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日本全国離島シリーズ第8弾〜鹿児島奄美諸島 沖永良部島〜
「エラブの皆様、温かいおもてなし、ほんまありがとう」

皆様、こんにちは。
今春は、鹿児島 奄美諸島 沖永良部島に行って参りました。

1991年からの4年間は、北海道を中心に旅を始め、1997年からは全国にその範囲を広げ、昨年までののべ12年間、海外のみならずちょこちょこと国内も旅し続けました。その結果、まだ行ったことがない地方は奄美諸島と宮古諸島のみとなり、今回選んだのは奄美諸島。そのうちいつもの通り、何となく沖永良部島(エラブ)を選びました。エラブでは、1998年にNZのブレナムで出会ったえみちゃんと合流しました。

えみちゃんとは、NZで知り合って以来、メールで連絡を取り合っていました。これまで、彼女はイギリスで看護師をしていましたが、彼女の帰国時はたまに一緒に飲んでいました。そして、今年3月の帰国時に新宿で飲んでいた時、私が何気なく、今年のGWにはエラブに行く予定といった話をしたところ、えみちゃんは3年前にエラブで看護師をしていた、とのこと。その時は、それで終わったのですが、彼女がイギリスに戻った後にメールで色々とエラブ情報を聞いているうちに、私が、
「エラブからリアルタイムで写真を送ったる。」
と言った何気ない一言が、今回えみちゃんがエラブに戻るきっかけの一つになった様子。

「学さん、エラブに行くことに決めたわ。」
と。元々今年8月から大学院に行く予定にしていたのもあって、彼女はイギリスの病院を辞め、エラブにやってきました。現在、エラブでは徳州会病院で看護師をしており、えみちゃん繋がりもあり、エラブ滞在中は徳州会の皆様に非常にお世話になりました。

沖永良部島は、那覇から船で7時間ほど。那覇ー本部ー与論ー沖永良部ー徳之島ー奄美ー鹿児島と周遊する船が1日1便あります。エラブには、和泊町、知名町と町が二つあり、人口は各町7,000人の計14,000人ほど。島一周は45kmほどで、私はいつものように原チャリを借りて島を回っていました。島滞在中は、にわか雨にも遭いましたがおおむね天気に恵まれ、バイクで回っていた私はすっかり日焼けしました。しかし、あとで沖縄本島に戻って感じたのですが、日差しはエラブよりも本島の方が強かったですね。私が行った頃にエラブは海開きをしていましたが、朝夕は涼しく、半袖でバイクを走るのには寒かったです。


私のお気に入りのフーチャから空港への海岸線



国頭小学校の日本一のガジュマル




タイガースカラーの原チャを借りた
島を回っていて時々感じたのが、「エラブは大東島に似ている」ということです。島を取り巻く珊瑚の向こうは絶壁で、波次第で船が着く港が変わり、私が着いた日も和泊港の波が高く着岸不可だったので、島の反対側の伊延港に変更となり、島を出る際もそうでした。土は赤土で、鍾乳洞があるのも同じです。

エラブは農業の島ですね。サトウキビを始め、タバコ、サトイモ、馬鈴薯、ユリ・グラジオラスなどの花、etc。水は豊富で、昔ながらの暗川(くらごう)、灌漑用の溜池が各地にあり、現在、地下ダムを建設中です。

離島に行くとどこ行ってもそう感じるのですが、エラブの皆様もすごく親切で皆様によくして頂きました。景色もよかったし、風も気持ちいいし。時間がゆっくり流れ、料理もおいしかったし、黒糖焼酎も満喫しました。島にある3つの酒造をすべて回り、各酒造所の焼酎を飲みました(後述)。

今回は、少々飲み過ぎと寝不足で疲れましたが、大きく体調を崩すこともなく、十分満足な旅ができました。これも、島滞在中に色々サポートしてくれたえみちゃん、島の皆様のおかげです。感謝、感謝です(後述)。

さて、今回の「オフ」もこれで終了、これから再び「オン」の生活に戻ります。次回は今秋。場所は、始めにも述べましたが、私が日本でまだ行ったことのない唯一の地方、そう、宮古諸島と決めております。では、また秋にお会いしましょう。

