8月8日
「愛してるのに」
ついにTaurangaを出る日が来た。昨晩はpubから帰ってそのままソファで寝てしまった。朝、俺が起きると、アミシ、孝君、敏君はいつものように仕事の用意をしていた。アミシは俺がモザンビークに来ると思い込んでいる。
「NZからじゃなく、日本から連絡ちょうだい。家族に伝えないといけないから。」
アミシは生野高校のハンド時代の中山にそっくりの間。とにかく、天然。でも、ほんまに人がいい。ついに孝君ともお別れ。ほんとにみんなに会えてよかったよ。お仕事がんばって。また会おう。
アミシたちが仕事に行った後、俺はpackingを済ませて2階ののテーブルで日記を書いてるとジャッキーが起きてきた。
「マナブ、今日行っちゃうの。」
次いでデヴィやショーンも起きて来て、俺は彼女たちに日本の住所を書いてあげた。とにかく、デヴィは俺には厳しい。彼女はrock climbingのインストラクターなので、一度2人でindoor rock climbingに行った時は厳しかった。
「マナブ、ダーメ。上まで行かないと降りたらダーメ。」
とか、雨の日仕事から帰って来た時には、
「ちゃんと服替えたの。風邪ひくから早く着替えてきなさい。」
とか、まるでお姉さんのようだった。でも、デヴィは
「ほんとにアメリカに来るんだよ。」
と言ってくれた。
ショーンはほんとにかわいらしい。間は北大の彩野に似ている。いつも、
「マナブ〜。」
と俺にチャチャを入れてくる。しかし、ほんとにかわいらしくいい子で、ムードメーカーだ。俺の周りにいる韓国人の中ではハンと並んで人に紹介できる数少ない人材かな。
さあ、ジャッキーにヒッチハイクポイントまで送ってもらおうという時に、
「マナブ、これ書きなさい。」
とジャッキーはVisitor book (VB)を持ってきた。なんて書けばいいのか。
4月27日慣れ親しんだAucklandを離れ、ここTaurangaにやって来た。俺がこれからどうしようかバス停で途方に暮れていると、バスの運ちゃんがおせっかいにも俺をこのBP“Just the Duck's Nuts“に連れてきた。始めはひたすらpickingを待つ毎日。どうしようもなくAucklandに帰りたかった。
そうこうしているうちにpickingが始まり、それが終わればpruning。あんなに帰りたかったAucklandももう帰りたくない。今の俺の帰る場所はTaurangaのこの宿。ここで色んな国の連中と共に生活し、仕事し、そして色んな国の友人を作ってくれたのはここ、“Just the Duck's Nuts“。とにかく、kiwi fruitを通して、俺にかけがえのない財産を残してくれたのも、ここ“Just the Duck's Nuts“。そのすべてのorganizerこそ、俺のハニー“Jackie”。Jackie,ほんとありがとう。何とお礼を言ったらいいのか。それと、ここで俺と苦労を共にし、旅立って行った“侍”たち。そのみんなに思いを込めて、VBにこう書いた。
8/8/1998
Lovely sunny day, good for my departure.
君に望むものなど何一つないけれど
さよならの一言だけは言わせないでくれ
出会った頃の2人に今すぐ戻れるなら
きっとうまく行けるさ
こんなに愛してるの
―「愛してるのに」長渕剛―
Thanks, kiwi fruit pickers, pruners, Tauranga and my honey,
“Jackie”.I never forget the days when we spent here.Definitely, I
’ll be back.So never say , “Good-by”.See you、my second home place
”Just the Duck’s Nut” and Jackie.Thanks
Manabu Kato
ジャッキーにMt.Maunganniのヒッチポイントに送ってもらう時、この3ヶ月のことを考えていたが、正直寂しい気持ちはなかった。なんでやろう。十分すぎると寂しくないのか。また帰ってくると決めているからか。とにかく、みんなありがとう。また、帰ってきます。
さあ、久々のヒッチハイク。今日はRotorua。Rotoruaに行く目的は温泉とマオリダンス。まあ、2日で十分やろう。
車2台を乗り継いで、Te Pukeまでしか来られず、時刻はもうPM3:30。やばい日が暮れる、と思った時に止まってくれた車がなんとRotoruaまで行くとのこと。ラッキー。運ちゃんはマオリのおばちゃん。おばちゃん、ありがとう。
このおばちゃんは俺をとあるBPの前で降ろしてくれたが、俺はRotoruaではテントを張ろうと決めていたので、市街のBPで聞いた“Kiwi paka”というところに向かった。実は、今朝ジャッキーもここを紹介してくれ、受付に行くと24hr hot pool営業。あれ、数日前確かリーがそんなこと言ってたな。俺は受付の人にリーって奴はいないかと聞いたら、今朝チェックアウトしたとのこと。しまった、遅かったか。やっぱり、来てたんや。
それから、俺が誰もいないテントサイトでテントを立ててると無性に寂しくなってきた。ああ、これからはまた1人ぼっち。今までいた仲間はもういない。Taurangaに来た時と同じ寂しさ。全くいつ味わってもつらい。
8月9日
「温泉とマオリの町、Rotorua」
昨晩、ここのhot poolに入った。俺がRotoruaに来た目的の1つである温泉。しかし、ぬるい。あかん、これは。このhot poolは屋外にあるのでpoolに入ってしまうと寒くて出れん。それと、途中からちびっ子の団体がやって来た。俺の横で水をかけあったり泳いだり。最悪や。出よ。
この宿は、いわゆるキャンプ場みたいなもの。つまり、kitchenはあるが食器はない。だから、めしを作ろうと思ったらなべやらフライパンやら用意しないといけない。しまった、キャンプ用品を持っていない俺にとっては失敗だ。明日からBPに戻る。
今日はまじで寒かった。Taurangaよりもここはかなり冷える。俺はテントの中で何度も起きた。さあ、今日1日Rotorua見物だ。Rotoruaはなんと言ってもマオリの町。そのせいかやたらマオリの人が多いし、至るところにマオリ建築がある。それと、温泉の町。なんとも言えん硫黄の臭い。少しその度合いは強いような気がする。町の至るところから湯気がでてるしな。大分県別府市と姉妹都市なのがわかる気がする。
始めに、俺はLake Rotoruaへ向かった。今日は日曜日。そのせいか湖畔ではfree marketが催されてた。ちなみに、湖水はかなり汚い。とにかく、今日は寒い。もう湖畔はええ。
