全国11億5000万の加藤学ファンの皆様

「カリフォルニアの野菜の数には度肝を抜かれた」
Written in Berkeley, California, 2/8/2001



皆様、こんにちは。ついにアメリカにやって来ました。今、カリフォルニアのバークレーという所で学生時代の友人宅にいます。私が行ったことのあるアメリカはシアトルとアラスカのみで、シアトルはどちらかと言うとバンクーバー似で、アラスカは特殊なところでしたが、ここサンフランシスコはもろアメリカです。世界を旅していて、アメリカという国の偉大さを感じ、「世界のルールを作っているアメリカ」と意識していざ乗り込んできましたが、アメリカの第一印象は「なんでもあり」ですね。この言葉がアメリカをよく物語っていると思います。サンフランシスコの町中を歩いていても、色々な人種が入り乱れていて、アジア系もいるし、スペイン系、インド系、そして黒人もいて、白人の数が相対的に少ないような気がします。警察もよく見かけるし、ホームレスも至る所にいる。パトカーはよくサイレンを鳴らして走ってます。こういった連中があのブッシュを選んだのかと思うと、少しがっかりしますし、色んな人と話してみても別に構えることなく同じ人間で、特にどうってことはなくアメリカは世界の中の一つの国ってのが今のところの正直な感想です。公共の場での人々のマナーの悪さは日本と同じですしね(もちろん、全員がそうではありません)。

サンフランシスコの町中は話には聞いてましたが坂が多く、私が驚いたのは観光客の多さです。バンクーバーは比じゃないですね。目抜き通りのPowell St.ではケーブルカーを待つ観光客の列が続くし、この通りを歩いてる人のほとんどは観光客と思います。カメラや地図を持った人々が町の至る所にいます。私は今回は特に観光は目的ではないので、ぶらっと時間がある時に色々歩いてみましたが、町中は煩雑としてて、私がイメージしてたアメリカの町って感じです。そう考えると、シアトルやアンカレッジはきれかったですね。サンフランシスコもきれい方かもしれません。

ここバークレーはきれいな町で、大きすぎず小さすぎず、大学が近くにあるので学生の町と言ったところで、非常に居心地がいいです。私がお世話になってる友人宅には、大学のドクターコースの学生が全員で4人にて、みんな親切でフレンドリーです。ただ、いつまでもここにいるのは迷惑ですし、私もじっとしているのができない性格なので、今からここを発ちます。

気候的には、からっとして過ごしやすく、例えると北海道の夏でしょうか。霧もよく出ますが、日中は25もいかないと思います。日が射さないと肌寒いし、太陽が出ると心地よい温かさですね。もちろん朝晩は寒くジェケットやフリースは必需です。日本は蒸し暑い日々が続いていると思いますが、こっちでは考えられないですね。

アメリカはさすがは農業国で、その重要な担い手のカリフォルニア州でのスーパーの野菜の品数の多さには度肝を抜かれました。バークレーのとあるスーパーでは、野菜、果物売り場を見てるだけで2時間ぐらい潰れそうな勢いです。確かに、米ドルは今強いですが値段的に見ても野菜や果物はカナダと変わらないし、何と言っても品数の多いこと。アボガドだけでも数種類あるし、ゴボウ、ダイコン、オクラといった日本では日常なものもあります。熱帯系の果物もあるし(これらは輸入でしょう)、リンゴ、桃なども色んな種類があります。これには参りました。もちろん、organic系のもあります。野菜はどれもつやがよく、この野菜だけを見てるとここから離れたくなくなりますが、サンフランシスコ近辺はカリフォルニア州では一番生活費の高い地域です。その物価の高さはニューヨークとはるぐらいで、アパートの家賃は東京並みかそれ以上です。これにはビックリですね。




もちろんこちらには本格的な仕事探しに来ましたが、予想はしてましたがはっきり言ってかなり厳しいです。それは仕事云々以前にビザの問題です。労働ビザ(green card)を持ってないと話になりませんが、外国人があらかじめこのビザを取ってくるのは不可能で、こういった状況でどういった戦略でいくかしばらく考えました。アメリカ社会にどっぷり浸かるほど私の英語力は完璧じゃないし。今は、日本と関係のある企業、日系の企業を中心にapplyしてみて、数年自分を磨いてから更にチェレンジという風に考えてます。今となってはカナダが恋しく戻りたい気もしますが、後戻りするのは嫌いなので、もう少し頭を使いながら周りの状況を見て頑張ってみます。

一概に仕事と言っても、自分の中で譲れないラインというものがあって、数々の選択肢がある中、最終的には絞らないと先へ進めません。自分の中ではある程度のvisionというものがあり、今はそれを前提において色々当たっています。カナダ、アメリカとここ最近先進国の生活が続いてますが、そうなってくるとアジア諸国が恋しくなってくるのは事実です。

「タイに戻りたいな。」
と時々思ったりもします。

私が稼いだお金はカナダドルなので、ここアメリカではすぐに飛んでいきます。カナダドルは今弱いですからね。日本で稼いだお金もありますが、景気の悪い日本の事を考えると、一日本人として日本円を海外で消費するのは心が傷みます。この半年間のカナダでの生活も、始めに落ち着くまでは少し日本円を消費しましたが、それ以後は一切使ってません。でも、アメリカではそういう訳にはいかないので、日本円を使う事になりそうですね。色々動いてるだけではお金を消費するだけなので、8月中には結果を出して最悪日本に帰って出直しですね。ただ、もう少し英語圏にいて英語力をあげるという事をしたいので、あとは状況に任せるしかないです。

サンフランシスコでは一通りやる事はやったので、今からロスに下ります。そして、サンディエゴまで行ってみます。当初の予定では、東の方にも行くつもりでしたが、金銭的な問題もあってどうなるかわかりません。あとは、時がすべてを解決してくれるでしょう。今、色々と大変ですが、考えてるばかりじゃしんどいので、楽しみを見つけては気分転換をしています。こうやって文章にまとめるのも息抜きの一つですね。

文章を書くのは忙しい中大変ですが、書く事によって自分の考えを整理できます。ある事柄に対して自分がどのように感じたかを、漠然とそれらに対する印象がいくつかの言葉、表現として存在しますが、それを一つにまとめることによってすっきり頭の中で整理されます。もちろん、今も日記を毎日欠かさず書いてますが、昔の日記はその日あった事柄に対して自分がどう考えているかということまで書いてましたが、それに比べると今の日記は簡潔で、どちらかというと言葉の羅列といった方がいいですね。その羅列を月に一度こうやって形にしてる。そして、たまに時間がある時に昔の旅日記と今の考え方とを照らし合わせたりしてます。自分で書いた昔の内容を読み返すのは非常に恥ずかしいですが、恥ずかしいと思えるってことはそれだけ成長していることでもあります。そういう意味でも、こうやって文章を書き続けたことは今となっては貴重な財産で(もう5年目ですね)、昔はその時の近況を皆様に伝えるために書いてましたが、今はどちらかというと自分のために書いてます。もちろん、読んでもらう人々のことも考えて書いていますが、余り人がどう思うかは今は気になりません。