P.S.
エラブに着いて初めての夜、私の愛用の黒ビーサンの鼻緒が切れた。「不吉な予感が・・・・。」と思っていた矢先に、翌日の試合で球児が読売の坂本に決勝ホームランを打たれて登録抹消。おまけに、読売には屈辱の11連敗。那覇に戻ると、「2011年 読売が那覇での春季キャンプ開始」で盛り上がってるし。なんで、こんなところまで来て、私の前で読売がウロウロするのか!!ほんま読売は腹立ってしゃあない。


「ようやく読売に勝って、久しぶりにデイリースポーツが読めたで」
湘南より愛を込めて
06/May/2009
Manabu Kato



トゥマイの浜



左から、「天下無双」「昇龍」「はなとり」



えみちゃんと 「草」にて



田皆岬


沖泊の浜


新納酒造へ行く道しるべ


☆Topics; ”Okinoerabu island” Vol. 171 - 175

プレミアムクラス

私が那覇に飛ぶ時は、大体夕方の羽田発の便で行く。土曜日なら、午前中に毎土曜日に通う鍼灸院で身体をケアした後、洗濯、掃除を終えて、離陸の1時間ほど前に羽田に着くようにしている。そして、出発ロビーで生ビールを飲み、愛読のデイリースポーツで前夜のトラの試合の勝利に酔いながら時間を潰すのが至福の時でもある。ただ、それがトラが負けた翌日に当たると、生ビールだけで時間を潰すことになり、なんとも悲しいものである。

今回もいつものように生ビールを飲みながら、その前夜の新井の活躍が見出しになったデイリースポーツを読んで至福の時間を過ごしていると、突然アナウンスが聞こえた。

「本便は満席が予想され、お客様の中で若干名、便の変更にご協力して頂ける方を探しております。」

始めは何のことか訳が分からず、連休中というのもあるのか、全日空がオーバーブッキングしたのかな、と軽く聞き流していた。しかし、続けて、

「ご協力頂ける方には、違約金として1万円お支払いします。」
とのこと。

おいおい、これはおいしいやないか。私がロビーにいたのは15時頃で、変更便は20時発。那覇に着いても、そばを食う以外することもないし、預けた荷物がうまく引き取られて、一度、空港から出られるのなら、便を変更することに全然支障なし。そういった話をカウンターに言いに行ったところ、すべて何とかすると言われたので、即座に変更便への協力を伝え、しばらくその反応を待ってみた。ちなみに、私同様、協力を申し出た兄ちゃんが私の横に。私と同じ、見るからに貧乏そうな感じだった。

しばらくしていると搭乗が開始され、私はビールを飲み干し、トイレに行って搭乗カウンターに戻ると、私の呼び出しがあった。すると、

カウンター:「なんとか便を変更することなく、お客様も予定通りの便で搭乗できることになりました。ご協力ありがとうございました。そのため、違約金はお支払いできませんが、申し訳ございませんが、S席に移って頂いてよろしいですか?」

私:「S席って何ですか?」

カウンター:「プレミアムクラスです。」

私:「喜んで。」

今後、国際線ではビジネスやファーストクラスもあるだろうが、国内線では二度とないであろうプレミアムクラス。断る理由など全くない。今回のいきさつを冷静に考えてみれば、いづれにせよ全日空の儲けに私が貢献したようなもの。しかし、私もプレミアムクラスで満足できたので、全然悪い気はせず、逆に全日空に感謝である。

連休の忙しい中、おそらく、当日のキャンセル待ちが数名いたのだろう。もちろん正規料金で。それがアナウンスにあった「若干名」と予想できる。我々は早割りで安くチケットを買っているが、仮に1万円キャッシュバックしても、その分、正規料金が手に入るし、最終便のガラガラな席に若干名を1万円引いた値段で乗せても、客がいないよりもそこに利益が生まれる。今回、キャンセル待ちの数名を正規料金でエコノミーに乗せて、結果として、プレミアムクラスには若干名空きが出たのだろう。そこに、私と数名の若干名を乗せたのである。その席を空にして飛ぶよりも、エコノミーの早割りの客であっても乗せた方が得なのである。

