8月25日

「おいおい、侍かい」

 バヌアツへ行く日というのになんも準備してへん。やばい。ほんまに準備するのは面倒臭い。世の中から準備がなくなればどんなにいいか。まずe-mailのチェック。それが終わるとウォルターに会いに行った。ウォルターともしばらくお別れ。ウォルターにはair mailがほしいと言われた。俺は、

「Aucklandに戻ったら必ず訪ねるから。」

と約束をした。

 それから、一旦フラットに戻った後、滝口さんのフラットへ向かった。そう、荷物を預かってもらうためだ。滝口さんと少し話をしたが今日はそんな時間はない。まだ荷物の準備ができてへんからな。

 その後は、Oakland Lodge。そう、文さんに会いに行くためだ。ダニーたちは仕事でおらんやろと思ったがマンディがいた。マンディとはe-mailで連絡が取りあえるので、また南で会えるやろう。文さんは10月に日本へ帰る。だから、今日が最後。また、会いましょう。

 さあ、荷物整理。時間はもうPM1:00を過ぎているが、PM4:00には空港に行かないといけない。しかし、やればできるもんだ。packing終了。あとは和さん待ち。和さんは昨日の酒が残っててまだ寝てる。ほんまに大丈夫か。

 結局、PM3:00すぎに和さんの車で空港へ向かった。徳さん、理砂さん、純さん、やすしさんも便乗し、空港に着くと彼らからのプレゼントが待ってた。な、な、なんと、ちょんまげと裃、それに刀ではないですか。昨晩、なんか作ってるなと思ってたらこんなものが.....。これをわしに着て行けと言うのか。確かに、俺はかぶり物が好きだが、まさかこんなはめになるとは。当然、俺は着なければならない。よし、ここまでやるんやったらとことんやったる。この格好でバヌアツに入ったろうやないか。まず手始めに、侍姿でのチェックイン。侍、マクドに行く。あと、侍姿で大型ブラウン管にも映った。出国手続きでもみんな笑ってた。

「なんで刀持ってるの?」

「わしもわからん。」

やがて、搭乗の時が。さすがに機内では邪魔だ。だから、預かってもらうことにした。

 飛行機の中では熟睡。ここ最近寝てへんかったからよう寝られる。機内食の時はバヌアツのビールを頼んだ。その名も“Vanuatu bitter”。味的にはまずまずだ。

 Aucklandを出て約3時間後、バヌアツPort Vila空港に着いた。思ったよりも涼しい。さあ、俺にはすることが。そう、ユニホームを着ないと。ここまでしてもらったからにはな。俺が侍の格好をするとみんな一斉にこっちを向いた。おいおい、俺はイミブレを通れるんか。機内でいっしょやった唯一の日本人カップルは俺と写真を撮りたいと言ってきた。全く恥ずかしいで。イミグレのボードには日本語で書かれた文字があった。ということは、日本人がかなり来てるんか。まいったな。どこに行っても日本人がおるのか。

 さあ、入国。さっきの日本人に俺のカメラを渡して、証拠写真を撮ってもらうことにした。イミグレのおっちゃんは不思議そうにしてた。なんでそんな姿してんのって感じだ。しかし、俺の予想には反してすんなり入国でき、俺のテントも無事検疫を通過して、ついにバヌアツ入国。早速、こっちの通貨「vatu」に換えた。

 さあ、どうしよう。どうもここでの野宿は無理みたい。townへ行くか。空港からのバスがあったが、これは泊まるところが決まってる人たちのバスで俺は乗れないとのこと。周りは真っ暗でバスはなし、ヒッチは危ないし。そうすると、タクシーしかないか。しゃない。俺はタクシーの運ちゃんに、

「安い宿に行ってくれ。」

と言うと、運ちゃんは、

「いっぱいあるからどこや。」

と言ってきた。そのうちに、メーターはどんどん上がっていくし。俺が、

「とりあえず、ここで降ろしてくれ。」

と言うと、

「わかった、1000vtでいいから。」

と言ってきた。1円=約1vt。つまり、1000円ぐらいやでタクシー代が高い。Guest Houseを2件ほど当たってみたが、2件共1500vt / night。高いやん。NZよりも高い。2件目のところがテントでもいいよと言うので、もう時間も遅いしここにした。値段は明日ここのボスに聞いてみないとわからんとのこと。

このGuest Houseの隣の家の人がほんまにいい人で、俺を家に招いてくれた。

おまけに、バヌアツの伝統料理「ラプラプ」もわざわざ買いに行ってくれた。ラプラプは穀物、要するに炭水化物をベースに大きな葉を上下に挟んで蒸す。味的にはうすいが栄養価は高いと思う。とにかく、俺は眠くて、折角用意してくれたのだがあまり食えない。ここの旦那の名はジョセフ、奥さんはエミリー。それに、奥さんの妹と赤ん坊が住んでいる。あまりにも親切なので俺は戸惑った。ジョセフの実家のTongoa島に行く時はいっしょに行ってやるとか、奥さんの実家のPentecost島に行く時もいっしょに行こうとか。ほんまに信じていいものか。

 ああ、今日は疲れた。

 8月26日

「バヌアツの首都、Port Vila」

 バヌアツの朝は早い。AM6:00ぐらいから動き始めてる。これはネパールと同じだ。

 今朝、ここのボスに色々聞いてもらうとドミもテントサイトも同じ1500vtとのこと。そんな、あほな。なんで同じやねん。俺がtourist centerで聞いてみたところ、テントサイトの相場は500vtとのこと。ほらみてみろ。俺はofficeの人に聞いた“Port Vila backpacker”に移ることにした。ジョセフとエミリーには世話になったな。エミリーには、また遊びに来るからと伝えた。

 とにかく、侍の箱がじゃまだ。町を歩くと注目の的。何を抱えてんねんと言った目で俺を見てくる。ほんまに恥ずかしいで。それに、この暑い中をバックパックとテントだけでもつらいのに、その他にまだ侍があるんやで。よし、ここまで来たら、この侍を原住民に見せてやろうではないか。

 昼からゆっくり町を歩いた。バヌアツの車は左ハンドルの右側通行。アメリカスタイルだ。海はほんとにきれいし、空も真っ青。これが本当の太陽かっと思った。すごく輝いていて、まともに見られない。空の色もなんて鮮やかな青なんやろう。

マーケットには色んな熱帯の果物がある。ココナッツ、バナナ、それに俺が見たこともないのもある。野菜も豊富だ。それと、ここで物を売っている人もそうだが、バヌアツの人たち、メラネシアンの髪の毛はちりちりだ。特に、女の人の頭は強烈。もう、これには参ったな。見てるだけで笑けてくる。昔の“笑福亭鶴瓶”のようだ。

 産業のほとんどは農業と観光やろう。ツーリストは見ててすぐわかるしな。何人か日本人も見かけたが、おそらく彼らはミーハー客でええところに泊まっているんやろう。Port Vilaの中心部はどことなくKathmanduに似ている。信号はなく狭い道路を車が行き交う。まあ、リクシャーはないけどな。しかし、この光景もこのPort Vila only。一旦、外に出ればそこはlocal village。local villageに泊まるためには、村の酋長の許可がいる。日本では考えられん世界だ。

 バヌアツはポストがなく、そのため手紙を出す時は直接post Officeに行かねばならない。これも、ネパールと同じだ。それに電話も。public phoneもそのofficeに行かないとない。これも、ネパールと同じだ。

 Port Vilaはなんしか物価が高い。缶コーラが130vtもする。米は100vt/sで、すべてOZからの輸入でこの点はNZと同じだがNZよりも高い。まさしくtourist相手だ。しかし、海はまじできれい。また、礼文とは雰囲気が違う。ただ、このPort Vilaの海に関しては俺のイメージとは少し違う。俺はてっきりまわり一面砂浜と思ってたら、町の中心部はいわゆる船着き場。泳ぐためには少し遠くに行かなあかん。まあ、目の前にIririki islandがあるけど、ここはミーハー客が来るところ。でも、Iririkiの海にはウニがいっぱいいる。ああ、割って食いたい。町を散策した後、俺は買い物して宿に戻った。

 俺がstayするところは、いわゆるBP。まあ、バヌアツのBPやからあまりきれいやないやろうと思っていたが、その通り。シャワーは水のみ、冷蔵庫は壊れていて、食器棚はくさいし、棚を開けるとクモやゴキブリがいっぱいで、くもの巣だらけ。食器は汚いし蚊はいるし。まあ、こんなもんやろう。これはAucklandの日本人には住まれへんし、ましてやミーハー客では失神してしまう。夜になると街灯がないので周りは真っ暗。う〜ん、これがバヌアツか。とりあえず、早いうちにPort Vilaを出よう。

 8月27日

「船を探そう」

 それにしても、バヌアツは暑い。真冬のAucklandからこの暑さはきつい。早朝はまだいいが、日が昇ってくるとだんだん暑くなる。そうなると、テントはつらい。真冬のTaurangaテント生活と違って、今度は暑さで目が覚める。しかし、夜は涼しい。

 今朝は、まずtourist centerへ向かった。ここの人達はほんまにいい人々。とにかく、俺は船で島を渡りたい。しかし、船がそんなにあるわけではなく、大体週1ペースだ。俺はここの人に船会社を何件か聞き、そこを訪ねることにした。

 1件目の船会社は俺が行きたいTongoa islandに行かないみたいで、2件目に訪ねた船会社は、来週月曜日に行くとのこと。俺が訪ねた時はここのofficeの人は不在で、詳しいことはまた後でと言われた。ちなみに、値段は2600vtで、夜10時にPort Vilaを出港し、次の日の昼にTongoaに着く。まあ、この船でいいやろう。そう思ってtownへ戻った。

 その後はIririki Islandへ向かった。IririkiはPort Vilaのすぐ目の前にある島で、いわゆるリゾート地。Port VilaからIririkiには無料のshattle ferryが24 時間運航している。渡るのはほんの5分程度。まじで泳いで行ける距離。海岸付近はウニだらけ。取って食いたいね。とにかく、海がきれい。礼文とはまた違う。俺はココナッツの木の下で昼寝。うーん、なんて贅沢な時間なんや。

暑くなったら海で泳ぐ。疲れたらまた昼寝。こんな俺の姿を日本でせくせく働いている仲間が見るとどう思うやろう。よし、水中眼鏡と海パンを買おう。うーん、まさしく俺が望んでた時間だ。途中で、beachにいた地元の人に実際に木からココナッツを落としてもらってそれを飲んだが、インド同様やっぱりうまいもんではない。ココナッツはこんなもんやな。

 それから、Port Vilaに戻って、俺がcafe´で軽くめしを食ってると一人のウェイトレスが俺のことをジロジロ見てる。おいおい、気があるのか。バヌアツの人はほんまに親切で俺はなんか知らんが女の子にもてる。エミリーの妹さんもそうやし、さっきの2件目の船会社の女の子もそうやし。あまりにもこのウェイトレスが俺の周りをウロウロするので、俺が話しかけてやると喜んで俺の方に来て、仕事そっちのけ状態。これを見た他のウェイトレスが彼女を仕事に戻すと、

「あとで来るから待っててね。」

と言って仕事に戻った。まいったね。俺は変な気を持たれると嫌なのでここを出た。

 俺は宿に戻って、宿のおばちゃん(ルーシー)に船のことを話すと、

「ヨットで行ったらどう?」

と言ってくれた。おっちゃん(サンディ)も交えて詳しく聞くと、どうやら働きながら島を回ることもできるみたいで、ニューカレドニア、サモア、それにフィジーにも行けるとか。当然、料金は無料。なんといい情報を聞いたもんだ。この話に乗る手はない。よし、明日ヨットクラブを訪ねよう。

 それにしても、この宿の人はほんまにいい人。泊まってる客は地元のおばちゃん4人ぐらいと、NZのおばあちゃん2人と、今まで未婚で誰一人身内のいない84歳のEnglandのじいさん。俺はすっかりここが気に入った。なんしかみんな親切で、今晩俺はこの宿の庭にあるグレープフルーツを御馳走になった。

とにかく、でかい。

「明日は庭に生えているヤシの木に登って、自分で取って食べてみたら。」

とおばちゃん連中は笑ってた。よし、登ったろうやないか。

8月28日

「手探り状態」

 今朝も暑い。全く暑いぜ、バヌアツは。俺は昨日サンディたちに言われた通り、ヨットクラブ(Water Front)に行ってみた。実際行ってみると、彼らが言ってたほど乗組員を探しているヨットはない。しかし、ニューカレドニアを回って、Melbourneに帰るヨットのが人を探してた。ほんまや。うまくすれば、フィジーやトンガに行くヨットに出くわすかもしらん。とりあえず、俺はここのおばちゃんに言われた通り張り紙を書いといた。頼む、誰か俺を見つけてくれ。

 俺はWater Frontの前にあるヨットのofficeでバヌアツのビールを見つけた。そのビールは“Vanuatu bitter”と“Tusker”の2種類。Vanuatu bitterはair内で飲んだので、今日は“Tusker”を買って飲んだ。値段は両方とも200 vt。うーん、味的にはいまいちだ。

 ここのヨットクラブの人もそうだが、俺が地元の人に、

「とにかく、local villageに行きたい。」

と言うと、みんな協力的な態度に変わる。ある人は、

「そうだ。ツーリストのほとんどは、ほんとのバヌアツを知らないで帰る。」

と言ってた。俺もそう思う。リゾートホテルなんてほんのわずか。普通の家はお湯が出えへんぞ。洗濯機もないしな。その上、クモやゴキブリだらけやし。そう考えると、バヌアツに来るツーリストは何しに来るんやろ。彼らがこの後国に帰って、

 「バヌアツはよかった。」

と言ったらどうなるか。うわべだけのバヌアツを見ただけの人が、自分はバヌアツを知っていると言うんはどんなもんか。まあ、あまり深く考えんとこ。人は人。俺は俺なりのバヌアツを見ればいい。

 その後、俺はイミグレへ向かった。そう、visaの延長をせねば。ジャングルに行くと、しばらく帰って来られへんからな。visaの延長には金がいらんかった。なんてバヌアツはreasonableな国だ。

 それからは、TCの交換。バヌアツは銀行のある島はわずか。俺はイミグレの人にWestpacのレートが一番いいと教えてもらったが、Hawaiian bankの方がよかった。1円=0.93vt、cashやと1円=0.80vt。俺は日本円で6万円分換えた。バヌアツでは10万円しか使わんと決めている。それに、10万円しか持って来てない。Port Vilaにいると週に1万円は使うやろ。まあ、俺はテントやからかなりsaveできているが。

 その後、海パンと水中眼鏡を買った。600vtの海パンに530vtの水中眼鏡。ほんま大丈夫か。水中眼鏡はスーパーのちびっこ用品売り場にあった物。これはいかにも怪しい。今時こんな物を使っている人はいないやろう。まあ、俺には使えればなんでもええ。

俺が何気なくスーパーマーケットに入って、ふとカウンターを見ると、なんとlunchが売っているではないですか。大体、150〜250vtでいわゆる弁当が買える。肉、野菜系の物が多いが、今日から昼飯はこれにしよう。そして、俺が海の前の広場でこの弁当を食っていると、なんとエミリーがいるでは。実は、エミリーは俺と同じ歳で、ジョセフは1つ年下らしい。見えん。俺が始めに娘と思っていたのはエミリーの妹やしな。わからん。バヌアツの人の年齢はわからん。どう考えても、俺とエミリーが同じ歳とは思えん。

 来週、エミリーは実家のPentecostに帰るようで、俺が行ってもいいかって聞いたら、大歓迎とのこと。しかし、エミリーの実家はlocal villageで、いわゆる原住民の生活。朝起きて畑行って、海に魚を取りに行って---。

「Pentecostに行ってもどうやってここに戻るの。」

って聞いたら、船が来るのを待つしかないと。それも、ラジオで船が来るのを待つらしい。どんな世界や。Pentecostはバンジージャンプの発祥地やからな。行ってみたいな。

 それから、俺は農水省を訪ねた。といっても、農水大臣がいるところで、農水省の研究所等は空港の近くのところにある。それにしても、日本の官庁に比べたら想像できん。建物はどっかの雑貨屋って感じだ。実は、今朝俺は2日前に買ったとうきびをゆでて食ってみたが、なんじゃこれはと思った。どう考えてもスイートコーンじゃない。しかし、キャベツやレタスはつやもよく味もいい。うーん、この国はどんな農業をしてるんや。そう思って、俺の性格上畑を見たくなってここを訪ねたが、ここでは畑を見ることはできなかった。よし、今度研究所がある空港の方へ行ってみよう。

 まだ日が暮れるまで少し時間があるな。よし、Iririkiだ。早速、今日買った海パンと水中眼鏡を装着。うーん、結構この水中眼鏡いけるやん。それにしても、浅いところはウニだらけ。取って食いたいがとげが長〜い。それに、気を付けないととげが足に刺さる。やっぱり、水中眼鏡をつけると海が見えるのでいい。よし、もし金が余ったらスキューバをやろう。

 宿に戻ると、今日は洗濯。洗濯機がないので手洗いだ。これがまたたるい。手洗いはインド以来だ。とにかく、手が疲れる。そう考えると、洗濯機はほんまに便利だ。ああ、有難味がわかるね。

