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日本全国離島シリーズ第17弾〜奄美大島・加計呂麻島・喜界島〜
「加計呂麻島はでかく・激しく、喜界島は小ぢんまり・時間が止まってたでー」



皆様、こんにちは。
 
今秋は、沖縄は一旦離れて、奄美大島、加計呂麻島、喜界島に行って参りました。奄美諸島に戻ったのは、沖永良部島を訪ねた2009年以来4年ぶりです。
 
今回ほど天候に恵まれたことはなかったかもしれません。奄美大島、加計呂麻島滞在時は、通り雨に何度か遭いましたが、その雨雲もすぐに流れていきました。喜界島滞在時は、本当に天気がよかったです。
 
前週に台風18号が本州上陸、滞在時は台風19号、20号が日本列島付近に接近。今回、台風の直接の影響は受けませんでしたが、台風20号の影響で海はしけていました。そのため、加計呂麻島滞在時に船をチャーターして、無人島であるハンミャ島に行く計画を立てましたが、波が4mということで船が出ず、喜界島滞在時は、地場の魚を食べたかったのですが、しけ続きでしばらく魚が獲れていない状態でした。

奄美大島はでかい。沖縄本島まではいきませんが、その大きさをなめていました。名瀬から南側の道はwindyでupdownの連続です。それでも名瀬から古仁屋までの東側の国道58号線はまだましでしたが、西側は峠を3つ越えないといけない。名瀬で原チャリしか借りられませんでしたので、これにバックパックを積んでの移動。宇検村の奄美大島海運酒造で名瀬まで原チャリで帰る旨を伝えると、西側ルートはお薦めされませんでした。

さらに、奄美大島はトンネルが至るところにあります。全長数100mから2kmを超えるものまで多様です。片側1車線の中、トンネルに差し掛かる度にびびっていました。原チャリの後ろを追走する車に申し訳なくて・・・。


喜界島 サトウキビ畑の一本道




喜界島 スギラビーチ





加計呂麻島 須子茂海岸
 
 
加計呂麻島も思っていたよりもでかい。さらに、ここでもひたすらwindyでupdownが続きます。こんな激しい島に陸連公認のハーフマラソンコースがあります。こんなupdownが激しく細い道に折り返し地点があるコースでマラソンなんて信じられません。
 
一方、喜界島は小ぢんまりフラットです。原チャリでも数時間もあれば十分に島を回れる規模です。どちらかと言うと、これまで回った沖縄の離島に近い感じがしました。喜界島では、空港売店で原チャリが借りられます。奄美大島では、空港から名瀬市内までバスで1時間程掛かるのに対して、喜界島では空港と市街地が一体です。アクセスの良さ。しかも、フラットな上に車も少ないし、走っていて無茶苦茶気持ちよかったです。

奄美大島、加計呂麻島にはハブがいます。奄美大島よりも加計呂麻島の方がハブの数は多いそうです。ハブを捕まえて保健所に持っていくと4,000円もらえます。加計呂麻島から奄美大島側の港がある古仁屋までは船代が往復520円。となると、加計呂麻島で1匹ハブを捕まえて古仁屋に持っていくだけで、520円も船代が掛かるので、島人はハブを何匹が貯めて持っていくか(その間、ハブを飼うということになります)、もしくは加計呂麻島にいる仲買人に渡します。名瀬の街中でも雨が降った夜などはハブが出てくるそうです。ですから、名瀬でも加計呂麻島でも、暗くなると絶対草むらに入らないこと、と島人から念を押されました。





奄美大島 宇検村近辺


喜界島 ハワイ



 
一方、喜界島にはハブはいません。そのため、喜界島では夜でも短パン・ビーサン姿で島中どこでもフラフラできます。奄美大島の人も羨ましがっていました。喜界島では夕方遅くなっても畑仕事ができるのはいい、と。奄美大島と喜界島は、飛行機で10分程の距離なのに全くタイプが違います。
 
滞在中は、いつもながら食いまくり飲みまくりでした。沖縄では沖縄そばばかりを食べていますが、奄美大島では鶏飯を食べまくりました。今回、鶏飯を初めて食べましたが、あっさりした鶏のスープをご飯にかけて食べる。具材は、鶏肉、錦糸卵、柚子、生姜、葱、椎茸、海苔等。これにはまりました。素朴な味でうまい。

黒糖焼酎にも感動です。深い、色々種類があって。すっきりした味にほんのり黒糖の風味が残る。残念ながら、内地では飲める黒糖焼酎が限られます。泡盛もいいですが、黒糖焼酎もいい。島人曰く、黒糖焼酎を飲んでると泡盛はくどい。

名瀬に「郷土料理」という店が多々あります。ここではメニューは店お任せとなります。とにかく、すごい数の料理が来ます。ある店で言われました。これに慣れると太る。且つ、飲み放題でトータル3,000円〜4,000円。かなりコストパフォーマンスがいいですが、その後は何も食えません、腹いっぱいで。


喜界島 百之台国立公園からの眺め





加計呂麻島 渡連海岸


加計呂麻島 諸鈍長浜



 
 
名瀬と喜界島には、やたらとスナックがありました。名瀬のその数にはびっくり。昔はもっとあったそうです。こんなに店があって、女性スタッフは足りているのか?結局、足らない分、内地からの人間を採用したり、ダイビングで来島している連中がバイトしているようです。喜界島でスナックに行ってみましたが、楽しかったですよ(後述)。
 
さて、今回も十分に満喫しました。私なりの離島でのスタイルが確立されているので、旅を重ねる毎にその完成度が増しているような気がします。十分に「オフ」の時間を楽しめましたので、またしばらく「オン」の生活に戻ります。
 
次回はまた沖縄に戻る予定です。では、また春に会いましょう。
 
P.S.
今年もシーズンが終わった。読売優勝時に江戸にいなくて良かった。8月末のドームでの3連敗の際も出張で関西におり、この点は非常に恵まれている。あーあ、この1ヶ月の虎のていたらく。情けない・・・。
 
トラよ、来年こそほんまに頼む
湘南より愛を込めて
14/Oct/2013
Manabu Kato




加計呂麻島 於斎




☆Glance in Amami Vol. 1



























Topics Vol. 221 - 227

 でかい、加計呂麻島

残念ながら、名瀬では原チャリ以外借りられなかった。奄美大島は南北に100km程あり、windyでupdownな道が続く。原チャリでは少々しんどいので、できれば100ccを借りたかったが、レンタバイク屋の選択肢がなかった。事前に別のホテルで原チャリなら借りられるとの情報を得て予約しておいた。名瀬から南端の古仁屋まではトンネルが続く。このトンネルの数が多く、トンネルに近づくとぞっとした。トンネル内はきれいに舗装されていたが、ヘコヘコ走る原チャリの後ろの車に申し訳ない・・・。
 
ジャングルのような原生林の所々で針葉樹が茶色に変わっていたので、
「針葉樹のみ紅葉なんやろか???」
と不思議に思っていたら、松くい虫の被害を受けた針葉樹が島全体に広がっていると判明。この規模にはびっくりで、その被害は人間の手には負えないほど。




