国際化

「これからの国際社会に向けて。」

といったコメントをよく耳にする。現在、日本では欧米の文化が溶け込み、日本の若者の中にはすっかりその虜になっている連中が多い。無意味な横文字が氾濫し、横文字のアーチストが辞書で調べた歌詞で人の心を魅了している。外資系産業も今やfast food店に代表されるように日本に定着し、「国際化」という言葉が日常茶飯事になっている。

私はロスの日本人街Little Tokyoを歩いていて、定年後の年配層が集まっての井戸端会議を何度か見かけたが、彼らの心にはいつまでも日本が存在し、日本が根づいているような気がした。そうやって集まって楽しそうに話している光景は、日本の公園と全く代わりなく、海外にいても同じ光景を目撃できるのは、

「やっぱり、彼らにも同じ日本人の血が流れてるんやな。」

と改めて感じた。彼らの日本への想いは、アメリカに留学してだらだらと時を過ごし、日本と同じことを繰り返している坊ちゃん、お嬢ちゃん達が、

「日本に帰りたい。」

と口にする心境とは全く違うものであろう。

私自身、日本を恋しいとは思わず、住みたいとも思わない。それは、日本が嫌いな訳ではなく、逆に日本人であることを改めて誇りに感じている。日本食は自分で作れ、日本人が行くようなところには必ず日本料理屋がある。世界中どこでも日本人がいるこの時勢では、日本食ということに関しては別に海外でも困らない。これだけ情報が発達すると、日本にいなくても日本の情報はすぐに手に入る。ただ、私自身日本のことは常に意識しており、日本人である私は自ら国籍を変えない限りどうやっても変えようがなく、嫌でも自分自身に日本が付いてくるので意識せざるを得ない。自分の中にはすっかり日本が溶け込んで、今の私にはある程度日本でしたいことはやったという充実感もある。

改めて「国際化」を考えた時に、我々日本人にとって「国際化」とは決して欧米を中心とした海外を真似ることではない。私の意味する「国際化」とは、庶民レベルで肌で「世界」を感じて、そして改めて「世界」を意識することであって、それは海外旅行に行くとか、海外で生活するということでもない。「世界」を肌で感じるためには、その比較対照となる自国のことを分かっていなければ意味がない。その肝心な事柄が軽視されがちであり、ほとんどの人々はそのことを分かっていない。海外に憧れる前に、もっともっと自分達の国のことに興味を持って欲しい。日本をもっと肌で感じて欲しい。もちろん、その事は私自身にも言える。日本にいるからと言って、ちんたら時間を無駄にしていれば意味がない。日本にいなくても、常に自分の中に日本というものがあったらそれで可能になる。

このLittle Tokyoで日系の人々と接して、私は改めて「日本」を感じた。海外の日本人町って、ある意味邦人にとって「日本」を感じるところなのかもしれない。

 

 

日本のことを知らない自分に気づく

世界を旅して一番感じることは、いかに自分自身が日本のことを知らないかということである。「灯台下暗し」とはまさにこのことである。当然、海外にいても日本人とばかりいるとそうは思わない。短期のミーハー旅行は、逆に本人を日本から遠ざける結果をもたらすことがある。私の場合は、海外では日本人と接する機会がそれほど多くなかったのでラッキーだった。それと、ヒッチの旅は日本を知るのに最高だった。

私が他のバックパッカーと違って、海外の旅の後にいつも日本を旅していたのにはこういった背景があった。礼文の民宿では、日本各地から来る様々なお客さんと接する機会が得られる。実際の仕事の最中は、お客さんへのもてなしを念頭において必死だったが、仕事後のお客さんとの団らん、宴会は非常にためになった。当然、腹の立つお客さんもいたが、いつの頃からか、

「こういう人間もいるんやな。」

と思うようになった。

日本は歴史がある分、各地で独特の文化がある。原チャリで日本縦断をしている時は、その変化がよく分かった。箱根を越えると人も言葉も雰囲気もガラッと変わった。青森の津軽と下北では、やはり言葉も人も違った。能登半島を走っている時は、

「こんなところにも生活があるのか。」

と感心した。山陰を走っている時は、「山の陰」というこの地名の呼び方の失礼さを感じ、逆に「太陽のあたる地方」という意味の「山陽」は、「山陰」に対して失礼だとも思った。山陰は非常に奥深い。鳥取にあんなにも温泉がったとは。隠岐も島前、島後と両方に行ってみたが、趣きがあって歴史が感じられた。島根があんなに見所があるとは。出雲大社もよかったし、出雲のそばもうまかった。島根ワイナリーは試飲がし放題だった。津和野は人工的に作られたって感じだったが悪くない。

九州も最高だ。屋久島と種子島は、隣り合わせなのに全く雰囲気の違うところ。長崎の壱岐、対馬も歴史があっていい。対馬の山岳のヘアピンの連続道はライダーにはたまらない。リアス式の海岸もきれいで、韓国があんなにも近くに見えるとは思わなかった。対馬のある人は、