 今晩、こっちに来て始めてめしを作ったが、この宿の食器棚から食器を出すのが一苦労。クモの巣だらけやし、クモやゴキブリもいる。ほんまにこの鍋使えるんか。めしを食ってるとのら猫が4匹も寄ってくるし。冷蔵庫は壊れていて、冷凍庫もいかれている。うーん、バヌアツでは自炊は止めるか。

 実は、この宿に若い黒人の男女がいるのだが、てっきり俺は地元の人かなって思ってたら、アフリカのコンゴ出身。わからん。アフリカ人はアミシ以来。男の方はMelbourneに留学していて、地元の言葉フランス語の他に、当然英語もぺらぺら。女の子の方は英語は全くだめだが、フランス語はOK。だから、この女のことはうまくcommunicationは取れんが、この宿にいる人とは俺はすっかりお友達。地元のおばちゃんたちが話すビスラマ語はわからんが、なんとかなるもんだ。このおばちゃんたちが宿を出たり戻ったりしてるのは、現在Independent parkでバヌアツ誕生50周年パーティーを行っているからとのこと。だから、parkにあんな人がいたんや。

 8月29日

「ジョセフ家訪問」

 今日はジョセフの家に行くことになっている。しかし、どうも体調がよくない。歩いててフラフラする。しかし、行かねば。どうせ行くなら侍の姿をと思って、俺は一式が入った箱を持って行った。ジョセフの家に着いた時はエミリーしかいなかったが、なんと昨日からTongoa islandにいるはずのジョセフのお兄さんのロイが来ているようで、俺がTongoaに行きたがっていることをロイに伝えてくれたみたい。しばらくして、ジョセフやロイが帰ってきて、ロイは俺を大歓迎すると言ってくれた。うれしいね。

 俺は何気なく侍の箱を家の入口に置いていたが、みんながそれに興味をもち始めた。こうなるとは思っていたが。そして、ロイがこれを着てみんなで記念撮影。すると、周りの連中も集まってきて、俺にも私のも写真送ってと騒ぎだした。まいったな。よっぽどカメラが珍しいんかな。その後は昼飯をご馳走になった。

 俺はどうも体調がよくない。よって、Iririkiへ行ってココナッツの木の下で寝ようとした。しかし、今の俺の体調じゃ風が冷たすぎる。あかん、限界。宿に戻った。たぶん、すごい熱やろ。体温計を持ってないから何とも言えんが。動けん。とりあえず、葛根湯と風邪薬を飲んで寝た。

 8月30日

「テントでの闘病生活」

 テントの中の闘病生活はつらいぜ。夜中、犬が吠えまくるし、猫がけんかしてるし、朝は鶏が鳴くし。それに、だんだん日が昇るってくると暑くなってくるし。

 俺は昼間、宿のソファで寝させてもらうことにした。それにしてもつらい。なんか食わなあかんと思って、ヌードルを食ったが吐きそうだ。食欲がない。ああ、つらい。ニューデリー以来だ。

 8月31日

「しんどい時に無駄なことさすな」

 全く体調がよくならない。それに、床ずれして寝るのもしんどい。食欲もない。俺はこれではあかんと思って、townにlunchとバヌアツドリンクを買いに行ったが食えん。吐きそうだ。バヌアツ原産のジュースはとにかくまずい。安いが飲めん。

 俺はまたソファで寝ようかなと思ってると、Water frontからTelがあった。しまった、ヨットの件だ。やばい。今のままじゃ動けん。とりあえず、Water frontに向かって、俺はチャーリーという青年に会ったが、こいつがとんでもない勘違いをしてた。俺がヨットを持っていると思っていた。そして、それに便乗したい奴が見つかったから連絡してきた。おいおい。ちゃんとNoticeに書いたやろ。I’m poor Japaneseって。なんで、そんな奴がヨット持ってんねん。しんどい時に無駄なことさすな、ドあほ。

 ああ、つらい。また、ソファで横になってその後はテントに戻った。宿の人は、中で寝てていいよと言ってくれたが、甘えるわけにはいかん。テントを選んだのは俺自身やし、へたってしまったのも俺のせいだ。自分の体の健康管理できないのは最低やね。

俺がテントで寝ていると激しい雨。ああ、つらい。

 9月1日

「コンゴからの少女」

 昨日より若干ましか。しかし、しだいに体が熱くなってきた。俺はこれではあかんと思い、またtownへ向かった。宿を出る時にここの人がNational bank of Vanuatuの2階にJICAのofficeがあると教えてくれ、そこを訪ねてみたらと言ってくれた。気が滅入っている時に日本人と話したらという計らいだ。ほんまにここの人にはお世話になってるな。

よし、とりあえずスーパーだ。ランチ、ヨーグルト、フルーツジュース。ランチはパワーをつけるために米、卵、大豆が入ってるのを選んだ。ヨーグルトでタンパク、ジュースでビタミンを補えるやろう。早速、俺はふらふらしながら海の前の公園に行って食い始めた。それにしても、ヨーグルトはなんじゃ。発酵しすぎて酸っぱいやん。ほんまにバヌアツの加工品はどうなってんねん。

 俺がこの公園にいる間に日本人がここを通ったら、解熱剤をもらおうと思ってた。しまった。Aucklandでリサさんにもらっとけばよかった。人を待とうとしたが、人を待つ元気もなくなってきて、行きたくはなかったが俺はJICAのofficeを訪ねた。あんまり海外のお役人さんを訪ねるのは気が進まん。いい加減な対応をされるだけやし、いざと言う時に役に立たん連中が多いからな。俺は解熱剤があれば欲しいと言ったが、俺が頂いたのはバファリンと厳しいお言葉だった。どうして、海外の日本のお役人連中は不親切なんやろ。お前ら俺らの税金でめし食ってんちゃうんか。まあ、厳しくしないといけない面もあるが、それにしても厳しすぎる。俺を接客してくれたねえちゃんはなんしか無愛想。あれは一生結婚でけへんな。不細工ではないけど、男が逃げて行くタイプやな。まあ、桃井かおりって感じか。

 それから宿に戻って、気を紛らそうと思って本を読んでると徐々に体調が回復。そうなると、シャワーが浴びたくなった。この5日間シャワーを浴びてないし、汗をかいているので気持ち悪い。よし、気分転換にシャワーを浴びようと思い、いざ浴びるとすごい量の髪の毛が抜けた。まあ、5日も浴びてなかったらこんなもんやろ。

 今回の体調を壊した原因はなんやろとここ数日ずっと考えていた。これでよくなるとは限らんが。下痢はしてないから食べ物や水ではないし。俺はマラリアにかかったかなとも思った。しかし、それにしては症状が違うし。pruningしながらの真冬のテント生活をして、Rotoruaで少し体調を壊して、Aucklandに戻ってから飲んだくれの生活。体調を壊すなっていう方が難しいかも。

 その兆しはairの中からあった。俺の体調を壊す兆候は、トイレが近くなることと扁桃腺が腫れてくることだ。要は発汗作用が低下するんやろ。俺はairの中でビールを1本しか飲んでへんのに2回もトイレに行った。それと、Water frontの横のヨットクラブで、ねえちゃんからビールを買って飲んだ時も全身に寒気が走った。その上、バヌアツは日中は肌をつき刺すぐらい太陽が照りつけるが、朝晩はかなり冷える。そういった中でのテント生活。自分に無理をしすぎた。人間、健康でこそなんでもできる。やっぱり、健康第一だ。

 それにしても、宿の人にはほんとお世話になった。何度も果物をくれたり、中で寝なさいと言ってくれたり、同じ日本人同士なら少しは状態がわかりあえるでしょうと言ってJICAを教えてくれたり。正直、この宿自体はきれいとは言えないがそれ以上の何かがある。ちなみに、昨日あらかじめサンディがJICAに俺のことを伝えてくれたみたい。ほんとにありがたい。

 俺が寝込んでる間に色んな人の移動があった。まず、50周年の式典に来てたおばちゃんたちが自分たちの村へ帰って行った。髪の毛はみんな昔の鶴瓶ちゃん。体型は曙って感じで、ウエストは130cmぐらいあるやろう。しかし、俺はすっかりおばちゃんたちと仲良くなった。おばちゃんたちが出て行った時はまじで寂しかった。

 おばちゃんたちが出る1日前にOZからおやじが来た。ほんまかどうかしらんが、このおやじはBrisbaneからJakarta行きのairをハイジャックして、Port Vilaに来たとか。とにかく、うっとおしい。この宿に人が泊まりたいって言ってくると、ここは汚いから他へ行けと追い返すし。宿の人もかなり迷惑してた。そんなおやじも今日自らここを後にした。

 それと、コンゴから来ている女の子(ビビシャ)だが、どうやらコンゴから韓国、フィジー、バヌアツと逃げてきたようだ。というのは、コンゴ(旧ザイール)は現在内戦中で、彼女の父親は反政府勢力の幹部で、彼女の目の前で両親が殺された。そして、兄弟揃って出国しようと試みたがお兄さん、お姉さんたちは政府の役人に捕らえられ、ビビシャが唯一脱出できた。それで、OZ在住の友達に助けを求め、その友達がいっしょにここに来てサポートしているわけだ。しかし、数日前警察がここに来て、彼女に国外追放を求めてきた。もし彼女がコンゴに戻ると殺されるのがオチだ。そこで、今日彼らは大統領を訪ねて何とか彼女がここに残れるようにしてもらったらしい。この後、ビビシャは国連の保護下に置かれる。うん、これで俺もひと安心。

 9月2日

「ヨットを待つ日々」

 昨晩、俺の体調が少し悪化したかなと思ったが、今朝方かなり汗をかいてなんとか回復した。もう、大丈夫やろ。五十嵐にもらった“中国4000年”を日本からもってきたらよかった。そしたら一発で直ったやろう。

 さすがに4、5日も寝てるとだめだ。足が千鳥足でつらい。フラフラしてる。そんな中、俺はWater frontに行ってみたが、ヨットの手掛かりはなし。ここの周りには色んな国のヨットがあるのにな。中には、日本人のもある。まあ、来週Cargoかな?

 その後、少しIririkiへ行ってココナッツの木の下で横になり、また本島へ戻ってスーパーでランチを買った。まじでここのランチは使える。ほんとreasonableだ。

 俺が海の前の公園でランチを食ってボーッとしていると、喫茶店で俺を見ていたあの女の子がそばに来た。

「さっき、店の前を通り過ぎたのを見かけて、そしてここに座ってるのを店から見つけて。もうTongoaには行ったの?」

俺はこの4、5日の闘病生活を話した。彼女はほんとかわいくていい子。しかし、深入りしたくない。かと言って、無理に避けたくもない。彼女のいる喫茶店は落ち着くにはgood place。海が見えてきれいなところ。とにかく、また遊びに行くと言って彼女と別れた。

 ああ、病上がりの体にヨットを待つ日々。することがない。何かしようと思ってもPort Vilaは銭がかかるし輸送手段はないし。しばらく俺はIririkiでボーッとして、宿に戻ろうとしてると、なんとマーケットのそばでジョセフが手を振っているでは。今日、嫁と娘はPentecostに向かったようだ。正直、俺はジョセフと出会った時から、こいつはあほやと思っていたら、想像以上の大バカ野郎だった。

「俺、今新しいwifeを探している。」

とかほざいている。俺はしっかり怒ってやった。それに、とろい質問ばかりしてきよる。

「いつTongoaへ行くんだ。」

何回同じこと聞いてんねん。

「俺のおやじはTongoaの人で、母はニューカレドニアの人。現在2人共ニューカレドニアにいる。よし、お前がTongoaに来たら、いっしょに両親のいるVillageに行こう。」

おい、ニューカレドニアにおるんちゃうんか。

「今そこにいた奴は俺の弟で、NZでフランス語を習ってて、明日NZへ帰る。」

NZ行きのフライトは明日ないし、なんでフランス語でNZやねん。とにかく、あほすぎる。Tongoaに行ってもこいつには会いたくないが、こういう奴と会う羽目になる。始めに兄貴のロイの方を訪ねよう。

 帰りにバヌアツのソフトクリームを買ったがまずい。ゆるゆるやん。また、コーンもまずい。どないなってんねん、バヌアツ。宿に戻ってもすることがない。コンゴの2人はすぐ部屋に入るし、宿の人はおらんし、Englandのじいさんは至って無口ですぐ部屋に戻るし。宿の中にいると蚊に刺されるだけで、バヌアツにまで来て英語は勉強する気にならんし。テントに戻って寝る体勢になるのがPM8:00〜9:00やで、おい。寝起きは鶏の声。信じられん。

 9月3日

「バヌアツの農業」

 もうすっかり大丈夫。しかし、体重がかなり減ったのか、歩いててフラフラする。アジアをまわっている時と同じだ。

 今日は農水省を訪ねよう。その前にJICAにお礼を言いに行った。俺はあの恐そうなねえちゃんにお礼を言った。島を回ってVilaに帰ってきたらまたおいでと言われたが、なんしか恐いねえちゃんというよりはおばちゃんだ。まあ、一生結婚でけへんな。

 それから、バスに乗って農水省へ向かった。バヌアツのバスはハイエースで、ナンバープレートの前に“B(Bus)”と書いてある。タクシーの場合は“T(taxi)”だ。農水まで片道100vt。空港の近くで、距離的には10kmもないやろ。農水省と言っても小さな建物。俺が受付に行くと、なんか偉そうな人の部屋に連れて行かれた。おお、コンピューターがあるぜ。それに、色んな本も。俺は自分の身元を紹介して、バヌアツの農業に関するannual reportみたいなものをほしいと言うと、今年まとめた昨年までの主要輸出作物copra、beef、cocoa、kava、coffeeに関する資料をくれた。

「畑は?」

と聞いたら、それはマーケットに野菜を売りに来てる人に尋ねた方がいいとのこと。ここには実験用圃場らしきものはない。この資料を見る限り、そういったデータがないってことは研究はしてないな。バヌアツのほとんどの人々が自給自足なのに、もっと農業の改善が必要と思うが。そうか、いくら改善しても普及しようがないか。

 農水の人々にお礼を言って、俺はtownに戻ってランチを食いながらざっと資料に目を通したが、感想としてはバヌアツらしいってとこか。バヌアツもそれなりにがんばっている。ただ、データに対するコメントをもっとつけ加えてもいい。copra市場ではバヌアツはこんなにがんばってたのか。しかし、他の安い油がでてきているので、価格の下落はやむおえん。

 それから、俺は船会社に行く途中に、ふらっとバヌアツで唯一日本人のいる旅行会社を訪ねた。そこのオーナーは鷹野さんで、こっちに来て2年とか。彼が言うには、年間バヌアツを訪れる日本人は1000人ぐらいとのこと。そんなに来てたんや。俺はほとんど見かけんかったけどな。あと協力隊の連中が数人いるようだ。やっぱり、協力隊も来てるんやな。さすがは日本だ。鷹野さんはかなりの話好きで、俺がVilaに戻って来たらまたおいでと言ってくれた。

 そして、俺は船会社へ向かった。来週、船があるか確認するためだ。そうすると、ここのおばちゃんは、

「次の船は明日だよ。」

と言ってきた。俺は、もうヨットを待ち飽きた。もう、船で行こう。さあ、明日出るかもとわかれば俺にはすることが。そう、手紙が。みんなに手紙を書かねば。なんしか、post officeのある島は4つぐらいちゃうか。今、書かないと次はいつ出せることやら。みんなから送ってほしいと言われているからな。とりあえず、air mailを出すリストをpick upして作った。みんなに出してやりたいがきりがない。俺はなんとか30人にしぼった。日本、NZ、ネパール、韓国。e-mail addressを持ってない人、手紙を書くと言って今だに出してない人、手紙の返事を出してない人を中心に選択した。今回はそのうち20人。あとの人はSantoに行ってからだ。早速、俺はあの彼女のいるCaf

éへ向かった。ここはほんとにゆっくりできる。店の人とも仲がいいし。とりあえず、10枚書いてgive up。宿へ戻ろう。

 宿に帰って、俺がair mailの続きを書いてると、サンディの友人でEmae islandのある村の酋長が遊びに来てて、

「マリブ、Emaeに行きなさい。彼は村の酋長だ。ここと同じテントサイト500vt / nightで、君を歓迎してくれるみたいだ。もちろん、食べ放題。」

酋長も是非来いと言ってくれた。Tongoaの次、Emaeに行くか。まあ、ここまで来たら、ええか。行こ。

 その後、俺はやっとair mail 20通を仕上げた。ああ、疲れた。一気に書くもんやないな、こういうのは。もう、字を書くのも嫌だ。でも、ルーシーは、

「そうやって、色んな人にバヌアツを知らせて頂だい。すごくいいこと。」

と言って喜んでた。時刻はもうPM10:00を過ぎた。これは夜更かしだ。はよ寝よ。

 9月4日

「えー、今日ちゃうの」

 それにしても、朝晩はかなり冷える。日中とは全く違う。

 今日Vilaを出るかもしらんとわかれば、まず洗濯をしよう。俺は少し日が昇るのを待って洗濯した。

 それから、townのpost officeへ行った。昨日書いた手紙を出すためだ。受付のねえちゃんは俺の手紙を受け取るとそのまま箱へ入れてた。おい、大丈夫か。ちゃんと消印押してくれるんか。ネパールのように切手を取られたら、泣くで。

