全国19億人の加藤学ファンの皆様

日本全国離島シリーズ第12弾〜沖縄宮古諸島 宮古島・多良間島・水納島〜
「水納島のヤギ君たちはやりたい放題やったでー」




皆様、こんにちは。

2年ぶりに宮古諸島に戻って参りました。しかしながら、沖縄は13年ぶりに4月中の梅雨入り。前回の宮古島訪問も雨、今回も雨。宮古島とは相性が悪いのでしょうか・・・???今回の訪問先は、前回台風の影響で断念した多良間島。更に水納島に行きたくて、多良間島で3日待ちました。

多良間島へは、宮古島から飛行機で30分。水納島へは、多良間島から船をチャーターして30分。多良間島から宮古島に戻っておびただしいほどの観光客を見たのに、多良間島ではほとんど会わず。多良間島の宿では、前半は宿泊者は私と研究で島に来ていた那覇の大学院生だけでした。

多良間島では、梅雨入り後、あいにくのすっきりしない天気でした。宿で自転車を借りて、雨が降ったり止んだりの中、島を1周しました。島は、数時間もあれば自転車で1周できます。比較的フラットな道路で、最も高いところでも海抜34mしかありません。多良間は、サトウキビ、タバコの農業、ウシ、ヤギの畜産業、漁業という典型的な離島産業の島です。自転車で回っていると、畑、牧場ばかりののどかな光景が広がっていました。

天気は悪かったですが、海もきれいです。ただ、残念だったのは、海岸にゴミが多かったこと。島の人が海を汚すのではなく、台湾などの近隣諸国からゴミが漂流してくるそうです。漢字で書かれた缶やペットボトルをよく見かけました。島人も海岸を掃除をしているそうなのですが、風向きと波の影響で、次々とゴミが漂流してくるようです。それが顕著だったのが水納島。現在、人口2人。島人は、ヤギ、ウシの飼育で生計を立てているようで、海岸の掃除に手が回らない。船着場近くの海岸はゴミだらけでした。


水納島沖合いより望む水納島






八重山遠見台から望む多良間市街地





八重山遠見台から望むふるさと海浜公園周辺





多良間島西海岸


多良間島西海岸






八重山遠見台から望む多良間島南西部
多良間島を回るのは、数時間もあれば十分だったので、滞在中の残りは海岸で昼寝したり、島人と触れ合っていました。特に、島人との毎晩の宴。宿のオーナーで漁師でもある宮国さんが、毎日獲れたての魚介類を調理し、それを囲んでの宴。そして、オトーリ(後述)。毎晩飲んだくれて疲れ、また天気には恵まれませんでしたが、島を十分満喫しました。

過去にも述べましたが、沖縄の離島は内地と比較すると異空間です。空気、文化、風習、産業、人・・・。島人との触れ合いは、その異空間をよりよいものに演出してくれます。私は、離島で観光客との接触を極力避けます。「なんでここまで来て、東京の人と話をしないといけないのか?」という気持ちもあるのですが、何よりも限りある時間をできる限り島人と過ごしたいからです。そういう意味では、今回の旅は完璧な時間を過ごせました。その時間を演出して頂いた宮国さんを始め、多良間の島人には感謝感謝です。

私は島田紳助の話術を尊敬しています。何よりもあの頭の回転の速さ。テレビで見ているとただただ関心です。沖縄好きなのは私と同じで、テレビでよく沖縄のことを言っていると思います。最近、紳助のテレビ番組で宮古島に民宿「夢来人」ができました。その影響で、番組から発売したごはんのお供「おかずですよ」が、宮古島の至る所のみやげ屋で売られていました。1瓶840円で、宮古島の食材も使っていますが製造は本島です。私も試しに1瓶買って食べてみました。感想は、840円という値段を考えると、もう買うことはないと思います。そんな番組の影響をあるみやげ屋のおばちゃんに聞いてみると、「感謝している」との回答。番組のおかげで、宮古島がPRできて、島の活性化にもなってよかった、と。






