Chapter 2 「ユーコン漂流」

Dawson City - Circle (417km, 1 ride by kayaking)



Jun 13, Dawson City - 40mile townsite (83km)

Dawson Cityを出る数日前に、Whitehorseから日本人(健一君)がカヤックでやって来た。運のいいことに彼のカヤックは2人乗り。カヤックで国境を越えるのもいいな。そう思って、私は健一君に交渉したら、快くOKしてくれ、2人でカヤックで国境を越えることにした。

river kayakは何度かしたことはあるが、本格的なのは初めてだ。ちなみに、健一君は最後(ベーリング海)まで行く。彼は野田佑介さんの大ファンで、野田さんはいつもカヌーに愛犬ガクを前に乗せている。そこで、私は健一君に、

「ガクはガクでも、話せてボケてつっこめて、料理のできる学(ガク)はどう?」
と私のことを聞いてみたら笑ってた。もちろん、私はカヤックなんてやるつもりでなかったから、問題は荷物だ。私のバックパックをどうするか。色々小物もあるし。大きな私のバックパックをカヤックの上に乗せ、私が前、健一君が後ろに座り、私の足元は便所サンダル(長靴があればなとつくづく思った)、そして短パンでいざ乗り込んだ。我々以外にもドイツ人のトステンがいて、しばらくはこの3人で一緒に行くことにした(vol.102参照)。

我々が何気なく漕いでると、川の反対側に煙を発見。そう、先に行ってたトステンが火を焚いてた。我々は急いでそっちに向かったが、なんせ川の流れが速く、少し流されてしまった。トステンがいたのは、40mile townsiteと昔あった集落の跡地。ここには小屋が一軒残っていて(もう数軒ボロボロのはあったが)、ここは我々がstayできるようにきちんと管理されている。テーブルやキッチンもあるし(当然、sinkや水はない)。電気は発電機らしきのがあった。椅子には熊の毛皮が。なかなかcosyなところだ。我々は雨水を使って、lazyなめしを食い、その後は3人で寝るまで時間を潰した。一応、熊対策はちゃんとした。



「ユーコン漂流」

ユーコン川は淀んでいる。シルトのような小さな粒子のせいだ。水温は氷のよう。我々の行くつい2週間前に氷が溶け始めたばかりで、まだ両岸には氷が残っているところもあった。私自身本格的なriver kayakingはこれが始めてだが、ユーコン川の流れは思っていたよりも速い(約10km/h)。川は色んな側面を持っていて、同じように流れてはいるが、場所によってその表情は全く異なる。渦を巻いてる所もあれば、流れのない所もある。だから、漕がないでいると簡単に船体が横に向く。パドルを使って漕ぐというよりは、常にパドルで船体をまっすぐにしてるといった方がいい。漕がなくても進んでいくからだ(下流ではそうはいかないだろうが)。流れ的には真ん中ほど安定しているが、広い所で川幅は100m以上あったと思う。だから、例えば川の右側を漕いでて、左側に何かを見つけてそれに向けて漕いでも、川に流されてしまったことがしばしばあった。逆戻りはかなり辛い。岸のそばを漕げば、風がないと蚊が寄ってくるし。蚊には本当に悩まされた。

川からの眺めはまた違った趣があり、対岸には野生動物が姿を現す(主に、ムース)。周りは森林であることが多いが、緯度的なものなのか、針葉樹はまっすぐ垂直に伸びており、枝分かれはしていない。建築資材にはもってこいと思う(強度は分からない)。広葉樹では白樺を多く見かけた。Birch Creek(樺の小川)という名のcreekがあるほどだから。中洲も多くある。ムースは熊を避けて中洲に住むこともある。Circle近辺の中洲ゾーンはまさしく迷路だった。ただ、景色的にはroutine。山の頂上に雪がないせいか、緑ばかりで少々退屈(当然岩山もある)。でも、所々すげえと思わせる所もあった。

川の所々にnativeの小屋がぽつんとある。彼らは人里離れてポツリと住んでいる。ちょうど、これから鮭が登ってくる時期だったので、fish campを張ってる人々もいた。何百kmおきには一応集落はある。そこで、食糧の買い足しはできる様になっている。

