途上国が途上国である所以

私は約1年、東南アジア、南アジアを旅したことになる。一言、アジアは最高にいい。国自体に歴史がある分奥深く、何と言っても人間臭さがいい。正直、今にでもアジア諸国に戻りたい。仮に、

「明日から君はタイに行きなさい。」

と言われたら喜んで行く。

日本、シンガポール、香港、台湾、あと韓国を除いて、アジア諸国はまだまだ発展途上の段階にある。もちろん、先進国と言われてる国々も発展途上の段階にあるが、それとはまた違う意味の発展途上である。日本を含めた先進国が、途上国に援助しているのにも関わらず、なぜ途上国が途上国のままなのか。もちろん風土的な問題もある。しかし、一番の原因はその国民性、人間性にあると私は思う。

アジアを旅してると、インド人の評判の悪さは有名であろう。私もインドにいる時は何度もインド人に騙された。と言うか、騙されなかったと思っていても、結局は騙されてることに気づかなかっただけであろう。

「どこどこの宿に行きたいが乗せてくれ。」

とリキシャーの連中に言うと、

「そこは潰れた。」

と言ってマージンが入る他の宿に連れて行こうとする。一度、なぜインド人が旅行者からいつもお金やものを騙し取ろうとするのかをあるインド人に聞いてみたことがあって、

「お前ら日本人はお金を持ってる。俺らインド人はお金がない。だから、なぜ俺らがお前らからお金をまきまげるのが悪いのか。公平じゃないか。」

とどうしようもないことを言ってきた奴がいた。

タイの北部でリス族の村を訪ねたことがあった。そこではやたら村の女性人が私に、

「結婚しよう。」

と言ってきたのにビックリしたのを覚えてる。もちろん、目的はお金だ。さらに、

「結婚してあなたは私にお金を送ってくれればいい。」

と言っていた女の子もいた。未婚の母であった女の子に至っては、

「あなたと結婚できるなら、この子はどうなってもいい。」

と信じられないコメントをしていた。その結婚を持ち掛けたのはその未婚の母のお母さんだった。何ともいい加減なおかんとばあさんだ。

継続的な金銭の援助は結局人を駄目にする。それはアングロサクソンが土地を奪った先住民にも言える。もちろん、裕福な人々が貧しい人々の周りにうろつくのもよくない。それは、

「真面目に働くよりも、こいつらからまきあげればいい。」

という発想が生まれるからだ。物乞いしてくる人々にお金を与えるのもよくない。それは、

「こうやってひもじい格好をしてると、人がお金をくれる。」

と思わせるからだ。もちろん本当に困ってる人もいて、仮に自分がその立場になったらと考えると、正直辛い。アジア諸国で物乞いしてくる連中に、仮にタバコを与えても、味を占めて次の人を見つけて同じことを繰り返す。そういった連中が多かったように思う。

日本は毎年ODAとして多額の融資をしている。しかし、その使い道は底辺まで至ってていない事もある。私が一度本気で驚いたのは、GNPアジアワースト2のネパールで、なんで政治家はあんなにも裕福な生活をし、外国車に乗っているのかである。この光景を目撃した時はびびった。この国の経済状態を考えると、あんな高級車には乗れないはず。結局は、先進国からの援助金が彼らのポケットに入ることになるのだろう。

アジア諸国を旅してて、一般に庶民は自分さえよければ周りはどうでもいいと考えてる人が多かったように思う。だから、途上国の金持ちは半端じゃなく金持ちである。インドのマハラジャなんて、お城のような家に住んでる。仮に、ODAの一貫として技術的な援助をしても、当の本人達がやる気がない。

「お金を持ってる国の人々がみんなやってくれる。」

そういった思想が芽生えてるのだろう。つまり、いくら金銭的、技術的な援助をしても、肝心の受け入れ側の体勢を改善しないことには意味がない。自分の国の発展のためには、少々辛いことでも覚悟して頑張らないと。そこで提案、一度アジア諸国からすべての先進国の人々を撤退させてはどうだろうか。もちろん観光客にもその地に行くことを禁止する。そして、本当に現地の人々にやる気を起させる。金持ちは周りのことをもっと考え、国を支えてる連中は国のために奉仕する(お金を持ってる連中が国外に逃亡したらそれまでであるが)。そうでもして、彼らの体質を変えない限り途上国の未来はない。

