12月2日

「カリブの巨人、ミッシェルとの再会」

 ここからBlenheimまではすぐやろう。俺は旅先のstayした町では必ずpost cardを買っているが、今日もいつも通り宿を出る前に、post officeへ向かってpost cardを買おうとしたが、あまり気に入ったのがなかったのでI へ向かった。その何気ない行動がまた再会を招いた。なんとFranzでいっしょの宿だった椀田夫婦の奥さんが俺に気づき声をかけてきた。びっくりした。たまたま、彼らはch-chからPictonに向かう途中のトイレ休憩でここに寄っただけだった。俺がI に向かわんかったら彼らに会えんかった。偶然だ。俺がもっとびびったんは、彼らは大阪の平野に住んでて、なんと奥さんは藤井寺高校出身。会う人とは会うんやね。

 彼らにBlenheimで降ろしてもらって、BPに着くとまたもや----。ちょうどcheck outしようとしていたのはカリブの巨人、ミッシェルでは。おお、相変わらずでかいミッシェル。俺らは思わず抱き合ってしまった。New Caledoniaに行ったはずのミッシェルは、あまりのおもしろなさにNZに戻って来た。その後、Aucklandでドミ、マーティンと同じ工事現場で働いていて、そこに孝君もいたようだ。会う人とは会うんやな。またもやpickingの仲間との再会に俺は涙が出そうだった。

 ミッシェルが出てすぐ後に、あのIrelandのカップルも来た。結局、ヒッチ合戦の末、Kaikauraに着いたのは俺が先で、Blenheimに着いたのも俺が早かった。彼らとは戦いたくない。お互いそう思っているはずだ。

 Blenheim BPに戻ってきたのは、ここはwashing、bicycleがfreeだからで、それとテントサイトがあるのだが、なんで長期滞在はテントあかんねやろう。おかしなもんだ。仕事をする人用のドミにはベッドが14個あって、テントは5、6個は張れる。オーナー曰く、

「テントの人が増えると、ドミの人だけでさえもキッチンが狭いのに、テントの人が加わるとみんなが迷惑する。」

からだそうだ。テントサイト1泊だけなら仕事してる人と時間がずれるからいいとのこと。わけわからん理由だ。朝はかち合わんかもしらんが、夜はいっしょやろ。それと、うわさ通りこのBPにはJapanese、Koreanだらけだ。うーん、まいった。俺が旅先で会った人も何人かいたし前からの人もいる。これはvery bad situation。ほんま最悪やね。

 今年のcherryは悪天候のため大不作らしい。思った以上にcherryはなく、ch-chで聞いたうわさ通りここは仕事待ちの人であふれていた。俺はチャリを借りて、cherry orchardらしきところを4、5軒回ってみたが、もうすでに人を雇ってしまったので、また来週来てくれという返事しかもらえない。まいったな。思った以上に苦戦だ。とりあえず、今日はもうやめて明日出直しや。

 宿に戻っても、ほとんどJapanese & Korean。ほんまに腹立ってくるね。俺はそんな中、同じように仕事待ちしてるカナダ人と仲良くなり、彼はみんなと違う方角で仕事を見つけ、俺にそのorchardを教えてくれた。彼もこのJapanese & Koreanの多さにまいったようだ。Ireland coupleは、

「Japaneseばかりでいいだろ。」

と俺に言ってきたが、彼らにはJapaneseとKoreanの違いがわからんようだ。俺は彼らと話してる方がいい。アジア人が固まるとろくなことない。

 それと、ここのオーナーの意図がわからん。Irelandの2人は仕事をしないので、2、3日の滞在ならテントOKらしいが、俺は、

「もう1日ここに泊まって仕事を探したい。」

と言うと断られた。なんでや。誰にも迷惑かけてへんやん。仕事を紹介してもらって、それで宿を出るのはよくない。しかし、俺は1人で仕事を探してる。何が悪いの。要するに、俺のこういう行動がここの人にとって気にいらんねやろう。例えば、あるBPに滞在してそこのチャリを借りて、その周辺のfarm stay先を探して決まればそこに移る。何も悪くない。それと同じやろう。Irelandの2人にこのことを言っても、

「それは、その通りだ。ここのオーナーが変だね。」

と言ってた。全くわけわからん。

12月3日

「こんなけ日本人だらけやと逆にひらき直る」

 さあ、仕事を探そう。オーナーにここでのテント2泊はだめと言われ、俺は結構頭に来て俺の方から出たくなった。とりあえず、check outするまではチャリは借りられる。俺はカナダ人に教えられたみんなが探してる方角とは逆の方向に行ってみた。

彼の言っていたorchardを俺は見つけられず、近くの人に聞いてみたが、俺は間違ったorchardに入ってしまった。しかし、そこのオーナーはなかなか感じのいい人で、

「今は仕事ない。来週ぐらいから始まるから、その時に電話してやる。それだけやったらお前も不安やろうから、こっちにもちょくちょく電話してこい。」

と、すんなり仕事をget。しかし、いつ始まるんやろう。もし可能ならすぐにでもしたいが。ただ、思った以上に遅れている。あまり長くなるとAlexに行けなくなるし。俺が行ったorchardはそれほど大きくない。まあ、年末までに終わるやろう。

 宿に戻るとIrelandの2人は、

「おめでとう。すごいね。」

と驚いていた。ただ、2人とはここでお別れだ。もうNZでは会うことはないやろう。2人は2、3日中に北に行ってしまう。うーん、いい友達ができた。2人とはアジアのどこかで会いたい。ありがとう、ヒーザー、エーモン。

 そして、俺はBlenheim motor campに移動した。ここも、日本人ばっかり。ここでは色んな人に再会した。Haheiでいっしょやった真吾君、Greymouthでここのことを教えてあげた2人、Punakaikiまで乗せてくれた麻美さん、Blenheim BPで以前会って、ここのことを教えてあげた宗二さん、真由さん、泰君たち。やっぱり、俺の予想通り身内がかなりいる。こんなけ日本人だらけやと逆にひらき直る。これは楽しくしたいね。

 俺がBPを出る時にすれ違いに入ってきた明美さん、それに仕事を探していた1人の青年と俺とで車で仕事を探しに行った。明美さんはすぐにでも仕事がほしいらしい。そうなると、すでに始まっているapple thinningがいいやろう。俺は知ってる限りのapple farmを訪ね何カ所かは断られたが、まだ始まってないところもあり、運よくBlenheim No.1というapple farmのボスの家を突き止めた。このボスとは会えなかったが、ボスの奥さんがorchardのオーナーを紹介してくれ、

「まだthinningは始まってないが、なんやったら電話してあげるよ。」

と言われた。うーん、どうしよう。とりあえず、電話番号は聞いておいた。

 俺の一連の行動に、他の2人はびびってた。俺はそんなにすごいと思わん。単にコツコツと集めた情報が最終的にこうなったわけだから。こうやって一歩づつ情報は集めていくもんだ。みんなが、仕事がないと言っているのは探してへんだけやろう、おそらく。

 宿に帰ると周りは日本人だらけ。Korean 1人、ネパリ1人。もう俺はこうなりゃひらき直った。ほんま楽しくやろう。いつも通り色んな人に話かけよ。変な日本人社会は作らせへんぞ。宿の人に少し食器を借りたがこれじゃ少ないな。俺は結構食う方やから米用のなべは欲しいね。PM10:00過ぎたらkitchenが閉まるのもかなわんな。

12月4日

「NZにまで来て日本人同士固まりたくない」

 今日は朝から雨。雨が降るとすることがない。Kitchenは狭い、TV roomもテレビがあるだけ。まいった。ほんますることがない。チャリがあればまだいいがチャリもないし。俺は今日1日ひたすら寝てた。ここは日本人だらけ。何人かは顔見知りやし固まってしゃべったりしてるが、どうも俺は話てる途中で嫌になってくる。Taurangaのpickingの時がどんなによかったか。NZにまで来て日本人同士固まりたくない。俺はKoreanのジェイ、ネパリのビーノと話してる方がいい。

 夜もkitchenで固まって話してたが、途中でしんどくなった。その時、運よく1晩だけstayしてたTaranakiの若者たちがやってきて、俺は彼らとずっと話し、そして彼らのキャビンに呼ばれた。この中の1人の青年が自分で作ったビールを俺に飲ませてくれたが、なかなかgood。彼らは見るからに不良青年たち。酒と女とドラッグ。まあ、こういう連中とたまには話さんとね。ただ、酔っぱらうのはいいが周りに迷惑かけたらあかん。その辺はいただけないが、なかなかおもしろい子たちだった。

12月5日

「ああ、チャリがあればな」

 今日はええ天気。俺としてはwineryをまわりたい。しかし、車はないし足がない。チャリはすべてkeepされてるし。まいったね。正直、仕事をしたいのはやまやまだが、それ以上にwineryをゆっくりまわりたい。そういう意味ではBPの方がよかったかな。本格的な仕事はAlexからでいい。

 午前中、俺はtownのフリーマーケットに向かった。結構、盛大なフリーマーケットでカントリーバンドの演奏なんかもあった。俺が驚いたのはなんとオクレと再会した。オクレの方が俺に気づいて、彼は今Koreanの仲間何人かとフラット生活しながら仕事している。WhanganuiでいっしょやったKoreanの女の子とも再会し、やっぱり会う人とは会うんやなと改めて感じた。オクレは俺にフラットに来いと誘ってくれた。オクレとはpruningが終わった時に、もう会わんやろうと思ったのに。ほんまNZは狭いわ。

 俺はフリーマーケットで$5.00の麦わら帽子を買った。やっぱり、麦わら帽子やろ。俺はゴムひものついた不細工なのをほしかったが高かったので、ちょっとおしゃれな帽子にした。

 昼からはうとうとしたり、何人かと話したり。とにかく、したいことはいっぱいあるのにそれができないもどかしさ。e-mail cafe

もこの辺りにはないし。ああ、チャリがあればwineryに行くのにな。

12月6日

「winery飲んだくれツアー in Blenheim その 3」

 今日は朝から曇り。今にも雨が降りそうだった。とにかく、俺はwineryに行きたい。そのためにはチャリがいる。今日も1日棒にふるのは嫌だ。そう考えていた矢先、

「学、今日1日なら俺のチャリ貸してやるぞ。」

とここのオーナーが俺に言ってくれた。なんとラッキーな。それも、マウンテンバイク。ここのおっちゃんとおばちゃんはとにかく親切。俺が俊君の友達と言ったので、特によくしてくれているかも。2人共俊君のことをすごく誉めていたし。何か俊君に借りができたような気がする。

 チャリが借りられたとなってはwineryしかないやろう。早速、俺はwinery飲んだくれツアーに出かけた。

 まず始めは、“SAINT CLAIR”。なかなか小ぢんまりしたところで、ここのオリジナルの“County Life”をtasting。やっぱり、俺はシャルドネ、スーベニヨンブロンクよりもリースリングスの方がいい。う〜ん、味的にもまずまず。

 2軒目は“SELAKS”。モダン的な建物でここではice wineをtasting。デザートワインだけに甘ったるかったが、リースリングスはまずまず。

 3軒目は“HUNTER

S”。さすがに数々の賞をgetしているだけに、観光バスや一般の客が多い。俺は個人的にはmajorどこは嫌いだが、さすがに1998年度の大賞をとったシャルドネはうまかった。

 4軒目は“GILLAN ESTATE”。ここでは、1994年度産のBrut Reserve vintage wineをtasting。$2.00取られたが、正直いまいちだ。ただ、ここのwineryのparkingの並木がcherryだったので食いまくれたのはよかった。

5軒目は“GEORGES MICHEI”。ここではフランスの赤ワインを2種類飲ませてもらった。

 次のwineryに行く前に俺は少しcherry orchardを覗いてみた。やっぱり、どこも芳しくないようで、とりあえず1軒だけ来週連絡ちょうだいというところをgetしておいた。うーん、今年はどこもあかんようだ。

 6軒目はこの前、いっしょに飲んだFrewinがいる“ALLAN SCOTT”に向かった。このwinery自体2回目だが、今日はFrewinが仕事の合間を見て、人よりも多めに飲ませてくれた。

 最後に“CLOUDY BAY”。ここも今日で2回目だが、おしゃれなところで、なんかしらんが人気がある。ここのワイン自体もうまいが、何と言ってもreceptionのおばちゃんたちが感じがいい。俺らがtastingだけやと知ってても感じよく笑顔で色々話してくれる。個人的に俺はここを気に入ってる。

 今日はtotal7軒のwinery tour。この前は幸恵さんといっしょやったが、正直、1人でゆっくり自分のペースで行くのがええ。やっぱり、旅をするのも何するのも1人がいいね。満足、満足。