ふるさと海浜公園周辺のビーチ





ふるさと海浜公園周辺のビーチ





八重山遠見台近辺の茂み




街の目印鉄塔




一方、多良間島で話した何人かの島人は、紳助に対して、

「あれだけ影響力のある人なのだが、もう少しちゃんと伝えてほしい。」
と、否定的な印象を持っていました。というのも、紳助が多良間島、水納島のことを絶賛したことで、宮古島から船をチャーターして水納島に来る観光客も増え、島にゴミを捨てていくそうです。おかげで島が汚れて困っている、と。また、多良間島で静かに暮らしたい島人もいるので、テレビで宣伝するのは止めてそっとしておいてほしい、との意見も。数年前に訪ねた黒島でも同じ意見を聞きました。

宮古島と多良間島のこの2つの違った意見を聞いて、「伝える」ってのは難しい、と改めて感じました。人に良かれと思ってやっていることが、実は空回りしている。これはテレビの世界だけではなく、我々の日常でも普通に起こる事象です。政策でもそうですが、ある選択をすると、必ずと言っていいほどその恩恵を受ける人、害を被る人が生じてしまう。しかし、それが決断というものであり、被害にはある程度目をつぶらないといけない。そうじゃないと前には進めない。番組用民宿の影響で、みやげ物や商品を提供する原料メーカー、地元の農家などにプラスになっているのなら、それはそれでいいのかも・・・。島にいる間、ふとそういったことも考えていました。

さて、短いオフの時間が終わり、すでにオンの生活に戻ってます。次は今秋を予定。

では、また秋に会いましょう。


池間大橋近辺の海
天気はいまいちだったが、この海が見たかった


P.S.
多良間島滞在中も、常に携帯電話でトラをチェックしていた。後述するが、今回の放浪中も所々でトラと出会った。
今年のトラはどうもしっくりこん。勝って負けての繰り返しで連勝が少ない。これだけの打者が揃っているのに打てない。先発陣がここまで揃った年はないのに、打撃さえ戻れば、優勝できない理由がない。今月中に何とか立て直してくれ。

「トラよ、今年は絶対優勝やぞ!!」

湘南より愛をこめて
15/May/2011
Manabu Kato













茂みで被われた車道





多良間島中心道路から望む鉄塔





ふるさと海浜公園付近の珊瑚君たち





ふるさと海浜公園付近の珊瑚君たち





宮古島から望む池間大橋


池間島から望む池間大橋




☆Topics; ”Tarama island” Vol. 195 - 200


 整備不良のおかげで・・・

那覇から宮古へ飛んだ後、宮古から多良間行きのフライトまで2時間半ほど待ち時間があった。この中途半端な待ち時間をどう過ごすか?一旦宮古の市街地に出てそばでも食うか、または空港で酒でも飲んでるか?悩んだ挙げ句、最終的に空港で時間を潰すことに決めた。

2年ぶりの宮古島は、空港も少し変わっていた。2階にマッサージ屋があったはずだったのになくなっている。隣の店のおばちゃんに聞くと、1年ほど前にオーナーが店を閉めてしまった、と。マッサージで時間を潰そうと思っていたのに・・・。仕方なしに宮古そばを食べながらビールを飲み、その後ブラブラみやげ屋を回っていると、宮古に地ビールがあることを発見。2年前はなかったはず。地ビール好きの私としては飲まずにはいられない。そこで、先にチェックインして、搭乗前の待合室にある売店で地ビールを買って飲むことを考えた。

いざ、待合室に入って売店に行くと、なんと地ビールが売っていないでは・・・。あるのはオリオンビールの生のみ。失敗した、先に飲むべきだった。地ビールを飲むために早めに待合室に入ったのに・・・。かと言って、宮古に戻る時まで待つのは我慢できん。今すぐに飲みたい。

「やはり、やろうと思った時に行動はするべきやな。」
と自らの哲学に反したことを後悔しながら、仕方なしにオリオンビールの生を買って、待合室のソファーで時間を潰していた。

ソファーに座ってボーっとしていると、同じゲートから多良間行きの前に出る石垣行きの飛行機がかなり遅れていることに気づいた。整備不良によるとアナウンスが流れている。13時頃発の予定が15時になってようやく搭乗の案内が流れてきた。多良間行きが15時半発だったので、この影響で多良間行きも若干遅れるかも、という安易な気持ちで搭乗を待っていた。すると、

