1010日(札幌)

「佐藤さんのお店」

さあ、札幌にバイクを取りに行く時が来た。10月初旬に、急きょネパールで知り合ったラクシミさんが京都に来ることになって、俺は京都に戻ったが、久しぶりに大阪の実家で1日のんびりできた。しかし、こっちに戻ってから風邪をひいた。北海道はもう初雪が降ったらしいが大丈夫か?

関空から約2時間後、札幌に着いた。やっぱり寒い。服を1枚着よっと。とりあえず、最終的に伊達のお父さんに会う前に、のんだくれに会いに苫小牧に行くことになっている。その前に、北大時代の友達、札幌在住の礼文のお客さんに会いに行かねば。ほんとは何百人と札幌在住のお客さんはいる。その中でも、特に親しくなった人はかなりいるのだが、今回は時間の都合上数人にする。他の人にはほんと申し訳ない。

今日は斉藤ちゃんと会う。斉藤ちゃんは教養時代の同級生で、札幌にいる時はよくツーリングに行ったり、飲んだりした。かれこれもう7年の付き合いになる。今日は松本も来てくれるみたいで、松本も教養時代の同級生だ。松本とは3年ぶりに会う。今は結婚して、今度ガキができるらしい。この3人で佐藤さんの店に行くことになった。佐藤さんは以前魚信(北18条の居酒屋)で働いていて、斉藤ちゃんも松本も以前そこのスタッフで、店が終わると魚信のメンバーがカネサビル(北17条の飲み屋ビル)に飲みに来てて、たまに俺とそこで遭遇するという仲だ。その佐藤さんが発寒に新しい店を出したというので、それは行かなければ。早速、俺らはタクシーを飛ばして発寒に向かった。

店に着くと、いつもの佐藤さんがいる。久しぶりだ。

「おお、加藤。元気か。」

佐藤さんはすごく喜んでくれた。それに、結構サービスしてくれる。店内はカウンターがあって、座敷にテーブルが3つあって、なかなか雰囲気がいい店だ。それに、バイトの学生もよう働く。また、この店がある同じビルのスナックのホステスさんも仕事帰りに来てくれるらしい。

佐藤さんはほんと魚信のメンバーから愛されている。俺も大好きな人の1人だ。これも佐藤さんの人徳だ。今回一番残念だったのが、佐藤さんと一緒に酒が飲めなかった。やっぱり、お店を経営している上営業時間は忙しくて、それが残念だった。常連さんもいるみたいで、まずは滑り出し上々ってとこか。俺らは3人で色んな話をし、すごく懐かしかった。まあ、松本は嫁ができて少し落ち着いたかなって感じか。

やがて、店の営業時間も終了し、佐藤さんに一緒に飲もうと誘ったのだが今日はこれから予定があるらしい。仕方ない。また会いましょう。

「加藤、また札幌に来たら顔だしてくれよ。」

佐藤さんとお別れをして、俺らは北18条に戻った。次はつくしだ。ママに会いに行かなければ。しかし、満員だ。また別の日にしよう。

それから、ばっぷで少し飲んで、その後松本は帰って、俺は今日斉藤ちゃんの家に泊めてもらうことにした。斉藤ちゃんと同じ教養時代の友達のことについて少し話した。その友達は今プライベートなことで悩んでいる。俺らは友達として何とかしてやりたい。しかし、今日は疲れた。体調がまだよくないな。

1011日(札幌)

「お嬢様宅訪問」

起きたら昼の12時。結局、昨日は3人で焼酎5本あけた。ちょっと飲み過ぎか。今日は昼からお嬢様宅に行くことになっている。その前に俺の愛車「島抜け号」に再会せねば。果たして、無事動くか。

斉藤ちゃんとはまた来週会おうということになって、徳さんの家に向かった。俺の島抜け号は徳さんの家のガレージに置かせてもらっている。徳田家に着くとお母さんはいたが、徳さんは留守だった。とりあえず、徳さんとは明日会うつもりなので、バイクだけ持っていくことにした。おお、久しぶりの感触だ。しかし、寒すぎる。

それにしても、お嬢様宅がある銭函までの道のりはあまりにも寒すぎる。俺は鼻水垂れ流し状態。頼むからはよ着け。

それから、約40分ぐらいか。いつもならこんなにかからんのに、さすが原チャだ。ようやく銭函に着いた。早速、銭函駅からお嬢様宅に向かい、途中でお嬢様と妹とワン公に会った。妹とは初めて会ったが、なかなかかわいい子だ。それから、家にお邪魔するとおかんが俺を出迎えてくれた。おかんとは以前二度ほど会ったことがあるが、なかなか元気そうなおかんだ。おかんは俺のためにお寿司を取ってくれた。申し訳ない。これがまたうまい。どうもご馳走様。それにしても、ワン公が俺の周りをうろうろしやがる。おい、ワン公。落ちつけ。

お嬢様は今年と4年前に礼文に来てくれたお客さんで、斉藤ちゃんや松本と同じ北大の教養時代の仲間だ。だから、お嬢様とももう7年の付き合いになる。俺が初めてお嬢様と会った時はびっくりした。

「うあ、お嬢様や。俺とは全然人種の違う人間や。」

お嬢様は女子中、女子高出身で、俺を色に例えて黒としたらお嬢様は透明って感じだった。悪く言えば世間知らず、良く言えば純粋な子やと思った。

俺は教養の時はなんでかあまりクラスメイトとは関わりたくなかったので、いまだに付き合いのあるクラスメイトは数人だ。部活が生活の大半を占めていて、部活関係の友達との付き合いが大半やった。だから、始めはお嬢様とも学校で顔を合わす程度やった。なんせ俺とは違う人種と思っていた。それがいつの頃からか、お嬢様がだんだん俺の間にとけ込んできているのに気づいた。どういう風な接し方をしたかは覚えてないが、たぶん他の人と同じような接し方だ。

「えー、なんで俺なんかに。人種が違うやろう。」

といつも思っていた。しかし、お嬢様は俺の話を聞いて自分にないものをどんどん吸収していってくれているような気がして、もし俺が話をするそんなたわいもないことがお嬢様の人生の中でプラスになると思うと、俺は時々お嬢様のために時間を取ってあげたりした。

それから、お互い札幌を離れ、俺は東大に生活の場を移し、お嬢様は就職して社会人になり、M1の秋ぐらいに東京で会って、M2 の冬に札幌で会って、そして今年の夏に礼文で会ってびっくりした。社会人になって責任感が出てきたのか、お父さんが亡くなって自分がしっかりせなと思ったのか、すごくたくましくなっている。昔のあの透明感はなく、すごくしっかりしている。お嬢様は今年礼文から帰った後に俺に手紙をくれ、その中で今の自分があるのは俺のおかげと書いてあったが、決して俺のおかげではなくお嬢様自身の努力だ。俺はお嬢様に選択肢をいくつか教えただけで、それを生かしたのはお嬢様自身だ。それを忘れないで欲しい。

それから、小雨の中お嬢様宅を出て札幌に戻った。今日は夜7時からなんかんで農化の連中と会う。正直、体調が良くない。でも、みんなが待っている。

やがて、小雨の中をつき走り、なんかんに着くとマスターとママがいつも通り俺を迎えてくれた。今日は佐藤、あやちゃん、徳さん、かん吉、植野が来てくれた。みんなに会うとホッとする。ほんとに我を忘れる。北大農化の連中は俺が今一番大切にしている連中だ。しかし、東南アジアに行って思ったのだが、居心地のいいところにはすごくいやすいし安心できるが、新たに新しい空間で自分の場を築き上げ、仲間を作っていくパイオニアスピリッツを忘れつつあった。新しく色んなことをしていくのは確かにつらいが、結果的に築き上げたものが自分の財産になる喜びを味わってしまうとやめられん。特に、それが日本と土台の違う異国の地なら喜びもなおさらだ。だから、俺は今までの自分の居場所はそれはそれとし、新しい空間を築き上げることに自分を注ごうと決心し、しばらくの間もう札幌に来るのはよそう。札幌に来ると居心地が良すぎて自分に甘えてしまう。

