全国1億1500万人の加藤学ファンの皆様




皆様、こんにちは。約1ヶ月半ぶりにch-chに帰ってきました。Alexを出てから、Stewart islandへ行って、ここにたどり着くまでまた様々なドラマがありました。ほんと、旅ってこれがあるから止められないですね。

Stewart islandNorth-west circuit track trampingは予想以上に地獄でした。もう、辛かったの一言ですね。通常は1012日かけて歩くコースなのですが、私はそれを8日で歩ききりました。今思えば、何であんな無茶な事したんかなっと反省しています。トラックの3分の1ぐらいはドロドロで、まだ私が歩いた時は雨が少なかったので大分ましでしたが、それでもひどいところは膝ぐらいまで泥で埋まりました。どこまで行っても原生林という単調なコースに、muddyup downがきついときたら嫌になってきますね。その上、hutではシャワーもないし。ただ、所々歩くbeachのすばらしいこと。まさに人に侵されていない、これが本当の海岸かって感じでした。当然、砂浜は泣き砂のところが多かったですね。詳しくは私の日記を使って後述します。

NZは今が真夏。真冬の日本からは想像できないと思いますが、連日30近い暑い日々が続いています。まあ、Alexは特別暑い町でしたね。NZの夏は日本の本州と違って、カラっとしており、どちらかと言うと北海道の夏に似ています。そのため、朝晩は冷え込み、毎朝露がおり、テント生活の私は毎朝テントを乾かさないといけない。海の水もやや冷ためで、我々日本人には長時間海に浸かっているのは冷たすぎるかもしれません。とにかく、夏と言っても過ごしやすいですね。



NZを旅していると、色んなところで色んなタイプの人に会い、色んな人のうわさを聞きます。その中で、いわゆるNZでの「有名人」と言われる人たちが出てきます。当然、都会でdrop outしている連中や、何もしていない連中にはその人たちのうわさは届きませんが。そこで、今回は、NZを旅しているワーホリ日本人にとって、特によくうわさを聞く名の知られたつわものどもをご紹介しましょう。尚、私が選考したつわものどもは、あくまでも私が旅先で会った様々な人々の情報をもとに客観的に選考しました。ひょっとしたら、このリストにもれたもっとすごい人がいるかもしれません。

その私が選考した「1998年度NZワーホリつわもの大賞」受賞者は、和さん、子呼呂さん、マジシャン斉藤、じろうさん、そして自分でも言うのは恥ずかしいですがこの私(なぜ私の名が知られるようになったのかはほんとにわからない)。では、このつわものどもを日本の皆様にご紹介しましょう。

和さん(31歳、茨城県出身)
彼と私とはAuckland時代からの古い友達。Auckland8ヶ月余り滞在していた彼のことを知らないAuckland在住の日本人を探すのが難しいかもしれない。彼はとにかく自由気ままに生きていて、眠たければ寝て酒が飲みたければ飲む。私がいたフラットにも、住人以上に住人らしく居着いた事もあり、

「学、風呂入って来るわ。」
「学、めし何時?」
とよく言われたもんだ。

彼はワーホリにもかかわらず、ハイエースを購入し、それにベッド、自転車、ゴルフセット、釣り道具、フィン、食器類、大量の調味料、シュラフを3つ、私がバヌアツに着て行った侍の一式、それにスーパーでぱくった買い物カゴ等を積んで旅行をしていた。その愛車を乗り回すのはいいが、何度も警察に引っかかり、一度は検察側から裁判を起こされ、その裁判中に弁護士の通訳をしていたおばちゃんとけんかをする始末。もし、今度警察に捕まればブタ箱行きとか。

とにかく、マイペースで、彼を憎む人はいないぐらい憎めないいい性格をしている。私にとっても飲み仲間というよりは大親友で、旅先でも幾度となく再会した。その彼も23日に日本に帰って行った。彼にまつわるエピソードはこの場ではこれぐらいにしておこう。なぜなら、書き出したら書ききれないからだ。

子呼呂さん(31歳、静岡県出身)
彼は上述の和氏とはAuckland時代からの悪友。和氏以上に10ヶ月もの間Aucklandに滞在し、昼間寝て、夕方起きて夜行動を開始するというまるで夜行性動物のような子呼呂氏。

