全国25億人の加藤学ファンの皆様
日本全国離島シリーズ第24弾~トカラ列島・宝島~
「宝島には交番もなく、食べる処もなかったでー」
皆様、こんにちは。 この春は、奄美大島に飛んで、その後トカラ列島宝島、奄美大島縦断、そして、加計呂麻島に行って参りました。今回は宝島だけだったのですが、トカラ列島にようやく行けました。行けるもんですね、この短い休みの間で(後述)。宝島では天気に恵まれましたが、名瀬に戻ってからは毎日雨。そんな中をバイクで移動していたのですが、もう南西諸島は梅雨ですね。 久しぶりに奄美大島に着くと、話には聞いていましたが、今、奄美大島は観光に潤っています。島民の言葉を借りると、「バニラエアさまさま」。奄美大島へは、成田と関空からバニラエアが飛んでいます。空港にはバニラエア専用カウンターもあります。間違いなくこの影響で、名瀬にはガイドブック、スーツケースを持った観光客、レンタカーも沢山見かけました。加計呂麻島には数時間しかいませんでしたが、瀬相港前に道の駅らしくものが出来ていたのも、バニラエアによる観光客増の影響かもしれません。現在、奄美諸島は世界遺産登録をPRしていますが、世界遺産に認定されると、更に人が増えることでしょう。 さて、次の旅はまた秋を考えています。今度は五島列島かな・・・。 P.S. 鹿児島から羽田に帰る日。甲子園の広島戦で、ルーキーの福永がノックアウト、搭乗前に途中経過を確認すると、遼馬が追加点を取られて0-9。もう怒り心頭で搭乗し、羽田に着いて、ターンテーブルで荷物を待っている際に再度試合経過を確認した。大敗やろうな、と思ったら、12-9で勝っている。私は、何が起こったか信じられなかったが、9点差を逆転していた。これまでの阪神では考えられないことが起こっていた。案外、やるんちゃう、今年は・・・。 苦手の交流戦、9月はあるが、頼むで今年こそ 「湘南より愛をこめて」 May/21/2017 Manabu Kato |
「大籠海水浴場」 in 宝島 |
☆宝島の海
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☆Topics Vol. 261-265
手つかずの島、宝島
お年寄りばかりの島を想像していたが、若い家族、ちびっこも結構見かけたのにはびっくりした。村興しだろうか、移住してきた若者には村から月8,000円/人の援助が3年間出るらしい。夫婦で来ると月16,000円の援助が出る。この援助はかなりでかいとは思ったが、職がないし、生活費はそう安くもない。生活品はほぼ鹿児島から取り寄せることになる。キャベツ1個が400円とか。飲み屋もないし、娯楽もないし、住むとなると、私は無理かな。携帯電話も繋がりにくかった。宿で一緒になった考古学教室の学生たちは、毎日、電波が繋がりやすい場所に行っていた。 私が泊まった民宿「とから荘」のオーナー岩下さんは、漁師兼塩職人でもある。私は2日後の鹿児島から下ってくる船で名瀬に帰る予定だったので、宝島では実質2日の滞在期間であった。島は小さい割には結構アップダウンがあり、岩下さんからは2日あれば歩けると言われたが、300m程あるイマキラ岳から島を一望したいのもあって、岩下さんのカブを借りることにした。パンクしていたカブを直してもらい、もちろんノーヘルでカブに乗った。有人の様々な島に行ったが、警察がいない島は記憶にない。飲み屋がないので島での飲酒運転による事故もないだろうし、如何せん、集落は十分歩いて回れる。消防団っぽい車は見かけたが、もちろん消防署もない。普通にガスの管理をしていれば火事なんて起こることはない、なんで内地では火事が起こるのか不思議、と岩下さんは言っていた。
イマキラ岳へはバイクを借りて正解だった。距離的にはそれ程ないと思うが、結構くねくねした上りの道が続く。下甑島で経験したほぼ管理されていない道路と同じ、道には落ち葉、枝が散乱していた。島の南端荒木崎灯台は牧場を越えていかないといけない。牛が逃げないように道路に柵がされ、その柵を開け閉めして道を進む。人は襲わないだろうが、さすがに道中、図体のでかい牛が何頭もいるとビビった。退け、と思っても、彼らは動いてくれない。これには参った。結局2時間程で十分島を回れた。その間、観光客には誰とも会わなかった。
