6月16日

「ヒッチハイク合戦」

  

 昨晩、マイクとマンディといっしょにEnglandのgameを見た。さすがにEnglandは強い。彼らは大喜び。俺はこの3連ちゃんのサッカーに疲れきって、途中で寝てしまった。ほんまにまいった。

 さあ、ここを出る日が来た。出ると言っても俺は戻ってくる。ダニー、カリー組、マイク、マンディ組、それに俺と3組がヒッチでCoromandelに向かう。

 俺は朝出ようと思っていたが、ドンから電話が。というのは、以前ドンに俺らのpickingの写真を撮ってくれと頼まれ、そのフィルムを2日前に渡し、それが今日の昼できるというのでそれまで待ってくれ、とのこと。ドンはほんまにいいボスだ。ドンは写真代を払ってくれた上に、申し訳ないからと言って新しいフィルムまでくれ、おまけに俺らをヒッチハイクポイントまで乗せてくれるらしい。なんていいボスだ。ドンも俺らと別れるのが寂しいみたいだ。ドンがネガを貸してほしいと言うので、俺がまたTaurangaに帰ってきた時に返すと言うことにした。

 さあ、出発だ。しばらくTaurangaともお別れ。後に残ったpicking戦士はついにリンとジェイミーだけ。その彼らも明日出る。2人にお別れを言って、ドンは、Te Punaの俺らがよく立ち寄ったスーパーの前で、まず俺、マイク、マンディを降ろしてくれた。ここでダニー、カリーとはお別れだ。たぶん、彼女たちとはCoromandelで会うか、Aucklandで会うやろう。さあ、誰が最初にヒッチでCoromandelに着くか。

 俺はマイクに3人は難しいから先行くねと言って、ヒッチを開始してわずか1分で車が止まった。ここから50q先のWaihiに帰る途中の兄ちゃんで、俺はマイクたちのことも言って、3人とも乗せてもらった。一見こわそうな兄ちゃんだがなかなかいい人だ。

 Waihiで降ろしてもらって、10分ぐらいしてvanが止まってくれた。この車はここから20q先のPaeroaに行くと言うので、また3人ともOK。むっちゃ親切やん。

 PaeroaでThames方向のR25沿いで降ろしてもらって、またヒッチを試みたが、町中やったので、なんか知らんがガキが集まってきた。それに、町中はやっぱり難しい。3人で相談して町外れまで歩いて、俺が3人は難しいから別れようと提案し、明日Coromandelで会おうと言って、俺が1人トコトコ歩いて行くとマイクたちはヒッチに成功して、その車が俺を拾ってくれた。ここから35q先のThamesに帰るおっちゃんで、途中ヒッチをしているダニー、カリーを追い越した。

 さあ、誰が先にCoromandelに着くか。

 やがて、Thamesで降ろしてもらって、日が沈みかけてきたが、俺はまたマイクたちと別れて、ヒッチを試みると今度は速攻車が止まったが恐そうなマオリの兄ちゃんで、またええ車乗ってる。これはやばいと思ったが、Coromandelまで行くと言うので乗せてもらった。

 しかし、人間は見た目ではわからん。この兄ちゃんはむっちゃ親切で、俺がマイクと待ち合わせのTUI LODGEに行くと言うとわざわざそこまで運んでくれた。なんていい人なんや。

 そして、今日止まる宿に行くとガラガラ。3人ぐらいしか客はいなく、ここのオーナーがどこで寝てもええよって言うので、俺は日本人の姉ちゃんが1人しかいない建物へ行った。彼女は車で旅しているみたいだ。

 俺が米を炊いてめしを食っていると、な、なんとマイクとマンディが懐中電灯をもってやって来た。ようここまで来たな。でも、一番手は俺だ。ダニー、カリー組はおそらく、Thamesやろうと。

 それにしても、今日は疲れた。明日ゆっくりCoromandelの町を歩いてみよう。

 6月17日

 「Coromandelに集合」

 

 最悪や。朝から雨。ほんまに最近よく雨が降る。おかげで今日1日おじゃんやんけ。午前中軽くtownを歩いていると、なぜかこの町には長ぐつを履いている人が目立つ。なんでやろ。それに、マオリの人も多い。Coromandelは人口1,000人ぐらいの小さな町だ。1820年にカオリの木を積みに来たHMS Coromandel号からその名がついたらしい。

 俺がtownをぶらついていると雨が激しくなって、宿に帰ってボーッとしているとダニー、カリー組がやって来た。彼女たちは昨日Thamesに泊まったみたいだ。

 ここの宿の経営者は老夫婦で、ほんと親切な人たち。町に行く時はわざわざ声をかけてくれて車で行ってくれる。それに、チャリもただで貸してくれる。この老夫婦の他に、犬2匹と猫2匹がいて、犬はシバとナラという親子でほんまにかわいいが、猫はぶさいくだ。絶対、猫の中でもぶさいくに決まってる。