次に、Ohinemutuのマオリ村。実は、毎晩ここでマオリのコンサートがあり、今晩俺はこのコンサートを見に来ることにした。値段は$15。ここの集会所の反対側にはアングリカン教会がある。キリスト教会にもかかわらず、この建物にはマオリ彫刻が施されている。ちなみに、教会内は撮影禁止。まさしくキリストとマオリの一体化だ。
この後、俺はRotoruaの名物でもあるTourism Rotoruaで、なんと“haka”の本を見つけた。おお、さすがマオリの村。当然買った。俺は外があまりにも風が冷たいので、この建物でしばらくボーッとしていると、一台のバスが止まり、2日ほど前に“Just the Duck
’s Nuts”に来たKoreanのcoupleが降りて来るのが見え、ああ、Taurangaから来たんか、と思っていると、なんとデヴィもいるでは。うれしい、デヴィと再会。デヴィも喜んでた。この後、デヴィはTurangiに向かってclimbingのインストラクターをする。やがて、デヴィを見送った後、俺はgovernment gardenへ向かった。ここでおもろい木を見つけた。なんじゃ、こりゃ。カオリとちがうがな。言葉では説明しにくいか、とにかく奇妙な形。それと、今朝は町中で桜を見つけたしな。この寒い時期にもう満開。河津桜のようだ。
それから、マクドに寄って何気なく本屋に入ると、バヌアツのロンプラがあった。おお、やっとあった。俺は思わず買って大使館情報を見ると、ガーン。NZにバヌアツ大使館はない。うそ〜。Aucklandにtourist centerだけ。もっと早く調べとけばよかった。これからどうしよう。旅の予定が狂った。Wellingtonに下って大使館に寄ろうと思ったのに。うーん、Aucklandへ戻るか。
8月10日
「マオリダンス」
昨晩、マオリダンスを見に行った。俺のRotoruaに来たもう1つの目的。マオリの伝統的なダンスを今のマオリの若者が踊る。俺ら客はそれを見て喜ぶ。ただそれだけのこと。しかし、こういった文化、伝統は是非残してほしい。無駄な文化を、文化やから残そうとする姿勢には納得できないが、この踊りは貴重だ。マオリの土地を白人が侵略してきて、それによってどんどんと西洋の文化が入ってきた。そして、マオリの血にも白人の血が混じるようになり、純粋なマオリの人たちがいなくなりつつある。当然マオリの文化も。マオリは北海道のアイヌといっしょ。俺らはもう少しこの背景を理解する必要があるな。
今朝、起きたら雨。その分寒さは控え目で助かった。どうしよう、Taupoに向かうか、Rotoruaに残るか。しかし、Rotoruaはもう十分。それに、ここの宿も失敗。もう今日からしばらくテントは止めよかな。寒くて死にそうだ。とにかく、ここを出たい。周りにはYAMAHAのラグビーチームが合宿しててうるさいし。しばらくすると、雨が小雨になってきたので出ることにした。
俺はこの宿の近くでヒッチを試みたが町の真ん中では車は止まってくれない。そのうちに、雨も降ってきた。最悪。結局、30分ぐらい待ったか。1人のおじいちゃんが、
「ここはヒッチは難しいよ。ヒッチハイクポイントまで乗せてあげる。」
と言ってきた。なんていい人だ。いかにも優しそうな人だ。
その後、マオリの兄ちゃんに乗せてもらったが、降ろされたのが山の真ん中。雨は降ってるし、寒いし。もう絶対雨の日のヒッチは止めよう。
俺が寒さに震え途方に暮れていると、一台のバンが自ら止まってくれた。乗せてくれたのはEnglandのカップル。また、このねえちゃんが天使のように優しい。なんて俺は運がいいんや。彼女たちはWellingtonに行くようだ。
しばらくすると、Taupoのinformation center (i)に着き、俺は“Sunset Lodge”というところに泊まることにし、宿の人が迎えに来てくれた。ここにはテントサイトがないのと今日は寒いのとで、俺は約1ヶ月半ぶりにドミに泊まることにした。
その後はTaupoの町に向かい、俺が何気なくbank machineで金をおろしていると、そこにリーがいるでは。びっくりだ。リーも俺と同じRotoruaの宿にいたようだが途中で変えたらしい。リーとは明日時間があれば飲もうと約束した。
Taupoの町はRotoruaよりも一回りは小さいか。しかし、こぢんまりとしてて、俺はどちらかというとTaupoの方が好きだ。Lake Taupoもきれいやし、所々温泉がわいているのはRotoruaと同じだ。俺がTaupoに来た目的はHuka Fallに行くことだ。Whitiangaでジェフに勧められた。早速、明日行ってみよう。
俺はここ2,3日ろくなもんを食ってない。fish & chips、パン、ラーメン。炭水化物ばかりなので今日は少しpak
’n saveで買い込み、今晩パスタを作った。久しぶりに自分でまともなものを作ったな。とにかく、パスタは簡単。ひき肉、マッシュルーム、にんにく、玉ねぎを炒め、それにpeel tomatoを加えてソースを作ればいい。costもそれほどかからんしな。ただ、今日は作ったんはいいが食い過ぎて腹が痛い。我ながらあほだ。この宿はtownから少し遠いがe-mailが使える。おお、ラッキー。そこで、夕方時間潰しにe-mailをチェックすると、なんとダニーから来てた。実は数日前、俺はダニエラにe-mailを書いた。OZからもらったe-mailの返事をまだ書いてなかったからな。そのついでにダニーにも同じ内容をコピーして送ったのだが、彼女は今SydneyにいてまたAucklandに戻ってくるようだ。それに、Mt. Edenの“Oakland Lodge”にドミ、マーティン、ルイス、マイク、マンディ、リン、ジェイミーがいるので俺に帰って来いとのこと。俺は改めてe-mailの威力に圧倒された。ああ、みんなに会いたい。またみんなに会えるなんて。しかし、俺にもしたいことが。Wellington行きを止めになったのもこういうことが俺を待っていたためか。よし、1週間後にはAucklandに戻ろう。その時までみんないてくれ。お願い。
8月11日
「Taupoはいいね」
昨日から今朝にかけて、俺は約1ヶ月半ぶりにベッドで寝た。やっぱり、ベッドはええもんだ。何と言っても寒さを気にせんでいい。枕ってこんなに便利なものやったんや。嫌なことと言えば、shareになるので隣のおやじがうるさいこと。ドミはこういうことがあるのが欠点だ。
今朝は雨。全くまいるで。雨の日はすることがない。Huka Fallはあきらめて明日にしようかなと考えていた頃、小降りになってきた。ちょうどその頃宿のおばちゃんがtownに送ってくれると言うので、俺はHuka Fallに行くことにした。
Huka Fallまでは歩いて1時間ぐらい。しかし、途中からまた雨が降り出だして、それがだんだん強くなってきた。まいったな。