 その後、早目のランチを済ませ、少し公園で横になって船会社へ向かった。しばらくの間、受付の人が帰って来るのを待って船のことをいろいろ聞くと、船が出るのはSunday nightとのこと。えー、今日ちゃうの。バヌアツの船はほんまわからん。とにかく、決まった日がない。全くまいった。今日入れてあと3日何しよう。何かすると銭使うしな。今は使いたくないし。泳ぐしかないか。俺はうちひしがれてWater frontに寄ったが、Tongoaに行くヨットもない。とにかく、まいった。その後は、Iririkiでボーッとしてた。

 夕方、一旦宿に戻って、日が暮れてからもう一度townへ下りた。宿からtownへはずっと下って行かなあかん。そうなると、帰りがいつもつらい。だから、夜は面倒くさくていつも宿にいたが、今日は夜のtownを歩いてみた。マーケットは夜の方が活気がある。今日は金曜日やからか。物も増えてるし人だらけ。タイのWeekend marketのようだ。俺はここで前から気になっていたトマトを買った。1コ30vt。果たしてうまいのか。形もつやもいい。何度も言うようだが、バヌアツの野菜は悪くない。キャベツ、レタス、チンゲン菜。どれも形もいいしつやもいい。虫にも食われてない。こんなに野菜の質がいいってことは、結構いい畑をもってるのか。あかんのはトウキビだけ。あれはまずくて食えん。イネ科系作物はよくないのか。米はここでは作ってないし。とにかく、畑を見てみたい。

 宿に戻って、トマトを食ってみたが、なかなかgood。バヌアツってどんな農業やってるんや。土がいいのか、肥料をちゃんとやってるのか。アジア諸国よりもレベル高いかも。

 9月5日

「USP」

 昨日、コンゴの2人がここを後にして、残ったのは俺とじいさんだけ。全く寂しいぜ。Vilaを出るまでどうするか。何かすると銭がいる。俺はバヌアツにはあまり銭を持ってきてないので、今はあまり使いたくない。この後1ヶ月もあるし。

 今朝、ルーシーが“ツゥルク”というこっちの料理をくれた。まわりはタピオカで中がpork。それをラプラプ同様に蒸す。これがなかなかうまい。周りは少し油っこいが。俺はラプラプよりもこっちの方が好きだ。今日Marketで見たら、ツゥルク1本が50−100v。かなりボリュームある。

 今朝、USPを訪ねた。USPとはUniversity of Sauth Pacific。まあ、University of Sauth Pacificのバヌアツ校とでも言おうか。USPにはフィジーやソロモン、トンガのような南太平洋の国々から学生が勉強に来てる。今日は土曜日でUSPはday offだったが、俺は中をブラブラしてみた。うーん、思ったよりもきれいし大きい。教室はいくつかあったがゼミ室のようだ。掲示板には学生のテストの結果が張りだされてる。なんか、懐かしい光景だ。やっぱり、大学はいいな。俺は学生時代に戻った気分だった。今度また来よう。

 それから、俺はいつも通りランチを食って、少し昼寝してIririkiへ泳ぎに行った。これが一番銭使わん。Iririkiで泳いで砂浜の上のベッドで休んでいたが、今日はあかん。風が冷たい。しかし、やることがない。おお、目の前にミーハー日本人がいるでは。俺は久しぶりに日本人を見た。Vilaにはかなりの日本人がいるようだが、なんせ俺は意識してないので、これにはびびった。2組4人にも会ったんだから。1組は中年のカップル。暇やから話かけようと思ったが、気持ちよさそうに寝てたので止めた。もう一組は今時のギャル2人。いかにも渋谷で見かけそうな2人。もう論外。話かける気にもならん。ほんまに、何かを待ってる時っていうのはつらいぜ。

 今晩、サンディ、ルーシーと話してて、

「マリブ、Emaeに先に行きなさい。マサモリ酋長にはTelしてあげるから。」

と言われた。ほんとはTongoa→Emaeにしようと思ったが、後々のことを考えるとTongoaからPentecostに行った方がいい。それと、宿の2人は船で行く上での色んな諸注意をしてくれた。この2人はほんといい人。俺はここに来て正解。確かに、2人は宿の経営をやる気はなく、客が来てもほったらかし。夜はいつもどっかに出かけるし。それと、地元の人でもこの宿の存在を知らんぐらいマイナーな宿。俺も始めはわからんかった。なんせ看板がない。普通の民家と同じだ。この2人は俺らと同じ壊れた冷蔵庫を使い、キッチン、シャワー、トイレも使う。客のためというよりは、ついでやから貸してあげるって感じだ。とにかく、商売をする気はない。しかし、すごくいい2人。やっぱり、この2人も俺のことを「マリブ」と呼ぶ。pickingの時のメンバーと同じだ。やっぱり、こっちの方が言い易いんやろう。俺が寝込んだ時にはほんと世話になった。俺はすっかりここが気に入ったし、2人共俺のことをかわいがってくれている。

 今晩、俺は侍を修理をした。結構、役に立ってるからな。かなりガタがきてる。俺が修理している光景を見て、宿の人もじいさんも笑ってた。

「これいいよ。」

これだけ修理したら当分大丈夫やろ。

 9月6日

「バヌアツの恐ろしさ」

 今朝、宿の人に今までの宿代を払った。11nightsで5,500vt。ドミやと1,500vt / nightやから、テントで11,000vtもsaveできたことになる。かなり、俺のテントは大きいぜ。

 それから、俺は船会社にチケットを買いに行った。俺はてっきりチケットがもらえるもんやと思っていたが、空席はすでになかった。そんなあほな。この前、日曜日の昼でいいと言ったのはそっちやろ。お前ら無責任すぎへんか。何度くらいついても、No。どうやら、先週のcelebrationに来た人々が船を待ってたみたい。おまけに、今晩の船はEmaeには行かんとのこと。俺は愕然とした。今まで散々待たせといて。次の船はいつなるかわからんって言うし。ショックや。俺にはVilaでチンタラしてる時間はない。困った。俺は港に停泊中の船に怒鳴り込みに行ったが、船長は昼寝中で何言ってもあかん。あとで来いの一点張り。よし、airしかない。

 俺はAir Vanuatuのofficeを訪れたが今日は休み。どうしようか、途方に暮れ、一旦宿に帰りサンディに相談すると、サンディはair officeにTelしてくれ、Emae行きは明日で、まだ席があるとのこと。

「マリブ、今すぐ空港へ行って、チケットを取って来なさい。」

早速、俺はバスで空港へ向かい、受付に一部始終を語ったが、もうすでに満席で空席はないとのこと。そんなあほな。さっきサンディが予約してくれたやろ。何度言っても席はないしか言わん。今日これで2発目のパンチだ。とりあえず、俺はwaiting listにしてもらったが、18人乗りのairにキャンセルなんて出るんか。俺はかすかな望みにかけた。

 俺はダブルショックでIririkiでボーッとしていた。こんなのありか。今日1日でバヌアツの恐さを嫌というほど感じさせられた。このいい加減さは普通では考えられん。怒りがおさまらんというよりは、ショックでたじたじだ。船会社はええとしてもair会社まで。サンディもびびってた。

「電話では席あるって言ってたのにね。まあ、waiting listも望みがないわけじゃないから。」

夕方は公園で夕日を眺めてた。ここはほんまに落ち着く。できればすぐにでもVilaを出たい。この10日間ほんまに何もしてない。ひたすら、船、ヨット待ちだった。これがバヌアツか。そう考えなやりきれん。

 

9月7日

「Emae初日、ジャングルに来たで」

 俺は荷仕度を済ませ、何気なくサンディにマラリアのことを聞くと、

「マラリアの薬はあった方がいいよ。薬局で売ってるから買って行ったら。」

と言われた。俺はこの前一度寝込んでいるし、これは買っていこかと思ってpharmacyを訪れた。受付に行くと、医者の診断が必要と言われ、pharmacyの上の医者を訪ねてみると、処方箋を書いてもらうだけで3,500vtするではないですか。そんなあほな。俺はなんとか、

「負けてくれへんかな。わしは貧乏なんや。」

と言っ2,000vtにしてもらった。言ってみるもんやな。医者が言うには、townは大丈夫だが地方はマラリアが危険らしい。まあ、健康には変えられんからな。

 診察の後はその処方箋持ってpharmacyに戻り、2種類の薬をもらった。1つは週1で2錠づつ、もう1つは毎日2錠づつで計4,000vt。高い、高すぎる。

 俺は週1の方だけではだめかと聞いたが、両方飲まないと意味がないようだ。まいったね。俺はまた値切ってなんとか3,000vtに負けてもらったが、この診察代、薬代合わせての5,000vtの出費は痛すぎる。俺は副作用のことが心配で何度も聞き返したが、No problem。ほんまかいな。

 それから、宿に戻りじいさんとさよならして、俺は空港へ向かった。果たして席が取れるか。やがて、Emae、Tongoa行きのflightのcheck inが始まり、出発直前になって俺にも席が回ってきた。なんてluckyなんや。たった20席しかないairに空席が出るなんて。ほんまに運がいい。ちなみに、飛行機はプロペラ機。礼文―稚内と同じだ。

 Vilaを飛び立って20分ぐらいでEmaeに着いたが、なんじゃここは。空港じゃない。単なる空き地。滑走路も建物も何もない。パイロットが自らドアを開け、俺はジャングルの真ん中に降りた。これにはまじでびびった。ひょっとしたら殺されるかもしらん。殺されても、俺の死体は発見されへんやろう。

そこに一台のトラックがあった。事前にマサモリ酋長がこのトラックの運ちゃんに伝えておいたくれたようで、俺をマサモリ酋長のいる村まで乗せてくれるらしい。まあ、500vt取られたがしゃあない。そして、何人かそのトラックに便乗して村の方へ向かった。サンディが言ってたのとは違う。村まで全然近くないやん。俺1人やったらやばかった。ジャングルの中を通り抜けていかなあかん。トラックがなかったらやばかった。

村に着くとマサモリ酋長がいた。案の定、村の人が寄ってきた。実は、1995年にある日本人の学生がここに1週間いたようで、俺はそれ以来のお客さん。早速、俺がテントを組み立てるとみんなびびってた。なんじゃこれはって感じだ。そりゃ、そうやろう。

 Emaeには約9の村があって、この村は14家族50人近くが住んでる。当然、電気、水道、ガスはない。俺はこれから1週間どうしようかなと思ったが、村の人はみんな親切。着いて早々、俺は酋長の妹の家の屋根作りを見せてもらったが、至ってsimple。なんかの植物のcaneとココナッツの葉で作っていく。3,4年に1回は代えなあかんらしい。とにかく、村人は自給自足。当然、自分たちで収穫した作物を加工して売ったりはしているようだが、得られる収入はほんのわずか。それで服を買ったり、塩、砂糖を買う。生きていくにはそれで十分。俺らには考えられん世界だ。

 夜、酋長にめしを頂いた。海で捕った魚を煮たものと、カボチャのツルの炒めものと、“ヤン”というこっちで取れるイモ。至ってsimpleだが、味はまずまず。めしの後はお茶を頂いたが、いわゆる砂糖水。水は雨水をboilしたもの。

うーん、全く銭がかかってない。かかってるとしたら塩と砂糖ぐらいか。まさしく自然との共存。日本では考えられん。これから1週間のジャングルでの暮らし。う〜ん、どうなることやら。

 9月8日

「Emae2日目、ジャングルの生活」

 Emae2日目。Emaeの朝は早い。晩飯食って暗くなったら寝るかわりに、朝は夜が明けると起きだす。AM7:30頃酋長に、

「マリブ、めしだぞ。」

と起こされた。もう、みんな食ったあと。ちびっ子たちはもう学校へ行ってしまった。

 めしの後はナカマル。村人のmeeting場のことで、村の男たちが集まってきて酋長を中心に話し合う。基本的には男のみ。女性は入れない。

 バヌアツには100以上の言語があって、ビスラマ語がNational languageで、基本的に村独自の言語を持っている。当然、この村の人々も独自の言語で話す。俺には今日のナカマルの内容が理解できん。結局1時間半ぐらい続いたか。

 その後、村の人と色んな話をした。

「マリブ、これ食ったことあるか。」

と果物の木を指さしたりして、俺に色々教えてくれる。昨日は、グレープフルーツ、ココナッツ、今日はポポ(パパイヤ)、ナッツの一種を木から直接取ってくれた。ポポはうまい。甘くて、さっぱりしてて。村の所々にココナッツの殻を上に置いて下から火を通す手作りの暖炉らしき物があり、俺が何かを尋ねるとこれこそコポラを作る道具らしい。唯一の財源。この火を通して乾燥させたココナッツこそコポラで、これを輸出して銭をもらってる。まさしく人の力。雨が降ったらカバーを掛けないといけない。これは大変だ。

 昼めしの後は酋長たちと畑へ向かった。ジャングルの細い道を歩いて行き、その真ん中にポツンと空き地があった。空き地というよりはわざわざ木を切り倒して作った空間で、これこそ彼らの畑である。今は乾季なので畑を作るseason。作った畑に種を播いて雨季を待つ。毎年こうやって新しい畑を作るらしい。要するに、人の力で木を切り倒してそれに火をつける焼畑農業だ。だいたい、植物を植えるまで2〜3週間かかる。肥料が買えない彼らは焼畑によって肥料を得る。彼らの昔ながらの農法だ。当然、彼らは米を作らない。いや、作れないと言った方がいいだろう。Emaeには川はないし、バヌアツ自体でも米は作っておらず、すべてOZから輸入している。この村ではパンもないし、主要な炭水化物源はタロ、ヤン、マニヨックといういわゆるイモ類。タロはサトイモのような葉をしている。

 畑で作業してて喉が乾くと、ココナッツの木に登ってココナッツを取って飲む。なんしか、今はdry season。水は貴重で、特にEmaeには川がないため飲料水の確保は大変だ。そのため、雨水を井戸に貯めこんで水を確保してる。井戸に光が当たれば藻が繁殖してくるため、トタンで井戸を覆っているが、その井戸の底にはミミズがいる。だから、井戸水をすくったコップを見ると水が飲めない。

 その後、みんなで酋長の妹の畑へ向かった。各々の畑を村人全員が手伝う。そこには、タロ、マニヨック、トウキビが植えられていた。Emaeの土壌はいわゆる黒ボク土。それに焼畑をして畑を作る。言っちゃ悪いが全然やせている。ただ、根菜類はこれでいいかもしらんが、なぜVilaで見たキャベツやトマトはあんなにつやがよかったんや。ハウスなんかあるわけないし。うーん、不思議だ。途中から激しいスコール。村に帰ると俺のテントは水びたし。しまった。

俺はここでは目立つ。すぐに人が寄ってくる、特にちびっ子。俺のうわさを聞きつけて、他の村のちびっ子も学校帰りに俺に会いに来た。彼らは日本人、いや外人を見るのが生まれて初めて。まばたきもせず口をポカンと開けて、ジーッと俺を見ている。俺が何気ないマジックを披露するとみんな大喜び。しまった。折り紙を持ってきたらよかった。

 夕方は村のちびっこたちとおフロ。そう、海だ。海まで20分ぐらい歩く。ちびっ子たちは海の中ではしゃぎまくっている。俺は寒くて死にそうだ。とにかく、朝晩は冷える。全く寒いぜ。

 今日の晩飯はラプラプ。ラプラプヤンにラプラプタロ。ラプラプに使う葉はココナッツじゃないみたい。特別の葉だそうだ。ほんとに質素な食事。その後はお茶。普通はこの砂糖水にオレンジの葉を入れる。貴重な水だけに大事に飲まんと。

 めしの後は色んな話をする。彼らは旅行に行きたくても行けない。というのは銭がない。自給自足の彼らにそんな大金が入るわけない。せいぜい行けてVilaぐらいだ。彼らは俺を羨ましがる。世界中そうやって旅できるのは羨ましいと。彼らは俺の日本の話に興味津々だ。彼らは日本に対して“Expensive”という印象しかない。俺はもっと詳しく日本人の生活ぶり、例えば、平均月収、生活費、日本の輸送手段、コンビニ、携帯電話、人口、犯罪の低年齢化等話してあげる。そうすると、彼らは目を回す。全くここでは日本のことは別世界。とにかく、同じ人間の生活とは思えない。彼らに一度日本を見せてあげたい。しかし、たとえ彼らが日本に行っても、必ずこの村に帰ってくるだろう。酋長の息子は、

「俺はこの村が好き。Vilaに行くとなんでも銭がかかる。ここでは銭がいらない。だから、ここで結婚して俺が次の酋長になる。」

と言ってた。村のちびっこたちを見てるとこのままがいい。ほんとにかわいい。俺らがこうやって村を訪れて、外からの空気を吹き込むよりも、そっとしてあげといた方がいいかも。