古仁屋港と加計呂麻島間の町営フェリーは1日7便ある。加計呂麻島生間港まで20分、瀬相港まで25分、片道260円で交互に運航される。当初は1ヶ月ほど船がドック入りするので、代替船舶では車両等は載せられないと知らされていた。
「どうやって原チャリを運ぼうか?」
 
名瀬から古仁屋までの道中でその手段を考えていたが、港に着くとドック入りが延期になった、と。これはラッキーと思う一方、いい加減な対応と思わざるを得なかった。港になんらその知らせは掲示されてないし、宿の方でさえ知らなかった。

原チャリを船に載せるのには片道+260円。船料金にしては他に比べるとかなり安い。加計呂麻島に渡るとその理由がよく分かった。加計呂麻島にほとんど店がない。商店がポツポツ集落に点在するが、買えるものが限られる。そのため、島人は電車に乗るような感覚で対岸の古仁屋まで買い物に行く。古仁屋港すぐ近くにAコープがあるので、老人でも歩いて買い物に行き、数時間後の船でまた島に戻る。これが船代片道1,000円もしたらきついが、往復500円程ならリーゾナブルである。
 
加計呂麻島の交通の便は、何と言っても加計呂麻バスであろう。島を走っている際にバスによくすれ違ったし、各集落にバス停がある。バス停と言っても、実際は各自の家前で降ろしてくれる。船が港に着く時間に合わせてバスが数台待機しており、そのバスが島の各方面に島人を乗せて出発する。updownが激しい加計呂麻島では、車がないと移動はきつい。若い人間ならまだしも、ご年配の方ともなると加計呂麻バスがないと島で住むのはきつい。




















加計呂麻島でまず感じたのは、「思った以上にでかい」。両端50km程あり、集落間はwindyでupdownの道が続く。大体、これまで訪れたどこの島にも宿、商店、食事処、飲み屋が集まる場所があるのだが、加計呂麻島にはそういった集落がない。宿は集落単位で点在し、その宿の近くに飲み屋があるという訳でもない。私は、島に渡る時はいつも飲み屋に歩いて行けそうな宿を探す。宿で軽くめし食って、徒歩で飲み屋に行くのがいつものスタイル。しかしながら、事前に調べた感じでは、加計呂麻島にはそういった場所がない。
 
「なら、適当に飲めそうな宿に泊まろう。」
と思い、生間港から原チャリで5分程走ったスリ浜にある「ハウス in カケロマ」というおしゃれなペンションに泊まった。もちろん、これまでの旅でペンションに泊まったのは初めて。シーズンオフで宿泊者も少なかったので、宿の正子さん、稲さんから色んな情報を教えて頂き、めしもうまかった。隣りの「マリンブルー」で毎晩飲めたし満足できた(後述)。加計呂麻島の色々なビーチの中で、ここのスリ浜が一番綺麗だったかもしれない。スノーケリングでも十分珊瑚、熱帯魚達を見ることができ、何と言っても宿の目の前で朝日が昇る。これがなかなかの絶景。









 


加計呂麻島では、至る所に綺麗な海岸が見られた。ダイビング店もいくつも見かけ、上述したが、スノーケリングならスリ浜がベストであろう。リアス式海岸なので、その所々で表情が違った。台風20号の影響で海はしけ気味だったため、波が高い海岸もあったが、入り江では穏やかな海が広がっているところもあった。島の東西と南北では、風向きによって両岸で表情が違うのは通常だが、加計呂麻島では同じ側の海岸なのにその湾の具合によって表情が違った。
 
島の天気も各地で異なる。島全体が山で雲が発生しやすく、5kmも離れていない集落で天候が違った。瀬相では晴れていたのに、少し走った集落では雨が降っていた。空は晴れているのに雨が降っている時もあり、かと言って、雨はすぐに止む。
 
こんな激しい島に陸連公認のハーフマラソンコースがあるのにはびっくりした。コースはスタート地点からゴールまで1km毎に印が立っている。ここが島では比較的平坦な道?らしいが、とんでもない。updownが続き、道が細いところが多々ある中、折り返し地点があるコースである。参加者数に寄るだろうが、ランナー同士うまくぶつからずにすれ違えるのだろうか?給水所、トイレの設置は大丈夫なのだろうか?私が毎年参加する南アルプス桃源郷マラソンの過酷さとは比較にならない。



無理、こんな過酷なコースは走れん


ある日、島人と加計呂麻島のお土産について話したが、塩以外思い当たらない、と。島にみやげ物屋さえも見かけなかった。いくつか食べる所はあるが、申し訳ないが味は普通。食べる所が限られるので、観光客向けというよりは、地元の人や仕事の人相手の店舗と言った方がいいかもしれない。郷土の味に拘っている訳でもない。
 
宿の人とも話した。何度も言うようだが、加計呂麻島はでかい。且つ、綺麗な海が至る所にあるのでそこそこ見所がある。海がしけていなければ、船をチャーターして無人島のハンミャ島にも行きたかった。予路島、請島にも足を伸ばしてもいいと思った。それなのに、昼間に島に着いて、翌日帰られる観光客が多いのは勿体ない。
 
スリ浜で泳いでいる最中、自分の不注意でデジカメを濡らせてしまった。カメラ防水カバーに隙間があって、そこから水が入り、気づいた時には遅かった。電子機器はほんまに水に弱い。乾かせば何とかなるかもと思い、宿のドライヤーでデジカメに風を吹きつけ続けたが機能しなかった。正子さんにも心配して頂き、是非加計呂麻島の海を記録に残して帰ってほしいと言われていた。あの綺麗な海の中を撮れなかったのには悔いが残った。しばらく落ち込んだが仕方がない。スリ浜には沖縄では見たことがなかった珊瑚もあった。枝がやたら細い珊瑚や、一言で言うなら、ゴツゴツしたたくましい珊瑚。スリ浜全体に海の中の別世界が広がっていた。加計呂麻島でやり残したことは、この海の中の世界を記録できなかったこと。機会があれば、この忘れ物を取りにまたここに戻って来たい。 




☆「男はつらいよ」第48作ロケ地










 鶏飯 & 郷土料理

沖縄を旅している際は、いつも沖縄そばを食べまくっていたが、奄美大島では鶏飯を食いまくろうと決めていた。結論から言おう、鶏飯のうまさをなめていた。鶏のダシが利いたスープを鶏肉、錦糸卵、柚子、生姜、葱、椎茸、海苔等が乗ったご飯に注いで食べる。スープの味付けは、塩ベースで至ってシンプル。このバランスが非常によく、鶏の風味を感じながらお茶漬け感覚で米を食う。くどさのない素朴な味で、これはいける。お櫃に入ったご飯は茶碗3杯分はあり、価格的には1,000円前後。これにははまった。

