2月8日

「過酷なヒッチ&おばちゃんとのCatlins drive」

さあ、今日からまた北を目指してのヒッチが始まる。ただ、Goreを回ってDunedinを抜けてのヒッチはちょっと気が引ける。Goreまでは一度通った道なので。しかし、Catlins回りだとヒッチに問題がある。なんせ車が通らんからな。しかし、折角なのでCatlins回りをtryしてみよう。

Invercargillを出る前にFlight centerに寄った。Nauruに行く方法と予算を以前に調べてもらうように頼んでいたので、その結果を聞きに行った。結果は、俺の思った通り高い。NauruまでのAirはNZからはなくBrisbaneからで、そうなるとBrisbane−Nauru間がreturnで$975。ch-ch−Brisbaneがone wayで$474。まいったな。これから日本に帰る費用が加わるとなると$2000近くなる。これはちょっとつらい。うーん、ch-chに着くまでしばらく考えよう。

俺がCatlins方向のヒッチポイントまで歩いていくとすぐに、1人のおばちゃんが、

「どこまでいくの?」

と声をかけてくれた。どうやら、このおばちゃんは近くの鞄屋のオーナーで、俺がCatlinsに行ってまたInvercargillに帰ってくると思ったのか、今晩うちにおいでと言ってくれた。気持ちはうれしいが。このおばちゃんはCatrinsを知らんようで、俺をBluff方向に送ってしまった。おい、またStewartか。しかし、ほんまにいいおばちゃんで、

「ガソリンがなくなるまで送ってあける。」

と言って、Catlins方向のかなり町外れでdrop offしてくれた。ええおばちゃんやん。おばちゃん所で泊まってもよかったな。

町外れのCatlins方向。思った通り車は通らん。これはやばい。その上、今日は暑い。30℃近くあるやろう。もうここからは町に引き返せない。結局、1時間ぐらい待って隣町に行くというおっちゃんがpick upしてくれ、その次に乗せてくれたのが羊を取りに行くというトラックの兄ちゃん。ただ、このトラックが後々ポイントになってくる。トラックはとにかく揺れる。まるでトランポリンのようだ。この兄ちゃんの目的は羊を取りに行くこと。ということは、sheep farmに行くことになる。そう、俺が降ろされたのは思いっきり町外れのsheep farmだった。おいおい、どこやねんここは。俺の周りは家もないし人もいない。おるのは羊君たちのみ。まいった。おまけに車は通らんし。俺は考えた。このままここで待っていても埒があかん。よし、とにかく町まで歩こう。俺は30℃近い暑さの中、30kg近くある荷物を背負って歩き始めた。なんでまたトレッキングせなあかんねん。Stewartの再来か。Stewartでできた足の裏のまめがまだ痛い。それと、靴の中敷きがぼろぼろで、靴としての機能をなしていない。ああ、痛い。

それから、1時間以上歩いたか。その間に通った車は3台ほど。やっぱり、Catlins回りは失敗だったか。朝飯を食って以来、途中でビスケットを食っただけ。ああ、腹減った。それに、もうこれ以上歩く気力はない。俺は地面に座り込み、今日はここから動くんは止めようと思った。すると、1台の車が俺の前で停まった。この車の運ちゃんは、Englandのおばちゃんで、これからCatlinsを回ってAlexに行くという。おお、ラッキー。Catlinsの景色を見ながら北に行けるでは。ここまでがんばった甲斐があった。まだ神様は俺の見方だ。

おばちゃんはまずWaipapa Pointに向かった。岬に灯台があるきれいなところ。俺は疲れきっていて車で待っておこうと思ったら、

「あんたも行くのよ。」

と引っ張り出された。なかなか厳しいおばちゃんだ。Catlinsの海はなかなかgood。Stewartを見た今となってはそれほど感動はないが、きれいなのはきれい。海は青々としていて、beachはゴミが一つもない。おまけに、天気はいいからな。おばちゃんには申し訳ないが、車の中では俺は眠くて眠くて。今までの疲れと今日の疲れがたまってるんやろう。俺は途中から意識がなかった。

次に行ったのはMelean Falls。Catlinsにあるこういったview pointは車を駐車場に停めて、歩かんとあかんのは辛い。正直、俺は歩く気はなかった。この滝に行くのにも、往復で30分は歩かなあかん。全くまいるで。Melean Falls自体は、まあいわゆる滝ってとこか。俺はそれほど感動しなかった。

滝の後はCathedral Caves。ほんとはlow tide時に行って、Caveを歩くのがベストだが、残念ながら潮が満ちてくるところだった。しゃあないか。このCaveの近くで、俺はsea lionを見た。beachで居眠りしてるのか。俺は生のsea lionを見るのは初めてだ。結構でかく200kg近くあるんとちゃうか。泣き声はまさしくライオンのようだ。このsea lionがあまりにも動かないので、そばにいたドイツ人の女の子二人が、

「死んじゃうのかな。」

と心配そうにしゃがみこんでsea lionを見つめてた。俺は単に寝てるだけやろうと思って、おばちゃんと帰ろうとしてると、突然sea lionが起きて暴れ始めた。そうすると、今まで心配そうに見つめていた女の子二人もびっくりして逃げ出したが、この二人を追いかけるsea lionの光景が何ともおもろい事。まるでドリフのコントのようだった。

Caveの後はCannibal Bay。途中ガスがかかっていたbeachも、俺らが行く頃にはきれいに見えた。ほんとにきれいなbeachだ。Stewart、Catlindとbeachはほんと最高。こうやってここに来られたのもおばちゃんのおかげ。俺はNagget Pointにも行きたかったが、もうこの時点でPM7:00を過ぎていた。これはあかん。おばちゃんはAlexに行かなあかんし。しかし、おばちゃんは俺をDunedinまで送ると言い出した。それはあかん。気持ちはうれしいが、俺には十分すぎる。これで、俺をDunedinまで送ったら、おばちゃんがAlexに着くのは深夜になる。俺はおばちゃんにそう言って、Alex方面の交差点で降ろしてもらった。おばちゃんは心配そうにしていたが、俺はどうにでもなる。ありがとう、おばちゃん。

さあ、どうしよう。とりあえず、この先のMiltonまで行こうとヒッチすると、Dunedinまで行くというヒッピー二人がpick upしてくれた。なんと運のいいことだ。この二人は見た目は恐そうでぼろぼろの車。おまけに、車の中はビールの空瓶だらけ。ビールを飲みながら運転してて、俺にもスパイツをくれた。なんていい奴等なんや。人は見掛けによらんね。ほんとそう思う。

ヒッピー二人にオクタゴンで降ろしてもらった。久しぶりにDunedinに来た。まさか来ると思わんかった。Dunedinに来るとその後のヒッチが大変やからな。とにかく、今日は疲れきっていて、オクタゴンの近くのB.P.にstayし、宿にいた日本人の女の子とマクドへ向かった。もうマクドでもなんでもええ。腹が減って、減って。今日は色んなことがあったな。密度の濃い一日だった。

2月9日

「Dunedinと言えばSpeight’sやろう」

今日Dunedinを出てもいいが、疲れがたまってて少し辛い。それと、Dunedinと言えばそう「Speight’s」のbreweryがある。これは行っておきたい。そう思って今日出るのを止めにした。Speight’sの工場見学には$5.00かかる。見学内容はたいしたことなく、大麦がどうとか、醸造工程がどうとかおきまりのパターンだ。俺の目的はビールを飲むことしかない。ただ、今朝は何も食わずここに来て、これはあかんと思って途中で近くのtake awayにパンを買いに行った。食ったのはそれだけ。これはあかんやろ。思った通りすきっ腹にビールはくる。しかし、$5.00も払ってグラス1杯で元は取れん。俺はOLD DARKを飲み、計4杯。やっぱり、朝からビールはあかん。どうもすっきりせん。AM10:30からの見学はよくない。

宿に戻って少し昼寝し、breweryでいっしょやった京都工繊大の女の子にe-mail addressを作ってあげる約束をしていたので information centerに向かった。Dunedinは思った以上に日本人がいる。この前来た時以上に日本人がいる。俺はDunedinがどうも好きになれん。坂が多いし寒い。どうも暗いイメージがする。人は悪くない。町並も古い建物がいっぱいで悪くない。しかし、どうも好きにはなれん。これは相性ってやつか。

彼女にe-mail addressを作ってやった後は、靴屋に下敷きを買いに行った。これでちょっとはましになるやろう。新しい靴を買ってもいいが、このボロボロの靴で通したい。あともう2,3ヶ月がんばってくれ。

靴屋に行った後、俺はまたもやFlight centerに寄って、今度はキリバス、ツバルへの行き方を聞いてみると、案の定カウンターの人々はこれらの国のことを知らず、

「なんでそんなところに行こうと思ったの?もう、泳いで行くしかないんじゃない。」

と笑ってた。調べてくれた結果、Fiji経由で行くしかなく$1400ぐらいかかるとのこと。うーん、諦めるしかないのか。いや、ch-chまでまだ時間がある。がんばってみよう。

昨日から泊まっているこのBPはオクタゴンからこんなに近いのにすごく居心地がいい。ここは元々教会のホールやったみたいで、中は広々してて、kitchenもshowerもきれい。宿の人もいい人やし、人もそれ程いなく静かでいい。この宿には1人の日本人の女の人が泊まっていて、彼女は今フラットを探している。それと、もう1人日本人がch-chからやって来た。NZの旅先で会う日本人ってなんでこんな連中ばかりなんやろ。こういうことを言うと失礼だが輝きがないって言うか。みんなある程度の地位を捨てて、NZにやって来たはずなのにNZで行き詰まっている。話していてもパワーを感じないし、なんかこっちが情けなくなってくる。やりたいことがあればやればいい。どうこう考える前にやってみればいい。日本で世間のしがらみを押し切って仕事を辞めてこっちに来るっていうのはすごく勇気のいる行動。その決断をするっていうのは大変なこと。それに比べたら、NZでなにか行動に移すってのはたいしたことないと思う。ワーホリの日本人に一言。

「とにかく、時間はどんどん過ぎていきます。折角、ワーホリという日本人の特権を行使して来たのだから、後悔しないような1年を過ごして下さい。あと、人は人です。俺は伝説のヒッチハイカーでも、有名人でも何でもない。単なる一日本人。したいことをしてるだけ。ほんとそれ以外の何者でもない。だから、自分自身の一年間を納得するワーホリ生活を送って下さい。」

2月10日

「Moerakiでのtramping」

Dunedinはいつも通り雲っていて寒い。ほんとにどうも好きになれん町だ。Dunedinからch-ch方向へのヒッチは、なんと言ってもヒッチポイントまで歩くのがつらい。オクタゴンからかなり歩く上に、町外れから坂に登らなあかん。結局、重たい荷物を背負って俺は1時間近く歩いた。

ここからのヒッチは速攻だった。1分ぐらいだったか。乗せてくれたのはOamaruに行くというおばちゃんで、Moeraki boulderのレストランまで送ってくれたいいおばちゃん。とにかく、よくしゃべるおばちゃん。オタゴ大学の講師かなんかで、自分の専門のこと、2人いる息子のことなど、ほんまようしゃべってた。宮川花子みたいで、こういう時は俺の英語力が日本語並みやったらなあとつくづく感じる。

Moeraki のrestaurantでBPの人にpick upに来てもらい、BPに向かった。俺がch-chに帰る途中にMoerakiに寄ったのはこのlight house BPに泊まった客が行ける4時間のtrampingコースを歩くことと、Yellow eyed penguineにもう一度会うためだ。

「Oamaruでは小さくしか見えなかったペンギン君たちにまた会いたい。」

そう思ってここにやって来た。

今日はあいにくの曇り空。その上、windyでかなり冷える。PM4:30ぐらいにそのtrampingコースまでpick upしてくれると言うので、俺はテントを張ってあまりの疲れでそれまで寝てしまった。low tideの時間になり、俺は宿の人に連れられてtrampingに行くことにした。正直、足の裏がまだ痛むがそんなことは言ってられない。俺には時間がないからな。Trampingは海岸沿いを宿まで歩くコース。岩場の至る所でseal、sea lion君たちがお昼寝をしている。俺が近づくと当然彼らは逃げていく。俺はなんとか彼らの邪魔をせんとことするがあかんみたいだ。ほんと彼らには申し訳ない。コース自体はNWを歩いた俺にとっては何でもないコース。残念なのは、今日は天気がよくないことだ。所々boulderもあり、まずまずってコースだった。もうこれで俺も満足だ。

宿に戻ると近くのpenguine view hutに向かった。Oamaruの時よりも近くで彼らを見られたが、俺はどうしてももう少し近くで彼らの目を見たい。しかし彼らのプライバシーを侵したくないし。とにかく、かわいらしい。

この宿はまたまたヒット。宿の人もいい人やし、小ぢんまりしててきれいし。ただ、人が多いのはよくないが。燈台のすぐ近くにあり、波の音が間近に聞こえる。波の音を聞きながら寝られるのはなかなかgoodだが、風が強くて強くて。明日はもう1日ここでゆっくりしよう。そして、後はch-chだけだ。

2月11日

「ペンギン君たちと御対面」

今日も朝からどんより曇っている。こういった日はどうしたらええか迷う。しかし、今日はゆっくりすると決めていた。なにしろ体が疲れててどうしようもない。1日ゆっくりして足の裏のまめがよくなればいいが。朝起きてめし食ってまた寝て、昼すぎに起きたら快晴では。ただ、相変わらず風は強いが。俺はめしを食って洗濯し、ここにあるspaに入った。う〜ん、水は汚いが気持ちいい。潮風にあたりながらのspaはまさしく天国だ。俺はspaに浸かりながら今日ここに来た日本の学生と話してた。こういった時間も必要やな。

spaの後は燈台近辺を散歩してた。燈台から見るbeachはStewartに負けないぐらいきれいだ。遠浅の砂浜は波が何重にもなっててvery good。それに、天気がいいからな。燈台の横を過ぎてさらに進み、farmを越えて海岸の岩場近くに行くと、ペンギンが2匹寝ているでは。俺はてっきり置き物かなと思っていたが、俺に気づいて彼らが動き出した。おお、間違いなくYellow eyed penguineだ。それも、俺の間近にいる。おそらくペンギンの親子やろう。とにかく、かわいい。俺が1mぐらい近寄るまでは逃げようとしない。みんなが漁に行ってるというのにこの2匹は何してるんや。う〜ん、これで俺のMoerakiでの目的は終了。よし、明日ch-chへ向かおう。

宿に戻って、俺は卒論を提出して旅行に来てた学生にcookerを貸してあげた。それと、米の炊き方も教えてあげ、これで彼のtrampingはOKだ。3月に日本に戻って卒業式をむかえて、4月から新社会人の青年。がんばれ、新社会人。

