95日(礼文〜羽幌)

「さよなら礼文、また会おう」

礼文旅立ちの朝。今日もいい天気だ。最近、大将は昆布漁のやり方をねじりから鎌に変えて、それからというもの俺の昆布漁での仕事が少し楽になって、お客さんの朝飯を作り始める時間(5時半)まで朝ゆっくりと寝られるようになったのだが、今朝は4時半ぐらいに大将が俺を起こしに来た。漁に出てしまうともう俺には会えなくなる。大将が漁から帰ってくる頃には俺は稚内行きのフェリーの中にいる。大将は寂しかったんやろう。それにしても、結構海はしけている。これで旗が揚がるんか。漁業組合も焦っているんやろう。さあ、船を下ろすんも最後だ。ほんと今年の礼文は色々あって、思い出が走馬燈のように頭をよぎる。隣のまさるちゃんはいつも通り船に鎌を積んでいる。

実は、当初の予定では俺は20日以降にまた礼文に戻ってくる予定だった。9月の半ばには東京で学会があって、俺はポスターセッションで発表するためどうしても帰らなければ行けない。だから、今日で礼文での仕事は終わりにしようと思っていた。しかし、今年の昆布漁は大量で、このまま俺が帰ったら大将の性格上昆布の出荷に間に合わない状況になってきた。というのは、大将は以前民宿が忙しいからと言って、自分で取った昆布を白くさせてしまって全部捨てたことがあった。それぐらい大将はいい加減な性格だ。今回も出荷に間に合えへんからと言って、昆布を放り投げて埼玉に帰ってしまう恐れがあるし、第一あれだけ苦労して乾かした昆布だ。大将の気まぐれでいい加減にされると俺の気がすまん。そこで、俺は学会後にまた来ると大将に伝えており、大将もすごく喜んでくれて俺はすっかりその気でいた。しかし、昆布が大漁のため値ががくっと下がり、それにここ最近大将は機嫌が悪かったのもあって、突然2日前に

「加藤、もう来なくていいよ。」

と言われた。俺はそれでもいいのだが、突然に言われ、それもいつもの大将の気まぐれで言われて正直むかついていた。人のことをどう思ってんねん。しかし、俺が帰る日が近づくに連れて、大将は自分の言ったことを後悔し始めたんとちゃうかな。俺に対する態度が、

「加藤、やっぱり残ってくれ。」

と言いたそうだった。大将の照れ屋の性格上こういうことはよう言わんことは俺は分かっている。しかし、俺の気持ちがもう帰るモードになっていたので、今更言われてもどうしようもないって感じだ。俺が一番つらかったのは、島の人には月末にまた来ると伝えてあったのだが、その気持ちを裏切ることになってしまった。ほんと申し訳ない。

大将の船を下ろして、さあ行くぞって時に大将は一言、

「気つけて帰ってよ。」

と悲しそうな目で言ってきた。やっぱり、寂しかったんやろう。それと、俺が帰るとなって島の人が俺に色んな事を言ってくれた。俺はその言葉を絶対忘れない。

夏堀のお父さんは、

「長い間ご苦労さん。また来てよ。」

たかさんに至っては、

「なに。今日帰えんの?なんでもっと早く言わねえんだ。酒盛りしてやったのによ。おめぇはほんと一生懸命だ。よくやったな。ほら、そこのコーヒー持ってけ。」

今日は朝6時〜9時までの漁で、3時間の漁はかなりきつく、途中休憩して船の上でコーヒーなどを飲む人が多い。その貴重なコーヒーをたかさんは俺にくれた。むっちゃうれしい。平井のかあさんはうにの一夜漬けをくれ、浩一のおかんは、