「多良間行きの方はいませんか?」
と係員のねえちゃんたちが搭乗口をうろうろし始めた。おいおい、何があったんや?私は手を挙げると、係員が私の元にやってきて、いきなり謝罪し、1,000円のお食事券を渡してきた。一体何事や???話を聞いてみると、どうやら整備不良で遅れていた石垣行きの飛行機が、宮古から石垣に飛んで、また宮古に戻って、その同じ飛行機で多良間に行くという。ということで、多良間行きも大幅に遅れることになり、出発は17時半頃になる、と。普通ならムッとする場面だろうが、私はラッキーとしか思えなかった。というのも、これで一旦待合室から外に出て地ビールが飲める。それも1,000円のお食事券を頂いたので無料で。こんなラッキーなことはない。その前に多良間島の宿に連絡しないと。飛行機の到着時間に空港に迎えに来て頂く予定だったので、遅れることを伝えなければ。再び迎えに来て頂くのも申し訳ない、と思って、宿の人に事情を伝え、タクシーで行くから迎えを断ったが、改めてその到着時間に迎えに行く、と。というのも、多良間島にはタクシーがないらしい。

搭乗口から外に出て、速攻さっき地ビールを見つけたみやげ屋に行って、地ビール「ていだ」を購入した。店のおばちゃんは、私のことを覚えていて、

「あら、どうしたの?」
と言われたので、整備不良で出発がかなり遅れることを伝えた。すると、

「そんな飛行機に乗るなんて、恐ろしい。」
と。おい、これから飛行機に乗ろうとする人間に何てこと言うてんねん。

「ていだ」のラベルを見ると、製造者が石垣島のあの地ビール屋になっている。石垣島の地ビールは、2度も訪問し、全種類を飲んだのもあってよーく覚えている。いざ、飲んでみると、石垣島の地ビールの風味だった。独特の地ビールっぽい香りと味。宮古島にいて石垣島で製造したビールを飲んだことに対しては、なんか変な気がしたが、懐かしい味がした。

また、売店のおばちゃんから宮古島製造の発泡酒があるというので、その発泡酒が飲めるレストランに行ってみた。発泡酒の名前は「とぅりば」。これも2年前に来た時にはなかった。発泡酒は、エールとダークの2種類あり、もちろん2種類とも飲んだ。飲んだ感想としては、雰囲気は出ているが、やはり発泡酒である。軽い感じで、次飲むとしたら「ていだ」の方だろう。

地ビール好きの私にとって、整備不良のおかげで、思わず3種類も地ビールが飲めた。それも1,000円の補助金をもらって。満足満足。


石垣島産宮古島限定「ていだ」




発泡酒「とぅりば」







そのままやん!!































 オトーリ三昧 in 多良間

多良間島滞在時は、ゲストハウス「はまさき」にお世話になった。GWというのに、島滞在時はほとんど観光客に会わず、始めは、宿泊者は私と沖縄本島から研究で島を訪れていた大学院生のみ。途中で、内地からカップルが客で来たが、それでもGWというのにこれだけの宿泊者しかいない。私にとっては最高である。こんな離島にまで来て、好んで内地の人間と会いたくない。

ゲストハウスはすごくきれいで過ごしやすかった。ここに決めたのもなんとなく。GW中の一人旅なので、稼ぎ時の一人客は民宿などには申し訳ないと思い、意図的にゲストハウスにしたのだが、部屋は個室だった。部屋にテレビもあるし、エアコンもある。ドミを予定していたのに、逆に申し訳なかった。

ゲストハウスということで、当然食事は付いていない。そう、となると、夜は地元の居酒屋である。離島にまで来て、宿でめしを作るつもりもなく、島に到着して、宿の人に近くの居酒屋を教えてもらったが、残念ながらGW中は休業、と。ここ以外、居酒屋らしい店もなさそうやし・・・。困った、せっかくの予定が・・・。と思って、仕方なしに近くの雑貨屋でそばを買って帰り、宿で作ろうとしていた時に、宿のオーナーの宮国さんが帰ってきて、

