全国24億人の加藤学ファンの皆様

日本全国離島シリーズ第22弾~奄美諸島・徳之島~
「徳之島はでかかった & 闘牛の迫力にびっくりした」 



皆様、こんにちは。 今年のGWは奄美諸島徳之島に行って参りました。

熊本地震の影響で鹿児島でも宿泊施設のキャンセルが相次いでいました。しかしながら、熊本で余震が継続していても、鹿児島では全く揺れを感じませんでした。つまり、鹿児島は熊本と隣接しているにもかかわらず、地震は熊本に特異的に発生していると想定できます。鹿児島でも熊本への義援金、復興イベント等行われていました。私には募金することでしか支援できませんが、一刻も早く余震が収まって、復興を願うばかりです。

今回、徳之島を選んだのは、奄美諸島で唯一まだ行ったことがない島だったからです。徳之島は奄美諸島の中間に位置して、私にとっては鹿児島からも那覇からも非常に行きにくいところでした。且つ、これと言って徳之島に行きたいと思えるものがなかった。これは久米島に抱いていた感情と同じです。しかし、実際に久米島に行って大満足だったこと、ここまで来たら奄美諸島も制覇してみたかったことが合わさって、徳之島に渡りました。

徳之島では、いつものようにバイク(原チャリ)を借りて回りましたが、思っていた以上に大きな島です。周囲約80km、原チャリで所々寄りながら回っていたせいもあり、一周するのに1日かかりました。この時期はまだ風が冷たく、泳ぐ気でいましたが、原チャリで風に吹かれながら回っていると、すっかり身体が冷え、泳ぐどころではなかったです。個人的な意見ですが、海岸、島を回りながら見る景色は、沖縄の離島の方が良かったように思います。ただ、夜の飲み屋は非常に充実して楽しく、結果的に行って大満足でした。

 

徳之島、ヨナマビーチ


 

徳之島、喜念浜海岸


 

闘牛
at 徳之島なくさみ館



 

知覧特攻平和会館
今回の旅には、もう一つの目的がありました。それは知覧特攻平和会館を訪れることでした。

沖縄に行き始めて第二次世界対戦をより身近に感じ、いずれ知覧特攻平和会館も訪れたいと思うようになりました。今回は知覧ありきでスケジュールを立て、ようやく訪問できました。知覧特攻平和会館に来るとジーンとするとは聞いていましたが、私はその感情をはるかに超え、時折、胸が締め付けられる思いでした。時代背景は違うとは言え、同じ日本人として生まれてきたのに、なぜ特攻隊員はこんなにも辛く短い生涯を終えないといけなかったのか?私には、何も知らない純真無垢の青年、いや少年たちに特攻を命じた当時の軍の責任者が無性に腹立たしかった。一方で、この授かった命を無駄にせず、今の日本人が持つ自由な権利をとことん行使してやろうと改めて思いました。

さて、これで奄美諸島も一旦卒業します(いずれ、奄美大島へ黒糖焼酎の蔵元回りと鶏飯を食べまくりに戻るかもしれませんが)。次回は甑島か五島列島を考えています。
では、また秋にお会いしましょう。


P.S.
今年のトラは、とりあえず、7月までは5割キープ。チームとして三振が多いとか言われているが、昨年まで2軍、大学生だった若手が一軍の球を簡単に打てる訳がない。だから、我慢。ただ、主力が若手に合わせてどないすんねん。お前らがフォローしたらんかい。

と言いながらも、もちろん優勝を狙うぞ
湘南より愛をこめて
21/May/2016
Manabu Kato




Glance in Tokunoshima vol. 1

 

 

 

 

 

 

 

 
 

   



Topics Vol. 251-255


Vol. 251  「桜島」

鹿児島に来るのは今回が4回目。ただ、3年前は奄美大島に渡る際に鹿児島空港に寄っただけ。8年程前は仕事で夜に鹿児島に入って、朝すぐに出発したので、どこのホテルに泊まって、どこでめし食ったかさえも覚えていない。鹿児島で印象に残っているとしたら、やはりバイクで日本一周した際の1999年。北海道礼文島を出発して、鹿児島に到着し、

