10月10日

「東大時代の仲間と長野で再会」

眠い。昨日は朝3時まで飲んでた。そして、起きたんが朝6時半。まだ酒が残っている。でも、長野まで行かねば。

この3連休のおかげで渋滞の度合いが読めない。長野までの距離はわかるが混み具合によって全然違ってくる。とりあえず、俺は国道17号で高崎に向かった。都内はガラガラやったが、大宮に着くまで結構かかった。そこから高崎までは俺の予想に反してすいていた。よって、高崎には思ったよりも早く着いた。高崎からは国道18号に入ったが碓氷峠の手前からは渋滞だ。それを越えたらもっと渋滞。そう、軽井沢だ。俺はミーハー地には興味ない。ここは軽く素通り。それにしてもこの辺りにはライダーの多いこと。その数は半ぱやない。北海道以上だ。

今日は天気がええから走ってて気持ちがいい。国道18号を走り続け、とりあえず長野市内に入った。やっぱり、オリンピックがあったところはちゃうわ。きれいになってる。標識も英語が使われてるのが多いし。この整備の予算ってどこから出たんやろうか。まさか税金かな。

今晩、牟礼村の粟津原さんの別荘に東大の連中が集まる。この前会えなかった連中も来るので俺はこの別荘に合流することにした。とりあえず、佐々木と連絡を取ってみんなが野尻湖にいるということなのでそっちへ向かった。野尻湖は高校の修学旅行以来だ。そう言えばハットリとボートに乗ったな。まさかここに戻ってくるとはな。俺が着いた頃にはみんな釣りに没頭してた。俺は釣りはあかん。とにかく、あの待つ時間が我慢できん。仮に、俺が本格的に釣りをするとしたらflyしかないな。よくもまあ、みんな頑張るな。俺は眠くて眠くて。思わず車を借りてそこで寝てしまった。

この辺りになると日が暮れたらかなり冷える。おそらく10℃は切ってるやろう。標高1,000m以上はあるしな。別荘に着いてすぐにみんなで温泉に向かった。やっぱり、ライダーには湯やね。湯に入ると生き返る。それにしても、寒い。もう、すっかり秋やね。紅葉は少し早いが、テントで寝るのがだんだん辛くなってくる。別荘に戻るとおこちゃまとその友人がめしを作り始めた。みんな変わってないな。ほんまに将来どうなるんやろ。エリートで来た人がほとんどやからな。これから社会に入ったら自分の思い通りにいかんことの方が多いと思うよ。とにかく、みなさまお元気で。

東京−牟礼村 302km

10月11日

「志賀高原touring & ゆかとの再会」

やっぱり、朝も冷える。今日は原村までの長い道のり。その前に志賀高原でゆかに会わないと。まず、俺は待ち合わせの中野駅へ向かった。中野市はちえみさんの出身地。時間があればちえみさんにも会ってみたいが、それ以前に俺はちえみさんのaddressを知らん。あほや。ゆかとの待ち合わせまでかなり時間があるので、俺は志賀高原へ向かった。中野市内から志賀高原までは20kmほど。志賀はスキーで有名だが、この時期でもツーリストの多いこと。紅葉には少し早いが、ライダーも多い。

ゆかが働いているホテルに行きたいところだがどこにあるか忘れてしまった。志賀と言っても広いからな。志賀周辺のこの国道292号はなかなかgood。景色はいいし、空気はいいし。ただ、車の量が多いのは困るけどな。俺は北志賀にしかスキーで来たことないがこの時期に来るのもいい。バイクでチンタラ走ってるとこの辺りのスキー場の位置関係がはっきりわかる。ほんまにこの辺りはスキーのメッカだ。

昼過ぎにゆかと連絡が取れ、ゆかのいる熊の湯に俺は向かった。中野駅で会うよりもこっちのがいい。ゆかは相変わらずちびだ。Taupoで初めて会って、Blenheimで再会、そしてフラットを紹介してあげた。ゆかは俺のことを一種のカリスマ的な存在に思ってるようだが、俺を人間以下として扱っている。だから、一緒にいて気を遣わんで楽らしい。そんなゆかは今度結婚することになった。おめでとう。でも、ゆかは抜けているところがあるからな。果たして嫁として勤まるのか。

俺らはゆかの車で近くのそば屋に向かった。山形のそばもうまかったが信州もそばはうまい。やっぱり、そばつゆはかつおやな。かつおの風味がまたいい。俺は大阪ではうどん、東京と札幌ではラーメンしか食べへんかったがそばもええな。これからはそばも追求してみよう。