 夕方、チャリで町をブラブラしてた。ほんとに何もない静かな町だ。海岸では船が並び、魚の加工工場らしきものもあった。やっぱり、漁村はいい。礼文に戻ったような心境だ。

 今晩、カリーが実家に手紙を書くというので、俺も軽く日本語と英語で書いてやったが、ヒッチハイクで旅してるというのはどうも親には内緒らしく、俺の手紙の英文の方はbusと書きかえたが、日本文の方はヒッチハイクのままだ。これで大丈夫かな。もし、家族の中に日本語が読める人がおったらどうしよう。

 6月18日

 「小さな町Coromandel」

 今朝も雨。ほんまむかつく。雨が降ったら何もでけへん。今朝、マイクとマンディがここを後にした。特に、マイクとは色んな思い出がある。ピッキングの仲間でも特に仲良かった。2人共俺にとってほんといい友達だ。彼らとまた北の方で会うかもしれない。とにかく、また会おう、マイク、マンディ。

 昨晩、またマイクとサッカーを見ていたのもあって、昼から4時ぐらいまで寝てしまった。それから、俺はチャリで、Long Bayの方へ向かった。久しぶりに太陽がでてきて夕日がきれいだ。坂を上がったり、下りたり、30分ほどチャリで行くとまた集落があったが、この辺りの人はどんな仕事をしているんやろ。

 一般に、人は田舎ほど物価が安いと考えがちだが、実際はまったく逆で、田舎ほど競争がないので高い。ここCoromandelのスーパーもAuckland、Taurangaに比べたらかなり高い。しかし、島じゃないだけましだ。ほしいもんがあったら、ThamesやAucklandへ車でいける。そう考えると、Stewart island(South Island)の人々は、どういう生活をしてんねやろう。礼文と同じやろか。

 6月19日

 「Castle Rockにやられた」

今朝は久しぶりに晴れた。今日でダニー、カリーとはお別れだ。彼女たちは先にFletcher Bayに行って、月曜日にはAucklandへ行く。カリーとはEden Parkで会うことになっているが、ダニーとはお別れだ。ダニーは、

「学、Aucklandで居場所が決まったらe-mailだすからチェックしてよ。」

と言ってここを後にした。2人共Aucklandで会おう。

 さあ、やっとCastle Rockに行けるぞ。この宿に泊まっている日本人の文さんが、いっしょに行きたいと言ってきたので、2人で行くことにした。

 今日はほんまに天気がいい。しばらくR25を行くと、R309が見えてきて、R309に入ったらダートだ。昨日までの雨で、俺らはすっかりドロドロ。チャリのタイヤもかなり重くなってきた。

 R309を30分行くと、Castle trackが見えてきて、ここからは登りだ。ドロ道をひたすら2人でチャリを押した。

 大体30分ぐらいで最終的に頂上へ向かう道が見えてくるはずやのに、俺らは行きすぎてまた戻って、その細い道を上がって行ったが、途中二手に分かれてて、俺は何も考えずに右に行ったが、だんだん下っていくのを文さんが気づいてまた引き返した。ええ加減な俺を文さんは二度も救ってくれた。文さんがいなければ頂上に着けなかっただろう。

 宿で見つけたCoromandelのガイドブックの表紙に、Castle Rockの頂上でチャリにまたがった人の写真を見て、俺はこの急な坂道をチャリを持って登ろうとし、俺も絶対チャリに乗った写真を撮ってやろうと決めていた。しかし、途中から急な細い道になって、人が通るのもしんどい道になった。俺は、どうやってチャリを頂上まで運んだんやろうとひたすら考えていた。どう考えても運ぶのは無理だ。なんせ、上の方は岩の合間を歩かなければいけないし、傾斜が60

°ぐらいのところを歩いていたのだから。しまった。そうか、ヘリコプターで運んだんや。なんで、そのことに早く気づかんかったんや。なんて俺はあほなんや。だまされた。新庄を毎年期待して使い続けてる阪神の首脳陣の心境だ。俺は途中でチャリを置くことにした。

 やがて、岩を一歩一歩上って行くと360

°のパノラマが。すげえ。Coromandel半島が一望だ。東海岸も西海岸もはっきり見える。開陽台よりもすごい。しかし、風は強い。俺は思わず祈ってしまった。

 文さんと頂上でめしを食って、雲行きが怪しくなってきたので急いで下りることにしたが、途中から雨が降ってきた。やべえ。靴もズボンもすでにドロドロ。しかし、すぐ止んで青空。わけわからん。

 それからふもとに着いてさらにR309を通り、30分経つと、Waian Falls(8mの滝)があって、そこから5 分行くと、Kauri Greveに着いた。ここにはCoromandelで数少なくなったKauriの木があり、そのcanopyは非常におもしろい。木の上に烏の巣って感じだ。このKauriの木を切り倒して、昔の人は何に使ったんやろ。幹がまっすぐなので建築資材か。とにかく、ユニークな木だ。

