Chapter 1 カナダのでかさを肌で感じたで

Vancouver, BC - Dawson City, Yukon (3059km, 16rides)




Jun 3, Vancouver - Whistler (125km, 2 rides)

ヒッチでアラスカに旅立つ前に、Christa, David, KimSquamishにトレッキングに出かけた。こうやって、彼らと一緒に時を過ごすのもこれで最後になるかも知らん。私は前日の送別会、そして荷物のパッキングで、前夜はほとんど寝られんかった。よって、この日はかなり眠い。トレッキングは簡単な山登り。景色は良いし、空気はきれいし。ほんと、カナダはトレッキング王国やな。我々が、景色のいい開けた所で休憩してると、Christaが何気なく熊の話を仕出した。そうだ。ヒッチが難しい、アメリカは拳銃がある云々よりも、私はもっと命に関わる大事なことを忘れていた。そう、熊対策だ。私は3人から一般的な熊対策を教わった。あとは、熊と出会わないことを祈るだけだ。

トレッキングの後は、Davidに北に向かう道でdrop offしてもらった。そしてヒッチの開始。この時点でもう夕方だったので、余り距離は稼げない。私はヒッチを開始してすぐに違和感を感じた。そう、右側通行でのヒッチは初めてだ。右手の親指を立て、道路の右側に立ってヒッチする。なんかぎこちない。しばらくして、Whistlerに行くというアメリカの兄ちゃんをget。そう言えば、私はWhistlerは初めてだ。Whistlerは思ってた通りのリゾート地。早くこんなところは通過したい。しかし、ここからのヒッチは苦戦した。もう日も暮れかかってる。それに、やたらヒッチハイカーが多い。これはあかん。私はこの日のヒッチは諦め、町から外れた森の中の川沿いにテントを張った。そして、家で作って来たおにぎりを食って寝た。



 「熊対策」

カナダ、アラスカのトレッキング、キャンプでは、何と言っても熊に注意しないといけない。私は今回の旅の道中に色んな人から熊対策を教わったし、自分で勉強したりして、かなり熊対策、熊の習性については知識が着いた。

カナダ、アラスカには大きく分けて3種類の熊がいる。カナダ、アラスカ全域に存在するblack bear(主に森林部で、ユーコンで多く見かけた)、grizzly (brown bear、アラスカで多く見かけた)、そして北極海沿岸に住むpolar bear (いわゆる白熊、この熊を見るのはなかなか難しい)。

基本的に、熊は人間を恐れる。そして、好奇心旺盛で頭が良く、何と言っても彼らの嗅覚は半端じゃない。常に食べ物を探してる。彼らのパワーは人を簡単に殺せるほどすごい。体長は510feetはあるし、体重も1000パウンドあるのもいる。

さて、それでは熊から避けるためにはどうしたらいいか。
・食べ物を絶対テントの中に置かない
食べ物、匂いのするもの(歯磨き粉やシャンプー)などは、テントから100mほど離れた風下に置く。当然、魚の臭いのする服などももってのほか。めしを作るのも当然テントから離れた所。めしを作る所、食べ物を置く場所、テントとちょうど一辺が100mほどの三角形状になるようにするのがベスト。木にロープで食べ物をぶら下げてもいい。熊は木には登れない(しかし、black bearは登れる)。熊用の食べ物を保管する缶を使うのもいいし、防水バックは効果的。

・うるさくする
熊は人間を怖がるので、かばんに鈴を付けたり、歌ったり話しながら、大人数で行動する。つまり、常にそこに人間がいるって事を熊に分からせる。

・熊のテリトリーを侵さない
熊は縄張りを持っているし、人間同様trailを持ってる。よって、これらの縄張りには入らないこと。特に子育ての時期には、彼らもnervousになってるはず。

では、もし熊に遭遇してしまったら、
・人間であることを分からせる
普段の声で熊とお話をし(決して怖がらせない)、そしてゆっくり目を合わせながら下がっていく。手を大きく振るのは効果的。彼らよりも自分を大きく見せることが大事で、決して縮こまらない。

・決して走らない
走って逃げると、熊の獲物を追う本能をくすぐることになる。彼らは犬のように速い。よって、手を振りひたすら話し続けるのがいい。それでも逃げないのなら、フライパンを叩いたり、声を上げたり、石を投げたりしてうるさくする。