「そんなものは後で食べなさい。」
とご自身で獲られた魚介類を調理した料理を肴にしての宴が始まった。滞在初日は、私を含め島人3名と。その島人の数が毎日増え、最終日は入れ替わり立ち代りで10名ほどになった。

宴は、宮国さんを中心に肴を囲んで泡盛三昧。私は、始めはビールを飲んだが、島人のほとんどは始めから泡盛だった。「菊の露」の1升瓶に泡盛を水割りし、そのままコップに注いで行く。宮国さんに教えて頂いたのだが、泡盛水割りに多良間産黒糖の塊を入れて飲むと、これがいける。黒糖を入れると、一気に泡盛が島っぽくなり、その風味がたまらなかった。

宴に参加されていた方は、ほとんど宮国さんのご親戚。というか、限られた数の島人同士の結婚が多いと、周りが親戚だらけになるのは当然と言えば当然である。皆さんは、毎晩のようにゲストハウスに集まってくるらしい。ここに来ると、島人でもなかなか食べられない海の食材を味わえるということで、夜の宴を楽しみにしている方もいた。

宴では、オトーリが始まる。オトーリとは島伝統の飲み方で、親が口上を述べ、コップに注がれた酒を飲み干し、順に回して行き、最後にまた親が飲む。そして、親が順に代わり、また順に飲んでいくので、結局親が代わろうが毎回飲むこととなる。親が子に注ぐ時は、子がお酒を強いかどうかを加減して注がないといけない。というのも、子が飲めない分は親が飲まないといけないからだ。宮国さんの合図で、このオトーリが毎晩続いた。黒島にいた時もオトーリを経験したが、これだけ人数がいて、毎日続くと、さすがに最後の方はしんどかった。

島人からは、色んな島ネタを教えて頂いた。私と話す時は、本島で聞かれるような沖縄訛りの日本語で、島人同士は島言葉で語る。これが全く理解できない。雰囲気からでさえ何を言っているのか分からない。

「英語でもいいから、分かる言葉で話してくれ。」
と何度も思った。しかし、酔っ払っていても、私と話す時だけは言葉を変えていた。この器用さにはびっくりした。同じ宮古諸島でも島によって言葉が違うようで、多良間島の人は、宮古島の言葉は聞いて理解できるが話せない。一方、宮古島の人は、多良間の言葉が理解できない。池間島や来間島の言葉も宮古島と違う、と。あんなに近くに島があるのに・・・。多良間島の人も、他の離島の人と話す時は標準語を使ってほしい、と思うらしい。

宴では、島人は入れ替わり立ち代りで酔っ払ったらいなくなり、宮国さんも酔っ払ったら宿の近くの母屋に帰って行った。宴の片付けは私がやった。これだけの空間を用意して頂き、楽しめたのだから、これぐらいやるのは当然である。

元々、居酒屋で飲みながら夜を過ごそうと思っていたのに、居酒屋が閉まっていたおかげで、こんなに楽しい夜を島人と過ごすことができた。これもこれもここのゲストハウスに泊まり、宮国さんと出会ったおかげである。宮国さんを始め、宿の人、島人には本当にお世話になった。島を出て、那覇に戻った時は、宮国さんから私の携帯電話に連絡があった。その日もいつも通り飲んでいる、と。一方で、一人で那覇の居酒屋に行く私に気を遣っての電話でもあった。感謝感謝である。


毎晩、島人が集まっての宴&オトーリ三昧














宴の後






はまさきオトーリ専用グラス(表)




はまさきオトーリ専用グラス(裏)




与作丸




シャコ貝殻




宮古島トライアスロン記念オリオンビール




みんな鮮魚店




ゲストハウス「はまさき」


料理は豪快に


島唯一の信号機




☆ 宮国さんの仕掛け漁













 多良間、一齧り

多良間では、居酒屋を含めた食堂の数が限られる。私が滞在時は、居酒屋が休みだったこともあり、結局外食は2軒止まり。もちろん、大好物のそばを食べた。

1、みどり屋旅館のそば

ここのそばは手打ちそば。手打ちだけあって、麺にコシがあった。朝から営業しているのもあって、多良間滞在中は毎朝ここにそばを食べに行った。2日目からは、店のお母さんに大盛りなどサービスして頂いた。あっさりした味でうまかった(写真は大盛り)。