さて、今からサンフランシスコを発ちます。今度ここに帰ってくる時は、一度カナダに戻る時か、もしくは仕事が見つかって荷物を取りに来る時かどちらかですね(スーツケースは友人宅で預かってもらうことにしました)。自分の意志に固執してもいいのですが、周りの状況、自分の置かれてる状況をよく把握して、柔軟な姿勢で望みたいと思います。では、次はサンディエゴか、もしくは他のところでお会いしましょう。

P.S.
今回はノートパソコンを持って移動しますが、うまくどこかで繋げられないかもしれないので、メールの方はaolhotmailの両方にお願いします(できれば英語で)。 

2/8/2001
毎日いい天気が続くカリフォルニアから愛を込めて
Manabu Kato




Vancouver Folk Fes. での出来事 in Jericho Beach

私がAlaskaからVancouverに戻った次の週末、downtownから車で15分ほど西に行ったJericho BeachFolk Fes.があった。このビーチからの眺めは最高で、対岸はWest Vancouverの町並み、東の方はdowntownの高層ビル街が見え、夜になるとその夜景が美しい。ここは、私が特に気に入ってる所で、Vancouver滞在時は時間がある時はよくここまで足を運ばせたものだ。この時期は天気もいいので、海水浴や日焼けを楽しんでる人々をよく目にする。

私はChristaからここで開催されるお祭りの手伝いを頼まれた。彼女は個人的にタイからシルク製の女性用の服を買いつけ、それをカナダ各地のイベントを中心に個人で売買してる。今回はこのお祭りで出店するという。人々はもちろん、数々のステージ場での様々なミュージシャンのライブを聞きに来るのだが、それと共にその周りの出店も楽しみに見に来る。私が頼まれた事は、販売の手伝いと夜の警備。各お店の責任者は夜はそこに泊まり込んで自分達の商品、場所を警備する。Christaのお店は基本的に彼女と私で行い、隣りのChristaのいとこのお店(いとこのトレシャはこの時ここにはいなかった。お店はインドからの輸入品を売っている)は、JanRoulaそしてRoulaの友達のTinaで担当してたが、結局は二店をみんなでやる事になった。

木曜日の夜からお祭りは始まったが、本格的には金曜日の夕方からがメインだ。様々なお店が会場の周りに並び、そのほとんどはアジアからの輸入物と食べ物屋。私は一瞬、ここはバンコクのカオサンかと思ったぐらいヒッピーもあふれてた。もちろん、カオサンで買う値段に比べるとどれも10倍ぐらいはする。でも、日本で買うよりもはるかに安い。私はこの光景が非常に懐かしかった。やっぱり、私にはアジアが合ってる、本当にそう思った。

肝心の仕事であるが、私は女性ものの服なんて売った事がないので全く要領が分からない。タイの服なのでサイズの設定もこっちのとは異なり、タイのLがこっちのMって感じかも知らん。また肥えたおばはん連中が小さな服を着て、

「もっとでかいのはないのか。」
とよく聞かれた。おいおい、見たら入らんのは分かるやろう。私は何度も自分で突っ込んでた。

服の材質、値段の事などはもちろんChristaに任せっきりで、私はdispalyを色々状況に応じて変え、Christaもその辺の所は私を信頼してくれ、お祭りの最中はよく助言を求められた。私自身も色々なお客さんと話ししたし、日本人も何人かいて世間話なんかもした。

日本と違ってこっちの商売はお客さんと店側は対等だ。だから、お店側も客に対しては強気で、Christaもそのような感じだった。この姿勢は、ある意味客商売としては最悪で、つまりお客さんが何を求めてるかってのを見失いがちになる。それは、どんな商品を求めてるかではなく、現場での細かいことについて。今回の出来事を例にして考えてみる。

1、お客さんが服を買うと、中には袋が欲しいという人がでてくる。しかし、Christaは用意してなかったし、そんなのは必要ないと言ってた。私は急きょビニール袋を大量に持って来て、結局それはすべてなくなってしまうほどお客さんはそれを求めてた。

230着近く服を買ってくれた人がいて、そうなると箱が必要になる。箱はあったけど、Christaは我々もこれを使うと言って箱を与えず、逆に箱の代わりに風呂敷らしきものを新たに買わせてその料金も取ってた。たとえ、それが我々が使う箱でも、箱なんてどこでもすぐ手に入る。これは信じられない行動だった。

3、バーゲン品のものを大量に買って行った人がいた。お客さんは少し負けてくれと言ってたが、私ならもちろん負けてあげる。その中には汚れのついたものもあったからだ。しかし、Christaは負けなかった。バーゲン品であるのでこれ以上は負けない。私は、この汚れた服を他に買う人の方が少ないと思うと言っても、彼女はそれを受け付けなかった。

これらは個人の問題であるかも知らんが、こういったお客と対等の立場で商売してる所が多かった。商売なんて、ある意味人との駆け引きなんで、私はその状況に合わせて臨機応変にするべきだと思うが、この辺の所は文化の違いでどちらがいいとは言えない。お客さんも納得してる人もいたし、逆に納得させる彼女達の態度もある意味すごいと思う。まあ、トラブルも少々あったが。

夜は私一人でテントを張ってこの場で寝たが、ライブが深夜零時まで続くので、それまではうるさくて仕方ない。夜の10時ぐらいまで野外は明るいので、我々もそれまでは商売してた。深夜でも周りで人はうろついてるし、キャンプファイヤーをしてる連中もいて、結局私はこの祭りの間はほとんど寝てない。最終日は雨で、そうなるとものすごく寒かったし。朝に私は一度家に戻って、少しくつろいで昼からの出勤。もちろん、寿司やおにぎりを作って持って行ってた。家に戻ればワン公の世話もあった。

色々お客さんともめたりトラブルはあったが、何とか3日間のお祭りは無事幕を閉じた。このお祭りのおかげで、JanRoulaTinaともより親しくなれたしな。何と言っても楽しかった。色んな人と話ができたのは収穫。AlaskaからへとへとになってVancouverに帰ってきて、すぐにアメリカに渡るつもりでいたが、まさかこんな面白い事が待っていたとは。Alaskaに行く前から、私の周りでの空気の流れがよく、そのいい流れがずっと続いてる。この流れはいつ終わるか分からないが大切にしたい。



