618日(62日目、カルカッタ〜ダッカ〜カンガエル)

「これがジャックフルーツか」

さあ、インド出発の朝。朝6時に起きてドミを出た。出る時にここのスタッフに、

「空港に行くのか。タクシーを呼んだる。120ルピーや。」

と言ってきたので、俺は100ルピーにしろって言うと、OKやと。だいたい相場通りだ。さあ、カルカッタの町とも、いやインドともおさらばだ。なんかホッとする。空港に向かうタクシーの中でカルカッタの町並みを見てると、なんかバンコクに似ている。至る所にマーケットがあって、バスが走っている。それに、路面電車もあって、人だらけだ。もし時間があったら、マザーテレサの修道院も訪ねてみたかった。ちょっとインドを離れるのが寂しい気もする。なんせ色々あった。ネパール以上かもしらん。

それから30分ぐらいして、空港に着いた。運転手は俺に、

「バクシーシ10ルピーよこせ。」

と言ってきた。最後までむかつくインド人。そんなん払うかい。時間にして午前8時に空港に着いた。少し早く着いた。店はまだ閉まってる。俺はロビーでコーヒーを飲みながらボーとしてると、

「ヤンゴンに行くんですか。」

1人の日本人が声をかけてきた。

「いや、ダッカです。」

どうやら、ヤンゴン行きが予定よりも3時間も遅れているらしい。この兄ちゃんはこれからミャンマーに4週間いて、その後少しインドに戻って、それからはミャンマーに住もうかなって考えている。もう日本には未練はないらしい。全然ないって断言してた。日本の運転免許証ももう期限が切れたみたいだ。すごい親切な人で、ヤンゴン行きが遅れた分、2階のレストランにエアーチケットを持っていくとめしがただみたいで、兄ちゃんの代わりに俺に行っておいでと言ってくれた。しかし、俺はもう出発なんでと言って断った。おしいことをした。その代わり、チャイをおごってくれた。ええ人や。この兄ちゃんにミャンマー情報を色々教えてもらった。俺もいずれはミャンマーを訪れるつもりだ。色々参考になりました。

しばらくして、バンコク行きの人も空港に集まりだした。俺はあのアメリカのガチャピンとムックに会えるかなと思ったが、そのうちに俺のチェックインが始まった。残念だ。俺は再度この兄ちゃんにお礼を言って、兄ちゃんとは別れた。

カルカッタからの近隣諸国への出国税は100ルピーと聞いていたが、俺の場合はダッカに行った後バンコクに行くので、300ルピー払えと。なんでやねん。まあ、あんまりむかつかんとこ。もう最後やしな。最後にイミグレを通って、さあ搭乗が始まった。しかし、ビーマンはぼろい。スチュワーデスも感じ悪い。俺は17Eの席だ。右側に2つ、左側に3つ。よしEってことは窓側や。ラッキー。しかし、違った。右側がAC、左側がDEF。なんでBがないねん。おかげで真ん中やんけ。

いざ出発。さよならインド。

やがて、定刻通りバングラに着いた。30分ぐらいのフライトだ。稚内一礼文ぐらいか。一応、お菓子は出た。しかし、コーラはむっちゃぬるい。バングラにはほんまは陸路で行きたかった。国境越えはなんともいえずvery good。しかし、今回は時間がなかったのであきらめたが正確だ。空から見るバングラはすごい。国中、川だらけで、今朝ものすごいスコールがあったみたいで、川が氾濫して水浸しになってるところもあった。すげえー。まさに自然の力だ。俺は結構感動した。

それから、イミグレを通って外に出ようとすると、1人の警官が、

警官、「お前マレーシア人やろ。」

俺、「違う。日本人や。」

警官、「ほんまか。」

俺、「ほんまや。おい、笑うな。日本人や。」

警官とこんなやりとりをした。

到着ロビーに行くと、ユーヌスさんが待っていてくれた。なつかしい。コーヌスさんは金ぴか時計をしてた。やっぱり見栄かな。なんせバングラでは農学博士はすごい偉いらしいからな。会社でいう部長、重役クラスだ。

