418日(初日、東京〜バンコク)

「もっと勉強しとけばよかった」

日本を出るのはこんなに大変なんや。TC(トラベラーズチェック)も色んなTCがあるし、ドルもあるし円もあるし。知らんぞそんなこと。

なんで日本を出る時、金取るねん。おかしいんとちゃうか。俺が出国カウンターに行こうとしてると、カウンターのねえちゃんに止められた。しゃあないから出国税用の販売機まで戻って並んでいると、さあ俺の番やと思ってお金を入れようとすると販売中止。どないなってんねん。そして、隣の販売機の列の最後尾に並びなおして、券買って、さあ今度こそって思ってると、出国カードが必要とか。また列の後ろに並びなおさなあかん。先が思いやられる。

さあ、ついに出国の時が来た。それにしても、国際線はちゃう。すべて英語や。隣のアメリカ人のおっちゃんは親切で、ピーナッツをくれた。スチュワーデスはすべてタイ人かな。俺をタイ人やと思ってタイ語で話しかけてきよった。

やがて約6時間後、バンコク・ドンムアイ空港に到着した。しかし、タイは暑い。深夜やのに28℃は暑すぎる。それに、入国手続きも面倒くさいし、TCをタイのバーツ(B)に替えたけど、どれが何バーツコインかわかれへん。もっと勉強しとけばよかった。しゃあない「地球の歩き方」を見よう。

それから、ある日本人に声をかけられた。

「一緒にカオサンまで行きませんか。」

兄ちゃんは不安なんやろう。今晩、俺はこの空港で野宿するつもりやったんで断った。とりあえず、野宿しようと思ったが、外は蚊が多いのでロビーのベンチで寝ることにした。明日はポンピモールさんが迎えに来てくれるはずだが、果たして会えるだろうか。

ポンピモールさんは俺がM2の秋に、博士号を取るために東大のうちのラボに来た人だ。その時に、ポンピモールさんと知り合いになって、俺が今度タイに行くと言ったら、是非うちに来てちょうだいと言ってくれた。なかなか人の良さそうなおばちゃんだ。

今回、この旅行をするに当たって、東大の茅野先生や北大の但野先生は猛反対して、但野先生は最後までよく思っていなかった。研究者の世界では、大学を出て大学院に進学して、行きたい人は博士まで行って、卒業後は企業に入るなり、国の研究所や県の試験所に入るなり、大学に残ったりすることが当たり前で、ほとんどすべての人がそうする。特に研究がしたいって言うわけでもなく、ここまで来たから研究でもやっていくか、みんなもそうしてるしなって奴が結構多い。要するに、筋書き通りにしかできなく、マニュアルにないことをするのを嫌がるし、そんな勇気がない臆病者が多い。それに、今回の俺は今までの履歴に穴をあけることになる。しかし、俺にはそんな柵は眼中にないし、今は自分の選んだ道を人に堂々と胸張って自慢できる。就職がどうとか世間体がどうとかを気にしてると、なんにもでけへん。せっかく親から頂いた命だ。人間いつどうなるかわからん。したいことをしたいし、今できること、今しかできないことをもっと大事にしたい。とにかく今は、自分が納得するまでしたいことをしたい。まあ、教授たちには申し訳ないが、どうかこんな不良学生をお許しください。

なんと目の前にファミリーマートがある。おお、日本みたいや。

419日(2日目、バンコク)

「日本料理が食いてぇ」

起きたらかばんにつけていたチェーンが盗まれていることに気づいた。まあええか。それにしても、昨日の夜は寝られへんかった。蚊はおるし、ベンチの横ではおばちゃんがずっと掃除をしているし、周りはタイ語ばっかりやし。それに、テレビではずっとCNNが流れてた。

朝、ファミリーマートでパンとジュースを買った。全部で25B1B=約5円)やったが、どのコインが何Bかわかれへん。それに、パンもジュースもまずい。

7時ぐらいに、ポンピモールさんは俺を迎えに来てくれた。相変わらず元気そうだ。ポンピモールさんの車はホンダのシビックでオートマだ。とりあえず、ポンピモール家に向かったが、バンコク市内はむっちゃ混んでいる。もういやになるぐらいや。それと、至る所にampm 、ファミリーマート、セブンイレブン、ジャスコといった日本のスーパーやコンビニがあるのには驚いた。また、ほとんどが日本車で、バイクもカワサキ、ヤマハという具合にほとんどが日本のメーカーだ。どうやら、タイに日本の工場があるらしい。

なんとポンピモール家は豪邸だ。田園調布、成城ってとこかな。びっくりした。車は3台あるし、全室エアコン完備だ。現在、長男はアメリカに行ってるらしく、俺はその部屋を借りた。シャワー、トイレも部屋に付いている。快適だ。しばらくして、俺はプラパシーさんと連絡を取った。

プラパシーさんは東大のうちのラボの卒業生で、6年ぐらい前に博士号を取った人だ。茅野先生が俺のことを心配して連絡してくれたらしく、是非訪ねて欲しいと言われている。先生には申し訳ないが、少しありがた迷惑なところがある。実は、プラパシーさんとポンピモールさんは顔見知りらしく、昔同じラボにいたみたいだ。現在、プラパシーさんは会社を作って、そのオフィスのボスだ。ちなみに、ポンピモールさんはカセサート大学内にあるタイ国農業局、いわゆる日本の農水省みたいなところに勤めている。プラパシーさんとは、せっかく近くまで来たのだから、時間を作って会いましょうという話をした。

その後、俺はポンピモールさんにweekend market まで連れていってもらい、そこで降ろしてもらった。しかし、バンコク市内には至る所に野良犬、野良猫がいる。俺は狂犬病の予防注射を打たなかったことを後悔した。

weekend market はすごい人にすごい臭いだ。これがタイの臭いってやつか。俺には合わん。俺は今日1日でタイが嫌いになっいた。ほんまマーケット中臭かったし、なんせむちゃくちゃ暑い。ほんとは腹が減ってたが食う気がせず、昼飯は12Bのコーラ1本にした。

しばらくの間、weekend market をぶらぶらして、帰りはバスで帰ろうとしたが、どこで乗ったらええか。それに、なんぼなんかわからん。

Excuse me.