2、東(アガリ)食堂

ここは、そば、ソーキそば、ヤギそばしかメニューがないのだが、ここもみどり屋旅館同様あっさりした素朴な味だった。麺は、宮古島から取り寄せている。








3、宮国さんの漁師料理

多良間島滞在時のご馳走は、何と言っても私が泊まったゲストハウスのオーナー宮国さんの漁師料理である。漁師でもある宮国さんが料理した数々の魚介料理。毎晩色んな料理が出てきて、大満足であった。



かまぼこ





鮮魚とキャベツの和えもの





上部はクモ貝





赤ナマコと三枚肉の煮込み




シャコ貝




餅揚げ




グルクンの皮の揚げもの




エイの揚げもの




黒鯛のスープ




豪快にアラの巣揚げ


多良間の海草


黒鯛刺身etc.




☆ 第2回多良間島ビンダアース大会













 水納島のヤギ君たちはやりたい放題やったでー

今回、多良間島から、何とかして水納島に渡りたかった。

水納島は、多良間から船で30分ほどの人口2人の島。宮国さんは水納島出身で、水納島の住人は宮国さんの親族で牧場を営んでいる。ゲストハウス「はまさき」の「はまさき」とは水納島のビーチの名前。写真を見せて頂いたが、青い海に白い砂浜が広がる無茶苦茶きれいなところ。多良間の島人も、はまさきを絶賛していた。台風によっては浜の形が変わるらしい。

ゲストハウス「はまさき」では、宮国さんが水納島へのツアーをオーガナイズされている。何の下調べもせず、漠然とここの宿を選んだのだったが、これはラッキー。滞在後半の宿泊者であった内地のカップルは、水納島へ行きたくてわざわざこの宿を選んだらしいが・・・。

多良間島から水納島は、行きたくても簡単に行けない。多良間の島人の中には、水納島へは東京や外国へ行くよりも難しいと語っていた人もいるほど。多良間島に来るまでは、水納島へは簡単に行けるものと考えていたが、その考えは甘かった。珊瑚で囲まれた多良間島は、外海に出ると一気に潮の流れが速くなり、風向きによっては、多良間島から船を出せない。私が島滞在時は天気が悪く、風も強く、波も高く、とても船を出せる状態ではなかった。水納島へ行きたくて何度も多良間島にやってくる人もいて、それでも行けてない人が多々いる。そういうこともあり、宮国さんは行けなかった宿泊者に少しでも水納島のことを知ってもらおうという意図から、宿には水納島の写真がいっぱい貼られている。

多良間島宿泊最終日の前日、内地から水納島へ行きたいというカップルが来たのあって、宴の際に宮国さんから、

「明日、少々海の状態が悪くても、水納島へ行こう。」
という提言があった。私がずっと水納島に行きたくて待っていたのを気の毒に思っていたのだろうし、何よりも数名で船をチャーターした方が、一人当たりの負担費用が安くなる。そういったことも考慮して、宮国さんは提案された。その気遣いには感謝である。

島滞在最終日。午前中は雨が降っていたが、昼前から晴れてきた。そして、予定通り水納島に行くことになった。過去に行きたくても水納島に行けなかった多数の方のことを考えると、私はラッキーである。島人からは、

「普段の行いがいいんだよ。」
と言って頂いたが、初めての多良間島で、たった3日待って水納島に行けるなんて・・・。






多良間島から水納島へ向けての水底ケーブル





水納島の珊瑚君たち







浜で昼寝するウシ君たち



はまさき号




宿でソーミンチャンプルを頂き、宮国さんの親族の戸口さん、内地からのカップル、そして私の5人で船に乗った。船は、前浜港から出て、湾内は波は穏やかだったが、外海に出ると一気に波が高くなった。船が波でジャンプしている。波照間島に渡った際の外海に出た時のようだった。

