週刊はまなす(731日号)


数日前に、ついにバンジーちゃんがダウンした。今までの疲労がピークで、さらにお客さんのピークも一段落したのでガクッときたのだろう。あのしゃべりのバンジーちゃんが黙ってしまったのだからよっぽどだったはず。体重も3kgも減ったみたいだが、一週間後には元に戻るに違いない。私とバンジーちゃんは一週間後のバンジーちゃんの体重を賭けている。元に戻れば私の勝ちでビールをget。現状維持のままなら私がハーゲンダッツのアイスをおごらなければならない。勝負は85日。乞うご期待。

22日に飛び入りのライダーが二組も来た。一組は、東京からのカップルで、もう一組はキャンプ場から雨のため避難してきた女の子二人。私は自分の中ではすべてのお客さんに平等に接しているつもりなのだが、バンジーちゃん、いづみさん曰く、私は女性には甘いらしい。そう言われてみればそうかもしらんが、私がどうしてもひいき目で見てしまうのが、ライダー、キャンパー、学生、そしてforeignerだ。ライダー、キャンパーは私自身もそうであるし、学生は銭を持ってないのは知っているし、それに私自身も学生時代銭がなくていつも辛かった。Foreignerには日本の民宿というものを楽しんでほしいし、私も海外放浪中に色んな国でよくされたのでどうしてもそのお返しをしたい。この日は忙しく余り深く接することはできなかったが、二組とも喜んで帰って行った。

22日に帰って行った私の友人五十嵐夫妻から先日六花亭のお菓子の詰め合わせが届いた。すると、うちのスタッフは大喜びで、私、バンジーちゃん、いづみさんは色んな種類を少しづつ食べようと、それぞれのお菓子を差をつけた三分割して、じゃんけんで取り合っていたのだが、その横で大将はパクパクと他のお菓子を食っていた。それにはみんな激怒。その他にも、今週は大将への激怒事件が相次いだ。

激怒事件その2
25日に今年度最後の27人の団体さんが来た。その日は個人客も数名いて、超満員。そんな中、大将はお腹が痛いと言って夕方から寝込んでしまった。我々は大将も疲れてるなと労わり、残ったスタッフで夕食の後片付け、朝食の準備をこなした。そして一段落した頃、そっとそのまま寝かせてあげた方がいいかなとも思ったが、夕食時になって一応いづみさんは大将を呼びに行った。すると、

「腹は痛いけど、めしは食えるんだ。」
ともりもり食ってた。それには了子さんも激怒。

「そんなの病気じゃねえ。」

激怒事件その3
28日に今年2度目の昆布の旗が揚がった。この日、大将は知床から10kmほど離れた起登臼まで採りに行ったので、我々は昆布干しが遅れ、近所の人々に手伝ってもらうことになった。昆布の日は天気がいい日と決まってるので、干し終わった後は我々は疲れ切っていたし汗だくだった。そして、地元の漁師さん、大将と私で朝の8時半頃から生ビールを飲んでた。私は軽くジョッキを空けて仕事に取り掛かり、大将もしばらくして仕事を始めた。昼近くになると大将も私もくたくたで、そのままろくに昼飯も食わずにソファで寝てしまった。やっぱり、昆布の日は疲れる。そして、昆布を取り集める午後3時前。さあ、仕事って時に大将は目を覚まし、

「やっぱり、生4杯は効くわ。すっかり、酔っぱらった。」
と。おいおい、疲れてたんとちゃうんかい、酔っぱらってたんか。昆布の日は我々はいつも以上に忙しく昼間はぐたっとなってるのに。その言葉に我々スタッフは呆れて物も言えなかった。

「お前の馬鹿さ加減には父ちゃん情けなくて涙が出てくるわ。」
スタッフ全員が懐かしのあばれはっちゃくの父ちゃん(役東野英心)の心境だった。

22日から神奈川の大谷さん親子が三連泊した。今時の高校生はお父さんと一緒にいたがらないのに、娘の緑ちゃんはお父さんと仲良く悪天候にもかかわらずハイキングを楽しんでた。今の東京の高校生といえば、顔黒、山姥、援助交際というふうに形容しがちだが、緑ちゃんは素直でかわいい女子高生。いつまでもこのままでいて下さい。本当に仲のよい親子で、この親子を見ているだけで我々もほのぼのとなった。

