週刊はまなす(95日号)


「香保里嬢とのおデート(利尻編)」

29日はお客さんがいなかったので、香保里嬢と利尻へ出かけた。香保里嬢は28日で仕事を終了し、みんなに見送られて泣きながら島を後にした。

利尻に着いた我々は大将の友人でもあるヘラさんを訪ねた。私が学生時代に一度ここにお邪魔したことがあるが、今ではすっかりrenewalしてお城のようにきれいになり、昔の面影はない。私は手土産に礼文饅頭を持って行き、昼の休憩時間にヘラさん、ヘラさんの家のヘルパー、そして我々とで一緒にコーヒーを飲んだ。

その後は利尻観光。毎年利尻に来ている私にとって、利尻は礼文同様hometownみたいなもの。香保里嬢をバイクのけつに乗っけて、姫沼、沼浦展望台、オタトマリ沼、仙法志岬とお決まりのコースに向かったが、まあ、香保里嬢がはしゃぐこと。また、香保里嬢の声は甲高い。普通の人間のトーンがミ、ファ、ソ、ソなら、香保里嬢はソ、ラ、シ、ドだ。姫沼を一周歩かせてやったが、

「すてき。」
とバンジーの口癖を叫んでた。私は思わず香保里嬢をバンジーかと思ったぐらいだ。

午後からは、まずは沓形の中村bakeryで手作りのパンを買って、見返り台公園で礼文を覗きながら、それをほおばった。礼文を出たばかりの香保里嬢は礼文を見ながら感情にふけってた。ここからの礼文の景色は実にいい。目の前には知床の町が広がるし。

そして、お待ちかねの温泉。私は利尻に温泉が湧いて一度も入ったことがなかった。今回の利尻訪問も温泉以外特に目的はなかった。利尻の温泉は思ったよりもいい。値段もそれなりだし(400円)、何と言ってもサウナや露天風呂がある。露天風呂からは利尻の頂きが展望できるし。いやー、なかなかリラックスできた。

一日目の予定はこれで終了で、温泉の後は宿に帰って夕食を頂いた。ヘラさんのところは立地的にperfect。海が目の前やし、食堂からは夕日が見えるし。宿自体も木を基調にしたゆったりした空間がなんとも居心地がいい。私は食後にヘラさんたちとビールでも飲もうと思って、ビールを買ってきて冷やしておいてもらったが、宿でゆっくりくつろいでいるうちに日ごろの疲れが出てしまって、結局ビールを飲む前に寝てしまった。

二日目は、朝はゆっくり寝ようと思ったが、ノナ漁の磯船の音でやっぱり目が覚めてしまった。折角、くつろごうと思ったが職業病が抜けない。そして、食後はペシ岬に登って、まずは甘露泉へ。甘露水は冷たくてうまかった。

その後は利尻空港へ。札幌から飛行機が来るようになって、利尻空港はrenewalした。展望デッキからは利尻富士が目の前で、反対側には礼文が見える。ここは私個人的にもおすすめのポイント。それから、ミルピスへ。ミルピスは利尻名物の乳飲料。味的にはカルピスのミルク割りと言ったところ。私は利尻に来る度にここに寄るのだが、ここのおばちゃんはおしゃべり好きで、今回はたまたまお客さんが私と香保里嬢だけだったので、色んな味をtastingさせてくれた。おばちゃんはほんまようしゃべる。まるで利尻版宮川花子だ。おばちゃんと話している時に、ヤマト運輸の配達の兄ちゃんが来て、今年からうちの宿は宅急便取扱店になったのもあって、この兄ちゃんと少し専門的な話をしていたら、おばちゃんに、

「良かったら、利尻でクール宅急便の仕事しない?今、人がいなくて困っているのよ。」
と誘われた。短期ならいいが、悪いけど長期はごめんだ。都会では職がないと騒いでるのに、ここでは人材不足か。世の中うまいこといかないものだ。

あとは、沓形公園に寄った後、もう一度温泉に行って香保里嬢を鴛泊港まで送って行き、私は沓形発の最終で礼文に戻った。香保里嬢は別れる時は号泣してたが、本当に一夏よく頑張った。ちなみに、この後香保里嬢は沖縄に行って、来年早々アジアのバックパッカーになるそうだ。

