全国22億人の加藤学ファンの皆様

日本全国離島シリーズ第18弾~沖縄本島・久高島~~
「神が宿る久高島には野良猫が至る所にいたでー」



皆様、こんにちは。
今春は、1年ぶりに那覇に戻りました。
この時期に何度も沖縄に来ていますが、ここまで涼しかったことはなかったです。テレビで見ると、東京の方が気温が高い。結局、一度も海に入ることなく(寒すぎて入る気になれず)、バイクで回っている際もずっとウインドブレーカーを着ていました。

今回の目的は、まだ行ったことのない久高島に行くこと、地方の飲み屋街を飲み歩くこと、そして本島の泡盛酒造所をできる限り回ることでした。行ったことのない沖縄離島がほとんどなくなってきた中、久高島は残り少ない未経験の離島です。

神々が宿る聖域として知られる久高島。南城市の安座真港からフェリーで30分ほどの人口約250人の島。「島の雰囲気は渡名喜島と竹富島に似てる」と思いました。思っていたよりも観光客が多く、皆、港近くで自転車を借りて島を回り、夕方、再び本島に戻って行きます。久高島は周囲が約8㎞、港から北端まで4㎞ほどです。道も比較的フラットなので、自転車で数時間もあれば十分島を回れます。この観光客の流れは竹富島に似ています。夜になると人がいなくなります。すると、一気に島は静かになります。食堂は島に数軒のみ。私が滞在時は、夜も開いている食堂が一軒で、数軒ある宿はどこも食事なし。そのため、宿泊者はここで食べるしかありません。また、集落にはふく木で囲まれた家が多く見られ、この雰囲気はどことなく渡名喜島に似ていました。

那覇で100ccのバイクを借り、久高島から本島に戻った後は国頭村へ北上しました。本島北部に来るのは6年ぶりです。当時は原チャリで回ったので道中かなり辛かったことを記憶していましたが、今回は快適でした。バイクが違うだけでこうも違うものか・・・。本島にいる際はいつも那覇に滞在し、行きつけの飲み屋をはしごしますが、地方の町に泊まって飲み歩いてみたいとずっと思っていました。その候補で考えていたのが国頭村と金武町です。もちろんですが、両方とも那覇と全く雰囲気が違います。結局、国頭村では3軒、金武町では5軒ほしごしました。無茶苦茶楽しかったです(後述)。

泡盛の蔵元巡りも、ここまで来たら全部回る予定でいます。沖縄に初めて来た頃は、泡盛に関してもほとんど知識はなく、何となくで蔵元を回っていました。しかし、今は、「一番好きなお酒は?」と聞かれると、必ず「泡盛」と答えるほど、その良さ、味も理解しているつもりです。ですから、すべて回り切った後は、再度何軒か気になっているところを回ってみたいと考えております。

さて、次回は今秋、与論島&本島の蔵元巡りを計画しています。
では、また秋にお会いしましょう。
 

久高島「たち浜」



 

久高島市街地
 

久高島「カベール岬」
 

久高島「ロマンスロード」付近の浜
 

「久高小中学校」



 P.S.
今回ほどトラを感じさせられた沖縄訪問はなかった。
宜野座村では、意図的にトラのキャンプ地を訪問したが、それ以外はすべて偶然トラを感じさせられることに。
今年こそはやりそうな予感がする。
いや、ええ加減やってくれ。


トラよ、ほんまに今年こそ頼む
湘南より愛をこめて
18/May/2014








   




☆ Glance in Kudaka No. 1

     
     
     
     




Topics Vol. 228 - 233

Vol. 228 神の島「久高島」

沖縄の離島でまだ行ったことがないところは、もう数えるほどしかない。ここまで来たら、とりあえず行けるところまで行ってやろう。今回の旅でのメインイベント、久高島に向かった。

久高島へは、南城市の安座真港からフェリーで30分ほど。今年のGWの沖縄は、とにかく涼しかった。ここまで涼しいGWを経験したのは初めてではないだろうか。余りにも風が冷たくて、この時期にウインドブレーカーを着ながらバイクに乗ったのも初めてだったかもしれない。ちなみに、今回那覇で借りたバイクは、1年半前に伊是名島、伊平屋島訪問時に借りたバイクと同じであった。

久高島に着いてまず驚いたのが、港前にレンタサイクル屋があったこと。本島からのそこそこの観光客。てっきり誰も行かない離島かと思っていたので、これは意外であった。周囲8㎞ほどのフラットな島であるので、チャリで数時間もあれば十分島を回れる。夕方になると、観光客は本島に帰って行く。すると、島内は一気に静かになる。この光景は竹富島に似ていた。

宿は島に数軒しかない中、私は「小宿さわ」に泊まった。後から聞いたのだが、私が着いた日は、宿のオーナーであるさわさんは那覇にいる娘さんを訪ねており、島にはいなかった。そんなことは知らず、島に着くと最初に宿に向かったが、宿に着くと誰もいなかった。「宿の人はどこか行っているのか?」と思い、私は時間潰しにバイクで島を回ることにした。と言いながら、20分ほどで島を回り切ってしまった。

宿に戻ると、誰かが客室で網戸を開けて、部屋から足を縁側に出し、テレビの音量を大にして寝転がっていた。「工事の人かな?」とも思いながら、相変わらず宿の人は出てこない。よって、仕方なしにバイクだけ置いて、ビールを飲みに行った。

30分ほどして宿に戻ると、まだこのおっちゃんが同じ態勢で部屋で寝転がっていた。とりあえず、荷物だけでも置こうとバイクから荷物を降ろしていると、このおっちゃんが私の元に近づいてきた。これも後で聞いて分かったのだが、この方はさわさんのお父さん。おいおい、宿の身内が客より先に客室で寝転がってテレビを見ててええんかい??。私が14:00安座真港発のフェリーで来ると予測したさわさんが、お父さんに私を部屋に案内するように頼んでいたらしい。おいおい、、耳の遠いお父さんが客室でテレビを大音量で見ていて、わしの声が聞こえるんかい??おまけに、部屋にテレビのリモコンはあるが、使えないので手動でチャンネルを変えてほしい、と。いかにも島らしい。

