全国1億人の加藤学ファンの皆様




ついに私のファンも1億人を突破。勝手にそう思っているのは私だけだろうか。私は今ch-chに戻ってきました。
南島を回り始めて1ヶ月を過ぎますが、やっぱりNZは南ですね。とにかく、見所沢山で残り4ヶ月を切った私にとっては回り切れない。とにかく、時間がほしい。
この1ヶ月間はとにかく人との出会い、再会が相次ぎ、旅をしていて改めてよかったと痛感しました。

私は旅をしていてよく、
「いい旅をしていますね。」
「私も連れていってください。」
「あなたみたいな人に会えてほんとよかった。」
と言われますが、こういったコメントはうれしい反面、寂しくなってきますね。何か私を別の人種のような扱いをして、彼らは自分たちには無理と思い込んでいるようですね。

日本にいる時、アジアを回っている時、そして今回のNZ、バヌアツと、私は色んな面白い事柄に遭遇し、色んな人と出会ってきました。それは、
「なんて運がいいんや。」
としか思っていなかったのですが、まあそれも当然ですが、それ以上にそういった場面や人に遭遇できるのは、私自身が動いているからだと気づきました。じっとしていては何の変化もないのは当然でしょう。

私が何を言いたいかと言うと、皆さんが送ってきてくれる日本の雑誌や情報を読んでると、
「景気が悪いから。」
「政治は誰がやっても同じだよ。」
というのが、当たり前になってきているのではないでしょうか。このことをいいわけにして、自分自身納得してしまう。そりゃ、景気が好くなるはずはないし、政治は変わらんわけや、と最近そう感じてきました。まあ、日本の縦社会、閉鎖的な社会では、若い連中が行動に移すって事はどうしても煙たがられますよね。ただこのままではあの国はいつまでもこのままでしょう。

消費税を5%にしたのは政策ミスですね。ますます国民の財布のひもをかたくしてしまった。お金が流通しないから景気が悪いのであって、日本にバックパッカーみたいなcheap accommodationを作って、海外からもっとtouristを呼んで、どんどん外貨を入れるというのはいい案だと思うのですが。


旅をしている外国人はみんな日本に行きたがっていますが、問題は物価以上にaccommodationなんですね、これが。日本のtransportはおそらく世界一でしょう。ですから、外国人パスでも作って、バックパッカーを作ったら少しはよくなると思うのですが。あと、閉鎖的な日本人にとっても外国人が身近になって、世界がより近く感じると思います。こういった閉鎖的な人間を作り出したのは、まあ気質もありますが、それ以上に徳川家光が取った鎖国政策以来じゃないかな、と旅先で会う日本人たちによく話しています。

NZは人口約350万人の国。その少ない人口で、羊毛やキュウイフルーツのような原材料が輸出の大部分を占めているこの国が、先進国でやっていけるのも観光による部分がかなり大きいと思います。どこの町に行ってもtourist informationはあるし、tourist向けのaccommodationがすごく充実している。それに、輸出品目の主要なフルーツ関係のピッキングは我々のようなtouristがいないとやっていけないのが現実ですしね。日本の観光業界はどうしても日本人向きでしょう。こういうところはNZを見習ってもいいと思うのですが。

NZの都会にたむろしている日本人や、ある場所に長期滞在している日本人の周りの空気はすごくよどんでいて、変な閉鎖的な社会を作って、外から来たものを受け入れない。地元の人やツーリストからもかなり評判が悪く、
「彼らは一体NZで何をしてるの?」
「何で日本人っていつもグループになるにかね。」
とよく聞かれます。

とにかく、彼らはNZに来てまでも日本の社会を持ち込んでいます。彼らの大半は目的を失っていて、そのうちの何人かはdrop outして薬にはまっています。それでいて、30歳前後の社会人面した連中が中心になって、くだらん縦社会を作っているのが事実です。社会を知らない若者は彼らの教えに従っていて、何か変な宗教にでも入っているようです。こういう連中に会うと寂しくなってくると同時に、哀れに感じますね。

まあ、堅い話はさて置き、ではこの1ヶ月間の報告をいつものように下記に述べますが、今回は短くまとめられないような気がします。おそらく、長々と書きますので、暇な時にでも読んでみてください。