ゆかと別れた後はひたすら原村に向かった。国道403号で須坂に入り菅平を越えて上田市内に入った。長野の高原はどことなく共通点がある。白樺林があって、林の中を通り抜ける道路が交差し、ペンション街があって、テニスコートがある。北海道とは少し違うな。なんと言っても広大な平原がない。

上田からは国道152号で白樺湖に向かい、白樺湖に着く頃にはすっかり陽も落ち寒くて寒くて。原村に着いた頃には星が出てた。さあ、原村で少し休憩といきたいところだが明日からは仕事が待ってる。頑張らんとな。

牟礼村−原村 194km

10月12日−14日

「原村滞在記」

原村では毎日畑仕事。宮坂家の花の出荷を手伝ったり、米の収穫を手伝ったり。正直、疲れで体調がよくなかったが忙しい時期なんで手伝ってあげんとな。

カナディアンファームにも顔を出した。知ってるメンバーはじろうさんとフレちゃんぐらいかな。すっかり雰囲気も変わったな。ハセヤンもいつも通りで、大樹はしっかりしてきた。大樹があそこまでしっかりしてくるとはな。俺もびっくりだ。

フレちゃん一家を訪ねる時間があったのはラッキーだった。フレちゃんは俺にとっては大親友の1人だ。むっちゃんも元気そうやし、2人のちびっ子はむっちゃかわいい。大和はフレちゃん似で、みずきはむっちゃん似か。驚いたのが大和は12月18日生まれのO型で、干支もねずみ。全くびっくりやね。さらにみずきはうちの姉貴と同じ誕生日。ほんまに偶然やな。

フレちゃんとむっちゃんは将来のことで悩んでいた。最終的に日本に住むか、カナダに住むか。それは難しいところやな。俺にはなんとも言えんが子供のことを考えるのがまず第一だ。将来、日本でやっていきたいのならこのまま残ればいいし、子供がカナダがいいと言うなら向こうに移ればいいし。とにかく、今は子供のこと以上にフレちゃん自身の土台をしっかりすることやな。

阿部さんにも会えた。離婚のことで色々あったが、今はすっきりして元気そうだった。りかちゃん、ゆみちゃんも元気そうで、2人共大人っぽくなった。親子3人が今の生活に満足して楽しく過ごしているのなら、それが一番いい。周りが何を言おうが、そんなことで自分たちが潰されず元気でやってほしい。応援してるよ。

10月15日

「雨、雨、雨の中を新潟まで & 山ちゃんとの再会」

最悪や。朝から雨。今日は新潟まで行かなあかんというのに。雨が降っているせいか、気温もかなり低い。長野市内では14℃やった。来た道を戻るってのはほんまにやる気ない。先がわかっている上にこの雨ときたら嫌になってくる。今日のよかったことと言えば途中のコンビニのおばちゃんがカラ揚げをくれたことぐらいか。それ以外はほんまに辛かった。

長野市内から国道117号で飯山に向かって、十日町、川口と来て国道17号に入った。17号に入ったんは高崎以来やな。ほんまに雨の中を走るんは嫌や。水しぶきは飛ばされるし、ゴーグルはぬれてくるし。それに、何と言っても冷える。グローブはぬれるし。それでも、ようやく長岡を過ぎて、国道8号に入った。ここからは新潟までは一直線だ。俺に都会は用なし。市内が近づくにつれて車の量が多くなってきた。車線数も多くなってくるし。そうなると車線変更が大変だ。ほんまに都会は嫌になってくる。

新潟市の中心部から少し離れたところで山ちゃんと再会した。山ちゃんと初めて会ったのは6年ほど前。俺が礼文2年目の時のなぎさのヘルパーだ。山ちゃんとはいつか飲もうと言っていて、結局一度も飲めなかった。今年も礼文で再会し、今年こそはと思って新潟を訪ねた。山ちゃんも礼文にはまった人間。俺と同じだ。2人で礼文の話をすると話は尽きない。

山ちゃんは今日のために熊本のおいしい焼酎を用意しといてくれた。「鳥飼」という人吉市で作られたもので、これがまたうまい。それと「越乃寒梅」。これは新潟ならではやろう。俺も山ちゃんも勢いあまってついつい飲みすぎてしまった。いやー、うまい。もうやめられんわ。