 さあ、くそして寝よ。当然、紙はない。ココナッツの殻でけつをふく。これがまた気持ち悪い。まだインドの水の方がましだ。

 9月9日

「Emae3日目、隣村を訪問」

 Emae3日目。今朝は雨。よって海に泳ぎに行くのは中止になった。

 しばらくすると雨が止み、酋長が他の村を訪ねたらと言うので、酋長の息子のジェムスと一緒に隣村を訪ねることになったが、俺は折角やから侍の箱を持って行こうとすると、それなら酋長も行くと言い出した。わけわからん。他の村に行く時は、酋長はちゃんと服を着替える。俺らはその着替えを待つ。他の村に行くと言っても、当然ジャングルを歩いて行く。俺の箱はマイクが持ってくれた。マイクは言葉がしゃべれない。聞くのはOKだが。少し脳に障害がある。そのせいか、いつもみんなのパシリ。俺はかわいそうやなと思っていたが、今日1日で彼がパシリなのがわかった。パシリはパシリになる要素がある。どこの世界でも同じだ。

 村を出てから1つ小さな集落を過ぎて、俺らは学校に着いた。ここに島中のちびっ子たちが集まる。遠い村から来てる子は、片道2時間もかけて山の上から歩いてくる。俺が学校に行くともうヒーロー。ば〜っとちびっ子たちが集まってくる。それと、マイクは箱の中からづらを取ってかぶりだした。あほか、マイク。もっと人が来るやろ。

 学校と言ってもジャングルの真ん中にポツンと空き地があって、そこに英語の校舎、フランス語の校舎がある。バヌアツの学校ではいっさいビスラマ語や地元の言葉を使わない。これはたいしたもんだ。学校のすぐ横には先生たちの住まいがある。先生たちは学校の近くで生活するのがこの国の習慣のようだ。その先生たちの家の横にはクリニックがある。いわゆる病院。まあ、診療所か。Emae唯一のクリニックだ。とにかく、Emaeのちびっ子たちは俺に寄ってくる。みんなすごくかわいいが、寄って来すぎてうっとおしいぐらいだ。まだ、ネパールのちびっ子の方がshyでよかった。

 学校を過ぎて少し行くと、公共の電話があった。島には電話が2カ所あって、たまに村の人たちは電話のチェックにくる。これは大変だ。まだ、うちの村は歩いて20〜30分で来られるが、山の村からは片道2時間もかかる。

 それから、俺らはまた歩きだした。目的とする村まではまだ先のようだ。ひたすらジャングルを歩く。俺らの頭上からは容赦なく太陽の光が照りつける。バヌアツの空気はきれいため、紫外線の強さが半端じゃない。Vilaに着いて間もない頃は短パンをはいていたが、1日でやけどしたぐらいだ。太陽の光が肌に突き刺すとはこのことだろう。途中、運よく一台のトラックが通って、俺らを乗せてくれた。これには助かった。なんせ、この島には車は数えるほどやからな。

俺らが着いた村はかなり大きい。ここにくらべりゃ、うちの村は小さい方だ。

早速、俺はこの村の酋長に侍の格好をしてもらって写真を撮った。侍の格好を嫌がるかなと思っていたが、案外気に入ってくれた。ここまでしたら、Aucklandのみんなも本望やろう。とにかく、この村の周りは海に囲まれていてほんとにきれいだ。空は青いし。いかにも、バヌアツって感じだ。

 村へ帰る途中、学校の先生宅で軽くめしを頂いた。この先生は酋長の身内のようだ。俺は何気なく食っていたが、おお、米ではないですか。久しぶりだ、米なんて。米は高くて買えないはずなのに、さすがは先生宅だ。

 やがて、我が村に戻って、今度はここの村人のフィリップが散歩に行こうと言ってきた。今朝行ったのとは違う村に行こうとのこと。また、ジェムスもいっしょに来た。まず、この村にある記念碑を見せてくれた。1980年7月30日。バヌアツがイギリスとフランスから独立した日。この日は毎年セレモニーが開かれる。

 それからは、またジャングルの中を歩いて行き、やがてこの島で一番でかい村に着いた。とにかく、でかい。200〜300人は住んでる。島で2台目の電話がこの村にある。ナカマルも2カ所あるし。でかいな。この村の先は海。うーん、きれいなところだ。海の周辺は珊瑚礁で囲まれている。目の前にはMakura、

Mataso islandが見え、その向こうにはEfata。ほんまにバヌアツにはいっぱい島がある。

 村に戻ると、おばちゃんたち女連中がパンダナスという葉でマットを作ってた。みごとな手さばき。たいしたもんだ。ちゃんと染料も使ってパンダナスを染める。各家の地面に敷かれているマットはこうやって作られていたんや。他にかばんや服も作るようだ。

 もうこの時点で、俺は歩き疲れてくたくたやったが、フィリップが畑でサトウキビを見せてやると言うので、フィリップの畑へ向かった。フィリップの畑にはタロ、ヤン、マニヨック、トウキビ、それにサトウキビが植えられてる。サトウキビは工場に売って、それでわずかながらの収入を得る。トウキビはあかん。全然生育が悪い。それ以外はまずまず。サトウキビを食わせてもらったが、かなり甘くこれはgood。これなら売れる。フィリップは俺に色んなことを教えてくれた。島中の至るところに色んな果物やナッツ類があって、今日だけでも、ナガイ、ナベル(ともにナッツ)、ナカビカ(形はfijioas、味は酸っぱい)を食った。これは食に困らんわけだ。

 バヌアツの本には、よくナンバスを着たいわゆる原住民の写真を目にするが、フィリップ曰く、彼らはSanto、Malakulaのbushの中にしかいないらしい。フィリップやジェムスは彼らのことを“wild people”“bush man”と呼んでた。俺は十分フィリップたちもwildと思うが。この村の人でさえbush manとは会話ができない。bush manは人を見ると逃げて行くか、もしくは捕まえて殺すかのどちらからしい。ということは、バヌアツの本に載ってるナンバスを着た人々はやはり客相手のやらせか。ただ、フィリップたちも特別な時にナンバスを着るようだ。bush manは彼ら独自の言語をもっていて、ビスラマ語さえもわからんらしい。それにお金も持たないので、お金のことも知らない。ああ、一度会ってみたい。

 バヌアツの習慣として、ブタがかなり重要で、もし結婚するとなると旦那が嫁さんの両親にブタをプレゼントする。もし、俺が誰かとけんかしたら、酋長は俺らをナカマルに連れて行き、ブタ食って握手して終わり。それだけブタは重要で、村の至るところでブタが飼われている。いや、彼らの話はおもろい。すごく勉強になる。俺の人生観を根底から覆してくれる。楽しいね。

 俺はフィリップにコポラを売るなどして、一年間にいくら稼げるのか尋ねてみた。答えは、大体100,000vtぐらいとのこと。まあ、約10万円ってとこか。そうすると月1万弱。その金で最低限のものを買って家族を養う。子供も1人、2人じゃないしな。うーん、彼らには到底海外旅行は無理だ。とにかく、生きていく最低限の生活をしてる。当然、映画館や飲み屋、ディスコのような娯楽施設はない。暗くなったら寝る。明るくなったら起きる。ましてや子供の塾なんて考えられん。ああ、彼らを一度日本に招待したい。

 夕方、俺は酋長にバケツ一杯の井戸水をもらった。これで体を洗う。とにかく、今はdry seasonなので水は貴重。大事に使わんとな。俺らが何気なくちびっ子たちと海岸で遊んでいると、おお、西洋人がいるでは。彼らはボートをチャーターして島を回りながら水中の生き物の観測を続けているTaurangaから来たNZ人だ。俺は久しぶりに白人に会って驚いた。島の人が俺に会う心境ってこんなもんやろ。

 今晩俺は米を頂いた。酋長の奥さんに申し訳ないな。わざわざ米を買ったんやろ。そんな無理せんでええのに。それに、いつも俺だけ多めにくれる。逆に申し訳ないけど、ここは客らしくしとかなあかんか。酋長が次男のマヌンに箸を使ってめしを食ってるところを見せてあげてと言うので、俺は箸を使って米を食ってやるとみんな大爆笑。なんじゃこれはって目だ。みんな箸を見たのは初めて。不思議そうな目で見ている。こういう時、俺はもっと色んなもちネタがあったらとつくづく感じる。見知らぬ所でそこに解け込むためには、ちびっ子と仲良くなるのが一番いい。よし、日本に帰ったら手品を覚えよう。それに折り紙。こういったのは万国共通やろう。もっと色々必要やな。

 俺の箸のお返しに、ちびっ子たちは島の遊びを披露してくれた。かわいい。ちびっ子たちは始めは照れまくってたが、徐々に調子がでてきたんやろ。どんどん色んな遊びを披露し始めた。やっぱり、ちびっ子や。限度を知らん。俺は内心、いつまでやるんかなと思ったが、とにかくかわいらしい。ああ、今日は疲れた。それにしても、星がきれいだ。時刻はPM8:00。もう寝る時間だ。

 9月10日

「Emae4日目、ジャングルの農業」

 Emae4日目。Emaeの朝は早い。AM6:30に起きたんじゃもう遅い。

 今朝はバナナを頂いた。俺らが知ってるバナナは甘いが、バヌアツには2種類あって、1つは甘い方、もう1つはいわゆる穀物。炭水化物としてヤン、タロ、マニヨックの代わりに食べる。要するに、熟したバナナが甘くなるだけで、熟す前に食うから甘くない。味的には全く甘くなく塩が必要だ。村の人はバナナ以外にヤンもくれた。今朝のは赤いヤン。俺にはいっぱい食い物をくれる。しかし、食いきれん。食わんと悪いし。全く、つらいぜ。

 めしの後、フィリップが畑へ行こうと言ってきた。どうやら、ヤンを植えるらしい。この村の畑の作り方は、

  1. 畑を作るスペースを確保

ココナッツの木が少ないスペースを見つけ、木を切っていく。ココナッツの果実には手を触れない。果実はコポラ、飲料用に置いておく。

2、焼畑

切った木を何カ所かに集めて火をつける。そして、焼畑によって肥料を得る。

3、穴を掘る

適当な間隔に穴を掘っていく。これは男の仕事。その穴にヤンを植えていく。いわゆる種芋。植えるのは女の仕事。

とにかく、すべて手作業。みんなで協力し合う。ヤンの周りにはバナナやトウキビなんかも植え、ヤンは約6ヶ月で収穫し、その後はタロ、マニヨックを植える。タロは小さい苗を取ってきて、マニヨックは枝を切って挿し木にする。そして、翌年また新しい畑を作り、これを繰り返す。

 俺は、

「なんで毎年同じ畑を使わないの?」

とロペトに尋ねたら、肥料がないからだそうだ。だから、毎年新しい畑を作って焼畑で肥料を確保する。特に、ヤンは肥料が必須で、タロやマニヨックはヤンの後でいいらしい。タロ、マニヨック等の収穫も終わるとこの畑はもうおしまい。ココナッツを植えるか、もしくはそのまま放っておく。そのまま放っておくとbushになって、3,4年後にまた畑に使えるってわけだ。うーん、彼らも考えているな。ここの畑にカボチャがあったが、全く摘心をしていない。だから、veinが伸びっぱなし。肥料がそんなに期待できない土壌じゃ、摘心しないとかなりの養分lossになる。俺は摘心について少し理論を立てながら教えてあげたが、彼らには半信半疑。でも、今年俺が教えた方法をtryしてみると言ってた。

 また、この畑にはメロンもあって、もう双葉が展開していたが1本立ちにせずに種を播いたままの状態だった。つまり、1ヶ所に5つ種を播いたらそのままにしておく。間引きなしだ。フィリップ曰く、農薬がないから虫に食われて葉が少なくなるのを防ぐためとか。うーん、なんか勘違いしている。とにかく、かなりの養分のlossに繋がる。

 さらに、ここにはislandキャベツが植えられている。俺から見ると、単なる木本の一種にすぎないが、木本らしきものから葉が生えていて、その葉をislandキャベツとして食う。あと野生トマト。むっちゃ小さいが、葉はまさしくトマトだ。ここにもクマラがあった。やっぱり、クマラは簡単なんやろう。

 彼らにとって、ヤンはブタと並んで重要で、最初のヤンの収穫にはセレモニーがある。ヤンはvein状なので、ヤンを植えたところには棒が必要。かなり手間がかかるな。とにかく、日本では全く考えられん農業方式。まさしく自然と人間との共存。弥生時代に稲作が導入されて、貧富の差が生じる前の縄文時代後期のような農業。仮に、トラクター1台と化成肥料があればどうなるやろう。かなり農業も変わるとは思うが。毎年、新しい畑を作る必要がなくなるしな。人の手も少なくてすむ。収量もかなり違うと思う。ただ、土壌汚染という問題も無きにしもあらずで、仮に地下水として海に染み出てこのきれいな海が汚れると思うとな。うーん、彼らにはこのままがいいのか。

 Emaeの土壌はかなりいい。いわゆる黒ボク土。植物がないところに植えるんじゃなくて、植物を切り倒して植えるんやから、元々植物には適してる。まあ、作物となると別やろうが。俺が勉強してきた植物栄養学は彼らには通じない。まず、geneticsという概念を知らん。遺伝子、なんじゃそれっていう感じだ。だから、俺がやってた研究は説明しようがない。それに、窒素、リン、カリウムなんて必要ない。彼らは最低限の作物を確保できればいい。農業の向上なんて必要ない。彼らには新しい技術よりも、今のままのlife styleがいいのかもしらん。みんな楽しそうやもん。疲れたら休んで、昼飯はバナナを焼いてココナッツを飲む。銭なんて必要ない。へたにとやかく言うより、彼らのcultureを守ってあげる方が大切かもしらん。

 夕方、ちびっ子たちと海へ水浴びに行ったが、俺は石で足を切ってしまった。そしたらみんな心配して、酋長にまでそのことが伝わった。ちょっと切っただけやのに。変な心配かけてしまった。

 さあ、晩飯。やっぱり、人が作ってくれるのは楽だ。今日も俺は箸を使って食った。酋長もジェムスも箸を使って食おうとするができない。そりゃ、そうやろ。日本人でもでけへん人がおるんやから。ロペトは不思議そう。

「なんでスプーンやフォークを使わないでスティックなのか?」

「日本に行って、スティックを使えない人はどうしたらいいのか?」

「日本人はスプーンやフォークが嫌いなのか?」

といったふうに俺に質問してくる。とにかく、彼らの発想は新鮮だ。特に、ロペトは日本のことに興味津々。日本に地下街があると俺が言うと、

「人は住んでないのか?」

と聞いてくるし、

東京には333mのタワーがあると教えてあげると、

「何のために使うんだ?」

と聞いてくる。あと、彼らの疑問で多いのは、

○ 日本に酋長はいないのか。

○ 日本にgardenはないのか。

○ 24時間の店があったり、車が夜も走ってるとうるさくて寝られないのでは。

○ 日本には1つしか言葉がないのか。

○ 日本には村がいくつあるのか。

などなど。

 この島には3つの言葉があって、ナマクラ、ナカラマーガ、ムナファガエマエ語。それと、National languageのビスラマ語。俺のいるタパコロ村の人たちはナカラマーガ語を使い、隣のサンガバの人達はナマクラ語、トニガメア村の人たちはムナファガエマエ語を使う。3つとも全く違う言語。しかし、彼らはすべてわかる。子供たちは学校でビスラマ語さえも習わない。ビスラマ語は親たちが教える。全くすごいで。ウォルターが言ってたように言語は学問じゃないのかも。

 酋長は俺に税金のことを聞いてきた。バヌアツは1991年まで年税1200vtを払ってたらしいが、1991〜1997年まではいわゆる消費税が導入され、その額は4%。1998年からは12%になった。当然、俺は日本の税制のことも教えてあげた。

とにかく、彼らはこの村が大好き。酋長はこの村には電気もガスもいらんと言う。このままがいいと。村人全員同じ考え。ジェムスもこの村に戻ってきたし。礼文の子供たちが札幌に行って、礼文に戻りたがらないのとはまた違う。というのは、EmaeとVilaでは全く文化、習慣が異なる。礼文、札幌の違いどころじゃない。ここではお金がいらない。食べ物には困らない。なければ畑を作って作ればいい。日本では考えられん。それにしても、星がきれいだ。俺はすっかりこの村が気に入った。

 9月11日

「Emae5日目、Emaeの漁業」

 Emae5日目。しかし、夜には雨が降る。こっちに来て毎日雨ちゃうか。

 今朝、俺はバナナとヤンを頂いた。Emaeには10種類のバナナがある。俺らが日本で食うバナナはサモアという品種。とにかく色んなバナナがある。ヤンにも白、赤、黄の3種類、タロも白、赤、黄の3種類、マニヨックは白、黄の2種類あって、彼らは植物の外観で色の違いがわかる。まあ、男爵とメークインの違いのようやろう。

 めしの後は、フィリップ、ジェムス、マイクと釣りに行った。村人はいつも土曜日に釣りに行くようだが、今日は金曜日。というのは、明日Tongoa行きの船が来るかもしれないってことで、わざわざ彼らが俺のために釣りを見せてくれるというのだ。となると、今日がEmae最後の日。もう少しここにいたいが、そうなると次の船を待たなあかん。明日来るなら明日出よう。

 釣りは至ってsimple。ジェムスは糸の先に針がついた釣り糸に、貝の内身をつけて魚を釣る。浮きが無いためしばらくそのまま放って置き魚が引っかかるのを待つ。フィリップは網を使った漁をする。これがまた難しい。彼らの漁はこうだ。網を海の中でゆっくり広げていき輪を作る。その輪の一端を人が通れるぐらいのスペースを作り、輪の中に向かって3人が走り込み、囲った領域に魚を追い込む。しかし、魚もあほじゃないのでそう簡単には捕まらん。網の上をピョンピョン飛んで逃げて行く。フィリップ、ジェムス、マイクの3人がかりで3回トライしたが失敗。気の遠くなる作業だ。

