526日(39日目、スノウリ〜バナラシ)

「怖るべし、インド人」

昨日の夜、カトマンズから夜行バスに乗り、今朝国境の町スノウリに着いた。相変わらずぼろいバスだ。途中の休憩でバスの重みで、窓ガラスが独りでに割れたぐらいだ。でも、もう慣れた。バスはツーリストとインド人だらけ。国境に近づくに連れてだんだんと暑くなる。スノウリは現在日中40近くはある。深夜でもこの近辺はかなり暑い。

スノウリに着くと、だんだんと雲がでてきた。国境付近のレストランで、俺はバスの中で残しておいた藤本さんの奥さんの弁当を食う。やっぱり、梅干しはうまい。あと、卵焼きに漬け物。おにぎりもグッド。涙がでそうだ。

そして、ついに念願の国境越えだ。俺はバスで知り合ったインド人だがアメリカ国籍のアパルナの荷物を持ってあげた。ものすごく感じいいやん、俺。心の中で自分で自分の事をつっこんで、相変わらず俺はあほだ。ちなみに、彼女の両親は今マドラスにいるらしい。さあ、いざネパール側のイミグレへ。なんと、ポカラのトレッキングで会ったあのトランプ野郎2人がいるでは。またもや偶然。ニュージーランドとオーストラリアの青年で、彼らはヴァナラシの方には行かんみたいだ。それから、俺と大畑君、それにアパルナがそろって国境越えだ。おい、こんなに国境越えって簡単でいいんか。でも、このゲートを隔てるだけで国が変わるんか。言語も通貨も違ってくるんか。島国にしか住んでいなかった俺にはすごく新鮮だ。思わず国境の警察官に記念写真を撮ってもらった。

インドに入ったとたんに雨だ。またや。カトマンズに着いた時もそうだった。そして、イミグレで手続きを済ませて、インド側のバスを待つ。それから、30分ぐらいしてバスが来た。見た目はネパールのバスよりもグッド。しかし、中は最悪だ。席と席の間が15cmぐらいしかない。何を考えてんねん、インド人。足の長い俺には窮屈すぎるやないけ。一番後ろの席には4人のでかいツーリストが座った。そこは、いつもは6人用らしいが、これ以上はどう考えても無理だ。でも、インド人の乗務員はここに人を座らせようとする。あほか、インド人。それに、荷物を屋根にのっけるだけでチャージとして20ルピー(1Rs=3円)要求する。俺は100ルピーしかないと言うと、70ルピーはつりで、10ルピーは両替料やと。危うく俺は10ルピーぼられそうなところを、4人の大男の1Mr.カナダが助けてくれた。その後、4人の大男は座席のことで乗務員と喧嘩。乗務員も抵抗して、

「ここはネパールじゃない、インドや。ネパールでは金を取らんかったかもしらんが、インドに入ったらインドのやり方がある。それに従わないのなら、とっとと降りろ。」

怖るべし、インド人。イスラエルのねえちゃんがウォークマンを聞き出すと、前の席のインド人のおやじはこの子たちをジーッと見て、おやじの持っていた電池とウォークマンを換えろと言ってやがる。かばんが積まれている屋根の上にカバーを掛けろと何回も注意したが、あと、あとと言って結局掛けなかった。思った以上に手ごわいインド人。

俺らツーリストは、日本人3人、アメリカのねえちゃん2人、イギリスのねえちゃん2人、アパルナ、イスラエルのねえちゃん2人、Mr.カナダ、Mr.ブリティシュ、Mr.スロベニア、Mr.ジャーマン。知らん間にツーリスト同士は仲間意識ができていて、国籍とか関係なくお互いを支えあう。このメンバーを乗せたバスは、いざバナラシへ向かった。なんと言っても、日差しがきつい。強烈だ。途中、何回も休憩するがその度にコーラか水を買う。食い物はいらん。途中の休憩で、学生らしき一行の車があった。俺はアパルナに、

「あれはタイ人や。」

と言うと、

「いや違う。チベット人だよ。」

と言ってきたので、

「よしそしたらにぎろか。」

ってことになって10ルピー賭けた。結果彼女たちはチベットの人間やった。しもた。負けた。そんな仲良くなったアパルナは途中下車した。アパルナ、今度また会おうな。

それから、バスは猛暑の中を南下する。途中で、あるインド人のおっちゃんは、

「みんな降りろ。」

と言ってきた。どうやら、ここでバスを大きいのに交換するらしい。そんなん聞いてないで。しかし、インド人客は平然。気の荒いMr.カナダは激怒。その他ツーリストはみんな切れている。

「ここで待ってろ。」

と言ったが、いっこうにバスが来ない。俺らは暑い中ずっと待っている。気温は40は超えてるやろう。それから1時間ぐらいしてからか。やっとバスが来た。ぼろいバスだ。やがて、再度バナラシへ向かったが、途中でどんどん人が乗ってくる。ちょっとでも席を空けるとあいつらは席を取ろうとする。気が抜けない。

そんな感じで気づくともう夕暮れだ。ネパールのおやじは昼の2時ぐらいには着くと言ってたのに。最終的に夜の8時ぐらいになって、ようやくバナラシに着いた。まず、場所がわからん。ここはどこ。Mr. ブリティシュが、

「今日はみんな俺についてこい。」

と言った。1人の日本人とアメリカのねえちゃんは俺らと別れて、俺は大畑君と相談して今日はついていくかということになった。2人で20ルピー出して、シャンシェというゲストハウスに向かった。もう9時は過ぎている。Mr. スロベニアとMr. ジャーマンが乗るリクシャーには、なんとMr. スロベニアがこいで、Mr. ジャーマンとリクシャーワーラーが乗っているではないか。どうやら、Mr. スロベニアは、

「俺がこぐから10ルピーにまけろ。」

と言ったみたいだ。それにしても情けないぞ、Mr. スロベニア。お前そんなに図体でかいのに、リクシャーが全然動いてへんやんけ。やっぱりコツがあるみたいだ。

それから、30分ぐらいしてシャンシェに着いたが、どうやら違うシャンシェに着いたみたいだ。ほんとはもう1つのシャンシェのことをMr.ブリティシュは言っていたみたいだ。

「まあ、今日はみんな一緒やからここに泊まることにしよう。」

ということになった。しかし最悪だ。なんでこんなとこで2人で120ルピーも取るねん。暑いし、臭いし、ベッドは汚いし。これがインドか。俺はMr.スロベニアと近くのレストランを当たってみたが、どこもこの時間では閉まっている。しゃあない。ここで注文したが、それから材料の買い出しが始まった。できあがったのは深夜の1時ぐらい。おまけにむちゃくちゃまずい。むかついたが、みんなも同じ気持ちやろう。まあ、とにかくインド初日は疲れた。このサウナのような部屋で寝るのか。あまりにも暑すぎて蚊もおらんやんけ。

527日(40日目、バナラシ)

「すべてがうまくいかない日」

7時半頃起きて、まずシャワーだ。汗で体が気持ち悪い。他のメンバーはみんなでMr.ブリティシュお薦めのゲストハウスに行くみたいだが、俺らはみんなと別れることにした。とりあえず、ゴードリア交差点まで歩いたが、ここがどこなのかわからん。途中であきらめてリクシャーでゴードリアに向かった。バナラシは予想以上にうっとおしい町だ。人は多いし、暑いし、汚いし、野良犬、野良牛、野良やぎだらけ。それに、ネパール以上に人が寄ってくる。俺は切れそうだ。

とりあえず、ポカラの情報でPUSKARというゲストハウスへ向かった。まあ、まずまずの所だ。日本人ばかりだ。ほんとは日本人ばかりの所は外国まで来て良くないとは思うが、この際そんなことはどうでもいいって感じになった。もうここにしよう。少し休んで朝飯を食った。まあ、まずまずだ。その後、俺らは

「インドの民族衣装のクルーターとパジャーマを買いたいのだがいいところ知らんか。」

とここのスタッフのラジャに聞くと、

ラジャ、「俺の知り合いのところに連れていってあげる。」

俺、「どれくらいや。」

ラジャ、「歩いて10分ぐらいや。」

とりあえず、ラジャに着いていくことにしたが、なんと40分もかかった。おいおい、10分言うたんちゃうんかい。なに、リクシャーで10分やと。最初からそう言わんかい。インド人の感覚はおかしい。俺は切れかけ寸前だ。この温厚な俺が切れたらどうなんねやろう。自分でも怖い。このラジャの知り合いの工場は、思った以上にあほほど高い。それもシルクが中心だ。俺は大畑君となんとかしてこの場を脱出しようという話をしてた。

俺はなんとかうまいこと言って、この場を離れてまたゴードリアに戻ったが、大畑君がTC を替えたいというので近くの銀行に行ったが、TCは替えてくれない。もう全ての行動が後手に回っている。とにかく、めしを食おうってことになったが、これがまたまずい。もう最悪な日だ。路上では客引きの嵐。俺らは猛暑の中布地を探しまくり、なんとか22ルピー/mという店を見つけて、6m買った。俺は何を考えたか上下緑にした。今思ってもなんでこんな色にしたんやろうって感じだ。我ながらセンスがない。でも、もうええ。とりあえず仕立屋だ。その後、上下55ルピーで仕立ててくれる店が見つかった。もうここにしよう。

そして、夕暮れまでガンガーに行くことにした。乞食だらけの道を歩いて、ガンガーに着いた。おお、これが聖なる河か。

「ガンジスは何故よどんでいるのか なぜ聖なる河と人は呼ぶんだろう」

長渕の世界だ。泳いでいる人もいる、祈っている人もいる。ここで人は洗濯をし、歯を磨き、水を飲む。いわゆる市民の生活の場だ。でも、ちょっと考えたら矛盾することもある。普通、神は奉るものでその神にお供えをしたりして、決して神に触れないのが当然と言えば当然だ。しかし、このガンガーでは神を生活の一部として取り込み、利用し、生活になくてはならないものとなっている。しかし、予想していたよりはきれいだが、かなり汚い。人のくそだらけやし、至る所でしょんべんしている。ここで俺は明日泳ぐのか。まあ、明日を待とう。

少しガンガーを下ると、久美子ハウスがあった。これが噂のゲストハウスか。夜は外出禁止で、インド人が家の周りを囲んで日本人を待っている。ほんまインド人はむかつく。

それから、1人の日本人のねえちゃんに服の仕立て方を教えてあげて、宿に戻って、めしを食ったがまずい。まあ、とにかく今日は疲れた。夕方買ったマンゴもまずい。今日は最悪の日だ。もう寝よう。すぐに眠ってしまった。

 

528日(41日目、バナラシ)

「聖なる河、ガンガー」

今日は朝4時半に起きた。起きたというより大畑君に起こしてもらった。大畑君はさすがトラックの運転手をしていただけあって、すごく目覚めがいい。さあ、今日はガンガーに沐浴する日だ。早速、ガンガーに向かった。

さすが日の出時だ。ガンガーで沐浴するヒンドゥーの人間でいっぱいだ。それに、沐浴する光景をボートの上から見学する観光客もかなりいる。その観光客が乗ったボートの1つにMr. ブリティシュ軍団がいた。みんな元気そうだ。そして、ついに長渕のガンジスを目の当たりにする。まず、大畑君が入る。その間、俺は荷物の見張り番とカメラマンだ。大畑君はあまり泳ぎが得意じゃないみたいで、すぐに帰ってきた。さあ、俺の番だ。ガンガーのそばに行くと相変わらず悪臭が漂う。それに、足場はコケだらけで滑りまくる。ついに沐浴の瞬間が。とりあえず、祈るか。おお、かなり温かい。それに、かなり深いぞ。5mほど行くともう足がつかない。そこから30mぐらい沖の方に泳いだか。だんだん岸が遠くなる。しもた、水も飲んでしまった。ちなみに、昨日から井戸水を飲んでいる。もうどうでもええ。やがて、岸に戻った。もう充分だ。朝日が照りつけるガンガーは最高だ。もう思い残すことはない。これで俺の24年間の悪事は清められた。今はすっかりきれいな体だ。

それから、火葬場に向かった。ここでも長渕の世界。

「わかっちゃいたけど人間って奴が確かに目の前で灰になった」

目の前で人間が焼けていく。こんな光景を実際に見てもいいのか。焼けていく人間の死体から音が響く。

「キュー。」

学生実験でラットにネンブタール麻酔をした時のラットの鳴き声と同じだ。その死体が焼かれていく様を1人の日本人のねえちゃんは、瞬き1つせずにジーッと眺めている。俺はこのねえちゃんを見て怖ろしくなった。そんなに凝視するほどのものか。人が焼かれていくんやぞ。

このガートの周りは死を待つ人だらけだ。みんな最後にはガンガーに自分の灰を流して欲しいらしく、なんとかここまでたどり着いて死んでいく。ここまでたどり着けたらいい方で、その前に死んでしまう人も多くいる。ヒンドゥーの人間はガンガーを神だという。俺にはわからん世界だ。俺は改めて人間が生きていくということ、死ぬということ、命というものを考えさせられた。

それから、なんとも言えん気分になって宿に帰る路地を行くと、1人のおやじが赤ん坊の死体を抱えてガートに向かっている。これから焼かれるんやろう。

やがて、宿に戻ってシャワーを浴びて身体をきれいにした。ガンガーに入った人間は必ず次の日寝込むと聞かされている。とりあえず、井戸水を飲み、正露丸、下痢止めを飲み、少し昼寝をした。しかし途中、腹が痛くなって目が覚め、藤本家以来のうんこをしたが下痢ではない。しばらくすると、また腹が痛い。下痢だ。ついにきたか。でも、思ったよりも軽い。カトマンズの時よりましだ。単なる寝冷えか。

それから、昼過ぎにクルーターとパジャーマを取りに行ったが、ここのおやじは、

「昨日は停電やったので、その中で仕事をしていたので、さらに5ルピーづつだせ。」と言ってきた。もうインド人を殺してやりたい気分だ。まあいい。途中、インドコーラ”Thumb up”を飲んだがまずい。相変わらずバナラシでは俺の行動が後手に回っている。

それから、宿に帰って洗濯してバナラシ駅に向かった。アグラ行きのチケットを取るためだ。ガンガーで沐浴した以上もうバナラシに用はない。駅であのイギリスのねえちゃん2人に会った。彼女たちは明日アグラに行くみたいだ。俺らも明日行くことにした。この時の外国人専用の部屋がやたら冷房が効いていた。そのせいか、この部屋を出ると急に腹が痛くなった。俺は元々そんなに腹が強くない。宿の戻るとまた下痢や。しかし、症状は軽い。明日はどうだろうか。

それから、ルンギを買って、夕暮れのガンガーを見に行った。途中、老人の死体に布が被されていた。この老人にとっては神であるガンガーのそばで安らかに眠れて本望やろう。そのせいか、この老人の死に顔が俺には微笑んでいるように見えた。この死体のそばを行き交う人々から布の上にお金が置かれる。この金を盗む奴はおれへんやろうな。そこまでインド人は心が汚れてへんやろう。たぶんその金で死体を焼いてあげるんやろう。

それから、俺らはボートに乗ってガンガーの向こう岸へ渡った。俺らが金を払ったボートにガキどもがただ乗りしてきやがる。向こう岸で泳ぐつもりだ。10分ぐらいで向こう岸に着いたが、着く少し前からガキ共が次々にボートから飛び降りる。その水しぶきが俺にかかる。俺は切れた。ガキ共をにらみつけ怒る。この向こう岸からのガートもまた長渕の世界だ。

「ベナレスの川岸に並ぶヒンズー寺院、一群の牛を引く少年」

いい光景だ。思わず写真を撮ってしまった。しもた、このアングルに火葬場も入ってしまった。ほんまは撮ってはいけない。しかし、あまりにもすばらしい光景だ。それから、船で岸に戻り宿に戻った。

宿に戻ると、ここに泊まっている日本人のねえちゃんとずっと話してた。名前は青松さん。彼女は九州出身で、大阪で営業をしてたが会社を辞めて旅に出たらしい。趣味が陶芸で、俺はマグカップを作ってくれと頼むと、今度日本に帰ったら俺をイメージしたマグカップを作ってくれると約束してくれた。この陶芸ねえちゃんの友達が体調を壊して、抗生物質とか全て自分が持ってきた薬や、友達にもらったあらゆる薬を飲んでみたが直らないみたいで困っているらしく、俺に薬をくれと言ってきた。実は、昨日俺は五十嵐にもらった薬、中国4000年の歴史ドリンクの話をしたところだった。

「カトマンズで死にそうになった時それを飲んで助かって、欲しかったらあげるで。」 彼女はそのことを思い出して、その友達にこの薬のことを言ったらしい。早速、彼女にあげた。大畑君にも2つあげた。結構この宿ではこの薬のことが噂になっている。俺は陶芸ねえちゃんに、

「これ飲んで直らんかったら死んでくれ。」

と伝えた。

この宿にはネアという1歳ぐらいのかわいい女の子がいる。ほんまにかわいい。俺はその両親に今晩初めて会ったが、あいつらはネアの服を見せて、

「こんなにぼろぼろの服をもう長い間着させている。俺らには新しい服を買ってやれない。だから。ネアに服を買ってくれ。」

どこまでも中身の腐ったインド人。お前ら、子供の服の1着ぐらい買えるような裕福な暮らしをしてるんちゃうんか。こいつらは身体の芯から腐っている。俺はネアもこいつらみたいにならんことを祈るだけや。

 

529日(42日目、バナラシ)

「世界の車窓から in バナラシ」

今朝6時ぐらいに停電になり、あまりの暑さに目が覚めた。最悪。みんな目を覚ましていた。ファンが止まって暑くて寝られん。俺は屋上で寝ようとしたが、雨が降ってきた。もう散々だ。しばらくして電気が復活した。

それから、昼前まで寝て、洗濯して、今日はバナラシ最後の日なのでうまいもんが食いたいと言って、1人の日本人にSPICEというお店に連れていってもらった。ここのオムライスは味が日本風でほんまにうまかった。バナラシでは食いもんはことごとく外してきて、当たりの食べ物と言えば、昨日食った緑色のマンゴーぐらいだ。これはヒットした。