R 309の途中で、Whitianga在中のおっちゃんと知り合って、

「Whitiangaに来たらうちにおいで。」

と言って、電話番号を教えてくれた。ええおっちゃんやん。

 さあ、帰ろう。そう思っているといきなり雨。ほんまNZの天気はわからん。おかげで俺らはびちょびちょ、ドロドロ。最後にやられた。

なんとか宿に帰って、俺らのドロドロになった姿を見た宿のおっちゃんがスープをくれ、

「これを飲んで温まりなさい。」

と一言。なんていい人なんや。神様のような人だ。このスープで俺らは生き返った。民宿をやっていた俺にとって、こういった気遣いは勉強になる。

 それから洗濯して、シャワーあびて、さあ、あとは寝るだけ。ほんまに今日は疲れた。明日はここを出よう。

 6月20日

 「まさしく楽園、Fletcher Bay」

 

 今日は快晴。Great.。4日間お世話になったこの宿ともお別れだ。ほんといいところだ。ここは人に薦められる。文さんともお別れだ。文さんとはまたAucklandで会うやろう。さあ、Colvilleへ向けてのヒッチハイク。しかし、車が少ない。これはやばいかな。

ヒッチハイクを開始して20分ぐらいして、小屋らしきものを運んでたおじいさんが止まってくれた。助手席にワン公。ドンの家のタイソンといい、TUI Lodgeのシバ、ナラといいNZの犬は人懐っこい。それにしても、今日はいい天気だ。

 このおじいさんにColvilleの町内で降ろしてもらったが、なんじゃここは。なんもない。町の中心は雑貨屋と喫茶店が1軒づつ。ほんとこれだけ。俺はまじでびびった。今日はこの町に泊まろうとしてたが予定変更。Fletcher bayに行くことにした。

 Colvilleの町を少し歩いていくと、道がダートになった。やばい、車が通らんのでは。案の定、車はおろか人もいない。Fletcher bayの近くまではここから29kmという道標を見つけ、俺は歩くことにした。

それから、10分ぐらい歩いていると、途中まで乗っけてやると言ってきたカップルがいたので乗っけてもらった。なんていい人だ。しかし、乗っけてもらったのはほんの少し。またそこから歩き始めた。

それにしても、何もない。人もいないし、家もない。俺は途中でやべえと思った。Colvilleに引き返した方が早いかなとも思った。しかし、神様は俺の味方だった。なんと、Fletcher bayに行ったはずのダニーとカリーを乗せた車が俺の横を通りすぎた。彼女たちは昨日Colvilleに泊まったみたいで、どうやら宿の人が送ってくれるらしい。当然、俺も乗せてもらった。まさしく奇跡だ。

途中で、俺は初めて野生のイルカを見た。結構かわいいものだ。それと、ダニーやカリーはだんだん美しくなってくる景色に感動していたが、まさしく礼文そのもの。俺はほんと懐かしい気持ちでいっぱいだ。

結局、車に乗って40分ぐらいかかったか。ようやくFletcher bayに着いた。車に乗らんかったらやばかった。あんな崖っぷちを歩くんはいやだ。

Fletcher bayはまさしく楽園。ダニーはheavenと表現してた。山の合間にぽつんとバックパッカーがあって、それ以外は何もなく、馬、羊、牛、豚と人間が共存している。山はアルプスのようだ。丘といった方がええかも。ほとんど木がなく、まさしく礼文だ。目の前の島は利尻から見た礼文にそっくり。とにかく、good view。桃源郷だ。

この近海では魚も豊富で、この宿の人は鯛を釣りまくっていた。それも、でかい。全長1m近くあるのもいた。それに、イセエビも。運のいいことに、鯛を釣った兄ちゃんが俺に鯛の切り身を分けてくれた。おお。俺は速攻さばいて刺身にした。醤油を持ってきてよかった。まさかこんなところで刺身が食えるとは。それも、鯛やで。うーん、うめぇ。これでわさびがあったら。宿の人は皆びっくりしてた。

ほんとここは楽園。来てよかった。夜には宿のオーナーがチキンを焼いて持ってきてくれ、その上ビールもくれた。なんていい人や。その後、火を囲んでいわゆるキャンプファイヤーみたいのもあった。

俺が一番びびったのは、そう星だ。むっちゃきれい。これはネパールのヒマラヤ並みだ。サザンクロスの中にあんな星があったんや。ミルキーウェイも見られる。これはずっと見ていてもいい。星がありすぎて、いつもは簡単に見つけられるサザンクロスがわかりにくい。まさしくプラネタリウムだ。ここは楽園。Bay of islandsよりもええ。探偵ナイトスクープの桂小枝のパラダイスにでてもええ。

 