「まだまだ俺はこんなんで満足してる人間やないで。」

なんか忘れかけていたハングリー精神を取り戻したような気がする。だから、東京で何もないゼロからの生活を始めた。しかし、札幌や礼文で築き上げてきたものは俺の財産なので、みんなとの連絡はこれからも取っていきたい。

1012日(富良野)

「麓郷の藤林商店」

昨日は朝3時まで飲んでた。連ちゃんで飲み過ぎや。今日は植野と徳さんとあやちゃんとドライブに行く日だ。朝8時ぐらいに植野からモーニングコールが鳴った。なんで植野やねん。今日のドライブの行き先は俺の希望で富良野にしてもらった。俺は北海道を離れるに当たってどうしても麓郷の藤林商店に行きたい。どうしても藤林商店の芳子おばさんに会いたい。

俺と芳子おばさんとの出会いは大学4年の時。俺は大阪の後輩数人と富良野にドライブに行き、その時藤林商店の存在を知った。そこはメロンが安く、俺らが行った時芳子おばさんが俺らの相手をしてくれた。俺はいつも通りのテンポでおばさんと話す。おばさんは温かく俺に接してくれる。俺はおばさんのその雰囲気がすごく好きになって、おばさんと一緒に写真を撮った。その時撮ったおばさんの顔がなんとも良くて、俺はどうしても直接おばさんに写真を手渡したくなった。

そして、次の年のM1の夏。礼文が終わって東京に帰る途中に富良野に寄って、おばさんに直接写真を渡した。そうすると、おばさんはすごく喜んでくれた。

実は、おばさんは一夏に何千人というお客さんの相手をするが、毎年そのうちの印象に残ったお客さん23人は覚えていて、俺らが行った年はその印象に残ったお客の1人が俺やったらしい。俺はその時、来年また来ると言ったらしく、それをおばさんは覚えていて、ちょうど今年はいつ来るのかなと思っていたところだったみたいだ。おばさんは俺が来たことにすごく感動してくれ、

「おばさんね、来年必ず東京の研究室にメロン送ってあげる。」

と言ってくれた。

そして、次の年のM2の夏のある日。朝、俺がラボに入ると俺の机に一つの箱がおいてあって、ふとその箱の宛名を見ると、なんと芳子おばさんからのメロンでは。

「うあ、芳子おばさんからや。」

俺は感動のあまり思わず叫んでしまって、ラボのみんなと感動しながらそのメロンを食った。俺はマジで感動して、どうしてももう一度芳子おばさんに会ってお礼が言いたかった。それと、M2の時の学祭で露店であげいもをやった時も藤林商店からバレイショを送ってもらった。それだけ藤林商店にはお世話になっている。

早速、俺らを乗せた植野の車は紅葉の中を富良野に向かい、麓郷の藤林商店に着いた。お店には芳子おばさんらしき人はいなかったが、店のおじさんとおばさんは俺を見ると、

「ああ、東大の。」

と俺のことを覚えていた。俺は、

「芳子おばさんは?」

と尋ねると、

「もう旭川に帰ったよ。」

と。ガーン。そうやった。芳子おばさんは忙しい夏の期間だけここに手伝いに来るんやった。あーあ、会いたかった。しかし、藤林のおじさんとおばさんには会えた。芳子おばさんにはまた会いに来よう。また富良野に来る楽しみができた。芳子おばさん、いつの日か必ずおばさんに会いに来ます。

とりあえず、俺は芳子おばさんに手紙を書いて、いつも通りみんなと記念写真を撮って帰ろうとすると、藤林のおばさんが俺らにおみやげをくれた。おいおい、それはあかんて。申し訳ない。俺らは客で、それに何も買ってへんのに。さっきはソフトクリームをくれたし。ほんと藤林に来ると店の人は温かくしてくれる。

しばらくして、皆さんにさよならを言って、帰り際におばさんから富良野の町中の小学校の近くに藤林の息子さんが寿司屋をオープンしたというのを聞いて、俺らはそこに寄ることにした。お店の名前は寿司屋トピカル。なんせ息子さんとは2年前に一目会っただけなので、なんとなくしか覚えていない。俺らが店に入ると、中で寿司を握っているのが息子さんと言えばそうかなっていう感じで、俺は半信半疑だった。それからしばらくして、藤林のおばさんがこの店に電話をかけてくれ、そこでこの人が息子さんと断定した。息子さんは俺に向かって、

「ああ、東大の。覚えてるよ。」

と言ってくれたので、

「ここの寿司おいしいね。」

と俺が言ってあげると喜んでくれた。お世辞じゃなくほんまにうまい。ネタも大きくマジでうまい。それと、息子さんは俺らにカニ汁を御馳走してくれた。それもズワイガニだ。

「今度来たら、2杯御馳走するよ。」

もう至れり尽くせりだ。たかが俺はある夏に藤林商店を訪れた1人の客にすぎないのに。人のつながりはわからんものだ。俺も礼文のお客さんを大事にせんと。

札幌に帰る途中に懐かしの長沼温泉に寄って、やがて札幌に戻ると今晩は徳さんの家で鍋が待っている。徳さんのお母さんが俺らのために食事を用意してくれている。ほんとにありがたい。札幌に来る度に徳さんのお宅にお邪魔して、なにか御馳走になっている。それも嫌な顔一つせず徳さんとお母さんは歓迎してくれる。それに、徳さんのお母さんは料理がむちゃくちゃうまい。お母さんだけではない。徳さんもかなりうまい。それと、気持ちのこもったものはなおさらうまい。温泉あがりに温かいお鍋。うーん、最高。徳さんのお母さんは、

「加藤君、いつでもいらっしゃい。」

あー、俺は幸せもんや。

1013日(札幌)

「偉いぞ、浩一」

今日は浩一に会う日だ。浩一とはかれこれ6年の付き合いになる。俺が大学2年で初めて礼文に行った時浩一と出会った。その時浩一はまだ小学生やった。その年に一緒に8時間コースを歩いたりして、すっかり俺と浩一は仲良くなった。その浩一が今や、札幌の高校2年生で来年受験を控えているのだから、俺と礼文との付き合いの長さを改めて感じる。

礼文最初の年の俺が帰る日、礼文の小学校はもう授業が始まっていたので、浩一は学校が始まる前に俺にお別れを言いに来たのだが、俺はその時大将に無理言ってバイクで島を廻っていたので、浩一とは行き違いになった。俺が宿に戻ると大将からその旨を聞き、俺はわざわざ小学校におもむき、校長先生に事情を言って授業を中断して浩一を呼び出してもらって感動のお別れをした。

それ以来俺が毎年礼文に来て俺が島を出る時、浩一はいつもめそめそする。浩一は結構情が深い子だ。それと、浩一は阪神ファンなので、俺は一度大阪から阪神の帽子を送ってあげたこともあった。勉強も教えてやったし、一緒にキャッチボールもしたし、バイクにも乗せてやったし、海峡祭りにも行ったし。浩一とは色んな思い出がある。ほんと俺の弟みたいで、浩一も俺を兄貴のように慕ってくれる。

そして、今年のお盆に浩一が礼文に帰省した時は、ほんと久しぶりに会ったのでびっくりした。背は高くなったし、かっこよくなったし、おしゃれになったし。昔の浩一の面影はなかった。その浩一が、

「加藤君と飲みたいな。」

と言ってくれた時はほんとうれしかった。それと同時に、もう浩一もそんな年になったかと思うとなぜか寂しかった。

浩一に会う前に、北大のラボに行って教授に挨拶をして、それから午後7時に新札幌駅で浩一と待ち合わせた。浩一はちょうど部活が終わって来たところだった。今日はこの前のように酒は飲まされへん。とにかく進路のことだ。

俺は礼文を出る際に浩一のおかんに頼まれている。おかんは浩一に大学に行って欲しいみたいだ。正直言って、俺は複雑な心境だ。ほんとにそう言ってもいいのか。というのは、言ったら悪いが浩一の家の家計が心配だ。お爺ちゃんが漁師、おかんがパート勤め。それに、浩一の下にまだ3人いる。もし浩一が東京の私立の大学にでも行ったら、果たして家族全員生活していけるのか。うーん、複雑な心境だ。大学に行くイコール幸せではない。そのことは俺が十分に分かっている。それと、肝心の浩一本人に大学に進学する意志があるのかどうか。このことが一番大事や。しかし、俺が島を出る時、浩一のおかんは、

