全国20億5000万人の加藤学ファンの皆様

日本全国離島シリーズ第15弾〜沖縄本島・伊是名島・伊平屋島・野甫島〜
「台風16号の爪跡はすごかったでー」




皆様、こんにちは。

今秋は、沖縄本島をバイクで北上し、運天港から伊是名島、野甫島、伊平屋島に行って参りました。今回も行き当たりばったりの旅で、様々な出会いもあり、十分満喫しました。

今回は、大型の台風16号が直撃する時期に来島となりました。前日の午後から沖縄便はすべて欠航。夕方、東京ドームでの我が阪神タイガースの今シーズン初勝利を見届け、沖縄に旅立つ翌日も欠航になると予想し、翌日も金本の最後の勇姿を見に行く予定にしていました。

しかしながら、その日は午前中は欠航でしたが、私が乗る午後便から飛ぶことになりました。で、午前中に急いで準備を済ませ、羽田に急いで向い、いつも通りロビーでビールを飲んで搭乗を待っていました。台風の影響で飛行機はかなり揺れましたが、無事那覇に到着しました。

台風の影響もあり、沖縄滞在時のスケジュールは漠然とでしか考えられず、何よりも運天港から船が出るかどうか分からない。実際、2日間船が欠航し、運良く那覇到着翌日の午後からは船が出ることになり、何とか予定していた日に伊是名島に行くことができました。しかしながら、運天港から沖田港(伊是名島)までの道中は波が荒く、船がかなり揺れ、久しぶりにひどい船酔いを経験しました。


ジューマ海岸in 野甫島




野甫島周辺の海
伊是名島、伊平屋島は、本島近くの慶良間諸島や八重山の島々とは感じが違いました。時期的なものかもしれませんが、島滞在中、観光客がほとんどいないんです。本島側の古宇利島にはうじゃうじゃいたのに・・・。島で会う方は工事の方ばかりで、私が宿泊した民宿でも私以外観光客はおらず、他は建設関係で来られた仕事の方ばかりでした。過去に訪問した南大東島、北大東島、粟国島と同じような感じです。

そのせいか(もしくはこれも時期的なのかもしれませんが)、野甫島のジューマ海岸には大きな貝殻がたくさん落ちていました。海外に落ちている貝殻は、大体、みやげ屋や観光客が拾って行くので、あるとしても小さな貝殻ばかり。それが、ジューマ海岸に落ちている貝殻はでかいものが多く、みやげ屋で何千円するものもあったと思います。それぐらい島滞在中は観光客に会わず、私的には非常に居心地が良かったです。

伊是名島、伊平屋島と水田があります。沖縄の産業と言えば、代表的なのはさとうきび。伊是名島、伊平屋島では、さとうきび、米、もずく。水が豊富にあって、伊平屋にはダムもありました。米は二期作。私が訪問した際は、ちょうど二期作目の田植えが終わった頃でした。


夜は島民と触れ合っていました。島民とはいつ触れ合っても楽しい。島の生活を聞くと、

「本当に東京とここは同じ日本か?」
と感じさせられます。時がゆっくりと流れて・・・。

先にも触れましたが、今回は台風16号の影響で、今まで以上に予定が立てられず、行き当たりばったりでした。まず羽田から飛行機が飛ぶかどうかも分からない。そんな中、なんとなくで予定を決め、結果的に充実した時を過ごすことができ、今回もいい作品になりました。

天気もうまく台風16号を避けられ、伊是名滞在時は晴天続き。伊平屋に渡ってすぐに雨に打たれ、天気予報ではしばらく雨でしたが、翌日は快晴でがっつり海で泳げました。那覇へ戻る際に、少しスコールに遭いましたが、トータルで見ると天気に恵まれました。

さて、これでまだ未開の沖縄有人離島がわずかとなりました。次回は、とりあえずそこを攻めます。それで沖縄を一旦卒業しようかとも考えていますが、ここまで来たら泡盛の蔵元を全部制覇してやろうかとも考えています。では、次はまた春にお会いしましょう。



野甫展望台からの眺め


P.S.