6月21日

「一旦これでお別れやな」

  

 昨晩はまじで寒かった。今朝方あまりの寒さに目が覚めた。

 今朝も快晴。この2日間ほんといい天気だ。俺はもう一泊しょうかなとも思ったがなんせ人が来ないところなのでヒッチが難しく、たまたま昨日いっしょに泊まったAucklandの学生が、今日Aucklandに帰るというので乗せてもらうことにした。ダニーもカリー同じだ。

 午前中、もう一度ブラブラして、昼頃ここをでた。その前に、宿の人に金を払いにいったが、$12するところを、つりがないからと言って$10にしてくれた。なんていい人なんや。俺はまた夏に来ると約束した。

 さあ、またあのダートを帰る。ほんとにいい天気で、海がきれいだ。数日前までの雨が嘘みたいだ。

 やがて、舗装された道になりColvilleの町に入ると、な、な、なんと、一軒しかない喫茶店に、ジェイミーの車があるでは。ジェイミーの車は、うしろにScotlandの旗が張ってあるのでわかる。ジェイミーとリン以外にもマイクとマンディがいた。彼らはWhitiangaで待ち合わせて、昨日はまたCoromandelのTul Lodgeに泊まったらしい。

俺らはびっくりした。もう会われへんやろと思っていただけに。早速、俺はジェイミーにWorld Cupの結果を聞いたら、予想通り、日本はクロアチアに負けたみたいだ。う〜ん、残念。マイク、マンディ組は、この後Fletcher bayへ、ジェイミー、リン組は、Colvilleに残るらしい。ほんとにこのColvilleでみんなバラバラになる。とにかく、また会おう。

 俺らを乗せた車はCoromandelを過ぎ、R 25を少し行くと、またダート。それから30 分ぐらいして西側にでた。俺は車の中ではほとんどウトウトしてた。とにかく、ええ天気で眠気をそそる。

 やがて、町並みが見えてきてWhitiangaに入った。おいおい、都会やん。銀行はあるし、店もかなりある。映画館もあるやん。Aucklandの学生はHot water beachへ行ってAucklandに戻るようで、ダニーとカリーは彼らといっしょに今日中にAucklandに戻ることにし、俺はWhitiangaに残ることにした。ここで、ダニーとカリーとはお別れだ。カリーとはEden Park、ダニーとはAucklandで会おうと約束した。

 俺は、Colvilleでマイクとマンディに教えてもらったThe Cats Pajamasというbackpackerに向かった。人が2,3人しかいなく静かなところだ。ほんとにつくづく思うが、日本にもbackpackerがあればどんなにいいか。日本人の若者はもっと旅もするし、外国のtouristも増える。そうすると、もう少し日本も変わるのに。

 夕方のテレビのニュースで、数日前Aucklandの刑務所を脱走した囚人がCoromandel peninsulaに潜伏していて、どうやらこの周辺とのこと。明日ばったり道端で出会ったらどうしよう。

 6月22日

 「Peaceful place, Hahei」

 今朝も快晴。ほんまここ最近どうなってんや。今日はHot water beachへ行こうと決めていたが、WhitiangaからやとFerryで対岸に渡ってからも20qぐらいあるのと、low tideの2 時間ぐらいしかお湯がでないことを聞き、予定変更でHaheiへ向かった。

 Whitiangaから対岸まではFerryがあり、その距離はほんの100mほど。人が集まればFerryがでる。橋を作ったらええのに。

 俺は宿の人に対岸でもチャリを借りられると聞いたので、とりあえず対岸に渡って(往復$1.50)、チャリ屋を探したが見あたらん。あきらめて、Haheiまで歩くことにした。

 20qを歩くと言っても、up, downの繰り返しで、周りには何もない。町中を20q歩くのとは違って、ほんまにたるい。俺はCooks beachを過ぎたぐらいで、一台の車が近づいてきたのを見てヒッチをすると、すんなり乗せてくれた。ちょうどHaheiに行くおっちゃんで助かった。

 Haheiは人口200人の小さな町で、ここから歩いて1時間ぐらいのところにCathedral coveがある。要するに、岩の真ん中があいててトンネルになっている。砂浜も真っ白、海もすき通っていて、ほんまにpeacefulなところだ。この辺りの岩は白っぽい地質からできている。それとHahei beachは泣き砂だ。とにかく、天気もよくて気持ちがいい。

 帰りもヒッチを試みたが、なんしか車が通らんし人もいない。周りには牛と羊のみ。Haheiから5qぐらい歩いたところで、やっと車が近づいてきて乗せてもらった。Pick upしてくれたのは、また地元のおばちゃんだ。

 やがて、Ferry landingからWhitiangaに戻り、町中を少しブラブラしてた。Whitiangaは人口3,000人ぐらいで、Coromandel peninsulaでは都会の方だ。とにかく、静かでいい町。俺はCoromandelで知り合ったWhitianga在中のおじさん、Jeffを訪ねようと決めていたので、早速telして迎えに来てもらった。