「おめぇには世話になったのに、なんもしてやれん。」

と昆布と餞別をくれた。うれしい。ほんとここ知床の皆さんにはかわいがってもらった。感謝しています。

それに、山田のおかんも、

「寂しくなるね。」

と餞別をくれ、涼子さん、大須賀さん、松岡商店の末吉のおばちゃんも、

「ほんと色々ありがとね。またおいで。」

と言ってくれ、港の藤田商店のおばちゃんも、

「来年は手紙書いてよ。」

とおみやげをくれた。あと、今野さん、すみえさん、まりちゃん、その他礼文の皆さん、ほんとありがとう。

大将を見送って、さあ最後の仕事や。まずはお客さんの朝飯を作る。お客さんを港に送るまでまだかなり仕事がある。次は風呂掃除、その後は昨日取った昆布の二日干しだ。俺が二日干しをしていると、ゆき(地元の小学生)が来て、

「加藤君、これあげる。私も同じもの持ってるから加藤君も持ってて。」

かわいいものだ。ゆき、加藤君は大事にするからね。

いつも寝坊王の真紀ちゃんは、今日は朝ちゃんと起きて洗濯している。最後のお客さんの佐藤さん夫妻も準備完了。

「真紀ちゃん、もう出るで。」

まず、俺が車で佐藤さん夫妻と真紀ちゃんを港に送る。とりあえず、3人を港で下ろして俺だけ戻る。さあ、俺も出発だ。果たして、この原チャでどこまで行けるか。そして、走り慣れた道を港へ向かう。時速3040kmだ。周りでは昆布干しが始まっている。やがて、港に着くとすでに乗船が始まっていた。乗り場では真紀ちゃんが俺を待っていてくれた。偶然、大須賀さんにも会った。なぎさの文雄さんともお別れした。さあ、俺もついに乗船だ。果たして、無事札幌まで着けるか。

今日はほんとにいい天気だ。下では桃岩荘の連中が踊っている。おお、まりちゃんが見送りに来てくれた。藤田商店のおばちゃんも手を振っている。この時期はバイトがほとんど帰っていて、見送りがいないと思っていた。うれしい限りだ。

「さよなら礼文島。必ず戻ってきます。いってきます。」

船から利尻富士を見ながら約2時間後、稚内に着いた。とりあえず、真紀ちゃんとめしを食おう。最後の晩餐だ。それから、真紀ちゃんと駅前の食堂で味噌ラーメンを食いながら、ふと外の通りを見ると、なんと91日にうちに泊まった辻さん親子がいるでは。辻さん親子も俺らに気づいてびっくりしてた。

「あの後、利尻に行ったり稚内を廻ったけど、やっぱり礼文が一番よかったよ。」

うれしいことを言ってくれるぜ、セニョリータ。実は、辻さんたちが帰る朝、その日はノナ漁があって、俺がウニ小屋でノナをむいていると辻さん親子が来て、俺がその場でノナをむいて食わせてあげた。それをすごく喜んでくれた。今日はせっかく再会したんやから、俺は島の人からもらった昆布を一袋あげた。

さあ、真紀ちゃんともお別れだ。よく残ってがんばってくれたね。ほんとにお疲れ様でした。あんまりしんみりすると真紀ちゃんは泣いちゃう。だから、俺は普段通りにしていた。同時に俺の旅の出発地点だ。真紀ちゃんに稚内駅をバックに写真を撮ってもらう。

「真紀ちゃん、元気でね。」

俺は一言そう言って、握手した。真紀ちゃん、また会おう。

さあ、出発。国道40号を突き進む。思った以上に風が強い。できれば今日中に留萌まで行きたい。しかし、予想以上にトラック、大型バスの風圧は強烈だ。特に対向車。もうむちうちになりそうだ。しかし、時速30kmの旅はなかなか快適だ。この道はもう何回も走っているが、今回はゆっくり周りが見える。それと同時にたるい。ああしんど。

やがて、1時間ぐらいして兜沼の標識が見えた。ここで右折だ。勇知では大介が待っている。大介は礼文の山田のおかんの息子で、俺が礼文2年目の年に知り合って、札幌で大介が高校に通っている時もたまに札幌で会ったりしていた。今年のお盆に大介は礼文に帰ってきて、3年ぶりぐらいに再会したのだが、ずいぶん大人っぽくなっていた。その大介ももう20歳を越え、今は稚内の南の勇知で郵便局員として働いている。今回のこの旅で、俺が始めに訪ねる人になる。