「日本一周と言っている連中は、必ず対馬には来ない。」

と怒っていた。長崎出島のキリスト教と仏教文化の融合は見事なもの。広島の尾道の複雑な町並みは、角度が変わると全く違う風貌をさらす。最近できた島並み海道で、今後瀬戸内諸島の生活が活性化されるであろう。四国のお遍路さんも、色々先入観とは全く違った裏事情がわかった。私はライダーのへたれ遍路だったが、歩き遍路さんには頭が上がらなかった。

日本国内での礼文での人との触れ合い、旅を通じての日本再発見は、自分の中でかなりのプラスとなっている。日本にしばらくいた後、再び海外に行くことにより海外が新鮮となり、更に日本を意識するようになる。外国の文化に触れ、外国人社会にどっぷり浸かることによって、日本を改めて見詰め直している自分に気づくのである。

ヒッチハイクはもってこいの方法だった。運転手から、日本について色々なことを聞かれる。政治、経済、歴史はもとよりスポーツ、芸能までも。諸外国のことを知るのにもいい機会だった。お互いの国の比較という点では、自国のことを知らないと話が続かない。私はいつも旅の間は小さなメモを持っている。それを使って、会話で得た新しい表現、単語をpick upしていったが、同時に日本について調べるべき事柄を常に書き留めていた。おかげで自分自身もかなり勉強になった。

外国人と話していると、日本人の愛国心の低さ、国内の知識不足を痛感する。日本は歴史がある。その分、文化、風習が複雑に絡み合い、国の重みを改めて感じる。

「僕は日本のことを全く知らないってことに気づきました。」

と何人かのバックパッカーが私に言っていた。

「その事を気づいただけでも、今回の旅はよかったんとちゃうかな。」

と私はそういった若者を励ました。私は旅を通じて物事を学ぶ姿勢をこれまで続けてきた。たとえ言葉が通じない人々が周りにいても、いつも、

「何かを感じたい。」

という衝動に駆られ、そのことをラオスで会ったアジア文化研究所の先生に言うと、

「それが旅の一番の基本です。」

と先生は言って下さった。ものを学ぶ姿勢は、人それぞれでいい悪いはない。ただ、日本を見詰め直そうと考えている連中も、日本に戻ると強いしがらみの中で自分を見失ってしまう人々が多く、結局は見えない重圧に押しつぶされて、どっぷりその空気に浸かってしまう。

「したいことはあるのですが、もうできないのです。」

と日本で再会した何人かは言っていた。

今は、海外旅行が安い時代になって、どうしても旅行会社がいい面ばかりをPRしたツアーを組んでしまう。そうするといい面ばかりしか見えないので、

「これからは海外よ。」

とあほなコメントを平気で述べる連中が増えてくる。日本は本当にすばらしい。見るところがたくさんあって、各地には昔からの伝統が今もなお残っている。方言もその一つで、食もその一つ。日本人であるはずの日本人が、日本のことを知らずに、海外にばかり目をやるのはどうも矛盾している。そして、その恥を外国の人々にさらすことになる。情けない行動だ。どうか、もう一度日本を見直してみよう。必ず新しい発見があるはず。

世界中にバックパッカーとして旅している若者が多くいるが、彼らへの注文として、「日本のことを知らない自分」を意識してもらいたい。それだけで、その旅は有意義であったと私は思う。

 

 

日本再発見

いくら日本が嫌い、日本はもういいと思っても、我々は日本で生まれて育ったので、やはり日本のことは気になるものである。日本にいると、例えば雑誌や新聞を読む時、どうしても自分の好きな分野だけ読んで、あとはお構いなしという人々がほとんどであろう。新聞で例えると、大体我々の世代が読むところは、テレビ欄、スポーツ、芸能ニュース、そしてせいぜい三面記事ぐらいである。しかし、私も海外を旅して長くなるが、海外にいる時に日本の新聞や雑誌を目にすると、感動して隅から隅まで読んでしまう。そのことは、他の日本人にも当てはまるはず。仮に、日本の情報が全くない中で、日本経済新聞を目にすると、必ずと言っていいほど普段は全く無縁の若者たちまでもそれに目を通す。つまり、日本にいる時は情報がありすぎて、どうしても自分自身でうまくそれらを扱いきれず、その結果自分の趣味の世界に走ってしまうのである。それが海外だと、それらの情報が一切遮断されるので、たまに来る情報に対してはより敏感になり、選択肢がそれしかないのでそれに走ってしまう。当然、情報を得たいという攻撃的な姿勢がその背景にあることが前提になることをここで断っておく。

この「情報・文字のトリック」に気づくと、逆にこのトリックをいいように使える。この人間の心理・習性をうまく利用すると、ある意味では新しい分野の開拓にもつながる。普段は政治・経済などの時事的なことに全く興味がない人でも、定期的にそれらに関する情報だけを目にすると、必然的にそれらに食らいついてしまう。すると、

