621日(65日目、ダッカ〜バンコク)

「今日から俺もモスリムや」

 さあ、ついに出発の日。昨夜は思い出のこもったござを敷いて寝た。もうこのござには俺の臭いがしみこんでいる。ほんと鈴木さんに感謝だ。それから、俺はシャワーを浴びて仕度をして、ユーヌスさんと一緒にこのホテルをチェックアウトした。外は少し雨がぱらついている。もうそろそろバングラも本格的な雨期に入る。

 俺は帰る前にどうしてもモスリムの証であるあの頭にかぶるネットが欲しかった。ユーヌスさんにも前からそう言ってある。俺は一度テレビで長渕がつけてるのを見ていいなと思った。それに、実際かぶってる人を目の当たりにするとかっこいい。しかし、俺は頭がでかいし、現在俺の髪の毛はボサボサだ。この前カンガエルとダッカのバザールで見た時は小さすぎた。実は、このホテルの周辺には安いバザールがあって、とりあえずユーヌスさんとそこまでリクシャーで行った。なんと115タカだ。リミー家の近くでは35タカ、この前のダッカのバザールでは50タカだったので安い。ユーヌスさんは俺のために1つ買ってくれ、個人的にもう1つ買った。今日から俺もモスリムだ。

 さあ、空港まで行く時がきた。俺らはオートリクシャーで空港へ向かう。ほんとダッカは日本車だらけだ。なんやかんや言って、やっぱりユーヌスさんにはお世話になった。ほんと申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいだ。ユーヌスさんだけじゃなく、ずっと俺を待っててくれたリミーやその家族、ユーヌスさんのお兄さん夫妻。ほんとにありがとうございました。また時間があれば必ず来ます。

 空港に着くと、中に入れるのは俺だけ。ユーヌスさんとは入口でさよならしなければ。ユーヌスさん、ほんとにありがとうございました。今度はユーヌスさんの仕事が決まって、落ち着いてからまた来ます。では、お元気で。皆さんにもよろしくお伝え下さい。

 空港にはチェックインの時刻より1時間ぐらい早く着いた。とりあえず、レストランにでも行くか。レストランと言っても立ち食いそば屋のカウンターって感じだ。早速、俺はネットをかぶって中に入っていくと、そこのカウンターのおやじが、

おやじ、「おい、お前モスリムか。」

俺、「そうや。」

おやじ、「ところで、お前なに人や。」

俺、「日本人や。」

おやじ、「へぇ、日本人にもモスリムがいるんか。」

俺、「いや、ほとんどおらん。」

おやじ、「お前の家族もモスリムか。」

俺、「いや俺だけや。」

おやじ、「お前の名前は。」

俺、「ケビン・コスナーや。」

おやじ、「お前のモスリムのネーム。」

俺、「ない。」

おやじ、「なんでないんや。」

俺、「実は、昨日モスリムになったばかりや。」

 おやじ、「そしたらお前にモスリムネームをやろう。うーん、モハメッド・アイブラヒム・コスナーってのはどうや。」

俺、「おお、いい名前や。ありがとう。」

 俺はモハメッド・アイブラヒム(MD. Ibrahim)という名前をもらった。えらいことになった。今日から俺はモスリムだ。カウンターの人は俺と肩を組んで、今日からお前は俺らの仲間やと言っているし、店の他の人もすごく喜んでいる。ちなみに、モスリムの人は男はモハメッド(Mohammad)、女はモサムット(Mosammt)というのが最初につくらしい。俺は、

「アイブラヒムってどんな意味や。」

って聞くと、なんか訳わからんこと言ってた。

それに、チェックインしてイミグレを通る時も、そこのおやじが、

おやじ、「お前モスリムか。」

俺、「そうや。」

おやじ、「モスリムネームはなんていうねん。」

俺、「アイブラヒムや。」

おやじ、「おお、いい名前や。」

 と言ってきたし、ロビーでコーラを買おうとした時も同じことを聞かれ、必ずモスリムネームを聞かれる。それに、モスリムと分かればすごく親切だ。なんか全体的にユーヌスさんがいたためか、バングラの人は俺に対して結構感じよかった。俺もほとんどのバングラの人に対して、いつもの俺ののりで接してた。少しうわさとは違うような。

