11月6日

「今日は1日最悪やったな」

 今日は1日ゆっくりしようとしたが、よう考えたらやることだらけや。まず始めに、俺はInternet caf

éに向かった。ウォルターに手紙を出すためだ。俺は自分のup dateを報告するのにパソコンで手紙を書いた。内容は和さんに送ったe-mailとほぼ同じ。そのバックアップを持ってプリントアウトのためにcaféを訪ねたが、プリント1枚当たり¢30はしゃあないとして、コンピューター使用料に$2.00取られた。しまった。

 それから、Inland Revenueに向かってtax returnのことを聞くと、出国直前にまた来てくれと言われた。今くれてもええやん。なんでやろ。その後はイミグレ。俺はできればvisaを延長したい。しかし、結果はimpossible。ワーホリのvisaは特別ので、延長は絶対無理とのこと。もし延長したければ海外でvisitor visaを取ってこいとも言われた。まいった。

 俺はうちひしがれて、昼めしを食いながらバヌアツのみんなに手紙を書こうとしてた。昨日ch-chに来てマクドを見た時、俺は久しぶりにハンバーガーが食いたくなった。ファーストフードはWellington以来か。ただ、ハンバーガーを食うなら、Burger Kingの方がええやろ。なんせ飲み放題やしな。俺はBurger Kingを探して歩きまくった。squareの近くにあるやろうと思って探しまくったがない。そのうちに、昨日食いたいなと思ったソフトクリームの屋台に出た。それに、歩き疲れたのもあって、俺はここのソフトクリームを買ってみたがまずい。バヌアツ以上のまずさ。こりゃ、普通の氷やん。今日はゴテゴテやな。さらに追いうちをかけるように、マクドで手紙を書いてると封筒を忘れたことに気づいた。もうあかん日はあかんな。これでもかと言うのは、JTCに行くとAuckland事務所のミスで俺の荷物の転送を忘れてたことが判明。またかい、JTC。転送ミスはTaurangaに続いて2回目やで。ちゃんと仕事せんかい。何のために銭払ってんねん。

 ああ、今日は1日最悪やったな。まあ、安いe-mail屋を見つけただけでもch-chはOKとしよう。ほんまにch-chは日本人が多いな。それに、日本人向けのみやげ物屋がかなりある。お前ら、とにかく動けよ。

 俺は宿に帰るとビールが飲みたくなった。ビールはGreymouth以来飲んでへんな。それに南にはCanterbury Draft(CD)がある。俺はまず近くのパブで1杯だけビールを飲んで、CDを3本だけ買って帰った。CDはなかなかgood。苦くもなく、俺の基準で言うとなんとなくビールらしい。

 さあ、明日はch-chを出よう。ラッキーなことにここに泊まっている日本人のカップルが、明日Mt. Cookに行くようで、俺を乗せてくれることになった。

 ここでexchangeしている日本人の祐子さん、よしくん、それとインドネシアのリリアナはすごく感じがいい。日本人が長居してるとこって基本的に変なJapanese societyができていて、他の者を受け入れないところがあるが、彼らはすごくfriendly。まあ、俺が積極的にみんなに話しかけてるというのもあるのだが。そういうこともあって、俺は彼らが作って売っている$1.00 muffinを毎日食ってあげることにしている。祐子さんはバヌアツに行きたいと言いだした。俺が見たバヌアツ。俺は月末にまたここに戻ってくるから詳しいことはその時にと伝えた。

 それと、今日残念なことがあった。長い間履き続けた小結サンダルが幕を閉じた。よくここまでもってくれた。俺は涙を流しながら彼の末路を見届け、new小結サンダルを履くことにした。お疲れ様。

 11月7日

「幻想的な湖、Tekapo」

 さあ、Tekapoに向かう日が。Tekapoは何と言っても星やろう。車に乗せてくれる武君と和美さんとは、実は一度Aucklandで会っていることが判明。さらに驚いたのは、和美さんは生野高校の先輩。びびった。探せばいるもんやな。潤子さん、明美さん、たつやさんに次いでの地元民。全く驚きだ。

 Tekapoに向かう途中からの南アルプスの眺めはawesome。今日は天気が最高なのでこの光景は言葉では表現できない。Tekapoに着いても何ともすばらしい光景が。湖水は氷河から流れて来るため青白く、湖の向こうの山々は幻想的な姿だ。俺はなんて運のいい日に来たんや。湖は恐ろしいぐらい静かで、耳を傾けても何も聞こえてこない。日本では味わったことのない世界だ。

 武君、和美さんと別れた俺は Iに行って、テントサイトのあるaccommodationを聞くと、YHAにあることがわかった。俺はanti YHAだがテントサイトには勝てんやろう。実際、行ってみると案の定日本人ばかり。掲示板にも日本語のinformationだらけ。ただ、ここの連中はまだ動いている連中ばかりなので、目的を失った連中に比べるとましだ。俺は積極的にここに泊まってたドイツ人やカナダ人に話しかけ、内気そうな日本人にも話しかけてあげた。

 夕方、俺は湖に面したMt. Johnに登った。片道1〜1.5時間ぐらいだったが、そのsummitからのsceneryはbrilliant!!これはすごい。はるか向こうにはMt. Cook、目の前には360?のパノラマ。俺は思わず祈ってしまった。やっぱり、山には雪がある方がええな。Tekapoは予想以上にいい。長居したくなるような気にさせてくれる。これは日本人が長居したくなる気がわかるな。

 今晩のめしはサーモン丼と決めてる。湖畔にある日本食レストランで$14でサーモン丼が食えて、日本人のワーホリの間ではここはかなりの知名度。$14は俺にとってはかなり高いが、めしとみそ汁はfreeのようだ。俺は4杯はめしを食おうと決めてた。ちょうど山を登った後やったし腹が減っていた。いざ、どんぶりが来ると、米の上に8切れほどのサーモン、2切れのだし巻、一握りのいくら、きゅうり、それに生姜があった。まず、俺は醤油の銘柄を確かめたらキッコーマンだった。そうやろう、そうやろう。俺は臭いでキッコーマンとわかった。それも、キッコーマン刺身醤油やろう。やっぱり、醤油はキッコーマンだ。他のも色々試したが、こっちに来てキッコーマンの偉大さがわかった。旅で会う日本人全員が同じ意見だ。だてに長い間「食いしん坊万歳」をやってない。まさしく言葉通りキッコーマンは食いしん坊には万歳だ。今になってようやくあの番組の主旨が分かった。

 ちなみに、マヨネーズはQPやろ。味の素派もいるが、俺はQPがいいな。お茶漬けは永谷園。お茶漬けはあの袋の量がbestだ。めしを多くしてお茶漬けの量を多くするとくどくなる。そういう意味であの量のお茶漬けの素、あの量のめしが最適だ。

 さあ、サーモン丼を食おう。まずはみそ汁。うーん、少しインスタントぽいか。漬物はキムチ味。ただ、めし1杯でどんなけ具を使うかが問題だ。具を使いすぎると後々つらいしな。1杯目のめしは酢飯で、めしの中にサーモンが入っていたので具なしで食った。やっぱり、米はいい。OZ産やけどね。サーモンもうまいし、それもキッコーマンのおかげやね。

 3杯目を終わってつらかったが、俺は4杯は食うと決めていたので食った。さすがに疲れたな。自分で自分を誉めたい、またもや有森裕子の心境だ。結局、めし4杯、みそ汁3杯。我ながらよう食った。店の人も、

「こんなに食べた人は久しぶりです。」

と驚いてた。まあ、たまには栄養とらんと。

 さあ、夜が来た。そう、お星様たちが俺を待っている。俺は暗くなるのを待ち懐中電灯を持って湖畔に出かけた。空はうわさ通りきれいだ。正直言うと、Fletcher Bayの方がすごかった。しかし、きれいなんはきれい。俺はシャッタースピードを1分間にして、サザンクロスの撮影を試みた。こんなけ周りに星があるとどうやろうか。

 たぶん、俺はワーホリの日本人の中で1番のpicking情報屋やろう。ウォルター情報プラス、ヒッチしたdriver情報でかなりの情報を持っている。たまにe-mailで聞かれることもあるし、旅先で会う連中には教えてあげる。まあ、俺が苦労して得た情報を簡単に教えるのはもったいない気はするが、困ってる人には伝えてあげたいし、また情報はどんどん入ってくるし、とにかくいいもんはみんなに伝えてあげたい。Taurangaのサンダルもそうだ。それでみんなの役に立つなら俺はうれしい。今日も何人に教えてあげたやろう。ch-chにいる時も、かなりの人に教えてあげた。ただ、pickingの時に身内同士になるのは避けたいので、俺はもっと穴場情報を求め回ろう。

 11月8日

「真夜中の星観察登山」

 今日は快晴。雲一つない。朝、テントから出るとTekapoの湖面に山々が映っていた。すばらしい。こんなにきれいなのは、大学2年の時見た利尻のオタトマリ沼に映る利尻富士以来だ。はっきり言って、Tekapoはすることがない。しかし、湖とその向こうにある山々を見ているだけで飽きない。俺がTekapoに来てびびったんは、何と言っても水の色。氷河から流れて来た乳白色の水。YHAの窓から見えるTekapoを一枚の画用紙とすると、水の色は絵の具で塗ったような感じだ。確かに、支笏湖や摩周湖もきれいが、そのきれいさとはまた違う。とにかく、Tekapoは幻想的だ。俺の期待を裏切らなかった。

このYHAのテントサイトは建物の前にあるすべての芝生でどこにテントを張ってもいい。どこに張るかは俺らの自由で、これはテントを持ってる人の特権だ。テントの前は幻想的な湖。俺はわざわざラウンジにある大きなガラス窓と湖の間にテントを張ってやったが、宿の連中からは大ひんしゅく。

「誰よ、あのテント。湖が見えないじゃないの。」

それは俺らの特権。怒られる筋合いはない。湖の写真を撮る時は、わざわざみんな俺のテントの横まで来てた。まあ、そうかっかせんでもええやん。

午前中、俺は湖を見ながら、日記を書いたり宿の連中と話したりして過ごした。とにかく、このYHAは日本人だらけ。ただ、まだこの連中は動いていたり、目的を持っているのでいい。俺はNZに来てもう8ヶ月になるが、初めて北海道の人に会った。1人は帯畜大の女の子、もう1人は樽商大の女の子。全くうれしいで。北海道育ちの俺としては道内の子に会うとホッとするし、特に樽商の女の子は札幌生まれ、札幌育ち。うれしい、久しぶりの北海道弁。俺は北海道弁だけでこの子を抱きしめたくなった。

 それとびびったのは、誉中出身で河南高卒業の羽曳野の子にも会った。ついに羽曳野の子に会った。大阪人でも北の方の連中は羽曳野を知らない。そう言った中で同郷の人間に会うのはうれしいが、俺の場合それ以上に道内の子に会うのがうれしいかな。

 あと、Tekapoに魅せられて3度もNZを訪れている鳥取のおばちゃん(30歳前後)にも会った。看護婦、A型と俺の理想の職業の人だが、とにかくTekapoにはまっている。ただ、彼女の気持ちもわかる気はするが、俺には同じところにずっととどまるのは無理だ。たとえそこがよくても、もっといいところを求めて動いてしまうのがオチかな。なんしかここにはすごい数の日本人。ch-chといい、ここといい、少し俺の周りに日本人がいすぎか。こうなると外人が恋しくなる。

 昼から、湖の周りをブラブラして、宿に戻ってしばらくすると夕日が湖周辺の山々を赤く染めた。その赤がやがてピンクに。とにかく、Tekapoはいい。湖自身もいいし、夕日もgood。ほんとに幻想的な世界。この世のものとは思えないぐらいmysteriousだ。