「へえ、こんなことが起こっているのか。結構面白いな。これってどういう意味やろう。一度調べてみよう。」

といった建設的な欲望に駆られ、それが自分の新しい分野の開拓、ひょっとしたら天職との出逢いになるかもしれない。このことは、日本の再発見に通じるとも言え、日本のことをもっと知りたいと思っている人にとっては、海外でしかできない日本の再発見方法と言っても過言ではない。ただ、これを行うに当たって一番大切なことは、周りに情報が少ないってことだ。つまり、情報が周りにありすぎると、人間の性質上どうしても趣味の世界に走ってしまう。

「情報・文字のトリック」をうまく使う例としてはインターネットだ。各新聞社は、ホームページでその情報を流しているが、そのページはtopicstitleからなっている事が多い。そして、まずその見出しだけを読む。そこにはそれほど文字もない。そして、その見出しをクリックしてニュースを読む。Displayに映し出されるのは、そのニュースの文字だけである。この最小限の情報・文字を目にする行為を繰り返すだけで、情報の多さからなる重圧から逃れる事ができる。国内にいる時もそう。情報が氾濫したこの世の中からうまく情報をpick upして選択肢を狭める。特に、漫画ばかり読んで活字に慣れていない我々の世代にはもってこいの方法だと思うが。

 

 

しがらみの強い国

「大学を出て就職して数年働いた後、改めて自己を見詰め直すと、自分に何もない事に気づきました。このままでいいのか。そう考えて、思い切って会社を辞めて旅に出ることにしました。」

ラオスのルアンパパーンで会った青年は私にこう語っていた。

日本は本当にしがらみが強い国である。単民族国家がそれに拍車を掛ける。それに、他人志向型、保守的な空気が周りに充満しているので、どうしてもそれに従わざるをえない状況となる。私の学生時代の友人は、坊ちゃんとお嬢ちゃんだらけ。つまり、決まりきった事しかできない連中が多い。日本社会を支えている連中は、ほとんどこういった人々だろう。教科書がないと生きていけない。教科書通りで行くと答えが見えてくる。何でこんなつまらない事にしがみついて、生きているのか分からない。前例のある事ばかりして何が面白いのか。

日本社会では終身雇用が通常と考えられている。最近、少しはましになってきたが、保守的な社会は新しい風を嫌う傾向にある。自分の履歴に穴を空けるなんてもってのほか。仮に転職する時も、その経歴に穴を空けまいと人は必死だ。我々のような学歴のある連中ほど応用が利かない。そういった臆病な連中が優遇されるのだからこの国はどうしたものか。この強いしがらみに反して、自分のしたい事に挑戦している人々はある意味立派だ。豊かになればなるほど、人は甘やかされて育つこととなる。その風潮に抵抗して、自己を再確認するその態度には、自信を持っていい。もちろん、今までの肩書きがなくなった分、不安感が生じてくる。しかし、いくら海外で新しい事に挑戦しても、日本に帰ってしまうとその強いしがらみに負けてしまう。日本人は得てしてそういうものだ。

アジアで会った連中はそれほどでもなかったが、ワーホリや留学でNZやカナダに来ていた連中は、大体は英語力のアップが目的で、日本で積み上げた経歴に穴を空けてまでも行動に移した。この行為に対しては、

「よくがんばったな。」

と私は感心させられる。というのは、実際その本人と話すと、どこにそんな勇気があったのかと思わされてしまうからだ。保守的な社会で育った人々なので、いくら勇気を持って新しい事を始めても、結局はその目的を達成できずにいてdrop outしてしまう。まだ、日本国内で何かをやろうとする方がいいのかもしれない。海外への語学留学は、日本人には一種の拷問だ。結局、中途半端に時を過ごした連中は、日本に帰るとまたその強いしがらみに負けて、日本社会にどっぷり浸かってしまう。

「お前があの時言ってたことはどうなったの。」

と聞いてみても、

「もういいの。」

で終わりだ。

最近、過去最悪となった日本の失業率は、海外に行くといい数字だ。他の国は大体失業率10%以上はある。失業率の高い多民族国家では、もちろん上層部は保守的な風潮であり、国民性も大きく左右するが、人々は日本人よりもはるかにたくましい。個々が独自の方法で、社会で生きていこうとしている。そういった人々には「人間らしさ」を感じる。アジア諸国では、仕事も選べない国もあり、自由に発言をできないところもある。そういった社会体制で必死に何かをしようとしている若者は、非常に輝いている。日本なんて本当に恵まれている。その分、人間が臆病になっている。もっともっと自己に厳しく、ちゃんと目的を持って生きてほしい。現在の日本に欠けているものの一つ、それは「リーダーシップ」であろう。

 

 