 出発ロビーには思った以上にツーリストがいる。やっぱり、バンコク行きだけに多いのだろうか。多いと言っても、バングラ人、タイ人以外は78人ってとこか。しかし、びっくりだ。こいつらはどこにいたんや。それにしても、久々のクーラーはこたえる。だんだん寒くなってきた。おまけに外はスコール。俺が国を変える時はいつも雨や。

 さあ、いざ出発。おお、タイ航空はさすがや。なんともすごい飛行機や。ロイヤルネパール、ビーマンとはけた違いだ。左右に2つ、真ん中に5つ席があるし、なんと言ってもきれい。スチュワーデスが俺に向かって、

「サワディーカップ(こんにちは)。」

 おお、なつかしのタイ語だ。俺はタイ語のアクセントが好きだ。なんかいい。タイ語の会話を聞いているだけでもいい。機内では音楽も聴ける。なんか文明時代にタイムスリップしたみたいだ。ヘッドホーンなんて----。すごい。なにもかもが新鮮だ。それに、機内食もうまい。ビールもワインも飲める。しかし、ビールは日本までおあずけだ。

 それにしても、バングラを空の上から眺めるのはほんまにグッドだ。まさに、これぞ自然やって感じだ。さよなら、バングラ。また会おう。

 やがて約2時間後、バンコク・ドンムアイ空港に着いた。日本から来る時といい、ネパールに行く時といい、夜やったのでわからんかったが、空から見るバンコク周辺はフラットだ。たぶんミャンマーとの国境沿いだと思うが、山岳地帯を越えるとずっと平らな土地が広がる。かといって、ジャングルらしきものはなく、圃場らしきものが広がる。国によっておもろいもんだ。さあ、なつかしのドンムアイだ。なんかわが家って感じだ。それにしても、さすがにドンムアイは大きい。

 それから、俺はイミグレを通って荷物が出てくるのを待っていた。15分ぐらい待っただろうか。1人の係員が来て、

「荷物がないんですか。もう終わりですよ。」

 なにー。俺のバックがない。そんな、まさか。まだダッカか。とりあえず、俺はタイ航空のオフィスに連れて行かれた。早速、受付のねえちゃんは俺の荷物の引換券とパスポートをコンピュータに入力し始め、どんな色のかばんとか、どんなんやとか聞き始める。明日の朝、俺は日本に帰らなあかんのに困ったぞ。しかし、ちょっとうれしいかも。このまま見つからなければ、俺は今晩高級ホテルに泊まって、明日バングラから荷物が運ばれてきて、次の日のタイ航空のファーストクラスで日本に帰れるのでは。それはええな。一瞬、ちょっと見つかるのが遅れろと思った。というのは、ドンムアイに着いたとたんもう少しタイにいたくなった。俺はタイが大好きだ。

やがて、受付のねえちゃんが俺の日本のアドレスを書き始めた瞬間、

「あったぞー。」

 1人の係員が俺のバックを持ってきた。やっぱり、見つかるとうれしい。あのバックには日記が入ってる。どうやら、俺のバックだけ外にあったらしい。思わず俺はガッツポーズ。オフィス内は拍手喝采。俺は11人と握手していく。なんかアカデミー賞を取った気分だ。

 それから、税関を通って最後のTCをバーツに替える。これでTCもすべてなくなった。ほんまに終わりだ。それにしても、2ヶ月前のドンムアイと今のドンムアイは違う。ほんとわが家のようだ。2ヶ月前の不安感は一切ない。今は汚い格好で堂々と胸を張って歩いてる。途中、カメラの電池を買う。その店員を軽く笑かす。相変わらずタイの女の人はほんときれいだ。ネパール人やインド人とは違う。要するに、女性として見られる。それに、親切でものすごい感じいい。笑顔もいい。すべてがいい。ここには、2ヶ月前の俺がいない。我ながらすごくたくましくなってる。どんどん周りの人を自分の間に引き込む。ここはタイやのに日本みたいな感じでだ。ほんまに俺自身たくましくなったな。