それから、勇知に向かってゆっくり走っていくと、なんと向こうから大介のジープが迎えに来てくれているでは。

「おお、大介。」

大介は俺のことを心配していたみたいだ。大介は俺の後をゆっくりついて来てくれる。坂を上って下って、少し行くと大介の自宅に着いた。大介は一軒家を借りている。なかなかいとおかしだ。ちゃんと1人で生活している。えらいぞ、大介。お前も大人っぽくなったな。大介は俺のことをほんとに慕ってくれる。その気持ちはうれしいが、なんかむずがゆい。俺はウイスキーを差し入れしてあげた。大介とはゆっくり飲んでみたいな。

そして、大介の家で写真を撮って、職場訪問だ。大介がお勤めの郵便局だ。なかなかこじんまりとしていて、アットホームなところだ。そこで、浩一のおかんからもらった昆布を大阪と東京に送る。さあ、大介ともお別れだ。

「札幌に着いたら電話してよ。」

俺は大介とがっちり握手して、

「エアメール書くからな。」

それから、俺は海岸へ向かった。海岸までの道のりを少し行くと、後ろから郵便局の車で大介が追っかけてきた。どうやら見送ってくれるみたいだ。ありがとう、大介。

それから、利尻富士を右手に見ながら原チャリは南へ走る。やっぱり、風がきついな。すれ違うライダー、チャリダーが俺に向かって手を振る。なつかしい光景だ。北海道ならではだ。それにしても、今日はいい天気や。なんと利尻の向こうには礼文が見える。こんなことは初めてだ。

やがて、天塩を過ぎてさらに南下し、初山別でガスを入れた。ほんとはこの近くのライダーハウスに泊まるつもりだった。やっぱり、野宿はもう寒すぎる。俺はTシャツしか持っていない。つらい。でも、スタンドのおばちゃんが羽幌にもライダーハウスがあると言うので、羽幌までがんばることにした。もうかなり疲れているし、夕日も沈みかかっている。それに、羽幌についてもライダーハウスがわからん。どこやねん。

俺、「おねえちゃん、この辺にライダーハウスない?」

くそガキ、「その営業中っていう看板の所。」

俺、「ありがとう。」

くそガキ、「おじさん、がんばってね。」

だれがおじさんや、くそガキ。そのライダーハウスはなんと民宿って書いてある。「吉里吉里」ってとこ。結構高いやん。まあええ。今日は疲れた。しかし、後々ここがヒットした。とりあえず、宿の人に夕日ポイントを教えてもらって、早速向かった。途中でさっきのくそガキに会ったのでお礼を言った。それから、少し細い道を行くと、おお。目の前に天売・焼尻が見える。さすが羽幌はsunset townや。Very beautiful。礼文からの夕日もいいがここもええ。きれいだ。今度暇があったら天売・焼尻にも行ってみたい。また、礼文・利尻とは雰囲気が違うやろな。

夕日が沈んでから宿に戻り、みんなでめしを食う。今日は俺を入れて4人の客だ。3人がバイクで、1人が車。俺は腹が減っていたのでがっつり食う。うまい。洋風料理は久しぶりだ。よし、とにかく米をいっぱい食うぞ。しもた、おかずが多すぎた。最後は米を食うのがつらかった。

めしの後、五十嵐(北大の農化の友達)に電話して、木戸さん(北大の農化の友達)の連絡先を教えてもらった。木戸さんは現在留萌支庁に勤めている。せっかくやから会える時に会っていこう。早速、木戸さんに連絡すると、わざわざ明日のスケジュールをキャンセルしてくれた。うれしい限りだ。

その後、みんなでミーティングした。これが結構楽しかった。しかし、今日は疲れた。もう寝るぞ。それにしても、星がきれいだ。しかし、桃岩の上から見る方がきれいかな。

96日(羽幌〜札幌)