「とうとうここまで来たな。」
と、感慨にふけながら、鹿児島港からしばらく桜島を眺めていた。しかし、その際も鹿児島市内ではほとんど滞在せずに指宿へ向かった。そういった経緯もあって、今回、知覧、徳之島に向かう以外に、少し鹿児島市内を歩いて、再び桜島を眺めたかった。

鹿児島空港からバスに乗り、鹿児島中央駅で降りたが、まずは駅の変貌に驚いた。1999年放浪時はまだ西鹿児島駅という名前で、確か駅前にバイクを止めて写真を撮ったほどの規模だった。それが、駅の屋上には観覧車はあるし、近代的な駅ビルになっている。駅前にはバスロータリーが広がり、その向こうには路面電車が走る。駅の反対側は、駅ビルとビックカメラが直結している。20年近く時間が経ったとはいえ、この変わり様には驚いた。

知覧からバスで鹿児島市内に戻る際、私は鹿児島中央駅を通り越して、天文館で降りてみた。天文館は名前だけは聞いていたが、前述したように、過去にここに来たかどうかも覚えていない。熊本地震の影響で、鹿児島のホテルでもキャンセルが相次ぎ、そのせいか、GW中にも関わらず、天文館の通りを歩いているのは地元の人が多かったように思う。私には、天文館はどこの都市にでもあるような繁華街で、飲食店、土産物屋、ホテル、様々な店が並び、観光客相手と言うよりも地元民相手の繁華街という印象を受けた。

 

 

 

 


 


 


途中、城山展望台という標識を見つけた。

「そっか、この展望台は天文館からこんなに近かったんや。」
放浪中にバイクでこの展望台まで走り、ここからも桜島を眺めた懐かしのところ。しかも、天文館からは徒歩でも行けることが分かった。私は、天文館をブラブラするのを途中で止め、照国神社に寄り、展望台に向かって山を登り始めた。照国神社横の山道はかなり急で、しかも人がいる気配がない。果たしてこんな先にあの展望台があるのか?汗だくで10分も歩くと駐車場、土産物屋が見えてきた。夕方だったので土産物屋は閉まり始めていたが、まだ人はそこそこいる。

そうそう、これこれ、展望台からの桜島は。懐かしい。眼下に鹿児島市街が広がり、錦江湾の向こうに桜島が広がる。西日が桜島に当り、山が赤く見え、山の凹凸がはっきり見える。関東にいると、桜島が噴火、鹿児島市内は灰が降っているといった荒々しいニュースでしか桜島を知ることができないが、こうやって眺めると、その報道が嘘のように穏やかに見えた。

展望台を降りて、そこから天文館を過ぎて、鹿児島港へ向かった。そう、今度はもう少し近くから桜島を見るためである。私は地図を持っていなかったのと、放浪当時、海沿いのどこにバイクを止めて桜島を眺めていたか覚えていなかったので、とりあえず、海へ向かって歩いた。結局30分以上は歩いたと思う。奄美諸島行きの港の反対側にある魚市場近くの海岸に着き、その岸壁に仁王立ちし、しばらく間近にある桜島を眺めていた。

「あの時、よくここまで来たな・・・。」
改めて桜島を感慨深く思った。周りでは、地元の方が釣りを楽しんでいた。



 

 


 


鹿児島市内でも飲んだ記憶がないので、今回、鹿児島市内で何軒かはしごしようと決めていた。いつも通り何も下調べせず、空港からホテルに着いてすぐにホテル周辺をブラブラしてみた。駅周辺は思った以上に飲み屋がある。その中で私が選んだのは、まずは、味処「きたはら」。間取りは、カウンターに6席、テーブル席が5つ程。少し大きいかな、とも思ったが、私が店に入った時はカウンターに客3人で、皆、常連さん。常連さんから私に対して、鹿児島で初めて飲むのに、よくもこの店を見つけた、と言われた。それほど地元の方が中心に集まる店なのかもしれない。ママはおそらく私と同世代。そのお母さん、妹と3人で店を切り盛りしている

とりあえず、私は鹿児島らしいものを頼んだ。
きびなご、カツオ腹皮焼、地鶏の刺身。どれもうまい。個人的には、日本酒で飲みたかったが、やはりここは鹿児島なので、普段余り飲まない芋焼酎で頂いた。お客さんも少なかったので、途中からママを始め、店の方と話し始めた。駅周辺では店を借りている飲食店が多い中、ここは一軒家の1階が店で、2階、3階がママたちの民家となっている。ここでは色んな話をしたが、私が東京から履いてきたビーサンにママたちは食いついてきたので、私はあえてビーサンネタで押した。