 Jeffはtownから少し離れたところに住んでいて、3人の子供はもう結婚したかなんかで、奥さんと2人で住んでいる。Whitiangaはマオリが初めてNZに上陸した所の一つで、Jeffの家の周りには様々なマオリの遺跡というか、そのようなものがあって、ほんとにのどかなところだ。Coromandelで約束した通り、Jeffはコーヒーをご馳走してくれ、NZの本や写真を見せてくれた。ちなみに、文さんは昨日来たそうだ。Jeffは数年前にバヌアツに行ったみたいで、俺が今度行くと言うと、あそこはパラダイスだと言っていた。少し楽しみだ。Jeffの奥さんはshellで働いていて、

「PM8:00頃帰ってくるから、ゆっくりしていきな。」

と言ってくれたが、俺はまた明日来るからと言って帰ることにした。とにかく、今日は歩き疲れた。それにしても、星がきれいだ。

6月23日

「予定変更、Thamesに行こう」

 昨日はPM11:00ぐらいに寝た。かなり歩いたんで疲れていたんやろう。

 今朝、同じ部屋に泊まっていたのりさんに九スポ(九州スポーツ)をもらった。彼はここを出るようで、初めてヒッチハイクにトライしてThamesに行くそうだ。俺にヒッチのコツを教えてくれと言ってきたが、そんなのはない。とにかく、がんばって下さい。ちなみに、彼は長崎の人だ。

 さあ、俺も出発。ほんとここの宿のおばちゃんはいい人やった。なんでみんなこんなに親切なんやろう。

 俺はWhitiangaの町を出る前にJeffの家に寄った。Jeffの奥さんはkiwiでは珍しく人見知りする。とにかくJeffはいい人だ。俺が農学に興味があると言うと、色んなNZの本をもってきて、色んな植物や景色が見られるところを教えてくれた。Jeffにはバヌアツからair mailを書くと約束した。Jeff、ほんとありがとう。また会おう。

 さあ、ヒッチハイクだ。と言っても、とにかく車が通らん。まいった。とりあえず、一台getして空港近くまで乗っけてもらい、そこからは苦労した。結局30分ぐらい待って、親子連れが2つ先の町まで行くと言うので乗っけてもらい、そこからはすぐに一台の車がpick upしてくれた。この運ちゃんはAucklandに行くようで、俺は今日Taurangaに帰るのは止めてThamesに行くことにした。

 それにしても、警察がはりまくっている。どうやら、Aucklandの刑務所を脱出した連中がこの辺りに潜伏しているらしい。特に、Tairua周辺にはすごい報道陣だ。

 この運ちゃんは、途中オークランド方向に行くはずなのに、わざわざThamesの市内まで来てくれた。ええ人や。

 俺がThamesの長い商店街を歩いていると、なんと文さんに会った。彼女はHaheiから今日ここに着いたようで、後で聞くとのりさんも無事Thamesに着いて、他の宿にいるようだ。

俺はSunkist BPというところに泊まることにし、その後少しThamesの町をブラブラした。Thamesはなんしかでかい。Pak

n Saveもあるし、なんとKFCやマクドもある。

俺は思わずチーズバーガー2コセット($3.95)を食ってしまった。ここはshopping centerになっていて、こんなん見たんは久しぶりだ。それに、町の中心部の商店街はなんしか長い。1. 5qぐらいズラッと店が並んでいる。

 それから、宿に戻って文さんと再会した。文さんは明日Aucklandに向かうようなので、俺がAucklandに戻る時にTaurangaに置いてあるgolden kiwiを持っていってあげることにした。

 この宿にはもう1人日本人がいて、彼は茨城県高萩出身の俊君。高萩は東京時代の俺のテリトリーで、駅から少し行ったところにサティがある。そのことを俊君に言うとびびってた。そりゃびびるやろ。

 この2人と俺の3人で夜AM1:30ぐらいまでしゃべってた。久しぶりの日本人同士の会話で楽しかった。2人共これからもいい旅を。

6月24日

「久しぶりのTauranga」

 

 さあ、久々にTaurangaに戻る日。今朝は曇っていたので、早めにThamesを出ることにした。宿の人にヒッチハイクポイントまで送ってもらって、そこからのヒッチが苦労した。

 結局、40分ぐらい待ったか。その後のヒッチは順調で、車を6台乗り継いでようやくTaurangaの市内に着いた。久々のTauranga。懐かしいで、全く。それから、俺はDucks Nutsまで歩いて戻りジャッキーと再会した。知ってるメンバーは、デヴィだけで、20人ぐらい人がいたのにはびっくりだ。みんなpruningを待っている。驚いたことに、日本人が4人もいた。とにかく、メンバーがすっかり変わっている。