 

「メーギ浜」
久高島は人口250人ほどの小さな島。サンゴが隆起した島なのでハブがいない。となると、夜、ハブを気にせずに歩き回れるのがよい。島に着いてびっくりしたのは、やたら野良猫が多いこと。至る所で野良猫を見かけた。翌日、さわさんが島に戻られる前に、今度はさわさんのお母さんが宿に掃除にやって来て、野良猫が部屋の中に入ろうとしていたので、猫と格闘していた。「網戸を閉めて掃除すればいいのに・・・。」

「餌をあげる人がいるから猫はいつく。」
と、お母さんは怒っていた。それにしても、島の老人たちは何を言っているか分からない・・・。悲しいのは、こちらが言っていることも通じない。だから、会話がデットボールになる。2、3回のラリーで終了。

久高島は神が宿る聖域と言われるだけに、他の離島と違って、それを思わせるような場所、印を多く見かけた。元々、私は御嶽などの神聖な場所には足を踏み入れないようにしている。部外者が興味本位でそういうところに入るものではない。昔ながらのしきたりがある中、それを我々は守らないといけない。そういう意味では、久高島でそういった場所を見かけても、特別視するようなことはなかった。ただ、小さな集落、畑等を見ると他の離島と大して差はないが、これら聖域を思わせられるものを多く見かけると、さすがは久高島と思った。

集落では、ふく木が街路樹、庭先の防風林に使われていた。この光景は渡名喜島に似ている。「観光客の流れは竹富島、集落の雰囲気は渡名喜島かな?」久高島を回っている間、そんなことを考えていた。

宿の横に小さな商店があった。使わなくなった40フィートコンテナだろうか?この中を売店にし、売られているものは雑貨、飲食物と限られていた。それでも、宿の横にこういった売店があるのはよい。店は22時まで開いており、食堂で飲んだ帰りに、ここで冷えたビールと泡盛のカップを買って部屋に戻った。島では買えるものが限られるので、本島までフェリーが頻繁にあるため、島の人は定期的に本島へ買い物に行く。さわさんは、車を本島側の安座真港にも置いている。いちいち車を積んで本島に行くよりは、その方がもちろん安いだろう。

島にバイクを積んでやってくる人は、ほとんどいないだろう。島の人からは、島でバイクに乗る時には気を付けてと言われた。島には耳の遠いご年配の方が多い。島では舗装された道が半分ほど。集落及び港から北のカベール岬に向かう途中までは舗装されているが、それ以外は舗装されていない。と言っても、このままでも何の不自由もなく、バイクで走るには十分の道であった。





「カベール岬」への道

 

ふく木の街路樹

島滞在時の天気はいまいちであった。2日目は一日中小雨が降っていた。肌寒い日が続いていたので、海に入れるどころではなかった。日中もウインドブレーカーを着てバイクで走り続け、夜、めしを食いに行く際も長袖を着ていた。

久高島の海は、これまで訪ねた離島に比べると、正直、いまいちかな。海岸にある珊瑚の大きさを見ても小さかったし・・・。一応、海で泳ぐ用意はしていたが、余りにも肌寒くて、今回は海に入るのを断念した。

島の食事処は3軒。「とくじん」以外は早い時間に閉まるので、夜はここで食べるしかない。宿は3軒、どこも食事なし。

島を出る前日、「とくじん」でめしを食って宿に帰ると、さわさんに呼ばれて台所へ向かった。その夜、計4名宿泊者がいて、酒を飲みながら一緒に話した。さわさんの長女は、首里で高校に通っている。島には小中学校しかないので、中学を出ると、高校に行くには必然的に島を出なければいけない。下の娘さんは島の中学生。その前日、さわさんが島にいなかった時は、この娘さんが一人で留守番をしていたことになる。同じところにいて、私はこのことに全く気付かなかった。まあ、仕方ない、「とくじん」で遅くまで飲んで、部屋に戻ってまた酒を飲んでいたので・・・。娘さんはたまに本島に行きたくなる時があるようだが、本島に行くと今度は島に戻りたくなるらしい。いかにも島の素朴な中学生のコメントである。この娘さんも島を出ると、さわさんは寂しくなるやろうな・・・。

さわさんにもずくの天ぷら等を頂いて、皆さんで片付けしている時に、「残り物は猫の餌。」と言って、さわさんは残飯を家の外に投げていた。昼間、さわさんのお母さんが言っていたことだ。「誰かが餌をあげるから野良猫は減らない。」

「お母さん、犯人は身内にいるで。」
この話をすると、さわさんは爆笑していた。ちなみに、お母さんは猫が嫌いらしい。

見るところはそれと言ってなかった久高島であったが、島に泊まって島の人と話をすると色々とネタが出てくる。3軒ある食堂にも通ったし。1日目にさわさんと会っていれば、もっと島のことを引き出せたかもしれない。島を出る直前にはコーヒーをご馳走になり、短い期間であったがよくして頂いた。

「神々が宿る」と言われる久高島であったので、少し構えて島に入ったが、島の皆様は他の離島と変わらない素朴な方ばかりであった。


「メーギ浜」
 

久高小中学校




☆神々が宿る島

     
     
   




Vol. 229 沖縄本島&久高島、 一齧り

 1、久高島 食事処「とくじん」  

久高島には食事処が3ヶ所しかない。そのうち、夜も開いているのはここだけ。
店に入ると、食券を買って注文する。追加の場合は、その都度食券を買う。島滞在の二晩ともここを訪れたが(というか、ここしか食べるところがなかった)、二日目がちょうど月替わりで値上げになっていた。
島に残る観光客がほとんどいない中、お客も数人しかいなかったので、2日連続で行くと店の人にも覚えられた。