ユーヌスさんは修士の時に東大のうちのラボに来て、今年3月に博士号を取ってバングラに戻った。俺は修士で東大に来たから、ユーヌスさんとは2年間ラボで一緒だった。俺とユーヌスさんはラボでは机が隣同士で、よく色んな話をした。それに、奥さんのリミーともすごく仲がいい。一度、家に呼んでもらったこともある。リミーは俺のことをコメディアンと呼ぶ。それに、リミーはラボの連中には優しいのだが、俺には冷たい。まあ、それだけ俺とは仲がいい証拠だ。

とりあえず、俺は帰りのエアーのリコンファームをして、いざ金を替えようとすると、俺のTCは汗で少し破れていた。これではあかんと言われた。むかつく。あかんかったらサインする前に言え。困った。俺はユーヌスさんに言って、ある両替屋に行った。ここのおっちゃんはいい人で、OKと言って替えてくれた。そして、お守りに1タカ(1TK=4円)コインを2枚と25パイサ(?)コインをくれた。これは日本に持って帰れよって。

空港を出ると、予想通り俺目がけて人が集まる。また、ガキがむかつく。俺にバクシーシ、バクシーシ。むかつくから、俺は空手をやっていると言ってけりをかましてやった。俺は勝ち誇った気分で堂々と歩いていると、不覚にもそのガキが後ろから俺にけりをかました。やられた。

それから、ユーヌスさんはあるところになんかの書類のサインをもらいに行くと言って、そこへ向かった。なんとそこは日本政府が建てたある公共機関だ。ユーヌスさんはここの人に俺を紹介すると、俺は社長室らしきところに案内された。この部屋はエアコン付きで、紅茶とビスケットを頂いた。それに、みんな集まってきた。ここの社長は俺に、部屋を用意するぞと言ってきた。この建物は日本の援助で建てられ、それに現在も援助を受けているせいか、日本人に対してはすごい歓迎だ。ここの色んな人に、今日うちにおいでとか、もっとゆっくりしていきなさいとか言われた。俺はここのソファーに深く腰をかけ、どっしりと構える。なんかバングラを訪問した日本の役人気分だ。

やがて、ユーヌスさんの仕事も終わり、今日は嫁さんのリミーの実家に行こうとのこと。俺はてっきりダッカと思ってた。リミーがいるのは、ここからバスで2時間のカンガエルってとこだ。どこやねん。たぶんツーリストが行くんは初めてちゃうか。それから、強烈に混んでるバスに乗った。正直、俺はダッカでゆっくりしたい。粟津原さんから預かった写真をユーヌスさんに渡せば、もうフィニッシュだ。まあ、ユーヌスさんの立場もあるし。ネパール、インドではなるべく避けていたあのバスに乗るはめに。俺は重いリュックを抱えて乗る。車内は人だらけで、おまけに頭がつかえて苦しい。助けてくれ。みんな俺を見てる。どうやら、ユーヌスさんは俺を日本人やと言いまくってる。やめてくれ。なんとか途中座れたが、インド同様席が狭く、足がつかえる。おまけにみんな話しかけてくる。

「名前はなんや。」

「ケビン・コスナーや。」

そうすると、ユーヌスさんが、

「だめ。嘘ついたら。」

もうかんべんしてー。

バングラは川が多い分橋が多いが、また橋が狭く、車が1台しか通れん。こんなんでは渋滞するぞと思った。それと、今朝すごいスコールがあったみたいで、空港の滑走路も水浸しだったが、この辺りもかなり水が溜まってる。なんかマーケットはインドに似てて、どことなく全体的にインドに似ているが、緑はバングラの方が豊富だ。なんとマーケットの至る所でドリアンらしきものがいっぱいだ。どうやらジャックフルーツというバングラのnational fruitみたいだ。それにしても、バングラの人はほとんどルンギをはいてるな。

それから約2時間後、カンガエルに着いて、リクシャーで少し行くとリミーの実家に着いた。リミーは俺を見て、

「えー、加藤さん?」

とびっくりしてた。どうやら、ユーヌスさんは俺が来ることを言っていなかったみたいだ。ちなみに、ユーヌスさんが行くことも言っていなかったみたいで、リミーは急いで掃除を始めた。ユーヌスさんが行くことぐらい言わんと家の人は迷惑だ。それにしても、ユーヌスさんのちびっ子は大きくなっていた。今はわんぱく坊主だ。

