10月22日

「丹後半島touring & そして、鳥取へ」

今日も天気がええ。鳥取まで行かなあかん。その前に折角やから天橋立に寄って行こう。長岡京から国道9号に入って舞鶴方面へ抜けた。天橋立は思った通りtouristだらけ。始めは天橋立方向に行って少し歩いてみたが、ここに来たらやっぱり上から見なあかん。そう思って近くの山にリフトで登ってみた。うーん、なかなかgood。股の下から覗いてみるとほんまに天に橋がかかっているようだ。思ったよりもこの橋の部分が長いな。今日は天気がいいので実に気持ちいい。

その後は、丹後半島だ。時間的に走るかどうするか迷ったが走って正解だった。ひなびた漁村が続き、所々の山の中も車も少なく最高だ。岩々があらわになった海岸は礼文と一緒だ。丹後半島先端の経ヶ岬はいまいちやったな。歩くのに疲れただけだった。

さあ、あとは鳥取直行だがこの時点でもう午後3時。鳥取に着く頃は日が暮れているやろう。俺は国道178号を急いで西へ走らせた。途中の香住海岸もよかったし、こんなところにあの余部鉄橋があるとは思わんかった。真下に立って上を見るとむっちゃ高い。そりゃここから列車が落ちたら大変だ。鳥取市内に入った時はもう真っ暗だった。今晩と明日、ここで作栄の連中が集まって宴会が開かれる。俺が着いた時はすでに大澤さんが来てた。今日は山田一家と大澤さんと俺だけ。明日に向けての前座やな、今日は。

作栄のメンバーは俺が大事にしてる人たちだ。俺が1年しかいなかった作栄だが、あの1年は俺の人生で最も印象に残っている年だ。実験や院試で大変やったが、色々自分の中に残っている年だった。こうやって鳥取で作栄の数人で集まるようになったことのきっかけは、2年前のNZに行く前のこと。俺と植野が鳥取に行って、その時に山口や牛木さんを電話で呼び出し宴を開いた。その時に来られなかったメンバーは残念がっていたのだが、今回その2回目が開催。まあ、結局俺が言い出しっぺでみんながそれに賛同してくれたわけだが。大澤さんと山田さんと3人で近くの温泉に行き、夜はみーさんの手料理。うん、うめえ。赤ん坊の雪乃ちゃんも山田さん似でかわいい。とにかく、明日が本番。今日は疲れた。久しぶりによく走ったな。

八幡−鳥取 339km

10月23日

「第2回 作栄おロック会 in 鳥取」

眠い。昨日はそれ程遅くなってないのに今までの疲れで眠い。朝8時に山口が東京から来る予定だ。俺と大澤さんとみーさんで空港に向かってネタを仕込んで山口を待ったが、またやってくれた。来えへんやないか。それやったらもう2時間は寝られたのにな。

山田家に一旦戻って、めしを食って大学の圃場を見学に行った。オーストリッチを飼っているのにはびびった。食用にするんやろう。北大に比べれば鳥大の圃場は小さい。実験そのものは北大の作栄に似ている。圃場にせよ、ポットにせよ中心的のは養分の転流の研究やろ。あとストレスによる違いを見たり、RubiscoやPEPCの活性を測定するといったところか。そう言えば北大の時はこうやったな。現場から離れた今でもこんな話ができるのは俺も捨てたもんやない。

昼のAirでは牛木さんが来る。俺はまず仕込みネタとして山田さんに「ドッキリカメラ」で迎えてもらうことにしたが牛木さんのreactionのないこと。もっとびっくりしてくれたらええのに。牛木さんは相変わらず元気そうだがなんか病んでるような気がする。

そして、牛木さんも合流して俺らは投入堂に向かった。ここは2年前にも来た所だ。国宝である投入堂はほんとに不思議なところだ。岩のわずかなすき間にお堂がある。ほんとは近くまで登ろうかという話になったが、雨が降ってたので中止だ。よって近くのお茶屋でうどんをすすって鳥取市内に戻ることにした。