那覇に戻る際、運天港から名護を過ぎ、そこからわざわざ山を越えて宜野座に向った。そう、我がチームのキャンプ地宜野座村野球場に行くためである。開幕当初、今年のトラの失速は誰が予想したでしょうか?ひどい、ひどすぎる。主力で誰一人調子のいいものがおらず、それでは勝てる訳がない。そういう時こそベンチワークなのに、相変わらずトラ首脳陣は変化を嫌う。和田監督よ、調子の悪い時こそ「動け!!」

来年はアニキがいなくなり、城島もブラゼルもいない。球児もいなくなるだろうし、ひょっとしたら鳥谷、福原、平野も・・・。このままでは来シーズン以降はまた暗黒期に戻ってしまう。ベテランと若手が存在するチームじゃないとチームとしてうまく機能しない。そういう意味では、鳥谷だけは残ってほしい。アニキがダメトラにいい種を植えてくれ、それを継承できるのは鳥谷しかいないと思う。鳥谷、信じてるぞ。

アニキ、本当にお疲れ様でした。ありがとう。

トラよ、来年こそほんまに頼む
湘南より愛を込めて
8/Oct/2012
Manabu Kato





Glance in Okinawa Honto


今帰仁城跡



4年ぶりの古宇利島
ここの橋から見る古宇利島はいつ見ても感動する



なんでトラファンのわしが、ハムファンのために
名護で球場に寄らなあかんねん
すぐ後ろが海で、結構ええ球場やん




☆ Topics; Izena, Noho & Iheya Islands Vol. 211 - 215


 沖縄本島、伊是名島&伊平屋島、一齧り

1、伊平屋島「釣吉」

もしここに古酒が置いていたのなら、私は間違いなく伊平屋島滞在時は「釣吉」以外の飲み屋には行かなかったと思う。古酒が飲みたいがためにわざわざ別の飲み屋に行ったが、この旅で一番印象に残っている飲み屋。それぐらいここが気に入った。

カウンターは、なんとサバニ(渡し舟)。形が変なテーブルと思っていたら、昔、伊平屋島と野甫島間に使用されていたサバニだった。

その名の通り魚料理の店で、何を食ってもうまかったが、伊是名島で知り合った方からお薦めされたのが魚ざ。餃子の具が魚肉でできていて、皮はニラ入りの手打ち。タレは酢が効き過ぎだったが、ボリューム、噛み応えがあり、なかなかGood。

他にミーバイの煮付けや、珍味と称されてママからサービスして頂いたのがカツオの胃袋。コリコリして、ニンニクもいい具合に効いていてうまかった。今後、もし伊平屋島に行くことがあるなら、間違いなくここを訪れる。ママもすごく感じが良くて、短い間だったが色々とお世話になった。





魚ざ


ミーバイの煮付け


カツオの胃袋



2、「ゆがふ」のポーク玉子

那覇旭橋近くの私がよく行く飲み屋。ポーク玉子は、沖縄そばと並んで私の好物の一つ。ここのポーク玉子のポークの肉厚には驚いた。

3、ビジュン(イワシ)の刺身

伊是名島民宿「まる富」オーナーの仲田さんが投網漁で獲ったビジュンを刺身で頂いた。いい具合に酢が効いていて無茶苦茶うまかった。さっと揚げたのも、骨だけを揚げたのもパリパリしてうまかった。
4、伊平屋島「海産物料理海魚」のタカセ貝のニンニクバター焼き