2月12日

「なんで俺が有名になってるんやろう」

今日もええ天気だ。これは絶好のヒッチ日和りと思ったら、宿に泊まってたスイス人のカップルがch-chに行くというので、あっさり車をget。むっちゃついている。ここの宿はほんまにドイツ人とイスラエル人が多かった。なんでやろうと言われてもわからん。でも、nice hostel。ここは人に薦められるところだ。ここ最近B.Pに恵まれてる。全く運がいいね。

このスイス人はクリスとダニエラ。とても感じのいいカップルでch-chを抜けてOnukuに行ってその後ch-chで学校に行くらしい。始めにMoeraki bouldersに寄ってch-chへ向かったが、またこのクリスが飛ばすこと。片側2車線のところは右側しか走らん。平均速度140km/hぐらいか。正直、俺は恐ろしくなってきた。Timaruでめしを食って、それからはch-chに一直線。それにしても、相変わらずTimaru−ch-ch間はboringだ。この道はNZらしからぬ道。みんなが嫌がるのがよくわかる。

ch-chに着くと、俺は町の郊外で降ろしてもらってもよかったのだが、Onukuに向かう2人にとって買い物は大事やろう。と思って、俺はPak’n saveまでナビしてあげた。ほんとに感じのいい2人。またどこかで会いたいね。

ch-chに着いて、とりあえずJTCに手紙のチェック。思った通り色んな人から手紙が来てた。あと、東さんから、

「学さんの話はちょくちょく人から聞いたよ。」

とのこと。なんで俺はこんなに有名になったんやろ。Picking=俺という方程式が東さんの中にあるのか。

「ここにいる何人かがpickingしたいらしいけど。」

と東さんに言われ、また色々情報を与えてあげた。

JTCの後はYHA travelとFlight centerに向かった。そう、Nauru、キリバス、ツバル情報を得に。YHA travelの人は案の定国さえ知らない。とりあえず、月曜まで調べてもらうことになった。Flight centerに行くと、Auckland−Tuvalu間はreturnで$1400以上するとのこと。う〜ん、一度OZに行って考えるか。チケットの件は後回しにして、俺はe-mailのチェックに行くと数多くのe-mailが。やっぱり、2週間も見てへんとな。土、日でゆっくり返事書こう。

さあ、久々にFowley Towerに行こうとしたら、already fullとのこと。のり子ちゃんやリリアナに会って、別のBPに行ってみてもalready full。なんでや。4件目に行ったBPが他のBPを探してくれて、あるBPで1つだけbedがあるとのこと。もうここでええか。Fowleyから少し北のDream landってとこ。わざわざ宿の人がpick upに来てくれ、行ってみるとなかなかgood。小ぢんまりしてて、very cozy。とりあえず、ここに2泊するか。夜はもう一度Fowleyに戻って、リリアナ、のり子ちゃんといっしょにdinner。リリアナがめしを作ってくれて、俺がビールを買っていった。よう考えたら彼女たちとも今回のch-chでお別れやな。元気でがんばれとしか言いようがないけどな。ここでもまた俺が有名になってるよと2人に聞かされた。まいったな。なんでやのん。特に、Onukuに行った連中に有名とか。おかしい。Onukuに行ったことを知ってるのはBlenheimの連中だけやのに。どういう具合に有名になってるのか教えてほしい。

2月13日

「ch-chの仲間との再会」

今日は土曜日。Ticket agencyが休みなのは痛い。ただ、俺にはすることがたくさんある。まず、俺はFoleyに行ってe-mailを書いた。20通近く書いただろうか。e-mailを書く時はゆっくりと書きたい。そういった中、Foleyのリリアナたちexchangeしている人々の住んでいるフラットはbestのところ。今日はのり子ちゃんがday offで、俺が彼女たちのフラットでe-mailを打っていると昼めしを作ってくれたり、コーヒーを入れてくれたりした。Aucklandの俺の住み家があのフラットとしたら、ch-chではここが俺の戻るところかもしらん。とにかく、e-mailはゆっくりと時間をかけないと書けないぐらい大変なことだ。

その後squareの近くでe-mailを出し、informationacenterへ向かった。そう、Picton−Wellington間のフェリーをbookingするためだ。早い時期にbookingするとsuper saverが効いてかなり安くなり、俺は19日のAM5:30にsuper saverが効いてbookingできた。値段は$23。

それにしても、ch-chは日本人が多すぎる。特に、tourで来たおばちゃん連中。やっぱり、大阪のおばちゃんは世界最強かも。みやげ物屋のレジでNZに大阪弁で話しかけたり、横断歩道をGmen’75のように横に並んで渡っている。もう、おばちゃんたちを見ていると何も言えない。これは長生きするわとしか俺は言えん。

俺はNZを出るに当たって、どうしてもAll BlacksかSuper 12のラガーシャツがほしい。ただ、問題は値段だ。Super 12やNPCのジャージはほとんどdiscountがなく$135前後する。All Blacksもそうだが、あるカンタベリーの店で$118というのを見つけた。う〜ん、これにするか。色々みやげ屋を見て回ったがここが一番安い。

それからForkyのフラットに戻ると、なんと祐子さんが戻ってきてた。祐子さんは今Onukuでexchangeしているはずだが、今晩Foleyの子のbirthday partyがあるというので戻ってきた。祐子さんは俺がここにいることを知らんかったようでびっくりしてた。当然、俺らは今晩ここで飲むことになった。

その前に、俺は一旦BPに戻って、少しゆっくりしようとしていたら、このBPに3週間もの間stayしている和香子さんというとんでもない図々しいねえちゃんと話すことになった。とにかく、図々しいったらありゃしない。彼女は6ヶ月もの間Wellingtonにstayしてて、ch-chに来て少しBlenheimにでも行ってpickingして帰ろうと思ってたらしいが、俺が

「折角、NZにまで来たんやから旅したら。」

と自分の旅のことなどを話すと、すっかりその気になって、紙とペンを俺に渡し彼女の日程を考慮して俺にスケジュールを考えろと言い出した。それも、どこの町ではどこのBPがいいかとか、sight seeing spotとかも書けと。感じのいい俺は、俺の豊富な情報量を使って彼女のビザが切れるまでの日程をすべて考えてあげ、やっと終わったと思うと、今度は計算機を持ってきて、予算も計算しろとのこと。これには感じのいいさすがの俺も頭に来た。28にもなっててめえのことぐらいてめえでやれ、ドアホ。

このBPにもう1人ヒロさんという日本人がいて、彼が横浜の二俣川出身ときいて、東大の植栄の野口さんも二俣川出身なのを思い出して、野口さんのことを聞いてみると、なんと野口さんとヒロさんは中2の時同じクラスだったらしい。なんと偶然な。俺が野口さんの近況を伝えてあげると、

「彼はそんなに偉くなったの。昔からかしこかったからな。」

と感心してた。ほんまに人のつながりってもんはわからんもんやな。

この2人とBPで色んな話をしてて、気づいたらAM0:30をまわっていた。やばい、飲む約束してんのに。俺がFoleyのフラットに急いで向かうと、祐子さんたちもほんの少し前に帰ってきたばかりらしい。よかった、よかった。祐子さんとまた会えると思ってなかったのでうれしかったし、それ以上にリリアナは大喜び。のり子ちゃん、リリアナは毎晩寂しかったようで、

「祐子も学もいつまでもここにいてよ。」

とリリアナは言ってくれた。うれしいけど、俺には時間がないからな。う〜ん、やっぱり帰るところがあるってのはいいね。

2月14日

「史上最強のワーホリとの出会い&カジノデビュー」

2日間いたこのDream Land BPを出て、Foley Towerに向かった。このBPはなかなかgoodだった。とにかく、cozy。それにチャリがFreeで借りられるのもgood。正直、今回ここにずっとstayしてもいいかなと思ったが、少しゆっくりe-mailを書きたかったのでやっぱりFoleyに行くことにした。Foleyに泊まってへんのにフラットに行ってばかりなのは申し訳ないし。リリアナたちはBPに泊まらんとフラットにずっといてもいいよと言ってくれるが、それは俺にはできん。結局、色々考えたあげくFoleyに戻った。

Foleyにcheck-inしてフラットに行くと、祐子さんから、

「学君、子呼呂さん来たよ。」

と言ってきた。子呼呂さんのことは和さん、徳さん、理砂さん、さらに色んな人から噂では聞いていた。理砂さんは“史上最強のワーホリ”と子呼呂さんのことを言ってたぐらいだ。俺も一度は会ってみたかっただけに実際に会えてほんとよかった。髪は茶色で少し小太り。子呼呂さんも、

「学のことは色んな人から聞いていたから会えてうれしいよ。」

と言ってくれた。

子呼呂さんはAucklandに10ヶ月もの間滞在し、昼間は寝て夜に行動を開始する。

「ちょっと仕事してくるわ。」

そうカジノにだ。とにかく、大のカジノ好き。話を聞くともうプロ並み、10ヶ月もの間ほぼ毎日のようにカジノに通い続け、それでいて負けていないのが彼のすごいところ。彼がするのはブラックジャック。ブラックジャックに関しては彼なりのセオリーを持っていて、そのセオリーを聞くと俺はあまりのブラックジャックの奥深さに感心した。子呼呂さんにブラックジャックを習った悪友和さんは子呼呂さん曰く、

「出来の悪い生徒」

らしい。競馬にすべてをかけている俺としてはカジノには全く興味がなかったが、今晩子呼呂さんといっしょにカジノに行くことになった。まあ何事も経験。よし、$30ぐらい使ってみよう。

カジノに行く前に、俺、祐子さん、子呼呂さんともうこの3人がそろうことはないやろうということで、リリアナがみんなでタイ料理を食いに行こうと提案した。それに今日はバレンタインということもあって。そして、俺らはsquareの近くのタイ料理屋に向かった。久しぶりのタイ料理はいい。グリーンカレーやトムヤンクンを食うとタイに行きたくなる。子呼呂さんはギャンブラー以外に大の料理好き。また、その腕のすごいこと。料理好きの子呼呂さんは色々スパイスを調べてた。

さあ、カジノって思っていると、カジノに行く途中でFranzで会って、KaikauraからBlenheimまで乗せてくれた椀田夫妻に会った。NZは再会が多いから旅はやめられん。

ch-chのカジノはジーパンはだめで、俺は宿でマサくんにスラックスを借りた(ちなみにマサ君とはBlenheimで出会い、Alex、そしてch-chと再会した)。いざ入ってみると、思ってた以上に落ち着いた雰囲気だった。俺はもっとWINSみたいにうるさいんかなと思っていた。子呼呂さんにもう一度レクチャーをうけて、とりあえずブラックジャックテーブルを回って見学してた。Minは$5.00からで、テーブルによってはmin$10.00ってのもある。ディーラーは16以下ではカードを引かないといけなく、17以上はその時点でストップ。ブラックジャックは配当が1.5倍。ディーラー、客の人数、レベルによってゲームの流れが変わるなんとも奥深い勝負。見ているだけでおもしろい。子呼呂さんぐらいのプロになると、ビギナーとは同じテーブルに座らないらしい。カードの流れを乱されるからだ。ディーラーの手持ちが3〜6の時、一番弱いケースで、こういった時は自分のカードが12以上になるとその時点でストップするらしい。とにかく、彼は負けないセオリーを知っている。なんともすごい人だ。俺は最初祐子さんと簡単なルーレットをしてた。まあ、このルーレットは遊び程度に。Free soft drinkのアイスチョコレートを飲みながら$10ほど使った。こんなもんやろ。

俺はあまり今日は大勝負する気はなかったが、手持ちにあと$20あったので、これで帰るまでブラックジャックにtryした。始めはディーラーと俺のさしの勝負。浮いたり沈んだり、ほんとにゲームには流れがあると身にしみて感じた。途中から4,5人加わり、そうすると一気に空気が変わった。う〜ん、子呼呂さんの言う通りbetする側の人の質、数がゲームをかなり左右する。う〜ん、なんておもしろいゲームなんだ。俺はすっかりブラックジャックにはまった。俺がbetする銭はpickingで苦労して稼いだ銭だけに、betするときは気合いが入る。よし、これはAucklandに戻ってカジノへ行こう。

カジノに来る客のほとんどはtouristやろ。客層を見ていると高級ホテルに泊まっている金持ちの連中が多い。あとは子呼呂さんのような常連さん。さすがに、3,4日の海外旅行でこっちに遊びに来てる連中は銭のかけ方もすごい。一気に$500、$1000とか。まあ、そういった人は大体負けている。結局、俺は$20負け、あとに$2.5のチップのみ残った。こんなの残ってもしゃあない。祐子さんに換金したらと言われ、$2.50チップを持ってcasherに行くと、おばちゃんも笑ってた。まあ何事も経験だ。俺はその銭でここのカジノで使ったトランプを買って帰った($2.0)。宿に戻ると祐子さんとブラックジャックの練習。トランプを2セット用意し、交代でディーラーをし、結局AM4:00ぐらいまでやってた。なんと奥深いゲームなのか。俺はAucklandでrevengeを誓った。

2月15日

「マジシャン vs ギャンブラー」

結局、子呼呂さんは$330勝ったらしい。俺らが帰った時点では$800近く負けていたのを巻き返したようだ。今度彼からブラックジャックの美学を学びたいものだ。

今日、俺はチケットをなんとかしないと。このままでは埒があかん。朝、YHA travelに言ってこの前の答えを聞くと、ツバルへはFiji経由でチケットがあるらしいがcostは$2400。これは俺には無理だ。とにかく、情報がほとんど得られない。う〜ん、諦めるか。ナウルがAS$であることを知った今となっては一度OZに飛ぶか。ここで考えていてもしゃあない。ただ、もし可能なら俺のマレーシア航空のチケットをなんとか活用したい。そこで、俺はだめもとで再度マレーシア航空にtryしてみたが、ch-chにそのofficeはなく、AucklandのofficeにtelするとAnsettというところに言ってほしいとのこと。Square近くにそのAnsettというのがあり、俺はそこを訪ねると、カウンターのおばちゃんではよくわからんから明日また来てと言われた。とにかく、やるだけやってみよう。

昼すぎ、宿に戻ると子呼呂さんとマジシャンがクイズ対決をしてた。マジシャン斉藤とはBlenheimのmotor campでいっしょになり、ch-chでまた再会したが、彼はいんちきな手品を披露する以外に、自信の泊まったBPはもちろんのこと、他のBPにも行ってそこのVBにくだらんコメントを書く。これがまたしょうもないが、たまに笑ってしまった時には、俺は自己嫌悪に陥る。とにかく、彼の知名度はNZ No.1であることは間違いない。おそらく旅をしているワーホリの中で彼を知らん人はいないと思う。そのいかさま手品師マジシャンが子呼呂さんの出したクイズに悪戦苦闘していた。いつもとは逆のパターンだ。マジシャンのカードマジックよりも、何千通りものカードのパターンがinputされている子呼呂さんの頭脳の方が数倍上のような気がする。子呼呂さんは今日1日だけOnukuへ向かった。祐子さんもOnukuに帰っていった。祐子さんとはまた日本で会いたいね。とにかく、元気で。また会おう。