4年前はごめんね」

さあ、今日は札幌に行く日だ。ほんまに今日中に着けるのか。海岸線で行くか国道275号に入るか。とりあえず、出るぞ。俺が出発するに当たって、ここの宿の人みんなが見送ってくれた。写真撮影も終わり、宿泊者の1人の乾さんがこの原チャリを「島抜け号」と命名してくれた。なかなかいい名前や。そして、羽幌町の交通安全の旗をもらって出発だ。時速30kmで南下する。やがて、留萌近くになると、そうや、トンネルや。トンネル内はかなり怖い。それに、あおられる。空気も悪いし、あーあ、最悪や。やっぱり、海岸線はやめて、国道275号に入ろう。

羽幌を出て約1時間半後、留萌に着いた。早速、近くのセイコマートから木戸さんに電話して留萌支庁の前のモスバーガーで待ち合わせることにした。やっぱり、道内は暑い。礼文とは違うな。俺がモスバーガーに着いてしばらくすると木戸さんがやって来た。正直言って、彼女の顔を忘れていたが、会うと思いだした。そうや、そうや、木戸さんや。相変わらずの木戸さんや。学生時代と変わってないな。大学3年ぐらいからか、俺と木戸さんと五十嵐はすごく仲良くなって、それまでもよく話はしていたが、それからは特によく話するようになり、4年になって研究室はお互い違う部屋に行ったが、廊下で会ったり、俺が生化(生物化学)に遊びに行った時はよくくだらん話をしたものだ。木戸さんとは北大を卒業して以来会っていなかったからほんと久しぶりだ。俺も会うのを楽しみにしてた。

木戸さんはわざわざ俺のために時間をあけてくれた。ほんと申し訳ない。2人でコーヒーを飲みながら色んな話をした。俺の近況、彼女の近況、昔の話、それに農化のみんなの近況など。俺は木戸さんからもプライベートな相談を受けた。というのは、ここ数年俺は友達や知人、それに後輩から色んな相談を受ける。相談を受けるということは、それだけ人に頼られているということなので、それはそれですごくうれしいのだが、なんかむずがゆい。俺は人に意見できるほど偉くないし、俺はいい加減な人間だ。とりあえず、木戸さんには俺の考えを言ってあげた。

結局、木戸さんとは1時間ぐらい話して札幌に向かおうとしたが、気づいたら昼過ぎだ。随分と話し込んでしまった。なんせ2年半ぶりだ。積もる話もあるやろう。最後に、2人で留萌支庁の前で記念写真を撮った。今度はいつ会えるのやら。これからも会える人とは会える時に会っとこ。木戸様、今日はわざわざほんとありがとう。また会いましょう。

それから、深川方面へ向かった。今日はかなり暑い。それに、トラックがビュンビュン横を通り過ぎる。かなりの猛スピードだ。怖い。それにしても、この道は久しぶりだ。しかし、よく走っていただけに覚えている。最初に走ったのは大学2年の秋で、大将に車を届ける時だ。それ以来何度走ったか。なつかしい。

途中、我慢できなくて温泉に寄った。月形温泉だ。いつもはこの辺りは素通りするのだが、ちょっとマイナー気味の温泉だがまずまずだ。早速、どっぷり温泉につかる。うーん、最高。ええ感じや。

今晩、札幌で4年前にうちに泊まってくれ、今年はうちが満室やったので他の民宿に泊まったゆかりちゃんと会う予定だ。実は、4年前にゆかりちゃんとは礼文が終わったら札幌で飲もうと約束をして、俺がすっかり忘れていた。ゆかりちゃんはそのことを覚えていて、今年うちに遊びに来て俺を見て怒っていた。正直、俺もその時は覚えていたのだが、おばあちゃんが札幌で入院したりして、結局忘れてしまった。だから、今年ゆかりちゃんとは必ず会おうと約束した。それまでには札幌に着かなければ。それと、途中に石狩川を渡る橋があるはずだ。そこで是非夕日が見たい。とりあえず、速度をあげるか。しかし、風圧が強くなる。よう原チャリで旅している奴がおるな。これは思ったよりもつらい。