「民主主義社会は、頑張った奴、能力のある奴がその評価としてお金を得る。もちろん裏金で生きてる奴は別だ。お金を持ってる連中はそれなりの努力をしている。お前らはどうだ。働きもせず金を持ってる連中を騙してばかりいて。それから、お前らの国の生活はまずお前らで考えろ。俺らの援助を当てにするな。援助はあくまでも補助的なもの。いいか。」

とどこかの国で言ったことがあった。

 

 

明日を夢見る若者

アジア諸国では、様々のところで地元の人々と接してきた。庶民は英語のできない連中がほとんどだから、会話には苦労したのを覚えている。もちろん、その国にいるのだから、私自身がその国の言語ができないのが悪い。

ラオスのビエンチャンで会った青年だった。海外に行くことを夢見て一生懸命頑張っていた。

「いつかは世界を飛びまわりたい。」

ネパールでトレッキングしてた時に会った山小屋で働く少年もそうであった。ミャンマーで会った坊さんもそう。アジア諸国の人々はパスポートを取ることさえも難しい。仮に取ったとしても、他への入国はある程度身分が保障され、経済的な余裕がないとかなり厳しい。アジア諸国の庶民は海外に行くことをはるか遠い世界のことのように考えている人がほとんどであろう。外国から自国に観光客は来るが、彼らからしてみれば我々は宇宙人的存在かもしれない。

「結局はお金なんです。以前、私は政府が進める奨学制度の試験を受けました。そして見事合格したのですが、最終段階で試験の点数は悪かったのに、その親がお金を積んで政府に渡したその子が通りました。その後に最終段階まで来た我々は政府を訴えたのですが、我々の力じゃどうにもならないです。」

と先に述べたラオスの青年が言っていた。私は彼にe-mailアドレスを作って与えた。ビエンチャンにはinternet店が数箇所ある。1時間ぐらいだったか、彼を連れて最低限のパソコンの使い方、そしてメールの送受信と一通りの作業を教えた。

e-mailを通して、いつまでも自分の夢を捨てず海外を感じて欲しい。」

と私は最後に言葉を残した。

私はけな気に何かに取り込んで、もしくは何かを夢見て頑張っている人からいつもパワーをもらう。そして、何か彼らの力になりたいという欲望に駆られる。しかし、金銭的な援助は決してしない。何か形に残るものをいつも考える。一番多いのが写真。一緒に撮って送る。あと、手料理もよく御馳走する。一生懸命頑張って生きている人間は我々から何も期待しない。自分自身でできるかぎり頑張っている。その態度がまた私にパワーを与える。バヌアツのエマエ島の人々から得た言葉は最高だった。私が何かお礼をしたいと言うと、

「我々は、あなたがここに来てくれたことが何よりも嬉しい。こうやって、日本のことを色々話してくれた。我々が他の国に行くことはできないけれど、話を聞くことによってすごく勉強になるし、色々な世界があることを知ることができる。もし、あなたが我々に何かお礼をしたいと思ってくれているなら、我々が希望するのは、それはあなたにいつでもここに戻ってきて欲しいということです。それと、あなたの家族、あなたの住んでいる家の写真を下さい。あなたの両親、あなたがどんな家に住んでいるか見てみたい。それだけで十分です。」

と心のこもった言葉を私にくれた。

何かに向かって頑張ってる人は、周りから見ていても輝いている。何よりも格好いい。特に、切実な思いで必死に生きながら頑張っているアジアの若者には本当に頭があがらない。それに比べると、私なんて今でも坊ちゃんでぬるま湯に浸かったままだ。とにかく、いつもパワーをありがとう。

 

 

一概に否定できないアジア社会

際立った産業のないアジア諸国の国を支えている表向きの経済力は、先進国からの援助と観光業にある。裏で重要なのは、「ドラック」と「売春」であろう。「ドラッグ」、「売春」と聞くと、dirtyなイメージを人は持つが、それは生活に余裕がある人の考えで、実際その場で生きてる人にはそんなきれいごとは言ってられない。国にお金がない限り生活ができないのだから、外貨を入れざるを得ない。表向きはそれらを否定してるアジア諸国も実際は容認している国が多い。

東南アジア諸国の中で、シンガポール(華僑の国なので)を除いて現段階で一番発展している国はタイであろう。特別際立った産業がない東南アジア諸国にとって、先進国に追い付いていくためにはとにかく外貨をどんどん入れるしかない。そのため現地での現地通貨から外貨への再両替は非常に難しく、仮に替えられたとしてもレートは悪くなる。