最終便で来るのは阿部さんと徳さん。徳さんには今朝札幌に電話して来るように言ったら羽田で乗り継いで来ることになった。さすがは徳さんだ。問題なのは山口。朝の便は寝坊で、まあしゃあないとして、昼の便はキャンセル待ちで乗れなくて、最終便までの4時間が待てないと言って、わざわざ100kmほど西の米子に飛んで列車で鳥取まで来る。最終便で来ればPM6:00着なのに、列車やとPM6:40着。考えたらどっちが早いかわかるのに、やっぱり山口はあほや。

阿部さんと徳さんは第1回目みたいに座布団とお茶で迎えた。俺はエプロンとみつあみ、ネタ的にはいまいちやけど。最後は駅で山口を迎えて全員そろった。まずみんなで温泉に向かって、その後はお待ちかねの宴会だ。鳥大の中の施設でみんなが集まった。名目は「北海道の農業を考える会」。みんな先生としてこの会館を借切った。おい、どこにこんなロンゲでヒッピーな研究者がいるねん。家庭を持った人もいるし、結婚した人もいるのに、集まればみんな昔のままだ。ますます下品になったんちゃうか。みんなの顔もいきいきしてるし、俺もこのメンバーといるとホッとする。この会は2年に1度ぐらいはやろうってことになったがどんどんと続けていきたい。

10月24日

「鳥取砂丘をボディーボード」

眠い。今日も眠い。AM3:00頃まではじけてたかな。ほんまに今日は眠い。

午前中はみんなで鳥取砂丘だ。前回はみんなで丘の山から転げ落ちたが今回はボディボードだ。ボディボードで丘から滑り落ちようということになったが、これがまた滑らん。ボードは滑らんで体だけが滑っていく。みんな挑戦してた。あほだ。周りのギャラリーは爆笑してる。まいった、まいった。

その後は、砂だらけの体を清めるために近くの温泉に向かった。この砂丘温泉に来るのも2度目だが、ほんまにいい温泉だ。料金も高くなく、400円で温泉から日本海が一望できる。鳥取にはほんまに至る所に温泉がある。温泉好きの俺としてはたまらん。

体中の砂を落とした後は阿部さん、大澤さん、徳さんを見送りに空港に戻った。出発前には作栄恒例のジュージャンだ。これをやらなきゃ作栄やないで。結果的に阿部さんが負け、取りジャンでも阿部さんが負けた。

3人を見送った後、山田家に戻って俺も出発しようかなと思ってるとハプニング発生。なんと山田さんが家の鍵を落とした。よって、家の中へ入られない。たぶん、落としたのは鳥取砂丘に違いない。山田さんは隣の家のベランダからベランダに入り込んだが、こういう日に限って窓も閉まっている。結局、ガラスを割って入ることになかったがこれで1時間以上はlossした。やっぱり、なんかオチがあるで。

PM3:00過ぎに鳥取を出た。みんなとはまた2年後に会いたいし、この会は続けていきたい。さあ、京都までの長い道のり。俺は国道9号をぶっ飛ばしたが、福知山を過ぎた頃にはもう真っ暗だ。それに、眠いし寒い。なんとか長岡京まで着いたが、ここからがいつもの俺の悪いクセ。適当に八幡方向やと思って走ってると、知らん間に高槻に入り、茨木に抜けてしまった。これやったら羽曳野に戻れるがな。ああまた1時間のlossで、八幡に着いた頃にはPM9:00をまわってた。あほや。

鳥取−八幡 243km

10月25日

「今度は志摩半島 & 和香子さんとの再会」

今日は志摩半島までの長い道のり。ほんまに俺は無駄な動きが多い。秋田に入って青森に戻ったり、山形から東京に入って仙台に戻ったり。今回もそうだ。志摩に先に下って鳥取に向かえばよかったのに。まあ、鳥取が先に決まってたからな。それに、真珠の核入れは今しか見られへんからな。

八幡から木津に下って、そこから国道163号で上野に出て、422号、165号を経由して伊勢湾に出た。ここまででかなり距離があったのに、ここからまだ100km近くある。志摩をなめていた。むっちゃ遠いやん。

ここからまた道に迷って尾鷲方向に行ってしまって、時間をlossしたが、なんとか日が暮れるまでに自称三重県一のべっぴんさんこと和香子さんがいる鵜方に着いた。和香子さんとはch-chのDream land BPで一緒になり、NZの生活に息詰まっていた彼女に俺が旅に出たら、と提案してあげた。当然、ルートも色々教えてあげたが。その旅が彼女のNZ人生、価値観を大きく変えたみたいで、彼女は俺にすごく感謝してた。それ程俺に感謝されても困るが、結果的に充実したNZ生活を過ごしたならそれに越したことはない。

