全国9000万人の加藤学ファンの皆様




皆様、こんにちは。今日(929日)、約5週間ぶりにバヌアツ共和国からオークランドへ帰国しました。その間、多くの人々からメールを頂いてほんと有り難うございました。

南太平洋に浮かぶ島、バヌアツ。人口約16万人。約80の主要な島々。国全体では300以上もの島々から成り立っています。共用語はビスラマ語、英語、フランス語で、島全体では100以上も言語があり、村ごとに言語が違います。

バヌアツの人々はいわゆるメラネシアン。肌は黒く、髪の毛はちりちり。とにかく、彼らは親切で争いごとを嫌う。すごく治安のいい国でした。

空はほんとに青々としていて、日差しは強く、夜は空一面の星。ここで見た太陽は今までにないぐらい眩しく、これが本当の太陽だと実感しました。島の大半は珊瑚礁で囲まれていて、首都のPort Vilaにいる時はほぼ毎日泳いでました。近くのスーパーで水中眼鏡を買って、いろんな色の珊瑚礁や魚たちと泳ぐ毎日。幸せな時を過ごしました。

南太平洋の島々はいわゆるリゾート地。ニューカレドニア、バヌアツ、フィジー、タヒチ、トンガ、サモア。しかし、リゾート地と呼ばれる町は島の極一部で、それ以外は電気、ガス、水道もないlocal village。山陰の過疎の村村をバヌアツとすると、首都のPort Vilaは霞ヶ関の官庁街って感じ。大半のツーリストはその官庁街だけを見て帰ってしまう。そして、バヌアツはよかったとみんなに言う。そういった中で、私はPort VilaのあるEfata島を離れて、Emae島に約1週間、Tongoa島に10日間行ってきました。では、私のバヌアツでの生活ぶり、バヌアツの人々の本当の生活ぶりを紹介しましょう。暇な時にでも読んで、皆さんバヌアツに行きましょう。





In Efate
オークランドを出る時、オークランドの仲間が空港まで見送りに来てくれたまではよかったが、なんと侍の格好を渡された。これでバヌアツを回ってきてくれとのこと。ちょんまげに刀、殿様が着る服。みんなの見守る中この姿で出国し、無事この姿でバヌアツ入国。イミグレの人に、

「何で刀持ってるの。」
と聞かれ、

「俺もわからん。」
と答えるしかなかった。何で私はいつもこんな役ばかりなのか。













バヌアツに着いた日、宿を探している時に、たまたま2件目にあたった宿の隣の夫婦と仲良くなり、その晩御馳走してもらった。ジョセフとエミリー。ジャセフたちに、小さな島に行ってみたいと言うと、ジョセフのお兄さんがTongoa島にいると言うので、紹介してあげるよと言ってくれた。






バヌアツはバックパッカー用のアコモデーションが少なく、テント生活の私にとってこの宿の料金は高く、次の日に違う宿に移った。

その3日後ぐらいにジョセフ宅を訪問すると、なんとTongoaにいるはずのジョセフのお兄さん、ロイがたまたま遊びに来ててロイとも知り合った。

しかし、その日に体調を壊して、それから数日間テントの中での闘病生活。実は、私は船でTongoaに行くつもりだったが、船が出るのは週に1回ぐらい。それも、曜日は決まってなく、船会社に聞かないとわからないと言ういい加減さ。闘病生活の間に船は行ってしまった。宿の人が、ヨットで行ったらと提案してくれ、ヨットクラブに張り紙をはり、その返事を待つ毎日。しかし、その間にEmae島のTapakoro村の酋長が私の泊まっていた宿に遊びに来て、その酋長と知り合いになり村に招待してくれることになった。

結果的に、飛行機で酋長のいる村に訪問。















In Emae
Emae島は長さ約10km、幅35km。人口約700人で、9つの村からなり、私が訪ねたTapakoro村は約40人。島には3つの言語があり、隣村では違う言語を使っているのは面白い。

島全体が珊瑚礁に囲まれていて、ほんとにきれいな島。砂浜も真っ白。
Emaeに着いたのはいいが、ジャングルでは。飛行場は単なる空き地。滑走路も建物も何もない。パイロット自らドアを開けていた。

村に着くと村人が私を歓迎してくれた。3年ぶりの客らしい。3年前を知らない子供たちは、初めての外国人に唖然。髪の毛がちりちりの彼らにとって、私の伸び乱れた髪の毛に興味津々。
「あなたは男なの、女なの。」
と問うちびっこもかなりいた。