メニューは限られるので、2日目は前日食べていないものということでお願いし、特別にいくつか作って頂いた。
久しぶりに沖縄で天ぷらを食べたが、沖縄で食う天ぷらは特別うまい。
     



 2、久高島 食事処「けい」

宿の方に島でそばを食べるなら、ということでお薦めして頂いた。  宿で食事はないし、売店も限られるので、午前中からそばが食べられたのはありがたかった。
そばはダシの効いた素朴な味。
     



 3、久高島 「さばに」  

島滞在時は、昼間、ここでビールを飲んでいた。
売店もあり、レンタサイクルもある。レンタサイクルがあるせいか、日中、本島から来た観光客がここでチャリを借りて、めしを食っていた。
     



 4、久高島 イラブー酒&イラブー汁

イラブーとはウミヘビのこと。
久高島の名物で、島にウミヘビが産卵に来る。これを漬け込んだ泡盛、煮込んだ味噌汁。正直、匂いがきつく、独特の風味が漂う。
島の人からも、「臭くなかった?」と聞かれたほど。苦手な人は駄目かもしれない。個人的にも、次はないかな・・・。









   



 5、那覇 居酒屋「すいか」  

1年ぶりに訪れたが、オーナーの竹内さん(大阪府松原市出身)は私のことを詳細に覚えていた。昨年は、店を引き継いだばかりでどうなるのか不安そうであったが、今回見た感じでは順調そうであった。元気そうで何より。よかった、よかった。

ここでは観光客相手のメニューだけではなく、地元の人が喜びそうなメニューもあるので、これはこれでいいと思う。私が滞在時も、お客は地元客、観光客と半々だった。私が好きな蔵元の一つ山川酒造の泡盛が飲めるのもよい。私はマース煮が好きなのもあって、裏メニューで特別にマース煮を作って頂いた。料理は何食ってもうまい。
次回は、一緒に飲みに行こうという話をした。
 
 
 
 
 

アカジンミーバイマース煮
 

石鯛マース煮
 

石鯛
 

くるきんまち
 

赤まち



 6、糸満 道の駅「いとまん」

たまたま寄ったのだが、ここはいいかもしれない。
各ジャンルで建物が分かれており、野菜売り場には、直接、地元の農家が野菜を運んで来て、採り立ての新鮮な野菜が低価格で売られている。

魚売り場に行くと、エビ、カキ等その場で買って食べられるし、蒲鉾屋もあって小腹がすいている時にちょうどいい。
半日いても楽しいかもしれない。また来よう。






   
     
     



 7、金武町 「ぎんばる食堂」  

数年ぶりに寄ったが、相変わらずこのボリュームには驚かされる。タクシーのおじさん曰く、年寄りには量が多すぎて辛い、と。
野菜そば小でこの量。小でも完食は辛かった。
     



 8、国頭村 「はなぜん」  

宿の方に教えて頂いた寿司屋兼居酒屋で、大将は以前東京のヒルトンホテルで働いていた。
一緒になったお客さん曰く、国頭村でここまでの料理を出せるところはここしかない、と。確かに料理はどれもうまかった。

シャコ貝、マース煮、焼きてびち、うつぼの味噌煮を食べた。中でもうつぼの味噌煮は絶品。プリプリした食感で、味噌がいい感じに馴染んでいる。

今度はここで寿司を食べてみたい。




   
     
     



 9、東村 お食事処「東ぬ浜」

東村の道の駅の食事処。
売店でこの辺りのお薦めのそば屋を聞いたら、隣にあるここぐらい、と。昼時だったせいもあり、行列ができていた。 
   



 10、金武町 「パーラー千里」

金武町と言えばタコライスの町。何度か金武町を訪問しているが、一度もここでタコライスを食べたことがなかったので寄ってみた。
話には聞いていたが、かなりのボリューム。おそらく、食べきれない方が多いのであろう。カウンターに持ち帰りできるように容器が置いてあった。一回食べればもういい。







   
     



 11、恩納村 「豚三郎」 

金武町で飲んでいる時に一緒になったおばちゃんに教えてもらった。

恩納村「おんなの駅」にある唐揚げ屋で、てびちの料理法として、これまでおでん、焼きてびちは食べたことはあるが、唐揚げはなかった。おばちゃんが薦められていた通り、うまい。黒酢がいい具合に効いている。強いて言うなら、1P売りをしてくれればな・・・。







 
     



 12、那覇 「ゆがふ」

那覇に来ると必ず寄る。ここの席数が私的には非常に心地よい。料理もおいしいし。
ここに来ると、大体、ポーク卵を食べる。今回、初めて人参しりしりを食べた。
何食ってもうまいな、ここは。







   



 13、「ポチギ」&「ぶたりめ」

先日、湘南に堀内加奈子ちゃんがライブで来た際、ライブが終わって一緒に飲んでいる時に、沖縄と言えば「ポチギ」と薦められた。チョリソー様でうまいらしい。

那覇の琉夏さんにいる際、近くでポチギが売られている場所として公設市場内の肉屋を教えて頂いた。公設市場に来るなんて、何年ぶりだろうか?
「ポチギ」は、現在、「ポルトギース」と呼ばれているそうで、何社か商品化されている中、店のおばちゃん曰く、「ホーメル」社品がうまいらしい。

食べてみると、「普通のピリ辛のソーセージやん。」と思ったが、後になるほどそのうまさが出てくる。
さすが加奈ちゃんが言うだけあってうまい。

公設市場のその肉屋で、琉夏さんに「ぶたりめ」もご紹介頂いた。その名の通り、「あたりめ」のパクリで、豚のモモ肉を使用している。これがまたうまい。程よい食感で、このピリピリ感がビールによく合う。次回、また買って帰ろう。