和香子家は豪邸だ。さすがは真珠でもうかってる一家だ。部屋もいくつあるかわからんし、応接間のソファーなんて俺がベッドにほしいぐらいだ。おかんがまた娘そっくり。そっくりと言うのは顔ではない。性格だ。ようしゃべるし、くどい。もうええかげんにせえってぐらいのキャラだ。おとんは物静かな感じだがいい味を出してる。和香子家はat homeで感じのいい人々で居心地がよかった。めしもうなぎめしにカツオの刺身etc。地元の英虞湾で獲れたものばかり。おかんがどんどん勧めるから俺もついつい食ってしまった。これでビールを飲んでたら食えんかったな。日本酒でよかったで。途中から和香子さんの悪友も参加しての宴となった。やっぱり、類は友を呼ぶやな。連れも強烈なキャラだ。ちょうどテレビのドラマでやってた松島菜々子が妙に女っぽく見えたのは言うまでもない。

とにかく、今日は食い疲れだ。まいった、まいった。

八幡−阿児町 179km

10月26日

「貴重な真珠の核入れ手術の見学」

さあ、志摩半島に来たメインイベント。そう、真珠の核入れの手術の見学だ。和香子さんの両親は2人で真珠の養殖をやってるが、その核入れを和歌子さんは手伝っている。ほんとは春の4〜5月にかけて核入れをするんだが、今年はこの時期もやってみようという初めての試みらしい。そして、今日俺が来るっていうのでわざわざ俺に見せてくれる分を取って置いてくれた。これには感謝やな。

OZのDarwinで船長と出会って、色々真珠のことを教わったが、機会があれば英虞湾に行ってみるとは言ったがほんまにそうなるとはな。このことを船長に伝えたらびっくりするやろうな。核入れの手順はこうだ。まず、直径10cmほどのあこや貝を用意する。あこや貝に卵ができたら手術には厄介なので手術する数ヶ月前から抑制させる。要はでかい箱に貝をつめて、貝をへたらせる訳だ。次に、核を入れるわけだが、核はUSAのミシシッピ川の貝から作られたもので貝の大きさ等を考慮して、何種類かの大きさがある。それを口と肺の間にメスを使って入れるわけだが、真珠層を作るには貝の耳の部分から1mmほど内側の細胞がいる。これをメスを使って切り取って1辺3mmほどの正方形ないしは長方形にしてそれを核を入れる前に入れる。これには向きもあって表側が核側にするとできもいいらしい。そして口にメスを当てて固定して核を入れる。当然、落核や貝が死んでしまう恐れもあり、最終的に残るのは50%ぐらいとか。核を入れて置けば置くほどその死亡率は高くなる訳だが、大体1年も経たないうちに取り出すらしい。手術時は1日400コもの核入れを2ヶ月も繰り返すとか。うーん、気の遠くなる作業だ。

術後は、貝を海につけるが、雨が降ったら深く沈めたり、寒くなると紀伊長島の方に移したり、もし赤潮なら全滅しちゃうし、とにかく休めないぐらい忙しくこれは気の遠くなる作業だ。ちなみに、去年は全滅したらしい。真珠では儲からんと言って、仕事を辞めたところもかなりあるようだ。まず、貝が手に入らん。ただ、日本の真珠は世界でもNo.1で、これに勝るものはどこでもできないらしい。Darwinで船長に聞いた方法とはかなり異なる。うーん、ここまでバイクを飛ばして来てよかった。和香子一家には感謝やな。わざわざ、今日のために手術を延ばしてくれたんやからな。感謝感激だ。ありがとう。

さあ、これで京都に戻れるぞ。また長い道のりや。

阿児町−八幡 164km

10月28日

「再び鳥取へ」

さあ、今日から再び山陰シリーズ再開だ。俺はどうも同じ道を通るのが嫌で今日はくずはに一旦出て長岡京に入って国道9号に出た。この1週間でこの道は3回目だ。全く嫌になってくるで。亀岡、園部、福知山と渋滞するし。それにしても、なんで国道はこんなに工事中が多いんや。これは全額税金から出てるんやろう。これだけの銭だけでも相当の額だ。そりゃ自民党が政治献金を止めへん訳だ。赤字国債発行も止むを得んかもしらん。

