全国15億5000万人の加藤学ファンの皆様

日本全国離島シリーズ第6弾〜沖縄本島・伊江島〜
「沖縄本島のでかさをなめてたで」



皆様、こんにちは。
今年のGWは、沖縄本島を原チャで1周して参りました。

原チャでの本格的な旅は、稚内から大阪に戻って以来10年ぶりです。

”Road in Okinawa Island”

4月30日 那覇市(残波岬、瀬底島経由)→本部町 走行距離: 136km
R58→県道6号→R58→R449→県道114号
R58は思った以上の交通量。雨は降らなかったが天気はいまいち。

5月1日 本部町→伊江村 走行距離: 70km
県道114号→県道225号→県道181号
伊江島へ。やっぱり離島はいい。

5月2日 伊江村(屋我地島、古宇利島経由)→本部町 走行距離: 125km
県道225号→県道114号→R505→R58→県道110号→県道125号→R58→R505→県道123号→県道84号→県道114号
天気がよく、腕が日焼けでヒリヒリした。古宇利島の海は、この旅見た海の中で一番きれいだった。途中、原チャのセンタースタンドが折れるアクシデントが・・・。

5月3日 本部町(辺戸岬、東村経由)→名護市 走行距離: 190km
県道114号→R505→R58→県道70号→R331
天気がよく、引き続き腕がヒリヒリ。国頭村、東村のやんばるの森のアップダウンの道はきつかった。

5月4日 名護市(海中道路、南城市、喜屋武岬経由)→那覇市 走行距離: 175km
R331→R329→県道37号→海中道路→県道8号→県道33号→R329→R331→R58
南部の海もきれいだった。


古宇利島の海



伊江島、城山からの夕日




嵐山展望台からの眺め





茅打バンタからの眺め
今回、沖縄本島に行こうと思ったのも何となくです。すでに沖縄の離島のいくつかには行っていますが、
「そう言えば、本島は那覇しか知らんな。」
と思い、
「普通に回ってもおもろないし、かと言って時間的にバイクは運ばれへんし。せや、なら借りるか、で、もちろん原チャやろ。」
でした。

原チャを侮ってはいけません。結構タフで燃費もいいし、何よりも「普段見えていないものが見えてくる」点がお勧めです。これは、何度も走った札幌、稚内間を原チャで走った時に感じたのですが、速度がゆっくりな分、これまで何も気にせず走っていた道中で再発見が多々ありました。沖縄本島は、今回初めて走りましたが、「おそらく車で走っている人は気づかなかっただろう、感じられなかっただろう」と思わせられた箇所、空気、匂いがいくつもありました。

5月の沖縄は今回初めてです。気温は30℃近くあり日差しも強く暑かったですが、「風」と「空の青さ」が夏と違いました。朝夕は風が冷たく、ウインドブレーカーを持っていって正解でした。スコールや夜中の大雨はありましたが、走っている間はほとんど雨の影響を受けずラッキーでした。

今回の旅も「予定なし」です。一応、GW中ということで、行く直前に那覇の安宿は取りましたが、その後は行き当たりばったり。宿がないことを想定してテント持参で行きましたが、できればキャンプ場ではなく安宿に泊まるのが目標でした。

バイクでの放浪は、身体がもろに風の抵抗を受け、知らないうちに身体が疲れます。雨なら身体が冷えきりますし。そういうのもあって、私は内地をバイクで放浪中は、できる限り温泉に近いキャンプ場を選びます。プラス、地元の「食」を楽しめる場所が近くにあるところ。しかし、沖縄本島では、温泉が近くにあるキャンプ場はないし、変に道端の草むらにテントを張るとハブが出てくる可能性もあります。そんな心配事項に反して、結果的にGW中にも関らずすべて安宿に泊まることができました。

初日に那覇で泊まった安宿のおばちゃんに、その先の予定を立てず宿も決めてない旨を伝えると、
「なめているでしょ?」
と皮肉を言われました。宿のインターネットでこれから進む方向の安宿を探しては、と勧められて、いくつか住所と電話番号を控えましたが、
「予約はしないの?」
と言われました。

