3月14日

「いざ、日本脱出」

ついに出発の時がきた。今回は前回のアジア旅行の反省もふまえて、インドで一番食いたかった日本料理のとんかつを、名古屋では味噌カツ、鳥取ではとんかつ定食を食いばっちりだ。それに、昨日念願のポンジュースが飲めた。

しかし、東京を出る2週間ぐらい前からすごくハードなスケジュールで、ほとんど寝てへん日が多かったのでかなりしんどい。大阪に帰る途中、帰ってからも忙しかったので正直疲労のピークで、少し熱っぽい。

日本を出る心残りは、おかんが撮ってくれていた「パペポTV」とオリンピックのビデオを見られなかったのと、今年の我が阪神タイガースだ。ほんまに大丈夫か?

朝、いざ車は阪和道を関空へ向けて突き進み、今日は空いていたので1時間もかからんうちに関空に着いた。今回は家族全員の見送り付きだ。前回とは大違いだ。

関空で関西風きつねうどんを食って、これで準備完了。しかし、なんとクアラルンプール行きはペナン島に寄るみたいだ。おいおい、聞いてへんぞ。

家族とも別れて、いざ出発ゲートへ。この前とは違って要領はばっちりだ。とにかく眠い。眠すぎる。昨日も準備やなんやらで結局寝てへん。

やがて搭乗し、気づかぬうちに飛行機は関空を飛び立った。今度はいつ日本に帰ってこられるのか。では、いってきます。

国際線のむかつくところはめしの時間に起こすとこだ。ほっといてほしい。後でくれ。わしは寝たいんや。それにビーフがかたすぎる。あかんぞ、マレーシア航空。しかし、やはり日本人のスチュワーデスよりも、マレーシア人の方がきれいだ。久しぶりの東南アジア人だ。

現地時間で夕方5時半にペナン島に着いた。どこかはしらんがリゾートって感じだ。1時間後にまた再搭乗したが、一人のスチュワーデスが俺のジーンズを見て、

「ねえ、このジーンズ素敵ね。自分で縫ったの?このジーンズでクアラルンプールの町を歩いたらモテモテよ。」

と言ってきた。おかんに縫ってもらった穴だらけ、ワッペンだらけのジーンズだ。こうなったのもすべて礼文での漁師、民宿業のハードさの証だ。このジーンズは俺の宝だ。渋谷とか新宿で売っている中古物とはわけが違う。

あとで、このねえちゃんは仲間のスチュワーデスにも言ったみたいで、スチュワーデス仲間で俺は一躍有名人になった。俺が飛行機から降りる時はすごかった。

席に座るやいなや、俺は速攻寝た。また知らんうちに飛行機は飛び立ち、約1時間でクアラルンプールに着いた。とにかく、腹が減った。俺は日本を出る前におばあちゃんが餞別にくれたカロリーメイトを思い出して食った。うーん、うまい。持ってきてよかった。

やがて、飛行機はオークランドへ向かった。また飛び立ったのを覚えていない。しかし、まためしで起こされた。おいおい、だからほっといてくれ。わしは寝たいんや。おい、またビーフがかたいやんけ。もういらん。寝る。

3月15日

「初めての南半球」

だから起こすなって。また朝飯で起こされた。眠い。寝ても寝ても眠い。

現地時間で午後1時頃にようやくオークランドに着いた。長かった。初めての南半球だ。ついに、南十字星が見られるぞ。しかし、眠い。

オークランドは雨で気温は24℃。ちなみにクアラルンプールは晴れ、32℃。ニュージーランドと日本の時差は3時間か。こっちの方が進んでいる。

早速、俺はお金を換えたが、関空では$1($はNZ$のこと)=約85円やったのに、オークランドでは$1=約76円だ。これはこっちで換えた方が得だ。しかし、紙幣はわかるがコインはわからん。タイに行った時と同じだ。どれが何¢か、何$か。こういう時はなんか買うのがいい。横にマクドがあったので、オレンジジュースを買ってみて、レジの兄ちゃんに俺が持っていたコインから金を取ってもらった。$1.60だ。よし、これ系が¢か。ちなみにビックマックセットが$5.00。400円ってとこか。日本とほとんど変わらんな。

さあ、空港に着いたのはいいが、ここはどこや。それに、どうやって町まで行けばいいのか。俺は適当にその辺の人に聞いて、町までのバスがあることを知った。それにしても、キュウイ(ニュージーランド人に対しての現地での呼び方)の英語は分からん。「ハロー」を「ハリー」って言うし、「10(テン)」を「ティン」って言う。うまく聞き取れん。

やがて、俺が乗ったバスはオークランド中心部にさしかかり、俺はダウンタウンで降りた。とりあえず、今日の寝床を探そう。しばらく俺は歩き続け、Queen St.を少し下ったところのQueen St. backpackersというところに泊まることにした。$15/dで、$90/wだ。とにかく眠い。俺は近くのスーパーで水とジュースとパンを買い、それを食ってしばらく寝た。

夕方起きて、バーガーキングに行って、$4.00のセットを食った。ここはフリードリンクだ。フリードリンクと言えばニューデリーのWimpyだ。大畑君と中安君とよく飲んだな。あの中安君がイスタンブールで尋ね人になっていることを先日下北沢で大畑君から聞いた。心配だ。とにかく無事でいてくれることを祈るだけだ。

ここのドリンクはWimpyと同じ俺が嫌いな炭酸系だ。またこれからコーラ、ペプシーが始まるのか。そう考えると、日本の飲料業界はすごい。俺は東京で飲料の陳列の仕事が長かったせいか、飲料に対しては思い入れがある。野菜ジュース、水もの、炭酸、果実、コーヒー、お茶、紅茶、機能系。人の欲望を満たす日本の飲料業界はすごいな。

とにかく、今日は疲れた。日本の疲れがまだ取れていない。なんぼ寝ても寝られる。

ちなみに、オークランド中心部を襲った大停電はほとんど回復したみたいだが、このバックパッカーを始め、まだ自家発電機を使っているところがある。都心部でのこういったパニックは恐ろしいものだ。さあ、今日は寝よ。おやすみ。

3月16日

「手探り」

このドミの連中はなんて奴等や。俺がまだ寝ているのに横でがさがさしている。それも、全然気も遣わずにだ。もっと周り見んかい。

朝、シャワーを浴びようとしたらなんとホットシャワーやないやんけ。インドやバングラならそれで十分だが、ここはオークランドやで。俺は寒くて死にそうだ。全くどないなってんねん。

今日はまず情報収集だ。ここはどういうとこでどういう人々が住んでいるのか。とりあえず、JTC(ジャパニーズ・ツーリスト・センター)へ向かった。海沿いのビルの4階だ。4階と言っても日本の5階に当たる。ニュージーランドはイギリス式で、1階はグランドフロアーだからだ。このオフィスの掲示板にはフラットの情報や物の売買の情報がかなりある。しかし、中心からバスで何ステージって書いてあるが、その場所がどこなのか。まず、オークランドの地図を買おう。

ここの人に聞いてびっくりしたが、学校に通うには$280/wいるらしい。それは高すぎや。もう少し色々考えてみよう。

それから宿に帰ったが、疲れているせいか、ドミのロビーで2時間ぐらい眠ってしまった。その後はショッピングだ。それにしても、オークランドにはチャイニーズや東南アジア系の人がかなりいる。日本人は少ない方だ。町の至る所に中国語やハングルの看板がある。

俺は、あるショッピングセンターの寿司屋でここの従業員に、

「この米はどこの米?」

と聞くと、予想通りオーストラリアからの輸入ものだ。やはり、ニュージーランドにはrice fieldがないみたいだ。それにしても、この巻き寿司はあかんぞ。海苔が中に食い込んでいるでは。これは日本では商品にならへんぞ、ねえちゃん。うどん1杯が$8.00、約600円だ。ビックマックセットが$5.00やから、少し日本食は高いか。でも、タイやネパールでの日本食の高さに比べればたいしたことはない。俺はまじで関西風のうどんを作ってやろうかなと思った。それに刺身。礼文で鍛えた腕だ。

花屋ものぞいて見たが、日本で売れそうな珍しい花も見つけた。それにしても、花屋が多い。薬局ではプロポリス。阿部さん(昔のカナディアんファームのパートのおばちゃん)に頼まれているやつだ。ニュージーランドでもあったんや。果たしていくらなのか、日本に輸出できるのか。それに、花の種は日本国内に持ち込めるのか。

それと、スーパーの商品には少し注意がいる。コーンフレークや米の中にはアリがまぎれ込んでいるのがある。このへんはタイと一緒だ。

それにしても、今日びびったのはオークランドにもプリクラがあることだ。それも、$6.00だ。高いぞ。ゲーセンにはストリートファイターやファイナルラップがある。こんなとこまで日本のメーカーが進出しているのか。車はほとんど日本産やし。バイクもそうだ。カメラは全世界どこでもだ。

正直、日本を出るまではイベントがかなりあって慌ただしかったが、今は時間が余りまくっている。なんて時が経つのが遅いんや

今の俺はすごく後手に回っている。やはり言葉の障害は大きいか。思った以上にこっちの英語は聞き取りにくい。チャイニーズが話す英語は分かるが、ネイティブになるとお手上げだ。早すぎる。今の俺は臆病になっている。このままではあかんぞ。今の俺はことが起こるの待っている。いつものように、自分から起こしに行かなければ。よし、明日もう一度JTCに行ってフラットを決めてしまおう。まずはそれからだ。

3月17日

「アルゼンチンに行こうかな?」

今朝は10時起き。体調も少し回復。とりあえず、今日は部屋を決めてしまおう。早速、JTCへ向かった。

JTCの人に色々聞いてみたが、ホームステイの相場は$160〜200/wで、仲介料を$120頂くと言われた。なめとんか、JTC。それやったら不動産屋やんけ。お前ら海外にいる日本人のための組織ちゃうんか。俺は頭にきた。しかし、年会費$100で荷物を預かってくれたり、手紙を受け取ってくれたりする制度には心引かれる。

俺はここの掲示板にあった2つの物件をメモして帰った。1つはダウンタウンからバスで3ステージ(ニュージーランドでは区間ごとに値段が違っていて、ステージが1区間のこと)のGlendowieで$70/w、もう一つは2ステージのMt.Edenで$90/wのところだ。正直、Glendowieの方を期待していたが、$70/wの部屋はもううまったらしい。そこで、Mt.Edenの方に電話したところ、$100/wの部屋ならあるというので、早速見に行った。

まず、どこでバスに乗ったらいいのか。それに、どこで降りたらいいのか。俺は、後ろに乗っていたおばちゃんに肩をたたいてもらって、降りるバス停を教えてもらい、少し迷いながら、Balmoral 29という家に着いた。ここのオーナー、笠原さん夫妻は埼玉の熊谷出身で、家族で永住権を取って、もうこっちで暮らすらしい。ちなみに、笠原さん一家はこの家を引き払って、海側に引越しし、それでここを貸し出しているようだ。俺はこの家を見てびびった。まるでお城のようだ。部屋は全部で10部屋近くあり、1階と地下があって、庭では畑ができる。ほんとにこんなところでいいのか。なんと和室もある。この半年間の俺の田端での寝袋生活を考えたら---。それに、窓からはMt.Edenが見えるし、目の前のポプラの木もきれいだ。とにかく、眺めは最高。家は真っ白で、シャワーが1階と地下にあって、バスタブもあり、このお湯は温度を設定できる。まさしく、俺はシンデレラが舞踏会に行った時の心境だ。

もう既に一人の日本人が入っていて、それと日本人とキュウイ(ニュージーランド人のことをこう言う)のカップルもいる。それに来週もう一人来るみたいだ。俺がここにしたもう一つの理由が、近くのコミュニティーセンターで、$30/wで英語の授業が受けられることだ。英会話スクールの1/10の値段だ。俺は明日ここに来ることにした。

帰りは笠原さんに市街まで車で送ってもらい、ビクトリア公園の近くで中華を食って、オークランド大学へ向かった。これがニュージーランドの大学か。まるで映画の世界だ。学生たちがベンチでしゃべったり、芝生に転がったり、何か食ったりしている。しかし、残念ながら農学部はなかった。俺はこの大学の手前にある公園を昨日見つけてすごく気に入った。

オークランドには至る所に公園があり、ここの公園では学生たちが学校帰りや休憩時間に芝生で寝そべっていて、なんと言っても町のシンボルであるスカイタワーやオフィス街が眺められる。それに観賞用の植物やお花でいっぱいだ。北大の中央ローンよりも広くてきれいだ。ああ、なんて贅沢な時間だ。俺は芝生に寝転がってうとうとしていた。うーん、最高。

それから、電気屋で電話線のコネクターを買って、町をぶらついていて気づいたのは、たぶん東南アジア系の顔をしている人はマオリだ。絶対そうだ。間違いない。それに、コリアンも多いことに気づいた。たぶん、チャイニーズは華僑やろう。こんなところでも活躍してるんや。ちなみに、黒人はほとんどおらん。それと、白人の女の人は若い人でもウエスト120cmぐらいのねえちゃんが多い。おばちゃんならわかるが、20歳ぐらいの子でも多い。食生活の違いかなって思ったが、おそらく遺伝だ。たしかゲルマン系の人だったような。彼らの体質だ。その証拠に、同じ食生活をしているチャイニーズの中で、太っている人はほとんど見かけない。

それにしても、町の至る所にハンバーガー屋がある。たぶんニュージーランド人の血液中の脂肪分、コレステロール量はかなり高いぞ。たしかに、日本食レストランもかなりある。値段は定食で$10(約750円)ぐらいだから、日本と同じだ。俺はニュージーランドまで来て日本食はやめようかなって思ったが、これは食わざるをえないかも。食うもんがない。しばらく自炊しよう。

ちなみに、ニュージーランド人はやはり日焼けに弱いんやろう。白人はしゃあないな。体中しみだらけの人が多い。

それにしても、ここのドミの欧米人はあかんな。欧米人のバックパッカーはこの前の東南アジアの時も思ったけど、いつまでもトランプやビリヤードをしている。新しく知り合った人同士で親しくなるためならわかる。しかし、同じ旅をしているメンツでだ。プライベートを大事にする気持ちは分かるが、他にすることないんか。それに、見るからにボンボンって感じだ。

今晩、俺はドミで一緒になった五十嵐さんとずっとしゃべっていた。五十嵐さんはJICAの一員で、アルゼンチンで働いていて、任期が切れて日本に帰る途中にニュージーランドに寄ったみたいだ。農業関係の仕事をしていて、いったん日本に帰って、それからできれば永住権を取ってアルゼンチンに行きたいらしい。五十嵐さんは俺にアルゼンチンに来ないかと薦める。アルゼンチンの農業もかなり遅れているらしい。俺なら結構いい待遇で受け入れてくれるとか。俺はまじで悩んだ。南米は非常に興味がある。しかし、こっちにきたばかりだ。うーん。五十嵐さんから南米の色んな話を聞いて、まじで気持ちが揺れている。何よりも、ビールが安い。それに、ワインも。ニュージーランドは、ビールもワインも思った以上に高い。さらに、アルゼンチンでは12haの土地を約US$5/monthで貸してくれるらしい。とりあえず、俺は五十嵐さんのアルゼンチンの住所を聞いて、週末に五十嵐さんがウエリントンから帰ってくるのでまた会おうという約束をした。

五十嵐さんは、

「今の日本はおかしすぎる。なんでも満たされていて、その流行に人はなぜついて行くのかわからずついて行っている。つまり、企業の思う壷や。」

と言っていた。確かにそうだ。今や、セブンイレブンでカラーコピーが取れるのやから。それに、例えば携帯電話。ただで手に入るから今の若い連中は手に入れる。手に入れたからには使ってみよう。使ってみればこれは使える。よしよし、もっと使おう。知らん間に企業の思う壷だ。俺が言いたいのは、そこで視点を変えて考えてほしい。何のため使うんやろう、こんなとこで使っていて周りは迷惑してへんやろうかってな具合に。オークランドではかなり高いで。ほんまに日本の生活に慣れてしまうと、他では生活でけへんな。別の見方をすると、人々の欲求をすべて満たしてしまう日本はやはりすごい。しかし、そういう日本を作り上げた政治家や官僚や民間のトップが汚職で捕まるんやから、ほんとどうなってるんやろうあの国は。

3月18日

「新居に移動」

しまった。五十嵐さんを見送るはずやったが寝坊してしまった。申し訳ない。

今日は、このドミを出て新しい住まいに移る日だ。その前に家賃とか払わないといけないと思うので、金を替えておこう。金を替えるのも、どの銀行のレートがいいかを調べることにした。

ニュージーランドには思ったよりもたくさんの銀行がある。その中でも、俺が調べた中では、the National Bank, the Bank of NZ, ANZ Bankのレートがいいみたいだ。それにしても、なんで現金なんか持ってきたんやろう。TCのほうが全然レートがいいでは。しまった。

それから、俺はドミの近くの日本料理屋に行った。一回どんなもんか試してみよう。

「明日香」という日本料理屋で、俺は味噌ラーメンとライスを頼んだ。この店には日本のマンガがいっぱい並んでいて、それに日本のテレビ番組のビデオが流れており、俺が行った時は、「Hey Hey Hey」が流れていた。たぶん1年前の放送だ。それと、日本の歌が店全体に流れていて、お客さんに対して店の人は、

「いらっしゃいませ。」

と日本語で応対する。客の層は、現地の人からチャイニーズ、コリアンと多種多様だ。

しばらくすると、俺が頼んだ味噌ラーメンが運ばれてきて、俺はその汁を飲んで愕然とした。なんじゃこれは。こんなもん水やんけ。俺がヒマラヤでお湯を入れすぎたインスタントの味噌汁のほうがよっぽどうまいやん。それに、この米。これはインディカが混じってんのちゃうか。インディカ米はチャーハンとかにせんとあかんやろう。俺はここのウエイトレスのねえちゃんに、オーナーはどんな人かと聞いたら、どうやら韓国人らしい。おい、韓国人がなんで日本料理店を経営できんねん。うわさによれば、元のオーナーは日本人らしいが、これはひどすぎるぞ。まあ、海外で日本と同じような料理を期待する俺も悪いが。松本さん(北大のラボの先輩)が鳥取で、