27-29/10 Greymouth
豪雨のためヒッチは断念し、またもやバスで移動。Greymouthは何もない町だと思っていたがとんでもない。私が泊まった宿はfree breakfastで、近くには地ビール工場、おまけに夜は近くのホテルで$3.00BBQ。朝はパンを食いまくり、昼はビールを飲みまくり、夜はBBQを食いまくった。こんなに幸せな日は生まれて一度もなかった。

29/10-1/11 Franz Josef
当初の予定はArthur’s Passに向かう予定だったが、ものすごい豪雨が私を襲ってきた。私はヒッチを断念し、もう一泊しようと思っている時に、手を振りながら止まってくれた車が。なんとAbel TasmanPunakaiと同じ宿だったドイツ人のフランクでは。彼はFranzに向かうと言うので、私も予定変更した。

とにかく、Franz Josef Glacierの壮大なこと。私は生まれて初めて氷河を生で見た。氷河って青白い。その規模のでかさには参った。思わず祈ってしまった。
ここで偶然にもオークランドで知り合ったかずやさんと再会。

2/11 Greymouth again
Greymouthに戻るヒッチは予想通り苦戦した。私をpick upしてくれたのはイングランドの女の子2人組みで、そのうちの一人が背中に激痛が走り、Greymouthの救急病院に行くとのこと。
「おいおい、俺を拾ってる場合やないやろ。」

おまけに、私と同じくこの寒い中テント生活をし、私より下流でヒッチしていたばか野郎のスコティッシュも私同様pick upしてくれた。我々4人は救急病院へ向かったが、彼女は大事に至らなかった。

Greymouthに戻ってきた目的はNZで最も有名な列車「Tranz Alpine」に乗るためで、ch-chからこれに乗ってきたという女の子が言うには、ch-chArthur’s Pass間がよかったと言っていたので、私はその間のチケットを購入した。当然、この夜は$3.00BBQをたらふく食った。

ここで、オーストラリアのワーホリを終えてNZを回っている青年に会い、彼は面白いことを言っていた。
「去年ケアンズで殺された日本人いたでしょ。彼女無茶苦茶評判悪かったんです。とにかく、誰でも付いていくんです。だから、殺された時も誰も同情しなかったですよ。むしろ、殺されて当然ってみんな思ってましたから。」




3-5/11 Arthur’s Pass
初めて列車に乗り、Arthur’s Passに向かった。さすがは人気のある列車だけあり、中はかなり混雑していた。車内はきれいで、コーヒーのサービスにはびびった。景色もなかなかgood。私の席の前には、カリフォルニアから来ていた日系二世のおばあちゃんと、その娘の三世が座り、二人は、

「一緒に食事いかがですか。」
と、めしをおごってくれた。なんて感じがいいんや。とにかく、すごく親切な親子だった。

Arthur’s Passは山に挟まれた静かなところ。私はひたすら毎日トレッキングしていた。結構トレッキングの穴場かも知らん。色んなday walkがある。ただ、天気が悪かったのは残念だったが。それに、朝晩の寒さは強烈で、テントは辛かった。










5-7/11 Christchurch
ch-chまでのヒッチは大変だろうと思っていたが、速攻つかまった。私はその車内の中でGreymouthで会ったおねえちゃんを恨んだ。全然ここからの方が景色がいい。列車をこっちにしとけばよかった。

Ch-chに着くとJTC ch-ch支店を訪ねて、Aucklandから転送を頼んでいた日本の皆様からの手紙や荷物を受け取った(皆様いつもいつも有り難うございます)。

Ch-chは久しぶりに来たでかい町。AucklandWellingtonと通ってきたが、ch-chの方がいいかも知らん。とにかくオシャレで、きれいな町だ。ただ、やはり日本人だらけで、日本人向けの土産屋、レストランがいっぱいで、町中日本語が氾濫している。これには参った。

7-9/11 Tekapo
Tekapoまでのヒッチはこの旅最大に難しいだろうと思っていたが、宿にいた日本人カップルの武君、和美さんが乗せてくれた。むちゃくちゃラッキーだ。おまけに、和美さんは我が母校生野高校の先輩では。びっくりだ。