沖縄本島を初めて走る私にとって、その感覚、距離感が全く読めない。まして、原チャとなれば・・・。仮に予約を取ったとしても、場合によってはその場所に辿り着けない可能性もある。となると、この連休の忙しい中、宿に穴を開けてしまうことになる。そのためのテント。宿の経営者ならそれぐらいわかってもいいのだが・・・。そういったことをこのおばちゃんに遠まわしに話しました。

大体、前日やその日の午後の目処が立った時点で、宿を決め連絡を取りました。で、役に立ったのが各安宿にある各地の安宿のチラシ。これは非常に助かりました。雑誌やネットで検索できる宿には限度があります。メディアに載せていないところも多々あります。その地で泊まりたくても、ネットで検索して出てこなかったので諦めて他の場所で泊まるといった人が多々いるのではないでしょうか。しかし、行き当たりばったりの現地調達情報ベースの旅では全く違います。結果的に、今回も非常に充実した旅になりました。

routineな生活をしていると、「オン・オフ」が非常に大事です。オンだけでもだめ、オフだけでもだめ、要は「オン・オフ」の切り替えです。次のオフは今秋を予定しております。おそらく、今度は離島でしょうね。
では、今度はまた秋にお会いしましょう。

P.S.
去年の悪夢にならないか心配しましたが、今年の連休は我が阪神タイガースも好調を維持。
今年のうちはやりますよ。



那覇で必ず食べる大東そば


東村のマングローブ


伊江島、GIビーチ


県道70号にはこの標識が

「本部の港で、「新井サヨナラ弾」の見出しを見て、思わず日刊スポーツを買ってもうたで。残念ながらデイリーはなかった」
湘南より愛を込めて
11/May/2008
Manabu Kato



☆Topics; ”Road in Okinawa Island” Vol. 162 - 165

島抜け号”再び in 沖縄

沖縄本島を旅するなら原チャ。私は前からそう決めていた。原チャはゆっくり走る分、周りの景色のみならず、雰囲気、何と言っても風を感じられる。チャリの場合は、もっとゆっくり走られるだろうが、「疲労」がもろに身体に来て、途中で予定を変えざるを得ないことが多くある。

那覇のレンタバイクやで原チャを予約したのだが、事前にテントを積めるタイプとお願いしていたため、後ろに荷台、前カゴ付のベストな原チャが借りることができた。しかし、店の人に、
「センタースタンドは使わないで。」
と言われたのだが、後でトラブル発生。センタースタンドが錆で腐食しており、それが途中で折れた。それ以外は順調で問題なく走ることができた。

沖縄本島をなめていた。まさかあれだけ広く(長く)、あれだけ交通量が多いとは・・・。那覇から最北端の辺戸岬までは150km近くある。R58の交通量の多いこと。那覇を出るとそれほどでもないだろう、という私の甘い考えはあっさり打ち消された。那覇→浦添→宜野湾→北谷→読谷と片側2〜3車線が続き、交通量も東京都心並み。読谷を越えると少しは減ったが、それでも都市部となんら変わりなし。

原チャの場合は、どうしても路肩走行になるが、私は以前稚内→大阪間を原チャで走った経験を持つので、ある程度の準備はできていたが、一般的に白線を最上部として、路肩は山になっていることが多い。そのため、うまく走らないとバランスが悪くなり非常に危ない。横では、車がどんどん飛ばして行くし。一番良いのは、白線の真上をひたすら走ること。しかし、白線は滑りやすいので、ブレーキをかけるとタイヤが滑って危険。こういった注意部分もあるが、結果として、沖縄本島の路肩部分は平均的に広くて走りやすかった。新しい道路も多かったし。