「きたはら」は、すっぽん料理を売りにしている。すっぽんのコースもあり、仕入れは佐賀から。宮崎でもすっぽん養殖は行われているが、佐賀産の方が安いらしい。知覧から戻った翌日もここを訪ね、折角なので、すっぽん料理を少し食べることにした。まずは、すっぽん卵と肝。うまい、初めて食べた。やっぱり、これにも焼酎ではなく、ジャパンやな・・・。他に黒豚なんこつ煮、きびなごは塩焼きで初めて食べたが、これはこれでいいかも。これもジャパンと一緒に食いたかったな。ママからのサービスで喜入のところてんを頂いた。平切りのところてんは初めての食感で、ゴマのトッピングがいいアクセントを加えている。仕上げはすっぽん汁。ママの料理はすべてうまかったが、注文を付けるとしたら、この汁は塩味のみで食べたかった。この日は、そこそこ店が混んでいて、ゆっくり店の方と話はできなかったが、いい店を見つけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「きたはら」の他におでん「深川」にも寄った。ここもたまたま見つけて2日間通った。おでんと言いながらも、両日ともおでんはなく、一品料理と焼酎を飲んだ。カウンター4席、テーブル席3つの小さな店で、間取り的には私好み。ここのマスターも私と同世代と思う。私のような観光客がプラッとこの店に入ってきたことに感心していた。こちらも両日とも客が地元の方数人しかいなかったので、店の方、常連さんと色々話した。ここでは、鯛、赤貝の刺身を食べ、閉店時間に近かったので、残しても仕方がないということでサービスでアラ煮、肉じゃがなどを出してくれた。ここの料理もどれもうまかった。「きたはら」でそこそこ食べて来たので、正直腹がきつかったが、食べ物を残すのは気が引ける。頂いた料理をすべて平らげると、ここまできれいに食べてもらえるとうれしい、と店の方に喜ばれた。

マスターからは、鹿児島での私の限られた滞在時間でできることをアドバイスして頂いた。どこどこに行っておいで、どこどこのラーメンがうまいとか。ここもいい店だった。また来たい。

今回選んだ飲み屋は2戦2勝やね
 

 




Glance in Tokunoshima vol. 2

 

 

 
 

 



 
 

 

 

     




Vol. 252  「鹿児島、徳之島、一齧り」

「思無邪」(鹿児島市)

鹿児島中央駅のホテル前のラーメン屋。鹿児島ラーメンは、博多ラーメンと違って、麺が若干太く、ここでは博多か鹿児島ラーメンを選べる。ランチと夜は遅くまで開いており、連夜〆に行ってみたが、今回の旅で食べたラーメンの中で、「深川」マスターお薦めのここの味噌ラーメンが一番うまかったかな。
     


 「隼ラーメン」(南九州市)

知覧特攻平和会館横にあるラーメン屋。うーん、コクがいまいちかな。水っぽかった。







   


「豚トロ」(鹿児島市)

鹿児島中央駅近くで行列ができ、駅や空港でもお土産が売られているところ。「きたはら」でも薦められたが、味は鹿児島ラーメンではない、とも。こってりと言われていたが、それ程でもないかな。







   


「島じかん」(徳之島)

徳之島をバイクで回りながら、昼ご飯特に鶏飯を食べられるところをなかなか見つけられず、あきらめて犬田布岬に向かっている際にたまたま見つけたおうちカフェ。メニューを見て、鶏飯があったので迷わず頼んだ。店の方はすごく親切で、ご飯のお代わりを勧められた。事前に「介」でも話したが、やはりちゃんとダシをとっている汁はうまい。そう言われると、FD品はおいしくない。ただ、できれば塩のみの味付けがよかった。醤油味は邪魔やったな。


   


居酒屋「海人」(徳之島)

前日に「介」で「海人」のマスターと会い、その翌日に「介」のママと一緒に訪れた。前日、マスターからシビを食べさせたいと言われていた。シビ刺身はプリンプリンでうまい。こんな食感のマグロを食べたのは初めてかもしらん。

   


「今年も豊作」(徳之島)