ハチ北を過ぎて昼すぎに鳥取に入った。今回、鳥取はパスだ。でも、俺は鳥取を気に入っている。静かで温泉がいっぱいあるのがいい。砂丘の海岸も広がるし。今日はできるだけ西へ進もう。時間的には倉吉近辺になると予想してたがその通りとなった。大栄町のお台場でテントを張ることにしたが、国道沿いのキャンプはうるさくてしゃあない。

夕方、少し国道9号を戻って羽合(ハワイ)温泉に向かった。湖畔にあるひっそりした温泉街でプールのように広い。温泉の質もまずまずで熱過ぎずOK。やっぱり、湯に浸るとホッとするね。おばちゃんもいい人やったし、ロビーでくつろげたし。

テントに戻ってもすぐそばでは車が飛ばしまくる。まいった、まいった。それにしても、テントになると夜はすることがない。もう寝るしかない。

八幡−大栄町 316km

10月29日

「隠岐諸島、島後で野宿」

今朝は出発する前に気になることが。そう、それは日本シリーズだ。ダイエーが3−1でリードした第5戦、昨日、羽合温泉のロビーで見た時は1−0で中日がリードしてた。近くのコンビニでスポニチを買うと、何とダイエー優勝では。4−1でダイエーが勝つとはびっくりだ。ダイエーが優勝したのはそれでダイエーファンにはええやろうが、第6、7戦を福岡ドームで期待していた球団側はスカ食ったやろ。

このコンビニから隠岐汽船に電話してみたら境港から隠岐行きのフェリーはPM2:30から出るとのこと。よし、隠岐へ行こう。その前に大山に寄っていこう。寄ると言っても近くまで行って大山を左手に見ながら走るだけだった。今日は曇っててあかん。いまいちだ。

米子の手前のレッドバロンでエレメントとオイル交換をした。オイルはかなり汚れていたようだ。札幌で換えてから5,000kmは走ってるやろう。オイルのことはずっと気にはなってたからな。そして、弓ヶ浜を過ぎ、水木しげるの世界、境港に着いた。問題はバイクだ。利礼航路も高いと思ったが、隠岐汽船は高い。うわさでは聞いていたが。2等が2,530円、バイクを積むのは3,780円。島間では1,150円、バイクが2,640円はする。これはやってられん。俺はバイクを置いていくことにしたが、問題は置く所だ。駐車場やと持っていかれそうやし。バイクを預けるようなところはないし。俺は案内所に尋ねてみたが警備員のおっちゃんがここならどうだと教えてくれたがその場所はちょっとな。なんせ姉貴のバイクだけにぱくられたら俺の立場はない。よし、これは交番に預かってもらおう。そう思って交番に行ってみたら交番も留守にすることがあると言って、交番からも見えるロータリーにある自転車置き場を勧めてくれた。ここならタクシーの運ちゃんも見てくれるやろうとのこと。よし、その言葉を信じよう。

隠岐汽船は隠岐の島を順に巡っていく。とりあえず、俺は一番でかい島後の西郷町に行くことにした。港に着いたのはPM6:45。もう真っ暗だ。案内所でキャンプ場を聞いたが歩いては暗くて行けないと言われた。まいったな。近くのおばちゃんも今からじゃ無理やと言ってたし。このおばちゃんは俺に色々港周辺でテントを張れそうな所を教えてくれた。ええおばちゃんや。よし、今日は港で野宿や。その前に近くでカツカレーを食った。これが今日の一食目だ。港のベンチで野宿をしようとしてると、イカ釣りをしてるおっちゃんと仲良くなった。ルアーで毎晩のように釣ってるらしい。釣りが趣味のようだ。とにかく、今日は寝よう。

大栄町−境港 69km

10月30日

「島後touring」

しまった。夜はヤンキーがうるさいのを忘れてた。こんなところにもヤンキーはおったんやな。それに車は走るし、釣りの人はどんどん来るし。何と言っても野宿は寒い。テントがないのはこんなに辛いとは。これにはまいった。