山ちゃんのお母さんは俺のために色々料理を用意してくれた。俺が一番気に入ったのはごはんだ。米は特にコシヒカリを使ってるわけではないが、まじでうまい。その正体はガス釜と井戸水だ。井戸水で米を研いで、ガスで炊く。水道水を使って炊飯器で炊くのが今の常識となった中で、この心意気には感動だ。いくら素材がよかっても演出を間違ったら終わりだ。阪神の首脳陣のように。

今日の道中は雨にあたって最悪やったが、夜は温かい空気に触れいい思いをした。山ちゃん、ありがとう。

原村−新潟 291km

10月16日

「雨、雨、雨の中を富山まで、そして…」

今日も朝から雨。まいった、まいった。仙台、いわきでは太平洋沿岸を走ったが、今日からはまた日本海。俺には日本海の方がなじみがある。海は荒々しいが懐かしい。どこか温かい感じがする。しかし、この天気がなあ。今日なんてずっと降り続いてたぞ。気温は11℃やし。

寺泊、柏崎と過ぎたが雨はいっこうに止まん。国道8号を西へ走らせ能生であまりの寒さで休憩した。まいった。そして、糸魚川、親不知と抜け途中から宇奈月の方向に走らせた。これだけ雨が降ったら今日はテントは無理やろう。俺は、一応キャンプ場に向かったが芝生があれだけぬかるんでいたらあかんわ。健康ランドはこの辺にはないしな。しゃあないYHAにするか。俺は基本的にYHAは嫌いだが、NZで会員になったしな。俺は近くのYHA天香寺というところに向かったが、予想通り客は俺1人。でかい寺の中を俺1人が占領。それにしても、きれいなところだ。しかし、おばちゃんはやる気なし。その方が俺も気が楽だ。

宇奈月温泉ってどっかで聞いたことあるなって思ってたら黒部峡谷に行くところではないですか。実際行ってみるとまさしく観光地そのもの。ホテルは建ち並びみやげ物屋が並ぶ。当然、ホテルなんかで風呂を入ったら銭が高くついてしゃあない。俺は近くの公民館みたいなところへ向かった。入浴料210円。安いね。

風呂上がりはビールしかないやろ。俺は近くの酒屋で地ビールを買って1本あけた。うーん、うまい。その後は軽く鱒寿司を食った。富山といえば鱒寿司やろ。まあ、俺は鰤寿司の方がええけどな。

宿に戻れば広い空間にポツンと俺が1人。俺が何気なくVBを見ると、なんと先週にあの「島抜け号」の名付けの親こと、乾さんが泊まってるやないですか。これにはびっくりだ。あのXLRでまだ頑張っているわけですね。やるねー、乾さん。また会いたいな。それにしても、よお雨が降る。冷えるしな。ほんまええ加減にしてほしい。

新潟−朝日町 249km

10月17日

「直子さんとの再会 & 雨の中を待ってたものは…」

今朝もすっきりせん天気。ほんまにどうなってんねん、北陸。俺は富山市に向かう前にもう一度宇奈月温泉へ行ってみた。今日は日曜日。おびただしい数のtouristだ。観光バスだらけ。みんなトロッコ列車に乗るんやな。これは予約せんとあかんわ。紅葉はまだやのにな。

朝は雨が降ってたのに徐々に天気がよくなってきた。俺は、魚津の蜃気楼ロードを走り、滑川に入った。海の向こうには能登が見える。それにしてもサーファーは元気やな。お前ら寒くないんか。

富山市に入ると予想通り渋滞。だから町中は嫌や。片側2〜3車線になると車線変更がめんどくさい。ほんまに町中は興味ない。

富山駅前で直子さんと再会した。直子さんはAucklandのフラットの仲間。会うのは俺がAucklandを出る時以来か。久しぶりやね、でも全然変わってへん。俺と直子さんはファミレスへ向かった。直子さんに家に泊まったらと誘われたが、お嬢様の家に泊まれるかいな。ええとこの子やのに。直子さんは生まれて今までずっと富山にいる。カナダやNZにワーホリには行ったけど、日本では富山以外では暮らしたことがない。そのことは別に悪くもないし、いい悪いの問題やない。しかし、直子さん自身、自分の視野の狭さを痛感しているようだ。富山にいたら俺みたいな人間にも会わんかったと言ってた。うーん、難しいところだ。東京や大阪に出るのはそれはそれでいいかもしらんが、住むとなると大変だ。田舎に比べりゃ仕事もあるが、自分で家は探さなあかんし、満員電車での通勤、めしは作らなあかんし。まあ、情報はすぐに入ってくるし、遊ぶには困らんけどな。俺は都会に住むのはそんなにいいと思わんぞ。富山もええとこやん。まあ、住んでみればまた違うかもしらんな。俺から見て直子さんは少し社交性に欠けるところがある。そういったところはどこどこに住んでるかじゃなくて、個人の問題やと思うよ。