それからやみ両替して、さあ出発だ。お腹の方も全然大丈夫だ。さすがガンガーの水は聖なる水だ。やっぱり、俺にはこの宿の人間も好きになれん。最後に宿泊代を払ったのだが、おつりがないからと言っておつりをくれなかった。まあ、2ルピーぐらいやったしあんまり揉めたくなかったから俺はそのまま出た。

それから、リクシャーだ。もう相場はわかっている。必ず30ルピーと言ってくるが、2人で10ルピーで駅まで行けることはわかっている。日本人の賢さを見せてやる絶好のチャンスだ。俺らは交渉成功。なかなか慣れたもんだ。それにしても、ほんまにインド人はちびっ子でも人を騙してくる。最低やな。

やがて、駅に着くと相変わらず人だらけだ。それに、乞食も多いし、至る所で人が寝ている。蝿もおびただしい数だ。駅の係員にアグラ行きのホームは7番というのを聞いて向かったが、なんでプラットホームにチャリンコが走ってんねん。まあ、チャリンコは許すとして、なんでバイクが走ってんねん。まあ、目をつぶるとして、なんで牛がおんねん。訳わからん。

俺らツーリストは注目の的。インド人は一斉に俺を見る。気持ち悪いぞ、お前ら。ここで、Mr. スロベニアとイギリスのねえちゃん2人とアメリカのねえちゃん2人と1人の日本人に再会した。みんな同じ列車だ。なんか俺らは昔からの同士って感じだ。Mr. スロベニアは相変わらずでかい。なに食ってんねん。

やがて、予想通りかなり遅れて(正確には2時間遅れて)列車が来た。列車がホームに停車する前にインド人は一斉に乗り込む。うわさ以上の席取り合戦だ。俺は俺らの乗る車両がどこなのかわからん。車両に番号も書いてない。なんとか駅員に聞いて車両を探して席を見つけると、さっき駅に来る前にリクシャーで抜いたオーストリアのねえちゃんが目の前にいるでは。彼女はめちゃくちゃきれい。女優みたいな顔をしている。こんなにきれいな人は、ネパールのトレッキングで会ったオーストラリアのねえちゃん以来だ。彼女は19歳で今度はパキスタンに行くみたいだ。彼女は1人で旅をしている。こんなにきれいな顔をしているのに、すごくたくましい。しかし、彼女はリクシャーワーラーにぼられたらしく、俺らが払った料金を聞いて苦笑いしていた。それにしても、またもや俺の悪い癖だ。彼女の名前を忘れてしまった。あほや、こんなにきれいな子やのに。

さあ、列車が動き出す。窓には鉄格子がかけられている。その窓からの風景は「世界の車窓から」そのものだ。辺り一面に田園が広がる。今は乾期やから、これから雨期が始まる頃に田植えが始まるんやろう。それにしても、インドの圃場はおもしろい。広い空間にポツポツと大木とまではいかんが木が立っている。切ればいいのになんであるんやろう。俺は始め、この辺は森林を伐採したんかなと思った。それにしてはおかしい。日陰を作るためか。

途中、俺は腹が減ったとオーストリアのねえちゃんに言うと、彼女は俺と大畑君にサモサをくれた。なんと心の優しい子だ。それに、笑顔がええ。ここ数日俺はこんな温かい空気とは無縁やったので、ほんと天使みたいな子だ。そのサモサを口にすると、俺は彼女を喜ばせなあかんと思い、味わう前にうまいと言ってしまった。彼女はすごく喜んでくれたが、しばらくするとそのサモサの中にかなりチリが入っているのに気づいた。辛い。しかし、ミネラルウォーターはもう少ししかない。うあー、なんて俺はあほなんや。辛いという表情をすると、彼女はおそらく俺に水をくれた。しかし、俺にそんなことはできない。やがて、数分して治まった。人間やっぱり無理はあかんな。

それから、係員が夕食の注文を取りに来た。ちょっと列車の中で物を頼むのは怖かったが、腹が減って死にそうだ。しゃあないから、ターリーとミネラルウォーターを頼んだ。夜915分ぐらいに来ると言っていたが、来たのは11時近い。ほんまインド人の感覚はわからん。

しばらくの間、俺らはちょっと長めの違う寝台で眠っていて、それからターリーを食ったがまずい。でも、食わなしゃあない。この頃から外は嵐だ。すごい雨に雷だ。それにしても、寝台はガラガラで、俺は違う寝台で寝ていたが、深夜1時ぐらいからか。おびただしい数のインド人が乗ってきた。周りはインド人だらけだ。俺らが寝ていたところに寝るはずのインド人と係員が、

「元の寝台に行け。」

と言って怒ってきた。ほんまにあっと言う間に周りはインド人だらけになった。おい、頼むからお前らこっち見るな。

 

530日(43日目、アグラ)

「これがタージマハールか」

8時過ぎに目が覚めた。おお、もうアグラに近いやんけ。少しすると、なんとヤムナー河の向こうにタージマハールが見えるでは。あれがタージマハールか。でかい。アグラ城もでかい。俺らはアグラカント駅まで行かずにアグラフォート駅で降りて、まずデリー行きのチケットを取りに行ったが予約はいらんみたいだ。オーストリアのねえちゃんは俺らと一緒の宿に行くと言っていたが、どうやら腹が減っていたみたいで、俺らに気を使って、

「私は駅でなにか食べていくからここで別れましょう。」

と言ってきた。残念だが俺らも先を急いでいるので、ねえちゃんとはここで別れよう。また会おうな、ねえちゃん。

それから、タージマハール方向に向かったが、アグラはバナラシほど人はいない。しかし、相変わらず客引きは多い。途中でサモサを食って、タージマハールまで歩いて、かなり疲れていたせいか、とりあえず客引きのおやじについて行って近くのゲストハウスに泊まることにした。2人で100ルピーでトイレ、シャワー付きだ。ちょっと高いが、アグラには長くいるつもりはないので、まあええか。それにしても、アグラは暑い。40は軽く超えているやろう。

その後、タージマハールに向かった。西門から入り、正門をくぐっていざタージとご対面だ。おお、でかい。それに、うわさ通り左右対称だ。なんと今日は金曜日なので入場無料らしい。運がいい時に来られた。さすがに入場料無料だけあって、人がすごい。インド人、外国人、夫婦、家族連れ、若者同士、恋人同士、ちびっ子同士と様々だ。それから、モスクに向かったが、モスクの中は靴を脱がなあかん。しもた、靴下を忘れた。こんな暑い大理石の上を裸足やったら、足の皮がめくれてしまうぞ。でも、なんと入口までじゅうたんが敷いてあってたので助かった。しかし、中は大したことははい。やっぱり、タージマハールは外見が一番や。外からのタージマハールは、さすがイスラム建築って感じだ。どうやってこんなにうまく左右対称に作ったんや。昔の技術でこんな事ができたんか。それに、なんで左右対称にしようと思ったんや。なんともミステリアスだ。この建築はウエスタンスタイルや。日本にはないな。

それから、近くのめし屋でカレーを食ったが、インドで食ったワースト2ぐらいのまずさ。俺は究極のカレー、これこそインドカレーというカレーを求め続け、カレーを食い続けてる。これからも食い続けるつもりだ。うまいカレーが食いてえ。このめし屋で俺はイグアナを見た。ヤモリはたいていのゲストハウスにはいるが、野生のイグアナを見たのは初めてだ。

やがて、ミネラルウォーターを買って、宿に帰って少し寝た。この宿には1人の日本人の兄ちゃんがいた。この青年はクアラルンプールからデリーに入って、デリーで腹をこわして、インド人にはぼられまくって、もういやになって日本に帰りたいみたいだ。まだまだ若い青年だ。色々アドバイスをしてあげた。

夜、近くのレストランに行った。まずまずのうまさだ。ここでインドビールも飲んだ。まあまあだ。ここになんか怪しそうなインド人の3人組がやってきた。そのうちの1人の嫁が日本人で神戸にいるらしく、もう1人は今デリーで日本語を勉強している。2人共、日本のことをすごく良く知っている。すごい情報量だ。でも、俺ははっきり言ってやった。

「俺はインド人は嫌いや。だから、俺はお前らも嫌いや。あっちに行ってくれ。」

こういう風にインド人っていうだけで、変な偏見を持って人を判断するのは良くないことはわかっている。しかし、こいつらの空気もどうも俺には合わん。でも、おもろい奴等や。彼らは日本人は大好きだと言っている。しかし、目当ては日本人の女だ。女の身体目当てだ。ネパールでもそうやったが、インドでも日本人の女性に対する印象はすごくいい。俺らにとっては逆だ。彼らは日本人の女をつかまえて、最終的には金だ。この2人も自分たちが引っかけた日本の女の話を自慢げに話す。やっぱり、こいつらも好きになれん。俺は日本人の女性に忠告したい。もっと自分の立場を考えろ。お前らのおかげで日本の印象が悪い。欧米人にもそう言われた。おいしい話には裏がある。どこでもそうだ。

それから、宿に帰った。おびただしい蚊の数だ。アグラはしょっちゅう停電で、夜は寝られんらしい。今晩は眠れるだろうか。

 

531日(44日目、アグラ)

「やっぱりインド人はむかつく」

昨日の夜は最悪だ。この旅始まって以来の最悪な夜だ。深夜停電し、宿の人間は自家発電があるから問題なしと言っていたが、その肝心の発電機が動いてへんやんけ。ファンが止まると部屋は蚊だらけ。眠れんどころじゃなく、蚊に刺されまくり。懐中電灯で部屋の中を照らすと、おびただしい数の蚊。ぼけ、インド人。それと、俺らは寝る前にあまりにも無防備にこの宿のレストランにペプシーが置いてあったので、ぱくって飲んだ。軽いもんだ。明日も飲もう。しかし、ほんまにこの夜は最悪。少しして復活したが、明け方にまた停電。昨日も今日も停電ばかりで、ほんまアグラはむかつく。我慢できなくて、朝5時ぐらいに蚊取り線香をつけるといっぱつだ。やっぱり、日本の蚊取り線香は世界一だ。ちなみに、虫よけスプレーはあまり効果なし。

昼過ぎぐらいに起きて、今日はアグラ城へ行くつもりやったが、大畑君はその前に駅の近くのバザールに行きたいみたいだ。大畑君は宿の人間にそのバザールに行きたいと言ったらしく、そしたらそいつが俺らのところにやって来た。俺はインド人が大嫌いなのでなんか嫌な予感がしたが、案の定的中した。5ルピーという安い値段で、宿の男はこいつのお得意のバザールに俺らを連れていった。正直、俺はアグラではバザールに興味はない。大畑君が行きたいというバザールは工場だけで物は売っていなく、こいつが薦めるバザールの方がいいと。俺は大畑君を恨んだ。インド人の思惑にはまってしまったのだ。大畑君は決断力に欠けているところが少しあって、買い物をする時も女の買い物みたいな時がある。正直言って、俺と別れた後の大畑君が少し心配だ。特に、ネパール人との時もそうだったが、インド人との商談もあまりうまくないような気がしてかなり時間がかかる。こうやって一緒に旅をしてきた仲間を悪く思ってしまう俺自身に対しても腹立つし、このインド人の思う壷にはまった俺自身にも憤りを感じる。ああ、とにかくむかつく。なんとかならんか。

とにかく、俺はいやいやこのインド人の言っているバザールに連れて来られて、予想通り宝石屋の前で降ろされた。どうやら、俺らをこの店に連れて来るだけで、金がもらえるらしい。大畑君は俺にすぐに帰ってくると言って、中に入って行った。俺はいらいらしてて、この店の外で1人でアグラ城に行くと大人気なくだだをこねていた。そうすると、このインド人は、

「お前も中に入れ。」

と言ってきた。俺は、

「バザールに興味はない。」

と言うと、

「頼むから入ってくれ。」

と。どうやら、2人共中に入れないと金がもらえないらしい。これはこいつに勝つチャンスだ。俺は断固として中に入らない。そのうちに、大畑君がでてきた。結局、このインド人は金がもらえなくなった。そうすると、このインド人はいらいらしてきた。やがて、こいつは大畑君に、

「お前、俺の友達やろ。俺のタバコがなくなったんや。お前のをよこせ。」

都合のいい時に友達という言葉を使うインド人。しめしめ、もっと怒れ。お前らの思い通りいくと思ったら大間違いやぞ。それに、日本人全てを騙せると思ったら大間違いや。お前ら中心に世界は動いてへんのじゃ。地道に働け、ドあほ。お前の負けや。よし、インド人に勝利。

それから、このインド人とここで別れ、歩いてアグラ城に行く途中で、また他のリクシャーワーラーが声をかけてきて、2人で5ルピーやと。まあええか。このおやじは俺らにしゃべりまくる。俺は自分の身分を韓国の警察官と偽る。

「もしお前が俺になんか悪いことをしてみろ。お前を殺すか、ブタ箱にぶち込むぞ。」おやじはびびる。俺はほんまにインド人は好きになれん。物売りは必ず身体に触ってくる。俺はいつも殴りかかるか、思いっきりにらみ返す。あいつらはびびってもう寄ってこない。それか目の前で、

「うるさい。」

と日本語で怒鳴る。あいつらは言葉の意味がわからんやろうが、それでどっかに行く。だいたいかわし方は覚えた。

やがて、アグラ城に着いて、その前でインドバナナを食った。12ルピーだ。まあまあうまい。それから、城に入る橋の上でアメリカのねえちゃん2人とイギリスのねえちゃん2人に再会した。やっぱり仲間だ。俺に笑顔が戻る。アメリカのねえちゃんたちは俺らと一緒で明日デリーに行くらしく、イギリスのねえちゃんたちはジャイプールに行くみたいだ。アメリカのねえちゃんたちとは、一緒にデリーのマクドに行こうという話をした。しかし、2人共かなり太っている。俺は思った。頼むからマクドではハンバーガーは食わんといてくれ。

アグラ城はすごく立派な建物だ。さすがはムガール帝国って感じだ。しかし、中の至る所でしょんべん臭い。もっとしっかり管理しろ、インド人。お前らの遺産やろ。壁も落書きだらけやないか。しかし、ここからのタージマハールはきれいに見える。good viewだ。

それから、宿の横のレストランに行った。ここのおやじは俺が好きな数少ないインド人の1人だ。昨日おやじは、

「この店のチキンやマトンは輸送してくるのが大変であまりおいしくないよ。」

と自ら言ってくれた。ガキもよう働く。今日は金持ちインド人一家と会計のことで喧嘩をしてた。俺はほんまにこのおやじが好きだ。ここでめしを食った後、宿に泊まっていた日本人の青年がバナラシへ旅立った。もう日本に帰りたいらしい。大丈夫か?

その後、夕暮れのタージマハールを見ながら散歩して、またおやじのレストランに向かった。料理を待っている間、俺はインドのニュースを見ていたが、アナウンサーの女の人はものすごいぶさいくだ。これはあかんやろ。さすがインドや。なんでもありや。このレストランの料理はなかなかうまい。それやのに客は少ない。めしの後に俺はおやじに、

「明日デリーに行くから今日でお別れや。」

と伝えた。そしたら、おやじは寂しそうに俺らと握手をして、俺らを見送ってくれた。ほんまにいいおやじだ。さあ、明日はデリーだ。今日も停電で寝られんやろう。またペプシーをぱくるか。

61日(45日目、アグラ〜デリー)

「ゴータマさんとの出会い 〜なんでそんなに東京詳しいねん〜」

昨夜は変なお祭りがあって、みんななかなか寝ない。だから、ペプシーもぱくれずじまいだ。途中、俺はペプシーをぱくりに行こうとレストランまで行くと、ここの従業員だろうか、俺に声をかけてきた。俺は一瞬やばいと思った。そしたらこの男は、

「なんか困ってんのか。」

と言って、俺の手を掴んで、俺の背中をさすってきた。やばい、ホモや。

ホモ、「なんか困ってんのか。なんやったら俺の部屋に来えへんか。色々話を聞いてあげるで。」

俺、「おい、今が困ってんねん。」

ホモ、「おお、ソーリー。」

なかなか素直なホモや。俺がこう言うとがっかりして自分の部屋に戻りやがった。

この夜も停電やったがすぐに復活し、知らん間に眠ってしまった。朝5時半に起きてこの宿を出て、リクシャーワーラーをつかまえて、駅まで4ルピーでいいと言ってきたので乗ると、途中で20ルピーと言ってきやがった。朝から気分が悪い。こういう騙し方はルール違反だ。4ルピーでいいと言った時点で交渉成立だ。交渉成立までは騙してもいい。まあ、騙される方が悪いとも言える。しかし、お互いで交渉して納得した結果を、てめえの都合で一方的に変えるそんな無責任な態度は俺は許さん。こういうのは一番むかつくし、俺はこういう態度を取る人間を、物心ついた時から生理的に受け付けへん。俺はそのリクシャーを降りて、

「殺したろか。」

と言って、リクシャーを蹴飛ばしてやった。ほんまに気分が悪い。おい、インド人。壊れたリクシャーでは帰れんやろ。反省して歩いて帰れ、ドあほ。

それから、アグラフォート駅まで歩いていくと、なんとデリー行きはアグラカント駅かららしい。そこで、今度はオートリクシャーをつかまえて、15ルピーにまけさせ、駅に着く前に先に金を払って、駅に着くと運転手は、

「まだ金をもらっていない。」

と言ってきやがった。どこまでむかつくねん、インド人。人間のクズとはお前らのことや。だから言ってるやろ、そういうのはルール違反で道徳に反するって。俺はマジで切れて、こいつに殴りかかろうとした時、大畑君が先に切れて怒りまくってた。実は、これが助かったかもしらん。大畑君が怒ってくれたことで俺は少し冷静になれた。もし、俺が切れていたらこの日記を書いてる今、ブタ箱に入っていたかもしらん。