電気、ガス、水道もないジャングル。Emaeには川がないため、乾期のこの時期水は貴重。彼らの飲料水や洗濯に使う水はすべて雨水。各家に屋根から雨水を確保する貯水池がある。そのため、夕方ちびっこたちと体を洗いに海に行ったり、酋長にバケツ1杯の水をもらったりした。














バヌアツの村には必ず酋長がおり、何かするには酋長の許可が要る。時には、ナカマルと言う場所に集まって、酋長を囲んで村会議がある。

彼らの生活は至ってシンプル。お金と時間の要らない世界。毎年、ジャングルの中に畑用のスペースを作る。木を切り倒すのはすべて人間の力。それから、切り倒した木を使って焼畑農業。これで肥料を確保する。化学肥料を買えない彼らにとって、毎年こうやって新しいスペースを作って、木を切り倒し肥料を確保するしかない。

この時期は乾期なので畑を作り、作物を植えるシーズン。主要作物は当然芋類。ヤン、タロ、マニヨック。喉が渇けば、ココナッツを飲んで、おなかが空けばバナナを取って焼く。とにかく、食が豊富。ジャングル中、食べられるものばかり。ココナッツ、マンダリン、マンゴ、グレープフルーツ、ポポ、ナガイ、ナカビカ、ナバラ

食事も至ってシンプル。芋を焼いたり、野菜でスープを作ったり、海で捕まえた魚を煮たり。味付けは塩と砂糖とココナッツミルクのみ。しかし、私はこのlocal foodにはまった。特に、マニヨックが大好きだった。

彼らは農作物を売ったり、ココナッツから作るコポラを売ったりしてわずかな収入を得る。それで、砂糖、塩を買ったり、衣服を買う。とにかく、食には困らない。お金の要らない世界。私は今までの人生で一番と言っていいほどの衝撃をうけた。

夜は村人たちといつも話してた。自給自足の彼らにとって、当然海外旅行なんてできない。そのため、私の日本の話には興味津々。
「日本に村はいくつあるのか。」
「日本に酋長はいるのか。」
「日本の地下街には人が住んでいるのか。」
などなど。とにかく、毎晩彼らと話するのが楽しかった。

眠くなれば寝て、明るくなれば起きる。時計のいらない世界。畑では疲れれば寝る。島の人々はほんと明るくてのびのびしてる。争いごとを嫌う人々。まさしく天国に一番近い島。私は小学校6年の時に見た映画「天国に一番近い島」の原田知世ちゃんの気持ちがようやく分かった。

ある日突然、酋長から明日Tongoaに行く船が来ると言われた。正直、もう少しこの島にいたい。私はすっかりここが好きになっていた。しかし、次の船を待つとなるといつ来るかわからない。いつまでもここにいるわけには。よって、明日ここを出る決意をし、酋長に伝えた。

村のみんなと別れるのは辛かった。早朝にもかかわらず、酋長の奥さんは朝飯を作ってくれ、弁当までくれた。村の人々も起きてくれ、何人かは海岸まで見送りに来てくれた。

島のみんなと出会えてよかった。酋長に侍の格好をさせて写真を撮ったり、3つぐらい先の村の酋長に侍の格好をさせたり、学校を訪ねたり、ほんとに貴重な時を過ごした。





























































In Tongoa
Emaeから船でTongoaに着いた。船は汚くて揺れまくり。私は吐きまくった。

Tongoa島は約2500人の小さな島。私が訪ねたのはLumbukuti村。人口約400人の島で最大の村。Emaeに比べTongoaはかなり開けている。しかし、電気、ガス、水道はない。川もないので水は貴重だ。私はジョセフのお兄さん、ロイを訪ねた。

ロイは小学校の先生。バヌアツの学校は英語とフランス語の校舎があって、授業すべてを英語かフランス語で行う。ビスラマ語は一切使わないし、教えない。

Tongoaの砂浜は真っ黒。この島には火山があるためだ。島の生活スタイルはEmaeによく似ている。ここでも彼らは自給自足。毎年畑を作り、わずかながらの収入で必要最低限のものを買う。この村の人たちともすっかり仲良くなった。

この村には日本政府の協力で建てられた病院があって、青年海外協力隊の看護婦が常時いる。それに、日本政府から送られた車もあり、そのため彼らは日本人に対しては一目置いている。