1日を通してできる限り色んなものを食べ、黒糖焼酎もできる限り色んな種類を飲みたかった私は、大変申し訳なかったが、お櫃に入ったご飯をいつも半分ほど残していた。鶏のスープを吸ったご飯を食べ切ると、他のものが食べられなくなる。また、鶏ダシのスープに具材だけを入れ、スープとして飲みたい気持ちもあった。こちらの方がスープの風味をより味わえる。お櫃半分のご飯を鶏飯として食べ、残りのスープに具材を入れて、鶏スープとして食する私の方法は結構お薦め。
 
空港から車で10分程の鶏飯の元祖「みなとや」に行ってはみたが、着いたのは夕方。おそらく休憩中だったのだろう。残念ながら時間帯が合わず入られなかった。古仁屋から直行したら間に合ったかもしれないが、寄り道して、それはそれで楽しかったし、次回の楽しみに取っておこう。
 
名瀬には郷土料理という看板の店が多々ある。私は、ホテルのフロントに勧められた「喜多八」とマリンブルーのお父さん(後述)に勧められた「楽天」に行ってみた。郷土料理の店は、いわゆる店お任せのメニューである。「喜多八」は観光客が多く、メニューすべてが郷土料理で、一方、「楽天」は地元客がほとんどで、郷土メニューもあれば、ママさんの手料理もあった。共通しているのは量が多いこと。あの量は半端でない。小鉢にして7品ほどで、1品のボリュームがそこそこある。お酒は飲み放題。これで1人3,000〜4,000円。この量と酒代を考えると、コストパフォーマンスはかなりいい。但し、完食後は腹がかなりきつく、もしその後はしごするつもりなら、その摂取量を調整した方がいい。店で会った常連さん曰く、この料理を食べ続けると太るよ、と。
 
正直な話、もう一度郷土料理の店に行けと言われれば、私は断る。料理はうまいしコストパフォーマンスもよい。ただ、次に行けない・・・。それぐらい腹がきつかった。 



☆郷土料理「喜多八」















☆郷土料理「楽天」



☆鶏飯





古仁屋「丸屋」

宇検村「宇検食堂」



喜界島「十兵衛」


名瀬「よろこび庵」





鶏飯元祖「みなとや」
食いたかった・・・



☆「ハウス in カケロマ」の夕食













加計呂麻島「飯屋たづき」

加計呂麻島「晴空」

喜界島空港売店




 マリンブルー in 加計呂麻島 & 名瀬

名瀬に着いた夜は、雨がパラパラするすっきりしない天気。ホテルで教えてもらった郷土料理「喜多八」に行った後、時折強い雨が降る中、郷土料理で満腹であったが、時刻はまだ22時。折角の名瀬の夜をこのままホテルに帰るのは勿体ない。そこで、新しい町を訪れるといつもやるように、面白い店を探しながら、名瀬市街の繁華街屋仁川通り近辺をフラフラしていた。
 
屋仁川通り近辺には、やたらとスナックがある。こんなに数があって、スタッフの乙女達の数は足りているのだろうか?それと、ダンスホールも所々見かけた。どこの通りを歩いても、カラオケの音が聞こえてくる。何ヶ所かに入ってみようかとも考えたが、気が乗らなかった。
 
屋仁川通りから少し離れて裏通りに行ってみることにし、「カトリーヌ」という看板の店を見つけた。入口は2階、裏通りであることを考えると、表通りよりも少し落ち着いて飲めるかもしれない。しかし、ドアの近くまで行くと、ここからもカラオケの音が聞こえた。一瞬、入るかどうか迷った。名瀬まで来て、カラオケなんて歌う気もないし・・・。しかしながら、いつもの野生の感だろうか、なんかこの店に惹かれてドアを開けることにした。
 
店は、カウンターが6席、テーブル席が3つ、カウンター隅にカラオケが置かれていた。カウンター越しの棚には、洋酒の他、常連さんの黒糖焼酎のキープボトルが並んでいた。ビールサーバーはオリオンビール。やはり名瀬でもオリオンビールが好まれるのだろうか?店のお客さんは、いかにも地元の常連さんという格好で、カウンターに数人、テーブル席2つに数人いた。マスターは見るからに紳士っぽく、美人熟女ママもカウンター内にいた。
 
私は、郷土料理で腹いっぱいだったが、いつも思うが離島ならではなのだろうか・・・。こういう飲み屋でもそこそこの量のお通しが出てきた(もう食えんって・・・)。店の方、及びカウンターにいた地元の方も、私を一目見て島の人間でないことを察した。マスターに飲みものを聞かれ、とりあえず、私はオリオンビールをグラスで頼んだが、次に色んな種類の黒糖焼酎を飲んでみたい旨を伝えると、グラスで供給可能な黒糖焼酎を順に出してくれた。このおもてなしには感激。なんといい店だ・・・!!
 
マスター、ママ、カウンターにいたお客さんからは島の色んな裏話を教えて頂いた。翌日から加計呂麻島に行く旨を伝えると、「カテリーナ」からすぐ近くにある「マリンブルー」という店のマスターが加計呂麻島出身で、加計呂麻島では宿を経営している、と。
 
「せっかくなので、マリンブルーに行ってみたら?」
と言われたが、このまま他の店に行っては、「カテリーナ」のマスター、ママに申し訳ない。そこで、私は、
 
「今日はここで飲みたい。」
と伝え、短い時間であったがここで楽しい時を過ごせた。加計呂麻島から名瀬に戻ったら、必ずここに顔を出す旨を伝え、店を後にした。




加計呂麻島での寝床である「ハウス in カケロマ」に着き、その両隣に建物があった。向って左側の建物が飯屋っぽく(実際はコテージの食堂であったが)、宿でめし食った後はここに飲みに来ようと決めていた。加計呂麻島初日の夜、この店に入っていくと、所々で食事をされている方がいた。目の前の砂浜ではキャンプしている連中がいたので、外は騒がしかった。店では、小柄な乙女が私を空いているテーブルまでナビしてくれ、私ができれば色んな黒糖焼酎が飲みたい旨を伝えると、メニューにない冷蔵庫の上に並んだ1升瓶を指差し、これでよければということで薦めてくれた。私は、片隅の窓際にあるテーブルでロックとチェーサーで黒糖焼酎を楽しんでいた。
 
私の場所から一つ挟んだテーブルで、やたら騒いでいるグループがいた。上半身裸のおっちゃんに地元の人っぽい3人とおばちゃん。
 
「できれば彼らに絡まずに飲みたい・・・。」
と心の中で思っていたが、黒糖焼酎の注文を聞きに来てくれた乙女が、そのグループのテーブルに座って一緒に飲み始めた。しまった、面倒臭い・・・。しかし、グラスが空になったので、私は次の焼酎を飲みたい。そして、焼酎を頼む際に、そのグループがいたテーブルの乙女に注文しに行くと、案の定、そのグループから一緒に飲まないか誘われた。参った、でき上がっている騒がしい中に入って行きたくない・・・。と言いながらも、ネタになるかもしれないと思い、このグループに参加させてもらうことにした。
 