Huka Fallは俺がTaupoに来た目的の一つ。ジェフの言ってた通りここはすごい滝だ。要するに、Waikato Riverがここで細くなっているため、それまでの水流が一気にここで凝縮される。まさしく自然の摂理。これはすごいわ。
Waikato River流域には、8つのhydro-electric station、2つのgeo thermal-station、2つのthermal-stationがあって、北島の50%の電力がここから供給される。これはNZ全体の33%に当たる。その水流はLake Taupoで調節され、day timeでは、max 200m 3/s、night timeでmin 70m3/sの水が放出される。うーん、これはNZの水源と言ってもいいやろう。
この後、俺はCraters of the Moonに向かった。いわゆるここはThermal area。要するに、マグマから熱湯が吹き上げている。なんしかすごいで、ここは。登別の地獄谷以来だ。しかし、こんなに熱い地面にも植物が生えている。まあ、そのほとんどがコケだが。この辺りの地温は熱いところで140℃を越える。130℃を越えると植物は生きていけないが、90℃のところでは、moss(2ケ)、algae(海藻)、70℃のところではfern(シダ)。特に、ここに生えているのは、umbrella fern 学名Dicranopteris Linearis、clubmoss 学名Lycopodium cernuumで、シダはfrost sensitive tropical fernで、熱帯地方から風で飛んできたとか。とにかく、植物が生えてるのにはびっくりだ。
途中からまた激しい雨。カッパを持って来なかったのを後悔した。帰りはヒッチで帰ろうと思ったがそれどころではない。道にも歩いていけないほどひどい雨。とその時、市バスがやって来て、$3.00かかったが俺は乗ることにした。運ちゃんはおばちゃん。客は俺だけ。おばちゃんと俺はすっかり仲良くなって、おばちゃんは少し観光してくれた。おばちゃんが言うにはNZには原子力はないようで、日本には原子力のpower stationがあると言うとびびってた。
「アメリカにあんなにひどいことされたのに、日本にはそんなものがあるの。信じられない。」
まあ、言われてみればそうだが、今の日本の社会を考えると原子力は必須と言ってもいいやろう。あと、おばちゃんはTaupoには18,000人住んでることも教えてくれた。うーん、もうTaupoはええ。この町はええな。なんかこぢんまりしてて。宿への帰り道にはまた激しい雨。もう全く嫌になる。
宿に帰ってまたe-mailを使わしてもって、2日間のtotalで$7.00も取られた。なんでやねん、5分も使ってへんやろ。ここのおばちゃんはパソコンのことをあまり知らん。全くどないなってんねん。Rotoruaといい、Taupoといい宿は失敗。Coromandelが良すぎたか。
8月12日
「Turangiという町」
今朝はようやく太陽が見られた。しかし、時折小雨が。よし、出よう。ここで2日間いっしょだったゆかさんともお別れ。また会いましょう。
今日のヒッチは楽だ。ほんの50kmほど先まで。ヒッチを開始して20分ぐらいで、Wellingtonへ帰るという兄ちゃんが止まってくれた。この兄ちゃんはほんまにいい人でNZのことを色々教えてくれ、わざわざTurangiの町中まで来てくれた。
俺がTurangiに来た目的、そう冬山を見るためだ。この近くにTongariro National parkがあって、Mt.Tongariro(1968m)、Mt.Nganruhoe(2291m)、Mt.Ruapehu(2797m)と3つ並んである。山は夏に登るのもいいが、こうやって雪に覆われた冬山を遠くから見るのもいい。やっぱり、山には雪があった方がいい。ネパール以来そう感じるようになった。
今晩、“Bell bird Lodge”に泊まることにした。久々のテント。この宿にはロッジが3つあり、1つは日本人が数人、俺が泊まるロッジはEnglandのねえちゃんが2人だけ。こういうこぢんまりとしたところは quite good。それに、宿の人もvery kind。久々のヒットだ。
昼からTurangiの町をブラついた。ほんまに何にもない。shopping centerがある以外何もない。それにしても、マオリが多いのはなぜだ?ここもRotoruaと同じか?
ここ数日俺は体調がよくない。どうも喉が痛い。そのため、今日は天気がよかったが、PM3:00頃昼寝した。pruningの疲れか。
夜、ここのオーナーがケーキを持って来てくれた。なんていい人や。これは毎晩らしい。Englandのねえちゃんは2人共London子。1人はいかにもって感じだ。
8月13日
「雨の中のtramping」
昨夜から雨。だから、テント内はうるさい。それにしても、ブランケットを1枚借りるだけでこんなに寒さが防げるとは。しかし、体調は最悪だ。
昨日、ここのオーナーが言ってたようにこのLodgeの前にAM7:30にバスが来た。料金は$20。そう、Tongariro national parkのtrampingのためだ。俺は行くか止めるか迷ったあげく、雨が止むことを願って行くことにしたが、この日の客は俺といかにもLondonっ子のルーシーの2人。バスの運ちゃんはおばちゃんで、この人がすごく親切。national parkのことやこの町のことなど色々教えてくれた。
俺らを乗せたバスはWhakapapa villageに着いた。とにかく、今日は寒い。それに雨。俺は(i)で雨宿りをしようとしたら、ルーシーはtrampingに行くと言いだした。バスのおばちゃんは、親切にもその入口まで連れて行ってくれるようで、俺にどうするかと尋ねてきたが、俺としては当然ここで雨宿りするつもりだったが、ルーシーが、
「彼はこんな雨へっちゃらよ。だってテント生活してるんだもん。」
と言いやがって、俺もルーシーと同じコースを2人で歩くことになった。ちょっと待ってくれよ。雨降ってるやんか。
ルーシーはLondonでgardening関係の仕事をしてて、今度Londonに戻ったら、horticultureのcollegeに入るようだ。とにかく、なんでこの雨の中歩かなあかんねん。周りは霧。俺の体調はさらに悪化。結局、この悪天候の中俺らは2 時間ぐらい歩いたか。俺らはボトボトになってcaf
éで休むことにしたが、とにかく寒い。それに、帰りのバスはPM4:15。あと5 時間ぐらいあるしな。それまで何しよう。その後、(i)を訪ねたが、受付のねえちゃんは昼から雨が止むと言ってきた。俺はその言葉を信じて、Taranaki fallのトレッキングコースを歩き始めたが、雨は激しくなる一方。おまけに、周りは何も見えない。おいおい、頼むから$20返してくれ。またもやずぶ濡れ。