天気が悪い日もあり、若干雨にも降られたが、道中は概ね天気に恵まれた。日差しが強く、日焼けで腕、首筋がヒリヒリしたが、夏に比べると、空の青さ、風が違った。空は夏の「濃い青」では、「薄い青」、風は、日中は別として朝晩は冷たかった。

本島の交通量の多い中を走っていたため、伊江島に渡ってのどかで静かな道を走った時はホッとした。しかし、その分、また本島に戻った時はぞっとした。本島走行中は、時速30〜40kmをキープし、路肩もしくは左車線の一番端っこを走りながら、常に右のサイドミラーで後ろから飛ばしてくる車の動向にも目を光らせていた。

沖縄本島最北端の辺戸岬及び最南端の喜屋武岬の両方とも行ったが、辺戸岬の豪華さ、人の多さに比べると、喜屋武岬は何と質素なこと。辺戸岬へは整備された広い道路、一方、喜屋武岬は細くわかりにくい道。

金剛石林山からの(駐車場への)帰り道は、20分ほどになるが絶対歩いた方がいい。少しでもやんばるの森の空気を感じられる。巨大なカジュマルに出会うこともできるし。

辺戸岬から国頭村、東村へ向うやんばるの森越えの県道70号は辛かった。アップダウン、カーブが続く上に景色も単調。上りは、アクセル全開でもスピードが出ないし、段々と右手首は痛くなるし。周りは休むところもない。ただ、交通量は、西側のR58に比べると圧倒的に少ない。路肩も広く走りやすかった。この差にはびっくり。

ビーチは多々あったが、使用料(駐車料)という名目であろうか、入るのにお金を取るところ、またはホテルがビーチを管理しているところが多くあったように思う。もう少し庶民のためのビーチを増やしてもいいのに、とも感じた。入る前に銭払え、というようなビーチにはどうしても行く気にはなれなかった。

道中で特に感じたこと。
1、レンタカーがやたら多い。
空港近くには、レンタカー専用駐車場ビルがいくつもあるほど。コンパクトなレンタカーが多く、レンタカーと地元の車とは、ナンバープレートは別として、私を抜き去る時のスピードで区別できた。地元の車は、道に慣れているせいか、私を平気で猛スピードで抜き去っていった。

2、大阪人が多い。
道の駅やコンビニ、所々の観光スポットでは、やたら大阪弁が耳についた。で、やっぱり、大阪のおばちゃんはどこ行っても大阪のおばちゃんであり続けていた。あの生物は世界最強やろう。

3、コンビニと言えばファミリーマート
これはなぜだろう?コンビニで見かけるのは、ほとんどがファミリーマート。ローソンとCoCoストアもあったが、ファミリーマートの数の比ではない。他は沖縄に進出していないのか。

もう沖縄本島での原チャの旅はやらない。十分満喫した。



金剛石林山より望む辺戸岬


国頭村、伊江辺りの海



本部にて

今回の旅では、本部町周辺は十二分に堪能した。もちろん、元々予定はしていなかった。那覇を出て、恩納村辺りまで来た午後に、その日の走る目処が立ったので、今帰仁村のゲストハウスに連絡した。しかし、その日はいっぱいとのことで、親切にもその近辺のゲストハウスをいくつか紹介して頂いた。そのうちの一つが本部町になるMOTOBUゲストハウスだった。

MOTOBUゲストハウスは、美ら海水族館から徒歩10分ほどのところにある。水族館でアルバイトをしている若者も何人かstayしており、宿のオーナーであるにくさんがうまく宿をまとめていた。締めるところは締めて、うまく客とコミュニケーションを取って輪を作って。夜は、宿のみんなと宴を楽めたし、何よりもお蔭様でこの近辺の「食」を十分堪能した。私は、旅の最中は同じ宿に再度泊まることはほとんどないのだが、余りにもこの周辺に隠れた見所があることを知り、伊江島からこの宿に戻ったほど。

