全国13億人の加藤学ファンの皆様


日本全国離島シリーズ第2弾〜小笠原諸島・父島〜
「小笠原までは遠かった・・・」




皆様、こんにちは。

皆様の予想に反して、早いもので今年で私の会社員生活も4年目となりました。
やっぱり、旅はいいですね。知らない場所で、新しい空気に触れ、新しい人と出会う。ここ最近、都会の泥臭い中にいたのでより新鮮でした。
ここ数日、この大型連休と有休をうまく利用して、小笠原諸島・父島に行って参りました。

満員のおがまる

小笠原諸島への交通手段は、現在船でしかなく、通常は東京の竹芝桟橋から週に1便、25時間半の長旅で、日程もかなり制限されます。この連休中に限っては、3日に1便のペースで船がありましたが、それでも予約が必須で、行き帰りとも満員でした。

おがさわら丸(通称;おがまる)の乗客は、行きが650名ほど、帰りは、なんと、1,000名。もちろん、私は2等客室ですが、これまで様々な船に乗りましたが、あんなにきつきつの2等は初めてです。枕と毛布がきつきつに引き詰められ、すぐ横に隣の人が寝ているという環境でした。

そんな満員の船の長旅で、私はひたすら飲んでいました。行き帰りの船の中で、一体自動販売機の缶ビールを何本買ったことでしょう。


父島の印象

結局、父島には約3日間滞在しました。一日、大雨にやられましたが、それ以外はまずまずの天気でした。最高気温は25程。しかし、日差しは強く、私は全身真っ黒になり、まるで昔のバックパッカー時代に戻ったようです。

島の印象としては、「自然たっぷり、生活はのんびり」です。特に、ダイビング目的の人々にはたまらないでしょう。島周辺は、珊瑚礁に囲まれ、イルカやクジラのwatchingが楽しめます。sea kayakingを楽しんでいる人々もいました。また、陸地では、亜熱帯の植生に被われた原生林のトレッキングが楽しめました。

船の便が少ない分、私が乗ってきた船の客のほとんどは、再び同じ船で戻ります。つまり、その間、ずっといっしょに島にいることになり、島ですれ違う観光客は、どこかで見た事のある人ばかり。当然、知り合いも増え、帰りの船では顔を合わす度に挨拶していました。ダイビングのツアーに参加した人々は、島の飲み屋で打ち上げをするぐらい仲良くなっていました。この人との出会い/再会は、NZを旅している時のようです。

小笠原諸島には、第二次世界大戦後の傷跡が多々あります。日本に返還されたのは昭和43年。島のあちこちに、防空壕などが残されていました。大戦中には、島民の内地への集団疎開などがあり、そのせいか、島の歴史を考えると、どうしても浅く感じました。また、島の食に関しても、以前八丈島で経験した料理と被るところも多く、新鮮さはいまいちでした。

正直、「父島にもう一度行きたいか?」と聞かれたら、答えは「No」です。色んなところを旅し過ぎて、目が肥えてしまったのでしょう。南島や母島には行ってみたい気もしますが・・・。しかし、島の観光客のリピーターの多いこと。これにはびっくりしました。

とは言え、色々面白いことがありましたので、別途報告します。

では、皆様、次の旅でまた会いましょう。



P.S
父島でNHKのニュースを見て、内地で起こっている様々な出来事を別の世界のように感じていたが、我が阪神タイガースの5連敗をニュースで知って現実に戻された。

交流戦が始まってさらにビールが進む湘南より愛をこめて
2005.5.8
  
Manabu Kato




☆Topics; ”Ogasawara Islands” vol.148-150


ツーリング、トレッキング&スノーケリング


いつものように、私は事前に島での予定は何も考えていなかった。当然、父島がどんなところかも知らなかった。とりあえず、島に向かう船の中で、島の地図をゲットした。

私には、父島は「海」というイメージだったが、地図を見ると、父島ではトレッキングができる。とりあえず、島に着いてすぐに原チャを借りに行った。移動手段としては、車や普通のバイクと違って、原チャは、走りながら見落としがちなものが見えてくる。父島ぐらいの規模では、足として原チャはもってこいである。3日ほどの島の滞在中、1日雨に見舞われたが、それ以外はまずまずの天気。原チャでへこへこ走りながら、所々で泳いでいた。