できる人、魅力のある人

私は今まで色んな国籍の人々、色々なタイプの日本人と接してきた。おかげ自分の視野は広がり、少々変な人でも受け入れられるようになった(その前に私が変だ)。何か変なことをしている人々でも、人に迷惑を掛けていなければ許容でき、何よりも他人からの評価が気にならないようになった。「人は人、私は私」という概念が身体に定着し、日本の変なしがらみも今はなんとも思わない。

私がまだ20代前半の頃は、人から色々なことを吸収してばかりだったが、ある程度自己が形成されると、今度は人を見るようになり、逆に自分の世界でしか生きていけない人々を哀れに思ったりもする。改めて、今の自分が人間として尊敬できる人々の特徴を考えてみると、それはまず自分を持っている人である。何かの事柄に対して、ちゃんと自分の意見・考えを持っている。それは年齢問わずで、若い連中でも、

「すごい奴やな。」

と思わせられる。そして、世間で言われている「できる人」に対しても同じことが言え、そういった人々は常日頃から物事を考え、マスコミの情報に関わらず、堂々と主張している。保守的な日本ではなかかな難しいことだが、やる人はちゃんとやっている。そして、そういった人々が生き残っていく。例えば、テレビに出ているタレントもそう。一流と言われている人々は、各自が自分を持っていて、それを前面で表現している。逆に、中途半端なタレントは、テレビには出るが、仮に彼らが番組を持つことになると、それは長続きしない。こういった現象は、保守的な日本人が、いわゆる「リーダーシップ」的な人を支持している結果なのかもしれない。

私が魅力を感じる人も、自分をちゃんと持っている人である。自分をちゃんと持つためには、常日頃から物事を考え、何事に対しても情報に流されることなく、自己の認識を持つ。もちろん、他人を許容する姿勢を忘れてしまうといけないが、そういった人々は他人を認めない人が多いのは困ったものである。私は東大卒ということで、周りはその学歴でびっくりしてしまうが、学歴の高い連中が話していることなんて、単に自己に存在する知識でしかない。知っていることを話してるだけで、世間が「賢い」と思いがちの人種は、単に人よりも少し知識があるだけで、その知識は常日頃から考えるという行為の結果から身に付く。逆に、知らないことに対しては知ったかぶりはいけない。世間から優遇されればされるほど、変なプライドが形成され、今度はそのプライドによって虚の世界を作ることになる。全く困ったものである。

自己のレベルを高めると同時に、常に周りに耳を傾け新しいことを吸収する。人のいい面はちゃんと評価し、新しく得た知識により自己の否を見詰め直す。私はこういった人間に非常に魅力を感じる。

 

 

受験レベルの勉強

学校レベルの勉強、受験レベルの勉強は今思えば簡単だった。それは、答えが必ずあるからである。答えが分からなければ調べればいいし、先生に聞けばいいだけのこと。もちろん、知識の取得、問題解答能力は常日頃の努力の賜物である。ただ、人間の能力には限界があり、個人差があるので、勉強したらした分だけ伸びるという風にはいかないが。

東大院試の前、私は無茶苦茶勉強した。大学院入試は8月末であったが、研究室に入って5月からは、ほぼ毎日勉強してた。普通、院試前はどこの研究室も試験休みをもらえるが、私がいた研究室は植物を扱っていたのでそうはいかなかった。結局、院試直前まで実験を続けていた。朝9時から午後10時までは実験、それから朝2時までは院試勉強という生活を4ヶ月近く繰り返したことになり、その疲労で院試前には倒れ、院試直前は眠気と戦いながら116時間は勉強していた。

私は、他大学を受けるということで、どこまで勉強したらいいのかわからなかった。相手は東大生。賢いに決まっているので、地方大学生の私が彼らに勝つためには死にもの狂いでやるしかない。東大の院試のいい点は、それは内部生、外部生と差別なく公平に採点するところにある。試験用紙に名前は書かない。試験の2ヶ月ほど前に、私は運よく東大の授業のノートと過去問を手に入れたが、あれがなければ合格していなかっただろう。同じ分野ではあるが、先生によって授業が全く違う。ノートが手に入ってからは、それまで勉強していた内容を変えることになり、それが合格に繋がった。

手に入れた東大での授業が余りにも北大と違うことを知り、それ以降は必死だった。もちろんそれまでも必死に勉強していたが、ノートを手に入れ先が見え始めていたので、その方向性ははっきりしていた。しかし、勉強してもしてもうまく知識が入っていかない。教科が多かったのと覚えることが莫大に多かったからだ。それと、実験もしないといけなかった。私は内心無茶苦茶焦っていた。どれだけ勉強したら彼らに勝てるのだろう。

しかし、私の予想に反して周りは平然としていた。

「お前なら通る。」

と皆は励ましてくれているだけと思っていたが、あとで聞くと本当にそう思っていたらしい。だから、合格を知らせても周りは余りびびっていなかった。もちろん、うちの親はびびっていた。