この辺りのゲストハウスでは、お互いに連絡を取り合って、宿が満室でも意図的に他の宿を紹介するようにしているとのこと。地域が一体となって盛り上げていく。いい心がけだと思う。ビジネス的な見方をすると、それで顧客を確保し、そのもてなし等によってリピーターを作る。全体から見ると僅かであろうが、それによりその地域にニーズが生まれ、その地に還元される。今回の私のように。

美ら海水族館は、予想はしていたが、人が多いのにウンザリした。開館後すぐに入ったのだが甘かった。ここは、絶対夜の人が少ない時間帯に行った方がいい。

水族館自体はいいと思う。世界一広いアクリルパネルを用いた水槽や、普段ではなかなか見ることができない海の生物を間近で見られるので、そういった親近感、特にちびっ子へのお勉強にはいい教材と思う。しかし、あくまでも私の個人的な好みになるのだが、こういった人工的な施設、特に水族館はどうも好きにはなれず居心地が悪かった。今回、ここに来たのは正直話のネタでしかないし、また行こうとも思わない。水槽の中にいる海の生物たちを見ていると、
「窮屈やろうな・・・。二度と自然には戻れないんやろうな。」
とついつい生物の視点で物事を考えてしまう。人にとってはいいだろうが、実際に海で捕獲されて連れて来られて、窮屈な箱の中に入れられている生物の気持ちを考えるとどうだろうか?一度餌付けされると弱肉強食の過酷な自然では生きていけないだろうし、ましてこの水族館で産まれた赤ん坊ともなると・・・。同じことがトキの人工孵化にも通じる。絶滅が危惧される人が作ったこの環境で人工的に孵化させて、結局人は何がしたいのか?ヤンバルクイナもそう。ハブ除去のために持ってきた外来のマングースが、人の意向とは別にヤンバルクイナなどの生態系を破壊している。で、「ヤンバルクイナ保護」と人が呼びかけている。あほか。食物連鎖のピラミッドが保たれた環境での外来種は敵がいない。やりたい放題だ。琵琶湖のブラックバスもそう。そんなこんなで、美ら海水族館は私にとって1時間もいたら息苦しくなってきて、とっとと退散した。



伊江ビーチ


東村ふれあいヒルギ公園


リリーフィールド


タバコ畑


海ぶどうそば in 「夢の舎」


伊江島の夕日


世界一のアクリルパネル


「安い」


城山


伊江島の道端で


金剛石林山


奥やんばるの鯉のぼり

伊江島は、それまでの本島の人、交通量が多い中にいたので、島に渡ってほっとした。宿のおじさんもいい人で、夜は島の人々と飲んでいた。伊江島を走っていてよく目にしたのがタバコ畑。最初は何かわからなく、
「どっかで見た葉やな。」
と思いながら走っていると、ある畑で花を見てタバコとわかった。海の近くにJTの施設もあったのもそれを裏付ける。本当は花が咲くまで放っておくのはよくないらしい(そうなるのは、人手が足らず間に合わないと言っていたが)。花が咲く前に摘んで、葉の生長・収穫に注力しないといけない。名護の宿で、伊江島のタバコ畑で働いていたがすぐに首になってそこの宿でヘルパーをしているという青年に会ったが、その翌日、「居心地悪い」という言葉を残して、また出て行った。おそらく、彼は次の場所でも同じようにすぐに辞めていくだろう。彼は、畑仕事を完全になめていた。あと、彼に言いたかったこと。「居場所は周りが作ってくれるものでなく自分で作るもの。」

おそらくベタな意見であろうが、古宇利島の海はきれいだった。個人的には、沖縄本島の海で一番きれいでは、と感じた。島に走る橋が有名ではあるが、ここに人が集まるのはわかるような気がした。


