全国20億人の加藤学ファンの皆様

日本全国離島シリーズ第14弾〜沖縄本島・渡嘉敷島〜
「ついに沖縄の我が聖地に行ったったでー」



皆様、こんにちは。

今春は、沖縄本島をバイクで縦断&慶良間諸島(渡嘉敷島)へ行って参りました。沖縄本島をバイクで走ったのは4年ぶり、慶良間諸島へ戻ったのは6年ぶりです。

急遽連休前にヨーロッパ出張が入って、時差ボケのまま、帰国後すぐに那覇入り。沖縄はすでに梅雨入りし、GW前半の天気はいまいちでした。

後半は何とか天気に恵まれましたが、沖縄らしくない日差しの弱さでした。この時期はまだ海も冷たく、久しぶりに春に本島に来たのもあって、同じ沖縄でも八重山と本島では天候が違うことを改めて肌で感じました。

急な出張のため、予定変更で渡嘉敷島へ行くことにしました。私の中で、渡嘉敷島は慶良間の中でもリゾート地のイメージで、これまで好んで行きたいとも思いませんでした。しかし、海外出張が入り、どうしても沖縄滞在を減らす必要が生じ、一方で、本島のみならず離島のどこかに行きたいという思いがあり、なら、那覇から近場の渡嘉敷島へ、となりました。通常、離島に行く場合、最低2泊はするのですが、今回はイレギュラーの1泊でした(昨秋に小浜島に行った時と同じです)。

連休の合間に行ったせいか、渡嘉敷島には思ったほど観光客はいなく静かでした。同じ慶良間でも座間味とは雰囲気が異なり、渡嘉敷はアップダウンがきつく、何よりも水が豊富にありました。そのため、ハブもいるし、驚いたことに水田がありました。沖縄で水田を見ることはなかなかないのですが、これも水が豊富にある証拠です。


トカシクビーチ
砂浜の白さに癒された





川からの濁流のせいで若干視界が悪かったが、それでも視界良好な渡嘉敷の海
渡嘉敷島宿泊の日、夜から翌朝にかけて大雨となりました。かなりの量の雨が降り、川からの土砂が海に流れ込みました。すると、昨日まできれいだった海が一気に茶色に変わり、改めて自然の驚異を感じました。

渡嘉敷に戻って思ったのですが、やはり慶良間の海はきれいで最高です。トカクシビーチの砂浜の白さにも感動です。宮古や八重山の海もお薦めですが、本島からこんなに近く行ける慶良間の海もかなりのお薦めです。濁流が流れ込んだ日にスノーケリングし、海の透明度は落ちましたが、全く問題なしです。与那国島に行った以来、ウミガメを見ることができました。

本島での縦断は、今回もバイクです。で、目指すは「宜野座村野球場」。そう、我が阪神タイガースのキャンプ地、いわゆる沖縄の聖地です。

前回の原チャと違って、今回は100ccにしました。やっぱり、100ccにすると楽ですね。原チャに比べて、疲労度合いが全然違います。沖縄の道路は、路肩が広く走りやすいです。バイクは車と違って、その土地の「空気」「臭い」を肌で感じられるのがいいです。



私が移動した日は風は強かったので、ヘルメットが飛ばされそうになり、その度にスピードを落としてました。日差しもそれ程強くなく、今回はかなり快適な道中でした。次から本島を走るなら100ccにします。大きいのを借りる必要はなく、100ccで十分でしょう。

さて、もう沖縄も行くところが限られてきました。あと2回来て一旦卒業かな?、と考えております。次回は、元々今回予定していた伊是名島、伊平屋島を予定しております。

では、また次の機会にお会いしましょう。

P.S.
この連休中の我がチームの不甲斐なさ。何試合零封されてんねん。飲み屋で泡盛を飲みながら、毎日辛くて辛くてどんなけ泣いてたか・・・。とにかく、「点」ではなく、「線」で戦え。調子の悪い時こそ、「繋ぎ」を意識せんかい。