 宿に戻って、しばらくしてorchardのボスからTelがあり、明日から仕事とのこと。それと、もう1人連れて来てほしいらしい。まいった。大体、みんな仕事はkeepしてるし、俺はもう1日だけオーナーにチャリを借りられることになったが、もう1人となると困った。とりあえず、BPサイトの方に行ってみたが、1人車を持っていた青年はもうここを出ると言うし。Punakaikiまで乗っけてくれた麻美さんは、仕事はしたいが他の人もって言うし。どうしたらいいんや。俺はボスに電話してみて、もう3、4人可能か聞くと、OKとのこと。よし、これならOK。よって、BPにいた麻美さん、竜くん、弥生ちゃん、秀さんを連れていくことにした。彼らも仕事がgetできて喜んでいた。

 ただ、人が増えると、当然仕事量、取り分が少なくなるのは事実だ。俺の中には少しそういう気持ちもあるが、まあいいや。細かいことはええ。仕事がなくなればまた探せばいいし。とにかく、みんなと楽しくやればええか。さあ、明日から仕事。

12月7日

「picking初日、やってても張り合いがない」

 picking初日。最高のpicking日和。麻美さんの車で俺、竜くん、弥生ちゃんがorchardへ向かい、秀さんはチャリで来た。startはAM8:00。俺ら以外にkiwi guyのジェイソンがいた。Total 6人とボス夫妻。ボスはすごく感じのいい人。俺に向かって、

「他の日本人はEnglish OKか?」

と聞いてきた。まあ、大丈夫やろ。

 今年のcherryはほんま最悪らしい。まだ赤くなってないのも多いし、それに割れ目が入った傷ものが目立つ。そんな中、picking初日は、まず傷ものでdark colorのものをpick upしてほしいと言われた。ただ、この色が微妙だ。まさしくwine colorとはこの色のことか。要するに、紫っぽいのしか取ってはいけない。食ってみるとわかるのだが、赤い色はまだ酸っぱい。うーん、最初はとまどったが慣れれば楽なもんだ。

 cherryは1本の木に実がなっているはずだが、このorchardはpergolaになっている。そうなると首が痛いし、それ以上に取っていいcherryをselectionするのが厄介で、これに時間が取られる。kiwi fruitと違ってstorkもつけとかなあかんし。とにかく、たるい。まだ、すべて取っていいわけでないから、やってても張り合いがない。これならまだkiwi fruitの方がよかったで。

 このpergolaには鳥防止用のネットが掛けられている。始め、俺はなんで遮光してるんかなと思ってたら、そうじゃなかった。それと、大体5〜10分おきに、「ドン」という、いわゆる鳥防止用の大砲が鳴る。これが結構びびる。こりゃ、orchardも大変や。至るところに鳥が死んでるのを見ると、防止しないとかなりの被害やろう。

 昼からもroutine work。ただ、cherryをたらふく食えるのはいい。kiwi fruitと違って食いやすい。俺は食っても飽きへんけど、周りの連中はもうすでに飽きてた。こんなにいっぱい食えるなんて夢のようだ。ボス自ら、

「好きなだけ食ってもええぞ。」

と言ってくれたし。いいボスやないの、全く。

 今日、仕事が始まったばかりで何とも言えないが、やってて張り合いがなかったのは事実だ。kiwi fruitの時のように、汗をだらだらにかきながらやってたpickingが懐かしいね。それに、日本人が多いということもあるかも。色んな国の連中といっしょに仕事がしたい。そういう意味では今回もpruningの時同様最悪かな。ああ、Taurangaのあのpicking。あの時はつらかっ----。また、ドンの元でドミ、マーティン、ルイス、デヴィ、ダニー、タニヤ、ルーシー、ダニエラ、泰司さんといっしょにやりたいぜ、全く。

 宿に戻っても日本人だらけ。おまけに、kitchen、loungeはPM10:00頃閉められるし。全くどうしたものか。日本人にも色んな連中がいる。自分たちだけの世界を作ってる連中、あまり人と話そうとしない連中。それはそれでいい。別に悪いわけじゃない。しかし、あくまで俺は俺のスタイル。外人と話しているとなんて楽なんやろ。やっぱり、会話はこうでないと。今日も何人かのkiwi guyと友達になった。なんで多くの日本人は彼らと話そうとしないで固まっちゃうんやろう。ここの連中もそうやけど。

12月8日

「この町を好きになれない」

 今日はday off。仕事を始めたばかりなのに。とりあえず、俺はe-mailを出せるところを探しに行った。Blenheimにはe-mail cafe

はなく、唯一computer会社らしきところを訪ねた。俺はまずreceptionを訪ね、ここのねえちゃんに聞いたところ、lap topのjointはだめと断られた。しかし、ねばってみるもんだ。このねえちゃんはofficeに一旦戻り、偉そうな人を呼んできてくれ、まずch-ch、Wellingtonまでの通話料を電話局に確認し、Wellingtonまでなら¢50/minとわかたので、俺の使用許可がおりた。なんていい人なんや。これでBlenheimで使えるところをget。そして、久しぶりにe-mailを見ると20通近くきてた。e-mailは確かに便利。ただ、lap topは正直つらい。まず接続可能の店を見つけるのがしんどい。まあ、ここまできたら最後まで通すが、もう二度とlap topを持ち運ぶ旅はしたくない。

 Blenheim周辺は数多くのorchard、wineryで囲まれているが、俺はあまり好きにはなれない。まあ、仕事がいまいち軌道にのっていないのもあるかもしらんが。ここのmotor campのオーナー夫妻も俺にはすごく親切だが、日本人以外には冷たい。今日もネパール人のビーノが出ていくと言った時には、心持ち喜んでたし。PM10:00頃でkitchen、loungeを閉めるのもどうかと思う。securityのためだと言うが、俺らのプライバシーはどうなる。ドミの連中ならまだいいが、テントの俺らはどうなる。PM10:00以降することがない。まあ、「嫌なら出ていけ。」

だろうが。

 昼からはみんなと話すぐらいしかない。今日は風が強くてwineryに行けなかった。全く、まいるね。話すとしても日本人相手。話すのはいいがだんだんそんな自分に腹立ってくる。なんでNZに来てこんなにいっぱいの日本人と生活せなあかんねん。

 夜、orchardのボスに電話すると明日もday offらしい。ボスはこの連絡事項をここのオーナーに伝えてくれてたが、オーナーは俺に言うのを忘れてた。おいおい、明日の昼めしを作ったわしはどうなんねん。それも利尻昆布を使って佃煮を作ったんやで。ああ、あかん時はとことんあかんで。こんなんやったら旅を続けてたらよかったで。

12月9日

「winery飲んだくれツアー in Blenheim、その 4」

 ああ、day off。全く、まいるで。こうなりゃwineryしかないやろ。俺はまたもやオーナーにチャリを借り、winery飲んだくれツアーに出かけた。今日も風が強い。大体、いつも西風が強く、Renwick方向に行く時は行きがかなりつらい。そんな中、1軒目は“TE WHARE RA”。ここは今まで行ったwineryの中で最悪。俺がそこに着くと人がいない上に、おやじが出てくるやいなや、

「飲むだけなんか。買う気あるのか。」

と聞いてきやがった。見るからに感じ悪い。wineもそれほどうまくないし。建物自体も汚いし、水もクラッカーも置いてない。最悪やね。

 2軒目は“HAWKES BRIDGE”。vine yardを通り抜けた奥におしゃれな建物がポツンとありなかなか感じがいい。おばちゃんもいい人で、俺に$2.00はするwinery mapをくれた。やっぱり、こうでないと。wineもまずまず。

 3軒目は“GROVE MILL”。ここもシャレた建物で、おばちゃんは感じいい。1997年のシャルドネはなかなかよかった。俺が最高のwineを探していると言うと、

「そしたら、またここに来てね。」

と笑ってた。

 4軒目は“NAUTILUS ESTATE”。正直、少し入りにくい感じの所だが、中はギャラリーになっててなかなかgood。ただ、ここのwineは少し俺にはdryかな。ここのおばちゃんは、

「リースリングスが飲みたいなら、mapに載っていない“FRAMINGHAMS”に行ったら。」

と薦めてくれたが、まだ入口は工事中だった。

 5軒目は“WAIRAU RIVER”。ひっそりとした建物の中にギャラリーがあって、どちらかと言うとここのワインもややdry系。

 6軒目は“CAIRNBRAE”。ここは今日が2回目。以前来た時は1994年のリースリングを買った。道から少し中に入ったところにあり、レストランがあるせいかいつもにぎやかだ。ギャラリーもあってまずまずのところ。ワインも少しdry系。

 最後は宿の近くの“WHITE HAVEN”。なかなか入りづらいところではあるが、ここでは色んなリースリングをtasting。そのうちの1つにはtastingに$1.50かかったがまずまずかな。

 これで計19軒。あともう少しですべて制覇することになる。正直、tastingだけやと店を出る時に申し訳ない気もするが、それはそれでいいやろ。向こうも商売やし。ただ、俺みたいに見るからに銭を持ってそうにない連中にも笑顔でtastingさせてくれるところが多いのはうれしいぜ、全く。うーん、今日も満足、満足。

 明日はAM6:30からの仕事となった。やっぱり、そうでないとね。天気であることを祈るだけだ。

12月10日

「picking2日目、和さんとの再会」

 picking2日目。今日から本格的に各自にbinを与えられてのpickingとなった。ただ、まだとっていいのは全体の1/4ぐらい。また、色が超微妙だ。これは明日の分、これは取ってOKというふうに神わざ的に色を選別する。これが非常に気を遣う。太陽の光によってもコロコロ色は変わるし。途中からだんだん面倒臭くなった。とにかく、数が稼げない。これは大変やわ。ほんまkiwi fruitの方がよかった。俺はどうもこういう細かい作業は嫌だ。だんだんと大ざっぱになってくる。ただ、cherryを食いまくれるのはいい。俺は食いすぎて今日は腹が痛くなった。食いすぎはあかんな。

 結局、昼前に終了。2 binぐらいか取ったかな。1 bin何kgかわからんが、おそらく10〜15kg。だから、稼ぎは$30ぐらい。あかん、少なすぎる。おもいっきり取りたい。なんか仕事って感じがしない。それに、歩合なのでみんな黙々とやってる。楽しくもない。pruningと同じ。やっぱり、楽しくしたいで。

 昼前に仕事が終わって宿に戻ると、Blenheim BPのあけみさんが遊びに来てた。彼女は明日ch-chに向かって、この後Tongaに行く。できればlocal villageに行って本来のSouth pacificの生活ぶりを味わってほしいところだが。

 さらに驚くべき訪問が。なんと和さんだ。またもや和さんと再会。和さんとはほんとよく再会する。俺がここにいることを突き止めたいきさつがまたややこしい。

 Blenheim BPに着いた和さんは、まずVBをチェックし、俺が1週間前にBlenheimに来たことを突き止めた。実は、2、3日前に俺が8月にTaupoで会ったゆかちゃんがこのBPにcheck-inし、あけみさんが何気なく、ゆかちゃんにバヌアツに行った俺の話をし、ゆかちゃんはそれが俺であることがわかた。と言うのは、以前ゆかちゃんとTaupoのBP出会った時に、すでに俺はバヌアツに行くことを話してたからだ。そして、ゆかちゃんは俺がmotor campにいることをあけみさんからすでに聞いてた。和さんはVBをチェックした後、何気なく、そのそばにいたゆかちゃんに、

「学って奴、知らない?」

と聞き、その結果ここにやってきたわけだ。人の出会いってのはわからんもんや。ほんまにそう思う。

 和さんが来たってことは、そうその車にはあの“侍”が乗っている。俺は久々に侍を身にまとい、懐かしい気持ちでいっぱいだった。もう、この衣装は俺の一部になってしまってる。今となれば、Aucklandのみんなに感謝せなあかん。

 和さん、それに和さんといっしょに来たしん君とは夜に飲むことにして、昼から仕事仲間と話てた。内容はいつものように仕事のこと。あまりにもcherryがひどすぎるので、その変え時をどうするか。このまま続けても仕事が2、3日おきのペースで、それも午前中のみやろう。apple thinningならconstantに銭が稼げるし、イチゴもhourlyなのでthinning並。みんな、それに悩まされてる。うーん、難しいとこや。俺はBlenheimでもかなりの情報屋になってる。winery tourに出かける度に色んな人にorchard情報をもらい、motor campの外人連中からもかなり情報を得て、Blenheim No.1のorchardボスの家やorchard listも手に入れた。色んな情報をみんなにあげてるんやけどな。俺は今のorchardで十分なのだが。ただ、早目に終わればまた考えるし。