「出国前のとんでもない出来事」

VancouverからSan Franciscoには飛行機で行く事にした。ヒッチは、アメリカ本土ではやらない。最後に我が家の畑をきれいにし、小犬たちにさよならを告げ、JanRoulaに見送られて慣れ親しんだ我が家を後にする時は寂しかった。Christaには、

「マナブ、excitingしてる?」
と何度も聞かれたが、私の答えは、

「今回はNo。もう旅ではないので不安の方が多いかな。」
Christaに空港まで送ってもらって、空港には出国の2時間前には着いた。Vancouverの国際線の建物にはカウンターが二つある。一つは普通のカウンターで、もう一つはアメリカ行きのカウンター。私のチケットはフィリピン航空。マニラ発サンフランシスコ行きで、その途中にここに寄る。私はアメリカ行きのカウンターで待っていたが、ここはカナダ、アメリカ間の本数が多いせいか、出発の2時間前になってもチェックインは始まらない。チェックインが開始される便は掲示板で示され、出発の1時間前になっても掲示されてない便もあった。私はコーヒーを飲みながらチェックインの時を待ち、カウンターの近くでくつろいでた。

私が乗る便は午後2時発。しかし、午後1時になっても掲示が出ない。カウンターには他の便の客がずらっと並んでいて、まあ遅れてるんやろうと軽い気持ちで時を待っていた。しかし、1時半になっても掲示が出ないのでおかしいなと思って、ひょっとしたらという気もあってもう一つのカウンターに行ってみたら、その掲示板で「(私の乗る便は)もうチェックインは終了」とのこと。私は一瞬焦った。何がなんだか分からんかった。私は急いでそのカウンターに走り、後片付けをしてる係りの人がその私の姿を見て、

「おい、どこに向かうんや。サンフランシスコ行きのチェックインはもう終わったぞ。」
と淡々と言うので、

「お願い、お願い。」
と私は何度も頼んだ。もう機内への荷物の積み入れも完了し、お客さんも機内に乗り込み始めてた。このおっちゃんは無線で連絡を取ってくれ、横にいたおばちゃんが、

「もし乗れなかったらごめん。」
と言って、私を連れて出国口まで走ってくれた。もちろん、私のでかいバックパック、スーツケースそしてお土産に買ったビールを持ったままだ。この時はもう午後2時。幸い、出発時間が30分遅れてた。イミグレではずらっと人が並んでいたが、おばちゃんは皆に状況を説明してくれ、内心は嫌がってたとは思うが、周りにいた人々は私に順番を譲ってくれた。問題はX線チェック。ここは手荷物用なので、私のでかいstuffが果たしてうまく入るか。私は半ば無理矢理押し込みながら何とか荷物検査も済ませ、運よく出発ゲートはそのすぐ横だったので、出発ぎりぎりで何とか間に合い、係りの人々も事の状況を理解しており、快く私を受け入れてくれた。税関からここまで一緒に来てくれたおばちゃんには、

「何してたのよ、今まで。確かにこの飛行機はアメリカ行きだけど、フィリピン航空はアメリカ行きのカウンターじゃないよ。もっと掲示板をよく見なきゃ。」
と笑ってた。アメリカ行きのカウンターはそう言えば、UnitedNorth westAir Canadaがほとんどだった気がする。私は自分の不注意でこういう事になってしまって皆様に申し訳なく、何度も周りの人々に謝ったが、皆さん快く了承してくれた。ちなみに、私は飛行機に最後に乗り込み、そしてドアが閉められたが、それから30分ぐらいは機体は動かなかった。一体どうなってるのだ。

サンフランシスコには無事に着いたが、今度は入国手続きでかなり待たされた。そう、乗客のほとんどはフィリピン人(アメリカ人を除いて)で、そうなると入国の審査が厳しくなる。係員は念入りにビザの事やアメリカに来た目的などを個々に尋ね、私は結局1時間以上は待たされた。こういう時は窓口をもっと増やすべきだ。アメリカ人用の窓口はどんどん空いていくのに、なぜ係員は状況判断ができないのか。私はこの係員のあほさに非常に腹が立った。アメリカ側はいっぱい窓口があるのに、我々外国人用は3つぐらいしかない。ちなみに、私の番は30秒で終わった。そう、私はカナダの労働ビザを持っているので、それを見せると速攻だった。

いやー、それにしてもこの2時間ぐらいで私はかなりの汗を流した。あの状況でここまでたどり着けたのは奇跡に近いと思う。それもフィリピン航空の皆様や、空港関係者、私に順番を譲ってくれた他のお客さんのおかげだ。自分の思い込みで起した不注意なのに。Vancouverからアメリカに向かう諸君。空港に着いたら必ず両方のカウンターを確認するように。それと、仮に私のような状況に置かれてもあきらめないように。



Japan townChina town

サンフランシスコのdowntownにはChina townがあり、downtownからGeary St.をバスで10分ほど行くとJapan townがある。
China townは、おそらくアフリカを除いてほぼ全世界にあるような気がする。統計的に、中国人は世界人口の6人に1人と考えると、中国人が世界中に散らばってるのは肯けるし、商売上手な華僑を中心とした中国系の人々が世界各地で商売に成功し、そこに根づいたと考えても肯ける。

サンフランシスコのdowntownでは、私は余りにも多い観光客に始めは圧倒された。特に、目抜き通りのPowell St.で見かける人々は、ケーブルカーが走ってるのもあって観光客がほとんどのような気がする。China townUnion squareの裏手にあり、いかにも中国系という門がその目印になっている。China townでもかなりの観光客を目にする。通りに並ぶお店も観光客相手のものばかり。みやげ物屋、衣料品、高級な置物などなど。もちろん中国人も多く見かけるが、特に中心の通りではカメラやビデオカメラを片手にした観光客の方が圧倒的に多い。メイン通りには「2008年オリンピック北京決定、おめでとう」といった内容の垂れ幕が掲げられている。

ここで少し2008年の北京でのオリンピック開催についての私の意見を述べてみる。これはあくまでも私個人の意見である。

2008年のオリンピックの開催地が北京になったことは、私はバンクーバーで知った。はっきり言おう、なぜ北京を選んだのか私はIOCの人の気が知れん。前回のシドニーを決める際に疑惑が生じたが、今回の決定はIOCが以前の汚点を償うためであるように思う。

北京が2008年の開催地に選ばれて、これによる経済効果を期待するのが中国側の姿勢だと思うが、まずオリンピックを開催するための資金は誰が出すのか?そう、もちろん日本を中心とする先進国がほとんどで、特にスポンサー枠を狙う民間の企業側がほとんどであろう。日本政府もODAの一貫として融資すると思うが、日本の民間企業を含め、この開催で多額の日本円が中国に流れるはず。それに、競技を観戦しに行く日本人も多額のお金を落していくだろう。景気が悪いと騒いでる日本人が、わざわざ他の国に多額のお金を持って行って、これで日本の景気がよくなるのだろうか?