プレミアムクラス初体験の私であったが、客室乗務員の対応の違いには驚いた。まず、私が座ろうとすると、

「お客様、プレミアムクラスへのご搭乗、誠にありがとうございます。」
と深々と頭を下げられた。続けて、
「本日はご旅行ですか?」

おい、見て分かるやろ、このビーサンと短パンのやる気のない格好を。これがビジネスの格好か?思わずその言葉が出かかったが、言うのを止めた。

席はゆったりで、のぞみのN700系よりも広く、スーツをかけられるフックもあったが、スーツ着用の客は、スーツを預けている人がほとんどだった。客層は、私と同じくカウンターに申し出た兄ちゃん以外はいかにもって方ばかり。ガキもできが悪そうで生意気だった。プレミアムクラスには、食事がついており、そのメニューにはカロリー計算もされている。アルコールのメニューもあり、見た瞬間、私はなんとか全種類飲んでやろうと誓った。

食事が出てくると、まずはメニューの一番上のシャンパンを頼んだ。しかし、スッチーのねえちゃんが、ボトルに巻いてあるプレミアムクラスと書かれたラベルを破ってしまい、新しいボトルに交換する、と申し出た。そんな勿体ないことはせんでええ。外が破れようが中身は変わらんし、外観なんてどうでもええ。そう言って、そのボトルを受け取った。

シャンパンを飲み終わる頃にはおかわりを勧められたので、次の白ワインを。コップを換えようとしたので、それも断った。そんな勿体ないことせんでええ。今回は味を楽しむ気はなく、雰囲気を楽しみたいだけや。で、次は赤ワイン、その次は、純米吟醸酒。この時点で、スッチーとも仲良くなり、少し雑談もした。かなり気も遣って頂いて、水を勧められたが、おい、このレベルでわしはまだ水はいらんぞ。ただ、一つ文句を言いたいのは、ずっと同じスナックが付いてきたこと。さすがに、3つも4つも食ってると飽きてきた。

あとは、最後のビールだけ。ただ、時計を持っていない私は着陸までの時間が分からない。そう思っているうちに、スッチーのねえちゃんがおかわりを勧めてきて、着陸までまだ20分ほどあるとのこと。なら、ビール1本は楽勝だ。銘柄は各社のものがあり、もちろん私が選んだのはプレミアムモルツだ。

いやー、満足した。予定通り、メニューにあるアルコールをすべて制覇し、プレミアムクラスでひたすら飲んでいたのは私だけだった。最後、着陸の際は、スッチーの方々はプレミアムクラスの客に簡易の靴ベラを渡して回っていたが、私の足元を見て、私は飛ばされた。そう、私はお気に入りの黒ビーサンなのである。その時は改めて人種の違いを感じさせられた。

ちなみに、那覇に着いてからは、メニューにあったアルコールをすべて飲み切った達成感に、速攻オリオンビールの生を飲んだのは言うまでもない。



プレミアムクラスのシート&メニュー


お食事にも「Premium」の文字が


「大東そば」のたまごそばと島寿司
ここに来るとホッとする


船が途中に寄った与論島



エラブでの日々

島に入る日は、風向き・波の影響で、元々入港予定であった和泊港に船が着岸できなく、島の反対の伊延港に着いたのだが、地図も何も持っていない私はここがどこかも分からない。ただ、港に降りて、これまでの感覚で、「和泊の反対側やろ」と考え、「とりあえず、目の前の小高い道を越えたら、和泊に着くやろう。」と楽観視し、どれだけの時間がかかるか予想できないが歩き始めた。普段から走り慣れている私にとって、歩くのはどうってことはない。天気もよかったし、風も気持ちいいし、畑が広がる喉かな道をバックパックを背負ってテクテク歩いていた。すると、20分ほど歩き続けただろうか。いきなり、私の横にタクシーが止まり、
「ちょうど和泊に帰るところで、暑いし、お金はいらんかんから乗っていきなさい。」
とタクシーのおっちゃんは私を乗せてくれた。私は申し訳ない気持ちでいっぱいであったが(かと言って、お金を渡すのもおっちゃんのご好意に対して申し訳ないし)、おっちゃんのお言葉に甘えて、タクシーに乗せて頂いて和泊に行くことにした。

エラブでは、原チャリを借り、それを足にして島内をくまなく回った。日中は半袖で十分だったが、朝晩は涼しく、ウインドブレーカーがないと寒いぐらいだった。和泊と知名の街中には信号があるが、それ以外はない。市街を抜けると交通量も少なく、海岸線は風が心地よく、特にフーチャから空港にかけての海岸線は私のお薦めのツーリングスポットである。国頭小学校にある日本一のガジュマルは風情があっていい。国頭小学校は、今年で開校110年になるが、その開校時に植えられたガジュマルも今年で110歳。