現在、リミーの実家には両親、おじいちゃん、おばあちゃん、妹のトゥシー(Tussi)とトゥリナ(Trina)とリミーとちびっ子の8人いる。おとんは英語がOKで、おじいちゃんは81歳で元気もりもりだ。トゥシーは年頃の18歳。なんか俺のことがすごく気に入ったみたいで、俺のそばにいつもいる。部屋にもすぐ入ってきて、色々俺の世話をしたがる。ネパールといい、インドといい、俺は国際的にももてるな。改めてキムタクを意識した。ちょっと言い過ぎか----。トゥリナは始めは恥ずかしがっていたが、徐々になれると俺に近寄ってくる。しかし、彼女は英語がだめだ。ほんまに家の人みんなが俺を歓迎してくれる。早速、俺はめしを頂いた。ヌードルとマンゴーとジャックフルーツだ。ジャックフルーツはうまい。マンゴーとはまた違うがかなりうまい。思わず食いまくった。それから、リミーに写真を渡した。そしたら、リミーはすごく喜んでた。これで俺の役目はフィニッシュ。さあ、あとは日本に帰ろう。

実は、リミーは両親や親戚一同に俺が5月末に来ると言っていたみたいだった。

「なんでこんなに遅くなったのよ。」

と怒られた。俺はなんでこんなに遅くなったか理由を話した。そもそも、こうなったのはネパールのインド大使館のせいだ。元々は、俺はダブルのヴィザを取って、ダージリンからインド、バングラに入って、またカルカッタに戻って、それからハイデラバードからデリーに向かう予定だった。しかし、インド大使館はシングルのヴィザしかくれなかった。俺はちゃんとダブルのヴィザを申請したのに。それに、何度も連絡しようとしたが、いつもつながらなかった。リミーにこのことを伝えると納得してくれた。申し訳ない。俺は3日後に帰ると言ったら、リミーもみんなも怒ってた。

「どうして?もっとゆっくりしていってよ。」

できるわけないやろ。ユーヌスさんは仕事が見つかってないんやぞ。そんな不安定な時に長くおれるかい。

「ユーヌスさんの仕事が見つかって落ちついたらまた来るから。」

「ほんと、約束して。」

俺はリミーと約束した。みんな、俺が明日ここを出るのを寂しがってた。おとんが、最低でも1週間いてくれと言ってくれた。ありがたい。その気持ちだけで充分です。

それから、せっかくやから東大のラボの女性陣にでも簡単なみやげを買っていってやるかと思って、バザールのことを聞くと、なんとこの近くにもあるらしい。しまった。ユーヌスさん夫婦も来ると。あかん、みやげ代を全部出すんちゃうかな。案の定、ユーヌスさんが買うと言った。そこで、急きょ買う量を減らした。あーあ、なんとしたことか。よし、ダッカのバザールで買おう、1人で。しかし、ユーヌスさんは俺を1人では行動させてくれない。結構迷惑だ。こんなんやったら写真渡して、ダッカに行ったらよかった。しまった。リミー家に戻る途中、なんと家の前は周り一面ホタルだ。すごいきれいだ。ネパール以来だ。

その後、家に戻るともう午後10時すぎ。今から晩飯らしい。俺は疲れたのと、さっき食ったばかりなので腹が減っていない。しかし、リミーは俺の皿にいっぱいめしを入れる。みんなが手で食う。俺もインドではたまに手で食っていたので、手で食う。魚や肉があるが、みんな同じ味付けだ。変えたらええのに。それに正直言って、こんな事言うと失礼だがうまいとはいえない。そう言えば、バングラに行ったツーリストはみんな言ってた。めしはまずいぞって。俺はやっと皿を空けた。しかし、リミーは新たに皿につぐ。助けてくれー。俺はついにギブアップした。もう疲れた。とにかく寝たい。おやすみ。

619日(63日目、カンガエル〜ダッカ〜マイメイシン)

「頼むから1人にしてくれ」

今朝はゆっくり寝た。しかし、疲れはとれていない。それから、シャワーを浴びさせてもらい、朝飯を頂いた。やっぱり、かなり体が疲れてる。なんせプリーからほとんど休んでない。おかげで食欲もない。しかし、朝から油っこい食事だ。申し訳ないので少し食べる。

