全国14億5000万人の加藤学ファンの皆様

日本全国内陸シリーズ第1弾〜飛騨・木曽路〜
「やっぱり日本は山国やで」


皆様、こんにちは。

この5月の連休は、有休を使って1週間、バイクにテントを積んで本土をラウンドしてきました。会社員になってからは、日本の離島を中心に旅をしてきましたが、本土を回るのは2000年にお遍路さんで四国を回った以来久々です。

いやー、旅はほんとにいい。私にとって旅は原点。心が癒されますね。気分転換というよりも、忘れていた何かを思い出させてくれる。最低でも年に1回は旅は必要です、いろんな意味で。今回は、目標を白川郷に設定し旅してきました。

"Road to Hida and Kiso"


☆4月29日 辻堂→川根温泉(静岡県川根町) 走行距離:230km
R134→R246→富士山スカイライン→R469→R52→R1→R473

天気もよく、富士山スカイラインは気持ちよかった。川根温泉は、この旅に入った温泉の中で一番気に入った。


4月30日 川根温泉→乗政温泉(岐阜県下呂市) 走行距離:280km
R473→明神峡→R152→飯田富山佐久間線(県道1号)→R151→天竜峡→R256→R257

この旅で一番疲れた日。天竜峡に着くまで、山間部のワインドな道の連続。


☆5月1日 乗政温泉→高山(岐阜県高山市) 走行距離:70km
R41

雨の中のツーリング。この時期の雨の高山をなめていた。寒かった。礼文のお客さんの友紀ちゃんと再会。


☆5月2日 高山→平瀬温泉(岐阜県白川村) 走行距離:110km
R158→R156→白川郷

連日の雨の中のツーリング。白川郷で折り返し。


☆5月3日 平瀬温泉→木曽駒高原(長野県木曽町) 走行距離:200km

R156→R158→R361

久しぶりにいい天気で快走。御岳が無茶苦茶きれいだった。バイクにアクシデント・・・。


5月4日 木曽駒高原→原村(長野県原村) 走行距離:240km
R361→R152→ビーナスライン経由(霧ヶ峰、美ヶ原、白樺湖)

美ヶ原では、まだ雪が残っているところがあった。


5月5日 原村→辻堂 走行距離:200km
中央道→R137→R138→R246→R134

久しぶりに湘南の海に戻ってきた。


白川郷にて






岩堤家の皆様
(左から、友紀ちゃん、はるかちゃん、岩堤さん)


「美人姉妹!!」
(って書けと強要されたので、書いておきます。)






「欧米か!」

「はるか、おっちゃんにツッコむのはええけど、どこにツッコんでんじゃい!!」

「はるか、超かわいい!ナイス、ツッコミ! by 友紀」
(あほか---)
最終的に行き先を白川郷に決定したのは、いつもの通り出発の数日前。理由は、前から行ってみたいと思っていたのと、最近離島が多かったので、久しぶりに日本の内陸を走ってみたいと思ったのとで。内陸と言うか、過疎の村々を走ると、
「こんなところにも人が住んでいるのか」
とつくづく感じます。ある意味、陸の孤島です。そういった山間の村々では、公共施設は非常に大事。
「小さな村にある郵便局が民営化されたらどうなるのだろう?」
とひなびた農村を通り過ぎる時は、自然とそういった思いが浮かび上がってきました。

今回の目標(折り返し点)である白川郷には、正直がっかりです。もっとひなびた農村に合掌造りの集落が点在しているのか、と思ったら大間違い。大きな駐車場には観光バスが多く並び、また、観光客相手の店が至る所に、合掌造りの村の中に数多くの観光客が・・・・。世界遺産に指定されたということも大きいのでしょう。村の活性化・ツーリズムにはいいのかもしれませんが、一個人としてはがっかりです。

