11月29日

「再び本州へ & 錦帯橋ってきれいやん」

さあ、約1ヶ月もいた九州ともお別れだ。博多に着いた後はまた飲んでばかりだった。邦弘君にはほんとに世話になった。それに、お父さん、お母さん、おばあちゃんにも。九州はまじでいい。めしもうまいし、人もいい。俺に合っている。特に、鹿児島はまじで住んでもいいと思った。ただ、ラーメンで言うなら博多だ。結局、何杯食ったやろ。1回目の博多滞在時が6杯、2回目に戻った時が1杯、そして今回が4杯。真由さんお勧めの天神の「小金ちゃん」はいまいちやったが、長浜の屋台の「No.1」、国道202号沿いの「長浜ラーメン」はお勧め。それと、唐津の「一竜軒」だ。壱岐・対馬ではチャンポンを3杯、鹿児島では薩摩ラーメンを2杯、種子島・屋久島では3杯、長崎でチャンポン1杯、そして熊本で1杯の計トンコツ18杯、チャンポン4杯。もう満足やな。

ラッシュ時になると博多は混むことを予想して、俺は最後に西新駅近くの280円ラーメンを食ってAM7:00前に再び本州へ向けて出発した。今日はむっちゃ寒い。最高気温が10℃いかなかった。俺は国道3号を鼻水を垂らしながら東へと走らせ、北九州で少し渋滞に巻き込まれたが何とか関門トンネルを通過して久しぶりに本州に戻った。いやー、それにしても寒い。

下関からは国道2号だ。とにかく、今日は飛ばせない。寒くて寒くて。国道2号はboringな道だ。この辺りは街が多く、交通量も多い。走ってもつまらないし寒くてしゃあない。それと、この3日ほど博多で飲んだくれてたので眠くて眠くて最悪な状態だ。途中から188号に入って俺は屋代島に入った。この島に入る大島大橋の下には渦潮が見えた。俺はこの島にある「道の駅」で今晩stayするつもりやったが、いざ着いてみると夜は開いてそうにない。俺のデータによると「道の駅」が24時間開いている条件として中にトイレがあることだ。ちなみに、ここのトイレは外。ここのロビーみたいな所は開いてそうな感じがしたが、展示品があったのでこれは夜間閉まるやろう。おっちゃんに聞いてみたが、案の定PM6:00以降は閉まるとのこと。まいったで。今晩テントは寒くて無理だ。よし、岩国のYHAにしよう。

岩国に向かう前に片添ヶ浜に寄った。ここはきれいな海岸だ。白い砂浜でフェニックスが立ち並び異国を思わせる。浜の周りは芝生が整備されていて、テントを張るなら最高やな。そして、俺は188号に戻って岩国を目指した。中学の修学旅行で錦帯橋には来た。その時のイメージはなんとなく残ってるが、覚えてないと言った方がいいかもしらん。しかし、今回再び来てみるときれいではないですか。touristが多かったが、見事なアーチでその向こうの山の頂上には岩国城がある。俺は少しこの辺りを走ってみたがきれいな城下町だ。また至る所に公園らしき所もあり、絶好のテントポイント。こういう時はいつもだ。テントを張りたい時は見つからんのに。

今晩のYHAは俺1人。コーヒーがfreeなのはうれしいが、体が冷え切っていた俺はすぐに風呂に入ろうとしたが、ここのおばちゃんがボイラーを消してて水しか出えへんやないかい。俺は寒くて死ぬかと思った。夜の錦帯橋はライトアップされて昼とは違っていい。はるか向こうでは岩国城もライトアップされている。それと、夜間はfreeで橋が渡れる。おお、これはラッキーだ。今日はYHAでよかった。これから気温が0℃近くまで下がるらしい。

この寒い中300kmほど走った俺は冷え切ってた。阿蘇でのあの寒さ、博多でのだらしない生活、そして今日の寒さで俺は少し熱っぽい。ここまで来て辛いが、もうYHAにするか。残念だが無茶して体悪くするよりはええやろう。

博多−岩国 319km

11月30日

「修学旅行コースをもう一度 in 広島 & 佐々木の実家訪問」

今朝も冷える。これはテントやったら凍死やな。出発する前に少し山に登って岩国城へ行こう。そう思って俺は片道20分ほどの山道を登り始めた。

岩国城は小さな城だ。ここの特徴は何と言っても山の上にあるってことやろう。ここから岩国市内の眺めはなかなかgood。錦帯橋もきれいに見える。でも、ほんまに日本にはいっぱい城があるんやな。全く驚きやで。

