11月4日

「8年ぶりの九州上陸 & 邦弘君との再会」

今日はついに九州上陸。上田夫妻やひろあきにお礼を言って、俺は国道191号を西へと走った。本州最西端のびしゃの鼻に寄って、下関に入ったが関門トンネルは工事のため通行止。よって小倉までフェリーで渡った。

ついに九州に入った。九州に来るのは大学1年以来。とりあえず、国道3号に入ったが、まあ、交通量の多いこと。さすがは北九州だ。俺は途中でラーメン屋を見つけてしまった。そう、トンコツだ。九州といえばトンコツ。うーん、うまか。

途中から方向転換して国道495号に入った。やっぱり、海岸の方がいい。玄海灘を右手に見て快調に走らせ、古賀の手前の本屋で九州のmapを手に入れさらに走り続けた。すると志賀島という標識が見えた。これは行ってみないと。またここに行く途中の道がいい。海の向こうは博多の街やし、道の両側は海。ここからのビル街の光景はSydneyを思い出すね。

そして、ついに博多に入ったが、久しぶりの都会に俺は戸惑った。片側3車線である上に、何と言っても車の数。嫌だ、都会の運転は。それに、博多は今地下鉄工事中であるがために至る所で工事をしている。これは渋滞に拍車をかける。びっくりしたのがさすがはダイエーの本拠地。ダイエーグループと関係のないところも優勝セールをしている。阪神の時もそうやったかな。

俺は、なんとか迷いながら邦弘君のいる早良区に着いた。邦弘君はAucklandのflat mate。会うのは久しぶりだ。相変わらず元気そうで何よりだ。どうやらホテルで仕事をしているらしい。俺は邦弘君のおばあちゃん宅にお邪魔することにした。おばあちゃんは明るくて楽しそうな人。料理もうまくて洗濯までしてもらうことになった。全くありがたいね。

夜は邦弘君の友人を家に送るついでに、少しドライブした。とにかく、博多はでかい。高層ビルは建ち並ぶし、なんと言っても車線の数。こんなに車数が多いのは京都以来か。都心の規模はそれ程でもない。東京や大阪に比べれば小ぢんまりしている。うーん、なかなかいいとこたい。

日置町−博多 229km (下関フェリー経由)

11月5日−7日

「博多滞在記」

博多でのまず第一の仕事は和さんのpick upだった。下関の手前でタイヤがburstした彼はヒッチで下関まで来てそこから門司にferryで渡った。連絡をくれれば前日から迎えに行けたのに。それも、小倉に来んと門司まで行ってしまった。全くどうしようもない。仕方なしに俺らは車とバイクで北九州市までpick upしに行った。

飲み会は計3日。初日は俺ら3人とさおりさん。さおりさんとはCoromandelを一緒に旅した以来会ってない。さおりさんも元気そうで化粧なんかしてOLやってるやん。2日目、3日目はこのメンバープラスNHKの朋子。朋子とは礼文で偶然にも知り合い、まさか再会するとはな。びっくり、びっくり。朋子は仕事、仕事の毎日。このまま続けたら過労死やろ。もっとゆとりを持ってと言いたい所だが、そうはいかんねやろう。頑張り屋やからな。俺らとの宴が気分転換になってくれれば俺はうれしい。彼女の知ってる日本では俺らのような人間はその範疇にないやろうからな。ものを作る側の人間が視野を広げるってのは大事なこと。頑張れよ。

邦弘君のお母さんにも世話になった。場を提供してくれた上に、初日はもつ鍋、2日目はキムチ鍋を作ってくれた。もつ鍋にちゃんぽんめんを入れたのは初めて。これがまた合う。俺も和さんもよう食ったし、よう飲んだ。3日間でロング2ケースにレギュラー1ケースを空けた。すごいね、全く。

食の方も充実した。トンコツラーメンを計4杯食ったか。邦弘君のお勧めの店が1軒、朋子お勧めの店が1軒、そして長浜の屋台で2軒。もう、満足、満足。やっぱり、店によって味が違う。一概にトンコツと言って、1軒の店だけでは評価できん。俺はコッテリしたのが好きなので、屋台の1軒目に食ったのが一番よかった。

sight seeingもよかった。福岡ドームに行けたし、ダイエーホークスの優勝パレードが見られた。なんとタイミングのいいこと。沿道は42万人。ダイエーはすっかり福岡に根付いてる。

あと、天神、Canal City、中州にも行った。天神は繁華街、中州は新宿の歌舞伎町ってとこか。和さんと朋子がヒッチして長浜からCanalに着けたのにはびっくりした。とにかく、俺と和さんの博多見物に付き合ってくれた邦弘君、さおりさん、朋子には感謝だ。朋子はNHKの中まで案内してくれたからな。ありがとう。

11/5 博多−北九州 (return) 120km

11月8日

「呼子のイカの活け造り & 真由さんとの再会」

起きたら雨。まいったな。真由さんには悪いが少し出発を遅らそう。唐津までは50km弱。しかし、都会の道は雨が降るとかなり滑る。俺は小降りになり始めてから国道202号を西へ向かった。天気がよければこの海岸沿いは最高に気持ちいいやろう。まあ、残念だが仕方ない。

昼過ぎに唐津に入った。唐津は城下町。橋から見る唐津城はなかなか幻想的だった。なんと言っても思った以上にきれいな街。もっとごみごみしてるかなと思ったが、バイパスから市街に入れば片側一車線。人口は8万人ほど。映画館もないと真由さんは怒っていたが。唐津の人々の多くはshoppingに博多まで行くようだ。そんなに遠くないからな。

約1年ぶりに真由さんと対面。最後に別れたのは去年のクリスマスのch-ch。初めて会ったのは去年の10月にBlenheimで。そして、12月はBlenheim motor campで共に過ごした。真由さんは桃井かおりタイプの人。冷めていて、冷たい態度だが、根はやさしく一生懸命で1つのことをコツコツやる人。久しぶりに会った真由さんは相変わらず桃井で俺もホッとした。

今晩、真由さんは俺にイカの活き造りを御馳走してくれた。NZに行く前に車を売ったためタクシーで呼子近くまで行った。片道3,000円ぐらいしたんちゃうか。活き造りは文句なし。冷凍ものと違って歯ごたえがあって、ゲソは天ぷらにしてくれた。うまかったで。家に戻ると真由さんの両親と対面した。お父さんは床屋をやってて、やさしそうな人で話し好き。お母さんは真由さんと一緒に料理屋をやってて、無表情で少し恐そうな感じの人。2人共俺に色々気を遣ってくれた。ありがとう。

博多−唐津 48km

11月9日

「唐津 & 平戸touring」

今日は曇りがちだが雨は降らへんやろう。しかし、むっちゃ風が強く寒い。ちょっとバイクは辛いかな。

俺は、まず始めに唐津城に向かった。城の規模としては小さめだが復元されたせいかなかなかきれい。次は真由さんお勧めの太平山。ここから見る唐津の街並みは絶景らしい。俺は道に迷いながら太平山にある霊園に着いた。そして、中に入れてもらって展望台から唐津市街を望むと、まあきれいなこと。湾岸沿いにポツンと城が建ち、その周りに街並みが広がっていて、これはまさしく城下町。規模は小さいが山と海に囲まれていて住みやすい所やな。その後は、虹ノ松原にポツンと1台のバスがあってそこで売られている唐津バーガーを食いに行った。邦弘君やさおりさんにも勧められていて、味的にはよか。テリヤキかな。値段も230円と手頃で、ファーストフードのハンバーガーと違って歯ごたえがあって食いごたえがある。ハンバーガーの後は、真由さんのお勧めのラーメン屋。ラーメン好きの真由さんが教えてくれた唐津でNo.1のこってりしたトンコツラーメン「一竜軒」。真由さんが言っていたようにこってりしてて、俺好みの味。これはヒットだ。

腹が満たされた後は平戸へ向かった。とにかく、今日は風が強くて強くて。沿岸の国道204号はもろに風を受けた。平戸大橋を渡る時はまじで辛かった。風で飛ばされそうになった。強風の時に橋を渡る時は注意せなあかんな。平戸は異国情緒が漂うところ。川内峠からの景色は最高だ。街内はオランダを思わせる所が多々ある。なんと言ってもキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの影響は大きい。城下町でありながら藩主がキリスト教を奨励したためにお寺のすぐ後ろに教会がある光景には驚いた。これは平戸ならではやな。1549年にキリスト教が伝えられ、その文化と日本の当時の文化が融合してできた街と言ってもいいだろう。家光が鎖国して独自の文化を発展させた江戸時代もいいかもしれないが、こういった異国と交じり合った文化もいい。いやー、平戸はいいね。