「加藤君、すまんが浩一のこと頼むわ。」

と目に涙を浮かべながら俺に言った。島の人が子供の進路のことで困っているのはようわかる。俺も何度も色んな人から相談を受けた。というのは、礼文の人は元々学歴なんか関係なく、中学校もしくは高校を出たら漁師を継ぐとか、なんか資格を取って島に戻ってくるとか、役場に勤めるというような進路が当たり前だった。むしろ、大学に行くことは親不孝だった。しかし、今の子は違う。高校から札幌や旭川に行き、そうすると世間では大学入試一色だ。浩一のおかんも浩一に人並みの人生を送らせてあげたいみたいだ。家族のためにひたむきに昆布干しをし、ウニむきをするあの姿。赤の他人の俺を気遣って、ほんと世話してくれる。俺に構う暇があったらもっと身体を休めて、子供たちのために時間を取ってあげて下さい。そんなけなげに働くおかんの姿。おい、都会でちゃらちゃらしている高校生。所構わず携帯電話を使いまくる連中。自分の見てくればかり磨いて、内面が腐りきったおねえちゃん。援助交際でおやじから銭を巻き上げてる女子高生。お前らに浩一のおかんの気持ちが分かるか。

俺は浩一に率直に聞いた。すると、浩一ははっきりと俺に言った。

「俺、大学に行きたい。今の自分では今後どうしたらいいか分からない。将来自分はどうしたらいいのか、今自分が何をしたいのか。今は決められない。だから、とりあえず大学に行って勉強しながら今後のことを色々考えたい。」

偉いぞ、浩一。よし、浩一がそういう気持ちなら俺が力になってやる。

「ほんと勉強なんて気合いだ。わからんことがあったら調べればいいだけのこと。世の中には勉強よりもつらいことの方が多い。勉強してたら必ず限界を感じる。俺はもうあかん。俺は勉強にはむいてない。果たして、そのハードルをクリアできるかどうか。大事なのはそれだけや。その限界を超えるとさらに伸びる。当然、最終的には人それぞれの限界のレベルがある。それは別として、要は第一段階のハードルをクリアできるかどうか。それが大事や。」

これは俺の受験や試験勉強に対する自論だ。あと、浩一には具体的な勉強方法や参考書の選び方なども教えてあげた。俺がやってやれるのはこれぐらい。あとは浩一、お前次第やぞ。がんばれ浩一。よし、俺も浩一には負けてられん。浩一、また会おうな。

1014日(札幌)

「新たなる北大ハンドボール時代の仲間」

今日は色んな人に会う予定だ。まず、ひとみさん。ひとみさんは北大のクラーク会館の2階の「きゃら亭」でウエイトレスをしている。ひとみさんとは俺が大学4年の時、ラボのみんなとよくここを利用しているうちに仲良くなった。ひとみさんはその当時の作栄のメンバーのことを気に入ってくれて、俺らによくサービスしてくれた。それ以来、俺は札幌に来る度にここに来るようにしている。ひとみさんはほんまに親切な人だ。

久しぶりに「きゃら亭」を訪ねると、ひとみさんも喜んでくれた。今日はジャンボオムライスを頼んだ。ここの料理はマジでうまい。しかし、ジャンボの量はかなり多い。正直、俺はあの頃よりも胃袋が小さくなっているせいか、かなりつらかった。途中でやばいと思ったが全部食った。腹一杯だ。

めしの後は、ひとみさんともう1人のウエイトレスと和やかな話をし、ひとみさんは、

「ゆっくりしていきな。」

と言ってくれた。そうはしてられん。次がある。

「じゃ、ひとみさん帰ります。ニュージーランドからエアメール書きますから。」

そうすると、ひとみさんはお金を取らず、

「今日は私が御馳走してあげる。」

と言って、別れ際に俺に投げキッスをしてくれた。ひとみさんにはほんとにお世話になりっぱなしだ。ひとみさん、これからも旦那さんとお幸せに。また会いましょう。

次は大通りにある室信だ。ここにはゆかりちゃんがいる。ゆかりちゃんは4年前に礼文に来てくれて、それ以来毎年礼文に来てくれ、ここ数年ゆかりちゃんが来る時はうちが満室で他の民宿に泊まったらしいが、今年わざわざうちの民宿に挨拶に来てくれた。そこで、俺らは再会したのだが、4年前に札幌に戻ったら会おうと約束したのに俺がその約束を破ってしまって、そのことを怒られた。そこで、先月札幌で一緒に飲んで、なんとか面目がたった。今日はゆかりちゃんの職場である室信を訪ねた。早速、信金のカウンターに行くと、

「えー、札幌に来てたんだ。」

ゆかりちゃんはびっくりしていた。ゆかりちゃんに時間があるかどうか聞かれたが、今回は申し訳ない。時間がない。ゆかりちゃんも残念がっていたが、俺も残念だ。

「またいつか会おう。エアメール書くからね。」

俺はそう言って、ゆかりちゃんは俺が原チャで去っていく後ろ姿を見送ってくれた。

その後、なつかしの「奥の湯」に行って、さあラボだ。ここ最近、俺が札幌に来る度に飲み会にぶつかる。2月にクロカンで来た時は追いコン、この前の9月は院試コンパ、そして今日は新歓コンパだ。俺がラボに入った時はすでにコンパが始まっていた。うあ、ほとんど知らんメンバーや。数人しか知らん。もう作栄はいいや。今回でここに来るのは最後にしよう。

さあ、次は庄子さんだ。庄子さんは8月末に礼文に来てくれたお客さんで、礼文ももうシーズンオフに入っていて、うちのヘルパーも真紀ちゃんだけになっていて、民宿を閉める準備を始めた時ぐらいに8人の団体で来た。幹事である庄子さんに宿帳を書いてもらっていた時に、ふと住所を見ると北区麻生だったので、

「北大出身ですか?」

と俺が聞いた。実は、庄子さんを一目見た時、どっかで見たことあるなと思い、札幌から来たと聞いたので、北大ですれ違ったか何かかなと思っていた。すると、庄子さんは、

庄子さん、「商大です。」

俺、「なんか部活してました?」

庄子さん、「体育会のマネージャーです。」

俺、「えっ、何部ですか?」

庄子さん、「ハンドボールです。」

俺、「僕も1年間ハンドしてたんです。」

庄子さん、「ひょっとして加藤君じゃない。」

庄子さんに言われてびっくりした。実は、庄子さんも俺を見てどこかで見たことあるなと思っていたらしい。俺もほんまびびった。商大の連中とは仲が良かったが、マネージャーはあまり印象になかった。商大の奴と顔を合わせたのも2ヶ月に1回ぐらいだ。それに、俺は部活をやめて6年が経つ。なんせ部活をやめて礼文に来たのだから。

今年の9月に一端東京に帰って仕事してて、ある日の夜に新宿駅の構内で、

「加藤。」

と声をかけられて、ふと後ろを振り返ると、なんと北大ハンドの同期の元木(本名中川)がいるでは。元木とはほんと久しぶりで、部活をやめてからは音沙汰なしだった。ほんとここ最近ハンド時代の仲間に出くわす。偶然とは不思議なもんだ。礼文での庄子さんとの再会といい、新宿での元木といい、こういう再会は大事にしないと。

庄子さんと北24条で待ち合わせて、「大ちゃん」に行った。庄子さんには申し訳ないが、ほんと庄子さんの記憶がない。なんとなくって感じだ。でも、感覚的には1人のお客さんってわけにはいかない。俺がハンドをしていたのは1年ちょいでも、いわゆるハンドの仲間だ。庄子さんと、その後の北大、商大のハンドの連中のこととか、俺がハンドをやめた理由、庄子さんの近況、俺の今後の夢などを話した。

その後、庄子さんとはこれからも連絡を取り合おうということで別れた。やっぱり、こうやって今までの友人、新たに知り合った人々に会うと、札幌を離れるのはつらい。今の俺があるのは札幌に来たおかげだ。札幌に来なければ今の俺がない。しかし、いつまでも居心地のいい場所に居座っているわけにはいかない。しかし、みんなとはこれからもコンタクトを取っていこう。