たまに行く利尻はいつも思うことだが、礼文と雰囲気が違って新鮮だ。道路は広くてきれいし、バイクで回るのは最高。何と言っても、礼文よりも進んでいる。コンビニは2軒もできたし。コンビニを見たのは、3ヶ月ぶりだ。私は思わず立ち読みしてしまったぐらいだ。



31日はお客さんがいなかったので、大将、いづみさんは10時間コースに出かけた。私が二人をスコトンまで送って行き、その時点では雨が降っていたが、その後は天気は回復した。通常バスで行くとなるとスコトン着が7時半近くになるが、今回は6時半スタートだった。もちろん、ビール持参で。

宇遠内まで来た二人は、今は通行禁止になってる元地までの海岸線を歩いた(皆さんは絶対歩かないで下さい)。ここまでが旧8時間コースで、元地に着いたのは午後4時ぐらい。そして、そこから桃岩展望台まで歩き、元地灯台を通過して、はまなすまで歩いて無事ゴール。所要時間は約12時間。いやー、よく頑張ったもんだ。そして、その夜はお疲れ様焼き肉パーティーを3人で開き、その後はワインで乾杯した。

そして、翌日。運悪くノナの旗が揚がり、大将は筋肉痛の体に鞭打って漁に出かけ、いづみさんもその日はへたってた。10時間コースを完歩した後のいづみさんのコメント。「二度と歩かない。」

31日は、大将、いづみさんが10時間コースを歩くのもあって、民宿の営業を中止したが、昼過ぎに案内所から電話があり、日本語が全くできない外人さんが民宿に泊まりたいから助けてほしいとのことだった。しかし、この日は営業しない旨を伝えたが、案内所ではその外人さんを対応しきれず、結局この日は素泊まりにするってことで引き受けることにしたが、港でこの外人さんと対面してビックリした。なんと二日前に利尻の温泉で一緒になったフランス人のジェアンルックさんではないですか。彼も私を見てビックリしてた。ジェアンルックさんは東京でフランス人に数学を教えている先生で、はっきり言ってそれ程英語はうまくない。彼はCamping facilityを持っていたのだが、民宿に泊まってみたかったようだ。翌日8時間コースを歩いたのだが、なんと宿に戻ってきたのは午後4時前だった。おそるべし速さ。通常なら港に着くのが午後5時半から6時頃なのだが、ジョアンルックさん曰く、“ Easy track!!”だそうだ。料理も納豆以外はなんでも食べてくれ、見た目はちょっとモーホー系だったが、感じの良い青年で、最後は笑顔で帰って行った。

2日の礼文の天候は大荒れだった。強烈なやませが吹き付け、港での風速は12m。今シーズン最高だろう。観光バスでスコトンに行った仙台の鈴木さん夫妻は、

「この世のものとは思えない風。」
と表現してた。風に雨が伴い、道端では風に吹かれたゴミが散乱し、海はおおしけ。稚内からの船は風に押される形でそれ程揺れなかったらしいが、稚内行きの船は揺れまくったはず。それまでは蒸し暑い日々が続いていたが、この日は寒くて寒くて。日中で14℃。このやませが続くと、これからは気温が上がらないだろう。

1,2,3日と三連泊した仙台の鈴木さん夫妻は3日に8時間コースに挑んだ。前日の強風がまだ残っており、やませが吹き付ける中スコトンをスタートして、な、な、なんとゴールしたのは午後2時半。信じられない速さ。前前日のジェアンルックさんを越えるハイペース。それも重たい荷物を持ってのトレッキング。Unbelievable!! おそらく歴代のはまなすのお客さんの中でNo.1の速さだろう。三泊もしてくれた鈴木さん夫妻とは、お客さんも少なかったせいかゆっくりとお話できた。ご飯も毎食きれいに食べてくれたし、とても感じのいい二人だった。今年は三連泊以上のお客さんがかなりいたが、みんな感じのいい方ばかりで、お話もゆっくりできたし、我々もとても楽しかった。

