全国23億5000万人の加藤学ファンの皆様

日本全国離島シリーズ第21弾~宮古諸島・宮古島、池間島、栗間島、伊良部島・下地島リターンズ&大神島~
「宮古のこの空が見たかった & 伊良部島大橋は快適やった & そして、沖縄の旅、卒業」 




皆様、こんにちは。この秋は久しぶりに宮古島に戻りました。

これまで何度も沖縄に足を運んでいますが、台風の直撃を経験したのは今回が初めてです。大型で猛烈な速度の遅い台風21号が八重山、宮古諸島に暴風雨をもたらしました。もちろん、飛行機、船は欠航で、宮古島から各離島への橋も通行止めとなり、宮古島は孤立状態になりました。台風21号の風は生温かかったです。やはり、本州に上陸する台風とは違います。台風の影響で2日程時間を潰してしまいましたが、台風が去った後は快晴の日々です。6年前に宮古島を訪れた時も台風の影響で天気が悪く残念な思いをしましたが、今回は快晴の宮古島の空が見られ、6年越しの夢がかないました。海の青さと空の青さ。この対照的な青のコラボが見たかった。大満足です。

今回宮古島に来た目的の一つが、今年1月に開通した伊良部大橋をバイクで走ることです。6年前に宮古島から伊良部島へ渡る船の中で、建設中の伊良部大橋を眺めながら、いつか開通するこの橋を見ることを楽しみにしていました。

完成した伊良部大橋を目の当たりにすると、感動のあまり思わず声を出してしまいました。アーチが2ヶ所ある見事な外観。それと、さすがに全長3㎞以上もあると長い。私は、宮古島、伊良部島両方から色んな角度でこの伊良部大橋を眺めました。

 

伊良部大橋


宮古島に来たもう一つの目的は、大神島に渡ることです。沖縄の離島を渡り歩いた私にとって、宮古諸島で唯一大神島には行っていませんでした。

大神島は、宮古島の島尻港から船で15分ほど。伊良部大橋が開通し、宮古島から各離島へは橋で繋がりましたが、大神島へは引き続き船で渡ります。宮古島では多くの観光客を見かけますが、大神島に行く人はいないだろう、と思っていました。しかしながら、船の出発時刻になると、計10名ほどでしょうか。観光客が集まってきました。これにはさすがに驚きました。

島に着くと、びっくりです。聞いてはいましたが、本当に何もすることがありません。島に周回道路はないですし、展望台につながる道しか我々外部の人が歩ける道はありません。島には、宿兼売店が1ヶ所だけあります。神が宿ると言われている大神島では、部外者の立ち入りが禁止されている箇所が多くあります。1時間も島にいれば十分、と宮古島の人が言っていた意味が分かりました。こんな沖縄の離島は初めてです。 

 

伊良部大橋


 

伊良部大橋

 

西平安名崎


 

大神島遠見台より望む


 さて、これで沖縄の離島はほぼ制覇です。有人島として、まだ本島中部の水納島と津堅島には渡っていませんが、島には申し訳ないですが、気が進みません。泡盛の蔵元もすべて回ったし。沖縄での自分の旅のスタイルが決まり、何度も沖縄に来ているうちに新鮮味がなくなってきました。 

私が年2回、各1週間ほど有休を取って旅に出るのは、日常のスイッチを一旦オフにするためです。日本の会社社会という狭い空間にいると、時々視野が狭くなっている自分に気づきます。そんな日常のスイッチをオフにするためにも、日常生活から離れたところに行って、脳をゆるゆるにして何かを感じることで、一度日常を整理します。言い方は悪いですが、数日休みを取ってどこかに出かける旅行は、私にとって遠足です。遠足には興味ありませんし、正直、私には時間の無駄です。人からよく、
「沖縄はそんなにいいですか?」

と聞かれることがありますが、その度に回答することは、特別沖縄だけが好きという訳ではない、ということです。ここ最近、ずっと沖縄を訪ねていた理由は、行ったことのない島があったからです。自分の中で沖縄の離島を制覇した今となっては、特別に時間を取って沖縄を訪れる理由はありません。ということで、今回で沖縄の旅を終了することにしました。那覇の行きつけの飲み屋にもその話をしました。

ただ、沖縄で得た経験、人は私の財産です。沖縄のことは大好きです。今でもたまに札幌に戻るように、今後は戻る場所として、時々沖縄に帰るつもりです。

ということで、次回はまた日本のどこかに行きます。
そのどこかで会いましょう。

P.S.
今年も我が阪神タイガースのシーズンが終わった。本当に毎年毎年9月は情けない。よくも毎年同じように大失速できるなあ、と逆に感心する。神宮のヤクルト戦で阪神が破れ、ヤクルトが優勝した試合は、那覇の「栄喜」さんで大将と一緒に見ていた。毎年のように、キャンプ地の宜野座村野球場は綺麗になる。あれほど年々綺麗になっていく球場は他にないのではないか?
トラよ、来年はファンが納得するシーズンを送ってくれ。