その日の午後からは、岩下さんはモリで魚を獲りに船に乗るというので、島に泳ぎに来た私にも声を掛けてきた。岩下さんは魚を捕るので、私は適当にその辺りで泳いでいてよい、と。岩下さんの獲った魚が宿の料理に出る。もちろん、私はこのお誘いを断る理由はない。宝島での滞在は非常に天気に恵まれた。島から見る波も穏やかだったし。ところが、意外にも岩下さんが考えていた2つポイントとも潮が速すぎて、結局これらのポイントでは魚獲りはできず、急遽ポイントを変えて、夜行貝獲りに変更した。船に乗せて頂いている身なので私はどこでもよい。島にある大籠海水浴場の海は私の好みではなかったので、島の外のどこかのリーフで泳ぎたい、と思っていた。泳ぐポイントではなく、貝を獲るポイントだったが、珊瑚の海はやはりきれだった。いつ見ても、珊瑚の海では海中で別世界が広がる。南の島に来ると、この世界が見たい。砂浜だけの海では満足できない。
宿では、熊本大学、鹿児島大学、琉球大学の考古学研究室の先生と学生と一緒になった。トータル2週間ほどだろうか、先生たちは、島にある貝塚で発掘作業を行っていた。宝島のような手つかずの島は、発掘にはもってこいだそうだ。朝から晩まで先生、学生たちは穴を掘り続け、夕方、泥だらけで帰ってくる。宿の貼紙では21:00以降は静かにといったことが書いてあったが、学生たちが21:00に寝るのは無理だろう。晩飯が終わると、私は、談話室でテレビを見ながらビールを飲んでいたが、途中から、先生、学生たちのその日の発掘状況のミーティングが始まった。その後は、先生、学生を交えて宴が始まり、私も誘われたが遠回しに断った。ある意味、夜は仲間たちとの楽しみにしている宴会なのだから、内輪で楽しめばよい。島に飲む処はないし、朝から晩まで土方作業をしているものだから、夜ぐらい楽しめばよい。宴が深夜まで続き、翌日、学生の一人が私に謝ってきた。夜騒がしくて申し訳なかった、と。いや、そんな心配はせんでええ。わしが学生なら同じことをしていた。 島を出る朝、先生から発掘現場を是非見学に来て下さいと言われていたのもあって、現場にお邪魔した。学生たちが一生懸命砂を掘りながら調査していた。掘るのにもその規定があり、何mかしか掘れない様子。発掘されたものをいくつか見せてもらったが、土器、中国からの陶器っぽいのもあった。こんな辺鄙な島にも大陸から文化は伝わり、ちゃんと土器を使った生活があった。土器は風化するが、貝は風化しない。従って、貝は形がしっかり残っていた。海から近いこの高台に古来の人は生活し、海から貝を獲って、生活をしていた。何かを打ちつけた傷があった貝も見せてもらい、先生曰く、これはこの貝を道具にしていた証拠、と。おそらく人骨はこの向こうにあると先生は指されていたが、先生たちは人骨には興味はないらしい。
考古学で何か大発見があっても、歴史が変わることがあるだろうが、おそらく今の世の中に大きな影響を及ぼさない。そのため、なかなかこういった分野に予算が付かないだろうが、何よりも浪漫がある。文章として記録のない古代を発掘物と共にその時代を想像する。私は、こういった学問への予算の投資には大賛成。どこかの議員が訳の分からんことを言いそうだが、是非とも研究に頑張って頂きたい。あの女子学生もすごいな。顔に日焼け止め塗って、全身日焼けしないように肌を隠して、朝から晩まで土方作業している。偉い偉い。学生時代のいい経験になるはず。先生には、 「江戸で先生たちの大発見をテレビで見るのを楽しみにしてます。」 と言って、その場を後にした。 宝島、よかった、非常に。今まで経験したことがない島かもしれない。 トカラ列島の他の島にも是非行ってみたい。 |
☆Glance at Takarajima Vo. 1