今週は、829,30日、91日とノナの旗が揚がった。ノナ漁は2時間で、殻付出荷なので、むかなくていいぶん楽だ。殻付ノナ漁は、規定以上の大きさのノナを漁港に持って行き、そのうちの4kg当たりのむき身を計算して、それを全量に乗じて収穫量を算術する。そのため、漁港では漁師さん達が列を作り、順番が回ってくるまで待たなければならないし、大将は漁師では若手に当たるのでその手伝いをしなければならない。昨年、私も数度お手伝いに行ったのが、なかなか時間のかかる作業だ。

昆布漁は自由操業となり、大将はもう採るのは止めて今は3人でひたすら昆布作りをしている。私が昆布の頭を切って、いづみさんと大将とで等級に分けて赤葉を切っていく。作業的には単調であるがその分飽きてくる。だから、時々休憩しないと精神的に疲れてくる。6日の第一回目の検査に出せるだけ出すようにみんなで努力しているが、果たして間に合うだろうか。

92日付「北海道新聞」朝刊より

「昆布漁水温上昇で減産か」
昨年に続いて暑い日が多かった今夏、-----。また、宗谷管内の昆布漁は水温上昇などから減産になる見込み。-----宗谷管内の天然昆布漁は実入りは悪くないものの、海水温の上昇などから礼文島を除く全域で着生が悪く、同支庁での予想生産量では前年度比31.7%減の1,517tにとどまる見込み。養殖昆布漁も予想生産量では前年度比17.8%減の333tにとどまりそう。

離島では、昆布着生が比較的良好な礼文島の予想量が天然200t、養殖47tとほぼ前年並みを維持できる見込み。-----

大砂賀朝君から私宛てにメールが届きました。それを下記に記します。尚、大砂賀朝君の詩については、週刊はまなすのバックナンバーを参照して下さい。

以前お話した詞のエピソードについて送ります。

1.Missing
実は礼文に帰ってきて退屈していた時期があって、高校時代の友達に会いたいなあ、から全てが始まった詞。それをラブソング調に書いたらこうなった。いかにもドラマ主題歌にありそうな詞になってしまった。多分曲をつけたら「ロマンチックでクラシカルなバラード」になるんじゃないかなと思います。

2.生きてくなら
思いっきりB'zロックを意識した詞。内容は矛盾だらけの今を生き抜いていくにはどうすればいいのか?自分ならこうするなあってのを表現したものになりました。曲をつけるとしたらB'zの「Liar Liar」のような感じにしたい。

3.PROMISE
ゴールデンウィークに友達が泊まったときに書いた詞。実は大砂賀 朝が初めて書いた詞がこれである。友達の恋愛をスケッチするような感覚で書いて完成した詞がこんなにも恥ずかしいものだったとは。最初はスローバラードにしようと考えていたけど、段々ミディアムテンポになってきて・・・。それでもいいかなという感じになった。

4.LOVE〜2人が愛した日々
ウェディングソング用に生まれた詞。今まで書いた詞の中で英語が入っているのはこれだけである。メロディー部分の詞がくどすぎたかなと反省している。曲についてはサビで明るくなっていく。そんな展開が一番合っている。

5.Spring〜5月の息吹
この詞は以前はまなすに宿泊したお客さんからリクエストを戴いたもの。イメージを聞いた時にピンとこなくて。色々考えたあげく春をベースに恋の暖かさや儚さを書いたものになった。(リクエストどおりのものが書けなくて申し訳ない)曲はどこか切なくて悲しいメロディーになるように考えている。

現在の作詞活動は、6作目となる「Sun Flower」を書いています。夏の恋をテーマに一目惚れした彼女を振り向かせるといった内容になっています。近日中に発表する予定でいますのでもう少しお待ちください。

この詞に関するご意見・ご感想お待ちしています。
ということでよろしくお願いします。
大砂賀朝君へのお問い合わせは、
e-mail address: j000402@std.dohto.ac.jp
です。

天気:ここ最近は風がやませに変わり急に冷え込んできた。日中の気温も20℃はいかない。防寒具は必ず持ってきた方がいい。本州の10月下旬か11月上旬と言ったところか。