トラよ、今年こそ最後はやったれ
湘南より愛を込めて
20/May/2012
Manabu Kato


我が聖地「宜野座村野球場




Glance in Tokashiki Vo. 1




























☆ Topics; Okinwa Island Vol. 206 - 210


 加奈ちゃんとの出会い&再会

2年前の春、石垣島で礼文島時代のお客さんである友紀ちゃん家族と会うことになっていた。会うとしても、私が波照間島から与那国島に向う際に石垣島に戻る数時間しかお互いに合わせられる時間がなかった。

石垣島で、友紀ちゃん家族との待ち合わせまで少し時間があった私は、離島桟橋近くの喫茶店で時間を潰すことにした。特にそこの喫茶店に行きたかった訳でもなく、もし待ち合わせ時刻間近に石垣島に戻ってきていたら、この喫茶店に入ることもなかった。

その日は天気が悪く、海は大荒れ。波照間島から石垣島まで船が欠航する可能性もあったが(実際、午後からは欠航になった)、船は何とか動き、波照間島から石垣島までの道中はかなり船が揺れた。、私も船酔いし、気分がいまいちだった。そんな状態だったので、喫茶店で何を飲んだかも覚えていない。しかし、その店で流れていたCDがよくて、店の人にどこで買えるのか?、聞いたところ、この店でも買えるとのことだったので、私はこのCDを買って帰った。その時は、誰が歌っているCDかも分からず、単にいい歌という印象しかなかった。

湘南に私の行きつけの店の一つ「辻一」がある。ここではずらっと泡盛の一升瓶が並び、常連には泡盛ファンも多く、私もちょくちょくここに顔を出す。そんな中、たまたま昨秋、石垣島で買ったこのCDのことを思い出し、

「泡盛があるこの店の雰囲気に合うかも?」
と思い、「辻一」に持ってきた。すると、マスター、ママもこのCDを気に入って、ちょくちょく店でかけるようになった。

そして、昨年末。「辻一」の泡盛仕入先の酒屋さん(和田さん)がお店に来られた際、ちょうどこのCDが店内で流れており、なんと和田さんとこのCDの歌手とは知り合いであることが判明した。その歌手とは堀内加奈子さん。ここから話がどんどん進んで、年末の「辻一」一周年記念に沖縄から加奈ちゃんを呼んで、お店で堀内加奈子ライブを開催することになった。

詳細は省略するがライブは大成功。ライブの後は、おでんセンターで打ち上げ。加奈ちゃんのおかげで、我々は楽しい夜を過ごすことができ、今度私が沖縄に行った際にでも会おう、という話になり、加奈ちゃんと連絡先を交換していた。

そして、今回。ヨーロッパ出張に出る前に、加奈ちゃんに今回の沖縄滞在で私が時間が取れそうな日程を連絡した。

「うまく時間が合わなければ、また今度かな。」
と思っていたら、時間の調整がついて会える事になった。

で、那覇到着の夜。場所を指定された加奈ちゃんの師匠である大城美佐子先生のお店「島思い」に行った。ここでNHKの中継があるから来てと言われて、


昨年末の「辻一」でのライブ






おでんセンターで二次会


「テレビ中継が終わるまで、カメラの後ろで待っておくのかな?」
と思ったら、中継はラジオでいきなり席に座らされた。目の前にはビール、泡盛、オードブル・・・。周りには、知らない人ばかり20人ほどが私と同じ状態に。始めは何のことか分からなかった。久しぶりに会った加奈ちゃんにも、

「これ、どういうこと?」
と聞いたほど。要は、ラジオで「島思い」から生ライブを中継するので、我々は盛上げ役。私以外は「島思い」の常連さんで、GW休暇で内地から遊びに来た方も何人かいた。私が着いた頃は、本番の打ち合わせ中。NHK沖縄放送局の入社2年目のアナウンサー雨宮さんがスタッフにしごかれていた。さすがNHKと思ったのは、隣の店を貸し切って音響等の器具を持込み、店の外にはガードマンを置いていた(歩行者がケーブルを踏まないように監視)。

スタジオの司会は夏川りみさんで、リハーサル終了後に本番開始。大城先生のソロライブ、加奈ちゃんとのコラボ、また八重山民謡の大工先生、弟子の伊藤幸太君とのコラボなど、泡盛片手に生演奏に感動。特に大城先生の「片思い」にはしびれた。静寂の中、しびれる三線の音色と先生の何とも言えない歌声。私は、思わず泡盛の入ったグラスをテーブルに置き、先生の歌声に魅了された。