それでも襲ってきたら、
・死んだ振りをする(特に、グリスリーの場合)
お腹を下にして手を首の後ろで組み、小さくなってひたすら熊が攻撃しなくなるのを待つ。一般的に、熊は恐怖心がなくなればその時点で去っていく。だから、熊が完全に遠くに行くまで、ひたすら死んだ振りを続ける。ただ、吉本新喜劇で島木譲二が出てきて、「熊や、死んだ振りせえ。」と桑原和男が言ってみんなが死んだ振りをするが、あの死んだ振りは決して真似はしない様に。あれはあくまでも喜劇なので。

・戦う
熊の中には人間が食べ物を持っていると知って、攻撃を止めない時はある。その時は戦うのみ。理屈も何もない。ペッパースプレーを撒くぐらいに熊が近寄ってくると、はっきり言って手後れだ。もうすでに熊は人間に手が届く距離にいるのだから。





Jun 4 Whistler - Prince George (633km, 7 rides)

朝起きてめしを作ろうと準備をしてると、何!!ガス缶とギアが合わへんでは。ギアはNZで買ったやつで、ガス缶はVancouverで買ったやつ。うあ、ちゃんと調べてきたらよかった。全くあほだ。これでは、めしどころではない。私は、今日の行き先を急遽この先で一番でかい町のPrince Georgeにした。と言っても600kmはある。でも、でかい町じゃないとこのギアに合うガスは売ってへんやろう。

ヒッチ開始後、すぐに地元のおっちゃん、電話会社のおっちゃんと繋いでPembertonまで来た。この辺りの景色は最高。山と川が神秘的な世界を作り出してる。天気もいいし。とりあえず、私はPembertonGSでパンを食って、そしてヒッチを再会したが、これが大苦戦。車は少ないし、止まってくれないし。私自身、ヒッチの勘がまだ戻っていない。そうこうしてるうちに他のヒッチハイカーも来たし。とにかく、この辺りはやたらヒッチハイカーが多い。お前ら、どこ行くねん(お前が言うな)。

私はここで3時間以上は待ったかな。その間に、ここから少し先の町に行くという車は何台か止まってくれたが、私は長距離を狙ってたので断ってた。しかし、もう待ちきれんし、流れを変えんと。そして、この先の町に行く車をgetしたが、そこにはまたもや他のヒッチハイカーが。一体どうなってんのや。お前ら、バスで行け(お前が言うな)。ここからは頭脳play。重い荷物を背負って少し歩き続け、しんどそうな顔をして歩きながらのヒッチ。すると、感じのいい家族が止まってくれた。ラッキー。

それから、イングランドからのおじいちゃんと3人のおばあちゃんのpartypick up。その車の中で、前の日Yellowknifeでキャンプしてた青年が熊に殺された記事を新聞で見た。気をつけんと。この4人はすごく感じが良かったな。ただ、イングランド訛りがきつかった。"Billy Eliot"の世界だった。

私はLillooetで降ろされたが、この辺りは乾燥地帯。Vancouverはあれだけ雨が多いのに不思議なもんだ。この辺りは潅木の山々が広がるし、はげ山もある。そして次は、片腕を首から包帯で吊るしたおっちゃん。おっちゃんは、この辺りの昔話を色々教えてくれ、Lillooetにはつい最近まで日本人の医者一人しかいなかったらしい。第二次大戦までは、BCの海岸線は、漁をしに来た日本人がかなりいた。いやー、色々勉強になった。

おっちゃんに、R97の交差点で降ろしてもらい、そこからはアラスカに向かうという兄ちゃんをすぐにget。私は一瞬考えた。このまま一緒にWhitehorseぐらいまで行ってもいいな。でも、とにかくガスを買わなあかん。Davidに借りたテントは穴が空いてて、修理せなあかんし。少し買い足さなあかん物もあるし。私は色々考えたあげく、予定通りPrince Georgeで降ろしてもらうことにした。この兄ちゃんはなかなか陽気だ。アラスカで仕事を探すという。がんがん音楽をかけながら、私がレゲエ好きと知ってからは、ボブ・マーリー一色で、そしてガンジャを吸ってた。