1015日(札幌)

「数年後の約束」

明日は札幌を出る日だ。最後になんかんとつくしに行かねば。それに、斉藤ちゃんと飲まねば。とりあえず、今日は夕方までゆっくりしよう。かなり疲れがたまっている。今後のことを考えて休める時には休んでおこう。

まず始めに腹ごしらえだ。そう、「大将」の肉チャーハンを食わねば。早速、「大将」に行き、肉チャーハンを食った。うーん、うまい。それから、「Pia」に行って、なんかんに向かった。ちょうど店が開いたばっかりで、マスターだけしかいなかった。チャンス。少し話ができる。この店とはもう5年の付き合いになる。マスターもママもほんと俺によくしてくれる。いつも世話になりっぱなしだ。しばらくして、ママもやって来て、3人で1時間ぐらい話した。

「何年後かにまた来ます。」

そう言って、俺は店を出た。

次はつくしだ。ママさんとはもう7年の付き合いで、親しくなってからは6年目か。

ママ、「あら、いらっしゃい。」

俺、「ママさん、また背縮んだんちゃう。」

ママ、「あんたがでかすぎんのよ。」

いつもこんなくだらん会話をする。俺が店に行くと、きいちが来てた。きいちとは教養の時のドイツ語でクラスが一緒で、魚信のメンバーの1人だ。きいちとは4年ぶりぐらいに会う。相変わらず元気そうだ。しばらくして、斉藤ちゃんもやって来て、俺にペルーの帽子をくれた。斉藤ちゃんと飲むのももうしばらくないか。

ママさんはもう50歳で、60歳になったらこの店を辞めるらしい。その後は俺と斉藤ちゃんをかばん持ちに雇うから、それまで俺にフリーでいてくれと言ってきた。実は、ママさんも俺や斉藤ちゃんのように海外を旅したいが、1人で旅するのはやっぱりいやみたいで、俺らと一緒に行きたいらしい。俺はママさんに言った。

「もし10年後もその気持ちが変わらんかったら、東南アジアか南米に行こう。俺と斉藤ちゃんが連れて行ってあげるわ。」

斉藤ちゃんも俺に言った。

「加藤、一緒にバイクでアンデス行こうや。」

結構マジっぽい。俺も仮にツーリングの相手を選べと言われたら、間違いなく斉藤ちゃんを選ぶ。それに、何回も一緒にツーリングしてるし。

「斉藤ちゃんがドクター出て、その時にまだその気持ちがあるなら、ほんまに時間あけたるわ。」

俺はそう言ってやった。もちろん俺も本気だ。

斉藤ちゃんは俺と同じ一匹狼系だ。だから、好き嫌いが激しく、彼のことを嫌がっている人は多いかもしらん。実際、斉藤ちゃん自身が人の考えを平気であざ笑う。ただ、彼が他の人と違うところは、筋が通っているし、仲間のことを決して裏切らない。俺にもよく説教するが、他の人に言われるのとはまた違う。俺の周りでこういった人間は少ない。

「お前、友達が多いやろう。」

と俺は人によく聞かれるが、実際色んなことをしてきたせいか、色んな分野で知り合いが多いかもしらん。しかし、ほんまに友達と呼べる人間はどれだけいるか。俺自身の中でも、かなり上辺だけの付き合いの奴が多い。そいつらは平気で人のことを裏切るし、人間的にむかつく。そいつらに、

「お前これからどうすんねん。」

と聞かれても、言うだけ無駄や。お前らに俺の本音を言うのにはもったいなさすぎる。

「ふざけんじゃねぇ 勝手じゃねぇか じゃまだ そこのけ そこのけ 俺が通る人生(みち)」

お前らには長渕の詩をプレゼントしよう。

ママさんと10年後に会おうと言って店を出た。斉藤ちゃんは俺の軽装を見て、

「加藤、それじゃあかんて。」

と言って、俺にテントとシュラフを貸してくれた。

「返すんはいつでもいい。シュラフは使わんかったら捨ててくれ。」

斉藤ちゃん、お言葉に甘えて借りていきます。

明日札幌を離れようと思ったが、飲んでいる途中に苫小牧ののんだくれから連絡があり、どうやら明日はあかんみたいだ。えっ。でもよかった。とりあえず、明日まで天気みたいなので、明日原チャを苫小牧まで運ぼう。実は、どうしてもお嬢様に会いたかった。お嬢様とは9月に一緒に飲む約束をしてて、俺が連絡した時は仕事中で携帯の電源を切っていたらしく、その後会社に残って俺の連絡をずっと待っていてくれたらしい。それは申し訳ないことをした。お嬢様も忙しい人だから、時間を無駄にされた時の怒りは俺が一番よく知っている。そのことがずっと気になっていた。この前お嬢様宅を訪問して、明日もう一度会って罪滅ぼしをせんと。だから、明日原チャを運んだ後、また札幌に帰って来よう。

1016日(札幌〜苫小牧〜札幌)

9月の罪滅ぼし」

さあ、出発の日の朝。島抜け号、第2弾のスタートだ。札幌、苫小牧間からのスタートだ。荷物を積んでいざ出発。札幌駅南口、すすきの交差点で写真を撮って、まずは豊平川沿いを通って、真駒内を越えて、支笏湖へ向かった。しかし、石山まではよかった。支笏湖線に入ると、うおー。寒すぎる。なめてた。膝ががくがくしている。これはあかん。紅葉なんて言ってられん。寒すぎる。

途中、思いっきり長渕の「ふざけんじゃねぇ」を歌いながら、ようやく支笏湖に着いた。いつもはこんなに時間がかからんかったのに、さすが原チャだ。こっからは楽勝や。いや待て。結構あるやん。

結局、苫小牧高専に着いたんは12時ぐらい。でも、3時間ちょいで80kmぐらい走れたか。まあ、道内やからこのペースで来れるんやろう。早速、のんだくれと再会して、

「加藤、心配したぞ。すまん、今から学生実験で、4時から職員会議があんねん。だから、今から駅まで送っていくわ。」

まあ、俺らしいオチや。

それから、しばらく苫小牧の町中をぶらぶらして、札幌に戻った。正直、なんで戻って来なあかんねんという気持ちがあった。しかし、今日はお嬢様と会わな。それまで暇やな。よし、あやちゃんに会いに行こう。

あやちゃんは俺が札幌に来る度に、

「加藤君、泊まるとこある。うち泊まってもいいよ。」

と心配してくれる。ほんと思いやりのあるええ子や。あやちゃんも俺が大事にしている友達の1人だ。それと、あやちゃんは今年の8月末に礼文に来てくれたお客さんの1人だ。ちょうど庄子さんが来てくれた日と同じだ。その晩は、あやちゃんと夜2時頃まで飲んだ。

突然、俺はあやちゃんに電話すると、なんとあやちゃんは晩飯を用意して俺を待っていてくれた。いきなり図々しく行ったのに。それも嫌な顔を一つもせずに。申し訳ない。ほんまうれしい。あやちゃんは北大農化の仲間なので、どうしても感覚的には男友達だ。しかし、俺はあやちゃんの手料理を初めて食べたが、やっぱり女の子だ。うまい。

「あやちゃん、女の子みたいや。」

と俺が言うと、またいつものように怒られた。あやちゃんの実家は千葉なので、もし正月に東京の方で会えたら、農化の東京の連中を呼んでみんなで会おうという話をした。

それから、あやちゃんとさよならをして、札幌駅に向かった。駅に着くと西口でお嬢様が待っていた。今日は9月の罪滅ぼしだ。しかし、お嬢様は大人っぽくなった。もう1人でやっていける。俺の支えなど不要だ。あとは自分の納得する人生を送るだけだ。お父さんが亡くなった時はつらかったやろう。俺にいつも、パパ、パパと言ってお父さんの話をよくしていた。俺にはその時の気持ちはわからん。お嬢様は俺に、もう死ぬのは怖くないとまで言っていた。昔のお嬢様からは想像できないコメントだ。ほんまにたくましくなった。それと、ほんまにお嬢様には幸せになって欲しい。もうあんなつらい思いはして欲しくない。早くいい人を見つけて、幸せになって下さい。