オリンピック用の施設や選手用の宿泊所を新たに中国側は建設すると思うが、もちろんその周りの道路や交通網も整理することになる。従来ある公共の輸送機関はきれいになるであろうし、新しい輸送システムができるかもしれない。そして、競技が開催される周辺で区画整理が行われ、新しくなった町を見て中国が民主主義的な国であると誤解する人も出てくると思う。競技見たさに世界各国から様々な人が来て、外貨をどんどんと落して行くであろう。おそらく、その競技を見るための入場料は、中国の上流層は買えても、国民の大部分の人々には手が出ないと思う。その上、オリンピック開催前には中国国内の物価も上がるはず。物価が上がったとしても、その上昇率は先進国の人々にとってはたいしたことはないが、肝心の中国一般庶民にとってはかなりの痛手になると思う。あと、中国政府は自国内の問題を隠すであろう(特にチベットとの問題は)し。そして、海外からの人々は中国の表面しか見て行かないはず。また、ミーハーな日本人がついでにブランド物を買いあさって帰ってくるのは間違いないだろう(ああ、恥ずかしい)。

もちろん、このオリンピックによって、先にも述べたが多額の外貨が北京には落ちる(北京及び競技開催地のみに)。そして、その経済効果も莫大かもしれないが、と同時に中国の上流層と下流層の格差も大きくなるはず。つまり、結局は中国の金持ち連中だけが満足して、

「一体、あのオリンピックは我々には何だったんだろう?
12億はいる中国国民のほとんどが後で思うであろう。このオリンピックによる経済効果は、果たして底辺にいる人々にまで還元されるであろうか(私はそうは思わない)?

中国政府も、もちろんこのオリンピックのために多額の投資をすると思うが、そんなことよりも中国にはやることがいっぱいある。オリンピック用の幹線道路を作るよりも、交通網がない村と町との間に道路を作るべし。民主化の波に乗る前に、民主化を受け入れようとする人々への教育をまずすべし。増加する人口への食糧、医療問題をもっと真剣に考えるべし。一人っ子政策のあり方を見直すべし。

私はアジア諸国を歩き続けたが、途上国が途上国であり続ける要因は、それは人々が先進国の援助を頼りにしているからである。彼ら自身、自分達で頑張ろうと思ってる人々は少ない。「金を持ってる国が何とかしてくれる。」そして、マハラジャインド人がネパール人を奴隷のように扱うのと同じで、途上国の金持ちは自分の生活に満足してしまって、周りの人など気にもしない人が多いのではないか。途上国で人々の経済水準をグラフにすると、中間層が少ない凹型のグラフになるはず。逆に先進国では、中間層の割合が多い凸型であろう。人から援助してもらって自分に余裕ができた後は、今度は自分が他の人々に同じことをしてあげるというお返しをしないといけない。この流れは非常に大事で、どうしても自分が満足すればいいといった自己中心的な人々が多いが、そういう考えがある限りその国の底辺を上げるということは不可能である。

とにかく、私は北京でのオリンピック開催は大反対だ。というか、いまだに信じられない。


話はまた戻るが、同じようなタイプのお店を同じところに固め、お互いを刺激し合い、商売の向上を求める方法は中国人の独特の商売方法であるので、仮にみやげ物屋を探してるなら、一軒見つかれば大抵その周りに乱列している。もちろん、観光客はみやげ物屋やレストランに集中してた。私はどちらかと言うと、こういったChina townは嫌いだ。もちろん商売という事を考えると、ここのChina townのように、需要が観光客なら、彼らが求めるような商売方法をすべきで、そういう意味では理にかなってる。比較的金持ち系の観光客が多い中で、屋台でめしを食わせるよりは、人はレストランを好む。少しメイン通りから離れると地元の中国人用の生活雑貨売場や食材屋もあるが、それ以上に観光客相手のお店が目立つ。私は世界各地でChina townを見てきたが、観光地にあるChina townは得てしてこんなもので、商売という意味では成功してると思うが、私にはそこに生活感は感じられない。煩雑とした通りではあるが、どことなくこぎれいで、私がアジアで経験した汚らしさはない。横浜、長崎の中華街もそうである。

サンフランシスコから橋を渡るとすぐにオークランドがある。オークランドにもChina townがあり、私は一度そこにも行ってみた。このChina townは私のイメージするChina townで、言い換えると「中国人街」と言った方がいいかもしれない。そこでは観光客は見かけなかった。見かけるのは地元の中国人系の人々ばかりで、言葉も英語がほとんど使われていないし、看板はもちろん漢字である。この通りを歩いてると、ここがアメリカである事を忘れてしまいそうだ。ここではみやげ物屋は見かけなかった。スーパー、雑貨屋、肉屋、魚屋、食材屋、惣菜屋と生活に密着したものばかり。私は小さな食材屋でもち米でできたお焼もどきのものと、餃子、肉まんらしきものを食ったがどれもさすがは中華料理だ。値段も単品で$1.00以下で経済的で庶民的である。どの店も地元の中国人であふれていたし、白人もたまに見掛けた。通りも少し小汚く、何と言っても生活感にあふれたこの臭いがたまらない。中華食材の何とも言えない香りは、私にアジア諸国を思い出させた。また、韓国系の店も見かけた。私にはサンフランシスコの「China town」よりも、オークランドの「中国人街」の方が合ってる。ここにはまた戻って来たい。

Japan townはまさに人工的に作られた空間って感じだった。町自体が芸術と言った方がいいかもしれない。規模的には小さい。高級そうなホテルはあるし、五重塔なんかもあった(なんでこんなんいるんやろう)。モールもいくつかあり、その中には日本料理屋が建ち並んでて、紀伊国屋の本屋もあった。スーパーの商品も日本からのものが中心で、ネクタイを締めた人が商品の在庫と売れ筋をチェックしてる姿は日本と変わらない。