その後、駅で切符を買っていると、アメリカのねえちゃん2人がやって来た。

「友よ、その昔俺たちは汗をかいた」

長渕の気分だ。俺の気持ちも少し落ちついた。ほんまにこの2人はガチャピンとムックにそっくりだ。この2人の切符も買ってあげて、いざ列車に乗り込むとさすが2等だ。人だらけで網棚にも人が乗っている。それに、椅子も堅い木だ。俺が通路に立っていると、1人のおっちゃんがなんと次の駅で降りるからと言って、俺に席を譲ってくれた。俺はおっちゃんが降りるまで何度も何度もお礼を言うと、おっちゃんはその度に笑っていた。インド人の中にはいい人もいる。俺は少し気分が良くなった。

やがて、席に座るのもつかの間、今度は1人のおばあちゃんがちびっ子を抱いて入ってきた。おばあちゃんはちびっ子を抱えて大変そうだ。しかし、周りは知らんぷり。誰も席を譲ってあげへん。1人のババアは席で横になって寝てて、起きようとせん。おいババア。お前が起きたらこのおばあちゃんが座れるやろ。俺はこのおばあちゃんとちびっ子に席を譲ってあげた。なんでインドでも、と自分でも思った。周りは相変わらず知らん顔。しかし、やっぱり神様は俺の味方だ。すぐに運よく席が空いた。ガンガーで24年間の悪事をおはらいしてよかった。

スノウリからバナラシへの移動中、ちなみにに国境近くでは果樹園が広がっていたが、バナラシ、アグラ間、アグラ、デリー間とも田園が広がっている。まだ田植えは始まっていない。やっぱり、ポツポツとある木は日陰用みたいだ。みんな木陰で寝そべっている。スノウリの方とこの辺りではそれほど気候も変わらんのに、植生がこんなに違うのはおもしろい。土壌も見た感じでは同じように見えたが。

それにしても、線路沿い、線路内では地元の人間がのぐそをしまくっている。それに、駅に着くと、チャイ、バナナ、サモサ、ヤシなどを売りに来る人がどっと車内に入ってきて、みんな食った後のカスを線路に投げる。だから、インドの線路沿いはどこも汚い。俺らは自分たちが食ったバナナのカスを椅子の下においといて、駅に着いてから捨てようとすると、横のおっちゃんは窓から捨てろと。意識改革が必要だ。

俺の席の前には金持ちインド人親子が座っている。このガキはいかにもボンボンそうで、おかんに靴の紐を結んでもらったり、おとんは駅に着く度にガキにお菓子を買ってあげる。おかんはせっかく靴紐を結んであげたのに、蝶々結びが縦結びになって格好悪い。俺は教えてやろかなと思った。この両親とも金ぴか時計をしている。それに、このガキはこんなに混んでる席やのに横になって寝とる。おい、ガキ。隣の人に靴があたってるやろ。おかん、注意せんかい。しばらくして、そのおかんの横に1人のおっさんが座ると、おかんとおとんが場所を代わる。やっぱり、ヒンドゥーの世界では旦那以外の男がそばにおるのがいやみたいだ。

アグラを出て約4時間後、ニューデリーに着いた。いわゆるインドの東京だ。そこで、ガチャピンとムックと別れて、俺らは西口を出てメインバザールの方へ向かった。バナラシ、アグラ、ニューデリーとだんだん客引きも減ってきた。気分的にちょっとづつ楽になってきた。途中、日本人のカップルに会っていい宿を教えてもらい、2人で150ルピー、トイレ、シャワー付きだ。Ashoka Oceanというところでインドに来て以来一番豪華な宿で、なんとエアコンまで付いている。さすがニューデリーだ。ニューデリーでは少し贅沢な気分を味わおう。しかし、この宿には窓がないので換気が悪いのが欠点だ。

それから、このカップルにおいしい店を教えてもらい、一緒にめしを食いに行った。Golden Cafeというところで、日本人だらけ。俺はメニューを見てがっかりした。カレーがない。俺はインドでカレーを食い続け、とことん外している。せっかくやからカレーが食いたかった。今晩、このカップルはダライラマに会いにダラムシャラーに行くみたいだ。やっぱり暑い時は北だ。

「お互いいい旅を。」

と言って別れた。

その後、マーケットを見に行ったが、バナラシとはちゃう。トマトは艶がいいし、でかいナスがある。バレイショもうまそうだ。さすが首都だ。各地で取れたいい素材が集まってくるって感じだ。途中、ルンギを買うことにしたが、店員は売る気なしって感じの奴が多い。始めに言う値段から下げようとしない。こっちもなんか寂しい気がする。

「この値段が嫌なら他に行ってくれ。」

どこもこう言ってきた。バナラシとは違う。さすが都会だ。だんだん精神的に楽になってきた。バナラシが異常やった。普通ツーリストはデリーからバナラシと行く人が多いみたいだ。俺らは逆のルートだ。それに、2人共海外旅行は初めてで、当然インドも初めてだ。そりゃしんどいかも。俺はバナラシの宿で一緒やった日本人がつけていたインドネシアチックのルンギが欲しかった。バナラシではそういうルンギはなかったが、さすがデリーだ。俺は1つ買ってしまった。ルンギはほんまに楽だ。特に、風呂上がりにはもってこいだ。

ルンギを買ってから、うまいラッシー屋でラッシーを飲んで、コンノートプレイスに向かった。おお、ここがインドの丸の内、大手町ってとこか。いや銀座も入っているな。ここでぶらぶらしながらふと気づくと、ほとんどの店が閉まっている。そうか、今日は日曜日だ。それに、もう6月や。日本では梅雨か。

それから、Wimpyというハンバーガー屋の中をふと覗くと、ガチャピンとムックがいるでは。彼女たちはエアーチケットを買って、今晩デリーを離れるみたいだ。残念ながら、マクドには行けなかったみたいだ。どうやら、マクドは都心部からかなり離れたところにあるらしい。でも、ここでハンバーガーを食っていた。ますます太るぞ。今、Wimpyではfree drinkで飲み放題で、始めに買ったコップを持って自分で入れに行く。俺らは彼女たちのコップを借りて、飲みまくり。ほんまは14ルピーいる。儲けた。この2人に感謝だ。

ガチャピンとムックはこの後カルカッタに行って、うまいこと行けば俺がバングラに行く日に空港で会えるかもという話をした。俺はほんまはバングラに入るのも国境越えをしたいのだが、日程上バングラには飛行機で行って2日ぐらいしかおれない。正直今となれば、もうバングラはいいかという気持ちだが、ユーヌスさん(東大のラボの卒業生)が待っているし、それに粟津原さん(東大のラボの先輩)から預かってきた写真を届けなければ。ガチャピンとムックに、

「会えればカルカッタの空港で。」

と言って別れた。

俺はここでこれこそインドのプレイボーイという青年にあった。ロングヘアーでインド版木村拓哉だ。なかなか好青年だ。この青年だけでなく、ニューデリーの青年はすごいおしゃれで、なんと女の子の中にはサリーを着ていない子もいる。俺はびっくりだ。ちなみに、ボンベイもそうらしい。この辺の人間は俺らを騙したりせず、すごく気軽に話せる。なんかニューデリーはええ。このプレイボーイとその友達に、一緒にめしを食おうと誘われて、あとで行くからと言って2階で待っててもらったのだが、あるインド人2人が俺らに声をかけてきた。

「日本人ですか。」

と言ってきたので、またむかつく野郎かと思ったが、すげぇええ人で俺らはすぐに仲良くなった。おかげでプレイボーイは、

「なんでけえへんねん。」

と言って怒ってた。すまん、プレイボーイ。この2人組は1人はゴータマさんで、もう1人はゴータマさんのいとこ。2人共日本にいたことがあって、ゴータマさんは現在29歳で、嫁が日本人で、高知で高校の先生をしているらしく、今月末には日本に行くみたいだ。いとこはこの近くに実家があって、今ベルギー留学中らしい。ゴータマさんはカジュラホでみやげ物屋を経営してて、日本のヴィザを取るためにデリーに来たみたいだ。この2人はほんと日本が好きみたいで、日本人と話せてすごい喜んでくれた。ゴータマさんもいとこも、ほんまにおもろいスケベおやじだ。インドでこんなにいい人がいるなんて。この2人はインド人がツーリストを騙しまくるので、インド人の印象がすごく悪いことに対して憤りを感じていて、おかげでこの2人も悪く思われるらしい。しかし、ほんまにええ人や。

それから、2時間ぐらい色んな話をした。なんで山手線の駅全部言えるねん。俺と新宿から東京まで言い合いをしたが負けてしまった。なんでPuffyの唄歌えんねん。俺が歌えへんのに。なんでそんなに東京詳しいねん。すげぇ楽しかった。インドに来てこんなに笑ったんは初めてや。ゴータマさんはおもむろに、

「カルカッタ、高かった。だから痛かった。」

とボケをかました。ゴータマさんなりに考えたボケなんやろう。

「ゴータマさん、悪いけどそのボケはあんまりおもんないわ。あんまりボケが浮かばん時は無理せんとこ。」

ゴータマさんはほんまに頭が切れる人で、賢い人だ。話しててわかる。ゴータマさんは日本人ツーリストをターゲットに、あるビジネスをカジュラホで始めようと考えるみたいで、俺は少しアドバイスをしてやった。色々参考になったみたいだ。

途中で公園に場所を移したが、その時も俺らを見てあるインド人のおっちゃんが近寄ってきたが、ゴータマさんは無視しろ、構うなと言ってくれ、

「ああいう奴がおるから俺らのイメージが悪いんや。」

と嘆いてた。実は、ゴータマさんは最近日本のテレビドラマ、大沢たかお主演「深夜特急」に現地の人として出演したらしい。その時のエピソードなんかも話してくれた。その後、ゴータマさんのいとこの電話番号を教えてもらって、また会うことにした。

ゴータマさんたちと別れてメインバザールに戻って、さあ晩飯。またカレーは外した。もう知らん。うまいカレーが食いたい。

今晩、卓司さん(北大のラボの先輩で、現在インドのICRISAT に勤務)と連絡が取れた。むっちゃ運よく昨日オランダから帰ってきてデリーにいたらしく、今日ハイデラバードに帰ってきたみたいだ。相変わらず元気そうだ。会うのが楽しみだ。

62日(46日目、デリー)

「インドのマクド 〜100% マトン〜」

今日はバングラ大使館でヴィザを取る日だ。朝、オートリクシャーを探そうとするが通勤ラッシュだ。なかなかつかまらず、コンノートプレイスに行く途中で探すことにした。バングラの大使館はここからかなり遠い。東大から品川ぐらいか、いやもっとか。北綾瀬から東大ぐらいか。だから、高い金を要求してくる。メーターを使うと今年から75%増しになったみたいで、メーターの1.75倍の料金を払わなければならない。それに、ほとんどの運転手はバングラの大使館の場所を知らん。そのうちに1人の運転手をつかまえて、40ルピーでOKやと。いざ出発だ。

さすがインドの丸の内、大手町だ。いわゆるオフィス街だ。道路は車で渋滞やし、かなりの人が出勤している。しかし、ネクタイ姿のビジネスマンは見かけない。ターバンを巻いているおやじはかなりいる。俺はインドと言えば、カレーとターバンを思い浮かべていたが、実際にターバンを巻いているシック教徒は人口の2%しかいないのには驚いた。

この辺りは高級ホテルも並ぶ。このニューデリーの町並みは日本ではどこやろ。札幌ともちゃう。東京の日比谷に似てるといえば似てるし、名古屋の大通りにも似てる。どことなくバンコクに似ているような気もする。なんしか広場がいっぱいあってきれいだ。それに、思った以上に都会だ。

インド門を越えた辺りから、運転手がそわそわし始めた。なんと大使館の場所を知らん。色んな人に聞き始め、時々1分待ってくれと言って降りる。あほか。知らんかったら客を乗せるな。俺は正直40ルピーでは安すぎるなと思っていた。ニューデリーの中心部には大使館ばかりが集まっているところがあるのだが、バングラの大使館は全然違うところにある。実は、俺も昨日ガチャピンに地図を見せてもらうまで知らんかった。

大使館の場所を知った運転手は、

60ルピーにしてくれ。」

とお願いしてきた。こういう交渉はルール違反だ。しかし、こいつはものすごい申し訳そうにしてて、気が弱そうやったので、

「よし、50ルピーにしてやる。」

と言って肩を叩いてやると、OKと言ってきた。ほんまに遠い道のりだ。おかげでいい市内観光ができた。道路の立体交差を見たのはバンコク以来だ。至る所に看板もある。

40分ぐらいして、リングロードに出た。ここからは左に曲がってすぐだ。なおも運転手は人に聞きまくってやっと着いた。俺も思わず運転手と握手をした。

そして、大使館の中に入り、いざ申請しようとすると、1000ルピーかかると。なんでやねん。パキスタンはただやぞ。何人かに聞いてみたが日本人は1000ルピーかかるらしい。、そんなに持っていない。バングラに行くのはやめよう。しかし、ユーヌスさんが俺が来るのを楽しみにしていると思うと。そこで、近くの銀行を聞いて、TCを替えることにした。

State of India Bankが大使館のすぐそばにあって、中は人でいっぱいだ。俺は

「すいませんが、TCを使いたいんですが。」

と言うと、カウンターのおばちゃんは

「上に行ってくれ。」

と。それにしても、ほんまにインド人の英語はわからん。2階に上がって、外国為替のカウンターに行くと、

「このTC はここでは使えん。他に行ってくれ。」

なんでやねん。世界のAmexやで。もう1回下のカウンターのおばちゃんのところに行って、

「おばちゃん、あかんかったで。」

「そんなことはない。もう1回上に行っておいで。」

よし、俺は考えた。社長室に怒鳴り込みに行こう。俺は社長室に行き、

「すいません。なんでこの銀行ではこのTCが使えへんのん。下のおばちゃんは上に行けと言うし、上ではあかんて言うし。どないなってんねん。」

と言うと、社長直々に2階の外国為替のカウンターに行って、その係りの者に、

「おい、替えたってくれよ。わしも忙しいんや。頼むは。」

このようなことを言っていたようだ。やってみるものだ。しかし、今の俺は大阪のおばちゃんみたいや。

それにしても、インド人の英語はわからん。それに、この銀行の社員はだらだらしてる。もう11時を過ぎた。ヴィザの申請まであと1時間しかない。俺は急いで書類を一通り書いて、2番カウンターへ向かった。そこは、金を取りに来る人でいっぱいだ。みんな金持ちだらけ。ネパールでもそうやったが、インドの銀行のカウンターにも鉄格子がかけられている。そう考えると日本は安全だ。次々に札束を受け取るインド人。インドの札束はホッチキスで留める。だから、インドルピーは穴だらけ。やっと1145分ぐらいに俺の出番が来た。

それから、急いで大使館に戻り、受付のねえちゃんは、

「あら、銀行に行って来たの。ちゃんと替えてもらった。」

と言って笑顔で俺を迎えてくれ、それから、急いで申請書を書いた。申請書に父親の名前、国籍という欄があった。こんなん書いてどうすんねやろう。

やがて、1000ルピーだして俺はバングラの地図をくれと言うとただでくれた。ここの連中は結構いい奴ばかりだ。しかし、周りはインド人とバングラ人ばかりで、ツーリストは俺だけ。やっぱり、バングラに行くツーリストは少ないみたいだ。

その後、インドに来た目的の1つでもあるマクドに向かった。マクドはニューデリーには3ヶ所あって、あとボンベイ、マドラス、カルカッタにもあるらしい。俺はそのうちのグリーンパークのマクドに向かった。

マクドに着くと、ゴータマさんといとこ、大畑君と大畑君が日本大使館で出会った大阪の青年、中安君がすでに来てた。パキスタンのヴィザを取るためには、まず日本大使館の紹介状がいるみたいで、そこで大畑君は中安君と出会ったみたいだ。ゴータマさんに日本のヴィザを見せてもらったが、格好悪すぎる。これが日本のヴィザか。

早速、俺はマハラジャマックセットを頼んだ。85ルピーでコーラ、ポテト、ビッグマックだ。それに、フィレオフィッシュがおまけで付いてくる。おい、それやったらフィレオフィッシュは始めからいらんからもう少し負けんかい。でも、ラッキーだ。やっぱり、マクドはマニュアルだ。名札は印を付けていくやつやし、なんとターバンを巻いた店員がいるのはさすがインドや。しかし、メニューにスマイルはなかった。

それにしても、客へのドリンクの向け方、ポテトの置き方はダメだ。俺はあとでビックマックを運んできてくれた新人のデリカという18歳のかわいい女の子に注意してあげた。デリカはびっくりして、

「なんでそんなこと知ってるの。」

と尋ねてきたので、

「実は俺、東京でマクド経営してんねん。」

と言うと、びっくりしてた。おいおい、真にうけんな。マクドを経営してる奴がこんな格好で旅してるわけないやろ。デリカはこの近くに住んでいる学生で、物理学を専攻してて、ここはバイトらしい。俺はインド人でバイトをしている人に初めて会った。この辺りの南ニューデリーは高級住宅街らしく、成城、田園調布って感じだ。だから、バイトもあるのかもしらんな。店も結構ある。

さあ、ついにハンバーガーを食う時が来た。おお、ビックマックの包み紙には100% Mattonと書いてあるでは。これが夢にまで見たマトンバーガーか。さすがに、肉の色がビーフよりも白っぽい。では、いただきます。がぶりとかぶりつくとやっぱりマトンだ。ちょっとくさいな。安い肉やろ。俺は北海道のジンギスカンをマクドの店員に食わせてやりたいと思った。ポテトもいまいちだ。もっと塩をふらんかい。その後、シェイクのバニラも買ったがまずい。やっぱり、味はいまいちだ。フィレオフィッシュもあかん。しかし、満足だ。俺の念願の夢が叶った。

ゴータマさんたちも元気もりもりだ。ゴータマさんは日本のヴィザが取れたので、明日カジュラホに帰るみたいだ。いとこも2週間後にベルギーに戻るらしい。中安君は現在大学を休学中で、もう1年間旅をしている。今度はパキスタン、イラン、トルコに行くらしい。なかなかアグレッシブな青年で、