 早速、俺はgolden kiwiでジャムを作った。しかし、ほとんどがまだ固い。そのせいか、普段はもっと甘いはずやのに、これでは酸っぱすぎる。これは砂糖を入れなあかんが、そうなると果実本来の持っている味が失われてしまう。これは失敗したな。もっと、kiwi fruitに傷をつけとけばよかった。

 その後、ジャッキーといっしょにtownに行って、少し町を歩いて宿に戻った。とにかく、新しいメンバーばかりで心機一転って感じだ。夜はジャッキーに誘われて軽く飲みに行った。ほんまに軽くだ。とにかく、今日は疲れた。

 さあ、明日は久しぶりのAucklandだ。

6月25日

「おいおい、motor wayの真ん中やで」

 

 さあ、Aucklandに行く日が来た。しかし、朝から雨が降ったりやんだり。雨のヒッチは嫌だ。

AM11:30頃、ジャッキーにヒッチハイクポイントまで乗っけてもらって、ヒッチを始めた。ヒッチを開始して5分ぐらいで一台車がつかまって、その後もう一台乗り継いだがTe Punaまでしか来られなかった。それから、俺は車が止まりやすそうなところまで歩いていると、なんと一台の車が自ら止まってくれた。乗っていたのは80歳のじいさん。じいさんは、

 「こんなところを歩いていたら危ないよ。乗りなさい。」

と言ってきて、なんとAuckland近くまで行くとのこと。よし、ロングヒッチハイク成功。

 このじいさんはほんと親切で、景色のいいところを見せてあげると言って、裏道を通ってくれたり、昼めしをおごってくれた。それと、さすがに80年も生きてると話題が豊富で、自分の生い立ちを語り始めた。俺はまるで「フォレスト ガンプ」の中のバス停のベンチでトム ハンクスの横に座っていたおばちゃんのように、じいさんの話を聞いていた。

 このじいさんは途中のManukauで、

 「この辺りやったら、次のヒッチは楽だろう。」

と言って、わざわざMotor Wayの真ん中で降ろしてくれた。おいおい、Motor Wayやで。人は通らへんやん。それに、Auckland方向は右車線を走るので、絶対止まってくれへん。俺の横では車が猛スピードで通り過ぎるし。途中、一台のパトカーが俺に近づいて来て、俺は一瞬やべえと思った。しかし、なんと手を振って笑って行った。おいおい、仮にも警察やろう。善良な庶民が困っているのを見て、笑って逃げて行ってどうすんねん。俺をpick upせんかい。

 とりあえず、俺はmotor wayの出口まで行き、Manukauの町中まで歩いて行って、そこから再びmotor wayの入口を探してヒッチを試みた。すると、今度はNew Marketに行くというペンキ屋のおっちゃんに乗っけてもらった。おっちゃんはNew Marketで

少し仕事を済ませて、その後Queen St.まで乗っけてやると言ってくれたので、俺はおっちゃんの仕事が終わるまで車の中で待っていた。

 しばらくして、仕事を終えたおっちゃんが、

「急いでる?」

と聞いてきたので、俺が、

「No。」

と答えると、

「フェラーリの展示会に行こう。」

と言ってきて、俺らはフェラーリを見に行くことになった。全くどないなってんねん。

 フェラーリの後はQueen Stまで乗っけてもらって、そしてJTCで荷物の整理をした。それにしても、Aucklandは都会だ。CoromandelからTaurangaに帰った時は、Taurangaが都会に感じたが、Aucklandはそんなもんやない。それに、ここはもう俺の町じゃない。正直、Aucklandはもういいとまじで思った。

 やがて、少しtownをブラついた後、久しぶりにフラットへ向かった。2ヶ月ぶりだ。フラットにはNigelと純さんがいた。2人共前と変わってないが、フラットはかなり変わっていた。ソファは入っているし、下にキッチンはあるし。それと、今11人も住人がいる。なんじゃ、そりゃ。そんなに住めるんか。今日は、邦弘君のbirthdayで、この後マルガリータに飲みに行くと言うので、俺も参加することにした。久しぶりのAucklandのpubだ。

 マルガリータに着くと、邦弘君とそのクラスメートがすでにいた。まさき君も日本から帰ってきたようだ。今日は木曜日なので、$5.00で6杯ビールが飲める。当然、俺は速攻6杯飲んで、他の人のカードももらって計12杯飲んだ。それでも全然変わらんのが恐いところ。やばいで、これ。

 途中で、徳さん、理砂さんも来た。彼らは月曜日にAucklandを出て、Taurangaでfarm stayするらしい。おお、これはTaurangaで会えるな。和さんは、もう、Mt.Roskillは止めて、来週旅に出るとか。まあ、それぞれが自分のしたいことをするのはいいことだ。とにかく、Aucklandにずっといるのはよくない。特に、Aucklandで会う日本人はpowerがなさすぎる。特に、若者。お前ら、何しにNZに来たんや。もう、日本に帰ったら。