これだけでみんな逃げていく。そうなんや。英語が通じない。よしbody languageだ。

「あなた、私の話を聞け。あなたの話ここに置いとけ。」

あかんよけ通じへん。

俺は、なんとかバスに乗り、お金を取りに来た乗務員のねえちゃんに地図を指さして、ここで降りたいと言うと、16Bとられた。また、乗ったんはええが、どこで降りたらええかわからん。とにかく、タイ語が読めん。とりあえず、近くのジャスコで降りたが、そこからこの猛暑の中30分ぐらい歩いて、ポンピモール家の近くのシェルを見つけたときは感動した。しかし、ほんま英語が通じない。あとで、ポンピモールさんの旦那さんに聞いたのだが、年配の人はほとんど英語が話せないので、大学生や若い連中に聞いた方がいいらしい。今日1日でこれから先がむちゃくちゃ不安になった。なんせ話す相手がおらんし、ここがどこなのかもわからん。こんな不安な気持ちは何年ぶりか。明日からは若い子に英語で話しかけてみよう。それにしても、タイの女性はきれいだ。

今日の夜はトムヤンクンを御馳走になったが、俺には食えん。辛すぎる。他のスープやチキンもうまかったが、やっぱりタイ料理は合わん。これからどうしよう、餓死するかも。ああ、日本料理が食いてぇ。

420日(3日目、バンコク)

「俺は日本人や」

昨日は疲れたせいか、CNNを見ながら途中で眠ってしまった。朝7時半頃に目が覚め、ポンピモールさんが朝食を作ってくれた。お粥とスクランブルエッグと漬け物みたいなやつだ。スクランブルエッグにはたまねぎが入っていたが、贅沢は言えない。漬け物みたいなやつはうまかった。

今日はポンピモールさんに変な寺(ワッパケオ)の前で降ろされたが、ポンピモールさんはどうも俺を観光客がよく行く観光地に案内したいみたいだ。俺は人がよく行く観光地なんか興味ない。家を出る前に、ポンピモールさんの旦那さんに、

「学、ワッパケオに行くにはお前のの穴のあいたジーンズとそのうんこサンダルでは絶対ダメだ。」

と言われたが、案の定警官にゲートの前で止められた。どうやら、きれいな服に変えろと言っていたみたいだ。タイは仏教の国で、そのためお寺はすごく神聖なところで、特にこのワッパケオは特別らしく、汚い服では入れてくれない。実は、そのゲートの横にレンタル服屋があったが、観光客の列であきらめた。ポンピモールさんには申し訳ないが、元々行く気がなかったのでホッとした。

それから、観光客がいっぱいなところはやめて、バンコクで唯一知っている地名のカオサン通りへ向かった。このカオサンという地名は、空港で会った日本人が言っていたので覚えていただけで、実際にどういうとこかは知らん。行ってみるとボロホテル街だ。おお、ここはええ。なんか外人ばっかりやけど、ヒッピーばっかりや。それにしても、今日は俺はタオルを頭に巻いていたせいか、日本人やとすぐわかったんやろ。色んな人が声をかけてきた。昨日はこれからが不安やったが、一晩寝たら町へでたくなった。せっかくやから、俺は日本人って分かるようにしようと思った。来る奴はどんどん来いって感じだ。タイ人は巧みに俺に声をかけてくる。タクシーの運転手、案内人、売春婦-------

「安いよ。」「こんにちは。」って感じだ。俺は軽くかわした。しかし、ついついかばんが欲しくて買ってしまった。

「タオライ(なんぼ)。」

「ロイサムシップB130B)。」

まあええか、日本円で600円ぐらいか。安いものだ。

途中暑すぎて、ファンタ(12B)、ミネラルウォーター(18B)を買った。俺はそのミネラルウォーターを少し頭にかけながら歩いた。なんしか暑い。

しばらくして、俺はトイレに行きたくなったが、昨日のweekend market では1B取られたし、それにトイレが見つからなかったので我慢した。ほんまにトイレがないし、日本では至る所に公衆電話があるが、バンコクではそれほどないし、一番驚いたのは自動販売機が全然ない。こんなに暑いのに、ジュースやお茶が飲めん。たぶん自動販売機がないのは、潰されて盗まれるからちゃうかな。

帰りのバスの中で1人のアメリカ人のねえちゃんが俺に話しかけてきた。

weekend market に行きたいのですが、このバスでいいですか。」

俺は昨日weekend market に行ったので、このバスはweekend market に行かないことを知っている。このバスはポンピモール家の方向に行くバスや。

「たぶん行かないよ。」

「そしたら、どうしたらいいか乗務員に聞いて下さい。」

俺はおかしいと思った。わからんかったら自分で聞いたらええのに。

Sorry.

俺がそう言ったとたん、集金に来るねえちゃんは向こうに行ってしまった。そうか、英語があかんねや。

「タイ語で聞いて下さい。」

アメリカのねえちゃんは俺にそう言ってきやがった。

「おい、ちょっと待ってくれ。俺は日本人や。」

「えっ、ごめんなさい。あなたはどう見てもタイ人だと思った。」

おい、大きなお世話や。感じ悪いな。周りはみんな笑ってる。じゃかましい。

今日はバス停を1つ乗り過ごしただけで、ポンピモール家に着いた。家に帰るとポンピモールさんの息子がいた。名前はタップだ。タップは現在タマサート大学で経営学を専攻している。なかなかの好青年だ。

今日の晩飯は旦那さんが作ったトムヤンクンのチリ抜きだ。辛かったがうまい。今日の料理はうまい。俺のためにすべて薄味だ。

「この貝は食べない方がいいぞ。」

途中、旦那さんがそう言ってきた。そういうことは先に言ってくれ。俺は、2つも食うてしまった。ビールも飲めた。タイのシンハービールだ。まさかビールが飲めるとは。感動だ。

めしを食いながらふとテレビを見ると、なんとケーブルテレビでNHK7時のニュースが流れているでは。この時間はいつも日本のNHKが流れるらしい。ちょうどプロ野球ニュースが流れていた。阪神−ヤクルト戦だ。俺は、

「阪神は日本で一番強いチームやで。」

と、タップに教えてあげようとしたが負けた。言わんでよかった。

それと、めしの途中にプラパシーさんから電話があって、来週末に会いたいとのこと。OK。楽しみにしています。明日はカセサート大学に行く。今晩もエアコン付きの部屋で快適だ。

 

421日(4日目、バンコク)

「はじめまして、私が加藤学です」

今日はカセサート大学へ行った。しかし、ポンピモール家の生活は快適だ。今まで味わったことがない。昨日の夜は暇やったので、タイのテレビを見ていた。トレンディードラマみたいなやつだ。男優はみんなきざだ。タイの若者みんなに言えてる。タイの男性はやたらおしゃれで、むやみにイヤリングやネックレスを付けている。それに、この部屋の主もやたら香水を持っている。しかし、タイの男性は男らしくない。男気が感じられない。なんかなよーとしている。

それと、タイのテレビのCMを見て驚いた。ほとんどが日本の会社だ。特に化粧品やシャンプー。全部日本のぱくりだ。CMもよう似てる。やっぱり、タイでもそうだがアメリカ人をCMに使っている。見栄えがええんやろう。ドラマの内容は、ある男が家に彼女を連れてきて、その彼女がそこにいたもう一人の男の昔の彼女やったいう話だ。くだらんかったが1つ気になったのは、あるシーンの背景に竹林があった。こんな暑い亜熱帯地方でも竹林は育つんや。