 夜になると、宿の何人かで、Mt. Johnに登って、星を見に行くことになった。時刻にしてPM10:00ぐらいか。俺が懐中電灯を持って先頭を歩き、みんながそれに続いた。ただ、今日は昨日ほど星がきれいじゃない。正直、俺はTekapoの星にはがっかりだ。確かに、たった2日しか泊まらないでTekapoの星のことをとやかく言うのはよくないが、NepalやCoromandelの方がきれいだった。まあ、タイミングもあるやろうし。ただ、南の方に明るい光の固まりが見えたのは、どうやらオーロラのようだ。これはなかなかヒット。また、数々の流れ星、おばちゃんによる星座講座等、Tekapoならではっていうのがあったので満足だ。よし、もうTekapoはええ。明日はMt. Cookや。

 11月9日

「マオリの神、Mt. Cook」

 今朝はどんより曇っている。やばいな。雨かな。とりあえず、俺はテントを片付けヒッチに備えようとすると、この宿に泊まってたコスタリカから来た老夫婦が途中まで乗せてあげると言ってくれた。おお、ラッキー。この夫婦とは2日前からすっかり仲良くなっていた。やっぱり、積極的に外人と話しててよかった。

 やがて、宿のみんなとさよならし、Lake PukakiのT-intersectionで降ろしてもらった。Lake PukakiもLake Tekapo同様、乳白色の水。ウォルターはPukakiの方がいいと言ってたが今日は曇っている。晴れの日にもう一度ここに来て見たい。

 ここで降ろしてもらったのはいいが、Mt. Cook行きの道路にはほとんど車が通らん。accommodationが少ないMt. Cookには、おそらくtour busが多いんやろう。しかし、運のいいことにドイツ人の親子を乗せた、Mt. Cookのガイドの車が俺をpick upしてくれた。なんてついてるんや。Tekapoを出たんはAM10:00ぐらいで、PM0:00までにはMt. Cookに着いてた。偶然、I で再会した武君や和美さんも俺を見てびびってた。

「なんでこんなに早いの。」

俺はMt. CookにはYHAがあってほとんどの人は予約していくのを知ってた。ただ、俺の場合行き先はヒッチ次第やし、それにここ数日日本人とばかりいるので、できるだけYHAは避けたかった。YHAに行くと日本人がかなりいるのは知ってるし、Tekapoの連中も何人かはここに来るのを知ってたからだ。ただ、キャンプ場は$4.00で泊まれるが、kitchen facility、showerがない。俺のデータの中ではMt. Cookにあるbudget accommodationはYHAだけやしな。俺は何気なく、

「BPはないの?」

と聞くと、

「1軒だけあるよ。」

と言われた。それも、一泊$18でYHAよりも安い。もうここしかないやろう。

早速、俺はHermitageのReceptionに行って受付をし、いざ宿に行ってみると今日は俺以外泊まる人おれへんやん。ラッキー。やっぱり、人のいない方が落ち着く。これはgood。ちなみに、Hermitageは超高級ホテル。1泊$300はするやろう。客の大半は日本人で、Receptionには日本人がちゃんとおるし、場内アナウンスが日本語なのにはびびった。まあ、俺には無縁やが。

 俺の泊まるBPはいわゆるコテージ。何軒かあるうちの1つだけBPになっている。たぶん、ここのことはほとんどのtouristは知らんやろ。中はなかなかきれい。kitchen、toilet、shower付き。なかなかのヒット。今日、俺だけかなと思ってたら、もう1人アメリカ人が来た。彼の名はスティーブ。スティーブは俺がNZで会った白人の中で1番と言っていいほどジャニーズ顔。俺ぐらい背があって、彼はモテモテやろう。ただ、話してみるとアイドルにしてはしっかりしてる。俺とスティーブはすぐに仲良くなった。

 昼から俺はTasman Valleyに向かった。villageから10kmほど離れたところにあるが、そこのparkingまではヒッチで行こうとしたがまず車は通らんし、Mt. Cookに来る客自体金持ちなので止まってくれない。俺は1時間ぐらい歩き続け、ようやく1台の車が止まってくれた。俺はFranz Josef以来、Glacierにとりつかれて、ここのGlacier Terminalまで行ってみたが、目の前には大きな水たまりと一面のがれきが。なんやこんなんかと思って、blue lakeで少し休んで、その上のLook outに行ってわかったのが、よく見るとこのがれきの下はすべて氷だ。深さ200mはあるらしい。おお、すげえ。それに、このがれきの向こうには雪で覆われた山々が。さらに驚いたのは左の方に見える他よりも高いpeakこそ、俺の求めていたMt. Cookだった。おお、すばらしい。これがマオリの神か。頂上がすっぽり雪で覆われていて、その部分に太陽の光が照りつけなんとも美しいこと。villageから考えるとちょうど反対からMt. Cookを見ることになる。俺はこの光景をボーッと眺めた。苦労して来た甲斐があった。徐々に天気がよくなってきたし。Tekapo、Mt. Cookとヒット続きだ。Touristに人気があるのがわかるような気がする。

 帰りも、途中からヒッチして宿に戻ると、villageからもMt. Cookがきれいに見えた。とにかく、きれい。タイプ的にはネパールのマチャプチャレかな。まあ、あれほど尖ってないが。こんなにきれいに見えるなんて俺は運がいい。West coast、Arthur’s Passと天気が悪かったが、Tekapo、Mt. Cookと天気に恵まれている。まあ、午前中は悪かったけど。旅をしてて天気であることが1番やね。

 さあ、シャワーでも浴びようかと思っていると、スティーブが、

「明日AM5:00からあの山に登らない?」

と行ってきた。Mt. Cookとは反対側のMt. Sebastopol(1468m)に登ろうと言うのだ。Mt. Cook village自体730mぐらいだから、登るとしても700mぐらいか。ただ、頂上は岩のみ。trackがないのは下から見てわかる。果たして、登れるやろうか。

 その後、俺とスティーブは何気なくHermitageに行くと、スティーブが

「このvillageに飲み屋があるらしいよ。行ってみよう。」

と言うので、軽く飲もかと思って行ってみるとなかなかいいところでは。目の前には夕日に照らされたMt. Cookが。俺とスティーブは1Lぐらいのジョッキ($5.50)を頼んで2人で飲み始め、スティーブとビリヤードすることになった。俺のビリヤードもかなり上達したのか、2回やって2戦2勝。負けず嫌いのスティーブはこれでは気がすまんやろう。もう2回やろうってことになって、そうしているうちにジョッキも4杯目に入ってた。やばい、飲みすぎや。結局、ビリヤードを6回やって、俺の4勝2敗。知らん間にジョッキは5杯目。

この後、Aucklandから来た女の子2人組、ch-chから来た野郎2人とダブルスをすることになり、俺とスティーブは両方に勝った。俺らはチームになるとなかなかのもんだ。とにかく、明日早いからもう帰ろうってことになってやっと帰ることになったが、スティーブはなかなかの遊び好きだ。

 11月10日

「Mt. Sebastopol climbing with 屁こきジャニーズ男」

 朝4:30起床。眠たい目をこすりながら俺らはまだ真っ暗の中歩き始めた。雲一つなく月がすごくきれいに輝いていたため、俺らはライトなしで歩いていけた。始めの方は、普通のtrackで楽勝やなと思いながら空を見ると、徐々に太陽の光が。むちゃくちゃきれいだ。約45分ぐらいで途中のRed turnsに到着し、その頃にはMt. Cookの頂きが赤く染まり始めた。うーん、こんな光景はネパール以来だ。このRed turnsから上はtrackがない。そして、この辺りは森林限界を越えているので木はない。その分、途中までは斜面は急だったが楽に登れた。これから先は岩場だ。まあ、俺はここまででもいいかと思っていたが、スティーブは上まで行こうと言いだした。ほんまかいな。

 いざ登り始めるとかなり危ない。一歩間違えば谷底が待っている。Arthur’s PassのAvalanche Peakは目じゃない。俺らは一歩一歩注意深く登っていき、頂上に着いた時には見事な景観が。すごい。朝日に照らされた山々が赤色に染まり、遠く向こうにはLake Pukakiが。昨日行ったTasman riverの方も見え、まさしく360o パノラマ。これは中標津の開陽台以上やな。Beyond description!!俺は思わず祈ってしまった。

 俺とスティーブはがっちり握手し、それぞれが用意した朝めしを食い始めた。そして、俺らは2人で一緒に写真を撮り、俺が何気なく三脚を出すとスティーブはびびった。

「おお、すはらしい。俺にも貸してくれ。」

新宿西口のヨドバシカメラで買った1980円の三脚。俺の三脚はNZでは大活躍だ。ただ、この景観を乱すものが1つ。そう、それはスティーブのおならだ。とにかく、彼は屁をこきまくってた。まあ、出るもんはしゃあないがあまりにも多すぎる。そんな屁こきのスティーブはたばこの吸い殻をちゃんと持って帰ってたのには感心だ。

 “I take only photographs, and leave only footprints.”

これが山登り時の彼のポリシーだそうだ。

やがて、2人共体が冷えてきて下山することにし、再び慎重に一歩一歩降りていき、villageに着いてguide centerへ向かった。俺らはguide centerの人にMt. Sebastopolに登ったことを告げ、年間何人ぐらいの人が登るかを聞いてみると、答えはheaps。なんや結構登ってんねや。俺らはショックを受けた。

 宿に戻って、スティーブが乗るch-ch行きのバスが来るまで2人で話してると、ScottishとEnglishの女の子がやって来た。おお、ここに泊まる人が来るとは。スティーブも含めて、彼ら3人はYHAのカードを持ってないのでここに来たらしい。来る人は来るんやな。

 やがて、スティーブとお別れをして、俺はHooker Valleyへ向かった。ここに行くまでにTekapoで一緒やったドイツのカップルや日本人に会った。まあ、Tekapoの後は大体Mt.Cookやろ。当然、彼らはYHAに泊まってる。俺がこのBPの話をするとびびってた。そりゃそうやろ。普通みんな知らんやろ。

 Hooker Valleyから見るMt. Cookは間近に見える。glacierも目の前でなかなかgood。それに、Mt. Sefton(3157m)、Mt. Footstool(2765m)の中腹にある大きなglacierの壮大なこと。なんと言っても天気がいいので、その雪(氷)の固まりがくっきり見える。俺はなんて運がええんやろ。Mt. Cookに来てほんとよかった。やっぱり、今朝のMt. Sebastopolが一番やな。あっこからのsceneryが一番よかったな。さあ、Mt. Cookは十分満喫した。でも、いつかまた来よう。

 宿への帰り道に日本から新婚旅行で来てたカップルに会った。やっぱり、NZに新婚旅行で来る人はch-ch、Mt. Cook、Queenstownのコースがお決まりなのか。大澤さんたちもこのコースだ。時間のない人はこれでしゃあないか。俺はできれば北にも行ってほしい気がする。

 宿に着くと俺は迷った。ビールを飲みに行くかどうするか。なんせ今日は1日が長かった。10時間近く歩いたやろう。よし、ジョッキ1杯だけ飲もう。飲むのはやっぱりCDやろ。俺が昨日のパブに行くと、Tekapoでいっしょやった美奈子さんに再会した。彼女は女でありながら、サーモン丼を2杯半食ったようだ。たいしたもんだ。是非テレビチャンピオンに出てほしい。彼女の友達でHermitageで働いている女の子とも少し話をし、その子は昨年礼文に来たらしい。そんな、水くさい。来年、2人共礼文に行きたいようで、俺は一応「はまなす」の連絡先を教えといた。

 さあ、帰ってめし食って寝よう。しかし、Mt. Cookの星はいまいちやな。昨日といい、今日といい。これはTekapoの方がよかったかな。

 11月11日

「またもや俺を助けてくれたコスタリカの老夫婦」

 全くどうなってんねん。今日も快晴では。信じられん。俺は荷物の準備をし、予定通りAM9:30に宿を出てヒッチポイントに向かった。なんせここに来る客は金持ちやからな。ヒッチしてる人間を乗せへんやろう。と思っていると、villageで働いている兄ちゃんが止まってくれた。また、この兄ちゃんがものすごい感じいい。俺が最近つくづく思うことは、NZの人が大らかでfriendlyなのはたぶん土地柄や。こんなにすばらしい景色に囲まれて、のびのび暮らしてるとそうなってしまうやろう。仮に日本がNZみたいやったらどうなるやろうか。日本人ももう少しましになるやろうか。この兄ちゃんにTwizelで降ろしてもらった。Tekapo、Mt. Cook、Twizelとこの辺りの景色はほんとにすばらしい。Pukakiから見るMt. Cookも最高だ。景色もいいがこの辺りに自生してるルーピンがまたきれい。ピンク、紫の花々が至るところでcolonyを作っている。とにかく、また来たい。そうさせてくれるようなところだ。

 Twizelからは苦労した。とにかく、車が来ない。それと、Twizelのようにmotor wayに沿って町があるのではなく、motor wayから内側に入ったところに町があるところではヒッチはやりにくい。車がスピードを落とさないからだ。こうなるとヒッチはつらい。正直、俺はやべえと思った。今日は平日やしな。しかし、俺はここ最近運がいい。なんとTekapoでいっしょやったコスタリカの老夫婦が止まってくれた。

「こんなところでどうしたの?」

俺の方がびっくりだ。彼らはTwizelに2泊したようだが信じられん。この2人はfly fishingが好きで、あちこちの川で釣りをしている。今日も途中で釣りをして行くようで、もし俺がよければいっしょに来ないかと言われた。というのは、彼らの行き先は俺と同じWanaka。もうこれはいっしょするしかないやろう。なんて俺は運がいいんや。

 このおばさんはとにかくかわいい。昔、絶対美人やった。顔はかわいいし言動もかわいい。タイプ的には森光子だ。おじさんはものすごく紳士。こんな俺にさえ、

“Could you----?”