生ライブは30分ほどで終了し、NHKの方々は一旦退散。「島思い」では、その後もライブが継続。加奈ちゃん、幸太君とも内地の人間。先生たちにとって、内地の人間が沖縄民謡を継承するって、実際複雑な心境では?一方で、加奈ちゃん(北海道出身)、幸太君(東京出身)はすごいと思う。ある意味、異国の文化を継承するようなもの。加奈ちゃんなんて、すっかり沖縄の人。言葉もそうで、私は、

「北海道弁、忘れたらあかんで。」
と何度か念を押したほど。今回、「島思い」に初めてお邪魔し、那覇滞在の計3日間、毎晩ここに来て、大城先生を始め、スタッフのカネコさん、律子さん、他の歌い手さんたちと色々話した。カネコさんはカチャーシーの先生で、律子さんの料理はおいしくて有名。

生ライブ後は、カチャーシーも始まり、ラジオの放送が終わる22時過ぎに、再度「島思い」の様子が中継されるとのことで、その頃に戻ってきた雨宮アナもカチャーシーに参加。雨宮さんは神戸出身で、東京で過ごした後、NHK沖縄局に勤務。まだまだ沖縄生活、仕事に慣れるのに時間がかかるといったことを話していたので、

「では、次はNHKの「おはよう日本」で会おう。」
と励ましておいた。可愛くて元気よくていい子。是非、がんばってほしい。




大城美佐子先生





堀内加奈子さん





渡嘉敷島から戻った夜、加奈ちゃんにリクエストしたディープな那覇を案内してもらった(詳細後述)。正直、那覇にはいいイメージがなく、沖縄滞在の拠点としか考えていなかった。国際通りに行けば観光客が多いし、

「なんでここまで来て、内地の人間に会わなあかんねん。」
と思い、那覇では国際通り周辺の宿泊を避け、限られたところにしか行っていなかった。

そういったこれまでの私の那覇に対する気持ちを加奈ちゃんにも話していたので、裏通りのいい店ばかりに連れて行ってもらった。那覇にもこんなところがあったのか・・・。私はガイドブックを持たないのでよく分からないが、加奈ちゃん曰く、連れて行ってもらった店のいくつかはガイドブックにも載っているところがある、と。加奈ちゃんに、

「たまにはガイドブックも見てみたら?」
と薦められて、それはその通りかな?、と今回思った。何もミーハーな連中が集まる観光客相手の店だけを取り上げている訳ではないし、中には地元の人がよく行く店も載っている。それはそれで庶民の味を知るのにいいのかもしれない。途中でテレビに出ている川満さんとも一緒になって、那覇のマニアックな夜を本当に満喫できた。結局、最後の店を出たのは朝4時を過ぎていたので、加奈ちゃんも眠たかったはず。

2年前にたまたま入った石垣島の喫茶店で見つけたCDが起因し(それも北海道礼文島で知り合ったお客さんと会うために)、その歌手である加奈ちゃんと出会うきっかけになり、それが人伝で湘南での「辻一」ライブにも繋がった。野村克也監督が人との「縁」を大事にするように、私も「縁」を非常に大事にする。「辻一」ライブで住所交換した際、加奈ちゃんに「是非沖縄で再会」といった話をしたが、正直、限られた日程での那覇滞在で、果たして時間を合わせられることが可能か?、と半信半疑だった。しかし、一方で、明確な根拠はなかったが、漠然と「連絡したら再会するやろう」という確信みたいなものがあった。そして、これでまた加奈ちゃんと繋がった。今夏に湘南でライブってなれば最高なんやけどな・・・。






























NHKラジオのリハーサル、生放送、放送後半&放送後のカチャーシーまで、ラジオの裏側を垣間見ながら楽しい酒が飲めた。




 沖縄本島、一齧り vol. 2

1、「島思い」のスクガラス入りヒラヤーチ

知る人ぞ知る「島思い」の裏メニュー律子さんの作るスクガラス入りのヒラヤーチ。「しょっぱいよ」と言われていたが、ちょうどいい塩加減。それよりもこんなふあふあしたヒラヤーチを初めて食べた。言い過ぎかもしれないが、生地がスポンジ状。これはうまい。











