全国15億人の加藤学ファンの皆様

日本全国離島シリーズ第5弾〜沖縄 南大東島・北大東島〜
「大東島の土は赤かった」



皆様、こんにちは。

今秋は、沖縄 大東島に行って参りました。

大東島に行こうと思ったのは、いつものように何となく。何の目的もなく、何の知見もなく、何の予定もなく。あとは、余り人が行かないところと聞いていたのもあって。

いざ島を経験した今の率直な感想としては、おそらく大東島に行かれた方はほぼ同じような感想を持つのでは、と思うのですが、「何もなかった」です。これまで数多くの離島に行きましたが、大東島のような島は初めてです。

大東島は・・・

大東島は、沖縄から飛行機で1時間ほど東方(400km弱)に行ったところ。南大東島は、周囲約20km、人口1,300人ほどで、北大東島は、周囲約10km、人口400人ほど(2007年現在)。南北大東島それぞれに空港があります。

船は、那覇の泊港から大体1週間に1本のペースであり、両島を回って那覇に戻ります。大東島は周りが断崖絶壁で、イメージ的には、割り箸の片端を支点にして、もう一方の端を開いたままその支点を海の中に入れ、そのもう一端に南北の大東島がそれぞれ乗っかっている感じです。そのため、波が非常に荒く岸壁にぶつかり、その波の影響で、日によって船が着く港が異なります。そして、人を含めた貨物すべてをクレーンで運びます。

開拓者は八丈島からの移民で、そのため、島の所々に八丈島を思わせるようなものがありましたが(寿司、太鼓など)、それに沖縄文化が融合したといったところでしょうか。ただ、テレビは沖縄の放送が入らず、衛星で東京のが入ります。天気予報で関東地方のを見た時には驚きました。



日の丸展望台から望む南大東島市街地



北大東島の魚市場でご馳走になったカジキマグロ
産業・・・

島の産業と言えば、何と言ってもサトウキビでしょう(後述)。各島に製糖工場があります。

びっくりしたのが、観光業。はっきり言って、「無い」に等しく、観光案内所というものが見当たらず、南大東島では雑貨屋で島の地図(300円)を買わされたほど。それでも、まだ南は鍾乳洞、(海沿いの)プールがいくつかありますが、北は「本当に何もない」が印象です。ただ、その分、ゆっくりと時間が経つのが実感でき、都会で忙しい生活に日々追われている人々には、たまにはこういった生活はいいかもしれないです。

また、島の周りは断崖絶壁なので、海に出るのは危険。そのため、海岸には所々窪みを作ってそこがプールになっていました。大東島のダイビングは上級者向け。南に1軒ダイビングショップがありますが、北にはありません。

漁業は、島民は直接魚市場に魚を買いに行っていました。公には販売しておらず、いわゆる島内消費です。北大東島で西港近くの魚市場に行ったのですが、お昼頃になると地元の漁師さんがその日獲れた魚を持って来ます。そこに、宿やお店を経営している人でしょうか、島の人々が買いに来る。そこで、とれたてのカジキマグロの刺身を頂いたのですが、身がしまっていて無茶苦茶うまかったです。



日差しが強かった・・・

台風が去った直後というのもあったのでしょうか、とにかく暑く、日差しが強かったです。工事現場のおっちゃんも、余りの日差しの強さに参っていました。私は、島にいるほとんどの時間を原チャに乗ってフラフラしていましたので、焼けまくりました。日焼けと言うよりもやけどです。腕はひりひりするし、おでこ、鼻の頭など皮がめくれました。日中は余りにも辛かったので、宿に戻ってビールを飲んでうだうだする以外なかったです。

プールは、気持ちよかったです。ただ、台風が去った直後だったので、場所によっては波が高く、泳げるところが限られていたのは残念でした。プールと言っても、海水が入ってくるわけなので熱帯魚はたくさんいます。水はかなりきれいで、何と言ってもその透明度の高さ。これには驚きです。



北大東島の海水浴場「沖縄海」


南大東島の海水浴場「海軍棒プール」


トータルで1週間ほど、両大東島に滞在したのですが、「行って大正解」というのが感想です。充実した旅でした。特に、「大東そば」と出会えたことはかなりのプラスです(後述)。今年は、5月に飛騨路、そして10月に大東島と、私にとっては旅の当たり年です。「旅の完成度が高い」2007年でしたね。

さて、2008年も年に2度は旅に出ることを計画しております(もし私がまだ日本で会社員をしていれば・・・)。正直、東京での今の生活にはうんざりしてきましたね。生活に慣れてくると駄目ですね。また新しい風がほしくなってきました。まあ、そんな中、旅と我が阪神タイガースが私のmotivationを大いに上げてくれています。