それにしても、タイは暑い。年中暑くて、特に俺が今いる4月は一番暑いらしい。毎日が40℃ぐらいで朝でも28℃ぐらいだ。タイではコートなんか絶対必要ないはずなのに、ドラマの男優は革ジャンを着ていた。あほだ。

タイの道路はよく見るとおもろい。ほとんどのバイクが150CCでたまに250CCがある。今日BROSSを見たのには驚いた。あれは確か400CCだ。

やがて、渋滞の中カセサート大学に着いた。なんとむっちゃ広い。それと、校門の前でずらーと学生の列があった。なんとこいつらは自分の校舎までバイクタクシーで行くらしい。贅沢だ。それに、バイクタクシーが校内の至る所で走っている。たぶん10Bぐらいやろ。俺はそれぐらい歩けと思ったが、実際歩いてみるとあの暑さの中では死んでしまう。

ポンピモールさんのオフィスはとても広かった。スタッフもええ人や。その後、俺は鈴木さんに会った。鈴木さんはJIRCASという日本の農水省にある組織に所属していて、いわば海外の農業の研究をしている組織の一員だ。鈴木さんもプラパシーさん同様、茅野先生から是非会って欲しいと言われていた人だ。鈴木さんのオフィスとポンピモールさんのオフィスは建物は違うが同じ敷地内にあって、なんと2人は前から顔馴染みで、鈴木さんは一度だけポンピモール家に招待されたことがあるらしい。鈴木さんの奥さんと子供は現在千葉にいて、いわゆる単身赴任だ。鈴木さんのオフィスもまずまずの広さで、秘書もちゃんといる。

鈴木さんも俺のことをむちゃくちゃ心配していた。それに、色んな情報をくれ、カトマンズ行きのエアーチケットについても調べてくれた。料金は5300Bだ。高すぎる。そこで、俺は明日カオサン通りで格安チケットを買うことにした。ほんとはミャンマーを通ってネパールに行くつもりやったが、今ミャンマーへの国境越えはできないらしい。

昼頃、プラパシーさんが来た。そこで、鈴木さんと俺とプラパシーさんと、それに東大の土壌研を出て現在鈴木さんのオフィスにいる安藤さんとめしを食いに行った。なんと近くの豪華なレストランだ。料理が来るまで、俺はプラパシーさんと色々な話をした。プラパシーさんは小柄ですごくかわいい人だ。年齢にして40歳半ばぐらいか。それなのに、なんで今まで結婚しなかったのか分かった。どうやら、定年後は尼さんになりたいみたいだ。さすがタイは仏教の国だ。だから、結婚には興味がないみたいだ。

やがて、料理が運ばれてきて、俺は昼やというのにビールを飲ませてもらった。あと、あまり辛くないトムヤンクンや色んな料理だ。途中、安藤さんが、

「トムヤンクンに入っている辛い葉っぱみたいなやつは、あんまり食べない方がいいよ。」

と言ってくれた。そういうことは先に言ってくれ。俺はいっぱい食うた。

それから、めしを食った後、駐車場へ行くと子供が車の管理をしていた。俺は鈴木さんに、

「この子たち学校は?」

って聞くと、タイの義務教育は6年間らしく、学校に行けない貧しい子は卒業すると働いている。日本では大学に入っても自分で金を稼げない奴はいっぱいいるのに、彼らはまだ10歳そこそこだ。えらいぞ。鈴木さんはチップに10Bあげていた。

プラパシーさんと週末の約束をして、俺は昼からキャンパス内を歩いた。白のシャツに黒のズボンかスカートがタイの大学の制服だ。女の子はみんなかわいい。俺はなんでタイの女性はこんなにきれいなのかを考えていた。やがて、その答えが分かった。かわいいのもさることながら、おしゃれで、なんといってもスタイルが良い。みんな足が細く長く見える。あと、肩幅も狭くものすごくスリムだ。ポンピモールさんの旦那さんにこのことを言うと、

「タイの女性はすぐにバイクタクシーに乗るが、日本人は歩く。だから、日本の女性は足が太くなるのでは。」

と言っていた。なるほど。それと、タップが言うには、タイの大学生はバイトをしないらしい。そのくせ毎日校内でバイクタクシーを使う。贅沢だ。お前ら歩け。

ポンピモールさんや鈴木さんは色々世話をしてくれる。それに、ポンピモールさんは俺のためにチェンマイ行きのバスチケットを取ってくれるらしい。料金は往復で600Bだ。高い。皆さんの気持ちはうれしいが、あんまり贅沢な旅はしたくない。もうこんだけして頂いて充分ありがたい。俺はゴールデンウィーク前にプーケットやピーピー島にも行ってみたい。しかし、バンコクでは1人のヒッチハイクは難しい。俺は一度試みたがタクシーだらけで、すぐタクシーが止まる。それに、先日日本人女性がタクシーの運転手に殺された。治安が悪い。とりあえず、来週までにはネパールに行きたい。

今日の晩飯の後、俺は旦那さんやタップと色んな話をした。俺が求めていたのはこういう人とのふれあいだ。観光にはあまり興味ない。まだ、カメラを一度も使っていない。バンコクにいるとみんなが色々してくれて、今の俺の行動は後手に回っている。どんな危険が今後あろうが、自分から色んなことをつかんでいかなければ。今は独りでに出来事がやって来る感じだ。なんかもの足らん。そういう意味でも今の暮らしは快適だが、早くここをでよう。

422日(5日目、バンコク)

「やっぱり、日本料理や」

今日はカセサート大学に行った後、カオサン通りにネパール行きのエアーチケットを取りに行った。鈴木さんは5300Bと言ってたが、4200Bでチケットが取れた。それと同時に、チェンマイ行きのバスチケットも取れた。料金は200Bだ。これらのチケットは日本人が経営しているある代理店で取った。そこのアシスタントのねえちゃんがまたようしゃべるタイ人だ。少し日本語が話せるが、英語はダメだ。

「タイの女性はおしゃれで、シャイだ。」

と、俺が言うと、

「そんなことはない。タイ人はよく話すし、日本人よりかわいくない。」

と言ってきた。俺は言ったろうかなと思った。それはお前だけや。

それから、ポンピモールさんのオフィスに戻ると、オフィスの皆さんは俺のことを心配して、チケットを買った代理店まで電話してくれた。どうも俺のことが心配みたいだ。ほっといてほしい。まあ、気持ちはわからんわけでもない。みんな俺ぐらいの子供を持っているおばちゃんやし、日本の大学生は世間知らずと思っているみたいだ。でも、

No problem. OK, OK!!!