「じゃ、仕事行って来る。」
と言って、彼が夜に出勤する行き先はそう、カジノ。Aucklandにいる間ほぼ毎日のようにこの夜の職場に出かけ、そこで没頭するのはブラックジャック。彼は自身のブラックジャックセオリーを確立し、彼の頭には何千通りものカードの組み合わせがインプットされている。ここで働くディーラーの中で彼の事を知らない人はいない。

彼のすごいところは、これだけカジノに通っていても負けないところ。彼は負けないセオリーを自らあみ出し、私は今度そのセオリーを彼から学ぶつもりである。

彼はギャンブラー以外にも料理人という側面を持っており、彼が作り出す品々はまさに絶品。ごま油とコチジャン(韓国の調味料)はいまだかつて欠かした事がないというこだわり者。ちなみに、上述の和氏も腕の立つ料理人で、この2人がAucklandBPでそばつゆの神髄を追求し、そばつゆには鰹だしでないといけない事をつきとめた。彼ら曰く、昆布だしでは醤油の香りに負けるらしい。

彼のうわさは和氏を始め様々な人から聞いており、私も一度会いたかったが、今回ch-chに戻ってついに本人と会う事ができ、
「学の事はうわさでは聞いていた。」
と彼も私と会って光栄に思ってくれた。

早速、我々はカジノに向かい、私は彼からブラックジャックの奥深さを学び、改めて彼の偉大さを確認した。時には、一日に$2,000もの金が動くらしい。まさに「史上最大のワーホリ」、そう言っても過言ではないだろう。その鉄人も今月末に出国予定。




マジシャン斉藤(26歳、兵庫県出身)
名前の通り、彼はいつもウエストポーチにトランプを忍ばせ、初対面の日本人に向かって、
「とりあえず1枚ひいて。」
とトランプを差し出す。時には簡単にそのトリックがわかるといういかさま手品師。

「ここからここが一次元、カードが二次元、あなたがいるのが三次元、そして私は四次元の世界。」
と訳の分からん理屈を述べながらマジックをするいんちき手品師。

彼の旅のスタイルはチャリダー、テント生活で、何といっても彼の最大の特徴は、自身がstayした宿はもちろんのこと、時には他の宿にまで行ってそこのvisitor book(VB)にコメントを書きまくる事だ。それがまたくだらない。たまにそのコメントを目にした私自身が笑ってしまった時は自己嫌悪に陥るぐらいくだらない。ただ、その甲斐あって、彼のNZでの知名度はNo.1で、おそらくこの知名度を超えるつわものは今後しばらく現れないと私は思う。私のこのメールを読んでいるワーホリを終えて日本に帰った人々や、まだNZにいる皆様もおそらくどこかのVBで彼の名前を目にしているだろうし、まだ目にしていない人は必ずどこかで見る事になるだろう。もし、彼のコメントを目にした時はあまりのくだらなさに憤慨しない事を私は祈るだけだ。

その他、彼は決して自分の名前を名乗らずいつも、
「斉藤です。」
と名字を名乗る。だから、彼がstayした宿のオーナーも彼の事を「saito」と呼び、周りで聞いているとfirst nameが当たり前のこの国で、なんともこっけいである。

彼と私は12月に約1ヶ月間Blenheimmotor campで共にテントを張り、今回ch-chBPで再会したが、相変わらず日本人を捕まえては手品を披露していた。上述の子呼呂氏も彼の名前はVBで何度か見ていたらしく、今回この宿で初めて両氏が対面。ここでは、子呼呂氏がマジシャンにクイズを出題し、マジシャンが悩むという光景を私は目撃した。とにかく、知名度はNo.1。これからもくだらんコメントを書き続ける事であろう。

じろうさん(28歳ぐらい、千葉県出身)
彼はバイクで旅を続けるライダーで、とにかく熱い人間。タレントで例えるなら国会議員の森田健作代議士、あと懐かしのテレビドラマ「熱中時代」で最終的に礼文島へ行ってしまった水谷豊演じる北野広大先生。

彼の口癖は、
「出逢いとは出愛だよね。」
と訳の分からん事を語り、自身のヘルメットに旅先で出会った人々のコメントを記載し、そのコメントがいっぱいになって、新しいヘルメットを日本から送ってもらったとか。

