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バヌアツ親善大使、日本上陸ツアー 第3弾「九州、山陽」編 その1 〜九州〜




皆さん、今日は。私は2週間ぶりに博多に帰ってきました。いやー、九州はよか。もう、最高。めしは旨いし、人は親切やし。とにかく、色んな事があって九州を満喫しました。

11/4  日置町(山口)−福岡(関門海峡フェリー経由)229km
11/5  福岡⇔北九州(福岡)120km
11/8  福岡−唐津(佐賀)48km
11/9  唐津⇔平戸(長崎)235km
11/10 唐津−呼子町(佐賀)42km
    呼子町−石田町(壱岐、長崎)ferry
    石田町−勝本町(壱岐、長崎)69km
11/11 勝本町−郷ノ原町(壱岐、長崎)63km
    郷ノ原町−厳原町(対馬、長崎)ferry
    厳原町touring 90km
11/12 対馬touring 240km
11/13 厳原町−福岡 ferry
11/14 福岡−杵築(大分)223km
11/15 杵築−大分(湯布院経由)105km
11/16 大分−日南(宮崎)265km
11/17 日南−鹿児島(桜島フェリー経由)307km


11/18 鹿児島市 touring 30km
    鹿児島−西之表(種子島、鹿児島)ferry
11/19 種子島 touring 202km
11/20 西之表−南種子町(種子島、鹿児島)136km
    南種子町−上屋久町(屋久島、鹿児島) ferry
11/21 屋久島 touring 176km
11/22 屋久島 touring 74km
    上屋久町−鹿児島 ferry
    鹿児島−指宿(鹿児島)60km
11/23 指宿−長島町(鹿児島)202km
11/24 長島町−牛深(熊本) ferry
     牛深−三角町(熊本)142km
     三角町−島原(長崎) ferry
     島原−口之津町(長崎)49km
11/25 口之津町−大村(長崎)151km
11/26 大村−国見町(長崎)44km
    国見町−長洲町(熊本) ferry
    長洲町−福岡(阿蘇経由)214km


色々ありましたよ。九州に上陸して、Aucklandのフラットメイトを訪ね、NZの仲間数人と今年礼文で会った仲間も呼んで大宴会。酒、酒、酒の毎日。ちょうど、福岡ダイエーの優勝パレードが行われていて、それも見学。博多は食い物がうまか。トンコツラーメンを食いまくりましたね。それに、モツ鍋、明太子。

そして、唐津でNZの仲間を訪ねて、呼子のイカの活造りを御馳走になり、唐津バーガー、唐津一旨いトンコツラーメン、熊本の馬刺しとグルメ尽くし。平戸までツーリングに出かけた後は、歴史ある壱岐、対馬へ。対馬の北端からは韓国まで40kmほど。プサンの町が見えました。

それから、2月にNZから皆様にご紹介した1998年度NZワーホリつわもの5人衆のうちの1人、子呼呂さんが帰国したとの情報で急遽静岡から博多に呼び寄せ、四国からチャリで博多に上陸した5人衆の1人、問題児(和さん)と私と再会。唐津からも仲間を呼んでの再び博多での宴会。疲れた。

その後、国東半島を通って別府入り。雨の中湯布院を走って、次の日は宮崎入り。ちょうど巨人が秋季キャンプ中でした(当然、巨人なんて興味なし)。

日南フェニックスロードは最高でしたね。青い空、青い海。植生もまさに南国。いやー、もう一度走りたい。

それから、都井岬に寄って、ついに長渕の故郷鹿児島に上陸。本土最南端の佐多岬(ここで札幌ナンバーのバイク4台、旭川ナンバーのバイクを1台見かけた)に向かって、桜島を回って、種子島、屋久島へ。この両島は近くにあるのに全く雰囲気の違う島(後述)。私が種子島に入った時は、H2ロケット打ち上げ失敗の3日後。打ち上げを見たかったな。














































鹿児島に戻った後、指宿に寄って、雨の中を開聞岳、枕崎へ。枕崎と言えばカツオ。カツオのビンタは最高でしたね。ビンタとは枕崎の言葉で頭の意味。カツオの頭を薄い味噌味にして煮込み、酒とみりんで整えるだけ。味噌が強すぎず、カツオのだしが出てもう最高。鹿児島は最高ですね。人は親切で温かいし。屋久島なんて11月下旬でちびっこは半袖でしたよ。私はまじで鹿児島なら住んでもいいなと思いました。

長かった鹿児島を後にして、天草に上陸。天草五橋はおすすめです。そして、島原へ。残念ながら天気が余り良くなくて、雲仙の方は雲がかかってましたが、普賢岳の火砕流の被害はすごいですね。道の駅の展示場を見てきました。

島原半島の先端でNZの仲間の実家を訪ねた後、原田知世、岡部まりの故郷長崎の中心部へ。ちょうど、平和公園の像は工事中で見られなかったですが、原爆資料館には行きました。稲佐山からの長崎の夜景はexcellent。よかった。