今回、高山で私が礼文最後の時のお客さんの一人、中村(現岩堤)友紀ちゃんに再会しました(礼文時のエピソードは、
「週刊はまなす」7月14日号 http://www.manabu1218.com/hamanasu2000/7_14.htm で)。
たまたま、友紀ちゃんが高山にいたので会いに寄ったのですが、高山では岩堤家から数々の情報を頂き、食いまくりました(トピックス参照)。今の私にとっては、”旅+地場の料理”はセットです。バックパッカー時代には、そう思っていてもお金がなくてできなかったこと。今回は、その”食”にはかなり満足です。

今回の旅は、色んな意味で非常に充実した完成度の高いものになりました。ここまで完成度が高いのは、カナダ・バンクーバーからアラスカ・プルドーベイまでヒッチで回った以来でここ最近では久しぶりです。やっぱり、ガイドブックのない旅はいい。先入観が全くなく、見るものすべてが新鮮そのもの。それがいいものであったり、悪いものであったり。悪いものがあるので、いいものが余計によく見えます。また、雨の中を走る日があるからこそ、晴れの日の気持ちよさが身に染みて感じられます。旅は止められん。

さて、次回の旅は今年秋を予定。まだはっきり行き先は決めていませんが、おそらく今度はまた沖縄の離島に行くと思います。

では、今度はまた秋にお会いしましょう。



P.S.
友紀ちゃん、岩堤さん、高山では本当に色々お世話になりました。頂いた高山情報、東京でも活用させて頂きます(1ネタ、200円で)。で、友紀ちゃん、「高山にまたおいで。」って気軽に言うな。ここからは遠いんじゃ------!!!!


旅の間、各地からメールをくれた皆様、私のことを気遣う文章は一つもなく、阪神連敗の冷やかしメールばかり、ありがとう。ただ、最後に笑うのはうちです。




富士山スカイラインより望む富士山


天竜峡


高山駅前のコンビニ「タイムリー」。
この辺りに多く存在するコンビニ


高山の古い街並み


白川郷


御岳


途中の「道の駅」で


ビーナスラインより望む八ヶ岳



「我が阪神タイガースの連敗が旅の間で、まだ気が紛れてよかった。しかし、最後に笑うのは、間違いなくうちです。」

湘南より愛を込めて
20/May/2007
Manabu Kato





Topics;  "Road to Hida and Kiso"



 
キャンプ場&温泉

昨年、伊豆の神津島に行った際、島の温泉がキャンプ場から徒歩で行ける距離にあった。バイクで走って、ジャージ・ビーサンで温泉まで歩いて行け、風呂上りには生ビールを気持ちよく飲める。あの快適さと来たら、何ものにも変えられず、あれ以来、私はある意味、温泉付のキャンプ場にはまっている。ここで、今回、経験したキャンプ場&温泉を紹介しよう。


1、川根温泉
道路沿いのPA内にある温泉。ここで、1日に2回しか走らない大井川鉄道のSLを運よく見られた。今回の旅で、温泉の質で言うと、ここが一番よかった。いかにも温泉臭く、風呂上りは肌はつるつるしていた。

キャンプ場は、ここから10kmほど北上したところ。はっきり言おう、ここは最低だ。入場料の300円はわかる。なんでテントを張るのに、それプラス2,100円も取られなあかんねん。「水代とかいるから」って、一日の水代はいくらやねん。町営か村営か知らんけど、資金集めやろ?もっと、他に外部の人間が銭を落としていく方法を考えろ。芝も石だらけで最低。二度と行かん。


運よくSLが通過



2、乗政温泉 一乃湯
下呂温泉の裏側にあり、下呂温泉までは15kmほどのところ。話のネタに下呂温泉にも行ってはみたが、まあ、有名な温泉街はどこもあんな感じやろう。特に印象に残っていないし、また行こうとも思わない。