「俺は言っときますけど、猿岩石より先に日本を出ましたからね。あいつらの真似ではないですが、必ずユーラシア大陸を一周します。」

とがんばっている。是非、がんばってくれ。

それから1時間半ぐらいして、ゴータマさんたちは帰った。ゴータマさんとは日本で会えたら会おうという話をした。

その後、3人でコーヒーを飲みながら少しいた。コーヒーを飲むのはカトマンズの藤本家以来では。しかし、コーヒーに始めからミルクが入っている。これはあかんぞ、マクド。ブラックで飲みたい人もおるんやぞ。ついでやから日本のマクドにも注意しとく。始めからアイスコーヒーに砂糖を入れな。甘過ぎるぞ。

それから、俺はバングラの大使館へ向かった。今日中にヴィザがもらえる。ラッキーだ。大畑君と中安君とはあとでWimpyで待ち合わせることにした。大使館へ向かう途中で雨が降ってきた。しまった。大使館に着くと、急いでパスポートを取ってコンノートプレイスへ向かった。また、このオートリクシャーの運転手が英語があかん。それに、遅いし、途中で俺が乗ってるのにしょんべんしよる。交通事故があった途中の交差点では、野次馬になって、車から降りてその現場できょろきょろしてる。それにしても、さっきまで雨が降っていたので、デリーの町中は水浸しだ。俺は下水設備の必要性を感じた。

やっとのことでWimpyに着き、2人を待っている間店内では、ある1人の金髪ねえちゃにインド人の男がナンパしてた。店の中の人は一斉にそのテーブルを注目してる。しかし結果的に、あとで来た黒人の男にそのねえちゃんを持って行かれた。ほんま都会っ子インド人の男はなよーとしている。しゃきっとせんかい。みんなトイレの鏡で髪の毛を整えている。それに、みんなポケットにくしを持っている。都会っ子女の子はサリーを着ていない子も多い。

しばらくして、1人のインド人が俺に近づいてきた。なんかどっか案内するから俺に付き合えとか言っている。やばい、またホモや。俺は、

「おい、俺は韓国の警察官や。韓国では空手をやっている。」

と言うと、この男は俺の手を握って、

「おお、グッド。」

と言ってきた。訳わからん。

「おい、怪我したくなかったら、とっとと向こうへ行かんかい。」

と言うと、さっさと行きやがった。警察官はインドでは有効や。同じような奴がもう1人来て、

「俺はシンガポールで柔道やってんねん。もうすぐ俺の友達で空手やってる奴が2人ここに来る。ちょっと今度の大会のことで打ち合わせをするんや。今のうちに向こうへ行け。」

と言うと、逃げて行きやがった。あほか。それにしても、俺はホモに好かれる顔をしているのか。この前のホモといい、目をキラキラ輝かせんといてくれ。数年前にも新宿の歌舞伎町でホモに誘われた。インドのみならずホモの皆さん、俺には近づくな。興味ないねん。

それから2人がやって来て、俺のコーラのカップで3人で今日も飲み放題。たぶんいつかWimpyはつぶれるな。この2人が来たのは夕方6時頃。それから、夜10時頃まで話してた。3人共全く違う人種で、そういう人同士の話はおもしろい。お互いの話が自分の知らない分野なので、お互いを尊敬できる。ついつい時が経つのを忘れてしまう。俺みたいな人種は、保守的な東大の連中からは、次々と色んな風を吹き込んでくるので、内心余りよく思われていなかったかもしらんが、旅先で会う連中はすごくよく思ってくれる。俺という人間は彼らにとってすごく珍しい人種みたいで、すごいなと言ってくれる。俺は当たり前のことを当たり前にしているだけなので、ほめられるとなんかむずがゆい。俺が今までしてきたこと、今考えていること、これからしようとしていること。全て彼らには新鮮みたいだ。特に、農業問題、環境問題、庶民の生活レベルの観点でこの旅で感じたことを言ってあげると、すごく彼らは喜ぶ。そういう見方で旅をしてる若者はあまりいないらしい。ほんま中安君なんかはまだ社会を知らんから怖いものなし。いい時だ。

「かわいい子には旅させろ。」

まさしく中安君に当てはまる。色んな経験を積んで欲しい。

大畑君は俺と出会って東大に対するイメージが変わったみたいだ。それに、わざわざ俺と旅を一緒にしたのは、俺からなにか自分にないものを盗みたかったみたいだ。そういうふうに言ってくれると、なんか照れくさい反面やっぱり嬉しい。こんな俺でよかったらどんどん色んなことを吸収して下さい。

ほんまに東大の連中にも一度でいいからこういう一人旅を薦めたい。将来、日本の官僚になっていかれる人々ばかりだ。頭でっかちはあかんぞ。たぶん彼らは行動に起こさんやろ。彼らの世界はほんまに視野の狭い世界。就職がどうとか、世間体がどうとか。そんな柵に縛られてびくびくしている連中が、夢を追い続けてがんばって生きている若者を軽蔑し、これからの日本を運営していくと考えると腹が立つ。旅先で会う連中の方がよっぽど大人で、人間ができている。それに、人間の器がでかい。日本も学歴をなくして、ほんまに能力あるものだけを採用するシステムにしたら、政治、経済、外交、その他色んな面が改善されるんちゃうか。そういう発想ができる人事がいてもいい。人を見る目がない人事が採用した社員が汚職を起こして会社に迷惑をかけたり、社員を採用する立場の会社の重役クラスがスキャンダルで騒がれている。いったいどうなってるんや。ほんま今の日本の大学生はあほな奴が多い。こいつらが世間でちやほやされてるんやで。むしょうにむかつく。おい、大企業の人事の人に一言言っとく。採用の際、大学時代の成績を参考にしてるんやったらやめとけ。大体の奴がカンペ使って試験を受けてるから、成績で判断しても意味ないぞ。それに、マニュアル通りの質問して判断しても無駄やぞ。そういうマニュアルの攻略法みたいな本があるんや。お前らもっと人間を見て判断しろ。

それから、近くのレストランでめしを食って、雨の中帰った。マクド、Wimpyとずっとエアコンの中にいたので少し風邪っぽい。大丈夫か。

63日(47日目、デリー)

「陶芸ねえちゃんとの再会 〜さすが中国4000年の薬〜」

昨夜、眠っていると急に寒気がした。うあー、またか。朝3時ぐらいか。とりあえず、シュラフにくるまった。しかし、今朝起きてみるとそれほどしんどくないが、少し熱っぽい。とりあえず、抗生物質を飲んだ。

今朝、フロントの人から聞いたのだが、昨日の夜10時頃になんとゴータマさんが来たらしい。俺らはめしを食いに行っていてここにはいなかった。悪いことをした。それと、昨日の晩ちょっとショックなことがあった。俺はいつものようにトイレでうんこをしていて、何気なくふと下を見ると、なんと俺のうんこに混ざってミミズがいるでは。ええー、このミミズは俺の腹からでてきたんか、単に便所の中からでてきたんか。まさか寄生虫では。俺は真剣に悩んだ。もし寄生虫が発覚したら礼文に行けなくなる。これは大将に申し訳ない。俺はしばらくうんこ座りで考えた。よし、もうちょっとこのまま待とう。ひょっとしたらまたミミズが出てくるかもしらん。そうすると、心持ちさっきとは形が違うようなミミズがまた出てきた。たぶんこれは便所の下水から来た奴や。俺はそう自分に言い聞かせて結論を出した。あとは神に祈るだけや。

今日は大畑君はパキスタン大使館にヴィザを取りに行く日だ。俺は午前中1人行動だ。久しぶりだ。大畑君と一緒に旅してもう1ヶ月になる。それからというもの行動はいつも一緒が多かった。2人でいると宿代、リクシャー、水などシェアーできるので便利と言えば便利だ。しかし、お互いを気遣わなければならない。その点1人は楽だ。漫才コンビが、プライベートではいつも行動が別なのがわかるような気がする。

早速、行動開始だ。なんか心持ち気が楽だ。まず、ニューデリー駅に向かってジャイプール行きのチケットを取ろうとしたが、ツーリストインフォメーションは人だらけ。あきらめてコンノートプレイスに向かって、Time Tableを探した。しかし、店はまだ開いてない。朝10時からだ。しゃあないからインド観光局に行って、ビーマンのオフィスを聞いた。エアーで行くならビーマンが安いと聞いていた。カルカッタ、ダッカ間、ダッカ、バンコク間のエアーチケットはデリーで取っとこ。

それから数分後、ビーマンのオフィスがあるビルに着いた。なんとヒルトンホテルの裏だ。でけー。やっぱり、世界のヒルトンだ。なんと係りの人が俺を案内してくれた。ヒルトンの敷地内にあるワールドトレードビルの3階がビーマンのオフィスだ。エスカレーターもある。そして、ビーマンのオフィスに行くと、俺の買おうとするエアーチケットはトータルで10920ルピーもする。高すぎる。それに、バンコクに戻る予定の621日のフライトはないらしい。どうしても、21日にはバンコクに帰らなあかん。もう22日の日本行きのエアーを予約したし、7月までに礼文に行かなあかん。それに、礼文に行く前に、東京で1週間ぐらい働いて少し金を貯めな。

それから、1階の旅行代理店に行くと、ビーマンとタイ航空で10920ルピーやと。タイ航空を使うと621日のフライトはあるらしい。うーん、もう少し安いチケットを買いたい。そこの受付のねえちゃんは、北大にいた時のインド人カップルの嫁にそっくりだ。俺は自分の目を疑った。このねえちゃんは俺を見るだけでずっと笑っている。なにがおもろいねん。俺は他の旅行代理店を当たってみることにした。

ヒルトンを離れてスーパーバザールを少し見て、コンノートの唯一の地下街ピリカバザールに向かった。入口でゲートをくぐってチェックを受けて入る。だから、汚い格好や乞食は入られない。地下街と言ってもかなり汚い。それに、埃っぽい。なんでこんなに埃っぽいかわかった。客がいるにも関わらず、店員は自分の店の前をほうきで掃いている。客に迷惑なんがわからんのか、あほ。教育せなあかん。店もたいしたことない。カメラ、ビデオ、服、宝石、ベルト。そんな店が何件も並んでいるだけ。しかし、バザール自体はでかい。俺は途中で3ルピーのパイナップルジュースを飲んだ。まずい。やめときゃよかった。

それから、インドの東京三菱銀行に向かった。エアーチケット代を用意せな。俺は成田空港の東京三菱銀行でTCを作ったので、替える時にチャージがいらんと思ってた。しかし、チャージがいる。そうなんや。俺のはAmexなんや。いくら東京三菱で作ってもあかんねや。しかし、さすが日本の銀行や。カウンターに鉄格子はないし、コンピューターの数も多い。でも、従業員に日本人はいなくインド人ばかりだ。

その後、俺はAmexビルに向かった。ビルに入ろうとすると、

「ここはダメ、角のビルに行ってくれ。」

と。さすが世界のAmexや。TCチェンジ用のビルを持っている。そのビルの周りにはインド人が目をきょろきょろさせている。俺がこのビルの周りでビルを探していると、

「そこじゃない、こっちや。」

とか言って近寄ってくるおやじがいた。俺は、

「じゃかましい。」

とはっきりした日本語でけちらした。そのビルに入るとツーリストだらけ。さすが世界のAmexや。俺は200USドルをルピーに替えてWimpyに向かった。

しばらくすると、大畑君と中安君が来た。当然、今日もコーラ飲み放題。いつかは潰れるな。今日はここでビーンズバーガーを食ってみた。まずい。マクドといい、ここといい、インドのハンバーガーは最低だ。あれを食っているインド人に日本のハンバーガーを食わせてやりたい。

それから、大畑君とエアーチケットのことで相談した。大畑君はカルカッタアウト、バンコクトランジットの日本行きのデゥークエアーのチケットをすでに持っている。しかし、この後パキスタンに行って、その後もうインドに帰ってこないかもしらん。そうすると、このチケットを処分したい。そこで、このチケットを俺が買って、カルカッタアウト、ダッカトランジットのバンコク行きに変えられないかと考えた。早速、俺らはデゥークのオフィスを訪ねて、このチケットを俺名義に変えられないか確かめに行った。なんとデゥークのオフィスはJALのオフィス内にある。むっちゃちっこい。デゥークの受付のねえちゃんに尋ねると、名義変更は不可能で、もしどうしてもと言うならチケットを買った代理店に行ってくれと。おいおい、チケットを買ったんはバンコクのカオサンやで。ここからはブータンの本部のオフィスのコンピューターとはつながらんらしい。ここはJALのオフィス内なので、俺は日本人に頼もうと考えて日本語のできる人を呼んでくれと言うと、日本語のできるインド人のねえちゃんが来た。彼女にも頼んだがやっぱりだめだ。ここに日本人の副支店長がいるというので、その人を呼んでくれと言うと今忙しいと。やっぱりデゥークだ。使えん。俺はあきらめて他の代理店を探すことにした。

それから、メインバザールに戻って、中安君が泊まっているゲストハウスでなんと陶芸ねえちゃんこと青松さんに再会した。偶然だ。実は、俺は陶芸ねえちゃんにもう一度会いたかった。というのは、バナラシで薬をあげたねえちゃんの友達のその後が聞きたかった。その友達は薬を飲んだ後すっかりよくなったみたいだ。さすが五十嵐の中国4000年の薬だ。あの薬は本物だ。日本で売り出したら完売するやろう。陶芸ねえちゃんとは今晩一緒にめしを食うことにした。

このゲストハウスの1階に旅行代理店がある。この代理店でエアーチケットのことを聞くと、9070ルピーで取れると言う。ここのおやじに、

「ちゃんと調べたんか。」

って何度も聞くと、OKOKやと。どうも信用でけへん。とりあえず、

「めし食ったら帰ってくるから、詳しく調べろ。」

と言ってやった。

それから、俺ら3人と陶芸ねえちゃんとその友達2人とめしを食いに行った。今日こそはうまいカレーを食うぞ。しかし、また失敗。いつになったらうまいカレーが食えんねん。最近ずっとチャパティーとカレーだ。でも、俺はあきらめん。

陶芸ねえちゃんは結構陶芸にはまっているみたいだ。バナラシでも言ったのだが、俺がマグカップを作ってくれと言うと、どうやら作って大阪に送ってくれるらしい。実家は九州なので、送料は着払いでいいよって言ってあげた。なかなかおもしろいねえちゃんだ。たぶんO型や。

その後、代理店に寄ったが、やっぱりおやじはいない。しばいたろか。俺は仕方なく宿に戻って、隣のオフィスからゴータマさんに電話して昨日のことを謝った。ゴータマさんは寂しかったみたいで、というのはデリーにはあまり知り合いがいないみたいで、そこで俺らと知り合ってデリーを離れる前にもう一度俺らに会いたかったみたいだ。ゴータマさんは俺の電話をむちゃくちゃ喜んでくれた。なにより俺が電話をかけて、また俺と話せたことをすごく喜んでいた。俺は当たり前のことを当たり前にしただけだ。ただ、お礼と昨日のことを謝りたかっただけだ。しかし、普通インド人はこんな律儀なことをしないみたいで、すごく喜んでくれた。こんなに喜んでくれると俺も嬉しい。ゴータマさんとはこれからも連絡を取り合おうという話をして切った。

さあ、明日こそチケットを取って、ジャイプールに行くぞ。今日は疲れた。

64日(48日目、デリー)

「インド映画 〜なんで踊りが必要やねん〜」

 

昨日は知らん間に眠ってしまった。やっぱり、インドは疲れる。今日は11時ぐらいまで寝て、昨日の代理店に向かった。この代理店で1人の怪しいおやじと知り合いになった。インド人やのに日本語がぺらぺらだ。なんか結構日本に行っているみたいだ。このおやじがおもむろに俺に、

「俺にはNTTで勤めている日本人の女の子の知り合いがいてる。さて、どこで勤めているでしょう。」

と質問してきた。俺は不覚にも真剣に考えて、

「お茶の水。ちゃうの。新宿、渋谷、池袋。」

と答えると、このおやじは、

「日本中にいる。なぜならNTT DoCoMo。ドコモ、どこも、どこでも-----。」

俺は殴ったろかと思った。

「おい、そんなボケ大阪で言ってみろ。友達5人はなくすぞ。もっとおもろい話ないんか。」

と言ってやると、しょんぼりして、

「そんなに怒らんでもええやんか。ちょっとしたジョークやんか。」

と言って、肩をがっくり落として向こうへ行った。しかし、周りの日本人は笑っていた。なにがおもろいねん。おい、ちょっと日本語が話せるインド人に注意しとく。お前ら、ボケが浮ばん時は無理せんでええ。お前ら以上に大阪の人間はおもろいから。そういう時は大阪の人間に任せとけ。

それから、ここの代理店のおやじに会ったが、今日もOKしか言わん。

「おい、お前詳しく調べてから物言ってるんやろうな。」

と言うと、これから調べると。ええかげんにせえよ。しかし、正直言って、俺はこの値段にすごく引かれている。ヒルトンで聞いた値段より1000ルピーも安い。1000ルピーあると1週間は過ごせる。とにかく、こいつを信じよう。

それからおやじは、

「これから2時間ぐらいしたらチケットを取りに行くから、お前のパスポートを貸せ。」と言ってきた。それはいやや。とりあえず、コピーを渡した。ほんまいらいらする。

おやじがチケットを取りに行っている間、この代理店に置いてあったインド出版のガイドブックの日本の欄を見ると、野球は後楽園って書いてあるし、日本では48日ブッダが生まれた日で休みとか、日本の若者は待ち合わせに六本木のアマンドを使うとか書いてある。それも、1995年版だ。まあ、アマンドはわかるが、後楽園はあかんやろ。それに、ブッダも。さすがインドだ。

やがて、このおやじからこの代理店に電話があり、621日のフライトはなく、22日にしろと。だから、詳しく調べてから物言えって言ったやろ。できもせん事をできると言って人を騙すな。それも、ビーマンしか調べてへんやと。タイ航空も調べてこい、ドあほ。俺は怒った。