帰りは唐津市内を過ぎ、温泉を求めて七山村まで来てしまった。ここにある七山温泉に寄ってみたが、中は岩風呂でなかなか情緒がある。それ程熱くないが、この温泉で500円は高すぎるぞ。

温泉ですっかり温まった所で真由さんのお店に向かった。9月にopenしたばかりとあって中はすごくきれい。1階はカウンターで、2階がmainの天ぷら屋。昼時は定食のみ。真由さんは俺に天ぷらと馬刺を食わせてくれた。競馬好きの俺としては好んで馬刺は食わんが、うまいもんはうまい。天ぷらにはワニ、カエルもあった。カエルがあんなにうまいとはな。席の真ん中にコンロ、筒に入った油があってそこに真由さんがじきじきに天ぷらを揚げてくれる。なかなかのもてなしで、客には忙しくない限り付きっ切りとか。これは大変な仕事だ。ビールはハイネケンの生。ハイネケンの生は初めて飲んだが、缶と同じだ。ちょっと軽いかもしらん。ああ、うまかった。真由さんには御馳走になったな。これはお返しせんと。

唐津−平戸 (return) 235km

11月10日

「壱岐の島上陸」

今日も風が強い。まいった、まいった。

真由さん一家とお別れして俺は呼子へ向かった。壱岐に渡るまで少し時間があったので七ツ釜、波戸岬、呼子大橋と寄ったが、まあ、呼子大橋の恐いこと。またもや強風で飛ばされそうになった。そして、呼子港から壱岐の印通寺港へ向かった。

壱岐は南北17km、東西15kmしかないが、38,000人も住んでいる。これはでかいところだ。こんな小さな所にこれだけの人が住んでいるんやから道はかなり入り組んでいる。芦辺町にはダイエーやモスバーガーがあるのには驚いた。ちょっとした町よりも都会やで。石田町にある錦浜や筒城浜はまじでbeautiful。白い砂浜に澄んだ海。俺はやっぱり砂浜の方がいい。

芦辺港の前でチャンポンを食ってからは、はらぼけ地蔵を見て男岳神社に向かった。この神社に行く道は猿街道と呼ばれていて、神社には多くの猿の石碑が祭られている。なんで猿なんやろう。勝本町には猿岩ってのもあるしな。礼文の猫岩以上に猿に似ているのにはびっくりした。不思議なもんだ。

壱岐はほんとに小さな島。2〜3時間でほぼ回り切った。しかし、歴史は深く、大陸と近いことから大陸との交流の中継点と言っていいだろう。そのせいか古墳や神社等それを匂わせるものが多々ある。このすべては回り切れんな。きりがない。

今晩、湯ノ本温泉の公園でテントを張ることにした。テントは隠岐以来やな。お陰でカビだらけだ。近くの公衆浴場はすでにclosedしていて、俺は少し高めのところへ向かった。うーん、やっぱり湯はええね。生き返った気分だ。街中の公園だけあって周りには車が行き交う。全くうるさい。犬は吠えるし、人の話し声は聞こえる。博多、唐津とかなり疲れていたので、俺は即行寝てしまった。

唐津−呼子町 42km

呼子町−石田町 ferry

石田町−勝本町 69km

11月11日

「壱岐の歴史を復習 & 対馬上陸」

今朝は暖かい。ということは、曇りではないですか。天気予報では夜から雨。まいったな。まず始めに、俺は郷ノ浦港へ向かった。郷ノ浦もでかい。DSはあるし、本、CDの総合センターもある。街に入る前は渋滞、いやー、都会じゃないですか。

岳ノ辻展望台で島を見渡した後、俺は島を走る国道をドライブした。ほんまに至る所に古墳、寺、神社があるのにはびっくりだ。歴史があるね。俺は途中に芦辺港に寄って思わずモスバーガーに行ってしまった。ダイエーも覗いてみたがなかなかの規模だ。やっぱり、壱岐はでかいで。

フェリーに乗る前には資料館に行ってみた。ちょっと歴史を調べてみよう。239年の魏志倭人伝には、

「三千ばかりの家がある。やや田地があるが水田を耕しても食料は十分でないので、北や南と交易している。」

と一支国について記載されている。663年にはお隣の百済が唐・新羅に攻め込まれた時に日本軍もここから参戦した(白村江の戦い)。1019年には大陸からの海賊がやって来て、壱岐を破壊していった(刃伊の入寇)。1274年文永の役、1281年弘安の役と二度に渡る蒙古軍の襲撃(元寇)。1592〜1598年文禄・慶長の役では秀吉の朝鮮出兵。このように壱岐は大陸と日本との中継点として利用されていた。

また、江戸時代には捕鯨漁が盛んで、壱岐の中心産業になったが幕末には不況となった。いやー、歴史があるね。さあ、対馬へ行こう。俺は郷ノ浦から対馬厳原港へと渡った。

厳原も都会だ。港の横には支庁らしきものがある。人口は16,000人もいる。今日は厳原町の南の方を走るだけにしたが、これは走るのには大変だ。対馬沿岸はリアス式なためup、down、windの連続。集落はポツ、ポツとあるがその間はup、down、wind。つまり集落から集落への移動はwindな道を上って行って、そして下って行かなあかん。これはチャリンコではあかんな。道が細いから車でも辛い。バイクでもクラッチ操作が大変だ。隣の集落から隣の集落まで学校に通うちびっ子も大変やろう。俺ならここには住みたくない。

今晩、雨が降るっていうので俺は港の前にある屋根のついたチャリンコ置き場にテントを張ろうと戻ってきた。人が多いうちはテントを張るのはあかん。迷惑な上にヤンキーがうろうろしてる。しかし、福岡からの最終便は23:30に着く。それまではターミナルで待つことにしたが、ずっと地元のおっちゃんと話してた。おっちゃんはここでテントを張るなら病院へ行けと言ってうるさい。病院のロビーなら静かに寝られるやろうと言っていた。外は雨が厳しくなってきて風も吹いてきた。やばいな。そうこうしているうちに、最終便がやって来て、その後俺はチャリンコ置き場にテントを張った。まいった、まいった。結構風強いやん。

勝本町−郷ノ浦町 631km

郷ノ浦町−厳原町 ferry

厳原町ツーリング 90km

11月12日

「対馬touring、韓国は近かった」

昨日の雨はすごかった。礼文でブリーチをつけて洗ったテントが一瞬にしてドロドロ。コンクリートの上に張ったからな。さあ、今日は対馬の北側のtouringだ。まず始めは対馬唯一の温泉、真珠の湯。またここのおばちゃんがええおばちゃんだ。すごい親切で、俺にmapをくれた。この前の建物にある釣り針作りのおっちゃんも味のあるええ人やった。温泉は昔ながらの感じの木造の建物に何とも言えん田舎の雰囲気。よかー。いい湯やった。

温泉の後はこの近くでラーメンを食って、パールラインを通って島山島へ向かった。リアス式の海岸を通って行くとポツンと集落がある。ほんまにこんな所に生活があるんかってところだ。この島への橋も数年前にできたばかりでそれまでは船で行き来していた。

それから、さらに北上して豊玉町の和多都美神社へ向かった。海の中に鳥居が3つ並んでいる所。リアス式の中にポツンと神社があって、何と言ってもそこから少し行った烏帽子岳からの景色のすばらしいこと。浅茅湾中の島々が一望できる。まさに自然の力でできたリアス式の海岸。三陸とはまた違ってat homeな感じがする。

烏帽子岳を後にしてからは、ひたすら先端目指して北上した。とにかく、対馬の道は辛い。up、down、windのくり返し。道幅は狭いし。その上南北に100kmはあるぐらいでかい島。俺はこの厄介な道を峰町、上県町と越えようやく最北の上対馬町の韓国展望所に着いた。ここから釜山までは50kmもない。夜には釜山の夜景も見える。対馬も壱岐同様大陸との中継点となったのはここから韓国を望むとよくわかる。まあ、今日は曇っていたのでそれほどはっきりとは見えなかったが。対馬と朝鮮との関係で例を挙げるなら、家康・秀忠時代の朝鮮通信使の来日だろう。1617年にstartして1811年までに12回も行われている。この島でもそうなのだが、呼子からここに至るまで道端にハングルをよく見かける。標識は日本語、英語、ハングル。海岸でハングルで書かれたゴミがあるのは韓国から流れてきたものやろう。