「この辺りの店の問屋はみんな同じかな。仮に各々が違う問屋から物を仕入れてたら、商品の輸送だけでコスト的に赤字になるやろう。おそらく、どっと仕入れて店ごとに小分けしてると思うけどな。そうなると、どの店も同じ商品を置いてる事になる。」
と私なりにこの流通経路を少し分析してみた。近代的な映画館もあって中はすごくきれいだった。銀行もあり、私はカナダドルを米ドルに替えたかったが、ここでは日本円しか扱ってないと言われ断られた。通りもきれいに整備されており、「Japan town」という登りが至る所にあった。ここで見かける人々はもちろん日本人が多かったが、韓国系の店もあって韓国人も見かけたし、日本食フリークの白人も料理をうまそうに食ってた。プリクラはあるしカラオケもある。レンタルビデオ屋もある。ここだけなら日本と変わらない。いや、規模が小さい分、すべてが同じところにコンパクトに揃っていて、こっちの方が便利かも知らん。私は日本を恋しいとも思わないし、日本に帰りたいとも思わないし、日本食は自分で作れるのでここでなにか食べようとも思わなかったし、ここに来て特に何も感じなかった。それにしても、なんでここには若い日本人が多いんやろう。彼らは20代前半と思う。こっちに留学してるのか地元の連中なのかは分からん。ぶらぶらと固まって、ここでたむろしてるのは日本にいる若者と変わらない。まあ、私はここには二度と来る事はないと思う。それだけ私には魅力を感じない所だった。



NZの同士との再会 in Berkeley

Steveとの出会い(全国1億人の加藤学ファンの皆様より、詳しくはNZ1998chapter8参照)

Mt.CookにはYHAしかaccommodationはないと聞いていたが、この2日間日本人とばかりいたので、外人が恋しくなった私はインフォメに行ってBPを聞くと、なんと一軒だけあるとのこと。こんなところがあったのか。どうやら、むちゃくちゃマイナーなようで、この日泊まったのは私とアメリカ人のスティーブのみ。スティーブは私がNZに来て会った数多くの外国人の中で、一番のジャニーズ顔。そのジャニーズが、

「明日あの山に登ろう。」
と指差したのは、頂上が岩でごつごつしたMt. Sebastopol。下から見るとどう見ても登れそうにない。

次の日に、我々は朝4時半に起きて、真っ暗の中月明かりをたよりに歩き始め、一歩間違えば谷底という岩場を慎重に登り始めた。しかし、苦労して登った甲斐があった。頂上からのMt. Cookはまさにfantastic。さすがはマオリの神が宿る頂きだ。そこからの景色は・・・。ネパール以来の感動。私とスティーブはガッチリ握手を交わし、私が神々を祈る絵をスティーブに撮ってもらい、

「学、この姿いいよ。」
と笑ってた。私は祈り続けて6年になり、もう自分の中ではマンネリ化してきたが、こっちで会う人々はみんな喜んでくれる。そんなに面白いものだろうか。

しかし、こんなに素晴らしい景観を乱すのが一つあった。そう、それはスティーブのおならだ。彼はアイドルながら屁をこきまくり、

「俺はこれで加速して登っているんや。」
と訳の分からんことを言ってた。そんなアイドルは、将来はハリウッドの特撮か、ディズニー社で働きたいようで、

「学、絶対アメリカ来いよ。」
と約束をした。


Mt.Cookでガッチリ握手してお互い別れた後、私はそのままNZの南へ下り、彼は世界一周旅行の次の目的地ヨーロッパへと旅立った。我々はお互い近況報告を送りあい、彼のスカンジナビアからの報告は私にも羨ましかった。スカンジナビアは私も是非行ってみたい所だからだ。

彼は世界一周の旅を終えて、1999年の秋にアメリカに戻り(我々が会ったのは199811月)、それからもたまに連絡をくれていたが、しばらくはお互いの連絡が途絶え、私がカナダに渡った去年の暮れからまた連絡が復活し、今回私がカリフォルニアに行く事も彼も承知で、先日ついに我々は再会を果たした。

3年ぶりに会うSteveは、初めて会った時と同じジャニーズ顔。現在、彼はサンフランシスコの少し北に彼女と住んでいて、ここBerkeleyで音響関係の会社でエンジニアとして働いている。私もBerkeleyにいるって事で、彼は昼の休み時間にわざわざ時間を取ってくれ、我々は近くのタイ料理屋に行った。久しぶりに会ったSteveは私を大歓迎してくれ、私と山の頂上で一緒に撮った写真をわざわざ持って来てくれた。我々は何から話せばいいか戸惑った。お互いのその後の足取り、近況など話すネタはたくさんある。私がSteveをすごいなっと思ったのは、我々がNZでお互いを語り合った内容を3年経った今でもほぼ完璧に覚えていた事だ。と言うのは、私が遺伝子関係の研究をしていた事、Mt. Cookからその後南に下って、そしてBlenheimに戻ってピッキングをするって言ってた事、私が送った近況報告の内容など。この記憶力には脱帽だ。

旅を終えてアメリカに戻った時のSteveはカルチャーショックを受けたみたい。この陽気な青年が落ち込んだのは信じられない。しかし、その落ち込みもすぐに復活し、今の仕事に就いたのは1年半ほど前で、すごく仕事は充実してると語ってたし、そのことは生き生きと仕事の事を語る彼の表情を見ても理解できた。ただ、彼もやはり旅人で、8月末からは無理言って1ヶ月ほど仕事を休んで南アフリカに行くという。そこからも旅の近況を送るからとも言ってた。本当は、彼ともしばらく一緒にいたいのだが、私にはそんな余裕は今の状況ではない。私の仕事のことも彼は心配してくれ、

「俺にできる事があったらなんでも言ってくれ。ただ、外国人がこっちで働くっていう手助けは今までしたことがないからどうやっていいかわからない。ロスに下るなら、俺の親友を紹介するから是非訪ねてくれ。」
と親身になって私の事を考えてくれてた。私自身これ以上人に甘えるわけにもいかないし、彼のその気持ちだけで私には十分だった。それに、生き生きしてる彼からパワーをもらったし、それが何よりも嬉しかった。これ以上人に甘えたら罰が当たる。VancouverでもBerkeleyでも友人に世話になったし、アラスカでも多くの人に世話になった。

私は今までの旅の最中で一生涯の友人になるであろうっていう仲間をかなり得た。彼らは学生時代の友人とはまた違うタイプで、それは日本人のみならずもちろん外国人もいる。私自身、旅先ではほとんど人のアドレスを聞かないが、住所交換した人とは必ず連絡を取るようにしてるし、今回のSteveもそうである。特に、彼とは一緒に山を登ったという経験を共有してるせいかなおさらだ。この日の別れ際にはガッチリまた握手をし、

「マナブ、とにかく事の経過を随時報告してくれ。俺ができる事は何でもするし、カリフォルニアで仕事が見つかればすぐに連絡くれ。Keep in touchな。」
といつもの笑顔で私を見送ってくれた。旅先で会った外国人と他の国で再会するのは本当に感慨深い。ネパールで会ったカナダ人と日本で再会し(Christa)、そしてカナダでも再会。今回はNZで会ったアメリカ人とアメリカで再会。とにかくありがとう、Steve