それからも、俺はチケットを求めて色々動き回ってた。俺の頭の中ではほぼ一旦Sydneyへ行こうと決めていた。ただ、OZに行くにはreturn ticketがいる。それが俺にはネックでそうなると、OZ−Japanも買わなあかん。俺はできればOZ−Nauru−Micronesia−Osakaと行きたいので、そうするとOZ out、Nauru(or Kiribati、Turalu)inのチケットが必要になってくる。つまり、パターンとしては、

  1. Auckland−Sydney out−Nauru in→Japan
  2. Auckland−Sydney−Auckland(return)→Japan(Malasia Air)
  3. Auckland−Sydney−Japan

で、できればこのパターン3だけはselectしたくないが、俺にはこのパターン3でのchoiceしかない。う〜ん、まいったな、これは。とにかく、また明日tryしよう。俺は気持ちを切り替えて宿に戻った。

ch-chに来てから、俺はいっさいめしを作っていない。いつもリリアナが作ってくれている。リリアナは祐子さんがOnukuに行ってから、毎晩のり子ちゃんと2人なのが寂しかったのか、俺が来たその日から毎食のように俺にめしを作ってくれ、俺らはいっしょに食っている。俺はこれでは申し訳ないと思ってビールを買ってきたりしていたが、今日は米5kgを買って帰った。やっぱり、人が作ってくれるめしはうまいね。自分の祖国インドネシアが大変になっていて、今世界中でインドネシア人が入国できる国がほとんどない中、彼女はここでがんばっている。その彼女のwork visa applyも失敗に終わり、彼女は7月にNZを出国しないといけない。しかし、彼女には祖国以外に行き先はない。そんな状態にもかかわらず、俺や子呼呂さんが来ると大喜びし、俺らによくしてくれる。リリアナはほんとに気持ちのやさしい人だ。ただ、俺は7月以降の彼女が心配だ。

2月16日

「チケット問題が終止符」

今日こそチケットを取らねば。とりあえず、俺はAnsettに向かい、マレーシア航空のチケットを渡した。AucklandのofficeにFaxするためだ。おそらく望みはうすい。以前聞いた時ははっきりだめと言われたので。返事はofficeに尋ねてからということで午後からまた来てくれと言われた。

俺はその返事を待つまでAucklandに送り返す荷物を準備してた。悩んだあげくAll blacksのラガーシャツを$117で買い、それも送ることにした。All blacksのスポンサーであるカンタベリーが来年度からアディダスに代わるというのはほんとだった。All blacksと言えばカンタベリーやろう。ショックだ。

NZにほぼ1年もいているとなんやかんや荷物が増えてくる。服やら写真やら。JTC ch-ch支店に置かせてもらってた荷物だけで7kg近くになった。これはやばい。Aucklandにはスーツケースがある。送るのに一体いくらかかるんやろう。

JTC ch-ch支店の東さんにはほんと世話になった。ほんとに親切で面倒見のいい人だ。はっきり言って、Aucklandのスタッフとはえらい違い。JTCとは何のための組織かという根本的な意味をちゃんと理解している。AucklandのスタッフはJTCを仕事として見ているだけ。だから、評判が悪いのは当然だ。ほんとに東さんには感謝、感謝。いつまでもそのままの東さんでいて下さい。

それから、再びAnsettへ。やはり結果はNO。しゃあない、新しいチケットを買おう。俺は色々考慮したあげくSTA travelでAuckland−Sydney−Osakaのfix ticketを買うことにした。ひょっとしてOZのSTAでSydney−Osakaの間をNauru経由にできるかもしらん。やってみんとわからんが。とにかく、わずかな期待にかけてみよう。ちなみに、チケット代は$1260、13th March−out。やるだけやってみよう。

これでch-chでの仕事は済んだ。あとは北に戻るだけだ。宿に戻ると、子呼呂さんもOnukuから帰ってきてて、俺は子呼呂さんに明日途中まで車に乗せてもらう予定だった。しかし、リリアナがどうしてももう1日いてと言って聞かない。彼女の気持ちはわかる。ただ、俺はすでに19日のAM5:30のフェリーをbookingしてしまった。仮に明後日の18日にch-chを出ると、もしその日にPicton着けないとフェリーはおじゃんになる。以前、ch-ch−Blenheim間のヒッチに失敗しているし、できれば2日の余裕をみておきたい。う〜ん、どうしよう。バスっていう手もあるが、ここまできたらバスに頼りたくない。リリアナやのり子ちゃんの気持ちはうれしいが。俺は悩みに悩んだあげくバクチにでた。よし、もう1泊してあげよう。あとは運にまかせて。このことを2人に伝えると大喜びで、早速リリアナは俺らにdinnerを作ってくれた。子呼呂さんももう1泊するようやし。

今晩、子呼呂流ブラックジャックのlectureをうけることになった。とにかく、ブラックジャックは頭の使うゲーム。スポーツと言ってもいいかもしらん。基本的なルールや色んなパターンを想定して、それに対する対応。う〜ん、何とも奥深いゲームだ。絶対、Aucklandに戻ったらカジノへ行こう。これはギャンブルというよりか算数と言った方がいいかも。1つの学問と考えることにしよう。子呼呂さんはトランプを使ったマジックも持ちネタとして持っている。今日俺は改めて思ったのが、こういったトランプを使ったマジックはつかみに使える。特に、バヌアツのようなところでは絶対にいい。言葉のいらない万国共通の遊び。年齢層も関係ない。よし、俺も持ちネタを増やそう。

2月17日

「Lincoln Univ訪問&ヒロユキ・タカヤマ」

ch-chにもう1泊するとなると俺にはもう1つしたいことが。それは、Lincoln Univ.を訪れることだ。以前Palmerston NthでMassy Univ.を訪れたが、そことLincoln Univ.は農業分野で有名なところ。ただ、正直に言うとMassy Univ.に行った時に俺が希望としていたlab.はなかったので、今回も同じやろうと思って行こうとは思わなかった。だから、まあ時間ができたからっていう軽い気持ちで訪れた。

Squareからbusで45分ぐらいでLincoln Univ.に着いた。NZの大学はAuckland、Massy、Otago、そしてLincolnと訪ねたが、どこもすごく居心地がいい。というのは感じが北大に似ていて、つまり芝生があって、Flatで広く(Aucklandは少し違うが)、いるだけで落ち着く。学生たちが芝生で読書してたり、だらっとしてたり、芝生があるってのは俺がイメージする大学に必須だ。そういう意味ではNZの大学は大学らしい。俺はまずregestrationに行って農学部のofficeを尋ねた。すると、受付のおばちゃんは俺の答えに困ってたようで、というのはここは農学部単位というよりは学科単位に分けられているようで、俺の言った“農業”という言葉を“farm”と判断したみたいで、俺に教えてくれたのは畜産学科のofficeだった。その畜産のofficeのおばちゃんに俺は「“Plant”を探している。」

と伝えると、おばちゃんは、

「“Plant”にも色々あり、とにかく向こうのbuildingに行ってくれ。」

とのこと。結局、俺はofficeを4度訪ね、やっと俺が探していた学科にたどり着いた。それにしても、Massyといい、ここといい、なんでこんなに受付の人は俺に親切なんやろう。アポなしで突然来た見知らぬ人に、すごく丁寧に接してくれる。日本の大学のofficeはどちらかと言うと機械的でYes、Noの返事はするが、‘I don’t know’に関してはそれだけで終わってしまうが、こっちの大学は違う。う〜ん、こういうところは日本の大学も見習ってほしいもんだ。俺が最終的に訪れたlab.もMassy同様どちらかと言うと育種系。Horiticltureには興味ない。どうも、こっちの大学にはPlant Nutrition、Plant Physiologyはないようだ。彼らが投稿しているJournalも育種系がほとんど。各lab.の前に掲示してあるポスターを見ても、俺の興味を引くようなものはない。1つのポスターにRT-PCRを使った実験系の確立みたいなのもあったが、cDNA量の違ったサンプルをPCRし、そしてそのcDNA量がプラトーになっていないということが言えるというデータがほしかった。う〜ん、思った通り俺が望んでいた分野はない。ただ、受付のおばちゃんは親切で数年前のannual reviewをくれたり、今度アポ取って教授と話す時間を作ってあげようと行ってくれた。この行為には頭があがらない。

それから、俺はsquareに戻った。俺がもう1日ch-chに残ったのはリリアナに頼まれたからで、彼女が俺と子呼呂さんにもう1日残ってくれと言った目的は、俺らともう1日いっしょにいたい以外にもう1つ理由があった。それは、ひろみさんという人に俺を会わせたいからだ。

ひろみさんは和さん、子呼呂さんとはAuckland時代からの友人で、今朝までOnukuにいて、ch-chに戻ってきた。当然、俺はひろみさんのことは知らないが、ひろみさんはやたら俺のことを知っている。というのは、和さんから俺のことを色々聞いているからだ。子呼呂さんが2日前にOnukuに行った時に俺が今日ch-chを出ることを伝えてあるので、ひろみさんは俺が今日ch-chにいることを知らないはず。当然、俺らはひろみさんが俺の顔を知らんと思っており、そこでリリアナは俺に“ヒロユキ タカヤマ”と名乗って彼女をだまそうということを計画した。ヒロユキ タカヤマ、30歳、北海道出身。1週間前にNZに来たという設定。この計画以外に、料理人子呼呂さんが、

「よし、学のために今晩カレーとブルコギを作ってやる。」

と言ってくれた。子呼呂さんのブルコギとカレーは有名で、ブルコギは本場のKoreanから習った料理で、カレーはインド人から習った水とルーは使わず、トマトとワインで水気をだす本場のカレー。子呼呂さんの腕はプロ顔負けで、車のトランクの3分の1は調味料。とにかく、料理のスペシャリスト。

晩めしの時がきた。この場にいるリリアナ、のり子ちゃん、子呼呂さんそしてもう2人いた日本人には俺が今日だけヒロユキであることを伝えてある。俺もあんまりしゃべらんとこうと色々ヒロユキのイメージを考えていた。実際、ひろみさんがやって来て、みんなが俺のことをヒロユキと呼び、設定した通りのヒロユキでうまく行っていると思っていたが、途中でもう1人あき子という女がやって来て、

「ヒロユキって誰。学さんやん。」

と言ってしまった。それも4度も。俺らは何度も何度も訂正し、何とかごまかそうとしたがひろみさんは色々探ってくる。

「北海道なのに何で大阪弁なの。」

「なんで1週間前にNZに来たばかりなのにそんなに詳しいの。」

「なんでコンピューターのことそんなに知ってんの。」

などなど。辛かった。俺はあまりの辛さにめしの間ずっと黙ってて、もくもくと食ってた。人を演じるってのはしんどい。俺自身もヒロユキ タカヤマを知らんから。俺には役者は無理やな。最終的に、俺が学であることをリリアナがばらしたが、ひろみさんは始めからわかってたらしい。和さん、徳・理砂さんから俺の写真を何枚も見ていて、逆に俺がヒロユキと名乗って誰かをだましていると思っていたようだ。それならそうと言ってくれ。折角のめしが。楽しく食おうと思ったのに。

子呼呂さんのブルコギ、カレーはもう最高。ブルコギはコチジャンがかなり効いているし、カレーはまさにルーでは出せない味。ほんとインドで食ったカレーのようで、富良野の「独尊」のカレーに似ている。この辛さにはビールも進んだ。

さあ、色々あったch-chもこれでfinish。明日こそ出よう。

2月18日

「予想もしなかった展開」

ch-chを出る時が来た。リリアナは俺と子呼呂さんにマフィンを焼いてくれた。子呼呂さんは当初の予定ではWest CoastからTakaka、Golden Bayに行く予定だったが、日程的に無理と判断し、俺とPictonに行くことになった。まあ、結果的に俺としてはうれしい。できれば、ch-ch−Picton間はヒッチしたくなかった。というのは、12月にBlenheimに行く時に一度失敗しているからだ。

Foley tower BPにはほんとお世話になった。特に、リリアナには色々助けてもらった。俺がch-chにいるこの1週間、毎日のようにめしを作ってくれた。彼女はみんなでめしを食ったり、大勢の人といるのがすごく好きな人。今朝も俺らに3つづつマフィンを作ってくれた。俺らが出ていくのが寂しそう。とにかく、元気で。これからはe-mailで連絡を取り合おう。

子呼呂さんと俺はch-chを出る前にsquareにあるCathedralに向かった。子呼呂さんはch-chに計1ヶ月ぐらいいたが、カジノに行く以外はほとんど何もしてない。俺も言われてみれば、ch-chではいつも忙しすぎて何もしてない。そこで、ch-chに来た記念にCathedralでも写真に撮ろうということになった。

今日はまさしくドライブ日和り。車も比較的少ないし。途中のKaikouraでリリアナが作ってくれたマフィンでも食おうということになり、beachで休むことにした。海を見ながら食うマフィン。う〜ん、うまい。俺らは思った以上に長く休憩し、それがまたまたおもろいことにつながった。

俺らがKaikouraから出て、しばらくすると1人のヒッチハイカーがいた。あれ、どっかで見たような。ああ、敏君や。Tauranga、Alexでいっしょやった敏君。ライダーのはずの彼がヒッチしてた。全くびっくりだ。敏君はch-chでバイクを売って、今朝ch-chを出て今日はBlenheimに向かうと言う。40分ぐらいここで車を待っていたようで、俺らがbeachでゆっくりしてなかったら会っていない。ほんと偶然で、俺と敏君は知り合い、俺と子呼呂さんは知り合いだが、敏君と子呼呂さんは初対面で、俺らの共通の友人は和さん。敏君は和さんと旅先で何度か会っており、Alexで俺といっしょに再会している。ほんと人のつながりってのはわからんもんで、これはNZならではだ。

それから、しばらくしてBlenheimに入った。俺が12月に20日ほどいたところ。俺としてはあまり好きではない町。敏君はmotor campにstayするつもりだったが、俺はふとフラットのことを思い出し、Chinese restaurantにいるオーナーを訪ねることにした。俺がBlenheimにいる時にフラットのブローカーをしていたこともあり、オーナーはフラットを売りにだしてたから、ひょっとしたらもう売れたかなと心配だったが、いざオーナーを訪ねてみると、2月24日から新しく入る人が決まったけど、2,3日ならいいよとのこと。それも、庭掃除してくれたらタダとのこと。おお、ラッキー。敏君も大喜びで、俺らはフラットに行くことにした。

久しぶりのフラット。ゆかちゃん、えみちゃんを俺が紹介し、のりえさんも入った。ここで俺のbirthday partyもした。懐かしのフラット。前にいた時と全く同じで、俺はブローカーとして、敏君、子呼呂さんに色々案内した。そして、オーナーはいつものようにチキンを2匹もくれた。またもやチキン。まさかまたくれるとは。そうなると料理人子呼呂さんの出番。料理人が選んだメニューは、チキンのごま油野菜炒めとチキンのトマト煮。その上、オーナーの奥さんはごはんもくれた。なんていい人たちなんだ。そして、俺らはめしの材料を買いに行き、ビールを買い込んで料理人の仕事を待っていた。う〜ん、さすがは子呼呂さん。全く同じチキンが全く違った味になって帰ってきた。まさかこんな展開になるとは思わんかった。俺は今晩Ferry terminalで野宿、子呼呂さんはPicton stayのつもりだったのに。旅っていうのはわからんもんだ。