水納島周辺の珊瑚の外側に船を泊め、我々は熱帯魚君たちと泳いだ。海は文句がないほどきれい。カラフルな珊瑚君たちとカラフルな熱帯魚君たちの群れ。周りには誰もいない。年に数度しかないが、この海に会うとホッとする。カラフルな色の神秘さ、海の中の不思議な世界・・・。この海を見せられると、湘南では泳ごうと思わない。夏になると、仲間が東京から私の元にやって来るが、海に連れて行っても私は海に入ろうとも思わない。

島の浅瀬を散策して、我々は水納島に上陸した。上陸時は、潮が引いている時間帯だったので、沖に船を泊めて、そこから浅瀬を歩いての上陸となった。両側を茂みで被われた道を100m程歩くと、元集落を思わせる光景が広がっていた。家屋は何軒かあり、過去にここが集落だったことが分かる。家屋のほとんどはすでに廃虚で、島に入ってすぐ通り過ぎた家屋には人が住んでいる気配があり、住人か来島者用の小屋と思われた。島に泊まるには、その滞在分の食料、水をすべて持参する必要がある。当然、島にお店はない。電気、電話線は、多良間島から水底ケーブルを通って送られてきている。水は溜め水を使用。島人は、食材がなくなると、自分たちの船で多良間島に買い物に行く。

集落の道を進んでいくと、ヤギ君たちが好き放題歩き回っていた。お前らが島の主か???牧場らしき囲われた場所があるが、人が近づくと、慣れていないのかすぐに逃げていく。そして、その囲われた場所から平気で逃げ出し、島の中を走り回り、茂みに入っていく。浜にはウシ君たちが気持ちよさそうにしていた。こんな光景は見たことがない。牛が浜で昼寝しているとは・・・。






船着場にある看板





いざ、水納島中へ





水納島中心部


やりたい放題のヤギ君たち




浜に行ってみると、ゴミだらけなのにはびっくりした。話には聞いていたが、浜を手入れする余裕がないのだろう。近隣諸国からのゴミが浜を被っていた。海自体はきれいなのだが、浜は・・・。と考えると、浜がきれいな島は、我々外部の人間が楽しめるように島人が手入れをしているのか?風向きによっては、ゴミが頻繁に漂流してくるだろうし、となると、定期的に浜を掃除しないといけない。それは、島人にとっては大変な作業なはず。見えないところで島人のこの行為はありがたい。このゴミだらけの浜を見て、ふとこんなことを考えさせられた。

島には、「ゴミは持ち帰るように」といった看板が掲げられていた。放っておいても海にはゴミが漂流してくるし、来島者によって陸地までもがゴミで汚されると、素朴な島がゴミ島になる。島人は、家畜の世話で手一杯で、島のことまで手が回らないだろう。観光業に関係のない島人にとって、「そっとしておいてほしい」が本音ではないか?「行ってみたい」という我々の欲望が、島では迷惑になっていないか?多良間島の人にとっては、観光業のツールとして水納島を使えるが、水納島の島人にとっては何のメリットもないのでは(バックマージンをもらっていれば別だが・・・)?いいことは人に伝えたい。しかし、「伝える」ってのは本当に難しい。憲法に「知る権利」はあるが、「知らない権利」があってもいい。バヌアツに行った時にも同じことを感じた。

これまで様々な沖縄の離島を訪れたが、ここまで素朴な島はなかった。
色々葛藤はあるが、正直は気持ち、また行きたい。今度はテントを持ってゆっくりと。






水納島南東部の海岸





水納島南東部の海岸





水納島南部の海岸


海岸でたわむれるウシ君たち






いざ、水納島へ





水納島海岸付近





仕掛け漁





船着場




ガジュマル





茂みの中のヤギ君たち





ゴミだらけの海岸





水底ケーブルの目印





水底電話ケーブル





はまさき号での前処理


はまさき号での前処理


船着場




 またしてもトラ、トラ、トラ

多良間島滞在時も、常に携帯電話で我が阪神タイガースをチェックしていた。今年の我がチームのメンバーを考えると、優勝できない理由がない。先発が揃った上に、あの打線。しかしながら、その打線がうまく機能していない。何を力んでいるのか、ポップフライが多いし、ボール球を振るわ、何よりも今年もチャンスになると打てない連中が多い。普段通りのプレーをすれば、間違いなく優勝なのに。再び言う、今年は優勝できない理由がない。