今日は予定がいっぱいある。まずは宮島。国道2号をしばらく走って、俺は宮島に渡った。ここも修学旅行で来たがあまり印象に残ってない。人がスケジュールを考える旅はあかん。俺らは先生たちが決めた通りのルートをバスで移動し、集合写真を撮って終わり、そしてまた移動やったからな。今回は自分で走って自分でルートを決めたからほんとに自分に返ってくる。厳島神社はきれいやん。海の中にある大鳥居がシンボルだが、俺が行った時はlow tideやったので人が歩いてた。それにしても、ミーハーなtouristも多いが外人も多いのには驚いた。宮島は外人にも有名なんやろか。この厳島神社は先の台風18号で多大な被害を受けた。その光景が写真として残ってた。俺は中学の時どこのホテルに泊まったんやろ。この辺りはホテルだらけでわからん。みやげ屋も多いし。それと、鹿だらけだ。そういえば、以前鹿君たちを見たような気がする。とにかく、中学の時の記憶がほとんどない。旅は自分で計画立てんと残らへんな。ちなみに、宮島をバイクで走ってみたが、ここはバイクで走るところではないな。厳島神社辺りを歩き回るだけで十分やろ。

それから、国道2号のバイパスで広島市内に入った。広島で押えとかなあかんのは原爆ドームやろう。俺はまず原爆ドームに寄って平和公園に向かった。ここの原爆資料館は入場料50円というのはreasonableだ。ほんまはあの悲劇を伝えるためには無料でもいいぐらいだ。長崎の時も思ったが原爆の恐ろしさを伝えるのは非常に重要だが、原爆を落とさざるを得なかった状況をもっと伝えるべきだ。原爆は確かにあかん。それは、世界中の人々が感じてると思うが、じゃ、なぜ核保有国が存在するのか。そういったことをもっと強調しないと意味がない。でないと、ちびっ子に間違った情報を与えてしまう。

その後、俺は広島城、広島駅と寄って、佐々木のお母さんが働いている喫茶店「いけだ」に向かった。佐々木には以前から行くことを伝えてあったし、仮に週末に合わせれば広島で会おうってことにしていたが、残念ながらweek dayになってしまった。広大病院のすぐ近くにあるこの喫茶店は佐々木のおかんとおかんの弟夫婦の3人で経営してる。皆様は俺が来るのを待っててくれたみたいで、出して頂いた食事もすごい。野菜炒め、鳥の照り焼き、ほうれんそう、かんぴょうのおひたし、そして米、みそ汁。うめえー、やっぱり家庭の味ってのはいいね。最高やわ。

めしの途中からお母さんとずっと話してた。佐々木は1人っ子なのでお母さんは息子のことが気になってしゃあない。めしはちゃんと食ってるか、元気でやってるか。ほんとは東京に行ってほしくなかったし、卒業したら帰って来てほしかった。帰省しても送り出す時が寂しい。e-mailを出すよりも声を聞きたい。いやー、いい話やったな。お母さんの息子への気持ち。息子はいつまでたっても息子。しかし、息子は知らず知らず成長していき、気づいたら社会人となり大人へと巣立っていく。お母さんの手の届かない所へどんどん行ってしまう。お母さんには辛いがこれが現実。久しぶりに温かい空気に触れた。

お母さんは俺に袋いっぱいのみかんをくれた。それと、餞別まで。いやー、世話になったな。なんてお礼を言えばいいのか。俺はほんまに色んな人に世話になりっぱなしだ。人の支えがないと旅も続けられへんかったかもしらん。うーん、感謝せんとな。

今晩もYHA。もうしゃあないな。テントはこの寒さじゃあかん。同じ部屋には同じような考えのライダーが俺を入れて3人。俺を含めこの時期のライダーはあほやな。

岩国−広島 81km

12月1日

「しまなみ第1日目、尾道は歩かなあかんな」

今日から師走だ。いやー、今朝も寒かった。もうテントはあかんで。今日は曇ってる。これは晴れそうにない。寒いしな。もう走るんも嫌やな。

さすがにラッシュ時の広島市内は混む。というか、広島市内から国道54号、2号、31号、185号とずっと混んでた。ここはまじでboringだ。車が多いし、寒いし、曇ってるし。途中、のろ山方面に向かったが、確かに晴れてれば瀬戸内の島々の光景はbeautifulやろう。しかし、今日の天気ではな。俺も話では聞いてたがこんなに瀬戸内海に島が多いとは思わんかった。人が住んでる島もあるし、無人島もある。大きな島もあるし、小さいのもある。多種多様だ。