 途中、和さんと邦弘君が6杯飲み終えて、チェックされたカードを修正液で消そうとしていたのがばれたようで、俺らのテーブルにいた連中は強制的に帰らされた。俺はトイレに行っていて、なんのことかわからず店を出た。おい、おい、何やってんねん。結局、和さんにフラットまで送ってもらって、今日は寝ることにした。ああ、疲れた。

6月26日

「ウォルターとの再会 and oyster factory」

 

 ほんとAucklandの天気はわからん。今朝も雨が降ったり、止んだり。今朝は、少しバヌアツの情報を知ろうと思って、townにあるであろう大使館を訪ねようと思ったが、そう言えば場所知らんやん。そこで、本屋でロンプラを探したがロンプラも見つからん。そうこうしているうちに昼すぎになった。バヌアツ情報は又今度やな。

 今日は昼から、和さんとMt.Roskillで待ち合わせて、ウォルターと共に何人かでカキを食いに行こうということになっている。その前に、俺は以前よく行った$4.50でめしが食えるChinese restaurantで軽く食って、Mt.Roskillへ向かった。しばらくすると、和さんも来て、ウォルターと再会した。ウォルターは相変わらず元気で、俺がAucklandに帰ってきたのはAll Blacksのためだとすぐ見破った。さすがは先生だ。今のウォルターのクラスにはかなりの日本人がいる。びびった。俺の時は少なかったのに。

 隣のグレッグのクラスには恵子ちゃんがいた。彼女とも久しぶりやな。純さんはこの後まだ授業があったが、グレッグの許可が出て一緒にカキを食いに行くことになり、結局、俺、和さん、純さん、恵子ちゃん、ウォルター、それと純さんと同じクラスのスペイン人のラケール、和さんの友達の愛子ちゃんの7人で行くことになった。場所は、Coromandel peninsulaのつけねの方で、そこはウォルターがたまに行くカキ工場。途中で、俺はビールを買って、それと和さんが醤油と酢とレモンを用意してくれたので、これでばっちりだ。よし、ポン酢を作ろう。

 俺は今日の酒代は全部出そうと決めていた。まあ、ピッキングで少し稼いだからな。それに、みんなには日頃から世話になっているし。銭はまた稼げばいい。

 Aucklandを出て1時間半ぐらいでカキ工場に着いた。海沿いにある養殖場って感じか。値段は1ダース$6.50で、大きいやつになると$7.00。俺らはでかい方を買うことにして景色のいいbeachへ向かった。早速、和さんはポン酢を作り始め、テーブルの上をcoordinateして記念撮影。やっぱり、三脚は役に立つで。

 さあ、和さんのポン酢をカキにかけて食おう。う〜ん、うめえ。口の中でとろけそうだ。というのは、俺は酒のあてとしてキムチとカキ酢が一番好きなので、これはたまらん。背後には沈んでいく夕日。おお、久しぶりの石原裕次郎気分だ。みんなも大満足。純さんは授業を休んで来て良かったみたい。

 それから、ウォルターがこの辺りにNZで一番うまいfish & chips屋があると言うので、俺らはそこへ向かった。ここはさすがに人気があるのか人が並んでいる。こんなところがAucklandの近くにあったなんて。俺はここでもみんなの分のfish & chipsをおごってあげた。なんて俺は感じがいいんやろう。まあ、ウォルターには世話になったし、和さんにもよく車で送ってもらったし。そのお礼だ。銭はまた稼げばいい。要は気持ちだ。この場を作ってくれたウォルターと和さんに感謝、感謝。

 早速、ここのfishを食ってみるとまじでうまい。これはウォルターの言った通り。身も厚くてなかなかいける。昨日Aucklandに来てよかった。今日やったらここに来られへんかった。

 今晩、和さんがtownのとあるpartyに誘われていて、ウォルター以外のメンバーは和さんに付いて行くことにした。正直、俺は絶対くだらんpartyやと思っていたが、案の定最悪だ。入場料の$5.00を返してくれ。無駄な銭を使ってしまった。中には、日本人がほとんどで、渋谷をうろついているような連中がほとんど。俺は速攻でた。和さんたちもあまりのしょうもなさに後ででてきた。とにかく、くだらん。またもや、新庄を使い続けている阪神の首脳陣の心境だ。

 それから、恵子ちゃん、愛子ちゃん、ラケールは帰って、俺らは邦弘君たちがいるpubに行った。俺はてっきり飲み屋と思っていたら、カラオケボックスだ。最悪。NZに来てまでカラオケはいらん。日本でも嫌いやのに。まあ、折角やから軽く顔を出そうってことになってたが、その前に腹が減っていたのですぐ横のChinese restaurantでラーメンを食ったが、これがまたもや最悪。汁が水やん。全然ぬるいやん。俺はきれそうだ。