富山市を出る頃はもう日が暮れかかってた。やばい。今日は高岡の外れの雨晴海岸まで行こうと決めていたので俺は急いだ。途中で道に迷ったのもあった。雨晴海岸に着いた時にはもうすっかり日が暮れていた。しまった。それに、ここは芝生じゃなくて砂浜だ。砂の上のテントは嫌だ。何と言っても汚れる。とにかく急いでテントを立てなあかん。そう思っていると、いきなり雨が。あかん、あかん。俺は急いで立てるが雨がだんだん強くなってきた。テントを立て終わった頃には内もびちょびちょや、シュラフも濡れていた。まいった。服も濡れてしまったしな。俺はテントの内に入り、シュラフにくるまりながら震えていた。雨が止んだら近くの温泉に行って、何か食おう。そう思っていたが雨は強くなる一方。まいったな。そう思っていると、

「テントは寒いでしょ。家に来なはれ。」

とテントの外からじいさんの声がした。この雨じゃな。俺はじいさんの言葉に甘えて今晩家に泊まらせてもらうことにした。

じいさんの家はここから少し離れた島尾駅の近くで、俺のテントの周辺を散歩してて雨がひどくなったのでわざわざ俺を呼びに戻ってくれた。なんていい人なんや。家に着くとばあさんが風呂を沸かして待っていてくれ、ごはんも用意してくれた。もう感動やで。米は新米の富山産コシヒカリ、それにフクラギの身を使ったカス汁。うまーい。もう涙が出そうだ。こんなオチが待っているとは。今の日本も捨てたもんやないな。

それにしても立派な家だ。昔ながらの造りで天井まではかなりあるし、欄間もある。まだまだこういった家もあるんやな。俺はてっきり2人共農業やってるんかなと思ったが、今は特に何もしてへんようだ。2人共ほんまに俺に気を遣ってくれる。そんなに構わんでもええのに。まさかこんな夜が待っているとはな。これも旅やな。

朝日町−氷見市 114km

10月18日

「お世話になりました」

今朝は晴れたと思ったらまた雨。晴れ時々雨って感じだ。まるで冬のAucklandのようだ。朝めしはじいさんが市場に行って買ってきたとれたてのフクラギと、アオリイカの刺身とお吸い物。当然、米は富山産コシヒカリ。朝から豪華やな。うまい。しかし天気がだめだ。とりあえず、俺はテントを撤収しに行ってじいさんのところで天気が回復するまで待つことにした。その間もばあさんがコーヒーを入れてくれたり、焼きいもをくれたりともう至れり尽せりだ。ほんとにこの2人には世話になったな。

雨が上がったので俺は先に急ぐことにした。しかし、時刻はもう昼前。俺は氷見海岸を走ったがなかなかgood。交通量は少ないし、のどかでいい。やっぱり、日本海はいいね。太平洋は広大というイメージの分、海は「静」って感じだが、日本海は荒々しいイメージで「動」。その代わり人々は太平洋側はダイナミックって感じだが、日本海側はのんびりしている。この氷見海岸ものんびりとゆったりした感じだ。

七尾市内に入る前に鹿渡島の観音崎の方に向かった。道もだんだん細くなりひなびた漁村をバイクで通ったが、こんなところにも人々が住んでいるんや。国道からかなり外れに来たのにちゃんと人々の生活がある。いやー、日本って広いね。改めてそう思った。

それから、七尾市を抜けて和倉温泉に入った。ここも有名な温泉街みたいだ、ホテルが建ち並び、みやげ物にお客が群がる。温泉があるとこってのはいいで。いつでも客がいるもんな。

和倉温泉から能登島大橋を渡って能登島に入った。いやー、こんな島にもちゃんと生活があるんや。学校もあるし、ちゃんと町になっている。ここは、農家と漁師の町ってところか。俺はこの島の端っこの勝尾崎のキャンプ場にテントを張ることにした。田舎にテントを張ると地元の人と触れ合える。今日のおっちゃんは何言ってるかわからんかった。近くの漁師さんやけど何を言ってたんやろう。俺は能登島を少し回って再び和倉温泉に戻った。そう温泉だ。温泉街にある公衆浴場に向かった。やっぱり、温泉やね。体が温まる。ライダーには何と言っても湯やな。