Tongoaではロイの家族にお世話になった。奥さんもすごくよくしてくれ、子供たちもすっかり私になつき、ロイの両親やロイの親族たちとも仲良くなり、家族の一員となった。

TongoaではEmaeのような新鮮さはなかったが、南太平洋と言えばカバ。私は毎晩のようにカバを飲んだ。カバとは、カバの根から抽出したエキスで、アルコール分はないが飲むと酔ってくる。酔ってくる度合いはアルコール以上かも。いわゆる麻薬みたいなもので、覚醒作用がある。しかし、違法ではなくれっきとした飲み物で、Port Vilaの至る所にカババーがあり、地元の人、観光客で毎晩いっぱいだ。

まず、口の中でカバの根を噛み砕き、それを水と混ぜて徐々にエキスを絞り出す。とにかく、カバは村のcustom。私はカバを飲めて満足した。
やがて、Port Vilaに帰る時が来て、ロイたちとも別れるのは辛かった。とにかく、EmaeTongoaと貴重な体験ができた。本当の南太平洋の人々の生活ぶりを肌で体験できた。































こんなとこでしょうか。さて、ここでバヌアツの人々の声を聞いてください。

All welcome to every Japanese people.
Fred (Emae)

Welcome to Emae in Vanuatu.
James (Emae)

My best wish to you all friend from Japan.
Philip (Emae)

I welcome you and other friends from Japan to my village.
Chief Roy Masamori
Tapakoro village Emae island, Vanuatu

Thank you very much for staying with my family. We wish you best wishes and good memory from Tongoa island, Vanuatu. We hope you enjoyed eating sweet manioc from our small island. Your welcome back sometimes. Bye. God bless you in your journey back to New Zealand.

I wish Japanese people could travel to my island. We are all friendly people. Because Japanese government gives our government great help to our health department. Good luck. God bless you.
Roy Charlie
Ere primary school (Tongoa)

I am very glad to receive all Japanese people in my home island, Tongoa. So my family are very sorry to miss same one like you, friend. Good by and god is with you. Travelling with care.
Pakoa Charlie
Lumbukuti village Tongoa island, Vanuatu, South west pacific

Wish you, friend, happy life in your future. Sorry to miss same one like you. Good by.
From your friends, Joseph and Emily (Port Vila)

We cater for cheap accommodation. We welcome good people from Japan.
Malibu, wish you safe journey back home.
Albert Sandy Tipoloaroto
Lucy Sandy
Lawrance Sandy (Port Vila)





















そこで、皆様にお願いがあるのですが、EmaeTongoaの人たちは日本人のお友達を欲しがっています。自給自足の彼らにとって海外旅行は到底不可能で、島を出ることさえも難しいのが現実です。そんな彼らに日本と言う国を教えてあげたくて、日本を表わしているような絵葉書や写真があったら送ってあげてほしいのです。例えば、新宿の高層ビル街、ラッシュアワー、地下街、地下鉄、高速道路の立体交差、北国の雪などなど。今の日本をイメージするものならどんなものでも構いません。もし時間があったらお願いします。特に、Emaeの人たちに。私はバヌアツでは「Malibu(マリブ)」と呼ばれていたので、その友達と言えば彼らはわかります。もちろん英語で。住所は、

Chief Roy Masamori
Tapakoro village Emae island, Vanuatu

Roy Charlie
Lumbukuti village Tongoa island, Vanuatu

で、ロイたちTongoaの人々は日本人の友達を欲しがっています。よろしくお願いします。















さて、私の方はNZ後半戦。今週中にオークランドを離れ、パーマストンノースで大学を訪ねて、首都ウエリントンからついに南へ突入します。NZの人々曰く、南と北では人も違って、NZを語るなら南。

その後、ピクトンからブレナム、カイコウラ、そしてクライストチャーチからアカロア、テカポ、マウントクック、ワナカ、クイーンズタウン、ダニーデンと下ろうかなと考えています。だいたい、10日に1回ぐらいメールはチェックしています。では、また南で会いましょう。



P.S.
私がバヌアツに行っている間にオークランドで日本人の女性の死体が発見されたらしくびっくりです。かなり腐敗していたみたいで、歯形から身元が判明したようです。治安がいいと言われている
NZ。我々もこのニュースにはショックです。

 
バヌアツですっかり日焼けした今日この頃
加藤