 それから、東大のラボにおみやげを買って、ファミリーマートに向かった。実は、俺は日本を出る前に周りの人間に、

「たぶんおみやげを買う金は残らんから、おみやげは期待せんといて。」

 と言ってきた。しかし、そういうわけには----。そこで、俺は考えた。安くて、いっぱい買えるもの。そうや、インスタントラーメンや。俺はファミリーマートのラーメンが置いてある棚の前で、あるねえちゃんに、

「この中で、ねえちゃんがお薦めのラーメンはどれ。」

と聞くと、

「これかな。」

と教えてくれた。これだけでは足らん。

「他にお薦めは。」

「これと、これかな。」

 結局、4種類ぐらい教えてもらって、俺は合計70個をかごに入れた。このねえちゃんも、レジのねえちゃんも唖然としてた。こんなんでええやろう。

 それから、俺は仲良くなったみやげ屋のねえちゃんと少し話をして、実家に電話した。どうやら、明日五十嵐が成田に迎えに来てくれるみたいだ。ほんとありがたい。

 それと、俺には最後にどうしてもしたいことがあった。そう、タイのカレーがもう一度食いたい。ポンピモールさんの旦那さんが作ってくれたあのグリーンカレーとトムヤンクン。早速、俺は空港内でタイ料理があるところを探して、どうやらネパールに行く前に行ったレストランにあることを突き止めた。値段は高いが、そのつもりで最後のTCを替えた。俺は席について、早速頼む。うーん、これだ。この味だ。インドではカレーで失敗しまくったが、この味だ。うまい。トムヤンクンは相変わらず辛い。でも、うまい。タイに来た時はこれがいややった。しかし、今となってはなつかしい味だ。値段は350バーツした。15002000円といったところか。おお、満足や。もう日本へ帰ろう。ノースウエストのリコンファームも終わったし、これですべて準備完了。

 それから、俺はタイに来た2ヶ月前に一夜を明かした同じ場所に向かった。なんか遥か昔のようだ。ほんとこの約2ヶ月間色々あった。今日もここで一夜を明かそう。

622日(66日目、バンコク)

「こんなオチありか」

 さあ、帰国の朝。昨夜はあのなつかしのドンムアイのベンチでうとうとしてた。色んなことを考えてた。今までのこと、これからのこと。いざ日本に帰るとなると、なんか帰りたくない。バングラではあんなに帰りたかったのに。もう少しバンコクにいて、旅を続けたくてしょうがない。でも、礼文で大将が待ってる。あーあ、複雑だ。

 やがて、チェックインの時が来た。俺がノースウエスト(NW)のカウンターの前に並んでいると、なんと「NW28 Cancel」の紙が。が〜ん、欠航や。なんでやねん。こんなオチありか。あほかNW。いや、ちょっと待てよ。ということは、もう1泊バンコクか。ひょっとすると高級ホテルか。おお、最後にしてvery goodでは。

 とりあえず、カウンターでキャンセルの手続きをすると、今晩のユナイテッドと明日のNWのどちらがいいか聞かれた。そやな、今晩出るのもしんどいし。せっかくやから明日でいいか。

OK, tomorrow

 そうすると、カウンターのねえちゃんはLouis Hotelを紹介してくれた。どうも、始めにカウンターに並んでいた人は、先着順で他社のエアー(たぶん大韓航空)でソウル経由で今日中に日本に帰れたらしい。しかし、俺の順番ではもう遅かった。正直、もう1日バンコクにおれると思うとうれしい。とりあえず、五十嵐には連絡せな。五十嵐は今日成田に迎えに来てくれるはずだ。申し訳ないな、あいつも忙しいのに。それから、NWのオフィスに行って、料金はNW持ちになるように交渉して、おかんに欠航のことを言って、五十嵐に伝えてもらった。