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黒糖焼酎蔵元巡り
ざっとではあるが、これで奄美諸島の黒糖焼酎の蔵元をほぼ回った。 残念ながら、この時期、ほとんどの蔵元はGWで閉まっていた。 私が一番好きな黒糖焼酎「長雲」を製造の「山田酒造」が休みだったのは残念・・・。 |
「富田酒造」 こんな街中に蔵元があるとは今まで知らなかった。「富田酒造」は、屋仁川通りから徒歩1分程のところにある。連休中でほとんどの蔵元が閉まっていた中、ここが開いていたのはラッキーだった。 沖縄産黒糖使用の「龍宮」は、もっと大きな蔵元の黒糖焼酎と思ったら、こんな小さな蔵元が作っていたとは…。「富田酒造」は小ぢんまりした蔵元で、家族経営のような感を受けた。仕込みにはすべて甕を使う。 街中のホテルからも徒歩で来られるので、雨の日などの時間潰しに観光客が見学に来る様子。まだ黒糖焼酎好きならいいが、単に時間潰しに来る連中も多い。バニラエアが成田、関空から奄美大島に飛び始めてからは、そういった連中がかなり増えた。見学に来ると言っても、ここのスタッフの数に限りがあるのですべてに対応できない。そのため、見学料を500円取り、本当に見学したい客のみ受入、アルコール度数を15%まで薄めた黒糖焼酎をお土産に渡すスタイルを始めた。それでいいと思う。そうしないと、時間潰しの客を排除できない。 蔵の方は、私には色々と試飲させてくれた。試飲場所は、ここの蔵ではなく、通りを挟んだマンションの一室にある。ここで「龍宮」、徳之島産黒糖を使用した焼酎「まーらん舟」を飲み比べたが、沖縄産黒糖の勝ちやな。本当は、樽熟成したものを買いたかったが、酒税法上、売れないらしい。帰りは、「龍宮」の原酒を土産に購入した。 |
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「町田酒造」 国道58号線に面したこんなところに蔵元があったのか。さすがは、「れんと」と並ぶ黒糖焼酎「里の曙」の製造元だけある。他に比べると大企業で、1日のうち、何度も見学ツアーを実施していた。蔵のスタッフは、私に見学を勧めてきたが、雨の中、古仁屋に急いでいた私はお断りした。その代わり、ここで製造の原酒をお土産に購入した。 「里の曙」の黄色ラベルは、日本各地で見かけるが、黒麹を使用した黒ラベルは、今回、初めて飲んだかも知らん。味がまろやかで、絶対こっちの方がよい。 |
「奄美大島酒造」 ここは2回目。時間があったので少し寄ってみた。前回、そこまで注意して見なかったが、すべての黒糖焼酎に県産黒糖使用というラベルが掲げられていた。前からそうだったのだろうか?店の人に聞いたら、そういったことを言っていたが、今の黒糖焼酎は南米産黒糖の使用を止めたのだろうか? |
「山田酒造」 | |
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「西平本家」 | |
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「西平酒造」 | |
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「弥生焼酎醸造所」 | |
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旧「大島食糧(株)酒造所」 | |
☆Glance at Takarajima Vo. 2
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宝島の塩