昼過ぎに尾道に着いた。そう、大林監督の作品で有名な所だ。俺は駅で地図をもらってこの坂だらけで寺がいっぱいな集落をバイクでゆっくり回ろうと思ったがとんでもない。道は細いし、急やし、階段だらけでバイクはおろかチャリで回るんも辛い。俺は地元の人に教えてもらった山頂近くのparkingにバイクを置いて少し歩くことにした。

まあ、色んな有名な詩人や作家が句を読んでるんやな。それだけ尾道は詩の題材にしやすいところなんやろ。文学のこみちには多くの詩の碑があった。俺は千光寺に行ってみたが、ほんまにこの辺りは寺だらけだ。文学、古寺が集中してる。ようこんな所に寺を作ったり、家を建てたりしたもんだ。どうやって基礎工事したんやろ。人が2人ぐらいしか通られへん道があるし、何と言っても坂が多いし、階段だらけ。日当たりが悪い家もあるやろう。その道が入り組みまくってるからまじで迷子になる。まるで迷路だ。帰りにロープウェイで山頂まで戻ったが家や寺が密集しまくっててほんまに迷路だ。しかし、ゆっくりと1日かけて歩いてみたい町だ。また来たい。

それから、俺はこの山陽シリーズの最大の目的、しまなみ海道に入ることにした。まずは向島町までの尾道大橋。ここは50円。これは軽いジャブで向島には特に興味なし。ここを軽く通過して向島インターから因島へ向かった。いやー、最高やね。橋からの景色もいいし。これで晴れていればな。途中の大浜PAで止まったが因島がきれいに見えた。因島では水軍域に寄って水軍ラインを走った。島の傾斜を利用して至る所でみかんが栽培されている。しかし、俺はwindyでup、downな道を走って因島は軽く通過することにした。

そして、次は生口島。今度は短めの生口橋。俺は島の北側の海岸線を走ることにした。途中、耕三寺に寄ろうとしたが拝観料1,000円やぞ、おい。当然、俺は行く気なし。そして、その近くの商店街をブラブラしているとコロッケ屋の兄ちゃんが声をかけてきて、そこのコロッケを食ってみるとまじでうまい。やわらかくてボリュームがあってこれはまじでうまい。地元でも有名でマスコミでも取り上げられたらしい。いける、いける。

今晩もYHA。天気は雨だ。その前に俺は多々羅大橋を歩いて渡って大三島の温泉に行こうとしたが、歩いてみると思ったよりも長い。俺は温泉を諦めて橋を渡り終わって戻ることにしたが、橋を歩くのもいいね。街灯がついてきれいやし。

夜は予想通り雨になった。まいった。

広島−瀬戸田町 206km

12月2日

「しまなみ第2日目、亀老山は絶景やね & 道後へ」

なんとか雨は止んだ。しかし、すっきりせえへん天気だ。宿を出る前にここのオーナーとコーヒーを飲みながら宿の経営について話してた。YHAの経営も大変だ。YHAには協会があるからな。最近は客層が変わってきて、じいさんや家族が増えたみたい。家族で一番むかつくのがちびっ子。うちの民宿と一緒だ。ほんま最近の親はしつけができてへんな。

天気がすっきりしない中、しまなみ第2日目が始まった。まずは多々羅大橋を渡って大三島へ。大三島はこのしまなみ海道の中では一番でかい島だろう。ここは温泉もある。俺はIC近くの「道の駅」によって日本最古の社といわれる大山祇神社に向かった。まあtourist busの多いこと。ちょうど団体にぶつかった。ここには宝物庫や樹齢2,600年の楠がある。それにしても、大阪のおばちゃんはどうしようもない。他の人が写真を撮りたがってるやろう。早くどいたらんか。おいおい、おばはんが一列に並んで歩くな。周りに迷惑やろ。ほんまに人の親なんか。孫もおるかもしらんという年齢ちゃうか。お前ら、人に教育する前に自分を見つめ直せ。