アニキ、たるんだトラ選手をしごいてくれ
湘南より愛をこめて
18/Oct/2015
Manabu Kato




☆伊良部大橋 vol. 1

 

 

 

 

 

 

     



☆大神島 vol. 1

 

 

 

 

 

 

     




Topics Vol. 245-250


Vol. 245
台風21号

これまで幾度となく沖縄を旅したが、台風に遭遇することはなかった。台風が過ぎ去った直後の訪問、滞在中にうまく予想進路から逸れてくれたり、と。しかしながら、今回、初めて台風21号の直撃を経験した。

この時期の沖縄では台風は避けられない。かと言って、観光客の多い7月、8月は沖縄に行く気はしない。この台風の時期なのに、ここしばらく沖縄方面に台風の接近がなかったので、嫌な予感がしていた。そろそろ来るかもしれない・・・。案の定、沖縄訪問の5日程前から熱帯低気圧が台風21号に変わり、訪問数日前に沖縄直撃の予報となった。

台風21号の特徴は、猛烈で進路が遅く、925ヘクトパスカル、時速15キロの速さで西北西に先島諸島へ進んでいた。私が那覇に到着した翌日の夕方から宮古島方面にも暴風雨の予報が出た。宮古島にはその日の正午頃に渡る予定で、前日の那覇の飲み屋では、周りから飛行機は飛ばないのでは?、と言われていた。当日、空港に行ってみると、場合によっては那覇に引き返す可能性があるとのアナウンスがあった。

何とか宮古島に到着したが、晴れてはいたが風がかなり強かった。夜になると、益々風が強くなり、深夜から翌午前中にかけては暴風で、公共機関は閉鎖、路線バスは運行見合わせとなり、多くの商店が閉まっていた。近隣離島への橋も通行止めとなり、もちろん飛行機は欠航、島は完全に孤立状態となった。

八重山や特に被害の大きかった与那国島とは違って、宮古島では雨はほとんど降らなかったのは幸いと個人的には思った。しかしながら、地元の農家にとってはこれが厄介なのである。強い海風が潮を運び、この潮風が農作物に降りかかる。この塩害を避けるために、各地でスプリンクラーを使って水が撒かれていた。



 

台風21号の進路
(Yahoo HPより引用)



     



午前中、私は宿の窓から外を眺めながら、テレビの台風状態に見入った。街に人気はほとんどなく、街路樹の木々が猛烈に揺れまくっている。どこかからバケツも飛ばされてきているし、街路樹の枝が折れたりしている。午後になると風が若干弱くなり、公共機関も再開。宿にいても時間をもて余すだけなので、私は台風を体感しようと人気のない街を歩いてみた。

この頃でもまだ風速30m近くあったのではないか?生ぬるい強風が吹き荒れ、木々はしなっている。通常の姿勢で歩いていると、時折、強い風で身体が反ってしまいそうだったので、気持ち前傾で歩いた。風があるのに非常に気持ち悪い。歩いていると汗が止まらないし。我ながらあほやと思いながら2キロ近く歩いただろうか。どこかで宮古そばを食べたかったが、どこも閉まっていた。他に歩いている人をほとんど見かけないし。そんな中、カブに乗ったじいさんを見た時は、「嘘やろ?」と思った。風でよろけてるやん。危ない。建物によっては、風で飛ばされてくる物からの破損を防ぐためにネットで覆われていた。途中で雨が降ってきて、無駄と思いながら、一応、コンビニで傘を買ったが、案の定ほとんど使わなかった(と言うか、使えなかった)。宿に帰ってもやることないし、かと言って、これ以上この強風の雨の中は歩けない。仕方なしにタクシーに乗って、MaxValueに行って時間を潰した。

あとで、この台風21号で甚大な被害を受けた与那国島の映像を見た時は心が傷んだ。過去に行ったことがあるだけに。かなりの農作物の被害もあったようだし。沖縄と台風は切っても切れない関係であるが、台風の脅威、並びに毎年の島民の大変さを改めて感じた。




Glance in Miyakojima vol. 1

 

 

 

 

 

 

     




Vol. 246  伊良部大橋&大神島

今回、宮古島に来た一番の目的は、今年1月に開通した伊良部大橋を渡ること。そして、大神島に行くこと。ずっと建設中だった伊良部大橋が今年ようやく開通した。全長3kmもある大橋をどうしても走ってみたかった。