「鳥取はラーメンがまずくて、地元の学生に聞くと、ラーメンっておいしい食べ物なのですかって言うんだよ。」

と言っていた言葉を思い出した。俺は、ニュージーランドの人に札幌、澄川の「純連」の味噌ラーメンを食わしてやりたいと思った。しかし、鳥取で山田さん(北大のラボの先輩)が、

「純連のラーメンはここの学生にはレベルが高すぎてもったいなさすぎる。」

と言っていた。

そうかもしらん。とにかく、今日は朝から気分が悪い。ちなみに、このレストランには日本の飲料も売ってあって、ポカリ、カルピスウォーター、ポッカコーヒー、オロナミンCなどで$2.80もする。現地のコーラなどの飲料が$1.00なのを考えるとかなり高い。

やがて、ドミをチェックアウトして、Three kings行きのバスに乗って、Balmoral roadで降りて、俺の新居に向かった。俺が着いた時には、先に住んでいるカップルで女性の方の日本人がいた。真理子さんで、千葉出身でたぶん俺の2つぐらい下だ。俺は、2時に笠原さんと待ち合わせをしていたのに、1時間経っても来ないのでどうしたのかなと思っていると、まりこさんが教えてくれたのだが、なんと今週からニュージーランドでは冬時間で、1時間遅くするらしい。なんかようわからんが、10月と3月で時間を1時間変えるようだ。

しばらくして、笠原さんが来て契約を済ませた後、近くのSt. Lukes Shopping Centreまで車で送ってもらった。俺はそこで買い物をした。これからは自炊しないと。しかし、思った以上にニュージーランドは物価が高い。こんなはずではなかった。トマトが$3.69/k、ピーマンが$4.99/k、馬鈴薯が安売りで$1.49/kだ。ちなみに水耕栽培のレタスなんかも売っていた。俺が買ったオーストラリア産のジャポニカ米は、$6.73/5kで、それも中にありがいる。それと、やたら日本の調味料は高く、味噌なんか500gぐらいのパックで、$6.00〜7.00はする。醤油も高く、ワサビもやたら高い。これやったら五十嵐(北大の農化の同期)にもらった醤油の商品券をもってくるんやった。

レジで会計をする時は自分で買い物カゴから商品を出す。これがこっちのスタイルやろう。俺は、ニュージーランドは水が飲めると知って、魚を刺身にでもしようかなと思ったが、今日は馬鈴薯を買ってジャガバターにすることにした。

それから、バスで家に戻って、しばらく昼寝して、カップルのうちのキュウイと始めてご対面して、それと日本人のじゅんさんにもご対面した。じゅんさんは奈良出身の人で、なかなかユニークな人だ。真理子さんはどっちかといえばパワーがなく、若者らしくない。じゅんさんはしっかりとした目的を持って、ニュージーランドに来ている。

今日の夜はじゅんさんと二人で色んな話をした。俺がネパールで大畑君と会った夜みたいだ。まずはお互いのことからだ。

それと、今晩俺のコンピューターからちゃんとE-mailが通信できることが判明した。よし、これからメールのやり取りができるぞ。

それに、今晩久しぶりになべで米を炊いた。中指の第一関節と第二関節を思い出した。こういうとこで今までの自分の知識が役に立つとは。

3月19日

「英語を習おう」

今日は英語学校に申し込みに行く日だ。やはり、まずは会話だ。この1年間の土台を作らんと。ほんとニュージーランド人の英語は分からん。問題は、学校側がまだ受け付けてくれかどうか。なにしろ、授業は来週開講だ。

今朝、軽くピザトーストを作って、Mt.Roskillのコミュニティーセンターへ向かった。歩いてどれぐらいかかるか見当がつかん。Three Kingsよりもまだ向こうだ。オークランドの町は、芝生や公園が至る所にあって、ほんときれいなのだが、一番困るのは坂が多いことだ。ほんと坂だらけだ。それと、にわか雨がやたら多い。そういう季節なのかもしれない。

結局、50分ぐらい歩いて学校に着いた。早速、受付に行くとおばちゃんがいて、まだ募集しているとのこと。ラッキーだ。俺は、

「俺の英語はどのクラスがいいか。俺の英語を聞いて推薦してくれ。」

と聞くと、なんとかなり上のクラスでもいけるみたいだ。そんなに俺の英語が通用するのか。時間的に、もう一クラス受けられるので、俺は2クラス受けることにした。11時半〜1時半までと2時〜3時までだ。月から金までの合計5週間の授業で、全部でたった$240。英会話スクールの一クラスの1週間分よりも安い。これはグッドだ。

お金は明日払いに来ると言って、帰りに近くのスーパーをのぞいて見た。ある店でなんと「出前一丁」が売っていた。¢99だ。まあ、日本では5袋パックとかで売っているから少し高めだ。ちなみに、ここで梨らしきものを買ってみたが水分がなくてまずい。

ニュージーランドのスーパーでは、果物や野菜、特に果物に多いのだが、キロ単位で売っている店が多い。こっちのスタイルなんやろう。とにかく、なにもかもが初めての経験で勉強の毎日だ。バスの乗り方は大体わかった。自分がどの区間乗るかをまず運転手に伝えて、お金を払ってレシートをもらう。1ステージ$1.10だ。当然、社内放送がないので、バスの中では寝ていられない。自分が降りたいバス停が近づいてきたら、ブザーを鳴らしたり、ブザーと連結したひもを引っ張る。このへんはタイのバスといっしょだ。そう考えると、日本のバスはむちゃくちゃ親切だ。ニュージーランドやったら、東京でやっていたような巡回は無理やった。郷に入れば郷に従えだ。

しかし、ニュージーランドのエスカレーターはあかん。やはり、早く行きたい人用にどっちか一方をあけなあかん。このへんのモラルは日本式で行こう。それと、俺がいつも日本で心がけていた「プラス1」の精神も忘れないでおこう。でも、基本的にはこっちのスタイルにあわすのが第一だ。

3月20日

「また負けかいな」

今日は英会話学校にお金を払いに行かねば。その前に、TCを換える目的もあって、ダウンタウンに向かった。ついでやからJTCにも入ろう。あんまり組織とかに入るのは嫌いだが、JTCに入ると荷物をいつまでも預かってくれたり、手紙を転送したりしてくれる点は便利だ。まあ、これからの1年間のことを考えたら年会費$100はしゃあないか。俺がニュージーランド中のどこにいても連絡が取れるのだから。

JTCの受付のねえちゃんは俺のことを覚えていて、少し話をしていると、千葉の船橋出身のようだ。船橋といえばよく京成からJRに乗り換えたり、東武野田線に乗ったり、ららぽーとに巡回で行ったものだ。ねえちゃんはららぽーとのダイエーや津田沼のダイエーによく行っていたみたいで、俺が

「津田沼のヨーカドーはヨーカドーの中で売り上げ日本一ですよ。」

って教えてあげると、

「ほんと。なんで大阪の人がそこまで知っているの。」

って感じで俺を見ていた。なかなかのりのよさそうなねえちゃんだ。

それから、Three Kingsまで戻って、英会話学校にお金を払いに行くと、なんと俺が取った一つのクラスが人員不足のため中止になったみたいだ。そこで、急遽クラスを変えた。なんでいつも俺の場合だけおちがあるねん。しかし、受付のおばちゃんはちゃんと俺が来るのを覚えてくれていて、

「来週の月曜日に15分前に来なさい。教室に連れていってあげるから。」

と言っていた。おいおい、俺は小学生か。

やがて、またバスでダウンタウンに戻り、今度は銀行の口座を作りに行った。俺が日本においてきた金を振り込んでもらうためだ。しかし、何もかもが初めてで、おそらく日本でニュージーランド$に換えるとかなりレートが悪いので損をしそうだ。こんなんやったら、すべてTCに換えて持ってきたらよかった。日本円で振り込まれへんやろうか。

結局、銀行をANZ Bankにして、カードを作ろうとしたらいろいろ面倒くさい手続きがいるみたいだ。でも、勉強になった。俺の相手をしてくれた兄ちゃん曰く、まず市役所かどこかに行ってID Numberをもらわないといけないようだ。というのは、ニュージーランドで働くと、雇用主は仮に俺に$100の賃金を払うと、そのうちの$21を国に納めないといけないらしい。だから、身元がしっかりしていないと雇ってくれない。それと、機械からお金を引き出すときは¢25の手数料で、窓口に行くと¢50かかる。さらに、銀行にお金を預けていると月に$3.00はもっていかれるみたいだ。あと、俺自身のこの銀行のナンバーとカードのナンバーっていうのがあって、俺に振り込んでもらう時は俺のナンバーに振り込んでもらうように言われた。色々あるんやな。

なんとか苦労して、今日中にカードをもらったが、問題はどうやって金を引き出すかだ。また勉強だ。それにしても、今の日本でのレートが心配だ。俺が出る時は、$1=85円やったが、こっちではキャッシュで$1=75円ぐらいだ。絶対こっちで換えた方が得だ。俺が一生懸命に貯めた金だけに、なんとか損はしたくない。

今晩、ナイジェルと真理子さんと3人でベランダから夜景を見ていると、右の方に明るい光が見えて、俺は始めラグビーのナイトゲームかなと思っていたが、ナイジェルが言うにはどうやらナイター競馬のようだ。ナイジェルが、

「今から行くか。」

と聞いてきたので、

俺は迷わず、

「Of course.」

と答えた。まさかニュージーランドにまで来て競馬ができるとは。それも、今日はナイジェルの車で行ったのだが、歩いて20分ぐらいだ。これはいい。

中に入ってみると、大井のトゥインクルレースみたいですごくきれいだ。それに、競馬場に行くなんて佐々木と石渡さん(二人とも東大のラボのメンバー)と中山競馬場に弥生賞を見に行って以来かも。人も少なくてほんとにきれいだ。

俺らはなんとレース前の馬が待機する馬舎のようなところに入れた。その辺にいたねえちゃんが通行証みたいなのをくれたのだ。ラッキーだ。

ニュージーランドやオーストラリアのオセアニアの馬は、ジャパンカップでよく優勝している。俺は今年のニュージーランド地区の馬情報を石渡さんに送ってあげようかなとまじで思った。しかし、ここの競馬場ではいわゆるばんえい競馬みたいに馬が人を乗せたカートを引くスタイルだ。ちょっと残念だ。コースも貝殻の破片や砂利をコンクリートに敷詰めている。芝ではない。

俺は早速メインレースのパドックを見た。日本では競馬59連敗を記録した実績がある。しかし、我ながら馬を見る目に自信がある。井崎探偵事務所よりは当たるぞ。しかし、今日は強気だ。競馬新聞を一切見ないで自分の目だけを信じる。まさしくギャンブラーだ。全部で17頭出走のうち、俺の目には13番が光って見えた。馬体重にして480キロぐらいか。鹿毛で後ろ足の筋肉の張りがよく、がっちりしていてつやがいい。返し馬を見てもまずまずで、折り合いも良さそうだ。もうこれしかない。ここは単勝一点買いだ。

やがてスタート。レースはコースを2周する。1周900mぐらいか。少し狭めだ。

前半の1周目、13番は中段につけて、2周目の3コーナーを回ったころから徐々に上がっていき、最後の直線で外に出て差しにきた。俺は一瞬もらったと思った。結構いい伸びをしている。もし単勝ならかなりつく。やや穴馬だ。最後の50mぐらいでトップと1馬身差。よっし、いけぇ。えー。あかんやん。伸びん。結局、1/2馬身差の2着。くやしい。なんで、ニュージーランドにまで来て負けなあかんねん。ちなみに、真理子さんが買った馬は途中棄権。ナイジェルは取ったが、ずるい。13番の複勝だ。まるで、石渡さんみたいだ。おまけに、複勝は1.7倍。もうけないやんけ。

どうやら、4月24日に大きいレースがあるみたいで、家からここまで歩いてもすぐだから、ここに来ないわけには行かない。一つ楽しみができた。

3月21日

「Mt.Eden」

しまった。昨日、笠原さんが小さないすを持ってきてくれたのだが、夜俺はふとそれに腰掛けた。なんとペンキが塗り立てでは。俺のリーバイスのジーンズにくっきりペンキの跡が。ひどい、笠原さん。持ってきたんやったら乾いているかどうかわかるでしょう。一言言ってくださいよ。とれないじゃないですか。

オークランドに来てちょうど1週間目の朝を迎えた。今日の午前中に新しい日本人が来た。じゅんさんの学校の知り合いで、九州出身みたいだ。

今日は、俺はMt.Edenに行くと決めていた。オークランドのダウンタウンからバスで1ステージにある小高い丘で、市内が一望できる。家からは歩いてすぐだ。早速、Mt.Edenに向かった。途中で、親切な老夫婦がナビしてくれた。ほんとキュウイは親切だ。どうやら、この夫婦の息子の嫁が名古屋出身で、息子夫婦は今日本にいるみたいだ。俺が、日本から来たと言ったらすごく喜んでくれ、色々俺に日本のことを聞いてきた。それに、別れ際には、

「これからの1年間、おおいにニュージーランドを満喫してね。」

とエールを送ってくれた。ええ人やん。

結局、30分ぐらい歩いただろうか。ようやく頂上に着いた。Mt.Edenからのオークランドの眺め。もう言葉が出ない。うーん、最高。360度のパノラマ。風が強いが心地よい。中標津の開陽台のようだ。生駒からの景色にも似ていると言えば似ている。というのは、正面はオークランド中心部のオフィス街。反対は住宅街。方や大阪平野、方や奈良の田舎って感じだ。

オフィス街と言っても、東京タワーから見る大手町、丸の内や、空中庭園から見る大阪駅前とはわけが違う。オークランドのシンボル、スカイタワーの周辺のみにビル街があってその向こうは海岸線が続き、住宅街と言っても日本のように家が密集しているのではなく、家と家の間には必ず緑があって広々としていてものすごくきれいだ。公園もたくさんある。昨日行った競馬場ではレースが始まっている。至る所にポプラがありカンバもあって、なんと言ってもマツの一種だろうが、うまく整えられてものすごくきれいだ。目の前には大きな穴がある。火山の火口か。歩いてくる時に土を見ると赤土っぽかったので、もとは火山なのか。とにかく、最高。言葉では言い表せない。家からはちょうどいい散歩コースだ。俺は、朝早くにおじいちゃんとよく石清水八幡宮にお参りに行ったのを思い出した。そんな感じに気軽に来られる。

それにしても、オークランドの公衆便所はほんときれいだ。日本では雑誌や落書きだらけだが、オークランドの公衆便所は家のトイレと変わらないぐらいきれいだ。すごく気分がいい。

今日は土曜日。中心部のQueen St.沿いはホコ天になっている。公園ではフリーマーケットが行われている。それにしても、キュウイにしろ、マオリにしろ、チャイニーズにしろ、サングラスをかけている人が多い。俺もよくグラサンをかけるのだが、やはり白人がかけると様になる。顔のほりが深いっていうのはグラサンが似合う。ものすごいかっこいい。でも、きれいなのはチャイニーズだ。ほんとチャイニーズはきれいだ。スラーッとしている。スタイルはタイ人系だ。

通りの至る所で大道芸が行われている。しょうもないジャグラーから音楽やら踊りやら。一人、訳わからんかったのは、ディスコミュージックを鳴らしてひたすら踊っているねえちゃんがいた。俺は思わずつっこんだ。

「おい、ねえちゃん。のってるのはお前だけや。」

俺は、まじで空手の板割がでけへんかなっと思った。絶対うける。それと、英語がもっとうまくなって英語漫才だ。ネタはあるし、こちらの風習をふまえて作り直せばいい。欧米人やキュウイもそうだが、全然おもろないことやのに爆笑している。絶対、べたな笑いでもうけると思うんやが。例えば、めだかちゃんの「今日はこれぐらいにしといたろう」とか。俺はまじで英語漫才を考えた。大阪の笑いをニュージーランドで披露するチャンスだ。この前八戸に行った時、クリスタ(ヒマラヤで知り合ったカナダ人)やデイビット(クリスタの彼)、それにその仲間は俺の中では全然おもんない話も腹抱えて笑っていた。しかし、さすがに英語で大阪弁の間(ま)を出すのには苦労した。もっと英語力の向上が必要だ。

途中のある土産物屋で知ったのは、オールブラックスのラガーシャツはCANTERBURYといういわゆるこちらのブランドが商品として専売していて、それ以外の商品は偽物みたいだ。CANTERBURYの店が、Queen St. とCustom St.の交差点にあってのぞいて見たが、ラガーシャツは$135する。高いな。しかし、ここでしか手に入らない商品だ。ラグビー好きの俺には迷うところだ。

とにかく、まだまだ見るものすべてが勉強だ。書いても書いても書ききれん。特に、こちらの人の週末に対する意気込みはすごい。待ってましたと言わんばかりだ。すごい盛り上がりだ。物も安くなるし、バス代も安くなる。うーん、勉強になる。

3月22日

「再会」

昼ごろ笠原さんが見えて、俺はいすのペンキのことを言った。笠原さんはいい人だ。だから、あまり争いごとを起こしたくない。俺は、笠原さんが気を悪くしないような言い方で言った。

実は、今朝笠原さんのところに、ドミで知り合ったアルゼンチンの五十嵐さんから俺宛てに電話があったらしい。笠原さん夫妻には電話が来るかもしれないことを伝えていたのだが、どうも電話を取ったのは娘さんで、俺はいないと言ったようだ。しまった。俺はどうしてももう一度五十嵐さんに会いたかった。というのは、五十嵐さんがウエリントンに行く日の朝、俺は見送ると約束したのにうとうとして寝過ごしてしまった。そのお詫びもかねてもう一度会いたかった。

早速、俺は以前泊まっていたドミに連絡して、五十嵐さんが同じところにいることをつきとめた。ドミに行ってみると、留守やったのでとりあえず書き置きをしていた。うまく読んでくれればいいが。

今日の予定は買い物だ。来週分の食糧を買わねば。それにしても、オークランドのスーパーは高い。野菜や肉、魚は日本よりも高い。ちなみに、キャベツ一玉$3.99、トマト$1.99/k、キュウリ1本$1.99(安い方で)、レタス一玉$1.99、ニンジン$1.29/k、ナス一つ$2.49ってとこ。それに、牛乳も高い。スーパー自体はすごく合理的で、入口にカートがあって、レジではレジを打つ人と、商品を袋に入れてくれる人がいて、それも野菜は野菜、乾物は乾物と分けて入れてくれ、レジの清算が終わればすでに袋に詰め終わっていて、そのまま出口もしくは駐車場までカートでに入れていく。スーパー自体の中もきれいだ。