大三島の南側を走った後、次は大三島橋を渡って伯方島に入った。伯方島では軽く開山に登って一周してみた。開山からの景色もまあまあ。伯方島は特に見どころがないかな。

そして、伯方・大島大橋を渡って大島に入った。この島ではカレイ山と亀老山やろ。カレイ山からの眺めはgood。瀬戸内の島々と伯方・大島大橋が一望できる。これはいいね。天気も徐々によくなってきたし。カレイ山もいいが亀老山からの景色は別格やね。来島海峡大橋のきれいなこと。ちょうど天気もよくなってきて、空・海の青さと島々の線、そしてそれに橋がマッチしている。この大橋を来島SA、近見山海城公園と計4箇所から眺めてみたが亀老山からの角度が一番美しい。

しまなみ海道を走り終えての印象は、これからますます観光のスポットになるっていう風に感じた。今年の5月に開通したしまなみ街道は、現段階ではしまなみを走ることが目当てのtouristが多く、これからそれぞれの島々の観光化が進んでいくであろう。各地で「道の駅」もできつつあるし。自転車の運搬、バスでの移動等これから議論していくべき課題は多々あるが、軌道に乗るにはしばらく時間がかかりそうだ。橋はおもしろい趣向をこらしてる。各橋が違った製法なのは注意してみるとおもしろい。あと、ライトアップをもっと頻繁にすればいいんやないか。コストはかかるやろうが、若者カップルのデートスポットになってこの近辺の住民が集まってくると思う。しまなみの各島々にはもうひとつ人を呼ぶようなものが欲しいな。みかん農園が至る所にあるんやからもっとそれを利用したり、海岸線をbeachにして海水浴客を呼んだり。俺は瀬戸大橋よりもこっちの方がよかったけどな。まあ、これからやろう。

尾道大橋    385m  斜張橋

新尾道大橋   546m  斜張橋

因島大橋    1270m  吊橋

生口橋     790m  斜張橋

多々羅大橋   1480m  斜張橋(世界一)

大三島橋    328m  アーチ橋

伯方・大島大橋 325m  桁橋・840m  吊橋

来島海峡大橋  4045m  3連吊橋(世界初)

今治に入ってからは今治城によって海山城に登り、そして松山へと国道196号を走らせた。今晩、すまこおばちゃん宅にstayすることになっている。すまこおばちゃん宅は196号から少し入ったところで、おばちゃんは道端で出迎えてくれた。すまこおばちゃん宅は旧家ででかい。みかん農園をやってて、いよかんの収穫は来週からで、本当のところは俺に来週来て欲しかったみたい。いやー、俺も収穫を手伝いたかったで。

松山に来るのは大学2年以来。松山と言えば道後温泉やろ。そう思って、早速道後温泉へ向かった。さすがにここは有名な温泉街だ。ホテル、みやげ屋、風俗店が建ち並ぶ。こういった観光化された温泉街はあかん。人が入れ替わり立ち代わりやって来て落ち着かん。俺は温泉に使ったあと、夜のライトアップされた松山城に行こうとしたがロープウェイ登り口でバイクを置いたが暗くて歩いて登れん。前は登ったのにな。冷えてきたし今日は諦めよ。

すまこおばちゃん宅に戻ると英子おばちゃんもわざわざ来てくれた。それと、おじちゃんも帰ってた。俺はビールを頂きながら、さらにすごい御馳走も頂いた。煮しめ、天ぷら、ちらし寿司。いやー、うめえ。こういうのはたまにはいい。おばちゃんはどんどんビールを持ってきてくれるし。最高やね。おじちゃんはお四国さんを二度もやってる。俺はそのことについて色々聞いた、よし、俺も来年お四国さんしよ。バイクで思いっきりヒッピーの格好して。決めたで。おばちゃん宅に来年また世話になろ。俺はおばちゃんとそう約束した。

瀬戸田町−松山 200km

12月3日

「讃岐うどん世界、そして最終目的地小豆島へ」

昨晩はおばちゃんに申し訳ないからシュラフで寝た。旧家は冷えるね。久しぶりのシュラフは寒かった。おばちゃんは俺のために弁当を作ってくれた。ほんまに世話になったな。

松山城に少し寄って、俺は国道11号を高松へ向かった。今日も寒い。風が冷たいからな。気温は10℃近くあるが体感温度は5℃以下やろ。その上、11号はboring。車は多いし、所々渋滞に巻き込まれる。走ってて退屈でしゃあなかった。

俺はなんとか昼過ぎに高松市内に入った。高松と言えば讃岐うどんやろ。俺は11号沿いのうどん屋に入った。なんで讃岐うどんってこんなにコシがあるんやろ。うどんの真髄とはこの讃岐うどんやろ。九州ではラーメンやけど、香川ではうどんやな。