宮古島からは、来間島への来間大橋、池間島への池間大橋と離島へは橋が掛かっているが、伊良部大橋の快適さは半端ではなかった。さすがに最新の橋だけあって、これら既存の橋よりも、より快適、最新技術を施したものにしようというコンセプトがあったのかもしれない。
橋幅は広く、他の橋と違って歩道が段になっておらず、これが橋幅の広さをより感じさせる。何よりも驚いたのは、橋の途中に広い路肩があり、そこに車を停車できる。そこから、車から降りた観光客が写真を撮れるのである。路面状態もよく、走っていても音がしない。途中のアーチは2箇所あり、この下を多良間島行きの船が通る。橋の全長は長く、橋上ではかなり風を感じるが、無茶苦茶気持ち良かった。かなりあおられると想定して構えていたが、全くその心配はなかった。

これまでのように、船の時間を気にして伊良部島、宮古島間を移動する必要がなくなり、便利になったと言う人もいれば、治安が悪くなったと言う人もいた。賛否両論はあると思うが、緊急時を考慮すると、やはりこの橋は便利だと思う。私は、色んな角度でこの橋を眺めた。


 

この近代的な伊良部大橋と対照的なのが大神島である。宮古島と橋が掛かることなく、今でも片道15分ほどの定期船が両島を行き来する。

島に渡る前は、
「誰も渡る人はいないやろう?」

と思っていたが、数える程ではあったが観光客がいた。毎便、観光客が何人かいて、これには驚いた。

大神島は人口20人程の神の島で、部外者の島への立入場所は制限される。島を周遊する道路はなく、集落内では、我々部外者が歩ける道は遠見台に向かう1本だけ。遠見台からの眺めは絶景だった。島の一番高い所から、宮古島、池間島はもちろんのこと、360℃見渡せる。ただ、正直、この島ではここ以外見るところはない。かと言って、部外者がむやみやたらに民家に近づくのはよくない。島には、売店、食堂兼民宿が1軒だけある。島で泳ぐこともできるが、遠浅なので干潮時はかなり沖に行かないと泳げない。

私は、11時の船で大神島に渡って、15時の船で戻るつもりだったが、島では何もすることがなかった。ということで、13時の船で宮古島に戻ることにしたが、他の観光客も同じだった。事前に宮古島人から、大神島ではやることないと言われた理由がよく分かった。同じく神が宿る島と言われている久高島とは全く雰囲気が違う。数々の沖縄の離島を訪れたが、大神島のような島は初めてだった。
 



☆伊良部大橋 vol. 2

 

 

 

 



☆大神島 vol. 2

 

 

 

 

   




Vol. 247  
「宮古島、本島、一齧り」

「そば太郎」(宮古島)

宮古島で楽しみにしていた一つが「そば太郎」の坦々そば。私がこれまで食べた坦々麺の中でもかなり上位に入る。宮古島に着いてすぐにここを訪ねた。

しかし、私の舌が肥えたのか、店が味を変えたのか?いまいちやったなあ。ショック・・・。









 

 

「マルキヨ味噌」(宮古島)

今回宮古島で来たかったところの一つ。
6年前に訪問した際は、味噌製造時に生じる味噌醤油をペットボトルに入れてもらったが、その味噌醤油が商品化された。これを求めて再度ここを訪ねたが、ちょうど在庫切れ。3ヶ月毎に味噌を仕込み、その際に80本しか得られない程の貴重な商品。島の駅みやこでも在庫なしと言われた。店の方は在庫がありそうなところを探してくれ、公設市場に2本だけ残っていることが分かり、
「これからイケメンが取りに行くから。」

と店から公設市場に連絡してもらい、公設市場に行くと、
「イケメンでなくてすみません。」

と私は店に入った。

貴重なものなので注文して帰ろうと再び「マルキヨ味噌」に戻り、近々作ってあげると言われて、1週間後に商品が届いた際はびっくりした。こんな濃厚醤油はまずない。やめられん。



 

 

「なびぃ食堂」(宮古島)
MaxValueがあるモール内にある食堂で、島の駅の方に教えてもらった。台風でやることがなかったのでここまでタクシーで来た。店内は地元の人ばかり。あっさりしたそば。













 

 



おでん「清水」(宮古島)

適当に歩いて見つけた店。2階がカラオケ屋で、ほとんどのお客さんがカラオケ屋に入って行った。
ここではおでんとてびちの煮つけを食べた。まずまずかな。と言うか、おでん盛はもう少し量が少なければいいのに・・・。
この日は十五夜だったので、特別にお餅を頂いた。


 
 

 

 

 

 

 

     



「ひびき食堂」(宮古島)