 俺らが魚を捕ろうとしてると、すぐ近くでこの前のNZの学生のグループがいた。彼らは現在、海洋動物の生態調査をしており、主にsea cucumber(ナマコ)の数を数え、その他ロブスター、clam shell(二枚貝)についても調査する。20mごとに5〜6mのロープを海岸から沖に向けて引っ張り、そのロープの周りのナマコの数を数え、その一辺と他辺の測定値をかけ算して、20mの正方形内の概算値を出しこれを繰り返してデータを作る。ナマコはバヌアツでは商品としては重要で、KoreanやTaiwaneseがよく買っていく。この学生たちは、Emae周辺の海をこうやって測定していく。うーん、気の遠くなる作業だ。とにかく、海はナマコだらけ。Emaeはreefで囲まれているのでまだ測定し易い方だが、この後はEpiに行くらしいが、今度は深いところを潜っての測定となる。こんなんでいいデータが得られるんやろか。

 昼から村に政府からの役人が来た。要は海の生き物を守ろうというビデオの上映会で、Emaeのすべての村を回っているようだ。当然、村には電気がないので発電機を使う。テレビ、ビデオは政府がVilaからわざわざ運んできた。Tapakoro村の人たちが教会に集まってきたが、とにかく前置きが長すぎる。どこの国でもお役人の話はくだらんし、その上長い。あほか。ビデオは子供用の番組風に作られていた。UKかOZで作ったって言ってたな。

 ビデオの後、俺は酋長と話して、やはり明日船が来ると伝えられた。酋長はこの村に残るか残らないかは俺次第と言ってくれたが、次の船が来るにはもう1週間待たなあかん。正直、俺はこの村に残りたい。しかし、きりがない。ラジオの船情報では、明日の朝8時頃Emaeに来る。俺は酋長に明日出ることを伝えた。

 今晩は最後の晩餐。酋長の奥さんはいつものようにめしを作ってくれ、今日はフィリップの奥さんも作ってくれた。毎晩、誰かが差し入れしてくれる。だから、いつも俺の晩飯は2種類あった。全くうれしいね。俺はお礼に京都のpost cardを見せてあげ、紙で鶴を折ってあげた。post cardにはみんな興味津々。寺を見て、

「これが日本の家なのか?」

とか、祇園の町並みを見て、

「これが日本のcityなのか。」

と俺に聞いてくる。しまった。彼らには京都はあかん。一般的な日本の方がいい。新宿の高層ビル街、地下街、人の集まる場所、雪、新幹線etc。そういった方がいい。フレッドと酋長の奥さんはpost cardを一枚記念にほしいと言うので俺は一枚づつあげた。俺はこの村に招待してくれたお礼をしたいと村人たちに言って、何がほしいか聞いてみると、彼らの要求は至ってsimple。

「日本という国はどんな国かわからないので、日本のpost cardを見たいな。それと、日本人がどんな家に住んでいるのか興味があるので、マリブの家の写真と家族の写真がほしいな。」

俺は彼らに日本のpost cardと俺の家と家族の写真を送ると約束した。うーん、今晩で別れるのはつらい。フレッドはいつか日本に行きたいと言っていた。正直、彼らには不可能だ。しかし、いつか日本へという夢は持ち続けている。ジェムスは次の酋長。彼はまだ17〜18歳なのにほんとにしっかりしてて、よく俺に色んなことを教えてくれた。フィリップはいいパパ。気がやさしくて、力持ち。まるで山田太郎だ。酋長もほんとに親切。俺によくしてくれた。それと、ロペト。俺はロペトと特に仲が良かった。彼はほんとにしっかりしてて、いいパパ。たぶん村で一番の大人だ。俺の日本の話によく耳を傾け、俺に色んなことを教えてくれた。それに村のみんな。ほんとありがとう。最後に酋長は俺にこう言ってくれた。

「マリブ、君は初めにこの村に来た時にほんといい笑顔をしてた。その笑顔を見て息子のジェムス、マヌンは君のことを好きになったし、我々も好きになった。そして色んな日本のストーリーを話してくれたし、我々も君に色んなストーリーをあげた。どうかEmaeのことを忘れないでほしい。我々は日本に行くことはできない。だから、またいつでも戻って来てほしい。君の友達でもいつでも歓迎する。」

 ありがとう、酋長。

 9月12日

「Tongoa初日、二度と船には乗らん」

 午前4時頃、酋長が俺のテントに来た。どうやら昨日他の村の人が船会社に確認したところ、船はVilaから他の島に寄らないで直接Emaeに来ることになったので、到着時刻がAM6:00頃になる。俺は急いで支度をした。

 こんな朝早くやのに、奥さんや村人たちは食事を用意してくれた。俺はいつも食後に飲むオレンジのお茶が気に入っている。インドのチャイのようにはまった。それと、ポポ。バングラのジャックフルーツのように俺はすっかりとりこだ。ココナッツが木から落ちて、それから芽が出ると中の水が固まりになる。まあ、いわゆる糖分の固まりだ。これをナバラというのだが、これがまたうまい。とにかく、島でしか味わえないlocal foodをたくさん頂いた。まさしく食の宝庫。ありがとう。

 やがて、出発の時が来て村人たちと握手し、酋長、ジェムス、フレッド、マイク、フィリップが見送りに来てくれ、遅れてロペトそれにちびっ子たちも来た。当然、島には船着き場はなく、そのため沖の方に船が止まりそこから小型ボートが俺らをpick upしにやって来る。俺はみんなとお別れをし、いざ船へ。正直、船は汚い。それと、このAroara号はでかいと言っても日本では小さい方だ。俺を含めた数人と荷物をのせて、いざ出発。このAroaraはTongariki、Tongoa、Paama、Ambrym、Pentecost、Ambae、Santoの順に進んで行く。船の中は人だらけ。それに、すごい揺れだ。これはまじですごい。EmaeからTongoaまで3時間ぐらいだったが、揺れが半端じゃない。冬の日本海のようで、タイタニックが沈没する時はこんな感じか。俺は完全にグロッキー。吐きまくった。もう2度と船には乗らない。Pentecostは諦めよう。

 Tongoaにはほとんどreefがないので、降りる時は大変だった。波に合わせて1人づつ小型ボートから飛び降りる。俺はbeachに着くともう動けない。とにかく、つらかった。Tongoaの海岸は黒い砂。Emaeとは全く違って、どうやら火山がある島のようだ。Emaeに比べるとかなり開けてる。道は広いし、トラックもかなりある。しかし、電気、ガス、水道はない。これはEmaeと同じだ。

 さあ、Royに会いに行こう。Royは俺がVilaで知り合ったジョセフの兄さん。俺とは1度Vilaで会っている。俺がRoyの村へ歩いていると、一台のトラックが俺を乗せてくれた。そして、Royと再会。Royも俺を歓迎してくれた。

 Royの村、Lumbukutiはかなりでかく、400人近くの村人が住んでいる。近くに病院もあって、ここに協力隊の女の子が1人いる。Royは学校の先生なので先生宅に住んでいる。当然、学校の敷地内。俺がこの学校の近くにテントを広げようとすると、わざわざ景色のいい丘に連れて行ってくれた。気持ちはうれしいが、登り降りが大変やん。まあ、折角俺のためにしてくれたんやからいいか。Royは家の中でもいいよって言ってくれたが、それは申し訳ない。ここでええ。

 俺がテントの準備をし終わると、Royの家族と畑へ向かった。畑はEmae同様、焼畑。毎年、自分たちで新しい畑を作る。ヤン、マニヨック、タロ、クマラ、バナナ。Emaeと違うところはカバがある。バヌアツと言ったらカバ。カバの根を水と混ぜ、根からエキスを抽出しそれを飲む。バヌアツの名物。アルコール分はないが、飲むと酔っぱらってくる。これは一種の麻薬で、覚醒作用がある。しかし、違法ではなく列記とした飲み物。

 畑の後はココナッツのプランテーションを見せてもらった。bushの奥の方にRoyのおじいさんが40年ほど前に植えたココナッツのプランテーションがある。小さい規模だが見事なもんだ。

 Tongoaはほんま開けている。Emaeとは違う。Royは今、ブロックを使って新しい家を建築中。家が完成したら知らせてくれるらしい。とにかく、Royは世話好きで、次から次へと俺に色んな村人を紹介する。それと、写真好き。今日で何枚Royの写真を撮ったか。しかし、人はいい。

 夕方、Royの仲間が俺にlocal songを聞かせてくれた。楽器はギター3本、タンバリン、あと自分たちで作ったタイコ、ウクレレ。ギターがあるとは思わんかったがすべて何本か弦が切れている。それでも、彼らが作り出す音は見事なもんだ。彼らのlocal bandはここぞとばかり色んな歌を演奏する。South Pacificの曲はほんとに気が安らかになるな。みんなとっても生き生きしている。

 晩飯は奥さんが作ってくれた。マニヨック、ローカル キャベツのスープ。俺は結構マニヨックが好きだ。何とも言えん舌ざわりに歯ごたえ。それと念願のカバ。味的には薬のようだ。俺は食い物を食いすぎて、カバの効果は得られなかったが、すきっ腹には効くらしい。

 Tongoaのこの村人もほんと親切。みんな俺を歓迎してくれる。とにかく、みんな生き生きしてていい顔をしている。1週間はここにいよう。この後、Pentecostに行ってジョセフやエミリーに会いたいが、もう十分かも。たぶん、俺が彼らのいる村に行ったら、村人はまた歓迎してくれる。なんか、こっちが申し訳ない。

 夜、丘の上のテントに戻った。俺はトイレに行きたくなったが、はるか下の方。久しぶりの野ぐそだ。それにしても、星がきれいだ。

 9月13日

「Tongoa2日目、クリスチャンの村人」

 Tongoa2日目。昨夜にはまいった。丘の上はすごい風だ。それと、雨が降ってきた。俺は一瞬台風かと思った。何度も起きこのままテントごと崖から落ちたらどうしようとまじで思った。朝は6時前にRoyが来るし。全く、まいるで。

 Royのお父さんは雑貨屋を経営してる。まあ、売ってる物は石鹸、塩、砂糖、マッチといったものばかり。朝はRoyのお母さんがパンを焼いて、1コ20vtで売っている。ガスもなくオーブンもないのに見事な仕上がり。パンの表面はきれいな茶色。こげ一つない。ふつうのパン屋でも十分売れる。どうやって作ってるんやろ。味もgood。たいしたもんだ。

 今日は日曜日。よって午前中、村人は教会に行く。バヌアツの人々は献身なクリスチャン。どんな所であろうが各村には必ず教会がある。俺は宗教には興味ないが、とりあえず参加してみた。ミサが終わると、なんかしらんが俺は村人みんなと握手をした。なんでやろ。わけわからん。

 その後は村人が各自料理を作って教会に持って来て、教会の運営委員、神父さんたちがそれを食べる。料理には色んな種類のラプラプがある。それに、ポーク、チキン。すごい御馳走だ。毎週こうやって村人が料理をもってきて、教会の運営者たちがそれを食べる。その運営委員のほとんどが長老で、ほんとみんな親切だ。

 それから、Royと警察署へ行った。Tongoaには警察署があって、ちゃんと監獄もある。ただ、週末は警察署は休みになるが。その横には裁判所もある。むっちゃ開けてるやん。とにかく、TongoaはEmaeに比べたらかなり都会だ。車の数はEmaeと同じ2〜3台なのに道幅は広いし人口も多い。ただ、Life styleはEmaeと同じだ。

村に戻ると教会でまだミサが開かれており、Royたち身内が集まってのミサも開かれてた。とにかく、イエスに対する敬神はすごい。彼らはイエスの教えを知ってから争いごとがなくなったと言ってた。Royは俺にイエスの教えを説く。申し訳ないが俺には宗教は興味ない。かと言って、彼らを否定する気はない。

 Emaeでは村の人みんなに世話になったが、ここではどちらかと言うとRoy家という1つの家庭に俺は世話になっている。Royの両親、奥さん、それに子供たちのマリ、リン、アリス、ベロニカ、オステン。Emae同様とにかく親切。みなさん自分たちのできる最大限のhospitalityを俺にしてくれる。金じゃなく気持ちだ。子供たちは夜、歌を歌ってくれた。ほんとにかわいい。Royはとにかく世話好き。奥さんもよくしてくれる。Emae、Tongoaにはaccommodationがないので、ツーリストはほとんど来ない。しかし、Tongoaのこの村に来月からバンガローの建設工事が始まる。Emaeのマサモリ酋長もaccommodationの建設を検討中だ。Vila、Santoのいわゆるリゾート地に行くんじゃなくて、こういった真のバヌアツの人々のlife styleをもっとPRして、ツーリストを呼んでほしい。

 

 9月14日

「Tongoa3日目、これがカバか」

 Tongoa3日目。昨晩は風も穏やかでよく寝られた。丘の上から聞こえるのは波の音だけ。とてもロマンチックだ。

 次の日曜日に隣村で政府の会議がある。その前座としてこの村の人々がcustom danceを踊ることになった。それに向けて、毎朝村人は特訓中。今朝も早くから練習してた。当然、村の長老たちはdanceを知っている。しかし、若者は知らない。そこで、長老たちが若者に教えているわけだ。彼らの文化の継承。これが本番に向けて毎朝続く。練習の後、俺は村の若者たちと話をしていたが、

「こんなに毎日朝早くから練習して嫌になってくるやろ。」

と尋ねたら、

「No problem。」

彼らはむしろ自主的に参加してる。custom danceが踊れて、やっと一人前になれるのかもしらん。ナンバスをつけるのも全然はずがってない。むしろナンバスを誇りに思っている。

 この村には病院がある。おそらく、日本の政府が作ったものだ。それと、日本から車がプレゼントされ、協力隊の看護婦がいつも交替でいる。そのため、村人は日本、日本人に対してはすごく敬意を示してる。日本政府も捨てたもんじゃない。

 本当は、俺は土曜日にVilaに帰るつもりだったが、日曜日のセレモニーをどうしても見たくなった。日本にはこういったcustom danceはない。それに、彼らと仲良くなれたし。みんなは、

「マリブ、日曜日は一緒に隣村へ行こう。」

と言ってくれた。

Royに月曜日までいていいかと尋ねたら、家族みんな大賛成してくれた。早速、俺は空港へチケットの予約をしに行った。

 Emaeと違って、Tongoaには空港らしきものがある。しかし、Emae同様、滑走路は空き地だ。Vila−Tongoa間は、週5日もflightがある。しかし、Tongoaにはコンピューターがないので、予約するにはVilaに問い合わせないといけない。Lumbukuti村から空港まで歩いて20〜30分。その途中には、まさしくジャングルという「南の島のフローネ」で、フローネが住んでいた木が多くある。俺は子供の頃にテレビでフローネを見ていたが、絶対あんな木はないと思ってたが、Tongoaには数多くあった。これにはびっくりだ。

 Tongoaには火山があって、そのため海岸の砂浜は黒色をしている。黒の砂浜もなかなかgood。EmaeとTongoaはこんなに近いのに、Emaeはreefで囲まれているが、Tongoaにはほとんどなく、砂の色も白と黒と対照的。とにかく、島の雰囲気が全く違う。礼文と利尻のようなもんか。

 今晩、俺はRoyに誘われてナカマルへ行った。そう、カバを飲むためだ。毎晩、村の男たちが集まってカバを飲む。カバは村のcustom。しかし、アルコール以上にきつく、かなり酔ってくる。Vilaで鷹野さんが言ってたのは、カバは100ml飲めば十分。しかし、俺にはだめだ。俺はコップ一杯(だいたい250ml)をまず空けたが変化なし。2杯目が終わっても変化なし。しかし、さすがに3杯目をあけたところでぐらっときた。要するに、麻薬みやいなもんだから、覚醒作用がある。俺とRoyはこの後、Royの実家に向かったが、俺は完全に千鳥足。ここでまたRoyの弟のチャーリーにカバを勧められたが、Royの奥さんが俺を止めた。いや、思った以上にかなり効く。これはアルコール以上だ。カバを飲む時は人目を避けて一気に飲む。夫がカバを飲んでいる時は妻と子供は静かにしておく。これもcustomらしい。今日、俺はカバの威力を十分に味わった。

 9月15日

「Tongoa4日目、アンチアメリカの人々」

 

 Tongoa4日目。昨日のカバのせいでまだ頭が痛い。しかし、Tongoaの朝は早い。大体朝7時にはめしを食う。そのため、いつも娘のマリが俺を起こしにくる。今朝もcustom danceの練習があった。若者たちはみんな真剣。長老たちは身振り、手振りで教えている。俺はdanceを見学してたが、昨日のカバが残っててかなり頭が痛い。よって、テントに戻って寝た。

 昼から、俺はRoyの弟のチャーリーと畑へ向かった。とにかく、チャーリーは忙しい奴だ。まるで、ルー大柴のようだ。チャーリーはアメリカ人のことをすごく嫌う。というのは、以前アメリカ軍が広島に原爆を落とした時のフィルムを見て涙流したそうだ。それに、第二次世界大戦の時、アメリカ軍の兵隊がチャーリーのおじいちゃんに銃を向けて、それで腕を切断されたらしい。Emaeの人もそうだったが、Tongoaの人も広島、長崎のことを絶対知っている。その知名度は東京以上だ。それと、