島に自衛隊があるのには驚いた。しかし、自衛隊があるってことは、島民にとっては心強いはず。災害時には役立つし、ヘリでの搬送など迅速な対応が期待できる。自衛隊の近くは、鍾乳洞「昇竜洞」がある。長年かけて豊富な地下水が珊瑚石灰石を溶解し、見事な自然の彫刻を形成している。島には小学校が9つ、中学校が4つ、高校が1つと、各学校の生徒数は少ないだろうが、予想よりもその数が多いのには驚いた。

ある日、ウミガメネットワークの山下さん、植物博士の新納酒造の新納さんの浜巡りツアーに便乗させて頂いた。車でウミガメが上陸しそうな浜を巡り、所々、島の穴場スポットを寄るというツアー。まあ、海のきれいなこと。白い砂浜にエメラルド・青色の海が広がる。そこに、新納さんの植物の紹介が入り、それに、島の裏話なども加わる。それにしても、山下さんのウミガメの知識、新納さんの植物の知識の豊富なこと。これには感心させられた。天気もよく、風も気持ちよく、非常に充実した時間を過ごせた。

島に着いた晩は、知名にいるえみちゃんが、私がいる和泊まで来てくれて、地元の料理が食べられる居酒屋「草」に行った。我々はカウンターに座ったのもあり、店の人と結構話す機会があり、店を出る時は、店で漬けたらっきょう、ニンニク、及びパパイヤの漬物をたくさん頂いた。また、この漬物がうまい。特に私はパパイヤにはまった。イメージ的にタイのソムタムのような辛いのを想像していたが、パパイヤの風味を十分に残した漬物で、辛くもなく、これは酒の肴に合う。「草」の人々に本当にお世話になったので、私はえみちゃんとともに島の最終日にお別れも兼ね、お礼を言いに再びお店に戻った。

島では、結局毎日飲んでた。酒造はすべて回り、あとはえみちゃんを始め徳州会病院の皆様と(後述)。
先にも述べたが、離島に来ると、本当に人の温かさを感じさせられる。自分が礼文にいる時は、逆にその温かさを与える側であった。島の人々は、そういった温かい気持ちを、なんの見返りも期待せずに自らの好意で下さる。正直、離島は何日もいるとやることがなくなって退屈になることも多いが、やはり離島はいい。人間の原点に帰られる。



ウミガメの足跡 沖泊にて



笠石海浜公園からのエラブ風景



ユリフィールド



国頭小学校



フーチャ



タバコ畑



ユリ


きれいな海ばかり


沖泊で見た滝



エラブ、一齧り

1、西郷食堂

伊延港からすぐのところの伊勢エビ料理屋。獲れた伊勢エビ、アサヒガニが水槽に入れられて、私はここでエビ汁を頼んだ。伊勢エビのいいダシが出てうまかった。




2、居酒屋 郷土料理「草」

和泊港から知名方面に10分ほど歩いたところ、私がいた宿からは徒歩数分。結局、島に滞在中に2度もここにお邪魔し、店の人にはお土産も頂き、すっかりお世話になった。カウンターには、その日お薦めの小鉢系の料理が並び、どれもうまかった。



3、すしいづみ

私がいた宿から徒歩1分のところ。正直、新鮮な島の魚を食べたかったのだが、その日は海がしけてネタがほとんどなく、数種類しかなかった島産のネタの中で、ソデイカの刺身を食べた。これまで色んなイカを食べたが、こんな食感のイカは初めてだった。まるで餅のようで、食感がモチモチし、口溶けが滑らかだった。



4、島料理

「草」や看護部長宅のBBQ(後述)で、特に貝類を中心に頂いた。トビキラザ(写真中央)、トコブシ、ほうみ・・・。看護部長曰く、島のトコブシを食べるのは貴重で、と言うのは、島でトコブシを探せる人がなかなかいないらしい。




5、リーフ

和泊から知名町に入ったらすぐ左手にある喫茶店で、えみちゃんお薦めのところ。目の前には海が広がり、静かで、ボーっと海を眺めたり、読書をするのには最高のところ。コーヒーを飲みながら海を眺めていると、時間が経つのを忘れてしまう。