2、「悦っちゃんのおでん

加奈ちゃんに連れて行ってもらった桜坂のおでん屋。ドアをノックすると、ママが戸を開けてくれる。ここのてびちのおでんは無茶苦茶うまい。1日目は閉店間際に行って、無理行って翌日分のため仕込み中のてびちを食べさせて頂き(これでも十分うまかった)、那覇最終日には、しっかり味の浸みたてびちを食べられた。次に行く予定の店があったので食べるのを控えるつもりだったが、てびちをお代わりしてしまったほど。宮古島でも思ったのだが、本島でも、島おでんには菜っ葉を載せる習慣があるのか・・・???







3、「東大」の焼きてびち

加奈ちゃんに連れて行ってもらった栄町の店。閉店間際だったにもかかわらず(加奈ちゃんの顔もあり)、食べさせて頂いた名物焼きてびち。てびちを焼いて食べたのは初めて。まるで中華料理で、結構やみつきになる。これを食べる時はビールが合う。







4、「ぱやお」

加奈ちゃんに連れて行ってもらった旭橋にある居酒屋。いつもこの辺りに泊まるのに素通りしていた。

ミヌダル

黒ゴマをまぶした味付け豚肉。ゴマの風味が効いて、結構いける。




三色セット

(左から)ウムクジ天(紅芋とその粉を練り上げ油で揚げたもの)、チキアギ(さつま揚げ)、ドゥル天(田芋に豚肉、かまぼこ、椎茸を混ぜて練って揚げたコロッケ)。お薦めはドゥル天かな。

クーブイリチー

千切り昆布を豚肉、かまぼこなどで炒めて蒸したもの。思ったよりもあっさりしておいしかった。



5、チィーイリチー

たまたま国道沿い「道の駅」様の市場の食堂で看板を見つけた。チィーイリチーは金武町、宜野座村辺りの郷土料理。豚肉を豚の血で炒めたもの。このことだけ聞くと食べる気がしないかもしれないが、これがうまい。血の嫌な香りもせず、思ったよりもあっさりで、ニンニクとよく合う。







6、宜野座村高江牧場産牛乳を使ったソフトクリーム

国道沿いで寄った「道の駅」様の市場で食べたソフトクリーム。私は普段から好んで甘いものを食べないが、結構濃厚なソフトクリームでうまかった。人がそこそこ並んでいたところを見ると、おそらく有名なのだろう。









7、宜野座村産海ぶどう

同じく宜野座村の市場で見つけた海ぶどう。道路を挟んだ向こう側が海で、その辺りで海ぶどうが養殖され、いわゆる産直商品。まず、この量なのに価格¥300にびっくり。安すぎる。那覇の国際通りで買うと、¥2,000はするのでは?
歯ごたえもあり、粒も大きく、うまい。






8、「やかそば」


宜野座村の国道沿いにある沖縄そば屋。ここのそばにはまった。ダシが効いてとろみがあり、何と言っても塩加減がちょうどいい。わかめの風味も効いて、麺は平打ち麺か細麺かを選べる。朝、6時半から開店で、弁当は安いので¥100。ここのチィーイリチーは焦がしバター付で、チィーイリチーはバターでもいける。















9、渡嘉敷島「シーフレンド」

渡嘉敷島にある宿&飲み屋。ここで初めてグルクンの西京焼きを食べた。始めは、どんな味かイメージがわかなかったが、グルクンに西京味噌は悪くない。結構いける。









10、渡嘉敷島「飯屋まーさ」

ここの小ぢんまりとした雰囲気がよかった。正直、そばはいまいちだったが、豆腐チャンプルの豆腐のでかさに驚いた。










11、渡嘉敷島「バラック」

渡嘉敷島で食べたNo.1の沖縄そば。地元の何人かにお薦めのそば屋を聞いてみたが、みんなここを薦めていた。とにかく、かつおだしが無茶苦茶効いている。これは、皆さんが薦めるのは分かる。島で食べた中では別格。

12、渡嘉敷島「海家」

港のすぐ前にあるお店。渡嘉敷島で食べたそばのダシはあっさりが多く、ここもそう。ここのお母さんには島らっきょをサービスしてもらったり、短い滞在であったがよくして頂いた。