これまで色んな離島で塩を土産に買って帰ったが、ここまで美味しい塩は記憶にない。それだけ岩下さんの作る塩はうまい。塩味のみならず、甘味、旨味もある。宿で一緒になった考古学研究室の学生、先生は、めしの時に食卓に置かれた塩を、 「高血圧になる。」 と言いながら、ばくばく食べていた。 宝の塩は、岩下さんの手作業で作られる。製造から梱包まで全て一人で。海岸横の小屋がその作業場で、まずは海水をポンプアップする。それを薪で焚くのだが、粗塩は1週間、粉塩は5日間炊き続ける。両方の塩を食べたが、粗塩の方がうまい。原料は同じ海水なのに、この違いは日数が影響しているのだろうか? 焚いている間に3回灰汁を取る。焚いていると海水表面が析出したこの灰汁で覆われる。これは不純物に相当するそうで、灰汁を味見したが、確かに塩味は少ない。 段々と水分が少なくなり、にがりができる。このにがりは、大手化粧品メーカーに納めている。なんで化粧品メーカーが南の島に研究室を設置しているのかようやく謎が解けた。彼らは塩ではなく、にがりが欲しいのである。で、このにがりが除去され、ようやく宝島の塩が出来上がる。 まあ、何とも原始的な方法で手間の掛かること。宝の塩は、塩味成分を濃縮している訳でなく、灰汁を取った海水そのものを濃縮している。だから、塩味以外の他の味もあるのだ。これなら、粗塩200g 800円も頷ける。これまで機械で製造されたもっと高い塩にも出会ったがぼっているな、宝島の塩をベースにすると・・・。 |
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☆Glance at Takarajima Vo. 3
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鹿児島、奄美諸島、一齧り
「鳥しん」(名瀬) 名瀬に着いて、インターネットで見つけたところ。トカラへの乗船までに余り時間がなかったが、どうしても鶏飯が食べたくて、比較的港に近い店を探した。 店で注文を待っていると、観光客が次々と入ってきた。ガイドブックに載っている店なのだろう。 はっきり言う。今まで食べた鶏飯で一番まずかった。なんで醤油で味付けしてんのん?せっかくの鶏のダシが消えてしまっている。 他に鳥刺も食べたが、固くていまいち。夜光貝の刺身も普通。焼鳥は食えたもんじゃなかった。 |
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「あしん」(名瀬) 感じのいい夫婦のお店で、後々気付いた。居酒屋と明記している店は、我々にはダメだ。メニューが通常の居酒屋で、地場のメニューがかなり少ない。入店時には、地元の団体数組がいて、店は忙しそうだった。従って、私が注文した煮付けが出てくるまでかなり時間がかかった。感じの良さそうなご夫婦やったんやけどな。一杯だけで店を後にした。 |
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「むちゃかな」(名瀬) 屋仁川通りのすぐ近くなので、観光客が多かった。ここは、居酒屋にしては地場のメニュー、黒糖焼酎の数がかなり多かったように思う。 ここでシビの刺身、鳥刺し、赤ウルメの塩焼きを食べた。まずまずかな。 |
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「よろこび庵」(名瀬) 前回に引き続きここは2回目。「鳥しん」がいまいちなのもあって、ここで食べた鶏飯はいいダシが出ていてホッとした。 大体、鶏飯を食べる時はご飯少なめで頼むのだが、いい忘れてご飯を残してしまったのには申し訳なかった。 代替わりしたのかな?若い夫婦が店を営んでいた。 |
「みなとや」(笠利町) あいにくの雨の中、原チャで向かった。奄美大島北部笠利町にある鶏飯発祥の地。私はどうしてもここで鶏飯が食べたくて、ここでのランチをベースにその日の計画を組んだ。 お昼少し前に店に着いたが、すでに観光客がたくさんいた。ここは間違いなくガイドブックに載っているはず。ここの鶏飯を一口食べると、島の辺鄙なところにあるにも関わらず、これだけの人が集まる理由がすぐに分かった。これまで食べた鶏飯の中でダントツに美味い。スープがしっかり味付けされている。少し脂っぽく感じる人もいるかもしれないが、ご飯にかけるにはこの濃さはちょうどいい。鶏飯は確かにスープは美味しいが、ご飯にかけるにはスープにもう少し塩味があってもいいとずっと思っていた。もしくは、テーブルに塩を置いとくとか。しかし、ここのスープは違った。 地元の人も客を連れて行くなら「みなとや」と言っていた意味が分かった。