俺とルーシーは時間潰しに困った。どうしよう。どうしても冬山が見たかったが、天気には勝てんからな。これだけはしゃあない。早くAucklandに帰ってダニーたちに会いたいし。ほんまNZは雨ばかり。全く嫌になるで。
やがて、バスがpick upしてくれる時間になって、おばちゃんは少し遠回りをして俺らに色んなところを見せてくれた。とにかく、話し好きの陽気なおばちゃん。うるさいぐらいだ。帰り道にようやくMt.Tougariroの頂きが見えたが雪がない。ほんとこの冬は雪不足が深刻のようだ。
宿に戻ると、またこの宿の人がケーキを持って来てくれた。なんていい宿だ。久々のヒット。う〜ん、Turangiは何もないが、なんかいいところ。また来るか。
8月14日
「pretty town, Wanganui」
夜中から激しい雨。ここでもう1泊かなと思っていたら、朝起きたら快晴では。わけわからん。ルーシーはこの後フィジーに寄って、1週間日本に行く。そのため今朝、俺は彼女に色んな日本の情報を教えてあげた。それにしても、俺の東京の輸送手段の知識はすごいな。自分でも感心する。乗り換え駅、どこでの乗り換えが便利か、完璧だ。これでルーシーもOKやろ。
さあ、Turangiを出よう。俺はすっかりここが気に入った。また戻ってきたいところだ。果たして今日中にNew Plymouthに着けるか。うーん、微妙だ。宿の人に教えてもらったように、俺はdesert Road (R1)回りで行くことにした。それにしても、いつも始めの一台目のヒッチには苦労する。今日も40分待った後、1人のフィリピン人が止まってくれた。名前はレステル。彼はAuckland在住で、俺に、
「いつAucklandに来るんや。」
「どこに泊まるんや。うちに来いや。」
とか言うので、俺はこいつホモかなと思って探ってみた。
「家族といっしょに住んでるの。」
どうやら、嫁さんと離婚し、その嫁と息子がWellingtonに住んでいて、ちょうど今その息子に会いに行く途中らしい。レステルはとにかく親切だ。
俺はdesert Roadの途中で念願の冬山を見た。むっちゃきれいやん。しかも、周りには何もなく、まさしくdesert。感動。Mt.NganruhoeはMt.Fujiのようだ。Mt.Ruapehuはさすがに高い。ああ、今日trampingしたらよかった。
途中、レステルによく行くというcaf
éに連れて行ってもらった。そこはなんと飛行機の中。飛行機を改造してcaféにしたようだ。なかなかlovely。ようこんな所知ってたな。Taihapeの町中でレステルは車の故障に気づいた。どうやらラジエーターのホースがやぶれて、そこから水が漏れ出したのと、ベルトがかな緩んでいて音がうるさいのとで、日本でいうジャフみたいのを呼ぶことにした。おいおい、どうなってんねん。これは今日中にNew Plymouthは絶望的だ。結局、Taihapeの町で1時間ぐらいlossしたか。よし、出発って時にまたもや雨。ああ、最悪。ほんまNZの天気はわからん。
やがて、Bullsでレステルと別れた。彼とはAucklandで会うか。ホモかと思ったがいい青年だ。レステル、ありがとう。とにかく、今日はWanganuiまで行こう。ヒッチを開始して、5分ぐらいでWanganuiに帰るというMassey Univ.の学生が止まってくれた。おお、俺が今度訪ねようと思っている大学の学生だ。彼に大学のことを色々聞いた。う〜ん、ほんとに親切な学生だった。
やがて、Wanganuiに着いた。なんと人口40,000人もいる町らしい。なかなかでかいぞ。food townもある。それと、なんともかわいい町。“pretty”という言葉がぴったりの町。背後には少し高めの丘があって、町の中心にはWanganui Riverが流れている。う〜ん、lovely。スイスのようだ。
俺は(i)で“TAMARA”というBPのことを聞き、ここに泊まることにした。俺が着いた時、客は俺1人。テントにしようかなとも思ったが雨が降ってきたのでドミにした。どうも体調がよくない。寒気はするし、体の節々が痛い。たぶん、38℃ぐらい熱あるんちゃうか。喉も痛いし。やばいで、これは。とりあえず、葛根湯を飲んで寝よう。
8月15日
「NZ在住の日本人」
昨晩、ある日本人がここに泊まりにきた。名前はさとるさんで、彼はHeinzという外資系の会社の社員で、現在Hastingsの工場にいるNZで働いている日本人。彼にワインやビールを御馳走になり、今日New Plymouthに行くと言うので乗せてもらうことにした。
朝、起きても体調はあまりよくない。絶対、熱あるで。ここの宿はほんまにいいところ。オーナーもいい人で、俺は10月に戻って来ると約束した。Wanganuiはほんまに「かわいい」という言葉がぴったりのところ。う〜ん、また来よう。部屋がいっしょだったKoreaの女の子ともまた会おうと約束した。
この旅始まって以来の日本人driverをヒッチ。さとるさんの会社は主に日本向けの食品や調味料を作っている。彼はそのtasting担当。NZに日本の企業(ちなみにHeinz本社はUSA)のoffice、工場があるとは知らんかった。というのは、NZの人口は約350万人。とにかく、需要が少ない。そのため、当然日本製品を製造し販売してももうけは期待できないと思うし、NZから羊毛や果物を日本に輸出だけしてると思ってた。まあ、車関連のofficeがあるのはわかる。NZの車の大半は日本車だから。しかし、食品関係があるとは。はっきり言って俺は驚いた。
さとるさんは日本に帰りたいようだ。家族が日本にいる。そりゃ、寂しいはずだ。しかし、俺の思ってた通りNZではかなり裕福な生活をしている。家、車は与えられているし。でも、仕事の毎日。俺らと違って、旅行できるとしてもほんの2,3日。う〜ん、もったいない。週末は付き合いのゴルフがあるとか。NZに来てまで日本社会か。俺はさとるさんの話を聞いてかわいそうになってきた。たぶん、俺は2月にNapierに行く。さとるさんにそう伝えて、その時に会うことにした。今日はほんとありがとうございました。またNapierで。
俺がNew Plymouthに来た目的。そう、Mt.Taranaki (Egmont)を見るためだ。しかし、今日はあかん。厚い雲が頂上を覆ってる。まあ、明日もここに泊まるつもりやからええか。今日は“Hostel 69”というBPに泊まることにした。なかなか静かなところでgood。オーナーもいい人。今日ここに泊まる人は俺を入れて4人。2人はTaupoでもいっしょやったIsraelのカップル(かなりマナーが悪い。やっぱり、Israel人だ)。もう1人は日本人のひろさん。彼はなんとMt.Roskill grammar school出身で、俺の後の2ターム取ったようだ。そのため純さん、和さんとは同じだった。全く偶然だ。