しかし、棚のPC(プライスカード)はだめだ。あれは客側からは見えにくいし、PCの押えがないので剥げていっている。たまには棚替えや棚卸しをしないと。特売のエンドも品出しができていない。あれじゃ特売の意味がない。俺は東京での仕事がらそういうところが気になる。

野菜コーナーはいい。常に新鮮に保つように時々、スプリンクラーみたいなやつで上から霧を吹きかける。あれはいいな。俺はそんなに買ってないつもりが合計で$35も買ってしまった。これじゃ日本と変わらんやん。

帰りのバス停でバスを待っている間、俺はさっき買ったビスケットを食おうと袋を開けたら、こっちの袋は日本のようにしっかりしていないのか、上だけじゃなく全部破けてしまって、ビスケットがすべて坂を転がっていったじゃあーりませんか。あーあ。俺の口はビスケットを待っていたのに。悔しいから、何個か拾って食おうとしたが砂も食ってしまったやん。ものすごい気分悪い。

オークランド市内は週末にバスが安くなるのは便利だ。それと、バスを降りる時に運転手に向かって、

「Thanks.」

と言って降りる人がかなりいる。こういう気遣いは見ていて気持ちがいい。

家に戻ってシャワーを浴びている間に、なんと五十嵐さんから電話がかかってきた。真理子さんが取ってくれたのだが、俺のメモを見てくれたのだ。俺は折り返しドミに電話して五十嵐さんと話したところ、明日オーストラリアに向かうので今晩がオークランド最後のようだ。俺は五十嵐さんにワインを買ってくるように頼まれて、ダウンタウンに向かった。しかし、オークランドでは日曜日は酒を売ったらあかんみたいだ。なんでやろう。俺はMt.Edenで一軒酒屋を見つけて、レジのおばちゃんに聞いてみたが、

「日曜日はビールのライセンスがないから売れないけど、ワインなら売ってあげる。」と言われた。どないなってんねん。

ドミに着くと、五十嵐さんがめしを作っていて、五十嵐さんの連れの裕加さん、五十嵐さんがウエリントンで知り合った阿久津さんがいた。しもた。これやったらワインをもっと買ってきたらよかった。今晩、俺はこの前のお詫びと餞別に五十嵐さんたちに酒を買ってご馳走しようと思っていたが、あまり買いすぎたら五十嵐さんたちが恐縮するかなって考えて1本だけにした。しまった。変な気を遣わんかったらよかった。五十嵐さんは俺が買ってきたワインの金を払うと言った。当然、そんな物は受け取れない。これは俺の気持ちだ。しかし、五十嵐さんは払おうとする。困った。五十嵐さんのプライドもある。俺は気持ちだけ$10もらうことにした。

さあ、最後の晩餐だ。なかなか料理はうまい。イカ刺し、野菜炒め、トウキビ、ポテト、米。うまい。

五十嵐さんは、外見は俺が礼文1年目でいっしょやった実さんに似ている。裕加さんはタイプ的には、この夏の礼文のお客さんの置田さんって感じか。しゃべりのテンポは大介花子の花ちゃんか。しかし、ボケが多すぎ。つっこむのがしんどい。阿久津さんは東幹久系だ。ニヒルな感じだが、つつくとぼろが出るタイプだ。

この3人と俺で最後の晩餐だ。すごく楽しい。それぞれの個性が出て、なかなか楽しい時を過ごした。タイプ的には俺と裕加さんは似ているが、色んなタイプの人がいると場は楽しくなる。しかし、似た者同士だけやとかなり疲れる。今日の場の空気は俺自身過ごしやすかった。

俺は、俺が書いた東南アジア旅日記や礼文からの原チャの旅、それに今回のホームページの件を話すと皆さん興味を持ってくれた。早速、裕加さんは日本に帰ってアクセスしてみるとか。それに、紀行文を読んでみたいと言ってくれ、裕加さんは狭山に住んでいるので、俺の実家を訪ねてフロッピーをもらってくださいと伝えた。なかなかの反響だ。

五十嵐さんとはまたアルゼンチンで会うことを約束した。阿久津さんは9月までこちらにいるので、近いうちに会おうという話をした。皆さん、俺の今までの行動を聞いて関心していたが、いつもそうなのだが俺としては当たり前のことを当たり前にしている感覚しかないので、なんかむずがゆい。したいことをただ行動に移しているだけ。ほんとそれだけだ。それがこうやって皆さんにお話できるのは、俺と出会って世話してくれたり、一緒にドラマを作ってくれた仲間がいたからこそだ。だから、今回の五十嵐さんたちもこれからの俺のドラマに出演してくれるかもしれない。それに、五十嵐さんたちは俺の3月22日というドラマのクライマックスをかざってくれた立派な出演者だ。俺の方こそ皆さんに感謝だ。

ほんと楽しい夜だった。朝までやりたかったが、明日から学校に行かねばならない。それにしても、五十嵐さんに再会できてよかった。神様はまだ私の味方なのですね。五十嵐さん、アルゼンチンでお会いしましょう。

3月23日

「学生時代にタイムスリップ」

今日から学校。学校に行って講義を聞くなんて大学3年以来だ。早速、じゅんさんと一緒に学校へ向かった。じゅんさんは基礎から英語を習いたいというので「Elementary class」で、俺は受付のおばちゃんが推薦してくれた「Intermediate class」だ。授業は9時から。9時からの授業なんて教養以来かも。

地元の幼稚園、小学校および中学校と同じ敷地にある教室で、ちびっこたちと一緒に登校だ。休憩時間にマオリのちびっこが、

「あなたたち。何しにここに来たの?」

と言ってきた。ほっといてくれ。お前らに関係ないやろ。しかし、こっちのちびっこは気軽に声をかけてくれるし、俺からもかけやすい。キュウイ、マオリ、チャイニーズ、コリアンと色んな人種がいるので、その中に日本人が混じっていてもなんとも思わないみたいだ。まさしく、人種のるつぼだ。いい傾向だ。

1時間目のクラスは全部で20人ぐらいか。俺はもっと少ないかと思った。チャイニーズ、コリアンが目立って、日本人は俺を入れて3人ぐらいか。あと、インド人、イスラムの人もいて、なんと言ってもロシア人だ。ロシア人が多いやんけ。それに、うわさ通りロシア人はむちゃくちゃきれいやん。これがスラブ系の人間か。まさしく、ナターシャという名前が似合う。でも、どこの国でもおばちゃんはおばちゃんだ。このナターシャがあのおばちゃんみたいになるのか。

ナターシャ(本名は知らん)は2人いて、でかナターシャは俺と同じぐらいか少し上で、革ジャンにジーンズ、ハイヒールとまさしくハーレーダビットソンで通学って感じで、背もスラーっとしててかっこいい。しかし、休憩時間に俺に向かって、

「タバコもってへんか?」

と言った時はショックだった。ナターシャはタバコを吸わんでほしい。

ちびナターシャは20歳前後で、俺はどちらかと言えばちびナターシャの方がタイプだ。趣味がバイオリン、ピアノって感じで、アルプスをバックにしたシャンプーのCMで髪をなびかせている姿が似合いそうだ。でかナターシャとは対照的で文科系っぽい。授業が終わって俺とすれ違う時に俺に向かって、

「See you.」

と言ったあの笑顔は、俺が体操の審査員やったら10点満点をあげたいぐらいいい笑顔やった。とにかく、両ナターシャとは友達になっておこう。うーん、アルゼンチンもいいがロシアもいいな。

先生はウォルター先生。チャイニーズだ。先生の英語はほんときれいだ。タイプ的にはスポーツマンで、家ではいいパパって感じか。とにかく、人が良さそうで、俺は休憩時間にニュージーランドのスポーツのことを色々聞いたら、すごく丁寧に色々教えてくれた。それに、先生に英語はすごくわかりやすい。さすがに先生だ。

授業中は英語だけで英語を教える。ちょっと奇妙だが結構いいかも。みんなかなり英語ができるので、質問も細かなところが多い。俺もこれぐらいの授業やったらほぼわかる。しかし、久しぶりの英語の授業なのでかなり忘れていていいリハビリだ。ちなみに、まだ文法が中心だ。

客観的に授業を見つめると、かなり日本とは違う。これが真の勉強か、とも思う。生徒はどんどん質問し、授業に参加する。やはり積極的なのは西洋人だ。アジア人は少しネガティブだ。俺がネパールで日本語を教えていた時の生徒の姿勢と一緒だ。自分が納得するまで食いつく。先生もそれに全力でぶつかる。いい光景だ。俺も当然参加する。東大のラボのゼミで、俺らが全然質問しないのを藤原さん(助手)が嘆いていた気持ちが分かるような気がする。まさしく、この姿が本来の学校のスタイルかもしれない。

30分休んで2時間目だ。次は「Fluent skill class」だ。まあ、いえば流暢に会話をするテクニックを教えてあげようというクラスだ。このクラスは日本人の女の子が多い。みんな短大、大卒直後ぐらいか。クラス全部で20人ぐらいか。やはり、アジア系が大半だ。

先生は同じウォルター先生。ほんとは違う先生がよかった。というのは、色んな先生の英語を聞きたかった。でも、しゃあない。ウォルター先生はいい先生やし。それにしてもトータルで4時間の授業はかなり疲れる。こんなに真面目に授業を聞いたのは生まれて始めてかも。最後の方は意識がもうろうとしていた。初日、とにかく疲れた。

授業が終わってからはダウンタウンに行って、IRD numberを作った。これがないとニュージーランドでは働けない。いわゆるIDで、賃金の何%かは税金で持っていかれるので、雇用者は身元が分からない人に銭はあげられない。だから、俺がこの国を出る前には必ず税務署に行かねば。とにかく、生活するためには色々することがある。キムさんやユーヌスさん(2人とも東大のラボの先輩)も手続きが大変やったに違いない。

今晩、ナイジェルがまたルバーブを作ってくれた。ルバーブとはセロリのような植物でスーパーに売っていて、それを水、リンゴ、オレンジ、砂糖とミックスしてボイルし、最後にアイスクリームで飾って出来上がり。これが結構うまい。ルバーブの酸味とアイスクリームの甘さがマッチしている。今度はルバーブパイを作ってくれるようだ。

今日から、俺とじゅんさんはナイジェルにスラングを少しづつ教えてくれるように頼んだ。スラングは学校では教えてくれないが、みんなよく使うので知っておく必要がある。ナイジェルの英語にももう慣れた。俺にしてみればいい英語の先生だ。

3月24日

「東欧の友達」

今日学校に行ってわかったのは、昨日俺がロシア人やと思っていたちびナターシャが実はポーランド人やった。初めての東欧人の友達だ。名前はエバ。どうやら、学校が終われば働いているみたいだ。ポーランドは、ロシア語、チェコ語、スロバキア語、ポーランド語、ドイツ語と入り乱れているので、エバはそれらの言語はすべてわかるらしい。すごい。エバに俺の名前を言うと、やはり「学」という名前は難しく、

「えっ、あなたの名前は難しくて、私は覚えられない。」

と言っていた。やはり難しい発音なのだろう。ちなみに、タイのポンピモールさん、ネパールのラメ先生、ラヴィ、ラクシミ、カナダのクリスタ、デイヴィット、カナディアンファームのベン、ダヴィット、シルヴァン、テッソン、エマ、マーティン、アニー、それにナイジェルにも同じ事を言われた。

ウォルター先生とはすっかり仲良しになった。今日も、

「普段は何しているの?」

と聞かれ、

「今は特に何もしてないが、少し運動をしたり、ちびっこの世話でもしようかな。」

と言うと、色々アドバイスをしてくれた。すっかりお友達だ。ウォルター先生の英語はほんと分かりやすい。

今日の1時間目の終了時に、じゅんさんのクラスにいるコリアンの女の子が俺らのフラットに来たいと言ってきた。しかし、彼女はまだ来たばかりで英語がほとんどできない。困った。どう説明すればいいのか。こういう時キムさんがいてくれれば。コリアンの子がうちのフラットに来てくれると、俺の好きなキムチを作ってくれそうでうれしいが、問題はコミュニケーションだ。とりあえず、俺のクラスにいるコリアンの女の子に通訳してもらって、明日の朝詳しく言うからってことにした。笠原さんに聞いてみないことには。

パーネルからチャリで通っている和さんも元気もりもりだ。しかし、昨日も深夜まで飲んでいて今日も遅刻だ。和さん、それはあきませんで。

2時間目の授業には、じゅんさんや和さんと同じ英語学校に行っていた女の子が同じだ。顔が明治時代のあの「麗子像」そっくりだ。名前は琴江ちゃんで、埼玉の飯能の近くに住んでいる。俺は東京で営業をやっていてよかったと思うことは、関東の人と出会っても話ができる。というのは、初対面の人同士は始め、どこから来たの、とか、日本で何していたの、といった会話から始まることが多いが、例えば、

「どこからきたの?」

「埼玉。」

で会話が終わりのところが、

「埼玉のどこ?」

「越谷。」

「東武線?それとも武蔵野線?」

といった具合に会話が続く。東南アジアを旅行していた時も、礼文にいる時も結構これが役に立った。特に礼文では宿帳に住所を書いてもらうので、より詳しくローカルな会話ができる。

麗子像はお嬢さんって感じだ。22歳ぐらいか。ボーッとしていて、テンポが遅い。しかし、おもろい間をしているので使える。去年の12月からずっとホームステイしているみたいだ。ちなみに、いつも暇らしい。よし、暇な時は麗子像と話しをしてよう。

今日の2時間目の授業は面白かった。いわゆる「スラング」みたいにあまり使わない方がいい言葉を教えてくれた。すごく役に立った。

3月25日

「むかつくぞ、無愛想」

学校に行くのも3日目。うちの近くの小学校では、たぶん小学校の高学年と思うが、ちびっこが先生と一緒に横断歩道のところで低学年が道路を渡る時に旗を持たせて渡らせている。すごく微笑ましい光景で、俺もその旗をわざと持って渡っている。当然ちびっこは笑っていて、今日は先生に、

「まあ、大きな子供ね。」

と言われた。朝からみんな明るい。

ほんと、ウォルター先生と俺は仲良しだ。先生は俺のことを気に入ってくれたみたいで、今日も先生の方から話しかけてくれた。両ナターシャともすっかり友達になった。クラスにイスラムのおばちゃんが2人にて、そのうちの1人に俺は、

「インドから来たの?」

と聞いたら、なんとイラク人だ。さすがに、

「フセインはどないなってんねん。」

とは聞けなかった。

今日はじゅんさんのクラスにいるコリアンの女の子がうちに見学に来る日で、色々敷金とかのことを伝えなければいけない。実は、彼女の友達もわざわざ来てくれて、どうも2人で入りたいみたいだ。これはラッキーだ。うちの鏡張りの2人部屋に入ってもらう絶好のチャンス。ちなみに、この部屋だけは絶対だれも入れへんと日ごろからみんなで話している部屋だ。

じゅんさんのクラスのコリアンはすごくかわいい子で金持ちっぽい。昨日も美容院に行ったみたいで、$90払ったとか。服装も金持ちそうで、今ユースの$48/dの部屋にいるとか。年にして19歳ってとこか。世間知らずのお嬢様だ。しかし、問題は英語が話せない。コミュニケーションがほとんど取れない。その友達はある程度英語が話せるが無愛想だ。俺は俺のクラスにいるコリアンの女の子(この子もかわいい)に通訳してくれるように頼んで、早速今からじゅんさんと一緒に部屋を見に行ってくれと伝えてもらった。俺は2時間目があるので行けないので、Three Kingsのバス停まで和さんにも着いて行ってもらった。なんせコミュニケーションが取れないから、人が多い方がいいやろう。

結果はアウト。あきらめた理由が、学校からThree Kingsのバス停まで歩くのがしんどいからだ。なんじゃこいつら。たかが15分ぐらいやろう。それも無愛想が言ったらしい。しばくぞ、無愛想。お前、何様や。せっかくうちのクラスの子が一生懸命通訳までしてくれたのに。

放課後、昨日と同様麗子像とバス停まで話しながら帰った。麗子像も金持ちそうで、実家からすでに洋服等がかなり送られてきて、その荷物の中にお茶漬けがかなり入っているようだ。麗子像はお茶漬けなんて食べないと言って、どうやら俺に全部くれるみたいだ。うれしい。どんなけ、お茶漬けやふりかけがほしかったか。これで冷やご飯の使い道ができた。助かった。

ほんとは、今日の夕方に日本人の女の子が部屋を見に来ると言っていたのだが、どうやら他に決めたらしく、代わりに文科系っぽい野郎が見に来てて、来週末から来るみたいだ。もう野郎はいらん。

今晩、ナイジェルにチェスを教えてもらった。チェスは一度取った駒は使えなくて、それに成れない。特に、桂馬や歩は相手の陣地に入ったらもう役目がない。その点、将棋はいい。チェスしか知らん人に将棋を教えたらはまるんちゃうか。俺はナイジェルに言ってやろうかなと思った。

「将棋では、苦労して苦労して取った相手の駒を自分のものとして使えるし、それに歩のように一歩づつしか進めない駒も、がんばって相手の陣地に入ったら金に成れるし、金に成るのも時期を選択できるんやで。まさしく、民主主義の社会体系を表わしていると思わんか。」

こんなこと言ったら、あほかって言われるだけか。

 

3月26日

「楽しい毎日」

今日はでかナターシャが俺に話しかけてきた。

「ところで、あなたの名前はなんて言うの?」

早速、俺は教えてあげたが、やはり俺の名前は難しいみたいで発音ができない。休憩時間に、俺と和さんとじゅんさんとウォルター先生とでお酒の話をしていると、でかナターシャが、