ホテルニューにしだの1階。徳之島最後の夜に、〆に鶏飯が食べたくて、食べられるところを人に聞いて訪れた。そうそう、鶏飯とはこんな感じやろ。ダシもしっかり、味も塩ベースで、今回食べた鶏飯の中で一番おいしかった。

   




「レストランブルーマリン」 (徳之島空港)



 「山形屋」(鹿児島空港)




Vol. 253  「第16回全島一・ミニ軽量級闘牛大会」

これまで色んな場所を訪問し、闘牛が盛んなところもあったが、うまく開催時期とタイミングが合わず、生で闘牛を観戦したことはなかった。

徳之島に闘牛があることは何となく知っていたが、それ程興味はなかった。しかし、島滞在時に闘牛が開催されることが分かり、且つ、そのうち、53日が週間天気予報で大雨であると言われていた。よって、その日はバイクで島を回るのは無理と予想し、折角なので、53日に闘牛観戦に向かうことにした。

闘牛会場は伊仙町の「徳之島なくさみ館」。亀津からはバイクで西へ10分程。闘牛開始は10時だが、事前に早めに来た方がよいと教えられ、私は9時過ぎに会場に着いた。行きはまだ雨が降っていなかったので助かった。混むとは聞いていたが、駐車場は車がいっぱいで、駐車スペース以外の通路、沿道にも駐車されていた。入場料は3,000円。この日は、「第16回全島一・ミニ軽量級闘牛大会」。オープニングセレモニーまではまだ時間はあったが、言われたようにすでに場内にはかなりの人がいた。びっくりしたのは、ちびっこも沢山いたこと。出店もあって、家族でピクニック気分で来ているのだろうか。ちびっこがいるせいか、会場は禁煙というアナウンスが何度も流れたが、観客のおっちゃんたちは全く気にすることなく、煙草を吸っていた。ちびっこの目線で煙はあかんやろ。

やがて、地元の中高校生だろうか、オープニングセレモニーの躍りが始まり、その頃には会場は立ち見ができるほど満員となった。闘牛目当てで全国各地から人が集まり、この日の夜に飲み屋で会った夫婦は、わざわざ沖縄から船で来島していた。

闘牛は賭けの対象になる。もちろん、勝てばオフィシャルに賞金をもらえるが、それ以上に裏では多額の金が動く(もちろん、違法である)。会場で警察官を何人も見かけたが、おそらく見て見ぬふりをしているのだろう。実際に私の目の前でも万札が動いていた。

そうこうしているうちに、第一試合が始まった。島を回っている際、放牧されている牛を見かけたが、何とも喉かに草を食っている。それに比べると、闘牛用の牛は明らかに鍛えられたと分かる身体つきで、馬で言うとサラブレッド。一体、島のどこにいたのだろうか?

リングに入ると、両牛はいきなり頭をぶつけ合い闘い始める。そうなるように訓練されているのだろう。角はかなり尖っている。頭と頭が当たる音が場内に響き渡り、両陣営からは牛をあおる声が響く。どうやったら決着がつくのか?、と思っていた矢先に、一方が戦意喪失で逃げ出す。ここで審判団の旗が上がり、勝負あり。負けた牛は先にリングを後にし、勝ち陣営はリング内で踊り出す。これが一連の流れで、数秒で勝負が決まるものから、20分経って引き分けになる取組もあった。







 




メインイベントの一つが、ミニ軽量級(と言っても600㎏程はある)の14連勝中のチャンピオン「野島建設闘将☆マングース」 対 挑戦牛「勇兄弟琴羽」。さすがに大量の金が賭けられているのか、場内の熱気はすごかった。結果は、大番狂わせで14連勝のチャンピオンが負けてしまったが、この試合はかなり見応えがあった。チャンピオンは何度も攻められたが、闘いを諦めずすぐに反転し挑戦者に挑んでいった。その度に場内は拍手喝采。最後、戦意喪失でチャンピオンが逃げ出した時は、挑戦牛陣営から人がリングになだれ込み、大盛り上がりとなった。

この軽量級でもすごい迫力だったが、隣に座ったおっちゃんが言っていたように、後になると1トン級の牛が出てきた。さすがにでかい。1トンともなると、さっきまでの軽量級とはぶつかる衝撃など迫力、音が違った。