New Plymouthはかなりでかい町。人口も50,000人。これぐらいの規模の町はTauranga以来か。Pak
’n saveやshopping centerもある。町は海に面してて、背後にはMt.Taranaki(2518m)。しかし、俺の率直な意見としては、規模的にはほぼ同じようなWanganuiの方が好きだ。New Plymouthは少し都会じみている。それに、なぜか暗いイメージがする。でも、悪くない。さあ、明日は1日ゆっくり町をブラつこう。しかし、日曜日なのがneckだ。店はほとんど閉まってるやろう。かと言って、この時期にMt.Taranakiに登る気はないし。とにかく、ゆっくり歩いてみよう。
8月16日
「Mt.Taranakiの町、New Plymouth」
夜中からまた雨。今朝も霧雨。なんでNZはこんなに雨が多いねん。嫌になってくるで。
今朝、ひろさんはWellingtonに向けて旅立った。彼とはch-chでまた会うやろう。とにかく、俺はここで山が見たい。New Plymouthに来た目的はそれだけ。しかし、今日も雲で覆われている。このまま見ずにAucklandに戻るのも嫌やし。とりあえず、昨日宿の人が教えてくれた公園を散歩することにした。
俺が行ったのはPUKEKURA PARKで、単なる普通のparkだ。とにかく、NZには公園や広場が多く、休みともなるとカップル、家族連れが遊んでる。ここからのMt.Taranakiの眺めは実にいいと聞いたが、今日は全く見えない。俺は軽くここを通り過ぎて(i)行った。昨日、New Plymouthに着いた時もここに来たのだが、ここのねえちゃんはむっちゃ親切でかわいい。今日も、俺のことを覚えてて、
「あら、泊まったんだ。今日も山見えなくて残念ね。また何かあったら言ってね。」
となんて感じがいいんや。ほんまにええ子や。
その後、俺はbeachの方をブラついたが、今日は風が強く寒い。それに、まだ咳も出るし。もう宿に戻ろ。PM3:00からAll Blacksのgameもあるし。
宿に戻って少しテレビを見ていると、山が徐々に姿を現してきた。山を見ながら宿の人と少し話をしていると、なんと今日この近くのラグビー場でNPC leagueの Taranaki vs Aucklandのgameがあるらしい。開始はPM2:30。俺は迷った。All Blacksのgameも見たいし。今日は寒いし、体調が悪いし。よし、テレビでAll Blacksのgameを見よう。それにしても、この宿の人はほんまにkind。Turangi、Wanganui、New Plymouthと宿はヒット続き。う〜ん、少しツキがまわってきたか。
All Blacksのgameが始まる直前にMt.Taranakiが全容を現した。おおー。宿の人もわざわざ呼びに来てくれた。やっぱり、山は雪がある方がええ。う〜ん、beautiful。Mt.Fujiに似ているし、利尻富士にも似ている。俺は利尻をあきるほど今まで見てきたので、ポコッと1つだけある山に対してはそれほど感動はない。そういう意味ではネパールのヒマラヤやTongariro National parkの方が新鮮だ。しかし、きれいなのはきれい。
さあ、All Blacksのgame。この前のOZ戦は仕事で見逃した。Tri nation
シリーズは現在3戦3敗。最終戦ぐらい勝ってほしいが、今日も南アフリカにまさかの逆転負け。結局全敗。どうした、All Blacks。
今晩、この宿の客は俺1人。う〜ん、すべて使い放題。冬のNZはすいていていい。たまには1人もええな。
8月17日
「8台の車を数珠繋ぎ」
今日は色んなことがありすぎて、とにかく疲れた。朝、宿の人にヒッチポイントまで乗せて行ってもらった。ほんまにここの人はええ人。また時間があれば泊まりたいところの1つだ。それにしても、いつもヒッチの1台目は苦労する。つらい。今日は大苦戦。New Plymouthを出たのはAM10:00ぐらいか。まず始めに乗せてくれたのはマオリの兄ちゃん。隣の町のWaitaraまで乗せてもらい、その後2台乗り継いでUrenuiというところまで来た。この時点ではまだNew Plymouthから30kmぐらいしか来てない。しかし、時間はもうPM0:00を過ぎている。待ち時間が長すぎや。今日中にHamiltonも無理かなと考えていた。Auckland-New Plymouth間は約400km。Urenuiでも40分近く待ったか。止まってくれた車がTe Kuitiまで乗せてくれた。ラッキー。距離にして150kmぐらい稼げた。おまけに、この運ちゃんは大のラグビー好き。俺は話のネタとしてAll blacksのロゴのsilver fernを見たいというと、わざわざ途中で止まってくれ、道路わきのfernを指さして教えてくれた。Silver fernはその名の通り葉の裏がsilverで、昔は山道で迷わないように通った道わきのfernを裏返して目印にしたようだ。
この兄ちゃんにTe Kuitiで降ろしてもらって、とりあえずfish & chipsを食った。とにかく、腹が減った。それにしても、今日も雨が降ったり止んだり。ヒッチに最悪だ。
それから、しばらくの間ヒッチポイントまで歩いて、Otorohangaまで行くというおばちゃんが止まってくれた。これが5台目。Otorohangaでは大苦戦。雨が降ったり、止んだりする中1時間半は待った。結局、4時を過ぎてやっと車が止まってくれ、30kmぐらい先のTe Awamutuまで来て、それからHamiltonへ行くというトラックの運ちゃんをすぐにgetできた。俺はもうHamiltonで泊まろうと思ってると、運ちゃんはわざわざ市外のAuckland行きのヒッチポイントで降ろしてくれた。もうHamiltonには引き返せない。時刻はPM5:30。こうなったら行くしかないか。でも、PM6:00過ぎて車がつかまらんかったら諦めよう。そう考えているうちに5分ぐらいでAucklandの近くのPapakuraまで行くというおやじをget。ラッキー。
しかし、このおやじ少しホモっぽい。俺の手とか足を触ってくる。やばい。途中のMoter Wayで降ろされたら真っ暗やし。親切なおやじだが、ヒッチのホモはまじでつらい。逃げ場がない。途中で、
「今日泊まるところあるの。」
と聞かれた。やばい。俺は何とか満面の笑顔でこの場を切り抜けた。
結局、無事にPapakuraまで着き、そこからは市バスでMt.Edenまで向かった。Total 8台の車で約400km。ようAucklandまで来られたもんだ。俺は疲れきっていた。そして、Mt.Eden shopの前からフラットにTelし、すると純さんはびびってた。なんでAucklandにいるのって感じで。それと、今日これからThamesにいるはずの徳、理砂夫婦と和さんが遊びに来るらしい。おお、偶然。でも、俺はその前に行くところが。そう、pickingのメンバーがいるBPだ。ダニー、リン、ジェイミー、マイク、マンディ、ドミ、マーティン、ルイスがいる。正直、俺は純さんたちよりも彼らに会いたかった。