では、また次の旅でお会いしましょう。


P.S.
中日ドラゴンズさん、日本一おめでとうございます。でも、うちはそのあなたたちに今年は勝ち越したんやで。覚えといてや。



亜熱帯植物



星野洞の鍾乳洞



海軍棒近くの海



宿で借りた原チャリ



双子のビロウ


天気予報で有名な気象台


北大東島、上陸港


沖縄最東端の碑



「トラよ、来年はやったれ!!」
湘南より愛をこめて
18/Nov/2007 Manabu Kato



Topics;  "Daito islands" Vol. 157 - 161

プライベートジェット???

那覇 泊港から大東両島への船は週に1本ほどある。ちょうど私が南大東島へ行く予定だった日に便があったので、もちろんその船で行く予定だった。しかし、その数日前からの台風15号の影響で、前便も出航できない状態で、私が乗る予定だった船の出港の見通しも立たないとのこと。そこで急遽那覇から南大東島に飛行機で行くことにした。

那覇から南大東島への空の便は、北大東島経由も入れると日に1〜2便あり、JAL系の琉球エアーコミューターが運行している。時間は約1時間、30人乗りのプロペラ機で、プロペラ機に乗ったのはバヌアツ共和国での島間を渡って以来だった。

那覇空港で飛行機まで乗客を運ぶバスに乗り込んだのは、なんと私一人で、従業員の方から、
「本日はお客様お一人です。」
と言われた。当初はもう一名いたが、台風の影響でキャンセルされたらしい。私も、客が一人というのは初めての経験で、後日島の中でも話題になっていた。

機内は、コクピットには機長と副操縦士、客室にはスッチーの西村さんと私だけ。客は私一人なので、その経費等を考慮すると、かなりの赤字であろうが、島に物資を運ぶ必要があるので欠航はできない。そのため、客が一人いるだけでもましなのか、西村さんにも、
「ご搭乗、ありがとうございます。」
とお礼を言われたが、こちらの方こそ多大な経費に大恐縮であった。

機内は、思っていた以上にきれいで広かった。もっと狭いのをイメージしていたが、席に座っていてもなんら違和感は感じなかった。ただ、こういう時は飛行機内でどうしたらいいか困る。西村さんと私の席が近かったので、対面には西村さんが座っている。普通にしゃべるんはいいが、相手も気を遣うやろうし、かと言って、全くの無視と言うのもどうか。困ったのが搭乗後のroutineな機内のご挨拶、救命胴衣の着用法などのデモンストレーション。
「わし以外客おれへんから、何もせんでええで。」
と言いたかったが、仕事やし、もし何かあった時に、通常の業務を怠ったってことになったら申し訳ないので、一通りの事が終わると、
「ゆっくりしてや」
と伝え、寝ることにした。

着陸前のしばらくの間は、色々お話をして、最後は絵葉書など色々お土産も頂き、明るく笑顔で終始接客してもらって、大変楽しいフライトだった。

ただ、一言だけ文句を言わせてくれ。私が、南大東島でおすすめの食べ物を伺ったところ、
西村さん:「島に行ったら、大東そばを食べてください。有名ですから。」
私:「おすすめの店はどこですか?」
西村さん:「えっと・・・。」
私:「ごめんごめん、島の人に聞きます」
西村さん:「あと、ナワキリという魚が有名です。」
私:「島のどこで食べたらいいですか?」
西村さん:「さあ・・・。」

おい、マニュアルだけではなく、ちゃんと色々勉強しとけ。

また、北ー南大東島の島間の飛行時間はたったの3分(離陸の方角によっては7分になるが)。こんな短いフライトは経験ない。離陸してすぐに着陸。辻堂ー藤沢間よりも短い。



琉球エアーコミューター


客が私だけ乗せ離陸準備開始

南大東島滞在中に、私が乗る予定だった船が入ってきた。大東島は断崖絶壁なので、船が着岸できず、岸から少し離れたところに停泊し、そこに岸からクレーンでゴンドラを渡し、人、物ともクレーンで運ぶ。結局、私は台風の影響で船に乗れなかったのだが、クレーンには乗ってみたいと思っていたところ、作業員に言えば、体験として乗せてもらえるとのこと。これはラッキーと思い、船の到着時間よりも少し前(朝6時ごろ)に港に行くことにした。

島にいくつか港がある中、その日、船は西港に着くと聞いていたので、早朝、原チャで西港に向った。しかし、船が着くような気配が全くなく、その辺りにいたおっちゃんに聞くと、今日は北港に着くとのこと。その日の海の状況によって到着する港が変わるのである。北港に行くと、ゴンドラを運ぶ大型クレーン、ゴンドラ、停泊した船を海側からも固定するためのロープ張り用小型ボートなどがあった。