「日本はもう戦争をしないのか。」

と聞いてくる。長老ならまだわかるが、若者が聞いてくる。どういうわけだ。なんで戦争のことがこんなに尾を引きずっているのか。バヌアツの人は敬神なクリスチャン。その程度は半端やない。昔、バヌアツは村同士の争いごとばかりで、人の肉を食い合ってたらしい。そして、キリスト教が普及してからはばったりと争いごとがなくなり、それ以来争いごとを嫌う。そう言った意味で、犯罪が日常茶飯事のアメリカのことをチャーリーはすごく嫌うし、チャーリー以外にもアメリカを嫌う村人はかなりいる。チャーリー曰く、

「アメリカ人は我々と同じクリスチャンが多いのに、どうして銃を持って人を殺し合うのかが信じられない。」

ちなみに、チャーリーがアメリカ人を嫌う他の理由は、以前彼がVilaで働いていた車の整備工場のボスがアメリカ人で、チャーリーはよくいじめられたらしい。

 チャーリーの家族と一緒にナガイを取りに行って、その後チャーリーがココナッツの木に登り始めた。見事なもんだ。水がないTongoaでは喉が乾けばココナッツ。喉が乾いた時のココナッツは最高だ。Emaeでもそうだったが、彼らのすごいところはジャングルの中を平気で裸足で歩く。Royの子供のオステンでさえもそうだ。オステンはまだ2歳。しかし、彼の足の裏の皮はかなり硬い。リンやマリも好んでジャングルを裸足で歩く。うーん、それに比べりゃ俺は甘ちゃんやな。

 俺はバヌアツではすごくもてる。ちびっ子たちもそうだが、特に年頃の女の子が寄ってくる。ちびっ子たちは俺の伸び乱れた髪の毛を不思議そうに触ってくる。彼らの毛はチリチリ。それに短いからなおさらだ。Royの娘のマリはもう俺につきっきり。俺の世話ばかりしてそばから離れない。バングラに行った時のリミーの妹と同じで、まあ、日本人の女の子が白人に憧れるようなもんやろ。俺は初めて反町隆史の気持ちがわかった。常に見られてるってのはつらいもんだ。しかし、俺は気取る気はない。

 今晩もカバをコップ2杯飲んだ。しかし、2杯では平気だ。ただ、いつも女の子の視線があるのはつらい。カバを飲んでる時もそうだ。いや、見られるってのはほんまにつらいな。これはお笑いの方が楽やわ。

 Emae、Tongoaとジャングルに来てもう10日になるか。こっちの生活に慣れ出してくると、やることがなくなってくるのが正直な気持ちだ。今晩、Royに20日のセレモニーが26日になったことを聞いた。俺はすごくショックだ。26日にはもうTongoaにはいない。そうなると、19日にVilaに戻るか。1週間ぐらいVilaで遊んで、Aucklandに戻りたいしな。あまりここに長くいるとRoyに申し訳ない。しかし、俺は協力隊の看護婦に会ってみたい。彼女は今Malakulaにいて今週には帰ってくる。彼女はmalaria sectionに所属の看護婦で、俺はマラリアにすごく興味がある。どういうふうに発病するのか、潜伏期間、肝機能への影響など知りたい。う〜ん、来週に帰るかどうしよう。

 9月16日

「Tongoa5日目、乾季中の貴重な雨」

 Tongoa5日目。昨晩からすごい雨だ。俺はまじで台風かと思った。雷は鳴りまくるし。こんなすごいのはTauranga以来だ。そうなると、俺のテントは水潜し。これだけ降れば限界だ。それに、気温が高いだけに中は蒸してくる。

そんな中、朝早くに俺のテントがある丘のすぐ下に住むこの学校の先生の1人エフェレルが、

「マリブ、私の家に来なさい。」

と雨の中、俺のところに来てくれた。彼女は俺のことを心配して来てくれた。当然、彼女はびちょびちょ。俺はその姿に感動した。エフェレルはバヌアツで会った女の人の中で1,2を争う美人。ありがとう、エフェレル。

 当然、この雨では学校は休み。この雨の中じゃ他の村の子は歩いて来られない。しかし、水がないTongoaにとってdry seasonの中この雨は貴重だ。子供たちはここぞとばかりに屋根から滴る水で体を洗う。みんな大喜び。

「マリブ、写真撮って。」

あるちびっ子は朝から晩までswimmingしてた。swimmingとはシャワーを浴びること。とにかく、貴重な雨だ。

 この雨じゃ俺もすることがない。Royのクラスで日記を書いたり、ちびっ子たちと遊ぶぐらいだ。動こうにも動けない。雨が降ると飛行機は飛ばない。しかし、隣村のある人が瀕死状態になって、Vilaからヘリコプターが来た。Tongoaの病院じゃ手に負えない。彼女の安否が心配だ。

 夜はRoy家でチキンを頂いた。俺は逆に気を遣わせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだが、子供たちは大喜び。そうやな、客が来た時ぐらいしか豪華な料理が食えんからな。このへんはどこの国でも一緒か。俺は客らしくしとこ。めしの後はRoyのラジカセから流れる音楽に合わせて子供たちがダンス。とにかく、ベロニカはすごくかわいい。Royも時々家族を笑かす。微笑ましい光景だ。みんな俺を盛り上げようとしてくれている。全くうれしいね。

 Royの奥さんも俺にRoy宅でいっしょに寝ようと言う。特に、子供たちは俺といっしょに寝たいようだ。しかし、それは申し訳ない。それに雨が止んだ夜のうちから俺のテントに風を通さないとやばい。中がかなり濡れている。そう言うと子供たちはがっかりしてた。それにしても、テント内はすごい。これは明日乾かさなあかん。

 9月17日

「Tongoa6日目、奥さんの村を訪問」

 Tongoa6日目。昨夜からテントに風を通してて正解だ。おかげでかなり乾いた。今朝はまず洗濯。かなりたまっている。しかし、俺が洗濯しようとするとちびっ子たちが寄ってくる。俺が何かしようとすると必ず寄ってくる。気持ちは分かるがな。ほんまに見られているってのはつらいな。正直、だんだん腹が立ってきた。洗濯の後は、テントを乾かさなければ。テント内のカバンや侍の箱等すべて濡れてしまった。この乾かす作業で午前中潰れた。あんなに激しい雨の後、いつもの日差しが戻ってくるとさすがに蒸してくる。とにかく、今日は蒸し暑い。テントの外にでるのも嫌になってくる。

 Royの授業の後、Roy、俺、マリは奥さんの村へ向かった。Royはすぐ近くだと言ってたが彼らの感覚は異常だ。歩いて1 時間以上ははかかったぞ。輸送手段がないこの島では、頼りになるのは人間の足のみ。雨が降った後なので道が所々ぬかるんでいる。その中、俺らはナガイ、ナカビカ、ポポを食べながら歩いた。ナカビカは味的にはリンゴに似てるか。歯ごたえがサクッとして、なかなかうまい。でも、俺はポポが一番好き。特に、熟したやつは甘くてうまい。

 結局1時間以上歩いて奥さんの村に着いた。今日、奥さんたちは100〜200コのヤンを植え、それを近所の人たちが手伝った。今晩、そのお礼として奥さんの家族がみんなに御馳走する。俺らが着いた時はその仕度中で、ブタ一匹を殺してた。

 めしができるまで、俺はRoyと少しブラついておばちゃんたちがバレーボールをしていたので俺も参加した。バレーボールをしたのは4年ぶりか。やっぱり、久しぶりはあかん。アタックのタイミングがどうもずれる。

 奥さんの村の人たちもみんな俺を歓迎してくれた。お父さん、お母さん、それに奥さんの親族たち。俺は今日始めて自分でカバを噛んだ。これが結構つらい。要するに、木の根を噛み砕くわけだからかなりの力がいる。カバを噛み砕いてエキスを絞り出す。いつも俺のカバのために誰かがやってくれてたわけだ。

ただ考えてみると、人が噛んだつまり人のだ液がつきまくったものを飲むわけだから汚いと言えば汚い。それに、洗ってない手でエキスを絞り出すわけだから衛生的にもよくない。正直、俺はカバはあまり好きではない。やっぱり、アルコールの方がいい。カバはビールのような爽快感がない。ただ、カバを飲んでいる人は健康な人が多い。医学的な立証はないのだが、それは単にカバの効用を研究している人がいないだけで、村人はそう信じているし、医者もそのように思っている人が多い。マラリアに対しても抵抗性があると村人は言う。ただ、残念ながら現段階では医学的な証拠はない。

 カバの後、めしを頂いて俺らはRoyの村へ戻った。帰りはランプを持って夜道を歩いていく。星がかなりきれいだ。少し立ち止まって見ていたい気分だが、とにかく、蒸し暑い。これは雨期にはかなり蒸すやろう。結局、俺がテントに戻ったのはPM10:00。ジャングルではかなりの夜更かしだ。

 9月18日

「Tongoa7日目、授業見学」

 Tongoaに来てもう1週間。今日は朝から忙しかった。まず、custom danceを見学。今日は彼らはナンバスを来てた。彼らの伝統的な服。洋服のない時代はこれを着て生活してた。彼らはナンバスを誇りに思う。すごくいいことだ。

 その後は髪の毛を洗った。3日ぶりか。俺のこの伸び乱れた髪をジャングルで洗うのは大変だ。そうすると、ちびっ子たちが寄ってくる。ほんとに勘弁してほしい。何か俺が行動に移すと村人すべてが注目してる。頼むから1人にしてくれ。

 そして、エフェレルの授業を見学。エフェレルとは昨日から約束してた。エフェレルは6年生を担当。バヌアツの学校は英語とフランス語があって、授業をすべて英語かフランス語で行う。この村の学校は英語クラスのみだが、決してビスラマ語は使わないし、子供たちは習わない。なのに子供たちは彼らの言語もビスラマ語も話せる。当然、英語も理解できる。たいしたもんだ。日本も見習わないと。Royが途中からいなくなったので、エフェレルはRoyのクラスの子供たちの面倒もみてた。そうなると、エフェレルのクラスの子供たちは遊びだす。この光景はどの国も同じやろう。正直、俺はRoyやエフェレルの英語が苦手。少しクセがあって聞き取りにくい。しかし、子供たちはちゃんと理解してる。たいしたもんだ。

 それから、奥さんと子供たちとまた奥さんのMangarisu村へ向かった。とにかく、片道1時間は歩く。正直、俺は行きたくなかったが、折角誘ってくれてるんやから。途中、ジャングルの中をshort cutしたり、子供たちとじゃれあったりして歩いた。それにしても、リンはしっかりしたいいお姉ちゃんだ。ちゃんと子供たちの面倒をみる。ベロニカとオステンがけんかしていると止めるし、お母さんの荷物を持ってあげたりもする。えらいぞ、リン。

 俺らはMangarisu村の奥さんの実家の畑に着いた。お父さんたちはちょうどヤンを植えていた。

「どうして彼らは畝を作らないのか。」

「どうして作物を間引きしないのか。」

所々彼らの農業に改善の必要性を感じるが、俺はあえて言わなかった。

 途中でRoyも加わり、Royに一緒にヤンを植えないかと誘われたが、俺はどうも体調がよくない。普通なら自分から喜んで加わるがだめだ。動く気になれん。Vilaで体調を壊してからかなり体重が減ったのか、歩いててフラフラする。ああ、つらい。それに、今朝から下痢。ついにこの旅始まって以来の下痢。これはあかんわ。

 帰り道はオステンが寝てしまったので、Royがオステンを肩車し、俺がタロ、バナナの入った籠とキャベツ、それに自分のリュックを持った。これはさすがにつらかった。しかし、この籠は奥さんやリンには重すぎる。今の俺の体調ではかなりつらい。だんだん日も暮れてくるし。急がないと。途中short cutしたジャングル内で、Royがナカサラという植物の葉を俺にくれた。木の葉は道に迷わないための迷信らしい。それにしても、リンは歩くのが速い。ココナッツやレタスを持っているのに。う〜ん、負けてられへん。

 ようやくRoyの家に着いたがすっかり日が暮れていた。みんな、もうクタクタ。疲れた後のココナッツは最高。ああ、疲れた。テントに戻るんも嫌だ。なんでこんな丘の上にテントやねん。Royは丘の下に移そうと言うが、そしたらちびっ子が寄ってくるのが目に見えている。他にいい場所はないんかい。それと、このテントの周りは俺の野ぐそだらけ。この前、俺は自分の野ぐそを踏んでしまったやんけ。この時はまじで人間をやめたいと思った。

 夜、Royの実家でめしを頂いた。とにかく、俺は疲れと体調の悪さで強烈な寒気だ。それに、ひどい下痢。つらい。ああ、つらい。

 

9月19日

「Tongoa8日目、俺は見世物じゃない」

 Tongoa8日目。昨夜は強風が吹いたり、雨が降ったりでゆっくり寝られんかった。とにかく、体調がよくない。今日も雨が降ったり止んだり。そんな中、俺は村の若者と話したりちびっ子たちのサッカーを見たりするので精いっぱいだ。テントに寝ていたいがRoyは心配するやろう。

 Royは昼からピクニック(海水浴)に行こうと言ってたが、この体調と不安定な天気では無理だ。そこで、俺はRoyに日記を書くからと言って、学校に行くふりをしてテントに戻った。とにかく、立っているのもつらい。昼から3時間ぐらいぐっすり寝た。これが効いて、かなり体調が回復した。腹の方も徐々によくなってきた。この体調が悪くなった原因は、間違いなくこのテントサイト。かと言って、丘の下に下りるわけには。下りたらちびっ子のえじき。とにかく、Tongoaの連中は俺の周りにいつも寄ってくる。正直、Emaeの方がよかった。

 それと、Tongoaの人はやたら写真を撮れと言う。それも大人がだ。そして、写真を送れと命令する。

「送って下さい。」

じゃなく、

「送りなさい、いいね。」

だ。これは人に物を頼む態度じゃない。Royもそうだ。俺はRoyの写真を何枚撮ったか。Royに世話になっててこんなこという立場じゃないのはわかっているが、彼は、

「俺はお前にこんなにすごいことをしてやった。そうだろう。」

という気持ちを強調する。さらに、

「俺たちはfriend。Tongoaの人々はみんなfriendly。」

とインド人みたいなことを言う。やっぱり、俺はEmaeの方が好きだ。彼らの方が純粋だった。ほんとに心から歓迎してくれた。Royにむっちゃ世話になってて申し訳ないが俺はもうTongoaはいい。十分だ。Emaeに戻りたい。

 夜はまたちびっ子たちに囲まれた。まだちびっ子たちと話してる方がいい。しかし、俺の体や髪の毛を触りまくるのはやめてくれ。気持ちはわかるが俺は見せ物じゃない。

 9月20日

「Tongoa9日目、ジャングルでの登山」

 Tongoa9日目。今日は久々にいい天気。そうなるとかなり暑くなる。今朝は3日ぶりぐらいに髪の毛を洗った。洗うとすっきりする。

 朝めしの後は、Royと山の上にある電話塔まで歩くことにした。Mt.Tavalapa、標高484m。Royは村から1kmと言っていたが、そんなわけはない。下から見るとかなりあるぞ。Royと2人でジャングルの中を歩き始めたが、今日は日差しが強い。それに、のら牛がかなりいるので、道牛のくそだらけ。俺はサンダルで来てしまった。さすがの俺の小結サンダルでもこれはきついな。非常に歩きにくい。かといって、裸足になるとくそを踏んでしまうし。まいった。

 上に登るにつれてかなり視界がよくなってきた。村の方にはEpiの全容が。反対側にはTongarikiが。やっぱり、Emaeはreefに囲まれていてきれいだ。今日は天気がいいのでgood view。歩いてても気持ちがいい。うーん、Royの言ってた通りかもしらん。途中から頂上までは急な坂道。距離的にはそんなにないかもしらんがかなり急だ。スキー場にすれば最上級コース。ああ、サンダルではつらい。周りは牛のくそだらけ。

 しばらくすると、ようやく頂上に着いた。とにかく、すごいview。Paamaの横のLopeviのCrater(1413m)も見える。風は吹いてるし気持ちいい。早速、ここの塔に登ってみたが、さらに景色はbetter。Tongoaの南半分が一望できる。ほんまに村以外はジャングルだ。ここでもRoyの写真を。わかった、わかった。

 帰りにsecondary schoolに寄った。日本でいう中学校。ここの生徒たちはみんなドミに住んでいる。secondary schoolがある島は少ないので、彼らは下宿してる。男子寮、女子寮、それに食堂もちゃんとあった。ドミはほんまにザコ寝。蚊帳を使っている学生もいた。ただ、secondary schoolに行ける学生は幸せだ。自給自足の彼らにとって、子供を下宿させて学校に行かせるのはかなりつらい。だから、バヌアツの人々は最終学歴が小学校であることは珍しくない。