彼の熱い性格を、私はクリスマスにch-chBPでたまたま彼と同室になった時知った。私が旅先で知り合った日本人の女の子(少女といった方がいいかもしれない)がたまたま私がいた宿にやって来て、よく見ると背中に大きなバックパックを背負い、その中には彼女自身の洋服、靴、ウォークマンが入っていて、彼女はそれを売ろうというのだ。どうやら持ち金がなくなったらしく、その少女は自分のものを売るという行動に出た。私はこの少女とは二度も旅先で会っており他人事とは思えず、これは何とかせねばと思って、私が持っていた食糧を寄付し、この少女と一緒にそのバックパックを持ってスクエアにフリーマーケットをしに行くことにした。このことを聞いたじろう氏は、

「学さん、よかったら僕の食糧も彼女に渡して下さい。」
と、少しの野菜とリンゴを私にくれた。ただ、彼はこのリンゴを冷凍庫に入れていたため、少女に渡そうとした時はぐちゃぐちゃになっていて、これは渡せないと私は判断し、それにちょうど冷たいものがほしかった私自身が食べてしまった事は決して彼の前では言えない。

そのじろう氏とTekapoで再会し、
「あの女の子はどうなりましたか。」
と聞かれた時は、真っ先に私の頭にリンゴが浮かんだのを鮮明に覚えている。

彼は私よりも先にStewartのトラックを歩いており、すべてのhutVBに、

「出逢いとは出愛だよね。」
と書いていた。おそらく、今日もどこかでこのフレーズを言っている事だろう。まるでデビルマンのようだ。

加藤学(26歳、大阪府出身)
まず、私の名前がなぜ知られているのか私自身が不思議なぐらいだ。上述のつわものたちに比べれば私は彼らに対抗できるキャラはない。それなのに、

「あの学さんですか。一緒に写真撮って下さい。出逢い帳に何か書いて下さい。」
と言われる事も最近珍しい事ではなくなり、年末年始の漁生活の時に私がOnukuに行くという情報をキャッチしわざわざ私に会いに来た青年もいた。

私がこっちに来て残した業績は、サムライ姿でのバヌアツ訪問 and ジャングル自給自足生活、サムライ姿でのbusking、数多くのピッキング、ヒッチで回りテント生活しながらパソコン携帯というアンバランスなスタイルの確立といったぐらいで、たいした業績はない。まあ、私のこのスタイルに憧れて、ヒッチ、テント生活を始めた若者何人かには再会したが。

北にいる時はAucklandの仲間以外の日本人とはほとんどつるんでなかった私が、なぜ人に知られるようになったのか不思議で仕方ない。ただ、私がヒッチや情報屋Walterから仕入れたNZ情報、特にピッキング情報量についてはおそらくNZワーホリNo.1であろうと自負している。一度ある出版社からその情報を掲載したいというお話をもらったぐらいだ。ただ、こんなことは他のつわものたちに比べれば全然インパクトがないはず。なのに、なぜ私の名前が知れ渡っているのか不思議で仕方ない。

こんなところでしょうか。さて、それではこの1ヶ月間の近況を報告します。適当な時に読んでみて下さい。




26-28/1 Invercargill
Alexからのヒッチは思った以上に簡単にいった。アラスカ出身のドライバー、大型トラック、地元の感じのいいおっちゃんと3台を乗り継いでInvercargillに着いた。ここでの目的は、Stewartに行く準備で、cookerを用意したり食糧の買い出しに行った。

Invercargillはどことなく異様な雰囲気のする町で、just citynoting to doだ。ただ、町の人は私には親切で、私が重い荷物を持って歩いているだけで、何台かの車が自ら止まってくれた。しかし、なんとも不気味な町だった。

28-30/1 Oban(in Stewart island)
フェリー乗り場Bluffまでのヒッチハイク。ほんとにこの町の人は親切で、またもやあるおっちゃんが自ら私をpick upしてくれ、Bluffまで連れて行ってくれた。