タイが今のように発展した要因は3つほど挙げられる。それは、売春とドラッグ、そしてドル中心の社会から円中心に変換したことである。今ではかなり規制が厳しくなったが、1980年代に氾濫したドラッグと売春によって、外貨をどっと入れ、そしてそのターゲットを西洋人から日本人に代えた。レートが悪かった円のレートを良くして、日本、タイ間の格安チケットを航空会社と旅行会社が提携してどんどん発行し、タイに日本人社会を導入したことが大きな要因であろう。マレーシアが伸び悩みタイに抜かれたのは、おそらく宗教的にドラッグを禁止しているからだ。また、仮に他の東南アジア諸国に行くにしても、いずれにせよまずはタイに銭を落していく。タイ経由の他の東南アジア行きの便が多いのは事実で、実際その利用者も多い。たとえ、アメリカが世界のルールを作っているとしても、アジアの中心は日本であり、そのことにいち早く気づいたのがタイである。

確かに、これらに対して我々はタブー視しているが、それはあくまでも生活に余裕のある我々だから言える事である。そういう風に言えるのも、我々が生きているからである。もし生きていく事さえもできないのなら・・・。是非、その事を頭の片隅に入れておいてもらいたい。

 

 

売春とドラッグ

カンボジアの少女売春は有名である。それを目当てにプノンペンには長期滞在の人々がいる。もちろん日本人も多い、と言うか日本人の40代以上の人々がほとんどであったような気がする。私がこうやってこの情報を書く事によって、

「カンボジアでは少女売春ができる。」

と情報を流すことになり、世間の批判にもかかわらず新たに人々の足を運ばせることになる。情報提供というのも考えものである。

正直、少女売春と聞くと、世間の人は誰もいいイメージを持たない。買春しに行く人々に対してはかなりさげすんだ目で見ている。私もカンボジアを訪れる前はそうであったが、先にも述べたが際立った産業のない国ではきれいごとを言ってられない。売春をビジネスとして考えると、需要と供給が満たされて一つの商売として成功している。ただ、問題は売春婦達。仮に生活費稼ぎに主婦が売春をしてるのならまだいいが、プノンペンの売春婦達はほとんどが十代のベトナムからの女の子たち。中には小学生もいる。

身体を売ることしか教えられていない子供たちが、その仕事を辞めた後はどうやって生きていくのか。教育も受けていなく、生きていく術を知らないし、技術もない。売春婦としての人生よりも、その後の人生の方がはるかに長い。20歳を越えると彼女達は大抵売春宿から捨てられる。ベトナムでは、ホンダガールと言って、ホンダのカブに乗った売春婦が多くいるが、ひょっとしたら彼女達はカンボジアからの売春婦なのかもしれない。そこで、私からの提案。ODAの一貫として、売春宿から捨てられた彼女達に教育を受けさせて欲しい。人間誰でも言いたくない過去や過去に犯した過ちを持ってるもの。彼女達が売春婦として働いた時期を過去として思えるように、彼女達に生きていく術を身につけてもらいたい。

バンコクのパッポンやナナに行くと、どこの飲み屋も売春が絡んでる。店の女の子は我々に連れ出すように迫ってくる。店側にはその連れ出しのための料金が入ってくるので、更に薦める。マッサージをして欲しいだけなのに、マッサージ屋の女の子達も売春を迫る。床屋もそう。タイ北部チェンライでも、売春宿を目撃し、彼女達はミャンマーから連れて来られる。インドでもラオスでも、アジア諸国で売春がない国はないと思う。私がこうやって書く事による情報提供がより拍車をかける。事実を伝えるってのも難しい。

一方、ドラッグも大事な裏の産業。イスラム圏では規制がかなり厳しく、タイも今は厳しくなってるが、それ以外の国は一応は規制しているが、実際は野放し状態だ。アジアを旅してドロップアウトしてる日本人をよく見かける。それは単に目的を失っただけな人々と、ドラッグにはまった人々の二つに分かれる。インドのある町では、朝からガンジャでらりってる日本人連中を多く見掛けた。ある外国人旅行者は、