俺がBPに着くと、ダニーがkitchenにいて、
「マナブ〜。」
と抱きついてきた。うぁ〜、ダニーや。特に、ダニーとマイクには俺も会いたかった。それから、リン、ジェイミーの部屋に行くと、
「Oh、Manabu!!」
と2人共びっくりしてて、その後マイク、マンディも驚いてた。残念ながらドミ、マーティン、ルイスは不在だった。ダニーは、
「マナブ、当然ここに泊まるんでしょ。またみんなで楽しくやろうよ。」
と言ってくれたが、俺はsave moneyのため純さんたちのフラットに戻ると決めていたのでダニーに謝った。マイクたちもがっかりしてたが、
「週末はここに来るだろ。また飲もう。」
と言ってきて、当然俺はそのつもりだ。とにかく、彼らとまた会えたことだけでも俺はうれしい。週末が楽しみだ。
さぁ、フラットに行こう。フラットに着くと半分以上が新しいメンバー。純さん、邦弘君、Nigel以外はわからん。しばらくして和さんたちも合流。もう2度と集まれないやろうと思っていた徳さん、理砂さん、和さん、純さん、邦弘君、俺が顔をそろえた。俺はみんなから、
「痩せたね。」
と言われたが、そう考えると歩いてフラフラするのはアジアの時と同じだ。かなり痩せたかもしらん。
さぁ、飲もう。みんな久しぶりなので調子がいい。あの和さんがこの2ヶ月ぐらいうつ病になってたようだ。徳さんたちはThamesのhotelでexchange。純さんはMt. Roskill。邦弘君は来月日本に帰るようだ。結局、AM5:00近くまで飲んでた。みんなはかなり酔っぱらってた。和さんはAM4:30頃、下にあるドラムをたたきだして怒られてた。おいおい、当たり前や。理砂さんもいい調子。とにかく、俺は疲れた。今日はなんて密度の濃い1日やったんやろう。
8月18日
「バヌアツの情報集め」
ああ、眠い。昨日は飲みすぎた。しかし、今日はやることが。そう、バヌアツ情報だ。とりあえず、俺はLonely PlanetにでてるAir Vanuatuのofficeを訪ねることにした。Arbert St.とCustom St.の角にそのofficeがあるがわからん。俺は色んな人に聞きまくったがみんな知らん。そこで、俺はその近くにあるJTBの人に聞いてみた。さすがは世界のJTB。すぐ教えてくれた。しかし、JTBの人の接客はだめだ。態度がでかすぎる。お前ら売り上げ世界一やからと言って調子乗ってる場合やないで。接客の基本に戻れ、ドあほ。どうもJTBとは相性が悪い。
Air Vanuatuのofficeはあるビルの2F。絶対これはわからんところにある。俺は船情報を聞くと、
「No。」
とのこと。しかし、もう1人いたおばちゃんが、あるよって言ってくれ、それから別のねえちゃんが色々調べてくれた。なんて親切な人なんだ。おまけに美人だ。
結局、2,3社あたってくれ、やっとある1つの情報が得られた。Parnellにある船会社がバヌアツに行くという船を扱っており、それはいわゆる豪華客船。しかし、俺は値段を聞いてびびった。Auckland-Vanuatu間を8日間で走り、その費用が約US$600。これはAirの方が安い。ここのねえちゃんが電話で色々聞いてくれ、俺が、
「働けないか。」
と言うと、働くためにはphysical checkが必要で、その上、一旦航海に出ると船の上では仕事はないらしい。ちなみに、その船は来週の火曜日にTahitiからAucklandを経由してVanuatuに行く。う〜ん、どうしよう。俺はここの船会社のアドレスを教えてもらい、明日訪ねることにした。Airで行くとなると、returnで$560。ただし、これは2週間しか滞在できず、1ヶ月以上のstayとなるとreturnで$948になる。そんな。$560の次に安いチケットがこのチケット。ちょっと$948はきついな。そんなに出せんで。その上、1ヶ月以上のstayとなるとvisaが必要となり、バヌアツのイミグレに行かないといけない。この後、俺はFlight centerにも寄ってみたが同じだった。ただ、21日間のpackage tourがあって、アコモ1日だけ込みで約$800。高い、高すぎる。予定が狂った。どうしたらええんや。明日、船会社に行ってみるが望みはうすし。それに、正直すぐにでもAucklandを離れたいが、体調がまじでよくないので船の8日間はつらい。でも、ここまで来たらどうしてもバヌアツに行きたい。ああ、困った。$1000近い金を払って行くか。今までかなりの金をsaveできたんでいいかとも思うが、$1000あれば車も買えるぐらいの額やしな。でも、それしかAirはないし。2週間の$560はあまりにも短いし。まいった。俺はまじでまいった。とにかく、もう少し考えてみよう。
帰りにJTCに寄って荷物を整理しに行くと、なんと手紙が4通もあった。インドネシアに行った文さん、稚内にいる大介、昨年の礼文のお客の岡本さん、それと滝口さんから。滝口さんはすでにAucklandにいてMt.Edenにいる。なんと偶然な。とにかく、滝口さんに会いたい。俺はTelしてみたが留守で、メッセージを残しておいた。しかし、1つ困ったことが。俺は来週にはバヌアツに行きたい。そうなると、Aucklandにいる時間があまりない。明日はまたバヌアツの情報集めで、明後日は邦弘君と飲む約束をしてるし、週末はダニーたちと飲むし。それに、ウォルターにも会いたいし。滝口さんとも会って話したい。ああ、困った。どうすればええんや。
8月19日
「バヌアツにどうやっていくか」
今日は色んなことがあって、ほんまに朝のことなんて忘れそうだ。それにしても、なんでこんなにAucklandは雨だらけなんや。
よし、船会社に行こう。俺はParnellにある船会社へ向かった。こんなところにこんな会社があったんや。早速、俺は受付のねえちゃんに昨日からのいきさつを話し、するとその担当者がわざわざ来てくれた。その船はヨーロッパを出航して南米を回り、太平洋の諸国を通り抜けまたヨーロッパに戻るという豪華客船。定員は12人ですでに満員。その全員がretireした老夫婦。8/25、Auckland港に停泊し、バヌアツの首都Port Vilaに向かう。俺は、
「客じゃない。仕事をしたい。」
と言ったが、答えはNo。
「絶対だめ。それに船員はみんなロシア人。どうして君はcommunicationを取るんだ。airの方が断然安いからそっちにしなさい。何度言ってもだめ。」
俺はうちひしがれた。もうええか。やるだけやったし。とにかく、バヌアツに行こう。他の情報を得る元気もないし。俺はairで行くことにした。そうなると$948。まあ、この5ヶ月で10万円も使ってないからけちけちせんとこ。何のために貯めた銭や。