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「ばしゃん葉」(古仁屋) 古仁屋にある食堂。本当は別のところで鶏飯を食べたかったが、そこが休みだったのでたまたま入った。いかにも地場の食堂、居酒屋って雰囲気の店。 瀬戸内町から文字ってせと定食を食べた。豚肉の生姜焼きにシビの刺身。本当、奄美大島ではシビによく出くわす。ボリュームもあり、美味しかった。 |
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「瀬里奈」(名瀬) 名瀬街中の商店街にある喫茶店。まさかこんな処で鶏飯を置いているとは・・・。 喫茶店だからだろうか?フルーツも付いて何処となくオシャレな味だった。 |
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「郷土料理春」(名瀬) 名瀬ではときめく店にほとんど出会えなかったが、最後にいい店に出会えた。私はカウンターに座り、メニューを見ていると、ママから郷土料理おまかせ3,500円の方がお得と言われてそれにした。 カウンターは、私以外に地元のご年配の夫婦2組の4人。店奥、2階には座敷がある。せっかくのお知り合い4人組の中に私が一緒して申し訳なかったが、黒糖焼酎の話で盛り上がった。沖縄同様、この地元の方もそこまで黒糖焼酎には詳しくない。 店にはそこそこの量の黒糖焼酎が並んでいる。私は黒糖焼酎にそこそこの知識があるので、ママから飲みたいもの飲んで、と色々飲ませて頂いた。知識があると言っても、まだまだ知らん焼酎が多い。特に「六調」、「一番橋」、「壱乃醸」「たかたろう」は印象に残った。ママ曰く、「六調」は、今、人気があり、飲みやすかった。「山田酒造」の「長雲」は私のお好みだが、同じ蔵元の「一番橋」は初めて飲んだかもしれない。「長雲」同様、黒糖の風味に特徴があり、よい。「たかたろう」は、アルコール25%なのに、この黒糖の香りには驚き。その他、幾つか珍しいものを飲ませていたのに、トータル3,500円。この値段に飲みも込みだったのか。サービスして頂いたのか分からないが、これだけ飲んで安過ぎやろう。 料理もいい具合の量でどれも美味かった。ここには是非また戻って来たい。 |
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また、ママに教えて頂いた「前川酒店」にも行ってみた。うわさ通りの黒糖焼酎の品数だ。空港に向かう直前に訪問したので、ほとんど店主と話す時間がなかった。今後、機会があれば、ゆっくり話してみたい。 |
「ひさ倉」(龍郷町) 有名な鶏飯の店で一応のぞいてみた。 11時過ぎに店に着いたが、もう人がいる。で、しばらくすると観光バスが来た。気づくと広い駐車場は車でいっぱい。 ご飯少なめでお願いしたのにいっぱい来るし。減らして、とお願いしたが、お代わりできるし、残してもいい、と。残したら捨てるでしょ?そういう粗末なことをしたくないので、自分が食べられる分だけ頼んでいるのに。 鶏飯の味よりも、周りの環境に圧倒された店だった。 |