その後、俺は比田勝に入った。比田勝港には厳原港同様、博多や壱岐に行く船がある。ここは、この島の2番目にでかい集落やろう。でかいと言っても厳原に比べれば小さいが。俺はこの近くの美宇田浜に行ったりして、今日はここで寝ようかなと思っていたが、さっき通過した西側の集落にあったツシマヤマネコの看板の写真が撮りたくてもう一度西へ戻り、そしてまた東側に戻って舟志に来た。ここは島の人が教えてくれたもみじのきれいなところで、今週末にはもみじ祭りがあるというので行ってみたらと勧めてくれた。実際行ってみるともみじ街道というのがあり、川沿いにあるもみじの木々の美しいこと。赤、黄、だいだいとカラフルなもみじが乱れてた。いやー、来てよかった。ここまで来たらあと80km近くあるが厳原に戻ろう。できれば昼までには博多に戻りたいからな。仮に比田勝にstayして明日厳原に向かうと博多に着くのがPM8:00になる。今日中に厳原に戻ってAM6:00発の貨物船に乗ると早朝割引が効く。そう思って時刻はPM3:30を過ぎていたが、俺は80kmほどある道のりを厳原へ向かった。

up、down、windの道のりを走り厳原に着いた時は真っ暗やった。俺はとりあえず近くのめし屋でチャンポンを食ったが、そこに地元で商売してるおばちゃんがいて、俺のことを色々聞いてきた。旅先で礼文から来たと言うと地元の人やtouristはびっくりして目を丸くするが、このおばちゃんは俺のことを色々聞いてきた。えらいしつこいなと思っていたら、俺と同じ歳の娘さんがNYにいてもう8年も帰ってきてないので心配らしい。結構、その娘が親に銭を要求しているようで、もうtotalで2,000万近くは送ったとか。その娘が今どうやって生計を立ててるかもわからんらしい。まあ、俺も人のことは言われへんけど親の心子知らずやな。このおばちゃんはやたら俺のことを誉めていたが俺はそんなにえらくない。好きなことを自由気ままにやってるだけ。それ以外の何者でもない。色んな人生があるからな。今の娘さんはよろしくないけど、長い目で見るとわからんで。

今晩、海上保安庁の船の横でテントを張った。週末やから夜釣りに来る連中でうるさい。なんとかならんもんかい。

厳原町−上対馬町 (return、対馬touring) 240km

 

11月13日

「博多ではすごいことが待ってた & NZ仲間との再会」

今朝は4:30起き。さあ、博多へ戻ろう。博多行きの貨物船に乗る前に昨日知り合った警察官と会った。歳にして俺と同じぐらいかな。船着場にはパトカーが目立ったが密輸船の監視や怪しい人のcheckをしている。この警官に俺は昨日怪しい人間と思われたのか話しかけられたが、その誤解は解けてすっかり仲良くなった。人は見かけによらんぞ、兄ちゃん。

貨物船は実にいい。トラック、車、バイク専用の船で半個室みたいになってて風呂もある。AM6:00便は、バイクで通常よりも2,000円も安い。ええがな、ええがな。当然、俺は爆睡した。

昼前に博多港に着いた。博多にはもう来るつもりはなかったが、和さんに呼び出されたのもあって戻ることにしたが、何と言っても子呼呂さんと連絡がついた。11日前後に子呼呂さんが帰ってくるとの情報はあったが、博多に和さん、唐津に真由さんがいるとなると子呼呂さんも来ずにはいられんだろう。昨日子呼呂さんとは連絡がついて、今日博多に着いて電話すると今から新幹線で向かうとのこと。真由さんに電話すると店が終わったら博多に来るとのこと。作栄おロック会みたいになったな。

邦弘宅に着くと、案の定邦弘君、和さんは寝てた。久しぶりにお父さん、おばあちゃんとも再会したが、邦弘一家の知り合いが訪ねてきて昼から飲むことになった。おいおい、どうなってんねん。肝心の言い出しっぺのこのおやじは先に酔っぱらって寝るしな。全く、まいった、まいった。

夕方、俺は博多駅まで子呼呂さんを迎えに行った。あの金髪の子呼呂さんが短く黒い髪だった。それに少し太ったかな。早速、子呼呂さんは和さんを説教してた。和さんを説教できるのは子呼呂さんだけだ。俺らはラーメンをすすって飲み屋へ向かった。そこにはさおりさんがすでに来てた。まさか、子呼呂さんと再会するとはな。それも博多で和さん、子呼呂さんと。俺をあわせて3人共よく飲む。子呼呂さんは食い過ぎで途中から焼酎にしてたが。とりあえず一次会は食うことに専念したって感じかな。PM11:00を過ぎて真由さんも唐津から駆けつけ、朋子も遅れてやって来た。まあ、よくもこのメンバーが集まったな。この4人が集まるのはこれで最初で最後やろ。真由さんと和さんは実際会うのは今日が始めて。桃井である真由さんに和さんがそそうを起こさないことを俺は願っていた。しかし、その心配は無用で、明日子呼呂さんと共に和さんも唐津へ行っていい許可が下りた。よかった、よかった。

途中からみんな寝だした。起きていたのは俺、真由さん、子呼呂さん。真由さんと俺は唐津でゆっくり話したが、子呼呂さんとは積もる話があるやろう。それにしても、よく子呼呂さんは来てくれた。はるばる清水からやもんな。帰国したのが3日前。ほんまに作栄おロック会みたいになってしまったな。お疲れ様。

厳原町−博多 ferry

11月14日

「眠たい目を擦りながら大分まで」

結局、AM5:00まで飲んでた。しかし、俺は今日絶対出ると決めていたので、AM11:00前に起きて昼前には博多を出た。もちろん、他のみんなは爆睡してた。

それにしても、眠いし、まだ酒が残ってる。そんな中国道201号を俺は東へと走った。行橋に着くまでは交通量は多かった。週末ってのもあるのか。10号に入っても国東半島までは変わらない交通量の多さ。その上、この眠さとくれば走ってて嫌になってくる。正直、旅を始めてもう2ヶ月経つが疲れてきた。だれてきたな。宴会はいい刺激になるが、しばらく環境を変えないとあかんかな。

国東半島まではtouringにはなかなかgood。快適な半島touringだ。今日は大分空港まで行ければいいかと思っていたが、ちょうど大分空港で休憩していた時に日が暮れてきた。もし空港が24時間開いていたらここで寝ようと思ったがPM8:00には閉まると言うので、久しぶりに近くのキャンプ場にテントを張った。テントを張っている最中にだんだんと雲行きが怪しくなってきて、俺は一旦空港に戻って寝るまで少しゆっくりしようかなと思い、ふと177で天気予報を聞くとなんとこれから大雨ではないですか。これにはまいった。俺は急いでテントに戻ったがポツポツと降りだした。これやったら屋根のあるところに張ればよかったな。

博多−杵築 223km

11月15日

「別府の温泉 & 雨の中を湯布院へ」

今朝は雨がポツポツ。ひどくなる前にテントをたたんで俺は別府へ向かった。別府は思った以上にでかい町。それにtourist place。ミーハーtouristがドーッと駅からやって来るし、それを待つタクシーの運ちゃんがtouristを取り囲む。別府といえば温泉やろう。俺はそう思って案内所のおばちゃんに教えてもらった竹反温泉に向かった。

別府には当然温泉がいっぱいある。町の至る所から煙が出てる。別府駅の周りにはreasonableな温泉が探せばあるもんで俺が向かった竹瓦温泉は60円。

建物は松山の道後温泉を思わせる面影があり、中に洗い場はない。バスタブから桶でお湯を汲んで洗う。ええがな、ええがな。この辺りで温泉に行ったらきりがないので、ここだけにしておこう。

それから、俺は天気がすっきりしない中、地獄巡りをしようとしたが、なんでどこも銭を取るんやろう。これは日本人の悪い所だ。全くどうしようもない。俺は銭を払うsight seeingは嫌だ。よって断念した。

折角ここまで来たんやから湯布院に行ってみようと思って向かってみたが、途中から雨だ。山の中を走って行ったがガスのおかげで視界が悪い、悪い。湯布院に着いたらまたもやミーハー客。ミーハー連中が駅前で「るるぶ」を見ながら歩いたり、タクシーを待っていた。ここを回るんなら歩くんがええな。天気がさらに悪化してきたので俺は別府に戻ることにした。

別府でYHAに泊まろうかなとも思ったが、やっぱり行けるだけ進んでみるか。でも大分に健康ランドがあるからな。たまには健康ランドもええかもしらん。1,600円やしな。そう思って俺は走るのを断念して今日は大分市にある健康ランドにstayすることにした。健康ランドは風呂にいつでも入れるし、テレビ、映画は見られるのでgood。しかし、一度入ったら出られないのが厄介だ。俺がここに着くやいなや強烈な雨が降ってきた。ここに来て正解やったな。

杵築−大分 105km

11月16日

「南国宮崎、そして日南フェニックスロード」

明日check outしようと思ったらやられた。深夜料金プラス1,300円らしい。おいおい、ぼったくりやないか、それは。そんな銭取るんやったら早いこと言わんかい、ドあほ。全然聞いてへんぞ。