Bluffに着いてする事、そう漁船ヒッチハイクだ。私にとっても初めての試み。ヒッチで乗せてくれたおっちゃんは無理やろうと言っていた。とりあえず、私は港周辺に停泊している船を片っ端から尋ねる事にし、それを実行した。結果は、no。ある船で、

「お前よく考えてみろ。漁船というのは魚を捕るための船。Stewartに行くわけないやろ。まあ、たまに行く船もあるけど。お前はあほな事考えるな。まあ、フェリーで行く事やな。」
と言われ、私はなるほどと納得してしまった。言われてみればそうだ。漁船は魚を捕るための船で、漁が終われば帰って来るのは当たり前だ。その事を知った私は自分自身が嫌になった。

結局、フェリーでStewartに向かい、中心の町Oban(Halfmoon bay)に着いた。 Stewartは思った以上に涼しく、30以上のAlexから来た私には少し寒すぎた。気候的には礼文と同じぐらいか、やや寒め。

Auckland時代のフラットメート吉村夫妻からこの島のNorth-west circuit trackのことを聞き、歩く事を決意した私であるが、Visitor Center(Department of Conservation(DOC))に行ってみると、このトラックの途中から派生するSouthern trackの存在も知り、これも歩こうとした。そうなると、最低14日はかかるが、私が持ってきた食糧からは10日が限度で、このコースを10日で歩く事をDOCに伝えると、

“Good luck.”
としか言ってくれない。それと、何日までに帰って来なかったら警察を出動するという日を決めさせられ、それを記入した用紙をDOCに預けるという徹底ぶり。とにかく、危険なコースだと私は思った。






















30/1-6/2 North- west circuit track (in Stewart island)
130
-------------------trackに入ってからは容赦なく荷物の重みが体にのしかかる。正直、引き返そうかなとも思った。こんなに辛いトレッキングは初めてだ。ネパールの時はまだ荷物が軽かった。-------------------とにかく、荷物が半端やない。肩のみならず腰、膝にもきた。もう俺の体力の限界ははるかに超えている。-------------------なんで俺はこんな辛い事をしてんねやろうとまじで思った。-------------------

131
-------------------歩き始めると思った以上にmuddyだ。ただでさえmuddyなのに、昨日の雨が拍車をかけた。-------------------それにしてもなんで登りばっかりあるんやろう。登りがあったら降りがあるはず。ただ、降りになると体、荷物の重さがもろに膝にくるので辛いし、この泥じゃ危なくてしゃあない。-------------------行っても行っても同じ景色で、足元は泥のみ。ただ、たまに出る海岸の砂浜はほんとにきれい。-------------------

21
-------------------俺は超人的な体力をしているかもしらん。昨日あんなにボロボロやった体が歩き出すとそれほどでもない。-------------------この荷物の位置エネルギーを肩にのしかかる時点でエネルギーに代え、それをアースを使って地中に熱として放出するシステムを作ってくれへんやろうか、ドクター中松。-------------------hutに着いてまずする事は洗濯と薪集めだ。海辺に行って乾いた流木を探しに行く。火を焚かんと服が乾かん。ほんと火ってのは大切なものだ。-------------------

22
-------------------深夜、俺しかいないはずの宿の外で何かが歩いている音が聞こえてきた。なんやろうと思って、窓の外を見ると、なんとポッサムでは。それと、川のほとりで水を飲んでいるのは小鹿のバンビ君では。かわいいバンビ君。-------------------このhutは水がほとんどない。水がないってのは辛い。-------------------火、水ってのはほんとに大切だ。

23
-------------------今日のトラックはとにかく泥。行っても行っても泥ばかり。------------------考えを変えてしばらくすると、forestの中でゴソゴソする音が。おお、あれはキーウィ君ではないか。ついに会えたキーウィ君。なんともかわいい事。くちばしが長く、土の中の何かを探しているようだ。-------------------俺がStewartに来た目的、NZでの目的を果たせた。よし、もうええ。North-westのみにしよう。-------------------
















24
-------------------ただトラックはいつものようにmuddyで、傷だらけの俺の足にはきつすぎる。体が痛いのは荷物を背負っている肩ぐらいで、後は筋肉痛ではあるがそれ程たいしたことはない。しかし、足の裏のまめや皮の捲れたところは痛くてしゃあない。-------------------