今年、礼文の民宿で一緒に働いた仲間と長崎の町外れで飲んで、一旦島原に戻って熊本市内へ。そして、阿蘇に向かいましたが、ちょうど−40℃の大寒波がやってきてて、地元の人に、

「今晩雪になるから、今日中に平野部に降りなさい。」
と言われ、泣く泣く阿蘇を軽く走っただけで断念。しかし、本当に寒かった。日中の最高気温がもう10℃以下ですから。阿蘇、九重、高千穂と3日ぐらいかけて走ろうと思ってたのに悔しかったですね。まあ、天気にはかなわないので。これだけが九州の心残りです。夏に走ればここは最高でしょう。そして、博多の夜景を見て友人宅へ戻ってきました。

博多の街をぶらついてみると、世間ではもうクリスマスですね。もうそんな時期か。礼文を出たのは9月の中旬。いやー、もう3ヶ月目ですよ。正直、少しだれてきましたね。テントもはっきり言って辛い。このまま船で大阪に戻ろうかなとも思いましたが、ここまで来たら最後まで頑張ろう。明日、約1ヶ月いた九州を出て、しまなみを目指します。そして、一旦四国に入って、最終目的地小豆島。127日に我が悪友、和さんが関空からNZに出発する予定なので、それまでに帰らないと。ちなみに、和さんはチャリで博多まで来て、来年九州を回るからと言って、友人宅にチャリは置いていき、実家である茨城県牛久までヒッチで帰って行きました。昨日の電話では大阪までたどり着いたらしいです。

では、明日大阪を目指して出発します。私の旅も後1週間。帰阪予定は125日。心配なのが私のバイク。大阪を出て礼文に向かう時から少し気になってましたが、エンジンオイルが少し漏ってます。長崎でオイル交換してる時にそれが判明。礼文を出る時に前タイヤと、後ろパットを代え、道中で4回ほどオイル交換をし、長崎で前パットを代えました。後ろタイヤもかなりやばい。一番心配なのはオイル。しかし、修理するとなるとエンジンを開けないといけないでしょう。時間がない。頑張ります。では、今度はゴール地点、大阪でお会いしましょう。


P.S.
先日福岡ダイエーホークスの優勝パレードで今話題の工藤を見た。工藤は沿道のファンに手を振っていたが、私と一瞬目が合い、少しにこっとしたように思えた。いや、あれは私を見て笑っていたに違いない。間違いなく工藤は阪神に来る。巨人、中日、メジャーと騒がれているが、本人は阪神を希望してる。来年は阪神のエースとなる事を私は信じている。

28/11/1999
From Hakata with love
Manabu Kato



● 問題児、柳瀬和宏物語

私には色んなタイプの友人がいるが、和さん(ここでは柳瀬君と呼ぼう)は人に紹介できないNo.1の友人であろう。NZAucklandでしばらく共に過ごし、旅先で幾度となく再会した柳瀬君は、帰国した後高知県で働いていたにもかかわらず、私を訪ねてヒッチで礼文までやって来た。私は大将に無理言って、柳瀬君を居候としてしばらく置いてあげる事にしたが、あまりのいい加減さで2,3日で首になった。

その後、高知までヒッチで帰り、私が九州に上陸するとの情報を聞いて、柳瀬君はチャリで九州に向った。しかし、下関の手前でタイヤが破裂。それもそのはず。柳瀬君のチャリには10冊ものアルバムが積んである。下着は2枚しか持ってないのに、おびただしい写真の数。彼はいつもカメラを持っていて撮りまくる。1週間で36枚どりフィルムを17本も使った。これで、ピンクの服を着ていればまるで林家ぺー。全くどうしようもない。よって、我々は北九州まで迎えに行った。

松山の道後温泉以来10日も風呂に入ってなかった柳瀬君は、全身が1ヶ月ギブスをしててそれが取れた後のちびっこの腕の臭い。臭かった。その柳瀬君の服を洗濯したAucklandのフラットメイト、邦弘君のおばあちゃんは68年生きていてこんな汚いのは初めてと嘆いてた。一着しか持っていない服が洗濯中となると、柳瀬君は着る服がない。そう、彼は福岡にいる間、海パンにビーサンだった。その格好で中洲や天神に行くのだからどうしようもない。礼文で会った朋子は、私の事をつわものと思っていたらしいが、柳瀬君を見て私がまともに見えたと言ってた。もうこうなると保護者である私も手がつけられない。あんな33歳にはなりたくない。静岡から合流した子呼呂さんも説教してた。しかし、柳瀬君には説教なんて効き目なし。九州にいる時もヒッチで唐津に行ったり、宮崎、別府に行ってた。当然、海パンとビーサンでだ。