ある対戦で我が阪神タイガースのマークが入った幟を掲げたチームが入ってきた。まさかこんな島でもトラを感じるとは・・・。トラ選手は、よく自主トレで徳之島を訪れる。空港にはトラ選手のサイン色紙が飾られている。前日にトラマークが貼られた車を見かけたが、おそらくこのチームの誰かのものであろう。全員、トラデザインのハッピを着ていた。結果、トラは負けた。今シーズンのトラを占っているか???私はショックを受けた。


途中から雨が降り出した。「徳之島なくさみ館」には屋根が付いているが、横には遮るものがない。雨の中、立ち見の人々は傘もささずに対戦を見ていたが、雨が段々と強くなっると、タオルを巻いたり、通路に避難していた。屋根の下の中段以降の人もずぶ濡れ。屋根が全く機能しておらず、地元でもこの点にクレームが来ているらしい。私も背中がずぶ濡れになった。

結局、全取組が終わったのは12時半頃だった。いやー、楽しかった。牛をあれだけのファイターに仕上げるのに、かなりの時間とお金を費やしているはず。且つ、多くの人が絡んでいると思う。到底、一人ではあそこまで育て上げるのは無理であろう。県外も含めこれだけの人が会場を埋める。ある意味、闘牛は島の立派な産業と言ってもいいかもしれない。

帰りは、大雨、雷が鳴る中、バイクで宿に戻った。こんな雨の中をバイクで走ったのは何十年ぶりだった。


 

 

 

     




Vol. 254  「「介」のママ

徳之島での宿泊場所は、島の繁華街である亀津にした。亀津までは空港から路線バスで40分程。バスの本数が少ないが、タクシーとなるとそこそこ値が張る。夕方、亀津の宿に着いて、いつものように町中をブラブラと散策しながら、飲む店を探索していた。繁華街と言っても知れているが、マツキヨやエディオンがあったのには驚いた。徳之島は思っていた以上に都会である。商店もそうだがショッピングスーパーもあり、品揃えも都内のスーパーと遜色ないぐらいに豊富であった

仕事でもプライベートでも、知らない土地に行くと私はまず散策する。その土地の空気を感じ、飲みに行く店の候補を探す。宿泊するホテルのフロントにお薦めの店を聞くと、私が探した候補はほとんど入らない。今回も、ホテルのフロントに同じ質問をして試してみた。結果、予想通り私が探した候補店は挙がらなかった。この差異は、別にホテルのフロントが悪い訳でもない。ホテル側と言いながらも、お薦めとなると、やはり個人の主観が入る。得てして、私がときめく店はマニアックで、ここ最近そこで観光客にほとんど会ったことがない。そりゃ、ホテルが外部の人にそんな店は推さず、無難なところを教えるはず。

徳之島で、まず私が訪れたのは、江戸前「勘八寿司」。大将は過去に東京で板前をしていたことがある。カウンター6席、テーブル2席の私好みの間取り。店に入ると、常連さんが二人、あとから常連さん一人が入って来た。私は、大将に島のネタ中心の刺身盛りをお願いした。この中で、特にイカ刺が軟らかく甘くてうまく、イカ刺しのみをお代わりした。

私は、基本的に地元の常連さん同士の会話に自らは加わらない。会話には流れがあり、場にはその空気、間がある。大体、流れの中で加わるタイミングを探りながら待ち、ただ、別に話に加わらずに一人で飲んでも全く問題ない。今回もそうだったが、途中で常連さん同士が会話に行き詰まったのだろうか。定期的に徳之島に来るという方から突然話を振られた。外見で、私のことを島に住んでいる人と思ったようで、私に対して、初めての徳之島、初めての夜にこの寿司屋に来る勇気がすごい、と言ってきた。大将も同じようなことを言っていたが、寿司屋なので敷居が高いイメージがあり、この方も島に7年通って、ここに来られたのはようやく3年前からとのこと。

「勘八寿司」には、島滞在の全日(3日間)通った。毎晩、まずはその日のネタで刺身盛りを頼み、最終日は店の水槽にいる夜行貝をさばいてもらい、〆に伊勢海老汁を作ってもらった。ここのネタはどれもうまい。奄美諸島では、粒味噌を調味料で使うという話になった際は、わざわざマグロに粒味噌をまぶして出してくれた。味噌のこういう食べ方は初めてである。これは使える。島を離れる前、商店に粒味噌を買いに行ったほど。帰りには、夜行貝の貝殻をお土産にくれた。