Tekapoは予想以上によかった。何と言っても湖の水の色には感動した。氷河から来るこの水は乳白色をしていて、今まで見たことのない水の色。まるでペンキで塗ったようで、この湖の向こうには頂を雪で覆われた山々が。おまけに、近くのMt. Johnからのscenerybeyond description。中標津の開陽台なんか目じゃない360度パノラマ。私はまた祈ってしまった。

景色もいいが、ここの星もきれかった。夜に、宿の何人かでMt. Johnに登ったりもした。夕暮れのTekapoもいいし、湖面に映る山々もいとおかしだった。

また、この湖畔にある日本料理屋「湖畔」のサーモン丼を食うことも今回の目的だった。$14と高めだが、ご飯、味噌汁お代わり自由と聞くと行かないわけにはいかない。私は宿の連中に4杯食ってくると公言した。ただ、実際行ってみるとかなりのボリュームで、これは無理かなっと思ったが、公言通り私はご飯4杯、味噌汁3杯食った。途中の3杯目でもうだめだと思った。しかし、これを達成できたのは、そう醤油がキッコーマンだったからだ。私は臭いでキッコーマンだとわかり、念の為にここの人に確かめた。だてに「食いしん坊万歳」をしているわけでない。まさに、キッコーマンは食いしん坊にとって万歳だ。

今日は、
「自分で自分を誉めたい。」
私は有森裕子の心境だった。

私は珍しくテントサイトがあるYHAに泊まり、さすがにYHAだけあってほとんどが日本人で、私はNZに来て8ヶ月になるが初めて北海道の子に会った。一人は小樽商大の女の子で、もう一人は帯畜大の女の子。特に、商大の子は札幌産まれ札幌育ちだけあって、もろ北海道弁。私はその言葉を聞いて涙が出そうだった。

また、ついに同郷、大阪府羽曳野市の青年にも会った。ただ、北海道育ちの私にとっては道内の子に会った方がうれしかった。

あと、Tekapoに魅せられた鳥取のおばちゃんにも会った。Tekapoが気にいって3回もNZに来ている人で、このTekapoを見るとその気持ちが分かるような気がした。










9-11/11 Mt. Cook
途中のTwizelまでは同じ宿に泊まっていたコスタリカの夫婦が乗せてくれたが、ここからMt. Cookまでは車がない。一瞬やばいと思ったが、地元でツアーをしている業者の車が止まってくれた。最近のヒッチはラッキー続きだ。

Mt. CookにはYHAしかaccommodationはないと聞いていたが、この2日間日本人とばかりいたので、外人が恋しくなった私はインフォメに行ってBPを聞くと、なんと一軒だけあるとのこと。こんなところがあったのか。どうやら、むちゃくちゃマイナーなようで、この日泊まったのは私とアメリカ人のスティーブのみ。スティーブは私がNZに来て会った数多くの外国人の中で、一番のジャニーズ顔。そのジャニーズが、

「明日あの山に登ろう。」
と指差したのは、頂上が岩でごつごつしたMt. Sebastopol。下から見るとどう見ても登れそうにない。

次の日に、我々は朝4時半に起きて、真っ暗の中月明かりをたよりに歩き始め、一歩間違えば谷底という岩場を慎重に登り始めた。しかし、苦労して登った甲斐があった。頂上からのMt. Cookはまさにfantastic。さすがはマオリの神が宿る頂きだ。そこからの景色は----。ネパール以来の感動。私とスティーブはガッチリ握手を交わし、私が神々を祈る絵をスティーブに取ってもらい、

「学、この姿いいよ。」
と笑ってた。私は祈り続けて6年になり、もう自分の中ではマンネリ化してきたが、こっちで会う人々はみんな喜んでくれる。そんなに面白いものだろうか。

しかし、こんなに素晴らしい景観を乱すのが一つあった。そう、それはスティーブのおならだ。彼はアイドルながら屁をこきまくり、
「俺はこれで加速して登っているんや。」
と訳の分からんことを言ってた。そんなアイドルは、将来はハリウッドの特撮か、ディズニー社で働きたいようで、
「学、絶対アメリカ来いよ。」
と約束をした。