「ええ、これだけ。」

みんなもっと食えと言ってくる。ナンも油っこい。これはどう考えてもチャパティーだ。しかし、ナンと言っているのだからナンなんやろう。俺はジャックフルーツとマンゴーでええ。あーあ、食欲がない。

めしが終わって少し休んで、さあ出発。そうだ、写真を撮ろう。ネパール、インドでもそうだが、この地方の人間は写真を撮ってくれと言う。それに、みんなそのために着替えるし、ポーズをとる。なんか写真は特別みたいだ。さあ、お別れだ。俺はみんなとさよならをした。みんな寂しそうだ。皆さん、突然来たのに温かく迎えて頂き、ほんとにありがとうございました。またお会いしましょう。

それから、リクシャーでバスターミナルへ向かった。またあの強烈なバスだ。それに、ユーヌスさんはまた周りの人に俺のことを日本人だと言いまくってる。ほんまにやめてほしい。

結局、このバスが俺の今日のスケジュールを台無しにした。途中思った通り、橋の上で1台の車が故障したみたいでひどい渋滞だ。1時間ぐらい止まっていたか。バスの中は蒸し風呂状態だ。徐々に俺の身体の水分と体力を奪っていく。やっと走ったかと思うと、今度は激しいスコールだ。それが終わると、またバスが止まってる。それもまた1時間ぐらい。なんでかわからん。またスコール。かなり肉体的に弱ってきている。

最終的に、約45時間後ダッカに着いた。俺はもうふらふらだ。ここがどこかもわからん。ユーヌスさんは自分の仕事があるから、このFarm Gateってとこに午後4時半〜5時の間に来てくれと。おいおい、人のことも考えろ。こんな重い荷物を持って、どこかわからんとこで2時間近くどうしろって言うねん。正直、もうユーヌスさんとは別れたい。

俺はバザールで物を買う元気もないし、なんせ動く気がしない。それに、思った以上にダッカ市内は空気が汚く、俺は目が痛くなった。あーあ、ゆっくりできるレストランもないし、おまけにすごい渋滞だ。

俺はふらふらしながら、たまたま近くのパン屋に入った。そこは、エアコンもきいていて、とりあえずペプシーを飲んだ。そこの店長は昔日本にいたことがあるらしく、いい人だ。よかった、運がいい。ここにしばらくいさせてもらおう。このおやじはかなり日本のことが詳しく、ダッカの町中日本車が走りまくってて、ほとんどの名前がわかる。ほんとダッカは日本車だらけ。バンコク並みだ。それに、思った以上に都会だ。都会度では確かにニューデリーには負ける。しかし、車の量はそれ以上かも。

おやじは少し日本語が話せる。でも、ほとんど忘れたらしく、ひらがなを書いてやると、日本からひらがなの本を送ってくれと言ってきた。どうしよう。うーん、考えるなー。全然知らん人にアドレスを渡すのもいややな。とりあえず、名刺をもらってさよならをした。

午後4時半、俺はFarm Gateの交番に戻った。ここで、ユーヌスさんを待ってると、1人の男が声をかけてきた。

兄貴、「何してんのん?」

俺、「友達を待ってる。」

兄貴、「お前なに人や?」

俺、「マレーシアや。」

兄貴、「そしたらモスリムか?」

俺、「そうや。」

兄貴、「おーお、名前は?」

俺、「ケビン・コスナーや。」

兄貴、「ケビンか。いい名前や。俺の兄貴は今マレーシアにいる。」

俺、「俺はクアラルンプールや。」

兄貴、「何してる?」

俺、「今、大学生や」

兄貴、「おお、どこの大学や。」

俺、「クアラルンプール大学や(ほんまにそんな大学あるんかな)。」

兄貴、「おーお、俺の兄貴はクアラルンプール大学の近くの--------ってとこにいる。」

俺、「あーあ、あそこか。よく行くぞ。」

嘘がばれたら殺されるな。よくここまでもった。「笑点」の大喜利みたいだ。なかなか会話は続くもんだ。こんな大きな荷物を持ってずっと立ってると、当然みんな俺をじろじろ見るし、警官もじろじろ見る。もうかんべんしてくれ。

それから、20分ぐらい遅れてユーヌスさんが来た。俺が途中から座ってたんで、俺が見えなくて探しまくっていたみたいだ。こっちも迷惑だ。交番って言ったからここにいたのに。ユーヌスさんは遠くからこっちを見てただけだ。