鹿児島の醤油は甘く、初めて鹿児島市内でこの醤油で刺身を食べた際は違和感があったが、一週間も食べ続けると段々とはまってきた。この近辺の魚は脂身が少ないので、この醤油は結構合う。「勘八寿司」の醤油は、辛口とブレンドされていたが、それでも通常私が口にしている醤油に比べるとはるかに甘かった。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


     


島の黒糖焼酎も色んな種類を飲んだ。焼酎をボトルではなく、色んな種類をグラスで飲みたいとお願いすると、おかみさんは次から次へと違う種類を出してくれた。島の酒造所は大きく分けて2つある。「奄美」の奄美酒類と「あじゃ」の奄美大島にしかわ酒造。奄美酒類では、島に5つある蔵元で製造された焼酎をブレンドしている。ここで直売もしているが、店で買った方が安いと言われた。ここの黒麹を使った「黒奄美」は飲みやすかった。

奄美大島にしかわ酒造に行けなかったのは残念。島の酒造所へは標識がなく、ここに着く前に道に迷ってしまい、その翌日再チャレンジを考えていたが、大雨で断念した。ここのブランドの中心は「あじゃ」と思っていたが、この焼酎を置いている店は見かけず、代わりに「島のナポレオン」がどこでも置かれていた。島の方曰く、「島のナポレオン」の方が飲みやすくておいしい。

ラム酒「ルリカケス」の蔵元である高岡醸造にも寄ったが、残念ながら誰もいなかった。ここは現町長の実家で、外から覗いた限りでは樽はなく、なんで「ルリカケス」が樽色になるのか不思議である。

 

 


「勘八寿司」の後は、毎晩、和風スナック「介」に寄った。ここにも何となく魅かれた。カウンター6席、テーブル3席。店に入ると、時間が早いのか誰もいない。ここの順子ママから後で聞いたのだが、普段は滅多に来ない観光客がいきなり入ってきて、始めは緊張したらしい。

ママの住居は店の上で、お酒を飲まないと眠れない程の酒好き。本当は焼酎好きなのだが、焼酎を飲むと飲み過ぎてしまうので、普段は我慢できるまでビールにしていると話していた(と言っても、最後にはいつも焼酎を飲んでいたが・・・)。

ここで島の豚を炊いた料理を頂いた。沖縄でよく食べる豚の味付けと違って、肉には結構豚の匂いが残り、汁は塩ベースの白色で、この感じは豚骨ラーメンに近い。この味付けで、徳之島は沖縄ではなく、鹿児島であることを感じさせられた。

途中で居酒屋「海人」のマスターと従業員がやって来た。マスターとママは同期生で仲が良く、仕事に一段落着くと、マスターはよくここに来る。「介」は基本的に定休日はなく、休みはママ次第。話の流れで、その翌日、開店前にママと一緒に「海人」に行くことになった。

ママと「海人」に19時に待ち合わせ、「介」が21時オープンにもかかわらず、結局、22時近くまで「海人」で飲んでいたと思う。途中、私は何度もここを切り上げて、開店の準備に向かうようにママに催促したのだが・・・。最終的には、二人でこの日入れたボトルをほぼ飲み干した。それにしても、ママは大変である。プライベートで他の店に飲みに行くとなっても、そこにはママの客が飲みに来ている。島の飲み屋の数は限られるので、どこかしらで自らの客に遭遇する。「海人」にいる間、何度ママは周りに挨拶していたことか。とは言え、ママにとってはたまの気晴らしで、気持ちよく飲めたのだろう。ここでも、ママから私に対して聞き上手と何度も言われた。

私は思う。前回の宮古島でもそうだったが、島の人にとって私のような部外者は安パイだと思う。近所の誰々にママのことを言いふらす訳でもなく、数日後には島からいなくなる。人は、心の中にある話したいことを誰かに共有してもらうことにより、自分の中の負担が半減し気持ちが楽になる。つまり、長時間自分の話を聞いてくれる相手がそばにいて、今回、たまたまその相手が私であっただけで、私がママの話を共有した結果、私=聞き上手という方程式が成立する。単にそれだけのことで、私自身は聞き上手でも何でもない。話の流れでは、自ら話をぺらぺらすることもあり、今回は、私がママの話を聞く流れになっただけ。そんなことよりも、島のような小さな空間で、顔馴染みがこれだけ周りにいる中、ママのような客商売している方は大変と思う。こんな状況で、たまにバイトを使いながらも一人で18年も店を経営しているのだから大したもんである。すごい。