あと、Hooker ValleyBlue Lakeにも行ったが、Mt. Sebastopolに登った私としてはいまいちだった。










11-14/11 Wanaka
Mt.
Cook
からTwizelまでは速攻車がつかまり、Twizelからはなんとあのコスタリカの老夫婦がまた私を拾ってくれた。

「何でこんなところにいるの。」
それはこっちが言いたいことだ。

この夫婦、ロブとクリスティーはfly fishing が好きで、
「あなたさえよければ、我々は今晩Wanakaに行くけど、その間所々釣りをしていくけど、よかったら一緒においでよ。」
と私を誘ってくれた。なんとラッキーな。私の目的地もWanakaで、ここ最近のヒッチにはついている。

とにかく、この2人は親切で、ロブは紳士、クリスティーはすごくかわいい。彼らはご飯やビールを御馳走してくれた。
「今度コスタリカにおいでよ。」
と言ってくれたが、どうやって行けばいいのだろう。カリブ諸島ドミニク島マーテニックのミッシエル、モザンビークのアミシ、そしてコスタリカの彼らと変ったところの知合いはこれで3組目だ。

Wanakabrilliant。湖に町が面していて、北海道の屈斜路湖に似ている。私は懐かしい感じがした。また、Mt. Royからのsceneryはまたもやbeyond description。苦労して登った甲斐があった。私は当然のように祈り、そこにいたオランダ人も爆笑してた。

14-17/11 Queenstown
さすがは、観光地Queenstownに向かうヒッチハイカーは多かった。インド人系の青年、オランダのおやじ、Invercagillに向かうイングランドのカップル、サンダルを履いてギターを弾きながらヒッチしているアメリカン、そして私。当然、私が車4台を乗り継いでトップでゴールした。

私らしくなく、Queenstownに来た目的はなんとなくだった。それほどこの町には魅力を感じない。ただ、行ってみるとやっぱり観光地だけあって、かなりのtourist。土産屋の何店舗のレジには日本人がいたのにはビックリだ。それに世界のJTBもあった。

この町自体は湖に面していてきれいな町。観光地になるのがわかるような気がした。

私はここにある唯一のテントサイト付きのBPに行き、ここで面白い日本人に会った。一人は羊平君、もう一人は淳一さん。この2人は私と同じテント生活で、オーストラリアで偶然で出会ったようだ。特に、羊平君はネパールで会った大畑君以来のユニークな青年で、立命館大学を休学して、この後タイ、ネパール、韓国と旅して、韓国から船で帰国するらしい。

「僕、クリスマスにはch-chでオカリナ吹いてbuskingしますよ。」
と張り切っており、busking経験者の私は色んなアドバイス、それとテント生活を始めたばかりの彼にテント生活のコツ、それにアジアを旅する際の情報等を教えてあげると、

「うあ、むっちゃすることができた。明日から忙しいわ。」
と喜んでいた。こういう青年に会うと私の方がうれしくなってくる。久しぶりにパワーをもらったような気がした。

淳一さんは、空が曇ってくるとテントを止める少々軟弱者で、彼も1月にch-chで羊の人形を作って売るそうだ。

あと、1年間アジアを旅していて、オーストラリア、NZと来て、この後フィジー、クック諸島、アメリカと旅するアイルランドのカップルと仲良くなって、
「確かに日本人はリッチだ。ただ、minimumなお金で、maximumな旅ができるのは日本人だけで、そういう旅をしている連中の情報はすごく役に立つ。」
と面白いことを言っていた。

この町で、またかずやさんと再会。Mt. Cookでも会った帯畜大の千尋ちゃん。それに、驚いたのはTekapoの「湖畔」のおねえちゃん。ちょうどday offでここに遊びに来てて、
「お茶しませんか。」
と、マクドでBig Mac comboをおごってくれた。

16/11 Alexandra
私はいつの頃からかピッキングの情報屋になっていた。おそらく、ワーホリの日本人の中で一番の情報屋だろうと自負している。最近は、ピッキングの情報欲しさにメールをよこしてくる連中も多くなった。