今回の宮古島滞在で食べた唯一の味噌そば。
どれにするか迷った挙句、黒ゴマ風味にしたが、もう少しゴマ風味、コクがあってもよかったかな。ただ、フリードリンク、サラダ、ライス、デザート付きにはびっくり。また来ると言うことで、店のスタンプカードを作ったのだが、結局、時間がなくて来られなかった。他の味も食べてみたかったなあ。せっかく営業時間も確認したのに。残念。














 

     



「じんく屋」(宮古島)

宿の人のお薦めで、私も6年前に来た。
シンプルに宮古そばにするつもりだったが、メニューを見てカレーそばに魅かれて、店の人に、
「ダシからカレー味で仕込んでいるもの?」

と事前に確認したのに、普通のそばにカレーライス用ののカレーが乗ってるだけやん。市販のカレールーが使われてるし。やられた・・・。

     



「あちこうこう家」(宮古島)

ここも6年ぶりの訪問。宮古島滞在中に一度は寄りたかった。
しげちゃん、老けたなあ。耳が遠くなっていたが、化粧の濃さは変らん。閉店間際の訪問だったが、しげちゃんは歓迎してくれた。
相変わらず観光客のコメントが壁のあちこちに貼られている。当時私も書いたなあ。


     



「おぷゆう食堂」(大神島)

大神島唯一の食堂。
食べるものも限られるし、大神島はタコの燻製が有名と聞いていたので、カーキたこ丼を頼んだが、なんでこんなにタマネギが入ってるねん。こんな入っていたら、タコの燻製の味が分かれへんやないか。










 

     



伊良部そば「かめ」(伊良部島)

宮古島を出る直前に最後に食べたそば。はっきり言う、まずい(申し訳ない、店には・・・)。
拘っているのは分かるが、インパクトがなかった。










 
 

     



「地釜や」(那覇)

灯台下暗しとはまさしくこのことだろう。いつも泊まる那覇のホテルの前にあるのは分かっていたが、一度も入ったことはなかった。

那覇に着いた夜。飲み屋をはしごし、すでに夜12時近くになっていたが、部屋に戻る前にもう1軒どこかないか探していたところ、まだ店の電気が点いていたので寄ることにした。汁専門という珍しい店。客は地元の人が多く、どこかで飲んだ後に汁を飲みに来る。観光客もたまに来るそうだが、大体リピーターになるらしい。汁や刺身などのメニューはハーフにもできる。この対応は一人客にはありがたい。
私はアバサー汁を頼んだが、この味にはまった。うまい。ダシもしっかり利いていて、一度飲むとリピーターになるのが分かる気がする。

ここでまたまたタイガースグッズを見つけた。大将はタイガースファンで、キャンプ中は時間があれば宜野座まで足を運んでいる。今年の阪神の情けなさや来年の監督の話題で大将と盛り上がった。

オリックスが糸満でキャンプを行っている頃は、よくオリックスの選手が店に来たらしい。言われてみると、当時のオリックスの選手のサインが壁に貼られている。佐藤義則のサイン入りのバットもあったが、なんでピッチャーのサイン入りバットがあるねん?当時は交流戦もないし、ピッチャーが打つことはないやないか。

結局、宮古島から那覇に戻った後も、連日ここに来た。で、アバサー汁を皮切りに、牛テール汁、ゆし豆腐汁、アーサー汁、刺身はシャコ貝、青マチを食べた。どれもうまかったなあ、ダシが汁によって違って。

「ゆがふ」がある時は、おそらくここに来る時間はなかっただろうが、「ゆがふ」がなくなってここに出会えた。
また来たい、絶対。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



琉球麺屋「かりゆしそば」(那覇)

「ゆがふ」があった店舗はそば屋になっていた。
カウンター等の間取りは「ゆがふ」のままで、その面影が所々に残る。神奈川から来た青年が頑張ってそばを作っていたが、中国人観光客を意識して、メニューには中国語も書かれていた。そばの味はまずまずだったが、「ゆがふ」の次の店はもっとアットホームな店であってほしかったなあ。









 
 

     



「まるしんそば」(宜野座村)

宜野座で行きたかったそば屋が休みで、折角なので宜野座のどこかでそばを食べたいなあ、と思っていた矢先に見つけたところ。おそらく、新しい店。何度も宜野座には来ているが、これまで気づかなかった。地元の人しか来ないと思う。かなりあっさりした味。

 
 
 



     

「すばや」(那覇)

松山にあるそば屋で、さすがに繁華街にあるせいか、有名人のサインが壁いっぱいに飾られていた。
遅くまでやっているので前から気になっていたが、次はないかな。


「つるまつ」(那覇)