それから、チャンプに乗ってバスターミナルへ向かった。もうふらふらやし、ほんまに気分が悪い。バスターミナルに着くと、どうやらユーヌスさんのお兄さんのいるマイメンシン行きのダイレクトバスはもう終わったらしい。仕方ない、例のやつで行こう。あーあ、つらい。今、体力が限界にきてる。吐き気もするし、なんか寒気もする。お腹も痛くなってきた。ネパールにしろ、インドにしろ、ここバングラにしろ、バスにできるだけ人を乗せようとする。当然、屋根にもだ。ツーリストバスを予約してても空いてるスペースに所々でどんどん人を乗せる。かなりこっちとしては迷惑だ。俺らは高い金を払っているが、所々途中から乗ってくる奴は払わんで降りる奴もいる。ほんとのリムジンバスみたいのは別だ。しかし、そんなバスはほとんどない。タイとは大違いだ。それに、雨が降ってくるもんなら、屋根の上の人がぞーと中に入ってくる。そうすると、中は乗車率300%ぐらいになる。おまけに椅子と椅子の間は狭く、俺みたいに足の長い人はつらい。ほんまなんとかならんもんか。絶対日本の感覚ではあかん。俺はバスに乗る時に限っていつも体調が悪いことが多かったので、精神的に余裕がないせいか、やたらむかつく。このバスでも、ユーヌスさんは周りの人に俺のことを日本人と言いまくってる。だんだん腹立ってきた。

意識もうろうの中で、やっとマイメンシンに着いた。お兄さんの家はそこからリクシャーで10分ぐらいらしい。途中、急激な腹痛がきた。やばい、またか。始めにチェンマイでなって、もう45回目か。お兄さん宅に着くとすぐトイレに入った。また下痢や。下痢には慣れたが、インドに入ってからの下痢はたぶんすべて疲れからとちゃうか。なんとかおさまったが、ほんまユーヌスさんには呆れる。お兄さんに俺が来ることを言っていない。俺は当然言ってくれているもんと思ってた。お兄さんはユーヌスさんのことを怒ってる。そりゃそうだ。今、ユーヌスさんの両親がお兄さんのとこに来てて、俺の寝るスペースがない。それに、奥さんは急きょ食事の準備を始める。もう午後10時ぐらいだ。ほんまに俺の方が申し訳ない。お兄さんは急きょ大学内のゲストハウスに連絡して、俺が泊まれるように言ってくれたみたいだ。ほんと申し訳ない。

ユーヌスさんのお兄さんは数年前、東大の水産学部で博士号を取った人で、現在バングラディシュ農業大学水産学部の教授をしている。ここのお兄さん宅は大学の職員寮みたいなところで、ほとんどの職員がこのマンションに住んでいる。そのため、同じようなマンションがこの辺りにはたくさんある。

お兄さん宅には2人の男の子がいて、上は1012歳ぐらいで、下のガキが3歳で、この丸坊主が俺にちょっかいを出す。このくそガキ。俺は疲れてて、動く気もしないのにそばに寄ってくる。ほんまやったらパワーボムをしてるところだ。それと、ユーヌスさんのおとんもおかんも無表情だ。リミー家とは大違い。しかし、なんとなく味がある。

さすがお兄さんは教授だけあってしっかりしてる。それに、奥さんも親切で2人共日本語がうまい。俺は奥さんに、ほんまにしんどくて何も食えないと言ったが、奥さんは食事を用意する。しかし、今食ったら吐くだけだ。それに、こんな状態でバングラ料理はつらい。あまりにもしつこく薦めるので、マンゴーとジャックフルーツだけ食った。それでも、ユーヌスさんは俺が心配で、もっと食え、食えと言ってくる。いいかげんむかついて俺は怒った。

「俺の身体は俺が一番よく知ってる。頼むから俺のことはほっといてくれ。」

それから、大学内のゲストハウスへ向かった。足が千鳥足になってる。やばいな。ゲストハウスはまずまずで、あとで聞いたんだが、料金が一晩300タカもするらしい。結構な値段だ。当然、お兄さんもちだ。ほんまに申し訳ない。とりあえず寝る。

 

620日(64日目、マイメイシン〜ダッカ)