今日は原チャを借りよう。俺はそう決めていた。2時間で2,200円、それ以降は800円ずつup。これなら礼文の方がいい。AM8:00から原チャは借りられるがAM8:00から4時間やと昼で終わってまうが、俺は隠岐に温泉があることを知りそこが開くのがPM2:00。そう思ってAM11:00ぐらいから借りようとしたが待てん。よってAM10:00ぐらいに原チャを借りることにしたのだが、その待ち時間に昨日のおばちゃんが俺を心配して様子を見に来てくれたのには感動だ。夜ずっと俺のこと心配してくれていたそうだ。Thanks a lot。

さあ、原チャでの島内一周だ。原チャに乗るのは久しぶりだがクラッチ操作がないのはむっちゃ楽だ。だが寒いのは寒い。俺はCCWに島を回ることにした。今日は天気がいいのでバイクは最高。原チャのmeritはバイクで見落としがちな所をしっかりカバーできることだ。道がhillyだったのは特に問題なし。海岸線を走ってたのにhillyだったのは意外だった。島後は信号も少なく、交通量も町内以外少なくvery good。海岸は岩場の所が多かったが所々砂浜があった。海はやっぱりきれいだ。布施に行く途中の砂浜もよかったし、浄土ヶ浦のさびれた海岸も情緒があってgood。白島は絶景やね。全体的なイメージとしては東側の方がよかったかな。五箇所村から都乃村にかけては海岸線は確かにきれいだが、少しboredだった。ただ総合的に見てやっぱり礼文の方がええな。海も礼文の方が上やしactivityで考えるとなんと言っても礼文にはtrekkingがある。あの多彩なトラックは島後にはない。町の規模から考えると余裕でこっちの方が都会だ。なんせ島全体で3万人もいるし、西郷だけで14,000人、島後で2万人近くいる。地下1階、地上2階のスーパーはあるし、電気の総合店もある。カラオケボックスがあるのには驚いた。それに、ボーリング場も。少し都会じみた所だったのはびっくりだ。

島を一周した後、俺は後醍醐天皇が島流しにあって過ごした国分寺を訪ねた。時間がなかったので中には入らんかったが、その横に牛突ドームがあった。牛突は島では有名で、後醍醐天皇も好きやったみたい。牛突は確か宇和島にあったような気がする。

その後は、温泉だ。隠岐で唯一の温泉GOKAに向かった。この施設は温水プールも兼ねていて五箇所村の少しはずれの田園の中にありのどかな所だ。温泉もまずまず。ゆっくりでけへんかったのは残念だが、やっぱり温泉はいい。

結局、5時間も原チャを借りてしまった。思った以上に島後はでかかった。120kmは走ったんちゃうか。ガスも一回入れたしな。とにかく、西郷は都会だったってことにはびっくりだ。俺はもっと小さな所をイメージしてたからな。西郷以外は、まあこれが島かなって感じのさびれた漁村って感じた。いやー、今日は島後を堪能した。

夕方、キャンプ場に行こうかなとも思ったが面倒臭かったので昨日同様港で寝ることにした。今日はちゃんとテントを張って。テントを張っていると昨日のイカ釣りのおっちゃんがやって来た。昨日は10パイも釣ったらしい。夜になるとこの周辺はイカ釣りに人がやって来る。おっちゃん連中はいいが、若者はうるさくてしゃあない。夜に騒ぐな、ドあほ。寝られへんやないか。昨日と違って、さすがにテントを張ると寝やすいな。風が防げるのが何と言ってもいい。ただ、土と違ってコンクリートの上は辛い。固くて冷たい。

10月31日

「島前へshift、しかし…」

やっぱり、朝は冷える。海の男たちの朝は早いね。漁に出る船の音で起こされた。今日は天気がすっきりしない。どうしよう。境港に戻るか。でも、ここまで来たんやから島前にも行ってみたい。よし、やっぱり行こう。島前には西ノ島、中ノ島、知夫里島とあるが、俺は中ノ島に行くことにした。

中ノ島の海士港に着いた俺は、この島のもう1つの港である菱浦に向かった。西郷と違って海士は小さな町だ。人口は3千人弱。田中美佐子の生誕の地でもあり、後鳥羽上皇が上陸した所でもある。この島ではチャリで回ろうと決めていた。チャリになるとhillyな道は辛い。観光協会のおばちゃんに聞くと海岸線はhillyであまりおもしろくないとのこと。よって俺はこの島のmainでもある隠岐神社、明屋海岸方向にチャリを走らせることにした。