MLB(メジャーリーグ)観戦記その2Oakland Athletics編〜」

アメリカと言えば何と言ってもプロスポーツ。NBANFLNHLそしてMLB。ハリウッドの映画産業と共に、プロスポーツはすっかり庶民に溶け込んでいる。野球少年であった私は、メジャーリーグには子供の頃から興味があったし、シアトルでマリナーズの試合を見た時には野球に対する考え方を少し変えさせられた。そして、今回本格的にアメリカに下るに当たって、時間があれば野球を見ようと考え、今回はオークランドアスレチックスの試合を見に行く事にした。

オークランドアスレチックス(地元ではA'sと呼ぶ)の本拠地のNetwork Associate ColiseumBART(サンフランシスコの地下鉄)のColiseum駅から歩いてすぐ。駅から歩道橋で球場までつながり、交通の便は最高の所にある。ここはNFLのレイダースと共有しており、NFLが始まると更ににぎやかになるであろう。私が見に行った試合は724,25日のミネソタツインズ戦。ツインズは現在アメリカンリーグ中地区の上位にいるし、A'sは西地区の2位につける。平日のナイターってこともあって、14日の試合はガラガラ。シアトルでほぼ満員状態を経験したので、これには驚いた。私が座ったのは外野席。球場の作りはシアトルと同じで、外野席は少なく、その分内野は3階まである。A'sもツインズも私は選手をほとんど知らないが、そんな事は特に問題ではない。基本的には、homeのチームを地元の人と一緒に応援するが、一番大事な事は試合を見られるって事で、勝ち負けもそれほど問題ではない。試合前は両チームともリラックスで、練習中のボールをどんどんお客さんにあげていた。この辺りは大リーグの選手はどこもそうであろう。ファンサービスはプロ選手には大切やからな。

試合前には必ず国歌斉唱。色々批判はあるとは思うが、私はこの瞬間がすごく好きで、というのは選手と客が一体になれるからだ。全員起立して脱帽する。ピッチング練習もこの時は止める。売り子さんももちろん立ち止まる。ただ、シアトルと違ってお客さんにアジア系の人々が多くいたので、アジア系の人々は愛国心をあまり持ってないのか、国歌斉唱も全然お構いなしだった。白人と黒人はちゃんとしてるのに。この辺りはいくら移民でもちゃんとしてほしいものだ。

この日の試合自体は、両先発人がぴりっとせずファーボールや球数も多かったのもあり、試合はだらだらと進んだ。こういう試合は見てる方もだれてくる。大リーグの投手は基本的に遊び球を使わないし、間合いもそれほど長くないので、テンポよく試合が進みがちだがこの日は違った。中継ぎ人が何とか頑張って試合らしくなってきたが、午後10時半を過ぎた時点でまだ試合が続いていたので、私は帰る事にした。結局、試合は7-6A'sがサヨナラ勝ちした。




A'sの応援団は太鼓を使う。両外野に陣取って、
"Let's go Oakland!!ドン、ドン、ド、ド、ドン"
と応援する。少々うるさい応援であったが、日本に比べれば全然まし。試合の最中にマリナーズの経過が流れ、マリナーズが負けてると客は大喜び。現在、ダントツ首位を走るマリナーズを追うA'sなら当然だろう。日本と違ってawayの応援がない分、awayの選手はやりにくいと思う。A's3番打者ジアンビの時の声援はすごかった。現在、打率争いの上位にいるからな。表裏の攻防の間には、もちろんファンサービスはある。ダンシングタイムもあるし。

25日は水曜日という事もあって内野の3階席は$1.00。ここでは水曜日のhome gameはいつもこうらしい。そして、ホットドックも$1.00。ホットドックはアメリカのjunk foodの象徴でもあるが、普段食べない私もこの日は合計5つも食べた(食べ過ぎたかな)。たっぷりピクルス系のものを乗せ、ケチャップ、マスタードもたっぷりかけた(健康には悪そうだ)。私なんてまだかわいいもので、10個ぐらいのホットドックの束を持って歩いてる人を多く見かけた。それは、男でも女でもそう。これぞ、アメリカって感じやろう。私はどうやってこの採算を取るんやろうって考えてた。$1.00チケットに$1.00ホットドック。その答えは明確だ。ホットドックと共に、皆ビールを買う。ビールは一杯$6.00はする。仮に、一人の客がビールを二杯も飲むと、お客さんがいないよりも、$1.00でも客を入れ、そしてビールを飲ませた方が儲かるような気がした。みんな、よく食ってるしな。試合の最中ずっと食ってる奴もいたな。ガラガラの飛行機に低料金のツアー客をとりあえず放り込んでおこうっていう考えと同じだろう。この辺りは、まんまと戦略に我々ははまったって訳だ。ホットドックのウインナーも電子レンジで温めたようなものやったし、パンもおそらく業務用やろう。

この日の試合自体は前日とうってかわって、両先発人が頑張るテンポのいい展開。こうなると見てる方も楽だ。試合自体も2時間半ほどで終わり、ツインズが3-1で勝った。

シアトルでの試合に比べて、オークランドの人々は行儀が悪いような気がした。ブーイングも多いしな。この町自体に色んな民族がいるので、客層にもそれが反映されてた。私は野球をしていたのもあって、テクニカルな面もすごく興味があり、攻守交代時の球場でのアトラクションと共に、大リーグの試合は本当に楽しめる。娯楽として野球を考えるなら、日本はもっともっと見習うべきところは多い。





MLB(メジャーリーグ)観戦記その3San Francisco Giants編〜」

731日、81日と、サンフランシスコジャイアンツの本拠地Pacific (Pac) Bell Parkにジャイアンツ対ピッツバーグパイレーツの試合を見に行った。Pac Bell Parkはサンフランシスコのdowntownの少し外れにある。と言っても、町の中心部から歩いてもいける。BARTEmbarcaderoからmuni(路面電車)に乗り換えて5分ほどで着くが、BARTの駅から歩いてもいけるしもちろん私は歩いた。Pac Bell Parkは海に面した球場で、去年renewalした。球場の周りにはヤシの木が植えられ、ベイブリッジも望めるし、locationは最高のところ。ジャイアンツはマリナーズに次いでお客さんの動員数が多く、本当は31日は私は外野席に行きたがったが、チケットはすべて売り切れで、火曜日というのに41,000人も入った。とにかくきれいな球場だ。マリナーズのSafeco Fieldもきれいと思ったが、ここはそれ以上かもしらん。立地条件もいいし球場自体もきれいし。外野のライト側はでかい壁になってて、観客席は2,3列しかなくその向こうは海である。球場からは海が望めるし、レフト側の海の向こうにはオークランドの町並みが見える。ライト側の壁の下側はフェンスになってて、外から試合がのぞけて、ライト方面はスタンドがほとんどないので、簡単に場外ホームランになり、その向こうはもちろん海なので、遊覧船が海から試合を見ていたり、ホームランボール欲しさにボートで待機してる人もいる。トイレの水道は噴水式で、球場内にはもちろんレストランやちびっこの遊び場もあり、ここは一種のamusement parkと言った方がいいかもしれない。入場料は少し高めだが、私はこの球場をすっかり気に入った。客を楽しませるという点では、日本の野球場はかなり後れを取っている。この辺りは本当に見習うべき。