俺は怒りながらめしを食いに行き、またそのめしを食ったのがなにかの縁。それから、コンノートプレイスに行く途中でこのおやじに再会した。俺は、

「パスポートのコピーを返せと。」

言うと、

「ちょっと待ってくれ。とりあえず、親会社に来てくれ。」

と言うので、怒りながらついて行くと、やっぱりタイ航空は毎日ダッカ、バンコク間を運航している。ほらみてみろ。カルカッタ、ダッカ間がエアーインディアで、ダッカ、バンコク間がタイ航空ならすぐにチケットを用意できると。全部で10720ルピーだ。ヒルトンより200ルピー安い。やっぱり、タイ航空が入ると値段が上がるみたいだ。しゃあない。今回は時間がない。とりあえず、今日は頭金として500ルピー払った。

それから、大畑君と中安君とWimpy で待ち合わせた。2人共パキスタンのヴィザが取れたみたいだ。今日は大畑君とインド映画を見に行く日だ。午後3時半からの上映を見る予定だ。軽くコーラを飲みまくって、俺らは映画館へ急いだ。映画のタイトルは「ZIDDI」。インドNo.1の男優と女優の共演らしい。どっちが男か女かわからんけど、Ravina TandanSunny Dealという奴等らしい。席は前の方から2535ルピーで、2階席が50ルピーで、日本に比べるとかなり安い。何回もこの映画を見る人がいるぐらいこの映画はヒットしているみたいで、今週でもう8週目らしい。インドの映画は何周目に入っているかでヒットしている映画かどうかがわかる。今日もかなりの人がいる。入口はいっぱいだ。

さあ、ついに始まる。なんとアクション映画や。インドはガンジーの教え、非暴力主義があって、俺はこういう映画はないと思っていたがこんな映画ばかりみたいだ。大畑君曰く、インド映画は世界で最低らしい。大畑君は専門学校で映画を専攻していたので、作り手の目で映画を見てる。時々、俺に今のカメラワークはあかんとか、このシーンは張り合わせているとか教えてくれる。なるほど。作り手の視点で映画を見るとそうなるのか。なかなかおもろいな。男優はスタローンにも似てるし、ジャッキー・チェーンにも似てる。映画の内容は主人公の大親友が殺されて、なんとか犯人を捕まえたいと主人公に約束した警察官(この警察官と殺された男と主人公は親友同士)が実は親友を殺した犯人で、途中主人公がヒロインと結婚して、最終的にこの警察官を殺して親友の仇を討つというストーリーだ。ヒンドゥーの国なのにかなり人は殴るし、殺す。爆弾も使いまくって、車が2030mは飛ぶ。それに、うわさ通り途中で踊りが入る。訳わからん。ある時は映画のシーンで使われているストリートで、ある時はスイスの山のてっぺんで踊る。なんで踊りが必要やねん。これは若い俳優じゃないとあかんな。踊りもかなりしんどそうだ。それに、エキストラもかなり使っている。でも、やっぱりインドだけあって、色んな宗教の人間がでている。ヒンドゥーの人もシック教徒もいる。ヒロインは洋服も着るしサリーやパンジャビも着る。途中、結婚式のシーンでは、あれがインド流のしきたりなんやろう。それと、死んだ主人公の妹の灰はやっぱり川に流してた。映画を見るとインドの文化がわかるな。

途中、1時間半で休憩が入る。全部で3時間だ。かなり疲れる。客はスクリーンに向かって拍手をしたり、野次を飛ばしたりする。一度「パペポTV」で上岡龍太郎が言っていた日本の戦後の光景だ。映画はインド庶民の娯楽の中で重要なポジションだ。ましてやテレビの普及がいまいちなだけに、映画はすごい人気だ。

やがて、クライマックスシーンが始まると、客は興奮しだした。しかし、映画が終わってしまうと、余韻もなくすっと帰る。まあ、これがインドスタイルやろう。感想としては、インド映画はインド人のためだけでいいって感じだ。しかし、いい勉強になった。

映画館を出る時に、実はこの劇場でこの映画ともうしているこ1つ成人映画が上映とがわかった。大畑君とせっかくやからインド版エロ映画を見ていくという話をかした。上演は9時からだ。その前にめしを食うことにした。

それから、いつものうまいラッシー屋に寄って、宿に帰ってうんこしてめしを食いに行った。当然、カレーとチャパティー。また外した。俺が求めているインドカレーはいつ食えるのやら。

さあ、エロ映画でも見に行くか。せっかくやから中安君も誘った。3人でさっきの映画館に向かうと、なにー。さっきの映画がやってるやん。よーく掲示板を見たら、エロ映画は夜の9時ではなくて、朝の9時からやないか。あほ、インド人。朝からエロ映画なんかするな。ほんまインド人の感覚はわからん。俺らはあきらめて帰った。

65日(49日目、デリー)

「人生最大の危機」

今日の俺の仕事はAmexで金を替えてチケットを取るだけだ。しかし、朝からしんどい。どうもデリーに来てから体調がすぐれない。Amexで金を替えて、郵便局に手紙をだしに行って、代理店に向かった。カルカッタ、ダッカ間がビーマンの6181150分のフライトで、ダッカ、バンコク間がタイ航空の62114時のフライトだ。やはりタイ航空が入ってくると高くなるし、あとダッカ税というのも入ってくる。ユーヌスさんに会いに行くのは大変だ。まあ、これもユーヌスさんのためだ。苦労して取ったバングラのヴィザだけに、なんとかしてバングラにも行きたい。ここで、ジャイプール行きのバスチケットも取った。午前と午後のどちらにすると言われたが、午後にした。これが後々効いてくる。

それから、コンノートプレイスのエアインディアの裏側のAnanderというレストランに行った。ここは昨日大畑君が来たらしく、むっちゃカレーがうまかったらしい。俺がカレーに苦しんでいると聞いて、ここに連れてきてくれた。少し値段が高いが、うまいカレーを求め続けている俺としては食ってみる価値がある。早速、俺はエッグカレーを頼んで食ってみると、うまい。今まで食った中でタイのグリーンカレーに次いでうまい。確かにうまい。しかし、俺が求めている味じゃない。これがインドカレーと言えばそれまでだ。それよりも、体がしんどい。なんでやろ。

その後、Wimpyに行くと、なんとアメリカ国籍のインド人アパルナがレジで並んでいるでは。彼女とはスノウリからバナラシに行くバスで一緒やった。彼女は今日マナーリーからデリーに来て、日曜日にラダックに行くみたいだ。彼女もマクドに行きたかったみたいだが、かなり遠くにあることを知ってここに来たらしい。俺とアパルナは人目を気にせずレジの前で抱き合ってしまった。アパルナも感激してた。偶然とはこのことだ。少しアパルナと色んな話をして、彼女は疲れたと言ってホテルに帰った。アパルナとはこれからも連絡を取り合おうという話をした。

ついに、俺も限界だ。今日は大畑君と中安君が俺のために送別会をしてくれるみたいで、ビールを御馳走してくれる。なんとか彼らの気持ちに応えたいので、とりあえずそれまで宿に戻って寝ることにした。

7時頃、2人が俺を起こしに来てくれた。とりあえず、めしを食おうということになったが、俺はめしどころじゃない。また、俺が食った4ルピーのカレーはこの旅始まって以来の最悪のまずさ。俺はほとんど残した。その後、中安君の部屋で2人が買ってくれたビールを飲んだが、史上最大のまずさ。せっかく2人が用意してくれたんやから飲まなと思ったが、この体調では飲めん。少しして2人に謝って、無理言って宿に戻った。限界だ。やっぱり、人間限界になると人に構ってられん。人間って弱い生き物や。結局は自分がかわいいんやな。俺のために大畑君と中安君は無理にビールを買ってきてくれたのに。ヒンドゥーではアルコールはタブーやから、酒屋を探したんちゃうかな。2人の期待に応えられなくて申し訳ない。俺は今までの人生で初めての限界を感じた。精神的にも肉体的にもどん底だ。

宿に帰ると、ひどい下痢と吐き気と寒気だ。とりあえず、出すもん出して、吐くもん吐いて、薬を飲んで寝た。ジャイプール行きを夜にしてよかった。早朝やったら死んでた。

66日(50日目、デリー)

「大畑君、また会おう」

昨夜は起きてはトイレに行ったり、薬を飲んだりの繰り返しだった。かなり体がつらい。五十嵐の薬、中国4000も飲んで、俺が持ってるすべての薬を飲んだ。そのせいか熱っぽいのはなくなったが、まだすっきりしない。とりあえず、今日この宿をチェックアウトすることになっている。そして、大畑君とはお別れだ。彼とは約1ヶ月一緒に旅してきた。この1ヶ月ずっと行動を共にしてきたし、お互いの色んな話をした。彼はこの旅行のためにトラックドライバーをした男だ。すごくたくましい奴だ。彼はこれからパキスタン、イラン、トルコへ向かうらしい。別れるのはつらいがしゃあない。2人でいるといいことも多かったし、1人の方がいいなと思うこともあった。でも、やっぱり寂しい。それ以上に自分の体が心配だ。なんとか夕方までに直ってほしい。

俺は大畑君と、中安君の宿へ行って荷物を置いた。彼らは今日から一緒だ。2人でいると料金が安くなるのはグッドだ。それから、Golden Cafeでスープを飲んだ。今の俺の身体ではスープしか飲めん。

その後、やっぱり中安君の宿で寝ることにした。つらい。その前に陶芸ねえちゃんと再会し、マグカップを送ってくれると約束した。それから、1人のツーリストにチェーンをもらった。ラッキーだ。これからは自分の荷物は自分で管理しなければならない。とにかく、今は寝よう。

夕方、大畑君が帰ってきて、どうやらイランのヴィザがとれたみたいだ。なんとたった5日しかツーリストはイランにいることができなく、その上50USドルもする。そりゃ猿岩石があきらめたわけだ。また、もしイスラエルに入ったとすると、その周辺のイスラムの国へは入国できないみたいだ。これがパレスチナって感じだ。今となっては身近な問題だ。

その後、俺は大畑君と最後のめしを食いに行った。また俺はスープだけ。これだけでもつらい。食欲がない。でも、なんか食わんと。あかん、吐き気がする。やばい。大畑君とお別れまであと1時間。最後に一緒にデリーの町並みを中安君のホテルの屋上から見た。さすがニューデリーだ。コンノート周辺は新宿って感じだ。オールドデリーの方はインドって感じだ。空はよどんでいる。かなり空気が悪い。

やがて、中安君も帰ってきた。ついにお別れだ。中安君とは会ってまだ5日くらいだが、大畑君とは1ヶ月も一緒にいただけあって、彼も寂しそうだ。俺は2人とがっちり握手をした。大畑君とは目が合わせられない。目が合うと俺は泣いてしまいそうだ。俺は彼らがなによりも身体が無事で、日本に帰ってくることを祈るだけだ。大畑君、中安君、また会おう。

それから、1人のイスラエル人とオートリクシャーをシェアーしてオールドデリーに向かった。そこから、ジャイプール行きのバスが出るみたいだ。なによりも身体が心配だ。リクシャーがバス停に着いたとたん、俺は吐いた。吐いたというより指をのどに突っ込んだ。胃の中のものがすべて出た。これで少しすっきりした。たぶんジャイプールまでOKだ。とにかく、バスの中で寝よう。バスもまずまずだ。

67日(51日目、ジャイプール)

1日だけのジャイプール 〜Hawa Mahalは札幌時計台?〜」

昨夜は一度休憩し、早朝ジャイプールに着いた。なんで運転手は深夜やのに音楽をがんがんにかけるのやろ。客の迷惑がわからんのかい。ネパールのバスもそうやった。教育せなあかん。おかげで眠い。しかし、体調は少し良くなった。

まず、ゲストハウスを探さんと。しかし、駅前はあまりゲストハウスがなく、ほとんど高いホテルだ。そこで、「地球の歩き方」に載っているあるゲストハウスへ行けと、リクシャーの運転手に言った。運転手は5ルピーでええと。俺はおかしいと思った。しかし、俺が指示したゲストハウスは閉まってた。それもそうだ。まだ朝6時すぎだ。そしたらこの運転手は、俺はいいとこを知ってると言ってきた。なんぼやと聞いたら100ルピーやと。まあ、1泊だけやからええか。この運転手が推薦するゲストハウスへ向かった。

そのゲストハウスはShakuntalan Guest Houseだ。なんと高級住宅街の中にある。部屋もまずまずだ。まあ、ここにしよう。しかし、客は俺だけ。ジャイプールではあまりツーリストを見かけない。とにかく、寝たい。しかし、このリクシャーの運転手は、

「お前の観光に付き合ったる。それも、お前の好きな値段でええで。」

と言ってきた。それに、

「俺は日本人が好きや。日本の友達もたくさんいる。」

と言って、写真や手紙を見せてくる。こういう奴はうさんくさい。俺はとにかくほっといてくれと頼んだ。でも、今日は疲れてるせいか、軽く観光してとっとと宿に帰ろって気もあって、こいつと朝10時に部屋で待ち合わせることにした。ジャイプールは特別来たかったとこではない。正直言って、ついでだ。なんで来たんやとも思う。とにかく、朝10時まで寝ることにした。この部屋はツインなのに、ふと横を見ると誰もいない。いつもなら必ず大畑君がいた。やっぱり寂しい。特に、体調が悪くて、気が滅入ってるだけに寂しさもひとしおだ。

10時に運転手が来た。俺はまず駅へ行けと言った。ハイデラバード行きの列車の予約だ。しかし、予想通りジャイプールからハイデラバードへの直行便はない。ニューデリーかアグラに行かなあかん。なんと不便なところや。とりあえず、明日バスでアグラへ行くことにした。しかし、アグラでチケットがとれる保証はない。アグラからのチケットはアグラでしかとれない。これがインド流だ。まあ、あとは祈るだけだ。

それから、シティパレスへ向かった。さすがPink Cityだけある。町全体がピンク色だ。ラクダも歩いてる。しかし、ジャイプールの良くないところは、ほとんどの観光地がカメラ持ち込み料を取る。それも、50ルピーもだ。むかつく。俺はシティパレスもジャンタル・マンタルも見るのをやめた。元々観光が目的でないだけに、なんかこういうのはむかつく。

やがて俺は、

「ジャイプールで俺が一番見たかったHawa Mahalに行け。」

と言うと、

「午後3時半以降なら行ってやる。それまで俺の知り合いの工場へ行こう。」

と言ってきた。来た、来た。インド人お得意の「俺の知り合いの所に行こう」だ。

「いや今行け。俺はもう宿に帰りたいんや。体調が良くない。」

こんなことを言い合いした。どうやら、午後3時半ぐらいまでこの周辺は混んでいて、ここにリクシャーを止めとくと傷つけられるらしい。それがこいつはいやみたいだ。そんなん知らん。

「よし、OKや。俺は歩いて行く。」

と言うと、

Money.

と言ってきやがった。やっぱりそうか。自分の思い通りいかんかったら最後は金だ。俺は殴りかかったろと思ったが、そんな元気はない。それに、宿から宿に戻るまで50ルピーと言ってある。しかし、

「宿に戻る復路は俺自身で帰るから、30ルピーにせえ。」

と言うと、他のゲストハウス案内とか駅までの料金とか言ってきやがった。

「わかった。50ルピーやるけど、次にお前と会ったら殺してやる。二度と俺の前に面を出すな。」

と言うと、逃げて行きやがった。やっぱり、インド人はむかつく。

それから、Hawa Mahalに向かった。結構ちっこいな、町のシンボルなのに。札幌の時計台みたいだ。もうこれでジャイプールはええ。アンベール城も行きたかったが、身体が第一だ。それに、ハイデラで卓司さんも待ってる。俺はリクシャーで駅に戻って宿に帰った。

それから、シャワーを浴びて、洗濯して、少し寝た。だいぶ回復した。しかし、食欲がわかない。でも、食わんとあかんので近くのレストランでスープを飲んだ。今日はもう寝よう。ここの宿の人はみんなええ人だ。むかつくのは運転手だけ。やっぱり、ベッドで横になると寂しい。

68日(52日目、ジャイプール〜アグラ)

「再びアグラ 〜俺はアグラが嫌いや〜」

今日は朝5時に目が覚めた。体調も徐々に良くなりつつある。宿の人はまだみんな寝てて、ネパール人の従業員が門を開けてくれた。やっぱり、インド人にネパール人が使われている。ちなみに、彼はチベット系の顔をしている。

それから、俺は昨日チケットを買った代理店へ向かった。ここのおやじは確か俺が乗るアグラ行きのバスは2×2デラックスバスと言っていたので、ちょっとええんかなと思っていた。しばらくして、代理店のおやじが俺を見つけると、バイクで俺を違うとこへ連れて行った。なんか変な予感が----。的中した。おんぼろバスだ。それも、ツーリストは俺だけ。周りはみんなインド人。一斉に俺を見る。頼むから見るな。すごい視線だ。バスが動き始めると、当然人が徐々に乗り込んできて、あっという間に満員だ。俺の横には1人のインド人がまず座り、そいつの横にその友達が座る。おい、2人しか座られへんとこに割り込むな。これがインド流だ。体調が少し悪化。

窓の外には原野が広がる。この辺りはステップ気候だろう。潅木があちらこちらに生えている。しかし、圃場では作物はまだ植わっていない。この農道らしきところに、トラクターが至るところで走っていて、これはネパールとは違う。さすがインドだ。ネパールより金を持っている。そのトラクターを地元の人はタクシー代わりにも使う。時々、白っぽい土のようなものを運んでいるテーラーとすれ違う。あれは何か、肥料かもしくは灰か。しかし、窓からは熱風が吹き込む。今日も40は超えている。

6時間後、アグラに着いた。俺はアグラが嫌いだ。あまりいい思い出がない。それに、ここはほんと停電が多い。とりあえず、リクシャーでアグラカント駅に向かった。このリクシャーワーラーはなかなか律儀な奴で、自分のお母さんを途中まで乗せたいみたいで、俺にお母さんを同乗させてもいいか尋ねてきた。そんなもんかまへん。どうぞ、どうぞ。さあ、果してチケットがとれるか。