今朝は寒かった。まず10℃はないやろう。俺は国道10号を通って宮崎入りを考えていたが、犬飼から三重町に抜ける326号で行った方がいいと聞いたのでそうすることにした。AM7:30頃健康ランドを出発したが、しまった、通勤ラッシュだ。大分市内もでかい。片側3車線の道が続く。ほんまに都会は嫌だ。常に渋滞やし、ビルが建ち並ぶし、人は多いし。空気は悪いし。いいことが何もない。大分市外に抜けるまでかなりの時間を費やした。

それにしても、今日は冷える。326号は山の中なので、その冷え込みは激しすぎる。そうこうしているうちに、トンネルを越えて宮崎県に入った。ついに南国突入やで。俺の宮崎での目的は日南海岸を走ることと、都井岬に行くことだ。よって延岡、日向は軽く通過。そして宮崎市に入った。

ここまで来ると道端にフェニックスやハイビスカス、パーム、ソテツ等南国を匂わせるような植物が多く見られる。宮崎駅はオシャレな建物で駅前のロータリーにフェニックスが立ち並び、芝生があってきれいだ。ここで、俺の旅のことを聞いたおばちゃん2人が差し入れをしてくれ、警備員のおっちゃんは色々教えてくれた。宮崎を出るかどうするか。というのは、子呼呂さんが来るかもしらん。博多を出た子呼呂さんは和さんと一緒に唐津へ向かって、そして折角九州に来たんやから宮崎にいる友人を訪ねようかということになった。もし来るなら俺は宮崎にstayしないといけない。わざわざ静岡から来てくれたんやからな。できれば日南まで行きたいのだが、連絡が昼の時点でなかったので行くことにした。博多−宮崎間は思った以上に遠いからな。

宮崎駅を出発した俺は青島に向かおうとしたが、途中に巨人軍が秋季キャンプを行っている球場を通過した。こんな所でやってたんか。街の中心から少し離れた所なんで選手が遊ぶには不便だが、野球に打ち込むならいいかもしらん。しかし、俺は全く巨人には興味ないのでここには寄る気もしなかった。青島には何千種類と亜熱帯植物が自生しているらしいが、俺にはただの森林にしか見えへんかったが。曇っていたので海もそれほどきれいじゃなかったせいもあるのか、ここはいまいちだった。

そして、堀切峠、サボテン園とbeautiful sceneryを見て鵜戸神社に寄った。ここはなかなかgood。洞窟らしき中に神社の本殿があって、何と言ってもこの神社の位置。目の前には多々ある岩々と波を間近に感じさせるような豪快さ。ようこんな所にこんなもん作ったな。ここはなかなかのヒットだ。

それから、さらに南下して日南市に入った。日南海岸は非常にいい。走ってても飽きへんし海はきれいし、街路樹は南国を思わせるように演出されているし。いやー、よかよか。俺は道沿いにここはbestと思わせるような芝生を見つけ、どうやらここは個展が開かれているような会場の敷地で、ここのおっちゃんにテントを張らせてもらうことになった。これはラッキーだ。

日が暮れるまでは日南市街から飫肥の方へツーリングしてた。飫肥は宮崎の小京都。飫肥城跡から城下町が広がっていた。規模的には津和野よりも小さいがなかなか風情があってよろしい。しかし、なんでここでも鯉を放流してんやろう。なんで小京都に鯉なんや。

日南市は広島カープのキャンプ地。宮崎はプロ野球球団がキャンプする所が多いな。まあ、温暖なのは確かだ。街の規模としては思ったよりも小さい。俺はもっとでかいと思ってたが。いやー、今日は結構走ったな。疲れたわ。

大分−日南 265km

11月17日

「都井岬、そしてついに鹿児島へ & 本州最南端の地」

今朝は寒かった。宮崎でもこんなに寒くなるとは。Taurangaでテント生活をしてへんかったら死んでたな。ここはええテントサイトやった。芝もバッチリやし、きれいし。しかし、地元の人がワン公を散歩しに来るのはあかん。俺のテントの周りがなんか臭いなと思ったらワン公のうんこやった。飼い主はこういうのをどう思ってるんやろ。

今日も日南フェニックスロードを南下。昨日と違って快晴なので実に気持ちいい。海は青いし、空は青いし。朝早いので車も少ないし。俺は第1のポイント都井岬へ向かった。ほんまに馬が放し飼いや。そのため、道端では馬の糞が転がってる。競馬好きの俺としては馬を見てもどうってことないが、道を走ってるとその周りでたむろしてるのには驚いた。野生のくせに人に慣れきってるやん。ここは最高やね。景色はいいし、緑はきれいし。灯台に足場板がかかっているのはショックやったが。夏に来ればもっと緑が映えているやろう。

それから、また国道448号に入ってついに鹿児島県志布志町に入った。やっと長渕の故郷に入った。鹿児島に入る前から俺は長渕の「いつかの少年」を唄ってた。ここまで遠かったで。感傷に浸ってる場合じゃない。俺が鹿児島に来た最大の目的佐田岬に行かなければ。そう思って鹿屋から再び海に出て、国道269号を南下した。

走り始めてしばらくしてふと海の方を見ると、右前方に開門岳、右後方に桜島があるではないですか。桜島は煙を噴いていますね。この光景を見るといかにも鹿児島って感じがした。そして、俺はひたすら佐田岬目指して南下した。途中から県道に入り、佐田岬ロードパークウェイに入った。この料金400円は止むをえん。まあいいやろう。この道に入ると、もう南国を通り越して熱帯っていう感じだ。ハイビスカスも至る所に咲いていて、植生も熱帯系に近い。このwindな道がまた気持ちいい。

そして、ついに佐田岬に着いた。俺が着いて驚いたのは、札幌ナンバーのバイクが3台、旭川ナンバーが1台あるでは。やっぱり、来る人は来るんやな。そのうちの1人の青年は俺の姿を見てびっくりしてた。

「かなり年期入ってますね。」

ほっとけ。

やがて、俺はついに本土最南端佐田岬の土を踏んだ。本州最北端の大間崎から思えば長かったな。今日は少し雲が多いが大間では快晴やった。大間崎に比べればここはひっそりしている。よし、これで俺の鹿児島での最大の目的が終わった。

鹿児島と言えば薩摩ラーメンと黒豚。俺はそう思って佐田町にある一軒のラーメン屋に入った。うーん、まずい。しまった、礼文の法則を忘れてた。競争相手の少ない土地、つまり田舎や町外れのめし屋はまずい。それでも商売として成り立っていけるからだ。逆に東京では生き残ったラーメン屋はまじでうまい。となると、やっぱり鹿児島市内か。

雲行きがだんだん怪しくなってきたので、俺は急いで桜島方向へ向かった。桜島はほんまに頻繁に噴火している。これはびっくりでまさに活火山だ。そのせいか山周辺は溶岩の園で桜島も岩肌がむき出しだ。どことなく昭和新山に感じが似てるかな。俺はvisitor centerで色々情報を聞き、桜島の北側にある白浜温泉に向かったが休みやないけ、おっさん。おい、ものは調べてから言えよ。仕方ないので港の前のトロン温泉に向かったが、これがヒット。桜島のマグマから湧く茶色の湯が俺を待っていた。料金も安いし、うーん、気持ちええ。

さあ、今晩どうしよう。桜島フェリーは24時間運航なので、24時間港が開いている。visitor centerのおやじは桜島側の港の方がホームレスが少なくて落ち着くよと勧めてくれたが温泉の件でやられたからな。市内でうまいラーメンも食いたいし。よし、鹿児島港へ渡ろう。

鹿児島市の中心部はやっぱり都会だ。道は片側3車線やし、信号は多いし、ビルは多いし、人も多い。俺はまず種子島行きの時間を調べて、市内のGSでガスを入れるついでにここの人にうまいラーメン屋を聞いた。すると、たまたまこの人がラーメン通で「ざぼん」のざぼんラーメンを食ったらどう、と勧めてくれたがうまくないやないか。俺はちゃんとこってりしたんがいいって言ったやないか。全然こってりしてへんやん。ああ、これで薩摩ラーメン成績は0−2やな。

鹿児島港はいくつかあって、屋久・種子島行きと桜島、垂水行きはすべて違う港。俺は桜島フェリーの建物へ向かったが、ほんまにホームレスだらけだ。20人ぐらいいたんちゃうか。建物はきれいだがホームレスがたむろしている。外は雨。俺はパソコンからe-mailを送ろうとすると、