キャンプ場に戻った頃にはすっかり暗くなってた。当然、俺1人。周りには誰もおらん。コオロギの鳴き声だけ。街灯もなく月明かりのみ。テントに入って何もない中、海の音だけが聞こえる。いいね。

氷見−能登島町 138km

10月19日

「能登半島touring」

今日は天気がいい。絶好のバイク日和だ。能登島大橋を越えて再び和倉温泉に戻った。そこからは、国道249号を北上だ。今日はほんとにポカポカしてて走ってて気持ちがいい。海もきれいし景色もいいし。

穴水からは海岸沿いを通るため県道に入った。途中からは民家の間を通っていくことになったが、これは車やったら辛いな。礼文の知床の道よりも狭い。道端では地元のじいさんやばあさんがたむろしている。あまり若者連中が見当たらんのはがっかりやな。過疎化が進んでいるのか。でも、小学校はあったけどな。この辺りの道には波が覆いかかる所が目立つ。そう、道と海面との差がそれ程ない。特に高い堤防もなく、満潮時やしけの時は大変であろう。海を身近に感じて走ってて実に気持ちいい。

能登町からまた同じような海岸線を通って恋路海岸、見附と過ぎ、さらに北上して能登半島最北端の禄剛崎に着いた。明治時代に建てられた灯台がここにある。残念ながら今は工事中で足場板で囲まれていた。ほんまにこんなところにも人の生活があるんやな。まあ、スコトン岬も言われてみればそうかもしらん。

さあ、輪島まで直行だ。ほんまに能登の海岸線は走ってて気持ちがいい。所々windではあるがupしてdownする時の景色のいいこと。あまり砂浜は目立たなかったが荒々しい岩々に荒々しい海。正直言って俺は砂浜の方がいい。岩の海岸は礼文で飽きるほど見てるからな。

やがて、輪島市内に入り、袖ヶ浜でテントを張った。ここのキャンプ場は俺がテントを張った所でNo.1やろう。きれいし、景色はいいし。そのせいか俺以外にもう2人ライダーが来た。そのうちの1人も俺と同じ鹿児島を目指してるらしい。お互い頑張ろう。

テントを張るメリットは銭がいらん以上に地元の人と触れ合える。これは結構大事なこと。今日も数人のおっちゃんと話して、地元の色んな情報を教えてもらった。そして、俺はおっちゃんお勧めのねぶた温泉へ向かった。ここはおっちゃんが言ってた通りgoodな温泉だ。ヌルヌルしてて気持ちいい。やっぱり、地元の人の情報はrealだ。

能登島町−輪島 205km

10月20日

「能登半島touring その2」

今日の天気予報は午前中雨。そのせいか朝からパラパラしている。まいったな。輪島と言えば、そう朝市だ。いざ行ってみるとおびただしいtouristだ。雰囲気的には上野のアメ横に似ている。売られているものは地元の特産物、民芸品中心だが、魚介類はそうではない。利尻昆布があるのにはびっくりだ。昨日のおっちゃんが言ってたように地元のものは少ない。俺はここで売られてるウニやカニ、それに海藻類を見てもほしいとも思わないし、全然感動しない。逆に冷めた目でこれらを見てしまうのはもったいないな。

輪島を出た頃には雨が降ってたが、少し経つと天気は回復した。俺は快調に海岸線を突き進むが、海岸線なら南側の方がいいな。まあ、こっちはこっちで全然OKだが、俺は能登島の方の海岸線の方が好きだ。こっちの景色は見慣れた感じがする。

俺は途中で琴ヶ浜に寄った。そう鳴き砂海岸だ。昔、テレビのドラマで見て能登に鳴き砂海岸があるというのは知ってたがここやったか。Hahei beachが鳴き砂やったからな。俺はかなり期待していたが着いてみると・・・。ショックだ。砂の上は流木とゴミだらけだ。いざ歩いてみても音が全然せん。少し湿ってるからか。俺はもっときれいな海岸をイメージしてたのにな。こうやってきれいなところがどんどん破壊されていくんやろう。

それから、さらに国道249号を南下し、159号から金沢市内に入った。そう兼六園に行くためだ。それにしても、街はだめだ。交通量は多いし、信号、人も多い。車線変更はせなあかんし、空気は悪いし。兼六園に行ってみてもtouristでいっぱいだ。これにはまいった。園内は昔ながらの庭園が広がり、お茶屋もあっていとをかし。こんなに広かったとは。これで人がいなければゆっくりできるのにな。