 夕方、ボスに電話すると明日は休みになった。まあ、予想通りかな。さあ、和さんたちと飲もう。時間的にビールを買えなかった俺らは、スーパーでワインを買い、たまたまつまみを買いに入ったtake awayでおもろい展開が生じた。

ここのオーナーは日本人で、自分たちの前の家をフラットにしたいようで、人を探してほしいと俺に言ってきた。こういう頼みは手伝ってあげたい。フラットの料金は$10/day。もし、house keeperができるcoupleなら1人無料。とりあえず、現段階でKoreanの女の子が1人住んでいて、あと4〜5人はほしいらしい。なんとかしてみよう。

 それから、Blenheim BPに戻って、俺らは飲み始めた。俺はあらかじめmotor campから2本だけビールをgetしておいたので、まずそれを和さんとあけた。久々のビール。うーん、うまい。また、ここのfish & chipsがうまい。和さんとは久しぶりに飲む。とにかく、俺も和さんもよう飲むからな。しん君はあまり飲めない。この2人はHastingsでいっしょやったらしい。

 俺は和さんたちにsouth情報を色々教えてあげた。今日、南に来たばかりの2人にとってsouthは未知の世界だ。俺はなるべく細かく教えてあげ、知らん間にゆかちゃんも俺らに加わってメモしてた。この宿にいる恵美ちゃんもこの場に参加してた。まあ、情報屋の俺としては当然のことやろうが、みんなにはかなり参考になったようで俺も本望だ。

 ここで、ゆかちゃん、恵美ちゃんにフラットの話をすると、2人ともかなり乗り気だった。やっぱり、この料金は魅力やろう。ちなみに、このBPは週$98。この2人ならフラットでも大丈夫やろう。とりあえず、明日返事を聞くことにした。

 ああ、今日は色んなことがあった。やっぱり、この前大澤さんと会ったように、昔の仲間との再会はうれしい。特に、和さんとは縁があるようだ。

 

12月11日

「フラットのブローカー」

 昨日遅くまで飲んでた俺は今朝はゆっくりしてた。俺がたまたまめしを食いながらボーッとしてると、同じ宿の女の子が近くにいたので、何気なくフラットの話をするとすごく乗り気。とりあえず、俺は彼女を連れてオーナーのいるtake awayに行き、彼女といっしょに俺もフラットを見学することになった。

 オーナーはなかなか人の良さそうな人。もうこっちに9年近くいるようだ。元々、オーナーの家をあるNZ人に貸していたらしいが、家賃を払わんので出て行ってもらって、家が売れるまでフラットにしたいらしい。いざ行ってみるとフラット自体かなりいい。赤レンガ造りで、部屋が3つにkitchen、lounge、bath、toilet。それに裏庭もあり、冷蔵庫、レンジ、テレビもある。その上、住人のためにオーナーはチャリを買ってくれるらしい。なんていい人なんや。俺も移りたいぐらいだ。いっしょに行った女の子は即OK。よし、1人目をget。

 宿に戻って、仕事仲間にフラットの話をすると、いっしょに仕事してたのりえさんが住みたいようで、これで2人目。今のところ残るベッド数はあと2つ。もう少しがんばってみよう。

 昼から和さんの今後の日程を決めるため、俺も色々いっしょになって考えてあげ、今晩当然のようにまた飲むことになり、俺はその前に一旦宿に戻った。そして、ボスからの電話があり、明日もday offとのこと。全くどうなってんねんやろう。それから、motor campのBPサイトで少しみんなと話してるうちに、そこにstayしてるイタリア人のおっちゃんがイタリア料理を御馳走してくれた。おお、久しぶりにまともなめし。これがまたうまい。さすが本場のスパゲティ。それに、ラザニアらしきものをyummy。すげえ、得した。

 それから、和さんたちの元へ向かい、とりあえず、ゆか、恵美両氏がフラットに入りたいと言うので、またもやfish & chipsを買うがてら、take awayにオーナーを訪れ、そして2人の入居の許可がおりた。ついに4人埋まってしまったで。おまけに、オーナーの奥さんが、

「あんたたち、いつもこんなもん食ってんの。」

と、fish & chipsに酢豚、めしもつけてくれた。見た目は怖そうな奥さんだがいい人やん。その上、俺も住人同様、オーナーのお店でorderすると、5%引きにしてくれることになった。ラッキーだ。

 さあ、ビールに酢豚。なんて運がいいんや。こういうおもろいことがいつも起こるんやったら仕事がなくてもいいかも。

色んな情報が次々入ってくるのは、おそらくみんなに教えてあげてるからやろう。いい仕事情報をkeepして自分のものにする人もおるが、俺はあまりそういう気はないし。まあ、しゃべりの俺としては黙ってることがでけへんやろう。

ただ、おもろいことに、情報を流せば流すほど新しい情報が入ってくるのは不思議だ。また、その方が楽しい。とにかく、その情報が人の役に立って、みんなが喜んでくれるのが一番いい。

 和さんと飲むのももうしばらくないかな。ただ、年末にOnukuで集まろうってことになっているので、俺らはバラバラでそれを目指す。Onukuでは、すでに徳さん、理砂さんがstand byしてるし。仕事もいいが、俺はこっちの方がいいかな。まあ、銭に余裕があるからこういうことが言ってられるんやろう。

12月12日

「Blenheimのフラット」

 今朝は和さんたちの買い物の付き合い。明日からトレッキングの旅に出る和さんとしん君だが、2人はトレッキング初めて。色んなtrackを歩きまくった俺が、彼らに必要なものを教えてあげることのなったわけだ。ただ、俺も本格的なトレッカーではなくいかさまトレッカーなので、専門的なことはわからん。しかし、基本的な服装、装備はわかる。ただ、こういったものはピンキリやからあとは本人次第。まあ、2人には俺のアドバイスが役に立ったようだ。

 昼前からはゆか、恵美両氏の引っ越し。彼女たちは今日からフラットに移り、2人交互でhouse keeperをする。そうなると、1人$35/week。このフラットにこのpriceはかなり安い。奥さんも色々揃えてくれるようで、2人共喜んでくれた。俺も満足だ。

 折角、こんないいフラットに移ったんやから昼飯をここで食おう。、彼女たちに材料を渡して作ってもらい、裏庭で食うことになった。ほんま、このフラットは最高やわ。めしもうまいし。俺もちょくちょく遊びに来よう。めしを食いながら驚いたのは恵美ちゃんは北大の医短出身だった。おお、びっくりだ。NZに来て初めての北大出身。まあ、医短やけど俺の後輩だ。

 夕方、和さんたちはBlenheimですべての用意を済ませ、Pictonに向かうことになったが、俺も同行してPictonにあるヒロハンガトラックを歩いて、それからヒッチでBlenheimに戻ってくるというまたあほなことを考えた。夜のPicton−Blenheim間のヒッチはかなり難しいやろう。まあ、最悪28km歩いて帰れば明日のAM6:00には間に合うやろう。ただ、いざ登ってみると片道30分ぐらいのたいしたことない丘。誰が往復2時間や。帰りのヒッチもすぐで、Blenheimに戻ったんはPM6:00前やん。みんなに深夜になると言った俺の立場はどうなんねん。それに懐中電灯もろうそくも持って行ったのに。

12月13日

「picking3日目、大不作のcherry」

 picking3日目。だんだん、俺らのselectionもいい加減になってきて、まだdarkになってない実も取るようになった。ボスも何も言わん。しかし、この規模のorchardにこの人数は多すぎ。9人もいらん、4人で十分だ。まあ、こういうことは言ってもしゃあない。Better than nothing、そう思わなやってられん。

 今日は昼前から急激に気温が上昇し、2 bin取ったぐらいにボスから、

「もう、これ以上取るな。」

と言われた。ボス曰く、こんなに気温が上昇すると、cherry自体がshrinkして商品にならんらしい。よって、今日も午前中で終了。他のorchardもこの気温上昇のため午前中で終了したところがほとんどで、場所によっては再度夕方からってところもあった。

 今日、ボスにcherryのことを色々聞いた。今年のcherryの不作の原因は11月の雨のせいで、いつもの年よりもかなりの降雨量を記録し、その異常なまでのmoistureのためにcherry自体水分を吸いいすぎて破裂した。やっぱり、農家は恐いわ。ない時はどうしようもない。ただ、俺らは仕事がなければ仕事を変えればいいが、農家自体はどうしようもない。気の毒な気もするがそれを承知の上で農業をやってるわけやから。この大不作を自ら体験できた俺らはある意味でラッキーかもしらん。特に、農学部の俺にとっては。大学3年の時の冷害のように、改めてあの時は米の大事さを痛感した。今回はそれといっしょかもしらん。

 昼からは宿にあるプールで泳いでた。外気はかなり暑いが水自体は冷たい。日差しは強いが蒸し暑くなく、バヌアツの暑さに似ている。ただ、オゾンホールの領域内に入ってるNZでは、こんなに日差しが強いとUVに気をつけねば。いつどこで皮膚ガンが発生するかわからん。しかし、夕方から急に風が吹き始め、まさしく暴風。全く、NZの天気はわからん。

 さあ、明日は初の二連チャンの仕事。開始はAM6:00。

12月14日

「picking4日目、これがwhite cherryか」

 picking4日目。昨日と違って一転急激に寒くなり、今にも雨が降りそうだ。いざ仕事を始めると、この曇り空の下でのselectionはかなり難しい。光が当たっていないので、黒っぽく見えるcherryもよく見るとまだ赤い。それと、rowによってもcherryの量にかなりの違いがあり、俺はなぜかいつもボスに外側をやれと言われる。正直、この外側はつらい。5mぐらい進むと、風防止用のネットを元に戻すという作業が加わるため人より遅れる。いつも外側ばかりしている俺を信用してボスは俺に言っているつもりだろうが、たまには中側のrowをやってみたい。このネットの開け閉めはすごく重要。というのは、この辺りは風が強く、すぐに閉めないとcherryの重みのかかった枝は湾曲し、cherryが落ちてしまう。その上、俺のrowにはほとんどcherryがないでは。まあ、こういう日があってもええかも。結局1binがやっと。たぶん、俺が一番少ない。

 今日はAM11:00頃終了。ただ、ボスは俺らにwhite cherryを食わせてくれた。これがwhite cherryか。俺はてっきり外側が白いんかなと思っていたが、中が白いのをwhite cherryというようだ。外側は赤、ピンク、白と色が様々で、いざ食ってみるとなかなかgood。これが、俊君が薦めてくれたcherryか。満足、満足。これで俺のBlenheimでのpickingの用は済んだ。もういつここを出てもいい。

 昼前に宿に戻り、おねえちゃん(典絵さん)が持って帰ってきたcherryをBPにいるジェフが見て、俺らにパイを作ってくれた。ジェフは一見恐そうだがかなりいい人。どうやら、元cookだったようで、さすがcookと思ったのは自分で作った料理は一切食わない。うーん、職人だ。

 その後はe-mailのチェックに行って買い物をして帰り、今晩はアボガド丼を食うと決めていた。ここにいる敬子さんに教えてもらった料理で、作るのはすごく簡単。アボガド、キッコーマンの醤油、それにわさびを混ぜるだけ。味的にはサーモンに似てて、これがまたうまい。やみつきになりそうだ。

 ああ、今日もcherryを食いまくった。cherryを食いまくると腹の調子が悪くなる。それと、今日改めて発見したのだがおならが多くなる。俺は今日何発こいたかわからん。かなりこいたで。cherryの中のガスやろう。エチレンかな。メタンやろか。

12月15日

「picking5日目、他のorchardからの誘い」

 picking5日目。今日はday offのはず。しかし、朝から慌ただしかった。というのは、今になってほとんどのorchardが人を探し始めた。急にcherryが熟してきて、早いとこ取らんといけなくなってきた。つまり、働き手が追いつかないわけだ。俺から言わせりゃ勝手な気がする。今までは散々人を断ってきたのに、ここになって急に人をくれと言いだしやがった。正直なところ俺はもっと仕事がしたいので、うれしいと言えばうれしいが。そして、俺らは考えたあげく、今までのorchardと他のorchardへ分かれてことにした。

俺らが行ってるorchard(通称エミュー)は人が十分すぎ。二手に分かれた方がみんなにとっていいやろう。ただ、ボスには申し訳ない。ボスは俺にとっては恩人だ。仕事がなくて困っている時に快く俺を雇ってくれた。だから、俺はどんなことがあってもボスのorchardに行く。たとえ銭が安くても。