「何じゃそれ。」

と1人のおっちゃんが見に来た。大阪から来たという1人の兄ちゃんは、

「沖縄に行きたいけど銭がない。今みんなに恵んでもらってる。」

と俺の側から離れない。この兄ちゃんは大阪で仕事もせんとボーッとしてたら親に追い出されたらしい。俺は言ってやった。

「仮に恵んでもらったわずかの銭で沖縄に行けても、また向こうで恵んでもらうんやろ。俺が一生懸命働いて稼いだ銭をそんな奴にはやらん。とにかく、ここで仕事して働いたらどう。」

まあ、この兄ちゃんにはいくら言ってもあかんやろうな。そのうちホームレス同士の宴が始まった。おい、一言言ってもええか。こうやって酒盛りする銭があるんやったらみんなでアパートでも借りたらどうやねん。夜は警察もウロウロしてるし、一体ここはどうなってんねん。それに寒いし。俺は今晩このホームレスのみなさんと一夜を共にすることになった。

日南−鹿児島 307km(桜島フェリー経由)

11月18日

「鹿児島市内touring、そして種子島上陸」

ホームレスの朝は早い。売店が開く前に寝床を片付けないといけない。これは大変だ。結局、俺はあの大阪の兄ちゃんを避けて待合室のソファーでシュラフにくるまって寝た。むっちゃ寒かったで。

AM6:00には屋久−種子島フェリー乗り場が開く。そうなるとホームレスの皆さんはそっちに移動する。このターミナルの2階は温かいし、テレビがあるからだ。とりあえず、俺はフェリーの時間だけを再確認して鹿児島市内へと向かった。まずは西鹿児島駅。市内の中心部だ。近代的な駅やな。宮崎駅もそうやったがきれいやんけ。ちょうど通勤ラッシュで駅には人があふれてた。

次は西郷隆盛像。薩摩と言えばこの人やろ。幕末の主人公の一人。上野の像は犬を連れていたが、こちらの像はやけにりりしいで。ここで小倉からバイクで旅してるおっちゃんと知り合って一緒に城山展望台へ向かった。ここの展望台からは市内を一望できる。やっぱり、鹿児島も都会やね。中心部にはビルが建ち並び、交通量もすごい。昨日と違って今日は天気がいいので桜島は空の青さに映えている。うーん、きれいだ。俺は小倉のおっちゃんとしばらく話してたが、おっちゃんは先に出発してその後地元のじいさん2人と話してた。このじいさんたちと色んな話をしてる所に大阪のツアーのおばちゃん団体がやって来た。うあ、俺の嫌いな大阪のおばちゃんの団体や。俺とおっちゃん2人が感じのええ話をしている時に、堂々とおばちゃんたちは話に割り込んできて、そのまま話に入ってくるんかなと思ったら、その連れのおばちゃんがカメラを向けると桜島の方へ走り出してピースサイン。ほんまに大阪のおばちゃんは世界最強だ。身内がああでないのを祈るしかない。このおばちゃんは来年は礼文に行くからと俺に住所を書かせ、

「これからはhotmailでやり取りしよう。」

とおばちゃんの顔入りの名刺をくれた。おえー。hotmailやなくe-mailやで、おばちゃん。ほんまにこのパワーの前ではさすがの俺も後手だ。このパワーを何かに還元でけへんやろか。

それから、俺は鹿児島市内を少しブラつき、とんかつ屋を探し回った。そう、鹿児島と言えば黒豚やろ。チェーン店やファミレスではなくとんかつ専門店だ。駅の近くに一軒見つけたがopen前だ。しばらくウロウロしてると「うまいラーメン」と書かれたラーメン屋があったので、よしそのうまさを確かめたろうと思ってそこに行くことにした。結果は、うーん、まあまあかな。もう少しコクがあってもいいが、昨日のよりはましか。よって引き分けやな。

そして、俺は港に戻り、しばらくするとあの大阪のおばちゃん軍団がやって来た。うあちゃー。でも、俺がチケットを買いに行ってる間荷物を見てくれてたので、よしとしよう。おばちゃんらは高速船で屋久島へ、俺は貨物船で種子島へ向かった。この貨物船ははっきり言って汚い上に、深緑色で外見は軍艦みたいで怪しい。内でゴキブリがウロウロしてたもんな。この船で東京で仕事してて、9日間休みが取れて来たライダーに会ったが、明後日には戻らなあかんらしい。ここまで着てかわいそうやな。

夕方、種子島西之表港についた。結構、都会やん。ホテルはあるし、信号もいっぱいあるし。まあ、西之表市やからな。俺はめしを食いに街へ出たが、またラーメン屋に行ってしまった。まずい。また礼文の法則や。これで薩摩ラーメン成績は0−3−1分けやな。いやー、調子悪い。ちょっと栄養が偏りすぎやな。

さあ、今日はどこで寝よか。寝床を探すのがいつも辛い。港の前にいい公園がある。ここでええやろ。

鹿児島市内touring 30km

鹿児島−西之表 ferry

11月19日

「種子島touring、宇宙基地はでかかった」

今日は曇りがちだがまずまずの天気。さあ、若嶋津の出身地種子島を堪能するで。まずは西側を北上して浦田海岸へ向かった。海水浴場で夏はにぎわうところだが、確かに白い砂浜できれいだがゴミや流木がいっぱいだ。ちょっとショックやな。

次は北端の喜志鹿灯台に向かった。ひっそりとしていて、ほんとの意味で最北端らしい。売店もないし、人気もない。なかなか趣のある所だ。

それから、一旦西之表市街に戻って、国道58号を通って中種子町に入り、東側に出て宇宙センターに向かった。ここまでに白い砂浜を何度か見たが、やっぱり海水浴場になってる所は汚いな。流木も多いししゃあないかな。東側の熊野浜はよかったかな。何と言っても種子島と言えば宇宙センター。先日のHIロケットの打ち上げは失敗したが、この時に来てたらよかったで。この失敗で260億円ぐらい税金が無駄になったようだが、こういった失敗はしゃあない。大学の研究みたいにくだらん研究に無駄遣いするよりましだ。失敗をくり返して成功が生まれる。一番大事なのはなんで失敗したかをとことん追及して次回につなげることだ。

この宇宙センターは広い。こんなにでかいとは思わんかった。この敷地内に色んな見学施設がありすべて無料というのはreasonableだ。そのうちの1つ宇宙科学館はなかなかgood。宇宙へ進出する目的、衛星、通信とはetc。小学生レベルに内容をわかりやすく説明してくれるので素人の俺にも非常に役に立つ。ここはええ。またここから見る景色もいいし、この竹崎海岸のきれいなこと。多分、種子島でここが一番きれいな浜ちゃうやろか。

その後、俺は最南端門倉岬へ向かった。1543年にポルトガル船が台風に巻き込まれてここに漂流し、鉄砲が伝えられた所だ。まあ、よくもこんな断崖に船が着いたもんだ。こんな所に外国船が来りゃ、そりゃ始めは怪しく思われるやろう。でも、そのおかげで鉄砲が国内に入ってきたんやからな。

それから、島間港に寄って南種子町にある河内温泉センターに行った。ここの温泉もまずまず。まあ、地元の人が中心のところやけどな。なかなかきれいな所で浴室はガラス張りになってる。ほんとはこの近辺にテントを張ろうかとも思ったが、南北に60kmほどの島やから時間が余ってしまった。船は明日の昼やし。よし、西之表に戻ろう。そう思って今度は島の真ん中の道で戻ることにしたが、この道がまたいい。周りは畑ばかりで、まるで北海道のようだ。作物は今の時期はカライモ(サツマイモのこと)の収穫期で、あとこれからが収穫期であるサトウキビ。この2種は至る所にある。

夕方、夕日が沈む前に西之表に戻った。そして、懲りずにまたラーメン屋に向かった。結果はout。またもや礼文の法則。鹿児島に来てなんでこんなにあかんのやろう。まず店選びが難しい。うまいラーメン屋はラーメンだけの店で、メニューがラーメンか大盛りしかない店がいい。それだけこだわっている証拠だ。ただ、店の外見とのれんだけで選び出すのはほぼ運やな。うーん、これで0−4−1。今日も昨日と同じ公園に行くか。

西之表−南種子町 (return、種子島touring) 202km

11月20日

「種子島touring その2、そして屋久島へ」

今日は昨日よりはええ天気だ。屋久島に渡るまでまだ時間がある。よし、今日は昨日通ってへん道を通ろう。そう思って西之表市内は東側の海岸線、中種子町に入ってからは西側を走った。走ってみてわかったが、種子島を走るなら西之表は西側、中種子は東側を走るのがいいやろう。島の真中を走るのもいい。

種子島は人口4万人の島。西之表だけで2万人。島は全体的にflatで、島にしては珍しく農業の島だ。漁港らしきところはそれ程見かけず、カライモ、サトウキビ圃場が至る所にあり、土壌も肥沃そうだ。何と言っても種子島は稲作の発生地と言われていて、この島独特の赤米が生産されている。今は収穫してしまったが。この島のactivityとしては海水浴ぐらいしかないが、見る所としては宇宙センターがあり、この島はこれだけで十分楽しめると思う。晴れた日の竹崎海岸は実に美しい。さあ、種子島は満喫した。屋久島へ行こう。