と言って、俺がタイの踊りを披露すると心配が笑いに変わった。この踊りは北大にいたタイからの留学生のアンさんに教えてもらった。こんなとこで役に立つとは。

その後、サコーンさんに会った。サコーンさんは10年ぐらい前に東大のうちのラボで博士号を取った人で、俺が訪ねていくとすごく歓迎してくれて、ラボの近況とか茅野先生のことを話してあげた。しかし、サコーンさんに

「なんであらかじめ連絡しないんだ、そしたら色々案内してあげたのに。」

と怒られた。実は、今年9月に東京で国際植物栄養科学会議(IPNC)があって、俺もこの学会のポスターセッションで発表するのだが、サコーンさんも来るらしい。もちろんポンピモールさんもプラパシーさんも来る。サコーンさんとは、また9月に会おうと言って握手した。

今晩は鈴木さんの家に泊めてもらうことになっている。夜、鈴木さんと日本料理のレストランに行った。おお、みそ汁や。生野菜もあったが、腹をこわしてもいいかって思って食った。やっぱり、日本料理だ。日本の魂を感じる。たまには食いたい。そのレストランの横にはハーゲンダッツがあった。値段は見なかったが、客があまりいないところを見ると高そうだ。タイには、KFC、マクド、ミスド、そごう、東急、伊勢丹といった日本にあるものが存在する。バンコク自体では東京よりも大都会かもしれない。

それから、帰りに地下のショッピングセンターに行った。食品売場を見ると、やはり東京でコンビニやスーパーの陳列をしていた仕事人の目で見てしまう。フェイスとか棚割とか売れ筋商品とか。俺はBecksやオレンジジュースなどの飲料を無意識に前だししてしまった。

その後、鈴木さんのマンションに向かったが、鈴木さんのマンションはすごい。19階建ての9階だ。駐車場には警備員が24時間体制で管理している。家賃は11000Bで、日本円で約55000円だ。タイでは超高級だ。それに、部屋はすごく立派だ。それから、鈴木さんと少し話をして、俺はビールを5本ぐらいあけて寝た。

423日(6日目、バンコク)

「しもた、ぼられた」

朝起きて、今日は鈴木さんのオフィスには行かず、マンションの近くのサニースーパーで降ろしてもらった。鈴木さんは餞別に寝ござをくれた。ほんとにありがたうございました。

それのしても、マーケットやスーパーを見るのは楽しい。タイの人々の食生活が分かる。俺は8Bでヤクルトらしきものを買ったがまずかった。しかし、タイは果物が豊富だ。今朝、鈴木さんがマンゴをむいでくれた。俺は生まれて初めてマンゴを食った。うまい。最高や。日本に持って帰りたい。

それから、AC39のバスでカオサンに向かったが、このバスはカオサンには行かんと言われて途中で降ろされた。そんなはずはない。昨日のバスだ。

その後、俺は暑い中を歩いて、チャトゥチャ周辺で1人の女学生に道を聞いた。きれいな子だ。タイ人はほんと親切だ。英語が話せるのを確認して、

「ファランポーン駅へ行きたい。ここはどこで、どうやったら行けるの?」

と聞くと、ねえちゃんは地図を見て悩んでいた。そうなのだ。英語があまり読めないのだ。もう一度地図なしで、

「ファランポーンへ行きたい。」

と言ったら、

「この道路を渡って、AC29のバスに乗って下さい。」

と言ってきたので、

「歩いて行きたい。」

と言ったら、おまえはあほかって感じで笑ってた。どうやら、ファランポーンまで15kmぐらいあるらしい。15kmなんて近いものだ。俺は85km走った男だ。

ねえちゃんと校門の前でバイバイして、俺はひたすら歩いた。しかし、weekend marketで右に曲がって、ほんまにどこかわからなくなった。おまけに雨も降ってきた。仕方なしに、警察官にバス停を聞くと親切に教えてくれた。そのバス停で、俺は3人組の若い男(たぶん高校生)に話しかけた。その1人は、少ししか英語が話せないと言っていたのに、むちゃくちゃうまい。俺は負けた。それと、俺はファランポーンに行くのをやめて、サナムルアンに行くことにした。

それから、初めて赤バスに乗って、サナムルアンと書いたタイ語の紙を乗務員に見せると、50B払ったのに、30Bしか返ってこなかった。しもた、ぼられた。赤バスはせいぜい5Bやろ。昨日もそうだ。カセサート大学とタイ語で書いた紙を見せて、10B払うと、もう2Bよこせと言ってきた。タイ人は巧みに俺をだます。これからは、20B以上は絶対にださないでおこう。さあ、今晩夜行でチェンマイだ。

やがて、カオサンに着いて、近くの警察で泣きそうな顔をして、

「トイレを貸してくれ。」

と言ったら、

OK.

と言ってくれた。今度からトイレに行きたくなったらこの手を使おう。

 

424日(7日目、チェンマイ)

「えっ、世の中は動いてるんや」

昨日バスに乗る前に、サナムルアンを歩いていたら、1人の女の子が日本語で、俺に絵はがきを買えと言ってきた。

1000円、1000円」

あまりにも哀れやったので、俺が愛用してるバドワイザーのボールペンをあげると、その兄弟もやって来て、

「俺にもくれ。その時計と換えろ。」

失敗だ。うっとおしいだけや。

チェンマイ行きのバスは見た目はぼろい。しかし、中は椅子と椅子の間が広く、思ったよりグッド。ところが、それもつかの間。椅子をリクライニングにすると元に戻らへんし、おまけに座席の上から雨が漏ってきた。それも、おびただしい量だ。やっぱり、最悪だ。みんながそう思ったであろう。それに、1回目の休憩で、バスのライトを交換していた。結局、合計3回休憩があったが、全部ガスをいれるためだ。

このバスの中で、俺は2人の日本人と知り合いになった。1人はひろしさん。ひろしさんは現在青年海外協力隊員でスリランカにいる。少し休みを取って、旅行しているらしい。この後、バンコクに帰って、スリランカに戻るみたいだ。もう1人は柳橋君。彼はこの春関西の大学を卒業して、卒業したらこういう旅をするぞとずっと思っていたらしい。この後、タイをぶらぶらして、返還前の香港に行くみたいだ。

やがて、チェンマイに着くと、この2人とあるゲストハウスに連れてこられて、2人はここに泊まることにした。俺のチェンマイに来た目的はrice fieldを見ることだ。是非、タイの稲作を見たい。俺はこの2人と一緒にチェンマイの情報が聞けるTAT に行って、そこで2人とは別れて、チェンマイのCrop Centerのモンターさんに連絡したが、

「今からバンコクに行くから、そこからタクシーでマジョー大学に行ってちょうだい。」と言われた。おい、おい。話がちゃうやんけ。むかついた。行くのやめ。しかし、大学もいいが、チェンマイにはそう長くいられない。そしたら、俺はトレッキングに行きたくなった。だから、内心よかったと思った。

それから、元のゲストハウスに戻って、明日はひろしさんと柳橋君と一緒にトレッキングに行くことにした。料金は1300Bだ。少し高すぎるが、チェンマイに来たからにはやっぱりトレッキングに行きたい。