「日本人はおとなしいと聞いていたが、あいつらは何だ。毎日あの状態でいかれている。俺はあそこには怖くていられなかった。すぐに出たよ。」

と言っていた。

アジアのバックパッカーの多くは、商店街を歩いてると、

「葉っぱ、葉っぱ。」

と声をかけてきた現地人を見かけたと思う。そして、旅行者は平気でどこでも吸っている。レストランで堂々と吸っている人もいて、別にそれがどうってことなく日常である。逆に、微量の大麻保持で捕まる日本が最近は特に不思議に思う。私は、自己規制ができる強い意志を持つ人間なら、人に迷惑かけなければドラッグはいいと思う。海外で何人かでお酒を飲んでいる時に、突然誰かがポケットから葉っぱを取り出し、紙でそれを巻き始めて火をつける。ヒッチしていてもそうだ。突然、吸い出す人もいる。

カナダのBC州は大麻産業で有名。BC州の大麻は質はかなりよく、温室を使って闇で大麻を育てている人々は多くいて、警察ももちろん承知だが止めようがない。オランダでは大麻は許されている。大麻のための喫茶店があるぐらいで、その喫茶店に行くとカナダBC州産のは値が張るという。一度、旅で会ったオランダ人にオランダにおける大麻による被害について聞いてみたことがあった。すると、

「大麻による問題は聞いたことがないな。それよりも、お酒に酔って暴れて警察沙汰になる方が圧倒的に多いね。結局は何でも禁止しちゃうとそれを破ろうとする欲望に人は駆られると思うよ。だから、日本も認めればいいのに。全然問題ないよ。」

と言ってくれたことがあった。

南太平洋諸国では、その伝統的な飲み物「カバ」がある。カバは一種の麻薬で飲むと覚醒作用を起す。しかし、列記とした飲み物で国の習慣である。私がバヌアツにいる時も、何度もカバを飲んだが、その効用はお酒以上だ。いきなり、くらっときてそれからは意識がなくなり歩けなくなる。村の人々は毎日飲んでて、首都のポートヴィラではカババーというカバ専用の飲み屋がある。

「ドラッグ」と言われタブー視されてるものは、結局はそれによる自己コントロールをできない人々を守るためであろう。自己管理できない人をそれによるドロップアウトから守るために法という手段を使う。それなら、アルコールも禁止すべきだ。アルコールによる中毒症、依存症の人々がどんなにいるか。それとタバコも。喫煙を自己管理できなくガンになる人がどれほどいるか。何よりもタバコを吸わない周りの人々へかなり影響しているはず。未成年者をそれらから守るためなら特にそうすべきだ。

結局、人間の欲望を規制するのはよくない。もちろん周りに迷惑をかけるのはもっとよくない。欲望を許容し、個々に対して自己管理能力を植え付け、それを育成させる。そして、人間としての自立性を促す。私はそっちの方がよっぽどいいと思う。日本国憲法で色々な自由が認められてる。それが民主主義、自由主義だ。ミュージシャンが大麻でよく捕まる。欲求不満でいらいらが募り、何か罪を犯しそうになる自分を大麻を吸うことによって、自分自身で自分を落ち着かせて、公における犯罪を未然に防ぐ。何よりも気分転換のためであろう。別に悪いことでもない。逆に、欲求不満のまま犯罪に走り、人々に迷惑をかける方がよっぽど悪い。ここ最近凶悪な無差別犯罪が多発してるが、仮にドラッグという選択肢があったら、容疑者の自己破滅は個人の責任問題として、意味もなく殺害された多くの人々を救えたはず。なぜドラッグだけがタブー視されるのか。悪い面ばかりではないはず。

 

 

マラリア

世界には様々の風土病がある。初めてアジア諸国を旅するバックパッカーは、その予防接種に悩むはずだ。細菌性の下痢、コレラ、赤痢、デング熱、破傷風、狂犬病、肝炎、マラリアと聞くだけでもぞっとするような病気が熱帯諸国ではまだまだ存在する。これらの風土病が途上国の発展を抑制しているのも事実だ。これらの中で、私が思うに、最も注意すべき病気は、破傷風、狂犬病、マラリアであろう。