「ねえ、あなた。お酒好きなの?私も好きよ。私はパブで飲みながらダンスするのが好きよ。」

と言ってきた。俺は社交辞令のつもりで、

「あっそうなんや。そしたら、今度一緒に飲みに行こか。」

と言うと、

「いつ?」

俺は一瞬戸惑った。

「今週末なんてどう?」

と、でかナターシャが言ってきたので、俺は思わず、

「いいよ。」

って言ってしまった。言ったんはいいが、むちゃくちゃ飲みそうだ。なんせロシアやもんな。ウォッカやで。考えるだけで恐ろしい。朝まで飲みそうや。

うちのクラスのコリアンの女の子とはすっかりお友達だ。昨日のことを心配してくれていて、俺は謝っておいた。せっかく通訳してくれたのに。この子もかわいい子だ。でも一番かわいいのは、なんと言ってもちびナターシャだ。ほんと天使のようだ。

ウォルター先生はほんとにいい先生だ。それに、じゅんさんのクラスのグレゴリー先生もいい先生だ。今朝、グレゴリー先生が和さんのチャリのチェーンが錆びているのに気づいて、わざわざオイルを持ってきてくれた。見ていて気持ちのいい心遣いだ。

ウォルター先生は、どんなささいな質問に対しても真剣に答えてくれる。休憩時間に会話をしているとほんと勉強になる。会話の中でわからん単語があって、その都度会話を止めてもいやな顔もせず、それにまつわる派生語とかも丁寧に例を挙げて教えてくれる。じゅんさんもすっかりウォルター先生のことを気に入っている。

クラスメートもいい人ばかりやし、今日も新しく来たコリアンの兄ちゃんともすっかり仲良くなった。授業も楽しい。こんなに学校に行くのが楽しいのは生まれて始めてだ。もうしばらくここにいようかな。

3月27日

「ロシア人とデート」

今日、休憩時間にでかナターシャが、

「ねえ、いつ飲みに行くの?今日、それとも明日?」

って聞いてきた。俺は焦った。今日は体調が悪い。正直、二人では飲みに行きたくない。むちゃくちゃ飲みそうやし。確かに、でかナターシャはきれいでスタイルはいいが、俺の好みではない。ネパールのラクシミタイプだ。ラクシミのように口説かれたらどうしよう。断ったらクラスメートやからこれからが気まずくなる。とりあえず、俺は和さんとじゅんさんにも声かけて、今晩一緒に行こうということになった。飲み屋はウォルター先生に教えてもらったところにした。

夜9時に、でかナターシャと学校で待ち合わせた。和さんは体調が悪くて来れなくて、俺とじゅんさんとでかナターシャで飲みに行った。でかナターシャは車で来てて、その車で飲み屋へ向かった。車に乗って俺は焦った。むちゃくちゃ危険な運転だ。これはやばい。まじで死ぬかと思った。運転させたらあかん。

でかナターシャの名前はエナ、24歳。こっちに来て3年で、どうやらモデルをやっているようだ。どうりでスタイルがいいと思った。エナは自分でボケて自分でつっこんで笑って墓穴を掘るタイプだ。日本でもこういうタイプはよくいる。特に、結婚式とか宴会のスピーチをするおっさんや、がり勉に多い。東大の高橋さんタイプだ。それに、エナの英語は聞き取りにくい。

飲んでいて俺は困った。エナの方から誘ったのに、全然話さんやんけ。おいおい、なんかしゃべらんかい。会話が続かん。大阪弁やったらなんぼでもおもろい話したるのに。じゅんさんは英語があまりできないし、そしたら俺が盛り上げな。困った。俺はしゃべりながら次に話すネタを考えていて、エナの話をほとんど聞いてなかった。ネタ切れだ。なんとか2時間はもった。何週間ぶりかにビールを飲んだがまずかった。もう最悪だ。俺は限界を感じた。俺は帰りたかった。途中で、俺は何気なく、

「料理はできるの?」

って聞いたら、

「もちろん。」

と言ってきたので、

「じゃ、今度ロシア料理を食わせて。」

と言ったら、

「いつ?」

ということになって、結局明日ということになった。おいおい、どないなってんねん。週末、エナは暇みたいだ。明日の代わりに、今度俺らが日本料理をご馳走することになった。何がええやろう。

途中、俺とじゅんさんがビールを買いに行ったすきに、あるキュウイのおっちゃんが俺らのテーブルに来てエナに話し掛けていた。チャンス。おっちゃんを巻き込もう。おっちゃんの名前はピーター。年にして45歳ぐらいか。ピーターには連れがいて、連れはロジャー。2人とも人の良さそうな人だ。ピーターはMt.Edenに住んでいて、家からはすぐだ。俺はエナにネタを振りながら、ピーターとロジャーとずっと話してた。これが大阪弁で言えたらもっと楽やのに。

ピーターが教えてくれたのだが、ニュージーランドには小麦のビールがあるみたいで、俺は早速飲んでみた。結構すっきりしてて変わった味だ。あまりコクがなく、香りが普通のビールとは少し違う。味は少し癖のある感じか。ビール通の俺としては勉強になった。

俺はなんとかその場を盛り上げて、ピーターは俺らのことをすごく気に入ってくれて、

「今日はすごく楽しかった。またこのメンバーで会おう。」

と言って住所と電話番号を俺に教えてくれた。どっちかと言えばピーターとロジャーと飲んでいる方が楽しい。

今日はほんとつらかった。こんな神経の使う飲み会はいやだ。我ながらよく間が持ったと思う。帰りはエナに車で送ってもらった。ほんとエナの運転は恐ろしい。

3月28日

「ロシア料理」

今日はエナの家に行く日だ。ロシア料理を食うなんて始めてだ。朝、俺らはエナに言われた材料を買って、しばらくしてエナが迎えに来たくれた。俺とじゅんさんと邦洋君と、じゅんさんと邦弘君のクラスメートの絵里ちゃんも呼んだ。俺らは早速エナの家に向かったが、相変わらず乱暴な運転だ。ほんとに免許もってるのか。

エナのフラットはキュウイのカップルとエナで住んでいる。結構いいフラットだ。早速、エナは料理を始めた。その間、俺らはしゃべりながら待っていた。途中、エナは俺らが買ってきたbeet rootがほしいものと違うと言ってきたので、俺とエナで近くのスーパーに買いに行ったが、俺は死ぬかと思った。赤信号で渡るし、車が来ているのに道路を横断するし。そりゃ、周りのドライバーが文句を言ってくるのはわかる。俺は何度もエナに注意をしたが、俺がエナの運転にびびってるのがおもろいのか、笑っているだけで、ますますエスカレートするだけだった。さすが、金持ちの一人娘だ。俺は一度事故って、痛い目にあえばいいと思った。

結局2時間ぐらいして、料理が出来上がった。メニューはおじやみたいなやつとスープだ。ご飯をゆでて、シーチキン、卵、玉ねぎを混ぜた物と、チキン、玉ねぎ、ビートを煮込んだスープだ。味的には両方ともうす味だ。俺はもう少し濃いかなと思っていた。正直、スープにはコショウ、めしには塩味がもう少しあるとおいしいのになと思った。しかし、これがロシアンテイストらしい。

めしの後はデザートだ。リンゴをゆでたやつで、これはなかなかうまい。エナは砂糖をかけていたが、リンゴの甘さだけで十分いける。これは使える。

やはり、今日も会話が続かん。ネタ振りは俺だ。エナ、お前ももっとしゃべれ。お前が誘ったんやろう。正直、俺はだんだん腹立ってきた。なんでこんなに気遣わなあかんねん。もっと楽しく食べようや。もう少しエナの知り合いがいればいいのだが、エナにはあまり友達がいないみたいだ。しかし、今度は日本料理のおかえしをせねば。

帰りもエナに送ってもらったが、エナは俺らがエナの運転にびびっているのを面白がっている。こういうジョークはしゃれにならん。二度とエナの車には乗らんぞ。一度えらい目にあって反省しろ。帰り道も周りのドライバーからかなりひんしゅくやった。帰り際にエナに、

「明日はどうする?」

と聞かれたが、俺ははっきり断った。もうこんな空気はごめんだ。でも、これから毎週誘ってきそうで恐ろしい。とにかく、この2日間疲れた。俺は家に戻ると、ドッと疲れが出てきた。

3月29日

「イラク人」

今日は俺の中では休日。ゆっくりしよう。しかし、昼からイラク人が俺を訪ねてくることになっている。彼の名はフィラス。笠原さんと知り合いで、フィラスは日本語を習いたがっていて、笠原さんが俺のことを言ったみたいだ。

先週のある日、フィラスからいきなり俺宛てに電話がかかってきた。フィラスは俺のことは笠原さんから聞いていると言っていたが、俺はなんのことかわからず、とりあえず笠原さんに聞いてみたら、フィラスは日本語を習いたがっていて、それで俺のことを教えたらしい。おいおい、それやったらあらかじめ言ってくれ。

3時ごろ、フィラスが訪ねてきた。年は俺と同じか少し上ぐらいで、気弱そうで良さそうな青年だ。イラク人やからモスリムとばっかり思っていたが、教会で笠原さんと知り合ったって言っていたからクリスチャンか。ちなみに、ひげはそっていた。宗教的な問題は親しくなってから聞いてみよう。

日曜以外は働いているようで、日曜しか時間がないみたいだ。イラクで育ってヨルダンにしばらくいて、NZに来て数年経つとか。イラク人と知り合えるなんて。うちのクラスのおばちゃんもイラク人だ。比較的、NZにはイラク人が多いのか。しかし、さすがに政治の問題は言えない。

フィラスは去年の末から今年にかけて、約1ヶ月間日本を旅したらしい。宮崎の知り合いを訪ねて、北は札幌まで行ったとか。かなりの金持ちか。とりあえず今日は、これからどうするかの話し合いだけだった。俺はこの話を引き受けた。日本語の先生はネパール以来だ。

フィラスと友達になっても、俺はイラクに行けるのか。行っても殺されそうだ。行けるならイラクは是非行ってみたい国だ。世界の代表として、イラクに行ってフセインに説教せねば。

3月30日

「銀行側のミス」

学校は今日から2週目だ。昨日、じゅんさんはナイジェルにチャリを売ってもらったので、今日からは俺一人での通学だ。それにしても、今朝の冷え込みはこの秋一番では。しかし、日中はまだ半袖でいける。正直、学校でエナと会うのが恐い。毎週飲みに誘われそうだ。

今週末はウォルター先生と飲む約束をしている。今日もう一度確認してみたが、OKと言ってくれた。和さん、じゅんさん、エナとは一緒に行こうと先週から約束しており、新たにエバ、琴江、それとコリアンのカップルを誘ってみよう。

昼から久しぶりにダウンタウンに行って、ANZ bankを訪ねた。というのは、俺のカードから金がおろせない。おかしい。俺のカードを作ってくれた兄ちゃんに聞いてみると、なんと銀行側のミスで口座番号を間違えたらしい。おいおい、しっかりせんかい。おかげで先週末買い物がでけへんかったやんけ。しかし、これで問題は解決した。

帰りに、本屋でいい教材を見つけた。アメリカ人が見た日本語のテキストだ。つまり、こちらの日本語の教科書だ。これはいい。日本でも使える。$23と少し高かったが思わず買ってしまった。アメリカ人の視点の日本だ。

学校に通って1週間経つが、日本語に訳すと同じ意味になる単語も、実は英語ではかなり意味が違うことが分かった。例えば、日本語では「全く、絶対に」という同じ意味の単語quite, completely, totally, absolutely, exactly, utterlyは状況によって使い分けなければいけないようだ。ウォルター先生は意味のわかりにくい単語を例を出して別の英語で説明してくれる。だから、日本語ではその単語のニュアンスが出ないのもある。俺は英英辞典の必要性を最近感じつつある。

3月31日

「2時15分のバス」

今日、授業が終わって買い物してバス停に行くと、2時15分のバスがバス停に止まっていた。時間的には17分ぐらいで、もう行ったかなっと思っていたところだった。というのは、Three KingsからDown Town行きのバスは15分おきに出ていて、15分の次は30分のはずだ。しかし、バス停にはバスがまだ止まっている。そうだった。2時15分のバスの運ちゃんはむちゃくちゃ話好きで、世話好きなおっちゃんやった。俺は、昨日もこのバスに乗ったのだが、たまにこのバスに乗るといつもこのおっちゃんだ。それと、このバスにはいつもフィリピン人のねえちゃんが乗っていて、ねえちゃんは今まで俺のことをチャイニーズと思っていたらしい。日本人って教えてあげるとびっくりしてた。

このねえちゃんはMt.Edenから少し下ったところに家があって、いつもリンゴを買っている。年にして俺と同じぐらいか。なかなかきれいなねえちゃんで、いつも俺に声をかけてくれる。ちなみに、結婚していると思う。

運ちゃんはほんと陽気で、今日も俺に、

「よう、今日は運がいいな。俺がこのレディと話していて出発が少し遅くなったから、俺のバスに乗れたんだぞ。俺のバスに乗れるなんて、このレディに感謝しな。」

って感じだ。それに、バス停に乗ろうと走っている人を途中で見かけたら、その場で止まって乗せてあげるすごく親切なおっちゃんだ。どこどこに行きたいと言うと、バス通の途中ならバス停じゃなくても降ろしてくれる。なんしか、いつも客と話してわき見運転をしてる。

ニュージーランドのバスはひもを引っ張って降りる合図をするとサインがついて、ドアが開くとそのサインが消えるシステムだ。今日、俺がひもを引っ張って降りる合図をすると、たまたま信号で道路工事をしているおっちゃんにドアを開けて話し掛けていたおかげで、俺の合図が消えて運ちゃんは俺が降りるバス停を忘れてしまった。しゃあないから、俺が運ちゃんに教えて、降りようとした時に、

「今日、ユーはほんと運がよかったな。その材料で、今晩はワイフにグッドなディナーを作ってもらいな。午後からいい日を過ごせよ。じゃあ明日またこのバスで会おうぜ。」

と言っていた。今度また、フィリピン人のねえちゃんと同じバスになったらお友達になろう。ほんとに楽しい運ちゃんだ。

4月1日

「もう4月か」

今日から4月か。日本では新しい年がスタートする時期か。増田も佐々木(2人とも東大のラボのメンバー)も社会人やもんな。なんか信じられへんけど、それが現実やもんな。周りはどんどん社会に出ていくのに、日本からはるか南でちんたらしてる俺はどうなんねやろう。こう考えながらも、内心では全然人のことが気にならない俺は一体どうしたものか。ほんと海外に出ると日本人であることの喜びを感じる。色んなことができたり、職業を自由に選択できたり、海外を自由に旅できるのはほんと日本人の特権だ。じゅんさんもヨーロッパを旅していてそう感じたらしい。ほんと身にしみて感じる。ネパールで、日本に行きたくても行けない日本語学校の生徒に言われた言葉が今でも俺の脳裏から離れない。

「あなたたちが日本人であることはすごく運のいいことだ。ほんとに運命の違いで同じ人間でもこういった差ができてしまうのだから。あなたたちはほんと運がいい。」

ほんとに人種、貧富の差なんて運だ。単にどこに生まれたかの違いだけだ。せっかく、日本で生まれたのに、今の日本人の大半はその特権を使わずにどんどん自分の進路を狭くしている。やはり柵か。人と同じ人生を当たり前のように人と同じように選択して何がおもろいんやろう。人がやっている教科書どうりのことやから先も見えてるのに。

東の空では若者が自由と戦ってるのに

原宿ホコ天通りじゃ自由をもてあそんでる

それが若者ですかと日の丸を透かしてみりゃ

しらけた日本がアメリカに溶けていく

〜お家へ帰ろう by長渕剛〜

日本にずっといる人にはわからんやろう。日本人であることが当たり前になっている。

これから新社会人になる諸君。社会を先に経験した先輩として一言言っておく。もっと視野を広く持つように。それと、若者らしく。ウォルター先生がいい言葉を教えてくれた。

「It

s easier said than done.」

とにかく、今は日本に帰りたくない気持ちでいっぱいだ。

今日もいつも通り楽しい授業は終わった。久しぶりに明日はクラスメートと飲みに行こう。

 

4月2日

「マルガリータ」

今日は昼からのクラスメートと飲みに行くことになっている。場所は「マルガリータ」。Queen St.からVictoria St.に入ってすぐのところだ。なんと、木曜日は$5.00でビールが6杯飲めるらしい。これは行かないことには。

結局、行ったのは俺とこうじさんと由美ちゃんだ。光二さんは元板前さん。得意料理は天ぷらとか。出身は群馬県館林で、タイプ的には植野(北大作栄の同期)タイプか。由美ちゃんは取手出身で俺と同じ年。一見、おとなしそうだが、酒は好きらしい。増田(東大の植栄の1年下)系か。それに、純(じゅんさんの「純」が判明した)さんと邦弘君が他の席で飲んでいたが途中から加わった。

やはり、俺の東京での営業はかなりの財産になっている。由美ちゃんの実家の近くも光二さんのところも、俺は行ったことがあるので話ができる。特に、由美ちゃんがいた守屋にはよく行った。それに、館林なんて普通は行かない。俺は伊勢崎線沿線の足利、大田、伊勢崎、久喜にも行ったことがあるといったら驚いていた。とにかく、2人ともびっくりしていた。

由美ちゃんは思ったより飲む。それに顔色が変わらない。一緒の場にいて飲んでくれる女の子は楽だ。こっちも気を遣わなくてよい。こっちのパブのいいところは、カウンターでビールを頼む時点で金を払う。だから周りに気を遣わずに飲みたい人は好きなだけ飲める。しかし、つまみがないから腹に来る。俺は元々つまみなしで酒を飲む方なので特に何も思わないが、途中腹が空いてくると困る。この点は、日本の居酒屋の方がいい。ちなみに、光二さんの方が飲みそうやのにあまり飲まない。

俺は4月でオークランドを出るつもりで、その前にあるイベントを考えている。それは、家の地下にかなり広いスペースがあって、そこを使っての多国籍お食事会だ。この会に参加したい人は、各国の伝統的な料理を作ってくるというのが条件だ。この企画を今日みんなに言ったら、

「それ面白い。」

と言っていた。由美ちゃんは肉じゃがが得意なので、肉じゃが係に決まった。俺は糸こんにゃくは絶対入れてくれと伝えた。こうじさんは天ぷらが得意だが、少しコストがかかりすぎるので他を考えておくとのこと。刺身でもいいな。

俺らはオーガナイザーなので、ビールや酒の用意。しかし、みんなが各料理を食ってお話して、ちょっと腹が減ったかなと思った頃に炊き込み御飯なんてどうやろう。こんな感じで俺の企画にみんなのってくれた。

