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バヌアツ親善大使、日本上陸ツアー 第2弾 「北陸、山陰」編




皆様、こんにちは。私は今、大分市の健康ランドにいます。今日は別府、湯布院と回りましたが、大雨のため走るのを断念し、テントも諦めて健康ランドに来ました。前回の報告からご無沙汰していますが、このメールもいつ出せるかわかりません。もう、忙しくて。

博多では色々な事がありました。博多に入ったのが114日、8日唐津、10日壱岐、11日対馬、そして博多に一旦戻って今に至ります。尚、九州の報告は次回にまとめて送ります。

1015日に長野県原村を後にした私は16日新潟で礼文の仲間、17日富山でNZの仲間、22日鳥取で北大ラボ(作栄)の仲間、25日三重県英虞湾でNZの仲間、113日山口県千畳敷でカナディアン・ファームの仲間、そして114日に博多でNZの仲間と数珠つなぎしてついに九州上陸です。


10/15 原村(長野)−新潟 291km
10/16 新潟−朝日町(富山) 249km
10/17 朝日町−氷見(富山)114km
10/18 氷見−能登島町(石川)138km
10/19 能登島町−輪島(石川)205km
10/20 輪島−三国町(福井)239km
10/21 三国町−八幡(京都)227km
10/22 八幡−鳥取(舞鶴経由)339km
10/24 鳥取−八幡(R9経由)243km
10/25 八幡−阿児町(三重)179km
10/26 阿児町−八幡 164km
10/28 八幡−大栄町(鳥取)316km
10/29 大栄町−境港(鳥取) 69km
    境港−西郷町(隠岐、島根)ferry
10/31 西郷町−海士町(隠岐、島根)ferry
    海士町−西ノ島町(隠岐、島根)ferry
11/1 西ノ島町−境港 ferry
     境港−大社町(島根)66km
11/2 大社町−津和野町(島根)194km
11/3 津和野町−日置町(山口)161km
11/4 日置町−福岡 229km



いやー、東北も良かったが北陸、山陰もいい。能登半島は最高。県道に波が打ち寄せ、海を感じながらの走行。道は細く、ひなびた漁村の連続。

「えっ、こんな所にも人が住んでたんか!!!

日本三景の二つ目の天橋立を通過した後は、丹後半島を走行。ここも最高。そして、山陰。鳥取では北大作栄の皆様、お疲れ様でした。また、2年後に鳥取で会いましょう。

それから、何といっても隠岐諸島。1221年承久の乱後、島流しにあった後鳥羽上皇、1332年元弘の変に敗れて流された後醍醐天皇の気持ちが分かりました。田中美佐子の生誕の地でもある隠岐。ええとこやった。ただ、フェリーの料金が高すぎます。特にバイクの。私は諦めて、バイクは港に置いていきました。

そして、島根。出雲も良かった。出雲神社、出雲ドーム、島根ワイナリー、出雲そばに出雲ビール。ワイナリーはtasting自由です。好きなだけ好きな種類飲んでもいい。NZBlenheim30軒近くwineryを訪ねた私にはもうたまらない。ただ、少し辛目の白ワインが好きな私には、全体的にここのワインは少々甘かったですが。

津和野も良かった。さすがは小京都。情緒あふれる町並みで、とても心が落ち着きましたね。その後は、秋吉台を通り抜けて再び日本海へ。そして、千畳敷でファーム時代の仲間にタイミングよく再会。皆様、お世話になりました。

さて、明日の早朝大分を後にして、日南海岸を南下して、都井岬、本土最南端の佐多岬、桜島、そして屋久島、種子島に渡って、指宿、枕崎、天草、阿蘇、島原、長崎、再び博多に寄って九州を後にします。下関に戻ってからは、しまなみ街道を通って今治に入り、高松に抜けてから最終目的地小豆島でピリオドです。1120日に大阪に帰る予定でしたが、1210日前後かな。では、次は最終回、大阪でお会いしましょう。


P.S.
メールを頻繁にくれている人には申し訳ないのですが、テント生活の上、私のLap topには充電器がないので、なかなかチェックできません。このメールもいつ出せるかな。申し訳ない。