沖縄本島、一齧り

私の旅に「食」はつきものだが、今回も私が堪能した「食」のいくつかを紹介してみる。


1、「海のちんぼらあ」

私は、那覇の国際通りは人が多すぎて好きではないので、那覇滞在時は見栄橋付近の安宿に泊まることが多い。ゆいレールの美栄橋駅から5分ほど歩いたとまりんの前に大きなオリオンビールの看板がある居酒屋であるが、国際通りに比べると人も少ないところ。雰囲気のいいお店で、店の人の対応もよかった。
びっくりしたのは、泡盛の豊富なこと。ほぼ沖縄全部の泡盛を網羅しているのではと思わせるほどの商品群で、メニューの最後に泡盛マップ、味のmappingがあるのもいい。


2、「元祖 海ぶどう 本店」

那覇からR58を北上し、恩納村の万座ビーチ辺りにあるお店。家庭的な雰囲気だが、壁のおびただしい数の有名人のサインには興ざめした。ここのお勧めの海ぶどう丼は、ご飯の上にたっぷりと海ぶどうが乗ってあり、同じく上に乗ったとろろがうまくその口解けを滑らかにする潤滑油としてマッチしていた。しかし、個人的には、おそらく色付けであろうが、イクラとウニは余計だった。


3、オリオンビール名護工場

名護の街中に入って、R58から少し右手に入ったところにオリオンビールの工場がある。沖縄と言えば、オリオンビールだが、オリオンビール製造工場はここだけ。1日で頻繁に見学可能なので、折角なので是非行くべし。私は運よく予約なしで見学できたが、混雑時は予約した方がbetterだろう。折角行くのだから、見学後の試飲でビールを飲んだ方がいいので(お代わり込みで2杯まで)、車では行かない方がいい。


4、「海の幸」の料理

MOTOBU GHの皆様に連れられて行ったので正確な場所は覚えていないが、地元の人が集まる飲み屋で、料理は店の人のお任せ。我々が行った際は、
・・もずく・・・ニンニク入りポン酢を氷で割って
・・刺身・・・カツオは現地風にニンニク入り酢味噌で
・・ゴーヤチャンプル・・・癖がなく無茶苦茶うまかった
・・ラフティー・・・うまいの一言
・・ソーセージ・・・近くの乙羽ファームのもの。ジューシーで且つあっさり
・・ハマグリのお汁+ご飯
とこれだけで一人¥1,300。料理は無茶苦茶うまかった。
ここで、地元の今帰仁酒造の泡盛「美しきふるさと」(20%)を飲んだが、癖がなく非常に飲みやすかった。


5、沖縄そば in 「夢の舎」

MOTOBU GHのにくさんお勧めの沖縄そば屋で、山の方へ上がっていったところ。手打ちそばで、そばの味もさることながら、亜熱帯の植生に囲まれた手作り感の民家からなる雰囲気が非常にいい。そばと共に雰囲気が楽しめる。


6、伊江牛 in 「島の駅」

伊江島GHのおじさんお勧めの城山登山口に上がる坂下にあるお店。伊江島は、牛が特産。私は、伊江牛の焼肉と肉汁を食べたが、肉汁にはまった。もつ中心だが、脂っこくなく、味もあっさりしていた。


7、イエソーダ

伊江島の原料(水 etc.)を使って外部で製造しているソーダで何種類かある。、土産物屋のおばちゃんお勧めのシークワーサー+食塩を飲んだが、このミスマッチがまた合う。すっきりしてうまかった。


8、乙羽ファーム

上述「海の幸」で飲んでいる時、ここの社長と出会い、後日訪問。ソーセージもさることながら、ここのハンバーグも癖がなく無茶苦茶うまかった。ケチャップをつけることを勧められたが、何もつけなくてもうまい。


9、今帰仁酒造

この辺りの人々が好んで飲む泡盛「美しきふるさと」の製造元。黒麹を使って製造する泡盛で、工場見学させてもらった。原料のタイ米から醸造タンク(写真)、充填ライン、貯蔵樽、瓶、タンク。工場の外に1基1,000万円近くする断熱材で巻かれた貯蔵タンクをいくつも新設中。おばちゃん曰く、「おいしい泡盛を作るには必要なの。」とこの投資は仕方なし。通常、製造後6ヶ月ほどで泡盛を出荷する酒造が多い中、ここでは最低1年は寝かすらしい。