昼からその辺をぶらぶらしていたら、ある日本人に声をかけられた。この兄ちゃんはタイ語の学校に行っているらしく、俺らは色んな話をした。少しして兄ちゃんの友達でタクシーの運ちゃんも来た。なかなかおもろいおっちゃんや。

この兄ちゃんを連れて、ゲストハウスに行くと柳橋君が読売新聞を買ってきていた。

えっ、ペルーのあの日本大使館に突撃したんや。俺がこんな事してる間でも、やっぱり世の中は動いてるんや。改めて痛感した。

その兄ちゃんと夕方まで話して、めし食って寝た。

425日(8日目、チェンマイ)

「チェンマイトレッキング その1 〜英語の必要性〜」

なんとトレッキングの前夜からどしゃぶりだ。これでほんまに行くんかと思ったが、No problemらしい。

トレッキングのpartyはガイドをいれて15人だ。始めのうちは、むっちゃ狭いトラックの荷台につめられて死にそうやった。メンバーは、俺ら3人と福岡から仕事を辞めて旅行に来た北原さん。彼はリッチな旅をしてて、1週間で10万円は使ったらしい(話は変わるが柳橋君のTC10万円分がなくなった。どこでなくしたかはわからんみたいだ)。

次に、フランスのナイスガイ。彼はほんまええ奴や。コンピューター関係の会社に勤めている31歳。イタリアで育って今はスイスのそばに住んでいて、悪いが英語は俺より下手だ。やっぱり、下手者同士すぐに仲良くなった。

次に、イスラエルの3人組。さすがにイスラエル人はきれいと思っていたが、超わがまま3人娘。年齢は20歳ぐらいだが、精神年齢は子どもや。そのうちの1人がとんでもないわがまま娘。キャベツが嫌いらしく、焼きそばの中のキャベツだけを残していた。ちなみに、猫も嫌いみたいだ。

次に、ニュージーランドの父と娘。父親は製材所で勤めているらしく、訛がひどい。ほとんど英語が聞き取れない。

次に、アメリカのボンボン。スタンフォード大学の院生らしく、将来は外科医を目指しているとか。こいつはすごいボンボン。朝飯はライスがええとか、カレンの村ではみんながパンとゆで卵なのに、こいつはライスと焼き卵。おまけに残しやがった。昼飯の焼きそばも俺はヌードルはいややと言って、代わりになんか作ってもらってた。

最後に、オランダの女の子2人組。俺は女の子の中でこの2人が1番好きや。マスコミ関係の仕事とか。でも、20歳と言ったのは絶対嘘や。結構年くっている。

それと、タイ人のガイド2人。2人共very good。俺はすぐに仲良くなった。

この15人でまず車で12時間ぐらい行って、山の中の滝に着いた。当然、俺らは泳いだ。しかし、水は汚いし、冷たいし、失敗だ。

その後、めしを食って、また車で1時間ぐらい進んで車とはおさらばだ。そこにある温泉をスタートにして、俺らはカレンの村まで歩いた。山中にある少数民族の村だ。

それから、34時間ぐらい歩いて、カレンの村に着いた。当然、電気も水道もない。シャワーはみんな川で浴びる。当然ボンボンアメリカ人26歳は仕方なしに川で頭を洗っていた。11回はシャンプーしたいんやろ。フランスのナイスガイは短パンで泳いでいた。彼はほんまにたくましく、3時間の山歩きも全然平気。疲れを知らない。

それから、晩飯。ガイド2人が火を起こして作ってくれた。ライス、野菜炒め、豚肉を焼いたものとポテトカレーだ。なかなか薄味でグッド。

ろうそくの明かりの中、めしの後みんなでトレッキングの諸注意やお互いのことを話し合った。ほんまつくづく思うが、英語が話せないと話にならん。当然、俺ら日本人とフランスのガイ以外はぺらぺらだ。むかつくイスラエル人3人組もぺらぺらだ。特に、オランダ人はドイツ語も話せて、英語もできる。オランダ2人組の1人はフランス語もぺらぺらで、フランスのガイと話してた。俺もがんばるが到底彼らには及ばん。なんとか話は理解できるが、native Englishはやっぱり速くてわからん。特に、ニュージーランド人は訛がひどく、アメリカのボンボンも聞きとれんとあとで言ってた。俺ら日本人はかろうじてbilingualだが、native Englishを話す連中は母国語しか話せないのか?奴等は英語でどこでもOKと思いこんで、他の言語を学ぶ意志がないのでは?次の日、アメリカのボンボンと話したんだが、

俺、「日本人は英語があかんねや。」

ボンボン、「お前ら英語何年習ってんねん。」

俺、「中学から6年や。」

ボンボン、「なんでそしたらあかんねん。」

俺、「日本の英語教育は読み書きばかり教えて、会話は教えへんねん。」

ボンボン、「そしたらなんでお前話せんねん。」

俺、「なんとかがんばっているだけや。だからpoor Englishやろ。」

ボンボン、「ニュージーランドの訛よりましや。」

とのこと。

夜のミーティングの間ガイドの1人が俺ばっかりにタイの焼酎を薦める。思った以上にかなり強い。やがて、みんなそろそろ寝よってことになって、小屋に入ったがイスラエル3人組がうるさい。あいつらは周りが見えへんのか?

426日(9日目、チェンマイ)

「チェンマイトレッキング その2 〜今日から俺はキャプテンや〜」

トレッキング2日目。それにしても、カレンの村はむっちゃ冷える。俺は半袖しか持ってこなかったので寒くて寝られんかった。おまけに夜は雨が降った。寒いのと鶏の声で目が覚めた。

カレンの村には牛、豚、馬、鶏、犬、猪、猫と様々な動物がいる。いずれは食われるらしいが、牛、馬は車代わりに荷物を運ばせる。また、結婚のパーティーで、牛を殺して食うらしく、俺らが着いた日はこの村の1人の男が山の向こうの村の女の人と結婚するみたいで、村にはほとんど人はいなかった。まあ俺らにはわからん世界がある。それが文化だ。つまり、遺産だ。是非、大事にしてほしい。

朝飯はパン、コーヒー、ゆで卵。俺らは軽く食って出発した。1人のガイドと北原さんとニュージーランドの親子は23日のツアーなのでそこで別れた。それから、残り10人とガイド1人は1時間ぐらい歩いた。どうやら、オランダの1人は昨日足を痛めたらしく、相当痛そうだ。みんな心配し,

ガイドは彼女に肩をかし、俺はガイドと彼女のバックを持ってあげた。呑気なのはイスラエル3人組。なんも知らんで3人でとっとと行きやがった。

それから1時間後、次は象に乗った。象に乗って川下りだ。俺とひろしさんは同じ象で先頭だ。象使いの少年は12歳。たくましい。始めは怖かったが、慣れてくると疲れてきた。なんせけつが痛い。もうええ。