屋久島へ渡るferryは、まあ客の少ないこと。車2台と俺のバイク、そして女の子3人の計7人。部屋は貸し切りやったね。そして、1時間20分後屋久島宮之浦港に着いた。屋久島には一軒ライダーハウスがある。俺はそこに行くと決めていた。そこまでは、港からは時計回りに12kmほど行く。行ってみると、まあライダーの多いこと。そのほとんどがオフ車だ。俺は宿の人にテントを張らしてもらうことにしたが、地面は芝じゃなく、土。ここの長期滞在者はテントの下に板を敷いて、テントのフライの上にはブルーシートをかぶせてある。これは完璧だ。テントは1張り700円。ここのオーナー夫妻は関西から移り住んできたようで、なかなか親切。

夕方、近くの楠川温泉に向かったが、ここの受付にはきれいなフィリピン人のねえちゃんが2人いた。びっくりした。温泉は昔ながらの建物で浴槽は狭く、始めは俺1人やったが、どっと7〜8人入ってきた。そうすると居場所がなくなる。いやー、まいったね。

ライダーハウスの近くのスーパーで晩めしを済ませ、宿に帰るとおびただしい人の数。20人はいるやろう。この時期になんでこんなにいるんや。こんなにいると逆にしんどいで。顔も覚えられへんし、グループに分かれてる。いやー、まいった、まいった。疲れた。寝る。

西之表−南種子町 136km

南種子町−上屋久町 ferry

11月21日

「屋久杉ワールドへ & 屋久島touring、屋久島は奥深いで」

今日はええ天気だ。俺は昨日ここの人に教えてもらったコースを昼ぐらいまでトレッキングし、それから島内ツーリングしようと決めていた。まずはそのポイントである白谷雲水峡までバイクで向かった。距離にして20kmほどか。そこからは原生林を通って辻峠まで行き、そこから島の人のsecret zoneであるタイコ岩まで行くことにした。

原生林に入る前にいくつかの屋久杉を見た。そのうちの1つは弥生杉で、樹齢3,000年ぐらいか。まあ、見事なものだ。幹の直径が数mはあるやろう。このような巨大な杉がこのコースの上の至る所にある。原生林はNZをトレッキングしまくった俺としては特別な感動はなくただしんどいだけだったが、屋久島とNZの決定的な違いはコース上のコケの多さだ。屋久島は日本で一番雨の多い所で、光の通りの悪い所ではコケだらけで、所々湿原になってた。土壌中の水分ポテンシャルもかなりのもんで、孔隙は水分で満たされているんやろう。根が呼吸できないせいか気根として地上に飛び出している樹木がかなりあり、その代表的なものがガジュマルだ。そう、俺がバヌアツで見たフローネの木。特に原生林は気根だらけで歩きにくい上に、俺はこの旅ではトレッキングするつもりはなかったので、ジーパンとバイク用のワークブーツで来てしまった。さらに、タイコ岩に行く道を間違えて1時間もlossしてしまった。

歩いてる間何度も猿君と鹿のバンビ君たちを見かけた。彼らは俺を見てもしばらく逃げないのは人間に慣れてしまったからか。彼らには絶対エサをやったらあかん。これだけは俺らも守らなあかん。

タイコ岩からの眺めは絶景だ。九州最高峰の宮之浦岳やその他の山々も一望できる。これはすばらしい。ええとこを教えてもらった。ここはmapにも載ってないし、visitor centerでも教えてない。ここは人が多く来られる所ではないからな。俺はここで博多から来てたOL2人と地元の人2人に会った。OL2人は屋久島のトリコで年に3回は来てるらしい。

帰りは楠川歩道で下まで戻り、さっき会った地元の人に教えてもらったうまいラーメン屋に向かった。そこで食ったのは、鯖でだしを取った900円もする屋久島ラーメン。まずい。鯖で取ったらこんなもんかと思って食ったがまずい。これは食えん。なんでここにこんなにも行列ができてるんや。まあ、他のがうまいのかもしらん。

それから、島をtouringした。屋久島一周は100kmほど。この島にはウミガメが産卵に来るし、何と言ってもサンゴがある。海もきれいだ。ただ、この島はトレッキングやろう。島の真ん中が山で、島一周できるところは利尻にも似ているが、activityの多さは100倍こっちの方が上やな。なんか奥深い所で世界遺産に指定されたんもわかる。

花崗岩であるこの島では農業には適していない。と言って、海岸は西側を中心に断崖な所が多いので漁業はどうかな。リアス式なら養殖もできるか。そのため、島の第一産業としては観光業やろう。だから、touristも多いし、その配慮はかなり行き届いてる。同じ世界遺産を持っているOZみたいにすべてtour化してないのはいい。人口は約14,000人。お隣の種子島と全く雰囲気が違うのはおもしろい。屋久島にはまってよそから移住して来た人は多いし、ライダーハウスで長期滞在してる連中が多いのもわかるような気がする。しかし、drop outしてるのはよくないで。とにかく、奥深い島だ。最低1週間はいたいな。今日1日で大体この島の雰囲気がつかめた。

夕方、low tideの時だけに入られる平中海中温泉に行ったが、まだまだhighだったので、さっきのOL2人のお勧めの「尾の間温泉」に向かった。低料金(200円)な上に浴槽の上は石畳で温泉もぬるぬるしててよか。なかなかgoodな所で地元の人が多かったのもいいで。

温泉の後ライダーハウスに戻ったが、ほんまにここは人が多い。この時期でこれやから、夏はすごいことやろう。マンガもいっぱいあるし、人も多いから時間潰しには苦労せんな。洗濯もshowerもfreeやし。しかし、俺は疲れた。寝る。

屋久島touring 176km

11月22日

「屋久島touring その2、そして雨の中を指宿まで」

今日は天気がパッとせんな。雲行きが怪しいで。鹿児島行きのフェリーは昼からなのでその前にヤクスギランドへ行こう。俺はこの宿に泊まっている相模原の学生と一緒に行くことにした。朝早いので少し冷えるが屋久島やから大丈夫やろうという甘い考えで出かけたが、ヤクスギランドは標高1,200mぐらいの所にある。寒い。むっちゃ寒いやん。なめてた。俺らは体の芯まで冷え切ってしまって、売店に飛び込んで缶コーヒーでも飲もうかと思ったが自販機がない。すると、受付のおばちゃんがこそっと他の人にはないしょで温かいコーヒーを作ってくれた。ええ人やないの。

ヤクスギランドはなかなかよか。Windyなコースでクラッチ操作が厄介だが、でっかい屋久杉が多々道路沿いに見られる。普段俺らが見慣れてるのに比べると全く規模が違う。これぞ屋久島って感じだ。紀元杉もこれが樹齢3,000年かって思わせるものだ。上の方は朽ちてなくなってるが、ナナカマド等他種が着生してるのはその杉の生命力を物語ってる。人間は、まあ生きて100年かな。それに比べると樹木って全くすごいで。卑弥呼の時代から生きてるんやもんな。俺らは3,000年も前のことなんて文献や想像でしか解釈できない。縄文杉は7,000年やもんな。全く感心するで。

この学生はなかなかユニークでキャンパーでありながらなるべくテントを張らんようにしてるらしい。彼が利用するのは「道の駅」。2軒に1軒は24時間開いているとか。ただ、PM9:00ぐらいには消防署の人が火のチェックに来て、深夜には警官が来て5回に1回は遭遇するとか。そうなると職務質問だ。でも、「道の駅」stayは使えるな。

船に乗る前に宿の人に教えてもらったカレー屋に行った。このオーナーはアジアを旅してるようで、それは店の雰囲気ですぐわかった。ここのねえちゃんもそうかなと思ってたら、やっぱりインドに行ってた。アジアを回ってる人はわかるわ。このねえちゃんも屋久島にはまって1年以上もいる。それでもまだまだ屋久島はわからんと言ってた。ほんまにこの島は奥深いわ。11月下旬やというのにちびっ子は半袖やもんな。鹿児島自体が暖かい。博多とは全然気候が違う。人は親切やし、なんか俺に合ってるかもしらん。鹿児島に住んでもいいなとまじで思った。ええとこやわ。ちなみに、ここのカレーはまずまずやった。

フェリー乗り場で種子島から来る時に同じやった夫婦に会った。島でも一度再会してお互いびっくりした。横浜の瀬谷の人で俺がフェリーターミナルでlaptopを使ってるのを見て驚いてた。