必死に勉強をしていた時のある日。おやっと思ったことがあった。突然、問題が解けるようになり、なかなか頭に入らなかった知識が入っているでは。

「これはひょっとしたら。」

という気になって、試験の最中に問題を解きながら合格を確信し、最後の試験科目の時は、確か3時間の試験時間であったが、私は2時間も経たないうちにすべて解き終わり、真っ先に教室から出た。そして、面接の後合格を知らされた。

私はこの経験とこれまでの自分の受験勉強を改めて考えた時に、人間の学習能力は二段階で伸びると確信した。新しいことを学ぶとそれが身に付く。しかし、時が経つにつれて、それらが記憶から遠ざかり、その間にも新しい知識がどんどん入ってくる。知識を記録として頭の中に保持するには、忘れては覚えるといったroutineな作業を繰り返すだけで、大体の人はこの作業の辛さの途中で投げてしまい、

「俺はあほやから勉強はでけへん。」

と勘違いしてしまう。私はマラソンランナーでもあるが、マラソンで一番大事なのは根性であろう。それは学業の世界でも言えることだが、大事なのは自分との戦い。いかに根気よくやれるか。もちろん、先にも述べたが個人の能力の限界というのがあるので、浪人して時間を費やせばみんないい大学に通るという訳でもない。それは時間の過ごし方にも起因し、受験時の体調もかなり影響する。一段階目の学力の伸びは皆が簡単に経験できるが、二段階目はそうはいかない。しかし、何ごとも努力と根気。とにかく、学校、受験レベルの勉強は簡単。分からなければとことん調べて答えを探し、あとは自分が努力するだけ。世の中には答えを自分で作らないといけない分野がほとんどなのだから。

 

 

嫌われ者の特権

人間誰もが、「人からよく思われたい」と思っているはずである。しかし、嫌われ者が存在しないと世の中やっていけない。管理職的な立場になると、自ら嫌われ者を買って出て、周りに常に緊張感を持たせる。しっかりした部下なら、自分で着々と結果を残していくが、そういった人々が少ないのが日本社会の悪いところ。他人志向型、保守的な世の中で育ってきた我々は、人の指示によって動く傾向にあり、自らは何もできない。特に、我々の世代でその傾向は顕著である。

私は民宿のマネージメントをしている時は、いつも周りからは嫌われ者だった。だらけてしまう環境で、常に緊張感を保たせる。うちの親方に対してもいつも怒っていた。何よりも周りに緊張感を持たせることにより、自分自身も厳しくなれた。そして、お客さんには最高の環境を提供するように心がける。自分への評価よりも、全体としての仕事がうまく行くようにと。もちろん陰ではスタッフの精神的なケアもするが、やはり表の悪い面だけが強調されることとなる。全体がうまく行くのならそれはそれでいい。

私は人からいいイメージを持たれるのをあまり好まない。それは居心地が非常に悪いからだ。他人が私のことをどう思おうが今はあまり気にならないが、誉められるとどうもしんどい。逆に、悪く思ってくれる方が楽だ。人間の心理状態を分析すると、最初に他人に対していいイメージを持つと、付き合いが長くなるほど悪い部分が見えてくる。始めに自分を偽ると、最終的にしんどい思いをするのは本人である。この心理状態の変遷をグラフに表すと、その傾きは負となる。逆に、悪いイメージから徐々にいい面が見えてくると、最終的にその評価は絶大なものとなる。グラフでは正の傾きで、切片がプラスで傾きがマイナス、切片がマイナスで傾きがプラスの直線の交点での評価を考えると、後者の方がイメージ的にはいい。恋愛に関してもそうで、付き合いが短く、お互いの表面的な部分しか見ていないで結ばれると、今度は悪い部分だけが強調され、破局へとつながることが多い。私の前でいい子でいようとする女の子は、公共の場に出ればその本性をすぐに現す。その時点で「はい、消えた」である。

私は初対面の人の前では、失礼かもしれないが極力自分を出すようにしている。それは、人の評価は気にならないのと、その方が楽であるからだ。別にそれで嫌われてもいい。世の中全員が自分を好意に思っている訳ではなく、周りに合わしてばかりいると今度は自己を失う。悪いイメージをもたれると、「ラッキー」と思う時がたまにある。今度は自分の評価を上げることにつながる可能性があるからだ。テレビで好感度のいいタレントは大変だと思う。常にいいイメージを保たないといけない。もっと他に気を遣うことがあるのに、自己の美化で精一杯だろう。私はそんな窮屈な思いは嫌だ。いつも自然体、それが一番いい。

 

 