31日はほぼバックネット裏の3階席で見ることにしたが、私は基本的にhome teamを応援するので、もちろんジャイアンツを応援した。日本では私がジャイアンツを応援することは考えられない。こっちのジャイアンツを応援しながら時々そう思った。ここで断っておくが、日本ではもちろんタイガースだ。日本のジャイアンツのような球団は一生涯応援することもないであろう。選手をお金で買うことしか考えてないあんな球団を応援してる人々の気がしれん。巨人ファンよ、早く目を覚ましたまえ。



今回で大リーグ観戦3カード目になるが、ナショナルリーグの試合は今回が初めて。細かいことになるが、日本ではhome teamは一塁側に陣取るが、この前のアスレチックスも今回のジャイアンツも三塁側に陣取る。マリナーズは一塁側だったが、この辺りはどういうことだろうか?ジャイアンツは現在西地区で首位争いをしているが、パイレーツは中地区の最下位。もちろん、私には試合の勝ち負けなんて特に問題ではないが、今回は何と言ってもバリー・ボンズを見に来た。現在、ボンズはホームラン王で、ダイヤモンドバックスのゴンザレスと激しいホームラン争いをしている。数年前のマグワイヤーとソーサのようで、ボンズはこの時点で既に45本もホームランを打っており、このペースで行くと最終的に70本近く行くことになる。ボンズについては、野球ファンなら誰もが一度は聞いたことがある名前と思うし、日米野球にもいつも来てるし、もちろん今年のオールスターにも選ばれた。日本で例えると、昔の王・長嶋のような存在かな。とにかくスーパースター。




では、ここからは試合の流れを、私自身解説者になった気分でお届けしよう。

試合は両チームの先発人(Gヘルナンデス、Pウィリアムス)がぱっとしなく、試合もだらだら進み、パイレーツが初回4点先取、そしてジャイアンツが追いついて逆転し、パイレーツもまたまた追いつくといったシーソーゲームで、7回を終わって5-5の同点。日本は真夏で過ごしにくいとは思うが、こっちは快適な北海道の夏の気候って感じで、朝晩になるとかなり冷えてくる。特にここは海沿いなので余計に冷える。お客さんも日が沈むと、フリースやジャケットを着始め、冬用のコート、毛糸の帽子、手袋といったいでたちの人もいるぐらいだ。私もフリースは着ていたが、途中から震えていたぐらいで、このだらだらした試合を縮こまって眺めてた。

ボンズはさすがで、ホームランこそなかったが、ホームラン性の打球を何度か飛ばし、ボンズの時はセンターとライトの守備位置はかなり深かった。ボンズが打席に入ると、カメラのフラッシュの数もすごい。見せ場は8回裏に来た。ワンアウト一、二塁で、バッターはボンズというところでお客さんは大声援。おそらく、みんなボンズなら何かやってくれると思ったはず。しかし、ボンズは見逃しの三振。これにはみんながっくり来たが、その後の4番ガララーガがライトフェンス直撃の走者一掃の三塁打を放ち、観客の興奮は最頂に。ガララーガは最近テキサスレンジャーズから移ってきたのだが、移籍してからの活躍はすごい。大リーグはトレードが頻繁に起こるので、ころころ選手が代わる。

そして、最終回は抑えの切り札のネンが出てきた。私もネンの噂は聞いていたが、その通りのいい投手だ。直球が無茶苦茶速い。この日投げた球はほとんど95mph (約152km/h)は越えていた。ただ少し投球が単調すぎた。簡単にツーアウトは取って、観客は総立ちで誰もが勝利を確信した。そして、シングルヒットを打たれ、ラミレスにツーストライクと追い込んだ後、ライトスタンドに持っていかれて同点。ここまではほとんどストレートだったと思う。投球が単調すぎ。ネンもがっかりしてたが仕方がない。結局、私は9回を終わって7-7の同点で、夜の11時近くなったので帰ることにしたが、試合は延長11回ジャイアンツがサヨナラ勝ちした。アスレチックの時と同様で、またもやサヨナラゲームを見逃してしまった。

技術的な面では、ナショナルリーグはピッチャーも打席に入るので、その分バンドや敬遠といった戦術も多くなった。大リーグでは大型のピッチャーが多く、気性も荒いので、バンドをもっと多投すれば簡単にピッチャーのリズムを崩せると思うが。しかし、「力」の大リーグでは必要ないかもしれない。

81日は、バックスクリーンの横からの観戦。この日は風が強くかなり寒かった。私は試合中ずっと震えていた。この日のジャイアンツの4番はケント。3番ボンズ、4番ケントといつもの打順だ。試合はテンポのいい展開で、数日前にパイレーツからジャイアンツに移籍してきたばかりのシュミットは素晴らしいピッチング。90mphを越える直球とカーブ継投の球のコンビネーションが抜群で、結局古巣相手に7回を投げてホームラン1本を許しただけで、それ以外はヒットを打たれてない。パイレーツの先発ベイメルも立ち上がりは球数が多かったが、それからはまずまずのでき。初回いきなりボンズがライト場外へのホームラン。ボンズはこれで通算540号。今シーズンのホームランも46本。すごい選手だ。