13、天妃そば

旭橋の宿の近くで見つけたそば屋。いつも通り過ぎていた。色んな量のそばが選べるのはいい。





Glance in Tokashiki Vo. 2































 金武町の酒蔵

私は色々なお酒を飲むが、ここ最近、好んで飲むのはビールと泡盛である。ビールは始めの1杯でもういい。その後は好んで泡盛を飲む。なぜか泡盛が身体に合う。次の日に残らないし。

改めて考えてみると、宮古、八重山では、泡盛の蔵元を結構訪問したが、本島では今帰仁酒造しか訪問したことがない。そのため、離島の泡盛は詳しいのだが、本島はあまり詳細は知らない。蔵元に行くと、行った蔵の泡盛に思い入れが生じ、その風景を思い出しながら飲める楽しみがある。今回、久しぶりに本島を回るに当たって、いくつか蔵元も回る予定でいた。そこで、ターゲットにしたのが宜野座村の隣の金武町の銘柄「松藤」の「崎山酒造」、「龍」の「金武酒造」である。

那覇から国道329号線を北上し、金武町に入ると左手に「崎山酒造」の案内が見えてくる。そこを左折し、数分走ると「崎山酒造」がある。小ぢんまりとした趣のある蔵元だった。私が訪問した際は、お客さんもいなく、お店の方に親切にご対応頂いた。

「松藤」は、少し甘みがあり、と言っても嫌味のある甘みではなく、独特の風味があり、私が好きな泡盛の一つである。「三日麹」を使う手法もここのこだわりで、他に、水、粗濾過、がポイント。これが「松藤」ならではの味を生み出している。濾過を極力避ける方向というのは意外だった。要は、濾過をし過ぎると、液はクリアになるが、その分、泡盛が持つ風味も除去され、アルコールっぽくなりすぎる。原酒を飲みたかったのだが、バイクなので・・・。こういう時は、バスやタクシーで来られる方がうらやましい。

「崎山酒造」では、お味噌も製造している。ここで作るとコンタミしてしまうので(黒麹が勝ってしまうので味噌が泡盛になってしまう)、味噌の製造は外注している。バーニャカウダー味噌、シークワーサー味噌、島らっきょ味噌などユニークな商品が並び、すべて味見した中で、個人的には島らっきょ味噌とシークワーサー味噌がお薦め。


「金武酒造」の場所は、正直迷った。看板も出ていないし、街中で場所を聞いて、工場には辿り着いたが、売店はお寺の横にある、と。このお寺の横という説明に振り回されて、お寺の周辺を何度も周回したが、要は、お寺の敷地内で本堂の横という意味だった。これでは分からない。

正直、「龍」は嫌いではないが、特別好きという銘柄でもない。ここで初めて見たのが、「金の誉」という地元の名産田芋でできた泡盛。ただ、原料にタイ米以外を使うと「琉球泡盛」と言えなくなり、分類は焼酎となる。黒麹、原料の一部にタイ米をを使っていることから、雰囲気は泡盛だが、芋焼酎の風味もある変わった焼酎で、これが結構いける。しかし、大量生産できる訳でもないので価格がかなり高い。ここがクリアにできれば、個性のあるお酒になると思う。

両蔵元訪問に満足。街中の賑やかな蔵元よりも金武町を選んでよかった。新しい発見もあったし。「松藤」「龍」は、今後贔屓な泡盛になると思う。蔵元巡りは止められん。





























Glance in Okinawa Honto































 我がチームの沖縄での聖地「宜野座村野球場」

先に言っておく。わしのことをあほと笑う奴は笑うがいい。

今回の本島訪問の最大の目的、そう、我がチームの沖縄の聖地「宜野座村野球場」を訪ねることである。4年前に原チャで回った時には、先を急いでいて、我が聖地に寄らず、素通りしてしまった。このことが、この4年間ずっと心の中に残っていた。聖地を素通りしたとは・・・。阪神ファンとしてあるまじき行為。ある意味、非国民である。このことを宜野座村のゲストハウスで話してみると、宿の方は爆笑していたが、私は至って真剣である。

ここに来るために那覇からバイクを走らせた。途中、信号で止まった際、いかにも観光客という乙女たちが乗った車が何度も私の横に止まった。何人かとは目が合ったが、私は心の中で言ってやった。