純さんたちが一緒に飲んでいた大阪の女の子たちはあかん。純さんや邦弘君が逃げてきたのはわかる。あいつらはきつすぎる。たぶん、大阪でもこっちでも友達おらんやろう。

結果的に9時までには帰ろうと言っていたのが、盛り上がって11時近くになってしまった。今度から木曜日はマルガリータ集合にしようかな。ちなみに、$5.00で6杯のビールはまずい。

4月3日

「シェイクスピア」

さあ、ウォルター先生と飲む日が来た。午後、午前のクラスに関わらず和さんがビラを作って教室の後ろに貼ってくれたので、果たして何人来るか。

俺は、授業が終わっていったん家に帰って少し寝た。今日は何時に終わるか見当がつかん。ちょっと寝とかな。

夕方、俺がタウンに向かうバスに乗ると、なんと2時15分の運ちゃんやった。運ちゃんもびっくりしてた。なんせ昼も会ったのだから。俺は降りる時に、

「また、月曜日。」

と言うと、

「OK, on the Dominion Rd. Have a good Friday night!!」

と言ってくれた。

俺がシェイクスピアに着いた時には、和さん、純さん、ウォルター、オージー(コリアン)がすでにいた。すごい混みようだ。それに、ラグビーの試合が始まったところなのでかなり盛り上がっている。ここの2階が静かで、そこに行こうと言うことだったが今日はだめみたいだ。大体ビール1杯が$3.50。ウォルターは友達と少し飲んでいて、後で加わった。途中で、真理子ちゃん、恵子ちゃん、光二さんとチャイニーズが1人加わった。真理子ちゃんは秦野出身で、恵子ちゃんは綾瀬。両方とも俺の営業のテリトリーだ。やはり2人ともびっくりしていた。オージーはインテリだが、のりのいい奴だ。俺とオージーと真理子ちゃんは同じ年。オージーとはすっかり仲良くなった。

ウォルターはなんと新婚ほやほやだった。嫁はキュウイで、歌手みたいだ。途中で、嫁の歌を選んでかけた。なかなかいい歌だ。今度ウォルター家に殴り込みに行こう。

とにかく、すごい盛り上がりだ。みんなラグビーに釘付けだ。途中で、俺はその辺にいたねえちゃんにラグビーの試合のことを聞いてみたら、来週オークランドで対オーストラリア戦があるらしい。これは行かないと。それに、親切に日程表もくれた。ほんとみんな親切だ。ちなみに、オールブラックスはまだみたいだ。

イタリアンのおやじとも友達になった。名前はトニー。なかなか陽気なおやじで、毎週末ここに来ているとか。途中で、トニーを笑かそうとして、

「トニー、俺があそこのねえちゃんに声をかけてくるから、後でフォローしに来てや。」

と言って、俺がねえちゃんたちと話していても、いっこうにトニーは来ない。どうやら、トニーは臆病者らしい。そのくせトニーは、

「今度はあそこのねえちゃんに声をかけろ。」

と言ってきやがる。とんでもない小心者だ。

あるキュウイのねえちゃん2人が、レーザーディスクのところで曲をかけようとしていたので、俺が、

「NZで一番流行っている曲はどれ?」

と聞いたら、親切に教えてくれた。俺は、2人ともきれいなねえちゃんやなっと思っていたら、どうやら女優さんみたいで、ウォルターもトニーも知っていた。結構有名みたいだ。和さんはミーハーで、手にサインをしてもらっていた。それもボールペンで。汗かいたら消えるやろう。

俺はこの席でもお食事会のことを話したら、みんな来たがっていた。昼間にエバに話した時も喜んでいた。結構みんな乗り気だ。

結局、12時ぐらいまでいたか。ウォルターは帰ったが、俺らは腹が減ったのでバーガーキングへ向かった。オージーや真理子ちゃん、恵子ちゃんはその場で帰ったが、俺らはもう一件行った。K RdにあるKiss Barというところだ。しかし、このあたりの飲み屋は服装が厳しく、俺のサンダルはだめだった。それに、みんな疲れていたので今日は帰ることにした。こっちの飲み屋はうるさいのがあかん。それにしても、金曜日の夜はすごい盛り上がりだ。しかし、今日は疲れた。

4月4日

「新たなフラットメイト」

今日、新しい住人が来た。尚史さんで、東京の平和島で営業をしていたみたいだ。タイプ的には卓司さん(北大作栄の先輩)だ。実家は本千葉。よく巡回で行ったところだ。尚史さんに本千葉のことを言うと、結構びびっていた。そりゃびびるやろう。千葉ならまだわかるが本千葉やもん。

尚史さんとは会社、つまり社会の話ができる。お互い営業をやっていたので気持ちが分かり合える。また、俺の会話に幅が増えた。ほんと日本で色んなことをやっていてよかったと思うのが、色んな人と色んな話ができることだ。ネタが尽きない。純さんとは旅の話ができるし、光二さんとは料理の話、関東出身の人とは関東ネタ、関西出身の人とは関西ネタ。バイクに乗っている人とはバイクの話。俺が実際に旅したところから来た人とは地元ネタ。それも、日本内外に関わらず。

しかし、俺の専門の農芸化学系、漁師、民宿系、それに北海道出身の人とはなかなか会えないのは悲しい。だから、バックパッカーで五十嵐さんに会って、農業のことについて話せたのはうれしかった。

実際に農業に携わっている人とはほんとの話ができる。それ以外の人は、頭ごなしに俺らがやっている分子生物学を否定する。マスコミの情報だけで、形質転換体は人類を破滅にするとか、有機農法が一番とか、農薬や化学肥料は人間を駄目にするとかほざいている。だから、そういう奴とは話しても無駄だ。俺ははなから相手にするつもりはないし、そいつらに俺が学んできた知識や実際に体験して感じたことを話すのはもったいなさすぎる。中には俺の話に耳を傾けて、実際に携わっている俺らの気持ちも頭の隅においてくれる人もいるが少数だ。人間知ったかぶりはあかん。何事もやってから物言え。同じ土台に立って始めて会話が成り立つ。

ひさしさんは電気会社にいたのでコンピューターの話もできる。実際に、俺と同じようにノートパソコンを持ってきている。それもデジカメ付きだ。すごい。おそれいった。

尚史さんは今の自分では将来が見えていて、それと英語の必要性を感じて30前にして会社を辞めてここに来た。これからは英語ぐらいはと思ったみたいだ。将来は、日本に帰ってグラフィック関係の仕事をしたいらしい。うーん。確かに英語の必要性は感じる。しかし、これからは英語以外にもう一つ言語が必要になってくるのでは。そういう意味で、俺はNZである程度英語ができるようになって今度はスペイン語を考えている。というのは、どうしても南米に行ってみたい。そうするとスペイン語だ。新しいことをするということはかなりの勇気がいる。どんなジャンルでもそうだ。やはり、人間自分自身がかわいいから、居場所がいいところに固執したい気持ちはよく分かる。そういった居心地のいい場所を抜け出して、新しいことをするに当たってまず一番大事なのは、自分の居場所を確保することだ。そうすると、後手に回っていてはいけない。しかし、自分を出すためには周りとのコミュニケーションが必要になってくる。片言の会話でもいいのだが、それではもう一歩踏み込めない。大阪弁のテンポで会話ができればどんなけうれしいか。ほんとそう思う。

それにしても、オークランドは天気がころころ変わる。こんなにころころ変わるとどこも行かれへんやないか。今日も予定が狂ってしまった。

4月5日

「Devon port」

今日は朝から天気がいい。しかし、この時期のオークランドの天気はころころ変わる。4月でオークランドを出る俺としては、今日はどうしてもDevon portに行きたかった。タウンからフェリーで渡って行くいわゆる離れ小島とでも言ったらいいか。橋を渡って車でも行けるが、少し遠回りになる。フェリーに乗ると、川崎、木更津間のアクアラインを高速船で渡るようなものだ。とりあえず、俺はフェリーで向かった。

今日は、少し南風がきつい。そのため、少しなぎがある。俺は礼文が長いせいか、海を見るとホッとする。さすがに今日は日曜日だけあって、ちびっこ連れが多い。

それから、約10分くらいでDevon portに着いた。フェリー乗り場の周辺は店が並んでいる。一般の観光地と同じだ。俺は、目の前にあるMt. Victoriaを目指した。頂上からはかなりの景色が期待できる。

結局20分ぐらい歩いたか。それほどたいしたことはない行程だった。頂上からタウンの方に目をやると、まさしく絶景だ。Mt. Edenからよりもgood。高さ的にはMt. Edenの方が高いが、なによりも海の向こうにスカイタワーを中心としたいわゆるオフィス街が見える。今日は、少し風が強いせいか空気がきれいで眺めもいい。俺はいつものように拝んだ。

タウンとは逆の方向を見てみると、ちょうど利尻島のように真ん中が山になった島が海の向こうに見える。面白いもので、今日は南向きの風なのでMt. Victoriaの反対側の海は穏やかだ。礼文のやませのように、香深側は波が荒いのに、西上泊や元地の海が穏やかなのと同じだ。俺はあまりの気持ち良さに1時間ぐらい寝てしまった。

夕方、家に戻るとエナが昨日同様遊びに来ていた。俺はエナに今月でオークランドを出ることを伝えると、彼女はがっかりしていた。

「どうして、日本人はそんなに旅が好きなの。それに、なんで旅をするお金があるの。私たちはせっかく知り合えたのに。すぐに気持ちを変えて、行かないでちょうだい。もう、日本人なんて誰も信じられない。私をがっかりさせないで。」

エナの気持ちはうれしいが仕方がない。正直、俺は彼女と先週末一緒に飲んで以来、少し付きまとわれていて困っていた。俺はどうも人に付きまとわれるのが苦手だ。周りでガサガサせんといてほしい。俺や純さんのことを気にいってくれたのはうれしいが、頼むから俺には付きまとわんといてほしい。

今晩、エナも交えてみんなでトランプの大富豪をやった。エナは初めてのくせに、ルールを覚えてからはかなり強い。俺らプロの日本人がビギナーのロシア人に負けている場合やないで。しかし、エナはかなり運もよくなかなかやる。俺は、こりゃロシアに北方領土をとられてもしゃあないなと思った。

4月6日

「偶然」

今日、おもろいことが発覚した。午前のクラスにきれいなチャイニーズがいる。年にして30すぎぐらいか。チャイニーズはきれいな人が多いのだが、この人はその中でも美人だ。彼女は、実は数ヶ月前まで日本にいて日本語を勉強してたらしい。それも東京で。俺と彼女は東京の話をしていると、

「東京のどこにいたの?」

と俺が聞くと、

「田端。」

なに、むちゃくちゃ近いやんけ。

「北口があるでしょ。あれを左の方に行って少し行くとデニーズがあるでしょ。あの前のアパート。」

おいおい。ほんま俺の近くやないけ。ここのデニーズにはたまに行ったぞ。俺は山手線を利用する時はいつもこの道を通っていた。偶然とは恐いもんだ。彼女とはすっかり仲良くなって、

「私、Queen St.のルイビトンで働いているから遊びに来て。」

という具合だ。

こういうふうにして知り合いになるケースはかなりある。ほんと色んなことをしててよかったとつくづく思う。

午後のクラスのタイ人の女の子ともそうだ。俺がバンコクでポンピモールさんやタップから聞いた地元ネタを話したら、彼女はとても喜んでくれて、

「なんでそんなに詳しいの。今度バンコクに来たら絶対言って頂戴。私が案内するから。これからも連絡を取り合いましょうね。」

と言っていた。

なによりもびびったのは、午後のクラスメートだ。タイ人っぽい女の子がいて、俺はてっきりタイ人やとずっと思っていた。それに、英語の発音もうまいし。ところが先週末、俺らは始めは英語でしゃべっていて、俺がおもむろに、

「どっから来たの?」

と英語で聞いたら、

「Japan.」

って言うから、

「いや日本人じゃない。」

と何度も言っていたら、

「大阪やって言うてんのに。」

とつっこんできた。この時はまじでびびった。それも、上の太子だ。もうそっからは地元ネタだ。それにしても、彼女の大阪弁はきつすぎる。俺は、

「頼むから英語に戻してくれ。」

と何度も頼んだら、

「もう、やかましいな。大阪の人間やからかまへんやろう。」

とどなっていた。大介花子の花ちゃんタイプだ。

それと、隣のクラスのあるねえちゃんも実は河内天美ということが発覚した。わからんもんだ。我が生野高校の近くだ。2人とも俺が生野高校ということを聞いてびびっていた。

ほんと偶然というものは恐いものだ。チャイニーズの彼女とは、絶対田端周辺ですれ違っていそうだ。

4月7日

「タイタニック」

今日は火曜日。映画が安い日だ。いつもは$10.00するのが今日は$7.00だ。日本の約3分の1か。俺は話のネタに今日は「タイタニック」を見に行こうと決めていた。というのは、みんなから見ろ見ろと薦められていたし、ほとんど俺の周りの人は見ていて、多い人は4,5回見ている。そんなにいいものなのか。アカデミー賞も取ったことやし。放課後、俺はNew Marketの映画館へ向かった。

映画を金払って映画館に見に行くなんて、8年ぶりぐらいか。それも海外ではインド以来だ。その前に、マクドでビックマックセットを食ったがまずい。それに、店員は愛想が悪い。そりゃ、長野オリンピックでアメリカの記者が選手村にあった日本のマクドの店員の愛想の良さを誉めるわけや。

さあ、ついに上映開始だ。時刻は夕方4時半。さすがかなりの期間上演されているせいか、人もまばらだ。おかげでゆったりできる。それにしても、こっちの映画は番宣が長いぞ。始まる前に疲れたやんけ。

結局8時ぐらいに映画は終わった。はっきり言って、字幕がないのと、今の俺の英語力からすると話の内容が分かったのは3割ぐらいか。映像のおかげで助かった。感想はgood。俺も所々ほろっときた。みんなが薦めるわけだ。

俺はドラマでも映画でもそうだが、realityを演じている作品やのに、フィクションとわかってしまう作品が嫌いであまりドラマや映画は見ない。辛口に言えば、この「タイタニック」も所々あれっと思うところはあったが、総合的にみると合格点だ。しかし、細かいところに目が行く。

「船長さんがコーヒーじゃなく紅茶を飲んでたから、イギリスからアメリカに向かった船かな。最後に自由の女神が映ってたからNYに着いたんか。あれ、そしたらなんでこんなところに氷河があるんやろう。この辺は暖流が流れてて、偏西風が吹いてるのに。なんで氷河があるようなところやのに、昼はあんな軽装なんやろう。あんなけの電力を使ってるのに、石炭で大丈夫なのか。」

てな具合だ。俺は実際のタイタニックのことは知っていたが、詳しくは知らんかったので結果的に色んな想像ができてよかった。

一番考えさせられたのは船が沈んでいく時だ。死を目前にした人々の光景がよく描かれている。まさしく色んな人種がひしめき合う社会体系そのものだ。大半の人は我こそは生き延びるぞっていう人種だ。中には、自分より他が助かるのが気にくわなくてロープを切る人。愛する人のために生を目前にして愛を取ったヒロイン。金で生を買おうとする人。プライドを守り続けて居座る成金。最後まで責任を全うしようとして死を覚悟する船長。死を直面した人々の気を休めようとして音楽を奏でる人。家族や愛する人と死を覚悟した人。俺ならどの人間やろうか?思わず、考えてしまった。たぶん、船長にはなれんやろうな。

俺個人の意見としては、ヒロインが助かるのはわかるが、あのバイオリン引きのおっちゃんらも助かってほしかった。何の得にもならん無駄なことをしていても、報われる時は報われるんやでってオチにしてほしかった。

うーん、映画もたまにはええな。今度日本に帰ってまたビデオを借りよう。

4月8日

「ついてない日」

今日の放課後、リプリントに出していた写真が出来上がっているはずなので、FOOD TOWNの横の写真屋に行った。まあ、日本では1枚20円やから、こっちでは10円ぐらいかなと思っていた。日本を出る前に、八戸、静岡、鳥取とあちこちに行ってみんなに会ってきたので、リプリントの枚数も20枚ぐらいになった。まあ、いっても$5.00ぐらいかなと思っていたら、なんと$21。なんでやねん。俺はもう一度聞き直したが変わらずだ。ショック。思わぬ出費だ。なんで現像が$9.90で、リプリントが1枚$1.00もするねん。なんでや。明日、学校でみんなに値段を聞いてみよう。

それから、タウンに行ってイースターに借りる車を捜しにレンタカー屋を回ったけど、どこもいっぱいやし。途中で雨は降ってくるし。朝は朝で工事現場から泥はが飛んでくるし。情報によれば、阪神は開幕3連敗やし。だから、大豊なんか取らんと久慈と関川を残しとけって言ったやろう。ああ、ついてない。ほんと今日はついてない日だった。

4月9日

「19のままさ」

今日は、ウォルターと和さんとテニスをする予定だった。しかし、車を捜さないことには。こういう役目はなぜか俺だ。いいだしっぺは由美ちゃん、次に純さんなのに。笠原さんに換気扇のことを言ったり、テレビのことを聞いたりしたのも俺だ。ナイジェルがソファを欲しがっているのに聞いたのは俺だ。いったいどうなってるんや。

とりあえず、電話帳を調べてレンタカー屋をあたってみた。しかし、見込みはない。今日はEaster holidayの前日やし。2,3件かけて断られて、バックパッカーズで見つけたパーネルのレンタカー屋にだめもとでかけてみたところ、なんとbookingできた。車種は明日にならんと分からんみたいだ。ラッキーだ。

夕方、純さんと買い物に行って、今晩邦弘君の友達のまさき君とえりちゃん、それにせいたろう君が遊びに来た。えりちゃんとはこの前一緒にエナの家に行ったので顔なじみだ。まさき君とも2,3度会っていて、彼は岩手出身の19歳。まだまだ若い。俺の19の頃と比較してみると、なんか幼い気がする。NZにいる大半の日本人についてもそう思う。やはり、住むとなるとアジアを旅している人のようにはいかないのか。なんか、若者らしくないというか、無気力というか。