上半身裸のおっちゃんは、ここのオーナー。コンドミニアムを経営し、この場所が宿泊者用食堂。周りで食べていた方はここの宿泊者で、このグループの他3人は、宿の工事のために名瀬からやってきた大工さん。おばちゃんはここのおかあさん。私に注文を取りに来た乙女は、おとうさん、おかあさんの息子の彼女。ここの宿名は「マリンブルー」。どこかで聞いたことある・・・。おとうさんは名瀬で「マリンブルー」という店を経営している。おやー???私は、おとうさんに、
 
「名瀬の「マリンブルー」の近くに「カテリーナ」って店ないですか?」
と話を振ると、その通りで、おとうさんのボトルが「カテリーナ」に残っているので勝手に飲んでもいい、とも。なんという偶然。前日に「カテリーナ」のマスター、ママから教えて頂いた店は、ここのおとうさんが経営している「マリンブルー」で、加計呂麻島の「マリンブルー」の隣の宿に私は泊まったのだ。
 
「マリンブルー」のおとうさんは非常におおらか、言い方を代えると豪快で、私にも皆さんが飲まれていた1升瓶の黒糖焼酎を勧めてきた。遠慮せずに飲め、と。おとうさんは、週の後半は加計呂麻島に帰ってきて、週の真ん中は名瀬にいる二重生活。私はその週の水曜日に名瀬に戻る旨を伝えると、おとうさんも水曜日には名瀬に戻る、と。大工さん達も水曜日の午前中には一旦仕事を休止し、名瀬に戻る予定。ということで、水曜日に名瀬で集合しようという話になった。
 
すっかり皆さんと仲良くなった私は、加計呂麻滞在中の夜は、毎晩ここで皆さんと一緒に酒を飲んでいた。私が皆さんのテーブルに行くと、おとうさんは机に置かれている焼酎を私にも勧めてくるが、始めからこれを頂くのは申し訳ない。あくまでも私は客なので、おとうさんのご厚意とは別に、いくらかは注文し売上げに貢献しないといけない。最終日ともなると、おかあさんから、
 
「自分で飲みたいのを適当に自分で注いで来て。」
といった感じにまでなっていた。おとうさんは、いつ見ても上半身裸。その息子さんもそう。3日間も一緒に飲んでいると、皆さんとかなり親しくなり、奄美大島の色んな裏話が聞けた。結果的に初日に皆さんに合流したことによって、こうやってネタになった。
 
名瀬に戻って、「マリンブルー」のおとうさんに教えて頂いた郷土料理「楽天」で腹いっぱい食べ、大工さんたちと約束した21時頃に名瀬の「マリンブルー」に入った。店はカウンターとテーブル席、それにバンド演奏の舞台がある。ここでは水、金曜日と生バンドでカラオケが歌える。カウンターには、大工さんの一人が先に来て飲んでいた。島での作業着と違って、Yシャツ、スラックスというよそ行きの服装をしていたが、靴がスニーカーだったのはいかにも大工さんらしい。それと、カウンターには加計呂麻島「マリンブルー」のおかあさんもいた。おかあさんから名瀬に行くかもと言われていたが、本当に来ているとは・・・。そこに、大工さん2人も合流し、なんと、前日に名瀬入りしていた加計呂麻島「マリンブルー」の乙女もやってきた。まさか加計呂麻と同じメンバーで名瀬の店のテーブルを囲むことになるとは・・・。他に、加計呂麻島の屋台のラーメン屋の大将も、店が休みなのでここに遊びに来ていた。店は加計呂麻関係者が大半を占めていた。
 
バンドメンバーはおとうさんの知人のおっさんばかり。おそらく皆さん60歳は超えている。お客さんが歌詞が書かれた本から歌いたい曲を選び、バンドの皆さんが演奏する。すごいのは、バンドの皆さんは、歌詞本にある曲はほぼ弾ける。このご老人たちが立派なものである。客もご年配の方が多く、さすが客のニーズに合わせている。何種類かの老眼鏡が置いてある。その老眼鏡をかけながら歌うのである。
 
「マリンブルー」で皆さんと楽しみたかったが、私にはもう1軒行くところがあった。そう、「カテリーナ」である。戻って報告することを約束していたので、名残惜しかったが、途中で「マリンブルー」にお別れをして、「カテリーナ」に向った。「カテリーナ」では、ママが私のことを心配していた。私が無事帰って来られたかどうか。。。
 
加計呂麻島から名瀬に戻る際、私はかなり遠回りをした。古仁屋から西側の久慈方面に向い、当初は近大のマグロ養殖所を見たかったが、場所がよく分からず、引き返すことになった。しかし、久慈から長柄までは通行止めと知り、宇検村方面に行くために篠川まで戻ることに。それから峠を越えて、宇検村の奄美大島海運酒造に立ち寄った。そこから西側の遠回りのupdown道を通って名瀬に入り、北側を目指した。最終的に島の北側のあやまる岬で折り返し、名瀬に戻ったのは19時近く。我ながら原チャリでよく走ったと思う。
 
それにしても、島の皆さんは原チャリに対してひ弱なイメージを持ちすぎ。海運酒造でも島の西側は名瀬までガソリンスタンドが3ヶ所しかないので、こまめにガソリンを補給することを勧められたが、原チャリはリッター40kmは走られる結構タフな奴なのである。そんなことは当然「カテリーナ」のママは知らず、原チャリで加計呂麻まで行くことはありえないと思っていた。
 
「カテリーナ」では、加計呂麻島での日々を報告した。名瀬に着いて何気なく入った「カテリーナ」からすべてが始まった。加計呂麻島に行く前に名瀬の「マリンブルー」に入っていれば、ここまで面白い展開ができていなかったかもしれない。

















☆加計呂麻島「スリ浜」・・・加計呂麻島で一番のお薦め
















☆Glance in Amami Vol. 2






















 こんなところにもトラが・・・ in 実久海岸〜加計呂麻島〜

今年もトラのシーズンが終わった。何度も言うようだが、私はCSのような敗者復活戦には興味がない。シーズンで優勝できなければそれで終わり。CSは、球団の売上げやシーズン後半の観客動員を増やす狙いで始まったが、たかが6チームしかないリーグで2チームも敗者復活戦に出られるのはどうかと思う。読売優勝時に江戸にいなかったことが唯一の救いである。
 
加計呂麻島西端の実久海岸を訪れた時のこと。updownが続くwindyな道を走り、行き着く先には綺麗な白い砂浜が広がっていた。集落では珊瑚の石垣の民家が並び、この風景だけ見ると沖縄っぽい。何軒も家屋がないこんな小さな集落に海水浴用レンタル具が置かれた雑貨店「はまのお店」があった。何気なくそのお店の入口を見ると、な、な、なんと猛虎の暖簾が掛かっているではないか!!!窓から店を覗くと、トラッキーもぶら下がっている。ちょうどその時、店のおばちゃんが郵便受けに何かを取りに来たので、何気なく、
 
「阪神ファンですか?」
と聞いた。聞くと、おばちゃんは過去に関西にいた時期があり、当時は甲子園まで応援に行ったことがあるほどの阪神ファン。ここに来る前日に読売が優勝を決め、おばちゃんと今年も・・・といった話をした。店内は阪神の暖簾が掛かっているだけではなく、トラッキー、カレンダー、旗、各種阪神グッズが多くあった。実久海岸ではキャンプができ、キャンプ客がここにものを買いに来る際にこの阪神グッズを見て、阪神ファンの客がグッズを送ってくれるらしい。ただ、送ってもらったアニキ金本のグッズは勿体なくて開けられない、と。