私の情報源は何と言って恩師ウォルター、それにヒッチした車の運転手。私がWanakaからヒッチしてくる時に、Alexandraでのcherry pickingはクリスマス前からとの情報を仕入れた。しかし、私のデーターでは1月からとなっている。これは確かめないと。そこで、私は朝Queenstownを出て、約100km先のAlexandraまでヒッチで行って、何か情報をつかんで、ヒッチでその日のうちに戻ってくるというばかげたことを考えた。羊平君は、
「まあ、そんなあほなこと考える日本人が一人ぐらいいてもいいんじゃないですか。」
と笑っていた。

そして、その当日。予想を反して、3台乗り継いでAlexandraには1時間ほどで着いた。そこで、$5.00でチャリを借りられる店を見つけ、その上orchard listまでgetできた。やっぱり、来てよかった。私は30℃の炎天下の中チャリを走らせ、何軒かのorchardを訪ねたが、予想以上にアプリコット、ネクタリン、それにアップルのorchardが点在し、なかなかcherry orchardは見つけられなかった。もう諦めかけていたその時、

cherryならあそこに行ってみたら。」
と言って、あるorchardが紹介してくれたところに行くと、

「仕事したいの。基本的にこの辺りのcherry pickingは君の言う通りクリスマス前だけど、うちは12週目からだよ。契約していく?」

おお、仕事がgetできたでは。私としては1月からの方がありがたかった。私はオーナーと契約を交わしたが、そうなると住むところが必要になる。BPYHAではweekly discountはなしと言うし、そこで町に2軒あるmotor campを訪ね、そのうちの1軒が、

「本当にここに来るなら、その時に値段は交渉してあげてもいいよ。」
手応えのよいところを見つけた。一応、銀行、スーパー、酒屋があるAlexandra。来てよかった。

帰りのヒッチは少々苦労したが、午後5時にはQueenstownに戻れた。

「ほんまにやってくるとは思わんかった。むちゃやと思ったのに。そのorchard list見せて。」
と、またもや軟弱な淳一さん。
この日は、再び有森裕子の心境だった。




17-18/11 Milford Sound
Queenstownを出るのに苦労したが、なんとTe Anauまで行くという車をget。ほんと最近ラッキー続きだ。

Te Anauに着いたのはまだ昼過ぎで、これは予定を変更してそのままMilford Soundまで行こうとした。ただ、この時間にMilfordに行く車は少なくかなり苦労したが、Dunedinのおっちゃんが止まってくれた。

この辺りのFiordland NPは数々あるNZNPの中でも別格。この規模の出かさ壮大さにはただただ息を呑むだけだ。しかし、Milford Soundに着いて私を待っていたものがあった。そう、おびただしい数のサンドフライ。この数は半端じゃなく、人間のからだ全体にまとわりついてくる。彼らに刺された後の痛痒さはやぶ蚊どころではない。何日もそれが続く。おまけに、私が泊まった宿のテントサイトは地面が石だらけ。ペグは刺さらないし、サンドフライはまとわりつくし。更に驚いたのは、サンドフライがテントのネットをすり抜けて中に入ってきた。私は、思わず金鳥の蚊取線香をたいた。さすがは金鳥だ。だてにベタなCMをしていない。みるみる彼らがへたってきた。夜は彼らはおとなしくなるが、朝起きると目の前が彼らでいっぱいで、体中痒くて仕方がない。それに、石だらけに地面のため背中は痛いし。私は負けを認めた。サンドフライ君たちの勝ちだ。

18-23/11 Te Anau
私と同じくテントサイトに泊まり、サンドフライ君たちとの戦いに敗れたイングランドのカップルにTe Anauまで乗せてもらった。

Te AnauFiordland NPの拠点の町。そのため、町中はtouristであふれていたが、町自体は湖に面して静かなところ。私はとにかくday trackを歩きまくった。ほんとは、世界でも指折りのRouteburn, Milford, そしてKeplar trackのすべてを歩きたかったが、時間のない私は断念した。しかし、day trackで十分満足でき、改めてこの辺りの雄大さを感じた。

ここにいる間に、羊平君がRouteburn trackを歩いて、Queenstownからやってきて、軟弱な淳一さんはバスでやってきた。実は、淳一さんは足を怪我しており、Queenstownの病院に行ったが、その結果待ちにしびれを切らせてここにやって来た。骨にひびが入っているかも知らん、とのこと。とにかく、彼らと再会できてよかった。