 さあ、今日はe-mailでも出すかって時に、ここのオーナーのデイブが、

「学、今から仕事したくないか。」

と言ってきた。できるならやる。ただ、場所はRenwick。ここから15km離れたところだ。そうなると、車がいる。そこで、俺はたまたまday off裕二郎さんに仕事のことを伝え、裕二郎さんの車で俺、やすお君、おねえちゃんが行くことになった。

 俺らが着いたSouth Pacific Orchardは、俺が以前行ったことのあるwineryの近くで、かなりの人をほしがっている。規模的には大きいがcherry自体はあまりよくない。俺らがやったrowのcherryはほとんどが割れている。これは商品にならんわ。その上、chemicalがすごくcherryの中には真っ白になってるのもあった。うーん、まきすぎや。ボスはすごくいい人で、ボス、奥さん、息子で経営しているようだ。俺らが来たことに対してものすごく喜んでくれ、ボスは俺らの名前を速攻覚え気軽に話しかけてくれる。エミューといい、ここといい、俺はボスに恵まれている。

 pergolaと違って、ハシゴを使ってのpickingは疲れる。ハシゴの移動、登り降りの作業が余計に加わる。ただ、仕事をしてるって感じがするので、俺としてはこっちがいいかも。とにかく、今日のrowはひどかった。割れまくってるcherryばっかりやった。最後の方に、やっとやという木に当たったがもう遅かった。time over。何 binぐらいいったかはわからんが、ここはbinに貯まる度に重さを計ってくれる。これはラッキーだ。なんとなく自分が今どれくらいかわかるし。ああ、疲れた。

 くたくたになって宿に帰ると、今朝、俺ら5人は二手に分かれてやっていこうって言ったところなのに、昼頃もっとおいしい話がきて麻美さん、弥生ちゃん、竜君はそっちに移ると言いだした。おい、待ってくれ。そしたら、朝、俺らがOKって言って安心して帰ったorchardの立場はどうなる。俺らはそれを裏切ることになるんやぞ。人の信用ってそんなもんか。確かに、みんな銭はほしい。でも、銭で買えんもんもあるやろ。まだ、相手にちゃんと断って話を通したんやったらわかる。しかし、無断やで、おい。正直、俺はこの3人の行動に対してきれそうやった。でも、ここできれてる場合やない。同じ宿に泊まってる仲間やしな。とりあえず、なんとか人を埋めて、みんながうまく修まるようにしようと思った。おまけに、運の悪いことにエミューのボスから連絡があり、明日仕事と言われた。俺はボスに俺1人で行くと伝えたが、2、3人はほしいと言ってきた。もう他のメンバーは別のorchardに行くことになったし。俺はどうしたらいいんや。とりあえず、明日だけおねえちゃんに来てもらうことになった。

 俺はなんとか埋め合わせをして、すべてがうまくいくよう解決した。俺はここの連中に一言言いたい。人とのつながりというものは、そんなたやすいもんやない。銭では決して買えるもんじゃない。ただ、もし仕事を辞めるとか、orchardを変えるんやったら、ちゃんと筋を通すように。みんな子供やないんやから。社会を経験してる奴がほとんどやろ。

銭はヨォ 銭はヨォ 

そりゃほしいけれど

何ボ積んでも 何ボ積んでも

譲れねぇものがある

〜「親知らず」長渕 剛〜

12月16日

「picking6日目、2つのorchardの掛け持ち」

 picking6日目。AM6:00からはエミュー。俺は正直にみんなが他のorchardに移ったことを言った。そして、

「俺はどんなことがあってもここに来るから。」

と伝えた。申し訳ない、ボス。

 ここのorchardは早ければ、あと3日ぐらいで終わりそうな雰囲気だ。もうcherryも残り少ない。しかし、ボスは俺らが少なくなることを知ってか、今日はかなりの人がここに働きに来てた。ボスの子供の友達も来てたし。おかげで、AM8:30ぐらいに終了してしまった。まいった、まいった。

 それから、おねえちゃんと麻美さんたちのいるorchardに行って、明日からおねえちゃんもここで働けるように話して、South Pacificへ向かった。さすがに、チャリでの道中は疲れた。俺らを見たボスは喜んでくれ、早速仕事開始。今日は運よくgood rowに当たった。

 俺はpickingをして思ったが、cherry pickingの良し悪しはすべてrow次第。力や技術じゃなく運だ。cherryがない木はないし、これに当たれば最悪。いいrowに当たるかどうかは、まさしく神のみぞ知るだ。

 昼からは裕二郎さんたちも合流。彼らのorchardはこの隣で、ボスは昼からでも来てくれと言っていた。とにかく、人がほしいんやろう。それにしても、このボスはほんまにいい人や。俺はAM10:30からPM5:30までしか仕事をしていないが、ここの息子に、

「今日のトップは学だ。」

と言われた。数々の外国勢を押しのけてのトップ。まあ、俺の腕よりも運や。これは間違いないやろう。さすがに、Blenheim−Renwick間のチャリでの往復は疲れた。特に、帰りは向かい風やっただけに。これが毎日となるとかなりつらいやろ。

 宿に戻って日が暮れてから、宗二さんに部屋に呼ばれた。そう、泰君の送別会だ。宗二さん、泰君、真由さんとは10月にBlenheim BPで会って、俺がmotor campを薦めてあげた。そして、12月に俺は3人に再会したわけだが、3人とはmotor campにいる連中の中でも特に仲がいい。オイスター工場で働いてる3人だが、その3人の中によく俺を混ぜてくれる。3人共すごく個性的でなかなかユニークな人たち。その中の泰君が明日出るとなっては、俺もその送別会に参加しないと。ほんとは3人だけでするのがいいと思ったが、折角宗二さんが呼んでくれたので。泰君とはどこかで会うような気がする。とにかく、お疲れ様。また会おう。

12月17日

「picking7日目、世界60ヶ国以上旅したつわもの」

 picking7日目。今日はエミューが休みのため、朝からSouth Pacificとなった。ほんとは裕二郎さんに乗せてもらってもいいのだが、俺らのorchardは仕事が始まるのがAM8:00。裕二郎さんのところがAM6:00からなので、2時間待たなあかんのはつらい。そこで、今日はよしさんにチャリを借りることにした。

 今日も午前中はgood row。いいrowに当たったため、午前中だけで60 kg近くいった。ボスの息子もびっくり。cherryによっては色がまだ赤いが、取ってもいいのがあって、俺が午前中にやったところはまさしくそのcherry。むっちゃ、ラッキーだった。昼からはそのrowを外れた。またこれが最悪。まあ、人生そんなに甘くはないやろう。昼からは20 kgぐらいかな。今日はこんなとこか。

 ここのorchardには俺ら以外にもう1人の日本人のおじさんがいて、彼の名前はまささん。まささんは永住権じゃなくNZの市民権を取って、Blenheimに土地を買ったのはいいがお金がなくなり、ここでpickingして銭を稼いでいる。現在は奥さんと町中のフラットに住んでいる。まささんは世界60ヶ国以上旅したつわもの。その中で一番気に入った国がNZで、ここに永住することにしたらしい。やっぱり、NZか。Blenheimを選んだ理由は、ここは比較的降雨量が少なく、温暖で果樹にはもってこいだからだ。ただ、どういったfarmにするかは考え中で、比較的簡単なのはトウキビ、バレイショか。俺個人としては米を作ってほしいが、そうなると問題は灌漑設備か。うーん、難しいところだ。

12月18日

「picking8日目、26歳の誕生日」

 picking8日目。今日はエミュー。ついに外人勢もいなくなり。俺1人とボスの娘、その友達だけとなった。ボスにはほんと申し訳ない気持ちでいっぱい。でも、ボスはいつものように俺を笑顔で迎えてくれた。今までは、1人半列で1日が終わったが、今日は俺1人で2、3列はやった。しかし、cherry自体はもうあまりない。午前中だけで2 binがやっとだ。まあ、しゃあないと言えばそれまでだが。たぶん、もう2、3日すると終わるような気がする。それにしても、やっぱりエミューのcherryが一番うまい。なんて言うんやろ。ひいき目になってるかも。今日はあまりのうまさに調子に乗って食いまくり、途中から腹が痛くなってきた。我ながらあほやと思う。しかし、止められへん。かっぱえびせんのようだ。ボスは俺にいっしょに昼めしはどうかと誘ってくれたが、普通なら当然いっしょするのだが、今日の俺は下痢状態。それどころやない。折角、めしを誘ってくれたのに。まいった、まいった。一度宿に戻ってゆっくりうんこしてきた。

 昼前から雨が降り始めたが、俺は自ら志願して働くことにした。俺にはこれぐらいのことしかできん。ボスは喜んでくれたが、俺は申し訳けない気持ちしかない。確かに、ここのorchardでは銭が稼げない。しかし、銭では買えんものがある。もし、ここで俺もボスを裏切るようなことをすると、俺はその時点で人間でなくなるだろう。仕事が終わった後ボスは、

「学、好きなだけwhite cherryを持って帰りなさい。」

と言ってくれた。ありがとう、ボス。俺は今夜のpartyのために持って帰った。

 今夜はフラットでparty。そう、俺のbirthday partyだ。たまたま冗談で言ったのが本当にそうなってしまった。まあ、こういうきっかけでみんながはじけるならそれはそれでいい。恵美ちゃんはチーズケーキ、ゆかちゃんはサラダ、宿の女性陣(典絵、弥生、麻美)はcherryタルトを作ってくれた。こういうのは気持ちだけでいい。もう誕生日を祝ってもらう歳でもないし。俺はwineとbeerを買って行ったが、みんながかげでこそこそbirthday cardを書いてて、

その中に酒代が入ってた。知らないふりをし通したがこういったものはもらうとうれしいものだ。夕方、e-mailをチェックしに行った時も、何人かの人がhappy birthdayと書いてe-mailを送ってくれた。ありがとう、皆様。俺はその気持ちだけでうれしい。

 夕方から雨が強くなり、宿に帰ると案の定テントは浸水してた。まいった、まいった。

12月19日

「俺の英語力はかなり低下している」

昨日の雨が今朝も降り続き、今日は仕事が休みになった。しかし、昼前から一転して青空になり、そうなると俺はテントを乾かさなければならなくなる。まあ、もう慣れたもんだが。

昼からはフラットに行った。ここのフラットはほんとにいいところ。motor campが落ち着かんだけにかなりいい。俺はここのブローカーをやってて誇りに思う。ただ、溜まり場になって飲んでそのまま寝てしまうのは避けなければ。じゃないとオーナーに申し訳ない。けじめはつけんとな。

ここ数日仕事が続いていただけに、たまの休みはいいものだ。仕事をする前は仕事がしたくて仕方なかったのに、いざ仕事をしだすと休みがほしくなってくる。Kiwi fruitの時もそうだったが、人間って勝手なもんやね。やっぱり、人間自分がかわいいんやろう。ただ、俺の場合もう少し限界に挑戦したい。どうもバヌアツから帰ってからは刺激に欠ける。

最近よく思うのだが、俺の英語力はかなり低下している。周りはほとんど日本人やし、英語を使う機会がほとんどない。やばい。折角、うまくなったのに。まいったね。

12月20日

「picking9日目、俺ら日本人が犠牲になる」

picking9日目。今日はSouth Pacific。ボスからの要請で、みっちとゆかちゃんを助っ人に呼んだ。まささんに俺らのpick upを頼み、AM8:00 picking start。今日は最悪もいいところ。昨日までの雨でかなりのcherryが割れてしまい、qualityのいいのを探すのは難しい。それに、rowも悪いし。さすがの俺も途中からやる気をなくした。これはひどい。

元々Blenheimは雨が降りにくく、地中海性気候に似ているためgrape、cherryには最適だ。しかし、今年は10数年ぶりの大雨。おそらく、土壌自体が今年のような大雨に慣れていないせいでもある。水分ポテンシャル改善のため、土壌改良資材の添加が必要だ。それにしても、cherryってこんなにもろいのか。これぐらいの気候なら日本では対応できるような気がするが。結局、今日も$30ぐらい。まあ、文句言ってもしゃあないが。

俺ら日本人はかなり損をしている。地元の人や常連さんは自分のrowにcherryがないとオーナーに文句を言ってrowを代えてもらうか、そのまま帰ってしまう。orchard側も人が必要なので彼らの要望に応えるが、そうなると文句を言わず、言われたことをまじめにやる俺ら日本人が犠牲になる。だから、俺ら日本人はorchardにはなくてはならない存在となり、orchardの中には優先的に日本人を雇うところもある。ここのボスも俺らに悪いと思ってるんやろう。今日、仕事が終わった後、俺ら日本人だけにビールをくれた。こういった気持ちは非常にうれしい。ここのボスは人の使い方を知っている。俺らがいくらがんばったとしても、cherry自体が割れてしまっているので銭の稼ぎようがない。わずかにあるいいrowはNZ人に与えないとしゃあない。うーん、俺はやっぱり日本人か。