 ここで女の先生に食事を頂いた。Royのcustom sisterらしいが、とにかくこの辺りにはRoyの親族だらけ。Royはいつも俺に親族を紹介してくれるが、一体あなたには何人身内がいるのって感じだ。Lumbukuti村の人々は、元をたどれば同じ祖先にたどりつく。つまり村人みな兄弟。そのせいか村人に、いわゆる奇形児が目立つ。おそらく近親相姦だ。間違いない。EmaeのTapakoro村の人々もそうだった。人口50人しかおらん村に、脳障害の人が3,4人はいた。

 今晩、俺にとってのlast night。俺とRoyが畑にカバを取りに行こうとすると、Royのお父さんが人からカバを買ってくれた。1束50vtするのを1000vt分も買ってくれた。そして、村人も何人か集まってきて、みんなでカバを飲んだ。途中、俺は子供たちにいつものように鶴を折ってあげた。実は、この村につい1ヶ月ほど前まで協力隊の幼稚園の先生がいて、幼稚園の子供たちには折り紙を教えてもらっていたが、小学生以上は知らない。俺が鶴を折ってやるとみんな大喜び。俺がその1羽をベロニカにあげると他の子もくれくれと言ってきた。折り紙のパワーは強烈だ。

 俺はカバをコップ4杯も飲んだ。うーん、さすがにこれは効く。しかし、奥さんの作っためしを食わないことには。last dinnerはヤンとチキン。それと、昼に作ってくれたバナナベースの貝のラプラプ。この貝は奥さんとリンが、昨晩わざわざ海に行って取ってきてくれた。久しぶりの貝に俺は感動だ。しかし、カバのせいでフラフラ。ああ、もうカバはいい。

 9月21日

「Tongoa最終日、この島を心から好きになった」

 さあ、Vilaに帰る日が来た。しかし、昨夜から時折雨が降り、深夜になって激しくなってきた。そうなると、俺は寝てられない。テントが濡れてくる。今朝になっても降ったり止んだり。基本的に雨が降ったら飛行機は飛ばない。果たして、飛行機は飛ぶのか。

 朝、Royにパンを頂いた。Royのお母さんの焼くパンは見事なもの。オーブンもないのになんであんなにうまく焼けるんや。不思議だ。さあ、荷物の整理。この丘とも最後か。毎晩、懐中電灯を照らしながらよくも登ったもんだ。ここからの景色は最高。そう思うと離れるのは悲しくなってくる。

荷物の整理の最中に奥さんが俺のテントにやってきた。どうやら今から畑に行って、俺の好きなマニヨックを取ってきてくれるようだ。奥さんにはRoy同様ほんとに世話になった。とにかく、子供そっちのけで俺によくしてくれた。奥さんは、

「私は小学校しか行ってないから、自分の英語がわかりにくくてごめんね。」と言っていたがそんなことはない。十分理解できる。とにかく、十分すぎるほどの持てなしだ。

 俺はテントを畳みたいが雨が止まない。俺はこの島をでる前にどうしてもしたいことが。そう、子供たちに何か買ってやりたい。島には雑貨屋が何カ所かあって、この村にもあるのだがこの村で買ったら村の人にばれる。そこで、俺は隣村のMoruaまで行くことにしたが、そうなると村の人がどこ行くねんと聞いてくる。途中、畑に向かっていた奥さんにも会ってしまったが、そこは何とかごまかした。

 Moruaの村人とも仲がいい。特に、この店のおっちゃんとは友達だ。Tongoaの人は人見知りしない人が多い。女の人でもよく俺に話かけてきた。ここのおっちゃんもそうで、おっちゃんと俺とはすっかり仲良しだ。俺は子供たちのためにお菓子を買って村へ戻った。

昨日、初めて気づいたのだが、村の人は必ず自分たちの畑には囲いを作る。それは畑にブタが入ってくるのを防止するためだ。要するに、木の枝を地面に差し込んでそこにワイヤーを張るわけだが、その枝からさらに枝が派生してる。つまり、杭にするために差し込んだ枝が挿し木となって、そこから新たに生命が誕生してるわけだ。俺はびびった。これはすごい。北大の時、一度ポプラの木で同じようなことをやってみたが失敗した。そう考えると、この辺りの土壌や環境はすごい。植物に適してる。

 俺はテントのある丘に戻ってテントを片づけた。ここともお別れか。何やかんや言って、俺はここを気に入ってる。Royに感謝せねば。今日はRoyのお父さんも俺と一緒にVilaへ行く。お父さんはAir Vanuatuの役員で、国内線は無料で乗れる。お父さんとAM11:30にここを出ようと約束してて、最後に俺はRoyにさよならを言いに学校に向かった。Royは学校の先生。彼には授業がある。子供たちも学校で、俺が空港に行く頃には奥さんは食事の仕度をしないといけない。Royの家族は俺を見送りに行けなくて申し訳なさそうだが、そんなのはどうでもいい。今までの彼らでもう十分。俺は満足してる。

 俺がRoyのクラスに行くと、Royは授業そっちのけでごはんを炊いている。マリやアリスもそれを手伝っている。そう、最後に俺のためにめしを作ってくれている。この時、俺は今まで一瞬でもRoyや村の人のことを嫌だと思った自分自身が嫌になった。彼らは俺のために一生懸命だ。心から俺のことを思って今まで色んなことをしてくれてたんだ。俺は礼文ではお客さんに色々してあげる。その代わり宿泊料をもらっている。しかし、Royや奥さんは俺のために色々やっても何の得もない。彼らの本当の俺に対する気持ち。Tongoaを出る日になって、Emae同様初めてこの島を心から好きになった。

 やがて、Royと別れる時が来た。Royは授業中にもかかわらず、リンとマリを呼びだした。リンはほんとにいいお姉ちゃんでしっかりしてる。マリは俺にベタベタやった。ジョセフの友達としてこの村にやって来たが、今では俺はRoyの友達、Royの家族の一員となった。とにかく、ありがとうRoy。ほんとにこの島に来てよかった。ほんとにそう思う。

 この後、俺はRoyのお父さんの家に向かうと、今度は奥さんが俺のためにマニヨックをくれた。奥さんは俺がマニヨックを好きなのを知っている。マニヨックをココナッツミルクと塩でしか味付けしてないのになんでこんなにうまいんや。とにかく、素材がいい。町では味わえないlocal food。最高だ。

やがて、出発の時がきた。空港へは俺とお父さん以外にお父さんの荷物を運ぶため、お母さんとウィリーも来るようだ。Royの奥さんは泣いていた。Roy同様奥さんにはよくしてもらった。ありがとう。このマニヨックの味は決して忘れません。また、来ます。

 空港までの道のりはきつい。晴れてきたので雨上がりはかなり蒸してくる。途中、トラックが運よく俺らを乗せてくれた。空港に着いて、約1時間半遅れで飛行機が来た。その飛行機には、週末にVilaに行ったエフェレルと協力隊の久美子さんが乗ってた。久美子さんとはすれ違いになるのは残念だ。俺はマラリアのことを色々聞きたかった。まあ、しゃあない。とにかく、がんばって下さい。やがて、Tongoaを離陸。ほんとに来てよかった。また帰るところができた。また会おう、みんな。

 Vilaに行く途中に飛行機はEmaeに寄った。空の上から見るEmaeは最高。島全体が珊瑚礁で囲まれている。今まで見たことのない海。なんてきれいなんや。この光景は一生忘れられないだろう。

飛行機がEmaeに着く頃には島の人々が待っていた。Vilaに荷物を送る時は、村人自ら空港までその荷物を運ぶ。荷物の積み込みや人の乗り降りで、ドアが開き、そのドアの向こうで人が手を振っている。始め、俺は誰かにさよならしてんねんなぁと思っていたら、おおTopakoro村のみんなでは。彼らは俺に気づいたようだ。うあ、ジュシナもいる。彼女が一番俺に懐いてた子だ。みんな俺のことを覚えてたんだ。感激だ。Emaeの人たちともう一度会えるな。俺は夢でも見ているようだった。ありがとう、みんな。

 それから、約30分ほどでVilaに着いた。久々に町に戻ってきた。俺とお父さんが空港に着くと、なんとジョセフがいるでは。Pentecostに行ったはずのジョセフがいる。Royと出会えたのも彼のおかげやもんな。今晩、俺はジョセフの家に訪ねることにして、俺はバスでtownへ向かった。

 久々のVilaは雨だ。久々に舗装された道路、ツーリスト、車。なんかすごく懐かしい。町で育った俺にとって、やっぱり町の方がいいのかも。しかし、無性に島に戻りたくなった。

さあ、宿に戻ろう。宿の2人、サンディとルーシーとも再会。彼らも俺を見て喜んでくれた。サンディはよく俺に言ってた。

「日本人はほとんどSantoやTannaの町しか行かない。彼らはバヌアツの表面しか知らないで帰っていく。ほんとのバヌアツを知らないで帰る。」

そういった中、俺が2人に島での生活ぶりを話すと2人共喜んでた。

「マリブはすごくいい経験をしたね。」

 俺がVilaに戻ってまずしたいこと。そう、シャワーだ。水を使えるというのはほんとに大事なことだ。久々に石鹸を使って体を洗った。トイレも水洗。俺がひとつ心残りなのは、俺のテントの周りのうんこだ。とにかく、俺のテントの周りは俺の野ぐそだらけ。誰か踏まなければいいが。まあ、俺が一回踏んでしまったからな。

 夕方、ジョセフ宅へ向かった。Royの妹とも再会。俺のバヌアツの始まりはこのジョセフ宅から。もうはるか昔のようだ。エミリーにも会いたいが、彼女は今Pentecostにいる。ジョセフ、エミリーに出会ってなかったら、俺のバヌアツは変わってた。この2人には感謝だ。ここで、今朝Tongoaでお母さんが作ってくれたラプラプを頂いた。もう、俺はすっかり家族の一員のようだ。お父さんは、

「マリブはもう家族。だから来たくなったら、ここにもTongoaにもいつでもおいで。」

と言ってくれた。俺は無性に酒が飲みたくなった。ああ、島に戻りたい。

 その後、俺は夜のVilaを歩いた。酒屋を探して歩きまくったが、もう酒屋は閉まっている。しゃあないから、take awayでバナナシェイクを飲んだのはいかにも俺らしい。

9月22日

「ジョセフよ、お前はほんまにあのお父さんの子か」

昨夜から雨。よって、俺のテントは濡れてくる。島に行く前のVilaはほとんど雨は降らんかったが、昨日、今日と雨。まあ、午前中には止んだが。それにしても、相変わらずこの宿は蚊だらけ。昼間でもいてる。Tongoa、Emaeではそれほど蚊に刺されなかったが、この宿ではだめだ。Englandのじいさんも寝る時は蚊にまいってる。サンディー、ルーシーはやる気なし。いつもどっかに行ってる。俺は結構このいい加減さが好きだ。

 今朝、とりあえずVanuatu Airのofficeへ向かった。俺は今週少し遊んで、土曜日にAucklandへ戻ろうと思っていたが、すでに満席。よって来週の火曜日(29日)に予約した。そうなるとあと1週間何しよう。こんなんやったら、もう少しTongoaにいたらよかった。

 その後、俺はマーケットへ向かった。改めてマーケットを歩いて回ると、島の人がVilaを嫌う気持ちがわかる気がする。ココナッツ、ポポ、バナナ、ヤン、ナガイetc。島ではfreeなものが売られている。当然、俺はいまさらlocal foodを銭出して買う気はない。それにしても、バヌアツの野菜類はいつ見てもつやがいい。不思議だ。

 それから、久しぶりにランチを買って、Iririkiへ向かった。そう、手紙を書かねば。air mailの後半戦、残り10通が残っている。それと、Royへのお礼状。お父さんに持って行ってもらおう。そして、夕方ジョセフ宅を訪れた。お父さんにさよならを言うためだ。お父さんは明日Tongoaに帰る。ほんとにお父さん、お母さんにも世話になった。ただ、ジョセフはだめだ。Royに会えたのはジョセフのおかげだが、こいつはとんでもない野郎だ。失業中でありながら、女のケツばかり追いかけてて、昼は遊びまわって夜はカバを飲みまくる。ほんまにこいつはこのお父さんの子か。Royの弟か。Pentecostで待ってるエミリーや子供がかわいそうだ。ジョセフに比べると、エミリーはほんとにいい奥さん。しっかりしてて思いやりがある。なんでこんな奴と結婚したんやろ。俺はお父さんとがっちり握手した。

「マリブ、今度はまたTongoaで会おう。」

ありがとう、お父さん。

 昨日はバナナシェイクしか飲めなかったが、今晩はちゃんとビールを買ってVilaの町を歩いた。また、Royやお父さんとカバを飲みたいものだ。

 9月23日

「ビビシャが帰ってきた」

 それにしても、よく雨が降るな。まあ、降ったり止んだりだが。Aucklandみたいだ。俺がVilaに来た時はほとんど雨が降らんかったのに。

 昨日、コンゴのビビシャが帰ってきた。OZから来た友達が帰ってからは、他のところにいたようだが、やっぱりここがいいと言って戻ってきた。俺は彼女のことが心配になって、宿の2人に聞いてみたらコンゴには戻らんでいいようだ。国連の計らいでNZかOZに行けるみたい。現在、その手続き中で、しばらくすると彼女は晴れてバヌアツを出られる。彼女はフランス語、俺は英語。当然、communicationは取れない。しかし、今日は俺を見つけて彼女の方から声をかけてくれた。とにかく、すごくいい笑顔をしてる。あの顔からは身内が内戦で殺されたなんて信じられない。もし、彼女がコンゴに戻ると、間違いなく殺される。一人ぼっちになって、祖国へ戻れない13歳の少女。あの笑顔からは想像できない。一人で必死に生きようとしている。内心はむっちゃ寂しいと思う。それに比べ、日本の若者ども。ああ、情けない。

 今日はUSPに行った。USPとはUniversity of South Pacific。南太平洋の色んな国々から学生が勉強しに来ている。とにかく、りっぱな校舎だ。俺はゆっくり中を歩いて回ったが、コンピューター室、library、caf

é、ゼミ室と大学のキャンパスにあるものはすべて備わっている。俺は少し学生たちと話したが、やっぱり大学生だ。服装や休憩時間に芝生でたむろしている姿は懐かしい。昔を思い出す。トンガやサモアから来ている学生はバヌアツの人々の人種メラネシアンとは全然違うポリネシアン。肌の色はメラネシアンよりうすく、髪の毛もちりちりではない。NZのマオリと同じポリネシアン。言われてみれば、マオリに似てる。学生諸君、しっかり勉強するように。

 その後、俺はUSPの近くの海へ行った。宿の近くからこの海が見えていたが、いざ行ってみるとリゾートホテルがあるでは。その上、その周りは高級住宅街。すごい。豪邸ばかりでは。その中にむちゃくちゃでかい白い家があって、草刈りしてた兄ちゃんたちに聞くとこの家のオーナーはベトナム人。そう言えば、バヌアツに住むアジア人で多いのは中国人とベトナム人。まあ、中国人が多いのはわかるような気がするが、なんでベトナム人なんやろう。

 昼からはココナッツの木の下で寝たり本を読んだりゆっくりしてた。とにかく、晴れると暑くてだめだ。動く気がしない。空気がきれいなのでまともに直射日光が肌を突き刺す。たまらん。

 さあ、明日からNZに戻るまでは遊ぼう。明日はEfate.tour。それが終わればHideaway.、Erakor。あり金を使い果たして、思いっきり遊んでやる。

 9月24日

「Efate tour & kava bar」

 今日はEfate島のツアーに参加した。正直、俺は迷った。ツアーを申し込むか、スキューバーをするか。値段は同じぐらいで、どちらも5000vtもする。とにかく、島を回ってみたい。EfateはVilaしか知らんしな。ただ、俺はツアーが大嫌い。なんかまんまと旅行会社の企画にだまされるのは嫌だ。表面だけ見て写真撮って終わり。しかし、Efateを安く回る方法はツアーバスしかない。そこで参加することにした。

 俺1人だけツアー会社のofficeでpick up。当然、それ以外の人はミーハーホテルに泊まっているので、ホテルの前でpick up。ガイドのおばちゃんと運転手とは速攻仲良くなった。俺のEmae、Tongoaの話を聞いて、

「もう、あなたはバヌアツ人ね。」

と笑っていた。

 このツアーの参加者は16人。俺以外はIririkiのリゾートホテルと、昨日俺が見つけたリゾートホテルに泊まっている人たちだ。ああ、失敗だ。そういった、おじちゃま、おばちゃま、お嬢ちゃま、坊ちゃまのツアーやったんか。俺の思ってた通り、彼らはNZかOZ人。バヌアツに来るtouristはほとんどがそうだ。日本人が思ったより少ないのはうれしいが。

 俺らを乗せたバスはVilaを出発。Vilaを出るともうダート道。思った通りで途中からはジャングル。そこに住む村人たちはEmaeやTongoaと同じlocal style。電気もガスもない。水道は所々あったような気がする。しばらくしてモーニングティー。こんなのいらん。場所はどっかのリゾートゴルフ場。しかし、従業員とは仲良くなった。彼らのほとんどはlocal villageから来た人々。家族のために都会に出てきて働いている。うーん、ミーハー客と違って彼らとは話が通じる。それから、Eton beachで休憩。確かに、きれいが絵的にはいまいちだ。

ツアーの参加者たちとは仲良くなった。HamiltonやInvercargillから来てる人もいた。中には俺のlocal villageの話に関心を持った人もいた。