ここのフラットのメリットは何と言ってもバスタブがあること。俺はバスタブにお湯を貯め、俺らは順番に湯船につかった。久しぶりのバスタブ。やっぱり、日本人はフロやね。これはいいわ。南のあかをすべてきれいに洗い流して北に行ける。

子呼呂さんは、

「学、風呂に浸かって決めた。俺ここにもう1泊するわ。」

とのこと。なんと優雅な時間なのだ。俺らがch-chにもう1泊したこと、敏君をpick upしたこと、さとし君がBlenheimにstayすると言ったことの偶然がこういう展開になった。まさか俺もこのフラットに戻ると思わんかった。う〜ん、今日の展開にはさすがの俺もびっくりだ。

2月19日

「久しぶりの北&過酷なヒッチ」

結局、俺らは寝ずに飲み続け、俺と子呼呂さんはPictonに向かった。子呼呂さんは俺をPictonに送ってしばらく寝て、Picton周辺を車で回ってフラットに戻る予定で、俺はそのままAM5:30のフェリーで北へ向かう。敏君とはここでお別れで、AM4:00に子呼呂さんとPictonに向かった。子呼呂さんにもすごく世話になった。噂だけ聞いていた人と会えて、それでいていっしょに旅もできた。和さん、子呼呂さんと俺がいっしょに会って旅してたら、どんなにおもろかった。みんなで一度日本で会いたいね。子呼呂さんとはSydneyで会うかもしらん。とにかく、ありがとう子呼呂さん。

さあ、約4ヶ月ぶりの北。南では色んなことがありすぎて、北に戻るのはほんと数年ぶりって感じだ。当然、フェリーの中で俺は熟睡。ch-chでは寝るのは毎日AM4:00頃、起きるのがAM9:00前という過酷な生活を送っていただけに疲れがたまっていた。その上、Blenheimでは徹夜とくれば眠たくないわけはないやろう。船が動いたのもわからないまま、俺は寝てしまった。

AM9:00頃久しぶりにWellingtonに着いた。ああ、眠い。しかし、俺にはヒッチが待っている。正直、バスでHastingsに向かおうかなと思った。この眠さじゃヒッチの車の中で寝てしまうし、Wellingtonに着いたら雨が降り出したし。何と言っても俺には時間がない。しかし、以前Palmerston Nth.からWellingtonに来る時に大雨のためバスに乗ってしまった。俺はそのrevengeを果たしたかった。そこで、俺は雨が止むまで待つことにした。

結局、AM10:30すぎヒッチ開始。ただ、Wellingtonを出るヒッチポイントはよくわからん。それに、俺はWellington自体よくわかってない。とりあえず、北に向かいそうなヒッチポイントを探してそこに立つことにし、すぐに2,3台停まってくれたがどの車もHastings方向には行かないと。俺は少し疑問に思って次に停まってくれた車を運転していたねえちゃんに詳しく聞いたら、この道を通る人は北の方には行かないらしい。ちょうどmotor wayへの裏道になるようで、駅に戻った方がいいとのこと。俺はねえちゃんに言われた通り駅に戻ろうとしたが、何が徒歩10分じゃ。20分以上かかったやんけ。その上、駅前の通りは路肩が狭く、車が止まれるスペースがない。俺は怒りの極地。もう一度、ferry terminalに戻って、その少し手前にやっとヒッチポイントらしきところを見つけた。この時でもうすでにPM1:00。これはやばい。今日中にHastingsは無理か。

ここのヒッチポイントに立って20分ぐらいして少し先の町まで行くというおっちゃんがpick upしてくれた。ほんとはMotor Way 2で行きたかったが、おっちゃんが言うにはMotor Way 1の方がbetterらしい。俺はおっちゃんの言うことを信じて次にタダで乗したると言ってくれたshuttle busのおっちゃん、ドラマではいつもオチ役が似合いそうなおっちゃん、そして義足のおねえちゃんと少し待ったりもしたが、阪神が勝つ時の継投のようにPalmersten Nthまで来た。よし、revengeは果たした。しかし、この時点でもうPM4:00を過ぎている。ここからHastingsまではまだ150km近くある。

ここからのヒッチが苦労した。とにかく、車が通らん。もうこれはあかんと俺は思ってた。最悪少し先の町でテントを張ろう。そう思ってると、1台の車が停まってくれ、その車はHastingsの手前まで行くとのこと。おお、ラッキー。俺をpick upしてくれたのは72歳のおじいちゃんで、このじいさんがまた飛ばす。じいさんは45年前にオランダから移住してきた元軍人で、自分の歴史を色々語ってくれ、じいさんはChineseとJapaneseのtouristが一番好きらしい。というのは、我々は争いごとを起こさないからだそうだ。なかなかおもしろいじいさんだった。そして、Hastingsの手前でもう1台ヒッチして、PM7:00ぐらいに無事Hastingsに着いた。なんとかここまで来られた。

俺は以前泊まったBPの前にdrop offしてもらったが、案の定BPはpickerでfullだった。まあ、こんなもんやろうと思っていたが、ここのオーナーのジョンは俺を覚えていてキャンプ場まで送ってくれた。ジョン曰く、1週間だけのpickingはほぼ不可能で、もし仕事をするなら最低1ヶ月はいるらしい。やっぱり、そうか。俺は諦めようかなとも思ったがここまで来たらな。俺はキャンプ場に移って、色々考えたあげくTonyに電話することにした。Tonyはpickingの時のボスで、Tonyの家にテントを張らせてもらって、1週間だけpickingさしてくれと言うと、

「No problem.」

と快く歓迎してくれた。やっぱり、知り合いは作っておくもんやな。ああ、疲れた。今日はもう寝よう。

2月20日

「えっ、カボチャやて」

昨晩、約1週間ぶりにtentで寝た。ここのキャンプ場の芝はvery bad。ペグを刺す前にわかった。しかし、俺は非常に疲れていたのでPM9:00前に眠ってしまい、6時間以上寝ると床ずれする俺は何度か目を覚ましながら、AM9:00まで寝た。久しぶりやね、ゆっくり寝たんわ。

Tonyのところに行くことになって、朝起きてすぐに行ってもよかったが、ここのキャンプ場には2日分払ったし、何と言っても俺にはしなければならないことが。そう日記を書かねば。色んなことがあったこの3日間の日記がたまっている。ch-chにいる時は忙しくてかけなくて、2,3日おきに夕方バーガーキングに行って書いてた。バーガーキングは日記を書くにはgoodなところで、それはsoft drinkおかわり自由だからだ。俺はHastingsの町中にも当然あるものと思っていたが、道を歩いていたねえちゃんに聞くと来月できるらしい。なに〜。そうなるとマクドしかないか。俺はこのねえちゃんにマクドの場所を聞き、3日分の日記を3時間ぐらいかけて書いた。Pickingが始まるとおそらく俺は禁酒する。まあ、1週間だけやしな。そう思って俺はマクドの後、酒屋でビールを2本買い、キャンプ場に戻った。

TonyのいるHavelock Nth.に向けてヒッチハイク。距離的にはHastingsから3〜4kmってところ。俺がヒッチをしながら歩いていると、アジア人らしき車が停まった。車には3人乗ってて、俺はてっきりKoreanかなと思ったらなんと日本人だった。全くびっくりだ。そのうちの1人はHavelock Nth.でhouse keeperをしているらしく、その女の子と運転していた青年は来月から南に行くとのこと。俺はヒッチのお代えしに南情報を教えて上げることにし、今週中に一度会うことにした。

それから、久しぶりにTonyと再会した。Tonyの家にはインド人、ネパール人がたくさんいた。Koreanのおやじのチャールズもいた。明日からpickingやぞと思ったら、なに〜。Tonyが今やってるpickingはappleじゃなくてsquash(カボチャ)らしい。なんか話がうますぎると思った。俺ははっきりapple pickingがしたいと電話で言ったのに。俺はなんとかTonyに1日だけでもappleをさしてくれと頼んだ。そうすると、Tonyは、

「よし、お前のために何とかしてやろう。その代わりそれまではsquashやぞ。」

と言ってた。まあpickingには変わりないが、野菜はしんどいからな。なんでNZを出る直前でまた苦労せなあかんねん。その上、明日だけはonion pickingらしい。う〜ん、断って、pickingをあきらめて旅を続けてもよかったが、ここまで来たらな。よし、1週間がんばってみよう。それ以上は絶対やらんぞ。

ここでネパール人のビーノとも再会した。彼とはBlenheimのmotor campでいっしょやった。やっぱり、Tonyがインド人だけあって周りはインド人、ネパール人ばっかりかも。まあええか。とにかくjust 1。

Tonyは俺に家の中で寝たらと言ってくれた。チャールズの部屋のベッドが1つあまっている。庭でテントを張ってもいいが、犬がうろうろしているからと言ってくれ、俺はその言葉に甘えることにした。俺は銭を払おうとしたら、

「儲かったらくれ。もし、儲からんかったらええ。」

とのこと。それじゃTonyに申し訳ないな。とにかく、1週間後に俺がどうなっているかだ。

2月21日

「超豪華なお宅訪問」

昨晩、激しい雨が降った。今日はonion pickingのはずが朝からみんなゆっくりしている。俺はpickingするつもりで用意していたが、Tonyは

「今日はday off。仕事に行ってもいいが、今日は止めとけ。」

と言ってきた。なに〜。仕事さしてくれ。ビーノたちネパール人は続々とTonyの家に集まってきて、彼らは仕事に行くみたい。

「学も行くか?」

とビーノに言われたがday offと言われた後なので気持ちの切り替えができてない。とにかく、今日はday off。

day offになるとすることがない。Tonyを始め周りのインド人連中はインド映画のビデオを見てる。またいつも通り役者は途中で踊り出すし。もう俺にはインド映画はええ。それにしてもおもろいもんだ。インド人のところにはインド人が集まる。どこからそんな情報が入るのか。俺ら日本人が日本人同士集まるのと同じことか。他の国の人々も同じなんやろ。スペイン人はスペイン人同士、フィリピン人はフィリピン人同士固まるんやろな。う〜ん、おもろい。

俺はこのday offを利用して、昨日Hastingsから乗っけてくれた日本人のうちの1人でHavelock Nth.でhouse keeperをやってる由紀を訪ねることにした。ですぎた真似かもしらんが、pick upしてくれたお礼にこれから回るという南情報を教えてあげることにした。由紀のstayしてる家は超豪邸。俺はまずその庭を見てびびった。こんな広い庭のBPは見たことないで。何個テントを張れるのか。家の中もすごい広さ。これはhouse keeperがいるわ。運良く由紀は今日day offで、洗濯とアイロンがけのみ。めしはいつもここの奥さんが作っているみたいで、俺は昼めしを頂いた。でかい庭で食うチキン。う〜ん、うまい。しかし、ここの四姉妹のちびっ子が俺にじゃれてくる。しゃあないから俺も少しつきあってやると、ちびっ子はますますエスカレートしてこの広い庭で追いかけっこすることになった。まいったな。まさしくお母さんといっしょ状態。

それから家の内に入り、俺はこのちびっ子に子呼呂さんから教えてもらった手品を披露すると、このちびっ子は調子乗ってきた。しまった、ちびっ子は調子乗らしたらあかん。ほんまちびっ子のパワーにはまいるわ。やっと由紀に本業の南旅情報を教えてあげる時が来て、その8割近く教え終わった時点でここの奥さんが帰ってきて、この家のプリンターを直してほしいとのこと。おいおい、どないなってんねん、全く。わしは今日ここに何しに来たんや。まだ、プリンターを直している時もここのちびっ子どもが邪魔しやがる。俺はなんとか直してやろうと必死だったが、途中で説明書を見せてもらって、おそらくカラーカートリッジがないために動かないのではという結論に達した。どうやらここのちびっ子がなくなったと思って捨ててしまったらしい。ここの旦那さんは新しいのを買ってみると俺に言ってきた。ああ、疲れた。一体、俺は何しにここに来たんや。なんでいつもこんな展開になるんやろ。それにしても、ここの家で由紀はFreeでe-mailを使ってるらしい。おお、これはgood。今度使わせてもらおう。

2月22日

「squash picking」

さあ、仕事と思って朝起きて待っているとまたもやみんな行く気配なし。おやっ、と思ってTonyに聞いてみるとPM1:00からとのこと。そういうことはもっと早く言ってくれ。Tonyは相変わらず昔のまま。やっぱり、俺はインド人が好きになれん。仕事の時間までどうしようかと考えていると、ここに俺と同じように居候しているインド人の1人のリンカーが俺に向かって、

「come.」

と言うので、その仲間といっしょに元々リンカーが住んでいるHastingsの彼らのフラットに行った。このフラットではインド人3人がshareしているらしいが、やっぱり集まるところには集まるんやな。ちゃんとインド人societyができている。このフラットでもそうやったが、このところインドの音楽ばっかり聞いている。ここはNZちゃうんか。なんでやねん、全く。俺はここでチャパティとカレーを御馳走になった。それと、チャイ。俺はカレーとごはんの食い方は極めたつもりやったが、チャパティとカレーは素人だった。1人のインド人が俺に食い方を教えてくれ、よしこれでチャパティとカレーの食い方もばっちりだ。久しぶりのチャイはうまいね。ただ、マサラが入ってなかったのは残念だ。

やがて、仕事の時間が来た。俺が向かったfarmはHavelock Nth.から南に車で30分下ったところで、そこにはTony組の面々がそろっていて、なんと10人のインド人、5人のネパール人、そして俺というメンバーだった。うあ〜、インド人だらけや。その中でネパール人のビーノがいるのは助かった。彼とはBlenheimでいっしょやったので、色々俺に教えてくれる。ネパール人たちは俺にすごくkindで、笑顔で色々話しかけてくれるが、インド人の視線は冷たい。うあ〜、ここはどこや。インドか、と俺は何度も思った。彼らはヒンドゥー語で会話する。俺には何言ってるかわからんし、なんと言っても視線が冷たい。それに比べて、ネパール人たちのやさしいこと。やっぱり、俺はインド人が嫌いだ。

squash farmはすごい規模だ。見渡す限りのsquash farm。そのfarmを一台のトラックがゆっくり動いていき、このトラックの左右にコンベアーがあり、そこに俺らはsquashを投げていく。ちょうどこのトラックは飛行機のようになっており、コンベアで運ばれたsquashが後ろのbinに入れられるというsystemだ。$15/bin。いいfarmに当たると$200/day近くいくようで、うまくいけばappleよりも儲かる。だから、ビーノはappleをやらんとsquash pickingをしている。ただ、この仕事はむっちゃ辛いようで、ほとんどのtouristはやらん。だから、1人のネパリが言っていたのは、squash pickingをしたのは日本人で俺だけかも、と。