駅の予約カウンターは、今日は日曜日なので、午後2時には閉まる。俺は午後1時ぐらいに着いた。ぎりぎりだ。並んでいても人が割り込んでくる。ちょっとすき間をあけるとだめだ。なんとハイデラ行きの2nd sleeper2等寝台車)はWLwaiting rist263だ。俺は263人も待たんとあかん。どうやら、この時期はインドでは休暇のシーズンらしい。とにかく、南の方へ行きたい。この辺はもうええ。俺はこのチケットでOKした。しかし、これからどうなるのか。夜11時半に出て、2日後の早朝にハイデラバードに着く。それまで席なしだ。今の体力じゃ死んでしまう。それと、その時間までどうしよう。

とりあえず、卓司さんに電話しよう。卓司さんに電話して、それから俺は腹が減っているのに気づいた。体調の良くなってきた証拠だ。この3日ぐらいろくに物を食っていない。早速、近くのホテルのレストランに向かった。このホテルに行く前に、ヘビ使いのおやじとすれ違った。おお、これがキングコブラか。生で見るのは初めてだ。感動だ。しかし、やっぱり目つきは鋭い。

近くのホテルのレストランに着いたのはいいが、やっぱりあまり食えん。しかし、なにか腹に入れなければ。とりあえず、軽く食った。ここで俺は、ポカラでチベットのおばちゃんと物々交換したブレスレットがなくなってるのに気づいた。俺が苦労して手に入れたやつだ。ショックだ。

それから、あまりにも暑いので、列車が来るまで駅で待っとこと思い、駅に戻りTicket Office を訪ねると午後10時ぐらいに来てくれと。それまで、Waiting Roomにいることにした。ここで、俺は警察官のおっちゃんと友達になった。一見怖そうだ。しかし、ええおっちゃんや。おっちゃんは俺のことを気に入ったみたいで、常に話しかける。おい、仕事せんかい。警官やろ。

また、そのWaiting Roomで大阪人の男の子2人と会った。久しぶりにツーリストに会った。彼らはバナラシに行くみたいで、WL 168だ。彼らも待たなあかん。それに、この2人は全く英語がだめ。ほんまにわからんみたいで俺に、

maybeって何ですか。」

と聞いてくる。まあ、2人いるからなんとかなるやろ。彼らの列車は午後10時半発やのに、ここで朝7時から待っているらしい。お互い大変だ。当然のことながら時々停電すると、Waiting Roomは蒸し風呂のように暑い。

午後8時半頃、俺はTicket Officeに行ってみると、俺のリストは2番までなっていた。どうやら、取れるかもしらん。しかし、車中2泊は今の体力からはつらい。彼らは168番のままだ。そこで、俺は考えた。午後8時半発なら明日の夜9時にハイデラバードに着く。よし、これにしよう。そこで、俺はこのオフィスの人にチケットを換えてくれと頼んだ。そしたら、席は保証できんぞと言ってきた。賭だ。OK

そこで、俺はManager Officeへ向かって、マネージャーの許可をもらって列車を換えた。すると、ここのオフィスの1人が、

「賄賂をくれたら席を取ってやるぞ。」

と言ってきた。この際しゃあない。俺は、

「俺と彼ら2人の席も取ってくれるなら、1100ルピーづつ払って、計300ルピー払う。」

と言うと、OKやと。そして、しばらくして列車が入ってきた。賄賂を渡した兄貴は、列車が止まる前に乗り込む。俺はこの時思った。これはよくない。人が降りる前に乗り込んで俺にも来いと言う。俺は乗り込んで、彼は無理やり1つの寝台をキープした。そして、ここに荷物を置けと。しかし、やっぱり悪いことはするもんじゃない。ここはあとで乗ってきた人が予約してたベッドやった。俺はばちやと思った。しゃあない、24時間立つか。

そして、大阪の兄ちゃんと別れて、列車は走り出した。彼らは大丈夫かな。なんか逆に悪いことしたんちゃうか。うあー、俺の列車はツーリストはいない。インド人だけや。みんな一斉にこっちを見る。粟津原さんの目より不気味だ。怖ろしい。人生最大のピンチかも。これやったらずるせんかったらよかった。あーあ、ばちや。しゃあない。あきらめよう。

69日(53日目、アグラ〜ハイデラバード)

「ハイデラバードまでの過酷な列車の旅」

最悪の列車だ。乗車率200%って感じだ。インド人は通路でも寝る。俺はなんとか戸の近くの一角を確保した。でも、体勢がつらい。夜中頃、俺は2人のインド人と知り合いになった。1人はある駅で乗ってきて次の駅で降りるおっちゃんで、もう1人は次の次の駅で降りる人だ。俺の座ってるとこの前がstaff chairで、そこに車掌さんらしき人が座っている。この人もええ人だ。インド人はいい人はほんまにいい人だ。たぶん、中流以上の人々でツーリストをだます必要がなく温厚だ。この2人もええ人だ。この1人が俺の時計とブレスレットに目をつけて、

「これは日本製か。」

と聞いてきた。

「いや違う。ネパール製の安物でこの時計はよく止まるんや。」

と言うと、その場の空気がなごやかになった。どうやら、周りのインド人はみんな俺の時計を狙っていたみたいだ。

「ネパール製か、そりゃ悪いな。ネパール製は気をつけろ。悪い商品ばかりやからな。俺のブレスレットはインド製や。なあかっこええやろ。」

このおやじはこんなことを言って笑ってた。俺の嘘をまともに信じてる。それから、周りの人は俺の時計に目をくれない。これは使える。

その後、1人のおっちゃんが降りて、車掌さんも降りて、staff chairにもう1人のおっちゃんが座って、俺の横にはアタッシュケースに座ったおっちゃんがいる。その周辺にはインド人が至る所に寝転がっていて、ベッドにもインド人だらけ。今、インド人にとってはホリデーシーズンみたいだ。

次の駅に着くと、staff chairに座ってたおっちゃんが降りて、俺と握手して、

「お前、この席使え。」

と言ってゆずってくれた。ええ人や。そこで、俺は少し仮眠をとったが、早朝また違う車掌さんが乗ってきて、ここをあけろと言ってきた。しかし、この車掌さんは俺をその席の横に座らせてくれて、この車掌さんとも仲良くなった。俺は知らん間にアタッシュケースおやじとも仲良くなった。やっぱり、ハイデラバードに行くツーリストは珍しいみたいだ。みんなが話しかけてくる。これが結構疲れる。この車内では感じのええ俺だ。日本にいる時の俺で、インドを旅してる俺じゃない。我ながら役者でいけるなと改めて思った。

車掌さんは俺が読んでた「地球の歩き方」を見せてくれと言って読み始めた。当然、日本語は読めん。周りではちびっ子が泣きまくってるし、横ではちびっ子がくそをもらす。インド人の家族旅行は一大イベントだ。家族全員がかなりの荷物を持って移動し、駅に着くとお父さん方が一斉にクーラーに水をくむ。すさまじい勢いだ。いつの間にか車掌さんは俺に席をすべて譲ってくれた。しかし、俺が立つと周りのインド人が席を狙ってる。気が抜けない。

途中、1人のインド人が俺の席に無理矢理割り込んできた。1つの席に2人無理にでも座る。インド流だ。そのおやじが降りたと思ったら、違う太ったおやじが乗ってきて、同じように座ってくる。また、このおやじはけつがでかい。俺は死にそうにつらい。窓からは太陽が照りつけるし、熱風が吹き込む。昨日の昼から何も食ってないし、身体からだんだん水分は蒸発していく。昨日から水は4リットル近く飲んでる。しかし、デカン高原の景色は変化がない。原野に潅木が所々あって、赤土のとことか黒土のとことかがある。ああ、夜9時まで暇や。こういう時は2人がええなあと思う。

なんとか夕方近くなると少し涼しくなってきた。もう少しだ。1600kmの旅ももう終わりだ。自分なりによくがんばって時間を潰した。俺の場合いつも次から次へと色んなことが周りで起こるので、こうやって暇な時はどうしてええかわからん。こんなにつらい列車に乗った今となってはもう怖いものはない。よくがんばった。

やがて、セカンデラバードでアタッシュケースおやじが降りた。俺らは握手した。ええおやじだった。もうすぐハイデラバードだ。さすがにほっとしてきた。そして、ついにハイデラバードに着いた。やっとや。駅に着くとやっぱりツーリストは珍しいんやろ。客引きがすごい。俺はとりあえず卓司さんに電話 した。そしたら、近くのホテルまで迎えに来てくれるみたいだ。とりあえず、俺はオートリクシャーをつかまえた。この運転手はツーリストは珍しいのでメーターを使う。

やがて15分くらいして、あるホテルに着いた。4ツ星ホテルだ。やっぱり、運転手は料金をごまかそうとするが、もうその手にはのらん。3ルピーぐらいはもうええかと思って、卓司さんに再会した。少し太った。自分でも気づいているみたいだ。

卓司さんは俺が北大の作物栄養に入った時、D3やった先輩だ。卓司さんをラボで見てるとほんますごいと思った。これがほんとの研究者の姿かと思うと、俺には到底研究者は無理やなと痛感した。それぐらい、俺は卓司さんを尊敬してた。

卓司さんは現在1人の女の人と一緒に暮らしてる。山本さんで、東北大のD2の人だ。山本さんは1年間だけここにいるらしく、卓司さんも来年の3月で終わりだ。

それから、卓司さんに少しめしを食わせてもらった。うまい。みそ汁も感動だ。とりあえず、埃だらけの身体が気持ち悪かったので、シャワーを浴びさせてもらった。あーすっきりした。このマンションは結構グッドで、卓司さんはメイドも雇っている。このマンションは上流クラスのインド人が住んでると思う。部屋も広い。

久しぶりの卓司さんは昔のままだ。なんかホッとする。山本さんはA型かなと思ったらやっぱりA型やった。すごくええ人や。卓司さんと1時間半ぐらい話をして、寝よってことになった。それにしても、久しぶりにうまいビールを頂いた。うれしい。ビールってこんなにうまいのか。知らん間に眠った。

610日(54日目、ハイデラバード)

「半乾燥地帯の土壌」

今朝は6時起き。ICRISATは朝8時から始まる。ICRISATはハイデラバードの西の方にあるので、バスで約3040分かかる。卓司さんたちはいつも715分のバスで行くみたいだ。しかし、朝の短い時間でも2人は朝飯を作る。えらい。さあ、いざ出発だ。 バスもICRISAT専用バスで、結構いいバスだ。それにしても、ハイデラバードは都会だ。デリーとはまた違う雰囲気がある。インドは町によって雰囲気が違うしいいが、やっぱり人間はむかつく。インド人がいなければインドはもっとええとこかもしらん。

やがて約40分後、ICRISATに着いた。おお、立派な建物だ。ここがインドかって感じだ。広さも思った以上に広い。北大の何10倍って感じだ。ほんまにインドか。ヨーロッパスタイルだ。

ICRISATは、世界銀行、アメリカ、日本などの先進国の支援で成り立っている半乾燥地農業の研究所で、今は日本がお得意様らしい。現在、JIRCAS5年間のプロジェクトの3年目らしく、卓司さんはそのメンバーで、他ガーナ人のジョセフさんがいる。彼は広大で学位を取ったみたいだ。卓司さんのオフィスには、マックのノートとWindowsがある。やっぱり両方できるのはええ。

それから、JIRCASのプロジェクトのボスの中野さんに会ったが、変わった人だ。鈴木さん、藤本夫妻とは大違いだ。

その後、卓司さんにプールに連れていってもらった。ICRISATの同じ敷地にテニスコートもバレーコートもある。プールは楽園って感じだ。マハラジャになった気分だ。インドに来て初の贅沢気分だ。プールの水もきれいし、外が暑いから中は気持ちいい。ガンガー以来のswimmingだ。気持ちいい。俺は軽く100mぐらい泳いで、ベッドに寝転がって日光浴。幸せだ。これでマッサージ師でもいたらまさにマハラジャだ。

少しうとうとしてると、卓司さんが来た。昼飯タイムだ。卓司さんにここでハンバーガーを2つ御馳走になった。うまい。しかし、普通なら2つぐらい軽く食えるがつらい。数日ほとんど食ってなかったので、胃が小さくなってしまったのだろう。

それから、卓司さんの圃場見学だ。俺のインドに来た目的の1つだ。今日も40は超えている。おお、赤土だ。赤土の畑を間近に見た。これが「ビルマの竪琴」か。

「ビルマの土は赤い。」

映画のナレーションであった。赤土は元々NP欠乏らしく、卓司さんはソルガムやマメのハイブリッドを使って、何段階かの処理区を使って品種間差を見るみたいだ。一番原始的でオーソドックスな方法だが、この方法が一番実践的だ。プロットを3反復とり、最終的には統計処理だ。この実験でたぶんpaperが書けるだろう。卓司さんは作業自体に一切手出しはしない。全部インド人労働者のおばちゃんにさせる。これがここの方法みたいで、分析も卓司さんはしない。

ICRISAT1972年にこの土地を買った時に、その条件として周辺の住民を雇用するという約束やったみたいだ。卓司さんもつらいところだろ。ここの労働者が出したデータを果たして100%信じるか。それか、何回か違う人に反復させるか。

それから、卓司さんにICRISAT内を車で案内してもらった。でかい。途中、赤土と黒土にちょうど別れる道路があるのには驚きだ。わざわざこの場所をICRISATは買ったみたいだ。黒土もNP欠乏で、特にPCaと不溶態の白い固まりを作り、土壌中に明らかに目で見える。俺はこの周辺の土壌の養分欠乏が重要問題であることを改めて感じた。こんな白い固まりを見たのは初めてだ。それに、乾期ではほんと水がなくて、干ばつも大きな問題だ。土壌に亀裂が生じ、深いところでは1mにもなるらしく、それが根部を阻害する。しかし、一旦雨期になると、その雨量はすさまじく、土壌流亡が大きな問題となるため、圃場の境目、うね間、もしくは圃場内に深い溝や穴を掘ってそれを防ぐ。まさに自然との闘いだ。

俺はタイ、ネパール、インドと旅しててやっぱり人間の生命の営みの原点は食生活であり、つまり農業であると思った。人は生きるために物を作って食う。まず、その単純作業を行う。そして、この最低限の営みに余裕ができると、いかにして食糧生産を上げるかとか、もっともっと生活のゆとりを求めるようになって産業や工業の必要性が起こる。それも満たされると、最後は人間の欲望を満足させる娯楽が生まれる。現在は医学の発達に伴って、出生率の増加や寿命の増加といったふうに人口増加が急速に起こっている。そうすると、それを支える食糧問題が重要になってくるが、この人口増加に追いつかない。特に、ネパールやインドのような不良土壌、半乾燥地帯では深刻だ。こんな時に研究者はなにをしてんねん、特に日本は。分子生物学者(Molecular Biologist)と 植物生理学者(Plant Physiologist)同士がぶつかり合っている。お前らはあほか。己のエゴしか考えていない、こいつらは。こいつらが日本を引っ張ってると思うとほんま腹立つ。今こそ一緒に互いを尊重し合って、まじめに自然と戦っていく時だ。なに、目指してる物が違うからやと。目指してる物が違ったら、お互いをけなし合うんか。こんなことを東大の連中や北大の連中に言ってもあかんやろ。だったら俺がやるか。そのためには、もっと俺自身勉強が必要だ。まだ、1人で新しい分野を開拓していくほど知識がないし、人を引っ張っていくほど人間の器がでかくない。もう少し時間を使って考えよう。ICRISATに来てほんま良かった。こういうのは理屈やないんや。俺は不良土壌とはどういうものか改めて思い知らされた。。

それから、ICRISATビデオを見て、トーマスクックに行ってチケットの予約を試みた。なんと12日のプバネシュワール行きはもう遅く、13日でWL 79らしい。でも、いつまでもここにいるわけにはいかないので、13日にここをでることにした。あと、エアーチケットのリコンファームもOKだ。

やがて、卓司宅に戻って、卓司さんは今日はうまいターリーを食わせてやると言って、ちょっと高そうなレストランに俺を連れていってくれた。ここはエアコン付きだ。まず、トマトスープだ。インドではトマトスープもすべて外している。ここも見た目は外しそうだなと思った。しかしうまい。初めて当たった。トマトスープはこんなにうまかったのか。こくがあって、口の中でなめらかにのどを通っていく。トマトのうまさとクリームのなんともいえないハーモニーだ。まさしく、美味しんぼの世界だ。

次に、ターリーだ。うまい。今まで食ったターリーでベストだ。やっぱり高いとこはうまい。しかし、少し辛い。それに、やっぱり食えない。トマトスープで腹がいっぱいになって、それ以上あまり腹に入らない。うーん、本調子じゃないな。あーあ、もっと体調がベストの時に来たかった。

それから、卓司宅に戻る前に、ユーヌスさんに電話したが通じない。おかしい。果たして、無事バングラに行けるのか。今夜も卓司宅で3人で12時ぐらいまで話して寝た。だんだん体調がよくなりつつある。

611日(55日目、ハイデラバード)

「今日もマハラジャ気分」

今朝起きたらまた下痢だ。もう慣れた。それにしても眠い。俺の睡眠の波長がずれた。卓司さんや山本さんは俺のことを心配してくれている。しかし、今日は単に睡眠の波長がずれただけだ。少し寝たら直る。

それから、バスに乗りICRISATに着くと、すぐトーマスクックに行ってプリー、ハウラー間のチケットも予約した。そしたら、チケットは明日取りに来てくれと。

その後は、今日もプールに直行。速攻ベッドで寝た。うーん、気持ちいい。朝は風が心地よい。思い出したが、今朝ユーヌスさんと連絡がついた。連絡が取れたんはいいが、ユーヌスさんはまだ職が見つからんみたいだ。俺を迎えに18日に空港に来てくれるらしい。ほんまかな?