乗政温泉は、キャンプ場に隣接しており、小ぢんまりしていて、いわゆる家庭風呂。ゆっくりと温泉に浸かるなら、下呂よりも私はこっちの方がよかった。テントの横にバイクを止め、歩いて温泉に行って、温泉のあとはビールだ。

ここのキャンプ場も1,000円ほど取られたが、キャンプ場のおばちゃんはいい人で、芝質もまあまあ。


下呂温泉街



3、(白川郷)平瀬温泉
私が理想とする”キャンプ場&温泉”は、今回の旅ではこのここだろう。
平瀬温泉は、白川郷から10kmほど南に下ったところ。私は、キャンプ場から徒歩で行ける「しらみずの湯」に向かった。

この日は、一日中、雨。身体が冷え切っていたが、キャンプ場から温泉までは歩いて5分ほどのベストの距離。そう、いつものジャージにビーサン姿で温泉に向かい、私が着いた頃は人もほとんどいなく、風呂で温まってからは生ビールで至福のひと時だ。

キャンプ場は、少し高かったが(¥1,700)、管理人はいい人だった。それに、芝質もいいし、何より温泉に歩いて行けるのがいい。これまで、私は色々なキャンプ場に行ったが、ここのトイレと洗面所は、今まで見た中で一番きれいで近代的だった。この管理の徹底にはびっくりしたし、これならこの銭は仕方ないな、とも思った。

ちなみに、この晩は無茶苦茶寒く、余りの寒さで目が覚め、朝は2℃ほどだった。


このキャンプ場はよかった



4、木曽駒高原、駒の湯
木曽福島駅から県道を5kmほど山に向かって登っていったところに駒の湯がある。ここからさらに数100m登ったところにキャンプ場がある。キャンプ場から駒の湯まで歩いても行けるが、ずっと急勾配な坂なのでバイクで移動した。

駒の湯は、老舗の温泉旅館で、宿の人は今年で創業104年目と言っていた。受付の方の感じもよく、この辺りは標高が結構高いので、内風呂で温まった後、外気が冷やっとした露天風呂は非常に気持ちよかった。

キャンプ場は、テントを張るにはいまいち。テント毎に張る場所の地面が板で整地されており、非常に張りにくい。ただ、ここにはライダーハウスがあるらしく、私はそこに泊まろうとしたが、その時は故障中とのこと。仕方なく、テントを張ろうとしたところ、この時期、木曽駒の夜は寒く、コテージが一つ空いているのでそこを使っていいとのこと。管理室の兄ちゃんもおそらくライダーなのだろう。この晩、大雨が降ったことを考えると、この親切心は非常に助かった。

コテージは、6畳ほどで二段ベッド。ただ、他のライダーもいる中、私だけこんないい思いをするのは申し訳ない(ライダーでは、私がこのキャンプ場に着いたのは最初だった)。そこで、管理人に、私と同じようなライダーが来たら、コテージで相部屋になっても構わないので、遠慮なく勧めてほしい、と伝えていたところ、その夜は、大阪からのライダーの浪花さんとコテージをshareし、一緒に温泉に行ったり、夜はビール片手に色々話した。

また、今回改めて感じたのが、ツーリングしていると「道の駅」は非常に助かる。走っていて疲れた時に休めるし、雨宿りはできるし、ウンコもゆっくりできるし、その土地のPR、食材等も楽しめる。以前、日本をラウンドしている時も、よく道の駅を利用したが、久しぶりに回っていると、私が認識していた以上に充実したものになっているように感じた。

そんな中、高山から木曽福島に向かっている途中の「飛騨たかね工房」の道の駅はユニークだった。というのは、唐辛子の加工品をPRしていた。私は、飛騨を走っている際にいくつも道の駅に寄ったが、大体は、飛騨牛、山菜等、どこも似たり寄ったりの展示、PR。しかし、ここは同じような地域なのに唐辛子というちょっとユニークなものに注力していた。