最低の仕事を最高にする美学

私は常日頃から「超一流」の人間を追求しているが、私が意味する「超一流」とは二つ意味があって、一つは人が期待している以上のことをすることで、それは野球界で例えるとイチロー、ソーサ、アレックス・ロドリゲスのような選手。打率もよく打点もよく、ホームランも打て走れる。ピッチャーでは、勝ち星も計算でき、その上防御率もよく、三振もとれる人。クレメンス、シュリング、ランディ・ジョンソンのような投手。もう一つの意味の「超一流」は、最低の仕事を最高にすること。つまり、人が余りやりたがらない仕事をして、人が期待している以上の結果を出す。これが、私がNZで追い求めていた「超一流」の美学で、カナダでもその事を念頭において仕事をしていた。

日本を出ると、いくら経済大国日本人でも、特殊な技術がない限り一外国人労働者に過ぎない。当然、条件のいい仕事ができるわけがない。ただ、最低の仕事をする時は、別の意味では自分の居所を作りやすい空間でもある。与えられた仕事を期待以上の結果で返すと、周りからの信頼も厚くなり、自然と自分の居場所ができてくる。それは、私の経験上おそらくどこの国籍であろうが、どこ出身であろうが関係ない。ほとんどすべての分野に当てはまるだろう。

また、日本人がいない環境、あるいは日本人に対して余り興味を示していない人たちの中では、自分次第で周りの日本人に対するイメージを変えることができる。私がNZAlexにいる時に、この事を初めて意識し、

「お前はNo.1 pickerだ。来年も来いよ。」

と言われた時はどれほど嬉しかったか。しかし、どんな時も始めは辛い。なんせ最低の仕事なのだから。要は、根性と自分を信じる根気が必要だ。そして、自分の居場所さえ作ってしまえばこっちのもん。つまり、周りは最低の目で自分のことを見ていたにもかかわらず、それでも自分の居場所ができるということは、今度は通常もしくは最高の目で見てくれることになる。仮にその段階で少しミスを起こしても、最低の自分を周りは認識してるので、そんな簡単に自分が築きあげたものは崩れない。ただ、snobbyになるのとは意味が違うが。

少し抽象的な説明になったが、この事は非常に大切なことで、どの世界にも通じるはず。恋愛に関しても同じ事。是非、皆様にも試して頂きたいと言いたいところだが、先にも述べたが、自分の居場所を見つけるにはかなりの根気が必要。それまでに諦めてしまう人々がほとんどだ。私は「超一流」の美学を既に何度か経験したので、これからも一生涯かけてさらなる洗練された美学を追い求めるであろう。この快感は止められん。でも、正直そこまで行くには辛い。

 

 

掴み取った自由、もてあそばれている自由

今の日本があるのは誰のおかげか?そう、戦後の苦しい中、アメリカの監視下で我々の親の世代が、汗水たらしてがんばった結果である。つまり、彼らは「自由」を犠牲にして「自由」を掴み取ってくれた。もちろん、今の社会に対しては批判もあるが、批判ができるぐらいの余裕を作ってくれたのも彼らのおかげだ。さあ、そしたら次は我々の番だ。「自由」を得た代わりに、「借金」と「環境破壊」という大きな問題が残った。今度はこれらの問題を解決する方向に我々ががんばって、次に世代に伝えていかないといけない。これが本当の「世代交代」である。しかし、現実の我々はと言えば。「自由」を完全に持て余して、違った方向に進んでいる人々がいる。海外で「自由」と戦っている若者の行動を「恐怖」と解釈する。全く困ったものである。

日本は本当に恵まれている。その分、私にとっては非常に住みにくい国になった。すべてが満たされると、物事の本質が分からなくなり、さらにより便利な世の中にという風潮もどうかと思う。「自由」になればなるほど、その「自由」が他の方向に使われる。それが、無差別テロであったり、無差別殺人といった最悪の結果を招くこととなる。確かに、アジア諸国は日本よりも治安が悪い。ただ、宗教が絡んだ犯罪は別として、犯罪の合理性は納得できる。生きていくために人を襲ってお金を奪おうとする。日本の場合は、むしゃくしゃして人を殺す。そして、その事件が報道されることにより、

「そうか、そういったストレス解消法があるのか。」

と最悪の解釈につながる。

ミャンマーでは言論の「自由」がない。「自由」に発言できない。政治の悪口を言っただけでも刑務所行きとなる。インドではカースト制度が残っていて、結婚も仕事も「自由」にできない。ネパールやバングラではお金がない。彼らにこの日本の「自由」な権利を少しでも分けてあげたい。「自由」に発言させてあげたいし、「自由」に恋愛させてあげたい。強いしがらみの中で、したいことがあるのに、それに反して社会に飲まれてしまうこの臆病な行動はどうか。我々にはもっともっと精神の自立が必要だ。高校卒業と同時に、タイや韓国のような兵役を行ってもいい。いや、そうすべきかもしれない。平和ボケしたこの国民性を何とかしないと、益々人間のレベルが下がっていく。

とにかく、今度は我々の番である。保守的な体勢はもう終わりにさせないと。そうでないと、益々堕落した日本人が生まれることになる。

 

 