破傷風は傷口から菌が入ってそこから腐り始める。日本人は小学校時に予防接種したはず。しかし、むやみやたらと裸足で歩かない方がいい。狂犬病は、狂犬病に侵された動物から人間に感染する。犬からだけと思ったら大きな間違いで、他の哺乳類からも感染する。アジア諸国では、「street dog」と言われる町を歩きまわる野良犬が多い。むやみやたらと犬を見ると触りたがる連中もいるが、考えて見ると非常に恐ろしい行為だ。彼らは昼の暑い間はぐたっとへたっているが、夜になると元気になる。もちろん、昼間から動き回っているのもいる。目が真っ赤で舌をだらっと垂らした狂犬病に冒された犬をたまに見かけるが、狂犬病末期の犬は見境なく人の足に噛み付くことがある。一旦、狂犬病にかかってしまったら発病までに月日を費やすので、噛まれた段階ではどうしようもない。いざ発病するともう手後れで死んでしまう。動物の唾液中の狂犬病ウイルスは、噛まれたことによって人間に感染する。狂犬病は狂水病とも呼ばれ、いざ発病すると水をおびえる。だから、狂犬病にかかってる野良犬に水をかけると、おびえて逃げていく。仮に犬に噛まれたら、医者は、

「噛んだ犬を連れて来い。」

と言うしかない。発病するまでに月日を要するのだから。

世間では、エイズ、ガンなど致命的な病気に関心が持たれているが、私は今の世の中で一番怖い病気はマラリアであると思う。エイズは自ら防ぐことはできる。ガンにかかるのは遺伝的なものもあるが、日常生活もかなり大きく作用し、早期発見(これがかなり難しいらしい)によって治療ができる。マラリアの感染は防ぐこともできるが、マラリア多発地帯では非常に大変だ。もちろん、薬を飲むことで防ぐことができるが、その副作用も考えないといけない。

マラリアは蚊を媒介して感染するが、その張本人ハマダラ蚊のめすは、卵を産む時期になると人間の血を必要とする。ハマダラ蚊はお尻を上げて立つのがポイントらしい。蚊は特にきれいな水に卵を産む。雨季には要注意だ。年間何人の人々がマラリアに感染し命を落していくだろうか。特に、熱帯性マラリアはすぐに治療しないと命に関わる。高熱、嘔吐、下痢、寒気がその症状で、もしその疑いがあるなら、すぐに現地で治療するに越したことはない。

マラリアは防ぎ用はある。蚊取線香(金鳥がおすすめ)、スプレーを有効に使って、夜は白っぽい服、靴下を履き、できるだけ肌を露出させない。蚊は人間の弱点である足首を基本的に攻撃してくる。黒っぽい色には寄るらしいが、白には寄らないみたいだ。ただ、黄色は虫を誘引する色なので避けた方がいい。ビールも飲まない。蚊は炭酸ガスに寄ってくる。寝る時は、蚊取線香を炊くか、一番いいのは蚊帳だ。

私はバヌアツの首都ポートヴィラにいる時に、テントを張らしてもらった宿の人に、

local villageに行く前に、医者に行っておいで。マラリアを考えないといけないから。」

と言われ、医者に行ったことがある。その時に2種類の薬をもらい、一つは毎日飲んで、もう一つは週に一度飲むように言われた。結局、2日で飲むのを止めたが、飲み続ける副作用もあると医者は言っていた。バヌアツのどこの学校でもマラリアの教育が行われてる。私がいた時には、トンゴア島の病院に青年海外協力隊のマラリアセクションで働く看護婦がいたぐらいだ。医学的なはっきりした証拠はないが、バヌアツのlocal villageの人々は彼らの伝統的な飲み物であるカバがマラリアに抵抗性があると信じている。実際、そういった話を聞いたこともある。

とにかく、マラリアは非常に恐ろしい病気。その多発地帯に足を運ぶ人々は、その事を肝に銘じておくように。

 

 

宗教によって支配された国々

「私たちはイエスの教えを知ってから争いをしなくなりました。それまでは人を殺し食べてました。イエスの教えは素晴らしいです。しかし、同じクリスチャンというのに、なぜアメリカ人は銃を持って平気で人を殺すのですか。日本にも原爆を落して、多くの罪のない日本人を殺した。我々から考えると信じられない行動です。我々はアメリカ人が大嫌いです。」