「こういう近代的なライダーもいいでしょ。」

と言ってやった。ここから鹿児島行きのフェリーは今まで乗った船の中で一番豪華だ。風呂はあるし、ラウンジもあるし。これは値段が高くつくのがわかるような気がする。

夕方、鹿児島港に着いた。久しぶりやな。ほんまにまた港で寝るつもりやったが、そうすると週末に博多に戻るのが辛くなって来る。よって、旅始まって以来夜走ることにした。目的地は指宿の手前の「道の駅」だ。しかし、走ってみると夜はあかんな。街灯はないし道はわかれへんし、これはかなり危険だ。所々工事中で道がガタガタしてるし。最悪なことに俺が向かった「道の駅」は閉まってるじゃないですか。いやー、まいったな。今晩から雨が降るって言ってるしな。とりあえず、俺は指宿まで向かって屋根のある公園を探したがなかなか見つからん。港もあかんし。そうこうしてるうちに雨が降り出し、俺は諦めてYHAに行くことにした。いやー、作戦失敗だ。まいった、まいった。

俺はYHAの近くでトンカツを食ったがこのおっちゃんがまたいい人。YHAの人もええ人やし、鹿児島の人って俺にはすごくよく見えるで。この店のおっちゃんとしばらく話してたが、指宿の各家庭には温泉がある所が多いらしい。源泉がいくつかあって月3,800円で家の中にも引っ張ってこれる。だから、別に温泉に行かなくてもいい。これはええじゃないですか。毎日温泉に入れるなんて指宿ってすばらしい。最高の所やね。ちなみに、YHAでも温泉に入れる。すばらしい。

今晩、俺以外にもう1人東京の学生がいた。彼もライダーだ。今回の旅では人との再会を考えているので初めての出会いというのはほとんどない。まあ、たまにこうやって人と出会うってのもいいかもしらん。いやー、久しぶりの布団だ。真由さん宅で寝て以来か。やっぱり、布団はいい。

屋久島touring 74km

上屋久町−鹿児島 ferry

鹿児島−指宿 60km

11月23日

「枕崎のカツオのビンタ煮」

昨晩、西鹿児島駅近くで電車が脱線し電車が止まった。夜にこのYHAに来るはずのアメリカ人が深夜になんとかたどり着き、今朝会った。いやー、久しぶりの英語。しかし、彼女は日本語がむっちゃうまい。おかんが日本人だ。Halfっぽい顔をしてる。やっぱり、英語はええで。俺ももっとうまくならんと。

今日は雨。YHAを出る時は止んでいた。指宿は思ったよりも小さな町だ。俺は別府みたいな所を想像してた。指宿と言えば砂湯だが、俺はこれを断念し先に急ぐことにした。なんせ天気が悪い。

長崎鼻、開門岳と通過して国道226号を枕崎方向に急いだが、枕崎の手前で雨が激しくなってきた。いやー、まいった。なんとか昼前に枕崎に入ることができたが、時折激しい雨が降る最悪の日だ。枕崎と言えばカツオ。俺がここに来たのもカツオを食うためだ。お魚センターの2Fで、俺はカツオのビンタ定食を食った。この1,500円は止むを得ん。ビンタとはこの地方の方言で頭のこと。カツオの頭を薄いみそ味で煮込んで、みりんと酒で仕上げたビンタのうまいこと。カツオのだしとみそっぽくないこの調合がなんとも言えん。あと、カツオのたたきもあったが、にんにくしょう油で食うのもいい。いやー、満足した。

昼からは雨が止んだ。俺は国道270号を北へ向かった。とりあえず、行ける所まで行こう。そして、今日のstayは再び「道の駅」と決めていた。途中から国道3号に入り、そして夕方には長島町に入った。ようここまで来られたもんだ。ここの「道の駅」でstayしよう。しかし、夜に開いてるかどうかは運やな。夜になるまでわからん。

俺はこの温泉で少し日程を考えていた。というのは、週刊天気予報では阿蘇に行く頃には雨だ。それなら移動日に雨をぶつけよう。よって先に長崎に向かってひかるさんに会って、阿蘇に戻ることにした。さあ、フロに入って「道の駅」に戻った。おお、開いてるじゃないですか。これはラッキー。今日はここで寝られるぞ。テントは張らんでいいし、トイレは真横にあるし、人は来ないし、静かやし。申し分なしやね。「道の駅」は使えるわ。あの学生に感謝せなあかん。

指宿−長島町 202km

11月24日

「天草の文化、そして島原でさおり家訪問」

「道の駅」stayは最高やね。人は来えへんし温かい。これはいい。さあ。長くいた鹿児島ともお別れ。今日からは熊本・長崎シリーズだ。まずは天草。倉之元港から牛深に上陸した。

今朝の天草はものすごい霧だ。国道226号で天草町に入る前は視界ゼロ。いやー、恐かった。崎津天主堂、大江天主堂と寄ったが、天草と言えば江戸時代の隠れキリシタンで有名な所。幕府の禁教令にもめげず信仰を続けてた。そのため、この辺りでは教会、チャペルが目立つ。それと、忘れてならないのが天草四郎。15〜16の青年が島原の乱のリーダーやで、おい。たいしたもんだ。途中、所々天草四郎像を見かけた。

下島、上島と左手に有明海を見ながら走ったが、期待してたよりもたいしたことないなとがっかりしてたが、三角に抜ける手前の天草五橋はすばらしい。特に、2〜5橋。この辺りの島々が橋によってつながり、その眺めは最高。この光景を上から見たかったな。

三角港からフェリーで島原に渡った。あの雲仙普賢岳の火砕流で被害にあった所だ。島原は城下町。少しバイクで街中をブラブラしてたが、島原城は工事中だった。残念だが、parkingで銭を取られたんはむかつく。それと、地ビール館に行ったが休憩中やったんもむかつく。働け、ドあほ。あと武家屋敷なんかもあったが、ここは小さな城下町ってとこやな。

今日はさおりさんの実家に泊めていただくことになっている。お父さんが単身赴任、娘2人が博多で、実家にはお母さんとおばあちゃんしかいないので寂しがってるので、近くに行ったら寄ってみてとさおりさんに博多で言われてた。なんか図々しいかなとも思ったが折角やから行くことにした。

その途中に「道の駅」があったので寄ってみたが、ここまで普賢岳からの土砂が流れてきたと言うのだから自然の力ってのはすごい。ここにはその当時の状況を示す展示場みたいなものもあった。あいにく今日は曇っているのではっきりと雲仙の方は見えない。残念だ。

この「道の駅」の横にDSがあったので、今晩のみやげにと思ってワインを買おうとしたがなんと熊本の焼酎「鳥飼」があるではないですか。天草では何軒かDSに寄ってみたが見つからんかったのにこんなとこで見つかるとはな。約束通り札幌のあやちゃんに送るこしにしたが、飲んだくれのあや吉にはもったいないやろう。

そして、夕方さおり嬢の実家に着いた。また家の前の公園が絶好のテント張り場。芝もいいし最高やん。こういう時にこんないい所があるんやもんな。お母さんはさおりさんそっくり。顔も話し方も。なかなか立派なお宅で、今日はおばあちゃんの友人が長崎からお見えで、俺を合わせて4人での食事となった。それにしても、すごい御馳走だ。天ぷら、煮物、刺身、サラダ、炊き込みごはん。いわしの刺身には感動だ。初めて食ったがうまい。これはいける。ビールはどんどん出てきて、俺には勿体ないぐらいのもてなしだ。いやー、家庭の味ってのはいいね。それも島原半島の先端で。今日はベッドやで、おい。もうたまらん。

長島町−牛深 ferry

牛深−三角町 142km

三角町−島原 ferry

島原−口之津町 49km

11月25日

「長崎の夜景はきれかった & 長崎で札幌のひかるさんと再会」

今朝、通り雨が降った。屋久島を出てからずっと天気が悪い。全くどうなってんのか。長崎市内に入る前に国道389号を北上して雲仙に向かった。予想はしてたが深い霧だ。視界ゼロ、全く見えん。天気はしゃあないな。いい時もあれば悪い時もあるもんな。それから、国道57号、251号、34号と通って、長崎市内に入った。いやー、都会は嫌いだ。車は多いし、人も多い。信号も多いし、これはたまらん。それに、長崎市内はほんまに坂が多い。Auckland、Wellington、Dunedinを思い出すね。

俺は長崎駅に行った後、YSPへ向かった。そう、オイル交換だ。米子で換えて以来換えてへんかったからな。4,000kmか。思った通り汚れてた。ここの人はすごい親切で、チェーンをしめてくれたり色々チェックしてくれた。その上お金は取らなかった。

「その代わり気をつけて旅してね。」

なんていい人なんだ。神様のような人だ。1つ気がかりなことはオイルが漏っていることだ。前々からオイルが減るのが早いと思っていたが、下から少しずつ漏っていることが判明した。菊地のあんちゃんにも言われたからな。大阪まで大丈夫かな。