日本の学生達に一言

「今の若い者は。」

と年配の人々はよく表現する。

「今の学生は。」

と我々の世代はよく口にする。我々が学生の時も、上の人々から見ると不甲斐なく思われていた。ただ、一概に今の学生を批判する義務は我々にはない。仮に我々が今の学生なら、同じように上の人々から批判されていたはず。流行に敏感な若い世代を商売相手として金儲けに走った大人たちが、まんまと術中にはまった若者を批判するのは筋違いである。彼らが現在の学生なら、同じような行動に出ていたであろう。

ただ、現実に目を向けると、今の学生の人間的なレベルの低下はひどいものだ。気力がなく活力もなく、若者らしくない。

「何のために彼らは学校に行っているのか。」

と外国人に批判されても仕方がない。何とかその向上に力が注げないか。彼らがこれからの日本を支えると考えるだけでぞっとする。彼らにも何かきっかけがあれば、もう少し時間を有意義に使えるはず。素直な心を持った若者も多い。どういう環境に接するかによって、彼らもまた違った生活を経験できるはず。

大学時代は、おそらく人生で一番いい時期だと思う。時間はあり、お金はないがお金を稼ぐ時間がある。脳の働きも活発で、色々な行動がすべて経験として身に付く。いいこともあれば悪いこともある。

「自分を見つめ直すために来ました。」

とロスで会った学生は言っていた。志しはいいが、宿で日本人とばかりいてはだめだ。時間が許す限り色々なアルバイトにも挑戦してほしい。やることすべてが勉強になる。学生という身分を存分に生かして、悔いがないような学生生活を送ってほしい。もちろん、本業は勉強なのでその事も忘れないで。

 

 

記録に残すこと

私がこうやって「記憶」を文字を使って、「記録」として残すようになったのは1997年から。ことのきっかけは、

「多分、お土産を買うお金が残らないから、日記を書いてそれをコピーして周りの人々に配って、私と同じように旅を味わってもらおう。」

という主旨で日記を書き始めた。国内で働いている時は日記は書かない。国内では今まで書いたこともなかった。

1998年からNZに行くようになってからは、パソコンを持っての旅が始まった。おそらく実家に電話はしないであろうと考えた私は、e-mailを使って身内に居場所を知らせようという目的からだった。そして、月ごとの近況報告もまとめ始めた。毎日つけていた日記を基に、その近況をまとめて全国のファンに送る。時々、外国人の友人にも英語で送っていた。ただ、送られた方もありがた迷惑なこともあるので、送って喜んでもらえる人々に送るようにした。

去年で皆に送る報告はもう止めようと思っていた。というのは、書くだけでかなり時間を要し、アジア諸国では何よりも書くことだけで大変だったからだ。日本語が書けるところを探さないといけないし、英語で送っていいのなら楽なのだが、英語で送ると日本人は必ず読まない。読むのを楽しみにしてくれる人が増えるほど、書く事が義務になって正直しんどくなってきた。文章に凹凸を作って、読む側のことも考えないといけないし、こうなってくると元々の主旨から離れてくる。「もう書かない」と報告したら、「止めないで」という返事を多くもらったので、また書き続けることにした。私も単純である。

私の近況報告を真似てか、海外のバックパッカーもそうだが、国内の私の知人も何か面白いことがあったらそれを報告する人が増えた。特に、アジア諸国のバックパッカーからの報告は情報交換にもなる。外国人の中でも、同じようなことをする人が増え、長い英文をたくさんもらうと、それが私の英語の勉強にもなった。

カナダに行ってからはホームページを建設し、今度はそこへの発行という作業になった。これは非常に助かった。これにより、定期的に書くという義務から解放された。好きな時に好きな事を自分のために書く。そして、読みたいと思っている人が、好きな時に私の文章を読む事ができる。書くことが人のためではなくなり、自分のためになった。書く内容も色々自分なりに趣向を凝らし、時事的なこと、実際起こったことにタイトルをつけ、その事柄について抱いている言葉、表現を文章を通じて整理していく。すると、頭の中がすっきりする。半年間のカナダ滞在時は、自分のために時間を取っていたことが多かったので、今まで漠然と考えてた事柄も文章にすることによって鮮明になった。

「記憶」を「記録」として残すこと。それは、旅のまた違った楽しみ方である。発展した情報関連技術を大いに利用すればいい。私もこれからも書き続けるであろう。今後は、もっと違った形で書いていきたい。

 

 

常識

私は今まで色々なタイプの人間と会った。イングランドの友人が一度こう言っていた。

「ロンドンにいるイングランド人と、旅しているイングランド人は全然違う人間だよ。私たちはフレンドリーかもしれないけど、ロンドンの人は暗くて不親切だよ。」

私がカナダにいる時も同じようなことを感じた。旅先で会ったカナダ人たち、バックパッカー経験者、もしくは進行中の人々と、仕事仲間とは全く人種が違った。我々バックパッカーが当たり前の行動をすると、仕事仲間は「信じられない」という態度に出る。私とデイビットは一度、冬山をスノーシューイングし、その日のhutがいっぱいだったので、二人でかまくらを作ってマイナス20の中そこで寝た。我々としては別にどうってことない。しかし、仕事仲間に言うと軽蔑された。私はバンクーバーから北極海までヒッチハイクで行った。バックパッカー仲間は、