10、今帰仁アグー in 「侘助」

今帰仁酒造のおばちゃんに勧められたお店。アグーとは、豚のブランド。歯ごたえがありうまかった。店のママの息子さんは、大道芸人でバスキングをしながら全国を旅している。支払いしようとしていたら、事前に今帰仁酒造のおばちゃんから連絡を受けていたようで、「おばちゃんのおごり」とのこと。ここのママとおばちゃんは仲良し。いやー、逆に気を遣わせたな・・・。


11、スナックパイン

本部町の県道84号を走っていた時に、たまたま「伊豆味パイン園」という看板が見えて入ってみた。ここでは何種類かのパインが売られていたが、そのうちのスナックパインにはまって、その場で切ってもらって食べたほど。スナックパインは、手でちぎってスナック感覚で食べる、といったニュアンスから名前が来ているようだが、甘みのみならず、香りが非常によく、いい具合にその香りが後味として残る。この数ヶ月しか食べられず、且つ限られた土地でしか栽培できないらしい。


12、ヒロ コーヒーファーム

県道79号のやんばるの森を原チャでヘコヘコ走っている時に、疲れてどこかで休憩したいと思っていた時にここの看板を見つけた。ここで実際にコーヒーを栽培し、コーヒーを頂く前に飲んだコーヒーの新芽を使ったハーブティーは、独特の風味がありうまかった。コーヒーも香りがよく、お土産に買って帰った。


13、沖縄そば in 「そば家 偶」

R331を南下している途中、腹が減ってそば屋を探している時に飛び込んできたのがここの看板。国道から少し住宅街に入っていた普通の1軒屋をお店に改造したようなところ。店のお勧めの隅そばは、ソーキ、てびち、三枚肉と具がたっぷりでボリュームたっぷり。


14、ブルーシールのアイス

ある痛い系の子から「どうしても食べて」と頼まれて食べた。で、図々しくこのホームページに書いて、と頼まれたので、仕方なしに書く。
沖縄のコンビニや土産物屋ではどこでも売っていると思うが、私はコンビニでバーアイス、ひめゆりの塔の横の土産物屋で店の乙女お勧めの紅芋+マンゴソフトクリームを食った。年に1度食えばいいアイスクリームを、1日で2回も食ってもうた。乙女たちはアイスが好きだろうが、わしは先数年はアイスは食わん。


15、料理長の料理 in 「海と風の家」

名護市の「海と風の家」に泊まった時、私は珍しく宿の食事を食べた。ここの料理長は、季節によって、タイ、知床、そして沖縄と移動しており、この料理が無茶苦茶豊富でうまかった。料理長が直接知床から持ってきたイクラを使ったチラシ寿司、刺身、ミミガー、ラフティー、アグー入りの汁など。白味噌を使ったあっさりのアグー汁にはまった。



戦争の傷跡

今回の旅で沖縄を訪問するのは3回目になるが、本島を回るに当たって、できれば南部にある平和祈念資料館に行きたいと考えていた。沖縄を回るに当たって、必ず目にするのが戦争の傷跡。今後も沖縄に来るであろうから、その前に過去を知っておきたい。そういう想いからである。今回、伊江島の「ヌチドゥタカラの家」、糸満市の「沖縄県平和祈念資料館」、「ひめゆり平和祈念資料館」を訪ねた。

より戦争の生々しさを物語っていたのは「ヌチドゥタカラの家」。「沖縄県平和祈念資料館」は、私が理想とする資料館であった。それは、戦争のみを展示しているのではなく、「なぜ戦争が起こったのか?」を琉球の歴史も含め、わかりやすく表現していた。私は、長崎と広島の原爆資料館にも行ったが、そこは原爆投下を強調した資料館だったように感じた。確かにそれはそれでいいのかもしれないが、こういった資料館は戦争を伝えるのに一番適した施設であると私は考える。