「お前らのガイドブックで、わしが向おうとしてる「宜野座村野球場」を探せるもんなら、探してみろ。ふ、ふ、ふ。」

私はなぜか優越感に浸った。

「宜野座村野球場」は、国道329号線から役場方向に左折してすぐのところにある。近くに宜野座高校があり、なかなか静かな環境にある。ここにキャンプ中はかなりの人が集まるのだから、宜野座村としても我がチーム様様であろう。というか、2月の沖縄でのキャンプによる経済効果はかなりのものであろう。プロ野球のみならず、サッカー、韓国プロ野球も来るし、それを取り巻くマスコミ、ファンを考えると、各市町村がプロ野球のキャンプを誘致するのが分かる。

我が聖地のことは、いつも「猛虎キャンプレポート」で見ている。キャンプ中の週末は、朝から生中継があるので、ちょっとしたプチ引きこもりになってしまうほど。映像では各所にカメラがセットされているので、ブルペンに行ったり、ドーム内に行ったりするが、その位置関係が今回把握できただけでも、来年から「猛虎キャンプレポート」の見方が変わる。私は宜野座ドームを皮切りに、球場へ移動、レフトからバックスクリーン経由でライト側へ、それから1塁、バックネット、ブルペン、3塁側と、キャンプ中継の映像を思い出しながら、

「あの映像はこの角度からか。」
と自己満足しながら、球場周辺をくまなく歩いた。
バックネット裏の座席には、ガムテープで場所取りされたテレビ局の名前が今も残っていた。サンテレビ、朝日放送、関西テレビなど、関西系のテレビ局がいい場所を占領していた。こういうことは、なかなか映像では伝わらない。現地ならでは発見、楽しみである。

やはり、天然芝と土のグランドはいい。且つ、このグランドはグランド整備の神である阪神園芸さんの手で整備されている。なんてすばらしい球場なのだ。私が訪ねた日は、横の宜野座高校で那覇の高校が試合をしており、ここの高校生がアップのために、ドームとブルペンを使っていた。私はこの球児たちに言ってやろうかと思った。

「お前ら、阪神園芸さん、知ってるか?」

私は思わず我が聖地を前に祈ってしまった。もちろん、翌朝、宜野座村を去る際にも聖地に立ち寄って、今年の優勝を祈願した。

宜野座村に入る前に、国道沿いに「金武町ベースボールスタジアム」の案内板が見えた。そう、我がチームが2軍のキャンプ地に考えている候補地である。もちろん、このスタジアムにも下見に行った。駐車場はまだ建設中だったが、なかなかきれいないい球場である。何よりも両球場が近い位置にあるので、1、2軍の選手の入れ替えが活発に行える。これは、チームにとってもいいこと。高知県の安芸の皆さんには申し訳ないが、2月のキャンプは、1ヶ月通して1、2軍とも沖縄でやってもらいたい。安芸には秋季キャンプに行くとして。

4年間持ち続けた心の中のモヤモヤがこれで解消された。来年からのキャンプの見方も変わるだろうし。あとは、我がチームが優勝するのみ。今年は、やったれよ!!






宜野座ドーム




バックスクリーンからの眺め





























































沖縄の我が聖地「宜野座村野球場」
宜野座ドームを皮切りに、レフト、ライト、1塁側、バックネット、ブルペン、3塁側とくまなく回った。










我がチームが2軍キャンプ地に考えている「金武町ベースボールスタジアム」
球場周りの駐車場はまだ工事中だったが、なかなかきれいな球場だった。「宜野座村野球場」とも近いし、キャンプ中に1、2軍の選手入れ替えをどんどんやって、チームを活性化してもらいたい。




 宜野湾市の「普天間基地」

今回、本島をバイクで走るに当たって、一度自分の目で見ておきたかった場所がある。それは、宜野湾市にある普天間基地である。沖縄を初めて訪れた頃は、それ程でもなかったが、沖縄に来る回数が増えるに従って、どうしても沖縄には米軍基地の存在が付いて回る。その中で、現在、移設問題で渦中にあるのが普天間基地。これまで、マスコミを通じてしか見ることがなかった普天間基地を、今回どうしても自分の目で見て、何かを感じたかった。