宿に帰ると今日フラットに移るはずのKoreanの女の子がいきなり行かないと言い出した。こういったのは困る。オーナーに伝えた俺の立場はどうなる。とにかく、ここのmotor campの連中で、いい人って思える人は数人だ。ころころorchardを代えたり、人のことを考えんかったり。なんかいらついてきた。もう、Blenheimは十分だ。なんかここを出たくてしゃあない。正直、日本に帰ってからほんとに会いたいって人も数人かな。NZで会う人に“侍”は少ない。もっと人間的に心から尊敬できる人に会ってみたい。

12月21日

「picking10日目、ほんとに申し訳ございませんでした」

picking10日目。今日もSouth Pacific。まささんにpick upを頼みorchardに向かった。まささんには一度お礼をしないとな。まささんとはゆっくり話してみたい。

ああ、今日も最悪のrow。分かってはいるがやる気がなくなってくる。それに、午前中はほぼ無風で暑くてしゃあなかった。この暑さはもう夏やな。cherry pickingの時のコンタクトはかなりつらいので眼鏡にしているが、汗で眼鏡がくもってきたのは初めてだ。気持ち的に乗らないので仕事も進まない。結局、今日も$30ぐらい。途中で、かなり暑くなってきたため中止となった。まあ、今日も気が乗らんかったからな。最終的に仕事をしてたのも日本人のみだった。今年のcherryは日本人がいなかったら全滅やったな。

宿に戻ってからたまってたe-mailを出して、明日ここを去る弥生ちゃんのためにエミューに給料を取りに行った。今日初めて知ったのだが、エミューの本当のオーナーはリオンの方で、俺らがボスと思っていたウィリーは俺らと同じ雇われの身だった。俺が事情を説明するとリオンはすぐに給料を計算してくれた。ほんとここの人々には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。分かってはいるが途中で他のorchardに移った4人には憤りの気持ちが隠せない。今年のこの状況じゃ、やむをえんかも知らん。俺は表面上は穏やかにしているが、俺個人としてはがっかりだ。エミューと他のところの二手に分かれようと話したその日の朝、他のorchardと契約したにもかかわらず、その午後には銭のいいところに移った彼女たち。人間のすることじゃないで。彼らは実際のところどう思ってるんやろう。

ウィリー、リオン共嫌な顔をせず、俺に明細書とcheckをくれた。そして、ここでのcherry pickingは終了したことを伝えられた。ほんとに申し訳ございませんでした。確かに銭はほしいが、俺は銭以上の物を大事にしたい。

「俺は俺でありつづけたい。」

これは永遠のテーマだ。宿に戻ってみんなに給料を払った後、俺ら5人はリオンにお礼を言いに行った。その時もリオンは笑顔で迎えてくれた。

その後はフラットに向かった。恵美ちゃんが明日で出る。俺が初めて旅先で会った北大出身の日本人。彼女とは北海道で会うやろう。とにかく、体に気をつけて下さい。俺に言えるのはそれだけかな。

それにしても、今晩は蒸し暑い。初めての寝苦しい夜かも。

12月22日

「picking最終日、日本にいる外国人労働者の気持ち」

picking最終日。エミューが終わった今となってはSouth Pacificしかない。それに、今日はorchardの方から割れたcherryを全部取るから来てほしいと言われていた。これはかなり銭が稼げる。昨日もこの作業をやると言われていたがさせてもらえなかったので、今日こそはと張り切っていた。真由さんは今日のためにBlenheimを出る日を延期したぐらいだ。俺も今までの鬱憤を晴らすために張り切っていた。銭以上に割れたcherryをすべて取れるなんて気持ちいいし、それで割れたcherryがすっかりなくなった木を見るのはうれしいやろう。俺と真由さんはいつものようにまささんにpick upしてもらい、まささんは今日のために助っ人に奥さんを連れてきてた。

しかし、orchardに着くと、いつものように割れた中からいいのを選ぶ作業をさせられた。俺も真由さんもむかつき始めた。これで2日目やぞ、待たされてんのは。俺が、

「いつ割れたcherryを取らせてくれるんや。」

と聞いたら、

「このrowが終わってから。」

と言ってきた。割れたcherry取りの単価は安い($5.00〜7.00/bin)けど、おそらく20分で1binは貯まるやろう。そうなると、最低$15/hourはもらえる。俺らはボスに言われたrowを終わらせ、さあと思ったが、またいつものようにひどい木をやらされた。もう俺らは怒りを隠せきれなく、

「いつさせてくれるねん。させてやるって言ったやないけ。」

と抵抗したが、

「午後から。」

の一点張り。もう俺も真由さんもやる気なし。

やがて、昼飯の時が来て、ボスは、

「あと30分経ったらやらせてやる。」

と言ってきたが、俺らはもう彼らのことが信用できない。それに、突然pickingは今日で終わりと告げられた。途中から参加した裕二郎さん、敬子さん夫婦は彼らのorchardでも騙され続けたのに、そしてここでも騙された。俺はこの時点で、俺ら日本人はその国民性を利用されて、いいように使われていたことを知った。日本人は言われたことを忠実にやる。それも、文句を言わずに。地元の人や外国人はいいrowではなかったり、銭が稼げないと分かれば、とっとと辞めて他のところに行ってしまう。そうなると、orchard側は困るので、彼らにはいい木で取らせてあげ、悲惨な目にあうのは俺ら日本人。Koreanにはもっとひどく、Koreanだけ強制的に解雇されたorchardもあった。俺はボスを信用しすぎた。

「もし俺が辞めたら。」

と思って、ずっとボスの元で働いてきた。ボスからmotor campに電話があって以来、エミューがない限りBlenheimから15kmも離れたRenwickのこのorchardに、時にはチャリで通い続けた。銭にならんが義理は通そう。その態度を貫いた結果がこうなった。俺が一番嫌いなことは、人に嘘をつかれること、裏切られること。所詮、俺らは外国人労働者。日本にいるイラン人、ブラジル人はこういった気持ちなのか。使うだけ使いまくって、突然、

「はい、さようなら。」

彼らには家庭があるが、家庭のない俺らはまだましか。日本にいる外国人労働者の気持ちが分かったような気がする。

30分で終わりと言ったくせに、最後は商品にならんはずのwhite cherryを取らせやがった。

「PM3:00になったら終わり。」

やってられん、あほらしくて。この前のビールで騙された俺があほやった。全く悔しすぎてやるせない。俺にももっと人を疑う目が必要かも。

pickingが終わった今となってはここに残る理由はない。もう明後日出よう。その事をみんなに伝え、今晩宗二さんと飲むことになった。当初は、宗二さんと2人で飲む予定だったが、宿の連中が何人か(いや、ほとんどか)集まり、星空の下でろうそくをつけ、蚊取り線香を焚きながら飲んでた。最初は、日本人ばかりで嫌だと思っていたこの宿も、色んな事があった今となってはみんな俺の大事な仲間だ。特に、裕二郎さんは人間ができている。俺も見習わなければいけないことがかなりある。そう感じさせてくれる人だ。ここの連中も俺を別人間扱いをしていた。

「見た目30、中身50、一体あなたいくつなの?」

敬子さんがこう俺を表現してた。俺は普通の一日本人。やりたいことを今までやってきただけ。それ以上のことはない。ただ、

「あなたに会えてよかった。」

と言ってくれるその言葉が、俺はどんな言葉よりも一番うれしい。ほんとにありがとう、みんな。

12月23日

「至れり尽くせりのChinese take away」

Blenheimを出る前に俺には色々やることがある。自分が考えていることだけならいいが、どんどんと予定が入ってくるのがいつもの傾向だ。午前中はめしを食ったり人と話してたが、昼からはまず宗二さんにe-mailについて詳しく教えるためにコンピューター会社に向かった。その後は、図書館。数日前の新聞に面白い記事が出ていると、まささんの奥さんに教えてもらった。その記事を読むと、cherryが割れるのを防止するためには、カルシウムを散布するといいらしい。なぜなのかは詳しくは書いていなかった。“might”という表現を使っていたので、はっきりとは分からんねやろう。

それから、裕二郎さん、敬子さん、真由さんとSouth Pacificに給料を取りに行った。昼から来いと言われていたが、予想通りまだ用意できていなかった。ボスに、

「待ち時間に、好きなだけcherryを取ってもいいよ。」

と言われたが、俺らはその言葉通りいいのだけを取りまくった。もう、ボスは信じられん。なんか色々言ってきたが、俺は聞き流してた。

ch-chに行く手土産をたらふく取った後、ボスから給料をもらった。これだけボスに尽くしたのに、たったの$230。俺がBlenheimに来てgetできたtotalの銭は$450ぐらい。pruningよりも最悪だった。増えもせず減りもせず。まあ、この最悪な状態で減らんかったんが唯一の救いだ。

宿に戻ってからは、みんなから出会い帳をせがまれた。俺はできるだけ英語で書きたい。しかし、みんなからは英語は不評だ。なんでやろう。

その後は、フラット。ゆかちゃんにお別れを言わねば。このフラットと出会えたことはかなり大きい。Blenheimでの生活を楽しくしてくれた。俺がたまたま買いに入ったChinese take away。まさか、その後フラットのブローカーになるとは。オーナーはほんと親切な人。ほぼ毎日のように、色んな物を持ってきてくれるようだ。今日は運良くオーナーがフラットに来た。沖縄県与那国島出身。俺が一度サトウキビ狩りをしに行こうとしたところ。オーナーに参考までにサトウキビ狩りのことを少し聞いておいた。いずれ行くかも知らん。

それから、今晩宗二さんと真由さんと飲むために、オーナーのtake awayにつまみを買いに行った。奥さんは一見恐そうだが、話せばすごくいい人。俺は今までのお礼を言いに行くと、

「こちらこそ。」

と感謝の気持ちだろうが、八宝菜をくれた。前の酢豚といい今日といい。ほんとにありがとうございました。

宿に戻るとちょうど飲みが始まるところ。隣の部屋でもにぎやかな飲み会が開かれていたが、俺は宗二さんと真由さんとゆっくり飲む方を選んだ。真由さんは俺が隣の飲み会に参加したいのではと思ったらしいが、そんなことはない。Blenheimに始めてきたのは10月の中旬。BPで最初に出会ったのが、宗二さん、真由さん、泰君のoyster3人組。俺はsave moneyのためなら、motor campに移ることを勧め、12月にここで再会。宗二さんは天然ボケ系で普通にしてるとかなり笑えるが、自らボケようとするとくだらん。そのボケに冷たいツッコミを入れるのが真由さんで、すでにここを後にした泰君はボーッとしてて何も考えていないタイプ。全くタイプの違う3人を見ているとかなり笑える。

彼らは俺に借りがあるように感じているが、俺の方こそこの3人に出会えてよかったと思っている。最後の晩をみんなでワイワイやるのもいいが、俺はこの2人と飲みたかったのでこっちを取った。ほんとは、俺の方こそ2人の仲に入るのはどうかと遠慮したが、宗二さんの方から声を掛けてくれた。もう、宗二さん、真由さん、泰君の3人と揃って集まることはないやろう。真由さんとは明日一緒にch-chに行くことになったが、宗二さんとはお別れやな。とにかく、会えてよかった。また会いましょう。

12月24日

「久しぶりの大都会であの2人と再会」

兄さん(たかしさん)の車でch-chに向かう日が来た。AM8:00の出発が色々遅れてAM9:00近くになった。朝早いのにみんな起きてきて見送ってくれるようだ。Taurangaの仲間と別れる時のような寂しさはない。みんな日本人なので会おうと思えばまた会えるからか。それに、自分自身完全燃焼してへんからかも。俺は旅先で会う日本人からはほとんど住所を聞かない。まあ、俺の住所を教えてるせいもあるが、なんかまたどこかで会えるような気がするからだ。ただ、その中でも特にこれからも付き合っていきたいと思う人には聞いている。こういうのはほんとはよくないんやけどね。

この宿のオーナーのラップとデイブは俺にはすごく親切やった。俊君の友達っていうのもあったのかもしらん。しかし、人によって接し方を変えたり、その日の気分で全然態度が違うのは経営者としては最低だ。特に、Koreanに対しては冷たかった。とにかく、Blenheimにはいい思い出はなかった。できれば二度と戻りたくない町だ。しかし、色々勉強にはなった。そう思わないとやるせないのが正直なところ。