1017日(苫小牧)

「再び研究者の世界」

さあ、ほんとに札幌を離れる日。俺の選択は正解だ。今日は小雨がぱらついている。昨日原チャを運んでよかった。今朝、おかんから俺のPHSに電話があって、八戸のクリスタから連絡が来たみたいだ。クリスタとはネパールのヒマラヤの山奥で知り合い、まさか今日本にいてるとは。ほんとわからんもんだ。たま美さんとも日本で再会できるとは。俺は数年後にカナダに行くつもりだが、確かクリスタはバンクーバー出身だ。まさしく神様が会わせてくれるのかもしらん。

さあ、札幌駅から苫小牧まで向かう。もう札幌はいいやと思いながら、電車の中でこの7年間の出来事を思い出していた。ほんま色々あった。今の俺があるのも京大を落ちて、北大に来たおかげだ。果たして、こっちに来てよかったのか。京大に行って人並みの人生を送った方がよかったのでは。そんなことを考えたりもした。しかし、この世の中に存在しているのは札幌で育った俺だ。それと、今の自分に対しては自信はないが、自分がやってきたことに対しては納得している。自分がこの7年間やってきたことは、誇りを持ってみんなに自慢できる。また、その過程で手に入れたかけがえのない友人は俺に一生の宝だ。しかし、また新しいことがしたい。すごく不安だ。しかし、無性にしたい。また、何もないところから少しずつ自分の空間を築き上げていくあの充実感がほしい。なんか、無性に孤独を感じた。すっごく寂しい。いつも次のステップに移る時はこの気持ちだ。いつ経験してもつらい。みんな、また会おう。ほんまにありがとう。ほんまに、ほんまに。俺は長渕の「逆流」が頭に浮かんだ。

「奴がブーツのボタンを外していようと 奴が人の生き様馬鹿にしようとも 一歩前のこの道を行かなければ だって僕は僕を失うために生きてきたんじゃない」

いずれでかい人間になって帰ってきます。

南千歳で20分待って、苫小牧で1時間待って、やっとのことで錦岡に着いた。久々の無人駅下車だ。しかし、ここから高専までは結構あるやん。

結局、1時間ぐらい歩いたか。やっと高専に着いた。早速、のんだくれの部屋に行って、のんだくれが会議の間マックを借りて俺の東南アジアの日記の清書をさせてもらった。まだ93ページ中6ページしかできてへん。今年中にはうまくいけば出版したい。しかし、少し打ち直していると、これでは人様には見せられへんことを痛感した。色々修正しながらやっているとかなり時間がかかる。1人で仕上げるつもりやったが、このままでは今年中は無理か。昨日あやちゃんが手伝ってあげるよと言ってくれたから、今回は少し手伝ってもらうか。

そうこうしているうちに、1人の学生が部屋に入ってきた。

「先生、今度の研究室発表会何やったらいいですか。」

どうやら来週、自分たちの研究室の紹介を実験のデモンストレーションを行って発表するらしい。生物学的な実験。それも、20分そこそこだ。うーん、難しい。高校生レベルで考えんと。小学生にxyを使わないで、つまり鶴亀算で方程式を解けと言っているようなものだ。とりあえず、俺が思いついたアイデアを言ってあげた。

・ラットの解剖

・人間の皮膚や髪の毛から抽出したDNAの泳動パターン

・葉から色素を抽出してクロマトで分離

・花の色素をpHによって変化させる

「お前らがどういうことをするにせよ、その実験でお前らが何を言いたいかをみんなにわからせなあかんぞ。」

とつけ加えた。

それから、のんだくれと銭湯に行って飲みに行った。のんだくれと飲むとやっぱり研究の話が中心だ。のんだくれは研究の世界に戻りたいみたいで、今のんだくれが考えている実験系を俺にどうやと聞いてくる。俺はその実験の意義を聞いたりして、しばらくは真面目な話をしていた。少しして、俺が礼文で考えついたアイデアを話した。

俺は礼文の高山植物を海岸線でもたくさん咲かせて、もっともっと島をきれいにしたい。しかし、そうなると塩害の問題がある。ある日、昆布干し場の草むしりをしている時にふと思った。この雑草から種を取って、普通の土壌と海岸で育てて、RNAを抽出して、Diffarential Display (DD) して、遺伝子をクローニングして、高山植物に原因遺伝子をぶち込まれへんかな。まあ、ありきたりのstrategy だ。高山植物に遺伝子を導入する系も考えなあかんし、時間がかかるし、失敗するかもしらん。のんだくれは結構関心して聞いていた。やっぱり、こういう話をしていると研究者の血がさわぐ。わからんことを分かっていくということはすばらしいことだ。将来、アメリカのラボに入ってドクターを取るというのも俺の選択肢の一つに入っている。やっぱり、今でも研究には未練がある。

やがて、のんだくれ家に戻ってビールを飲んでいるとビデオをつけだした。エヴァンゲリオンだ。まだアニメ見てんかい。パトレイバーの次はこれかい。なんかこのアニメを全部レンタルしてダビングして、毎日一話づつ見て、今日で20回目らしい。部屋の電気はアニメのと同じにし、この主題歌が弾きたいがために25万円のピアノを買って習いに行き、部屋で飼っているハムスターには主人公の名前を付けたとか。俺は人の趣味にけちを付けるつもりはないが、他にすることないんかい。なんでマンガ見ながらビール飲まなあかんねん。訳わからん。

途中、のんだくれが俺にぽそっと言った。

「先生をしててわかったんやが、俺にあるのは物質的な優しさや。だから、人は寄ってこない。でも、お前にあるのは精神的な優しさや。だから、お前には人が寄ってくる。でも、お前自身しんどいと思うわ。だから、お前こそ先生に向いている。でも、お前は低学年しか教えたらあかんぞ。受験生はあかん。というのは、お前の生き様を真似しようとする。それは教えたらあかんぞ」

なんか俺の心にすごく焼きついたお言葉だ。この前インドで卓司さん(北大のラボの先輩)と会って、この9月に学会で再会した時も同じようなことを言われた。

「トーマスクックのねえちゃんとお前は2日ぐらいしか会ってないのに、俺に会う度にねえちゃんはお前のことばかりを気にしている。なんか悔しいが、お前には人を引きつける能力がある。それはお前の能力だ。」

こういうふうなコメントを先輩方に頂くとすごくうれしい。

1018日(苫小牧〜伊達)

「島抜け号の生みの親」

昨晩から雨が降り続いていたが、今朝はすっかりいい天気や。神様はまだ俺の味方ですね。俺は早く走りたい気持ちでいっぱいだ。のんだくれともお別れや。ほんまに今までお世話になりました。

「今度いつお前と会って飲めるかな。」

いつか絶対会えます。その日を楽しみに待っていて下さい。

のんだくれと別れて国道36号を西へと走る。おお、海や。銭函以来の海や。まさしく長渕の「JEEP」の世界だ。

「夜明け前の湾岸道路を俺は西へと走らせ 背中に街が遠ざかり 背中に人が遠ざかり 俺の前にはただ風が吹いている」

さすがに海岸線は単調だ。風は強いし、トラックの風圧はすごい。それに寒い。はよ着かへんかな。

室蘭から国道37号に入り、ようやく伊達に着いた。結局、80kmぐらい走ったか。さあ、お父さんと再会だ。俺は北海道を出るに当たって、どうしても伊達のお父さんとお母さんに会って、バイクを見せてあげたい。そもそも、この旅行を思いついたのは礼文でお父さんに原チャをもらったからだ。それに、お父さんとお母さんが礼文を出る時に、

「絶対伊達に会いに行くからね。」

と約束して、テープで見送ってあげた。俺にとっては島の人は家族同然だ。

長和駅から少し行くと、お父さんが待っててくれた。

「お父さんからもらったバイクやで。約束通り来たで。」

お父さんは喜んでくれた。

「兄ちゃんがいいなら、いつまででもここにいてくれ。」

お父さんは俺にこう言った。お父さんは脳梗塞でもう身体の半分は動かない。車も運転できず、もう1人では何もできない。そのため、お母さんが働きに行っている間はテレビの前でボーッと座っているだけだ。俺は悩んだ。八戸ではクリスタが待っている。それに、24日までには東京に戻らなあかん。日程的には明日北海道を出な間に合わん。