海士は俺が思ってた以上に田舎。役場周辺が少し町かなってとこで、港周辺もこれがほんまに港かってぐらい閑散としている。海士のactivityとしては釣りとダイビングやろう。あと、後鳥羽上皇上陸の地ってことでそれを臭わせるようなものが多々ある。ここと隣の西ノ島とは連絡船が運行されているので、島の規模としてはここよりでかい西ノ島まで海士の人々は買い物に行くのかもしらん。とにかく、この島の人々はのんびりと生活している。漁業と農業やろうな。

俺は海士港にテントを張ろうかなとも思ったが、今晩から雨が降るってことなんで迷った。素泊まりで民宿に行ってもいいが、できればそうしたくない。キャンプ場までは8kmもあるし。境港には今さら戻れないし。できればキャンプ場に行きたい。そう思って西ノ島の別府港から比較的近いキャンプ場に行くことにし、別府行きの船に乗った。別府まで10分ほどで着く。

別府港に着いたのはPM3:00頃。ここからキャンプ場までは3kmほど。歩いても1時間はかからんやろう。とりあえず、晩めしを買って向かおうと思ったら店がすべて閉まってるでは。そうか、今日はSundayだ。これにはまいった。しゃあない、あとで何か食いに来よう。日が暮れる前にテントを張らなあかんから俺はまずキャンプ場へ急いだ。

キャンプ場への道のりは最悪だった。3kmほどやったら楽勝やろうと思っていたら甘かった。トンネルを越えるまではずっと登り。ちょうど腹も減っていたのでこれはこたえた。汗はダラダラやし。トンネルを越えたらすぐやと思ったらこれがまた長い下り。俺はすっかり疲れ切っていた。これやったら海士で素泊まりにしたらよかった。

キャンプ場に着いたんはいいが人里離れた寂しい所だ。携帯は通じへんし、周りは林で目の前に海があるだけ。俺はとりあえず屋根がある炊飯場にテントを張り、めしを食いに行こうと45分ぐらいかけてやって来た道を戻りかけたがあまりの空腹に力が出ない。しまった、何か食ってきたらよかった。あほや。食い物は何も持ってへんし、トマトジュースが一缶あるだけだ。空は今にも雨が降りそうやし、寂しい所やし。起きていたら腹が減るだけや。もう寝よう。よってPM6:00には消灯。しかし、夜になると雨が降り始めた。これがまた激しい。こういう時ってまじで心細い。この辺りの日本海側は密航船が多いので、この悪天候を利用してこの人里離れた地に北朝鮮の潜水艦に拉致されて北朝鮮に連れていかれてキム・ジョンスクとか言う名前に代えられたらどうしようとまじで考えた。嫌やで北朝鮮で日本語教えんのは。境港にバイクや荷物は置いてるし。とにかく、寝よう。

11月1日

「雨、雨、雨の中を出雲まで」

雨だ。予想はしていたがほんとに雨だ。この中を港まで帰るのは辛い。それと、腹が減ってるので歩くのが辛い。俺は死にそうになりながらずぶ濡れになって港へと急いだ。

港に着いたのはAM7:00過ぎ。しかし、閉まっている。AM7:40発のレインボーがあるから開いているはずなのに。ホテルstayのおばちゃん2人もドアの前で待っている。このおばちゃんの1人が船会社に電話したところ欠航とのこと。おいおい、それやったらちゃんと張り紙でもしろ。俺は腹が減って死にそうだ。店はどこも開いてへんし。歩き疲れたのもあって喉が渇いてしゃあない。俺は自動販売機から久しぶりに飲むdiet cokeを取り出した。うーん、うめえ。空腹にはこれはこたえるで。

結局AM9:00前になってやっと港のドアが開いた。全くいい加減な対応やな。船に乗ると人がいっぱいだ。西郷から来たこの船はレインボーが欠航したためそれに乗れなかった人々がこっちに流れて来た。もう通路以外は座れそうにない。デッキに行くしかないがデッキは寒い上に雨が降り乱れてる。俺はさっきのおばちゃんと一緒に場所を取ろうとしたが2人分はどう考えても取れない。このおばちゃんに少し銭を払って2等特別席に行くように勧めたが、ここもいっぱいだ。まいった、まいった。俺は何とかこのおばちゃんの場所だけ確保してあげた。俺は船員さんのゴザを借りて通路に場所を取った。

