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バヌアツ親善大使、日本上陸ツアー 第1弾 「北海道、東北」編




皆様、お待たせ致しました。私が加藤学です。私は今、長野県の八ヶ岳の麓、原村にいます。そう、NZを出国する際に皆様にお伝えしたバヌアツ共和国の旗を掲げた、名づけて「バヌアツ親善大使、日本上陸」全国縦断ツアーを公言通り決行しています。2年前は原チャで礼文から大阪まで羽幌町の交通安全の旗を掲げて、皆様を数珠繋ぎしましたが、今回は私が去年の9月に訪れ、今まで行った国の中で一番印象に残っているバヌアツ共和国の旗を掲げて皆様を数珠繋ぎしています。それに、小道具も少し付け加えて。

帰国したのは5月上旬で、そこからバイクで私の第2の故郷である礼文島に上陸したのが6月初め。もちろん、例年通り民宿業と漁業に携わり(今年は他の民宿の掛け持ちとレンタカー屋の手伝いも依頼されたので大変でしたが)、礼文を出たのが918日。日本縦断の第1弾、「北海道、東北編」が先日完結しました。明日からは第2弾、「北陸、山陰編」が始まり、まずは新潟を目指します。では、私のここまでの足取りをご紹介しましょう。

918 礼文−稚内 ferry
      稚内−札幌 314km
924 札幌−函館 250km
925 函館−青森 ferry
      青森−大潟村(秋田)178km
927 大潟村−蟹田町(青森)294km
928 蟹田町−脇野沢村(青森)ferry
      脇野沢村−大畑町(青森)132km
929 大畑町−大潟村 307km
930 大潟村−白鷹町(山形)284km
101 白鷹町−野田(千葉)378km
105 野田−仙台(宮城)349km
106 仙台−いわき(福島) 146km
107 いわき−東京 223km
1010 東京−牟礼村(長野)302km
1011 牟礼村−原村(長野)194km

旅のスタイルはNZでのヒッチ、テントとは違って、バイクと基本的にはテントですが、仲間との宴会が続いて疲れたらテントで寝るってところでしょうか。今回、近くに行きながら連絡しなかった皆様(特に札幌と東京近辺の皆様)、どうもすいません。日程的に先に急いでいたので、どうしても時間が取れませんでした。

さて、先日第1弾が終了しましたが、東北はおもしろい。特に、青森は奥深い。秋田の能代市から鯵ヶ沢(青森)までの国道101号の素晴らしい事。景色はいいし、ヘアピンの連続で走ってて最高。津軽半島の龍飛岬では石川さゆりの世界を味わい、下北の先端、大間崎は本州最北端、恐山の近くの薬研温泉にある無料露天風呂、カッパの湯。八甲田、奥入瀬、十和田近辺の火曜サスペンス劇場に出てきそうなルート。最高でしたね。

日本海側では、この時期新鮮なさんまが食えない事を知り、一旦東京に戻ってからまた石巻港までさんまを求めて北上しましたが、東海村を通って被爆(?)し、仙台に向かってる時は、久しぶりにあばれはっちゃくの親父(役は東野英心、昔の水戸黄門役の東野英治郎の息子)の心境(父ちゃん情けなくて涙が出てくるわ)になりましたが、今年の礼文のお客さんと一緒に石巻港に向かい、水揚げされたばかりのさんまを自分でさばき、醤油(当然キッコーマンやで、五十嵐)と生姜で食った時のあの充実感。

「自分で自分を誉めたい。」
またもや有森裕子。もう、最高。

旅先で色んな人に会ったり、仲間に再会し、地元の人々と触れ合ったりと、ここまでのところは良かったですね。秋田のきりたんぽも旨かったし、山形のそばも旨かった。しかし、何と言っても石巻と小名浜のさんま。ああ、私が追い求めたあの味。まさしく、beyond description!!