「なんで、ここで唐辛子?」
と、私は、レジの人に聞いたところ、唐辛子で町おこしをし、すぐ横にその加工場が隣接していた。使わなくなったトンネルにこの唐辛子と酢などを混ぜて熟成させ、それら原料を使って商品化している。こういった地域の特性を出すのもユニークだと思うし、しばらく飛騨地方を走っていて中弛みしていた中、この発想は非常に新鮮だった。





 高山、二齧り

上述の通り、高山では、岩堤家には非常にお世話になり、今思えば、高山に寄って大正解だ。友紀ちゃんからお誘いがなければ、高山は素通りしていただろうし、数々の”食”に出会うことはなかったであろう。地元の岩堤家から色々なお店を紹介して頂いた。

では、今回の旅で私が出会った”食”について、以下、高山を中心にいくつか紹介してみる。


1、ヨーグルト
R151を北上した天竜峡の手前に「道の駅 信濃路下條」がある。この辺りは、峰竜太の出身地何かで、峰竜太の似顔絵入りのお土産が多々並んでいた。
その一角に「遊牧館」というソフトクリーム、ヨーグルト等乳製品を販売している建屋があり、私は何気なく立ち寄って、折角なので、ここの飲むヨーグルトを飲んだ。それが、まあうまいこと。濃厚で程よい酸味で結構いける。ここから詰め合わせセットを実家に送ったほどだ。



2、飛騨牛
高山周辺では、日本酒とともに飛騨牛は有名。高山では、街中の老舗「萬代」角店で岩堤家にご馳走になった。ここでご馳走になったのは、飛騨牛のほうば味噌焼き。飛騨牛は元々あのような風味なのか、意図的にあの風味に調味しているのか、詳細は知らないが、独特の風味を持っているように感じ、私は結構このクセは好きだ。強いて例えるなら、風味は北大の中央ローンでよくやったジンパの時のジンギスカンで、それに肉質を軟らかくしたような感じ。また、これが味噌と合う(葱はいらんけど・・・)。




3、TRAIN BLEU
高山の少し街外れのパン屋で、全国からパン職人が修行に来るほど、その味は有名らしい。地元でも有名で、またガイドブックにも載っているのか、開店してすぐに人気のパンは売り切れるほど。私は、岩堤家に薦められたクロワッサンをいくつか購入し、一つはその場で、残りは翌朝キャンプ場で食べた。私は、バター臭くてしっとりしたクロワッサンは余り好きではないが、ここのクロワッサンは、サクッとした歯ごたえで風味もくどくなく、食べやすくうまかった。



4、高山ラーメン
自称ラーメン通の私としては、ラーメンが有名な高山に来たからには、ラーメン屋に行かないわけにはいかない。結局、時間の都合上、2軒しか行けなかったが、そのうちの「甚五郎」を紹介する。
「甚五郎」は、高山駅から徒歩10分ほどのところ。私は開店してすぐに入ったのだが、ここもかなり有名なのか、開店して続々人が入ってきた。
高山ラーメンは、醤油だしでチリチリ麺が特徴。私は豚骨・味噌派なので、醤油ラーメンは、どちらかと言うとこれまで避けてきた分野。細めチリチリ麺の場合は、こってりしたスープで、麺にスープを絡めて食べるのが好きだが、高山ラーメンのあっさりした醤油ダシに、細めチリチリ麺も結構合う。お土産用ラーメンも買って帰ろうかと思ったが、店の方曰く、麺は生麺で、スープにも防腐剤を入れておらず、保存は要冷蔵でとのことで、この後も数日旅を続ける私は、泣く泣くお持ち帰りを断念した。