24日に飛び入りで香港人7人が宿泊した。たまたまこの日は車で来られるお客さんが多かったので、夕方まで送迎の予定はなく、彼らの希望もあって私は半日かけて島内観光してあげた。詳しくは彼らの身元を聞かなかったが、どうやら先生と生徒のようだった。一人の学生は少し日本語ができるが、それ以外は全くと言っていいほど話せないので、その日は私はずっと英語を話してた。たまに英語を話し続けると面白いもので、日本人のお客さんにもポロッと英語が出てしまう。観光は予想以上に時間がかかってしまったが、彼らはこの島及びうちの民宿をすごく気に入ってくれ、香港の友人に紹介すると言ってパンフレットと名刺を大量に持って帰った。どうやら、民宿に泊まったのは初めてだった模様。料理、部屋、フロントと片っ端から写真を撮ってた。

「これからはe-mailでね。」
と笑顔でみんな帰って行った。

28日はお客さんも少なく、病気のバンジーちゃんを残して、東京から一人で来てた石塚さんを連れて、友美ねえさんのいるキャンプ場に酒を持って遊びに行った。あいにくの曇り空で星を見ながらの酒盛りとはいかなかったが、キャンプ場にいたチャリダー数人を混ぜての楽しい酒盛りとなった。飲んだくれのいづみさんは、何を血迷ったか同じ飲んだくれの友美ねえさんに勝負を挑みあっさり負けていた。酒の量では友美姉さんに勝てる訳がない。いづみさんの目はだんだんと据わってきて、最終的には仕切り時の曙のようになってしまい、大将が抱えて帰る始末。当然、次の日は前日の記憶はなく昼ぐらいまで酔ってた。石塚さんもかなりの酒豪で最終的にはかなり酔ってた。ちなみに、次の日に友美ねえさんに電話したところ、友美ねえさんも最後の方は記憶がなかったとのこと。全く飲んだくれのおばちゃんにはまいる。

29日にはこの酒乱ぶりを反省して、いづみさんはこの日一日は酒を飲まないと断言したが、夜には生ビールを飲んでた。もう、私にはこの酒乱おばちゃんの世話はできない。只今、いづみさんの世話係募集中。老若男女、年齢は問わず。

27,29日はウニ、28日は昆布の旗が揚がった。この三連ちゃんの漁はさすがにこたえた。今回の昆布は起登臼まで採りに行った。今年の昆布は余り身が入ってない。鎌で採ってる漁師さんは別だが、大将の場合ねじりなので、どうしても雑昆布もくっついてしまう。昆布の日はいつもよりも気合いが入るし、島全体が異様な雰囲気になる。

さて、ここで昆布漁から見た礼文の家庭を覗いてみよう。

昆布の旗が揚がると、漁師さんは朝の4時には海に出る。そして、我々は海岸線で待機する。漁師さんたちの漁の姿は格好いい。何気なく巻いているはねじりはちまきは非常にmatchしているし、渋谷の若者たちが格好だけのために頭に巻いているタオルとは訳が違う。船がいっぱいになったところで、待機していた我々が船からその昆布を運び帰り、すぐさま根を切って干し始める。うちの民宿では、昆布スタッフは私、それに大砂賀familyの大砂賀さん、了子さん、勝君。やはり、最低これだけの人数はいないと大将の採ってくる昆布をさばき切れない。昆布漁の時は家族総出で、小学校低学年の子でも立派な働き手となり、眠たい目を擦りながら一生懸命お手伝いをしている。昆布漁初日は昆布休暇日となって、学校が休みになるくらいだ。

お父さんが採ってきた昆布を嫌な顔せずに干して行く子供たち。だらだらしていると、お母さんからの怒鳴り声が聞こえる。漁師さんの言葉は確かにきついが、それだけ命を張って生きている。海で転覆すればそれで終わりだし、採るものがなくなれば食っていけない。今は育てる漁業も盛んになってきているが、やはり天然物にはかなわないし、慣れ親しんだ漁法をそう簡単に方向転換できない。

そんな両親の働く姿を間近で見ながら育っていく礼文の子供たち。お姉ちゃんは弟、妹の面倒を見て家事も手伝う。それは強制的ではなく当たり前のようにこなす。子供が悪いことをすれば親は叱るし、それに対して親に逆上しようという子供もいない。つまり、ここには昔ながらの家族制度が残っていて、叱れない親、親を刺す子、家庭崩壊、家庭内暴力といった毎日のようにマスコミを賑わしている現在急増中の家庭像とは程遠い。

これから礼文に来られる方々へ。昆布漁を何気なく見るのではなく、表面には出てこない人間模様、家族のあるべき姿など、漁を支えている裏の部分を感じ取ってもらいたい。

天候:25日ぐらいまでは良くなかったがそれからはいい天気が続いている。少し蒸す日もあるが、朝晩は相変わらず冷える。雨具、長袖やpull overは必需と考えていいだろう。長期予報は割といい。

花:先日江戸屋の山の方に行ってみたが、タカネナデシコがきれいだった。桃岩周辺ではイブキトラノオが咲いている。

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