今日は少し涼しかったからまだよかったが、仕事の時は長袖を着ないと、squashのvineの棘が腕に刺さりまくって、その痛がゆさはたまらんようだ。俺が今持ってる長そでは黒のジャージの上しかない。これはまいったな。いざ仕事が始まると、まず色のselectionが非常に難しい。greenはだめで濃いgreenはOK。ただ、その見分けはvineが少し枯れてるかどうかで決める。俺らが採ったsquashもトラックの上でqualityの悪いものは容赦なく捨てられる。なんとまあ残酷な。足でvineをかき分け、qualityのいいのをはさみでcutし、それをコンベアに投げていく。これが一連の流れだが思った以上に辛い。今日は仕事を始めて1時間ぐらいで機械の故障で中止になったが、普段はAM6:00startで、だいたいPM6:00finish。これは辛いわ。

仕事が早く終わったので、俺は由紀のいる大屋敷にe-mailのcheckをさせてもらいに行った。思った通り20通近くきてた。由紀と会う以上にここに来るとインド人が周りにいないのがホッとする。どうにかならんもんか。

2月23日

「殴ったろか、インド人&picking 初日、仕事ができる」

昨晩、Tonyに今日の仕事のことを聞くと、

「お前にはsquash pickingはhardすぎて無理だ。」

と言ってきた。俺は、このおっちゃん何を言ってんねやろうと思った。現場にも来てへんくせに。俺はTonyに何が言いたいのかはっきりさせると、どうやら何人かのインド人が俺といっしょに働きたくないようで、Tonyに仕事中俺が辛くて何度もしゃがんでたと嘘をついて、俺を辞めさせようとしている。俺は始めに聞いたのに。

「pickingのプロだらけの中に素人の俺が入っていいのか。」

って。そしたら、Tonyは、

「No problem. そんなことは心配するな。」

と言ったはずだ。squash pickingはteamでgetした銭を頭数で割る。だから、素人の俺が入ると取り分が減るとインド人は思ったようだ。ほんまに頭に来るインド人。昨日ビーノが言ってた。

「学、仕事をする時は俺らネパリのそばに来い。インド人は自分の銭のことしか頭にないから、人に仕事を教えようとしない。」

そしたら、俺はこの後どうしたらええんや。そのことをTonyに言うと、

「近くのapple farmを回ってみろ。たぶん仕事が見つかる。」

とのこと。早くそのことを言え。もっと早くそうしてたわ。ほんまにインド人は自分のことしか考えてへん。身勝手な奴らばっかりだ。俺はもうここを出ようと思った。しかし、どうしてもapple pickingをしてみたいし、それに、もうここを出て1から始めてる時間が俺にはない。う〜ん、悔しいがここまで来たらもう少しがまんするか。俺はこの家のガレージにあるチャリをTonyに貸してもらうことにした。

そして今朝。俺は昨日の約束通りチャリを借りようと奥さんにそのことを言うと、どうやらこのチャリは奥さんの姪のチャリで貸せないとのこと。俺はもうこの時点でぶち切れ、呆れて物も言えなくなった。またもやあばれはっちゃくのおやじの心境だ。もうこうなったら自分の足で動いてやる。人に頼った俺が悪かった。そう思ってここから一番近いorchardに歩いて行って、そこのボスにお願いした。そうすると、ここのボスに俺の熱意が通じたのか、

「いいよ。いつまででもいいよ。」

とたった5日しかできないpickingをOKしてくれた。俺はこの時どんなにうれしかったか。pickingができる、それもpickingの王様のapple picking。今までの嫌な経緯があったから余計にうれしい。ああ、俺は生まれて初めて阪神を首になってオリックスに拾ってもらった岡田の気持ちが分かった。

ということで、ピッキング初日。ここのorchardはkiwi fruitの時みたいに、contractorが人を連れてやってくる時もあるらしいが、常時毎年ここでpickingしているいわばプロのpickerのおっちゃんとおばちゃん、それにトラクターのdriverがいる。3人ともすごくいい人で、俺が行った時はちょうどAM10:00の休憩時間で、ボスも交えてみんなでcoffeeを飲むところだった。俺はpickingができるだけで銭のことはもうボスに任せようと思ってた。ボスがhourlyというならそれでいいと思った。正直に言うと、ナウルに行くために少しでもプラスになればと思ってpickingをしたかったのもあるが。

俺は昨日のsquashを入れて5種類のpickingをやったことになるが、俺が追求するpickingは仕事が速くて、qualityのいいのだけ採ることだ。数多くbinを採っても、qualityが悪ければ俺の美学に反するし、自分自身で納得いかない。pickingを始める前にボスに色々selectionについて注意され、少しいっしょに付いてもらったが、このorchardの要求するqualityはhigh levelと言っていいだろう。ほとんどのappleを輸出するとあってqualityは大重視で、qualityにこだわってる俺としては腕の見せ所。ここのorchardには1binに対して何回かそのqualityをcheckに来るおばちゃんがいて、ランダムに何個かappleを抽出し、そこからqualityのいいのだけを%を使って表し、この検査を何回か行い、その%のaverageを1bin当たりの値段に乗じる。だから、qualityが悪いともらえる額も減るわけだ。う〜ん、厳しい。俺は今までのpickingの経験上、qualityの良さには自信があったが、その自信は速攻おばちゃんによって砕かれた。俺の基準のhigh qualityを遙かに越えるlevelの高さ。少しの傷でもおばちゃんは容赦なく捨てる。う〜ん、pickingを極めたい俺としてはもってこいかも。しかし、このおばちゃんは厳しすぎるで。

はしごを使ってのpickingはもう慣れたもんだ。特に、苦とも思わない。binが大きすぎるのがneckと言えばneckだが、俺はpickingができるうれしさでどんなことも苦にならない。AM10:00とPM3:00にみんなで休憩し、coffeeを飲む。俺の理想とするpickingのstyleで、Taurangaのkiwi fruitを思い出す。何と言っても、周りにはEnglishを話す人ばかりで、やっとヒンドゥーの世界から逃れたことへの喜び。もっと早く仕事ができていたらな。結局、今日は2bin弱。これが他のorchardでは4binはいってると思う。それだけ地面に落としたappleが多く、qualityを重視している。

家に戻るとまたインド人の世界。ほんまにインド人共は勝手だ。kitchenは自ら汚してきれいにせんし、テレビや電気はつけっぱなしで寝るし。

「ああ、普通の生活に戻りたい。」

懐かしのキャンディーズの蘭ちゃんの心境だ。

2月24日

「picking 2日目、超一流のpicker」

ピッキング2日目。今朝、むっちゃ腹立つことがあった。というのは、この宿のドーベルマンが俺が寝ている間にガレージに置いてあった俺の靴をか噛みちぎりやがった。俺の思い出がいっぱい詰まってるあの靴を。数日前には俺のお気に入りの小結サンダルを。あのやろう。Tonyは夜になるとこの犬を野放しにする。こいつのおかげで痛い目にあってる連中が多い。チャールズやここにいるネパリもその被害にあってる。むかつくで、全く。

今朝はAM7:00スタート。昨日から与えられているrowはどうもよくない。まあ、どのrowにあたるかは運だが。ただ、row以上にここのorchardではqualityのcheckの方が厳しい。いいrowに当たってもqualityがいいとは限らん。いいrowは単に実が赤くなってるだけ。とにかく、ここのorchardの要求するpickingはhigh levelだ。

今日は7〜8人加わった。何人加わろうが俺には関係ない。速い人は速いが問題はquality。ここで数年も働いているベテランのDavidでさえも100%のqualityは不可能で、averageで大体90%。ただ、今日の2bin目では98%という驚異的な記録を出した。俺が目指しているのは超一流のpickerだが、俺の今日のaverageのqualityは85%。中には92%というのもあったが、Davidには全く及ばん。結局、俺は3bin採って85%で、Davidは4bin採って90%。すごい。やっぱり、プロは違う。checkに来るおばちゃんやボスは俺のことをほめてくれたが、俺は全くうれしない。悔しい。ちなみに、1bin当たり$32もらえるが、90%以上のqualityなら$32、85%になると$30になる。俺の目標はあくまでも超一流のpicker。銭以上に1日4bin、quality90%以上を目指す。この目標がclearできればどこのorchard、どのpickingでもやっていけるだろう。

仕事が終わって家に戻ってもよかったが、戻ってもインド人の世界。俺はおみやげにappleを持って由紀のいる屋敷へ向かった。ここに来るとホッとする。家族みんないい人やし、ちびっ子たちも俺になついてる。今日はなんかしらんがここのちびっ子に算数を教えることになった。ただ、ちびっ子は調子乗らすと怖い。俺のかばんからカメラを取りだし、何枚か撮りやがった。全く、ちびっ子は限度を知らんからな。由紀もちびっ子には苦労しているらしい。

家に戻るとまたもやインド人世界。今日はTonyのところで働いているタイ人たちがTonyに助けを求めに来てた。どうやら、彼らのvisaが切れて、逃げ場所を探しているらしい。Tonyも奥さんも色々あの手この手を助言してたが、法に反することはよくない。ただ、それ以上にアジア諸国では職がない切実な問題がある。おそらく日本の就職難とは比べものにならんやろう。こういう時って、正直どうしたらいいんやろう。不法滞在しても今後のことを考えると逆に本人によくないしな。かと言って祖国に帰って銭のほしさに罪を犯すのも本人によくないし。う〜ん、難しい。

 

 

2月25日

「picking 3日目、目標とする超一流」

ピッキング3日目。昨晩、この家の離れに住んでる2人のネパリのおっちゃんと話してた。彼らとはprunigでいっしょなので顔なじみやったが、ゆっくり話したのは初めてだ。そのうちの1人は元々ネパールではベニーに住んでいて、ベニーと言えば俺がトレッキングの時に通り過ぎた町。びっくりだ。こんな地元の話ができるなんて。彼らはwork visaを取ってNZに来てもう2年経つ。まあ、俺もネパールのことはよく知っているのでいわゆる出稼ぎだ。俺がまずびびったことは、work visaがよく取れたということだ。普通は無理のはず。彼らが1日に稼ぐ額はネパールでは1ヶ月分はOKやろ。2人は自分たちで稼いだ銭をネパールにいる家族に仕送りしている。それと、週に一度は必ず家族に電話してその声を聞くのが楽しみとか。う〜ん、泣けてくるね。その彼らのvisaもあと1年で切れてネパールに戻らなあかん。もう少しこっちにいたいんかなと思って聞いてみると、祖国に1日でも早く帰って家族に会いたいらしい。ええ話やな。

pickingも残り3日。俺の目標はあくまでも超一流のpicker。ここのorchardにTommyという南アフリカから来ているとんでもないあほな野郎がいる。顔はジミー大西とタイソンをたして2で割ったような感じで、見るからに悪人って感じ。Tommyはとにかく銭のことばかりにこだわってる。いつも銭の話しかせん。ボスのモーリスもDavidやおばちゃん、トラクターのおっちゃんもあきれて物が言えんって感じだ。銭にこだわりまくって、世の中銭onlyとしか考えられへん奴って周りで見ていてもあわれだ。彼の将来は真っ暗やろ。

このorchardにマオリ系の人が5〜6人いる。俺はてっきりNZマオリと思っていたら、なんとCook Islandの連中だった。だから独自の言語を使ってたんや。でも、顔はマオリと同じで、間違いなくマオリの人々はCook Islandのあるポリネシア出身やろ。彼らはとにかく陽気でいい雰囲気だ。

俺はそのCook Is.の中の1人に、

「お前なんでりんごをbinに入れへんの。」

と言われ、気づいてみると俺のrowの下には他の人のrowに比べて2倍ぐらいの量のappleが落ちている。俺としてはselectionした結果、こうなるんはしゃあないと思っていたが、それにしても多い。無駄に多く採りすぎたってことは、それだけいらん労力を使ってることになる。それでいて、みんなと同じかそれ以上のappleを採っているわけやから、俺のpower、pickingの速さはかなりのもんやろ。しかし、このいらん労力を減らさんとな。う〜ん、新たな課題。今日は4bin。と言っても、昨日中の半bin採ってたから3bin半か。始めの2binのqualityは90%、92%とよかったが、あとの2binはどうやろう。まだ結果はわからん。いずれにせよ、1日4binというのはこの時期、このorchardでは至難の技だ。その上quality90%以上となると。俺の目標とするDavidは今日は3binでそのうち2binは98%のquality。まさしく彼こそ超一流と言っていいやろう。

 

2月26日

「picking 4日目、qualityが平均して90%を超えた」

ピッキング4日目。やっぱり、4日目になると疲れもたまってくる。俺の場合、特に足がだるい。朝、quality checkに来るおばちゃんに昨日の結果を聞いてみると、俺は平均して90%を超えた。正確に言えば3bin半でquality90%だが。ただ、4bin中1binだけ88%というのがあった。あくまでも俺の目標はすべてのbinが90%以上のquality。う〜ん、超一流になるにはかなり厳しいで。

俺のpickingのスピードはかなりのもんやろ。今日はトラクターのおっちゃんが、

「学、もう終わったの。すげえな。」

とびびってた。彼らからしてみると俺を素人と思っていて、4〜5日しかしないのでまあそれなりのpickerとしか見てなかったようだ。おばちゃんも、

「今週で終わるなんて、そんなこと言わないで。」

と俺のpickingを認めてくれた。とにかく、モーリス、ディビット、おっちゃん、おばちゃんのこの4人はすごくいい人。見るからにいい人ってのがわかる。正直、俺ももう2ヶ月はしたいが、時間には勝てへんしな。

午後からはモーリスの家にあるorchardに移った。品種も違って、今度のは実がでかいため貯まるのが早く、3hrで2bin貯まった。ただ、俺が一つ気になっているのはモーリスが教えてくれた基準とおばちゃんの基準が違う。おばちゃんのcheckでは絶対outと言われるようなのをモーリスはOKやと言う。こういうのは正直困る。checkするのはおばちゃんでもしこれでqualityが下がったらショックだ。というのは、意図的にqualityが悪いのを採ってるのではなく、半信半疑になりながら入れているからだ。まあ、あとは運か。ただ、実がでかいだけに基準を少し下げてもいいような気がするが。結局、今日は4bin。俺が1日に目標とする数をクリア。あとはおばちゃんの採点待ち。とにかく、今日は暑かった。

夕方、由紀のいる大屋敷に少し寄って、俺は今晩ビーノたちのフラットに行くことになっていたので、俺は宿に戻ってビーノを待った。しかし、ビーノは来なかった。彼は裏切るような奴ではないはず。単に忘れていたのか。

2月27日

「picking 最終日、pickingの王様」

ピッキング最終日。5日間の短かったpickingのfinal dayが来た。朝、Davidにpick upしてもらってモーリスの家のorchardに向かった。とにかく、今日は暑い。風があるだけにまだましやったが、またこの風の強いこと。時々はしごの先端で吹き飛ばされそうになった。