さて、これから北陸、山陰と向かいます。その後は九州で、そして瀬戸内を通って大阪に戻るのがおそらく1120日ぐらい。ひょっとしたら、12月に入るかもしれない。とにかく行き当たりばったりで、当初の予定ではこの時期には舞鶴近くまで行っているはずでした。先の読めない展開で、私のいつもの海外での旅のスタイルです。

では、次は11月上旬の佐賀辺りでお会いしましょう。






















● 民宿はまなすホームぺ−ジ開設

今回、途中の札幌で私がいる礼文島の「民宿はまなす」のホームページを作成してきました。アドレスは、
http://www.tabi-hokkaido.co.jp/hamanasu.html

です。これは、「北海道おもしろ情報」という旅行誌の社長から依頼された仕事で、この雑誌がこの10月からホームページを立ちあげる事になり、それに便乗した訳です。うちの民宿の親方はコンピューターの事は全くだめなので、代わりに私につけが回ってきました(いつものこと)。この雑誌のホームページは、
http://www.tabi-hokkaido.co.jp/

で、このページを立ちあげて、道北地域をクッリクし、その中の礼文島の欄に「はまなすHP」があるので、そこをクリックしてもいいです。10月にできたばかりなので、まだ検索語の登録はできてませんが、いずれはyahoo Japanには登録するつもりです。尚、はまなすのホームページを画面で見ると、文章と写真がアンバランスに見えるかもしれませんが、それはA4でプリントアウトできるように設定致しました。もし見づらいのなら、ソースモードにして表のサイズを変えて下さい。


● ここで偶然のエピソード

長野県原村にカナディアンファームというケベック料理のレストランがある。私が学生時代に夏は礼文、そして春はここで居候していたが、ここのオーナーのハセヤンは古材を使って家を建てる傍らレストランを経営し、私はハセヤンの元で大工をしたり、レストランで働いていた。ちなみにハセヤンの息子の大樹は現在、雑誌「men’s non no」の専属モデルで、ファームの生活と東京でのモデル生活で多忙な日々を過ごしている。ライダーになったばかりの大樹は私の旅に同行したがっていたが、仕事の都合がつけば山口辺りで会おうと言う話になった。もし、機会があれば大樹を紹介しよう(応援してやって頂きたい)。

ここのレストランにコックである私の親友フレデリィク(通称フレちゃん)がいるが、フレちゃんは5年前初めて日本に来た。カナダのケベックから来たので、フランス語と英語、それに片事のスペイン語しか話せなかったフレちゃんに、私は毎晩日本語を教えてあげた。そのせいか、フレちゃんは今でも私の事を恩師と思っているが、当然私が教えたのは大阪弁だ。

「かまへんかまへん」「おおきに」「ええかげんにせえ」「座りなはれ」
「ちゃうちゃうちゃう?−うーん、ちゃうちゃう。」
といった具合だ。しかし、周りの人間からは今でも私に非難が浴びせられるのは言うまでもない

そんなフレちゃんは同じ居候のむっちゃん結婚し、今は子供2人と仲良く暮らしている。先日、私はフレちゃん一家を訪ね、久しぶりにその長男(大和君)とも再会し、大きくなった大和にビックリしていると、なんと大和は私と同じ血液型で、誕生日も一緒で、同じねずみ年と言う事が判明した。それを知ったフレちゃんは大喜び。それもそのはず、フレちゃんは私を師匠と仰いでいるのだから。更に驚いたのは、娘の誕生日が私の姉と同じだった。なんとも偶然。フレちゃん一家と加藤家とはなんか繋がりがあるのか。そんな、2歳の大和に私は、
「お名前なんですか?
と聞くと、
「僕、どらえもん。」
と返してきやがった。私はこんなボケをフレちゃんに教えた覚えはない。私は一瞬フレちゃんを睨んだが、フレちゃんは我が息子のボケに大笑い。私が教えてきた日本語教育はどこに行ったのか。大和のボケは私と全く違う芸風。当然、その後私は大和とフレちゃんを説教した。































P.S.
作栄おロック会鳥取支部の皆様
私は22日の夕方までには鳥取に入ります。今回は2年前と違って、出迎えは私一人です。今のところ2パターン検討中ですが、何時にどこに着くかお知らせ下さい。植野へ、絶対来るように。

九州在住のNZ, OZ関係者、それに九州在住の礼文のお客様
11月上旬には九州に上陸します。日程的に、余り時間が取れないので博多辺りで大宴会を開きましょう。

やっぱり今年の阪神は最下位やった
From Hara Village with love
15/10/1999
Manabu Kato