5、キュルノンチュエ
R158を高山を出て白川郷方面に5分ほど走り、右手に数100m入ったところ。ここでは、フランスのジュラ地方で学んだオーナーが、燻製ソーセージ、ハム等を販売してる。
私は、ここで白カビのソーセージ、レバーパテ、及びロックフォール入りのパテを購入し、その数日後に東京で行われたワイン会に持参した。白カビのソーセージは、黒胡椒がほどよく効いており、レバーパテは程よいレバーの臭みで無茶苦茶うまかった。ワイン会でも評判がよく、たまたまその日のワイン会にジュラ地方のワインが出て、その演出に花を添えた。



6、ごっつぉや
高山でstayしたYHAから徒歩1分のところで、主に地元民を相手にしている居酒屋。地ビールを飲めなかったのは残念だったが、その食材の豊富さに驚いた。
高山と言えば、どちらかと言うと、山菜、飛騨牛を中心とした山の幸がメインかな、と思っていたが、海の幸もかなり豊富。私は、店のオーナーに、
「なんで高山で海産物?」
といった話をしたところ、高山から富山までは車で1時間半で、その日の新鮮な食材がすぐに手に入るとのこと。築地で仕入れるよりもネタが新鮮でコスト面でもメリットがある。ここで、飛騨牛のトロの寿司を頂いたが、口の中でとろける様な感はたまらなかった。



7、地酒&地ビール
高山と言えば、そう、何と言っても日本酒だ。正直、新酒を飲むなら秋口から冬にかけてがベストだが、私は数軒、酒蔵に行ってtastingした。
もちろん、無料でtastingできるところもあるが、酒蔵の中では200円ほどで好きな酒を枡でtastingできるところがあり、これは非常に合理的で飲む側も気持ちよく飲める。酒蔵での試飲となると、原酒が飲めるのはいい。冬季限定の非常に香りがよくすっきりした酒もあり、私は、計4軒ほど回って、その味を堪能した。
また、地ビールも堪能。地ビール好き、世界のビールラベルコレクターの私としては、地ビールがあるところで飲まないわけにはいかない。個人的に大好きな独特の小麦臭のヴァイツェンがあったのはラッキーで、速攻買って飲んだ。あとの商品は宅急便で自宅に送った。



8、トロロステーキ
キャンプ場からすぐの平瀬温泉にある「次平」のトロロステーキは、山芋、山菜に卵を加えたシンプルな鉄板焼きで、卵のフワッとした感がたまらなかった。焼く時間によっては、トロロ状態なのをそのままご飯にかけて食べてもいいし、火が通ってお好み焼き風に食べてもよし。

他店でもトロロステーキをメニューに入れているところもあるらしいが、
「うちが初めてよ。」
と店のおばちゃんは言っていた。



9、ソフトクリーム&ヨーグルト
R361を高山から木曽福島に向う途中に開田高原があるが、私が何気なく走っていると、おびただしい数のバイクがソフトクリーム屋に止まっていた。それにつられてついついここに立ち寄った。
ここでソフトクリームと飲むヨーグルトを食べたが、まあ、味が濃厚なこと。乳臭くて、味が濃厚で、
「そしたら我々が市販で食べているものは一体何?」
と思ってしまったほど。



10、そば(くるまや)
木曽福島駅からバイクで1分ほどの老舗「くるまや」本店。今回の旅は、飛騨・木曽路ということで、この辺り一体そばが有名。私も何軒もそば屋に行ったが、ここのが一番歯ごたえがあって、食べごたえがあり、一番印象に残っている。但し、ここもかなり有名なのだろう。店前には、ずらっと人が並んでいた。





 YHAでのひと時

元々、高山は通過するつもりだったが、雨が降っていたのもあって、結局は高山でYHAに泊まった。岩堤家stayも勧められたのだが、妊婦の友紀ちゃんに負担をかけたくなかったのと、地元の居酒屋にぶらっと行きたかったのと、久しぶりにドミに泊まりたい、とふと思ったのとで、たまたま街中にYHAがあり、そこに泊まることにした。

久しぶりのドミは懐かしかった。海外では余り泊まるのが好きでなかったYHAだが、日本で泊まれるドミはYHAか沖縄のゲストハウス以外、ぱっと思いつかない。ここでは色んな連中と出会った。