AM10:00の休憩の時にモーリスの奥さんがケーキを焼いてくれた。おお、俺がイメージしていたpickingだ。Taurangaでkiwi fruit pickingをしていた時にドンの奥さんがよくケーキを作って俺らにくれた。その時といっしょや。仕事をする時はちゃんとやって、休む時はみんなで休む。俺がpickingを楽しいと思ってたTauranga時代のスタイル。最後になってまたあの楽しさが味わえた。これはモーリスに感謝せねば。これで俺はもう日本に帰れる。

午前中を終わった段階でほぼ3bin終わってた。このペースやと5binは行くと思ってたが、3binを終わった時点で残りの時間で違う品種を採ってほしいと言われた。その品種は4本だけ木があって、これが終わればknock offとのこと。まあ、モーリスが言うんやからそれに従おう。ただ、この木は異常にでかくて、上の方は手が届かない。俺はなんとかして上の方も採りたかったが、おばちゃんもモーリスも無理せんでええと言ってくれた。この品種は66%のcolorならOK。さっきまでのやつは80%、昨日までのやつは60%。これが微妙に難しい。いい勉強になった。結局、今日は3binとlast binは90%ぐらいかな。DavidはPM2:00の時点で4binは終わってたが、彼曰く、1日4bin以上はやらんらしい。疲れを次の日に残さない。さすがはプロだ。俺は5日間のtotalで16bin。last binはボランティア。そして、問題の俺のqualityはaverageで87.5%。う〜ん、超一流にはほど遠いな。80%から85%にするのは簡単。つまり、おばちゃんの2回のcheckで5/25×2(10/50)を6/50にするのは慣れればできる。正確には、6/50やと88%になるが、これは85%と見なされる。85%のqualityの人はlevel的には関脇かな。それ以上、つまり5/50以上にするのはかなり難しく、5/50をcontrantに切れる人はまさしく横綱。Davidの場合はconstantに4/50以上で、2/50、1/50という時もかなりある。彼は横綱の中でも大鵬、北の湖、千代の富士level。そうすると、俺は常に大関候補の魁皇、武双山か。俺にはまだまだ稽古が必要だ。

俺のNZ picking人生もこれでfinish。kiwi fruitでいい思いして、pruningで地獄を味わって、Blenheimのcherryで人間不信になって、このまま悪いことばかりかなと思ったら、Alexのcherry、apricotで挽回して、そしてfinalのHastingsのappleで再び天国を味わった。いい時に辞めるのもいいかもしらん。とにかく、最後に俺を拾ってくれたモーリスには頭が上がらん。モーリスはドカベンの山田太郎みたいにいつも笑顔でまさしく気はやさしくて力持ち。それと、David、おばちゃん、おっちゃんにも感謝。ほんといい人たちで、5日しかいなかった俺に、

「お前はgood pickerやな。来年帰って来い。」

と言ってくれた。ほんとにうれしい言葉だ。とにかく、ありがとう。

仕事の後は1週間我慢したビール。俺の好きなTuiビールを買って由紀のいる大屋敷に向かった。Havelock Nth.に来てこういう展開になると思わんかった。俺はもうすっかりここの家族の一員って感じだ。ちびっ子たちが人見知りせえへんのはこっちの子供たちの性格やろか。おっちゃんやおばちゃんともすっかりお友達。これから南を旅する由紀へ先輩の俺から一言。NZはほんと人との再会が相次ぐ不思議なところ。その度に旅しててよかったと思う。とにかく、aggressiveに動いて、NZを十分に楽しんで下さい。

Nice to meet you anyway!!

また、どこかで会おう。

さて、短かったpickingも今日でfinish。ここでいつものようにデータを出してみよう。

data

5bin/day,

$30/bin

200g/apple (50個/bag) → 300/0.2×50 = 30bag/bin

300kg/bin→ 300/0.2= 1,500 pieces/bin

実質労働時間 9hr/dayとして

total picking pieces = 5×300/0.2 = 7,500

picking apple per hour = 7,500/9 = 833/hr

contract wage per hour = 30×5/9 = $14.4/hour

wage = 5×30 = $150/day

per piece= $150/7500 = 2.0×10 -2 = $2.00/100piece

まさしく、pickingの王様だ。

2月28日

「外資系工場見学&Havelock Nth.に来てよかった」

Havelock Nth.を出る日が来た。ここを出る前に俺は8月にWanganuiのBPで知り合い、New Plymouthまで乗せてもらったNapier在住のさとるさんに工場見学させてもらうようにお願いし、AM8:30からさせてもらうことになった。さとるさんはアメリカのいわゆる外資系会社「Heinz」の日本支社勤務で、現在そのNapier支店にいる。仕事の内容はこっちで作った缶詰を日本や他国へ輸出し、さとるさんはその企画担当ってところか。8月に会った時に、さとるさんには2月にHastingsに行くと言ってあって、先週いきなり電話して申し訳なかったが、忙しい中今日見学させてもらうことになった。そして、さとるさんにAM8:30にHavelock Nth.までpick upに来てもらってHastingsの工場へ行った。さとるさんは8月に会った時より少し太ったかな。奥さんと子供さんがこっちに来た分生活に余裕がでてきたのか。

「Heinz」はNZでは「Watties」というメーカー名で缶詰、ジャム等の食料加工品を生産してて、NZでのshareは80%になるという。言われてみれば、どこのスーパーに行っても「Watties」の商品は見かけるわ。今日は日曜日ということもあってトマトのプラントしか動いてなかったが、それにしてもすごい量のトマトを使っている。材料以上に俺が驚いたのはすごい量の水。やっぱり、これだけの量を生産するとなると製造工程にかけるcostもはかりしれないものだ。俺が見た一連の流れは業務用のケチャップを作っていたところ。原材料のトマトがコンベアを流れていって、最終的にケチャップとして缶に詰められる。こんだけの量を作るとなるとトマトの品質はかなり悪いはず。じゃないと儲からん。このことをさとるさんに聞いてみると、俺の思った通りで、ケチャップ製造用にわざわざそのトマト専用のfarmを会社が持っているらしい。そうなると、トマトの収穫期以外はこのプラントは動いてないのか。どうやらそのようだ。だから、ここの工場に勤務しているのは季節労働者。う〜ん、NZらしい。

この工場にある製品の中で日本語で書かれた缶もかなりあって、例えば販売元はcoop(生協)でも製造元は「Heinz」とか。日本で「Heinz」の商品なんて見たことないぞ。今年からセブンイレブンやファミリーマートでも商品が販売される。日本で作るよりこっちで作って逆輸入した方がcost的にも儲かる。いや〜、今日は短い時間やったけど色々勉強になった。さとるさんとも会えたし。ありがとう、さとるさん。

それから、俺は由紀のお屋敷に向かってお別れを言ってTonyのところへ戻った。なんやかんや言ってTonyにお世話になった。ここに来なかったらモーリスたちとも会えんかったからな。毎晩、ここに戻るとヒンドゥーの世界。Tonyはいつも誰かと銭のことでもめてるし。正直、辛かったがええ経験になった。同じ部屋やったチャールズにも色々世話になった。ちょっといびきはうるさかったが。もう、ここのメンバーとは二度と会わんと思うが、と言うか、会いたくない。ただ、Tonyにはお礼を言わんと。ありがとう、Tony。

由紀もありがとう。俺は結構暇つぶしのように由紀のところに出入りしてたが、由紀と出会わんかったら、あの毎日インド人ばかりの生活で相当辛かったと思う。由紀のところはほんとリラックスできた。話してて楽しかったしな。ほんと由紀と出会わんかったことを考えるとぞっとする。ありがとうな。また会おう。

さあ、Napierに向けてのヒッチ。車は5分ぐらいでつかまって、pick upしてくれたのはNapierに行くという陽気な兄ちゃん。今日はとにかく暑い。30℃以上はあるやろう。久しぶりのNapier。相変わらず海はきれい。俺はテントの張れるBPを探して3週間ぶりぐらいにテントを張った。ここのwater front BPはまたまたヒット。静かな雰囲気で、何と言ってもwashing machine、coffee、tea freeというがいい。オーナーもいい人そうやし。ただ、picking組がかなりいるのでこいつらがうるさいと言えばうるさいが、これはしゃあないな。まあ、今日と明日ここでゆっくりしよう。

3月1日

「Napierの海はほんとにきれい」

今日は久しぶりにゆっくり寝た。しかし、このテントサイトは最悪。砂利が多くてペグが刺さらんし、第一テントサイトじゃない。まあ、張らしてもらうだけでもありがたいと思わなあかんかな。

今日1日はゆっくりしよう。まず、e-mail caf

éに行って、昨晩仕上げたe-mailを出しに行った。ここのオーナーはすんなりlap topの使用をOK。こういうところはほんまに助かる。あとはTaurangaでいつものところに行ってfinishかな。

e-mail caf

éの後は銀行に行ってモーリスにもらったcheckをcashにして、その後Napierの海が一望できる丘に向かった。Napierの海はほんとにきれい。なんで、ここだけこんな緑色をしてるんやろう。Tekapoの湖の色まではいかんけどfantasticだ。ただ、水自体は冷たく、泳ぐとなるとちょっと無理かな。

それから、俺は丘を下って海沿の道を少し歩き、Kiwi Houseというのを見つけた。ここのおばちゃんに尋ねたところ、PM1:00からkiwi showがあるという。値段は$3.00。俺は銭を払ってこういったshowを見るのには興味ないが、Stewertで見たkiwi君にもう一度会ってみたくなった。よって、俺はこのHouseに入ってkiwi君に会うことにした。それにしても、いつ見てもkiwi君はかわいい。なんと言ってもあの歩き方。うーん、かわいい。ただ、今日はご機嫌ななめで途中で眠ってしまったが。よし、これでNZを後にできる。

この後は、宿に帰って昼寝して、夕方は町をブラブラしたり、beachでたそがれてた。こうやって1日ゆっくりするのもええ。ch-chを出てから慌ただしかったからな。Aucklandに戻るまでは特にやりたいことはない。Mt.Maunganuiに登るだけかな。もう残り2週間を切った。ついにcount downやな。

3月2日

「なんか体がだるい」

今日も絶好のヒッチ日和り。ここの宿はほんまによかった。オーナーもええ人やったし、何と言ってもwashing machine、coffee、tea freeというのが魅力やろ。Napierの海は相変わらずきれかったし。ヒッチポイントのMotor Way 2までは少し歩かなあかん。俺は宿の人に教えてもらったところまで重い荷物を背負ってテクテク歩いてると、30分ぐらい経ったか、宿でいっしょやったアメリカ人が俺を見つけてTaupo行きのintersectionまで乗せてくれることになった。おお、ラッキー。この兄ちゃんはなんと親切なんだ。俺をpick upした後、Taupoというboardを出したhitch hikerをpick upし、俺が降りる直前にAucklandに向かうhitch hikerもpick up。なんていい奴なんだ。全然見知らぬ4人が車の中。おかしなもんだ。

このintersectionでdrop offしてもらい、少し待った後今度は今朝WellingtonをAM6:30に出たというおばちゃんがpick up。行き先はGisborne。今日はついてるな。このおばちゃんはとにかくようしゃべるし飛ばしまくる。おばちゃんの今の悩みの種はKoreaに留学しているという2番目の息子。NZとKoreaとの貿易について勉強しに行くとNZを出て、SoulでKoreanの彼女ができて今度結婚してSoulに住みたいという。

「なんとかならんもんかね。」

そんなことは俺に言われても知らん。とにかく、話題豊富なおばちゃんだった。

おばちゃんにGisborneのinformation centerで降ろしてもらった。Gisborneは思ったよりもでかい町。Pak’n saveがあるぐらいやからな。ただ、beachはNapier並にきれいだ。俺はもし可能ならEast capeの方に行ってみたいが、なんせ時間がないし、足がない。ほんとは明日ぐらい泳ごうと思ったが少し風邪気味。ゆっくりするか。

俺は町中から少し離れたFlying NunというBPに向かった。ここは元修道女院やろう。マリア様がおるし、色んなところにそれを示す面影がある。ここのテントサイトは芝が刈ってへんやん。どないなってんねん。ただ、いざテントを張ってみるとふわふわしててなかなかgood。こういう芝もいいね。俺は疲れていたのか、また昼寝してしまった。もう1日ここでゆっくりしよう。なんか体がだるいのは気がゆるんでいるせいやからか。

3月3日

「NZ初のダウン」

やっぱり体調がよくない。熱っぽい。体がだるくて、寒くて。こんなところでへたってる場合じゃない。俺はそう思って近くの丘に登ったり、beachに行ったりして気を紛らそうとしたがだめだ。テントに戻って闘病生活に入った。夕方、目が覚めても悪くなる一方。扁桃腺も腫れてきた。バヌアツを除いてNZ初のダウン。もう出国間近というのに。最近ずっと無理してたからかな。俺はありったけの風に効く薬を飲んで寝ることにした。

3月4日

「最悪の状態を救ってくれたおばあちゃん、しかし…」

熱は下がったみたいだがどうも調子がよくない。それ以上にひどいのは床ずれ。もう腰が痛くて、痛くて。俺はしばらく立ち上がれなかった。

昨晩から雨が降り始め、今朝は晴れていたがすっきりしない天気。俺は迷った。バスで行くかどうするか。なんせ俺には時間がない。でも、ここまで来たらヒッチで行きたい。そこで、俺は体調がよくないこの体にムチ打って、ヒッチでTaurangaを目指すことにした。

そして、30分ぐらいでTauranga方向のintersectionの近くまでpick upしてくれたおっちゃんがいて、まずまずかなと思ったらそこから悪夢の始まり。それからは、車は俺の前を素通りするだけで誰1人止まってくれない。俺は場所を代えたりしたが悪い予感が的中。雨が降り出した。しまった。もうGisborneには戻れないし。どうしたらいいものか。雨でだんだん体が濡れてきて寒くなってくるし。体調がよくない上にこの前は相当つらい。こんなけ降ると車も止まってくれへんやろ。3時間ぐらい待っても誰も止まってくれない。俺の哀れさに見かねたのか、近くに住んでいるおばあちゃんがりんごを持ってきてくれた。こういった気遣いはうれしいね。しかし、雨はひどくなる一方。もう寒くて寒くて。結局、4時間半ぐらい待ったか。さっきのおばあちゃんが俺のところに来て、

「そんなに急いでなかったら、今日うちに泊まって行きなさい。」

と言ってくれた。なんていいおばあちゃんや。俺はもう限界に近かったのでその言葉に甘えることにした。

おばあちゃんは、俺にcoffeeとクッキーを御馳走してくれた。なんていい人や。俺とおばあちゃんがcoffeeを飲みながら話していると、おばあちゃんはいきなり、

「あなた、Jesus Christの話知ってる?」

と言ってきた。なに〜。このおばあちゃんは敬心なクリスチャンで宣教師のような人。そう言えば家の至る所にJesusの写真が貼ってあるわ。もう、それからはおばあちゃんの独壇場。次から次へとJesusの教えを俺に唱き始め、bibleやJesusに関する本をどんどん持って来て、