とバヌアツである人が私に語ってくれた。

タイは仏教徒の国。町中では橙色の袈裟を着た坊さんをよく見かける。坊さんは女性との接触を禁じられている。その事は皆が承知で、例えばバスに坊さんが乗ってきて女性が座ってる座席の横に座ろうとすると、その女性はその席から立ち去る。料金を取りに来た女の乗務員は坊さんの横にいる男性を通して坊さんからお金をもらう。早朝、托鉢に来る坊さん達に庶民は嫌な顔せずに何かを御櫃の中に入れる。ワットやステゥーパでは、人は素足で参り祈り始める。ミャンマーはそれ程徹底していなかったが、タイの人々のこの徹底ぶりはただただ感心するばかり。国民に仏教というものがすっかり染み込んでいる。

バングラディッシュでは、ほぼ100%に近い人がイスラム教徒。男性は名前の始めにモハメッド、女性はモサンマッドという称号が付く。毎週金曜日には皆モスクに行く。と言っても男性だけで、女の人は家でお祈りする。イスラム教では断食もあり豚肉が食べられない。マレーシアもイスラムの国で、頭に布を巻いた女の人をよく目にする。イスラム社会ではギャンブルはタブーだが、クアラルンプールの近くにカジノがあった。しかし、行ってみるとお客さんはインド人と中国人だけだった。

元々宗教が生まれたのは、飢餓で苦しみ、災害や風土病、争いに悩まされ、その人々の拠り所のためであろう。だから、庶民の間に広まった。何か頼るものが欲しい。そんな思いを抱いている庶民に神の教えが広がる。宗教があるってのは非常に心強い。それは、何か困った時はいつも頼れるものがそばにあるからだ。私は旅をしていてそう感じた。

私は無宗教だが、初詣には神社で祈る。海外に行く前には、必ず健康を祈願しに神社に行ってお守りを買う。旅先で教会に行けば教会で祈り、お寺に行けばお寺で仏様に祈る。非常に都合のいい無宗教者である。何か悪いことがあれば、

「ちゃんとお祈りして来たのに。」

と言い訳し、いいことがあれば、

「やっぱり、祈った甲斐があったで。」

ともっともらしい理由をつけて自分で納得する。結局、私の場合そうやって神聖なところに行って祈るという行為によって、その安心感を得る。

「一応、やることはやった。」

ってところだろう。その安心感が大きな力を与えてくれるのも事実だ。

私が四国でお遍路さんをしている時に感じたのは、お遍路さんをしている人は「お遍路をしている」という行為によって見えない力を得ていることだ。そして、それが実生活の糧となる。お遍路さんをしているから健康と考えている人もいる。考えてみれば、歩いてしっかり寝てよく食べるという行動を繰り返しているのだから、運動により体内の新陳代謝が活発化し、結果的に身体が健康になるのは当たり前と言えば当たり前だ。

また、古来からある宗教はその文化も素晴らしい。宗教とその時代背景が合わさって独自の文化が生まれる。建築物、彫刻、絵画もすばらしい。インド、アグラのタージマハールの見事な線対称は何とも美しかった。ミャンマー、バガンの砂漠に広がるストゥーパの数々は見事な光景だった。タイ国内の数々のワットもきらびやかで、正直、

「この仏像はあかんやろう。」

と見るからに笑いそうなのもあったが、それはそれでタイらしい仏様だ。私は宗教に対して絶対反対者だが、古来からある伝統的で芸術性、文化性のある宗教には敬意を表してる。もちろんその宗教徒にもそうである。

しかし、新興宗教は認めない。はっきり言ってあれは詐欺だ。人々の心の隙間にうまいこと入り込んで、そして御布施として金銭のお返しをもらう。金銭贈与をした人々が、いざ我に戻るとその過ちに気づき、詐欺としてその宗教団体を訴えているのをよくニュースで目にする。今のような日本では新興宗教なんて必要ない。先にも述べたが、宗教は元々生きることに苦しみ、その人々の拠り所になるためにできたはず。今の日本なんて自由で豊かで贅沢すぎる。そんなぬるま湯の中で、頼る何かが周りにあると益々人は堕落してしまう。まずは、自分自身が強くならないと。

それと、どの宗教信者にも言いたい。人を巻き込むな。はっきり言ってこっちは迷惑だ。それに、他人に布教し過ぎると、スーパーのバーゲンセールのようにその宗教の価値が下がる。私は何度もキリスト教を布教されたことがあるが、一度あるおばあちゃんに言ったことがある。

「あなたはイエスの教えがあって私を助けたのかもしれない。イエス様は皆に平等と言いましたね。困っている人を助けると。そしたら、私はあなたからイエスの教えを押し付けられ困っているのに、なぜイエス様は私を助けてくれないのでしょうか。」