「少し考えさせて。」

俺はお父さんにそう言った。

やがて、昼過ぎにお母さんが帰ってきた。

「お母さんここまで来たよ。」

お母さんも俺の原チャを見て懐かしがってくれた。お母さんは相変わらず元気もりもりだ。どうやら、お父さんのめしを作りに帰ってきたみたいだ。今日はお父さんにこれから少し付き合って欲しいと言われた。俺がお父さんを乗せて車の運転をし、お母さんが俺のバイクで会社に行く。そういうことにした。

早速、犬のリリーも車に乗せ、お父さんとルスツに向かった。昭和新山を通り過ぎ、洞爺湖に出た。おお、懐かしい。思えば大学3年の時、俺がバイクを買って初めてツーリングをしたコースが、札幌−中山峠−洞爺湖−伊達−地球岬−苫小牧−札幌だ。やがて、洞爺湖を右手に見て国道230号を北上した。また札幌方向や。この道を北上すると北大の横に出るぞ。しかし、車は楽や。

少ししてある店に着いて、俺はお父さんに言われた通り軽石をトランクに積む。これはお父さんには無理や。それから、さらに北上してある肉問屋で肉を買った。こんなとこあったんや。お父さんとこの店とは長い付き合いらしく、ここのおばちゃんとは親しそうだ。おばちゃんが、

「お兄ちゃんと話していると、このお父さんがお兄ちゃんのことを気に入っているのが分かるよ。」

と。うれしいことを言ってくれるぜ、セニョリータ。お父さんは頑固者で、礼文では良く思っていない人も多い。しかし、俺はお父さんの昔気質なところが好きで、お父さんのそういうところを大事にしてあげている。お互いいい関係だ。

それから、一度家に戻り、次は袋を積んで大滝に堆肥を取りに行った。そうか、お父さんは花壇を作りたいんや。家の庭のスペースを使って花壇を作りたいんや。家にいるとそんなことしかでけへんもんな。俺は無性に作ってあげたくなった。

その後、家に戻ると、

「兄ちゃん、缶コーヒー飲みな。」

おお、懐かしい。礼文では、港に行くと毎日缶コーヒーをくれた。感激や。

やがて、お母さんが帰ってきて3人で焼き肉を食って、その後クリスタに電話した。

俺、「ごめん、八戸には行けなくなった。」

クリスタ、「えー、そしたらいつ来れるの?」

俺、「年末か年明けに絶対会いに行く。」

クリスタ、「ほんと?」

俺、「約束する。クリスタと彼に絶対会いに行く。でも、その時は俺を泊めてくれる。」

クリスタ、「もちろん。」

俺、「これからも連絡は取り続けようね。」

よし、お父さん。明日は一緒に花壇を作ろう。原チャで八戸、東京間は諦める。仕方がない。大洗までフェリーで行くことにした。

「お父さん、俺を好きに使ってくれ。」

お父さんは喜んでいた。お母さんも、

「いつまでいてもいいよ。」

と言ってくれる。しかし、火曜日には出よう。クリスタごめんなさい。でも、絶対約束守るからね。またニュージーランド行きが延びそうやな。これからも色んな用事が入ってくるのでは。行き当たりばったりの生活では先が読めん。しかし、これがいい。これからどんなことが俺を待ちかまえているのか。ワクワクする。

1019日(伊達)

「花壇作り」

7時過ぎに、

「加藤君、めしだよ。」

お父さんの声だ。久しぶりにふとんで寝たのに寝かせてくれ。お父さんははりきっている。実は、昨日の晩飯を食いすぎて気持ち悪くてなかなか寝られへんかった。今日もお母さんは次々だしてくれる。

「食べなさい。」

朝飯を食べ終わるやいなや、

「さあ、やるか。」

お父さんははりきっている。よし、やるか。お母さんにドロドロのウインドブレーカーを借りて、あと長靴。

28cmはない?」

あるわけないか。26cmを借りた。少しきついが、やっぱり長靴を履くと俺はうきうきする。北大の時も東大の時も、畑に出る時はいつも履いてた。やっぱり、俺にはドカタスタイルが似合う。Mens Nonnoはあかんか。

お父さん、俺を好きなように使って下さい。まず、お父さんがあらかじめ買っておいた培養土を運ぶ。これが結構ある。20kgのタッパー15個ぐらいか。次に、その培養土に昨日運んできた堆肥を混ぜる。その混合した土をまたタッパーに入れて、それを重ねて来年まで置いておくみたいだ。そのタッパーのいくつかに庭に植えてある高山植物の苗を移して、この苗は来年植え替えるらしい。ちなみに、昨日運んできた軽石は今日は使わんようだ。まあ、お父さんのお好み通り働いて、

「加藤君、家の中入ろう。」

それはあかんで、お父さん。植物が根付くようにたっぷり水をあげな。俺はそーっと水をあげといた。

それからしばらくして、お客さんが来た。お母さんの身内らしく、真狩で農業をやっているみたいだ。おばさんは何十町歩という畑を持っている。おばさんは畑で採れた大根、ブロッコリー、バレイショを持ってきてくれた。みんなつやがいい。バレイショは「北あかり」という品種で、紅丸となにかとのハイブリッドらしい。煮すぎると崩れやすく、俺は初めて聞いた品種だ。ちなみに、形は男爵みたいだ。俺はおばさんの畑にすごく興味を持ち、

「いつでもいらっしゃい。」

と言ってくれた。行きてぇ。羊蹄の麓なので、やっぱり黒ボクらしい。

その後、農家の現状について色々聞いた。自由化によって値が下がり、農家は大変らしい。それに、今年はビートの値も下がったし。政府はあほや。なんで減反やねん。余剰米を全部北朝鮮にやれ。古米でも喜ぶぞ。そんな簡単にずっと水田で使ってた圃場を畑にはでけへんぞ。なんせ還元されているからな。うーん。俺は改めて考えさせられた。果たして、質が良く安全な形質転換作物が市場に出回るとこの人たちはどうなるんや。土壌浄化や資源回収のためならまだいいが。今日は俺らがやっている研究と実際の農業について改めて考えさせられた。

昼からは冬支度を手伝った。お父さんはすごく喜んでくれた。お役に立てて良かった。この時間ならまだ八戸行きには間に合うな。でも、お父さんに明日もいるよって言ったし。八戸から走りてぇ。今回は見送るか。

明日は帰ることにし、夕方真紀ちゃんに電話した。真紀ちゃんは礼文で最後まで残って働いてくれた子だ。真紀ちゃんの実家は茨城だ。よし、寂しがり屋の真紀ちゃんをびっくりさせてあげるか。大洗に行ったら会いに行こう。早速、実家に連絡するとおかんが出て、えー。今、静岡で働いているって。この前俺が手紙を書いたのは着いたらしく、喜んでくれたみたいだ。しゃあない。真紀ちゃんとは東京で会うか。礼文の夕日の写真が欲しいと言われているし、渡さなあかん。

夜、お父さんとお母さんに明日帰ることを伝えた。今日会社に電話したら、来週は絶対帰ってきてと言われた。その前に髪の毛も切らんと。こんなぼさぼさやったら外回りでけへん。それにしても、ここは居心地グッド。快適や。風呂上がりにはお母さんが枝豆とビールを用意してくれる。すっかり我が家気分だ。そういう気分にさせてくれるのは、礼文の人やからかな。

1020日(伊達〜室蘭)

「新たなる故郷、伊達市長和町」

「加藤君、今日帰るのやめな。」

またお父さんの声で起こされた。お母さんには今日ゆっくり寝ると伝えてあったのに。もうお父さん勘弁してえや。お父さんの言う通りすごい雨だ。これはまさしく暴風雨。なんかこの日の道内は大荒れらしい。俺はバングラディシュで見たスコールを思い出した。これは今日無理かも。