川沿いや川を下ること1時間。やがて、ラフティング地点に着いた。そこには、ちびっ子がたくさんいた。それと、ガイドが言った通りアカ族がネックレスやブレスレット、マリファナを売りに来ていた。

俺はちびっ子が好きだ。ちびっ子といるとすごく刺激的や。俺はあるちびっ子が足を擦りむいていたので、ティッシュで傷口をくくってやった。それからしばらく、ちびっ子とじゃれ合う。言葉は通じないが俺に寄ってくる。俺は片っ端から川にちびっ子を投げ込む。ちびっ子はけらけら笑って、また投げてと寄ってくる。一度、ちびっ子を投げる振りして、俺が川につっこむ。そうすると、周りは爆笑。たまには身体張らんとな。

しばらくして、ラフティングが始まる。俺ら日本人3人とオランダのねえちゃん2人とガイドが同じ筏だ。むこうはボンボンとナイスガイとイスラエル3人組と、もう1人タイ人が加わった。筏で川を下っていくのはこんなに楽しいのか。涼しいしvery goodだ。急流で何度か筏が止まったが、その度にみんなで川に降りて押した。

やがて1時間ぐらいして、ガイドが俺にキャプテンをするように言ってきた。なんで俺や。よしやったろ。初めての経験だ。竹竿1本で筏を操作する。非常に難しい。始めは石にぶつかってばかりやったが、なんでガイドのようにいかへんのやろうと考えていると、そうか、足を使うとうまくいくってことに気づいた。俺のうまさにオランダの2人はもうめろめろ。でも、急流はやっぱり難しい。

1時間後、ついにゴール。どうやら、ここはガイドの出身の村らしい。俺は昨日寒かったのと、何回も川に降りたので腹が冷えたのか、腹が痛くなった。たまらん。くそは出そうにないし。それから、川沿いから小屋まで歩いたが、オランダの2人が来ない。そうやった。ねえちゃんの1人は足を怪我してたんや。1人がもう1人の肩を持って歩いている。俺はすぐ助けに行った。あかん、自分のことしか考えてへんかった。申し訳ない。

ここで焼きそばを御馳走になり、そうこうしていると雨が降りだした。間一髪セーフだ。

それから、車で約2時間走り、チェンマイの町中に着いた。俺は腹が痛くてたまらんかった。やがて、俺らはゲストハウスで降ろしてもらいみんなと別れたが、俺は速攻トイレにかけ込むと、この旅始まって以来の下痢だ。来たか。これが噂の----

結果的に、トレッキングに参加してよかった。1300Bは高すぎると思っていたが、2日間考えるとそれほど高くない。それに、俺らのガイドはほんまにいい奴だった。俺は彼らとゆっくり話がしたかった。最後まで一緒にいたガイドは家庭が貧しくて、仕事が無くてガイドを始めたらしく、今はガイドの仕事を誇りに思っていると俺に話してくれた。確かに彼の身体は小柄だが、すごく頼もしく見えた。

さあ、バンコクに戻る。帰りのバスの中で、俺らが1番後ろの席に座ろうとすると、

「へい、ボーイ。気つけな。」

誰がボーイや。お前どう見ても俺より年下やろ。1人のスリランカ人だ。バンコクで言われたことが、

「バスに乗る時は最後尾には気を付けろ。1番狙われやすいぞ。」

俺はそんなことはあまり気にしない。

このバスの中で、このスリランカ人とイギリスのねえちゃんと知り合った。兄ちゃんは見るからにボンボンで、現在ロンドンに住んでいるらしく、ねえちゃんはケンブリッジ大学の学生さんだ。くやしいが兄ちゃんの英語はほんまうまい。ネイティブみたいだ。この2人もそうだが、タイに来てる外国人はやたらものを買いたがる。みんな金持ちだ。日本人もそうだ。彼らは買い物が目的なのかもしれない。特に、日本からツアーで来る連中は宝石やブランドものをがっつり買っていく。しかし、俺らみたいな貧乏旅行者はそうはいかん。それと、学生で来る奴はほんまに金の使い方を知っているのか。タイの学生もそうだ。俺は彼らにお金の使い方を教えてあげたい。もっと使っていい金とあかん金があるやろ。

それと、今まで出会った外国人と話しててわかったことは、みんな日本に行きたがっている。しかし、物価が高すぎて行かれへん。そうか、外国のツーリストは海外旅行で東南アジアに来る。なぜなら、物価が安いからだ。日本の金持ちツーリストは、ヨーロッパやアメリカ、カナダ、オーストラリアのような先進国に行き、そうすると貧乏人が東南アジアに来るのか。そしたら、日本人は金持ちと思われてもしゃあないな。うーん。なんて言えばいいんや。

427日(10日目、バンコク)

「プラパシーさん、すいません」

夜、チェンマイを出て、朝5時にカオサンに着いた。俺らは軽くめしを食って別れた。それから、バスに乗って、ポンピモール家に着いた。

「チェンマイはどうだった。」

俺はせっかくポンピモールさんがコンタクトをとってくれたのに大学の研究所には行かず、トレッキングに言ったことを話した。そうすると、ポンピモールさんはすごく喜んでくれて、

「私もそうすればいいなと思ってたの。せっかくチェンマイに行ったんだから。でも、学が元気そうでよかった。研究所に行かなかったという連絡をもらったから心配したよ。」

それから、シャワーを浴び、今日はプラパシーさんと会う予定だ。プラパシーさんに電話すると、朝10時にサナムルアンに来て欲しいとのこと。俺がその電話をポンピモールさんに変わったのがそもそものことの始まりだ。プラパシーさんは39のバスの終点まで俺に来て欲しいと言ったらしいが、ポンピモールさんはタマサート大学から少し行ったところがそのバスの終点とは知らなかったみたいだ。

そんなことも知らず、俺はサナムルアンのバス停に10時に着いた。俺はサナムルアンのタマサート大学とは反対側でプラパシーさんを待ち続け、1時間経ってもプラパシーさんは来ないので、プラパシーさんの携帯電話に電話したが通じない。

「おい、プラパシー。どこや。」

って何度もつぶやきながら俺は歩きまくった。

やがて12時半になって、もう帰ろうと思い、もう一度プラパシーさんの携帯電話に電話すると、プラパシーさんはでて、どうやらプラパシーさんも俺のことを探しまくって、俺が見つからんのであきらめて帰ったらしい。

「こんな背の高い日本人がこの辺で迷子になっていると思うんですが、見ませんでしたか。」

こんなことを言って歩き回っていたみたいだ。俺は、

「今、タマサート大学の前にいます。」

と言うと、すぐに来てくれた。

やっとのことでプラパシーさんと会うことができ、まず最初に俺はカオサンの旅行代理店に行って、カトマンズ行きのチケットを取りに行きたいと言うと、トゥクトゥクでカオサンまで一緒に来てくれた。その後、ワッパケオの前の食堂でラーメンを御馳走になった。3種類の太さの違う麺のラーメンを食わせてもらった。昼からラーメン3杯だ。