やがて、雨の中船は境港に着いた。久しぶりの境港だ。バイクとも久しぶりに対面。さっきのおばちゃんがお礼にと俺にめしをおごってくれた。ええおばちゃんやん。おばちゃんと言うには申し訳ない。少々けばいが36歳の独身の人。松江に住んでいて派遣会社にいる。この人は俺に結婚の話ばかりしてきたが、俺に興味を持ったんやろうか。きれいな人やが俺はパスだ。

さあ、雨の中を松江まで走ろう。それにしても、ひどい雨だ。俺は妥協して今日は松江のYHAに泊まろうとしたが、休みやないかい、われ。働け、どあほ。今日のこの雨じゃテントは無理だ。しゃあない出雲まで行こう。俺は宍道湖を左手に見て国道431号を西へ走った。出雲に着いた時は小降りになっていた。しかし、体の芯は冷え切っている。ここのYHAのおばちゃんはむっちゃ愛想悪い。どうなってんねん。ここには、この時期には珍しく、俺以外にも客が5〜6人いた。みんな旅人だ。こうやって部屋をshareして話するのは久しぶりだ。なかなかいいもんやね。

境港−大社町 66km

11月2日

「島根って結構いいやん」

今朝もパッとしない天気。出るか止めるか。でも、同じ所の2泊は嫌だ。よし、出よう。その前に出雲大社に向かった。街の通りにはでっかい鳥居がある。その周りにはみやげ物屋やそば屋が広がり、まさに街全体が出雲大社を中心とした空間だ。鳥居をくぐってずっと真っ直ぐ進むと本殿がある。今は工事中で中に入れないみたいだがきれいな所だ。俺は道中の健康を祈願してここを出た。

その後は、旧大社駅。平成2年に廃舎されるまで明治からずっと使われていた駅。明治時代を思わせるような造りでなかなか風情があってよか。こういったものはいつまでも残していってほしいものだ。

この後は、winery。Blenheimでwinery飲んだくれtourを決行した俺としては、島根wineryが近くにあると聞けば行かずにはいられない。まさか島根にwineryがあるとはな。このwineryは思ったよりもきれいで規模がでかい。俺が向かった時は新酒ワインのtastingもあった。ここのええところはtastingが好きなだけできることだ。ピッチャーらしきものにワインが入れてあって、おたまで好きなだけカップに入れられる。俺が行った時はちょうど10種類のtastingがあって、当然俺はすべて飲んだ。うーん、満足。ただ、全体的な印象として少し甘ったるい。ブレンドしたのも多いしな。

これで出雲ですることは終わったと思ったら、おお出雲ドームが目の前にあるじゃないですか。話のネタに行ってみると、木造のドームじゃないですか。中の広さもまずまずで、ただプロ野球には向いてないな。ホームランの連発やろう。

これで出雲を出られる。俺は国道9号を走り始めたが、出雲そばを食うのを忘れていたことに気づいた。そして、途中の「道の駅」にあわてて駆け込んだ。出雲の名物割子そばはいわゆるざるそばだ。つゆにめんをつけて食うわけだが、店によって違うのかどうかは知らんがここで食ったそばつゆの甘いこと。これはみりんと砂糖の入れすぎ。かつおのだしもあまり効いてへんし。これは失格。1つの店だけでその土地の食べ物を判断するのはよくない。また、ここで地ビールも飲んだ。地ビールの良さは何と言ってもあの酵母臭さだ。どこの地ビールにも若干の違いはあるが共通した独特の味がある。この出雲ビールもそうだ。

今日は浜田の近くまで行こうとしたが途中から激しい雨になってきた。まいったな。これじゃテントは無理やし。何と言っても寒いこと。雨が止む気配はない。俺は寒い中健康ランドらしきものを探しながら国道9号を西へと走ったが、そんなものはどこにも見当たらん。考えてみればそうだ。人口が少なく温泉が山ほどある山陰にそんなもん作っても儲からんやろう。そう考えながら走り続けると知らん間に益田に入った。もうこうなったら津和野へ行こう。そう思って津和野を目指した。