それから、小豆島に行く前に高松城跡に寄った。この城跡は現在玉藻公園内にある。この公園はなかなかいい。兼六園みたいに人はそれほどいないし、園内の松もきれいに整えられている。天守閣跡には飛雲閣が建てられており、そこからの景色もいいし、月見櫓、艮櫓もきれいだ。ここは日本では珍しい水城。結構、落ち着く公園だ。

高松港から小豆島土庄港までは1時間ぐらいか。着いた頃はちょうど陽が沈んだところだった。今晩も冷える。もうテントはあかん。よし、YHAにしよう。俺は土庄港から10kmほど東に行ったYHAに向かった。

ここのYHAはYHAにしておくのにはもったいないぐらいきれいだ。鉄筋で風呂もきれいででかい。ラウンジもあるし、おばちゃんはむっちゃ親切。今日もYHAは俺の貸し切り。まあ、時期はずれやからな。

俺はラウンジで田中裕子主演の映画「二十四の瞳」を見た。小豆島と言えばこの名作やろ。俺は感動しながらジーッとブラウン管に釘づけだった。これで小豆島に来たボルテージが上がりつつある。よし明日はゆっくり回るぞ。ほんまは明日帰るつもりやったがもう1日延ばそう。ここまで来たら1日ぐらいええやろう。

松山−高松 168km

高松−土庄町 ferry

土庄町−内海町 13km

12月4日

「小豆島touring、二十四の瞳の世界」

今日はまさしくtouring日和。よし、走れるだけ走ってみよう。まずは、三都半島へ。小豆島はちっちゃい島やと思っていたが一周するのに140kmもある。これは今日1日かかる。三都の方の海も確かにきれいが、色んなきれいな海岸を走った俺としては特になんとも思わない。初めてこの海を見た人は感動するかもしれん。次は、オリーブ園。小豆島といえば「二十四の瞳」と言いたいところだが、オリーブが島の至る所にある。地中海から国内にオリーブを持ち込み、和歌山、鹿児島、そして小豆島と供試作物として植えられたらしいが、小豆島だけに根付いた。どことなく海の感じが地中海に似ている。オリーブは寒すぎたらあかんからな。みやげ物屋にはオリーブを原料とした様々な品物が売られていたが、なんと言ってもオリーブ油やろ。俺は基本的にはごま油の香りが好きだがオリーブの香りもいい。ここは景色もいいし、他種のオリーブが見られるし、freeやし、なかなかgood。

さあ、その後はこの島に来た最大の目的「二十四の瞳」の舞台へ突入した。ほんとに岬の分教場はあった。昭和46年に廃校になって今もなおその当時のままに保存されている。見学料を取るのはいただけないが。礼文の尺忍小と同じ複式学級。木造の校舎を歩くとミシミシ音がするのはなかなか趣きがある。いざ椅子に座ってみたが、まあ小さいこと。校庭の鉄棒やすべり台も低い。ここから600mほど行った所に映画村がある。映画で使用されたセットがそのまま公開されている。この映画村に岬の分教場も再現されているが、これがまた本物そっくり。少しこっちの方が広いかな。大石先生が赴任してきた当時の昭和3年代の町並みは、今はみやげ物屋やお茶屋街になっていて、touristがいっぱいだ。ここは海が目の前でロケーションとしては最高なところにある。なんと言ってもこの映画は名作やからな。

映画村に来る途中の道を走ってるとええ香りがしてきた。そう、小豆島名物のつくだ煮だ。なんでこの島でつくだ煮が名産なんかは知らんが、しょう油も有名であちこちに工場がある。キッコーマン派の俺としては他のしょう油にshiftしないが、映画の中でもしょう油工場が出てきた。特に、大豆が採れるわけでもないし、どうやらしょう油を船で輸送するのにたまたま地理的に便利なところにこの島があったかららしい。ようわからん。