金沢を後にして、あとは国道8号で加賀まで来た。そして、305号から三国の方まで来た。朝の雨がうそみたいに夕方は晴れた。雄島の向こうにちょうど夕日が沈んでいくところだ。俺は日が暮れる前にテントを張ろうとしたが、地元のおばちゃんにここは私有地やからやめたといたらと言われ、その隣の広場にしようと思ったら、なんと目の前に交番がある。まいった。この辺りは砂浜はなく断崖だ。まいったな。しゃあない近くのYHAに泊まろう。

YHAに行く前に東尋坊で夕日を見た。東尋坊はうわさ通りのところ。これは自殺する人がいるはずだ。ここから海を見ると足がすくむ。それにしても、こんなにtouristがいるとは思わんかった。もっとひっそりしてるんかなと思ったらタワーはあるし、みやげ物屋が建ち並ぶし。これにはびっくりした。

日が沈んで近くのYHAに向かったが、まあひどいところだ。台車を引いたばあさんが俺を迎えてくれたが全くやる気なし。建物自体古いのはなんてことないが、部屋の隅々がくもの巣だらけなのはよろしくないな。掃除が行き届いてないし、その上枕カバー、布団カバーもしみだらけでためだ。汚いことで怒ってるんじゃない。汚いままで客を入れようとするその姿勢がむかつく。おまけに、近くの三国温泉を勧められて行ってみると休みやしな。ほんまどうしようもない。

輪島−三国町 239km

10月21日

「一旦休憩 & 出内さんとの再会」

今日もええ天気だ。まずは国道305号を南下し越前岬の方へ向かった。この辺りで獲れるカニは越前ガニとして有名だが、いわゆるズワイガニ。カニ獲り用のランプでいっぱいの磯船が海岸線に並ぶ。越前ガニを見て食いたいとも思わんのはやっぱり仕事がからんでいるからか。毎日30人分ぐらいのカニを切ってたからな。なんかもったいない気もするが。

それから、さらに305号を南下し敦賀に入った。敦賀まで来るとさすがに街だ。街は俺には興味なし。よって気比の松原だけ寄って軽く通過した。舞鶴に向かう予定で走っていたが、昼に山口から連絡があり明日中に鳥取に来られなくなったということなので、一旦八幡に下りて荷物を置くことにした。途中、国道27号沿いの五木茶屋という所に寄った。そう、美浜町は五木ひろしの故郷だった。それにちなんで造られた五木茶屋には若狭ビール工場があった。地ビールが飲めるとなれば飲まないわけにはいかん。俺が飲んだのはピルスナーで味的にはまずまず。やっぱり、地ビールはいいわ。

三方五湖周辺を走って京都方面に下ろうとしたが俺のいつもの悪いくせ。この道を通ろうといつも決めているのだが、おもしろそうなルートがあればついついそっちに行ってしまう。おかげで道に迷ってしまった。まあ、いつものことだ。

国道303号から367号に入って京都へ向かった。この山越えルートはなかなかgood。俺は基本的に山越えが好きでない。景色が単調だからだ。このルートもそう意味ではboringだが、ひなびた村々が所々に広がり走ってて気持ちよかった。京都市内に入ってよく見ると大原三千院があるではないですか。ここがあの三千院か。parkingにバスがいっぱい停まっていたので行くのはやめたが、この辺りの京都もええもんやな。俺は三千院の近くのコンビニで突然出内さんに電話した。出内さんは東大の教授室にいた人。久しぶりやな。その出内さんは、今は結婚して京都市内にいる。それも烏丸の丸太町にいるではないですか。それも大都会。旦那さんはかっこよくて感じのいい人だ。たまたま、旦那は今日が仕事が休みで家にいた。俺もその方がいい。新婚の嫁とは2人では会えん。特に、出内さんとは色々あったからな。でも、今は落ち着いていて幸せそうだ。2人とは秋にまた宴会しようという話をした。

そして、国道1号を下って八幡に入った。そう、おじいちゃん、おばあちゃんの所だ。5月にお兄ちゃんが亡くなって俺も何とか元気づけようとするがおばあちゃんの方がまだ引きずっている。まあ、実の息子やからな。俺が来ることで少しでも元気になってくれればええんやがな。

三国町−八幡 227km