23-24/11 Queenstown again
運よく宿にいた日本人の青年にQueenstownに乗せてもらった。ここに戻ってきたのは、ch-chで会うはずの大学時代の先輩、大澤さん夫妻に会うため。予定を変更してここで会うことになった。

私の人生の中で大学4年は一番印象に残っている1年間。そのラボの先輩がわざわざ新婚旅行に私のいるNZを選んでくれたわけなので会わないわけにはいかない。いざ会ってみると昔のままの大澤さんで、奥さんはきれいな人。ただ、大澤さんのギャグに爆笑する奥さんの気持ちは分からない。大澤さんのギャグは相変わらずくだらん。日本に帰って教育しないと。ただ、少し面白いと思ってしまった私自身にショックを受けた。大澤夫婦と一緒にめし食って酒飲んで、久しぶりに昔の仲間に会ってすごく楽しい時を過ごした。













24-26/11 Dunedin
Queenstownからのヒッチは予想通り苦労した。途中のAlexandraからは運送屋のトラックがpick upしてくれ、荷物の運びおろしをしながらDunedinに入った。

Dunedinはさすがに小樽と姉妹都市だけあって坂が多いし、とにかく寒い。町並みはスコットランドからの移民が多いせいか、それっぽい建物が多々あった。ここで、アホウドリを見に行ったが、すごく雄大で羽を伸ばせば3m近くある。この町には世界一急な坂もあるが、これはいまいちだった。

26-27/11 Oamaru
車を2台乗り継いでOamaruに入った。ここには、yellow eyed penguin, little blue penguincolonyがあり、とにかくペンギンたちのかわいらしさには驚いた。なんとも言えないかわいらしい歩き方。

ここで、30歳を過ぎていきなり10年働いていた会社を辞めてNZにやってきた公一さんに会った。彼のその勇気には脱帽だが、本人は至って冷静。
「俺はこんなところでこのままでいいのか。辞めてやる。」
と思ったらしい。

27-30/11 Christchurch
運よく車を3台乗り継いでch-chに入ったが、3台目の運転手は車椅子のおばちゃん。車椅子の人やからゆっくり走るのかなと思ったら、とんでもない飛ばしや。思わず祈ってしまった。

Ch-chに着いてビックリしたのは、Aucklandでフラットメートだった徳さん、理沙さん夫妻が宿で私を待っていてくれた。どうやら、私のメールを読んだようで、改めてe-mailの威力には感心した。当然、2人とはその晩一緒に飲んではじけた。

私は久しぶりにJTCを訪ね、ピッキング情報屋の私は少しピッキング情報を教えてあげると、事務所の人に、

「原稿渡すからここに書く気ないですか。絶対、採用されるからその情報書いて下さい。こんなに詳しく知ってる人は今までいなかったよ。」
と言われ、ワーホリ体験者の体験談を載せた本の原稿を渡されたがはっきりお断りした。確かに、全国ネットでどこの書店にも売っている本だが、そんな本に私の情報が載ると、ピッキングの時期になるとそこに日本人が集まるのは目に見えている。そうなると、私が経験した本来のピッキングがそうでなくなる。それに、そんな体験談ごときの本に私の情報が載るのはごめんだ。ただ、別に自分だけの秘密にする気はなく、いい情報は伝えたいし、困っている人には力になってあげたいので、私の周りに集まってきた何人かのワーホリの連中には色々教えてあげた。

当初は、ch-chで大澤さんと会う予定でここに来たが、すでに会ってしまった今となっては、ここでの目的は日本で開催されるJapan Cup (JC)の馬券を買うことだ。JCだけは毎年こっちでも買えるとの情報をgetし、私は日本から送ってもらった石渡さんからの情報である程度目星を決めて、馬券売り場TABに行ってみたが、今回はオセアニアの馬が出ないのでこっちでは買えないとのこと。そんなあほな。それも今年だけ。競馬好きの私としてはやりきれない気持ちだった。

ああ、疲れた。これから、Blenheimcherry pickingに向かいます。ここ最近すごく寒く、ch-chでは最高気温15℃ぐらいですね。もう夏だというのに。そのせいでpickingも例年よりも遅れているようです。では、またBlenheimでお会いしましょう。

P.S.
ところで来年の阪神の首脳陣は?

南の国より愛をこめて
加藤