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「カテリーナ」(名瀬) やはり、ここに来てしまった。4年ぶりだ。トカラ列島から名瀬に戻った日は、店の看板はあるのに閉まっていたので、定休日か、と思ったが、一瞬潰れたのか?と不安が過った。と言うのも、「カテリーナ」の向かいにあった加計呂麻島のお父さんの店「マリンブルー」がなくなって、焼鳥屋になっていた。ショックだった。「カテリーナ」のマスター曰く、3年程前に店を辞めた、と。加計呂麻島ではまだ「マリンブルー」があったので、それはそれでよかった。 4年ぶりに「カテリーナ」に入ると、マスターは私の顔を覚えていた。マスターに言われて、ママも思い出していた。久しぶりに会ったお二人は少し老けたが元気そうで、マスターは相変わらずネクタイをしめてきちんとされている。 私が古仁屋まで原チャで行ったことを伝えると、笑っていた。 「スクーターで古仁屋まで行けるの?行く人はいない。この話をネタに酒が飲める。」 と。空港でマッサージを受けている時にも、私の身体がガチガチなのは原チャで古仁屋まで行ったためと伝えると、店の方は笑っていた。車で古仁屋に行くのでさえ大変なのに、と。と言うか、わしが古仁屋まで原チャで行ったのは、今回で2回目やぞ。こんな距離はどうってことない。 相変わらず、マスターもママも優しい。お通しの量もすごいし、次々と黒糖焼酎を注いでくれる。で、会計は3,000円。もっと取ってよいよ。安過ぎ。 帰り際には、 「また来るからお二人共元気でいて下さい。」 と言って店を出た。 マスター、ママと話していて、これまで行った島のママ達のことを思い出した。私は一度行った島に戻るよりも、その時間があるなら、他の場所へ行きたい、が自分のスタイル。でも、その間に、ママ達は段々歳を取るし。皆さんに会いたいなあ。ふと宮古島の耳が不自由な勝美ママが頭に浮かんだ。 |
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「はなみ丸」(宝島) 飲み屋ではなく、夕方になると開く店。宝島の売店以外の唯一の店。オーナーが船に乗っているので、漁が終わると、魚をさばいてここで刺身として売る。夕飯前に宿の学生たちが食べていたので、私も急いで買いに行った。 刺身は安く、うまかったが、トビウオの生ハムがが無茶苦茶美味かった。今度、内地の方にも外販すると言っていたので、絶対買う。 |
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「新港食堂」(鹿児島) 鹿児島中央市場にある食堂。前回は隣の「市場食堂」に行ったが、今回はここにした。 まあ、朝から中国人(台湾人?)の多いこと。席は市場で働く方と中国人で満席。私は、朝からビールを飲みながら刺身を食べた。一番食べたかった首折れ鯖、しめ鯖はなかったが、代わりにアオリイカと刺し盛りを頼んだ。さすがに市場が仕入れたネタ。新鮮で美味い。 貝汁も美味かったが、ボリュームなら「市場食堂」の完勝。
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ある日の朝食 今回、名瀬で泊まったホテルの朝食はよかった。 ビュフェ形式だが、バラエティに富んでいて、どれも美味かった。 |
古仁屋の夜
私は、今回の旅で、一晩古仁屋で飲み屋をはしごすることを計画していた。4年前は加計呂麻島メインだったので古仁屋は素通りしたが、何となく町の規模が私好みで気に入っていた。 名瀬で原チャを借りて古仁屋に向かう日は天気は最悪だった。朝から雨で、原チャを借りて北上し、まずは「ビックII」でお土産を買って送り、更に「みなとや」に向かうため笠利町まで雨の中、北上した。その間、雨はいっこうに止む気配がなかった。 奄美大島はトンネルが多く、そこそこ長いトンネルも多い。この条件下での原チャは後続の車に迷惑を掛けてしまう。原チャはスピードは出ないし。そのため、本当は原チャではなく、もう少し大きいのにしたかったが、レンタバイク屋から原チャしかない、本当は原チャさえも置きたくない、と言われていたので仕方ない。レンタバイク屋曰く、3年経つと原チャを新調するそうで、そのせいか、レンタルにしてはかなりクオリティの高いものを借りられた。この時期の奄美大島と言えども、雨の中、原チャを走らせると、そこそこ寒い。私は、事前にラッシュガードを着て、その上からカッパを着た。 