 しかし、カウンターの外で客観的にこのパニック状態を見てると、やっぱり考えさせられる。ある日本人のツアー客のおやじは、仕事のためなら他のエアーでも、仮にたとえ10万円かかっても今日中に帰ると言っているし、カウンターのねえちゃんにすごいけんまくで怒ってる人もいる。ある人に聞いたのだが、この欠航の原因は単なる整備ミスだ。NWのいつものお家芸だ。そんな単純なミスでこんだけの人々のスケジュールをめちゃめちゃにする。当然、今日中に日本に帰らなあかん人もいるし、トランジットの人もいるだろう。そう考えると、NWの管理システムの杜撰さが頭に来る。俺は、このパニック状態の中に整備士、責任者を呼んで土下座させてやりたい心境だ。ほんと責任感のなさを痛感する。

 それから、2時間ぐらいしてホテルの車が到着。とりあえず、俺とある日本人ツアーの5人と1人のおっちゃんが運ばれた。このおっちゃんはほんとは3人連れだったらしく、他の2人はソウル経由で帰って、おっちゃんの前でそのチケットが終わったらしい。かわいそうだ。ツアーの5人はカップルとねえちゃん2人と1人のおっちゃんだ。みんな34日のバンコクツアーで、合計で7万円らしい。2人組のねえちゃんの1人は俺を現地人と思ったみたいだ、車に乗ると、

「ハロー。」

と言ってきて、俺が、

「こんにちは。」

と言うと、びっくりしてた。おい、わしは日本人や。

 それにしても、ツアーの人は服装もいいし、金も持ってそうやし、いっぱいみやげを買いまくってる。みんな俺を見てびっくりしてた。それに、俺の旅のことを聞いてびびってた。彼らには俺らが理解でけへんやろ。

 それから10分後、ホテルに到着。おお、すごい。超高級ホテルだ。最後の最後で神様に感謝。しかも、プール付きでバーもある。なんと3食付で、料金はすべてNW持ち。俺は部屋を見ると思わず声をあげてしまった。エアコン付き、バスタブあり、テレビあり、おまけにダブルだ。俺は恥ずかしながら思わず写真を撮ってしまった。日本でもこんなとこ泊まったことがない。値段を見ると3300バーツ、日本円で約15000円だ。すげー。

 早速、朝8時からは朝食だ。しかし、不覚にも俺は疲れて眠ってしまった。起きたら12時だ。しまった。なんてもったいないことを。とりあえず、昼飯や。なんと昼飯はバイキングや。すごい。こんな贅沢な。フルーツもある。なんか夢のようや。ちなみに、このツアーの人にこのホテルの感想を聞くと、これぐらいのホテルに毎日いたみたいで、特に反応はない。彼らに俺の感動を分けてあげたい。俺はバイキングなので食いまくろうと思った。しかし、あまり食えん。今までの旅がつらかったせいか、胃が小さくなってる。それに、今食い過ぎるとディナーが----。よし、腹8分目だ。

 俺はツアーの中の2人のねえちゃんとすごく仲良くなった。寿子さんと絹子さんで、2人共30歳で東京で働いている。2人共俺にすごく興味を持ってるみたいで、色んな旅の話をしてあげた。ねえちゃんたちでは味わえない話だ。2人共すごく熱心に聞いていた。俺は絹子さんに、

「バンコクの屋台で売っているマンゴー食いました。」

 と聞くと、食ってないと言うので、それはもったいない。早速、近くのマーケットを案内してあげることにした。

 おお、久しぶりのバンコクの空気だ。なつかしい。バイクタクシーも至る所で走っている。なんと言っても、タイの臭いがなつかしい。しかし、このホテルの周りはかなり市内の北側だ。当然、みんな英語が話せんやろう。それと、残念なことにもうマンゴーはなかった。ああ、食わせてやりたかった。それにしても、タイに来た時はタイはまだまだ途上国やと思ってたが、今思うとかなり先進国に感じる。2ヶ月間他の国に行っているだけで、こうも印象が変わるものか。ほんとに俺はタイが好きになってる。市内を走ってるバスもなつかしいし、この渋滞もなつかしい。