そんな柳瀬君は、現在ヒッチで実家の茨城県に北上中。もちろん、彼のかばんにはアルバムしか入ってない。関空からNZに戻り、トレッキングをし捲って、来年春にはまた高知で働いて、その後は托鉢をしながらお遍路さんをすると言ってた。そして、九州をチャリで回るらしい。ちなみに、子呼呂さんは来週NZに戻って、その後世界一周の旅に出る。ただいま、柳瀬君の保護者大募集。年齢、性別一切問いません。
















































● 旨いラーメンの見つけ方

大阪で生まれた私は、大阪にいる間はうどんばかり食っていたが、道産子になってからはもちろんラーメン派に変った。北海道と言えば味噌ラーメン。私はこってりしたラーメンが好きなので、旨いラーメン屋があると聞くとすぐにバイクを走らせた。当然、東京でも環七、環八を中心に食べまくった。私がお勧めするのは、札幌では澄川の「純連」は別格。北大前の「大将」の肉味噌もまあまあ。べたなところで36号沿いの「玄咲」、北大通りの「さんぱち」や駅前通りの「味の時計台」なんかもいいかな。東京では、TBS下の「赤坂ラーメン」や、堀切菖蒲園の「弁慶」、環七沿いの「土佐っ子」、白山通りの「白山ラーメン」なんかもいい。銀座の「じゃんがら」のボンシャンなんかもいい。

博多と言えばトンコツ。鹿児島の黒豚と野菜を使ってたっぷり煮込み、後は塩で整えるだけ。ラーメン一杯だけではその土地を語れないので、私は食いまくった。博多では10軒以上、唐津で1軒、鹿児島で10軒近く、熊本で1軒。長崎ではちゃんぽん尽くしだ。そして、今までの苦労の結果旨いラーメン屋の見つけ方を極めつつある。

その方法とは、まずメニュー。色んなラーメンがあるよりも、メニューにラーメン、大盛りラーメンしかない事。それだけ店のオーナーが味を追求している証拠だ。更に、チェーン店でない事、中華料理屋でない事。あくまでも大事なのはラーメン屋。そして、都心部にある事。ここでは礼文の法則が成り立つ。

礼文の法則とは、田舎に行けば行くほど競争相手が少なくなる分、味にいい加減になってくること。店がないから地元の人はそこに行かざるを得ない。逆に、町中ではラーメン屋が点在するので、味を追求し続けないと商売が成り立たない。だから、鳥取大学の学生が、

「ラーメンっておいしい食べ物ですか?
と言ったのが肯ける。

これらの条件を満たして、行列ができていれば間違いなく旨いだろう。皆様にも試して頂きたい。そして、私に旨いラーメン屋を教えてほしい。ちなみに、私が好きなのはこってりラーメン。












































































● 種子島と屋久島

種子島と屋久島は、礼文と利尻のようにすぐ近くにあるのに、全く雰囲気が違うところ。種子島は人口4万人で縦長の島。南北に60kmほどか。島に高い山はなく、島の中央から島を見渡すと北海道のようだ。漁業と言うよりも農業が中心の島。ちょうど、今はカライモの収穫期で、これからはサトウキビ。それと、この島は稲作が発祥の地。島特有の赤米。海もきれいで、何と言ってもここには宇宙センターがある。種子島の見所は、はっきり言ってこの宇宙センターだけだ。まあ、鉄砲伝来の地と言うのもあるが。この宇宙センターは一見の価値ありで、見学できる施設がすべて無料。科学技術庁が親元なのかは知らないが、広い敷地だ。そのうちの科学技術館はゆっくり見るとかなり時間を要す。また、この辺りの竹崎海岸は本当に美しい。ちなみに、元大関若嶋津出身の地。

一方、屋久島は人口14000人の丸い島。島一周が100kmほど。花崗岩であるこの島では農業は適さないし、漁業もそれほど重要ではない。そう、何と言っても世界遺産に指定されているこの島は観光業が中心産業だろう。そのため、ツアー客が至る所にいるし、観光設備もかなり行き届いている。屋久島では、絶対歩く事を薦める。トレッキングコースが至る所にあり、登山もお勧めする。九州最高峰の宮之浦岳があるし、屋久杉も一見の価値あり。樹齢7000年の縄文杉は、見るだけで片道5時間近く歩かないと行けないが、屋久杉ランドの紀元杉だけでも見事なもんだ。屋久杉を見ると他の杉の規模の小ささがわかる。

屋久島は日本で一番降雨量が多いので、原生林はコケだらけ。樹木が生い茂っているので、光が行き届かない森林が多い。土壌中の水分ポテンシャルもかなりのもんで、所々湿原になってるし、孔隙が水分で満たされてるせいか、根が呼吸できないため地上部に張り出し気根となっている。その代表的な植生がカジュマル。とにかく、絶対歩く事を薦める。

屋久島は見所沢山で、島にはまるリピーターがあとをたたないし、移住者も多い。本当に奥深いところ。私も最低1週間はいたい。温泉もあるし、海もきれい。珊瑚礁も見られるし、夏はウミガメが産卵に来る。映画「もののけ姫」の舞台にもなった。ああ、屋久島に戻りたい。