やがて昼頃、卓司さんがプールにやって来た。そこで、めしを一緒に食った。今日はビリヤーニだ。うまい。卓司さんにはほんと申し訳ない。本人も忙しいと思うのに俺に付き合ってくれる。ほんまありがたい。

昼からは俺はコーラを飲みながら日記を書いていた。なんて贅沢な時間だ。ああ、一生このままでもええ。少し眠くなるとうとうとして、暑くなると横にはプールがある。今日もマハラジャ気分だ。これ以上続けたらバチが当たるな。こういう贅沢が味わえるのも、俺はガンガーで身体を清めたからか。このプールでも俺は身体を清めてる。今はすっかりきれいな体だ。

それから、トーマスクックでプパネシュワール行きのチケットを取って、卓司さんのラボへ戻った。今晩、山本さんは友達のところへ行く。そうすると、卓司家は、俺と卓司さんの2人だけだ。卓司さんとめしをどうするか話して、2人で作ることにした。外で食うのもいいが、俺は結構人が作ってくれるのが好きだ。なんと言っても、気持ちがこもっている。

その後、バスで卓司家に戻り、今日は肉じゃがにしようと卓司さんが言った。早速、俺はバレイショの皮をむいて、あとは卓司さんに任せた。さあ、味はどうか。うん、まずまずだ。やっぱり、人に作ってもらうとうまい。ちなみに、俺は女の子とデートする時は、いつもめしを作ってくれと言う。でも、女の子は2人でどっかに行きたいみたいで、たまに作ってくれる子は俺のために一生懸命がんばってくれる。あの姿がなんともいえずグッドだ。

こういう旅をしていると、温かい空気に触れたり、人から気持ちのこもったものをもらったり、人に親切にしてもらうとすごくパワーが湧いてくる。特に、人によくしてもらうと、これはお返しせなあかんなと思えてくる。これは理屈じゃなく、本心からそう思うようになる。俺だけこんなによくしてもらってもいいのか。こんなふうに申し訳ない気持ちも同時に湧いてくる。その代わり、俺も困っている人がいたら助けてあげよう。ほんとにそう思うようになる。そういういい気持ちになった時に、インド人がその気持ちを踏みにじる。そうすると、また絶望感を味わい、どん底になった頃にまた人に親切にされる。なんかインドではこの繰り返しだ。

それから、卓司さんとビールを飲んだ。うまい。やっぱりビールはええ。最高だ。北大の作栄にいた時は、卓司さんを始め上の人とはまあ普通の会話はするが、そんなに深い話はしなかった。お互い忙しかったし、ほとんど山口や植野といった同期と一緒やった。それに、自分で結構無理してた。実験がしんどかったし、院試もしんどかった。しかし、いったん北大を出て、改めて作栄の人と話すとおもしろい。この前の大橋さんといい、信濃さんや伊藤さんやかんきち、それに川向、山口、植野、そして今回の卓司さん。お互い第三者的な立場になると余裕が出るのか。おそらく、客観的な立場で話ができるんやろう。話してておもろい。

それに、卓司さんが4月からのことで困っていると聞くと、なんとかしてあげたい。俺にできることならなんでもしてあげたい。とりあえず、林先生(東大のラボの助教授)にあたってみよう。こういう人がいて、遺伝子関係に興味があるんですが、ちょっと相談に乗ってもらえませんかって具合に。卓司さんにはこれからも研究者として頑張ってほしいし、もしうまい具合に植物栄養学の分野が発展していくなら、俺もうれしい。卓司さんは研究者に向いてる。俺もなんらかの形で、これからも植物栄養学分野の発展に協力していきます。だから、卓司さんもがんばって、2人で盛り上げていきましょう。

結構今日は楽しかった。それから、洗濯して寝た。

612日(56日目、ハイデラバード)

ICRISATに来てよかった」

今日でICRISAT最終日。いつものようにバスで向かう。もう日課のようだ。

今日も早速プールへ直行。プールの人とももう友達だ。ここのおやじはすごく感じ良く俺に声をかけてくれる。とりあえず、寝るか。快適だ。

いつものように昼頃卓司さんが来た。今日で卓司さんとここでめしを食うのも最後だ。めしを食うと卓司さんはラボ へ戻った。さあ、泳ぐか。早速、今日も100mぐらい泳いだ。クロールに平泳ぎ。泳ぎ疲れてベッドで横になってうだうだする。

「少し体が暑くなったな、よしプールへ入ろう。さあ、そろそろ日記を書くか。その前にのどが渇いたな。7upでも飲むか。」

もう、マハラジャ気分だ。一生このままでもええ。

それから、午後3時ぐらいになったのでシャワーを浴び、今日で最後なのでここのスタッフにさよならを言った。おやじ(マネージャーみたいな人)は、

「さみしいな。今度いつ帰ってくるんだ。」

うれしいことを言ってくれる。

「必ず帰ってくる、お前に会いに。」

ほんま役者でやっていけるかも。

その後、少し温室を見たり、圃場を見たりしてトーマスクックへ向かった。やっぱり、プリー発のチケットもキャンセル待ちだ。まあ、時期が時期なだけにしゃあない。トーマスクックのねえちゃんたちともすっかり友達だ。なんか知らんけど俺と話しているといつも笑う。なんもおもろいことしてへんのに笑う。わからん。今日も軽く笑かした、というより勝手に笑ってた。ほんまにこのねえちゃんたちはきれいだ。インド人の女の人もきれい。タイ人とは違うきれいさだ。なんと言っても、顔がこぶしみたいに小さい。スタイルはいいとはいえないが、ほんまにきれいだ。しかし、好きにはなれん。

Have a nice trip!!

そう1人のねえちゃんが俺に言ってくれて、俺は卓司さんのラボへ戻った。さあ、ICRISATともお別れだ。ジョセフさんやその他の人ともさよならをした。ICRISATに来てよかった。いい骨休めになった。

それから、帰りのバスに乗る前に、トーマスクックのねえちゃんたちに会った。

「色々ありがとう。この後、バングラ行くねん。」

俺はそう言うと、

「知ってるよ。」

「ええ、なんで知ってんのん。」

「私がリコンファームしてあげたやん。」

またあほかましてしまった。すっかり忘れてた。

さあ、バスに乗り込んだ。このバスも乗りおさめだ。相変わらず渋滞の中、卓司宅へ戻った。いつものようにビールを飲む。今日はアフガニスタン料理へ行こうと、卓司さんは言った。正直言って、山本さんや卓司さんの手料理が食いたかったが、せっかく、俺のために言ってくれてる。それに、こういうお客さんが来ない限り、卓司さんも食いに行かないみたいで、久しぶりに食いに行きたいみたいだ。よし、行こう。近くの4ツ星ホテルのカカチアホテルへ向かった。

ホテルの中はゴージャスって感じだ。レストラン内もインド離れしている。早速、卓司さんは、シシカバ、チキン、ナンを頼んでくれた。うまい。やっぱり、高いとこはうまい。ナンを食うのは久しぶりだ。いつもチャパティーばかりだった。やっぱり、ナンの方が歯ごたえがあるし、腹にずっしりくる。体調も良くなってきたので、今日はよく腹に入る。2日前のターリーも今日ならグッドだ。肉がなんとも言えないやわらかさ。ナンを食うのもインドではラストやろ。明日からまたチャパティーか。

俺はすっかり満足して、雨の中卓司宅へ戻る。もうインドも雨期が近い。来週ぐらいにモンスーンが来るらしい。今日で卓司さんとビールを飲むのも最後だ。ほんま卓司さんと山本さんにはよくしてもらった。インドに入ってからというもの、かなり肉体的、精神的につらかったので、ほんまにこの数日は助かった。長時間のインド旅行には休みが必要だ。じゃないと体がもたん。ハイデラバードかプリーで23日ゆっくり休もうと思っていたが、ここでよかった。卓司さんや山本さんと話せたのもよかったし、ICRISATもよかった。もう来週にはバングラに行って、週末にはバンコク、日本へ帰る。早いもので俺の旅も終わりに近い。正直言って、もう少しインドを回りたいが、今回はこんなもんか。卓司さんにも会えたし、ガンガーにも行けた。それに、マクドで念願の夢も叶った。なんと言っても、卓司さんがいる間にハイデラバードに来れてよかった。ほんまにこの2人には感謝の気持ちでいっぱいだ。どうもありがとうございました。卓司さん、9月に東京で会いましょう。

613日(57日目、ハイデラバード)

「卓司さん、ありがとうございました」

ついに卓司さんとお別れの日が来た。いつものように朝を迎える。なんか俺もここの住人みたいだ。俺らはコーンフレークを食いながら、心持ち卓司さんも山本さんも寂しそうだ。めったに来ないゲストだけに寂しさもひとしおだろう。俺も寂しい。バンコクではポンピモールさん、プラパシーさん、鈴木さん、ネパールではたま美さん、ラヴィ、ラメ先生、ラクシミさん、藤本夫妻、インドでは中安君、卓司さん、山本さん。そして、ネパールからインドのデリーまでは大畑君。数々の人々にお世話になった。やっぱり、いつの時も別れるのはつらい。別れた後に今まで通り行けば出会いがある。でも、そう思っていてもいつも寂しい。ああ、こういう時はほんま時間が止まって欲しい。ドラえもんを呼びたい心境だ。今朝も卓司さんは、

「加藤、うちはいつまでいてもいいんだぞ。」

と言ってくれた。卓司さんはほんとは週末に俺をハイデラバード見物に連れていきたかったみたいだ。ハイデラバードもかなり見所があるらしい。俺も正直もう少しここにいたい。しかし、バングラではユーヌスさんが首を長くして待ってくれている。それに、今月中には絶対日本に帰らなあかん。礼文島で大将が待っている。寂しがり屋の大将だから、少しでも遅くなるときっと怒るやろう。ああ、旅をする時はあとに予定を作るもんやないな。改めてそう痛感した。

ついにお別れの時が来た。俺は卓司さんと山本さんとさよならして、2人はICRISATへ向かった。俺は2人の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。ほんとにお世話になりました。俺は卓司さんのご厚意で、列車の時間までここに居させてもらうことにした。

俺は卓司さんのとこでうんこする時はトイレットペーパーを使っていた。約1ヶ月ぶりだ。しかし、今日で終わりやな。また、明日から手か。でも、俺はうんこをした後、手でけつを拭くのはたぶんプロ並みに成長した。自信がある。

それから、うとうとしていると、10時半頃メイドが来た。メイドは俺にびっくりしてた。俺はCNNを見ながらうとうとしていると、途中メイドがなんか知らんけど帰りたいと言ってきた。誰かが病気とか言っている。ちょうどその頃卓司さんから電話で、俺に「メイドはどうや。」

と聞いてきた。

「なんか帰りたいみたいですよ。」

と言うと、もう好きにさしたれと。卓司さんもこのメイドに苦労してるみたいで、もう首にするらしい。ネパールでは藤本さんも言っていたが、ネパールやインドのメイドや門番などの使用人は、ほんま働かんみたいだ。雇い主はちゃんと金をあげている。それも、一般の人が稼ぐ額よりもかなり高い額だ。それやのに、その額に応じた仕事をしない。雇い主側も大変だ。ちなみに、卓司さんはそういうメイドをもう3人も辞めさせている。結局、このメイドはほとんど仕事をしないで、12時半頃帰っていった。さあ、俺も出るか。卓司さんと山本さんに書き置きを残して、鍵をポストに入れて出た。ほんとにありがとうございました。

よし、久々にリクシャーとの争いだ。俺が止めたリクシャーは、運良くメーターで行ける。それにしても、セカンデラバード駅は思ったより遠いな。しばらくして駅に着いて、俺は掲示板で席を確認すると、なんとか席はあった。それと、列車を待っている間、地元の人間が俺に近づいてきて、

「お前、どこから来たんや。」

と言ってきたので、俺はこいつの顔に俺の顔を思いっきり近づけて日本語で、

「じゃかましい。」

と言うと、

「おお、あそこか。」

おい、そんなとこインドにあるかい。思いっきり大阪弁やないか。あほか。

早速、俺は水を買って列車に乗り込むと、やっぱりツーリストは俺だけ。思った通りだ。相変わらずインド人はジーッとこっちを見る。しかし、俺のとなりのおっちゃんと前のおっちゃんは親切だ。やっぱりいいインド人はいる。俺は最近なんとなく、いいインド人かどうかがわかるようになった。ほんまにインド人がもっと人がよければ、インドはもっとええとこや。自分らで自分らの首を絞めている。

それから、列車が出発して4時間ぐらいして、俺に寝台が与えられた。おお、まだ神様は俺を見放していないのですね。しかし、最上段なので窮屈だ。それに、風がけえへんからむっちゃ暑い。これは汗をかきまくるやろ。とにかく、今日は寝よ。

 

614日(58日目、ブバネシュワール〜プリー)

「だからのぐそはあかんやろ」

思った通りだ。起きたら全身汗まみれだ。ああー、気持ち悪い。起きたのが7時半頃だから、時間通りやとあと4時間か。しかし、現段階で2時間遅れてた。やっぱりな。外の景色は相変わらず同じだ。

途中、チャイを飲んだり、マンゴージュースを飲んだり、ボーッとしたり、うとうとしてたりした。ほんますることがない。途中の駅で、ココナッツを売りに来たおやじがいて、何人かそのココナッツを割ってもらって、それをストローで飲んでた。よし、俺も飲もう。俺は初めてココナッツを割ってもらって飲んだ。うーん、うまいもんやないな。こんなもんなんか。

そして午後1時半頃、やっとブバネシューワルに着いた。やっぱり、駅前は客引きが多い。俺は駅前で1人の日本人のツーリストに会った。約1週間ぶりにツーリストと再会した。この人はプリー行きのことについて親切に教えてくれた。なんか俺の乗ったリクシャーのリクシャーワーラーは、俺をとんでもないところに連れていこうとしていたみたいで、この兄ちゃんはこのリクシャーワーラーに文句を言ってくれた。どうやら、俺を違うバス停に連れていこうとしていたみたいだ。助かった。なんかホッとした。

プリー行きのバスターミナルまでリクシャーに乗って、やがてバスターミナルに着くと、やっぱりバスはぼろいな。でも慣れた。ここからプリーまで約2時間だ。やっぱり、海岸付近っていうのもあるのか。ヤシの木が至る所にある。今までの景色とは違う。なんか新鮮だ。

それから約2時間後、プリーに着いた。俺はデリーであの陶芸ねえちゃんにサンタナロッジがいいよって教えてもらった。よし、そこにしよう。俺はバスターミナルで、リクシャーワーラーにサンタナに行けと言うと、潰れたと。相変わらずむかつくインド人。俺は親切そうなインド人を探してその兄ちゃんに聞くと、その兄ちゃんも実は観光でプリーを訪れていただけで、この辺の地理はあんまり詳しくないのに、わざわざその兄ちゃんは色んな人に尋ねてくれ、しばらくしてちょっと歩くのは無理かなって教えてくれた。しゃあない。兄ちゃん、ほんまにありがとう。

俺は再度リクシャーワーラーをつかまえて向かわせたが、こいつはサンタナを知らんみたいだ。おい、知らんかったらOKって言うな、ぼけ。

このおやじは何度も人に聞きまくって、なんとか苦労してサンタナに着いた。ここの受付の人はよさそうな人だ。日本語もぺらぺらで、ここは日本人だらけらしい。俺は、

「とりあえず海が見たい。」

と言うと、この受付の兄ちゃん、ポコナは晩飯まで帰ってきてよと言って、この宿から一番近く海に出られる道を教えてくれた。

それから宿を出て、近くの漁民の家の間をぬけると、おお、目の前にはベンガル湾だ。やっぱり、俺には海が似合う。海を見るとなんか落ちつく。礼文で漁師をやっているせいか。きれいだ。しかしうわさ通り、砂浜ではインド人がうんこしまくってる。汚いな。ビーチもくそだらけ。おい、のぐそはあかんやろ。ちょっと遠くに行くとええみたいだ。よし、明日行こう。

それからしばらくの間、俺は海を眺めてて、やがて宿に帰ってめしまで夕日を見ようと屋上に行った。ここからはベンガル湾が一望できる。おお、きれいだ。俺がキムタクになった気分で黄昏ていると、じゃまする奴がいる。それはカラスだ。ボーッと海を眺めていると、カラスが俺の頭めがけて飛んできて頭に攻撃をしかける。なんで邪魔すんねん。合計3度もくらった。その時、長渕の詩が頭をよぎる。

「黒いカラスよ、お前は寂しくはないかい」

なんかこんな時に歌のフレーズが浮かぶなんて俺はすごいな。作家でもいけるかな。やがて、部屋に戻ってシャワーを浴びて、しばらくすると晩飯だ。俺は昨日の朝、卓司宅でコーンフレークを食って以来、ビスケットしか食ってへん。さすがに腹減った。メニューはカレーとさすがに漁村だ。魚の煮たものがある。それと、俺はうわさで有名なタマゴプリンを頼んだ。めしもまずまず、プリンはうまい。さすがうわさになるだけある。

今日は俺を入れて7人のツーリストがここにいる。みんな日本人だ。しかし、みんな長期間いるんやろ。めしを食うととっとと部屋に帰った。その後、俺は卓司さんに電話してお礼を言った。いつも通りの卓司さんだ。よし、もう寝るか。久しぶりにこのござだ。ほんとバンコクで鈴木さんにもらった寝ござは役に立っている。ほんまありがたい。

615日(59日目、プリー)

「ベンガル湾は桂浜みたいや」

快適な睡眠だ。俺は蚊帳の中で寝たのは初めてで、たかがこんなネットがかなり役に立つとは。朝、モーニングティーの時間に起こされた。チャイを片手に右手で目をこする。卓司家以来快適な生活が続く。インドを振り返ってみると、やっぱりつらかったのはバナラシ、アグラかな。しかし、カルカッタも人だらけみたいやし、バングラに至っては俺の手元になんの情報もなく、うわさではインド以上にはるかに貧しい国とか。俺の旅ももう少し。早く日本に帰りたい気持ちと、もうちょっと旅を続けたい気持ちが、入れ替わり立ち替わり変わる。しかし、インドは一度出たい。

それから、軽く朝飯を食って、今日はうんこの少ない海岸へ向かった。漁民の村の外れの大学近辺の海岸だ。やがて、15分ぐらい歩いて海岸に着いた。おおー、さすがにきれいだ。しかし、漁村の端っこでは相変わらずみんながうんこをしてる。ほんまこいつらは何を考えているのか。気持ちがわからんわけではない。ベンガル湾に向かって、のぐそをしたい気分は俺も同じだ。しかし、砂浜の真ん中でするな。それも、並んでするな。