6、金晃てんぷら店

国吉さん(後述)自宅近くで見つけたてんぷら店だが、私はこれまで沖縄に何度も来ているが、一度もこういったてんぷら店に来ることはなかったし、見かけなかった。沖縄ではてんぷら店は日常だそうで、安くてボリュームがあり、我々は2,000円分頼んだのだが、3人で食べるには無理があった。何よりも店の人が2,000円分も頼んだ我々に驚いていたほど。イカ、ゲソ、白身魚、エビ天を頼んだのだが、どれもいける。イカ天一つが50円ほどとreasonableで、てんぷら3品ほどをビールのつまみにすると、1食これでいける。仕事の後はたまらんやろう。


7、招福

旭橋駅から10分弱歩いたところにあるお店で、私は何気なく入ったのだが、ここの沖縄そばのダシがきいていてうまかった。





8、かどや

旭橋のホテルの兄ちゃんお薦めのお店で、国際通りから見栄橋方面に向ったすぐ左手の沖縄そば屋。汁はあっさり系で、麺も歯ごたえがあり、何よりもそばを注文してすぐに出てくるのがいい。






黒糖焼酎 in 沖永良部

エラブには、黒糖焼酎の酒造所が3ヶ所ある。和泊の沖永良部酒造、知名の原田酒造、そして田皆の新納酒造。残念ながら、原料の黒糖はエラブ産ではなく、沖縄、奄美、ボリビア産で、米麹の原料にはタイ米を使用する。島に着いて、初めて島の黒糖焼酎を飲んだ時に、泡盛っぽい香りを感じたのは、このタイ米を使った米麹のせいではないだろうか。エラブ産の黒糖焼酎は、なかなか内地で見たことがないし飲めない。そう思って、私は島にある全部(3つ)の酒造を訪問し、島にいる間は十分にその味を楽しんだ。尚、黒糖を原料にしての酒類製造は、酒税法で奄美諸島だけにしか認められていない。

1、沖永良部酒造

和泊から知名方面に向って5分ほど車で走った右手にある。蔵元は、徳田酒造など島に4つあるのだが、ここでは瓶詰めだけを行っている。お酒造りは冬場に行い、夏場は瓶詰めのみを行う。銘柄は、「白ゆり」「えらぶ」「花恋慕」「稲乃露」「はなとり」「まあさん」とあり、「まあさん」「はなとり」は飲みやすかった。
「まあさん」は、昨年末販売を開始した新しい商品で、島のみで販売。中古のワイン樽で熟成させるので、色が黄色っぽい。「はなとり」は、減圧蒸留により製造され、その希釈に久米島の海洋深層水を使用し、まろやかで飲みやすい。


2、原田酒造

知名の街中にある酒造所で、ここでの銘柄は「昇龍」。「昇龍」も色々種類があるのだが、店の人に勧められたのが、5年ものの古酒。程よい香りで口当たりもよく、結構いける。沖永良部酒造でもそうで、原田酒造でも折角なので色々試飲をしていくように勧められたのだが、こういう時はバイクは辛い。折角の機会だが、飲めないのは痛い。また、原田酒造は知名ということで、和泊では置いていないところも多いらしい。


3、新納酒造

田皆の街中から少し坂を上がったところ。ここは、バイクで回った時と浜巡りツアー時の二度お邪魔した。銘柄としては、「天下一」「寿」「水連洞」「天下無双」。「天下一」は少し甘めで、女性が好きかも。ここでは、仕込み中の焼酎を段階的に見せて頂き、蒸留後のろ過前の焼酎を味見させて頂いた。これから1年は熟成させる。帰る際には、新納さんにお土産として、「太陽の雫」を頂いたので、今週末の横浜スタジアムでのトラの試合で飲むのを楽しみにしている。




黒糖原料の一つボリビア産



新納酒造



沖永良部酒造の焼酎の数々



沖永良部酒造



仕込み中 新納酒造


瓶詰め 新納酒造


沖永良部酒造


原田酒造


沖永良部徳州会病院の皆様と

えみちゃんが沖永良部徳州会病院で看護師をしているというのあって、島滞在時は徳州会の皆様と触れ合う機会が多かった。私自身、滅多に病気しないし、ほぼ病院とは無縁の生活を送っているせいもあり、徳州会という名前は聞いたことがあるようなないような、ぐらいでしかなかった。あとで言われて、「そう言えば茅ヶ崎にあるわ。」って思ったほど。