松山にあるそば屋で、朝5時近くに寄ったところ。
さすがに松山だけあって、こんな遅くまで開いているそば屋があるんや。



 

 

 

 
 居酒屋「すいか」(那覇)

今回もお世話になった。ここに来ると、必ずマース煮やな。



 おでん「まつやま」(那覇)

ここにもまたお世話になった。行くと、いつも寝ているかあさんがかわいい。




   





 オリオンビールがクラフトいビールを販売していた。
飲んだ後の〆に飲むには重いなあ。
 
泊いゆまち」(那覇)

泊港にある魚市場。ここにもたまに来る。
店で刺身を買ってここで食べる。

 「上海雲吞」(那覇)


ここを訪ねてからもう1年も経ったのか。
相変わらず、ここの焼き雲吞はうまい。



     
 
沖縄に何度も来ているが、今回、初めて「A&W」のルートビアを飲んでみた。
まずい。お代わり自由って?無理無理。



 宮古島の地ビール(発泡酒)

確か製造場所は石垣島だったのに、今回ラベルを見ると宮古島になっていた。
相変わらず、うまくないなあ。なんとかならんかい?










 



     
  
「大東そば」(那覇)

今回の〆は「大東そば」と決めていた。
沖縄各地で色んなそばを食いまくったが、改めてここで食うと、ここの麺のうまさを感じる。




☆伊良部大橋 vol. 3

 

 

 

     



☆大神島 vol. 3

 

 

 

 

 

 

     




Vol. 248 「蔵巡り in 宮古島 & 伊良部島

 1、池間酒造

沖縄の蔵元のうち、唯一まだ行っていなかったところ。
残念ながら、誰もいなかった。
「最後はこれかい?」

と思ったが、宮古島市街地、伊良部島でも池間酒造の車を見かけたので納得。営業、がんばっている。







 

 

     



 2、沖之光酒造、再び

空港近くの蔵元。 
島の飲み屋ではあんまり見かけないんやけどな。















 

     



3、宮の華、再び

私の好きな蔵元の一つ。
今回、ここで国内米を使用した泡盛「うでぃさんの酒」をお土産に買って帰った
。 










 

     



 4、渡久山酒造、再び

ここで古酒を買いたかったんやけどな。バイクで運ぶには少し瓶が大きすぎた。
     



 5、千代泉酒造所、再び

今はなき酒造所。
6年前は雨の中、探しまくってここに辿り着いた。千代泉の泡盛を飲まずに残しておいたらよかった。

     



 6、菊之露酒造、再び

沖縄の泡盛の大手の一つ。
バイクで走っていると第二工場を見つけた。街中の工場で発酵、蒸留まで行って、第二工場で充填する。
個人的に菊之露ような大手の泡盛は好んで飲まないが、ここの「親方の酒」はうまい。古酒まではいかないが、2年ほど寝かした泡盛で結構まろやかでうまい。

 

 

 

     



7、   多良川

私の好きな泡盛の一つ。
数か月前に酒税法が変わって、「琉球王朝」は古酒でなくなった。このことを店の何人かに振ってみたところ、
「製法はこれまで通り一切変わっておりませんので。」

と同じ答えが返ってきた。古酒から外れたなら、少し価格を下げればいいのに、そうでもないらしい。
店の方は相変わらず感じがよい。対応もいいし。

 





 

 

 

 
 
 




☆東平安名﨑

 

 

 

 

 

 

   




☆池間大橋

 

 

 

 

 

 

 

     




Vol. 249  
小料理「延延」

私は、周りから飲み屋を探すのにすごく鼻が利くとよく言われる。個人的には決してそうは思わない。いい店を見つけるのと近い確率でいまいちな店にも遭遇する。私が店選びに鼻が利くとすれば、それは数を当たっているからである。9個失敗しても、当たりを1つ見つけられればよい。大体の人は、外れが続くと我慢できず、安パイに収まる。
しかしながら、今回の宮古島滞在では、かなり高い確率で自分にとっていい店を見つけた。

夜になると、いつものように私は街をぶらぶらした。台風の影響で風は強かったが、雨は降っていなかったので歩き回るのには問題なかった。私が店を選ぶ基準は、店の前で自分がときめくかどうか。外から店内を覗ければまだいいが、外から見えないところはすべて勘任せ。

まずは「竹山」。中に入ると、家族だろうか?感じのいいマスターとママ、それに息子さん?がいた。客はほぼ地元客で、早い時間に来て早く帰る。台風直撃の夜に初めて訪ねた時は、私以外一組しか客はいなかった。メニューを見ると、地元客相手にしているのが一目瞭然。カウンターに座った私にマスターは声を掛けてくれ、私が泡盛好きなことを伝えると、宮の華の国産米を使用した酒を試飲させてくれた。