これまで沖縄の離島で偶然トラ関連と出会ったきた私だが、

「さすがに、多良間島ではないやろう。」
と思っていた。実際に離島直前まで何もなかった。しかし、島を離れる朝。お世話になった宿の人に空港まで送ってもらい、チェックインを済ませ、空港の中に喫茶店を見つけた。私は、毎朝コーヒーを飲む。会社にいる時は、エスプレッソマシーンでエスプレッソを作り、島にいる時は、毎朝自販機で缶コーヒーを買っていた。搭乗まで30分ほど時間があったので、迷わずその喫茶店に入ってコーヒーを頼んだ。喫茶店にいた島人、宿の人とたわいもない会話をしながら、ふと店の冷蔵庫に目がいくと、なんと我が阪神タイガースのステッカーが貼っているでは・・・。思わず、店の人に、

「阪神ファンですか?」
と聞くと、「そう」と。

店の方は、長岡さん。白髪交じりの優しそうなおじさんである。
長岡さんは多良間に来て5年ほど経つそうだが、出身は高知県。そう、高知県と言えば、我がチームのキャンプ地安芸がある。高知県出身の球界を代表する選手は、我がチームの藤川球児。キャンプの影響だろうか、高知県は阪神ファンが多いらしい。長岡さんも高知にいらっしゃる時は、よく安芸のキャンプを見学に行かれたそうだ。我々はタイガース談義で盛り上がった。懐かしの話から最近のことまで。昨シーズンの終盤の優勝争い時は、甲子園に行くことも考えていた、と。長岡さんも、

「久々に阪神ファンの人に会った。」
と嬉しそうにされていた。


トラデザインの自動販売機



長岡さんから阪神グッズを送ってほしい、とお願いされた。私は、ちょうど帰京後の5月5日に東京ドームにで読売戦を見に行く予定だったので、そのことを伝え、送ることを約束した。で、5月5日当日、岩田が2年ぶりに白星を挙げた東京ドームでいくつかのトラグッズをゲットし、早速長岡さんに送った。トラショップに行って、色々買って送った方がよかったかもしれないが、こういうのは早い方がいい。

多良間島から宮古島に戻ると、2年前に見たのとは別の阪神タイガース自販機を発見。那覇の飲み屋では、タイガースの灰皿と出くわしたし。
私は改めて痛感した。私とトラは切っても切れない関係であることを。

こんなトラを愛するファンがいることを、トラ戦士たちは心得て戦うように。ええか、今年こそ絶対優勝やぞ。再び言う、普通の野球をやれば、今年は優勝できない理由はない。今年はそれだけすごい戦力が揃っているんやぞ。




☆ Glance in Tarama No. 1
































 東日本大震災について

2011年3月11日、私は会社のオフィスにいた。東京は、普段でもよく地震が起こる。その日も、ビルが揺れ始めた時はいつもと同じ感覚でいた。「しばらくしたらおさまるやろう」と。しかしながら、横揺れがだんだんと強くなり、揺れの時間も長く、机上のものは落下し、棚も揺れ出し、シュレッダーは倒れ、冷蔵庫の扉は開いて中のものが出てきた。これは通常ではない。ビルのエレベーターは止まり、階段の壁は多数亀裂が入っている。周りのビルから避難された方が多数道路にたむろし、海の向こう側のお台場からは黒煙が上がっていた。その瞬間、今回の地震被害の大きさを悟った。

旅の間、本島、宮古島、多良間島でも東北への支援を呼びかけるポスターを多く見かけた。多良間島滞在時も、私が東京から来たことを伝えると、島人から真っ先に震災の影響を聞かれた。震災直後、怖くなって、東京から多良間島に逃げてきた方もいたという。