風のある日はかなり大変。なぜいつも向かい風なのかはわからない。川は波立つし、そうなると常に波に対して船体を垂直にしないと、簡単に横に向いてしまうし、バランスを崩して少々危険だ。太陽が隠れるとかなり寒くなる。それに風が伴うとわやだ。雨だけならまだましだが、寒くなるのは寒くなる。ただ、仮に晴れていてもにわか雨がよく降る。

一日平均8時間で80kmほど漕いだが、ずっと座ってた分すぐにお尻が痛くなる。トイレ休憩は12度ほどしてた。こうやって、川で国境を越えて、ゆっくりと時を過ごすのもまた違った楽しみであった。




Jun 14, 40mile townsite - Eagle (84km)

この日は一日中雨が降ったり止んだりで、かなりきつかった。雨よりもきついのが風だ。これがかなり厄介。それと、クルーズ船。こいつが来るとかなり波立ち、少々危険。客は我々が珍しいのか、手を振ったり、写真を撮ったりしてるが、頼むから向こうに行ってくれ。それでも、感じのいい私はその声援に応える。

夕方、無事アメリカ入国を果たした。国境は森林の一部が線上に伐採され、一応線が引かれてる。両国の国旗がそこに掲げられ、それ以外は何もない。入国手続きはこの先の集落のEagleで行う。この国境ももう少しで見過ごすぐらいわかりにくく、我々はまたもや少し流されてしまった。

その国境から2時間ほどで、nativeEagle villageを過ぎ、そしてEagleに無事入った。Eagleは思ってた以上の町。と言っても、本当に知れている集落。cafe兼レストラン、雑貨屋、motelB&Bがあるだけ。入国手続きはいい加減で、雑貨屋のおっちゃんがB&Bにいる係りのねえちゃんに連絡してくれ、そのねえちゃんの車のトランクの上でスタンプを押してもらった。私は4月にSeattleに行った時のvisaが残っていたので、何もされなかった。Eagleに着いてまず感じたことは、そうアメリカだ。米ドルを使わないといけない。これからはしばらく米ドル君達と時間を共にしないといけない。この時点でもう9時近く、我々は近くの丘の上にいるおばちゃんに頼んで、家の庭でテントを張らせてもらった。雨は降ってるし、もう店は閉まってるし、テントの外では蚊がいるし、何もすることはない。もう寝るしかない。



Jun 15, Eagle - ?? (about 80km)


朝、近くにあるvisitor centerに寄ってみた。ここの人は本当に親切な人だった。この近くでハヤブサが巣で卵を温めており、ここ数日ここの人々がそれをカメラで撮り続けており、今朝雛が孵った。これが又かわいい。それにしてもよく撮り続けたもんだ。

少し買い物をして、cafeでコーヒーを飲んで出発した。昼からは天気も良くなってきて、ただ漕ぐのに慣れてくると、単調になってくる。一日ひたすら漕いでるだけやし、天気がよくなると眠くなってくる。健一君としばらく一緒にいるわけなので、あまり話しすぎるとネタがなくなるし、かと言って自分の話ばかりするのも申し訳ないので、その辺の間の取り方は一応考えないと。トステンと私は話ができるが、健一君は英語が全くできないので、それも申し訳ない。ただ、彼は好奇心旺盛で、私は通訳を頼まれ色々トステンに聞いてあげた。

夕方、川のほとりで先に行ってたトステンと、もう2人のドイツ人を発見。そして、我々もそこでstayすることにしたが、そこはおびただしい蚊だ。NZMilfordのサンドフライ並みだ。この数は半端じゃない。私は何とかその難を掻い潜ってテントを張り、そして料理を作り始めた。この2日間はちゃんとしたものを食ってなかったので、この日のmenuは持ってきたシーチキン、セロリ、タマネギ、ニンニク、コチュジャンを使って、ブルコギもどきのパスタソースを作って、それをパスタにかけて食べた。ブルコギにはビールやろう。そう、私はその事も考えビールを持って来てた。健一君も満足してくれたし。ユーコンのほとりでこうやってちゃんとめしを作るのもいいもんだ。これに、蚊がいなければな。