本当は新鮮な地場の魚を食べたかったが、もちろん台風直撃ででそんなものはない。その2日後に訪ねた時には、貰いものということで宮古島交通安全のコースターをお土産にくれた。料理もうまいし、対応は非常に丁寧ですごく居心地が良かった。


 

 

 

     

「竹山」


おでんの店「勝美」も楽しかった。地元の人が集まるところとして、延子ママ(後述)からここを進められたが、場所までは詳しく聞いていなかった。延子ママと別れて、コンビニでビールでも買って帰ろうと思いながら歩いていると、ふと近くの電気が点いてある看板を見るとおでんの店「勝美」の文字が見えた。

「ここか。」

と思い、もちろんコンビニに寄ることなく、ここに寄った。ここはおでん屋というか夜の食堂で、21時オープンの3時閉店。メニューは、おでん盛り以外にステーキ、ラーメン、うどん、カツ丼とまさしく深夜の食堂である。もちろん事前に営業時間を知らず、私が店に入ったのは23時近く。

「遅くにすみません。」

と言った私に、

「うちは21時~だから。」

と勝美ママは快く迎え入れてくれた。店はL字カウンターに、テーブル、座席がいくつかある。昔は旦那さんも厨房にいたそうだが、今はこの広いスペースをママ1人でこなしている。客は二次会帰りの地元客中心で、大体酔っぱらってやってくる。私が店に入った時は、私以外誰も客がいなく、おでんを食べながらカウンター越しにママと色んな話をした。

勝美ママは身体を壊して耳が聞こえづらくなった。店の電話が鳴った時、私に、「出て」と言われたのはそういうこと。電話は数日前に来た客からで、忘れ物はなかったか?、という内容。耳が聞こえづらくなってからは、電話での声はより聞きづらくなり、電話で会話する頻度も減ったそうである。そのため、私はママとはゆっくり大きな声で話した。

店には私とママの二人しかいなかったせいか、ママは私に自身の過去のこと、家族のこと、島のことを色々話した。
「わしのような一見さんにこんなことまで話してもいいのか?」

と思ってはいたが、ママからは、
「聞き上手だから、ついつい。」

と。延子ママもそうだったが、私のような部外者で安パイにはそうかもしれない。顔見知りにはなかなか本音は話せないだろうし、誰かと話を共有したくても、店では客の話を聞くのが仕事である。そういった中、私に話したことで、少しでもママが楽になればそれでいい。

話の途中にいきなり店の中にカニが現れた。数日前から姿を見せ、ママは気になっていたそうである。私は、ママに棒を借りて、カニを傷つけることなく、外に出してやった。もう乱入して来んなよ。これでママも安心。

翌日、店に来るのがかなり遅くなってしまったが、ママは待ってくれていた。私が来る前にいた客に、
「昨日来ると言ったないちゃーがまだ来ないの。裏切られた。」

といった話をしていたそうだ。ママには心配かけて申し訳なかった。

この日は、あとから数組客が来た。ママの言う通り、かなり出来上がっていて、うだうだ言いながら、カツ丼やラーメンを頼んでいた。やっぱり、どこに行っても酔っ払いは面倒臭い。ママには申し訳なかったが、酔っ払いを店に置いたまま、店を出ることにした。
「もう帰るの?」

とママに言われたけど申し訳ない。

宮古島ではおでん屋は「たから」が有名で、私も行ったことはあるが、勝美ママの店の方が全然よい。「たから」は観光客が多く落ち着かないが、ママの店はアットホームで、マイペースで温かい。あと、ママの人柄かな。また来たい。


 

 

 

     
 
おでんの店「勝美」  


今回の宮古島で忘れられない店は、何と言っても小料理「延延」である。中通りにあるこの店にもたまたま入った。

宮古島に着いた日。台風が近づいており、ここの延子ママも店を開けるつもりはなかった。しかし、開けなくてもママは一人でも飲むので、なら一人では寂しいと思って店を開けて、でも誰も来ないから閉めようと思っていた時に私が入ってきた。