その後、おばあちゃんは黙ってしまった。

宗教は一種の娯楽だ。興味のある連中だけで信仰すればいい。宗教で人を殺し合うのは言語道断。それぞれの宗教は違ったもの。各々の人にとっていいのならそれでいい。土台が違うのだから、お互いをけなす必要もなく義務もない。宗教という存在を認めているのなら、お互いを認め合うべき。他人に迷惑はかけないで自分達の世界は自分達でのめり込めばいい。

 

 

Local food

歴史のある国を旅していて一番の楽しみは、それは食にある。そのバラエティーには本当に驚かされ、食文化の奥深さを知る。それに比べてアングロサクソンの国はつまらない。確かに、世界各地の料理が食べられるレストランはあるが、現地で食べるのに比べると論外。NZやカナダは比較的安全なので、旅行したり住むのに最高だが、いざ我に返ると食文化の貧しさで物足りなくなる。結局は自分で料理を作ることになるが、人が作ってくれる料理ほどうまいものはない。

私がバンコク滞在時は、数日間大学の先輩の浜井さん宅に泊めて頂いた。浜井さんは私に色々気を遣って下さり、よくして頂いた。

「加藤、今日何食いに行こうか?

といつも聞かれたが、

「あそこの屋台に行きましょう。」

と言うと、浜井さんはもっといいところに私を連れていこうと気を遣って下さったが、本当に私はそこで食べたかった。屋台は食の基本である。人々の生活を感じられ、何と言ってもうまい。家庭料理の醍醐味がそこにある。日本にいる時も、私はいわゆる居酒屋チェーン店、オシャレな飲み屋は嫌いだ。それよりも、個人で経営してる小さな飲み屋、有楽町のガード下のような飲み屋の方が大好きだ。宿泊先もそうで、私は基本的に日本国内旅行中はテントで寝泊まりするが、仮にどこかに泊まれと言われたら、お金があってもホテルには泊まらず民宿を選ぶ。民宿料理はその土地の温かさを感じられるからだ。

西洋人に多いのだが、例を挙げるならバンコクのカオサン通り。ここには、たくさんのレストラン兼飲み屋が並ぶが、なぜ彼らはタイに来てまでも彼らの文化を持ち込むのだろう。いわゆる西洋系のものを食べ、朝からビールを飲んで、テレビで映画やスポーツばかり見ている。カオサンの裏には屋台街があり、少し歩けばもうそこはタイ庶民の世界。そういった所には行かず、行ってもローカル料理を食べない人が多い。

Veg.の人はかなり損をしてる。各地ではうまい肉料理、魚料理があるというのに。私は基本的にどこの料理も好き。ただ、バングラデッシュ料理と、ミャンマーの脂っこいのはだめであったが、ミャンマーのモヒンガ、モンディトウはほぼ毎日食べていたぐらいだ。タイ料理、韓国料理は止められず、ベトナム料理は世界でも最高峰であろう。もちろん、インドでは毎日カレーやターリーを食べていた。チャイなんていつしか毎朝飲むのが習慣になっていた。タイやラオスのカオニャオは癖になって、今は恋しくて仕方ない。ベトナムのフォーもそう。韓国のブルコギなんて、自分で作り方をマスターし、私は韓国のコチュジャンは旅の間は必ず持っていて、切れそうになるといつもどこかで必死に探して購入する。バヌアツのジャングルにいる時は、調味料は塩とココナッツしかなかったが、ラプラプも悪くないし、私はマニヨックが大好きだった。バナナのうまさにも度肝を抜かれ、タイで食べたマンゴスチンなんて、私の中でイメージする果物としてはかなり完成度の高い素晴らしいものだ。バングラデッシュの国の果物であるジャックフルーツもうまかったな。

一度、タイから日本に帰る時にその飛行機が欠航となった時があった。もちろん、それまで安宿にしか泊まっていなかった私は、飛行機会社が用意してくれた五つ星クラスのホテルに泊まることになり、その豪華さに驚き、思わず部屋の写真を撮ってしまった。ベッドが二つあり、何よりもシャワーにお湯が出てトイレが水洗であった。私以外に同じ飛行機に乗る予定だった日本人観光客も数人同じホテルに泊まる事になったが、私の汚い格好を見て私をホテルの従業員と間違えた人もいた。彼らの中には新婚旅行の夫婦もいて、短期のミーハー旅行の人もいた。ある人は、