 「すごいじいさんに会った」

Eagleで出発の準備をしてると、迷彩服を着たじいさんが話し掛けてきた。じいさんは数年前に一人でユーコン川を下って、Whitehorseから3ヶ月ほどかけてベーリング海まで行ったという。我々はこのじいさんとこの町に唯一ある喫茶店で一緒に話す機会を設けた。

じいさん(Davidさん)は元海軍兵。定年後、一人でヨットでの世界一周の旅に出かけた。1987年にイギリスを出発し、ブラジル、ホーン岬、ケープタウン、西オーストラリア、スマトラ、香港、佐世保、そしてアラスカと来た。アラスカに来てもう7年。世界一周のゴールまでもうすぐと言ってた。すごいじいさんだ。若い時にするならまだ分かるが、定年後にするのだからすごい。もう75歳ぐらいやと思うが。佐世保に寄ったのは、じいさんの娘さんがいるからだそうだ。そこに半年いて、そこで新聞の取材を受け、その記事を見せてもらった。だから、少し日本語ができる。今は、夏はアラスカ、冬はカリフォルニアにいるらしい。でも、今度はチリを目指していくと言ってた。

じいさんは色々旅のテクニックを教えてくれた。と言っても、私のとはスケールが違うし、じいさんのは命を張っている。一人旅の船には10mの船体が最適らしい。ペンキはかなり重要で、そうでないと簡単に塩水に錆びてしまう。そのペンキにも色々種類があって、ここまで来ると専門分野に入って、私には少々難しかった。川と違って、何日も船で過ごさないといけない。その分の食糧をがっつり買いだめ、仮に食糧がなくなったらそこで終わりなので、その摂取量は常に考えないといけない。特に、水は重要で、料理用の水は海水を混ぜて使ってたみたい。あと、雨水の確保も重要だ。

私はカナダとアラスカの人々の違いを色々聞いてみた。私自身、まだこの時はアラスカに入ったばかりで、両国の人の違いを把握してなかったが、じいさんが言うには少々異なるという(旅を終えた今の私の気持ちは、じいさんに賛成)。特にユーコンのほとりの人々の生活の違いについて解いてくれた。ユーコンの人々は比較的集まって生活する。そして、仮に熊が来ても熊を保護しようする。逆にアラスカの人は個人的にぽつんと生活したがる人が比較的多く、そうなると熊に対する防御は個人でしないといけない。よって、拳銃を携帯し、もし熊が襲ってきたら間違いなく射殺する。そういった事を考慮すると、アラスカの人ほど自立できてると言えるし、じいさんもそう言ってた。

じいさんは淡々と自分の経験を語っていたが、全くすごい人だ。OZで会ったワニ取りのハリーじいさんもスゴイと思ったが、このじいさんもただ者ではない。それに比べりゃ、私なんてまだ坊ちゃんだ。世界にはまだまだすごい人がいるやろう。





「蚊・蚊・蚊・・・・」

ユーコン、アラスカを語るには、蚊のこと抜きには語れない。その数は半端でないし、本当に悩まされる。彼らは四六時中いて、昼であろうと夜であろうと関係ない。NZMilford Soundのサンドフライ君達以上だと思う。当然、町中では少ないが、少し町を離れるとわやだ。森の中、川のほとり。ユーコン川でもそれは例外ではない。

ただ、国土がでかく、人が少ないせいか、こっちの蚊は動きが鈍い。簡単に仕留められる。目の前に蚊がいて、両手を準備して、パンと叩くと間違いなく仕留められる。はっきり言おう、ここの蚊はあほだ。彼らは仲間がどんどん仕留められてるのに、彼らは凝りずに寄ってくる。ほんまにあほだ。でも、本当にその数は半端でなく、テントを張る時、料理をする時、そしてテントに入る時なんて半ば命懸けだ。その分テントの中ではどんなに極楽か。