徳州会は、全国展開の医療グループで、奄美、喜界島、徳之島、沖永良部、与論とこの辺りの各離島には病院がある。沖永良部徳州会病院も立派な建物で、島唯一の総合病院。島民にとってはなくてはならない存在であろう。全国的に看護師不足の中、ここ沖永良部徳州会は、ナースパワーの利用や徳州会グループ網を生かして、えみちゃんのような看護師が次から次へとやって来て、任期を終えると帰って行く。そういう意味では、人材的にも充実しており、離島医療という点では、他の離島に比べるとはるかに充実しているのではないだろうか。プラス、先程述べたように、島に自衛隊があるということも強みである。

ある晩、沖永良部徳州会病院に研修に来ているという名古屋の先生と一緒に飲んだ。都会に比べると島はゆっくりと時間が流れるので、先生も言っていたが、夜は暇であろう。医療も都会と離島は違うだろうし。先生も数ヶ月の任期が終われば、名古屋に帰って行くのだが、先生にとっても離島での経験は、今後の仕事に役に立つはず。こういった経験は徳州会グループの強みであろうし、看護師にとってもそうであろう。

島の最後の夜、看護部長宅のBBQに呼ばれた。病院は知名町にあるのだが、看護部長宅は島の北側の国頭。BBQに参加するのは病院の看護師が中心なので、となると、皆様、知名から国頭への大移動となる。そこに、元職員、近所の皆様も加わっての大宴会となったが、入れ替わり立ち代り人が来て、賑やかな宴となった。見ず知らずの私に対して、看護部長を始め、皆様にもよくして頂き、こういう時は「島」ということを本当に感じさせられる。各自が料理、酒を持ち寄り、地元の食材を使った数々の料理。トビキラザ、トコブシ、ほうみ、魚の巣揚げ、地場の魚を具にしたお汁・・・。十分に島の家庭料理を堪能した。

島を離れる日。えみちゃんに見送ってもらっていると、なんと、前日の看護部長宅で同じだった看護師の国吉さん、春日さんが同じ船に乗ってきた。お二人は、お休みを利用して、沖縄県うるま市にある国吉さんの実家に行く途中。那覇の手前の本部港で降りて、そこから車で1時間ほどかけて実家に向かうという。船が出港してからは、たまたま隣の与論に行くために乗り合わせたお二人の友人と共に酒盛りとなった。

酒盛り中、国吉さんから、熱心に本部で降りて一緒に来ないか、と誘われた。最初は、「軽いのりかな」という感じで受け止めていたのだが、何度も誘って頂いたので、これはのりではない。徐々に心が傾きかけていたのだが、そこに気がかりなことが2つ存在した。

1、折角のお休み、国吉さんは実家でゆっくりしたいはず。そこに、見知らぬ人が合流すると、ご実家に方にもご迷惑になるのでは。
2、すでに私は那覇のホテルを予約していた。礼文で民宿をやっていた経験から、忙しい時期に当日キャンセルは宿側として腹が立つ。

1、に関しては、ここまで熱心に誘って頂いているのもあって、「この点は大丈夫だろう」と自分で判断。あとは2、だけ。
2、に関しては、全額キャンセル料を払うつもりで、船からホテルに連絡。すると、ホテル側からは、事前に連絡したのもあって、キャンセル料はいらない、とのこと。これは申し訳ない。翌日チェックインの際も、払わせてくれとお願いしたが、ホテル側はキャンセル料を受け取らなかった。前回から那覇に泊まる際は、旭橋のこのホテルに泊まることにしていた。那覇は特にすることがないし、出発が早朝時は、ゲストハウスは夜うるさくて仕方がない。それで、このホテルに泊まることにしたのだが、ここはホテルの割りに安く、親切で、朝飯も付いてくる。朝飯が間に合わない場合は、サンドイッチを用意してもらえる。私はすっかりここを気に入ったが、今回の件では、本当にホテルに申し訳ないことをしてしまった。宿側にいた立場として、深く反省している。



タキソおきのえらぶの風車



西郷隆盛上陸の碑



西郷食堂



エラブの赤土



ウジジ浜



アサヒガニ



見送ってくれたえみちゃん 伊延港



そうだ、そうだ!