“Would you----?”

“----, please.”

というフレーズを使う。それと、2人共むちゃくちゃ親切で、昼めしは川のほとりで食ったのだが、俺は一応めしは用意していたのに、俺にも食え食えと彼らのめしを勧めてくる。しかし、さすがの俺もそれは申し訳ない。なんせ二度も助けてくれたんやから。俺が断り続けてると、

 「もう日本人しちゃって。こっちに来なさい。」

とおばさんがサンドイッチをくれた。なんて感じのいい2人。これはなんかお礼せなあかん。

 2人が釣りに夢中になっている間、俺はほとんど車の中で寝てた。なんしか疲れた。昨日のclimbingがかなりこたえている。俺が寝ている間の2人の成果はだめだったみたい。まあ、そんなに簡単にはいかんやろう。

 やがてWanakaに着き、俺は2人と同じYHAに行くことにした。anti YHAの俺がなぜYHAに泊まることにしたのか。そう、テントサイトがあるためだ。Tekapoといい、ここといい、YHAのテントサイトは$9.00でBPよりも安い。これは使える。それに、ここは人が少ない。ただ、町から少し遠いのは大変だが。

 Wanakaの町も湖に面してて、その向こうには山々が連なりきれいなところ。ただ、Tekapo、Mt. Cookの後だけに、その感動はうすいのは正直なところだ。先にWanakaに来とけばよかった。

 夕方、俺はブラブラ湖畔を歩いてると、あるレストランの前のテーブルでコスタリカのおじさん、おばさんに会った。2人は俺を招いてくれ、おまけにビールをご馳走してくれた。もう至れり尽くせりだ。なんて言えばいいんや。こんなによくしてもらうと俺の方が申し訳ない。とにかく、2人共見るからに人がいいっていうのがわかる。おばさんはかわいいし、おじさんは紳士やし。2人共すごく仲のいい老夫婦。2人を見ているだけでこっちがうれしくなってくる。

 11月12日

「北海道のようなところ、Wanaka」

 今朝は晴れたり曇ったり。俺がWanakaに来た目的は美しい湖を見るためだったが、Tekapoを先に見てしまったのでいまいちだ。確かに、Wanakaはきれい。ただ、北海道育ちの俺としては見慣れた景色。きれいと言うより懐かしいかな。

 今日の予定として近くのMt. Royに登ろうとしたが、それより先に洗濯せねば。それと、何と言っても俺の靴。これは絶対に洗わなあかん。最近自分で匂っても強烈でこれはまじであかん。この靴が臭くなったのはpruningが終わって水で洗ってからだ。洗剤を使わなかったため、洗った後の匂いがぞうきんで牛乳をふいた後のようになった。午前中は洗濯と靴洗いで終わった。

 午後からはMt. Ironに登った。山というよりは小高い丘だ。いわゆるハイキングコースで片道30分ぐらいか。上から見るWanakaの町並みや湖は確かにきれい。しかし、北海道だ。先にWanakaに来とけばよかったな。あまりにもTekapoの湖水の色の印象が強すぎてあかん。ただ、きれいなのはきれいが、Tekapo、Mt. Cookと強烈やったからな。よし、もう1泊してMt. Royに登ろう。

 帰りに軽くビールを飲みながら宿に戻った。このYHAはほんとにいい。なんせ人がいない。町から少し離れている分、町中のBPに日本人も集まる。今日も客は数人。当然、テントは俺のみ。この辺りは夜になるとまだかなり寒い。日本で言うと北海道ぐらいの緯度やろう。YHAのテントサイトは$9.00とBPよりも安い。基本的にYHAは好きではないが、テントサイトの安さには代えられんやろ。

 正直、pruningが終わって北を回り、バヌアツそして北から南と旅が3ヶ月以上続いているので、そろそろ仕事をせんとだれてきている。生活にめりはりをつけんと。NZに来てpruningまでは、学校、仕事、旅、仕事、旅といい感じやったが、ここんとこ旅続きで少し疲れてきた。まあ、国が変われば別やけど。

 今晩、コスタリカのおばさんが、

「ねぇ、私たちの夕食余っちゃったから嫌でなければ食べない?」

とまためしをくれた。なんていい人たちなんだ。おじさんも、

「遠慮しないで全部食べなさい。」

と笑ってたし。しかし、その2人とも明日でお別れ。彼らはWest coastの方に行ってしまう。俺はここにもう1泊し、次ぎはQueenstown。ロブとクリスティー。またどこかで会いたい。

 11月13日

「迷いながらのMt. Roy climbing」

 今日は快晴。ここにもう1泊して正解。よし、Mt. Royに登ろう。俺は山へ行く準備を終え、コスタリカの2人を待っていた。今日でお別れだ。最後にお礼をどうしても言おうと俺はAM8:30から待っていたが、なかなか起きて来ない。起きてきたのがAM10:00前で、なんと彼らももう1泊するとのこと。おお、そうやったんか。

 とにかく、今日は気持ちがいい。ここWanakaの湖面は海抜229m。Mt. Royが1581 mやから、登るんは1360 mぐらい。まあ、往復6時間ってとこか。townからMt. Royの麓までは約6 km。所々ヒッチをしてみたがなんせ車が少ない。まあ、天気もいいし、大体1時間ぐらいで着くやろうと思い俺は歩くことにした。

 trackはいわゆる牧草。牧場の内にtrackがあり、周りは羊だらけでtrackはくそだらけ。とにかく、今日は雲1つない空で日差しがもろに肌を突き刺す。ああ、暑い。運の悪いことに、俺は道に迷ってしまった。しまった。どんどん変なところに進んでいる。周りにいた羊たちもびっくりして逃げて行くし。ここはどこやねん。途中からはtrackがない。どこから来たかもわからんようになった。でも、あきらめへん。とにかく、俺は上の方へ登り続けた。

 やがて、頂上らしきものが見えその方向に突き進むと、おお。trackが見えてきた。なんで間違えたんやろう。しかし、trackに行くには崖っ淵を越えんことには。うん、こんなんは余裕や。スティーブと登ったMt. Sebastopolに比べると。俺は走るように、その崖を通り、元のtrackに戻った。やっぱり、trackは楽や。

 結局、大幅に遅れて3時間かかって頂上に着いた。頂上に着くと、俺が途中で抜いたオランダのカップルが、

「ねえ、道を間違えたでしょう。」

と言ってきた。おいおい、気付いてたんやったら教えてくれんかい。さらに、俺が降りる時には、

「細い道を歩かずに太い道だよ。」

やかましい。

 頂上のsceneryはbloody beautiful。これはすごい。遠くにはMt. Aspiring(3030 m)が見える。sceneryとしてはTekapoに似ていて、湖の向こうに山々が連なりその頂きは雪で覆われている。昨日のMt. Ironは目じゃないな。ただ、このLake Wanakaの水の色はどっかで見たことがある。どこやろ。屈斜路湖にも似てるし。とにかく、どっかで見た。当然、ここでも俺は祈った。俺は祈り続けてもう6年が経つが、このポーズが外人にはばかうけ。NZで会う日本人も笑ってたか。

 Tekapoの印象が強かったがWanakaもいい。住むにはNew WorldがあるWanakaの方がいいかも。ただ、俺に刺激を与えたのはTekapoの方だが。うーん、満足。明日ここを出よう。

 帰りはヒッチをして帰り、もうこれはビールしかないやろ。俺は酒屋でビールを半ダース買って、湖畔に行くまで我慢できずに歩きながら飲んだ。うまい。銭はかかるがこれからの季節はビールやろ。Wanakaのこのすばらしい湖を前に、俺は芝生に横になりながらビールを飲んだ。もう最高やね。Wanakaは十分に満喫した。今日1日延ばしたんは大きかったな。

 11月14日

「興味のないQueenstown」

 全くどうなってんねん。今日も快晴。ただ、朝晩はかなり冷えるが日中は暑い。もう夏が目の前だ。

 ついにコスタリカの2人と別れる時が来た。久しぶりや、別れるのがつらいと思うのは。コスタリカにはなかなか行かれへんからな。2人共、俺のことを心配してくれ、

「とにかくe-mailで連絡を取ろう。」

と言ってくれた。二度も俺を助けてくれてありがとうございました。ほんとにまた会いたい、そう思わせてくれる2人の対応に心から感謝してます。また、会いましょう。おじさんも、おばさんもよい旅を。

 さあ、ヒッチ。町の外れのヒッチポイントまで歩いて行き、ヒッチをしようとしたが、さすがはWanakaは観光地だ。敵が多い。インド系の野郎、おやじ、セッタを履いてギターを弾きながらヒッチしている変わり者、Invercargillを目指してるカップル、それに俺。うーん、敵だらけだ。俺はヒッチして思ったんはWanakaからはWest coastに行く車の方が多いのか。2台ほど止まってくれたがどちらもHaast行き。そのうち1台はきれいなねえちゃん。こういう人が止まると逆におやっと思う。ここ最近のヒッチは苦労してないから1時間以上待ったんはFranz以来だ。やがて、1台の車が止まってくれたが、きれいなねえちゃん。どういうつもりなんやろ。

 それから、2台乗り継いでCromwellまで来た。ここで20分ぐらい待ち、1台の車が来た。その車はQueenstownまで行くようで、俺より少し先にいたInvercargillを目指しているカップルも乗せてあげたかったが、スペースがなくだめとのこと。ヒッチをしている間は敵同士だが、車を捕まえれば、その時点で味方になる。大体、みんなそうやろう。ただ、近くで白人にヒッチされるのはつらい。NZ人にとって、日本人か白人のどっちかを乗せろと言うとおそらく白人を取ると思う。まあ、人それぞれやと思うが、一度そういうことがあったのでそれ以来やりにくい。まあ、色々あったがヒッチも終わり、ついにQueenstownに着いた。今回のヒッチ合戦も俺がトップゴール。Coromandelの時といい、2戦2勝だ。