笠利から名瀬に戻り、そのままノンストップで古仁屋に向けて南下を開始した。雨はどんどん強くなるし、南下するにつれ、風が強くなってきた。雨の日のバイクでは、案外、この長いトンネルはいいかも知れない。トンネルが長い程、カッパに着いた水滴が飛んでいく。おかげで結構な雨だったが、カッパ内の服は濡れることはなかった。普段なら中も濡れていたはず。 古仁屋に着いてびっくりしたのは、台風並みの風雨だった。バイクで走っていると、風が強い、といった具合しか分からなかったが、ここまでの状況だったとは・・・。我ながらこの悪天候の中、よく名瀬から古仁屋まで原チャで走った、と感心した。 ホテルにチェックインして、風呂に浸かって身体を温め、雨が上がるのを待ったが一向に上がらない。天気予報ではよくなる方向と言っているのに…。18時を過ぎて、まだ風が強く、霧雨だったが、傘を差して街に繰り出すことにした。 古仁屋の市街地は歩いて十分回れる程小ぢんまりしているが、それにしては、居酒屋、食堂、小料理屋、スナックの数が多い。店が存在するということは需要があるということになるが、観光客も多くいる訳でないので、となると、古仁屋の人は外食が好きってことか?もしくは、それ程、娯楽がないからだろうか?私は、まず最初にホテル近くの居酒屋「美喜」に向かった。
次は居酒屋「千両」に行ってみた。店はその名の通り居酒屋。一般的な居酒屋メニューが中心。ここまで来て居酒屋メニューは食べたくないし。ここも入口すぐにカウンターで、奥に座敷席が並ぶ間取り。こういった空間の店が奄美大島には多かったように思う。この配置は、座敷がありながらもカウンターとの距離があり、ある意味隔離されているので、カウンター好きの私としては居心地はよかった。 正直、ここでは食べたいものがなかった。仕方なしにシメサバを頼んだが、まだ凍ってるやん。マスターも正直にこれは業者から買っている、と。ここのマスターは憎めない性格をしていた。メニューのことを色々包み隠さず教えてくれた。私よりも年下と思う。観光客と分かった私に色々気を遣ってくれ、古仁屋のスナック情報も頂いた。 スナックに行く前に、「神鷹」に寄ってみた。古仁屋で鶏飯が食べられるなら何軒かしかなく、そのうちの一つがここである。てっきり鶏飯がある食堂っぽい居酒屋かな、と思ったらちゃんこ鍋屋である。力士の写真も掲げられ、店内には相撲甚句が流れていた。この雰囲気を見て、私は、ふと、店名を見返して、ひょっとしたら、これ、しこ名?と思い、携帯電話で神鷹を検索してみた。 神鷹は古仁屋出身の力士で最高位が幕下。やっぱり、そうか。引退後は、地元に戻ってちゃんこ鍋屋を開いたのだろう。力士としては大成しなかったが、今では、観光バスが止まるような立派な店の店主となっている。人生、分からんもんやな。鶏飯も美味しかった。今度機会があれば、鶏飯のちゃんこのを食べてみたい。
ここでママの同級生が昔の奄美大島の生活を絵にしたカレンダーと出会った。写真ではなく絵にしているところが面白く、非常によく描けている。月が終われば、絵の部分を切り取るとポスターにもなるし、非常にいいと思う。私は、江戸で紹介する、と伝え、在庫になっていた最後の一部を購入した。 妹さんは、お通しとグラスが空になると黒糖焼酎の水割を作ってくれ、結局、店には0時近くまでいた。で、会計は2,000円。もっと取ってよいよ。この値段は江戸ならチャージやで。ただ、地元の人が気軽に来られるとなると、この価格設定は妥当なのかもしれない。 今回の旅の一つの目的である古仁屋での飲み歩き任務は無事完了した。天気が良ければもっと良かったのだが、色んなタイプの店と出会い、人と話せて満足満足。 |
☆デイゴの花 in 諸鈍(加計呂麻島)
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☆On the load from Koniya to Kakeroma
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