ここで会った仲間。宗二さん、真由さん、泰君、よしさん、マジシャン、裕二郎さん、敬子さん、みかさん、やすお君、兄さん、真吾君、てっぺい君、麻美さん、おねえちゃん、みっち、弥生ちゃん、竜君、ゆかちゃん、恵美ちゃん、あけみさん、ジェイ、スエ、ビーノ。ほとんどが日本人やった。最初は、アチャーと思ったけど楽しい時を過ごせた。みんなありがとう、また会おう。

兄さん、真由さん、俺の3人は絶好のドライブ日和の中ch-chへ向かった。ch-chでは祐子さんたちと会う以外に特に予定はないが、Onukuに行く前に買わないといけない物が少しある。Onukuではほぼ自給自足を考えているからな。

兄さんは枚方出身。あまり口数は多い方ではないがなかなか面白い人。大阪にいる時は壁紙張りの職人やったらしい。やっぱり、人間手に職があるといい。兄さんは日本に帰るとまた職人の世界に戻るようだ。

約4時間ぐらいでch-chに着いた。相変わらずでかい町だ。久しぶりの大都会に、久しぶりの信号。Christmasに向けて熱気ムンムンかなと思ったが、それほどでもない。兄さんに懐かしのFoley Tower BPで降ろしてもらって、久しぶりに祐子さんとも再会。俺はここのスタッフ用とBP用にcherryを土産として持ってきた。これには宿の人も喜んでくれ、祐子さんはcherry muffinを作ると言っていた。リリアナやのり子ちゃんも元気そうで、ここを出て行ったはずのよし君も今日たまたま帰ってきた。これにはびっくりだ。

俺と真由さんは一緒にtownに向かい、真由さんのバスのbookingに付き合った後、何気なく道を歩いてると、

「マナブ!!」

という叫び声が。なんとマイクとマンディでは。マイクたちは俺と同じ宿にいるようで、“Manabu”というチェックインの名前でひょっとしたらと思ったらしい。まさかこの2人と会えるとは。彼らとは色んな思い出がある。Taurangaで一緒に働いて、Coromandelを旅して、Aucklandで再会し、そしてまたch-chでも再会。会う人とは会うんやな。当然、今夜は飲むことになるやろう。

それから、一旦真由さんと別れて、俺はJTCへ向かった。ここには荷物の整理に寄っただけだが、何気なくここの掲示板を見ると俺が以前教えたpicking情報があるではないですか。それも、“伝説のヒッチハイカー”、“情報量No. 1”という見出し付きで。更に驚いたのは、俺が教えた情報の半分は間違っているでは。これなら意味がない。早速、俺は訂正させてもらい、誇張した俺の表現は止めてもらうことにした。

JTCの後は、Onukuに向けてキッコーマンの醤油とコチュジャンを買わねば。さあ、アジアンフードへと思っていたら羊平君と再会した。オカリナ少年羊平君は、すでにbuskingで銭を稼いだらしい。さすがは羊平君。Onukuで一緒に漁生活をする仲間としては、必要最低限の食糧を買うことを薦めてあげ、一緒にアジアンフードに行くとにした。ch-chのアジアンフードの店自体はそれほど大きくはないが、まずまずの規模かな。まあ、ここ以外に何件かあるとは思うが。俺は予定通り、ここでコチュジャンとキッコーマンの醤油1gを買った。ワサビもほしかったがあまり贅沢はしたくない。QPも諦めよう。

その後は釣り道具。糸と針、それとスノーケル。まあ、本格的な釣りではないのでWare Houseで十分やろう。しかし、これだけで思ったよりも経費がかかった。必要最低限なので譲れないが、$15近くした。ただ、スノーケルが$3.00だったのは予想以上に安かった。これはラッキーだ。俺は羊平君にも少しcherryを分けてあげた。12月26日からOnukuで漁生活が始まる。当然、俺はヒッチで向かうが、羊平君はどうするやろう。とりあえず、現地集合って事にした。

宿に戻った俺は大変やった。部屋には真由さんがいるし、宿には祐子さん、リリアナ、のり子ちゃん、それに今日偶然帰ってきた居候のよし君がいるし、それとマイクとマンディもいるし。でも、今日は久しぶりに再会したマイクとマンディやろう。俺はこの2人と1人のオランダ人と飲むことにした。

久しぶりに外人と飲んだ。Blenheimではずっと日本人と一緒やったからな。この2人との再会は今日で3度目か。会う人とは会う。以前、この2人と話しててもあまり彼らの英語が理解できなかったが、今日はかなり分かる。俺の英語力が上達したのか、もしくはずっと訛りの強いNZ人のorchardで働いていたため彼らの英語が聞きやすいためか。日本人同士の会話も確かにいい。しかし、久しぶりの外人との会話はもっといい。なんか気が楽だ。気を遣わんでもいいからか。彼らは言いたいことをどんどん言ってくる。これがすごく楽だ。それに、難しい話をせんでもいいし。とにかく、今日はこの2人に会えてよかった。これからもこの2人とはkeep in touchやろう。

12月25日

「地球の南側のChristmas」

生まれて初めて南国で迎えるChristmasが来た。俺は日本にいる時から特にChristmasには興味がなかった。第一、俺はクリスチャンではないし。しかし、クリスチャンが多いこの国では、Easterと並んで二大holidayになっているChristmasには少し興味があった。このBPでも Christmas partyが催されるそうで、その会費として俺は$9.00も払った。まあ、参加せんわけにはいかんやろう。

俺の予定では、partyが始まるPM2:00まで間にテントを洗おうと思っていた。しかし、Greymouthで初めて会い、Blenheimで再会したカップルのうちの彼女の方のえみちゃんと宿で再会した。彼女は他の宿にstayしているが、銭がなくなったので自分の持ち物を売りに来た。現在の所持金は$200。visaは4月まで。

「何でそんなに使ったの?」

と聞くと、どうやらスノーボードをして遊びまくったらしい。一度、実家からかんぱしてもらった銭も使い果たした。まあ、自業自得だ。放っておく方がいいかなとも思ったが、俺の性格上放っておけない。とりあえず、真由さんと相談して俺らの食い物を少しかんぱしてあげることにした。ラーメン、冷凍野菜。これで、2,3日は持つと思うが。それと、あとはfree marketしかないやろう。彼女が持っていた服を持って、俺らはsquareでのfree marketを試みた。ただ、いざ行ってみるとシーンとしている。Christmasの町ってこんなもんか。身内でpartyをするのが主流で、町中は静かとは聞いていたが。観光に来ている人間ばかりだ。これにはまいった。どうしよう。逆に、出過ぎたまねをしてえみちゃんに迷惑かけたかな。売れるどころではないで。人がいない、諦めよう。

えみちゃんとは宿で別れて、さあChristmas partyだ。

「よし、思いっきり食うぞ。」

と思っていたが、予想通り量は少ない。ラム、カルビ、チキン、野菜、ソーセージ。飲み物はワインが数本で、ビールが少し。俺はBBQにはビールしかないと思って飲んだが、これが失敗。腹がいっぱいになってしもたやんけ。こんなんでは元が取れん。真由さんも食い物の少なさに嘆いていて、マイクとマンディは食い物よりも飲む方を楽しんでた。

めしの後はデザートが来た。NZのお菓子、パブロアだ。パブロアはとにかく甘い。これは甘すぎて食えん。形はケーキだが、スポンジの部分がほとんど砂糖の固まり。生クリームも甘いしな。NZの人はこんなん食ってたんか。これはあかんで。トッピングには俺が持ってきたcherryが使われたいた。俺のcherryは大活躍。Christmas special cherry muffinや、のり子ちゃんは残ったcherryでジャムを作っていた。こんなに活躍してくれるとは、俺も持ってきた甲斐がある。

partyはPM4:00過ぎには終わり、俺は少し昼寝した後、部屋でずっと真由さんと話してた。真由さんは一見桃井かおり系の冷たい感じがするが、結構寂しがりやな気がする。10月に初めて真由さんと会った時に、まさかChristmasをch-chで一緒に過ごすとは思わんかった。泰君が出て行き、宗二さんと別れて、明日はついに真由さんとお別れだ。真由さんは佐賀県出身。来年、絶対訪ねよう。

真由さんが寝た後、さあ日記を書こうとしたら、そうや祐子さんたちの家に訪ねる約束をしてたんや。祐子さんたちBP exchange組はこの宿の隣の一軒家に住んでいる。当然、宿泊料は無料だ。祐子さんと一緒にこの家に向かったのはAM0:00を過ぎていたのに、まだみんな起きている。ここで、俺がNZの半年間でまだ10万円も使っていないという話になった。そうすると、リリアナはショックを受けてた。彼女は1ヶ月で$900(約6万円)は使う。とにかく、銭が入ったら彼女はすべて使ってしまう。貯めるということをしないというか、知らないのだ。さすがはインドネシアのお金持ちの子だ。育ちが違えばこうも違うのか。文化や習慣の違いというのは全く面白いものだ。俺はリリアナに少し説教をしてやった。食費は週$30まで、給料はすべて貯金することってな具合に。果たして、1ヶ月後はどうなってるかな。

12月26日

「豊富な海の幸 in Onuku farm hostel」

Onukuに向かう日が来た。今日は絶好のヒッチ日和。宿の人にAkaroaまでのヒッチポイントを教えてもらおうとしたが、宿の人は、町外れまでバスで出ろと言う。ch-chの町中からのヒッチは難しい。しかし、バスは使いたくない。よし君にヒッチポイントらしきところを教えてもらって、人に聞きながら歩くことにしたがこれがかなり遠い。荷物を背負っての1時間近くの歩きはこたえる。ただ、車を捕まえてからは楽だった。1台目は台湾人。2台目は日本人の姉妹を乗せたfarmのおっちゃん。3台目はAkaroaに帰るところの兄ちゃん。最終的にはch-chから2時間ぐらいでAkaroaに着いた。Akaroaは北島のCoromandelと同じ、いわゆる地元の人々の観光地。ch-chからはかなりの人が訪れ、通常人口900人ぐらいがこの時期は7000人ぐらいになるという。俺がI の前に着いた時もかなりの人でにぎわってた。

I からOnuku farm hostelに電話してpick upに来てもらった。俺が旅先で会った数多くの人がrecommendしてくれたhostel。Akaroa harborの丘にあるfarmで、farm自体の広さが340ha、約2000頭の羊を飼っている。これは思ったよりもでかい。宿に着くと、ここでexchangeしている徳さん、理砂さんと再会。2人共すっかりここの住人になっている。特に、徳さんはいい色に焼けている。2人にテントサイトを案内してもらったが、ここがまたいとおかしだ。farmになっているため、キャンプサイトは斜面になっている。hutが数ヶ所にあり、テントは好きなところに張ってもいいと言われた。どこまでテントサイトがあるかがわからんぐらいでかい。

テントを張り終わった後は、徳さん、理砂さん、宿の何人か、俺とで釣りに向かった。Fishing pointまではfarmから徒歩40分ぐらい。fishing pointというよりは、単なる岩場。しかし、ここで入れ食い状態らしい。エサはこの辺りにうじゃうじゃいるmussel。そのうちの黒っぽい縁の部分で、でかいmusselじゃないとすぐに魚に持って行かれる。mussel以外にもpaua(アワビ)もうじゃうじゃいる。まさか、こんなにpauaがいるとは。pauaを取るためにはdiveしないといけないが、水はかなり冷たい。俺はpaua取りは今日は断念した。

さあ、fishingだ。昆布に針がかからんように、そっと釣り針を入れると、言われた通り速攻魚がくらいついた。この辺りにいるのはガフィー、バターフィッシュ、レザージャケットが主。理砂さんは何匹かガフィーを釣り上げたが、食ってもうまくないので捨ててた。なんともったいないことを。ただ、理砂さん以外の俺らはえさを取られてばっかり。普通はこんなはずではないらしいが。結局、今日はガフィーが一匹、バターフィッシュが一匹。速攻、俺はさばいてみたが、まあガフィーの骨の硬いこと。ナイフがよくないせいもあるが通らん。ちなみに、バターフィッシュはすんなりいった。

さあ、宿に帰ってめしだ。メニューはアワビご飯、ガフィー、バターフィッシュのフライ、アワビ、バターフィッシュの刺し身、アワビの酒蒸し、musselのガーリック焼き。これだけ食えば何万円するかも知らん。しかし、これが全部free。うーん、すべてgood。特に、アワビは日本では高級なだけに味もひとしお。途中から、夕方着いた羊平君も参加。彼は得した気分やろう。こんなんが毎日食えるとなるとよだれが出てくるで、全く。さあ、明日からは本格的な漁生活が始まる。野菜は買おう。肉はええやろう。できる限り自分たちの手でがんばってみよう。

 