京都からの学生ライダーは、現在M2ですでに民間企業の研究所に就職が内定している。しかし、これまでもちょこちょこ東南アジアをバックパッカーしていたのか、正直、このまま就職していいのか、あるいは旅を進めるべきなのか悩んでいた。こういった相談は難しい。「好きなことをしたら」というのが一番楽な回答で、正直これが私の回答。しかし、「就職が内定している」のを、今更自己のエゴで蹴る無責任な態度もどうかと思うし、彼の今後のためにも、自分の決断にもっと責任を持つよう訴えたいのもあった。かと言って、このまま就職すると後悔するやろうし、一方、大卒で社会人になることなく放浪し、その後に就職となっても、そんなに世の中は甘くないことは、私が十分に承知している。

そこで、今後の社会とのルートも考慮し、とりあえずは就職して数年は働いて、ある程度結果を出して、その時点でまだバックパッカーしたかったら、その時やれば、若いんやし、といったような内容の回答をした。

また、フィリピンからの旅行者、アマンダとも色々話した。さすがに、フィリピン人だけあって、英語は早くきれいな発音だった。アマンダとは、朝市にも一緒に行った。

彼女は、大の親日家。これで日本に来るのは5回目で、フィリピンでは剣道をやっているらしい。東京にいる際は、南千住の安宿に泊まっていると言っていた。

彼女は、フィリピンの新聞社を辞めて日本に来た。この後は、一旦帰国してフランスに渡り、その後は、ベルギーで途上国の開発関連の勉強をすると言っていた。将来的には、NGOか何かに属し、アフリカにも行ってみたいとも。

アマンダからは、私の経歴について色々質問された。特に、私が大学院で勉強していた”genetics”に関しては、かなり否定的な考えを持っていた。朝市の途中で、大きなトマトを見た時も、
「フィリピンでは、こんな大きなトマトを見たことはない。これは遺伝子操作でしょ。説明して。」
と、なんで高山にまで来て、こんな学術的な話をしないといけないのかとも思ったが、外部環境(気候、土壌、肥料など)、品種改良(遺伝子操作ではなく、交配)などの概念を踏まえて説明すると納得していた。

アマンダとは、帰国前に東京に戻ってくるので、その頃会おうといった話をしたが、結局お互いの時間が合わず会えなかったが、メールアドレスは事前に交換しておいたので、彼女がマニラに戻った今でもメールで連絡を取り合っている。彼女には、東京も含め、日本全国の安宿情報を聞こうと思っていたのだが、それら情報はメールで聞くことにする。

予想した通り、YHAには外国人がたくさんいた。上述の学生もそのことにびっくりしていたが、JETプログラム、rail pass、ロンプラのことなど、
「ある意味、彼らは日本人以上に合理的に日本を旅する方法を知っているかも。」
といったことも話した。

私が以前から訴えているように、国策として日本に安宿(できればテントサイト付)の建設を推進してほしい。庶民レベルでのツーリズムは、低コストで多大なプラスの影響が期待できる。考えられるだけのメリットとして、
1、外貨の獲得
2、日本人の英語への接し方の改善(受験レベルの英語教育からの脱却)
3、日本の若者に旅を促し、安宿を通じての国際化
4、地方の活性化

こういったできごとが、市町村の庶民レベルで起こり、これが国レベルとなると、かなりの効果が期待できる、というのが私の自論である。

もちろん、犯罪等のネガティブな影響も危惧されるが、危機管理能力が問われる島国日本人にとって、そういった刺激を感じるのも、今後のブラッシュアップのためにはいいのでは、と私は思う。

こういう視点での政策があってもいいのでは?そんなに経費はかからない。各市町村で安宿を数件用意し、宿の管理は公務員でもいい。従業員はパートでもいいし、exchangeでもいい。