 Queenstownは久々に町って思わせるところ。町自体は湖に面しててきれいな町だ。こりゃ、観光地なのはわかる。ただ、あまりのみやげ屋の多さと、そのレジの日本人の多さにびびった。それと、日本人のミーハーツアー客。この日本人の多さは予想以上。町中には日本語で書かれた文字が氾濫している。それに、JTBもあるやないか。うわさ通り物価は高いな。町自体はおしゃれなところ。住んだら離れられんかもしらん。俺はテントサイトのあるBPを見つけ、とりあえずテントを張ったが、やはりこの物価の高い町にテントサイトありのBPはここだけとあってテントサイトにはテントが5つもある。そのうち、俺以外に日本人が2人来て、どうも俺のことを日本人と思わんかったらしい。こういうことはよく言われる。最近ではch-ch、Tekapoでも言われた。俺って日本人らしくないんかな。

 俺がQueenstownに来た目的は特にない。これは俺らしくない。なんとなく話のネタにここに来た。バンジーもしたいと思わない。銭のかかるactivityには興味ない。銭を払ってスリルを味わう以上に、俺の生活自体スリルだらけだ。だから、ここに長くいる気はない。pickingでいっしょやった泰司さんが、

「日本に帰る前にもう1度Queenstownに戻りたい。」

と言った一言が印象に残ってるぐらいか。まあ、やりたいことと言えば山に登ることか。特に、登ろうと思って来たんでもない。山があるから登るだけ。それぐらい俺にとってQueestownは魅力ない。昼から町をブラブラ歩いてみたり人と話してみたりしたが、あまり長くいたいと思わん。俺にとってはそういう町だ。

 この宿はなかなかgood。人が少なくて中はきれい。それに、ここ最近いい芝生に恵まれている。寝心地はgoodだ。ただ、朝晩はかなり冷え、つまり朝夕の温度差が激しいのは厄介だ。暑いの寒いのどっちやの、と問いたくなる。

 11月15日

「Bob’s Hillまで歩いてみた」

 今日もええ天気。全く雨のNZはどこに行ったことやろ。このところの天気で俺もすっかり焼けた。ただ、オゾンホールに入っているNZでは気つけんと皮膚ガンになる。NZの皮膚ガン発生率は世界一やからな。女の子の多くはしみやそばかすが消えないと嘆いている。

 さあ、今日の俺は予定はBob’s Hill(440m)に登ることだ。ここまではQueenstownで有名なゴンドラが往復$12であるが、当然俺はそんなんに乗る気はない。銭を払ってやるactivityが嫌いな俺は歩いて登ることにした。DOC(Department of Conservation)に聞くと1時間ぐらいとのこと。まあ、それぐらいやったらサンダルでええな。しかし、いざtrackを登り始めるとかなり急だ。それに、始めの方はtrackに切り倒した数多くの木が横たわっていて歩きにくい。俺はサンダルで来たのを後悔した。すれ違った人にも指摘された。この小結サンダルでなければ登りきられへんかったやろう。

 登り始めて1時間ぐらいで頂上に着いた。そこにはレストランやみやげ屋があって、ゴンドラで来たtouristでにぎわってた。リュジュもあるしパラグライダーをしてる人もいるし。ただ、ここからのsceneryはさすがにQueenstownというぐらいbeautiful。眼下には町が広がり、その向こうにはLake Wakatipu。俺が気に入ったのは上から見て向かって左側のあの険しい山。なんという山やったかな。あの険しく凸凹のはっきりしたのはすごくええ。俺はこのsceneryを見ながら1時間ぐらいうとうとしてた。

 帰りはちょっと広めの車の通れそうなtrackを歩いて帰り、宿に戻って少し休んで町へ出かけた。俺はLakeの前にある広場で寝転がるのが気に入った。とにかく、気持ちええ。天気もええし芝生も寝るのにはちょうどええ。

 Queenstownにはみやげ屋もかなりあって、俺は昨日たまたま入った店でカンターベリーのラガーシャツを安売りしているのを見つけた。ラグビー好きの俺としてはたまらん。それに、Aucklandを出る時に$10で買ったポロシャツが速攻縮んだ。やっぱり、安いのはあかん。もうラガーシャツしかないやろ。普通、All blacksやSuper 12のシャツの相場は$135。ラガーシャツで$65ぐらいやがここでは$45で売っている。俺は悩んだあげくここで買うことにした。うーん、カンターベリーのラガーシャツはさすがやね。着心地ええわ。

 さあ、Queenstownはもうええといきたいとこやが、実はここに来るまでのヒッチの車でAlexandraピッキング情報を得た。それによると、どうもクリスマス頃からpickingが始まり、リンに教えてもらった俺の情報とは少し違う。これは困った。俺の計画がまるつぶれだ。できれば、Blenheim、Alexandraと行きたかったが。とにかく、予定変更で明日ヒッチでAlexandraに行って情報を仕入れて来よう。地元に行ってみんとわからんしな。情報屋の俺としては、できればAlexandraに行きたい。Blenheimにはかなりの人に行くように言ったので身内同士になるのは避けたい。

 11月16日

「Alexandraで仕事をget」

 AM8:30、予定通りAlexandraに向けて出発。さすがに、Queenstownの町中ではヒッチは難しい。俺は歩きながらヒッチを試み、AM9:00ぐらいにやっと1台をget。2台目はラグビー好きのおやじ。そして、3台目は怪しいおやじ。Alexandraに着いたのはなんとAM10:00すぎ。脅威的な速さだ。

 Alexandraは思ったよりもbig city。New World、Warehouse、Liquor Landがある。正直、わざわざここまで来てpicking情報が得られるかは不安だ。ヒッチして来た甲斐があるのか。俺はまずI に向かった。とにかく、なんでもいいから正確な情報がほしい。I のおばちゃんはorchardに自分で行って確かめてくれとしか言わん。しかし、来てよかったのは、orchard listをもらった。これはgoodな情報だ。町で唯一のYHA兼BPに行っても、自分で探してくれとしか言わん。しゃあない、歩くか。

 途中で日本人の女の子に会ったが、彼女も仕事を探しているようだ。とにかく、月刊NZにはまいった。あの本にAlexandraのピッキング体験談がでた。あれにでるとたぶん日本人が集まるやろう。全くまいるで。この彼女はチャリを乗ってて、なんと町で$5.00で借りたらしい。やっぱり、チャリはいるな。俺は町へ戻りチャリ屋を2軒回って、$5.00のチャリを借りた。

 さあ、探すか。いくつかのorchardではもう仕事が始まっている。apricot thinningだ。ただ、この辺りはapple orchardが目立つ。俺は何軒か当たってみたがcherry farmは少ないようで、あるorchardで一軒紹介してもらった。

俺は折角ここまで来たんやからpicking情報がほしかった。まあ、だめもとでここに行ってみよう。

俺が探しているのはaccommodation付きのorchard。できればBPから通いたいがなんせテントサイトがない。俺が教えてもらったのはSummer fruit Orchards。packing工場らしきものもあって、なかなかbigなところ。とにかく、だめもとでオーナーに会い交渉してみると、cherry pickingは1月2週目からとのこと。普通はbefore Christmasらしいが、俺としては1月2週目の方が都合ええ。なんと偶然な。ただ、accommodationなしは困ったが、

「車を持ってる奴を他に呼んでもええか。」

って聞いたら、No problem。もうここしかないやろ。俺はオーナーと契約を交わし、1月2週目から1月末まで働かしてもらうことになった。ラッキー。Alexandraに来てよかった。ただ、泊まる宿がいるな。よし、motor campに行ってみよう。俺は町に戻って、Fish & Chipsを食って、2軒あるmotor campを訪ねた。

 1軒目はいまいちで、2軒目は結構いい感じで値段は交渉次第とのこと。テントが$8.50/night。vanやと$140/weekを$90/weekにしたると言われた。うーん、もうここしかないやろ。あとはtransportやな。車のある人を探してみよう。今日のAlexandraは暑かった。日中は30℃あった。もう夏やな。その中をチャリで走りまくったわけやから、そりゃ暑いわ。でも、それでいい情報を得られて、仕事をgetできたわけやから。俺はよく人に、

「いい旅してますね。」

「いっしょについて行きたい。」

「あなたに会えてよかった。」

などと言われるが、こういうコメントはうれしいが逆に寂しくなってくる。俺は今まで色んな人に出会ったり、色んな体験ができたのは、

「偶然で、なんて運がいいんや。」

と思っていたが(まあ、当然その通りだが)、それ以上に俺自身が自ら行動に起こして、つかみとってることに気づいた。今日のAlexandraの件もそうだ。宿の連中はあほやなって目で俺を見てたと思うが、実際に仕事を取って帰るとびびってた。そういう連中がある場所に固まって、変なJapanese societyを作って他の者を受け付けず、淀んだ空気を作り出すと思うと----。ほんと長期滞在の日本人はあかん。NZに来てまで日本を持ち込んでいる。俺が今の日本人に言いたいことは、

「景気が悪いから----。」

「政治家は誰がやってもいっしょ-----。」

というのが、最近当たり前になってきてないだろうか。それを言い訳にして自分で納得してるような気がする。そのことがNZにいる日本人の大部分に匹敵する。

「あなただからそういうことができて、私にはできない。」

それを言い訳にして自分で納得して行動に移そうとしない。困ったもんですな。それでいて、変に社会人顔して理屈ばかり述べてる。そして、くだらん縦社会を作り出してる。そういった中で、俺はQueenstownで羊平君という立命館大学の学生に会った。年にして20歳前後。彼はとにかくpowerを持っていて、OZを回ったり、これからルートバーン、ミルフォードトラックと歩くようで、その後はオカリナを吹いてbuskingし、ネパールを回って日本に帰るらしい。すごく自分のgoalを持っていて、将来は日本にBPを作りたいとのこと。真剣に、

「BPはどこがいいですかね。何が必要でしょうか。」

と俺に聞いてくる。俺は羊兵君に色んな旅のテクニック、ネパールのこと、NZ裏情報を教えてあげると、

「うあー、やることがいっぱいできた。」

と喜んでた。こういう青年に会うとうれしくなってくるね、全く。彼からはかなりのエネルギーをもらったような気がする。

 Alexandraから帰りのヒッチは苦労した。1時間以上歩いてやっと1台getでき、その後はNPCのオタゴBチームのフッカーに乗せたもらった。俺がこの2台目をgetする前に近ツーの団体バスが通りすぎやがった。乗せてくれや。途中でこの団体さんと会い、

「兄ちゃん、さっき道で立ってたんちゃうの。どうやって来たんや。」

と言ってきやがった。ヒッチして来たんやないか、われ。

 Queenstownに戻ると偶然の3連発。まず、Franz Josefで再会したかずやさんにばったり会い、その次はTekapo、Mt. Cookで会った帯畜大の千尋ちゃん。極めつけは、一旦俺は宿に帰り、ビールを買おうか悩んだあげくビールを買いに町に行くと、なんとTekapoのサーモン丼で有名な「湖畔」のおねちゃん。たまたまoffでここに遊びに来ていて、俺にマクドでおごってくれた。ラッキー。ねえちゃんは来年インド、ネパールに行きたいようで、俺はe-mailとホームページのアドレスを教えてあげた。彼女も俺の旅日記を読みたいらしい。ほんとNZは再会の多いところだ。

 宿に戻るとヒーザー、エーモンというアイルランドのカップルとずっと話してた。この2人は1年間アジアを回っていたそうで、お互い話があった。俺が行きたいラオスのことを聞くと最高やったらしい。うーん、彼らはおもろいことを言ってた。

「アジアを旅している連中で、maximumな時間をminimumな金で回っているのは日本人の若者だけ。だから、彼らの旅の情報はすごく役に立つ。君がNZ情報をくれたようにね。」

俺の思った通りやな。日本人のtouristには2種類ある。一方は銭を使いまくる普通のtourist、もう一方は俺らみたいなバックパッカー。minimumながらmaximumな旅ができるのは、おそらく日本人だけの気がする。とにかく、今日は色々考えさせられた1日だった。