「ガンガーとの再会」

今朝8時半頃、ユーヌスさんが俺を起こしに来た。なんとか体調は回復したが、50%の状態って感じだ。まだふらふらする。もう少し寝させてくれよ。ユーヌスさんはお兄さん宅に帰る途中マーケットに寄った。ここで俺に、少し買い物をするから待っといてくれと言った。おいおい、それやったら先に買ってから起こしに来てくれ。そしたら、俺ももうちょっと寝られたのに。結局、30分ぐらい待たされた

バングラのマーケットもインドと同じだ。インドと違うところは、バングラには魚がある。さすが川が多い国だ。それに、フルーツも豊富だ。マンゴー、バナナ、ライチ、ジャックフルーツ、パルム、ブラックベリー、ヤシ ----。この時期のフルーツはこんなもんか。俺はパルムが食いたかったが、このマーケットにはなかった。残念だ。ある肉屋では、鶏の足をひもでくくってその場で皮を剥ぎ、首をちょん切ると鶏は動かなくなる。ちょっと残酷だが、さばく人はたいしたもんだ。料金は1羽で150タカぐらい。それと、水牛の肉も吊ってある。しかし、バングラでは水牛よりチキンの方が高価だ。

それから、お兄さん宅に戻ると、お兄さん夫婦は俺のことを心配してた。俺もあまり心配かけたらあかんなと思ってちょっと無理して、OKと言うと、早速朝飯だ。しもた、食欲なんかない。しかし、あの油っこいナンだ。つらかったが1枚食った。そうすると、奥さんはどんどん薦める。リミー家といい、ここといい、人のことはほっといてほしい。俺は人に世話されるのがどうも好きになれん。俺がこうやって旅ができるのも周りの人がいるからこそなのだが、自分のことは自分でしたいし、自分で決めたい。その方がどうなろうが納得する。だから、ユーヌスさんには申し訳ないが、バングラでのユーヌスさんはかなり迷惑だ。

今日の予定はガンガーをもう一度見るのと、ジャックフルーツの木を間近で見させてもらうのと、あとはダッカに戻るだけ。どうしてもガンガーをもう一度見たい。ユーヌスさんは、あとで俺を案内するからと言って、少し自分の仕事のために出かけた。その間、俺はゆっくりしてた。結構これが助かった。体調もだいぶ回復した。やっぱり、人間疲れた時は休息を取らなあかん。

やがて、午後2時頃めしの時間だ。今日は金曜日。バングラでは金、土が休みで、金曜日はモスクにお祈りに行く日だ。お兄さんと長男は昼間、近くのモスクに行ってた。どうやら、モスクに入れるのは男だけみたいだ。女の人は家の中でお祈りするみたいで、ダッカでは女の人専用のモスクがあるらしい。バングラでは98%ぐらいがモスリムらしく、1日のうち朝、昼、午後、夕方、夜の計5回お祈りをする。金曜日だけ近くのモスクに向かう。そのため、大学の敷地内には大きなモスクがある。それと、リミーの家でもそう言われたのだが、俺が着てる服はパンジャビと言うみたいだ。インドではクルーターと言って、パンジャビは女の人が着る服だと教えてもらったが、どうやら国によって言い方が違う。だから、お兄さんと長男が着てる服もパンジャビと呼ぶ。

今日の昼飯は、朝ユーヌスさんが買ったビーフとチキンだ。また、すべて同じ味付けだ。しかし、少し元気になったせいか思ったより食える。それと、ここ最近ずっと俺は手で食っている。手で食い始めて改めて思ったのだが、手で食った方がうまい。なんでやろ。

やっとのことで、皿を空けるとおせっかいにもお兄さんや奥さんがどんどん皿につぐ。頼むからこれをやめてほしい。俺はなんとか食い終わった。しかし、なんか後味が悪い。やっぱり、体調がよくないのか。

それにしても、ユーヌスさんは遅い。俺は1人でダッカに行くと何度も言ったが、特にお兄さんが許してくれない。俺はそんなに弱い人間やない。でも、俺のことが心配みたいだ。まあ、お兄さんやユーヌスさんの立場がわからんわけでもない。もしバングラで俺になんかあると、俺の家族や東大の人への立場がない。しかし、バングラ最後の夜ぐらい1人にさせてほしい。