到着予定時間には船は来たが、岸に近くなるほど打ち寄せる波の影響か船がかなり揺れていた。思ったよりも船は大きくなかったが、乗客もそこそこおり、工事用の機材等が積まれていた。しかし、ここでトラブル発生。ロープが切れてしまって、船がうまく固定できない。小型ボートが何度もトライしたが、うまくいかず、このままでは船が安定しなくて危ない。ということで、今度は急遽島の反対側に港(亀池港)を変更となった。海では船が移動し、陸ではクレーン、関係者の車が移動を始めた。

結局、亀池港で船はうまく停泊できたが、この時点で予定よりも3時間以上も遅れていた。港湾の方もイライラしており、当初はゴンドラに乗せてもらうことに承諾頂いておったが、最後は「今日は勘弁して」と言われた。

私は数々の離島を旅してきたが、大東島のように日によって港が変わったり、ゴンドラで人を輸送したり、港には観光案内所など観光を思わせるようなものが一切ない島は初めて。
「日本も広いな」
と改めて痛感した。



まずは小型船を使って船を固定


クレーンでゴンドラを船に運ぶ


人をゴンドラで輸送


乗りたかったなぁ



元祖 大東そば

先にも述べたとおり、大東島では何もすることがなかった。まだ南は少し見るところもあり飲み屋もいっぱいあったが、北は本当にやることがなかった。そんな中、南にいる時は、何気なく入った「元祖 大東そば」の大将 伊佐さんには本当にお世話になった。

”大東そば”は、沖縄そばであるが、何と言ってもその”麺のコシ”に驚いた。しっかりとした歯ごたえがある麺が、あっさりしたダシにほどよく絡み、私は大東そばを食べた後は、他の沖縄そばが物足りなくなったほどだ。

伊佐さん曰く、大東そばのポイントは”生地を寝かす”だそうだが、原材料にも相当なこだわりがある。沖縄そばの麺の原材料の特徴は、
1、(そば粉ではなく)小麦粉
2、かんすい
3、塩

だが、大東そばでは、
1、大東そば用にスクリーニングされた小麦粉
2、大東島の亜熱帯植生の灰を用いた天然のアルカリ水
3、大東島近海の深層水から精製された濃縮塩水と食塩

を使用し、生地を竹棒で伸ばし、寝かしては伸ばすといった作業を繰り返す。私は、特にこの麺にはまり、帰る時は、那覇にある息子さんの店で、”大東そば(スープ・具付)”以外に、特別に伊佐さんのお許しを得て麺のみも購入し、伊佐さんに教えて頂いた方法で麺を茹で、店のおばちゃんに教えて頂いた生卵、ごま油、ダシ、大東島の食塩を使ったスープで、讃岐うどんの”ぶっかけ”風に食った。これが無茶苦茶うまい。

伊佐さんからお許しを頂いたので、今後は、大東そばへのお礼も兼ね、”大東そば親善大使”として、その普及のお手伝いをすることにする。

伊佐さんにはそれ以外にも色々お世話になった。店の瓶に入っていた泡盛をたらふく飲ませて頂き、半日、海水浴にも付き合って頂き、また何と言っても、伊佐さんの実家の島唐辛子を採らせて頂いて、オリジナルの島唐辛子を作成した。





クセになる味
「元祖 大東そば」さんには本当にお世話になりました




伊佐さんの実家で島唐辛子の収穫




手作り島唐辛子




「元祖 大東そば」の皆さん



大東島、一齧り

いつもの通り、今回も大東島およびその道中で堪能した”食”について報告する。

1、大東寿司

島で獲れるマグロ、サワラを甘タレに漬け込んだ寿司で、簡単に言えば、”漬け寿司”といったところか。ルーツは八丈島で、八丈島の”島寿司”のようなピリッとした辛さはないが、これはこれでうまかった。私個人としては、八丈島の”島寿司”の方が好きだが、”大東寿司”も食べてみる価値あり。


2、インガンダルマの刺身


島民は”ダルマ”と称していたが、大東でしか食べられない深海魚で、その脂のほとんどがヒト体内では消化されないため、食べ過ぎると下痢になるらしい。事前に伊佐さんから「割烹 喜作」で食べられると伺って刺身を頂いたのだが、食感はまさしく大トロ。脂たっぷりの口の中で溶けるような白身で、これは止められん。ちなみに、食後の下痢は全く問題なかった。