那覇を出発する際、レンタルバイク屋の方に、普天間基地全体を見るなら嘉数高台公園がいいと薦められ、那覇を出てまずは嘉数に向った。那覇から宜野湾まではバイクで20分も走っていなかったと思う。予想以上に近かった。

嘉数高台公園に着いて、誰もが向うであろう塔に登った。ここからの景色は、「なるほど」と思った。よくテレビの映像で見る普天間基地が眼下にあった。正直、その敷地のでかさにびっくりした。向って普天間基地の右手が国道330号、左手が国道58号でその向こうが海であり、宜野湾市の真ん中に、ドンと普天間基地が存在する。更に、基地の周りは住宅地である。

私は、基地を右回りにバイクを走らせた。何年か前に米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学を左手に通り過ぎ、国号330号を北上した。バイクで走ってみると、改めて基地のでかさを感じる。


嘉数高台公園から眺める「普天間基地」





普天間第二小学校校庭

更にバイクを走らせると、校庭のすぐ側を米軍機が飛ぶ映像がよくテレビで流れると思うが、その問題となっている普天間第二小学校に着いた。部外者が学校の敷地内に入るのはよくないのは承知だが、私が訪問した時は、クラブ活動か何かが学校の体育館で行われ、父兄等が校内にいらっしゃったので、どさくさに紛れて、私もバイクを駐車場に止め、校庭まで歩いてみた。まさしくこの校庭がテレビでよく流れる場所で、前鳩山首相が沖縄を訪問した際、その校舎の屋上から基地を眺めていた光景を思い出した。校庭の柵の向こうは、もう基地である。

「これは騒音、たまらんやろな。」
とまじで思った。私が住む辻堂の上空を米軍機が過ぎていく際の騒音どころではないだろう。校庭のフェンスを挟んだ向こう側が基地なのだから。

普天間第二小学校を後にし、国道330号を北上すると、すぐ他の米軍施設があった。要は、宜野湾市は普天間基地のみクローズアップされているが、他に米軍施設が多く存在するのである。それは、沖縄県内至る所にあり、金武町では施設の道路を挟んだ反対側に、米軍兵が好みそうな洋風の店が並んでいた。

宜野座村から那覇に戻る際、国道58号を走っていると、大型の米軍車が一緒に車道を走り、正直、真横を通り過ぎられる時は怖かった。あんなのに接触したら、100ccのバイクは一発で大破する。



今回、実際に普天間基地周辺を自分の目で見て、改めて、

「本当にこの基地を移設してもいいのか?」
という気が強くなった。地理的に宜野湾市は那覇に近く、週末になると普天間基地基地及び周辺米軍施設で働く米兵が、国際通りに出かけて銭を落としていく。一方、これだけの米軍施設が占領する宜野湾市から、これらがなくなると、市としての存続はどうなるのか?税収は?産業は?雇用は・・・・?

今の原発問題もそう。おもむろに「原発反対」「再稼動反対」を訴えている方々に言いたい。原発で支えられてきた市町村の産業、雇用、庶民の生活はどうなってもいいのか?代替エネルギー、節電を考えるのは、もちろん大事。ただ、それ以上に原発停止で犠牲になる人々がいることを、なぜもっと真剣に考えられないのか?

私からの提案。
1、普天間基地を移設するのではなく縮小する。
2、基地周辺に非干渉地帯を設け、米軍、庶民が入られない区域を作る。その地帯の対象となる住民を国の費用(結果的に悪い方向に働くかもしれないが一定の保障も)で近隣場所に移動させる。
3、宜野湾市がもう少し強く出られるような条例を米軍との間で締結する。

こういった宜野湾市と米軍側との間で折り合いをつけるだけで、大規模に移設する必要がないのでは?、と思う。何よりも、これで宜野湾市の産業、雇用が守れると思う。



普天間基地に来て、改めて宜野湾市における米軍施設の占有率が高いことに驚かされた。




住宅街の向こうは海



「京都の塔」と「嘉数の塔」
戦死者が祀られている



戦争の際使用されたトーチカ



普天間第二小学校の校舎屋上から国会議員の偉いさんが普天間基地に関して、地元の方から説明を受けている光景をよくテレビで目の当たりにする。