25
-------------------いつもはup downがあるのに、このトラックはflatなので、足の同じ筋肉を使うのだろうか。そうすると、思った以上にしんどいし、足の裏の同じところの皮が捲れた。これは、まいった。途中、あまりの痛さに立ち止まったりしたが、何とか気力で歩ききった。-------------------

26
-------------------体はOKなのだが、足の裏がぼろぼろで、昨晩足の裏のまめの水を抜いた。-------------------なんと言ってもかかと。痛くて痛くて。こんなにつらいんは久しぶりかも。もう限界を越えている。足が前に進まない。これはまじでやばい。疲労骨折かもしらん。-------------------pm4:30、無事DOCに戻ってきた。-------------------さあ、久しぶりのシャワー。8日ぶりに体が洗える。-------------------歩き終わって率直な感想。二度とやらない。これ以外の言葉が見つからん。でも、歩ききってほんとよかった。また一つ自分にプラスになったような気がする。





7-8/2 Invercargill again
Stewartからは再び漁船ヒッチを試みたが、またもや失敗。そこで、今回はstand-by ticketを使って、airで戻る事にした。Stand-byを使うと船とほぼ同じ料金で帰れる。飛行機は15人乗りぐらいのちっちゃなやつで、私は運良くパイロットの横に座らせてもらった。

上空から見るStewartもいい。原生林がほとんどだが、まあ海のきれいなこと。よくもこの中を歩いたもんだと自分自身で感心してしまった。

8-10/2 Dunedin again via Catlins
Invercargillから北上するのに、Gore回りで行くか、Catlins回りで行くか考えたあげく、交通量が少ないが景色の良いCatlins回りで行くことにした。町外れまで歩いて行って、そこから3台乗り継いでCatlinsに入った。ただ、この3台目がsheep farmに羊を取りに行くというトラックで、私の悪い予感は的中し、私がdrop offされたのは案の定、周りに人も家もないsheep farmの真ん中だった。一体、ここはどこなのか。また、この日は30近くあった。

とりあえず、私は近くの町に向けて歩きながらヒッチをする作戦でいったが、1時間に車が通ったのはわずか3台。その上、私の傷だらけの足の裏はまだ完治していない。結局、1時間ぐらい歩いた末に私は歩き続ける事を断念し、わずかな望みを込めて車を待った。すると、1台の車が私の前に止まり、なんとこれからCatlinsを観光するというEnglandのおばちゃんだった。なんと、ラッキーな。おばちゃんといっしょに観光できるでは。神様はまだ私の味方だった。

Catlins coastの海はとにかくきれい。海が青々としていて、砂浜にはごみ一つ落ちていない。この辺りはStewartの海と同じだ。おばちゃんはどんどんと色んなところに行く。例えば、beachに降りたり滝を見たりする時は、駐車場から少し歩かないといけない。疲れ切っていた私は、時々車の中で寝ておこうとすると、
「あんたも行くのよ、ほら。」
と連れて行かれた。ちょっと、桃井かおりのようなきついおばちゃんだった。

私が、とにかく北に行きたいと言うと、Alexに行くはずのおばちゃんは私をDunedinまで送ると言い出した。なんていい人なのだ。しかし、時間的にもかなり遅かったので、私は、
「私の事はなんとでもなるから、おばちゃんはAlexに向かって下さい。私にはもう十分すぎます。ほんとにありがとう。」
と、Miltonの手前の交差点で降ろしてもらった。ほんとにいいおばちゃんだった。

さあ、ここからどうしようかと思っていると、速攻Dunedinに行くというヒッピー2人組がpick upしてくれた。彼らの車は、とにかくビールの空き瓶だらけで、運転していた兄ちゃんはビールを飲んでた。その彼は私にもビールを薦めてくれ、なんとわざわざ町の真ん中のオクタゴンまで送ってくれた。なんていい人たちなんだ。この日は人の温かさに触れた一日だった。