ユーコン川を漂流してたこの日、我々は川のすぐそばでテントを張ることになったが、この時の数は半端でなかった。一瞬、どうしようかと思った。しかし、我々より先にトステンの他に、ドイツ人のおっちゃん2人いたが、彼らは全然苦しがってない。あるおっちゃんが、

「お前ら、蚊除けのスプレーを持ってないのか。」
と尋ねてきたが、私が持ってたのはホームセンターで買った安いへこいやつで、効き目はいまいち。健一君が持ってたのは蚊に刺された後のムヒのようなもの。これは論外。そして、このおっちゃんは多めに持ってた蚊除けのスプレーを我々に譲ってくれ、その名は”Moskol”。これを皮膚に塗ると、なんと蚊は寄っては来るが全く刺さないではありませんか。すごい薬だ。もっと前に聞いておくべきだった。私の悪友、五十嵐からもらった中国4000年の秘薬(asia1997参照)に次ぐ素晴らしい薬だ。この時点で私は100ヶ所以上は刺されてて、健一君は顔がぼこぼこだった。

cabinで寝る時は蚊取線香を焚いてた。蚊取線香は金鳥にはかなわないが、そんなのはここでは手に入らない。私はホームセンターで安いのを買ったが、それで十分。というのは、上にも述べたがこっちの蚊はへこい。金鳥ではレベルが高すぎ、もし金鳥のを使ったら、おそらくこの辺りの蚊は全滅してしまうであろう。でも、金鳥絶対派の私は金鳥のを使わず、他のメーカーの蚊取線香を使ってしまった罪悪感を少々感じてしまった。

とにかく、ユーコン、アラスカの蚊は半端ではない。あれだけまとわりつかれると、今私の周りに蚊がいないのは少々寂しい気がする。ユーコン、アラスカの蚊君達に一言。
「また会おう。その前に学習しておくように。」



Jun 16, ?? - ?? (about 80km)

この日は本当にいい天気。ただ風がない分、暑くなるし、岸の近くでは蚊が寄ってくる。これだけ天気がいいと、眠くなってくる。よって、我々はカヤックの上で昼寝した。こうやって昼寝をしてても、車と違うところは、漕がなくても川がカヤックを運んでくれる所だ。これは非常に助かる。一日中ずっと漕いでるわけではなく、当然途中で休憩する。でも、船は進む。健一君は途中で釣りを始めたが、ユーコン川の淀んだ水では、魚はルアーが見えないらしい。

この日は、川岸に見つけたcabinにみんなで泊まることにした。このcabinは政府か州の管理だと思うが、管理人がシーズン中は必ずいる。でも、一人でぽつんとこんなとこでこのおっちゃんは孤独やろうな。おっちゃんはすごく親切だった。このcabinにはベッドがありガスもある(もちろん、電気や水はない)。窓には網戸があって蚊は防げるし(ドアの開け閉めで入ってくる蚊は防げないが)。この日の晩飯は、シーチキンパスタ。残ってた野菜とシーチキンを使って、それとセロリとほんだしを使っておすましを作った。これも健一君には大好評。

めしの後は、ユーコン川のほとりにある小屋で、最後のビールを飲みながら話してた。ここにも網戸があって最高。天気もいいしな。ただ夕日はなかなか沈まない。AM1時ぐらいかな。でも、すぐに太陽が出てくる。ユーコン川のほとりにはぽつぽつとこういったcabinがあり、どうも若者の研修施設のようだ。これは正直助かる。久しぶりにベッドで寝られたしな(ベッドと言ってもかなり汚いのは致し方ない)。




Jun 17, ?? - Circle (about 90km)

この日もぽかぽか陽気。よって、またもや昼寝。この日の目的地は、私にとっては最終地点となるCircle。ここで、彼らとはお別れだ。Circle付近になると、中洲の数・規模はすごく、間違って他の中洲を横切ってしまうと、とんでもない方向に行くことになる。川幅もかなりあるし。