それから1時間ぐらいか。カラッと晴れてきた。おお、神様はまだ俺の味方ですね。しかし、風は相変わらず強い。

「加藤君、ネギ買ってきて。」

えっ、ネギ。俺が近くのスーパーから買ってくると、お父さんは料理を始めた。途中で俺が代わり、お父さんの言われる通り肉、シメジ、キノコを炒め、酒、醤油、みりん、砂糖で味付けをする。

「加藤君、もっと醤油。」

お父さん、それは濃すぎるって。

「加藤君、入れすぎた。砂糖。」

ほらみてみい。そろそろできあがりか。

「加藤君、ネギ切って。」

遅いやろう。

「加藤君、玉子といて。」

最後は玉子丼になった。

その後、俺は朝の洗いもんをし、昼頃お母さんが帰ってきて、少しすると真狩のおばさんが来た。今日は雨で農家は休み。だからオンコを持ってきてくれた。庭に植えて観賞用にする針葉樹だ。高さ11.5mのが3本ある。よし、作業服に着替えよう。長靴を履いて、丸ズコを持って穴を掘り始める。木のサンプリングは北大の時の研究テーマだ。お父さんに掘る位置を決めてもらって大きな穴を掘る。まさかこんなところで。北大時代を思い出した。穴に堆肥を入れ、よし完了。あとはたっぷり水をあげ、根付くのを待つだけ。

それが終わってからも俺はお父さんに付き合う。

「加藤君がいる間にしてもらいたいことがあるんだ。」

なんでも言ってや、俺でよけりゃ。夕方、散歩にも付き合う。お母さんに言われた用事も済まし、

「加藤君、今日帰んなくてもいいんだよ。このバイクも見納めだな。」

お父さんが俺にくれたバイク。やっぱり、別れるのはつらいな。

夕方、お母さんが帰ってきて、

「あるものでしか作ってないよ。」

気持ちのこもった晩飯だ。うまい。お母さんは俺の実家にバレイショを送ってくれたらしい。もう至れり尽くせりだ。

午後7時半。出発の時間だ。お母さんは缶コーヒーとトウキビをゆでたものをくれて、

「これから何してもいいから、身体だけは気をつけるんだよ。またいつでもおいで。」

と言ってくれた。また俺を待っていてくれるところができた。伊達市長和町。静かで、暖かくていいところだ。

「外国からエアーメール書くからね。」

「とりあえず、室蘭港に着いたら電話ちょうだい。」

はいはい、します。ほんとにありがとうございました。また絶対来ます。

さあ、室蘭を目指して国道37号を突き進む。えっ、街灯ないの。怖ぇー。トラックは通り過ぎるし、やっぱり寒い。横では上野行きの北斗星が通り過ぎる。俺も乗せてくれ。

結局、1時間ぐらい経ったか。俺の目の前に街の明かりが。

「おお、室蘭や。」

思わず叫んでしまった。あんなけ強かった風も、俺が出発するときにはやんだ。やっぱり、俺にはまだツキがあるな。やがて、国道36号に入り、少し行くと原チャ禁止ゾーンになった。のんだくれの言った通りや。聞いといてよかった。

そして、ちょうど9時に室蘭港に着いた。予定通りだ。室蘭に来るのは3回目で、ここから船に乗るのは2年ぶりだ。早速、お父さんに電話すると、やっぱり心配していた。

やがて、乗船の時間になり、お母さんにもらった缶コーヒーを飲みながらデッキから星を眺めていた。朝の天気が嘘みたいな月明かりだ。ああ、ヒマラヤの星がもう一度見てぇ。さあ、北海道ともしばらくお別れや。それにしてもこの船はでかいな。稚内、礼文間の利礼航路とはえらい違いや。札幌を出る時は少しセンチになったが、今は早く東京に戻りたい心境だ。俺自身も感心しているのだが、ここ数年気持ちの切り替えがすごく早くなっている。東京で学生と社会人を両立していたせいか。東京ではすることが山のようにあるし、こんな俺を待っていてくれる人がたくさんいる。東京から来てくれた礼文のお客さんにも会わなあかんし。やっぱり、人間目的があったり、帰る場所があるというのは強い味方だ。俺の今の生活の場は東京だ。

結局、45分遅れて、深夜0時半、出航。また来ます。

部屋に戻ると、なに。ガラガラやん。2等は大きい部屋が8部屋あって、今日は6組しかいない。1部屋貸し切りや。なんでみんな端で寝るんや。俺は真ん中で大の字になって寝るぞ。

1021日(室蘭〜鹿嶋)

「親友」

起きたり寝たりして、結局起きたのは昼の2時。しもた、腰が痛い。俺はあまり寝返りをうたんから、6時間以上寝ると床ずれを起こす。痛い。我ながらあほや。

それから、お母さんがくれたトウキビを食べる。うまい。これはマジでうまい。なんでこんなやわらかいねん。お世辞じゃなく俺が今まで食ったトウキビの中で一番うまい。でも、2本はきつすぎた。食いすぎて気分が悪い。相変わらず俺はあほや。

デッキに出ると、今日はええ天気や。正直、八戸、東京間も走りたかった。すごく楽しみにしてた。伊達のお父さん、どうしてるやろう。俺がいなくなって寂しいやろうな。朝からずっとあのソファーに座っているんやろうな。

船に乗ると富三さんのことを思い出す。富三さんは新日本海フェリーの船員で、俺が大学2年の時に舞鶴から小樽に戻るフェリーの中で知り合った。俺と松本が深夜ロビーで酒を飲んでいると、

「まだ寝ないのですか。」

と富三さんが声をかけてきて、それから3人でしばらく話しているうちに意気投合し、富三さんは新琴似に住んでいるので、今度麻生で飲もうということになった。富三さんたちの生活は20日間船に乗り続け、1週間まとめて休みを取る過酷と言えば過酷なスケジュールだ。そして、一度麻生の富三さん行きつけのスナックで一緒に飲み、それからは連絡が途絶えてしまった。

やがて、俺が北大を卒業し、札幌を離れる時の小樽から新潟に向かうフェリーのカウンターをふと見るとなんと富三さんがいるでは。先に気づいたのは俺で、

「学、お前新潟で降りずに敦賀まで残れ。新潟、敦賀間なら時間が取れるんだ。」

富三さんはそう言って、俺に特等室を用意してくれ、なんでも好きなもの食えってお食事券まで用意してくれた。ここまでしてもらったのだから、俺は敦賀まで残ることにし、夜酒を飲みながら富三さんに、

「俺、今度東大に行くことになったんですよ。」

と言うと、富三さんはすごく喜んでくれ、

「俺バカだから学みたいな友達がいてうれしいよ。」

こんなことを言ってくれたのを覚えている。ちなみに、3ヶ月ぐらい前に俺の前の東京の住所に手紙が届いたようで、富三さんはがんばっているみたいだ。こんな運命的な再会をしたんだから、富三さんとも連絡は取っていこう。

それから、風呂に入り、やがて定刻より45分遅れて大洗港に着いた。早く走りてぇ。ちょっと待て。なんでこんなに暑いねん。今日は津田の家に泊めてもらう。津田は教養の時の友達で、会うのは6年ぶりか。すげぇ楽しみや。

やがて、国道51号を鹿嶋方面へ向かう。鹿嶋までは50kmぐらいか。それにしても街灯がない。それに、結構ガスがかかってるやん。これは気をつけなあかんぞ。

それから1時間後、鹿嶋サッカースタジアムの近くのコンビニで津田に電話して、しばらく待っていると電話が鳴った。

「もしもし古市ですけど。」

おお、真紀ちゃんからや。お母さんから聞いたんやな。真紀ちゃんにも会いたかった。

「今静岡やろう。」

「うん、遊びに来て。暇なの。」

そうか、来月大阪に帰るときに寄ることにしよう。

「加藤君、相変わらず忙しそうだね。」

礼文で最後までがんばってくれた仲間だ。喜んで会いに行くよ。

しばらくすると、津田が来てくれた。懐かしい。全然変わってへんやんけ。やがて、津田の寮に着くと色々積もる話がある。津田はすごく喜んでくれた。俺も礼文で働いていて思ったが、あんな僻地に友達が来てくれるとうれしい。ちなみに、今年来てくれたのは女友達だけだ。男は薄情やな。