おばちゃん、絶対来年はまた飛び込もう。我々の選手たちがやってくれるはず・・・。


店の棚に飾られたトラッキーぬいぐるみの横に、な、な、なんとジャビットがいるではないか???この状況に私は唖然とした。なぜトラッキーの横に天敵ジャビットがいるのだろうか???おばちゃんに理由を聞くと、トラッキー1人では寂しくて可哀想だから・・・、と。その気持ちは分かるけど、なんでその連れがジャビットやねん!?あかんで、おばちゃん。
 
おばちゃんは、2003年の阪神優勝時、余りのうれしさに道頓堀川に飛び込む代わりに、目の前の防波堤から海に飛び込んだ。その後、海で魚が獲れなくなり、集落で冷やかされたらしい。まさかこんなところでトラに会うとは・・・。おばちゃんは、今の生活を考えると到底甲子園まで足を運べない、と。おばちゃんの代わりにわしが応援するしかない。
 
阪神のフロント、首脳陣よ。こういったところにも阪神を一生懸命に応援してくれるファンがいる。ここ数年、選手がほとんど変わっておらず、外から取った選手ばかりがレギュラーを張っている。もっと育成に力を注がんかい。外から取って来た選手は、年齢もそこそこいっているので、長いシーズンをフルに働くことは計算できない。となると、選手層を厚く、144試合戦い抜くだけのチーム力が必要やろ?それには自前の選手、若手の育成しかない。
 
今シーズンもそう。8月末でばててきて、9月の戦い方は情けないの一言しかない。昨年5位からの今年2位の躍進は認めるが、本当の意味でのチームの力はまだまだ足りない。近い将来、実久のおばちゃんがもう一度防波堤から海に飛び込んで優勝を喜べるように何とかしてくれ。 




加計呂麻島 実久海岸




☆Glance in Amami Vol. 3






















 黒糖焼酎

5年前の沖永良部島では黒糖焼酎の蔵元を回り、今回の島滞在時は黒糖焼酎を飲みまくったが、印象としては「黒糖焼酎は飲みやすい」である。この5年間沖縄の蔵元を回りまくり、よりお酒に対して深く考えるようになり、今回、また奄美諸島に戻ってきた。沖永良部で黒糖焼酎を飲んだ頃よりも私の舌は肥えているし、黒糖焼酎の見方も違うはず。そう思って、今回改めて黒糖焼酎を飲みまくることを楽しみにしていた。
 
黒糖焼酎は、すっきり且つ黒糖の甘い風味が残るのが特徴。タイ米に黒麹を使った黒糖焼酎は、原材料の影響でどことなく泡盛に似ている。内地では「れんと」「里の曙」以外なかなか黒糖焼酎の種類を見ないが、実際この地に来てみると、まあ、たくさん種類のあること。この2種類は奄美大島でもスタンダードで飲まれ、飲み屋のボトルもこれらが多かった。それ以外の黒糖焼酎として、「高倉」「まんこい」が比較的広く飲まれていたが、両方とも飲みやすくてうまい。喜界島では、喜界島産としては「朝日」「しまっちゅ伝蔵」のどちらかがよく飲まれていたが、個人的には「朝日」は少々癖があり、「しまっちゅ伝蔵」の方が飲みやすくおいしかった。
 
蔵元としては、「れんと」の奄美大島海運酒造、「高倉」の奄美大島酒造、「しまっちゅ伝蔵」の喜界島酒造を訪れ、奄美大島海運酒造では見学させて頂いた。正直、「れんと」のような大企業には余り興味がなかったが、久米島で訪れた「久米島の久米仙」同様、当初のイメージがよくなかった成果、見学後はすごくいい印象が残った。海運酒造の方にはすごく親切に接して頂いた。
 
思っていた通り、黒糖焼酎の原材料となる黒糖は、奄美諸島産だけでは数が足らず、沖永良部島同様、沖縄およびボリビアより仕入れていた。島だけの消費なら県産のみでも足りるかもしれないが、全国出荷ともなると仕方ない。原材料が黒糖のみだとラム酒になってしまうので、黒糖焼酎には米麹も使う。アルコールも45%を超えるとスピリッツとなり、酒造免許も異なり、黒糖焼酎のアルコールは45%未満でないといけない。米麹でもろみを作り、黒糖を添加して発酵させ、その後、蒸留、貯蔵、瓶詰めという流れで焼酎が製造される。海運酒造が使用するのは、奄美大島で一番高い湯湾岳から引っ張ってきた水。奄美大島の焼酎がおいしいのは、高い山がたくさんあるのでおいしい水が豊富にあるため。
 
大量生産できる設備があるところが「れんと」「里の曙」で、それ以外はそんなに多く製造できないので、内地までなかなか出回らない。海運酒造では、貯蔵タンクにスピーカーを当て、音でタンク内を振動させていたのには驚き。それで、貯蔵中の水分子の運動を活発にする。ちなみに、かける音としてはクラッシックがいいらしい。というのも、曲に幅広い音域があるから。一度、長渕剛が見学に来た際は、その音を長渕の曲にし歓迎したそうである。樽貯蔵するための樽はヨーロッパから輸入している。ここで10年ものの蔵出し「武彦」と宇検村産黒糖のみを使用した「FAU」44%を購入した。「武彦」は熟成感がよく感じられ、「FAU」はさとうきび風味が非常にいい。「FAU」はアルコールが高いので、結構きつい酒であるが、黒糖焼酎独特のほどよい甘い風味が口の中で心地よく感じられる。
 
色んな黒糖焼酎を飲んだ中、私が思う一般うけするのは「高倉」ではないだろうか?癖もなく、ほどよいさとうきびの風味が口の中に残る。喜界島では「しまっちゅ伝蔵」であろう。残念ながら、蔵元である喜界島酒造では直売はなかったが、島でも「朝日」よりも「しまっちゅ伝蔵」の方が人気があるらしい。
 
いやー、泡盛もいいけど、黒糖焼酎もいい。思ったより深いし、種類もたくさんある。今回飲んだ銘柄は、覚えているだけでもこれら以外に「せんごれ」「竜宮」「やんご」「じょうご」「浜千鳥乃詩」「緋寒桜」「長雲」「加那」「俊寛」・・・。いづれ沖縄で泡盛の蔵元をすべて回ることを考えているが、黒糖焼酎もいいかも。 





