「そうだな。BC州を抜けるだけで4日はかかるな。北極海との往復の3週間はきついかな。」

と冷静なコメントをくれたが、一般のカナダ人からは、

「行けるわけないでしょ。ばかじゃないの。」

とお叱りのコメントを頂いた。

日本国内でも同じことが言え、日本国内にどっぷり浸かっている人と海外の日本人バックパッカーは全く違った人種である。日本の「常識」と言われていることはバックパッカーにも通じるが、バックパッカーの「常識」と思われていることは一般の日本人には通じない。例えば「ドミトリー」という概念。見ず知らずの人々の相部屋は、我々にはどうってことないが、一般人には考えられないようだ。それが、男女相部屋ともなるとなお更である。ヒッチやリフトも海外では普通。だから、私がやっていることに対しても信じられないと考えている人が多いが、私にはどうってことない。

一般の日本人の考えは、あくまでも日本の「常識」と言われている範囲内でのことである。そもそも「常識」なんて、大事なのは基準の問題。基準が変わればその範囲も変わる。同じことが「障害者」という言葉にも当てはまる。例えば、「歩く」ということを「常識」と位置づけると、「歩けない」人は「障害者」と定義される。「英語ができる」を「常識」とすると、我々日本人は「障害者」である。仮に、野球選手で「イチロー」を「常識」と定義すると、他のすべての選手は「障害者」となる。私は一般に「障害者」と言われている人に対しても普通に接する。もし彼らが困っていたら、もちろん手助けする。それは、彼らが「障害者」でなく、単に困っている「一般人」であるからで、道に迷った外国人に道案内をするのと同じである。だから、彼らの対しても特別扱いはしない。それが本当の思いやりである。

「常識」なんて言葉は軽く口にするものではない。私の意味する「常識」は、あくまでもその国々の文化に乗っ取って、人に迷惑を掛けないという前提なら範囲はない。仮にイスラムの人々を夕食に招待して、彼らが豚肉料理に手を付けなかった時に、もてなした側の日本人が、

「あいつらは失礼だ。常識がない。」

と言うのなら、それは逆にこの日本人たちの「常識不足」があからさまとなり、自己の無知を公にするだけである。

一般の日本人と海外の日本人バックパッカーを形容するとしたら、前者は「現在形」、後者は「現在進行形」という言葉が一番当てはまるとであろう。

 

 

National Friendship week 国際友情週間

下記は、数ヶ月前、イングランドで学校の先生をしている私の友人マイクから送られてきたメールである。それを簡単に訳してみた。

地球の人口を住人が100人の町に例えたなら

アジア人57
ヨーロッパ人21
西洋人14人(北、南半球両方を含む)
アフリカ人8

女性52
男性48

白人以外70
白人30

クリスチャン以外70
クリスチャン30

異性愛者89
同性愛者11

6人が世界中の59%の財産を所有している(その6人全員がアメリカ人)
80人は標準以下の家に住んでいる
70人は読むことができない
50人が栄養失調で苦しんでいる

1人がこの世から去り、1人がこの世に現れる
1人が大学教育を受けている
1人がコンピューターを持っている

もし、起きた時に病気でなく元気なら
あなたはこの1週間を生きることができない何100万という人々よりも恵まれている

もし、あなたが争いの危険、監禁の孤独さ、拷問の苦痛、餓えの苦しみを経験したことがないなら
世界の5億の人々よりも進んだ生活を送っている

もし、あなたの冷蔵庫の中に食べ物があり、服を着て、屋根がある家で寝ているなら
世界中の75%の人よりも裕福である

もし、銀行、財布の中にお金があり、家のどこかのお皿の上に小銭を置いてるなら
あなたは世界の上位8%の金持ちに入るだろう

もし、両親がまだ生きていて、まだ結婚したままでいるなら
あなたがアメリカやカナダ人でも本当にまれな人である

もし、あなたがこの雑誌を読むことができるなら
二つの幸運なことを得たことになり
一つは、誰かがあなたのことを考えているということ
もう一つは、全く読むことができない世界の20億人よりも恵まれているということ

誰かが一度言っていた
去って行くものはまた戻ってくる

お金を必要としないような仕事
決して傷つかないような愛

誰も見ていないダンス
誰も聞いていない歌

天国のような生活
国際友情週間です

これをあなたが友達と思っている人々に送りましょう
これを渡して、誰かの日々を明るくしてあげましょう

もし、そうしなければ何も起こらない
これを渡して起こり得ることは
あなたのおかげで誰かが笑うかもしれないってことです

よい友情週間を、皆さん