12月27日

「survival 初日、花粉症にはまいったな」

survival 初日。今朝のlow tideはAM5:00ぐらいだったが、AM8:30からkayakingに行くことになっていたので朝の漁は諦めた。結局、強風のために朝のkayakingは中止となったが。そうなると、夕方のlow tideまでは暇だ。low tideでないとえさのmusselが取れない。よし、夕方まで寝よう。漁師には睡眠も必要だ。

それにしても、俺はここに来てからくしゃみ、鼻水が止まらん。この辺りの雑草、アザミの花粉のせいだろうか。漁生活に花粉症はつらい。まず目が開けられん。ポプラかなとも思ったが、もう花粉は飛んでいないし。たぶん、アザミやな。

夕方、羊平君と宿にいたゆずるさん、あとオバタリアンと漁に出かけた。まずはmussel取り。しかし、俺はそれどころやない。鼻が苦しくてどうしようもない。これはつらいわ。でも、漁生活にはそんなこと言ってられない。取らないと食っていけないからな。早速、釣りを始めたが雑魚が多い。雑魚にえさを持っていかれてばかりだ。俺らの前にEnglandの女の子2人とドイツの野郎1人がいたが、彼女たちはすでにガフィーを釣り上げていた。そうなると、俺の出番だ。料理人の俺が軽く3枚におろしてあげた。3人とも大喜び。これぐらいどうってことない。

そうこうしているうちに、外人勢、日本人勢とも魚を釣り始めた。料理人の俺は釣りをしている場合じゃない。ただ、日本勢の釣ったレザージャケットはどうおろしたらいいか。皮はレザーのように硬くしっかりしていて、身は薄い。カレイやヒラメのようだ。結局、2時間ぐらい粘っただろうか。俺らはレザー3匹、それにpauaとmusselを持って帰った。

宿に帰って、レザーのさばき方と調理法を理砂さんに聞き、うす作りを酢醤油で食うのがいいらしい。pauaとレザーを刺し身にして、musselはコチュジャンと醤油で食うことにした。うーん、うまい。レザーは身が締まっててなかなかgood。コチュジャンと醤油はなかなかいける。オバタリアンは途中からカレーを持って来てくれた。なんと幸せなめしだ。まさしく、自給自足。野菜や米は食われへんのはどうしようもない。これは買おう。レザーとpauaのヒモみたいなのを醤油で煮てみたがこれもいける。モツ煮のようだ。こんな生活が1週間も続くと思うと。全く、止められんで。ただ、花粉症がなければもっと最高なのに。

12月28日

「survival 2日日、sea kayaking」

survival 2日日。今日のlow tideはAM6:01。昨晩作った弁当を持って漁に出かけた。今日は風がなく生ぬるい感じ。どうも俺らの釣りはうまくいかない。雑魚にえさを取られてばかりだ。針が悪いのか、えさが悪いのか。午前の漁の収穫はmusselのみ。あとは昼からだ。

AM9:00からはsea kayaking。まあ、話のネタに一度やっておこう。sea kayakingはNZでは初めて。Blenheimで一度river kayakingをやって以来か。川と違って海はかなり波がある。実際、kayakに乗っていても、波の上でバランスを取るのは難しい。しかし、慣れればどうってことない。俺が驚いたのは、イルカが俺らに寄って来たことだ。こんなことは日本ではないやろう。俺らがえさをやるとでも思ったのか、それとも単なる遊び心か。思ったよりも小さく、どうやらこの辺りに生息する世界最小のイルカのようだ。なかなかかわいいもんだ。

途中、Englandの女の子2人とジャレ合ったりして、俺がkayakをつついたりすると、

「ええい、お返し。」

と言ってきて俺らは楽しんでいたが、同じ事をオバタリアンにすると、

「何やってるんですか。あっち行って下さい。」

と真顔で怒られた。さすがはオバタリアンだ。結局、kayakは3時間ぐらいしたか。もう俺には十分だ。昼からは漁に戻ろう。

漁の前に俺は少し寝た。とにかく、花粉症がつらい。正直、目を開けているのもつらい。寝ても抗生物質を飲んでもあかん。まあ、体質なので効かん事は分かっているが。昼からの漁もパッとしない。どうもえさを持っていかれる。これではあかん。釣れんからやる気もでんし。今日はmusselだけでよしとしよう。

宿に戻ると俺に伝言があった。そう、麻美さんがここに来てくれたようだ。忙しい中をAkaroaまで来たのでわざわざ寄ってくれたらしい。それも、お土産にインスタントの味噌汁を持って。申し訳ない。言ってくれればここにいたのに。それと、ch-chから祐子さんがやって来た。休みを利用して俺がいるからということでわざわざ来てくれた。お土産にmuffinを焼いてきてくれたのには感動だ。やっぱり、自給自足というものは1人の力では難しいかも。人が持ってきてくれた物は好意に受け取ろう。

今晩のめしは、musselとキャベツのコチュジャン炒めに、麻美さんが持って来てくれたインスタントの味噌汁。これだけでも十分めしが進む。コチュジャンを買って大正解。魚がない時は最悪musselがあるからな。まあなんとでもなるやろう。

12月29日

「survival 3日日、魚はいるのだがどうもあかん」

survival 3日日。low tideは AM6:59。今日はlow tideの時間よりも30分ほど遅れた。やばい、おかげで大き目のmusselを取り損ねた。diveする用意をしておけばよかったな。

今日はmusselを拾って少し寝た。この岩場で寝るのはかなり気持ちがいい。風が吹いて潮の香りが何とも言えずgood。途中、boat tripに出かけた祐子さん、理砂さんが声を掛けてきた。俺らをさぼっているとでも思ったのか。漁師には睡眠も大切だ。ただ、一瞬やべえと思った。寝ている間に潮が上がってきて、気づいたら目の前まで波が来てた。俺らは危うくさらわれるところだった。魚はいるのだがどうもあかん。多分、えさが小さいんやろう。結局、今日の成績はガフィー一匹のみ。うーん、まあ釣れたからいいか。

朝飯と漁の途中でおにぎりを食ったのだが、昼になると腹が減ってきて、BPにいるまちゃこにラーメンをもらった。自給自足といいながら人にもらってばかりだ。これはよくない。

ラーメンを食った後、俺はまた寝てしまった。今日は寝てばかりやな。と言うのは、目を開けてられん。ほんまに鼻がつらい。どうしたらいいんやろう。ほんとは漁の後は本を読んだり、e-mailを書こうと思っていたのだが。ただ、つらいからと言って泣き言は言ってられん。生活がかかっているからな。

今晩のめしは、musselとコチュジャンに、ガフィーの煮物、それにお父さんが取ってきてくれたcrayfish。crayfishには感動だ。NZ初で日本でもほとんど食ったことがない。エビとは違って歯ごたえがある。うーん、幸せだ。なんか、みんなに助けてもらってるが、これも自給自足のうちやろう。musselはもう定番やな。コチュジャンと炒めるとかなりうまい。あと、魚をどうやって料理するかだ。刺し身では飽きるし、かと言ってフライや煮物が続くのもどうか。毎日、味付けを変えて飽きないようにするのがbestだ。もう俺らに肉は必要ないやろう。ここで嫌になるぐらい魚を食っておこう。やっぱり、夏と言えば礼文同様魚しかないで。

12月30日

「survival 4日日、電話ばかりで宿に申し訳ない」

survival 4日目。Low tide AM8:00。今日は朝から曇っている。俺はこの曇りの中アワビ穫りのためにdiveすることにした。水温はかなり冷たい。海に入って、

「しまった。」

と思ったのはバヌアツで買った500円の水中メガネは水が入ってくるし、俺はコンタクトをしていないため何も見えへん。これはあかん。また別の日にしよう。

途中から風が出てきて波が荒くなってきたが、今日の収穫はガフィー1匹、バターフィシュ1匹。晩飯に2匹は十分だ。十分の量を獲った後は人間は贅沢になる。俺はもうこの時点で満足して昼寝してしまった。やっぱり、欲求が満たされると人間だめになる。

昼前から岩場で少し寝て、宿に戻るとch-chから竜君が来てた。問題はBlenheimからこっちに向っている真吾君とのりえさんだ。ほんまにここに着けるのか心配だ。

更に、もう1つ困ったことが起こった。Mandieから電話がきていたことだ。ここ最近俺宛に電話が多くて宿の人にかなり迷惑をかけている上にまただ。Mikeがフィジーに行っている間、彼女はAkaroaの近くでfarm stayしているらしい。昔の仲間なのでほっとけないが俺はどうしたらいいのか。Mandieはnew yearをいっしょに過ごそうと言ってくるし。しかし、Blenheimのメンバーがここに来るし、和さんも明日来る予定やし。参った。なんで俺の自給自足に支障をきたすことばかり起こるのか。徳さん、理砂さんはnew year partyに出ようと言ってきた。まあ、みんなが来るからと言うこともある。俺としてはみんなが来るからこそ俺らでパーティをしたい。それに、最後までsurvivalを通したい気もするし。俺はどうしたらいいんや。こんなとこまで変なしがらみがつきまとうのか。

今晩、お父さんが獲ってきたcrayfishと魚でいっしょにBPの連中とめしを食うことになった。ちょうどめしの前に来た真吾君、のりえさんも間に合った。確かにcray fishはうまい。物がいいからうまいはずやし、理砂さんの味付けもいい。しかし、俺は自分たちの獲った魚で羊平君としんみり食う方がいい。めしの良し悪しは材料がよければいいに決まっているが(当然腕も関係あるが)、重要なのは自分が満足するかどうかだ。俺らの獲った魚、musselは今日のめしには負けるがそれ以上に自分たちの思い入れがある。

ここに、竜君、真吾君、のりえさんも加わって、Blenheim時代を思い出すが、俺には昔のことのように感じる。そんなけこの1週間色々あった。

12月31日

「survival 5日日、南の国からhappy new year」

survival 5日目 & 1998年 last day & 漁納め。今年最後の漁の日が来た。今日は俺と羊平君に加え、竜君が俺らの漁姿をスケッチするために加わった。竜君にそんな才能があったとは。俺は漁に行くまでの道端に生えまくっている雑草の花粉(おそらくアザミ)に悩まされているが、俺より花粉に敏感な竜君は予想通りかなり辛そう。Blenheimの時もひどかったもんな。まあ体質なんで俺らにはどうしようもない。漁納めの今日は今までなかったぐらい大漁。まず俺が巨大バターフィッシュを釣ったのから始まり、羊平君のガフィー、またもや俺と次々に釣りまくった。バターフィッシュはその場でさばき刺身にして食ったがこれがまたうまい。歯ごたえがあってこりこりして。キッコーマンをたっぷりつけたのもある。漁して初めてmusselを持って帰らずに済む。魚がなかなか釣れなかった昔が全く懐かしい。

俺らは漁に行くといつも海岸で寝る。寝るのも仕事の一部やし、それ以上に岩場で寝るのは気持ちいい。竜君は絵を3枚描いたが、そのうち2枚は俺が寝ているところ。羊平君の絵はちゃんと漁をしているところ。そりゃないやろ。これやったら俺がさぼってるみたいやん。

昼前からむちゃくちゃ暑くなってきた。たぶんこの夏最高やろ。こうなると帰りの登りはかなりつらいがmusselがないのはこの暑さの中で幸いだ。結局俺らは5匹釣り、そのうちの3匹は途中kayakで来た真吾君、のりえさんに預け、めしを作ってもらうことにした。そして、俺らは猛暑の中汗だくになって宿に戻り、待っていたのは米とガフィーのみそ汁。おお、真吾君がみそを持っていたとは。また魚のだしがようでてる。う〜ん、これはうまいわ。ガフィーはこうやったらうまく食える。それと、やっぱり日本人は米やな。米にみそ汁。もう申し分ない。

今晩、New Year Partyがある。その前に和さんが来ることになっている。和さんが来るということは侍もやってくる。ここの宿のオーナーのジェフは俺と羊平君がみんなとkayakingに行かず、いつも2人で漁に行っているのを気にしてるようだ。特に、しかめっ面の羊平君を見て俺らがこのhostelを楽しんでないのではと心配で、いつも理砂さんに様子を聞いてるらしい。まあ、こっちにしてはかなりの迷惑だ。俺らは自給自足をしにここに来たんやから、俺らがどんな時間を過ごそうが関係ない。ただ、変な気を遣わした代わりに侍を着てpartyを盛り上げてやろう。

羊平君はpartyに参加しないと言い張って、最後まで自給自足を貫く覚悟だ。正直、俺もそうしたいが俺にはしがらみが。徳さん、理砂さんの立場があるし、和さんも来るし。ただ、徳さん、理砂さんはあまりにも自己中心的のような気がする。俺らがこのhostelで何をしようが勝手なはずだが、あれしろこれしろとはっきり言って迷惑だ。羊平君がpartyに出ないのも別にいいと思う。出たくないんやから仕方ない。選ぶのは個人の自由のはずだ。正直、俺もkayakはするつもりなかったが、まあ話のネタにってなつもりでやった。俺はここに来てがっかりした。経営者の連中の思う通り客が動かんといかんのか。俺らで自分たちの時間をenjoyしたらあかんのか。なんでこんなに周りに気遣わなあかんねん。はっきり言って、2人のおかげで台無しになってしまった。

Partyが始まる直前に和さんがやって来た。Blenheimで会って以来かなりenjoyしたらしくいい顔になってやって来た。早速、俺は南国風侍をイメージし、下はルンギ、水中眼鏡にスノーケル、それに侍の衣装をまとい、釣り竿とフィンを小道具に持ってPartyが行われるcaf

éに向った。caféに着くと、案の定みんな大爆笑でカメラの嵐となった。これでオーナー連中も満足してくれたかな。

今日のメインは久々の肉。羊平君には悪いが久しぶりの肉はなかなかgood。ステーキなんていつ以来やろか。ただ量的にはこれで足りるわけがないので、年が明ける前に和さんが買ってきたそばを仕込むことにした。南国らしく年越しざるそば。そばつゆを昆布、砂糖、キッコーマンの醤油で作って、あと薬味に大根おろし、わさび、しょうが。年が明ける前に食うつもりだったが、準備する時間が遅かったため仕込み中に外では新年のcount downが始まった。

A Happy New Year!!