「草」のおばちゃん



左から、春日さん、国吉さん父、国吉さん



川発見の碑



島には蝶がいっぱい



そうしよう


ワンジョイビーチ


昇竜洞

本部に着いてからは、国吉さんの弟さん、お父さんが迎えに来た。そこから高速を使ってうるま市へ。まさか、今回また本部に来るとは・・・。本部は、昨年のこの時期、那覇から原チャで走ったところ。本部港も伊江島に渡る時に来た。うるま市周辺も昨年走った。まさか、また来るとは・・・、だった。尚、車で国吉宅へ移動中もずっとビールを飲んでいた。

国吉さんは長男。国吉宅は、弟さん夫婦が2階、1階が実家の二世帯住宅。最近、リニューアルしたというのもあり、きれいな家であった。春日さんが来ることも直前に知らされたようで、ましてや私が来ることはもちろん知らされていなかった。私の登場に国吉家の皆様はびっくりされていたが、長男が帰ってきたというのもあり、近所のご親族が集まってきた。こういった地方では、長男は特別な存在で大変である。跡取りの話や、仏壇や土地をどうするか・・・、など。突然の私の訪問ではあったが、国吉家の皆様には歓迎して頂き、刺身、焼肉、島らっきょうの天ぷらなどの料理を腹いっぱいご馳走になった。

翌朝は6時頃には起き、朝からまたビール。近くのスーパーにつまみを買いに行き、そして天ぷら屋へ(上述)。その後は、お父さん運転の車で、海中道路を通って宮城島、伊計島へドライブ。もちろんドライブ中もビール。この時に感じたのだが、やはり日差しはエラブよりも沖縄の方が強い。エラブは沖縄ではなく、鹿児島ってことを。春日さんも同じようなことを言っていた。泳いでいる人もそこそこいたし。この辺りも昨年走ったが、今回はその際に行かなかった「ぬちまーす」の工場にも立ち寄り、ドライブの後は浜比嘉島で昼食(もちろんビールも)。朝からずっと飲み続け、食べ続けで、昼飯後はさすがに腹が苦しかった。ちなみに、国吉家の車のナンバーは「9244」。そう、クニヨシである。

国吉家に戻ったのが13:30頃。そこから那覇まではバスで戻ることにした。これ以上、国吉家には世話はかけられないのと、お父さんもお二人もかなり疲れているはず。さらに、その夜も宴があるであろうし、少し休んで頂かないと身体が持たないだろう。お二人にお礼とお別れを言って、お父さんにバス停まで送って頂き、そこから那覇行きの路線バスに乗り込んだ。沖縄でバスに乗ったのは、今回が初めて。結局、那覇まではバスで1時間半ほどかかった。さすがに、私の疲労もピークで、那覇に入る直前までバスの中で爆睡していた。

今回、えみちゃんを皮切りに、沖永良部徳州会病院の皆様と時間を共有する機会が多かったが、これも何かの縁であろう。私はよく「風」という言葉を口にする。時々、自分に「風」が吹く時がある。アラスカに行って放浪を止めようと決断した時もそう。私は、自分に向って「風」が吹いていると感じると、必ずと言っていいほど次の行動に移す。それは、旅であろうが、仕事であろうが関係なく、今後もその意識を変えるつもりはない。「風」が吹くのは次の行動に移す前ぶれ。前日にたまたまBBQで国吉さん、春日さんと出会い、その時はほとんど話をしなかったが、翌日船で再会。船で飲んでいる中で、国吉さんに熱心に誘われ、そして流れ的にも何となくそこに「風」を感じ、行動に移した。今回の旅はそういった流れであったのだろうし、結果的にこの「風」に従ったのもあって、充実した時を過ごすことができた。これからもこの「風」、それを感じ取る感性、そしてそれを行動に移すフットワーク・決断力を大事にしたい。

ちなみに、那覇に着いて、牧志公設市場周辺でビーサンを買って、生そばを探していると、大学時代の先輩である和崎さん夫妻(嫁は私と同級生)と偶然会った。偶然も偶然。我々は北海道で出会って、現在私は神奈川、和崎さんは広島在住で、沖縄で再会するとは・・・。これも「風」のいたずらだろうか・・・。


Photos by えみちゃん