地移設後、その跡地はしばらくは調査で使えない。となると、そこの地主の収入はどうなるのか?宜野湾市の雇用、収入はどうなるのか?

一方で、普天間周辺で文句を言っている連中に聞きたい。普天間基地がなくなった後、市としてどうやって自立していくのか?経済が悪化し、市民が他に移転せざるを得なくなったら、周辺の学校の存在さえも危うくなる。そうなると、生徒がいなくなった学校では、騒音問題どころではなくなる。

宜野湾は那覇から遠くない。例えば、3,000人の海兵隊が毎月1万円を那覇で使うと考えると、年間4億円近い銭が那覇の国際通りに落ちる。そういった諸々のバックグラウンドを考慮し、あとは今後の普天間基地使用に関して、日本政府としてアメリカに交渉する。使用方法、海兵隊に対する法的な問題など。且つ、政府と宜野湾市との交渉も必須。特に基地周辺の住民に対して、今後どのように保障して行くのか?

鳩山首相は、5月末には結論を出すと断言している。あとは、一日本国民としてその回答を待つことにする。



満月 in 波照間



風車 in 波照間



ニシハマ



日本最南端碑周辺



立神岩



田園



東崎周辺


東牧場


東崎灯台