その後、グラバー園の方に向かったが、まあ、touristの多いこと。長崎ってこんなに人が多かったんや。まあ、見所たくさんやからな。でも、俺は銭を払ってまでそういう所に行く気ないのでミーハー地に行くのは止めた。

昼めしはチャンポン。もうこれしかないやろう。中華街みたいなミーハー地で食いたくはなかったが、ラーメン通の真由さんお勧めの店がここにあるというので俺はその言葉を信じて向かった。店の名は「江山楼」。株式会社って書いてるぞ、おい。大体、こういう所はまずいんや。入ってみて食ってみるとまずい。しまった、やってしまった。俺は真由さんを恨んだ。ショックだ。

チャンポンの後は平和公園に向かった。その公園の前にバイク屋があったので俺は前パットの交換を頼んだ。これは止むを得ん。その間に公園に行くことにしたが、あのシンボルである像が工事中でないではないですか。おいおい、どうなってんねん。まあ、こういう時に来たってのでいいか。

そして、原爆資料館。ここには修学旅行の学生やら外人がいっぱいだった。バヌアツの人でさえ、「ヒロシマ、ナガサキ」を知っているのだから原爆が落とされたこの両市は世界的に有名なんやろう。ちびっ子たちが色々メモしてたが、俺は原爆投下に関しては人とは違った考えでいる。確かにアメリカはひどいことをしたかもしらんが、無意味に落としたんやない。日本はもっとひどいことをしてたんやもん、そりゃ怒って当然や。原爆は確かにあかんし、かなりの人の命を奪ったが、俺ら日本人も朝鮮を始めとして多くの人を殺してる。原爆は、なんの罪もない日本国民の命を奪ったかもしらんが、その日本国民の身内の軍人はなんの罪もない外国の庶民を殺してたんやで。アメリカを責める前に己を責めんと。我々に戦争をもちかけた日本国のあほ連中を。そう、あほ政治家だ。キューバやイラクへの経済封鎖もそうだ。上の人間があほやから国民があんなに苦しむ。全くどうしようもないね。だから、こういった資料館には原爆の恐ろしさを伝えるだけでなく、軍国主義を作り、罪もない青年たちを徴兵し、意味のない人殺しを命令したばか連中がいてこんなひどいことになったんやでともっとPRせんと。じゃないとちびっ子たちに間違った知識を植え付けてしまう。原爆によって戦争が終わり、そして今の日本があるんやから。確かに、原爆記念館やから、原爆の被害だけを訴えるのはいいかも知らんが、戦争の無意味さを訴えるのもここが一番いい。

さあ、長崎の夜景だ。真由さんに教えてもらった稲佐山に向かった。日が暮れるまではまだ時間がある。俺はだんだんと色鮮やかになる街並みを山頂で待つことにした。夜景はbeautiful。いいね、いいね。やっぱり、海のある街はいい。海の暗さと街の明るさのミスマッチがなんとも言えん。それにしても長崎は坂の多い所だ。すり鉢の底って感じかな。ここで原田知世ちゃん、岡部まりちゃんが育ったのね。うーん、満喫した。

夜景の後は、うちのひかるちゃんとの宴会。今年、はまなすで一緒に働いて、札幌で再会して長崎に今いるとなると会いにいかんわけには。ひかる先生は北海道物産展の仕事で全国の百貨店でコロッケを売っている。現在いるところは大村市。空港の近くだ。長崎市内からは40kmほどか。いやー、夜のドライブは恐い。それに、今日は寒いし。ひかるさんは元気そうだ。まあ、ずっと仕事づくしで嫌気がさしてたやろうからいい気分転換になったやろう。すげえ喜んでくれたし。俺らは礼文関係者に電話しまくった。まあ、電話代は高くつくけど、こういった時こそ携帯電話が役に立つ。銭で人は買えんからな。みんな元気そうやったし、喜んでくれたし。人が喜んでくれるとそれだけで俺はうれしい。

今晩の飲み代はひかるさんがおごってくれた。いやー、それは申し訳ないしあかん。その代わり、その後俺がラーメンをおごってやった。ひかるさんのホテルの横にいい公園がある。これはいい。俺はここにテントを張ることにし、そうするとベンチに座ってた変なおばちゃんが寄って来た。独り言を言ってるおばちゃん。怪しい。俺は速攻テントに入った。

口之津町−大村 151km

11月26日

「泣く泣く阿蘇touringを断念、そして再び博多へ」

今日はむっちゃ寒い。この秋一番の冷え込みやろう。それに、今にも雨が降りそう。まいったね。俺は国道34号、57号、251号と走って、再び島原方面に向かった。熊本に渡るためだ。ムツゴロウのいる有明海は濁っている。海が黒い。それにしても、寒い。大寒気団がやって来ているせいだ。

フェリーで長州町に入った。もう少しで熊本市内に入る。そうなると渋滞だ。俺は都会には興味ないが加藤清正のいた熊本城ぐらいは行っとこ。そう思って城に向かったが、入るのに500円もする。天守閣ならわかるんやけど入るだけで銭取るんやで、頭に来る。でも、きれいなところだ。

俺はGSの兄ちゃんにうまいラーメン屋を教えてもらった。「豚平」という店で食ったけど全然あかんやん。俺はちゃんとこってりしたラーメンって言ったのに、全然違うやん。おいおい、どうなってんねん全く。

さあ、阿蘇へ向かおう。市内から50kmもない。しかし、今日は寒すぎる。それに、天気もよくない。そう思って今日は移動だけにして明日、明後日でゆっくりしようと決めていた。そして、鹿児島で会ったおっちゃんのお勧めの大観峰に向かった。そこに向かうシルクロード。うーん、最高。森林じゃなく高原なので眺めがいい。北海道みたいやね。でも、寒すぎる。気温は5℃ぐらいちゃうか。今日はテントはあかん。YHAにしようと決めていた。

大観峰からの景色はexcellent。阿蘇の山々が目の前、ふり返れば九重の山々。残念ながら頂きはすっぽり雲で覆われていたが、晴れてれば最高やろ。ここはライダーの集まる所のようで、この寒さにもかかわらずライダーが数人いた。集合場所になるのがわかるような気がする。いやー、阿蘇は夏に来たいね。

俺はここからYHAに電話した。すると、今日中に平野部に下りろと忠告された。なんか今−40℃の寒気が来てて、今晩から雪らしい。雪になるとバイクはたまらん。それに、この寒さじゃ辛いしな。夜は氷点下やもん。うーん、悔しいが地元の人の言葉に従おう。ここまで来て帰るのは辛い。ゆっくり阿蘇、九重、高千穂を楽しむつもりやったのに。作戦失敗だ。九州に来てすぐに阿蘇に来たらよかった。湯布院から延岡に行かず阿蘇に寄っとけばよかった。熊本から長崎というルートにしたらよかった。反時計回りに九州を走ればよかった。悔しいね、全く。ここまで来て悔しいが、これだけ寒いと楽しめないわ。仮にこっちに先に来て鹿児島に行ってたとしても、種子島、屋久島と天気が悪かったやろうし。すべてがうまくいくわけじゃない。何かがよければ何かが悪い。旅ってそんなもんやろう。また来たければ来ればいい。そう考えよ。

俺は国道212号を北上し日田に入って、そこから福岡に向かった。結果的に今日は走るだけになってしまったかな。長崎、熊本、大分、福岡と4県をはしごした。それにしても、寒いわ、これは。大阪まで頑張れるかな。

2週間ぶりに博多に戻った。町ではもうX’masの準備やで。もうそんな時期かいな。俺は邦弘宅に戻る前に油山に寄った。そう、夜景を見るためだ。油山からの博多の眺めも実にいい。生駒からの眺めに似ている。天神の方は明るいし、ドームの方もきれいだ。今まで夜景として札幌、函館、神戸、大阪、Aucklandそして長崎、博多と見てきたが、夜景の良し悪しは見る所による。だから、一概に甲乙つけがたいが順位をつけるとなると、

  1. 函館(Air) 10.00
  2. 長崎(稲佐山) 9.95
  3. 大阪(生駒山) 9.90
  4. 札幌(藻岩山) 9.85
  5. Auckland(Mt.Eden) 9.80
  6. 博多(油山) 9.75
  7. 神戸(六甲山) 9.70

ってとこか。どこもよくて甲乙つけがたい。でも、海が近くにあって夜景の形がある所がいい。

久しぶりに邦弘宅に戻った。おばあちゃんも元気そう。阿蘇は残念やけどまた来よう。今度はゆっくりと。

大村−国見町 44km

国見町−長州町 ferry

長州町−博多 214km