めしの後、俺はテレビでバングラの映画を見てた。くだらん映画だ。シーンとシーンの間がカットされてつながれてるのがすぐわかるし、なんと言ってもストーリーの展開が早い。早すぎる。それに、インド同様踊りも入るし、ロケはほとんどセットだ。しかし、奥さんも両親もゲラゲラ笑ってる。訳わからん。

途中、ユーヌスさんから電話があって、どうやら俺を案内するのは無理で、お兄さんに代わってくれとのこと。そこで、急きょお兄さんが学内とガンガーを案内してくれることになった。ほんま申し訳ない。

始めにジャックフルーツの木を間近で見た。おお、これが。主幹から実がポロッとなってる。このでかい果実を支えるための葉柄みたいな部分は、かなりしっかりしている。非常におもろい。今まで見たことがない果実のつき方だ。それから、いろんな果樹を紹介してくれた。さすがバングラ。多種多様だ。俺は北大のラボにいる時、樹木内の窒素の転流と乾物生産との関係を研究していたせいか、いまだに樹木に興味がある。今日はかなり勉強になった。

それから、お兄さんにバングラ農業大を案内してもらったが、学内はかなり広く、建物はぼろいが緑がきれいだ。ヤシの並木もある。残念ながら、俺が1番見たかったバングラの圃場は、お兄さんとは分野が違うので見せてもらえなかった。やっぱり、勝手に圃場に入るわけにはいかん。

次は、ガンガーだ。ガンガーと言っても、インドのガンガーが枝分かれしたその下流の一部だ。しかし、元はガンガーに変わりない。やがて、植物園を越えると、おお。ガンガーだ。再会できた。あなたに会いたかったですよ。思えばあのバナラシで泳いだガンガーだ。川の周りは緑がいっぱいで、バナラシ以上にきれいだ。ちなみに、水は相変わらず汚い。ほんと川の周りは緑でいっぱいだ。すばらしい。1日ずっと見ててもいい。よし、写真だ。ガガーン!!バッテリーが切れた。なんとしたことだ。俺の旅ももう終わりってとこで。もう1つ持ってきたらよかった。あーあ、この光景を記録したかった。俺の記憶だけじゃなく記録に残したかった。あほやー。おまけに、目の前にパルムの木もある。しゃあない。思いっきり目に焼きつけよう。お兄さんは色々親切に説明してくれた。ほんと感謝だ。

それから家に戻って、荷物を整理してるとユーヌスさんが帰ってきた。ユーヌスさんは急いでめしを食っていた。俺と一緒にダッカに行かなあかん。ほんともういい。1人にしてほしい。ユーヌスさんには申し訳ないが、一緒にいると行動がすべて後手に回っている。しかし、ユーヌスさんやお兄さんの立場がある。あーあ、複雑な心境だ。俺はお兄さん夫婦に何度もお礼を言ってここを出た。ほんとにありがとうございました。

外は少し雨が降ってきた。なんとダッカ行きのダイレクトバスはもう終わっていた。またあのバスか。相変わらずユーヌスさんは、周りの人に俺のことを日本人と言いまくってる。もう慣れた。途中、バスはどんどん止まって人を乗せる。発車して20分ぐらいで、車内はもう200%状態だ。それにしても、乗ってくる人が多すぎる。どうやら、前のバスが悪かったかなんかで人を乗せなかったのと、明日か明後日にストがあるかもしらんので人がかなり乗ってくる。おまけに、これが今日の最終みたいだ。今日のうちにダッカに向かってよかった。それにしても、すごい人の数だ。みんないらいらしてきている。ユーヌスさんは俺の分とあわせて500タカ払った。そうすると、乗務員の兄ちゃんは、今つりがないからあとで払うと言っていた。当然、おつりのことであとで喧嘩になる。兄ちゃんはつりをごまかそうとする。だから、俺が 100タカ払うと言ったのに。ほんまユーヌスさんには呆れてしゃあない。そんなに自分に無理せんでもいい。それにしても、すごい人の数だ。おそらく、屋根の上もすごいやろ。