海はどこもきれいだった。宮之浜、釣浜、境浦海岸、扇浦、コペペ海岸、小港海岸、ブタ海岸、ジョンビーチ、ジニービーチと回ったが、特に印象に残っているのが、宮之浜から少し釣浜に戻った辺りと、ジニービーチ。スノーケリングで十分珊瑚は見えるし、カラフルな熱帯魚君たちが周りを泳いでいる。また、ジニービーチまでは、峠を二つ越えて2時間ほど歩かないと行けないところなので、その分歩いてくる人も少なく、ゴミや流木もほとんどなく、真っ白な砂浜が広がっている。私が着いた時には誰もいなく、まるでprivate beach状態だった。

私は、ジニービーチから戻る途中のブタ海岸で、汗を洗い流すつもりで泳いでいた。すると、サメに出くわした。何気なく泳いでいて、下にでっかい魚が二匹おるなっと思いながらその顔を見ると、なんとサメ君たちだった。小笠原のサメはおとなしく、人は襲わないと聞いてはいたが、実際にサメに出くわすと恐ろしくて、速攻逃げた。

トレッキングは、小港海岸からジニービーチまでと初寝浦、傘山と歩いた。島全体に亜熱帯の植生が広がり、「タコノキ」というものを至る所で見かけた。「タコノキ」は、「小笠原の木」に指定されている。幹の高いところから根を出し、カジュマルのような形態で、実はマツボックリのでかいバージョンといった感じである。所々、溶岩らしきものも広がっていたのだが、小笠原には温泉はない。遊歩道は、まさしく亜熱帯のジャングルで、至る所で「メジロ」が泣き、天然記念物の「オカヤドカリ」が遊歩道を横断していた。
コース自体は、島の地形上、アップダウンの繰り返し。小港からジニービーチまでは二つの峠を越え、初寝浦までは、途中から急激な下りが続き、となると、帰りは急激な登りが続く。5月初旬ということで、夏の日差し程ではないが、それでも空気がきれい分、日差しが強かった。首筋に日が当り、ヒリヒリするのが身体で感じられた。

ツーリングは、先にも述べたが、原チャで十分。車も少なく、信号も数えるほどしかなく、ゆっくりとのんびり走れる。好きな所で、道端にバイクを止め、気に入ったところに立ち寄っていた。私は、父島の道という道は、すべて走ったのではないだろうか。














 島料理

前回の旅の時にも書いたが、今の私の旅のスタイルで、かなり重点的に考えていることが、現地の「食」に触れ合うことである。バイクで日本を放浪している時は、資金に限りがあったので、泣く泣く旅先の「食」に触れることを諦めていたが、今はある程度の資金がある。今回の父島滞在時も、昼・夜と地元の料理に触れ、かなり満足した。そのいくつかを紹介する。


島寿司・・・
前回の八丈島以来、私は島寿司にはまっている。元々は保存食だった島寿司であるが、からし醤油に漬け込んだ島寿司は、かなりいける。父島の島寿司は、さわらなど白身だが、母島のは赤身らしい。


亀料理・・・
今回、亀料理として、煮込み、レバーを食べたが、亀には独特のくせがあり、苦手な人が多いかもしれない。私的には全く問題なく、味噌で煮込むと結構いける。


アカバの味噌汁・・・
いいダシがでていた。天ぷらでも頂いたが、個人的には味噌汁の方がうまかった。


島トマトと島塩・・・
島で栽培されたトマトは、温暖な気候のせいがろうか、我々が日常食べるトマトよりもかなり甘い。皮もしっかりしており、歯ごたえもあってうまかった。それを、島の海水から作ったミネラルたっぷりの島塩をつけて食べると、格別うまかった。