俺はAucklandを出る前にどうしても自分のAuckland-Osakaのチケットを売りさばきたい。もう、こんなんは使わん。確か、孝君がTaurangaのどこかの旅行会社で変えられると言っていたな。俺は少し旅行会社を訪ねてみたがどこもNo。よし、マレーシア航空に行ってみよう。
マレーシア航空に行く前に、俺が何気なくtownをブラついていると、おお光二さんでは。確か、Taurangaでpruningしているはずでは。光二さんとはTaurangaで再会してびびったところなのにまた会うとは。光二さんの方が俺よりびびってた。
「学、なんでAucklandにいるの。Wellingtonじゃないの?」
光二さんは、友人に会うために2日ほど前にAucklandに来てTaurangaに帰るところだった。なんと、偶然な。
それから、マレーシア航空に行くと、とりあえずOsakaに俺のチケットのコピーをFaxするからとのこと。とにかく、あらゆる可能性を追求してみよう。また明日訪ねよう。
その後は邦弘君とうまい$6.00のラーメンを食いに行く予定で、彼の学校を訪ねるとこと恵とも再会。こと恵は相変わらずこと恵のままだ。あいつはたぶん一生あのままやろう。
邦弘君とうまいラーメンを食った後は滝口さんのフラットを訪ねた。おお、滝口さん。滝口さんとは会社以来。NZで再会できるとは。滝口さんは今Mt.Roskillでウォルターのクラスを取っている。なんて、偶然な。滝口さんから俺が東京を出た後の会社の内情を色々聞いた。まあ、俺にとっては昔のことだ。あの会社は社員が自分のスタンスを変えない限りあのままだ。まあ、一生変わらんやろう。とにかく、社員に一言。もっと周りを見て、視野を広くして。それと、人とのつながりをもっと大事に。
滝口さんは、現在Koreanの男の子と部屋をshareしてて、俺は彼に夕食を御馳走になった。なんか、変に気を遣わせたかな。
滝口さんのフラットを出た後は、マイクたちに会いに行った。そこで、ドミとも再会。ドミもびっくりしてた。
「マナブ〜。英語うまくなったな。」
俺の英語が前よりも少しよくなったのも、ほとんど彼らのおかげ。今日はドミ以外にマイク、マンディ、ジェイミーにしか会ってないが、この宿では彼らは部屋はバラバラ。それと、Taurangaの時と違ってそれぞれがprivate timeを持っており、みんなでワイワイするのは週末ぐらいらしい。前とは全く雰囲気が違う。しかし、俺と彼らとの関係は前のままで、土曜日にこの宿でみんなで飲むことになった。
それから、俺がふとkitchenの方に目をやると、な、なんと、インドネシアに行ったはずの文さんがいるでは。文さんはダニーから俺のことをすでに聞いていたようでそれほどびびってなかったが、俺はまじでびびった。実は、文さんは10月にもう日本に帰るようで、今まじで銭がやばい。だから、帰るまでこの宿でexchangeする。俺は少し銭を貸してあげてもいいなとも思ったが、俺にはまだこの後がある。とにかく、文さんがAucklandにいたのにはびびった。
今日はほんまに色んなことがあり、色んな人に会った。フラットに帰ると恒例の「大富豪」。今晩もみんなでわいわいとトランプ。とにかく、疲れた。それにしても、なんでこんなにAucklandには日本人が多いんやろ。townは日本人だらけだ。
8月20日
「久しぶりのMt.Roskill」
今朝も雨が降ったり止んだり。ほんまにむかつく。ここ最近ずっと雨。
よし、今日はまずウォルターに会いに行こう。俺は久々にMt.Roskillのgrammar schoolに向かった。ウォルターに会う前に、俺はofficeを訪ねた。というのは、俺がウォルターの授業をとった時に、ちょうどAucklandはpower crisisの後でコンピューターが機能していなくて、俺は卒業証書をもらえなかった。やはり、記念にもらって帰ろう。そう思ってofficeを訪ねたら、後日JTCに送ってくれるとのこと。おお、訪ねてよかった。
その後はウォルターと再会。ウォルターはいつものままだ。ウォルターにpruningからの出来事を話すと笑ってた。それと、今朝滝口さんがウォルターに俺と滝口さんが同じ会社にいたことを言ったようでびっくりしてた。ウォルターはいつものように、俺が次どこどこに行きたいというと色々アドバイスをくれた。ほんまNZのことをよう知っている。そもそもTaurangaのことを教えてくれたのもウォルターだった。ウォルターは俺がいる間にまたフラットに行くからと言って、俺はtownへ向かった。
さあ、マレーシア航空。結論として、行き先をSydney-Kuala Lumpur-Osakaにするのは可能。しかし、DSチケットなので、extraで$100払わないといけない。うん、それは構わん。しかし、期限の延長は絶対だめ。どうしてもあかんかって聞いても、impossible。困った。そこで、昨日Taurangaの孝君に電話で聞いたSTA travelに行ってみたが、孝君がチケットを変更できたんは日本のSTAでチケットを購入したからとのこと。従って、俺にはimpossible。まいった。そしたら、このチケットは捨てるしかないんか。俺はまたうちひしがれた。
もうええ。バヌアツに行こ。そこで、YHA travelに行ってチケットを予約。Port Vilaのairport taxこみでtotalで$984。しかし、有効は4ヶ月。帰りの変更は可能で、とりあえずreturnは10月6日にした。まあ、ええ。ちなみに、Auckland-Sydney-Osakaの一番安いチケットで$1000ぐらい。おそらく、税金で$500ぐらい返ってくると思うんで、$500ぐらいで買えそうか。まあ、俺のチケットを捨ててもええか。
今晩、邦弘君に誘われて“マルガリータ”へ行った。久しぶりの“マルガリータ”。しかし、まずい。$5.00、6杯のビールはかなりまずくなった。それにしても、Aucklandの日本人は全くどないなってんねん。この時期、町中日本人だらけやし、とにかくいっしょにいてしんどい。お前ら、頼むから日本へ帰ってくれ。
8月21日
「ウォルターの訪問」
今日は珍しく快晴。しかし、いつ雨が降るかわからん。注意せんと。
今日から火曜日まで何しよう。と思っているうちに、昼からウォルターがフラットに来ることになった。たった1ヶ月しかいなかった生徒がたまたま帰ってきて、それにもかかわらず生徒に会いに来てくれる。ほんまにうれしい限りだ。俺はウォルターにNZの穴場を色々聞いた。さすがは、ウォルター。色々参考になった。