多良間島の宴の最中でも、

「もし多良間に今回の津波が来たら?」
という話になった。ある島人曰く、多良間島は高いところでも海抜34mしかないので、今回東北を襲ったような大津波が来ると、島全体はきれいになくなるであろう。ただ、内地に比べて、沖縄の家屋は台風に備えて頑丈にできているので、家屋は流されることなく残るのではないか?そんなことを島人は話されていた。

東日本大震災に対しては、個人的に言いたいことが多々ある。甚大な被害を受けられた方々に対しては何とも言えない辛い気持ち、ある種の人間に対しての憤り・・・。言い出すときりがなく書ききれないので、心の中の叫びの一部を伝える。

三陸周辺は、石巻漁港に大好物の獲れたてのサンマを買いに行ったり、リアス式海岸をツーリングした。windな海岸を走っている際、ギアを変えるクラッチ操作の連続で手が異常にだるかったこと、素朴な漁村が続き喉かな風景が広がっていたこと、など今でも鮮明に覚えている。だから、あの地が多大な被害を受けたと思うと、人事とは思えない。

一方で、こんな状況なのに、自分のことしか考えられない奴ら。元気な奴らが大阪や福岡に逃げてホテルを占拠したら、被災地の方の分がないやないか?節電、放射能、余震などの影響が残る関東地方だが、水も使えて、電気も使えるだけましやろ?ものを買い占める奴ら。福島県、福島県農産物、福島県民を差別する奴ら。こいつらを同じ日本人と思うと腹立ってくるし情けない。お前ら、被災地の復興のためにがんばっている自衛隊、海上保安庁の人々、原発の最前線でお国のために骨身を削って一所懸命働いている人々の姿を見て、何とも思わないのか??どんな教育を受けて育った奴らなんや??危機的な時って人の性格がよーく分かる。今回そのことを痛感した。

また、今回の震災で、自衛隊、日本在留のアメリカ軍の意義を改めて考えさせられた。防衛費になんでそんなに予算を使うのか?、とこれまで思っていたが、自衛隊の意義って防衛だけではない。こういった災害時に、お国のために身体を張った献身な姿。地道な作業だが、瓦礫を片している米兵の姿。沖縄を旅していると、どうしても米軍基地問題に直面するが、今回の震災を受け、被災地で支援活動を行っている米兵の姿を見て、沖縄県民はどのように感じただろうか?

震災後、一瞬、今回の旅を自粛しようとも考えた。こんな時に旅なんて・・・。しかし、その考えはすぐに止めた。元気に動ける人が経済を回して、この国を支えないと誰が支える?そうでないと、国力が低下してしまう。

震災後は、海外の仲間からもよくメールが来る。日本から自分たちのいる国に逃げて来い、と。そういうメールには同じ回答をする。

「逃げるのは簡単。しかし、このような状況だからこそ、誰かがこの国を支えないといけない。全員が逃げてしまうとこの国は滅びてしまう。被災地に比べると、東京はどうってことない。確かに余震も続くし、放射能の問題もあるし、電力供給の不安もあるが、普通に生活できている。海外ではそういった報道は流れていないと思うが、そのことは認識してほしい。「逃げる」と「留まってこの国のために働く」の選択肢があるのなら、私は間違いなく後者を選ぶ。」

一方、毎日不安を抱えて、精神的に参っている周りの人に対しては、

「まだ起こりもしない先のことを考えて、不安な時を過ごしても仕方がない。今回の震災も誰も起こるとは思っていなかった。外に出るのが怖くて家の中にいても、地震で家屋に下敷きになることもあるし、道を歩いている際に、上から植木鉢が落ちてきて直撃する可能性もある。つまり、先のことは誰も予測できないし、それを不安に思うと何もできない。何か起こったらその時に考えればいい。1日は24時間しかない。通常の日々を過ごせる人は、世界中にどれだけいるのか?世界では日常を過ごせない人もいっぱいいる。こんな状況ではあるが、日常を過ごせる我々は恵まれている。だから、恵まれたこの環境を精一杯生きないと。」

こういう時こそ、国民の意思を統一して、がんばっていかなければならない。

星野監督の言葉を借りると、
「困難は、それを乗り越えることができる人の元にしかやって来ない。」


宮古島の空港で見つけた貼紙


















多良間島にて




Glance in Tarama No. 2