「レゲエにはこれしかないやろう。」
と笑ってた。全く困ったもんだ。いやー、この日は長い移動だった。Prince Georgeに着いた時はもう夜の10時近かった。疲れた。



 「こんな宿は初めてだ in Prince George

Prince Georgeは規模が小さいがそれなりの町なので、町中にはテントは張れない。私はキャンプ用品を買い足すために町中に滞在する必要があり、ここではバックパッカーに泊まった。

この町にはここしか安宿がない。私は何気なくcheck inすると、宿の人に、

「お前の持ってる最低限必要な荷物以外は、貴重品も何もかもすべてここにおいていけ。もしそうしないなら、どうなっても責任取らんぞ。」
と言われた。私は何を言ってるのだろうと始めは戸惑ったが、後々状況が分かってきた。そう、よく周りを見ると私以外はほとんどhomelessの人々だった。部屋に靴を置いてても盗られることがあると言う。だから、宿の人に靴は枕元において寝ろと忠告されたし。一体どんな宿なのだ。ここには、free breakfastがある。たぶん、昼も夜もfreeやと思う。それを目当てにここに泊まってる以外のhomelessの人々も、その時間になるとここにやって来る。ここでstayしてる彼らは多分低料金の宿泊料だと思う。詳しくは分からない。シャンプーや石鹸も支給される。しかし、彼らは体を洗ってる気配はなく、悪臭が漂ってた。そのせいか、ベッドもかなり臭かった。それと、体の不自由な人、病気持ちの人もここにいて、

「健康管理にも気を付けろ。たまに病気が伝染する。」
と宿の人に言われたぐらいだ。一体どんな宿だ。私は腹が減って減って、キッチンでめしを作らせてくれと頼んだら、あっさりここにはキッチンはないという返事がきた。まあ、考えてみればそうだ。ここにキッチンがあるとわやになるな。

次の日の朝、私は朝食に下に降りてみると、多くのhomelessの人々が食事を待ってた。彼らの中には地方からここに仕事を探しに来た人もいる。当然、彼らすべてがインディアンの人々。カナダ政府は彼らの生活保護をしてるはず。ひょっとしたらここはそういった施設なのかも知らない。まだまだ働けそうな人もいるのだが。私は何人かのおっちゃんと色々話した。彼らはとてもfriendly。やはり、現在職探し中という。体が不自由で仕事ができない人はどうしようもない。選択肢がないからな。私は宿の人や彼らとはかなり仲良くなった。

アングロサクソンの国は、こういった先住民族との問題が必ずある。NZ, OZでもそうだ。この辺りの問題は非常に複雑で、というのは白人が彼らに仕事を与えないのか、彼らがただ怠慢なだけなのか、私自身ももう一つピンと来ない。白人もインディアンも特別視することなく同等の立場にすべきやと思うが。仮に先住民族にお金を与えると、彼らをlazyにしてしまうし(いわゆる社会主義的な立場になってしまう)。我々日本人には馴染みのない世界だが。うーん、難しい。



Jun 5, Prince George - Dawson Creek (400km, 3 rides)


Prince Georgeはまずまずの規模の町。となると、ここからのヒッチは大変となる。とりあえず、私はヒッチのできそうな町外れまでひたすら歩いた。キャンプ用品屋のねえちゃんは15分と言ってたが、どこが15分やねん。1時間以上は歩いたぞ。この日のヒッチも苦戦。何と言っても、雨がぱらついてる。1時間は待ったと思う。そこに、行き過ぎたパトカーが戻って来た。やばい、捕まる。そう、BC州は一応ヒッチは違反となってる(特に、highwayでは)。私はそのことは知っていた。しかし、私の予想に反して、この警官は非常に良い人で、

「ヒッチのできそうな所まで乗せたる。」
と快く私をpick upしてくれた。おお、ラッキー。この警官は日本好き。彼の柔道の先生は日本人。我々は日本の話で盛り上がり、降ろされる予定であった所をかなり通り過ぎ、仕事そっちのけで2人で盛り上がった。そして、降りる時には名刺までくれ、