津和野の手前の「道の駅」でチャリダーのおっちゃん2人組に会った。1人は和歌山から、もう1人は岸和田から仕事を求めてチャリンコで放浪していて、2人は途中出会って同行している。岸和田のおっちゃんは初め名古屋方面に向かったらしいが仕事がなくて方向転換した。あの鳥取に入るまでの道路を京都からチャリで来たんやから大したもんだ。おっちゃん曰く、

「60過ぎたらどんな資格持っててもあかん。採用してくれるのは40までや。」

とのこと。うーん、そうかもしらんな。俺が経営者でも60よりも40の人を採用するやろう。このおっちゃんたちは2日もの雨の中、ここの「道の駅」でstayしている。根性あるな。

さあ、気を取り戻して津和野までの道のりを急いだ。津和野はさすがは小京都。それを思わせるものが多々ある。俺はYHAに向かったが、珍しく俺以外にもう1人ライダーがいた。彼は近大の学生で学祭を利用して旅をしている。彼と一緒にめしを食いに行って、夜はずっと話してた。学生時代が一番いいね。でも、今の学生はなんか頼りない。若者らしくないと言うか何と言うか。まあ、彼はまだaggressiveな方やな。とにかく、若いうちに好きなことをしてくれ。悔いのないようにな。

大社町−津和野町 194km

11月3日

「津和野散策 & ひろあきとの再会」

寒い。テントやったら死んでたな。これは5℃切ってるやろう。まいった、まいった。

今日は、昨日と違ってええ天気になった。さあ、津和野を少し回ってみよう。ほんとさすがは小京都。至る所に京の都を思わせるものがある。山の中腹にある稲成神社はいとをかしだ。下から1,000もの鳥居を歩いていくとそこに着く。下から見上げると山の緑と、この赤とのコントラストがいい。街を走るとtour客やチャリで回っている人が多くいる。街には至る所に川があって、ここでは鯉が飼われている。鯉もtouristがエサを与えることを知っていて、そこに寄って来る。人工的に作られた町って感じだが、不思議なもんだ。うーん、いい所だ。

津和野を出た俺は国道9号で山口市内を目指した。萩に行くかどうするか。中学の時行ったし、もうええか。そう思って山口市内を越えて秋吉台に向かった。秋吉台も中学の時に来たが、実際広大なカルスト台地の中を走ってみると気分がいい。しかし、鍾乳洞に入るのに銭がいるのには納得いかん。なんで払わなあかんねん。折角の天然の貴重なものを商売にしてしまう日本人の愚かさ。ああ、納得いかん。

それから、俺は一旦日本海側に出て、青梅島に寄り、再び日本海側を走った。目指すは千畳敷。カナディアン・ファームでハセヤンや大樹が言っていたように、ほんまにそこにはひろあきがいるのか。俺はあまり期待せずに走っていて、途中でもう諦めて行くのは止めようとそういう気持ちで千畳敷に着くと、「カントリーキッチン」というカナディアン・ファームらしき建物があって、これやと思って中に入ってみると、ハセヤンの言った通り元ファームの居候上田夫妻がいて、ひろあきは下のログハウスにいるとのこと。早速、ログハウスに行ってみると相変わらず怪しそうなひろあきがいた。久しぶりだ。ひろあきと会うのは3年ぶりぐらいか。ひろあきも俺の突然の訪問にびっくりしてた。今日はテントで寝るつもりが、なんと屋根の下で寝られるとは。日中でも10℃いってへんかったからな。さらに、今晩上田さんから、上田さんのお母さん、お兄さん、家族と共に寿司を食わせてもらった。いやー、申し訳ない。時間があれば数日働いて行くんやけどな。ほんと上田夫妻には感謝だ。

ひろあきと会えるのも今度はいつになることやら。俺と同じ歳だが俺は彼のことをすごく尊敬している。ひろあきを見ると、俺はまだまだやな。人間的にすばらしいし、人に紹介できる人間だ。また一段と成長してる。ひろあきは1人で家を建ててそこに住んでた。立派なものだ。家を建てるぐらいしかできないと本人は謙遜していたが、それはすごいことだ。色んなことをやってどっちつかずよりも、ひろあきみたいに1つのことに一流なのもいいかもしらん。とにかく、またどこかで会いたい。今日はありがとう、ひろあき。

津和野町−日置町 161km