断片的な部分、つまり戦争の一部分だけを伝えると、来場者に誤った(不十分な)情報を提供してしまう危険がある。そして、その情報が個人の認識となり、誤った情報が一人歩きする。例えば、戦争映画。戦争映画は、大体が「敗戦」を舞台にし、その部分のみを強調して自己を美化する。アメリカ映画では、ほとんどがベトナム戦争を舞台にし、日本映画では第二次世界大戦。私がカナダにいる時に見たアメリカ映画「パールハーバー」は、珍しく舞台が第二次世界大戦だったが、やはりその舞台はアメリカが攻撃された真珠湾だった。
また、見方によっても同じ戦争が異なったものとなり、ベトナム滞在時に訪問したサイゴンの戦争資料館では、アメリカ側及びベトナム側からの視点のベトナム戦争が見られ、同じ戦争が「全く異なるもの」と感じたし、数年前のクリント・イーストウッド監督の硫黄島を舞台にした二作品でもそう(この映画は両視点をよく表現していたと思う)。そういった中、「沖縄県平和祈念資料館」では、「なぜ沖縄で戦争が起こったのか?」をちゃんと伝えてあった。
「よく文部科学省がOKしたな。」
と思わせられたほど。そして、戦火の状況、復興に至るまで。さらに、第二次世界対戦を各国がどう表現しているか、という各国の教科書の展示。私には非常にわかりやすくためになった時間であった。

「戦争」という出来事に対しては、必ずその引き金となった要因が存在する。「戦争」をなくすには、上流部にあるその要因を認識し撲滅しないと何も変わらない。それが、政治の問題であったり、宗教の問題であったり。沖縄戦(というか、過去の戦争)の要因は、間違いなく当時の日本のあほな政治。この資料館では、それをちゃんと表現していた。戦争を経験していない我々世代にとって大事なことは、過去を引きずるのではなく、「過去を正確に理解し、それを踏まえて周りと対応し、今を生きる」こと。それが今の日中問題、日韓問題の解決にもつながると思う。

沖縄はあの戦争では「本当に被害者であった」と私は思った。さらに、沖縄は侵略された歴史の繰り返しでもある。元々、独自に琉球王国を形成していたが、それが日本に利用され、第二次世界大戦では戦場となり、その後はアメリカの侵略・・・。島はいいように利用され、それにより島及び島民が多大な被害を受けた。

また、沖縄にいると、どうしてもアメリカを感じてしまう。至る所にアメリカ軍施設があり、伊江島にも米軍基地があったほど。北部のオクマビーチの横にもおそらくアメリカ人専用の保養所であろうが、たまたまその日は誰でも入れるということで行ってみたが、中に入ってびっくりした。中は、アメリカそのものだった。アメリカ人家族がキャンプを楽しみ、話されている言葉はすべて英語。レストランでは米ドルも使える。
アメリカ軍基地の周りやそれに関連した施設では、周りの住民が作ったであろう「出て行け」といった看板が多々見られた。米軍施設だけで沖縄の何%を占めるのだろうか?住民が怒るのも無理はない。しかし、これで全撤去となった場合(ないと思うが)、例えばアメリカ人が集まるような店、飲み屋などはどうなるのか?このニーズがなくなると、全国的に見ても失業率が高い沖縄の雇用はどうなるのだろうか?といったことを考えながら、原チャを走らせていた。

今回、資料館を訪問し、自分なりに沖縄の過去を理解でき、今後、沖縄各地の戦争の傷跡に出会った際、おそらくこれまでと違った見方、気持ちになると思う。これから沖縄に行く人々、沖縄経験者でも資料館にまだ行った事がない人々へ、絶対に資料館に行くことを勧める。



古宇利島への橋


城山からの伊江島


団結道場


旅を共にした原チャ


巨大カジュマル


国頭村の海


辺戸岬周辺


辺戸岬


MOTOBUゲストハウスの屋上にて