花:所々の遊歩道で、ツリガネニンジン等この時期の花が咲いている。

さて、この週刊はまなすも今回を含めて後3回の予定。そして、私もこの島を後にします。19歳の時にこの島と出会って、今年で8年目。記念すべきミレニアムの2000年を私にとってfinal yearにするつもりです。そこで、今週から3週に分けて私がヘルパーとして働いた1992,1993,1997,1999,2000年をドラマ「北の国から」風に紹介しましょう。

1回「さいはての国から ’92 〜出逢い〜」

第一部
大学の体育会のハンドボール部に所属していた私は、先輩同士のけなしあい、異常なまでのOBへの媚び諂いに嫌気がさして、その年の5月に部活を辞めた。「折角、北海道に来たのだから、なんか北海道らしいことをやらかそう。」

そう思った私は、夏休みにどこかで住み込みで働くことを決意し、色々雑誌やアルバイト情報誌を捜した結果、礼文島の某民宿で働けることになった。そして、授業が終わる一週間ほど前にその民宿に連絡したら、もう違う人を雇ったとのこと。信じられん。ちゃんと授業があって遅れる旨は伝えたのに。よし、こうなったら絶対礼文に行ってやる。そう思った私は、観光案内所に連絡し、

「俺をどこかで雇って下さい。」
とお願いし、その電話を受けてくれた人が当時案内所にいた山田のおかんだった。おかんは親切にも色々民宿を当たってくれ、たまたまその年は昆布が多かったので、昆布漁の補佐として大将が私を拾ってくれた。これが私と礼文、大将との出逢いだった。

第二部
礼文で仕事が決まったのはいいものの、札幌でバイトはしていたが、体育会で生きてきた私にとって住み込みバイトは未知の世界。とにかく、どういうものなのか、うまく人とやっていけるのか、ものすごく不安だった。その年のヘルパーは、あけみさん、みのるさん、そしてさほこさん。当然、みんな私よりも年上で、私はとにかくみんなに迷惑をかけないことだけを考えていた。当時24歳のあけみさん、23歳のみのるさんから見れば19歳の私は子供同然。

「かとちゃん、大丈夫?
と常に心配してくれ、始めのうちは午前の掃除が終わったら昼まで寝かせてくれた。恥ずかしがり屋の大将ともどうやって付き合っていけばいいのか、始めはすごく悩んだ。しかし、次第に大将とも気が合うようになり、途中からはヘルパーの中で一番よく大将と接するようになった。

第三部
初めて来た礼文は北海道らしいというよりも漁村って感じで、正直少しショックだった。しかし、海の向こうに見える利尻の全容を目の当りにした時は感激した。なんときれいな山なのだ。空もきれいし、星もきれい、海もきれい。私は徐々にこの島が好きになっていった。

仕事自体は、朝早起きが一番辛かった。昼間が眠くて眠くて。そして、漁の時は、あの水の含んだ昆布を担いだ時の重いこと。これは一生漁師はやれないとまじで思ったし、もう二度と昆布漁はするものかと思った。ただ、仕事は漁も民宿も辛かったが、長距離マラソンが得意だった私は根性があったのか、もしくは厳しい体育会を過ごしてきたうちに根性がついたのか、途中で逃げ出そうという気持ちは全然起こらなかった。あの部活の合宿に比べれば---。それよりも、みんなに迷惑をかけたらあかんという気ばかりだった。とにかく、なんでも一生懸命やっていたせいか、大将や他のヘルパーの足を引っ張ることなく、逆にみんなから可愛がってもらった。そして、この夏を乗り切れたというのが、今後の私の人生の自信につながり、またwild lifeの基本になり、そういう意味ではこの年のスタッフには心から感謝しているし、いまだにあけみさんとは連絡を取り合っている。

第四部
この年は、大将のお母さん(おばあちゃん)は健在で、お父さんはもう寝たきりだったが、おばあちゃんが中心となってお客さんの料理を作ってた。また、おばあちゃんがかわいくて面白く、私はおばあちゃんが大好きだった。そして、よく礼文の昔話や、島のことを教えてもらい、現在の私の島についての雑学はほとんどおばあちゃんから教えてもらったものだ。