   




☆ Glance in Kudaka No. 2

     
     
     
   




☆ Glance in Kudaka No. 3

     
     
     




Vol. 230 虎、虎、虎

☆「栄喜」

     
     
     




今回ほどトラを感じさせられた旅もない。まずは那覇に到着した初日だった。

行きつけの飲み屋に行こうと思っていたが、いざ行ってみると店は閉まっていた。ここでいつもポーク卵を食べるのが好きだったのだが・・・(もちろん、那覇に戻った後は寄って帰った)。仕方なくブラブラ歩きながら他の店を探している際、ふと裏通りを見ると、「南大東島料理」という看板が見えた。南大東と言えば、「大東そば」「島寿司」等が有名で、結構私は南大東料理を気に入っている。。そこで、時間は遅かったが、ここ小料理・居酒屋「栄喜」に入ってみた。

店に入ってびっくりしたのは、なんと店内はトラだらけだった。トララベルの瓶、藤浪と金本のユニフォーム、トラのカレンダー、バット、選手のサイン・・・。そう、店の大将が大の阪神ファンなのである。速攻、店の方々に私もトラ吉であることを伝えた。そのおかげで、初めて入った店だったが、一気に店の方々との距離が縮まった。

試合になるとトラファンがここに集まり、一緒にトラ観戦する。2月のキャンプ中は、大将家族は宜野座村にも訪れる。昨年7月の那覇での中日戦の際、ABCの「虎バン」の取材でこの店が使われた。で、金本もここに来た。店のご厚意で、その際のDVDを見せて頂いた。元々、大将もその日の試合のチケットを抑えていたそうだが、撮影が入ったため球場での観戦は断念された。あの2連戦はトラが快勝だったのを覚えていたが、まさか同じ那覇市内でこのようなことが催されていたとは・・・。南大東料理を楽しみにここに来たはずなのに、すっかり料理のことを忘れて、トラ談義で盛り上がってしまった。

店の方から牧志公設市場横でトラファンが営む酒屋があることを教えて頂いた。残念ながら、その翌日に那覇を離れる予定だったので、那覇に戻って来た時に訪ねることにした。

今回も宜野座村に一泊した。そう、聖地見学である。トラのキャンプ地が宜野座村であるせいかもしらないが、私にとって金武町、宜野座村近辺は本島で一番好きな場所と言ってもよい。規模的なものが影響しているのかもしれないが、ここに来ると落ち着く。今回、宜野座球場を訪れると工事中であった。スタンドが増設中で、近々、これまで以上の球場に生れ変わるらしい。

国頭村でスナック「花花」に寄った時のこと。国頭村は日本ハム二軍のキャンプ地であるので、至る所に日本ハム関連のものを見かけた。写真、カレンダー、選手のサイン・・・。そのため、てっきりここのスナックのママも日ハムファンと思っていたら、なんとトラファンであった。よって、日ハムには何の興味もなし、と。

金武町で寄ったスナック「アスター」のマスターは元高校球児。野球観戦するよりも自ら野球をする方が好きなようで、基本的にキャンプ観戦には行かない。球場に入られる等のイベントがあれば別だが。マスターはメインで肉屋を経営しており、人脈が広そうな感を受けた。宜野座村のトラキャンプ地でも、色々と融通が利くらしい。キャンプ中は、時々トラファンやトラ関係者もお店に飲みに来る。店にはトラのみならず、野球に関連するようなものをいくつも見つけた。

那覇に戻った日。「栄喜」で教えて頂いた牧志公設市場横の酒屋「琉夏」に行ってみた。見るからにトラファンと分かる店。私のように「栄喜」から教えられたというお客さんが訪れてくることが多いらしい。束の間であったが、店長とトラ談義で盛り上がった。ここには、萬座酒造所と一緒になって作ったワンカップ泡盛が売られている。萬座酒造所の社長も大の阪神ファンらしい。社長と一緒になって、面白い商品が作れないか考え、

「野球を見ながら飲むワンカップ泡盛があってもいいのでは?」
ということになり、この商品が発売された。このワンカップ泡盛は、「琉夏」とトラファンの蕎麦屋でしか売られていない。

商品コンセプトも拘っている。デザインはホームとアウェーの2種類。球場に持ち込めるように、ボトルはプラスチック製。雨に濡れてもいいように、シールは防水。古酒にちなんで「虎酒」。すごいのは、阪神球団から承認を得ていること。
店には門番風の猫の店長がいて、名前は元トラ戦士林威助(リンウエイツー))改め猫威助(ニャンウエイツー)。ちなみに、店長の実家の猫は下柳改め下ニャニャギ。

私はかなりのトラファンの変態と思うが、同じような変態が日本中にはいる。さすがにここまで拘るとあほだが、商品化して球団の承認を得る行動力には脱帽である。上には上がいる。私も負けてられない。私はこれまで以上にトラを追求することを誓った。

那覇でたまたま行きつけの飲み屋が閉まっていて、たまたま入った裏通りの飲み屋からまさかこのような展開になるとは・・・。
もし行きつけの飲み屋が開いていれば、この展開はなかった。不思議なもんである。




☆宜野座村営野球場・・・沖縄の我が聖地

     
     
     




☆「琉夏」

     
     




Vol. 231 蔵巡り in 沖縄本島

沖縄に来て一気に巡った蔵元数は過去最高かもしれない。休日のところもあったが、今回計11社巡った。ここまで来たら全部制覇してやる。

 1、忠孝酒造

那覇空港近くの酒造所。ここの「夢航海」は好きな部類の泡盛。
幹線道路沿いにある酒造所で、さすがに規模がでかい。








 
 

 

  
   