その後、俺は大角鼻灯台を回って、再び国道436号に入って福田、大部、そして寒霞峡に向かった。寒霞峡に向かう道のすごいこと。こんなヘアピンカーブを走ったのは久しぶりだ。それに、急やしな。車やったら大変やな、ローじゃないと登らんで。上からこのカーブを見下ろすとまさしくヘアピンやった。寒霞峡は絶景やね。内海の街並みも一望できるし、瀬戸内の島々もきれいだ。ここは標高612m。阿蘇の大観峰と同じで、周辺のライダーの溜まり場。岡山、香川ナンバーのバイクが30台近くあったんちゃうか。この寒霞峡までは下の方にある紅雲亭からロープウェイがあり、またそこまでの道のりがいいらしい。その道は二通りの遊歩道があって、表12景、裏8景とあるが、俺は表12景を下りることにした。寒霞峡のこの奇怪な岩々はおそらく溶岩やな。海水の影響は考えられんので浸食されたとは考えにくい。しかし、この島には火山らしきものはないし、仮に火山があるとしたらもっと温泉があってもいい。遊歩道の所々には奇妙な岩々が多々あって、この二通りの道を歩いて上り下りしても飽きへんかったかもしらんな。しかし、これが登りとなると辛いが。ロープウェイで頂上まで行くのもいい。ロープウェイからの景色は、歩いて見る風景や頂上から見るのとはまた違って渓谷が間近に迫ってくる。今回は裏8景に行けなくて残念やな。

それから、俺は銚子渓方面に向かったが、途中の美しの原からの眺めは最高だ。寒霞峡は一望できるし内海の町が眼下に広がる。銚子渓もまずすまずやけど、やっぱり寒霞峡のスケールは違うな。銚子渓の猿園にはおびただしい数の猿がいて、こんだけいるとうっとおしくて落ち着かん。野生のくせに餌付けされていて、人に寄ってくるのはいただけない。ほんまええ加減にしてほしい。

夕方、日が暮れるまでバイクでブラブラしてたが小豆島は都会だ。スーパーもあるしコンビニがある。人口は40,000人。四国、岡山、姫路からの船があるのでアクセスはしやすい。島の中心部が山地になってるので、畑作よりもみかん農園を中心とした果樹栽培が中心だ。それと、オリーブを忘れたらいかん。それほど漁業も盛んではないこの島では果樹、観光業、そしてしょう油、つくだ煮製造が主な産業やろう。海はきれいし、比較的温暖やし。見所は島の南半分やね。

俺はこの2日間でうどんを3杯も食ったが、讃岐うどんはうどんの真髄を突いている。はずれも少ないしな。小麦粉と塩水だけを使って手と足であのコシを作り出す。だしは関西風で昆布とかつおであっさり仕上げたもの。これはたまらんね。

小豆島touring 177km

12月5日

「call in 赤穂、そしてfinish」

さあ、今日はlast run。天気はちょっと怪しいがなんとかもちそうか。俺は大部から岡山の日生に入って、大阪に戻る前に赤穂に寄った。この時期は赤穂浪士やろ。そのせいか赤穂城跡にはtouristがかなりいた。大石神社の参道には47士の石像が立ってあった。当然、最後は大石蔵之助だ。赤穂城には天守閣がなかったとは知らんかった。本丸に行ってみると何にもない。なんで再現せえへんのやろか。

赤穂からはひたすら大阪を目指した。国道250号を姫路方面に走らせ、途中からは2号に入って神戸を過ぎた。もうこの辺りの道は移動だけのため。気持ちよくも何ともないし、神戸では片側5車線で走るのも嫌だ。43号に入ってからはもう渋滞の中。新今宮から天王寺までは全然動かず、気づいたら周りは暗くなってた。

309号から生野高校を通り過ぎて、雨に降られず無事羽曳野についた。いやー、長かった。3ヶ月近かったもんな。ほんまにしがらみが強いこの国では言動を行動に移すのは大変やね。嘘が裏切りが日常茶飯事の中で、公約通り物事をやり遂げるのは正直辛い。人との付き合いはほんまに銭がかかる。しかし、それは銭では買えんからな。このことだけはしっかりと身に染み付いてしまった。

今回も旅先で色んな人に世話になった。自分の仲間にはわざわざ時間を取ってもらったし、全然知らん人が家に泊めてくれたり差し入れしてくれたりと人の温かさを肌で感じた。今の日本も捨てたもんじゃない。日本もいいやん。何と言っても歴史があるからな。その土地土地の文化や風習がある。NZやOZにはないものだ。ほんまにバイクで回ってよかった。辛かったけどな。

これからしばらくはこの旅をまとめてまた記録にして、旅先で会ったみんなにお礼状を送らなあかん。それが済んでからそれから先のことやな。3ヶ月も旅が続いたから少し環境を変えて、旅に出たいボルテージを上げておいて出国したいね。

ほんと、みんなありがとう。また一つ面白い作品ができたよ。この作品をちゃんと仕上げて、俺のlibraryに新しく加えておきます。

日生町−羽曳野 168km

5/12/1999

Manabu Kato