やがて、予定より2時間ぐらい遅れてダッカに着いた。もう午後10時だ。ここからがユーヌスさんのわからんとこ。俺をこの辺のホテルに泊めて、ユーヌスさんはここから1時間ぐらいのところにあるお姉さんの家に行くと言いだした。もう何を考えてるのか。俺のことが心配で、お兄さんがユーヌスさんをダッカまでよこしたんやろ。これじゃ意味がないし、当然お姉さんにも電話してへんと思う。こんな夜中に行ったら申し訳ないやろ。たぶんお金の問題もあるんやろう。現在、ユーヌスさんは仕事がない。そのため、収入がなく、お金は両親に借りている。たぶん年金暮らしの両親にだ(年金はあるんかな?)。そんな状態で俺の面倒をすべてみると言い切ってる。この前、リミーの両親にも説教らしきものをされていた。早くしっかり落ちつけと。こんなユーヌスさんに世話されても俺の方が申し訳ない。ユーヌスさんの立場はほんまわかるし、ありがたい。しかし、バングラに来てから、俺がほとんど喜んでいないのが空気でわからんかな。それに、ユーヌスさんは決して俺の意見に耳を傾けない。日本と同じだ。

それから、近くのゲストハウスを探したが、バングラはまだ観光化が進んでいないせいか、特にこの近辺は大きいホテルらしきとこ以外は外国人禁止だ。俺らはやっとのことでInternational Hotelを見つけた。結局、ユーヌスさんももう今日は遅いからここに泊まると言った。料金はツインで700タカだ。かなりの額だ。でも、ユーヌスさんが払うと言う。その代わり、ホテルのレストランは高いから外にめしを食いに行こうと。もう殴ってやりたい気分だ。しかし、あくまでも俺の先輩だ。ちなみに、残りユーヌスさんは200タカぐらいしか持っていない。たぶんお兄さんの家に戻ると、また両親に借りるだろう。もうなんて言ったらええんか。俺はユーヌスさんを叱った。

「とにかく今は俺の方が金があるし、日本に帰るまで少し余裕があります。そんなに俺が金を払うのがいややったら、俺が1000タカ貸すってことにしましょう。そして、ユーヌスさんが働きだしたら俺に返して下さい。」

俺はこう言ったが、こんなことをユーヌスさんが聞くわけがない。変なプライドがあるみたいだ。話には聞いていたが、マスターからドクターに行く時もそうだったみたいだ。俺はこれからのユーヌスさんが心配だ。果たして家族を養っていけるか。

このホテルはバングラでは34ツ星クラスだろう。しかし、部屋を見てびびった。ゴキブリだらけだ。なんじゃこれは。フマキラーみたいのをまくと、3匹、4匹と出てくる。まあ、バングラらしい。

ユーヌスさんは現在バングラ在住の溝内先生という方に連絡を取りたいみたいだ。どうやら、JICAの人みたいで、ユーヌスさんをあるプロジェクトで秘書のような形で雇ってもいいと言ってくれているらしい。しかし、あくまでもバイトとしてだ。明後日にその面接があるみたいだ。ユーヌスさんは、せっかく俺がバングラにいるので日本人である先生と連絡を取ったらと言う。なんか訳わからんけど、ユーヌスさんのことをよろしく言ってあげるか。さあ連絡しようとすると、ユーヌスさんは先生の電話番号がわからんみたいだ。その紙をどっかにやったらしい。なんか俺みたいや。

とりあえず、JICAのオフィスを聞いて先生と連絡できた。どうやら、溝内先生は茅野先生のことも知っていて、ネパールの藤本さんのことも知ってる。なんと以前、溝内先生は北農試にいたらしい。話を聞くと、なんかバングラの5年間のプロジェクトで、ユーヌスさんをバイトとして雇ってもいいかなって感じだ。しかし、決めるのは先生じゃなくそのボスで、明後日その面接がある。俺はユーヌスさんのことをお願いした。正直言って、あまり薦められない。ユーヌスさんのことは俺がよく知っているし、もしなんかあると茅野先生にも申し訳ない。しかし、やっぱり同じラボの仲間だ。俺は何度も何度もお願いした。俺はユーヌスさんに頑張るように伝えたが、自信なさそうだ。働いてしっかりした家庭を作って、みんなを養っていかんと。俺ははっぱをかけてやった。

それから、外の安そうな店でめしを食った。俺はユーヌスさんに気を使ってあまり食わんかった。さあ、明日でバングラともお別れだ。今度はゆっくり来て、チッタゴンやコックスバザールにも行ってみたい。それも、ユーヌスさんがしっかりと落ちついた後だ。