延子ママはボーリングの選手。店にはボーリングのピンがたくさん飾られている。店にメニューはなく、小鉢が次々と出てきた。私は琉球王朝のボトルを入れた。

この日は十五夜。台風の影響で天気は悪かったが、この日になると島の人は御供えのお餅を作る。前日、ママも沢山お餅を作ったそうで、余った分をお土産にもらった。

酒好きのママは、島酒をコーヒーで割って飲む。私が入れたボトルで飲めばいいのに、
「今日は私のお酒を飲みなさい。」

と二人で向かい合いながら、ママのお酒をコーヒーで割って飲んだ。

ママのかなりいい加減でやる気のなさそうな感がまた心地よい。下手に気を遣わせても申し訳ないし。かと言って、酒だけはちゃんと注いでくれる。我々の会話はほとんどママの今の生活や家族のことばっかりだったように思う。私みたいな部外者は安パイで、普段はなかなか島の人には話せない本音が出たのかもしれない。それぐらいストレスを抱えながら、島という狭い空間で生きているのだろう。ママに名前を聞かれて、ちゃんと「まなぶ」と伝えたのに、翌日に行くと、ボトルの名前は「ゆたか」になっていた。なんでやねん。
   
 
誰が「ゆたか」やねん。


翌日はもやいの日。ママの親しい仲間が月に一度集まる。お邪魔かな?とも思ったが、皆さん、歓迎してくれた。

次々と料理が運ばれてきて、食いきれん。観光客が来ないこの店では、早い時間から地元の人が集まる。料理には明らかに冷凍食品もあったが、観光客であるまいし誰も気にしない。ただ、ママがちゃんと作る料理はほんまにうまい。よくもてきぱきとこんなにおいしい料理が作れるなあ、と感心した。

この日の宴の後は、もやいメンバーのカラオケ店に移動した。私はカラオケが嫌いなので断るつもりだったが、流れで行く羽目になった。八重山もそうだが、宮古島にもカラオケ屋が多い。延子ママはカラオケが好きなので、よくここに来る。どれだけの人がカラオケ屋に来るか分からないが、ここ「歌王」の店内の広さには驚いた。いくら何でも広すぎるやろう?で、我々以外誰もいないし。延子ママを始め、みんなカラオケが大好き。カラオケを真剣に歌うために、一次会では飲まない人もいた。夜はこんな風に盛り上がってるんやね。私はこの雰囲気を味わえただけ十分。ママに申し訳なかったが、先に帰ることにした。


     

カラオケパブ「歌王」


   その翌日は、千葉に住むママの弟夫婦が来ていた。ちなみに、「ゆたか」と書かれた私のボトルは「まなぶ」に訂正されていた。この日も何人か地元の人がいて盛り上がった。相変わらずどんどん料理が出てくる。ママお手製のパパイヤシリシリを食べたがうまい。人参シリシリはよく食べるが、パパイヤは初めてかもしれない。ママはお土産にパパイヤ、宮古島のシークヮーサー、それに私が宮古味噌を好きなのを知って、わざわざ味噌を買いに行ってくれた。この日はさすがにカラオケを断った。カラオケはもういい。

最終日は数人で小ぢんまりと。前日のオトーリで無事私のボトルも空いて、最終日はいつも通りのオトーリが続いた。黒島に比べると、宮古島のオトーリは薄めてくれるのでまだいい。ただ、さすがにこれだけ続くともういい。疲れるし、ゆっくり飲めない。宮古島ではこれが毎日続く。宮古島には住めないかも・・・。この後、ママからもう一軒誘われて、近くの飲み屋に行った。前日にママに携帯電話の番号を教えて登録したはずだったのに、また教えて、と言われた。毎日、オトーリのしすぎちゃうのん?。ちゃんとわしの番号入ってるやん。

始めにママの店に入った時は、勝手に料理が出てくるし、正直、いくら取られるんやろう?、と不安を感じたが、あれだけ料理が出てオトーリして会費2,000円。延子ママ、もっと取ってええよ。料理にあんなに手間かかってるし、オトーリすると、紙パックの酒がすぐに空く。自らやる気なしと言いながら、しっかり客をケアするママ。「延延」に出会えてよかった。島では台風の影響でやることがない時間があったが、ここでの時間は十分楽しめた。それにしても、宮古島にはあんなに観光客がいるのに、飲み屋で一切出会わなかったは不思議。

これで宮古島を去るのは寂しいなあ。



 

 

 

 
 
 
  
小料理「延延」





いつから「道の駅」に昇格したんや?  




Vol. 250 そして、沖縄の旅、卒業

1997年に礼文島で礼文町ナンバーの原チャリを譲り受け、いつかこの原チャリで沖縄の離島を回ろうと計画した。それから月日が経って、バックパッカーとしての旅を終え、日本に戻って定職に就き、時間的にも連続して沖縄の離島を原チャリで回るのは難しい、と半ば諦めていた。しかしながら、なら、段階的にバイクを借りて沖縄の離島を回ろうと計画を改めたのが2006年。

沖縄に最初に足を踏み入れた頃は、もろバックパッカーの旅。那覇に着いて国際通り周辺の安宿を探し、離島に渡っても行き当たりばったりに宿を探していた。当時、どういう風に時間を過ごしていたのか記憶が曖昧ではっきりと覚えてない。