「もし、ここに戻ってきたら連絡くれ。」
と言ってくれた。やはり、警官も人の子やったんや。

ここからはまたもや大苦戦。こうなったら頭を使うしかない。私はヒッチボードにここから2000kmはある"Dawson City"と書いて、人情を誘った。すると、普段は絶対止まらないというおばあちゃんが止まってくれた。

「このボードを見て、かわいそうと思った。」
だそうだ。またもや作戦成功。

このおばあちゃんは人を驚かせる話ばかりしてた。ヒッチで人が殺されたとか、熊に人が襲われたとか。私が今までの旅のことやホームページの話をすると、

「ねえ、私のことも載せておいて。」
と頼まれた。おばあちゃん、約束は果たしたで。

この辺りの景色も実にきれい。きれいのはきれいのだが、私がびびったのは何と言ってもそのスケールのでかさだ。これぞカナダって感じだ。草原が広がってたのは今までとは少し違う。長距離のヒッチは、話にも限界があり、すると周りの景色でごまかす。それでも、ネタが尽きると眠くなる。今まで、味わったことのないヒッチで、その国土のスケールのでかさはヒッチにも影響してる。

おばあちゃんにChetwyndで降ろしてもらった後は、すぐにDawson Creekに戻る父娘をget.。この頃になると雨が激しくなってきた。いやー、助かったな。Dawson Creekでは、このおっちゃんはわざわざキャンプ場で降ろしてくれたが、私は銭を払って宿に泊まるつもりはなかったので、更にヒッチを続けたが、雨が止まないのと、もう薄暗くなってるのとで、この日はこのキャンプ場に泊まることにした。



Jun 6, Dawson Creek - Fort Nelson (431km, 1 ride)

Dawson Creekからのヒッチも苦戦した。まずはヒッチができそうな所まで移動。周りが草原なだけに、歩いていても距離感が分からん。かなり歩いたと思う。なぜか、車は止まってくれない。キャンピングカーはやたら多いが、彼らはアメリカからの定年退職した夫婦。彼らの目的はアメリカの全部の州を行くことで、その最後がアラスカ。アラスカに行くなら乗せてくれても良いのに、ほぼと言っていいほど止まってくれない。今日の私も頭脳作戦。目的地"Whitehorse"と書いたボードに"Please Please"と付け足した。結局、2時間は待ったかな。最終的にDawson Cityに行くというアイルランド人のDavidが止まってくれた。彼曰く、

Pleaseと書かれたボード見たから止まった。」
うーん、ラッキー。そして、我々はDawson Cityまで一緒に行くことにした。

我々は先を急いだが、ここで一つトラブル。このAlaska Highwayの途中にある橋が崩壊し、今通行止めとなっている。詳しい原因は分からんが、しばらく復旧するにはかかる。一本道はこれがあるから恐い。よって、この日はFort Nelsonstayすることにした。

この辺りの景色はまさしく北海道だ。道の周りはほとんど草原。針葉樹も広がるが、山というよりは平原だ。始めのうちはお互い色々話したが、なんせ距離が長い分、話のネタが尽きてきて、景色に飽きてくると眠くなって仕方ない。これだけは避けようがない。途中で、black bearを初めて見た。野生の動物は所々で姿を現す。

Fort Nelsonでは、近くの野球場の横の公園にテントを張った。Davidは車の中でstay。この辺りになると蚊が極端に多くなってくる。Yukon, Alaskaは何と言っても蚊の世界やからな。Fort Nelsonは小さな町。しかし、映画館(週に何日か)や図書館はある。私は図書館でメールをチェックしに行ったが、もちろんここのパソコンには日本語の機能がないので、日本語のメールは読めない。この辺りまで来ると、日もかなり長くなってきて、夜11時ぐらいまでかな。テントの横では地元の人々が野球をしてた。よって、非常にうるさい。テントから出ると蚊が寄ってくるし。全く明るいのにも困ったものだ。




Jun 7, Fort Nelson - Watson Lake (491km, 1 ride)

この日から運転は交互にした。カナダの運転は実に快適だ。車は少ないし、周りは何もないし。キャンピングカーを抜くのはうっとおしいが。この日は通行止めになってたAlaska Highwayが開通するとあって、途中渋滞に巻き込まれた。この数日で3000台は足止めを食らったらしい。ちなみに、その原因になってた橋はがっぽり二つに割れていた。