3、ナワキリのバター焼き


これも大東島でしか食べられない深海魚で、スッチーの西村さんより教えてもらった。同じく「割烹 喜作」で頂いた。残念ながら、台風の影響で新鮮なのがないとのことで、刺身は食べられずにバター焼きを頂いた。白身魚でおいしいのはおいしかったが、できれば刺身で食べたかった。


4、COR COR(南大東島のラム酒:グレイスラム)


島のサトウキビを原料に、旧空港の建屋で製造されている。種類は2種類あり、原料に製糖工場からもらうモラセス(廃糖蜜)を使ったもの(赤ラベル)と、サトウキビ汁を使用したもの(緑ラベル)があり、私個人的には緑の方が好みで、風味もよかったのでお土産に購入した。これに炭酸水、木からもぎ取ったばかりのシークワーサーで割って飲んだのだが、サトウキビの香りとシークワーサーの程よい酸味がたまらない。
また、工場では見学、試飲もさせてくれる。


5、大東そば(パラダイス店)


伊佐さんの息子さんのお店で、那覇の国際通りから1本入ったパラダイス通りにお店はある。残念ながら、私がお店を訪れた時は息子さんは不在で会えなかったのだが、伊佐さんから預かったダルマ、パパイヤは責任を持って店のおばちゃんに渡した。歯ごたえのある麺は島と同じで、島の味が那覇でも十分に味わえる。尚、島からわざわざ塩、灰を送っている程のこだわり。ここでは大東そばをお土産として発送してもらえる。


6、ヘリオスビール


たまたま国際通りを歩いていた時に見つけたお店で、沖縄の地ビールのレストラン。ポーター、ラガー、ペールエール、バイツェンと利き酒ならぬ利きビールができる。まさか沖縄でバイツェンが飲めるとは知らず、バイツェン好きの私はかなり堪能した。折角なので、私は持って帰りたかったのだが、残念ながらお持ち帰り品はなく、生ビールを店で飲むしかない。



しばいたった・・・

私は大東島では民宿に泊まった。南大東島の宿泊施設は、ホテル2軒、民宿1軒(民宿「金城」)、北大東島はホテル1軒、民宿1軒(民宿「二六荘」)だけ。

民宿「金城」は素泊まりのみで、ごはんは徒歩圏内に飲み屋がいっぱいあるので、夜に食う/飲むは苦労しなかった。問題は北大東島で、民宿の宿泊客はほぼ長期滞在の工事関係者。食事は3食付で、宿の人に、
「お昼どうしますか?」
と言われた時はびっくりした。そう、北大東島では、宿(ホテル・民宿)以外に昼ごはんが食べられるところがないのだ。私は、同じところで3食もどうかと思い、昼はホテル(ハマユウ荘)で食べることにした。

民宿には、工事関係者ばかりなので、食事もカレー、牛丼など島特産ではなく一般的な食事ばかり。それはわかる。工事関係者が毎日島の料理ばかり食べてると飽きるやろうし、何よりもコスト的に合わないだろう。宿が島の西端にあるのもあって、宿の周りは飲み屋なんてなく、スナックが1軒あるだけ。ちなみに、島にはスナックが5軒ほどあるが(居酒屋1軒)、各店ばらばらで存在し、スナックで飲む場合は、店に連絡すると迎えに来てくれるらしい。私は、宿にいても工事のおっちゃんばかりで面白くなかったので、夜は宿の近くにあるスナックで飲んでた。

宿には母屋と別棟らしきものと、工事中の新館があったのだが、元々私は母屋で泊まるつもりだったらしいのだが、宿の手違いで新館に泊まることになった。新館は、まだシャワー、トイレは工事中で、その際は母屋のを使ってほしいと言われていたが、部屋は新館だけあってきれいだった。
「なかなかきれいやん。」
と思って、ふとカーテンを開けようとしたら、な、な、なんと、カーテンの影から手のひら程の大きさはあるでかいクモが出てきた。こんなでかいクモは今まで見たことがない。私は窓を開け、しばらくクモが出て行くかどうか眺めていたが、一向に出ようとしない。夜中に出てきて、鼻の頭でも噛まれようなら顔が5倍以上腫れるのでは、と思わせる程のでかいクモ。これは何とかせねば、と思い、宿の人に伝えて、ハエ叩きを借りに行き、宿の人が部屋の様子を見に来た時には、奴はどこかに身を潜めやがって見当たらない。おかしい。そんな中、宿の人は、
「クモ、嫌いですか?」
と。おい、好き嫌いの問題やない。こんなのがこの狭い部屋にいたら気持ち悪いやろう。