 2、(株)比嘉酒造

国道331号を糸満方面に向かい、「道の駅いとまん」近くにある酒造所。
通常、泡盛で使用の原料米はタイ産であるが、ここで石垣島産国産米を使用した泡盛があったので思わず買ってしまった。国産米を使用した泡盛を見つけたのは与那国島以来。
ここもさすがに規模がでかい蔵元で、店の方と雑談している最中に観光バスが何台も来たので、速攻、退散した。







 
 

 

 

     



3、上原酒造

ここはなかなか見つけられなかった。何度もここの前を行き来し、最終的に近くを歩いていたおばあに聞いて辿り着いた。苦労して見つけた蔵元なのに、残念ながら事務所に人はいなかった。   
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 4、石川酒造場

ここは以前から来たかった蔵元の一つ。国道329号から少し海側に入った比較的見つけやすいところにある。
ここで甕で貯蔵した古酒を購入。事務所に展示してあったミニボトルを購入したいという話をしたところ、通常は非売品だが特別に譲って頂いた。 
感謝感謝。











 
     
     



 5、山川酒造

ここも以前から来たかった蔵元の一つで、今回の蔵元巡りの結び前の一番ってところか。
名護から内陸の県道84号を美ら海水族館方面に向かった道路沿いの蔵元。山間部にある小ぢんまりした蔵元で、ここの売店では泡盛以外に本部町の特産物も売られている。
蔵元の方も非常に親切で、ここの泡盛は内地では「やまかわ」というラベルに貼り替えられて売られているのではないか?、と。
そうかな???、そういったラベルは一度も見たことないけど・・・。

山川酒造の泡盛が売られている神奈川県の酒屋さんのリストも見せて頂いた。 
 
     
     



 6、龍泉酒造

国道58号を名護市街から北へ向かって、少し東側に入ったところ。正直、まだ「龍泉」を飲んだことがない。小ぢんまりとした蔵元で生産量も限られるのだろう。
     



 7、田嘉里酒造所

今回の旅で一番来たかった蔵元。”まるた”の愛称で知られている蔵元で、国道58号を北上し大宜味村と国頭村の境界近辺を山間部に少し入ったところ。
道中に何の標識もないので、なかなか見つけるのは難しいかもしれない。蔵元の人にも、

「よく見つけましたね。」
と言われたほど。

従業員7人の小ぢんまりした蔵元で、何と言っても周りの環境が非常に良い。静かなところで自ら水を引っ張っている。
工場の天井は真っ黒。がっつり黒麹がこびり付いている。ここで蔵元限定330本の12年古酒を購入した。 


 
     
     
     



 8、ヘリオス酒造

許田インターからすぐのところで、沖縄本島でも有名な蔵元であろう。観光バスによる工場見学を推進している。那覇国際通りにあるここのパブにはよく訪れる。そういうこともあって、一度は行っておかないと、と思っていた。

ヘリオス酒造製造品では、泡盛よりも地ビールを好んで飲み、ここの売店でもかなりビールが売られているにびっくりした。ゴーヤビール以外は、那覇のパブで飲める生ビールしか製造していないと思っていたが、そこそこの種類が市販されている。南大東島のラム酒「COR COR」と業務提携していたことにも驚いた。ここはどんどんでかくなるな。 

開店してすぐにここを訪ねたのでまだよかったが、途中で観光バスが何台も来た。で、速攻、退散した。




 
     
     



 9、恩納酒造所

国道58号を万座毛方面に向かってすぐのところ。
あとあと、ここの社長が阪神ファンであることを知ったのだが、もしこのことを先に知っていれば、ちゃんと営業日時を確認して訪問していた。訪問時は日曜日で蔵元は休日であった。 
世間がGWであろうが何であろうが、週末が休みの蔵元は多いらしい。







 
     



 10、神村酒造

ここも以前から来たかった蔵元の一つ。樽で貯蔵された「暖流」は私が好む泡盛の一つ。恩納村の道の駅「おんなの駅」から県道6号を少し内陸に入った道路沿いにある蔵元で、比較的見つけやすいところにある。場内はきれいに整備され、森林に隣接し環境もよいところ。

「おんなの駅」で、ここでしか売っていないと言われた神村酒造の5年原酒50度を購入した。 











 
     
     
     



 11、(有)比嘉酒造

残波岬近くの「残波」で有名な酒造所。CMでもよく見るこれだけの規模の蔵元が、週末に休んでいた。これにはびっくり。  
     




☆ Glance in Kudaka No. 4

     
     
     




☆金武町ベースボールスタジアム・・・周辺がかなり綺麗になっていた

     
     
     




Vol. 232 飲んだくれ in 国頭村&金武町

沖縄本島にいる際、いつも那覇を拠点として動いていた。大体、泊まるのは那覇の旭橋近辺。で、離島へ向かう。しかし、「折角、本島にいるのだから那覇だけでは勿体無い。」といつも思っていた。かと言って、名護のような大きな街には興味ないし・・・。そこで、本島の地方に泊まって飲み屋をはしごすることを計画し、そこで選んだのが国頭村と金武町であった。金武町では、隣の宜野座村に泊まって、タクシーで金武の飲み屋街に行くことにした。

国頭村で泊まったのは、ホテル「みやしろ」。町中には限られた宿しかなく、何となくここを選んだ。東京、大阪の一般的なホテルに比べれば、かなり昔ながらのホテル。部屋の鍵はオートロックではなく、窓が手動で開く。窓を開けようともしたが、網戸に何か所も穴が開いており、このままでは蚊が入ってきてしまう。お世辞でも綺麗なホテルとは言えず、「まだこんなホテルが残ってるんや。」とも思ったが、宿泊するには全く問題ない。と言うか、私は仕事でそこそこのホテルに泊まることが多いので、感覚が麻痺していた。逆に、ここに泊まって、ずれていた自分の感覚を修正できた。そう、ここは地方のホテルらしくて、私には十分すぎるホテルであった。