「これ読みなさい。」

と言ってきた。病んでる俺の体にこんな難しい本はつらい。ああ、なんとかしてくれ。晩飯の間中もずっとJesusの教えを語り、

「あなたが今日ここにいるのはJesusのおかげ。」

とか言ってた。まいったな、全く。病状はますます悪化。早く寝かしてくれ。

おばあちゃんには4人の男の子がいて、その子供たちはもうすでに結婚して家庭を持ってる。40年前に夫をなくしたおばあちゃんにとってこの4人は宝物だと言っていた。また、写真に写ってるこの4人がほんといい顔をしている。おばあちゃんもこの4人の話をする時はにこっとして、自ら孫の写真とかを見せてくれた。う〜ん、おばあちゃんがJesusに頼るようになったんも寂しかったからかもしらんな。ほんとに気のやさしいおばあちゃん。そのおばあちゃんももう80歳。今日はほんとにありがとう、おばあちゃん。

3月5日

「我が故郷に帰ってきた」

今朝は雨が止むには止んだが昨日の雨と冷え込んだせいもあって、ものすごい霧だ。前がほとんど見えない。driverは大変だ。俺の体調は相変わらずよくないが、甘えたことは言ってられん。今日中になんとかしてTaurangaに着いてtax returnの申請をしないと。

おばあちゃんにはほんと世話になった。ただめしを食わしてもらって、泊まらしてもらって。朝めしの時には最後のJesusの教義。それと、Jesusの本を一冊くれた。正直、こんなもんもらっても俺には興味なかったが、おばあちゃんの気持ちとして受け取っておこう。ただ、おばあちゃんが言ってたように、Jesusの教えがあったからこそ俺を助けてくれたということは言えるかもしらん。というのは、バヌアツの人も敬心なクリスチャンで、特にTongoaのRoyの献身さはすごかったのだが、彼もおばあちゃんと同じようなことを言ってた。Jesusの教えで心が清らかになって、だから困った人がいると助けたくなる。そう考えるとクリスチャンと言っていながらも困った人を放ったらかしという連中が多いのはどういうことだ。こいつらは偽者か。俺は困ってる人がいるとできるだけ力になってあげるし、特にいいものは人に伝えてあげたいという気が俺の根底にある。かと言って、俺は何の宗教にも属してないし、これからもその気はないし、宗教には全く興味ない。ただ、人に迷惑をかけない限り、宗教活動をしている連中を否定する気はない。そう考えると、俺は誰に教えられもせず、何の得にもならないとわかっていても、困っている人を助けてあげようとする姿勢は実はすごいことなのかもしらん。しかし、俺は特にすごいことと思わんし、いいものは人に伝えたいというほんとその気持ちだけ。こういった宗教的なことを言い出すと頭が痛くなってくるのでもうこの辺でやめとこう。とにかく、おばあちゃんありがとう。

さあ、ヒッチのrevenge。今日は作戦を変更して初めて‘Tauranga’と書いたボードを持つことにした。連敗続きの時に新庄を7番から1番にもってくるようなもんだ。AM8:00に道端に立ってrevenge開始。ただ、朝早くは車が通らん。20分ぐらいでなんとか1台getしたが、ほんの20kmほど。そこからは10分に1台のペースしか車が通らん。まいった。またもや悪夢か。俺はとにかく強気で積極的に場所を変えたり歩いたりした。しかし、なんで停まってくれへんのかわからん。流れがすごく悪いのは空気でわかってたし、第一目を合わせようとせず知らんぷりをしようとする奴が多すぎる。乗っけてもらう立場でこんなこと言うのはおかしいが、なんで停まらんねん、お前ら。俺は切れかけ寸前だった。

俺はそれでもaggressiveに歩き続け、やがて猛スピードで来た車がいきなり俺の前で停まった。乗ってたのは見るからにヤンキーという恐そうな2人。1人はスキンヘッドにグラサン、もう1人はアフロヘアにグラサン。俺が行き先を尋ねるとなんとAuckland。おお、Taurangaを通るでは。あきらめずがんばってよかった。またもや有森祐子の心境だ。

俺はいままでに何度もヒッチの危機があったが、この危機を救ってくれたのはいつも不良学生、ヤンキー、ヒッピー、ホモと世間ではけむたがれてる連中。ただ、こういった連中は気持ちがやさしい。人間見た目では判断できない。ほんとそう思う。

「近頃の若者は。」

と言ってる連中に一言。人を批判する前に自分を省みろ。

この2人はとにかく飛ばす。average 120km/hrでどんどん車を追い抜いて行く。途中、いきなり山奥で停まり、休憩かなと思ったらいきなりマリファナ。俺も誘われたが、

「俺はもうタバコは卒業したからいいや。」

と言うと、

「吸わないことが健康に一番。うん、それがいいよ。」

と言ってきた。おい、お前らが言うな。しかし、彼らのおかげで予定より早めにTe Puke、Mt.Maunganuiと過ぎて、我が故郷Taurangaに戻ってきた。やっぱり、Taurangaはいいね。ここは俺のNZでの1年の始まりと言ってもいいところ。あいにく今日は雨が降ったり止んだり。

さあ、懐かしの我が家Just the Jucks Nutsへ帰ろう。Jackieはもうここにはいないことは知っていたが、Taurangaと言えば俺の帰る場所はここしかないだろう。いざ、Ducks Nutsに戻ってみると、なんとまあきれいになっていること。壁はすべて黄色になってて、外にあったはずのround tableが中に入ってて、新しく外にテーブルとイスが置かれていた。特に、down stairsがきれいになってて、shower room、kitchenもvery cleanでmicrowaveが上から移ってきてた。おお、昔と違うぞ。なんか緊張するで。ただ、中にあるほとんどのものは昔のままで、俺が3ヶ月間ずっと使ってた食べ物入れカゴもそのままだった。う〜ん、懐かしい。とにかく、この宿のどこを見ても昔のあの光景が目に浮かぶ。いいね。

現在ここのオーナーというかmanegerはFletcherの彼女。当然、持ち主はFletcherで、俺はFletcherと再会。Fletcherはいつ見ても感じいいね。俺が帰ってきたのを喜んでくれた。とりあえず、俺はテントを張った。当然、以前と同じ場所だ。今日はbloody windy。天気がいまいちよくない。

それから、久々にタウンへ向かった。まず向かったところはIn land Revenue。tax returnの申請に行ったがアポなしではあかんとのこと。とにかく、この受付のおばちゃんが融通のきかんおばちゃんで、なんと言うかアホだ、アホ。なんでどこの国の役人もアホが多いんやろ。

「そうかそういう場合もあるな。ちょっと待ってて、とりあえず上の人に聞いてみるわな。これであかんかったらごめんな。」

という柔軟な考えができんもんかな、全く。とりあえず、月曜日に行くことにした。

そしてe-mail office。いつもの兄ちゃんが俺を迎えてくれ、いつもの席をあけてくれた。いいね、こういうのは。Taurangaを出る前にもう一度ここに来よう。

その後は、町をブラブラしながら、Produceで買い物して行った。ほんまここは安いわ。NZ No.1の安さやね、ここは。ただ、ここで一言文句言いたい。Napier、Gisborne、Taurangaとスーパーのappleを見てきたが、qualityが低すぎる。qualityの悪いのが国内市場に出回るのはわかるが、それ以前になんでこんなappleがpickingできんねん。pickerはもっと注意するように。

今日はFriday night。そうpubに行かねば。ただ、夕方からものすごい激しい雨が降ってきた。まいったな。今日と明日の晩はpubに行くと決めてたのにな。

3月6日

「Taurangaでのフルコース」

昨晩は雨の中少し町に出た。まあ、軽くって感じだ。こんなけ雨が降ったり止んだりしてると客も来えへんわけだ。ただ、やっぱり昔を思い出すね。よくJackieと踊ったもんだ。またみんなでわぁと行きたい。

今日も雨が降ったり止んだり。一体、どうなってんねん、Tauranga。俺が帰って来た途端にこれかい。Taurangaで晴れていたのはあまり記憶にない。よって、今日は1日e-mailを書いたり、少し町をブラついたりしてた。ちなみに、Pak’n saveの手前にPrice chopperがあったはずなのだが、つぶれてなくなっていた。これも時代の流れか。

俺は買い物の帰りにGrumpy Moleでビールを飲んで帰った。ここはほんとよく来た。Jackieお気に入りのところで、孝君もよく連れて来られてた。ほんとずっと昔のようだ。

今日の晩めしはtake away。今日はもうここしかないとあらかじめ決めていた。M sizeの$6.00のタッパーに詰め放題。最後にfishを入れるのがポイントで、フタが閉まらなくなるまで入れ、宿に帰りながらそのfishを食うという方法を俺はあみだした。pickingの時の給料日にたまにここに来て栄養をつけてた。take awayの後はすぐ近くの酒屋。泰司さんとよくshareして飲んだものだ。いや、ほんとあの頃が懐かしい。あの頃の俺はほんとに俺なのかと疑ってしまう。それだけこの1年間色んなことがあった。やっぱり、Taurangaはいい。よし、あらかじめ炊いていた米と、take awayのおかず。う〜ん、最高やね。$6.00でこれだけのボリュームが食えるとは。これはもう一回ぐらい行ってもええな。明日も天気悪そうやし、月曜日に出るのをやめるか。最高にいい日にMt.Maunganuiは登りたいしな。

3月7日

「ヒラメのfish & chips」

今朝も雨が降ったり止んだり。どうなってんねん、Tauranga。すっかり予定が狂ったやんけ。折角、俺が帰って来たというのに。こうなるとすることがない。よって今日もボーッとしてた。しかし、どうも体調がよくならない。Gisborneで体調を崩してからもう1週間近くなるのに。喉が痛いし熱っぽい。出国前やというのに。全くどうなっているのやら。なんとかAucklandに戻るまでに直したい。

昼から雨の中をfish martまで出かけた。Taurangaのfish martではヒラメ(カレイかもしらん)のfish & chipsが食える。丸ごとヒラメを油で揚げてくれる。実際は、和さんがこれを見つけたのだが、俺はTaurangaに3ヶ月以上いたのに食ったことがない。これは食わないわけには。そして、show windowのヒラメを指示して、これを揚げてもらった。う〜ん、うまい。ころもは少し油っこいがなかなかいける。よし、後はMt.Maunganuiに登るだけ。頼むから明日は晴れてくれ。

宿に戻っても、e-mailを書くか、テレビを見るだけ。今晩の宿泊者は4〜5人か。昔のようなにぎやかさはない。まあ、pickingの時期が来ると変わってくるんやけどな。それにしても、雨のよく降ること。なんとかならんもんかね。

3月8日

「アホか、役人&Jackieとの再会」

今朝もすっきりしない天気。でも、もう1泊しよう。AM8:30から俺はInland Revenueに行くことになっている。tax returnについて税務署の担当の方と話し合うためだ。ただ、先週言われたようにtaxはNZ国内にいる間は返せないとのこと。つまり、日本への郵送になる。これはまいった。予定外だ。俺は$1000近く税を持っていかれ、リンやカリーが言うには、その80%は返ってくる。つまり、$800近く返ってくるのを見込んで、俺はそれをNauru行きのair代にしようと思ってた。う〜ん、なんとかならんもんか。この担当者はNoの一点張り。規則、規則、規則。ほんま頭のかたい連中だ。よく考えてほしい。なんでNZでgetしたお金を全然関係のない他の国に送るんや。おかしいやろ。NZで播いた種はNZで片づけるのがあたり前やろ。郵便事情の悪い国から来てる人はどうなんねん。なんでこんなに役人はアホばかりなんやろ。おまけに俺がgetできるのは3ヶ月後でたった$250ぐらいらしい。おいおい、話が違うぞ。リンやカリーが言ってたのとは違うやんけ。それを問いただしてみると、systemが変わったとしか言わん。ショックだ。俺が必死で稼いだ銭がこんなアホな連中の手に入るとは。もうこれ以上このおばちゃんは相手してくれなかった。tax returnは場所によって全然違うし、役人が俺らをだましてくるのは有名。もう、俺には時間ないし。この悔しさはどうしようもない。俺は真剣にこのおばちゃんをなぐったろかなと思った。

その後、俺は泣きそうになりながら、e-mailを出しに行った。ここの兄ちゃんはいつものように優しく接してくれる。

「そうか、もうAuckland行っちゃうのか。」

と少し寂しそう。ここの人々にもほんと世話になった。こういう対応ができんか、役人連中。お前ら国民の税金でめし食ってんやろ、ドアホ。わしの銭返せ。

俺は宿に戻って、朝からビールを飲んでた。こんなにむかついたのはTonyの家以来だ。Taurangaに戻って来てあまりいいことがない。なんでこんなにTaurangaは俺に冷たいんや。俺は気を取り戻して、雨が止んだのでMt.Maunganuiに向かった。しかし、ここでも絶不調でヒッチは失敗。約1時間半の道のりを歩くことになった。

雨上がりに少し気温が上がってきて蒸してきた。この中の歩きは疲れた。そう言えば初めてここに来た時も歩いたな。ようやく山のふもとに着いて、早速登り始めた。この前は小結サンダルで、今回は横綱サンダルで。全く懐かしいね。登りもそれほどきつくないし。頂上に着くと天気はいまいちだったが相変わらずのbeautiful scenery。ここからのbeachはまじできれいだ。こんなにbeachがきれいなのはStewart以来やね。う〜ん、もう満足。よし、帰ろう。帰りには山の前のアイスクリーム屋でソフトクリームを食っていった。これはいつもの定番やね。beachも見たし、ソフトクリームも食ったし。もう十分やな。

帰りはバスで帰り、宿でシャワーを浴びてビールを飲んでた。すると、Jackieが戻ってきた。Jackie はTaurangaに戻って来て、わざわざ俺がここに帰ってきたのを知って会いに来てくれた。Jackieは元気そうやね。髪の毛はパーマをかけていたので前とは少し雰囲気が変わったが、いつものテンションだ。うれしいね。もう会われへんと思ってたからな。俺がもう1日延ばしてへんかったら会えんかった。またもや偶然。Jackieは明日また来てくれることになった。あとはできればDonに会いたいな。

3月9日

「再会の嵐 in Auckland」

昨晩もまた雨が降った。こうなるとテントを乾かさんと。俺が荷物をまとめてテントを乾かしているとJackieが来てくれた。Jackieも忙しいはずやのにな。ほんまに会えてよかった。Jackieには詳しく聞かんかったけど、ここを出て行ったのはどうやらFletcherと経営のことでもめたみたい。こういったことはどこの世界でもあるからな。ただ、今のDucks Nutsは正直よくない。昨日も今のマネージャーであるFletcherの彼女のナタリーが夕方家に帰って、夜間担当のルイスが戻ってくるまでは誰もいなかった。そこに、どしゃぶりの中チャリダー3人が来て誰も対応する人がいなかった。しゃあない、俺しかおらんやろ。俺が部屋に案内してあげたり、倉庫にチャリを入れてあげた。こういうのはほんまによくないね。