「このホテルはまあまあかな。昨日までいたところの方がよっぽどましだな。」

と私の前で言っていたが、この人達は今までどんなホテルに泊まっていたのだろうと疑問に思った。これ以上いいホテルがあるのか。このホテルでの食事には驚かされた。ウエイターがすべて順番に運んで来るのだ。私はそれまでインド、バングラと手で食べていたが、ここにはフォークやナイフがあった。何と言っても、自分が食べる料理を人に運んでもらうなんて申し訳なく、

「自分で取りに行くからいいよ。」

とウエイターに本気でそう言った。確かに、ここの料理自体はうまかったが、私にはいまいち物足りなかった。一緒にいた旅行者に、

「屋台のマンゴ食べたことありますか?

と聞いてみたら、

「なま物だから危ないんでしょ?だから食べなかった。」

というコメントが返ってきた。どうもその辺は情報が間違って伝わっている。

アジア諸国では生野菜は食べない方がいいが、それは生野菜が悪いのではなく、野菜を洗う水がよくないからだ。要は水。果物なんて全然問題ない。もちろん、水で洗った果物はよくないが、マンゴやマンゴスチンはちゃんと皮が付いている。それを剥いで食べれば問題ない。熱帯の果物は本当にうまい。この味を経験したことがないなんてかわいそうすぎる。

国がどのような状態になろうが食文化は不滅だ。それは、人間の営みにしっかり染み付いているからであろう。歴史のある国ほどその熟成期間は長く、その時々の風土、社会体制に合うように食文化も進化する。いやー、食は本当に素晴らしい。

 

 

貧しいのでは決してない

途上国を旅してると、「貧しさ」というものをどうしても感じざるを得ない。それは、我々がある程度豊かなので、客観的な立場で「貧しさ」というものを感じ取れるからだ。仮に、途上国で生まれそこで育って先進国の存在を知らなかったら、その「貧しさ」は当たり前となる。

私は、バヌアツのジャングルで半月を過ごした。エマエ島、トンゴア島と違った二つの島にお邪魔して、テント生活をしながら、村人達と時を過ごした。彼らは、一応は収入がある。農作物を売って、わずかながらの収入で生活している。島には雑貨屋があって、売られているものと言えば知れているが、石鹸、お米、マッチ、ケロシンといったところ。はっきり言ってお金のない世界。一度、私がテントに財布を置きっぱなしにしておいたのを、ある村人が、

「貴重品は常に持っておいた方がいい。野良豚がいつテントから何かを持ち出すか分からないから。」

と言ってくれたことがあった。彼らは私からお金を盗ろうとはしない。盗っても使い道がないことを知ってるからだ。

人は畑で農作物を作り、海で魚を獲る。野生の豚を捕まえたり、ニワトリを飼育してたまに殺して食べる。電気、ガス、水道はもちろんない。しかし、電池で動くラジオはどの村も持っている。それは、不定期な船がいつ来るかを確認するためだ。そして、各村には必ず酋長がいて、ナカマルという村の会議場で酋長を中心に男達で会議を開く。さらに、何かする時には必ず酋長の許可が要る。もちろん、バヌアツにはもっと原始的な村がたくさんあり、私からしてみればエマエやトンゴアの村人はすでに十分原始的だが、彼らがいう「ブッシュマン」は彼らでさえも会話ができない。仮にブッシュマンに遭遇したとしたら、ブッシュマンが逃げて行くか我々が捕らえられるかのどちらかだという。

私は一度酋長に聞いたことがある。

「この島に電気やガスは欲しいですか?

すると、酋長は、

「そんなのは要らない。今のままで我々は十分。」

と言っていた。確かに、バヌアツの島々はまだまだ原始社会。ものもなく近代的な技術もない。でも、人々は明るくのびのびと生きている。私はここで生活していくうちにある事に気づいた。それは、

「彼らは決して貧しいのではない。昔からある彼らの生活を守ってるだけなのだ。」

ということだ。それと同時に、

「この世界に我々は踏み込まない方がいいのかもしれない。そうっとしておいてあげるのが、我々がすべきことかもしれない。変な刺激を与えてはいけない。「知らない権利」というのも我々には必要なのかもしれない。」

とも思った。南太平洋のlocal villageはこのようなところばかり。彼らからは「貧しさ」は感じられなかった。