☆奄美大島海運酒造
























☆奄美大島酒造









☆喜界島酒造










☆Glance in Kakeroma Vol. 1




























☆Glance in Kakeroma Vol. 2




















 ハワイ??? in 喜界島



喜界島 スギラビーチ
見るだけなら島で一番のお薦め


喜界島はまだ観光化が進んでいない。その理由として、船は鹿児島から奄美諸島を回る便があるが不定期で、飛行機は奄美大島から喜界島までたかが10分程なのに片道10,000円近くする。喜界島はいわゆるダイビングの穴場の島。まだ観光化が進んでいない中、手付かずのダイビングスポットがかなりあるという。島にダイビングショップを見かけなかったが、通のダイバーは自身で船を用意して、穴場のダイビングスポットを探すために島を訪れる。加計呂麻島でデジカメを壊してしまった私は、何とか喜界島だけでも海の中の世界を記録に残そうと思い、名瀬にあるヤマダ電機で安いデジカメを購入した。
 
喜界島では、空港売店で原チャリを借りられるのがよい。シーズンオフのこの時期は、予約もなしに借りられた。奄美大島や加計呂麻島に比べると、喜界島の雰囲気は全く異なる。奄美大島からたかが飛行機で10分でこの違いは・・・。隆起珊瑚の島にはハブはおらず、道はフラットで原チャリでも2時間はあれば島を十分回れる。信号機は島に一つしかなかった(加計呂麻島では見かけなかったが・・・)。島到着時、台風20号の影響で波が高くしけていた。宿は港近くの「碇山旅館」にした。と言っても、飛行場から港までは歩ける距離で、港と空港近辺に集落が広がる。宿から飲み屋まで歩けるし、飲み屋が点在する。私の求める理想的な環境である。
 
名瀬ではホテル、加計呂麻島ではペンションに泊まり、私らしくなかったと言えばそうだが、久しぶりに旅館に泊まると始めは戸惑った。トイレ・風呂は共同で、部屋にタオルはない。今まで何とも思っていたこの環境・・・。しまった、ホテル、ペンションと贅沢をしてしまった。しかし、数時間もすればいつもの感覚に戻った。
 
喜界島では、私はどうしても海の中の別世界の記録を残したく、宿の方にスノーケリングのお薦めの場所としてスギラビーチとハワイを教えてもらった。スギラビーチは空港裏にある人工的に作られた場所。白砂が広がり、透明度が高く、波は穏やかで無茶苦茶綺麗だった。島を代表するビーチでもあり、喜界島というと、ここかサトウキビ畑の1本道が写真に出るのではないだろうか?スギラビーチに入ってみると、魚はいたがカラフルな珊瑚はなく眼下には白砂が広がっているだけ。確かに外から眺めるには最高であるが、私は海の中の珊瑚、熱帯魚達の別世界が見たいのである。毎年、南国に来て泳いでいるのもそのため。湘南に遊びに来た仲間が、なぜ私が湘南の海に入らないのかよく聞いてくるが、湘南では海に入ろうとも思わない。沖縄の海を見ると、申し訳ないけど湘南の海には入る気もしない。
 
ハワイは、宿の方に穴場のお薦めビーチとして紹介された。島の北側の小野津近辺の穴場のビーチで、空港でもらった地図にも載っていない。小野津からトンビ崎方面に向って、海の方を見ながら走ればハワイと書かれた石があるから、分からなかったら小野津で人に聞け、と。私は小野津の集落に向い、その近辺をブラブラしたが、なかなかハワイが見つからない。地図にも載っていない場所なので、何度も小野津周辺を往復した。人に聞こうにも集落に人を見かけない。且つ、風が強くなり寒くなってきたので、ハワイは翌日チャレンジすることにし、その日は宿に戻った。
 
翌日は台風からの風も和らぎ、午前中、宿の方に車でハワイまで案内して頂いた。ここか、ハワイは。ハワイは、小野津というよりはトンビ崎の近くにあった。なぜハワイという名前なのか、宿の方も知らなかった。
 
教えられた通り、全くのプライベートビーチ。誰も人が来ないし、車も通り過ぎない。幅が数10m程の砂浜が隆起珊瑚の間に存在する。珊瑚の外海はまだ波が高かったが、内海であるハワイでは波も穏やかで十分スノーケリングを楽しめる環境であった。私は潮が少し引いた午後にハワイに戻り、2時間近くハワイを楽しんだ。海の中の別世界は、カラフルな珊瑚とまではいかなかったが、黄色や青色の珊瑚が眼下に広がり、熱帯魚達も楽しそうに泳いでいた。

いやー、南に来てやっぱりこの世界を見て記録に残さんとな。名瀬のヤマダ電機でデジカメを購入してよかったで。喜界島では、いくつかビーチを回ってみたが、スノーケリングならハワイ、見るだけならスギラビーチがお薦めかな。 


右端の窪地がハワイ









泳ぐなら島で一番のお薦め
























☆Glance in Kikai Vol. 1


































 時がゆっくり・・・ in 喜界島

飛行機で奄美大島を出発した直後に喜界島への着陸態勢に入る程、飛行機では奄美大島から喜界島へはすぐの距離。喜界島に着いた私は、空港売店で原チャリを借りた。2泊3日で3,000円。名瀬で3泊4日が8,000円だったことを考えると、かなりお得と思う。喜界島は隆起珊瑚でできた島で、周囲50km程、原チャリでも2時間もあれば十分に回れるフラットな島。正直な話、今回の訪問で喜界島に行くかどうかは最後まで迷った。何と言っても、交通が不便なのである。船では時間がもったいないし、飛行機ではコストが高すぎる。観光化が進んでいない。私が泊まった宿でも宿泊客の90%以上は仕事関連だそうだ。
 
加計呂麻島ではupdownでwindyな道を走りまくっていたので、喜界島のフラットな道は非常に気持ちよかった。観光客は見かけないし、歩いている地元の方もほとんど見かけなかった。交通量も多くない。喜界島滞在時は本当に天気に恵まれ、沖縄ほど日差しが強くなかった。空港から港近辺の集落は、徒歩圏内にあるのもよく、私が宿泊した港近くの「碇山旅館」からも中心部の飲み屋、スーパーには徒歩で行ける。普通の小さな町であり、スーパーや飲み屋もある。加計呂麻島の人が、喜界島は加計呂麻島よりも都会と言っていたのが納得できた。
 
宿泊客は私一人。一人のために晩飯の支度をしてもらうのは申し訳なかったので、私は宿の方にいくつかお薦めの店を教えて頂いて、夜は外で食べることにした。初日の夜、「花のれん」「ひっぱり凧」と飲み屋をはしごした。「花のれん」は店の方が魚を仕入れていると聞いて楽しみにしていたが、残念ながら、台風20号の間接的な影響で、私が滞在時は海がしけており、しばらく沖止めになっていた。そのため、地元の魚はほとんど食べられなかった。




「ひっぱり凧」でもそう。ここはどちらかと言うと、普通の居酒屋という感じ。ここでは、島の名物の一つヤギ刺しを食べた。正直、私はヤギ料理が好きではない。どうもあの臭いは苦手なのである。しかし、折角の島の名物ということで食べてみたが、やっぱりヤギは苦手だ。ところで、島ではヤギが有名ということだったが、島で一度もヤギを見なかった。