それから、ホテルに帰る途中で、絹子さんがおもむろに、

「この屋台の料理を食べてみたいな。」

 と言った。そうなのだ。日本からのツアーの人って、タイでは結構いいホテルに泊まっていて、おまけに食事付きで、タイの庶民が味わうような食とか生活に触れることができない。同じ料理でもホテルのレストランと路上の屋台では全然違う。これは食った人間にしかわからん。どう説明したらええんやろ。うーん。例えば、札幌のすすきののホテルの中華料理にでてくる肉まんと、ロビンソンの斜め向かいにある屋台の肉まんみたいなものか。あの屋台の肉まんはマジでうまい。特に寒い冬の日に、飲んだ後で食うのは格別だ。

 俺は部屋に戻って、ツアーで来る人たちの旅行の意義というのを考えてみた。彼らは何のために来るのか。何を目的としてるのか。色々疑問が生じる。確かに仕事をしている人は長期間旅行はできないし、ちょっと休暇を取って海外にでも行くかって感じだ。それに、日本人は金を持ってるからこういうことができるし、物価の安い国でどんどん物を買おうって人もいる。だから、外国人に日本人は金持ちやと思われてもしゃあない。しかし、バックパッカーの立場からするとかなり迷惑だ。ツアー客と俺らは根本的に旅の目的が違うし、タイやその旅行先への印象も違う。なんとかならんかなと思った。ちなみに、俺はこのツアー客の何人かに、ツアー客が見たタイの印象を聞くと、やっぱり俺が感じた印象と全く違った。

 それから、俺は部屋で久しぶりにタイのテレビを見ていた。やっぱり、番組構成がインドやバングラとは違ってしっかりしてる。ほんと2ヶ月前と印象が違う。それに、相変わらず日本の商品のCMが多い。思えば、ポンピモール家では毎晩のようにテレビを見ていた。なんかなつかしい。

 俺はあまりの心地良さに夕方まで眠ってしまった。さあ、ディナーだ。ほんとに最後の晩餐だ。サラダ、スープ、パン、メイン、デザートと順番に出される。なんか持ってきてもらうのが申し訳ない。ああ、うまかった。あとは日本に帰って、とんかつとポンジュースを飲んで、トマトをかじるだけだ。さあ、朝まで寝るか。一応、出発は朝3時かってフロントに尋ねると、なに!!今度のユナイテッドで、ツアー客と一緒に俺も帰れやて。そうなると、ここ出発が午後9時半。おお、早くシャワー浴びな。せっかく泊まれると思ったのに。とにかく急いでシャワー浴びよ。おお、ホットシャワーや。湯が使えるなんてデリー以来や。それに、うんこした後も紙でけつがふける。久しぶりや。

 俺は準備完了でロビーに降りて、みんなと写真を撮って、さあ行こうとしたら、なに!!俺の分だけユナイテッドの席がなくて、飛行機に乗れるのはツアーの5人だけやて。やっぱり明日かい。どっちやねん。俺の気持ちが日本モードになっていただけにまた戻さな。しかし、このホテルの人は憎めない。みんないい人や。とりあえず、俺はツアー客と一緒に車で空港まで行ってみんなを見送ってホテルに戻った。さあ、コーヒーでも飲んでテレビでも見て寝るか。

623日(67日目、バンコク〜東京)

「当たり前のことが当たり前でない」

 さあ、ほんとに出発の朝。しかし不安だ。ほんまに飛ぶんか。結局、俺は眠れずに朝3時にモーニングコールが鳴った。ほんとこのホテルの人はいい人だ。昨日、受付のねえちゃんは、

「加藤さん、これおみやげ。」

と鶴を折ってくれた。すごくきれいな人だ。

 さあ、空港へ向かう。ほんとに帰れるのか心配だ。しかし、空港に着くと順調にチェックインが始まってる。さあ、俺もチェックイン。おお、なんと昨日俺にこのホテルを紹介してくれた人が俺の前にいる。カウンターのねえちゃんは合計8人いるのに、2日とも同じ人とは。