来るつもりのなかったDunedinで、ビール好きの私は「SPEIGH’T」のbreweryに向かった。朝からグラス4杯ほど飲ませてもらい、後はゆっくりしてた。






















10-12/2 Moeraki
Dunedinに来ると坂の多いこの町から出るのが大変。私は1時間近くかけてヒッチポイントまで歩き、その後は速攻車がつかまった。乗せてくれたのはOamaruに行くというおばちゃんで、またこのおばちゃんがようしゃべること。機関銃のように自分の事をしゃべり、まるで大介花子の宮川花子のようだった。私は生まれて初めて夫の宮川大介の気持ちが分かった。しかし、ほんとに親切なおばちゃんで、少し寄り道をして、私を町の近くまで連れて行ってくれた。

Moerakiに来た目的は、yellow eyed penguinをもう一度見るためと、ここの宿のトレッキングコースを歩くためだ。このトラック自体は特にたいしたことなかった。海岸線を歩く簡単なコースで、途中seal, sea lion君たちのcolonyを通るのが目玉ぐらいか。

夕方、私は何気なく宿の近くの灯台近辺を散歩していると、なんとペンギン君たちがお昼寝をしているでは。なんとまあかわいいこと。私は彼らの2mぐらい近くまで寄って、しばらく一緒に寝てた。このペンギンはNZにしかいない貴重なペンギン。そんな彼らに添い寝できて私は満足だった。











12/2- Christchurch again
Moerakiからは同じ宿にいたスイスのカップルが乗せてくれた。とにかく、感じのいいカップルだが、旦那が飛ばし屋。片側2車線の道路では絶対追い越し車線の方しか走らず、平均速度は時速140km。しかし、ほんとに感じのいい夫婦で、南島2周目の私は彼らに色々な情報を教えてあげ、ch-ch初めての2人に私はおすすめのスーパーまで教えてあげた。

久しぶりのch-ch。私がここに帰って来た目的は、air ticketbookingだ。NZあと残り1ヶ月を切った私の次に選んだ行き先は、ナウル共和国、もしくは、キリバス共和国、ツバル共和国。ただ、Invercargill, Dunedinflight centerに聞いてみると、案の定カウンターの人全員が国の名前さえも知らない始末。

「なんで、そんなところに行こうと思っているの。泳いで行きなさい。」
と笑ってた人もいた。早速、ch-chでもいくつかの旅行会社に当たってみたが、結果はよろしくない。とにかく、みんなこれらの国のことを知らない。ただ、ツバルに行くにはフィジー経由のreturnで$2400はするという事はわかった。これは高すぎる。うーん、これは諦めるしかないか。

そんなある日、私はたまたま見つけた本屋でナウルの事を少し知って、この国の通貨はオーストラリア$である事をつきとめた。それに、Brisbaneからairがあるという情報も既に得ていたので、とりあえずSydneyに飛ぼうと考えた。ただ、OZに行くにはreturn ticketが必要で、そうなると私のplanと少し違ってくる。私はナウルからMicronesiaの国を経由して直接日本に帰るつもりだった。しかし、OZ outticketがないとOZには行けない。そうなると、金銭的な問題が。Auckland-Sydney-Osakaで$1200はする。それに、仮にナウルに行くとなると、私が得た情報ではBrisbaneからのreturnで$1000はする。これは、困った。あきらめて、アジア経由で日本に帰るか、もしくは一旦日本に帰るか。しかし、バヌアツに行った今となっては、もう一度南太平洋の国に行きたくなった。私にはどうしてもあきらめ切れない。そこで、あらゆる可能性を追求した結果、とりあえずSydneyに飛ぶ事にした。もう少し向こうで考えよう。となると、私が持参しているマレーシア航空の日本行きのticketは捨てる事になるが、ここは涙を飲んでそうしよう。私はこういう結論に達した。

久しぶりに戻ったch-chでは、思った通り色々な人との再会があったが、何といっても史上最強ワーホリこと、子呼呂さんとの出会いが大きかった。競馬59連敗の記録を持つほど競馬にすべてを注いでいる私としては、元々カジノに全く興味がなかった。しかし、ワーホリ史上最強のギャンブラー、子呼呂さんとカジノに行く事になったが、いざブラックジャックをトライしてみると、子呼呂さんの言う通りなんとも奥深いゲームだこと。テーブルに座ったギャンブラー、ディーラーの良し悪しで、カードの流れが変わり、まさしく故美空ひばりが歌ってたように、それは川の流れのようだった。まさか、こんなにブラックジャックが奥深いゲームとは。この感動は数年前の宝塚記念で、メジロパーマーが逃げ切った時に万馬券を取って競馬の奥深さを再確認した時以来だ。結果的に、この日敗北を喫した私はAucklandrevengeを誓った。