それから、ワッパケオだ。俺がこの前入場を拒否されたところだ。当然、俺のジーンズはまた拒否され、今日はズボンをレンタルした。プラパシーさんは一生懸命俺の写真を撮ってくれる。始めは照れくさかった。俺ばかりの写真だ。なんせ俺自身まともに写っている写真はここ45年撮ったことがない。いつも祈ったり、飛んだりしてる。もうやめてくれと思った。しかし、プラパシーさんは俺のために必死だ。いいアングルを探し、地面にひざまずいてくれたりもした。俺はプラパシーさんのその態度に感動した。午前中の3時間がもったいない。こんなことなら、朝からずっとプラパシーさんと一緒にいたかった。時間がないので、プラパシーさんは次々と色んな所で写真を撮ってくれた。しかし、肝心の建物はゆっくり見られない。きれいで立派な建物ばかりだ。一度、俺とプラパシーさんはお堂みたいなところに入ったが、プラパシーさんは献身な仏教徒だ。仏様の前ではプラパシーさんはシリアスだ。

次に、トゥクトゥクで桟橋まで行って、そこから船で対岸に渡って、ある寺院に着いた。残念ながら工事中で、中には入られなかった。

それから、また船で元に戻って、今度はカオサンの近くのスーパーに行った。プラパシーさんは一緒にアイスクリームを食べようと言ってくれ、おみやげにドーナツまで買ってくれた。それと、プラパシーさんは気づいていたんや、俺のおんぼろジーンズに。俺のジーンズを見て、俺へのおみやげとしてジーンズを買ってあげると言ってくれた。俺は断った。もう充分だ。

「今日1日が俺にとってプラパシーさんからのおみやげです。これ以上のものはいりません。」

しかし、プラパシーさんは納得してくれない。プラパシーさんの気持ちも分かる。このままで俺を帰すと茅野先生に申し訳ないって感じたんやろ。なんせ俺はプラパシーさんの恩師のラボの学生なのだから。結局、勝手にジーパン屋の店員となにやら話して、とっとと俺のサイズを測って買ってしまった。どうやら、料金は300Bらしい。

次に、シャツも買ってあげたいと言ってきた。俺はマジで断った。それでも、シャツ屋を転々として、次々に俺に見せた。なんとかプラパシーさんを止めて、俺の気持ちを伝えた。やっとプラパシーさんは俺の気持ちを分かってくれ、そしたらご飯を御馳走すると言って、屋上のレストランに行こうと言ってきた。ほんとにもう充分だ。それにもう夕方4時で、ポンピモール家にはバスで12時間かかる。ちなみに、プラパシー家はここからすぐみたいだ。

やがて、俺はもう帰りますと言って、何度も何度もプラパシーさんにお礼を言って、そのスーパーの前でプラパシーさんが帰っていく姿を眺めていた。ほんとに俺の周りにはいい人ばかりだ。日本でもそうだし、タイでもそうだ。それは俺の人柄だと人は言うが、決してそう思いたくはない。そんなに俺はいい人間じゃないし、仮にそうだとしてもそう思いたくはない。

ポンピモール家に戻って、プラパシーさんに電話して再度お礼を言った。9月に学会でプラパシーさんが来る時はお礼をしなければ。なにか思い出に残るものを。

晩飯を食いながらタップが俺に言った。どうやら、今日が今年1番暑かったみたいだ。日中40℃以上はあったらしい。その中を俺とプラパシーさんはお互いを探しまくった。ほんとプラパシーさんには悪いことをした。

428日(11日目、バンコク)

「タイでの最後の晩餐」

今日は1日オフを取った。結構今まで疲れた。昨日夜10時半ぐらいに寝て、今朝8時ぐらいに起きた。それから、軽く朝飯を食って、洗濯して、昼前からタップと旦那さんと3人で近くのショッピングセンターに昼飯を食いに行った。旦那さんが買い物をしている間、俺とタップは先にレストランに行ってめしを食ってた。そこは、ジャスコの隣にあって日本食がある。しかし、やっぱり日本食は高く、寿司セットで100200B、みそ汁で35Bもする。ハーゲンダッツも高く、パイントかミニカップかわからんが38Bだ。昨日プラパシーさんと食ったアイスクリームが15Bだから高い。

注文はタップにまかせた。タップに日本料理の方がええかと聞かれたから、タイ料理の方がええと言った。タップは俺に気を使ってビールを注文してくれたが、俺は昼からあんまりビールは飲みたくない。俺は断ったが、タップは注文してしまった。

少しして旦那さんが来ると、

「学、昼からビールはあかん。夜だけにしろ。」

と怒られた。ほれ見ろタップ。

もうタイ料理には慣れていたせいか、全然平気や。でも旦那さんやポンピモールさんが作ってくれる料理の方がおいしい。

それから、レストランを出て、少し旦那さんの買い物に付き合い、帰りの車の中でおもむろにタップが俺に話しかけた。

タップ、「学、君はタイの映画俳優に似てるよ。」 

俺、「それはどんな奴や。」

タップ、「ガオっていうコメディアンや。」

なんや、やっぱりトレンディーやないんや。がっかりや。

さあ、今夜は最後の晩餐だ。旦那さんも俺のために腕をふるってくれた。旦那さんはほんまに料理がうまい。旦那さんはもう退職したが、近い将来お店をだしたいらしい。たぶん売れる。こんなにうまいんやもん。今日もすごい豪華や。よし記念に写真を撮ろう。

「これはなんて言うタイ料理なの。」

と俺が聞くと、

「ああこれ、中国料理や。」

なんじゃそりゃ。

ポンピモールさんも記念に俺の写真を撮ってくれた。俺はタップに、

「日本に来る時は連絡しろよ。」

と言ってやった。タップは寿司や刺身が好きらしく、

「大阪でうまいもん食わしてやるからな。」

とつけ加えた。旦那さんは俺のためにシンハーを3本も買ってきてくれたみたいだ。感激だ。ちなみに、旦那さんはビールを飲まない。料理は文句なし。アロイ(うまい)。

今晩も色んな話をした。タイの大学の卒業式では、カセサートやタマサートには国王、現在はラマ9世が卒業証書を渡しに来てくれるらしい。どおりでタップの兄貴や姉貴の卒業式の写真が額にいれて飾ってあるわけだ。国王と会うのは一生に一度のチャンスだ。俺らが天皇陛下に証書をもらうようなものだ。日本では考えられへん。タイの国王はほんま国民に愛されている。バンコクの町中のあらゆる店、あらゆる所に王族の写真が飾られている。そりゃそうだ。ずっと独立を守り続けてきたもの。しかし、政治家は最悪らしい。

タイに来て10日経ち、俺はタイが好きになった。特に、チェンマイにはもう一度行ってみたい。バンコクはもういい。できれば、チェンライにも行ってみたいな。それに、南の方にも行ってみたい。とにかく、もう一度タイに来たい。タイ料理も慣れた。今回はそんなに時間がないので、明日はカトマンズだ。タイの暮らしはいいリハビリだ。ネパールはいいとして、インド、バングラは治安が悪いらしい。でも、これからやっていく自信がついた。問題は金だ。そんなに持ってきてない。それに、ヒッチハイクもかなり危険みたいだ。まあ金がなくなったら日本へ帰ろう。7月には礼文に行かんとあかん。あまりゆっくりもしてられん。とにかく、俺の周りにいて世話をしてくれたり、心配してくれたタイの人々にはほんと感謝しています。ありがとうございました。

Thank you for everything!!