夕方、我々は無事Circleに着いた。Circle100人も人がいない小さな集落。雑貨屋とmotelがあるだけ。この日は日曜日ということもあって、我々が着いた頃には店が閉まる寸前。もうビールしかないやろう。Dawson Cityからここまで、当然我々はシャワーを浴びていない。5日も浴びてないと、頭はかゆくなるし、汗で体は臭いし、ユーコン川の水で足はドロドロやし。ここには公共のシャワー場があって、よしと思ってると「故障中」。あほか。はよ直せ、どあほ。

いやー、ここまで色々あった。まずは健一君には感謝。彼は大工さん。親方に数ヶ月休暇をもらってここに来た。普段は、仕事以外は映画と読書の毎日で、家にテレビはないと言ってた。今時珍しい青年だ。私以外の彼ら全員(健一君、トステン、ドイツ人おっちゃん2人)は最後のベーリング海まで目指す。Whitehorseから2ヶ月はかかると思う。先を考えるとぞっとするが、是非無事にゴールして欲しい。ほんと、これは貴重な経験やったな。ありがとう。




 「そしてビールで乾杯」

Circleに着いてまずすることは、もうビールを飲むしかなかった。シャワーも浴びたかったが、そんな事よりもビールだ。こんな小さな町なのでlight beerしかなかったが、そんなのはどうでもいい。この日は暑かったし、もう飲むしかない。

我々は川のほとりのテーブルでビールを飲んでると、学生らしき人が我々に近づいてきて、我々にインタビューしたいと言う。その内容は、kayakingの最中に上空を飛んでいた飛行機についてだ。この辺りには空軍基地があって、そのエアクラフトの低空飛行が森林に及ぼす影響を彼女達は調査している。彼女はマイクを取り出して、私とトステンにインタビューし始めたが、確かに上空で飛んでいるのは何度か見たが、我々は特に気にもならなかったし、彼女が言うにはこれからもっと飛行機が飛ぶシーズンが来ると言う。低空飛行が森林を破壊しそうなのは、状況的に想像できるが、それ以上に野生動物への影響も考えないといけない。特に、ハヤブサなど。ハヤブサは雛が孵るまでに何日も卵を温めるが、低空飛行による風圧によって飛ばされる可能性もある。ただ、この問題については、アメリカ自身で問題を作って、自らで解決しようとする何とも無意味なことをやってるなと私は正直思った。

インタビューが終わった後は、ひたすら飲みまくった。健一君には本当に世話になったので、ビールは私のおごりだ。健一君は本当に今どき珍しい青年で、日本にいれば間違いなく我々は知り合いになっていなかったぐらいお互い正反対の性格。彼は大工さんで、仕事以外は本を読むか映画を見てる。家にいる時は、バーボンをストレートで飲んで、居酒屋に入るのはどうも苦手なshyな青年。テレビも家にないと言ってた。ただ、彼は冒険家の本が大好きで、その知識は半端でない。本を買うためだけにノルウェーに行きたいと言ってた。今回、海外に来るのは初めての彼は、周りにいる外国人のことが興味津々で、英語ができない彼は私に色々通訳を頼んできて、その度に色々周りの人に聞いてあげてた。そんな彼は、ビールを飲んでるうちに酔っぱらって寝てしまった。次に日は、私はヒッチで出発しなければいけなかったので、二日酔いの健一君とちゃんとお別れをできず別れてしまったのは心残りだ。

トステンもいい青年だ。彼はドイツ人には珍しく、ゆったりした間(ま)を持っている。彼はハンバーグが大好きで、ハンバーグが食べたいといつも言ってた。それと、すごく写真好きで、私が撮った北極海での写真を是非送ってくれと言ってた。他のドイツのおっちゃん達は、毎年この時期になるとここに川下りに来ると言う。

「なんで毎年ここに来るのか?」
の質問に対しては、

「漕いでるうちに分かっただろう?」
という答えはすごく説得力のある解答だった。ここでkayakをやった人同士、我々は気持ちは同じ。空腹状態で簡単なスナックしかつまみになかったが、この日のビールはアメリカのlight系ではあったが格別うまかった。