「海人」を出て、ママと一緒に「介」に向かったが、ママはすでにかなり酔っ払っていた。あれだけ焼酎を飲んだのだから無理はない。そこに一人常連さんがやって来たが、もうママは仕事をできる状態じゃなかった。ママも酔っ払いながらそれを察したのか、開店して30分も経たないうちに店を閉めて、スナック「シーヌ」に向かった。

「シーヌ」では、町会議員3人が飲んでいたが、ママとも顔馴染み。すっかり出来上がっていたママは、町会議員のテーブルに乱入していた。着物の「シーヌ」ママより、

「誰、順子に焼酎を飲ませたのは?」
と私が怒られる始末。なんで初対面のママにわしが怒られなあかんねん。ただ、順子ママは酔うといつもこんな感じらしい。周りは慣れているのか、普通だった。結局、私が順子ママを家まで送って帰った。

島滞在最後の夜は、「介」での私の飲み代はすべてママのおごり。前日、私に色々迷惑を掛けたということで。この日も居酒屋「海人」のマスターと従業員がいた。他の居酒屋のマスターもいて、このマスターからはお土産に夜行貝、ほら貝の貝殻を頂いた。この日は、地元のお客さんがそこそこいた。

店を出る際、ママに私の連絡先を渡した。ママの親族、息子さんは東京にいて、ママはちょくちょく東京に遊びに来る。その際に都合が付けば会おうという話になった。順子ママに会って、島の色んな人に会えて、色んなところに行くことができた。「勘八寿司」の大将、おかみさんも含め、「介」のママには感謝、感謝である。何気なく入った両店から、料理だけでなく、貴重な時を頂いた。鹿児島でもそうだったが、徳之島で選んだ飲み屋も2戦2勝やね。ママとは、是非東京で会いたい。
  

 

 

 

 
 
 




Vol. 255  「知覧特攻平和会館」

今回の旅は、知覧特攻平和会館訪問を優先しスケジュールを組んだ。中学の修学旅行で広島の原爆資料館を訪れたが、修学旅行の一環で 、ある意味強制的に訪問させられたので、資料館での記憶はほとんど残っていない。放浪を始めてからは、自主的にベトナム・サイゴンの戦争証跡博物館を訪ね、沖縄を放浪していくうちに、これまで以上に第二次世界大戦争を身近に感じるようになっていた。そういった経緯もあり、知覧に行きたい、いや、行かなあかん、という思いが強くなり、今回実現させた。

鹿児島市内から知覧へはバスで行くのが一番楽だが、私はあえて途中の平川駅まで電車で向かった。私は鉄道マニアではないが、地方の電車に乗って、窓から見える風景、乗客の表情を見ることを気に入っている。簡単にその土地を感じられるからである。鹿児島中央駅から平川駅までは電車で40分程で、平川駅で鹿児島中央駅を出発したバスに乗換え、そこから山を越えて30分程で知覧特攻平和会館に着いた。知覧はお茶が有名で、試飲してみたが味わい、コクがありおいしかった。知覧特攻平和会館の周辺には運動場がいくつもあり、中学生だろうか、快晴の下、女子ソフトボール大会が行われていた。


 
 
 


熊本地震の影響でGW中の観光客は減ったとは言え、ここにはそこそこの来場者がいた。「深川」のマスターからは、行ったらうるうるすると言われたり、「介」のママも近々行ってみたいと言っていたのを聞くと、地元の方もそこそこいるのかもしれない。館内は写真撮影禁止。特攻隊員の遺書、遺品が多く展示され、私は遺書を読むことを中心に見学した。まず、私が驚いたことは、特攻隊員が1,000人以上もいたこと。それと、話には聞いていたが、隊員は若く、いや、若すぎる。20歳前後の隊員がほとんどで16歳の方もいた。16歳と言えば、つい先日まで中学生。そんな子を特攻隊員にさせるとは・・・。これはあかん。考えさせられるし、ジーンと来る。いや、それどころか、私は胸が締め付けられる思いだった。