コリコリしたした食感のタカセ貝にニンニクバター風味はGood。でも、タマネギが邪魔やったな。



5、名護「ブラジル食堂」

店の方がブラジル帰りで、店にはブラジル関連のものでデコレーションされていた。あっさりした名護そば。


6、伊是名島「レストハウスかみやま」
月見もずくそば


伊是名島で何人にも勧められた店。沖縄そばに月見はありかも。とろろ入りの月見うどんのように、もずく入りの月見沖縄そばは斬新なアイデアと思う。

7、伊平屋島「みなと」

麺がもずく入り。その分、麺に若干色が付いていて少々違和感があったが、汁にしっかり味が付いていてうまかった。














8、伊平屋島「海産物料理海魚」

宿の人に薦められたソーキそば。まあまあかな。

9、金武町「ぎんばる食堂」

この春行き忘れたところ。今回食べた沖縄そばの中で一番おいしかった。カツオダシがしっかり効いていて私好みの味。
10、 「我部祖河食堂」

名護本店のチェーン店で有名なそば屋。その国際通り近くの店舗に行ってみた。店お薦めの「元祖ソーキ側」を食ったが、まずまずかな。








11、ある日の食事シリーズ



ある日の夕食@ in 伊是名島




ある日の朝食 in 伊是名島




ある日の夕食A in 伊是名島




ある日の昼飯 in 伊是名島


ある日の夕食@ in 伊平屋島



ある日の夕食A in 伊平屋島




Glance in Izena Island No. 1































なんでわしがちびっ子の引率してんねん in 伊是名島

まさしく旅の醍醐味とはこのことを言うのであろう。それぐらい伊是名島での日々は、全く予想もしていなかった展開になった。

台風の影響で、運天港から船が出るかどうかも分からない状態。運天港へ向う朝、伊是名島へは午前、午後と2便しかない中、午前便は欠航となったが、午後は出ることになった。その時点で伊是名島の民宿「前川」に連絡し、2泊お願いした。ちなみに、2泊とも宿泊者は私以外は工事の方ばかりで、台風の影響で急遽補修のために来島された工事関係者もいた。

この民宿を選んだのは、港に近くて飲み屋にも近そうだったから。そう、民宿で軽くめしを食った後、徒歩で飲み屋に行くためである。民宿「前川」のお母さんが作るめしは無茶苦茶うまかった。ボリュームはあるし、非常に栄養のバランスも良く、家庭的な味がした。2階の角部屋も良かった。海に面した部屋で、窓を開けておくだけで気持ちいい風が通る。クーラーに頼らない自然の風。朝は窓の外から朝日が昇るし。

伊是名島の飲み屋は、休業や店の方の体調不良でほとんど閉まっていた。で、宿のお母さんに教えて頂いたのは、唯一港にある飲み屋。伊是名島はハブがいないので、夜道でも足元を気にすることなく平気で歩ける。空を見ると満天の星。海のそばなので風が心地良いし。そんな中、この飲み屋は店の方が無愛想で、個人的にいまいちだった。

「他にどこかないかな?」
と思いながら、一日目の夜は更けた。

伊是名島滞在時は、本当に天気に恵まれた。珊瑚で囲まれた島で海岸の砂浜は白く、島の内陸にはさとうきび畑と水田が広がっていた。気温は30℃近くもしくはそれ以上あったと思うが、風が心地良く、暑さはそれ程感じなかった。もちろん空気がきれいなので、速攻日焼けした。島をバイクで走りながら風を感じ、非常に気持ちよかった。

伊是名島は人口1,600人程、1周16km程の比較的フラットな島。毎年秋には「いぜな88トライアスロン大会」が開催される。琉球王朝第二尚氏始祖尚円王(金丸)は伊是名島出身で、島の所々に尚円王に係わる史跡があった。

私は、いつものようにバイクで島を走りながら、沖縄そばが食べられるところ、一方で泳ぎたくなるような海岸を探していた。2日目の昼、島の人からそばが食べられるところと教えられた民宿「まる富」に行ってみた。しかしながら、「まる富」のお母さん曰く、台風の影響で数日間船が欠航したために麺が手元にない、と。

「そばを食べられないなら、いいや、他へ行こう。」
そう思って店から離れようとしたが、オーナーの仲田さんから投網漁で魚を獲ってきたので魚を見ていかないか?と言われ、私は店の中へ入っていった。そこで、お母さんから、