国道58号を走っている際にいつも感じることだが、那覇から名護までは少し大げさかもしれないが東京並みの交通量。名護を越えると一気に交通量が減り、辺戸岬から東村方面に向かうと、更に減る。前回、この辺りを走った際は原チャリを利用したため、道中かなり辛かったと記憶していたが、今回、100ccにしただけで、こうも違うものかと不思議に思いながら走っていた。全然体力に余裕はあるし、そこそこの距離を走ったがほとんど疲れはなかった。

国頭村の市街地は、国道58号から並行した1本海側の道沿いにある。ガソリンスタンド横に共同売店があり、おそらく市街地内の商店はここだけではないだろうか?宿の方に、食べるならここということで、宿からすぐ横の寿司屋兼居酒屋「はなでん」に入った。私が入店時は開店直後だったせいか、客は私のみであった。カウンターが5席ほどに、テーブル席が4つほどある比較的小ぢんまりとした店であった。大将は、元東京のホテルで働いていただけあって、身なりがきっちりしており、地方らしくなかった。地元の高校生だろうか?バイトの女の子と奥さんが店内にいた。国頭村と言えば、日本ハム2軍キャンプ地。町の所々で、選手の写真、サイン等を見かけた。ここの店内にも日ハムのカレンダーが掲げられていた。

上述したが、大将の料理はうまかった。さすがに東京のホテルで料理を出していただけはある。カウンターで一緒になった地元の方もそういったことを言っていた。元々、何軒か飲み屋をはしごする予定だったので、炭水化物系を食べるのは避けた。次回は、是非、大将が握る寿司を食ってみたい。

2軒目に入ったのは、居酒屋「美作」。店のカウンターには、地元の方が一人とママがいて、翌日、奥で行われる鯉のぼり祭りに出店するため、もう少しで店を閉めると言われた。奥は、翌日、私がバイクで走る道中にある。よって、ここでは軽く1杯だけ飲んで、翌日の昼前に奥でママの出店に寄ることを告げ、ここを後にした。ちなみに、翌日は、私が会場に着くのが早過ぎて、ママはまだ店の準備中で、

「早過ぎる。」
と逆に怒られた。当初は、もう少し遅く着く予定であったが、朝、宿を出て、奥間ビーチの米軍保養所に向かったのだが、開場は午後からと言われ、入場を断られた。5月GWの3日間、この保養所が公開されるというので、ここでブラブラして、昼前に奥の会場に着く予定でいた。奥に余りにも早く着き過ぎたが、かと言って、ここで時間を潰すと後に影響が出てしまう。ということで、ママには申し訳なかったが、ママの店で何も食べることなく、ここを後にすることにした。すると、

「生でも食べられるから。」
ということで、トウモロコシを1本くれた。出店前で忙しい中、逆に気を遣わせてしまい、ご迷惑を掛けてしまった。

国頭村で3軒目として、スナック「花花」に向かった。「美作」のママに教えて頂いたところ。市街地にはスナックがいくつもある。ママ曰く、これでもかなり減った。ママは、隣の大宜味村から毎日ここまで通っている。5月の連休中のせいか、入店時、客は私1人だけだった。翌日、私はここを出るため、ボトルは入れられないという話をしたところ、グラスなら¥500ということで、グラスで泡盛を頂いた。

「どれだけ入れますか?」
と量も適当。やはり、この辺りの飲み屋のお酒は地元の「まるたマイルド20度」が主流。ママとスタッフの女性と、地元ネタで盛り上がっている時に、「美作」で一緒になったお客さんが入ってきた。それからは、さらに地元ネタで盛り上がった。
 




奥間ビーチ



☆くにがみ球場・・・二軍の球場にしては贅沢すぎるぞ

     
     
     
     



国頭村の皆様は日本ハムのファンが多いと思っていたが、そうでもない。ママは阪神ファンで、スタッフの女性は野球に興味なし。キャンプ中は、名護で日ハムの選手をよく見かけるが、特に興味がないのでどうってことないらしい。
日ハムの二軍本拠地と言えども、くにがみ球場はかなり立派で綺麗であった。設備的には久米島の楽天二軍は完敗。私が球場を訪れた際、沖縄尚学高校が練習をしていた。さすがは甲子園常連校。部員数もさることながら、質のいい練習を行っていた。

日ハム二軍選手は、奥間ビーチのJAL系リゾートホテルに泊まる。このホテルが海沿いの綺麗なビーチ近くにある。二軍選手でこんなに贅沢してもいいのか?ママ曰く、昨年のキャンプは大谷君がファームスタートだったので盛り上がったらしいが、今年はそうでもなかった。ハンカチ王子ではもうだめなのか・・・。

途中でヤンバルクイナの話になった。この辺りで見かけるのか?、聞いたところ、お客のおっちゃん、スタッフの女性が言うには、更に北の方に行くとちょくちょく見かける、と。ママのおばあちゃん世代では、昔はヤンバルクイナを食べていた。ヤンバルクイナは「キィッ、キィッ、キィッ」と鳴く。ヤンバルクイナには縄張りがあって、決まった時間に山から出てきて、住宅地に降りてくる。ヤンバルクイナを車で引いてしまうと、罰金10万円ほど払わないといけない。但し、余りにも保護されているので、逆に数が増えて、だから引かれる数も多いのではないか?、と。こういった話を聞いたのもあって、私は国頭村北西部のヤンバルクイナ施設を訪問してみた。その直前、バイクで走りながら前日話に出た鳴き声が聞こえたので、ふと横を見ると、な、なんと、沖縄で初めてヤンバルクイナを見た。NZで見た飛べない鳥”ウェカ”に似ている。私は急遽バイクを止め、その姿を追ったが、速攻、見失った。