 11月17日

「恐るべきMilford Soundのサンドフライ君たち」

 さあ、Queenstownを出よう。もうここはええ。しかし、今日の天気はよくない。まあ、行けるとこまで行ってみよう。やっぱり、Queenstownからのヒッチは難しい。ただ、1時間ぐらいしてTe Anauに行くというアメリカ人がpick upしてくれた。むっちゃラッキー。まさか、直接目的地まで行けるとは。しかし、Te Anauに近づくにつれて雨が降ってきた。それほどひどくはなかったが風は強い。結局、予想以上に早くTe Anauに着いた。まだ昼すぎだ。よし、Milfordに向かってやろう。俺はそう思って、Milfordを目指した。

 しかし、ここから先は車が少ない。でも、ここ最近の俺はついてる。Dunedinから来たおっちゃんが俺を拾ってくれた。ただ、さすがはDunedinだ。おっちゃんの英語は全然わからん。会話に苦労した。

 車からのsceneryしかわからんが、ここFiord land NPは規模が違う。他のNPとは違ってまさしくrain forest。それに、高い山が多い。途中のHomer Tunnelにはまいった。山の真ん中をくりぬいただけで壁がその岩のまま。その上、中はかなり暗い。

 このおっちゃんにcaf

éの前で降ろしてもらって俺はBPに向かったが、予想以上のサンドフライが俺を待っていた。この数は半端やない。体全体に集まってくる。こりゃひどいは。俺はテントを張るのにかなり苦労した。とにかく、体にまとわりついて俺を噛んできやがる。テントのチャックを開ければ中に入ってくるし。おまけに、このテントサイトは最悪だ。バヌアツのTongoaを越えたね、これは。まず、石だらけでペグが刺せないし、石がゴツゴツしてて寝られん。極めつけはサンドフライがネットを通り抜けて中に入ってくる。さすがの俺もまいった。明日、Te Anauに戻ろう。それにしても、このMilford Soundで働いてる人はすごいわ。虫よけスプレーを持ちながらがんばってる。これには脱帽やね。俺がバヌアツで買った虫除けスプレーは効かへんのか、スプレーをしてもサンドフライはへたってない。そこで、念のためにもってきた金鳥の蚊取り線香に火をつけると、さっきまで元気やった彼らもへたってきた。さすがは金鳥やね。へたにベタなCMをやってへんわ。

 今日は天気がよくない。Miter Peakもいまいち見えない。どうやら、この辺りにはday walk trackもないようだ。確かに、Route burnやMilford trackはいいと思う。その維持のためには銭はかかると思うが、それにしても取りすぎや。俺は銭のかかるactivityに興味はない。銭を出せばいいに決まってるが、銭を出さなくても満足するようなactivityが俺の望みだ。

 夜になるとサンドフライはおとなしくなるようだ。ただ、このテントサイトはつらいで。俺はどうしたらええんや。今日だけで何カ所刺されたやろう。

 11月18日

「悪夢からの解放」

 思った通り、朝起きたら背中が痛い。それになんか体中かゆいなと思ったら、目の前に彼らがうじゃうじゃいるでは。俺は思わず“おはよう”と言ってしまった。なんせ、手ひらまで噛むんやもんな。テントをたたむのにも一苦労。まさしく悪夢だ。Nightmare isn’t it? 俺のテントの横にいた仲間、Englandのカップルもまいってた。俺はこの2人にTe Anauまで乗せてもらうように交渉した。午前中のクルーズした後ならいいとのこと。全く、ここ最近ラッキー続き。さすがに、ここでのヒッチはしたくない。サンドフライ君たちの餌食になるのは目に見えてる。俺のテントには数多くの彼らの死骸が。しかし、俺の負けだ。

いくら彼らを殺しても、彼らはうじゃうじゃ沸いてくる。負けを認める。だから、俺の周りから消えてくれ。

 Te Anauに着くと俺は涙がでそうだった。あの悪夢から解放された。とにかく、Milford Soundにはもう泊まりたくない。Te AnauではYHAに泊まると決めている。そう、テントサイトがあるためだ。このYHAにはでかい庭があって、宿の人に好きなところに張っていいよと言われたが、俺は感じよく端っこに張った。Tekapoではみんなに怒られたからな。

 Te Anauはかなりの観光地だ。Fiord land NPの拠点の町。Te Anau−Milford Sound間のツアーバスの量には驚いたぐらいやから。町自体は湖に面しててきれいなところ。Super ValueもあってDSもある。住むのには苦労しないが、なんと言ってもサンドフライ君たちが少ないのがいい。

 俺はTe Anauに着いてまずe-mailを送った。そう、大澤さんと和さんにだ。大澤さんは明日、日本を出てこっちに向かう。その諸連絡とアドバイス。和さんにはpickingの件。運よく$2.00で使わせてくれるところを見つけられたし。

その後は、湖畔をうろうろして、DOCに向かった。ここに来たのはday walk情報を得るためで、やっぱり歩くならKey summitやな。それに、Manapauri。ただ、必要なんはtransport。バスは高いしヒッチで行くか。Te Anauには最低3泊してtrackを歩きたい。折角、来たんやしな。

 宿に戻ろうとすると、また千尋ちゃんに会った。ほんまに会う人とは会うもんやな。彼女はMilfordでsea kayakをするようで、俺はサンドフライのことを言ってあげた。

 ここのYHAは案外、人が多い。それに、日本人も。ただ、彼らは動いている人間なので話してもいい。そのうちの大分の姉妹が明日、俺をMilford Soundの途中までpick upしてくれることになったが天気は雨のようだ。晴れてほしいがこの辺りは多雨地帯やからな。

 11月19日

「雨の中のKey summit」

 予定通り夜から雨が降り始めた。テント生活で雨は久しぶりだ。Arthur’s Pass以来か。そうなると、うるさくて寝られん。それにしても、雨が降るとむちゃくちゃ寒い。もう11月末やで。日本なら6月ぐらいやろ。大分の姉妹にpick upしてもらう予定やったが、昨晩たまたま宿に遊びにきてた台湾のカップルがAM8:30頃俺をpick upしてくれることになった。どっちにしてもラッキーだ。

 Queenstownで羊平君がfarm stayしてて、羊が大嫌いになったと言ってた。そのわけは、羊平君の担当が羊のお尻部分の毛刈りやったようで、羊のケツはむっちゃ汚くくさかったらしい。俺は彼の気持ちが今日よくわかった。Divideに行く途中に羊の群れが道を移動して、まあそのケツの汚いこと。これはまじで臭そう。この辺りは羊のfarmは当然ながら、なんと鹿のfarmが多い。鹿は奈良公園と道東のエゾシカを見た以来だ。

 台湾のカップルは2人共ものすごく感じがいい。彼女の方のLiangはアメリカ留学中で、Chienは台湾でフリーカメラマン。俺が会うChinese系の女の子はなんでみんなきれいなんやろ。Liangもすげえ美人で、

「学、これからはe-mailで連絡取ろうね。アメリカに来ないの?」

と笑ってた。いい笑顔だ。

 彼らにDivideで降ろしてもらったがこの雨ではあかんわ。俺は1時間近く待ったが止まん。よし、もうKey summitへ行こう。Key summitはRoute burnの途中から右に上って行って、そこからは2000m級の山々が360o見えるらしい。しかし、今日は最悪。ひどい雨に周りはは霧。おまけに、途中から氷が降ってきた。この前のAlexandraでは30℃、今日はたぶん5℃ぐらい。全くどないなってんねん。ただ、もし晴れたら、Key summitからのsceneryは絶景やろう。時折見せる山々はなんと美しいこと。中国の桃源郷って感じか。折角来たのにな。まあ、このところ天気に恵まれてた分しゃあないか。

 帰りはPerthから来てるという夫婦に乗せてもらった。それにしても、寒い。寒すぎる。雨が降るとこんなに寒いんか。冬に逆戻りって感じだ。俺は宿に戻るとあまりの寒さに震えてた。サンドフライってほんまにすごい奴だ。彼らに噛まれたところがまだ痛がゆいし、首筋、手のひら、腕、足首と跡が残っている。そこが時々かゆくなる。とにかく、予想以上の強敵。なんとかならんもんか。

 11月20日

「Peaceful place, Manapouri」

 昨日の夜は寒かった。0℃近かったんちゃうかな。よし、今日はManapouriを歩こう。俺は長い時間歩きたかったので、行きは珍しくバスを頼んだ。バスに宿までpick upに来てもらい、lake frontでまたもや千尋ちゃんと再会。この後、彼女はInvercargillに行くようだ。

 ManapouriのPearl Harbourからtrackまではボートで川を渡る。$5.00でボートを借りて、Doubtful Sound行きのクルーザーを横手に、向こう岸に着いた。ここには、いくつかのtrackがあって、俺は悩んだあげくHope Armに入ってからcircle trackというコースを選んだ。ほんとはMonumentに行きたかったが、なんせボートを返さなあかんので、時間的に無理なので諦めた。

 さすがに、ここは人の行かないtrack。どうしてもこの辺りはMilford、Route burn、Keplerの3大trackが有名だがManapouriもいいやん。Trackはまさしくrainforestの中。周りはシダだらけで道はかなりぬかるんでいる。やがて、2時間ほどでHope Armに着いた。うーん、なかなか静かでええところだが、また彼らがいる。そう、サンドフライ君たちが寄って来た。ほんまに彼らはうっとおしい。ゆっくりでけへんやんけ。

 それから、同じ道を戻りcircle trackに入った。ここからは登りだ。しかし、徐々に青空になってきて、look outからのLake Manapouriのきれいなこと。とにかく、静かで湖とrainforestが妙にmatchしている。なかなかManapouriは穴場かもしらん。

 Trackを歩き終わってボートに乗る頃にはかなりいい天気になってた。Lake Manapouriはどちらかと言うと、TekapoよりもWanakaに似ている。とにかく、静かで湖の向こうには頂きを雪で覆われた山々が。まさしくmysterious。Lake Te Anauもいいが俺はひっそりしたこっちの方が好きだ。

 帰りは予定通りヒッチして帰った。とにかく、今日は疲れた。ボートを返さなあかんかったので予定よりもペースを速くして歩いた。だから、かなり足にきている。結局、6時間歩き続けたことになるか。ただ、ほんとこの辺りは見所いっぱいで、できれば1週間ぐらいいてtrackを歩きまくりたいとこだ。

 11月21日

「Lake Marian & Key summit again」

 今日でTe Anau4泊目。同じところに4日もいるのは始めてだが、それ以上にしたいことがあるのでしゃあない。今日の予定はLake Marian。宿にいた日本人の青年に途中まで乗っけてもらった。

Lake Marianまでは石がゴツゴツした歩きにくい道。ただ、人は少なくていい。天気もだんだんよくなってきたし、なかなかgoodだ。約1時間半ぐらいで山々が見えた。その頂きは雪で覆われている。うーん、静かでええ。幻想的だ。なんとなく礼文の澄海岬に似ているような気もするが。とにかく、きれいだ。俺はまた祈ってしまった。

 Trackを戻ると時刻はPM0:30頃。これならKey summitに行けるな。俺はDivideまでヒッチし、再びKey summitを登り始めた。ただ、2回目だけあってtrackはわかるし、あとどれぐらいかもわかる。2日前は雨で何も見えんかったからな。頂上に着いてみると、うーんlovely。summitの周りは2000m級の山々で囲まれている。山の形はどこかネパールに似ている。マチャプチャレに似ているのもあった。ここからLake Marianも見えたし。やっぱり、この周りは見所だらけや。

 このtrackの途中で、羊平君に再会した。彼はRoute burnを通ってここまで歩いてきたようだ。なかなかよかったみたいで満足げだった。

 ここまで乗っけてくれた宿の青年とKey summitで再会し、また宿まで乗せてくれることになった。むちゃむちゃ、ラッキーだ。結局、Te Anau−Divide間は3往復したことになる。もうここはええ。とにかく、すべてヒッチで来られたのはラッキーだった。