「ハーイ。」

 先にねえちゃんが俺に気付く。昨日はカメラの電池を買って少し笑わせた売店のねえちゃんが、20分ぐらいして俺がたまたまその辺にいたねえちゃんに、

「ノースウエストのオフィスはどこや?」

 と聞いたねえちゃんがその売店のねえちゃんやった。たまたまねえちゃんは休憩中でそこを歩いていて、あの広いドンムアイ空港の中で偶然再会するとは。ほんまに偶然が相次ぐ。この旅中ずっとそういうことがあった。わからんもんや。

 それから、俺は空港税を払ってイミグレを通って、残ったバーツを円に替えると残り3000円ぐらいしかない。とりあえず、成田から上野までの京成は1000円やから大丈夫や。

 やがて、出発の42番ゲートに向かうと、あのカウンターにいたねえちゃんがまたここにいるでは。ねえちゃんはまた

「ハーイ。」

と言ってきた。不思議や。偶然ばかりや。

 ついに、飛行機に乗り込む時が。席は満席だ。スチュワーデスにはアメリカ人もいたが、やっぱりタイ人が一番きれいだ。いざ出発。今度こそ日本だ。

 途中、俺はすっかり眠っているのに、スチュワーデスは起こす。機内食だ。国際線では食事の時は客を起こすのか。いつも俺はそうされる。あとでええやん。それに、NWの機内食はいまいちうまくないし、サービスもよくない。めしの後はまた熟睡だ。おやすみ。

 

 ドンムアイを離れて約6時間後、無事成田に着いた。ついに帰ってきた。おお、俺の祖国日本よ。しかし、寒い。もう6月の後半やのにこんなに寒いんか。それに、また天気はぐずついている。

 俺は入国する前に、まず検疫で止められ、隣の医務室に行ってくれと言われた。そこには先生がいて、先生にコレラとか赤痢のことを色々聞かれた。とにかく、俺はこの後すぐに礼文に行かなあかん。こんなとこでちんたらしてる場合じゃない。もし俺の身体になんかあると礼文に行けなくなる。それは大将に申し訳ない。正直、今日の俺は少し下痢気味だったが、先生に、

「特に異常はありません。」

と言うと、なんかあったらここに来てくれと言われた。

 それから、イミグレで並ぼうとすると、えー、こんなに日本人が飛行機にいたんや。タイ人かと思った。日本人が日本人に見えない。うそー。タイ人にも見えるし、韓国人、シンガポール人、中国人にも見える。ほんまに横のねえちゃんは日本人か。

 それと、実際に入国する時も俺は止められた。この列で止められたんは俺だけだ。俺だけかばんの中身とかポケットの中身までチェックされた。

「大麻を薦められませんでしたか。」

 後ろでは人が待ってる。早くせえ、おっさん。俺だけやんけ、こんなに長いのは。ものすごい恥ずかしいやんけ。

 そして、ついに入国。やった、やっと入国だ。とりあえず、残っていたUSドルを円に替えよう。あと、少しインスタントラーメンも送ろう。俺は売店でスポニチを買う。「勝新死んだんや。おお、阪神3位やんけ。やっぱりイチローやな。」

日本の情報が一気に入る。それから、缶ジュースを買う。

「よし、とりあえず会社に寄るか。」

 俺は京成と浅草線を使って東銀座までの切符を買う。やがて、ホームには上野行きが来る。電車に乗ると、車内は中吊り広告でいっぱいだ。窓にはインドみたいに鉄格子がない。車内はエアコンがきいてる。

 それから、俺は窓からの景色をボーッと眺めてた。窓の向こうには成田の町並みが見える。圃場もさすが日本だ。土壌もいいし、水田ではもう田植えが終わっている。それに、キュウリ、トマトもきれいに並んでいる。駅周辺にはビルが建ち並ぶ。

 車内では携帯電話で話をしている人がちらほら。女子高生はルーズソックスをはいている。それに、予備校帰りの浪人生、おばちゃんの団体、外回りの営業マン。あ〜あ、日本や。今まで当たり前に思ってたことが新鮮や。こいつらすべてが日本人で、日本を作ってる。こんなにちやほやしてる若者がこれからの日本を作るのか。なんて輝きがないんや、こいつらは。お前ら、毎日楽しいんか。何考えてんて生きてんのやろ。旅先で会った日本人とは別人や。なんて無気力なんや。