喜界島はスナックがやたらと多い。名瀬でも思ったが、喜界島でも相当な数がある。この島の規模にして、この数は商売としてやっていけるのか?フィリピンパブもいくつかあり、島ではフィリピン人も見かけた。フィリピン人目当てに島の人がフィリピンパブに集まり、フィリピン人と結婚した方も多々いる。その後、離婚、旦那さんは島を出て行ったが、嫁であるフィリピン人が島に残って生活を継続するというパターンもよくある。従って、島ではハーフの子が多い。名瀬では行く時間がなかったが、私は喜界島では必ずスナックをのぞいてみようと思っていた。ただ、これだけあるとどこに行ったらいいか迷う。宿の方に聞いて、宿の裏にある宿から一番近い「スナックゆり」に行ってみることにした。
 
スナックは21:00頃に開店し0:00には閉店する。「スナックゆり」には、ママの他、島の方2人、名古屋からの女子1人と男性スタッフがいる。店に入ってびっくりしたのが、そのキープのボトルの数。これだけのボトルがキープされ、おそらく他のスナックも同じであろうから、島の方はどれだけ頻繁にスナックに通っているのだろうか?というか、島では娯楽としてはパチンコ以外見かけなかったので、これだけスナックに人が集中するのも無理ないかもしれない。スナックの方曰く、客のほとんどは島の方で、観光客はまず来ない、と。そういう状況なので、私を見てすぐに島の人間でないことを指摘された。「スナックゆり」は明瞭会計とうたっており、ビール1杯が500円、ボトルが3,500円。できれば、グラスベース、もしくはハーフボトルみたいなものを飲んで、何軒かスナックもはしごしたかったが、そういった制度はない様子。なら、余ったボトルは持って帰ろうかとも思ったが、他のスナックに行っても同じようなシステムであろうから、私はボトルをキープし、翌日も来ることを店に伝えた。
 
私は、開店すぐに入ったので、その時点で客は誰もいなかった。店のスタッフから島の情報を聞いていた中、スタッフのもう1人が出勤してきて、
 
「また会いましたね。」
と言われて、「あっ」と思った。「ひっぱり凧」の店員で、向こうを終えてスナックでの勤務にやってきたのである。「ひっぱり凧」で少し話した時から、居酒屋よりも夜の仕事をされてるっぽい方とは思っていたが、まさか本当にそうでここで再会するとは思わなかった。
 
島の方でスナックで働いている方は、何かしらの働かないといけない理由がある。だから働くのである。ここのスタッフもシングルマザーの子持ち。
 
「働かないと生活できない。」
と言いながらも、タバコをバコバコ吸うのを止めれば、もっと銭が貯まるのにと思った。実家にいるので家賃は要らないし、おそらく養育費ももらっているだろうから、その部分では優遇されている。それにしても、この稼ぎだけでは子供何人も養うのが大変であろう。スナックの時給は行っても1,000円程では?この時給で店の片付け時間も合わせて4時間労働と考えると、+αの掛け持ちバイトをしても日給5,000円がいいところではないか?
 
島の会社ではボーナスが出ないのが当たり前だそうだ。役場への就職、もしくは島にある自衛隊勤務(この場合は転勤が絡むが)が島での安定した職業と言えるが、役場もコネ入社で決められることが多いので、なかなか簡単には入られない。若く結婚し、シングルマザーで子持ちとなった島の女性と結婚する自衛隊の方もいる。「不思議」と言っていた方もいたので、
 
「自衛隊の方も出会いがなかなかないからではないの?」
と回答してみた。
 
スナックでも、黒糖焼酎をロックとチェーサーで飲んでいた。島の方は水で割るのが一般的なので、この飲み方でちびちび飲んでいる私を見て、
 
「大丈夫?」
と店の方は心配してくれた。黒糖焼酎をおいしく味わうには、水割りはもったいない。
 
入店してから1時間も経たないうちに店は満席となった。どこのスナックもこんな感じなのであろう。島で代行が事業として成り立つのはそのためでもある。カウンターで見かけない顔の私を見て、地元の建設会社の方が声をかけてきた。店はカラオケの声で騒がしかったので、ゆっくり話ができなかったが、お酒をついでもらい、その気遣いはうれしかった。
 
喜界島で気づいたのは、スナックだけではなく、やたらと郵便局とコインランドリーが多いこと。こんな小さな島なのに集落が多いから郵便局が多いのは何となく分かるが、コインランドリーも目立った。スナックの方曰く、何人も子供がいる彼女たちにとって、毎日大量の子供たちの服を洗濯する。1日でも洗濯し忘れたり、乾かずに貯まっていくと大変なことになるので、雨で洗濯物の乾きが悪い時は、コインランドリーを利用するという。そういうニーズもあるんやね。
 
翌日にスナックに戻ることを約束した私を、翌晩、店の方は待っていてくれた。前日よりも私の入店が遅れたので、
 
「来ると言っていたのに・・・。」
と私のことをちょうど噂されていた時に入店した。その時も客はまだ誰もおらず、店のスタッフと短い時間だったがその日の報告、お互いのことなど色んな話をした。いつも同じ顔ぶれの地元の客を相手している中、私のような一見さんとたまに話すのは、彼女たちにとっても気晴らしになるのかもしれない。
 
この日は、島の相撲部の皆さんが来られた。奄美大島、加計呂麻島、喜界島の集落では、よく土俵を見かけた。何かの祀りごと、お祝いの際は、神聖な儀式として相撲が取られる。こちらの相撲部の皆さんはその関係者であろう。それにしても、素人と思えないほど、力士のような立派な体つきの方が多くいた。店内は冷房が効いて十分に冷えている。それにもかかわらず、「暑い」と言って相撲部の皆さんは上半身裸になって踊っていた。どんな皮膚してんねん。










喜界高校で見かけた光景。駐輪場に自転車だけでなく、原チャリが置かれている。教員が乗っているにしてはその数が多いと思っていたが、これは生徒のものであった。高校生が原チャリで通学するなんて信じられない。島の方に、

「内地でも普通でないの?」
と聞かれたので、「ありえない」と回答しといた。

島に1つしか高校がない中、その通学距離によっては原チャリ通学が認められている。18歳を過ぎると自動車の免許も取ることが可能だが、喜界高校の生徒に関しては、仮に4月生まれの生徒が高校3年生の4月に車の免許を取っても、卒業するまでは車の免許はもらえない。喜界高校はここ最近は定員割れ。プロ野球選手を2人も送り出しているほどの高校であるが、野球部の顧問が変わってからは野球部はパッとしない。



サトウキビ畑の1本道には感動した。八重山でもあそこまで一直線の道は見たことがない。updownはあるがとにかく長い。一本道の周りにはひたすらサトウキビ畑が続く。但し、所々道路が交差するところがあるので、走る際は注意が必要。ここはCMやテレビのロケに使われたりする。喜界島初日、この一本道を見たくて、この近辺をウロウロしていたが、観光化されていない島なのでちゃんとした標識がない。何となく「これかも?」と思ってはいたが、宿の方に実際に教えて頂いて助かった(ちなみに、私の予想は当たっていた)。