 そして、カラオケに戻ったが、もういるだけでもしんどい。ほんと周りにいる日本人は東京によくいる連中そのもの。ここは東京か。くだらん。窒息しそうだ。とにかく、カキ、fish& chipsの後は最悪。無駄な銭を使ってしまった。

6月27日

「All Blacks vs England, Ka mate, Ka mate----」

 

 2連ちゃんの飲みはさすがにきつい。今朝は眠い、眠い。さあ、文さんにgolden kiwiを持っていったろ。文さんとはCoromandelのTul Lodgeで最初に会って、さらにThamesでも再会し、そして数日前にAucklandに来てるはずだ。Mt.Edenから少しshop寄りのところにBPがあって、そこに泊まっているはず。早速、俺は訪ねた。

 BPに着くと、ちょうど文さんがラウンジにいて、どうやら俺が持って行ったgolden kiwiを楽しみにしていたようだ。文さんは3週間ぐらいオーペアをするそうで、その後はインドネシアに行く。

 俺はこのBPで、一度Taurangaで会ったバングラ人と日本人のカップルに偶然会って、バングラ人の方が俺を覚えていた。彼がWorld Cupで日本がまたもやジャマイカに負けたと教えてくれた。おいおい、3連敗かい。

 文さんとはこれから手紙でcontactを取ろうってことで、俺はフラットへ戻った。

 さあ、All Blacksのゲームだ。昼すぎに純さんと邦弘君とEden Parkへ向かった。さすがに、今年唯一のAucklandでのAll Blacksの試合というのですごい人だ。それと、NZにかなりのEnglishもいるためか、England supporterもかなりいる。俺らの席はこの前Bluesの試合を見たところより少し上がったところ。それにしても、冷えるな。

 さあ、試合開始前に恒例の“haka”。当然、生で見るのは始めてで俺は感動した。この日のために、何とかTaurangaでhakaを覚えた。俺の席からは声までは聞こえんかったが、これで満足だ。hakaの後はkick offで、前半は、14―10、All Blacksリードで折り返したが、Englandの方がおしてた。少しダラダラした展開だ。ハーフタイムに、俺はカリーがいる席に行くと、どうやら、スチュー、ダニー、マーティンも来ているらしい。カリーとはノーサイドの後ポールの前で会おうという話をした。

 やがて、後半が始まり、しばらくすると一方的なAll Blacksペース。しかし、いまいち迫力のないgameだったような。もう少し点の取り合いを期待してた。結果的に40―10でAll Blacksが勝った。さすがに、世界一のチームだ。レベルの高いgameを生で見られて俺は満足だ。来てよかった。これでNZに来た目的の1つが達成された。

 試合後はグランドに入られると思っていたが、どうやらあかんみたいだ。うそ〜。カリーといっしょにトライしている写真をとろうといっていたのに。俺はカリーに悪いことをした。カリーはもし中に入れなかったら、どこどこのgateに来てと言ってたが、俺はどこか忘れてしまった。とりあえず、俺は探してみたがカリーの姿は見あたらなかった。明日、カリーはオーストラリアに行く。申し訳ない、カリー。ほんとにごめん。

 試合が終わってフラットに帰ると、そう今日も飲みだ。ウォルターもここに来るらしく、それと真理子も来る。真理子とはe-mailでやりとりしているが、会うのはほんと久しぶりだ。さらに驚いたのは、フラットにオージーがいた。オージーは俺を見て喜んでくれた。実は、オージーは俺がAucklandを出る前にもう一度ブルコギをご馳走してやると言っていて、結局それができなかったのを覚えていて、今日わざわざブルコギを買ってきてくれた。変に気を遣わせてしまった。ありがとう、オージー。

 今晩もかなりビールを飲んだ。これで3連ちゃん。しかし、このメンバーで会うことはおそらく2度とないやろう。ウォルターもそう言って、俺に、

「とにかく、オークランドに戻って来たらTelしてくれ。」

と言ってた。ウォルターは俺にとっては先生というより友達だ。ほんとに俺のことを心配してくれていい先生だ。途中で、ざるうどんを食ったのには感動だ。うめえ。久しぶりに鰹のつゆにわさび。もう涙が出そう。

結局、AM2:30ぐらいまでみんなで楽しんで、やがてウォルターは真理子を送ってそのまま帰った。その後、俺、和さん、純さん、徳さん、理砂さんとAM4:30ぐらいまで話してた。まあ、もう30才近かったり、30才を越えたりしているので、それぞれ自分の考えを持って行動している。ただ、ここにいる人達は自分の意見を通しすぎているような気がする。正直、真面目な会話をするのはしんどい。というのは、会話が成り立たず、要するに人の意見云々よりも、自己を表現しようとしているだけのような気がする。うーん、人との付き合いってのは難しいね。とにかく、これからもお互い有意義な時間を過ごしましょう。