日本時間ではPM8:00。レコード大賞もまだ決まってへん時間や。

年越しざるそばは大盛況。外人勢も大喜び。やっぱり、和さんに買ってきてもらってよかった。ただ、そばをすする音は外人にはnoisyみたいだが。俺はみんなより少し早めにビールを持って宿に戻った。そう、羊平君と飲むためだ。彼は明日ここを出る。羊平君には少し変な思いをさせたかもしらん。まあ彼の性格では何とも思ってないかもしらんが。とにかく、約1週間2人での自給自足はすごく楽しかった。自分たちの獲物を料理して食う毎日。途中、パンやラーメンをもらったこともあったが、結局2人で使った銭は牛乳2本($2.00)、キャベツ($85)のみ。大成功と言ってもいいだろう。昔の人たちはこの生活を毎日してたんやからな。また会おう、羊平君。

1月1日

「survival 最終日、1999年度の初仕事」

survival 最終日 & 初漁。羊平君はいないが俺にはfinal漁。和さん、のりえさん、真吾君も来ると言っていたが思った通り彼らは寝坊だ。折角の初漁が---。俺は3人を叩き起こして最後の漁に出かけた。

今朝は昨日と違って曇り空。水温もかなり低い。ただ、今日は正月らしくアワビを獲ることにしている。実際、水に浸かってみると予想以上に冷たい。俺はまずエサ用のmusselを獲り、そしてdiveした。バヌアツで買った水中眼鏡はあかん。50cm潜ったら水が入ってくる。これじゃ前が見えんわ。でも、今晩用のアワビはなんとかgetした。

diveすると意気込んでた和さんは使えん。足を浸けただけで、潜るのをあきらめたようで、代わりに真吾君が潜ってた。和さんは釣りの途中で寝るわ、水には入らんわ。相変わらずのmyペースだ。

今日は昨日よりは苦戦。釣って上げる途中で二度逃げられたりして、俺が釣ったのは2匹、のりえさんが1匹。俺の1匹はその場で刺身にして食い、アワビも1コだけ食った。やっぱり、新鮮なのはうまいわ。結局、final fishingは魚2匹とmussel。

昼めしは昨日と同じガフィーを1匹みそ汁にし、米と一緒に食った。う〜ん、これは何回食ってもええわ。漁の後のめしは格別にうまい。和さんも満足気だ。

晩めしまでは各自睡眠に入り、final dinnerはmusselキャベツコチジャン、アワビの吸い物、ガフィーのちゃんちゃん焼、musselのパエリアとなった。musselキャベツの方は途中から真吾君に任せ、俺は吸い物とちゃんちゃん焼担当。利尻昆布でだしをとり、そこにアワビを入れ、塩、キッコーマンで整えた中に卵をとき、ちゃんちゃんの方はガフィーをおろした後、みそ、コチジャン、だし、みりん、砂糖で特性のみそを作った。このみそは俺的にはいまいちだったが、みんなには大好評。のりえさんが作ったパエリアもgood。アワビの吸い物も大好評で料理人の俺としてはホッとした。

たらふくdinnerを食った後はみんなでお茶を飲みながら俺の南島講習会。俺としては情報をみんなに教えるのはいいが、逆に俺が自分で得たような新鮮さをみんなが味わえないのではと心配だ。こういったものは自分で失敗しながら手に入れないと。まあ時間がない人にはしゃあないが。いいもんは伝えたい気もするし。後はみなさん次第ですな。明日はここを出る。久しぶりの町に、久しぶりのヒッチ。この1ヶ月間日本人とばかりいたからな。また外国勢と楽しい日々を過ごしたい。

1月2日

「サーモン丼が… in Tekapo」

結局寝たのはAM4:00ぐらいで、起きたのはAM6:00すぎ。今日はかなり眠たいで。1週間に及ぶsurvivalも今日で幕を閉じる。なんやかんや言ってここのジェフ、マフィー、クリス、それに徳さん、理砂さんにお世話になった。Auckland時代の仲間と再会できてうれしかったが、俺はそれ以上に新たに知り合った羊平君(QueensTown)、のりえさん、真吾君、竜君(Blenheim)が俺のくだらん企画のためにわざわざ時間を取ってくれた方がうれしかった。Blenheimの連中はAlexに来るかもしらん。来る者は拒まずで歓迎するが、正直なところしばらく日本人とは暮らしたくない。というのは、俺の英語力がかなり衰えてきているからだ。とにかく、みんなありがとう。また会おう。

クリスにヒッチポイントまで送ってもらったが、久しぶりの町に俺は少し感激だ。久々の文明社会。ヒッチ開始はAM9:00前。少し早いかなとも思ったが、10分ほどでch-chの近くまで行くという車をget。しかし、空はどんより曇っていて、時折小雨がパラついてた。う〜ん、天気が心配だ。1台目の車のおっちゃんは親切にch-chに入らなくて済むmotor way 1号方面のヒッチポイントまで送ってくれ、2台目もすんなりget。その運ちゃんはなんと長野五輪ボブスレー代表選手だった。そして、この兄ちゃんにMt.Cook方面の交差点で降ろしてもらい、そこからが少し苦労した。結局1時間ぐらい待って、ちょうど俺の前でBlenheimからのヒッチハイカーを降ろしたEnglandのじいさんがpick upしてくれた。よし、Tekapoまでもらった。

途中、じいさんにteaを御馳走になり、Tekapoのinformation centerの前で降ろしてもらった。TekapoはAkaroaとうって代わって快晴。milkyの湖も相変わらずきれいだ。あのままじいさんに乗っけてもらってTwizelまで行ってもよかったが俺はTekapoでどうしてもサーモン丼の記録を更新したかった。それに湖畔で少しゆっくりしたかったし。ただ、俺は腹が減って死にそうで、俺は思わず6個入りのレーズンパンを買って、ついつい4つも食ってしまった。やばい、サーモン丼が…。

Tekapo YHAは相変わらず日本人が多いが、テントサイトには代えられへんやろう。前に来たんは2ヶ月前か。懐かしいな。やっぱり、俺もNZに来て10ヶ月目になるだけあって旅先で会った何人かの日本人と再会した。ほんとNZは狭いわ。そして、テントを張って、洗濯して、俺はふとV.Bを見ると、鳥取のおばちゃんから伝言があった。もう2ヶ月も前になるんか、あの時は。時間は経つけどTekapoは変わらんね。おばちゃんの気持ちがわかるような気がする。

あと、12月に徳さん、理砂さんがholidayを取ってここまで来たんやろ。その時の理砂さんのコメントが書いてあった。しかし、俺はそこで矛盾を感じた。というのは、昨晩2人から俺にOnukuのことを自給自足できるところと言わないでくれと言われたのに、理砂さん自らOnukuは自給自足できるから遊びに来てと書いてあるでは。一体彼女はどういう神経しているのか。俺は2人のことは好きだったが、Onukuでいっしょに過ごして彼らの本来の姿がわかったような気がした。もう二度と会うことはないかも。

俺はサーモン丼を食うまで何も食わなかったが、さっきのパンが効いている。やばい。でも、行ってみたい。実際行ってみると今日は予約で満員らしい。ガ〜ン。折角、このために来たのに。まあ、正月やからしゃあない。その分たっぷりこの1週間海の幸を食ったからな。「湖畔」のねえちゃんも俺と再会できて喜んでくれたし。ただ俺のホームページにアクセスできないようだ。そんなことはないはずだが。

今回、Mt.Johnはいいか。とにかく、今晩ゆっくりして明日Alexへ向かおう。明後日からは仕事やし。今夜はfull moon。full moonのTekapoもいいね。でも、俺には星のTekapoの方がいいな。

 

 

1月3日

「Alexまでの過酷なヒッチ」

今日も絶好のヒッチ日和り。Tekapoとはほんとに今日でお別れだ。ここはほんとに幻想的なところだ。なんと言っても水の色。これは決して日本では見られへん色だ。ただ、俺の性格上同じところに長居はできん。でも、同じところを二度も訪れたのは北のCoromandel、Taurangaに次いで南では初だ。まあBlenheim、ch-chも何度か訪れたが特に行きたかったわけではない。Tekapoはもう一度行ってみたかっただけに俺は満足した。

Tekapoからのヒッチは予想通り苦戦。ただこの危機から俺を救ってくれたのはまたもや不良学生たち。NZの不良どもは純粋ないい奴が多い。Mt.Cookに向かう彼らに俺は色々アドバイスしてやると、

「いっしょに行こうよ。」

と言ってくれた。時間があれば行ってるとこだが、ありがとう。それにしても、Tekapoもいいが、Pukakiもいい。Pukakiの向こうにはなんと言ってもMt.Cookが見える。俺はどちらかと言うとTekapoよりもPukakiの方が好きだ。この不良連中にPukakiのintersectionで降ろしてもらい、そこからTwizelまではドイツの女の子がpick upしてくれた。問題はTwizelからだ。どうも俺はTwizelと相性がよくない。気温はどんどん上ってきて、俺はその猛暑の中2時間も待ち続けた。途中でバスに変えようかと何度も思った。しかし、俺を救ってくれたのはまたもや若者たち。それも、

「Omaramaまでしか行けなくてsorry。」

と謝ってきた。そんな、こっちの方こそsorryだ。

Omaramaに着くと、とりあえずパブに入ってCDをグラス1杯あけた。もう今日は飲まなやってられんで、全く。喉が渇いてる時のビールは生き返る。気を取り直してヒッチすると10分ほどでTe Anauに行くというおやじをget。よし、120kmぐらいのlong distanceをgetできた。俺はどうもここ最近のヒッチはだめだ。天気がよくて気温が高いせいかすぐに眠たくなる。これはdriverに申し訳ないで。それ以上に疲れてるのかもしらんが、もうNZのヒッチも残り少なくなった今となってはこんなたるんだ態度じゃだめだ。気を引き締めな。

CromwellからAlexまではInvercargillに帰るという女の子がpick upしてくれた。これでなんとかAlexまで来られた。今日は若者に助けられてばかりだった。近頃の若者も見捨てたもんやないで。

今日のAlexは死ぬほど暑かった。町の温度計は35℃を指してた。もうすっかり真夏だ。俺がこの暑い中キャンプ場までトコトコ歩いていくと、ここにはNew Year holidayの家族がうじゃうじゃいるでは。ただ日本人らしき人はいないのは俺にはgood。久しぶりに日本人なしの環境で生活してみたい。宿の人に色々交渉して、テントは$50/week、これはBlenheimと同じだ。ただチャリがなかったのでここの息子に$2.00/dayで借りることにした。まあTaurangaの時のpetorolと思えば同じか。

テントを張った後は買い物。キャンプ場なので必要最低限の道具がいる。Ware houseに行って、New Worldに行こうとしたらなんと向こうから来るのは潤一さんでは。潤一さんはBPにいるようで、現段階ではApple thinningをしている。BPにはかなりの日本人がいるようだ。ほんまNZでは会う人とは会うんやな。

New Worldで色々買い込んで、今晩久しぶりに肉を食った。ずっと魚やったからな。魚もいいが肉もいい。さあ、明日から仕事。それにしてもここのちびっ子たちをなんとかしてほしい。じゃかましい。