サトウキビ畑が至る所にある喜界島では、農道に入ってしまうと迷路に入り込んだようになる。同じ景色が続き、こういう時は海なり何なりの目印を見つけてそこに向かうしかない。島に点在する集落に差し掛かる際も、ほとんど人を見かけない。見るとしたら、おばあちゃんが腰を曲げながら、買い物袋の付いた台車をゆっくり押している姿だけ。そこに、このでかい図体のサングラスをかけた私が通り過ぎると、おばあちゃんは不思議そうに私の方を見ていた。何とも喉かな光景である。

加計呂麻島、喜界島には戦争の跡が存在する。喜界島は「永遠の0」にも出てきたところ。第二次世界大戦時には、喜界島は貴重な基地となっていた。高台から奄美諸島に接近する米軍を監視するという非常に重要な場所。空港も戦時中に利用された。戦争のことを後世に伝えるという目的で、こういった戦時の跡を残している。沖縄を旅する際にもいつも感じることだが、こういう場に立たされると色々と考えさせられる(特にここでは省略するが・・・)。戦争の跡は、喜界島で来たかった場所の一つでもあった。





サトウキビ畑の一本道
これだけ一直線の道は見たことない、感動です



☆戦争の傷跡 in Kakeroma & Kikai













宿の隣の小料理「みなと」は、今回の旅で訪ねた飲み屋の中で私が一番理想とする場所であった。カウンターが6席程に、テーブル席が2つ。おとうさん、おかあさん、その娘さんで経営し、カウンターには常連さんがいる。店に入ると常連さんが何人かいらしたが、しばらくすると私だけとなり、カウンター越しにおかあさん、娘さんとずっと話していた。今回の旅では、本当に観光客に会わなかった。宿の方に、シーズンオフになると一人旅の観光客が増えるという話を聞いたので、その気持ちは分かると回答した。折角の南国の離島、なんで内地の人と会って内地の話をしないといけないのか?本当の離島を味わいたいという連中がこの時期に来ると思う、と。

「みなと」でも、私が珍しい黒糖焼酎を飲みたいといった話をすると、おとうさんはもう製造していないであろうと思われる「しまっちゅ伝蔵」16度の古い瓶を出してくれた。瓶の底には結晶が溜まっていたが、おとうさんはこれをサトウキビの結晶と言っていた。果たして蒸留酒に砂糖の結晶は溜まるのだろうか?毎日30度の焼酎を飲んでいた中での16度は軽かったが、すっきりしてうまかった。

「みなと」では、島らしい料理を食べたいという私の要望も受け、メニューにない夜光貝をバターで炒めてくれたり、お手製の豚肉味噌を頂いた。豚肉味噌は商品化してはどうか?、と提案してみた。観光化されていない島では本当に産業がない。この環境はどうしようもないので、なら自分でビジネスをつかみに行くしかない。娘さんも職がない中、店で働くしかないような状態だったので、自分たちで商品化し販売すれば面白いのではないか?販路はネットでもいいと思う。喜界島の素材をいくつか添加し、喜界島をもっと謳えばいいネタになると思う。娘さんはそこそこ乗り気だったが、商品化するためには衛生面、賞味期限の設定、表示など食品衛生法に則らないといけないことは付け加えた。帰り際に、娘さんからいづれの日か豚肉味噌を商品化したら買ってとお願いされたので、そうなれば絶対協力する。










島を出る直前に、農産物加工販売施設に寄ってみた。特に寄るつもりはなかったのだが、もっと早くに来るべきだった・・・と後悔した。喜界島では農業が盛んである。サトウキビはもちろんのこと、ゴマも栽培されている。この時期、ちょうどゴマの収穫期で、島を走りながらゴマが干されている光景を見かけた。農産物加工販売施設で島みかん(ふすぅ)ジュースとふすぅゼリーを食べてみた。これが無茶苦茶うまい。島みかんは、酸味は強いが嫌な酸味ではなくすっきりで、こんなみかんは食べたことない。これなら毎日ふすぅジュースを飲みにここに来たらよかった。絶対、収穫期には島みかんを取り寄せてやる。これを喜界島の黒糖焼酎、喜界島の黒糖で果汁酒を作る。絶対うまいと思う。










農産物加工販売施設の方にお礼を言って、帰りのフライトのために空港に向おうとしたら、施設の方が私の方に走って来られた。よかったら施設裏にあるオオゴマダラという蝶を見ていってほしい、と。オオゴマダラは、東南アジアに広く分布しその北限が喜界島。羽を広げた開長が13cm程で、何と言ってもその蛹が金色である。施設裏の一角では、至る所に金色の蛹が存在した。こんな鮮やかな黄金の蛹を見たことがない。私の蛹へのイメージとしては「グロテスク」だが、こんな蛹も世の中には存在するとは・・・。朝、羽化した蝶は飛び立つ前に羽を乾かし、こういった光景も今まで見たことがなかった。この施設の粋な計らいに感謝感謝である。島を離れる直前で貴重なものを見せて頂いた。繰り返す、この施設に毎日来たらよかった。




喜界島の滞在は3日間と短かったが、観光化されていないだけに独特の空気を有した島であった。時がゆっくりと流れ、観光客に合わせるというよりも、私が島の人々の生活に合わせる日々であった。知らない空間で、動き、感じ・・・。喜界島は私が理想とする時間を提供してくれた。とは言っても、島の人々の生活を考えると、銭を稼げる産業がない今のままでは衰退する。喜界島の人々と話していると、黒島のように「そっとしておいてほしい」といった感は受けなかった。どちらかと言うと、「もっと稼げる仕事」がほしい。島を離れる際に、鹿児島県職員か第三セクターの方か分からないが、調査員から喜界島空港利用に関するインタビューを受けたので、自分が喜界島で感じたことを真剣に伝えた。

「観光化されていない喜界島をこのままにしてほしい気がするが、このままでは島の産業が衰退する。賃金の安い労働、限りある雇用・・・。この島に新たな産業を興すとしたら、当面は観光業しかないと思う。そのためにネックになっているのは交通費の高さ。奄美大島から10分程のフライトで片道10,000円はありえない。これを半額にし、フライト当りの客数、便数を増加させ観光化を進める。喜界島は見所がたくさんある。海は透明度が高いし、ダイビングには最適。農作物、魚介類も豊富で、店もスナックも多いし、食事後の夜も観光客は楽しめる。ダイビングショップなどの観光客相手の店が増えると雇用も増え、スナックのように短い時間ではなく、長い時間の雇用が生まれる。さらに、地場の食材を使用した加工食品の数も増え、ネット販売等での販路を拡大でき、口コミによってそのニーズが広がる可能性がある。有名人がテレビで宣伝してくれるかもしれない。これら産業の開拓のためには、とにかく交通面の改善、特に価格面、便数にプライオリティを置いて、真剣に検討してほしい。」

島の人々の生活が少しでも潤ってほしい。私も陰ながら喜界島を広めたい。




☆Glance in Kikai Vol. 2





























☆Glance in Kikai Vol. 3
























☆数時間の鹿児島stay















Barrel Valley
・・・鹿児島空港から徒歩すぐ。ミーハーなところかな?と思ったが、結構楽しめる、地ビールに焼酎。