大宜味村と言えば、シークワーサーが有名だが、ここまで爆発的に有名になったのは、以前番組であった「あるある大事典」で取り上げられてから。大宜味村の家庭では、元々、シークワーサーを家庭用に栽培していた。余った実は鳥に食べさせる。それが、番組で取り上げてからは爆発的に売れ、各家庭で商売として成り立つようになった。収穫時は台風時期でもある。実が比較的小さいと、いくら台風が直撃しても落ちないらしい。

ここでは泡盛グラス2杯を飲んで店を出た。「これで¥1,000?嘘やろ?」安すぎる。お通し代込みやん。



     



金武町のキャンプハンセン前には飲み屋街がある。以前からここには一度でいいから来てみたいと思っていた。しかし、宿は宜野座村にした。そう、我が阪神タイガースのキャンプ地である。少しでも宜野座村にお金が落ち、地元の人に貢献できれば・・・。残念ながら、宜野座村には飲み屋らしい飲み屋は見かけない。宿から金武の繁華街まではタクシーで10分ほどである。

宿は漢那ビーチ近くの「HOLIDAY INN 漢那」にした。この辺りは宿は限られるほどしかないし、且つ連休中だったのでどこも泊まれるところがないかもしれないと覚悟はしていた。しかしながら、この宿はガラガラだった。今回泊まった宿の中で、この宿が一番ヒットかもしれない。元々マンションだったのを、最近宿泊施設にしたのかもしれない。金武町のスナックの女の子もここの存在を知らなかった。宿のオーナーは阪神ファン。私の部屋は1人の宿泊なのに、間取り2K、2ベットであった。これはあかんやろ。横には北部病院、隣が保育園。窓からは漢那ビーチが一望できた。最高の部屋。思わず写真を撮ってしまった。

宜野座村は阪神のキャンプ地というのがあるのかもしれないが、非常に居心地がよいところである。飲むところはないが、ここの道の駅は、私が沖縄で訪ねた中で一押しである。何と言っても、海ぶどうの安さ。海ぶどう養殖場が目に前にあり、この量で¥300、大きいので¥400。那覇ではありえない価格。野菜も安いし、週末にはフリーマーケットが開催される。個性的な売店がいくつかあり、観光として訪ねるのにもいいと思う。

金武町では、タコライスを食べた後、居酒屋「お花」に入った。外見、及び店内とも怪しい雰囲気の居酒屋。いかにも日本って演出の内装で、店長曰く、米兵が喜ぶと思って、日本っぽい絵を壁に描いたらしいが、今では日本人客に受けている。さすがは米軍基地近く。英語で書かれたメニューもあった。タコライスを食べた後だけあって、ここではほとんど食べられなかった。沖縄で飲んでいる際、よく現地人と間違えられる。今回、国頭村でもそうだったが、ここでも店長がしばらく私の様子を見ていた。そして、

「沖縄の方ではないですよね?」
と。以前、店長も料理長も神奈川にいたことがある。特に料理長は藤沢で働いていたということで、地元の話で盛り上がった。

次は、Bar「シャングリア」に行った。宿の方に教えて頂いた店。店に行くと、音楽がガンガンかかり、ビリヤードテーブルの一つでママがビリヤードしていた。この雰囲気はいかにもアメリカ人が好きそうな感じ。洋楽にビリヤード、地下はダンスホールになっている。飲み物は洋酒もそうだが、バドワイザー、コロナの瓶があるところもいかにもである。会計はキャッシュオン。残念ながら、一連の事件の後、米兵はBarで飲むことを自粛している。店には誰も客がいなかった。このせいで、ママはバイトを雇えなくなってしまった。店の壁、天井には1ドル札がぎっしり貼られていた。日本人が飲み屋で名刺を貼って帰るように、米兵は1ドル札に自分のサインをして貼っていく。途中、地元の女の子が2人やってきたが、すぐにどこかに行った。そうこうしていると、ママの友達が入ってきて、残りは3人でずっと話していた。ママに1年以内にまた来ると挨拶して、ここを出た。




☆HOLIDAY INN 漢那・・・この旅で最高の宿

     
     




その次は、おでんの赤提灯に引かれて「壺」へ。ここで終わってもよかったのだが、どうしてももう一軒行きたかったので、ここでは私が好きなてびちのおでんを食べただけで、すぐに店を出ることにした。店には西武ライオンズのユニフォームが飾られていた。金武町出身で元トラ戦士マイク仲田と興南高校でバッテリーを組んでいた仲田秀司氏のものである。マスターと仲田さんは同級生で、年末年始は一緒にここで過ごす。仲田さんは西武に入団後、現在は球団職員。沖縄は野球が盛んなだけに、どこかで野球関連に出くわすことが多い。こういう時は、野球の知識があって本当に良かったと思う。ここでは西武の話をした。

最後にスナック「アスター」に向かった。この時点で23時を過ぎていた。ここは「壺」のマスターから紹介頂いた。店内はほぼ満席で、私はカウンターに座った。店内の所々に野球を匂わせるものがあった。カウンターでスタッフの女の子と話していた。彼女は隣のうるま市出身。彼女のように、ある町から違う町のスナックに働きに行く子が多いらしい。というのも、沖縄は結構狭いので、地元のスナックで働くと、同級生や顔見知りの相手をしないといけない。それはどうしても嫌って言っていた。隣町まで来ると、そういった知人と会うことは滅多にない。店が終わると、店から家までちゃんと送ってくれる方がいる。彼女も全く野球に興味はなく、棚のボトルの後ろにある阪神の選手のサインを見せて、と話すると、まずここにサインがあることを知らなかった(あほか、毎日どこ見てんねん)。