外野からこの球場を見ると少し広いような気がした。外野からの観戦はピッチャーの球筋が見えるので面白い。今日は投手戦で、ジャイアンツは8回からロドリゲス、そして抑えはネンを投入。ネンの抑えは前日失敗したが、この日は期待に応えて3人でぴしゃりと抑えた。ネンの球種をよく観察すると90mph代の落ちる球があった。昨日の反省も踏まえてか、この日は落ちる球もかなり投げてた。あの高速の直球とこの落ちる球は、打者には辛いと思う。ロドリゲスの直球もかなり速いし、何と言ってもこの2人はコントロールがいい。ジャイアンツは今首位争いをしてるが、私自身その上位に行くドジャースとダイヤモンドバックスの試合をまだ見たことがないが、この混戦の中ジャイアンツが抜け出すような気がする。というのは、2年連続優勝したダイエーのように、先発人がそこそこふんばり、打線が頑張って勝ち越し、そして12球団一の中継ぎ陣、そして抑えのペドラザという勝利の方程式をジャイアンツも持っているからだ。このロドリゲス、ネンはなかなか打ち崩せないと思うし、ボンズ、ケント、ガララーガのクリンナップはナショナルリーグ内でも最強であろう。マリナーズが強いのも、勝ちゲームはネルソン、佐々木というリレーでしっかりものにしているからだと思う。ダイヤモンドバックスには、右のシュリング、そして左にはあのランディ・ジョンソンがいて、打線はゴンザレスが引っ張っているが、これからの疲れの出る終盤戦は何と言ってもその投手の継投が大事だと思う。ジャイアンツのベイカー監督は、結構バンドも使うし、取るべきところで点をちゃんと取ってる。これでジャイアンツは7連勝。上位2チームがだらだらしてる間に、一気にジャイアンツが首位に躍り出るかもしれない。



サンフランシスコジャイアンツ観戦記、いかかがでしたか?今度はドジャースかパドレス、もしくはエンジェルスででお会いしましょう。

-Yahoo.com sportsより-

31/July

PIT

4 0 0 0 0 0 1 0 2 0 0

7 13 0

SFO

2 0 0 0 1 2 0 2 0 0 1

8 16 1

BATTERIES:
PIT - DAVID WILLIAMS, MIKE LINCOLN (6TH), JOSIAS MANZANILLO (8TH), SCOTT SAUERBECK (8TH), MARC WILKINS (10TH) AND JASON KENDALL

SFO - LIVAN HERNANDEZ, TIM WORRELL (7TH), FELIX RODRIGUEZ (8TH), ROBB NEN (9TH), WAYNE GOMES (10TH) AND BENITO SANTIAGO

WP - WAYNE GOMES (5-3)
LP - MARC WILKINS (0-1)

HOME RUNS: PIT - ARAMIS RAMIREZ (21) OFF NEN IN THE 9TH, 1 ON , SFO - PEDRO FELIZ (6) OFF D WILLIAMS IN THE 6TH, 1 ON

TIME: 3:58 ATT: 41,529

Scoring Summary:
Top 1st - Pittsburgh Kendall doubled to left, J Wilson scored. Ar Ramirez doubled to left, Kendall scored, B Giles to third. K Young singled to left, B Giles scored, Ar Ramirez to third, Rios to second. Meares grounded into fielder's choice to shortstop, Ar Ramirez scored, Rios to third, K Young out at second.

Bottom 1st - San Francisco
Galarraga doubled to left, Aurilia and Bonds scored.

Bottom 5th - San Francisco
Bonds doubled to deep center, Murray scored.

Bottom 6th - San Francisco
Feliz homered to left, Re Martinez scored.

Top 7th - Pittsburgh
Rios hit sacrifice fly to left, B Giles scored.

Bottom 8th - San Francisco
Galarraga tripled to deep right, Murray and Aurilia scored.

Top 9th - Pittsburgh
Ar Ramirez homered to left, B Giles scored.

Bottom 11th - San Francisco
Feliz singled to left, Dunston scored.

1/Aug

PIT

0 0 0 1 0 0 0 0 0

1 2 1

SFO

1 1 0 0 0 1 0 0 x

3 7 0

BATTERIES:
PIT - JOE BEIMEL, OMAR OLIVARES (6TH) AND JASON KENDALL

SFO - JASON SCHMIDT, FELIX RODRIGUEZ (8TH), ROBB NEN (9TH) AND BENITO SANTIAGO

WP - JASON SCHMIDT (7-6)
LP - JOE BEIMEL (5-7)
SAVE - ROBB NEN (31)

HOME RUNS: PIT - JASON KENDALL (6) OFF SCHMIDT IN THE 4TH, 0 ON SFO - BARRY BONDS (46) OFF BEIMEL IN THE 1ST, 0 ON

TIME: 2:31 ATT: 41,251

Scoring Summary:
Bottom 1st - San Francisco Bonds homered to right center.

Bottom 2nd - San Francisco
Schmidt singled to shallow right center, Dunston scored.

Top 4th - Pittsburgh
Kendall homered to left.

Bottom 6th - San Francisco
Santiago singled to right, Kent scored, Galarraga to third.





















「今月のお勧め映画 vol. 6

"America's Sweethearts"(おすすめ度・・・)
Julia Roberts, Catherine Zeta-Jones, Billy Crystal, John Cusack
ハリウッドの二大女優Julia Roberts, Catherine Zeta-Jonesの共演ってことで話題をよんだが、感想としてはまずまずかな。評論家の評価はかなり低かった。Catherine Zeta-Jonesはわがままな女優を演じ、その付き人がJulia Roberts。実は彼女達は姉妹。Catherine Zeta-Jonesは別れた夫で俳優のJohn Cusackと共に映画の記者会見に望むが、そこで様々なことが起こる。展開的には途中で読めてきた。悪くはなかったがまずまず。非常に笑える。おそらく日本でも公開になると思う。しかし、Julia Robertsの前作"the Mexican"のように、彼女が出てるってことで多くの人がこの映画を見に行くと思うが、もう一度見ようって気にはならないと思う。

"Brother"(おすすめ度・・・)
Beat Takeshi, Claude Maki, Omar Epps
たけしのロスを舞台にした最新のやくざ映画。東京で居場所のなくなったたけしはロスにいる弟の真木蔵人を訪ねるが、その弟は覚醒剤の売人もどきのことをしていた。そして、ロスを舞台にして彼らは大暴れ。その結果、大きな組織に狙われることになる。人がどんどん殺され、やくざの落とし前の付け方として小指を切るシーンもかなり出てくる。時々えぐいシーンもあったが、たけしらしい動きの少ない映画で、やくざのしきたりを中心に、日本も描かれていたので、こういった映画はどんどんこっちにも侵出して来て欲しい。先週公開になったばかりなので、こちらの人々の反応はまだ分からないが、私の感想としては悪くはない。ただ、人が無意味に殺されるシーンがかなりあったので、それはちょっとやり過ぎかなって気もした。

Legally Blonde(おすすめ度・・・・)
Reese Witherspoon, Luke Wilson, Selma Blair, Matthew Davis
恋人に振られた普通の女子学生が、その恋人を追ってハーバード大学に合格し弁護士を目指し、最終的にトップで卒業することになるというサクセスストーリー。主役のReese Witherspoonがどんどんと周りで事を起し、そして周りの人の心を掴んでいく。なかなか面白かった。かなり笑えるし。最後の展開は読めたが見ても損はしないと思う。日本では公開されないと思うが、こっちでの評価は悪くない。