15/11/1999
From Oita with love
Manabu Kato



● 偶然のエピソード その2

新潟を後にした私は雨の中富山を目指してた。雨が止まない上に気温も低く、私の体は芯から冷えきっていた。もう、今日はテントはやめよう。そう思って、私は旅始まって以来YHAstayすることにし、近くの宇奈月温泉で体を温めた後、何気なくYHAVB (visitor book) に目をやった。すると、なんと数日前にあの乾さんがstayしているでは。乾さんとは2年前に私が礼文から原チャで大阪を目指してた時に北海道の羽幌町で一緒になった人だ。そして、私の原チャに「島抜け号」と命名して頂いた。お住まいは千葉の流山のはず。うーん、乾さんも相変わらず走りまくってるんやな。


































● 雨の中を救ってくれたおじいちゃん

富山でNZの仲間と会った私は、その友人から、

「学さん、家に泊まっていきなよ。」
と言われた。普段なら私もそうするが、その友人はお嬢様。家の門から玄関までは30m以上はあって、庭には鯉を飼っていたというのだから驚き。風来坊の私が行ったら、厳粛なお父様のお叱りを受けるのは目に見えている。そこで私は近くの海岸でテントを張る事にしたが、徐々に天候が悪化してきて、テントを張っているうちに雨が降り出し、テントを張り終わった時には大雨になってた。私はテントの中で身動きもできずに入ると、

「テントは寒かろう。家に来なはれ。」
と、テントの外からおじいちゃんの声が聞こえた。このおじいちゃんは近くに住んでいる人で、散歩をしている時に私を見つけ、雨が強くなってきたのでわざわざ戻ってきてくれた。おじいちゃんの家に行って私を待っていたものは、温かいお風呂と富山産のコシヒカリの新米とフクラギの粕汁。私は生き返った。なんとやさしいおじいちゃんとおばあちゃん。朝ご飯はフクラギ、アオリイカの刺身と、またもや粕汁。それに、昼ご飯にと焼き芋までくれた。近頃の日本も捨てたものじゃないなとまじで思った。








































● 山口(杉君)はやっぱりあほやった

私は今まで色んな事をし、色んな仲間がいるが、北大のラボ(作物栄養学講座、略して作栄)にいた1年間が最も印象に残ってる1年と言ってもいいだろう。その当時のメンバーで作っているおロック会の面々が、私が鳥取を通過するのもあってわざわざ東京や札幌から、鳥取大学にいる先輩を訪ねて集まってくれた。結婚した先輩や家庭を持った先輩もいるのに、このような集いに来てくれたのは感謝感激だが、その中の一人に私の悪友山口(お茶目に杉君と呼ぼう)がいる。おロック会の宴会があるその朝に、札幌にいる仲間を呼び出し、その友人は飛行機を乗り継いで鳥取に無事着いたのだが、その日の朝の便で東京から来るはずの杉君は前の日に飲みすぎて寝坊で乗り遅れた。ここまではいつものことだが、前日浜松町のカプセルホテルに泊まった杉君は、チケットを買ってから連絡すればいいものの、我々と長電話していたため、午後の便のキャンセル待ちにも2番前で乗れなくなった。最終の鳥取便まではあと4時間近く待たなければいけない。でも、せっかちな杉君には空港で4時間も待つ事はできない。杉君は一刻も早く鳥取に着きたいと聞かないが、我々はどの方法で鳥取に着くのが一番早いかをよく考えろと再三注意した。おそらく、杉君は長らく時刻表なんて見た事がなかったのだろう。何を血迷ったか、鳥取から約100km西の米子行きの飛行機に乗ってしまい、米子で電車に乗り換えて鳥取駅に着いたのがPM6:40。普通に、羽田からの最終便で来ていれば鳥取空港着がPM6:00。やっぱり、杉君はあほやった。その上、今朝札幌に電話して無事杉君よりも早く鳥取入りした仲間の事を聞いて、

「札幌から鳥取まで直行便がないのにどうやって来られたの?
と不思議そう。それは簡単な事。羽田まで来て、乗り継げばいいだけの事。杉君には飛行機を乗り継いで来るという概念がなかったのだ。やっぱり、杉君はあほやった。