ちなみに、我が師匠子呼呂さんは私がカジノを出た深夜零時時点では、$800近く負けていたが、師匠がカジノを出た時は$330のプラスになっていた。つまり4時間あまりで、$1100稼いだ事になり、時給にすると$300。今度ゆっくりと、彼の負けないブラックジャック美学を習いたいものである。

という事で313日にカンタス航空で、Sydneyに行く事にしました。OZに行くためには、OZ outticketが必要で、とりあえず515日の大阪行きをbookingしましたが、できれば、ナウルからMicronesiaGuamを通って日本に帰りたいですね。問題はお金。どれぐらいかかるか見当がつかず、たまたま宿で一緒になったOZ人にナウルの事を聞くと、「観光客いないんじゃない。たぶんticket代高いと思うよ。」
と笑ってました。とにかく、Sydneyでできる限りの事をやってみて、もしだめな場合はOZの西から北を攻めるか、North Fork islandに行ってきます。結果は、吉と出るか凶と出るか。乞うご期待。

さあ、次回は感動の最終回。これから、約4ヶ月ぶりの北を目指して北上します。もし可能なら、少しHastingsでリンゴのピッキングをして、我が故郷Taurangaに寄って、Aucklandに戻ります。私のヴィザも残り1ヶ月を切りました。では、次は出国直前のAucklandで会いましょう。




P.S.
東大植物栄養の皆様および卒業生の皆様へ

ここで一つ面白い話
ch-chの宿でたまたま一緒になった臼井博光さん(通称ヒロさん)の出身は横浜の二俣川。私は我が研究室在籍のD3野口さんも二俣川に住んでいる事を思い出し、ヒロさんに野口さんの事を聞いてみると、なんと中学2年の時のクラスメートらしい。そこで、私が野口さんの近況等を教えてあげると、

「すごいな。彼は昔から頭が良かったが、そんなところまで行くとはな。」
とヒロさんは感心してたが、すかさず私は、

「でも、無茶苦茶スケベな人ですよ。」
と言うと、

「そうかもしらんな。賢い人にはそういう人が多そうだもんな。」
と納得していた。これではヒロさんの野口さんに対するイメージが悪くなると思った私は、

「でも、すごく親切な人ですよ。」
とここで止めとけば良かったが、

「女の子には。」
と付け加えてしまった。こういう時は人をよいしょしないと、と思ったが正直な私には嘘はつけなかった。

Aucklandの尚史さんへ
驚く事がありました。Ch-chFoley tower BPに今のりこちゃんという子がexchangeしているのですが、私は彼女とは以前Tekapoで会い、来月出国する私に彼女はアドレス帳を渡してきて、私は何気なくそのアドレス帳をめくると、なんと我々のフラットメート純さんの名前があり、

「あれ、純さん知ってるの?」
と尋ねると、なんと彼女は純さんと2年前にフランスで会って、しばらく旅を共にしたらしい。我々はもう一度どの純さんかを確認し合いましたが、奈良出身、ロンゲで、奈良公園で人力車を引っ張っていた山本純さんは、もうあの純さんしかいないでしょう。彼女は感動のあまり、その場で純さんに手紙を書いてました。ねえ、ほんとビックリでしょう。

310日前後にAucklandに戻って、とりあえずQueen St. BPstayするつもりです。着いたら連絡しますので、良かったらサーフィン教えて下さい。

NZワーホリを終えて日本に帰った皆様へ
皆さん久しぶりの日本はいかがですか。ところで、今年秋にラグビーのワールドカップがウエールズで開催され、おそらくOZ、南アフリカ、そしてオールブラックスの三つ巴になると思いますが、オールブラックスの公式スポンサーであるカンタベリーが今年いっぱいでスポンサーを辞め、代わりにアディダスが公式スポンサーになるらしいです。オールブラックスと言えばカンタベリーだったのに、私は残念で仕方ないですね。

南の国から愛をこめて
16/2/1999
加藤