やがて、がんばって走ったせいか石狩川に着いた。なんとか夕日には間に合った。とりあえず、夕日に向かってションベンだ。うーん、最高だ。ゆっくりはしてられん。札幌市内に向かうぞ。

そしてついに札幌市内に入り、東雁来で右折し北33条通りに入った。懐かしい。ゆかりちゃんとの待ち合わせは北24条のセイコマートの前なので、途中札幌時代に住んでいた北31条のアパートに寄って行こう。ガーン、アパートが取り壊されている。うそー。そう言えば、大家さんはかなり身体が弱っていたからな。もう経営やめたんかもな。

それから、まず大介に電話する。大介も俺の無事を喜んでくれた。次に、浩一(礼文の子で、現在札幌の高校2年生)だ。浩一とは9月には会うことはできないが、10月にもう一度札幌に来るからその時に会おうという話をした。最後に、孝(礼文観光レンタカーの息子で、この時たまたま札幌に仕事で来ていた)だ。孝は忙しいみたいで、今度孝と会うのは礼文やな。

やがて、ゆかりちゃんがやって来た。久しぶりや。ゆかりちゃんは4年前に俺と一緒に撮った写真を持ってきてくれた。ゆかりちゃんはその頃よりも大人っぽくなっている。俺はそのままや。それから、2人で「なんだかんだ(通称なんかん)」に向かった。俺の行きつけの飲み屋だ。マスターと会うのは久しぶりで、ママさんも元気そうだ。なんと娘さんがバイトをしていた。ゆかりちゃんにはほんと悪いことをした。4年前の約束をすっぽかしたのだから、今日は俺のおごりや。ゆかりちゃんは見た目は派手なねえちゃんだが、内面はすごく優しい子だ。それに、思いやりがある。今日、ゆかりちゃんは結構楽しんでくれている。よかった。ホッとした。これで4年前のことは許してくれたかな。

「今度また会おうね。」

ありがとう、ゆかりちゃん。

それから、午後9時を過ぎた頃か。マスターが、

「加藤君、電話。」

おいおい、誰や、今日俺が札幌にいるのを知っているのは。なんと岩波さん(北大の先輩で、飲み仲間。通称のんだくれ。現在、苫小牧高専の先生)からや。

「今、苫小牧にいるから11時過ぎにそっち行くわ。」

わざわざ来てくれるんか。うれしい限りだ。ゆかりちゃんもびっくりしてた。とりあえず、ゆかりちゃんと飲み続け、のんだくれが来た頃にゆかりちゃんは帰ると言った。俺はゆかりちゃんにも一緒に飲もうと誘ったのだが、ゆかりちゃんは俺に気を遣ってくれたのか。その後、俺はゆかりちゃんを駅まで送っていった。ゆかりちゃん、また会おうね。

それからは、いつものコースでのんだくれとなんかんでしばらく飲んで、その後は「つくしん坊(通称つくし)」だ。いつものおきまりのコースだ。つくしに着くと、ママさんは眠っていた。よっぽど疲れてたんやろう。今日はゆっくり休んで下さい。今晩、のんだくれの家に泊めてもらおう。ああ、疲れた。

とりあえず、第1弾はここまで。今度、第2弾は10月。今後の予定は、

97 農化の連中と飲み会

98 札幌西武の今掘さん(7月中旬に礼文に来てくれたお客さん)と会う

   斉藤ちゃん(北大の教養時代の仲間)と飲む

99 徳さん(元北大の研究室の事務官)の家に訪問

   作栄院試コンパ

910 飛行機で東京に戻って、学会のポスター作り

913917 国際植物栄養科学会議(IPNC

その後、長野に行って、東京に戻って、京都に行って、札幌だ。ああ、忙し。