まさき君はすごく素直でいい子だ。それに、人当たりもいいし、気も利くし。まさき君は俺に向かって、

「僕もう日本はいいです。いったん来週日本に帰って、5月の頭にはこっちに帰って来ます。」

と言ってた。まさき君。そういうことはまだ言ったらあかん。君の知ってる日本はおそらく100分の1ぐらいちゃうか。日本も捨てたもんじゃないぞ。彼は1年こっちで暮らして、自分自身少し大人になったと自己評価してた。まだまだこれから色んなことできる年だ。がんばれ、まさき。

せいたろう君はこっちに留学している高校生。実家は横浜の青葉台とか。田園都市線の江田だ。ここは俺のテリトリー。彼は帰国子女の枠で日本の大学に入りたいみたいだ。将来は公務員を目指している。俺に色々日本の大学のことを聞いてくるが、すでに彼はかなり酔っぱらっている。仮に彼が大学に入ったとしても、卒業時に同じような意志を貫いているかどうか。日本の大学生はほんと勉強しない。周りの甘い誘惑の中で自分をコントロールできるか。かんばれ、せいたろう。

俺は19の頃が一番印象に残っている。なんと言っても俺の人生の転機だ。

いつまでも忘れない

今でも目をこうして閉じれば

19のままさ

でも僕らもう2度とあの日のきらめき

この腕に取り戻せない

〜19のままさ by浜田省吾〜

4月10日

「Bay of islands」

さあ、Easter Friday。今日から4日間の旅行が始まる。メンバーは俺、純さん、邦弘君、由美ちゃん。由美ちゃん一人だけ女の子だが、彼女はそれでいいと言っていたのでいいやろう。結局、昨日は2時ぐらいまで純さんとまさき君と話してたんで、3時間ぐらいしか寝てないのでつらい。とりあえず、車を取りにいかねば。

車はトヨタカローラ。まずまずの車だ。4日間で$180。日本に比べればかなり安い。あと、クレジットカードも持っててよかった。車を借りる時は必ずいるみたいだ。それにしても、こっちの道路状況を勉強しないと。

ナイジェルに少しBay ofのことを聞いて、朝9時半ぐらいに出発した。Three

Kingsの野菜屋で少し買い込んで、由美ちゃんをpick upして、いざBay ofへ。

さすがに、Motor Wayになるとみんな飛ばす。それにしても速い。オークランド市内の交通量はかなりだが、いったん市街へ出るとガラガラだ。しかし、今日はEaster Friday。所々渋滞に巻き込まれた。

俺は運転しながら、日本を出る前に車で鳥取に行ってよかったとつくづく思った。ライダーの俺にとって、車の運転はほとんどしない。礼文でハイエースを運転するぐらいだ。この前運転しててほんと助かった。

市内を出て1時間ぐらい経つとかなり田舎だ。一本道で信号も何もない。俺が100km/hで走っていても、余裕で抜かれる。普通の道で制限速度100km/hってなってるのには驚いた。さすがはNZだ。

俺は車を走らせるうちに、周りの景色がすごくきれいになっていくのに気づいた。周り一面平原や丘だ。すごくきれいやのに、なんで感動がないんやろう?そうか。そうなんや。見慣れた景色なんや。北海道にそっくりだ。北海道の牧場に羊が加わっただけなんや。それにしても羊だらけだ。景色的には美瑛、静内ってとこか。この辺りは十勝のように圃場は広がっていない。オークランドを離れても坂やカーブが多いのはNZの特徴か。

所々市街地はあるが、それ以外は何もない。まさしく北海道だ。タイやネパール、それにインドもそうやった。そう考えると、日本は町が絶えない。国が狭くて人口が多い証拠だ。

途中、Whangareiで休憩した。距離にして200kmぐらい走ったか。比較的大きな町だ。ここで、純さんに運転を変わってもらった。

それから約2時間ぐらいしてPaihiaに着いた。さすがはリゾート地って感じで観光客だらけだ。要するに、海岸沿で泊まって船に乗ったり、イルカを見に行ったり、様々なアトラクションがあるところだ。俺らはこの近くのHaruruのキャンプ場に行くことにした。

NZのキャンプ場はかなりきれいだ。シャワー、キッチン、ランドリー、トイレは必ず付いているらしい。それと、どこに行っても公衆便所はきれいだ。ここもキャンプ場のおっちゃんもおばちゃんもすごく親切だ。色々情報を教えてくれる。早速、俺らはおっちゃんおすすめのBay ofを一望できる丘に向かった。そこからの眺めはgreat!!スコトン岬に向かう江戸屋から山に入っていった眺めのでっかいバージョンってとこか。ほんときれいだ。俺は思わず祈ってしまった。

さあ、めしを作る時間だ。今日はパスタだ。パスタは3人に任せて、俺はジャガイモを炒めてカレー味の炒め物を作った。腹が減ってただけに味はvery good。すっかり満腹だ。

めしの後は温泉だ。NZは火山帯なので結構温泉は豊富だ。ここから車で30分ぐらいのところに温泉がある。早速、俺らは向かったが、こっちの感覚の30分は50〜60kmぐらいある。俺は運転しながらガス欠寸前なのに気づいた。やばい。この辺には町がない。ましてGSなんてない。俺らは迷った。このまま帰るか、天に任せるか。俺は神を信じた。結果的に、信じてよかった。神は俺らの味方だった。温泉に行く道を通り越してしばらく行くと少し大きな町があった。当然GSも。生き返った。さあ、温泉へ行こう。

ここの温泉は温泉と言ってもドロ風呂だ。1人$2.00で、俺は細かい金を$7.00しか持ってなかったが、兄ちゃんはまけてくれた。ラッキーだ。湯はかなりぬるい。浴槽が何個かあって適当に入る。やはり、思った通りみんな水着を着ている。当然混浴だ。なんや、キュウイの人も温泉好きなんや。

一つだけ熱湯コマーシャル並みに暑い浴槽があって、俺は周りの人を笑かしろうと思うのと、大和魂を見せつけたろうと思って、水風呂にいったん浸かって体を冷やしてこの熱湯に浸かった。しかし、かなり熱い。足がヒリヒリする。俺がこんなベタな行動を繰り返していくうちに、周りのちびっこは大喜び。すっかり仲良くなった。オークランドから来ているマオリのちびっこたちで、ちびっこと同じ浴槽の中で俺はお母さんといっしょ状態だ。

さあ、あとはキャンプ場で寝るだけだ。俺らは軽くワインを飲んで、俺はテント、他3人は車で寝ることにした。俺は星を期待していたが月が明るすぎる。これではあかん。

4月11日

「魚の口」

由美ちゃんは朝7時半にイルカと泳ぐツアーに出かけた。俺は8時頃起きてシャワーを浴びた。ここはNZでもかなり北だが、朝晩はかなり冷える。もう秋だ。

俺らは軽く朝飯を食って、由美ちゃんが戻ってくる12時ぐらいまでPihiaの町をぶらぶらしてた。さすがに観光地だ。駐車場はいっぱいやし、ツアー客や家族連れだらけだ。それに、色んなイベントもある。俺はビールが飲みたくなって酒屋で純さんと6缶パックを買ってしまった。ビールの次はあてだ。途中で、musselをチリとラー油と何かで炒めたものが売っていたので思わず買ってしまった。朝からビールだ。海岸線で海を見ながらのビール。うーん、最高。musselもうまい。

やがて、12時過ぎに由美ちゃんが帰ってきて、俺らはMangonuiへ向かった。Nigelによればここで釣りができるらしい。それも$2.00で道具も貸してくれるとか。MangonuiはDoubtless Bayにある小さな町で観光地だ。ここに漁船の船着場がある。漁船と言っても小さい。この辺りの景色は、礼文のミズバショウ群生地から見た久種湖畔に似ている。やっぱり、懐かしい景色だ。

俺は早速地元の人に釣具屋のことを聞いた。今日の晩飯は魚料理と決めている。俺も久しぶりに魚をさばきたい。しかし、誰に聞いても貸してくれる店なんてないと言う。ここから少し車で行った釣具屋で聞いてみても、この辺りではレンタルショップはないと。Nigelのうそつき。俺らは最後の望みをかけてWhatuwhaiwhiのキャンプ場へ向かった。キャンプ場の本には、そこでは釣りができると書いてある。

それから、車で30分ぐらい走ってキャンプ場に着いて、おやじに聞いてみたらレンタルはしているが1人$10.00らしい。おいおい。俺の口はもう魚の口になっている。俺らは相談した結果、買った方が安いと言う結論に達した。魚を買うならこの辺にはなくて、Mangonuiまで戻らなあかんみたいだ。ほんとどないなってんねん。

NZの町は田舎の方に行くとほんと小さな集落だ。しかし、これが当たり前のように存在する。そう考えると、オークランドは大都会だ。

Mangonuiに戻って地元の人におすすめの魚屋を紹介してもらったが、もう夕方。ネタが残ってない。それでも、俺の口は魚の口になっているので、安い切り身1kgとmussel 3kgを買った。これだけでたったの$15.00だ。

早速、キャンプ場に帰って料理を作り始め、純さんは魚を煮込み、俺はバター焼きにした。それにしても、キュウイの人々はほんとフレンドリーだ。誰でも気軽に話し掛けてくれる。年齢層は関係ない。特に、田舎の方ほどそう感じる。

さあ、食うぞ。今日は米を炊いた。少しこげができたが、やっぱり日本人は米だ。うーん、うまい。煮込みもバター焼きもうまい。さすがは魚料理だ。刺身が食えなかったのは残念だが、今晩のメニューで満足だ。

めしの後はビールタイム。ビールは途中で20缶$20で買った。musselを酒蒸しにして醤油とバターで味付けて、ビールのあてにして食った。うーん、最高。Musselってこんなにうまかったっけ。

俺はここで、南アフリカ出身で今はオークランドに住んでいるちびっこたちと仲良くなった。さすがにちびっこでも英語は速い。ロイ、アリソン、ミーガン、ジャッキーだ。ロイとアリソンは兄弟で、ミーガンとジャッキーはその友達。アリソンが10歳で最年長、ジャッキーが7歳で最年少。4人ともほんとかわいい。アリソン、ミーガン、ジャッキーは絶対美人になる。ロイもハンサムになるやろう。この4人も昨日のマオリのちびっこ同様、俺のことを気に入ってくれた。なんかちびっこにもてるな。それにしても、こっちの子は人見知りしないから楽だ。

しばらくしてロイが俺に向かって、

「僕の名前を日本語で書いて。」

と言ってきたので、カタカナで書いてやると、その紙を見たほかの3人も俺のところに来て書いてくれと言ってきて、結局4人の名前と俺のサインを書いてあげた。やっぱり日本語は珍しいのか。

さあ、寝るか。今日は俺と由美ちゃんが車だ。それにしても、由美ちゃんは乗りが悪すぎる。旅行に誘ったのはあんたやろう。純さんや邦弘君には無理だから、俺が一生懸命ネタをふって何とか盛り上げようとしているのに、なんでそんなに不愛想やねん。ええ加減腹立ってきた。

ああ、今日も月が明るすぎて星が見えん。

 

4月12日

「Cape Reinga」

昨日も星は見えなかった。というのは、月が明るすぎるからだ。ちょうど今の時期は満月だ。残念だ。

このキャンプ場があるWhatuwhiwhiから見るDoubtless Bayもきれいだ。ちょうどMangonuiとは反対の眺めになるが鳥取で見た景色に似ている。俺は海を見るとホッとするせいか、なんか我が家に戻った感じだ。

アリソン、ジャッキー、ミーガン、ロイともお別れだ。アリソンに住所を聞いて、俺らと一緒に取った写真を送ると約束した。4人ともほんとかわいい。みんなオークランドに住んでいるので、機会があればまた会おう。

ちびっこたちと別れて、最北端Cape Reingaに向けて出発した。運転はもう慣れた。それにしても、こっちの人は飛ばしまくる。制限速度が100km/hやもん。そりゃ100km/hで走ってたら抜かれるわ。それに、あまりにも車の速度が速いせいか、道の至る所で猫やいたち、鳥が車にひかれて死んでいる。結構無残な姿だ。

Motor wayを1号に入った頃から雨がぱらついてきた。やばい。先端に近づくに連れて雨は激しくなり、ダートコースに入った頃から本格的に降ってきた。最悪なことにガスが。この時、俺は初めて礼文に来た客の気持ちが分かった。こんな最北に来たのに。たぶん雨の中を俺の車で観光するお客さんの気持ちは今の俺の心境やろう。

しばらくして、Cape Reingaに着いた。礼文でいうスコトン岬、本道では宗谷岬だ。思った通り風が強い。それに雨だ。俺らはしばらく雨が小降りになるのを待ったが、どうも止みそうにない。しゃあないから雨の中を先端まで歩いて行った。

Cape Reingaの見所と言えばなんと言っても海の境目だ。というのは、Tasman seaとSouth Pacific oceanがここで合流する。Tasman seaは東向きに、South Pacific oceanは西向きに。ちょうどその合流地点では境界が1本の線上になっている。今日は天気が悪いが、その境界ははっきり見える。まさしく自然の摂理だ。

ウォルターがTasman sea の方が波は荒くて、South Pacific oceanは穏やかだと教えてくれたが、まさしくその通りだ。しかし、これは風の影響では。というのは、礼文ではやませの時は香深の方は波が荒いが、西上泊や元地の海は穏やかだ。そう考えると、今日は西風なので、Tasman seaの方が荒波なのは当然だ。もし常にこの傾向であるとしたら、ひょっとしたらこの辺りは西風なのかもしれない。とにかく、ここに来てよかった。

もう一つこの辺りの見所と言えばNinety Mile Beachだ。90マイルずっと砂浜が続く。俺らは一度Kaitaiaに戻ってガスを入れて、Ninety Mile Beachへ逆戻りした。4WDなら海岸沿も走れるが、俺らのカローラはあかん。そこで海岸の手前で車を止めて歩くことにした。

いざNinety Mile Beachとご対面するとほんとすごい。ずっと砂浜だ。鳥取砂丘は目じゃないな。俺らが行った時はちょうど潮が引いてて、砂浜がかなり広くなっていた。NZの道路沿いの景色は北海道と同じで、ちょっと飽き飽きしてたところにこの眺めだ。俺は思わず祈ってしまった。

それから、今日中になるべくオークランドに戻っておこうということになって、道に迷いながらDargavilleという少し大きな町に着いた。オークランドからCape Reingaまでが450kmぐらいだから、Dargavilleはオークランドの北180kmぐらいのところなのでかなり戻ってきた。

それにしても、ここに来るまでの道沿いの植生にはびっくりした。なんと至る所に木本のシダが生えているでは。それと土は赤土だ。俺の専門は作物なので、シダについてはあまり知らない。もっと色んな植物を勉強しとけばよかった。それに土壌学。その土地土地での気候と土壌と植生の関係。わかれば絶対おもろいのに。そう考えると、俺の植物栄養学の知識はかなり偏っている。農芸化学の分野になればなおさらだ。

オークランドでも感じたのだが、NZの至る所でポプラが生えている。ポツポツっとあるので植林か。群生は見なかったのでおそらく植林だ。所々、北大のポプラ並木っぽいところもあった。ポプラを見ると北大時代、特に4年の時のサンプリングを思い出す。植野や川向、それに杉君によく助けてもらった。特に、ポプラのサンプリングは最高にきつかった。陽樹の中でも生育が早すぎる。そのせいか、ここNZでも他の樹木に比べてturn overが早い。もうあの実験は2度としたくない。

俺らは相談した結果、最後ぐらいモーテルに泊まろうということになって、モーテルを探したがどこもいっぱいだ。しゃあないからユースに行ったがここも満員。俺は考えた。なんとかして泊まられへんか。受付のおばちゃんもおっちゃんも良さそうな人だ。よし、おしてみよう。俺はしばらく交渉した。やっぱり神様は俺の味方だ。俺がおっちゃんにチョコレートをあげたのがよかったのか。誰かが予約していた部屋がキャンセルになって、ダブルの部屋一部屋だけ貸してくれた。それも少しまけてくれた。ええ人や。人間やるだけやってみるものだ。

最後の晩餐は余り物で作って、夜食にmusselを酒蒸しして食った。ビールがないのはいたいが、この3日間めしには大満足だ。

寝る前に、このユースでexchangeしている川越の女の子とトランプした。なかなか正確の良さそうな子だ。ほんと東京で巡回しててよかった。川越のネタでお互い共感した。マイナーな地元ネタだ。

結局、深夜1時ぐらいまでしてたか。さあ、もう寝よう。その前に俺にはすることが。そうだ、星を見ねば。しかし、今日も月が明るい。俺は車の中から星を眺めていたが、そのまま寝てしまった。

4月13日

「お疲れさま」

久しぶりにオークランドに帰る朝が来た。最後に余ったジャガイモやタマネギ、サラミを使って朝飯を作り、ここのオーナーのおっちゃんや川越のねえちゃん、それにユースに泊まってる連中にさよならを言って、オークランドへ向かった。

オークランドまで180kmぐらい。だいたい3時間ぐらいか。邦洋君に運転を任せて、俺は疲れていたせいかすっかり寝てしまった。気づいたらもうオークランドの手前まで来てた。

オークランド市内に入ってスカイタワーが見えた時はうれしかった。やっと我が町に帰ってきたか。俺はすっかりオークランドの住人になった気分だ。まだ出発して2時間しか経ってない。こっちの感覚では1時間に80〜90kmって感じか。北海道よりもすごいペースだ。

結局12時半ぐらいにパーネルに着いた。さあ、打ち上げだ。とりあえず、酒を買おう。由美ちゃんも乗り気だ。

酒を買い込んだ後、久しぶりに我が家に戻った。うあ、Nigelに真理子さんや。久しぶりや。2人とも元気そうだ。

それから、車を洗って買い出しに行って、俺と純さんがじゃんけんで負けたのでレンタカーを返しに行った。ジュウジャンで鍛えた俺としては素人にじゃんけんで負けるのは情けない。

さあ、打ち上げだ。ほんとお疲れさまでした。うあ、うまい。由美ちゃんは酒が好きなのでほんと助かる。しかし、普段の乗りが余りよくないのには困ったが、酒を飲んだらエンジン全開になる。いい調子だ。

途中で、ラグビーを見に行ってた尚史さんも加わって、5人で飲んだ。しばらくして、由美ちゃんはリタイアして寝込んでしまい、邦弘君も寝てしまって、結局俺と純さんと尚史さんで1時ぐらいまで飲んでた。ああ、疲れた。