まだ、この辺りではちびっ子が声をかけてくるし、周りにはうんこが目に付く。よし、もう少し東へ行ってみよう。俺は更に歩いて、人がいないところへ向かった。この辺りまで来ると、周りは白い砂浜と空にはカラスが飛んでいるだけ。目の前にはベンガル湾が広がる。なんて優雅な気分だ。俺は礼文に長くいるせいか、海を見るとホッとする。それがたとえ東京湾でもだ。

「この海の向こうには祖国日本があるな。」

なんて文学的な発想だ。俺は詩人みたいだ。

それにしても、ベンガル湾の波は思った以上に荒い。高知の桂浜みたいだ。俺は遠泳しようとしたが、沖に出ると危険だ。それに、かばんを海岸に置いたままにしているとぱくられる。こういう時は2人いたほうがええ。ガンガー、ハイデラバード、そしてプリー。まさかガンガー以外で泳げるとは思わんかった。ちょっと満足だ。

昼過ぎになると暑さが増してきた。それに、砂浜がむちゃくちゃ熱い。あかん、これは死んでまうな。海で泳いでいたちびっ子もいつの間にか引き上げている。俺も帰ろ。それにしても、プリーの人は声はかけてくるが、騙そうとはしないので楽だ。しかし、リクシャーワーラーは別だ。

それから、昨日飲んだココナッツ屋に行って、またココナッツを割ってもらって、その中の汁を飲んだ。うーん、あまりうまくないな。確かにココナッツミルクはうまい。なんかこんなもんらしい。

やがて、宿に戻って晩飯を食って、その後ここに宿泊しているある兄ちゃんに麻雀をしようと誘われた。麻雀なんて4年ぶりだ。点数の数え方も忘れた。東風のみのうまワンツーで、1000点が5パイサらしい。俺は始めの東風の感触で、これは勝てるなと思った。結果的に、4回東風戦をして俺がトップだ。当然、俺の勝ち分はチャラにしてあげた。麻雀で金の受け渡しをすると、なんか人間がせこせこしてくる。俺はこれが嫌いでもう麻雀はやめたつもりだった。しかし、インドでするとは思わなかった。俺以外のメンツはもう日本を出て長く、プリーにもかなりいる。それでいて何をするのでもなく、ボーッと1日を過ごして、夜は麻雀みたいだ。俺はこういう旅行をしているツーリストによく会う。俺は彼らの旅行の仕方が理解できない。旅行してて疲れて、数日休んでまた移動っていうのならわかる。しかし、何もすることなく1ヶ月も過ごす人もいる。なんかもったいないような気がする。俺ならもっと色んなことをしたいし、色んなとこにも行きたい。まあ、人それぞれだから、彼らが満足しているならそれでいいが。俺には理解できない人々だ。

今日はこの宿から日本のマンガを借りた。たまにはこういうのもええな。明日はここを出る日だ。もう少しいたかったが今回はしゃあない。あきらめよう。

麻雀をしてる時、あるおっちゃんが俺に向かって、

「今回が初めての海外旅行でインドに来てるなんて信じられない。もっと旅慣れているかと思った。」

と言ってきた。こういうことは旅行中よく言われる。そんなに俺は日本人らしくないのか。なんかうれしいのやら悲しいのやら。

616日(60日目、プリー)

「まさかプリーで新野新?」

今朝もポコナに、チャイだよって起こされた。朝のチャイが終わると朝飯が運ばれる。ここサンタナは結構ええな。今日はポコナにおもろい話を聞いた。ポコナのお兄さんは大阪のミナミでインド料理屋をやっているらしい。ホテルニュージャパンの横で、その名も「サンタナ」だ。お兄さんの名前はクンナさんで、クンナさんはなんと関西ローカルのテレビに出まくってる。「アマカラ・アベニュー」、「ナイト・イン・ナイト」。それに、鶴瓶ちゃんと仲良しみたいで、鶴瓶ちゃんと一緒の写真が多い。まさかプリーで新野新、桂きん枝、若井小づえ、非常階段のシルクの写真を見るとは思わなかった。まず、ツーリストがこの写真を見て、この人たちの名前を知っている人はいないだろう。新野新なんて大阪の人も知らん人が多いんちゃうかな。中学生の頃、俺はぬかるみん(昔、ラジオ大阪で鶴瓶ちゃんと新野先生がやっていた「ぬかるみの世界」のリスナーのことをそう呼ぶ)やったので、新野先生のことは知っていた。ほんまにびっくりだ。

それから、俺は昨日この宿に来た小林さんと日本人のねえちゃん2人をうんこのない海岸へ案内してあげた。小林さんは日本を出てもう4ヶ月で、今年中にハワイまで行くみたいだ。是非、頑張ってほしいものだ。ねえちゃん2人は今朝マドラスから来た。3人共海を見て喜んでいた。早速、俺と小林さんは海に入った。うーん、相変わらず気持ちいい。今日はちびっ子が多い。しかし、今日は昨日より涼しくグッドだ。ねえちゃん2人は足だけつかっていた。3人共この場所を気に入ってくれたみたいだ。俺もすっかり気に入った。

それから、宿に戻って食事だ。いつも通りのメニューだが、やっぱり魚が食えるのはうれしい。あとは日本で食うか。ああ、礼文のホッケが早く食いたい。俺はポコナに、

「最後にどうしてもタマゴプリンが食いたい。」

と言うと、

「タマゴプリンはできたてで熱すぎるから、チョコプリンにしてくれ。」

と言われた。がっくりだ。でも、チョコもうまい。まずまずだ。

さあ、いよいよ出発の時間だ。ポコナとその兄貴にお礼を言って、リクシャーを呼んでもらった。色々ありがとう、ポコナ。大阪に帰ったら、お兄さんの店に行ってみるわ。また会おうな。

リクシャーに乗って、しばらくして駅に着くと、なんと午後6時半発の列車にトラブルがあって、出発が午後9時半になったらしい。それに、俺には寝台はなく2等ジェネラルで、またあの堅い木の椅子だ。ショックや。最後の最後であれはないやろ。それに、午後5時半に駅に着いたから、あと4時間何せえっていうねん。

「暇や。」

俺は思わず何度も声をあげた。その度に周りのインド人はこっちを見てた。今日もツーリストなし。もう慣れたとは言いながら、不安は不安だ。

なんとか4時間待って、俺は寝台を確保しようとしたが、今回はどうしてもだめや。ちなみに、エアコン車も席がないと言われてたので、しゃあない、ジェネラルに行こう。しかし、最後の望みを託して、一番後ろの車両が荷物置き場なのでここも訪れたが、ここもあかんと言われた。もういい、ジェネラルや。急いでジェネラルに行くと、なんとか1つ椅子を確保できた。しかし、これでは寝られん。けつが痛すぎる。それに、当然周りはインド人だけで、じっと俺を見てるし、荷物棚にも人が寝てる。俺は自分の上の荷物棚に俺のリュックをチェーンで巻き付け、シュラフを椅子に敷いた。なかなかグッドだ。インドではシュラフやござが役に立つ。持ってきて正解だ。

結局、列車は午後10時半にスタート。あーあ、何時に着くことやら。

617日(61日目、カルカッタ)

1日だけのカルカッタ 〜インドの地下鉄〜」

6時頃だろうか。気がつくと周りのインド人の数が増してた。おびただしい数だ。それに、3時間遅れプラス12時間遅れてる。おかげで、俺のカルカッタでの1日しかないスケジュールがおじゃんになってしまった。さすが2等のジェネラルだ。どんどん人が乗ってくるし、俺の席は1人しか座られへんのに、もう1人座ろうとしてくる。これがインド流だ。隣のおやじもびっしょり汗をかいてるので、べったり肌がつくと気持ち悪い。しかし、インド人はこれぐらい平気みたいで、こんな堅い木の椅子に何時間も同じ体勢でずっと座っている。おい、どんなけつしてんねん。

やがて、カルカッタに近づくにつれて、植生の変化が見られる。ヤシの木が至るところにあるのはプリーと同じだが、なにより田植えを終えている水田もあり、しろかきはやらないだろうが、すでに水を張ってる水田もある。それに、ジャングルらしきものが鉄道沿いに広がる。おそらく、インドでも雨の多い地帯なんやろ。その証拠に至る所に沼がある。やっぱりインドは広いや。時間があればほんまに南に行きたいな。でも、インド人はむかつく。

結局、予定より5時間近く遅れてカルカッタ・ハウラー駅に着いた。駅構内にもかなりの人がいる。やっぱり、この車両にもツーリストはいなかった。もしいたら、俺はサダルストリートまでタクシーをシェアーしようと思った。

駅を出ると、当然タクシードライバーは俺に声をかけまくる。相場ではサダルまで30 ルピーぐらいだろう。しかし、5080ルピーで俺に声をかける。正直言って、50ルピーぐらいならいい。でも、これで納得してしまうと他のツーリストに申し訳ない。俺がインド人と喧嘩しまくっているのをよくないことだと思っているツーリストもいるし、笑っているツーリストもいる。しかし、俺らのようなバックパッカーは、ゴールデンウイークや少し会社を休んで来る日本人やその他の外国人とは違う。彼らは観光と買い物目当てに来るから、少々インド人にぼられてもOKって感じだ。それより、数日の休暇を楽しみたいって感じで、それ以上に十分な金を持ってる。そんな連中と俺らは違う。これで、もし俺がインド人の言う通りにしてしまうと、

「ははーん、日本人を騙すのは楽勝や。」

と思われて、インド人を調子に乗らすし、今後の俺みたいなバックパッカーにも申し訳ない。俺1人では無理かも知らんが、

「おお、日本人を騙すんは最近難しいな。」

と思わせたいし、それに俺自身こいつらに騙されて金を取られるんがむちゃくちゃむかつく。俺が東大で研究しながら、2年間コツコツ貯めた金だ。平日は研究で、土、日は仕事して、それが終わってから研究というハード、たぶん人に言ってもわからんぐらいハードな生活をして稼いだ金だ。そんな感情のこもった金を、はなから俺を騙そうとするインド人にやるもんか。人がどう言おうが、俺はインド人と戦ってきて正解で、インド人に関わらず俺の金を騙し取ろうとする奴とは戦っていくつもりだ。

やがて、1人の運転手が、30ルピーでサダルまで行ってやると言ったのに、車に乗った途端に35ルピーと言ってきやがった。こういう嘘はルール違反だ。交渉が成立した時点で駆け引きは終わりだ。俺は運転手の胸ぐらを掴んで殴りかかる。運転手はびびってどっかに逃げて行った。それに、もう1人同じような運転手が来て、始めに30ルピーと言ったのに、こいつも途中で40ルピーと言ってきた。俺は胸元を掴んで、

「お前殺すぞ。」

と言うと、OKOKってびびってた。

「もし値段を途中で変えたら、その場でお前を殺す。俺は警察官で、今ここに拳銃を持ってる。わかったか。」

俺はいつもこの手を使う。俺を騙してくるインド人を色んな手を使って俺がいつも騙す。インドではほぼ全勝だ。嘘には嘘で戦う。やっぱり、東大に行っててよかった。要は頭の使いようだ。こんなとこで役に立つとは。

カルカッタの町はすごい渋滞だ。思った以上だ。俺の乗ったタクシーの運転手は運転が下手で、この渋滞の中、前の車のバンパーに車をぶつけた。あほだ。当然、ぶつけられた方は怒りまくる。しかし、こんな渋滞の中で喧嘩をするとますます渋滞になる。そうならないうちに警官は、

「とにかくお前ら仲直りしてこのまま行ってくれ。」

って感じで仲介に入る。当然、俺の運転手が悪い。前方不注意だ。また、この運転手は全然反省していない。ぶつけられた方はお気の毒だ。それにしても、カルカッタの町にはほとんどリクシャーが見当たらない。黒と黄色のタクシーばかりだ。

やがて、ハウラー橋を渡って町の中心街に来た。それから、エスプラネードを通り、チューロンギー通りに入り、サダルで車は止まった。とりあえず、俺は宿を探したが、サダルのゲストハウスやホテルはほとんど満室だ。やっぱり、カルカッタインのツーリストが多いんやろう。

それから、俺は宿を探しまくっていると、なんとデリーの食堂で会ったねえちゃんと再会した。彼女は静内で看護婦をやってるみたいで、今は休暇中らしい。彼女にマリアホテルを紹介してもらい、今日はドミトリーしか空いてなく、俺はそこにした。このドミには日本人だらけだ。俺は約1ヶ月間大畑君と一緒に旅をしていて、いつも2人部屋だったので、ドミはネパールのパタン以来だ。しかし、あのときは周りはネパール人ばかりだった。やっぱり、ツーリストだけのドミは安心だ。

それから、俺はインドを出るに当たって、もう1着づつクルーターとパジャーマを作ってもらおうと思って、New Marketに向かったが、あかん高すぎる。バナラシとはちゃうやないか。とりあえず、ビーマンのオフィスへ行こう。明日のフライトの確認だ。

ビーマンのオフィス内は冷房が効いていて、中の人はすごく親切だ。俺はお礼に思いっきり笑わせてあげた。ここの人にうまいカレー屋を聞いたが、結局その店を探してみたがわからんかった。

俺はインドを出るに当たって心残りと言えば、これぞインドカレーというカレーをまだ食っていないことだ。デリーで体調を悪くしてからはカレーは食ってない。最後にどうしても食いたい。しゃあない、ちょっと高くてもいい。それから、「地球の歩き方」に載っているインド料理屋へ向かった。向かったんはいいが、あかん。受付の兄ちゃんは黒服を着てるし、全館エアコン完備だ。こりゃ、高すぎる。やーめた。

とりあえず、俺は昨日の昼から何も食ってないので、近くのBig Maxというところに入った。ここは料金前払いだ。俺はchowmen(焼きそばみたいなもの)とトマトスープとペプシーを頼んだ。しかし、なにを間違えたか、チキンが付いてきた。おお、ラッキーだ。60ルピーぐらいはする品物だ。食おうっと。しかし、トマトスープはまずくて飲めん。インドではトマトスープは最低だ。卓司さんに連れていってもらったターリー屋だけだ、うまかったんは。ネパールの方がよかった。

それから、地下鉄でインデアンエアー(IA)のオフィスへ向かった。ビーマンのおっちゃんが教えてくれたのだが、どうやらここから空港バスが出るらしい。早速、俺は地下鉄でここへ向かった。カルカッタの地下鉄は思ったよりきれいだ。駅の壁には広告があるし、車内はどことなく札幌の地下鉄に似ているような。なんか知らんけど俺は金を払わんで行けた。さっきのチキンといい、今日はついてるな。

やがて、IAのオフィスに着くと、俺は受付のおばちゃんに、ここからのバスなんかないと言われた。おかしいな。ビーマンのおやじが嘘をついてるように思えんしな。それに、「地球の歩き方」にもそう書いてたしな。まあ、タクシーで行くか。しゃあないな。

それから、サダルまで歩いて帰りながらぶらぶら散歩してた。うわさ通りカルカッタはすごい人の数やし、すごい車の数や。その車の半分以上はタクシーだ。歩道も人が多くて歩けない。やっぱり、インドは町によってちゃうな。おもろいもんだ。

その後、ユーヌスさんに連絡して、明日の午後1時頃ダッカに着くよって知らせた。ほんまに迎えに来てくれるんか。正直、俺は1人の方がいい。

インドを出る前に、俺はどうしてももう1つクルーターが欲しかったが、この時間じゃオーダーメイドは無理だ。とりあえず、俺はもう一度New Marketへ向かった。俺がぶらぶらクルーターを探したり、布を見ていると、思った通り色んな人が声をかけてくる。俺はある1人のおやじにしつこくつきまとわれた。おやじは今晩8時までに作ってやるとかぬかしてきやがる。俺はこのおやじを無視し続け、ある店の前で良さそうなクルーターを見つけた。どうやら、このおやじの知り合いの店で、おやじは負けたるからと言ってきた。俺は結構このクルーターを気に入って、それにもう時間もないことやし、ここでクルーターを1着だけ買った。そうすると、おやじはもう1着買えと言ってきたので、俺は、

「そしたら、俺のこのサンダルの臭いをしばらく嗅ぎ続けたら買ったる。」

と言うと、おやじは笑って、

「それはできん。」

と言ってきた。おい、そんな根性もないくせにとやかくぬかすな、ドあほ。それに、俺のサンダルはお前が思っているほど臭くないぞ。失礼な。これで、一応俺のインドでの仕事はフィニッシュだ。カレーが心残りだが、しゃあない。

宿に戻ると、俺は日本人のツーリストと色んな話をした。みんなこれからインドを回る人ばかりなので、色々アドバイスをしてあげた。それと、ネパールに行く人には俺の本をあげた。やっぱり、ここのツーリストも俺の旅のこととか、礼文の話をすると俺に興味を示す。俺は彼らの方がすごいと思うが、彼らは俺の話に耳を傾ける。この前、卓司さんに言われた。

「お前は人を引きつける能力はすごい。それはお前にしかできない特技だ。」

なんかそう言われるとうれしいが、俺の感覚としては当たり前のことを当たり前にしてるだけって感じだ。すごいむずがゆい。

それから、静内のねえちゃんとドミの人とめしを食いに行った。インドでの最後の晩餐は中華料理だ。俺はTukpa(ラーメンみたいなもの)を食った。実は、昼のチキンが効いててあまり腹は減ってない。ここで、これからインドをバイクで走るというおっちゃんに会った。おっちゃんはオーストラリアをバイクで走って、現在そのバイクはインドへ輸送中らしい。ちなみに、ホンダのBaja に乗っている。色んな人がいるもんだ。是非、頑張ってほしい。

さあ、あとは寝るだけ。インド最後の夜。その前にインドでお世話になった人も整理しておこう(図3)。うーん、インドの場合はネパールと違って同じところにあまり長くいなかったので、ある人から違う人の紹介というのはなかったが、それにしても色んな方々に支えてもらった。ほんとに感謝しています。

うんこもして、シャワーも浴びて。あとは明日を待つだけ。正直、インドを離れるのはうれしい。さあ寝よ。