さあ、我が家、Ducks Nutsを出る時が来た。それとともにNZ最後のヒッチ。いつものヒッチポイントまではJackieが送ってくれた。ありがとうJackie。ありがとう、Ducks Nuts。パターンを変えての2回目のヒッチ。ボードを“Auckland”にした。そして、15分ぐらいしてからか。一台の大型トラックが停まった。それも、Aucklandの近くのManukauまで。よし、これで俺のヒッチ生活は終わった。finalにふさわしい大型トラック。運ちゃんはいかにもトラック野郎というおっちゃんで、ロンゲ、ひげ顔、サングラス。懐かしの一番星の桃さんって感じか。ただ、こんなにすんなりフィナーレを飾ってもいいのか。しかし、やっぱりオチはあった。途中で荷物の運び降ろしが。それも、今回は重機。まいったね。大型トラックの長距離ヒッチは何かあるな。Whihiでの運び降ろしも終わり、あとはAucklandに向かうだけ。このAuckland−Tauranga間はこれで何度目だ。もう3往復はしてるやろ。まいった、まいった。

さあ、久しぶりにAucklandに戻ってきた。Manukauからはイエローバスで4 stageか。Sky towerが見えてくるとAucklandを思い出すね。それにしても、人も車も多いこと。なんと言っても信号の多さ。こんなところによう1ヶ月もいたもんだ。今なら絶対に住めん。そして、Down Townに着いた。きれいになったね。今年APECがあるから町自体きれいにしてるんやろ。俺はバス停で降りてQueen St.を歩いていこうとしていると、なんとおねえちゃんと真吾君がいるでは。びっくりだ。2人とはAlex以来。おねえちゃんが明日帰国するというのはe-mailで知っていたが、まさか真吾君がいるとは。真吾君はAlexのorchardでapple pickingをしていたが、首になったらしい。色々あったみたいだ。とりあえず、俺はQueen St.BPにcheck inして、2人とは後で会うことにした。

このBPに来たのはちょうど1年前。初めてNZに来て、そしてここに来た。全くはるか昔のようなことだ。しかし、相変わらずごみごみしてるね。以前1週間分の銭を払ってその残りがあったので来たものの、今の俺なら絶対来えへんな。まあ出国するまでやからな。

それから、おねえちゃん、真吾君と再会し、もっと驚いたのは敬子さんにも会った。もう日本に帰ってると思ったのに。裕二郎さんとともにパーネルのLeadbetter BPにいて、そこには弥生ちゃんもいるらしい。おお、BlenheimのメンバーがAucklandにいたとは。まさか、Aucklandでこんな展開になるとは。う〜ん、すんなり出国できんね。

とりあえず、みんなと一旦ここで解散して、俺は真吾君を連れてフィルムを出した後、JTCに向かって荷物のcheckをしに行って、そしてよく行った$4.50のtake awayに向かった。ここは値段のわりにはreasonableだ。真吾君も満足してくれたようやし。その後は、おねえちゃんと待ち合わせてパーネルにBlenheimメンバーを訪ねた。約束通りバヌアツに行って帰ってきたばかりの裕二郎さん、敬子さん、相変わらず天然ボケの弥生ちゃん。Blenheimのメンバーに会えるとはね。裕二郎さんはバヌアツに行って体調を壊したみたい。大丈夫か?むっちゃ暑かったがよかったようだ。う〜ん、俺もうれしいね。

みんなとこうやって会えたのはほんとうれしい。もう知り合いがいないやろうと思っていてAucklandに戻ったが、まさかこんな展開になるとは。これも俺がNZを動きまくってたからだろう。このBPの何人かも俺のことを知ってた。俺も有名になったもんだ。潤一さんもここに帰ってきてるらしいが、今日は会えんかった。う〜ん、NZに来てよかった。みんなとまたどこかで会いたいね。

俺は宿に帰る途中に尚史さんに電話した。久しぶりだ。昔の仲間はもう尚史さんとWalterのみ。と思ったら、あのフラットに直子さんがまだいるとのこと。よって3人でフラットで会うことになった。

宿に戻ってさあ寝ようとすると、

「ああ、学さん。」

という声が。Stewartの trackで会った青年。今日は再会の嵐。

3月10日

「懐かしのフラット&Thanks a lot, Walter」

今朝も体調は依然よくない。しかし、俺にはそんなこと言ってられん。なんせ時間がない。宿で洗濯をした後、久しぶりにMt.Roskill Grammer Schoolを訪ねた。そう、Walterに会うためだ。俺が今までで唯一人間として先生として尊敬できる先生。俺がクラスを訪ねるとWalterも元気そう。もう昔のメンバーは俺だけやもんな。みんな去って行ってしまった。俺のNZ 200%生活のきっかけを作ってくれたのもWalterのおかげ。とにかく、色々世話になった。俺はヒッチハイクマップをWalterに見せると、Walterはにこっと笑っていたが、

「学、この道行ってないの。ここ景色いいのに。」

とさすがはWalterらしきお言葉。ナウルのことを尋ねても、詳しく知ってて、どうやらナウルの人々は昔、島に堆積した鳥の糞を肥料として売っていたぐらいの商売人らしい。それと、ナウルはOZのrich peopleが行く国で俺には合わんと言ってきた。俺に合うのはキリバスかマーシャル諸島。う〜ん、行きたいね。Walterは忙しいにもかかわらず、今晩俺と飲む時間を作ってくれた。

Mt.Roskillの後は、夕方尚史さんと待ち合わせて直子さんのいる我々のフラットに行くことになっている。しかし、俺の体調は最悪。これはかなりひどい。喉の痛みはいつもだが、リンパ腺も腫れ、胃と肺が痛い。おそらく熱もある。もう立ってるのもしんどい。Gisborneで体調を壊してからずっとだ。体調をkeepできないのは自己管理のできてへん証拠。よく川上さん(北大ハンドの先輩)に怒られた。とりあえず、俺は宿に戻って寝ることにした。

しばらくすると裕二郎さん、敬子さんが訪ねてきた。そうだ、e-mailを作ってあげなければ。Blenheimのメンバーにはかなり教えてあげたな。これで何人目や。やっぱり、便利なもんは伝えたいからな。

さあ、尚史さんと待ち合わせ。久しぶりに会う尚史さんはすっかりサーファー。ロンゲで色が黒くなってた。そして、2人で懐かしのフラットへ直行。まさかまたここに帰って来るとは。昔に比べたらすっかりきれいになってた。昔からいるのはNigel。彼は相変わらず不気味な奴だ。直子さんがまだいるとは思わなかった。あれだけ早くAucklandを出るよう言ったのに。そんなにAucklandを出ることが難しいもんかね。でも、結果的に再会できてよかった。直子さんとは富山でも会うことになってるからな。今日はこの後Walterとの飲みがあるので明日また3人で会うことにした。

そして、久々にシェイクスピアに向かった。Walterと飲む時は大体ここやな。ただ俺の体調がよくない。ほんとに辛い。こんな時にビールはあかんと俺はわかってた。しかし、Walterと会えるのもこれが最後。なんとかできるだけがんばってみよう。Walterは俺らのことをほんとかわいがってくれた。俺らみたいな生徒は今のクラスにはいないらしい。みんなまじめすぎると嘆いていた。彼も昔が懐かしく、みんな去っていってしまって寂しそうだ。あと、俺に和さんや潤子さんたち、あの時のメンバーの住所を聞いてきた。今度時間を作ってじっくり手紙を書くとのこと。先生がこんなに生徒と親しくなって、むしろ友達になってしまった。こういったケースは日本では考えられんな。俺はもっとゆっくりと飲みたかったが体調が悪くてだめだ。座ってるのもしんどい。申し訳ない、Walter。でも、ほんとに再会できてよかった。Walterが残していった最後の教訓。

「OZでは絶対ヒッチするな!!間違いなく殺される。」

「英語は話し続けろ!!」

ありがとう、Walter。

もう寝よう、と思っていると潤一さんがパーネルから訪ねてきた。明日、ニューカレドニアに行くという。潤一さんとは羊平君と共にQueenstownで知り合い、Te Anau、Alexで再会した。出国前に夜遅くわざわざ来てくれたようだ。なんでこんな時に俺の体調はこうやねん。ああ、情けない。潤一さんともゆっくり飲みたかったな。でも、会えてよかった。ありがとう、潤一さん。

3月11日

「バイクがぱくられた?&丘サーファー&仕事」

体調は悪くなる一方。少し汗をかいたせいか熱っぽいのはとれたがだめだ。折角、尚史さんとサーフィンするつもりやったのに。これじゃあかんな。よって、俺は今晩尚史さん、直子さんと会うまで寝ることにした。

俺は服を着込んでシュラフにくるまって寝てた。そのせいか思いっきり汗をかいて、かなりよくなった。よし、これなら今晩OKだ。その前に俺はJTCを訪ね、手紙のcheckをしに行くと杉君からの手紙があり、なんと俺のバイクが盗まれたとのこと。なに〜。全くどうなってんねん。俺が日本に帰る目的の一つを失った。直子さんやおばちゃん、真由さんたちを訪ねるツアーを考えていたのに。どうしたらいいんや。大将には礼文に行くと伝えてあるので帰国するにはするが、これで東京に行く目的はなくなった。杉君を責めてもしゃあないが、諦めきれん。大阪に持って帰ったらよかった。どうしたらええんや。俺はその悔しさを隠しきれず宿に戻った。もう悔やんでてもしゃあないな。次のことを考えよう。そう思って俺は最後のe-mailを仕上げた。とにかく、このup dateがかなり大変だった。よくも1年間やり続けたもんだ。ほんとに毎回のようにファンが増えてきて、気づいたらもう1年。しかし、パソコンを持った旅は二度とやらない。ああ、疲れた。

尚史さんと直子さんと会う最後の時が来た。尚史さんは気を遣ってビールやシャンパンを買ってきてくれ、直子さんはシチューを作ってくれた。なんて2人ともいい人なんだ。また、このシチューが病人にはたまらん。涙が出そうだ。昔はよくここでみんなでさわいだ。そのメンバーはもういない。直子さんはこのフラットに去年の7月ぐらいに来たのかな。だから、俺といっしょになったことはないがバヌアツに行く前にここに帰って来た時に初めて会った。それ以来の付き合いだ。年上のこの2人も俺に一目置いてカリスマのように見ている。その気持ちはうれしいがいつものように俺は至ってnormal。やりたいことをただ行動に移しているだけ。ただそれだけにすぎない。特に、年上の人からそう言われると逆に照れくさい。とにかく、俺は特別な人間でもカリスマでもない。1人の一日本人でしかない。2人とも残りのNZ生活をenjoyして下さい。会えてよかった、ありがとう。

俺は宿に戻る前に尚史さんにMt.Edenに連れて行ってもらった。ここからの夜景はまさにincredible!!俺はAucklandを出るに当たってもう一度見てみたかった。いつ見てもいいね。ここで尚史さんと写真を撮った。それも、サーフボードとともに。

「これが本当の丘サーファー」

尚史さんは俺がバヌアツに行く時のあの侍事件に立ち合えなかったのが悔しかったみたいで、今回これを考えてくれた。最後までこういうくだらんことはいいね。くだらんことに時間をかける余裕も必要だ。ありがとう、尚史さん。またどこかで会いましょう。

少し体調がよくなったときたら、そうカジノしかないやろう。俺はAM0:00すぎ初仕事に出かけた。今日の予算は$50。これ以上はやらない。ch-chに比べたらAucklandの方が断然広い。俺のターゲットはそうblack jack。ただ人が多すぎる。それに、子呼呂さんのセオリーを習得した俺としてはこの連中とはいっしょにplayしたくない。levelが低すぎる。bigginerの俺がいうのはおかしいがblack Jackを知らん奴が多すぎる。う〜ん。アホと野球はしたくないと言って首になった元阪神の江本の気持ちがよくわかった。

俺は色んなtableを見回った後、人がすいたtableを見つけ座ることにした。ただ、ほんとに流れのあるゲーム。浮いたり沈んだり。始めは俺とおっちゃんだけで俺は子呼呂さんに言われた通り右端に座ってた。このおっちゃんはblack jackを知っている。いい感じでゲームがstartしたが、途中から素人連中がどんどん入ってきた。やばい。場の空気が一気に乱れ、おっちゃんはどっかに行ってしまった。またそういった時に限ってディーラーが強くなってきた。やばい、俺も破産寸前。しかし、こういった時こそ辛抱。そうすると、徐々に流れがこっちに来たがむかつくのは素人連中。もうこいつらとはいっしょにでけん。今日はしんどいし帰ろう。結局、$125だが勝って帰った。う〜ん、勝つと気持ちいいね。これはまた来んとな。

3月12日

「NZ最後の日」

今日はすることがいっぱいある。なんと言っても荷物を送らんことには。果たして、いくらかかるのか。持ってきたスーツケースは使えん。小さすぎてあかん。やっぱり秋葉原のあっこの店で一回りでかいのを買うべきやった。それに、JTC ch-ch支店でもらった郵パックの箱。この2つにすべての物を入れなあかん。さあ、どうしよう。パソコンがあるのがネックだ。sea mailでパソコンは恐いがそれしか方法はない。air mailやと高額になる。まあ、荷物の増えたこと。なんでこんなに多なったんやろ。1年いるとこうなるもんか。そして、俺は1年間お世話になったJTCを出てpost officeに向かった。totalで郵送代が$216。こんなもんやろ。俺の予算は$300だっただけに少し助かった。ただ、パソコンが心配だ。無事でいてくれ。

その後は、銀行口座の解約。1年間お世話になったANZ bankのカードともお別れだ。これにはほんと助かった。俺の残金は約$3,000。これをA$ TCに換えて$2,500。この金額からOZ startだ。OZではTC暮らしになるがそれはしゃあないか。

それが終わると、今後は手紙と日記。こういう書き物の時はバーガーキングでゆっくり書くに限る。なんとか俺のバイクはならんもんか。見つかっても廃車状態なら困るしな。一応、杉君にはバイクのことを再度お願いするつもりで返事を書いた。ここまででもうPM5:00近くになった。1日があっと過ぎたって感じだ。この後、俺は久々にJapan martに行ってみたが、日本の商品の新しくなっていること。全くびっくりやね。どんどんと新商品がでてる。これは日本に帰ってスーパーの棚を見たらわからんやろな。

そうそう、パーネルに裕二郎、敬子夫妻にお別れを言わねば。彼らとはBlenheimで初めて会い、AlexそしてAucklandで再会。縁があるんやね。俺は一番好きなビール‘Tui’を手に下げて向かった。この2人とは是非日本でも会いたい。俺のバイクが何とかなればな。とにかく、会いたい。ほんとに出会えてよかったよ。