また来ます。また会いましょう。

429日(12日目、バンコク)

「バンコクを離れたくない」

タイ出発の日の朝。タップはまだ寝ていたので旦那さんにお礼を言って、ポンピモールさんとオフィスへ向かった。それから、鈴木さんのオフィスを訪ねて、安藤さんや立山さんにもさよならを言って、昼頃ポンピモールさんのオフィスに戻った。ポンピモールさんは夕方ドンムアイ空港まで送ってあげると言ったが、鈴木さんのオフィスの運転手が送ってくれるみたいなのでそうしてもらうことにした。やがて、ポンピモールさんのオフィスの皆さんにもお別れをし、2階のサコーンさんのオフィスにもお別れを言いに行った。最後にポンピモールさんが、

「学、もし早めにバンコクに戻ってきたら、ちゃんと連絡するんだよ。」

と言ってくれた。ポンピモールさんにはほんと感謝だ。俺をほんとの息子のように思ってくれている。実は、ポンピモールさんは今朝、

「学。あなたのお母さんとお父さんに今電話しなさい。あなたの両親はたぶん心配しているよ。」

と言ってくれた。俺は当然断った。ここからかけたら電話代がいくらかかるか。それは申し訳ない。

「あとで空港からかけます」

と言った。

それに、ポンピモールさん以外の人々にもほんとなんと言ったらいいか。ありがとうございました。ほんとは離れたくない。ずっとバンコクにいてもいい。しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。タイに着いた当初はこの先が不安やったが、今こうして俺の気持ちに変化が生じたのはみんなのおかげだ。みんなが俺によくしてくれたからだ。必ずまた来ます。

ポンピモールさんや鈴木さんに再度お礼を言って、鈴木さんのオフィスの運転手のバンジットと空港へ向かった。また、こいつがとんでもない。ものすごい飛ばし屋だ。俺にタコメーターを指さして笑っている。俺は生命の危険を感じた。120130km/hぐらいか。しかし、すごくユニークな奴で俺らはすぐに仲良くなった。バンジットはふと音楽をかけた。なんと長渕剛の「Never Change」ではないか。感動だ。「あんたとあたいは数え唄」、「逆流」、そして空港に着く直前に「乾杯」。このアルバムは俺の好きなアルバムの1つだ。なんかトレンディードラマみたいだ。俺は改めてキムタクを意識した。

ドンムアイ空港でバンジットと別れて、Royal Nepal Airlines (RA)のカウンターに行った。まあ、チェックインが午後4時ぐらいかなって思って、3時ぐらいに空港に着いたので、少し待てばいいかと思った。しかし、これからがドラマの始まりだ。RAのカウンターには誰もいない。ちょっと待とうと思ってしばらく待っていると、変なおやじが俺の所に寄ってきた。どうやら、このおやじの知り合いのあるおばちゃんの荷物が重いらしく、このままやと超過分の金が取られるらしい。だから、俺に少し機内に持ち込んでほしいとのこと。そんなんはお安いご用だ。ええでと言いかけると、1人の大阪のおっちゃんが、

「兄ちゃんやめとき。こん中に何入ってるかわからんやろ。それにな、このおばちゃんいつもこの辺におるんや。」

そうか。全然知らんかった。これは気つけなあかん。この大阪のおっちゃんは今はパタヤに住んでるらしく、2ヶ月ほどカトマンズに行くらしい。おっちゃん、おおきに。しかし、次々と同じような人が俺のそばに来る。俺は全て断った。

そうこうしているうちに、RAの受付のねえちゃんが来て、出発は2010分に変更、チェックインは17時半からという紙を持ってきた。まあ、これぐらいかまへん。とりあえず、俺は軽くめしを食って、実家にコレクトコールした。親から常に連絡を取りたいと言われていたので、そしたら国が変わるごとに連絡するということにしてある。やっぱり、こんなどら息子でも心配やろ。それと、今日の昼に東大の後藤さん(ラボの技官)に俺のこの日記のコピーを送った。たぶんみんなにみやげを買う金は残らんやろ。代わりに俺のこの日記を読んで同じような気分を味わってもらおう。それに、もしどっかでかばんをぱくられたら、せっかくの日記が台無しや。

5時ぐらいにカウンターに戻ってみると、出発は2120分、チェックインは1910分という紙をねえちゃんが持ってきた。なめとんかRA。しょっちゅうこうらしい。その間暇やな。しゃあない、ナンパでもするか。気づいたらRAのねえちゃんをナンパしてた。やっぱりタイ人や。すっごくきれいや。ねえちゃんも俺に興味を示したらしく、色々と俺に聞いてくる。俺はねえちゃんの間をつかんで軽く笑かした。やっぱり、どの国の人でも相手の間をつかむか、こっちのペースに引き込めば笑わすのは簡単だ。ポンピモールさんのオフィスの人もそうだ。オフィスの人たちは俺のペースにはまった。このRAのねえちゃんもそうだ。それにしても、きれいなねえちゃんだ。ねえちゃんに俺の住所と電話番号を聞かれたので、思わず教えそうになった。

さあ、ようやくチェックインだ。やっとのことで飛行機に乗れた。なに。これがほんまに国際線の飛行機か。席が右に3つ、左に3つだけだ。札幌一稚内間のANKといっしょか。いやそれ以下だ。しかし、機内食は違った。なんとビール、ラム、ワイン、ジュースなんでもおかわり自由だ。俺の隣のおばちゃんに係のおっちゃんがコーラを渡して、俺に、

Excuse me.

と言う、「Excu」ぐらいで俺は、

Beer.

と答えた。感動だ。今回の旅行でビールが飲めるとは思わなかった。しかし、タイではポンピモール家でシンハーを飲みまくったし、この機内ではツボルクだ。確かデンマークのビールやったと思う。どうやら、カトマンズにはツボルクのビール店が結構あるらしい。俺は正直2本で腹がいっぱいやったが、飲める時に飲んどことまたよからぬことを考えて、つまみ無しで合計3本飲んだ。幸せだ。