 俺は宿に着くと、e-mailを出すかどうか迷ってた。この前の返事を出したかったし、大澤さんから何かあるかなと思ってたからだ。宿の人に聞くとPM8:00頃まで開いてるとのことで、俺はe-mailチェックに向かった。これが大正解。大澤さんは27日の深夜にならないとch-chに来られないらしく、23日Queenstownか、27日Te Anauで会おうと言ってきた。これにはまいった。明日、俺はDunedinに向かうところだった。ただ、Queenstownは行きたくない。あそこはすることないしな。そうなると、明日もう1泊ここにいて、23日にQueenstownに向かうか。Queenstownには二度と行かんと思ったのにな。行かんと思ったところには行くもんやな。問題はQueenstown−Dunedin間のヒッチだ。おそらく、むちゃくちゃ難しいやろう。

 宿に戻ると、淳一さんもいて、羊平君、俺とQueenstownの同じBPでテントを張った3人が再会。彼らは24日からMilford trackを歩く。それに向けて、これから準備に入る。とにかく、2人に会えてよかった。また会いたかったからな。

 11月22日

「予定が狂った」

 明日大澤さんとQueenstownで会うことになったため予定が狂った。もし朝から天気がよければ、Kepler trackの目玉、Mt. Laxmoreに日帰りで登ろうと思ってたが、あいにくの曇り空。今日は1日ゆっくりするか。たまには休まんとな。とにかく、ここ最近歩きまくって疲れた。

 午前中はTe Anauの湖畔を歩きながらWild centerに向かった。ここにはウェカやタカヘがいる。ここでウェカを見たが、俺がAbel Tasmanで見たのはキーウィではなく、やっぱりウェカやった。こうやって1日ブラブラするのもいい。たまにはいいわ。

 宿に帰る途中にQueenstownでいっしょやったアイルランドのエーモンに会ったが、彼が言うのは湖畔にBPがあって、そこにテントサイトがあるらしい。しまった。それやったら、YHAに泊まらんとそっちに行ったのに。BBHには載ってへんかったのにな。

 昼からはパソコン。みんなから来たe-mailの返事や、この1ヶ月をまとめてた。うーん、こういうのんびりした日はいい。でも、さすがにYHAは日本人が多いで、全く。今日もまた増えた。4日前にMilford trackに出かけた連中とも再会。さすがはヨーロッパ人。疲れをもろともせずサッカーしてた。信じられん。

 あと、またもや羽曳野の女の子と出会った。彼女は大塚高校出身。どうやらch-chのJTCで俺を見かけたようで、俺のことを覚えてた。会う人とは会うんやな。

 さあ、5日間いたTe Anauも今日が最後。ちょっと長く居すぎたが、それ以上にこの辺りはよかった。なんと言ってもこの辺りはトレッキングやろ。Milford、Route burn、Keplar。特に、Keplarには行きたかったが、day walkで十分楽しめた。もし時間があればこの3つのtrackは制覇してみたい。

 11月23日

「北大作栄時代の先輩とNZで再会」

 昨晩、羊平君、淳一さん、あと羊平君がRoute burnで会ったてい子さんと飲んでた。やっぱり、酔った女はうっとおしい。どんどん話の骨を折る。ただ、羊平君、淳一さんと話したかったのでその場にいたが。

 さあ、Queenstownといきたいとこだがあいにくの雨。まあ、すぐに止んだがテントを乾かさんと。ここに泊まっていた埼玉のはじめ君がQueenstownまで乗せてくれることになり、俺はむちゃラッキー。彼に助けられるのはこれで2度目。すごく感じのいい青年で、とにかく見るからに人の良さそうな人だ。

 まさか、Queenstownに戻るとは思わんかった。こういうことはこれからもあるかもしらん。俺は前にいたBPに戻りテントを張った。宿の人も俺のことを覚えてて、長期滞在のOZのアンディーとも再会。ほんまにまた来るとはな。

 そして、townに行って、フードコートの中で偶然にも大澤夫妻に会った。大澤さんは相変わらずいやらしそうな顔をしていて、奥さんはきれいな人だ。大澤夫妻とはPM6:00に2人のいる宿で待ち合わせることにしてるので、そこで俺らは一旦別れた。

俺はどうしてもカンタベリーのラガーシャツがもう一着ほしかった。というのは、ここにあるみやげ屋でかなり安売りをしているからだ。ラガーシャツなら長持ちするし、普通より$20〜30ぐらい安い。俺は悩んだあげく、やっぱり買ってしまった。

 その後宿に戻って少し寝て、大澤さんたちのいる宿に向かった。新婚旅行らしくなくBBに泊まってたのにはびびった。まあ、Mt. CookのHermitageが高かっただけになぁ。俺らは宿の人に教えてもらったステーキ屋に向かった。今晩、どうやら大澤さんがおごってくれるらしい。さすが腹が出てるだけあって太っ腹だ。とにかく、NZに来てレストランなんて初めて。大体、自炊してるからな。大澤さんたちと乾杯してステーキを食ったが、やっぱりスーパーのミンチとはちゃうわ。これはかなりうまい。

 北大の4年生の1年間は、俺の人生で一番印象に残ってる。また、その時の仲間に会うのもうれしいし。大澤さんとは今年の正月に会ってたので、約1年ぶりか。学生の時と違って、仕事して家庭を持つと少し大人っぽくなってたが、相変わらずいやらしい。ただ、昔の仲間に会うとホッとするのは事実で、結果的に予定は狂ってしまったが会えてよかった。奥さんは大人しく大澤さんにはもったいないぐらいだが、つつけばぼろが出るやろう。俺と大澤さんは作栄時代の間で話してたが、今の奥さんには付いて来られないテンポやったやろう。

 ステーキの後はpubだ。俺はどうしても2人にNZのpubに連れて行きたかった。日本の居酒屋と違ってすごく合理的で、俺はうるさい音楽さえなければこっちのpubの方が好きだ。大澤さんはここでもおごってくれたが、それは申し訳ないので2杯目は俺が払った。そのためにさっき銭をおろしたんやから。

その後は2人にサザンクロスを教えてあげたり、Te Anauのtrack情報を教えてあげた。今日は2人に会えてほんとよかった。外国で身内に会うってのもいい。

 俺が頼んでたキッコーマンやQPのマヨネーズも買ってきてくれたし。なんか折角の2人の思い出の新婚旅行を邪魔して申し訳ないと思ったが、俺がNZにいるからというのもあってNZに来てくれたようだ。ほんとにありがとうございました。また日本で会いましょう。

 それにしても、Queenstownの星もきれいやん。

 11月24日

「ヒッチの車で初めて寝た」

 今日は快晴。まさしくヒッチ日和。ただ、Queenstown−Dunedin間はむっちゃ難しいやろ。ひょっとしたら今日中には無理かなとも思った。Queenstownを出るのがとにかく難しい。今日で俺は3回目だからまだましやろうが。

 俺はいつものヒッチポイントへ行き、1時間ぐらいしてハンガリー人が止まってくれた。ハンガリー人は初めて会った。やはり、東欧の人々の英語はpoorだ。Te Anauの宿で同じだった東ドイツの夫婦もそうだった。ポーランドのエバもロシアのエナも。

 俺はできればMt. Cook方面に行く車をgetしたかったが、彼はWanakaに行くようだ。そうなると、Cromwellで少し歩かなあかん。俺は思い荷物を背負って歩きながらのヒッチに切り換えた。しかし、運のいいことにAlexandraに行くというトラックが止まってくれた。やっぱり、ヒッチするならトラックがいい。なんと言っても眺めが違う。ほんまに、またここに来るとは思わんかった。まあ、1月からこの町に来ることになってるが、それまで来たくなかった。

 さあ、問題はここからDunedinまで。とにかく、車が通らん。俺はここでQueenstownでいっしょやったテントサイトのカップルに会った。彼らもDunedinに行くようだが苦労している様子。俺より1時間早く出たのに俺よりも30分ぐらい遅れてた。ああ、今日もAlexandraは暑い。俺はサングラスが壊れたためまぶしくてしゃあない。その上、最近コンタクトが古くなってきたのか、はめてて目の調子がおかしい。待っても待っても車は通らん。10分〜20分に一台ぐらいか。俺はもうへたりきってた。

 1時間半ぐらい待ったか、またもやトラックが。止まってくれたトラックはなんとDunedinまで行くとのこと。おお、ラッキー。しかし、途中で荷物を降ろしたり積んだりするので、俺はそれを手伝うことにした。Alex−Dunedin間のスーパーへの品卸しが中心。途中でRoxburghにも寄ったが、AlexよりもRoxburghの方がorchardの数は多いかも。ただ、apple、peach、nectarine、apricotが多いみたいだが。

 俺は元々疲れてる上に、運送業をしていたためいつも以上に疲れ、ヒッチの車で初めて寝てしまった。運ちゃんもシートを倒したらと言ってくれた。俺は必死で目を開けようとしたが知らん間に寝てしまった。途中のLawrenceからMosgielが記憶にない。

 運ちゃんにDunedinの町中で降ろしてもらった。とにかく、Dunedinはでかい。久々の都会とあって俺はびびった。ただ、坂の多い町だ。さすがは小樽と姉妹都市。Alexと違ってこの辺りはまだ寒い。たぶん、15℃を切っているやろう。まあ、夕方ということもあるか。俺はBBHで調べたBPに行ったが、なんとテントサイトがないとのこと。これはルール違反。ないなら書くな、ドあほ。俺はMt. Cook以来のドミで寝ることになった。うーん、やっぱりベットはいいわ。枕もあるし。俺は少し寝てしまった。

とにかく、ここ最近疲れ気味だ。Te Anauの最終日は遅かったし、昨日も大澤さんたちといっしょで遅かったし。それに問題はコンタクト。全く、どうなってんやろう。目が痛いし、二重まぶたになったし。二重まぶたの俺は本来の俺やないし、俺も今の目は嫌いだ。それに、サングラス。買わんと晴れた日はつらい。なんせ、NZの日差しは強いからな。

 11月25日

「アホウドリはなんでアホなんやろう」

 今朝はええ天気やと思ったら、すぐに雲ってきて雨が。まるでAucklandのようだ。

 昨日、俺はおもろい日本人2人と同じドミになった。彼らは日本からチャリを持ってきてNZを回り、この後OZに行く。去年はヨーロッパをチャリで回ったみたい。しかし、そのチャリの回り方がおもしろく、ちょこっと走ってはバスで移動し、OZでもちょこっとだけ走ってはairで移動するらしい。えらい、せこいな。ただ、2人共すごくいい顔をしてて旅を楽しんでいる。俺はこういう人に会うとうれしくなってくる。

 今日の予定はできればOtago Peninsulaに行きたかった。ただ、行くとなるとツアーに参加せなあかん。しかし、幸運にもここでexchangeしている京都の兄ちゃんが俺を車で連れて行ってくれることになった。ほんま最近、ラッキーだ。ただ、雨が降ったり、晴れたりのあいにくの天気。その上、かなり寒く、Peninsulaは風が強く波が高い。ただ、景色は礼文に似ている。

 この辺りでは野生のペンギン、アザラシは見えるのはわかっていたが、まさかアルバトロス(アホウドリ)がいるとは。アルバトロスの保護区には銭を払わんと行けないので諦めたが、運よく何羽か飛んでるのが見えた。とにかく、でかい。羽を広げると3 m近くあると思う。カモメが小さく見えるしなんしか彼らの飛び方は雄大だ。羽がまっすぐ張っていてまるでairのようだ。彼らは決してアホでない。でも、なんでアホなんやろ。

 その後、町に戻り世界一急な坂を見に行った。ギネスに載るぐらいやからもっと急かなとも思ったがそれほどでもなかった。ただ、実際歩いてみるとつらかった。この坂にも観光バスが来るようで、powerのない車はおそらく登りきらん。坂に沿って家が建ち並び、当然坂の一端は1階だが家の端っこは2階になっているのにはびびる。