「せっかくなので、何か食べていく?作ろうか?」
と言われ、ここまでされると断れ切れず、普通に昼食(豚カツ)を食べた。

「なんで、ここで豚カツなんて食べてるんやろ???」
とも思ったが、仲田さんより、夜はここで飲んでいるのでおいで、とお誘い頂いた。宿からここまでは徒歩10分もかからない。且つ、ハブがいない島なので、夜道でも足元を気にせず歩ける。さらに、前日行った飲み屋がいまいちで他の飲み屋を探していたので、これはいい話ではないか・・・。そう思って、夜にここに戻ることにした。

そして、宿で晩飯を済ませて、民宿「まる富」に戻った。ここには生ビールのサーバーがあり、もちろん島酒も飲める。生ビールを飲みながら、昼間漁で獲ってこられたビジュンの刺身などをつまみに頂き、宿の食堂はまさしく居酒屋状態。そこに島の人がどんどん加わる。先にも述べたが、近くに余り飲み屋がないので、飲みたい近所の方はここに集まってくる。ここにはカラオケもある。これにはびっくり。まさか一民宿にカラオケが置いてあるとは・・・。先程まで見ていたテレビがいきなりカラオケの画面に変わる。仲田さんがデンモクとマイクを持ってきて、食堂の窓を閉めて、いきなり場はカラオケ居酒屋となった。そこに配置薬を確認しに来島された製薬会社の営業さんたちも加わり、訳の分からない酒場となった。

実は、昼間に食堂の壁に掛かっていた船チャーターのポスターを見て、仲田さんにその翌日野甫島までのチャーター船を予約して頂いた。野甫と伊平屋は橋でつながっている。というのも、伊是名から伊平屋に渡るには、定期船なら一旦運天港に戻る必要があり、その道中、待ち時間等を考えると、伊是名から伊平屋までは5時間はかかる。しかし、地理的には伊是名と伊平屋はすぐの距離。

「時間、勿体ないな。」
と思っていたところに、チャーター船があることが分かった。伊是名から伊平屋へは、一人ならチャーター代5,000円で15分もあれば島を渡れる。且つ、定期船は、

運賃(2012.9現在)
運天ー伊是名(片道55分) 往復3,350円+バイク(100cc)往復4,300円
運天ー伊平屋(片道80分) 往復4,530円+バイク(100cc)往復7,920円

と、特にバイクを載っけるのはアホみたいに高い。定期船で伊是名−運天−伊平屋に比べたら、チャーター船の方が価格的にも安いし合理的である。ただ、チャーター船にバイクを載せられるのか?確認したらOK。で、すぐに翌日のチャーター船を予約し、帰りの運天港までのチケットをキャンセルしていた。

しかし、宴が盛り上がり、仲田さんより、

「もう1泊して、明日一緒に漁に行かない?」
と誘われた。ちょうど泊まろうと思っていた伊平屋島の宿が翌日は満室で、どこに泊まろうか考えていた矢先に仲田さんより誘いを受けた。私は、直感でこの宿でもう1泊伊是名島に滞在した方が面白くなると思った。そして、翌日は民宿「まる富」にお世話になることにした。

翌朝10時頃、民宿「まる富」に荷物を運んで、そのまま仲田さんと投網漁に出かけた。軽トラに網を積んで、海岸沿いを海の状態を見ながらトラックで走った。藪の中やガタガタ道を平気でトラックは走る。トラックが泣いているようにうなっているがお構いなし。そして、ポイントを見つけると、そっと網を持って海に入り、あるタイミングで網を投げる。海面近くを海鳥が飛んでいると、その下に魚がいることは想像できるが、近くで見ていて私からは魚が見えないところに仲田さんは歩いていった。そして、そこそこでかい黒鯛が網に引っかかった。熟練の技。どこで黒鯛が見えたのだろうか?私には全く見えなかった。