ほんと日本を初めて離れて、旅して思った。

「当たり前のことが当たり前でない。」

 旅の感想はって聞かれたら、この言葉で充分やろ。俺は今まで日本で色んなことをしてきた。北大生、東大生、営業マン、大工、漁師、民宿業、家庭教師、塾の講師、看板屋、配達業、荷物の仕分け、居酒屋、レストラン、司会業、株主総会の案内書作り、スーパー・コンビニの陳列----。その度に色んな経験を身につけた。しかし、今回の旅はそんなもんじゃない。今までしてきたことは確かにすごいことだと俺自身そう思う。しかし、土台が日本という共通の土台の上でやってきたことにすぎない。しかし、今回の旅はその土台から変わった。つまり、基礎からすべて変えなければいけなかった。特に、初めての海外だ。

俺は旅先で会う人に、

「君はいい旅してるよ。」

「ほんとに海外初めて。」

 とよく言われた。今思えばほんとにいい旅をした。密度の濃い毎日だ。なにより、すべてが初めての経験だった。おい、そこでかっこばっかり気にしてる女子高生。そこの生きてるかわからん顔して立ってる兄ちゃん。そこの周りの迷惑を考えんでしゃべりまくってる高校生。お前らがこれからの日本を作るんやぞ。こんないい国ないぞ。言ってやりたいことがいっぱいある。あ〜あ、この若い世代、こいつらに俺がしてきた経験をさせてやりたい。

 正直言って、改めて日本に帰ってみるとバンコクに戻った時に感じた感動や喜びがない。あーあ、帰ってきてしまったかって感じだ。やっぱり、まだ満足してないな。ほんとはもうええやって思ったら、来年から働こうと思った。しかし、それ以上にもっと色んな国に行ってみたい気持ちでいっぱいだ。よし、もう少ししたいことしよう。

 やがて銀座に着くと、人はみんな俺を見る。そらそうやろ。こんな格好の人は銀座に来えへんもんな。会社に着くとみんなはびっくりしてた。しかし、みんな感激してくれる。なつかしい顔だ。みんな元気そうだ。

 その後、東大のラボにも行った。ラボのみんなもびっくりしてた。ここもいつも通りや。みんなに、やせたって聞かれる。実際8kgぐらいやせた。バンコクまでやったら10 kgぐらい減ってたんちゃうかな。立っててふらふらしてた。こんなんは院試の時以来や。

 それにしても、周りで起こっていることすべてが新鮮や。ほんとに旅に出てよかった。この旅で感じたことは、

「当たり前であったことが当たり前でない。」

 つまり、それだけ世界は広く、日本っていう国はその一部ってこと。このことが身にしみてわかった。よし、この秋にまた旅立とう。ほんまに疲れた。でも、また旅がしたい。やめられん。

 最後に、バングラから帰国までの短い期間ではあるが、俺を支えてくれた人をまとめてみる(図4)。皆さん、ほんとにありがとうございました。

ここで、改めてお礼を言おう。

旅で知り合った人、世話してくれた人、支えてくれた人へ

 皆さん、その節はほんとにありがとうございました。あなたたちがいたからこそ、このようなすばらしい経験ができました。今回の旅は私の24年の人生の中で、ほんとに貴重な経験となりました。これは一生の宝です。それと同時に、旅先で知り合った皆さんも私にとってはかけがえのない財産です。浜田省吾さんの「さよならゲーム」という歌に、

 「人と人との出会う確率なんて偶然なんだ。その上、その偶然出会った人を恋するなんて魔法みたいなものだ。」

 という意味のフレーズがあります。私は今後ともその偶然を大切にし、皆さんとの関係がとぎれないようにしていきます。ほんとに皆さんには感謝しています。ありがとうございました。また会いましょう。

                           1997. 6. 23

 M. Kato