パッションフルーツ・・・
私は、町から外れた「森の喫茶店」でパッションフルーツが栽培されているのを初めて見た。てっきり、1本の木にそのまま実が成っているのかと思っていたら、棚になって栽培されていた。キーウィフルーツやブドウと同じ。とにかく、香りがよく、臭いそのものから「南国」という印象を受ける。


ラム酒・・・
母島に酒蔵があるのだが、癖がなくて飲みやすい。定番のコーラで割ってもいいのだが、そのままロックでもいける。


島レモンのポン酢・・・
ポン酢好きの私にとってはこういった商品を見つけるとついつい買ってしまう。しかし、製造者には申し訳ないが、はっきり言ってまずい。もう少し味をしっかりさせないと。






















 
島のヘルパーたち

父島は、自然保護目的で野営ができない。そのため、特に今回の連休のようなピーク時は、島に渡る前に宿を予約していかないといけない。私は、礼文での経験上、好んで民宿には泊まりたくない。宿の裏が見えるからである。特に、ヘルパーが何人もいるところは嫌だ。私が今回宿泊した「南国荘」は、夫婦で経営されている宿。食事抜きの自炊にし、トレーラーハウス型の相部屋にいたので、ある意味テントに近く楽だった。夜は、毎晩、違った店でめしを食って、その後は飲み屋を回り、他の宿の客や島の人と話していた。

ある飲み屋のヘルパーは、元々は観光で来ていたユースの客。店の人に誘われてその店で働き始めたらしい。まだ働き始めたばかりでぎこちなかったが、時間があれば色々写真を撮って回りたいとも言っていた。店のオーナーに話を伺うと、ヘルパー募集の際、広告を雑誌に出すよりも、島の客を誘った方が確実らしい。その気持ちはわかる。離島の場合は、ヘルパー採用時も面接ができない。それに、仮に採用したとしても、本当に来てくれるかどうかわからない。その点、島の客を引っ張ってくる場合は、実際に本人と会って話ができる。会って話をするのと、電話だけで話するのとでは全然違う。この辺りのオーナーの苦労はよくわかる。

次に、ある居酒屋で島に来て1年以上になるというヘルパーに会った。彼女も、元々は島の観光客で、店の人に誘われてそのまま島に居つくことになった。島では、アパートで一人暮らし。小笠原は東京都ってことで、アパートの家賃は我々が思っている以上に高いらしい。そのアパートには、彼女と同じようなヘルパーが住んでおり、毎日中庭でみんなでくつろぐのが楽しいと言っていた。仕事の後は、島の友達と他の店に行って飲んで、家に帰れば合宿のような生活。礼文と違って、父島は年中シーズンなので、こういった生活が一年中できる。このような楽しい生活を送っていると、この生活を抜け出すきっかけを作るのが大変であり、これがなかなかできない。気持ちはわかる。

お節介だったかもしれないが、「これからどうするの?」と聞いてみたら、夏過ぎにあるイベントがあって、それが終われば島を出る予定らしい。彼女自身も、このままこんな生活をしていていいのか、と思うことが多々あるとのこと。偉いのは、辞める前に代わりのヘルパーを探し、お店に迷惑が掛からないように島を出て行くと考えていたことだ。

観光で短期間来る離島は、都会の実生活では体験できないのんびりした別世界を経験できるが、住むとなると話は別。島での生活は、あくまでも島での生活。それに慣れて錯覚してしまうと、内地の生活に戻れなくなる。島で時間が経つ間、内地でも時間が経っている。ヘルパーさんには、目的をもって、期限を決めて生活してもらいたい。そうでないと、知らず知らずに落とし穴にはまってしまい、そこから抜け出せなくなってしまう。