伊是名部落への下り坂




二見ヶ浦海岸




投網漁途中で寄った海岸




美織所からの眺め




ギダラ展望台からの眺め
















「まる富」のお母さんと
うららちゃん、あおいちゃん、みゆちゃん(左から)
そうこうしているうちに、宿のお母さんから連絡が入った。お客さんが来るから宿に戻るように、と。宿に戻ると、やって来たのは小学校5年生の女の子3人。伊是名島の宿では、「民泊(みんぱく)」と称して、沖縄及び内地から修学旅行などの学生を受入れ、離島体験を推奨している。伊是名島のカレンダーには、修学旅行に来る日に学校名が書かれているほど。この日の小学生は、豊見城市立豊崎小学校5年生で、離島の生活を2泊3日で体験しに来た。ただ、営業権の関係である旅館に生徒全員まとめて泊まるそうだが、それまでの間は生徒が各民宿、家庭に分かれて島の生活を体験する。「まる富」にやって来たのは、1組のみゆちゃん、うららちゃん、あおいちゃん。3人とも沖縄の子供らしく、元気でかわいらしい子。早速、ちびっ子たちと一緒に昼飯を取った。

午後からは、各民宿が車で子供たちを島内観光に連れて行く。私は、昼からはビールを飲みながら、ゆっくりしようと考えていたが、お母さんから、

「加藤さんも子供たちと一緒に観光しておいでよ。」
と。おいおい、わしはもう散々バイクで島を回ったんや。今更どこを見るねん。と言いながらも、結局、夕方までちびっ子たちと一緒に島を回ることになった。全く訳が分からん。

史跡の多い伊是名島は小学生にとって校外学習にもなる。民族資料館は子供たちの必須ポイントになっていた。各観光ポイントで3人は写真を撮っていたが、使っていたのは27枚撮りのインスタントカメラ。懐かしい。しかし、2泊3日の体験学習なのに、島に来て数時間で半分以上写真を撮って残り少なくなっている。おい、ちゃんとペース配分を考えて撮らんかい。それを見かねて、私は自分のデジカメで3人の写真を撮って、後日送ってあげることにした。各ポイントで3人の写真を撮って、一緒に展望台まで登ったり、海岸を歩いたり・・・。すでに島を回ったっちゅうねん。それよりも、なんでわしがちびっ子の引率してんねん。昼からは酒飲みながらゆっくりしようと思っていたのに・・・。

始めは緊張していたちびっ子たちだが、徐々に打ち解けて、途中からはすっかり仲良くなった。私が、宿とちびっ子の架け橋のようになり(それが結果的によかったのかどうかは分からないが)、ちびっ子たちの言葉を私が代弁していた。


宿に戻ってめし食って、今度は午後7時から港近くの体育館で地元の小学生との交流会がある。そこまでは民宿の方がちびっ子たちを車で送っていくのだが、その頃仲田さんはがっつりビールを飲んでいたし、お母さんは台所で忙しくしていた。となると、送るのはわししかいないやないか。私もすでに酒が入っていたので、懐中電灯を持ってちびっ子たちを体育館まで送った。なんで島の人間でないわしが引率せなあかんねん。ちびっ子たちからは、

「先生がこの姿見たら、びっくりするね。」
と。ちびっ子たちを送ってからは、前日のように食堂はカラオケ居酒屋と化した。

「まる富」で時を過ごすことは、全く予想していなかった。たまたま沖縄そばを食べに行って、沖縄そばがなかったので豚カツを食べて・・・。そのまま何も食べず帰っていたら、間違いなくその翌日に定期便で運天港に戻って伊平屋に渡っている。仲田さんと漁に行くことなく、民泊のちびっ子たちとも会うことがなかった。結果的に自分の選択は正解だった。旅の醍醐味やね。

帰京後、約束通りインターネットで豊崎小学校の住所を調べて、ちびっ子たちに写真を送った。「まる富」の仲田さん、お母さんはビール好き。そこで、お世話になったお礼に、各地のビールをお二人に送った。本当にいい出会いだったし、楽しい時を過ごせた。




Glance in Izena Island No. 2































 いざ、野甫島&伊平屋島へ

伊是名島にもう1泊したため、チャーター船も1日延ばした。チャーター船は島北側の内花港から野甫島へ向う。9時に港に行ってみると漁船があった。

「まさか、これで・・・???」
と思っていた時に、漁師っぽい兄ちゃんが来て、
「では、行きましょう。」
と。おい、この漁船にバイクをどうやって積むねん?岸壁と船の間に明らかに空間があり、どう考えてもバイクを積めるような船ではない。すると、兄ちゃんから二人でバイクを持ち上げて運ぶ、と。おいおい、ほんまかいな。これで、バイクが傷ついたらどうすんねん。レンタルバイクやから弁償せなあかんし、これでエンジンが動かなくなったらどうすんねん。何よりも100ccのバイクを、バランスが悪い足元で二人だけで持ち上げて運べるのか??