おばちゃんは掃除の途中でも眠くなったらどこでも寝る。一度、掃除の途中でふと食堂を見るとおばあちゃんが倒れていた。私は、顔が青くなって、

「おばあちゃん、しっかりして下さい。」
と側に駆け寄ると、

「なぬ。」
と起き上がった。何や寝てたんかい。その時の私はまるで新大阪で降りるつもりで急いで起きてドアの側に行ったが、運悪くドアが閉まってしまって、「ああ、どうしよう。」と焦っている時に、ふとプラットホームを見ると、「京都」と書いてある文字を目にし、「なんや、まだやったんか。」としっくり来ない気持ちになった笑福亭鶴瓶のようだった(from パペポ)。

あと、何気なく英語でおばあちゃんに話しかけた時の答えがおもろかった。

私:「おばあちゃん、今日はheavyですね。」
おばあちゃん:「へび?この島にはいねえべ。」
私:「今日のほしいものは、nothingです。」
おばあちゃん:「なぬ、なす?」

とにかく、私を始めスタッフ全員おばあちゃんとお話するのが大好きだった。

第五部
仕事の方は、とにかく最後までみんなに迷惑をかけないように必死だった。私は漁の時は漁専門で、民宿業は夜しか手伝ってなかった。それ以外は主に中の仕事ばかりで、たまにみのるさんが疲れた日に旗持ちに行ってた。なんせ、島のことはわからんし、お客さんに聞かれたらいつも困ってた。そのため、お客さんと接することはほとんどなかったように思うし、その年のお客さんは全くと言っていいほど覚えていない。ただ、島の人々とは仲良くなり、特に当時小学校6年生の浩一(現在山梨学院大学2年生)は私になつき、よくキャッチボールをしたり、あと一緒に8時間コースを歩いた。年頃の私は、8時間コースの途中にユースの若い女の子を多く見掛け、声をかけ一緒に歩きたかったが、その度に、

「加藤君、早く行くよ。」
と浩一に邪魔された。今の浩一は私の当時と同じ年齢なので、その時の私の気持ちが十分わかったはず。正直、浩一に邪魔される度に私は浩一を崖から落したろうかなと思った。おかげで、ゴールしたのが早いこと。8時間コースを6時間で完走し、10時間コースも結局8時間もかからんかった。しかし、そんな浩一とも別れる日が来た。

第六部
北海道の小学校はお盆明けには学校が始まるので、私が島を出る時はもう授業が始まってた。8時間コース以外ほとんど島を回っていなかった私は、出発の早朝レンタバイク屋の父さんにバイクを借りて島を回ってた。その頃、学校に行く前に浩一は私を訪ねていた。私は、宿に戻って浩一が訪ねてきたことを大将から聞き、急いで尺忍小学校に向かった。そして、掃除のおっちゃん兼校長先生に事情を言って、授業中の浩一を呼び出してもらった。尺忍小学校はクラスが複式学級で、私が訪れた時は音楽の授業で、教室から子供たちの元気な歌声が聞こえていた。校長先生に呼ばれた浩一は廊下に顔を出し、私の顔を見るとめそめそしてた。

「加藤君、見送り行けなくてごめん。」

そして、私と浩一はガッチリ握手し、一言、

「浩一、色々ありがとうな。」
と言った瞬間浩一は目をぬぐってた。まるでドラマのシーンのような別れだ。これはフィクションではないノンフィクションだ。私はそう言って自分に言い聞かせたが、気持ちはすっかり高倉健になってた。

そして、その日の午後。利尻に向かう私を大将始め、スタッフ全員が見送りに来てくれた。学生であった私を気遣って、大将は、

「服買ってやる。」
とパーカーを買ってくれた。そして、テープで見送られ、出港と同時に大将が頭を下げてくれたのを今でも覚えているし、その瞬間ジーンと来た。

「ああ、礼文と出会ってほんとよかった。」

これが1992年の夏の出来事だった。

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