坂の後はOtago大学。さすがに、Scottishの町だけあって建物もそれっぽい。Dunedinの町の中心、octagon周辺にはScotlandを思わせるような建物があり、I の建物にはScotlandの旗が掲げられている。また、ch−chとは違う雰囲気だがなんせ坂が多い上に寒い。ただ、日本人がほとんどいないのには驚きだ。たまに見る日本人はおそらくOtago大学の学生やろう。

 今日1日ゆいさんにはかなりお世話になった。彼はここで2ヶ月もexchangeしている。3月には日本に帰るようで、というのも仕事を辞めるつもりが会社が休職扱いにしてくれたらしい。珍しいケースでTe Anauで会った羽曳野の子も12月に帰国して元の会社に戻ると言ってた。日本に帰って仕事があるってのはある意味では羨ましいが、俺にはそういうのは嫌だ。大学を休学するっていう案もあったが、そうするとその間はlab.に迷惑がかかる。会社に対しても同じ気がする。実際どうなんやろう。まあ、大企業ではこういうケースは不可能やと思うが。

 俺は夕方、この辺りの地ビールOtago Draughtを飲みにpubへ向かった。Dunedinと言えばスパイツだが、スパイツはどこでも飲める。Otago Draughtはこの辺りでしか飲まれへんやろう。うーん、少し軽いかな。しかし、ビール好きの俺としては満足した。

 11月26日

「お勤めご苦労様、ペンギン君たち」

 朝からあいにく雨が降ったり止んだり。こうなると今日出るかどうか考える。とにかく、Dunedinは寒い。Alexでは30℃近くあったのに今日も10℃前後。ゆいさんが町の外れまで送ってくれるとのことだが、AM10:00を過ぎるとヒッチは苦しくなるので、雨が止んだ9時すぎに送ってもらったが、突然のheavy rainで一旦宿に戻り、結局AM10:30頃宿を出ることになった。ゆいさんには申し訳ないことをした。

 さあ、ヒッチといきたいとこだが、宿のねえちゃんが教えてくれたポイントはよくない。車が止まるスペースがないではないですか。そうこうしてるうちに、地元の野郎が2人が来て、彼らにここはよくないと言われ坂の上まで登るはめになった。もうDunedinは嫌や。その上、ヒッチの順番が彼らの後になってしまったので、俺は最終的に3番手のヒッチになった。最悪だ。いまにも雨が降りそうやし。俺はもう諦めかけていた。雨が降ったら避難する場所はない。ただ、今日は1つ勉強になった。俺はもうヒッチで100台ぐらいは車を止めているが、人があまり長くないdistanceで待ってる時は、後の方が得ってことがわかった。大体、車は俺が立ってる場所よりも先に止まる。つまり、急にはスピードを落とせないからだ。そうなると、始めの1人に気づいて車が止まるのは俺の前になる。そう言えば、一度こういうケースで車を捕られたことがあったな。とにかく、止まってくれたおばちゃんは俺の先に止まり、3番手のはずの俺が最初に車をgetできた。むっちゃ、ラッキーだった。

 

        野郎      野郎   俺

 

To Dunedin ●――30 m――●――30 m――● To ch-ch

車がこの点でブレーキをかける      車が停まるのは俺の前になる

 

このおばちゃんとはgenetic plantについて話してた。ヒッチをしてて番困るのは話題だ。たまに、経済問題になる時もある。こういう時は日本で色んなことをしててよかったと思う。とにかく、ヒッチするためには話すことが必須。

 おばちゃんに降ろしてもらったのはいいがなんせ車が少ない。俺はあるGSの前で立っていたが、たまたまガソリンを入れてたおやじが、

「おい、こっち来い。早く乗れ。」

と自ら俺を呼んでくれた。その車にはなんと、さっきDunedinでいっしょに立ってた野郎がいるでは。このおやじは俺ら2人もpick upしてくれた。おお、なんていいおやじだ。おまけに、ch-chまで行く。このままch-chまで行こかとも考えたが、やっぱりOamaruで降ろしてもらうことにした。そして、途中のMoerakiで休憩し、俺はOamaruで降ろしてもらった。

 俺がOamaruに来た目的はもちろんペンギンを見るためだ。ここにはLittle blue penguin、Yellow eyed penguinのcolonyがある。Dunedinでドミに泊まった俺はここではテントに泊まりたかったが、ここにはテント付きのBPはない。そこで、I の人に庭の広いaccommodationのことを聞くとYHAに行ってみたらと言われ、YHAで交渉してみたが、NZでは客をテントサイトに泊まらせるためにはlicenseがいるようで、このYHAはそのlicenseがないからだめと言ってた。へぇ、そんなもんがいるんや。ここのドミは$14と少し安かったので、俺はここに泊まることにした。

 Oamaruはなかなかシャレた町。かわいらしい建物もあり、町もそれほどでかくないが小さくもなくスーパーもある。やっぱり、俺は都会よりもこういった町の方が好きだ。

 やがて日が沈む頃になり、俺はまずYellow eyed penguinのcolonyに向かった。ここは崖っ縁にhutがあり、そこから覗くことになったが、それにしても、かなり寒い。この風の冷たさは真冬だ。もう11月末やで。日本やったらもう冬やろ。

 しばらくすると、仕事を終えたペンギンたちが海から帰ってきた。体長30 cmぐらいかな。とにかく、かわいい。こんなにかわいかったんや、ペンギンって。また歩き方がたまらん。一歩一歩ゆっくり歩く姿は、

「ああ、疲れた。」

というのがしみじみわかる。1日のお勤め御苦労様。まさしく、日本のサラリーマンのようだ。

 俺はこの宿で公一さんという人に会った。公一さんは10年働いていた会社を突然辞めてNZを旅してる人で、やっぱり銭を持ってる人は違うわ。大体、1日の予算を$100と考えてるようで、たまにホテルにも泊まる。俺の5日分の予算だ。公一さんはブランデーのボトルを持っていて、それを2人で飲みながらペンギンを見てた。

 Yellow eyedの後はLittle blueだ。ここは見物料に$8.00いる。銭を払わんでも見られるのだがこれは払わなあかん。要するに、俺らはペンギンたちのプライバシーを侵害しているわけだからその分は払わなあかん。ただ、俺らのその銭でここを保護している連中の利益になるならそれは許さん。ペンギンに払ってくれ。

 PM9:00前後から仕事を終えたペンギンたちが戻ってきた。Yellow eyedに比べてかなりの数だ。ざっと100匹はいるやろう。とにかく、かわいい。ペンギンってこんなにかわいかったんか。その歩いている姿はたまらん。体をくねらせて1歩1歩ゆっくり歩いてる。たまに巣に戻れなく迷子になってる奴もいる。ああ、かわいい。

 ペンギンたちが帰ってくるまで、公一さんとずっと話てた。10年も働いてた会社を辞めるってどんな感じかなと思ったら、特に何も思わんかったらしい。しかし、30歳を越えてのその勇気には脱帽だ。ただ、来年1月から現実が待っていると嘆いてた。将来はできればガラス工芸の店を持ちたいらしい。うーん。

公一さんはさすがに社会経験が長いだけに考えがしっかりしている。こういう人とは話てても楽しいし、大人の会話ができる。たまにはこういう話もええやろう。公一さんは、

「君は珍しいタイプの人間だ。30歳までは好きなことやってて全然問題ないと思うよ。色んなことをやってて、無駄になることもあるかもしらんが自分には残るからな。」

と言ってた。俺は至って普通のつもりだがみんなに珍しがられる。ゆいさんにも言われたし、淳一さんや羊平君、和さんや尚史さんたちにも言われた。それに、外国人のダニーやデヴィ、カリーたちにも。特に、社会経験が長く色んなことを知ってる人や、俺から見てもすごいなって思う人にそう言われるとちょっと考える。自分ではしたいことを行動に移してるだけやのに。そのことに対して一目置かれると、逆に俺が他の人を疑いたくなる。

 11月27日

「Auckland時代のフラットメートと再会 in Christchurch」

 今日出るかどうするか。というのはむっちゃ天気いい。この宿は俺の嫌いなYHAだが、オーナーの2人はものすごく感じええし、この宿で気に入ったところはVB以外にもう一冊ノートがあって、それは客からのクレーム帳。悪いところをどんどん書いてくれって感じのノートで、なかなかNZらしくなく向上心がうかがえる。こういう姿勢はかなりいい。それと、公一さんともう少し話たいな。でも、明日から天気が崩れるらしいからな。よし、やっぱり出よう。

 宿の人に教えてもらったPoliceの前でヒッチしてると、10分ぐらいで車をget。感じのいい夫婦で、その後はTimaruまで行くという3人組が自ら止まってくれた。最近ヒッチは調子ええ。

 Timaruは思った以上にでかい町。こういう町はヒッチはつらい。とりあえず、R1沿いに立ってたが、やはり町中とあって難しい。しかし、俺は最近むっちゃついている。なんと泊まってくれたのは車イスのおばちゃん。おお、車イスの人の車に乗るのは初めてだ。それも、行き先はch-chまで。なんてついてるんや。俺は車イスの人やからゆっくり走るんかなと思ったらとんでもない。すごい飛ばし屋で、遅い車に文句たれながらビュンビュン飛ばしてる。恐ろしい。俺は思わず祈ってしまった。

 Oamaruを出たんがAM10:00、ch-chに着いたんがPM1:00頃。むっちゃ早いやん。これやったらJTCに寄れるな。それと、久しぶりのch-ch。ただ、相変わらず人が多いし日本語が氾濫している。俺は前にいたBPに向かい、宿に行ったら祐子さんやよし君がいるやろなと思っていざ行ってみると、な、なんと徳さん、理砂さん夫婦がいるでは。どうやら、俺のe-mailを読んでわざわざ来てくれたらしい。というのも、俺は元々大澤さんとここで会うつもりやったので、今日辺りにch-chに来るとは2人に伝えてあった。2人とは昔のフラットメート。フラットの連中で先に2人に会ったのは、やっぱり俺だった。和さんかなと思っていたが、結果的に2人の後に南に先に来たのは俺やったし。当然、今晩はいっしょに飲もうということになった。俺は改めてe-mailの威力を感じた。ちなみに、祐子さんやよし君も元気だった。

 その後、JTCに向かった。JTC ch-ch支店の東さんはほんとにいい人。面倒見がよくて人間ができている。ここで日本から来た荷物と手紙を受け取った。その手紙はなんと去年インドで会った青松さんからで、旅の途中で結婚して、現在イギリスにいるとのこと。全く、驚きだ。

 俺は東さんにpicking情報を教えてあげた。情報屋の俺としてはどうしようか考えたが、まあ役に立つならと思って教えてあげた。その情報量のすごさに東さんもびっくりして、

「学君、すごいよ。これ本でも書いたら。」

と言ってた。その場にいたAlexに行きたいという若者たちにも色々アドバイスをしてあげた。ワーホリ体験記という本が書店で売られているが、それに載せてほしいと東さんに言われたが、それはお断りだ。俺がそれを投稿すれば間違いなく載るやろう。しかし、そうなるとpicking時期になると日本人ばかり集まって来て、俺がTaurangaで過ごしたような経験はでけへん。そうはなってほしくない。

 宿に戻ると、徳さんたちと晩めし。今日のメニューはハンバーグ。いいね。俺と徳さんでビールを買いに行き、俺と理砂さんで作り始めた。それに、QP。大澤さんにもらったQPのマヨネーズで食うトマトは最高やね。宿の人にも少しQPを貸してあげた。久々にまともなめしを食って、大満足。2人にも会えたし。めしの後は、そうバヌアツの写真を見せなければ。空港に見送ってくれ、侍を作ってくれた最後の関係者に写真を見せられて俺は本望や。2人も作り甲斐があったと喜んでくれた。写真を持ち歩いててほんとよかった。