明日死ぬという前日に、10
代後半の若者が、三角兵舎のような明かりもままならない環境下でこんな達筆で立派な文章を書いていた。誤字もないし、ある意味、当時の教育のレベル、いや、少年たちの能力に感心した。私が同じ立場なら、こんな状況で絶対にこのような立派な文章は書けない。遺書の宛名はご両親、兄弟姉妹、子供、中でも母親宛が多く、これまでの親不孝をお許し下さい、お国のために征きます、天皇陛下万歳、といった内容が多かった。誰でも死ぬのが怖いはずなのに、死にたくないとは一切書かれていない。私なら絶対死なない。なんでこの世に授かった命を自ら絶たないといけないのか?特攻機には、片側の羽にエンジン、もう一方に爆弾が取り付けられている。敵にぶつかるしかない構造なのだ。こんな非人間的なことを将来がある純真無垢な若者にさせ、その人生を奪った。私は、遺書を読み続けながら、特攻隊を指揮した当時の軍に無性に腹が立った。


 

 

 
 


一方で、遺書を読みながら、特攻隊員の本音は死ぬのが嫌で、逃げ出したかったのでは?健全な若者が死を目前にして、内心は穏やかでないに決まっている。本当は死にたくない、逃げたい、って書きたかったはずでは?しかし、そんなことを書いたら、残された遺族には恥になるし、国から罰せられるかもしれない。遺族の立場からは、息子のそんな遺書を受け取りたくないはず。そんなことも考慮して、若者たちはあのような立派な遺書を残したのでは?死を目前にした若者が、自らのことよりも後に残される遺族のことを第一に考えていたのなら凄すぎる。そんな風にも考えさせられた。

日本人として生まれた私は、世界を放浪後、日本人は恵まれている人種であることを痛感した。なら、とことんこの自由な権利を行使し生き抜いてやろうと思い、これまで生きてきた。特攻隊員は、この自由な権利を得られることなく、国のために短い生涯を終えた。これから国を背負っていく若者たちだったはずなのに。生きたかったやろうな・・・。時代背景とは言いながら、同じ日本人なのにこの差は何?そう考えるだけでも辛かった。私は都会のぬるま湯に浸かり過ぎて、薄れそうになっていた気持ちを再確認した。思いっきりこの自由な権利を行使してやる。

その夜、「深川」で軍歌を唄っている若者がいた。正直、これまで軍歌とは年寄の唄、場の雰囲気をしらけさせるもの、という印象を抱いていた。しかし、その気持ちは変わった。もう軍歌にそんな気持ちは持てない。初めてかもしらん、じっくり映像を見ながら軍歌を聞いたのは。

 

 

   


 

 

 

 

 

 

     




「日の出温泉きのこの里」

鹿児島空港周辺には空港から日帰りで行ける温泉がいくつもあり、空港→温泉→空港に戻って「バレル・バレー」で飲むは、私のお気に入りのコース。今回も徳之島から鹿児島に戻り、羽田に戻るフライトまで意図的に時間を作った。今回は、鹿児島空港から路線バスで15分程の日の出温泉きのこの里へ向かった。相変わらず路線バスの本数が少なく、前回は行きはタクシーを使ったが、今回は運よく行き帰りとも路線バスで行けた。

日の出温泉きのこの里は、周りを山で囲まれたひなびた温泉宿で、建物の横では川が流れている。入浴料は200円と安い。ただ、シャンプー、石鹸等は付いておらず有料となり、よくあるホテルの日帰り温泉というよりは、古汚い近所の銭湯と言った方がいいかもしれない。私の周りは地元の方ばかりで、マイシャンプー、石鹸を持って来ていた。温泉に浸かりながらの外の景色はのどかでよい。真下に川が流れ、その向こうには山が広がる。これでもう少し浴槽が広ければなあ・・・(まあ、200円やから仕方ないか)。温泉の上にある喫茶店も雰囲気がよい。店の方の感じがよく、私は風呂上がりに外から中に入ってくる風に当りながら、アイスコーヒーを飲んだ。

空港に戻ると、「バレル・バレー」まで歩いて、そこで地ビールを飲む。今回は、GWのイベント中でゆっくりできなかったが、相変わらず風呂上がりにここでの地ビールは最高。やめられん、このコースは。