この辺りの景色も実にいい。途中の湖もきれかったな。天気もいいし。山々は山脈というのが分かるぐらいスケールがでかい。どちらかというと、NZよりもネパールの方が近いかな。針葉樹の木々は背が低い。はげ山が目立つが、これは森林限界かな。山の頂きは雪で覆われてる。湖がかなりあったのはカルデラかな。そのせいか、途中に温泉があった。

そして、"Yukon"に入った。ここまで5日かかったな。Watson LakeYukonの玄関口。ここには世界各地の看板のmuseumがある。道路標識や個人の到着ボードが中心だ。私はここで、Vancouverから250ccのオフでここまで来た日本人と会った。大したもんやな。

我々は町外れのキャンプ場に行くことにしたが、まあ蚊の多いこと。リスにめしは食われるし。めしの後、私はDavidにトランプの「大貧民」を教えてあげた。プロの私としては、まあ暇潰しに遊んでやるかって感じだ。しかし、プロの私が素人に3戦して2度も負けた。なんたることだ。阪神がPL学園に負けるようなものだ(うーん、これはあり得るかも知らん)。この晩、私は余りのショックにしばらく寝付けなかった。


Jun 8, Watson Lake - Whitehorse (453km, 1 ride)

この日も車を交互に運転しながら、単調な道をひたすら西へと進んだ。そして、昼過ぎにYukon州の州都Whitehorseに着いた。州都と言っても知れている。しかし、私がまず驚いたのは信号があることだ。久しく信号なんて見てなかったからな。マクドもあるし、他のjunk food店もあるし、ホームセンターもあるし、モールもある。ものがあるとついつい買ってしまうのは私の悪い癖。とにかく、久しぶりに文明に帰ったって感じだ。ただ、町ではあるがきれいだ。道路工事はしていたが、緑はあるし、何と言ってもYukon川のほとりにこの町がある。私の憧れていた川だ。冬になると、この町はオーロラ目当ての日本人で賑わう。とにかく、我々は久しぶりの文明に町中をぶらぶらしながら、その空気を肌で感じてた。












pub巡り Whitehorse編〜」

私は途上国を旅してる時は、町が変われば必ず市場に行く。そして、そこで人々の生活を感じる。先進国にいる場合、大きな町以外はできる限り飲み屋に行く。今回は、ここまで乗せてくれたDavidに対するお礼も含めて(私のおごりで)、Whitehorseでは数軒飲み屋に行った。

まずは、インディアンしかいないpub。となると、beggingしてくる。全くどうしようもない。Whitehorseには、酒に酔っ払ってhang outしてるインディアンがかなりいる(PGでもそうだった)。我々が入った頃は、まだ中は閑散としていたがバンドのライブがあり、まずまずの雰囲気だった。ここで、あるおばちゃんとねえちゃんとビリヤードの勝負をすることになった。私は久しくビリヤードなんてしていない。いざ、ゲームを開始したが、まあおばちゃんのうまいこと。次々と玉を落していって、我々は一つも玉を落すことなく速攻負けた。

次は、ホテルの飲み屋。Davidが映画を見に行ってる間、私は一人で他のホテルの飲み屋に行ってたが、ホテルの飲み屋はどこも客は白人のみ。地元の人、旅行者と比率は半々ぐらいかな。カウンターに座ると人と話すチャンスが増える。私はYukonの地ビールを飲んだがはっきり言って不味い。アメリカからの客は、もちろんバドを飲んでた(よくもあんな不味いビールを次から次へと飲めるもんだ)。私は数人と話したが、あるおっちゃんが、もしよかったら家に泊まりに来いという。庭でテントを張ってもいいとも。Davidは他の人と話してて、私は余りにおっちゃんがしつこいので、とりあえず私とおっちゃんでおっちゃんの家に下見に行くことにした。おっちゃんは近くの学校の先生。その職員宿舎みたいな所に住んでいる。はっきり言って汚い部屋だ。庭はテントなんて張れないぐらい荒れまくってる。それにしても、どうも空気的に嫌なおっちゃんで、あとでDavidと意見が一致したが、このおっちゃんは間違いなくゲイだ。やたら誘ってくる。結局、私は軽く断った。