金武町の飲み屋では、やはり地元の「松藤」「龍」がよく飲まれていた。こういった時に泡盛の知識があると盛り上がる。沖縄の人は、特定の泡盛を水で割ってうすくして飲むので、それ以外の泡盛は余り飲まないし知識がない。そういった中、私は沖縄のほとんどの蔵元を巡ったことを話すると、皆食いついてくる。ここでは「松藤」を中心に飲んだ。「松藤」は私が好きな泡盛の一つである。

オーナーにタクシーを呼んで頂いて、宿に着いたのは0時を回っていた。いやー、地方の飲み屋のはしごもいい。ただ、さすがにこの2日連続のはしごは疲れた。
またやろう、絶対。  




☆飲んだくれツアー in 金武町

      
   
     
     
     




☆Glance from Ohgimi to Higashi village No. 1

     
     
     




☆奥ヤンバル鯉のぼり祭り

   
   
     
     




☆ヤンバルクイナ

     
     
   




☆Glance from Ohgimi to Higashi village No. 2

     
     
     
     




☆マングローブ in Higashi village

     
     




☆Glance in Kin

     
     
     
   




Vol. 233 普天間基地の移設先、辺野古キャンプシュワブ

今回、バイクで沖縄本島北部を回るに当たって、今話題になっている普天間基地の移設先である辺野古キャンプシュワブは一体どんなところなのか見てみたいと思っていた。

東村から国道329号を名護方面に進み、名護市街地へ向かう交差点を右折せずに左折して宜野座方面に向かうと、左手に辺野古キャンプシュワブが見えてきた。基地の正門を過ぎ、辺野古の市街地の方へ左折すると、英語の看板が掲げられたいかにもっていう市街地に入った。そこからさらに南に坂を下ると辺野古の漁港に行き着き、その横がテレビでよく見るフェンスで仕切られた普天間基地の移設先であった。フェンス前は砂地で、観光客だろうか?、浜辺で遊んでいる家族がいた。フェンスには移設反対の垂れ幕が多々掲げられていた。テレビで見る印象とは違って、周りは整然としており、驚いたのはこの周辺の海の綺麗さ。豊漁祈願であろうか?、近くに神社もあった。私が着いた頃は潮が引いていたので、遠浅の海岸が広がっていた。

「まさか、こんな綺麗なところに移設されるとは・・・。ここを埋め立てるはず、隣の漁港はどうなるのか??」
しばらくこの周辺を眺めながら、そんなことを考えていた。辺野古市街の所々にも移設反対の垂れ幕を見かけた。とは言っても、これまでの沖縄訪問で、マスコミが伝える事実とは違う島民の本音を聞いていただけに、今回もこの近辺で同じような質問をしてみた。

結論、私が聞いた限りでは、ネイティブの島民は辺野古への移設に賛成の方が多かった。文句を言っているのは、沖縄への移民や名護市街地の方々。移設と共に現地にはその補償金が入り恩恵を受ける。産業が少なく、低賃金の島民の生活ではきれいごとは言ってられないのは理解できる。基地の真横に位置する漁師も移設を承認したという話を聞いた。この海が埋め立てられるのは悲しい気がするが、何よりこの地域の島民の生活を考えるとな・・・。ただ、そうなると、市の大部分を占める普天間基地がある宜野湾市の経済は移設後どうなるのか?

米兵による島民女性への暴行事件以降、米兵は夜の外出を自粛している。金武町では、居酒屋で夜ごはんを食べている米兵は見かけたが、Barでは見かけなかった。米兵相手に店を営んでいるところでは死活問題である。金武町のキャンプハンセン前には飲み屋街が広がる。いかにも米兵が集まりそうな英語の看板を多く見かけた。しかし、狭い飲み屋街なのに米兵と日本人が集まる店が分かれることが多い。米兵の入店を断っているところもあった。

ある方曰く、戦後、復興に向けて米兵に大変お世話になった。戦時中も米兵よりも日本兵に乱暴されたといった話も伺った。高速道路を走行中、車に異常が生じ、困っていたら日本人は一切止まらないのに米兵が親切に止まってくれた。、東日本大震災の際、キャンプハンセンから多くの米兵が被災地でボランティア活動を行った。定期的に付近の施設の芝を米兵が手入れしている。こういったいい話はマスコミは取り上げない。で、米兵の悪い話のみを誇張して面白おかしく取り上げる。その方が世論を味方にできるからである。こういった米兵のいい話をマスコミに伝えた方がいた。しかしながら、証拠がないということで却下された。

尖閣諸島問題も、沖縄に米軍基地があるから抑止力として機能する。しかし、米軍基地がなくなると、一気に中国が攻めてくることが予想される。現実的に起こりそうな問題に島民は直面しており、その状況に怯えている方もいた。

辺野古のキャンプシュワブに普天間基地が移設し、米兵の夜の飲み歩きが解禁されると、この辺りの飲み屋街は発展するであろう。多くの雇用も生まれ、たくさんの米ドルが落とされるはず。産業としてはそれでいい。基地が住宅街から離れるということで、安全面も担保されると仮定しよう。ただ、騒音という被害はどうだろうか?この地域にはご年配の方が多い中、戦闘機の騒音は身体にはよくない。私がこのことを話してみると、米兵にいい印象は持たれているが、騒音には不安視されている方もいた。




☆辺野古キャンプシュワブ周辺

     
     
     
   
   




何度も言う。結局、沖縄の基地問題について考え出すと、迷路に入り込んでしまう。元々ある米軍基地、それと共に生きてきた島民、その生活。それによる経済的な恩恵、それによる物理的、人為的な被害。こんな複雑な背景があるのに、なんでいつも報道内容は偏っているのか?この報道を真の情報として、大部分の国民は理解する。それは絶対違う。報道内容なんて一部の情報でしかない。なら、報道って何なのか?必要なのだろうか?




☆Glance in Ginoza village

     
     
     
     
   




☆今回も飲みまくったで