 11月28日

「Christmas festival in Christchurch」

 今日は土曜日。土、日はArt Centerで屋台が出ている。その上、天気もいいし。俺は徳さん、理砂さんと3人で昼から寝ながらここでビールを飲もうと決めていた。この屋台には色んな国の料理があって、俺はインド料理のサモサを思わず買ってしまった。サモサ、ケバブを食いながら青空の下で芝生に寝転びながら飲むビール。うーん、最高やね。まさしく生きてるって感じがする。徳さんたちも満足してた。ch-chは町の真ん中にこういうところが結構あって、なんと言っても坂がないのがいい。Auckland、Wellington、Dunedinは坂が多すぎてあかん。

 夕方は、3人で軽くピザを食って、近くの公園にChristmas festivalを見に行った。NZらしくないなかなか豪華なfestivalでvisionはあるし、stageはあるし、花火はあるし。まあ、いわゆるコンサートかな。Christmasに関係した曲をstageで何人かが歌い、それを俺らが聞いている。公園はかなりの人でにぎわい、屋台や仮説トイレも用意されていて。ただ、やっぱりNZやなってとこは選曲ミスだ。客が盛り上がりかけているのにしらけてきたり、なんでこんな時にこんなん歌うねんというのが多かった。まあ、楽しめたからよしとしよう。

 宿に戻ると今夜の晩飯はそう、鳥南ばんうどん。利尻昆布でダシをとり、キッコーマンの醤油と塩、砂糖で味つけ。うーん、最高。こっちのカボチャはあまりうまくないが、やっぱり利尻の昆布やね。宿にいたかんじ君にも少しあげた。

 かんじ君は佛教大の学生で、とにかく彼の写真の腕はすごい。高校時代に色んなコンテストで入賞したり、大学も推薦で入った。彼が撮った写真を何枚か見せてもらったが、まさしくプロ級。まず、目の付け方が俺らとは違うし、写真自体のバランスもいい。瑤美さんの写真もすごいが、かんじ君のはまた一味違う。これは俺のバヌアツの写真は見せられへんわ。

 俺の写真や徳さんたちの写真は彼の写真のジャンルとは違って、どっちかと言うと人を楽しませるお笑い系か。プロ級のかんじ君が俺の写真を見た感想は、

「こういうのはいいですよ。これ、いいな。」

らしい。まあ、かんじ君の写真を舞台で例えると歌舞伎で、俺らのは吉本新喜劇ってとこか。

 11月29日

「なんで今年だけ買われへんのん、JC」

 今日、Blenheimに向おうと思ったが、どうやらここ最近の低温でpickingは遅れているらしい。それと、今日は俺が楽しみにしてたJapan Cup(JC)の日。競馬好きの俺が今年のGIを一度も買ってないのは、正直よくここまで我慢したなって感じだ。JCは唯一NZで買える日本のGI。石渡さんにもらった情報で、俺はある程度目星をつけ、エアグルーブを軸にいこうと決めていた。

 今日、もしch-chを離れてJCが買えなければ、俺は悔やんでも悔やみきれん。それに、ch-chに来て少し疲れてきたし、俺はもう1泊ここにすることにした。

 徳さん、理砂さんはch-chを出て、Onuku farm Hostelへ向かった。俺は基本的にAucklandの日本人は好きになれんが(まあ、人にもよるが)、俺の周りにいた連中は好きだ。だから、2人に会えてほんとうれしかったし、2人の仲の良さは見ていてすごく伝わってくる。徳さんはほんとに気持ちのやさしい人だし、理砂さんも明るくて感じがいい。この2人は俺と同じで、よく自分から人に話かけるため知り合いが多いはずだ。和さんも同様。だから、彼たちといるとどんどん人を巻き込んで輪が広がっていく。これはすごく大事なこと。

周りの日本人ももっと見習ってほしい。

 徳さんたちを見送った後、俺は早速TAB(いわゆる、馬券売場)へ向かった。実は、昨日近くのTABでJCは買えないと受付の人がわけのわからんことをほざいていたので、俺はsquareから少し離れたTABに行ってみた。しかし、ここにもJCの枠順表らしきものがなく、あるのはNZ、OZのレースのみ。これは詳しく聞いてみよう。

「今年はオセアニアの馬が出ないから買えないのよ。」

そんな、あほな。なんで今年に限って。毎年、NZかOZの馬は出てるし、結構強いやん。なんでやねん。脱力感とはまさしくこの時の俺。この後、俺は何もする気がなくなった。折角、祐子さんに勝ち馬のお守りを借りたのに。日本で買ってもらうんじゃあかん。こっちのオッズで買わんと意味がない。宿に戻ると、みんな笑ってた。爆笑してる奴もおった。笑うな。ドあほ。

 今晩、寝る前に俺は昨日の南ばんの汁の残りと少しダシを入れておじやを作った。少し作りすぎたのと、まあ折角やからということで、よし君を始め宿の日本人や日本人以外の方にも味見させてあげると大好評。OZ人のジェーンは、

「どうやって、この味だしてるの?」

とびっくりしてた。物が違うんやで、物が。

「むちゃくちゃおいしいですよ。」

当たり前やろ、それは。俺のおじやは大好評だったが、ch-chに来てもっと好評なのが、大澤さんに買ってきてもらったQPのマヨネーズ。俺はまじでNZに来てよかったと思うことの1つに、キッコーマン、QPの偉大さを改めて確認できたことがある。キッコーマンは千葉県野田産でないとあかん。こっちのスーパーで売ってるキッコーマンとは少し味が違う。マヨネーズはやっぱりQP。QPがあるだけで生野菜が100倍うまくなる。俺はキッコーマンの研究所で働いてる五十嵐を最近ものすごく誇りに思う。とにかく、醤油はキッコーマン、マヨネーズはQP。これは譲れん。

 11月30日

「NZのワーホリでexchangeしてる人らしくない人たち」

 さあ、今日こそ出ようといきたかったが朝から雨。俺は出発の準備も終えていたがしばらく待ってみた。しかし、check-outの時間が近づいてきても天気はよくない。しゃあない、もう1泊しよう。そう思って、もう1泊分銭を払って部屋に戻ってしばらくすると雨が止み、昼すぎから青空になってきて、むっちゃええ天気になったでは。最悪や。出たらよかった。今日1日何しよう。なんもすることない。俺はこういう日はたまらなく嫌でむかついてくる。

 悪いことは続くもんで、俺はフィルムを現像しようとして、“same day”のpharmacyにフィルムを預け、PM4:30以降にできてますと言われたので取りに行ったら、

「明日です。」

おいおい、もう明日はわしはここにはおらんねや。どうしてくれんや。誰や、うそかましたんわ。

 昼頃、俺はJTCへ向かった。JTCは絶対ch-ch支店のほうがいい。広いし東さんは感じええし。今日なんかコーヒーを御馳走してくれた。俺のpicking情報がかなり役に立ったのか、下書きしたpicking情報を見せてきて、俺は色々付け加えてあげた。

 とにかく、ch-chでは色んな人に再会する。今日はsquareを歩いてたらTekapoで宿がいっしょやった女の子に声をかけられた。俺は人を覚えるんはあかんから声をかけられることが多いが、今日はこの彼女と2時間ぐらいBurger Kingで話し、そのほとんどはキッコーマンとQPの話題で彼女を笑かせてた。おかげで、祐子さんたちと映画に行くのを忘れてた。

 俺が見た中で、NZのBPでexchangeしてる日本人でろくな奴はいなかった。まあ、Dunedinのゆいさんは別だが、特にNelsonのParadisoの連中は最低やった。そういった中、この宿でexchangeしてる祐子さん、よし君、それにインドネシアのリリアナはほんといい人たち。感じがいいし誰とも気軽に話しかけてるし。俺がch-chに帰って来たのは彼女たちに会いたかったからでもある。彼女達が自主的に作って、$1.00で売ってるmuffinはほんとおいしいし、そのお金は彼女たちの小使いになるので、俺は毎日必ず食べてあげてる。リリアナの話は俺にとってすごく興味深い。Jakartaを逃げるようにして出てきた彼女は、今NZのresident visaを申請中。色んな会社を受けたが、彼女がインドネシア人だからという理由ですべて不採用。英語はペラペラ、ドイツ語もかなりできるのに。リリアナはほんとに気が利いて性格のいい人。俺も彼女とよく色んな話をし、彼女から聞いた現在のJakartaの話は生々しかった。なんとかresidentが取れればいいが。とにかく、俺はこの3人といるのがすごく好きで、毎晩のように色んな話をしてる。NZのワーホリでexchangeしてる人らしくない人たち。また、会いたい人たちが新たにできた。

 12月1日

「もうこんなヒッチは嫌や」

 さあ、今日こそch-chを出よう。よし君は宿からすぐそばにあるKaikoura方面のR74号沿いでヒッチしたらと薦めてくれた。一旦、俺はバス停まで行ってみたが、townを出るバスはそんなに数がない。よって、俺はR74号沿いに戻りヒッチを試みた。しかし、かなりの交通量。俺は運よく地元のカップルにもっといい場所まで送ってもらい、そこからもすぐに感じのいい兄ちゃんがpick upしてくれた。俺の思った通り、ch-chの市内からのヒッチは難しいようで、この兄ちゃんも、

「お前は運がいい。」

と言ってた。Aucklandのように町中にmotor wayの入口があればbestだが、ch-chにはない。Dunedinもそういう意味では不便かも。

 この兄ちゃんにmotor wayの途中で降ろしてもらい、そこからのヒッチは速攻。

「私、あなた見たことあるよ。」

と言って、俺をpick upしてくれたのはFranzで同じ宿だったカップル。彼らはHanmer Springsに向かうというので、Waiparaで降ろしてもらったが、ここからが悪夢の始まり。俺よりも先にデンマーク人のおっちゃんが道端で立っていて、よって俺は下流へ移動した。まあ、速攻捕まるやろうと思ったらとんでもない。R7号線方向に行く車が多く、Kaikoura方面の車は猛スピードで俺の前を通りすぎる。おまけに、今日は暑い。俺は昼めしも持ってへんし、運よく水を持っていたがすぐに飲み干してしまった。まいった。

 2時間ぐらい経った後に、もう一組ヒッチの仲間が増え、なんとそれはQueenstownの宿で一緒やったアイルランドのカップルでは。彼らとは戦いたくない。彼らも同じ気持ちやろう。彼らは俺より下流へ移動し、3組のヒッチ合戦がスタート。しかし、俺の法則がここでも成り立った。距離があまりない間隔では最後の人が得というのがDunedinからのヒッチの時にわかり、今回はアイルランドのカップルが真っ先に車をgetしてしまった。まさしく漁夫の利とはこのことだ。彼らは2時間ぐらい待ってさっさと行ってしまった。まいった。

 4時間ぐらいしてデンマークのおやじのところに1台止まり、運よくその運ちゃんは俺も乗っけてくれた。むっちゃラッキー。俺はすっかり疲れ果てていた。もう、車に乗ったとたんに意識がない。運ちゃんはすごい感じのいいマオリの人で俺にもなんか話しかけていたのはわかってたが、俺は疲れきっていてKaikouraに着くまでの記憶がほとんどない。気づいた時にはKaikouraの手前で、とりあえず俺は町中で降ろしてもらった。ヒッチ待ち最高記録の4時間。それも、炎天下の中めしも食わずに。こんなにつらい思いはヒッチして初めてだ。この前のWest portを抜いたな、これは。

 Kaikouraに着いたんはいいが、もうビールしかないやろう。俺は近くの宿にcheck-inして、速攻パブに向かった。久しぶりにTuiを空けた。うまい。生き返った気分だ。Kaikouraにはヒッチ次第では行かんとこと思ってたので、特に来たいとは思わなかった。いざ来てみると、いわゆる海の町。磯の香りが何とも言えずgoodで、とにかく海に面していてなかなかいい町だ。俺が泊まった宿にはhot spaがあり、そこからの眺めもまたいい。うーん、なかなかいいところだ。

今日はもう疲れて何もする気にならん。宿にビールを買って帰り、インスタントラーメンを食うぐらいしかできんかった。もうこんなヒッチは嫌や。