それから、那覇に泊まる際はうるさい国際通りは避け、見栄橋近辺の安宿に泊まるスタイルへ変更した。しかしながら、深夜になると、国際通りの土産物屋で働いている連中が宿に帰ってきて騒ぎ出すのがうっとおしくなり、今の旭橋のホテルに泊まるスタイルに変えた。今回、国際通りを歩きながら、初めて沖縄に来た頃のこの辺りを歩き回った日々のことを懐かしく思った。

沖縄に来た当時は泡盛なんて知らなかった。全くと言っていいいほど泡盛に興味はなかったが、沖縄で真面目に泡盛を味わってうまいと思った。また、私の身体に合っているのか、翌日残らないし、それから蔵元を回ることも旅のスタイルに入れた。

普段でもそうだが、いつの頃だろうか?新しい街に行くと、まずは何気なく街を歩く。そこで何となくときめく店に足を入れる。もちろん外れもある。統計的にも宿の人に教えてもらった店よりも、自分の直感で入った店の方がいいことが多い。客観的に考えると当然である。教えてもらう店は他人の主観に基づくが、自分で探した店は自分の感性に寄るのである。沖縄でも各地で歩き回り、色んないい店、人に出会えた。

ある年のゴールデンウィークに八重山を旅した時だっただろうか?観光シーズンだから仕方ないが、宿に満員の観光客がいてたむろしていた。この光景は気持ち悪かった。
「なんでこんな最果ての地にまで来て、東京の話、仕事の話してんねん。」

それ以降は、好んで沖縄で観光客と会うのを避けた。これだけ沖縄を訪問しているのに、旅先で出会った観光客と連絡先を交換したのは数人しかいない。内地の人間だけのゆんたくには興味ない。

沖縄での最終的なスタイルは、那覇の旭橋のホテルに泊まり、そこから離島に渡る。滞在中はバイクを借りて回る。ここ最近は100cc以上のバイクしか借りない。今回、いつも借りる那覇のレンタルバイク屋で100ccのバイクがなかったが、125ccのバイクを100ccの料金で貸してくれた。改めて過去と比較し、当時はよく原チャリで回ってたな、と懐かしくなった。原チャリの沖縄本島北部の東側は本当に辛かった。で、スノーケリングセットを持参して泳ぎ、蔵元を回る。夜は街を徘徊し、ときめく店をはしごする。このスタイルで行きつけの店がいくつかできた。

沖縄は琉球王朝という内地とは違う歴史があり、それから日本領、アメリカ統治下、そして日本に復帰という歴史を歩んできた。沖縄で強く感じさせられたのは米軍の基地問題。どこに行っても米軍基地があり、普天間基地移設問題は日本全土でホットな話題である。今回、再度普天間基地移設先候補の辺野古に行ってみた。改めて感じたのは、ここを埋め立てて基地を作る必要性はない。ここで何日もピケを張っている反対派の団体がいて、なんかのツアーをオーガナイズしているのだろうか?地図を持った人々がボートに乗って、基地建設予定地を見に行く。私は基地移設問題に関しては反対でも賛成でもない。だから、どこかの団体と話すことも、彼らに意見を述べることもない。辺野古への移設は必要ないと思うが、果たして普天間基地がなくなったら、宜野湾市及びその周辺の産業はどうなるのか?基地ありきで発展した産業を、いざなくなるからと言って、その代替え案の構築、その保証なしで話を進めてもいいのか?これは原発問題にも通じることである。こういった表には余り出て来ないないような実態について、もっと議論して話を進めるべきではないか?


 

 

 

 

 

 



プロ野球キャンプ地回りも面白かった。2月に来て、実際のキャンプをはしごできればどんなに楽しいか。阪神タイガースのキャンプ地として、時々、宜野座村野球場を訪ねた。来る度に球場がきれいになり、今回もバックネット裏に屋根ができていた。他の球団と比較してもかなりきれいな球場である。宜野座村は金を持っている。

阪神のキャンプ地ということで宜野座村によく来ることになったが、宜野座村と隣の金武町は私の好きな地域。何度も足を運んで行くうちに、この辺りがすっかり好きになった。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

     


自分の旅のスタイルが確立され、行く場所場所で新鮮味がなくなると、段々と物足りなくなってくる。ここ数年がまさしくそうであった。となると、また新しい場所を求めたくなってくる。これで沖縄の旅は終了することに決めた。ただ、これまでに得た沖縄での経験、人は私の財産である。

「生涯旅人」
北海道のように、これからは沖縄を帰る場所にしよう。




Glance in Miyakojima vol. 2







 

 

 

   
 




☆栗間大橋