津田は俺のことをずっと気にかけてくれていたらしい。

「お前、噂では東大行って丸太小屋作ってテレビに出たとか、東大でついていかれへんようになって勤めだしたとか、ほんまはどうやねん。」

おいおい、誰やそんな噂流したん。俺は正直に東京に来てからのこと、今のこと、これからのことを話した。津田は感激してくれた。

「お前は前からすごい奴とは思っていた。それが今やスケールが違うな。すごいワイルドやな。ほんま尊敬する。お前は弱音や悩み事って絶対人には言わんけど、もし困ったことがあったら俺を頼れ。俺を頼ってほしい。それが金が足らんとかしょうもないことやったら、俺や松彦(斉藤ちゃん)がいくらでも貸したる。でも、お前は受け取らんやろう。そしたら思いっきり利子付けて返してくれ。遊びで金使うぐらいやったらお前に貸した方がましや。みんなしたいけどでけへんのや、そういうことは。」

俺は涙が出そうになった。茶化しじゃなく、真剣に言ってくれている。ほんまにうれしかった。ますますファイトがでてきた。そうか、こいつらのためにもなるんか。

その後、津田の近況とかも聞いた。あいつの父親は大阪で1人でいるので、津田自身心配で仕方ないらしい。津田もしたいことはあるらしいが、親父のことを考えるとあまり無理はでけへんみたいだ。そうやな。俺がこうやって好き勝手できるのも両親が元気やからな。

それから、津田と一つ約束をした。

「加藤、大型取って、俺とお前と松彦でハーレでアメリカ横断しようぜ。」

俺も大型と大型二種は欲しいと思っていた。よし、日本出る前に取るか。津田昌也。俺の中で1人の友達がまた1人親友になった。

1022日(鹿嶋〜東京)

「久しぶりの花の都大東京」

さあ、東京に戻る日だ。20日ぶりぐらいか。津田とは絶対大型を取ろうと言って別れた。

帰る前に鹿嶋サッカースタジアムでも見ていこう。おお、なかなかきれいなところだ。鹿嶋方面には潮来に2回、神栖に1回仕事で来たことがある。しかし、まさか原チャで来るとは。

さあ、どうやって帰ろう。千葉に出るか、柏に出て水戸街道で帰るか。水戸街道から久しぶりに環七に入って日光街道っていうのもええな。おお、すっかり東京人や。18歳の時初めて東京に来て、「東京駅」と書いた看板を写真に撮って大阪に帰った俺が今の俺やで。大阪の皆さん、すいません。今でも大阪を愛しています。決して東京に身を売ったわけではありません。

とりあえず、国道51号で行こう。しかし、暑い。俺は夏用のグローブに換えた。それにしても、時速30kmの旅はたるいけどのどかでええ。圃場にあるのはサトイモとサツマイモか。霞ヶ浦もでかいな。しかし、トラックは多いし、かなり空気も悪い。

しばらくして、成田に着いた。この辺は俺のテリトリーだ。仕事でよく来る。酒々井からは佐倉の方に行くか。この辺はほんとよく来る。国道296号沿いは巡回で来る店が結構ある。しかし、都心部に近づくに連れてすごい交通量や。それに、排気ガスもすごい。

なんやかんやで、八千代、船橋と過ぎて、国道14号に入り、やがて江戸川を越えて東京に入った。おお、ついに来たで花の都大東京。ここからはほんと庭や。しかし、空を見上げるとなんと空がよどんでいることか。少し残念だ。よし、昭和通りから晴海通りに入って銀座に行って会社に寄ろう。

やがて、会社に着くと、

「おお、帰ってきたか。今週頼むよ。」

はい、今週はやります。

「ほんとに原チャで来たんだね。」

美和さん、真理ちゃん、末永さん、元岡ちゃんも元気そうだ。

「加藤君、今度飲みに行こう。」

やっぱりしんどいが、人に頼られるのはうれしいもんだ。

会社を出ると、バイクの礼文町ナンバーを見て、

「北海道からですか?」

と親子連れが声をかけてきた。おお、礼文を知っている人が銀座にもいたんや。うれしいぜ、セニョール。俺は思わず礼文のパンフレットを渡した。

それから、俺の念願の夢、島抜け号と銀座4丁目の交差点でツーショット。うーん、感無量だ。お前もここまで来たんやぞ。よし、次は東京駅や。東京駅と言えばやっぱり赤煉瓦や。丸の内側に行くか。そして、銀座4丁目から京橋で左折して、丸の内でもツーショット。さあ、本郷通りを北上して東大のラボにでも寄るか。

ラボに着くと、相変わらずみんな元気そうだ。やっぱり、ラボなら北大より東大の方が落ち着くな。ついこの3月までいたもんな。それにしても、相変わらず東大の連中の悩みはレベルが低いぞ。なんか幅がないっていうか。アドバイスしてやれる範囲が狭すぎる。これが受験、受験ってきた人の末路か。下手に文句は言えん。あいつらにはくだらんプライドがある。それがまた高い。なんか人間関係が淡泊で、人との付き合いが下手なんや。特に俺はこの20日間、人間くさい旅をしてきたので余計にそう感じた。

さあ、島抜け号、第2弾もこれでfinish。ほんとは八戸、東京間も走りたかった。でも、しゃあない。よし、来月はfinal 東京、大阪間だ。どうもお疲れ様。東京にいる間はしばらく使わせてもらうぞ。大阪に帰るまでまた色んな人に会わせてやるからな。ほんまお前のおかげで礼文から東京まで色んな人に会えたし、色んなことができた。それに、もう一度自分を見つめ直せたし。ほんとにお疲れ様でした。

114日(東京)

「お婆ちゃま方とのデート」

今日は番外編。7月頭ぐらいか。俺が東南アジアから帰ってきて、礼文に行って間もない頃に内藤さん御一行が来られた。天気の悪い日だ。内藤さん、高橋さん、田中さん、長島さんという70歳ぐらいのお婆ちゃん4人組で、旦那さんが中国のハルピンの中学の同級生で、そのハルピン会でこの4人は知り合ったみたいだ。この4人組は旅先の郵便局で1000円づつ貯金していくのが趣味で、礼文にも香深、香深井、内路、船泊に郵便局がある。どうしてもこの郵便局も廻りたいみたいで、バスでは時間的に不可能で、ハイヤーには台数に限りがある。俺は観光がてら車で廻ってあげたくなって、大将にそのことを言うと、

「分かった。行って来い。」

とお許しが出たので、結局廻ってあげた。

そのうちの内藤さんが実は根津に住んでいて、なんと東大のラボの近くだ。それで、今日は家に招待してくれ、長島さんは来られなかったが、高橋さん、田中さんが来られた。そうそう、この人たちや。

「まあ、こぎれいになって。」

どうやら、俺は礼文では汚かったらしい。今日はすごい御馳走や。それぞれが色んなものを作ってきてくれた。感激だ。こういうお客さんも初めてや。だいたい同世代のお客さんと会うことが多い。しかし、こういうお客さんもいいもんだ。

俺はお婆ちゃん方の会話ってどんな感じなんやろうってすごく興味を持ち、しばらくの間3人の会話を傍聴することにした。そうすると、誰かが死んだとか、誰かが入院したとかそんな話題ばっかりや。実際、内藤さんの旦那さんはもう亡くなったみたいだ。お婆ちゃんの会話ってこんな感じなんや。ちょっと寂しいな。

内藤さんたちは2年後ぐらいにもう一度礼文に行く計画を立てているみたいで、是非俺にいてくれと。民宿をやっていて、こういうコメントが一番うれしい。それに、内藤さんの娘さんが新聞記者で、俺と是非会ってみたいとか。人とのつながりはわからんもんだ。こんな東大のそばに住んでいる人とさいはての礼文で知り合うのだから。

今日は腹いっぱい食わせてもらって、お弁当ももらって、それから少し東大を案内してあげた。やがて、今度また会いましょうということになって、俺は皆さんと別れた。今日はすごく温かい空気に触れた感じだ。北海道の伊達以来や。