この4日間で使った金は、1人当たり約$130。日本円で1万円ぐらいか。当然、車代、食費、宿代すべて込みだ。かなり安くついた。あんなけ飲んで、食って。評価としては満足な旅行だった。とにかく、疲れた。一番疲れたのは今晩の飲み会だ。なんせ夕方4時から飲み始めたんやから。

4月14日

「One month past」

NZに来てちょうど1ヶ月だ。昨日の疲れで今日は眠い。今日からまた学校だ。学校に行くのも後2週間。俺はすっかりMt.Roskillのコミュニティーが好きになった。ウォルターもいいし、クラスメートもいいし。後2週間でみんなとお別れなのは寂しい。

今日はとにかく眠い。さすがイースターの後だけあって今日は人が少ない。ウォルターは俺のことを心配していた。

「車借りられた?」

ちなみに、ウォルターはこの休みの間ロトルアに行っていたみたいだ。ジニーもロトルア。光二さん、恵子ちゃんはラグビーの試合に。和さん、エバはオークランドにいたみたい。

午後になると、眠気が増してきた。Day dream状態だ。

放課後、邦弘君、純さんと映画に行った。その前にJTCに寄って実家からの荷物を取りに行った。俺のこれからの作業着が入っているはずだ。

まず映画を見る前に、純さんおすすめのマトンカレーを食いに行った。Queen St.から少し上がったところにあるチャイニーズの店だ。$4.50で腹一杯になった。味もまずまず。ここは使える。腹がいっぱいになった後は映画だ。月、火は映画が安い。日本では考えられない値段だ。

今日のお題は「the man in the iron mask」。デカップリオの最新作だ。感想として、100点満点で合格点を60点とすると55点てとこか。なんでこんな映画を作ったんやろうって感じだ。ストーリー的にはまずまずだが。なんでフランスやのにみんな英語なんや。長い間仮面をかぶってたはずやのに、なんであんな顔がきれいねん。やはり、フィクションがあからさまにわかる映画に対しては、素人の俺の評価は辛口だ。しかし、この値段で映画が見られるのだから。来週も他を見に行こ。

4月15日

「NZ初バイト」

今日は放課後、NZに来て初めてのバイトをした。ギャラ的には$25しかもらえないが、時間潰しにと思って引き受けた。内容はキュウイフルーツの試食会だ。4種類のキュウイを外見や甘味、酸味などをレポートにまとめてその場で出すという単純な仕事だ。午後から2回行っているみたいで、今日だけで25人ぐらいか。俺は、たぶん日本人に色んな品種を味わってもらって、日本人向けの商品を選抜しようという内容かなっと思って、係りの人に聞いてみたらその通りだった。日本人のほかに、韓国、ドイツ人も対象になってるとか。ただ日本人の場合、味覚の審査をする俺らはほとんどワーホリの貧乏人なので、母集団に偏りがあるのではと思った。買い物に行くのは主婦だ。そうすると、わずかな味覚の差より値段の差の方が重要なのでは。そう考えると、この試食会は無意味では。色々考えたが、まあ金がもらえるので深く追求せんとこう。

ここの会場はMt.Arbert沿いにあるHorticultural research centerで、詳しく聞いてみると、ここはいわゆる食品分析センターらしい。業者から依頼されて分析等を行っている。だから、論文の投稿とかはしない。俺は久しぶりにラボの風景を見た。ドラフトに試験管。IEW、パラフィルム、試薬。まさかこんなところでラボに直面するとは。俺から研究の世界は切り離せへんな。

バイト自体はかなり楽やったが、味覚の判断っていうのは難しい。要するに、個人のばらつきを統計処理して日本人向けの品種を決めるんやろう。やっぱり、t検定とか、分散分析とかするんかな。それにしても、よくソムリエの人はこんなことできるな。味の判断なんてセンスか。俺には難しすぎる。

俺は来週のジュースの試飲会にも参加することになった。東京では試飲会や試食会をオーガナイズする立場やったが、まさか逆の立場の経験ができるとは。それもNZで。

4月16日

「成龍」

今朝はこの秋一番の冷え込みだ。あまりの寒さで朝方起きてしまった。これからまた寒い季節が来るのか。

今朝、学校の壁に今週末のpot luck dinner partyのビラを貼った。ウォルター曰く、

「このビラはかなりいいよ。ちゃんとバスでの行き方も調べたんだ。普通ここまでやらないからいいね。」

頼むで、ウォルターも来てや。早速、このビラをみんな見てた。今のところで20人ぐらいは来そうや。何気なくこの前のマルガリータで言った俺の一言がかなりのスケールになってきた。大変そうやけど楽しみだ。

今日ウォルターに、

「もうここの授業は取らないの?」

と聞かれた。俺がウォルターに今月でオークランドを離れることを伝えると寂しがってくれた。エナもそう言ってくれた。うれしいことを言ってくれるで、ほんまに。冬には一度オークランドに帰ってくるから。その時は、ウォルター。また飲みに行こう。

今日、いつも俺の席の前に座っているチャイニーズの女の子におもろいことを聞いた。俺と彼女が何気なく話していて、ジャッキー・チェーンの話になった時に、何度聞いても彼女はジャッキー・チェーンのことを知らないと言う。そんなことはないやろう。香港のスターやろう。俺は生野高校時代のハンドのジャージの名前が「成龍」というジャッキー・チェーンの中国名にしたため、ジャッキー・チェーンの中国名を知っていた。そこで、中国名を漢字で書いて彼女に見せると、

「ああ、成龍。」

といって笑ってた。どうやら「シェンロン」と発音するみたいで、「成龍」の「龍」が「ジャッキー」という意味らしい。俺が、

「日本でも成龍はかなり有名だよ。」

と教えてあげると、彼女はびびってた。早速、彼女は他の日本人に成龍のことを聞いてた。わからんもんや。たまたま俺のジャージの名前を成龍にしてただけで、成龍の話で盛り上がるんやから。俺がジャッキー・チェーンの中国名を知らんかったら、こういう展開にはならんかった。

4月17日

「ウォルターが見た日本」

今朝も寒かった。俺は寝袋で寝ているが、どうやら他のフラットメートは笠原さんから布団を持ってきてもらっているらしい。そんなん知らんかった。俺はあまりの寒さに最近朝方必ず目が覚める。もっと早くみんなに聞いとけばよかった。

最近の授業の内容はだんだんと難しくなってきた。これぐらいじゃないと。今までが簡単すぎた。しかし、ウォルターの授業はためになる。それに、彼自身教え方がうまい。

今日、授業が終わってウォルターに、

「喫茶店でも行こうか。」

と誘われて、潤子さんと由美ちゃんと俺とウォルターとで、Mt.Edenにある喫茶店に行った。この辺は俺のテリトリーだ。それにしても、相変わらず潤子さんはようしゃべる。ほんと大介花子の花ちゃんみたいだ。

潤子さんはさすが英語の先生だけあって、かなり細かいことまで教育についてウォルターに質問してた。お互い教育者としての通じるものがあるのか。ウォルターも熱心にそれに対して答えてた。

ウォルターはかなり日本の社会について批判的な考えを持っている。特に、俺らの世代の若者に対して。

「若い頃から勉強勉強で、それが終わって社会人になって、社会人になると満員電車に揺られて会社に行って、終電近くまで働いてめし食ってテレビ見て寝て、週末は日ごろの疲れで寝るだけで、一体なにが楽しいの。それに、世間体もあって若いうちに結婚して、子供生んで、子供のために働いて、子供が大きくなったと思ったらもう定年で。その点君たちはいい人生を歩んでいる。人と違う視点を学んで色んなことを経験して、数年後日本に帰った時に、君たちは様々なことを身につけて話の話題も多くなってるが、君たちの友達は何にも変わってないと思うよ。だから色んなことを吸収してください。」

俺もウォルターの意見に賛成だ。しかし、若干ウォルターの意見に否定的だ。というのは、仮に日本に戻って職に就こうとする時に、果たして日本の実社会でやっていけるのか。カトマンズ在住の日本人の皆様が言ってたように、海外では裕福な暮らしができるし日本とは違った経験ができるが、その間にも日本の技術はどんどん進歩している。海外でちんたら過ごしていた人間が、果たして日本で必要とされるか。確かに人間的には大きくなったかもしれないが、それが日本の社会にどう還元できるか。

そうなると、俺が思うに今後日本で生きていくためには、日本で生かせる有意義な経験が必要になってくるのでは。単にどこどこに行って何々して、誰誰と知り合って楽しかったではあかん。そういうことをしていたけど、その間にこういう事ができるようになった。例えば英語でもいい。日本食屋で働いていたなら魚をさばくのでもいい。どっかの事務所で働いていたのならワープロでもいい。日本で生き残っていくためには、ブランクを埋める何か技術を身につけないと。

俺はこのことをあえてウォルターには言わなかった。日本から離れて日本の情報が入ってこない生活をしていると、いざ日本に帰った時が恐い。ほんとこっちでは変な柵もないし、周りからのプレッシャーも感じない。そういった環境の中では時々自ら自分にプレシャーを与えなあかん。

4月18日

「pot luck dinner party」

今日はpot luck dinner party当日だ。果たして何人来るのか。Organizerの俺(尚史さん、純さん、邦弘君、和さんのも手伝ってもらった)は結構大変だ。とりあえず、確実なだけで15人は来る。それだけの飲み物を用意しないと。今日のpartyの前に笠原さんがここのガレージでガレージセールをする。少し手伝ってあげよう。

それから、12時ぐらいに和さんと潤子さんがやって来て、和さんと純さんたちはビールとワインを買いに、尚史さんはコップとかグラスを買いに行ってくれた。俺は留守番だ。純子さんはガレージセールに夢中だ。ちなみに、潤子さんはマフィンを焼いてきてくれた。なかなかうまい。

やがて、午後3時になってぞろぞろ来始めた。邦弘君と純さんの友達の陽子ちゃんはおにぎりを作ってきた。中に漬物が入っているのには感激だ。恵子ちゃんは赤飯を。俺が無理な注文をしたために、恵子ちゃんはわざわざ中華食材屋まで黒ごまを探しに行ってくれたみたいだ。潤子さんの友達のバレリーはスイスパン。結構手間がかかったと思う。尚史さんの友達の女の人(名前を忘れた)はちらし寿司。久しぶりに酢の味を味わった。うまい。オージーはブルコギ。韓国料理で、牛肉を何かの調味料とで炒めただけだと思うがこれがまたうまい。チャイニーズのフランクは水餃子。これもうまい。さすが本場だ。

途中参加のエバは、ポーランド料理のデザート。馬鈴薯とリンゴと小麦粉で団子を作って、それをゆでて砂糖をつけて食べる。これもうまい。許せなかったのが乗りの悪い由美ちゃん。肉じゃがを作ると言っていたのに、

「食べたかったら自分で作れなさいよ。」

と言ってわらびもちを作ってきやがった。それも、インスタントの粉を買ってだ。俺らはきれまくってた。そのくせ、他の人の料理を食いまくってる。どんな神経してるんや。今思うとよう一緒に旅行に行ったな。

結局4時ぐらいからパーティーはスタートした。最終的な参加者は19人。やはり、始めは知らん者同士やからけん制し合ってたが、酒も入り時間が経つとうち解けてきた。俺はorganizerなので、遅れてくる人を待っておかなければならないので、ほとんど参加できなかった。というのは、会場はうちの地下で、来る人をここまで案内しないと行けないので、俺1人玄関の近くで待ってた。だから、ほとんどみんなの作ってきたものを食ってない。しかし、時々会場に戻っては笑かしたりしてた。

みんなすごいペースで食べていたので、俺と純さんと尚史さんは途中で食い物を作り始めた。俺がまず前菜にジャガイモのピザを、次に尚史さんがヤキソバ、とりは純さんの炊き込み御飯。ちなみに、今回の主旨は各自の国の料理を持ち寄るという主旨なので、俺が作ったピザは主旨から外れていた。

6時すぎぐらいに、ウォルターが来てくれた。ウォルターはここが2件目のパーティーで7時半には次があるらしく、忙しい中をわざわざ来てくれた。シェフのこ光二さんがなかなか来ないと思ったら道に迷ってた。俺らは彼の料理を期待していたのに食えなかった。というのは、彼はここで作ろうと思って材料を用意していたのだが、この後メタリカのライヴに行かないと行けないらしくすぐ帰った。すごく、残念だ。

せいたろうとその友達も少しして来て、彼らは日本酒を買ってきてくれた。高校生なのに無理をさしてしまった。エバが体調が悪く早退したのと、尚史さんの友達が明日の早朝に用事があるので早く帰った以外はみんなかなり遅くまで残ってた。よっぽど楽しかったんやろう。

真理子さんもナイジェルも参加してくれて2人とも喜んでくれた。真理子さんが焼いてくれたマフィンもすごくうまかった。とにかく、わらびもち以外は俺らは大満足だ。

せいたろうたちが帰り、陽子ちゃんと恵子ちゃんを俺が和さんの車で送って行き、フランクが由美ちゃんを、オージーが潤子さんを送ってそのまま帰り、最終的に1時ぐらいにこの会は終わった。和さんだけ10時ぐらいから寝始めて泊まった。

みんなほんと喜んでくれて、またやろうよっと言ってくれた。そう言ってくれると主催した俺としても本望だ。しかし、俺は27日にオークランドを出る。申し訳ない、これが最初で最後や。他の人たちだけでまたやってください。

俺らはかなりの人数を見込んで、ビール72本、ワイン9リットル用意したが、予定していた人たちが8人もキャンセルになって、ビールもワインもかなり余った。その分俺らの出費はすごかったが、みんなが作ってくれた気持ちのこもった料理には変えられない。ほんとに皆さんに感謝だ。

さあ、これで俺のオークランドの仕事は終わった。あとは出るだけだ。その前に後1週間ある。この1週間はゆっくりしたいがそうはいかんやろう。最後、潤子さんとオージーに一緒に飲もうと言われているし、来週の金曜日にウォルターにまた企画しろと言われたし、邦弘君たちにも来週お別れ会をしましょうと言われている。やっぱり、その気持ちはうれしいからできる限り皆さんのご期待に応えよう。

4月19日

「ピンチ」

昨日の夜から調子悪かったのだが最悪だ。悪いと言っても俺じゃない。俺のパソコンだ。キーボードのキーが打てない。やばい。すべてが打てないわけではないが、何個かのキーが打てない。打っても認識しないのだ。昨日何人かに書いてもらった時は大丈夫やったのに。俺はこっちに来て最大の危機を感じた。これが動かなくなったら、今回の俺のNZでの旅行の目的が達成できなくなる。本当は今日博物館に行こうかと思っていたが、それどころじゃない。おかげで昨日の疲れも吹っ飛んだ。休んでいる場合じゃない。どうしよう。

数時間おきぐらいにパソコンをいじって、システムをいじったりしているうちに、徐々によくなってきた。しかし、いつものようにはいかん。そうこうしているうちに昨日の疲れが出てきて、夕方少し横になっていると今日からここに入る新しいフラットメートが来た。彼の名前はナイジェル。元々いるナイジェルと同じ名前だ。どういう風に呼んだらいいんやろう。特に、電話の時なんか。彼はオークランド大学の学生でマーケティングを選考している。一度社会に出て学校に戻ったような感じで、年は27歳。彼は空手をやっていてサンドバックを持ってきた。なかなかのつわものだ。

今晩、ナイジェルも交えてトランプをした。彼は結構楽しんでいた。俺らにしても助かった。俺は来週までしかここにいないが、フラットメイト同士これからもうまくやってほしい。俺が出た後に2人日本人がここに来ることが決まっている。ひさしさんは5月で日本に帰るし、6月頭には真理子さんも帰る。ここはカナディアンファームみたいに出入りが激しくなりそう。俺はそんなことよりコンピューターだ。やばい、直ってない。どうしよう。

4月20日

「エバが帰っちゃう」

さあ、今日から最後の週が始まる。学校に行き始めた時はまだ半袖やったのに、今は寒さで目が覚めるほどになった。町のポプラも紅葉した葉が落ち始め、朝になると夜露がすさまじい。ほんと、オークランドは1日の温暖の差が激しい。

ウォルターは俺がシュラフで寝ていることを知っている。

「早く服を買いなさい。そうじゃないと来週までに死んでしまうよ。」

と言って、今日の授業中でも俺のことを言っていた。授業の終了になると、

「今すぐ買いにいきなさい。」

と俺のことを叱ってた。ウォルターが心配してくれるのは分かるが俺のことはほっといてくれ。

今日は残念なことがあった。ポーランド人のエバが国に帰ると言い出した。原因は、どうも一緒に住んでいた彼氏とけんかしたようだ。そんなことで帰らんといて。せっかく友達になれたのに。エバのあの笑顔が毎日見られないと思うと寂しいやないけ。俺も和さんもウォルターも、今週で授業が終わりやから金曜までいたらと提案したが、帰ると言って態度を変えようとしない。彼氏とけんかしたぐらいで、28の大人が何を言ってるねんって感じだが。もし明日飛行機が取れなかったら学校に来ると言ってエバは帰った。さあ、明日来るかどうか。

 

4月21日

「バイト第2弾」

今朝、学校に行くとなんとエバがいた。どうやら飛行機が取れなかったみたいで、5月の頭まで延期したみたいだ。俺らにしてみればよかった。しかし、正直なところよかった反面、エバのことをすごく幼く感じた。何のために:NZに来て今まで頑張ってたんや。しょうもないことで悩んで。他にすることあるやろう。

授業が始まる前に、昨日同様ウォルターに怒られた。そうだ、服を買っていないからだ。とにかく、俺に構わんといてほしい。それと、今週の金曜の晩もなんか企画するように言われた。ちょっと待ってくれ。俺は学級委員か。今週末は競馬に行くと決めていたのに。潤子さんやこと恵にも言われた。したかったら、自分らで考えろ。

放課後、今日は第2弾のバイトをした。先週と同じtastingのバイトだ。今週はジュースの試飲会。今回は要領が分かっていただけに20分ぐらいで終わった。これだけで$25もらえる。おいしいバイトだ。

このバイトの最中に、ここの担当をしているせいやさんと少し話をしていた。せいやさんは俺のことを覚えていて、俺が研究室にいたといったらびっくりしてた。せいやさんは俺に、