次は、地元の若者が集まる飲み屋。いわゆるダンスホールだ。バンドありで、中はかなり賑わってた。みんな20歳前後かな。この町のどこにこんな連中がいたんやろう。まあ、ダンスホールはどこでも同じ雰囲気だ。ここまで来ると、我々はかなり疲れ果ててた。この時点で午前2時ぐらいだが、外は薄明かり。そう、これから太陽が上がろうとしている。全く不思議な世界だ。ちびっこは深夜まで遊んでるし。結局、このpubの後は寝ることにした。しかし、この時間からどこかでテントを張るのは面倒。かと言って、町中でテントを張ると、酔っぱらった連中が絡んでくるやろうし。よって、この日はDavidの車で寝かせてもらうことになった。



Jun 9, Whitehorse - Dawson City (526km, 1 ride)

WhitehorseからはAlaska Highwayでそのままアラスカ方向に行く車は多いが、Dawson City方向に行く車は少なく、よってキャンピングカーを抜く頻度も少なく、boringな道ではあったが気持ちよく走れた。

Dawson Cityはなかなかneatgold rushの頃の雰囲気を町全体で保存しており、道は舗装されていなく、officialの人々はなぜか昔の制服を着ている(警察官も)。古い木造の建物もいくつか保存されており、現在建築中の新しい建物なんかもあったが、奈良県明日香村のように新しい建造物もわざと木造で、その当時の雰囲気をこれからも保存していくのであろう。言わば、人工的な町。島根の津和野のようだ。

我々は、Yukon川を渡って、対岸にあるYHAに行くことにした。anti YHA派の私ではあるが、ここはNZで例えるとFlecher BayOnukuと類を張るぐらいの秘境と言っていいだろう。ここは、電気もガスもない(もちろん対岸は町。ここまでは無料の渡し船が24時間運航してる)。私は川の見える所にテントを張ったが、hutもいくつかある。キッチンはあるが、各自薪を割って火を焚かなければならない。一応飲料水がタンクにはある。洗い場の水は小川の水で、当然色は茶色。また、風呂が最高で、小川の水をストックするドラム缶があって、その一つを薪で沸かす。すると風呂場がサウナ状態になり(と言っても日本のようなサウナではなく、すごく心地よい)、そして沸いた水と他の冷たい水とを桶でmixして、体を洗う。電気はないから天窓。これがたまらない。私の番の時はいつも火が焚かられてなかったので、薪割りから始めて温まるのを少し待ったが、それ以降に入る人はさぞ快適だったと思う。私はここに滞在中は、毎日この風呂に入るのが楽しみだった。

川のほとりのopenspaceには、折畳式の椅子兼ベッドがいくつかあって、太陽の光を浴びながら、町を眺めるのは実に気持ちよかった。少し高台にある分、ここからの見晴らしもいい。この時期のDawson Cityは何と言っても稼ぎ時。そのため、BC州からから若い連中が仕事を求めてここに多く滞在してる。彼らのほとんどはこの宿に泊まってると思う。よって、長期滞在者が大半を占める。と言うか、長期滞在したくなる気持ちはよーく分かる。ここは楽園だ。彼らもすごくfriendly。カジノのdealerもいたし。私をここまでpick upしてくれたDavidもここに仕事を探しに来た。この時期しか稼ぎ時はないからな。太陽もほとんど沈まないし、日中はかなり暑くなるし(朝晩はかなり冷える)、私はおもっきり「夏」を感じてた。




 Dawson Cityでの一時」

Dawson Cityでは、私はrelaxしてた。それと、久しぶりに同じ場所に数日いるということで、めしも結構いいものを作った。宿には冷蔵庫がないため、作ったものをストックうしておけないが、私はここまで乗せてくれたDavidに感謝の意も込めて、毎晩めしを作った。メキシコ風タコライス(子呼呂流)、韓国のブルコギ(子呼呂流)、そしてテリヤキチキン。テリヤキを作った時は、宿にたまたま日本人もいて一緒に食った。Davidは私の料理にびびってた。「お前にそんな才能があったのか。」って感じだろう。ただ、薪で火を焚いてた分、火の調節は難しかったが。