実は、昨日から和さんもここにいるのだが、和さんは徳さんたちのいるThamesに行くつもりでフラットを出て、今日車を修理してThamesに向かう予定だったが、1ヶ月ほど前警察から手紙を受け取った。その内容をウォルターに聞いたところ、4月の半ば頃和さんは信号無視かなんかをし、それが写真に撮られており、12月に裁判所に来いとのこと。裁判所に行って法的な措置を受けない限り国外には出られない。なんかすごいことになっている。よって和さんはしばらくAucklandを出られそうにない。
今晩、フラットで飲み会。みんなでめしを食いに行って、ビールを買いに行って、さらに今日は金曜日ってことで久しぶりに競馬場に向かった。前に行ったのはAucklandに来て1週間ぐらいした時か。とにかく、いつ来てもきれいな所。当然、今日も負けた。
さあ、飲み会。久しぶりにまさき君も来た。なんしかAucklandに来るとしんどい。飲みばかり。ああ、つらい。今日もAM3:00ぐらいまで。全くたるんだ生活をしてる。ああ、あかん。
8月22日
「東京時代の仲間」
今朝、友達のところに行ったはずの和さんから電話があって、警察から受け取った手紙を失ったとのこと。全く何やってんねん、和さん。相変わらず、ええ加減なおっちゃんやな。全くどうしようもない。
今日は、昼から滝口さんのフラットを訪ねた。本当は会社に手紙を書こうとのことだったが、2人で話し込んでしまった。滝口さんとは日本で何度かいっしょに飲みに行って色々話したことがある。彼は教師志願。そのために、通信教育で資格を取ったぐらいだ。俺は滝口さんの教育に対する考え方、今の日本の学校教育への憤りを聞いてかなり同感できる点があった。今日はまたさらにつっこんだ話をした。
◎Aucklandにいる日本人に対する憤り
◎今の日本の教育が作り出してしまった現代の若者
◎ワーホリでNZに来る意義
◎これからの日本
といったようなことについて話した。
滝口さんの視点はやはり教育という観点が主体で、人間、社会に対する意見が多い。俺はどうしてもまず農業という点を重視してしまう。とにかく、俺とは視点が違うところが多いので、滝口さんの意見はすごく勉強になる。滝口さんには絶対先生になってほしい。彼みたいな人間こそ先生になるべきだ、俺はそう思う。
実は、滝口さんは3年前から毎月友人何人かとあるテーマを決めて、そのことについて自分たちの意見を述べ、paperを通じてdiscussionしてた。俺はそれを借りて帰った。俺らが東京で仕事をしている頃、滝口さんは電車に揺られながらその課題に取り組んでいた。方や、俺はよだれをたらして寝てるだけ。やっぱり、滝口さんはすごい。
それから、俺は“Oakland Lodge”に向かった。そう、マイクたちに会うためだ。火曜日出る俺にとって、彼らに会えるのは今日がfinal。宿に行くとこの前に会えなかったマーティン、ルイスとも会えた。こうやってみんなと飲むのももう2度とないやろう。来週にはダニーとマーティンがここを後にする。ああ、Taurangaの日々が懐かしい。あの頃は毎晩騒いでたが、今は場所も変わり仕事もバラバラで、みんなで顔を合わすのは週1ぐらいとか。しかし、今晩俺が訪ねたのでみんな集まってくれた。ほんとみんなには感謝。彼らとの生活はむかつくことも多かったが、俺にとっては貴重だった。泰司さん、孝君以外は全員外国人という環境で、すごく俺のことをよくしてくれた。今思えば、ほんとにすごくいい時を過ごせたと改めてそう感じる。そんな彼らとAucklandで会えるなんて俺は幸せだ。もう会えないと思っていた。
ダニーが、
「マナブ、ほんとにEnglandに来るんだよ。絶対だよ。いつ来ても歓迎するから。来年は来られないの?そしたら、その次は?とにかく、e-mailでcontactだけは取り続けようね。」
と言ってくれた。マンディ、マイク、マーティンも同じようなことを言ってくれた。俺は今、まじでUKに行きたい。まじでそう思っている。今晩、ダニエラからもe-mailを受け取った。
「私はもうすぐでオランダに帰るから、とにかくオランダにおいで。」
折角、知り会えたのだから。これを無駄にしたくない。日本人の友人に対する気持ちとは違う。これは何やろう?住所交換だけで終わったら、それは住所を集める趣味で終わる。それは嫌やな。とにかく、みんなにまた会いたい。ありがとう。また会おう。
その後、フラットに帰ると、なんと徳さん、理砂さんがいた。どうやらThamesのhotelを辞めたようだ。2人とはもう会えないかなと思ってたら、またもや偶然。もし、辞めるのが3日でも遅かったら会えなかった。ほんまに人との縁は不思議だ。
8月23日
「久しぶりの鍋」
今日は滝口さんに借りた冊子を読もう。そう決めていた。フラットの何人かも滝口さんの冊子に目を通してたが、なんしか内容が難しい。俺はフラットではゆっくり読めないなと思って、townの“Burger King”に行くことにした。やっぱり、滝口さんは真面目だ、なんでこういった考えができるんやろ、と思った。俺にはない発想ばかり。うーん、勉強になるな。
フラットに帰ると、晩飯はみんなで鍋にしようということになり、理砂さん、とも子さんが買いだしに行った。鍋なんてほんま久しぶり。鍋の素材を切るなんて、礼文以来だ。ただ、こういったのはたまにはええ。和さんも元気になってきたし。心配なのは直子さん。体調を壊して寝てる。その直子さんのために和さんはおかゆを作ってあげた。感じええやん。もちろん、ダシは俺の持って来た利尻昆布。う〜ん、やっぱり昆布は利尻昆布だ。ちなみに、当然鍋のダシも利尻昆布。ほんまににこういった日本食はたまにはええ。みんなで鍋をつついて食うのは最高やね。ただ、これがいつもやとあかん。新鮮味がなくなる。
8月24日
「焼肉パーティー」
今晩、みんなで焼肉をしようということになった。俺は明日出るし、邦弘君は来週出る。
今日は、まず始めにJTCへ行って荷物を預けた。それにしても、荷物が増えてきた。これにはまいった。これは日本に送り返す時はかなり銭がいるで。
JTCの後はまた“Burger King”へ行って滝口さんの冊子を読んだ。とにかく、滝口さんはえらいわ。ああやって色々考えられるってことは、考える時間を持ってるってことやもんな。全く感心する。この後、俺は滝口さんを訪ねて、この冊子の感想を言ってあげた。率直な感想、疑問、自分の意見など。俺は滝口さんにコンピューター、ジーンズ等を預かってもらうことにした。
さあ、フラットへ戻ろう。もうすでに食材が揃ってた。和さんたちが鯛と鯵を買ってきて、俺がそれをさばいた。魚をさばくのは久しぶりだ。やっぱり、日本人は刺身だ。うーん、うめえ。
しばらくして、徳さん、理砂さんも帰って来て焼き肉開始。うーん、骨付きカルビー。うまい。タレは昨日中に仕込んでおいた。なんて贅沢な時間なんだ。最後は鯛の頭でダシを取ったお吸いもの。それに、ごはんと俺がだし昆布から作った佃煮。うめえ。感無量だ。これで思い残すことはなくバヌアツへ行ける。パーティの後は、また和さんたちと話してた。気付いたらもうAM4:30。またや。