それからしばらく部屋を離れて戻ってくると、奴がのうのうと部屋の真ん中を歩いてやがった。ついに出てきやがったな。事前に宿の人にクモの逃がし方を教授頂いていたが、ついにその任務を遂行する時が来た。そう、奴とのバトルだ。

任務は、クモの前にハエ叩きを置き、しばらく待つとクモがハエ叩きの上に勝手に乗って来るとのこと。乗ってきたらそーっと窓の所まで持って行き、そのまま外に逃がす。そうすると、何も傷つけることなく、何もなかったかのように事が終わる。早速、私もこの任務に取り掛かり、まずは奴の前にそーっとハエ叩きを置いた。よし、予定通り、奴はじっとして動かなくなった。この時点で私は「勝ったな」と思った。しかし、次の瞬間予想もしなかったことが・・・。なんと、奴がハエ叩きから後ずさりし始めたではないか。こんなん聞いてへんぞ。私は、奴に沿ってハエ叩きをゆっくり後ずさりさせ始めたが、奴は私を嘲笑うかのように益々調子乗って、そのスピードを上げ始めた。この時点で、普段怒らない私もさすがに切れた。クモごときになめられて。その後は、想像にお任せする。我が阪神タイガーズの桜井広大張りにしばいたった。奴には悪いことをしたが、何よりもわしを本気にさせたのが間違いや。

クモとの格闘を終えて気づいたのだが、私の体中すごい汗。この格闘のすごさを物語っている一方、気づくと、なんと部屋の冷房から熱風が・・・。そう、新館と言うのに冷房が壊れているのだ。再び宿の人に事情を説明しに行き、とりあえず扇風機を貸してもらったが、この熱風では扇風機も役に立たないと宿も判断したのか、最終的に別の部屋を用意してくれた。おい、奴との戦いの前にそうしてくれよ。さすがに、クモ、クーラーの故障と来たら、宿の人も申し訳なさそうに、翌晩の晩飯には私だけ特別にマグロの刺身を出してくれた。

ただ、踏んだり蹴ったりはこれだけでは終わらなかった。宿で借りた原チャの右ブレーキはかなり効きが悪く、逆に左は効きすぎ、まだこれだけでは長年バイクに乗り慣れた私にとってはどうってことないが、夜になって気づいたのが、バイクの電球が切れているでは。夜になると真っ暗になる島では、この原チャではどうしようもない。

私の負けだ。



パパイヤ



透明度が高い海



カジュマル



南大東島市街地


南大東空港


大池のオヒルギ(マングローブ)群生地



大東島の土は赤かった

「大東島は赤い」

と表現できるほど、大東島は赤土。その赤土にサトウキビが植えられ、島全体がサトウキビ農園のようだった。
サトウキビの収穫は冬から春先にかけて行われるのだが、畑の中には、この時期に畑が耕され、畝作り、苗(というか、葉付きの茎を挿し木のように)を植えられているところもあった。

飲み屋で会った兼業農家のおっちゃんが言うには、収穫後にサトウキビを植え始める畑(春植え)と(夏)秋に植える(夏)秋植えする畑がある。収穫期は同じなので、春植えの畑は1年後に収穫、秋植えは1年半ほど生育することになり、島を回っているとその差は歴然。昨年秋植えたサトウキビの背丈は無茶苦茶高い。

大東島には溜池があちこちにあり(特に南大東島にはかなりある)、そこから水路で各地区に水を送っている。これが灌漑水で、そこからポンプで水が汲み上げられ、畝間にきれいに並べられたホースを使って畑に水を供給する。苗は、サトウキビの茎を切って挿すだけ。サトウキビは強い植物なのである。ただ、水路が届かない地区もあり、そこでは植え始から根付くまでは、さすがのサトウキビでも気が気でならないらしい。

収穫後は、島にある製糖工場に集められ製糖される。ここで出るモラセスの一部がグレイスラムで原料としてラム酒に使われるわけだ。ちなみに、飲料水には溜池の水ではなく海水を用い、深海から海水を汲み上げ淡水化されている。

昔は、電車(シュガートレイン)を使って、収穫後のサトウキビを製糖工場に運んでいたが、今はもう廃止された。島の所々にその線路の跡が残されているが、収穫期の当時はさぞかし活気があったはず。

一度サトウキビの収穫期に島に来てみたい。おそらく島全体が”COR COR(緑)”のような香りで充満しているはず。これだけ島がサトウキビだらけなのだから。



整備中の畑



島中こんな道路ばかり



水路からのポンプアップ



展望台からの眺め



無茶苦茶背丈が高い


レール跡


シュガートレイン


グレイスラム工場内