買い物で町に出る以外は、宿でのんびり。ここにstayする連中と話したり、日向ぼっこをしたり。もちろんカジノには行った(後述)。ここを出る前の日は、深夜の山登りに出かけた。深夜と言っても日は沈まない。私、Davidを含め7人のpartyだったが、登りに1時間半ぐらいやったかな。かなり急な斜面もあったが、山の上からの景色は最高。Yukon川に浮かぶ中洲。その向こうに沈む太陽。360度のパノラマ(蚊は異常に多かったが)。Dawson Cityを上から見下ろすと、ほんと規模の小さな町だ。一応、ここにはスーパーはある(値段は高いが)。図書館もあるが、internetはやたら接続が遅かった(当然、日本語は読めない)。山の上ではコーヒーを沸かした。山のあちこちには高山植物が咲いてた。高山植物は礼文で見慣れているので、かなり馴染みがあった。あれはツリガネニンジンかな。リンドウもあったな。この辺りまで来ると、緯度的にも平地でも高山植物を見かける。この頃が一番いい季節かもしれない。

もちろん飲み屋にも行ってみた。はっきり言って、この町はこの時期観光客しか見掛けない。よって、pubも観光客がほとんどを占めていたと思う。ここで働く人も地方から来てる人がほとんどやしな。みんな楽しそうに飲んでたな。私は数軒飲み屋に行ってみたが、なかなかどこの飲み屋の空気も良かった。

とにかく、この町は実に居心地がいい。友達もできたしな。機会があったら是非戻って来たい。











Dawson casino round

Dawson City
に来た目的は、何と言ってもカジノだ。と言っても、ここでは大勝負するつもりはなく、面白いカジノがあるとの噂で来ただけなので、少し遊ぶつもりだ。ここのカジノの売りは、何と言ってもshow timeだろう。一日に3回このshow timeがあり、ギャンブルと言うよりもこれを目的に来てる人が大半かな。showの内容は、簡単に言えば昔のキャバレー。ひらひらのスカートを履いたねえちゃん達が舞台で踊り、客とのパフォーマンスや、歌・踊りで客を魅了してた。定年後の老婦にはもってこいのエンターテイメントだと思う。show timeが始まると、賭け事を止める人も少なくないし、dealershowを楽しんでる。

カジノに入るには、showがあるせいか入場料が必要となる($6.00)。ゲームの種類は、1階がブラックジャックとルーレットがほとんど。2階はポーカー。と言っても、台は少ない。ブラックジャックのminimum tableは$2.00。こんな安い台は初めて見た。当然、客は素人ばかり。彼らの目的はカジノよりも、showなのだから。最終的には、dealerがゲームの仕方を教える始末。人が出たり入ったりするし、ゲームの流れは無茶苦茶。結局、この日は少し負けた時点で止めた。

次の日かな。私は同じ宿にいる私が座った台のdealer (Colin)とブラックジャック理論を語り合った。彼は私のplayを覚えてくれていて、

「お前はいいplayerだ。ゲームの仕方をよく知っている。」
と誉めてくれた。基本的にカジノのdealerは、自分達が働くカジノではplayできないが、ここはそんなのお構いなし。Colinはポーカーが大好き。この日彼は仕事が休みだったのか、ポーカーで大勝ちしていた。

そして、またその次の日。私は、もうカジノには行くつもりではなかったが、たまたま晩飯を一緒に食べた日本人の女の子たち(ルツ、豊子)にカジノに連れて行って欲しいと言われ、そして再び行くことになった(日本人は、海外ではカジノや飲み屋に行くのに抵抗感があるようだ)。この2人ともう一人(健一君)に私は簡単なルールを教えてあげた。ブラックジャックとルーレットだけだが。その合間に私も再び勝負に出たが、今回はいい流れがすぐに来て、素人に邪魔され始める前に、少し浮いた所で止めた(この後には予定があったから余り長くはいられなかった)。女の子2人は勝ったが、健一君は負けてた。2人は大喜びしてたが、ここで忠告。もうカジノには行かない方がいい。そんなに甘くないからね。

結局、Dawson City Casino Roundevenという何とも面白くない結果に終わった。でも、楽しい一時を過ごせた。次はラスベガスやな。