 昼めしはどっかのリゾートレストラン。当然、この辺りは電気は通ってないので、ジェネレーターだ。まあ、めしはまずまず。バナナ、クマラ、ローカルキャベツなどバヌアツの人々が食ってる素材を使った料理があったが、ローカルキャベツは島の味つけをしてほしかった。調味料を使ったらあかん。local villageには調味料はない。塩のみにしてほしかった。

 その後はまた移動して、次はfire walking見物。熱した石の上を人が歩く。くだらん。その次はココナッツミルクの作り方。くだらん。俺はだんだん腹立ってきた。俺が参加するツアーじゃなかった。しまった。銭を返してほしい。

まあ、結果的に島を回れたからいいか。しかし、バヌアツは観光するところやないな。ゆっくり余暇を過ごすか、local villageに行くかだ。観光するとしたら、Tannaのvolcanoか、Pentecostのland divingぐらいか。とにかく、ひたすらジャングルで、所々villageがあるだけだ。ココナッツのプランテーションがあんなにあるのはびびった。見事なもんだ。それと、今日初めて気づいたが、ココナッツの背の高いのは葉が小さめで、背の低いのは葉がでかい。うーん、ココナッツも考えてるな。背の低いのは葉を大きく展開して、ジャングルの中でしっかり光を吸収してる。

 ツアーが終わって宿に戻ると、サンディ、ルーシー、ビビシャーが出かけるところで俺も誘われた。彼らが向かった所は、サンディーのお父さんの家。この宿の近くにそんなところがあったんか。それで、彼らは毎晩いなかったんやな。サンディーのお父さんの家の通りには、赤いランプがついている家が並んでいる。なんと、これはkava barらしい。こんなところに、kava bar街があったんか。それも、地元の人しか来ない。お父さんの家にはサンディーの息子家族も住んでいて、この前には、オープンナカマルがあって、地元の人たちがカバを飲みにきたり、若者が遊んだりしている。ここで俺はサンディーにカバを御馳走になった。正直、カバはもういい。Tongoaで十分に飲んだ。

この辺りの人たちの多くはTongoa出身の人たちで、俺がVilaに帰ってくるairでいっしょやったというおっちゃんにもカバをおごってもらった。さらに、そのおっちゃんのお父さんには他のkava barに連れて行ってもらって、2杯もおごってもらった。また、そのkava barのオーナーがEmaeの人。話が通じる。さすがに、カバ5杯はつらいかなと思ったが、思ったより平気だ。なんでやろう。Tongoaのと違うんかな。

 俺はツアーよりもこういった方が好きだ。とにかく、バヌアツの人々はfriendly。なんでこんなに大らかなんやろう。

 9月25日

「またや」

 最悪だ。また、体調が悪い。どうもバヌアツに来て調子が悪い。原因はたぶんテント。寝る時はまだかなり暑いが、朝は朝露ができるほど気温が下がっている。たぶん寝冷えだ。サンディーはカバのせいだと言っていたが、それは違う。とにかく、何とかしないと。

 俺は今日Erakor島に行く予定だった。とりあえず、townに下りて、昼めしを買って行く用意はした。しかし、だめだ。この体調じゃ無理だ。頭が痛くて寒気がする。途中、ジョセフに会った。今晩、俺は彼の家を訪ねる予定だったが無理だ。もう宿にも戻ろう。

 昼から夕方までずっとソファで寝てた。宿の中にいる時は長袖、長ズボンが必要。昼間でも蚊だらけ。6時間ぐらい寝たり、起きたりしてたが、あまりよくならない。NZに帰る前になってまたか。とりあえず、昼に買ったパンとツゥルクを食って薬を飲んで寝た。

 9月26日

「Erakor Island」

 昨日のバファリンが効いたのか、ケフラールが効いたのか。90%は回復した。

そうなると、残り少ないバヌアツの日々をenjoyしないことには。俺は予定通りErakorに行くことにした。

 俺は町中でよく声をかけられる。昨日はコインランドリーのおばちゃん、今日はバスの中でサンディ、ルーシーの義理の娘。みんなは俺のことを覚えている。しかし、俺はだめだ。みんな同じ顔に見える。仮にマサモリ酋長やRoyとVilaで会ったらわからんかもしらん。

 Erakorのフェリーlandingまではバスで10分ほど。空港ぐらいの距離かな。歩いても行けんことはないが暑くてだめだ。まあ、100vtでバスに乗れるからバスで行く方が賢明だ。

 ErakorはIririkiに比べると小ぢんまりしてる。バンガローが点在してるところはIririkiと同じだ。しかし、景色は100倍Erakorの方がいい。それに泳ぐのも絶対Erakorだ。珊瑚礁に囲まれててvery good。熱帯の魚君たちと泳ぐのは気分がええ。今まで見たことのないcolorfulな魚もいる。当然、エンゼルフィシュもいる。珊瑚も色んな色があってきれいだ。ここの海はヒトデとナマコだらけ。色んなナマコがいるので、始め俺は細長いナマコを見て海ヘビかと思って逃げてしまった。もう少し海が深くてもいいな。珊瑚礁で囲まれているので遠浅で困る。比較的Vila側の海は深かったが。

 俺が以前Vilaで買った500vtの水中眼鏡が大活躍。これやったら、2000vt出してスノーケルも買ったらよかった。珊瑚礁の周りを泳ぐには、絶対スノーケルがあった方がいい。明日、Hideaway島で借りるか。海で泳いだり、ココナッツの木の下で寝たり、今日は満足した。Erakorは俺が思ってたより絵的にはいまいちだったが、泳ぐにはgoodだ。

 夕方、俺はジョセフに会いに行った。今晩、ジョセフは船でTongoaへ向かう。俺がジョセフ宅へ訪問した時は留守だった。俺はどちらかと言うと奥さんのエミリーと仲良かったし彼女の方が好きだったが、Royやお父さんと出会えたのもジョセフのおかげなので、最後にお礼を言いたかった。遊び者のジョセフがいつ家に帰ってくるかわからないので、ジョセフのお姉さんに言づけをして帰った。ジョセフ、とにかくお前はエミリーや子供のためにもっと真面目になれ。遊んでる場合ちゃうぞ。Royやお父さんを見習え。

 その後、俺はスーパーにビールを買いに行った。今日は朝からビールを飲みながら夕日を見ると決めていた。しかし.....。バヌアツは土、日はビールは買えないようだ。月曜日まで無理という張り紙が。しまった。俺の口はビールを待っている体勢なのに。まいったな。しゃあないから俺はバヌアツ原産のオレンジジュースを買った。とにかく、バヌアツのジュースはまずい。よう、こんなんが商品になるなっていうぐらいまずい。それと、こういう日に限って夕日がきれいだ。くそー。この前のバナナジュースといい。明日は魚買って刺身にしてビールを飲もうと思ったのに。俺の計画が台なしやんけ。

 9月27日

「Hideaway island」

 今日はHideaway島に行くと決めていた。HideawayはVilaから約10kmほど離れたいわゆるリゾート島で、Iririki、Erakorと同じく無料種shuttle ferryで島へ向かう。俺は珊瑚礁を見たり、colorfulな魚と泳ぐのにはまっている。IririkiよりErakorの方がよかった。Hideawayはどうだろうか。

 バスに乗ってHideawayの対岸まで着いた。ルーシーは歩いていけると言っていたが、珊瑚礁が思ったより深かったのでferryで行くことにした。Hideawayは他と違って入場料が500vtもいる。そのせいか、Hideawayの対岸では地元のちびっ子たちが泳ぎまくってて、島ではツーリストばかりだ。スノーケルとゴーグルのレンタルが400vt、フィンを借りるとさらに400vt。俺はスノーケリングをしたかったが、もうすでにかなり借りられていて、それに折角500vtの水中眼鏡を買ったんやから借りるのを止めた。

 島の規模は俺が行った3つの中で1番小さい。島1周5分ぐらいだ。規模的には小さいが、ツーリストが1番多いような気がする。早速、俺は泳ぐことにした。

 日差しが強いので海の中まで光が入り、泳いでいて気持ちがいい。俺の周りは色んな色の珊瑚礁と魚。Erakorよりもgood。魚たちは近くまでいかないと逃げないので、ゆっくりと観察できる。ほんとに鮮やかな色をしてるな。珊瑚礁も黄、赤、ピンク、紫、緑と多様だ。こうやって珊瑚礁の周りで魚といっしょの泳ぐのはなんて気持ちがいいんや。スキューバにはまってる人の気がわかるような気がする。しかし、スノーケリングでも十分。俺の水中眼鏡でも十分だ。

 PM2:00ぐらいからか。ものすごいスコールが降ってきた。始め、俺は木の下で雨宿りしてたが服はずぶぬれ。急いでレストランにかけ込んだが、いっこうに止まない。今の季節は雨が降るとかなり寒い。日中は暑いといっても30℃前後なだけに、雨が降ると一気に気温が下がる。俺は寒くて震えてた。

 結局、1時間ぐらい降り続いた。俺はもう寒くて、寒くて。服を乾かしてから戻ろうと思ったがもう帰ろう。Hideawayでは1時間ぐらいしか泳いでないがあれで十分だ。これから熱帯地方で泳ぐという楽しみもできたし。Vilaに戻ると雨が降った形跡はない。どうやら、Hideaway周辺だけだったようだ。

 今晩、俺は魚を食うと決めていた。スーパーで400vt / kgのを2匹、400g買った。1匹は煮込んで、1匹は刺身にしようと考え、とりあえず3枚におろしたがどうも生臭くてだめだ。そこで、2匹とも煮込むことにした。調味料は塩、砂糖、醤油しか持ってないので、それで味つけをした。酒、みりん、生姜があれば。しかし、食ってみるとなかなかgood。もう少し煮てもよかった。

 魚の煮汁をごはんにかけ、さらに邦弘君にもらったふりかけをかけて食ったが、ええダシが出てる。うまい。やっぱり、魚や。たまには食わなあかん。

 明日はバヌアツlast day。レストランでめし食って、クラブに行くと決めている。最後ぐらい、パーッといこう。

 9月28日

「バヌアツlast night」

 バヌアツにいるのも今日を入れて2日。正直、NZに帰りたい気もするが、離れると思うと寂しくなってくる。バヌアツでは色んなことを学んだからな。

 今日は朝からゆっくりしてた。午前中は買い物。俺は最後にどうしても買って帰りたいものが。そう、バヌアツの国旗だ。昨年の秋、礼文から大阪まで原チャで帰った時、羽幌町の交通安全の旗を持って走った。次はバヌアツの国旗を持って全国縦断しないと。バヌアツをPRしてやろう。バヌアツの国旗を買って、よーくこれを見ているとmade in Chinaと書いているでは。しまった、だまされた。

 今日も色んな人に声をかけられた。俺がびびったのは、タクシーの中から、

「ヘイ、マリブ。」

と言ってきた奴がいた。よく見るとクリスだ。クリスは政府の役人でバヌアツ全土の病院や公共機関の看板を作りながら、各島を回っている。俺と彼はTongoaにいる時に知り合った。なかなか陽気なおやじで、とにかく忙しい人だ。来年、東京でシンポジウムがあるとか言ってたな。

 昼からはIririkiへ行った。ここにはよく泳ぎに来た。ErakorやHideawayに比べると泳ぐにはいまいちだが、ココナッツの木の下で寝るには最高の場所だ。俺は最後にもう一度泳ごうと思ったが、雨が降ってきた。朝夕は天気がいいのに日中はよく雨が降る。もう十分かな。

 さあ、last dinnerはパーッといこう。まず、ビールを飲みながら夜のマーケットをブラついた。とにかく、バヌアツの野菜はほんとつやがいい。キャベツ、レタス、チンゲン菜、トマト。どれもほとんど虫に食われてない。Vilaで取られたものは農薬の散布や施肥についてはわからないが、島から来たものは一切農薬や肥料を使ってないはずだ。それなのに不思議だ。

 それから、しゃれたレストランへ向かった。俺がいつもlunchで食っていたのは200vtの弁当や50vtのツゥルク。晩飯は弁当を買ったり作ったりしてたのが、今晩のディナーは2000vt。これは、lunch10日分だ。ここで、Tuskerの生ビールを飲んだ。生ビールはまずまず。ディナーのメニューは魚。俺はどちらかと言えば肉より魚の方が好きだ。味的にはまずまずか。うーん、これで満足した。

 俺が調べた限り、バヌアツには3種類の銘柄のビールがある。Vanuatu bitter、Tusker、PRIPPS Lager。Vanuatu bitterとTuskerは何度かスーパーで買って飲んだが、なんかいまいちだ。インドで飲んだビールのように気が抜けている。保存状態に問題があるのでは。しかし、レストランで飲んだTuskerの生はgood。いわゆる、light系。その後、俺はレストランの人に教えてもらったクラブに向かった。

 今日は月曜日なので中はガラガラ。中はNZと同じスタイル。カウンターでビールを買う。ジョッキー1杯が300vt。NZと同じぐらいか。ここでVanuatu bitterの生を飲んだが、まずまず。生は結構いける。その後、もう一軒クラブに行って、PRIPPS Lagerのボトルを飲んだが最悪。これはインドのビールだ。まずすぎる。やっぱり、バヌアツは缶やボトルはあかん。生の方がいい。

 さあ、やることはすべて済んだ。あとは帰るだけだ。last nightはパーッといけた。うーん、満足。

 9月29日

「侍、NZへ戻る」

 バヌアツ出発の日が来た。ここに1ヶ月以上いたなんて信じられない。バヌアツに来たのはもっと前のようだ。それぐらい色々あった。

 この宿に来たのは結果的に正解だった。客はほとんど来なかった分、サンディーやルーシーと親しく付き合えた。驚くことに、サンディーは元運輸大臣。外見からは想像できん。Englandのじいさんはいつまでここにいるんやろ。すでに半年近くいる。心配なのはビビシャー。今日の午後に国連から連絡があり彼女の行き先が決まる。彼女はまだ13歳。ほんといい笑顔をしてる。俺とは言葉が通じないが、今日俺がここを出るのをすごく寂しがってくれた。とにかく元気でな。

 俺はVilaを離れるに当たってしたいことが。そう、マーケットであのまずいバヌアツのジュースを飲みながらトゥルクを食いたい。どちらかと言うと、俺はラプラプよりもトゥルクの方が好きだ。それと、バヌアツのジュース。とにかく、まずいがそのまずさが俺をまた飲みたい気にさせる。俺はマーケットでトゥルクを買って、ジュースを飲みながら海を眺めた。これで満足した。

 やがて、別れの時がきた。サンディーやじいさん、ビビシャーと握手して、バスで空港へ向かった。

 俺はバヌアツに来る前はこんなにすごい体験ができるとは夢にも思わなかった。まあ、俺なりの人と違ったバヌアツを見るつもりだったが、それ以上のものが得られた。南太平洋に住む人々の本当のlife style。お金と時間の要らない世界。朝は明るくなると起き、暗くなったら寝る。疲れたら無理をせずのんびりした生活。争いごとを嫌い、心から親切な彼ら。きれいな空、きれいな海に囲まれ、その中でほんとに輝いてた彼ら。まさしく「天国にいちばん近い島」。小6の時に見た映画「天国にいちばん近い島」の中で、原田知世ちゃんが最後に言った一言。

「見つけました。ここです。」

その気持ちが俺にもようやくわかった。

 正直、バヌアツの後NZに帰るのはどうしようか考えていた。これ以上の経験はNZでできないだろう。アジアへ方向転換するか。しかし、まだ行ったことのない南島。それに、俺はNZが好きだ。

「やっぱり戻ろう。」

そう最近決心した。

 空港でお金を両替したが、コインも替えてくれたのには驚いた。さすがはバヌアツ。さあ、侍に戻ろう。

「侍、NZへ戻る。」

ほんとに来てよかった。ありがとう、みんな。

 約3時間でAucklandに着いた。機内でコクピットを見学させてくれたのはAir Vanuatuのいきな計らいだ。480ノットのスピードで、70ノットの風が押しているらしい。わけわからん。

 NZ入国の際、やっぱりテントはひっかかった。俺は検査のためにしばらく待たされた。さすがはNZ。しっかり管理できている。

 それから、フラットに電話した。純さんがいたらフラットに戻ろう。侍の格好を返さねば。電話してみると純さんがいて、俺は久しぶりにフラットに戻った。フラットには直子さん、修二さんもいて、みんな元気そうだ。

 Aucklandの寒さにはまいった。まだ、全然寒いやん。これやと南はもっと寒いやろ。それに、相変わらず雨は降ってるし。常夏帰りの俺にはこの気候はこたえる。予定が狂った。

 それから、滝口さんのところに荷物を取りに行った。そこで、滝口さんから最近Aucklandでワーホリの日本人女性の死体が見つかったと聞いた。治安のいいNZでのこの事件はショックだ。少し気を引き締めていこう。

その後、フラットに戻り、俺は日本のみんなに送るバヌアツ情報を仕上げてe-mailを送った。とにかく、みんなに本当のバヌアツを教えてあげたい。俺の見たバヌアツ。それで何かを感じ取ってくれれば。結局、AM4:00までコンピューターを打ってた。これからはNZのlife styleに戻さないと。それにしても、寒くて寝れん。バヌアツと逆だ。