「ここで働いてみたら。」

とアドバイスしてくれたがどうしよう。しばらくラボから離れて圃場で働きたい反面、ラボの空気が懐かしくなって実験したくなってきた。ここでやってるのは単に分析なのでroutineだ。ケルダールと無機分析ぐらいならすぐにでもできる。とりあえず、俺はピッキングをしたいとせいやさんに言うと、明日電話くれと言われた。どうも、知り合いに聞いてくれるみたいだ。

バイトが終わった後は服探しだ。Dominion Rd沿いをタウンの方に行ったところにウォルターおすすめの店があるみたいだ。正直、買う気はない。俺はSt. LukesからDominion RdまでBalmoral Rd沿いをひたすら歩いて、Dominion Rdに入った。しばらく歩いてもウォルターが言っていた店は見当たらない。おかしい。気づいたら30分近く歩いていて、右手にはMt. Edenが見えてきた。ウォルターのうそつき。ないやないか。わしは汗だくになってるやんけ。明日文句言ったろ。

 

 

4月22日

「俺の方があってたやんけ」

今朝、予想通りウォルターに、

「服はどうした。」

と言われた。俺は昨日の状況を説明して、1時間歩き続けたけど見つからなかったことを言うと、どうやら今日の放課後ウォルターが俺をその店に連れて行ってくれるようだ。果たして、俺が間違っていたのか正しかったのか。

潤子さんは来週からタイに行くみたいで、その前に俺の日記を読みたいと前から潤子さんに言われていた。そこで、今日俺がウォルターと一緒にその店に行ってから潤子さんが俺のフラットに来ることになった。それとウォルターが、「金曜の夜もなんか企画しろ。」

と俺に言ってきて、俺は今週は競馬に行く予定なので和さんに任せようと思ってたら、なんと和さんは今晩飲み会であかんらしい。また俺やんけ。もういやや。

放課後、ウォルターと潤子さんとウォルターの車でDominion Rd.をタウンに向かって、ウォルターが教えてくれた店の周辺で車を止めて一緒にその店に向かった。しかし、店があるはずの場所には他の店が。やっぱり俺が正しかった。もう店はつぶれてて他のテナントが入ってた。ウォルターも自分の負けを認めたみたいだ。ほら見てみろ。その代わりにタウンの他の店を紹介してくれることになった。

やがて、タウンに着いてウォルターに店を紹介してもらった。Queen St.沿いにある少し高そうな店だが、見た目ほどは高くなくてなかなかグッドだ。俺は他の日に買いに来ると言ってその場を離れて、各自がそれぞれの用事を済ませて、30分後にQueen St.沿いの本屋の2階の喫茶店に集合した。その後は、3人で楽しい時を過ごした。

しばらくして、ウォルターは帰り、俺と潤子さんは俺のフラットへ向かった。潤子さんにタイの日記を見せなければ。潤子さんは俺の日記を見ながら、参考になるところをメモしてた。潤子さんは見た目としゃべりから判断すると大胆な感じなのだが、案外繊細だ。俺は旅先のことはあまり調べて行かないが、潤子さんは何日も前からタイのことを色々研究している。俺とは旅のスタイルは正反対だ。

潤子さんは俺の日記を読んで結構感心してくれた。俺にしてみればタイの内容は一番出来が悪いのに。俺も少し潤子さんと一緒に日記を読み返したが、いまでもその時の光景がはっきりと目に浮かぶ。ほんと日記を書き続けてよかった。

今晩、突然オージーが遊びに来た。どうやら、潤子さんが連絡したようだ。オージーは今バイトをしていて、しばらく学校に姿を見せなかった。だから、俺は久しぶりにオージーと会った。

俺、純さん、邦弘君、尚史さんの4人で夜よく「大富豪」をする。それに、最近新しく来たナイジェルも加わって、負けた奴がワイン一気というのが定番になってきて、ナイジェルもルールを覚えたばかりなのにすっかり気に入ってくれた。今晩、それにオージーも加わって、なんとナイジェルもルールを教えるほどになっていた。結構、オージーも楽しんでやってくれていた。

4月23日

「京大農芸化学出身」

昨日から新しいフラットメイトが来た。徳さんと理砂さんで、辻堂に住んでいる夫婦で、徳さんはなんと京大の農芸化学出身で、それも植物栄養。間藤先生の講座らしい。すごい。研究の話ができる人に初めて海外で会った。うれしい。しかし、徳さんは31歳で研究の世界から離れてかなり経つので、ほとんど忘れたみたいだ。ほんと偶然というのは恐ろしいものだ。ちなみに、徳さんは東大に落ちて京大に行ったらしく俺とは反対だ。昨日の晩は2時近くまでみんなで色んな話をしてた。

今日で、授業は終了。5週間に及ぶ学校が終わった。始めの頃は半袖で行ってたのに、今や朝晩の寒さで目が覚めるほどになった。今ではクラスメイトともすっかり仲良くなった。ウォルターは、

「学、俺の住所を教えておくから、お前はこれからどんなことをするか知らないが、手紙を書いてきなさい。オークランドに戻ってきたら学校に遊びに来るんだぞ。」

と言ってくれた。ウォルターとはすっかりお友達になって、先生というよりは友達感覚だ。ほんとウォルターに出会えてよかった。

午前の授業の後、いつものようにエバと話ししてた。エバがおもむろに、

「日本語で知っている言葉、うーんと、過労死。」

と言ってきた。なんと、ポーランド人までもが過労死を知っているとは。エバは日本のニュースか新聞か知らないがそれをポーランドの番組で見たらしい。

「日本人って狂ってるよ。なんでそこまで働くのよ。働いて死ぬなんて信じられない。その点、ポーランド人は働かないよ。ほんと働かない。私はポーランドでいい。日本人じゃなくてよかった。」

それと、ウォルターもエバも日本人の観光客を批判してた。

「日本人の観光客は世界中どこでもいるよ。彼らは写真を撮っては他の場所に行き、また写真を撮っては他に行く。ほんとはすごくいいところなのに、ゆっくり見ようとせず、写真を撮ってばかりだ。」

ウォルターにはあんな人にはなるなよと言われた。うーん。そうかもしらん。彼らから見ると日本人は狂っている。でも、そのおかげで高度に経済が発達した世界一の金持ちの国ができたんやから。しゃあないと言えばしゃあないかも。エバやウォルターの意見はすごく勉強になる。

4月24日

「Fare well party」

さあ、今日で学校のみんなともお別れだ。昨日で授業はすべて終了して、今日はfare well partyだ。いわゆるpot luck partyで、各自がなにかを作ってくる。俺は考えたあげく焼きおにぎりとツナのおにぎりを作った。俺の場合は朝と昼のクラスがあるので簡単にした。

ほんとはクラスメイトだけでするのだが、ウォルターのご厚意で俺は陽子ちゃんも呼んであげた。陽子ちゃんは先週やったうちのpartyの時から、今日のpartyに参加したいと言っていた。陽子ちゃんとその友達と待ち合わせて、2人をクラスに連れて行ってあげた。

俺が学校に着いた頃には、ほとんど人はいなかった。みんな準備で遅れているんやろう。しばらくしてポツポツと来だして、いつもエバの横に座っているチャイニーズのおっちゃんはポークを炒めたやつ、いつも前に座っているチャイニーズのおっちゃんは焼きうどん、いつも後ろに座っているチャイニーズのおっちゃんは野菜炒め、俺の前のチャイニーズの女の子は、一人が酢豚でもう一人が餃子みたいな饅頭を作ってきた。チャイニーズの夫婦はパイ、恵子ちゃんはスコーン、光二さんはコロッケ、エバはポーランド風クレープ、和さんは牛のたたきを作ってきた。どれもむっちゃうまい。さすがは中華料理の本場だ。俺はすっかり腹がいっぱいになった。ちなみに、エナは相変わらずずれていて、なにも作ってこなかった。エナ、頼むから俺の側に来るな。この前はっきり嫌いって言ったやろう。

みんな遅れてきたせいか、盛り上がるのが遅かったが、それなりに楽しい時を過ごした。俺らはすっかり中国語のことで盛り上がってた。陽子ちゃんもそれなりに楽しんでくれていた。ああ、よかった。

最後に、俺はエバと一緒に写真を撮ろうとしていた。というのは、以前俺はエバに、

「もし時間が取れれば、何年後かにポーランドに行くよ。」

と言ったら、

「ほんと。じゃあ楽しみに待ってるね。とりあえず、あなたの顔を忘れるといけないから、あなたの顔の写真を私のベッドの側に置いとくね。」

とエバは言って、2人で写真を撮る約束をしてた。俺らは2人で写真を撮ろうとしてると、エナが邪魔してきやがった。ほんとあのロシア人にはあきれる。エバもあきれてた。ほんとあの女は周りが見えてへんと言うか、気がきかんというか。。こいつとは2度と会いたくない。エバには写真を送ることを約束して、住所交換をしてエバとは別れた。エバ、ポーランドでまた会おう。

午後からもpartyだ。潤子さんは照焼き、ウクライナのおばちゃんはケーキを作ってきた。午後のクラスは人が少なかった。俺はスペインのおばちゃんの料理を楽しみしていたが、おばちゃんは来なかった。オージーも仕事で来られなかった。人数的には少なかったが、それなりに楽しかった。

やがて、5週間通い続けたMt. Roskillを後にして、俺はJTCへ向かった。オークランドを離れるにあたって、荷物を預けなければ。JTCに荷物を預けた後、俺は考えたあげく、タウランガ行きのバスのチケットを取ることにした。YHAの割引で片道$26だった。YHAカードはここではかなり有効だ。

さあ、この後は最後の飲み会だ。場所は、Queen St.を上がっていたところにあるQueens Headというところだ。俺はこのパブに行く途中にあるルイビトンの店をふとのぞくと、なんとあのきれいなチャイニーズがいるでは。以前から彼女には遊びに来てと言われていた。彼女は俺を見てびっくりしていた。彼女も今晩少し参加したいと言って、俺がここに9時に迎えに来ることになった。

それから、Queen St.を上がって行き、午後6時頃店に着くとまだ誰もいなかった。

しばらくして、光二さんや純さんたちが来て、その後こと恵が来た。結局、集まり始めたのは8時ぐらいからか。ちなみに、このパブは思ったより高かった。ビール1杯$4.50ぐらいか。俺はカウンターでビールを注文しようとしていると、キュウイのねえちゃんが俺のことを気に入ったのか、俺にビールをおごってくれた。ねえちゃんはかなり酔っていた。ラッキーだった。

陽子ちゃんとその友達、千賀子さんとその友達も来て、途中で俺がチャイニーズのねえちゃんを迎えに行って、やがてウォルター、潤子さんも来て、途中で帰った人もいたが最終的に25人ぐらい来た。

俺は今回の旅行の一つの試みとして、旅先で会う人にサインをもらおうと思ってTシャツを用意した。早速、俺はこの場にもそのTシャツを持ってきて、みんなに一言書いてもらった。これが結構評判よかった。

俺は途中からキュウイの酔っ払いのおやじにからまれて、このおやじとずっと話していた。やっぱり、ネイティブの英語は聞き取りにくい。それに、酔っぱらってるし。それにしても、ほんとキュウイの人は気さくだ。

やがて、閉店時間になって解散した。ウォルターやオージーには、8月にオークランドに帰ってきたら、絶対学校を訪ねてくれと言われた。オージーはその時にはまたブルコギを作ってやると言ってた。こと恵や和さんとかも呼んで同窓会をしようということになった。また新しく帰る場所ができた。皆さん、お疲れさまでした。また会いましょう。

それから、何人かでKiss Barに向かったが、少ししてみんな帰って、俺はオークランド最後のFriday nightやったので1人残った。結局、家に帰って寝たのは朝の5時近くか。ああ、疲れた。

4月25日

「ソフトボールに参加」

昨日はさすがに疲れた。しかし、今日はナイジェルが通っているソフトボールチームに参加することになっている。日本人のおばちゃんがやっているチームで、キュウイと日本人が半々とか。こっちに来て初めての運動らしい運動だ。

早速、俺、ナイジェル、純さん、尚史さん、徳さん、理砂さんで近くのグランドへ向かった。

ナイジェルが言ってたように、日本人が半分でそれ以外が半分って感じだ。野球経験者は見てすぐに分かる。こっちで日本語の先生をしてる人ともう一人学生っぽい日本人が経験者だ。日本人のおばちゃん2人がこの会を運営していて、60歳ぐらいの日本人のおっちゃんがコーチをしている。またこのおっちゃんが1人はりきっている。日本人以外のキュウイや他の国の人は気さくですごくいい奴ばかりだ。俺は久しぶりのソフトボールやったが、エンジン全開だ。ナイジェルも思ったよりもうまく、彼はなんと言っても阪神の帽子をかぶっている。どうやら、友達に送ってもらったらしく、彼もすっかり阪神ファンだ。

始めの1時間ぐらいバッティング練習、守備練習をして、残りの1時間は試合をした。うちのフラットメイトはやはりみんな運動不足だ。足が動いてへん。俺は元気もりもりだ。試合になると、コーチ自ら初めて来た俺をショートに抜擢した。

結局1時間ぐらい試合をしたか。一人日本人の女の人が鼻血を出してそこで終わりにした。しかし、思った以上にこの2時間はハードやった。久しぶりにいい汗をかいて気持ちよかった。

やがて、フラットに戻ると、今日は風呂につかろうということになって、ここに来て初めてバスタブに水を溜めた。やっぱり、風呂はつからなあかん。体の芯まで温まる。俺は東京で通っていた銭湯時代を思い出した。

今晩はインド映画だ。実は、Mt.Eden Rd.に映画館があって、今晩インド映画が上映される。インド映画はニューデリーで見た以来だが、俺はこのポスター見つけて以来インド映画が見たくて仕方がなかった。なんと言ってもあのくだらなさ。これがまたいい。

映画に行く前に笠原さんが見えて、公共料金の精算をした。1週間$7.00ぐらいか。笠原さんにはなんやかんや言って世話になった。笠原さんは、俺にオークランドに帰ってきたらまた遊びに来てと言ってくれた。俺は知らん間にここのフラットの学級委員になっていたので、色々と笠原さんには注文したりした。笠原さん、短い間でしたがお世話になりました。

さあ、インド映画だ。映画館に着くと、おびただしい数のインド人だ。こんなにオークランドにインド人がいたんか。この映画館の客の中で、インド人以外は俺らだけだ。俺らが入って行くといっせいにみんなこっちを向いてきた。おいおい、頼むからこっち見んな。しかし、俺は久しぶりにインドに帰ったみたいで内心うれしかった。

しばらくして、ついに上映開始。今回の主役は俺がこの前インドで見た映画の主役と同じだった。それにしても、相変わらずのカメラワークの悪さ。これがまたインドらしくていい。俺はすっかりインド映画のファンだ。当然の如く途中で踊りが入る。それに休憩も。懐かしい。今思うとこの踊りは必要だ。これこそインド映画だ。相変わらず、人を殴るシーンが多いし爆破シーンも多い。さすがはインド映画だ。俺はまたインドに行きたくなった。

映画が終わって帰る頃には皆疲れていた。今日も疲れた。おやすみ。

4月26日

「ラグビー観戦」

オークランドでの最後のイベント。それは、ラグビー観戦だ。午後2時半からEden parkで、地元Auckland Bluesと南アフリカのストーマーズの対戦がある。ラグビーファンの俺としてはどうしても本場のラグビーを生で見たい。それに今日は雲一つない快晴。絶好の観戦日和だ。ラグビーを見る時に、なんと5人以上やと割引が効くらしく、俺、邦弘君、純さん、尚史さん、徳さんの5人で行った。当然、皆ルールは分からなく、知っているのは俺だけだ。

Eden parkに着くと、さすがは地元のチームがやるだけあって、かなりの人が来ていた。ラグビーを見るなら横から見るのが当然だが、そこの席は高く、俺らはゴールポストの裏ぐらいの席にした。割引が効いて1人$12.00。ほんとはスタンドだったが、選手を間近に見ようと言うことになって、係員のおっちゃんに負けてもらって、グランドから一番近い席に入れてもらった。これはすごい。迫力満点だ。俺はあまりの天気の良さに思わずビールを買ってしまった。

さあ、キックオフ。キックオフからノーホイッスルトライでbluesが先制した。そうなると会場は大フィーバー。すごい盛り上がりだ。それにしても、こっちのラグビーのレベルの高さ。これは日本のラグビーが世界に通用しないのが分かる。体格の差は歴然だが、何と言っても選手一人一人のレベルの高さ。選手全員がラグビーを知っている。力を抜くとこは抜いて、やる時はとことんやる。ちゃんとフォローもできているし、しょうもないミスもほとんどない。俺はラグビーに対する考え方が変わった。これはどうしてもオールブラックスを見ないと。

途中で、キュウイの兄ちゃんが俺のところに来て、俺がタオルを巻いていたのを見て、

「俺がビールをおごってやるから、その格好でグランドの真ん中まで走ってくれ、神風。」

と言ってきた。俺のタオルを巻いている姿を見て神風と言ってきた。俺はてっきり試合が終わってからかなと思って、

「いいよ。」

って言った。しかし、この兄ちゃんは、

「今すぐ行け。そういうパフォーマンスはキュウイの人は大歓迎だ。」

と言って、どうしても俺をグランド内に入れたいみたいだ。それはあかん。こっちの珍プレー好プレーに出ている場合じゃない。そんなことしたらプレーを止めることになる。俺は、

「それはできない。それやったらお前がやれ。」

と言っても、この兄貴はあきらめきれないみたいで、結局後半のほとんどはこの兄貴につきまとわれた。なんで俺だけいつもおちがあるねん。せっかく試合を見ていたのに。

試合は地元bluesの圧倒的な勝利だった。試合後はヒーローインタビューがあって、この時は客もグランドに降りていいみたいだ。しかし、選手を間近で見るとすごい体だ。こんなんにタックルされたらたまらんで。こっちの選手はほんとファンを大事にする。一人一人のファンのサインや写真攻勢にちゃんといやな顔をせず応える。この辺は中田も見ならわなあかん。

家に戻るとさすがに疲れた。しかし、明日の準備をせんと。例の如く、みんなにTシャツに一言づつもらってワインで乾杯した。ほんと短い期間でしたが皆さんお世話になりました。楽しかったです。また、どこかで会いましょう。