まず兄ちゃんがバイクの前部を持ち上げて船の中に入れた。前部は比較的軽いから、この作業は特に問題ない。問題は後ろを持ち上げて船に入れられるかどうか?あとで「しまった」と思ったのが、バイクの後ろにバックパックを積んだまま運んだこと。バックパックを一旦バイクから降ろしていればまだましだったろうが、バックパックだけで20kgはあった。それを積んだままバイク後部を私が持ち上げた。正直、死ぬかと思った。身体全体にバイク重量が圧し掛かり、指が痛くて痛くて・・・。かと言って、手を離すとバイクが大変なことになる。歯を食いしばり、指が痛いのをがまんして、足を踏ん張り、背筋を伸ばし、身体全体を使って何とかバイク後部も無傷で船の中に入れた。

船ではバイクを固定するところもない。兄ちゃんから倒れないようにバイクを押えていてほしい、と。景色を見ながらゆっくり島を渡ろうと思っていたのに・・・。船が出るとバイクが動きまくる。床がプラスチック製なのでバイクがすべる。小型の漁船なので船は揺れるし、結構な力でバイクをずっと押えていた。単純そうに見えるが、この作業もかなりきつかった。




野甫港ではバイクを船から出す作業。今度は兄ちゃんがバイク後部を先に持ち上げて、私が前部からバイクを押した。最後に前部を上げて、バイクを無傷で岸壁に押し出した。兄ちゃんも私も汗びっしょり。おかげで、チャーター代を6,000円取られた(通常5,000円)。まあ、この労力を考えたらしゃあないやろ。定期便で行くことによる時間のロスとその費用を考えると、全然こっちの方がよかった。

野甫島と伊平屋島は橋で繋がっている。伊是名島に比べると伊平屋は南北にでかく、島の形がどことなく礼文島に似ている。伊平屋島の北端は沖縄本島よりも北にあり、鹿児島県と言ってもおかしくない。そうやって見ると、島はどことなく沖縄っぽくないような気もした。伊平屋島は周囲34.23kmで、野甫大橋でつながれた野甫島は周囲4.8km、人口は1,400人程。毎年秋になると島を夕方から夜にかけて走る「伊平屋ムーンライトマラソン」が開催される。懐中電灯で足元を照らしながら、上空からは月が伴走してくれる。島の産業は、伊是名島と同じく、さとうきび、米、もずく。島にダムがあるぐらい水は豊富。道はアップダウンが激しく(特に島北部)、ここをマラソンするなんて考えるだけでぞっとした。

島に到着した日は天気が悪く、午後からは雨が降り出した。その後の天気予報もよろしくない。沖縄の離島では、天気が悪いとどうしようもない。昼から開いている店もなく、時間を潰すところもない。私は、雨が降り出した午後に島を回るのを止めて宿に戻り、ビールを飲みながらボーッとテレビを見て夕食までの時間を潰していた。天気の悪い時は本当にこの時間は勿体ない。

伊平屋島では民宿「内間荘」に泊まった。ここを選んだのも港の近くで、宿の近くに飲み屋がありそうだから。伊平屋島でも私の宿泊時は工事の方ばかりが泊まっていた(島滞在中、観光客を見かけなかった)。宿は、民宿と言いながら、各部屋にトイレとシャワーが付いてまるでペンションのようで、宿の方も親切で感じがよかった。

伊平屋島にはハブがいる。沖縄の家の塀は石垣(珊瑚を積んだもの)のものがあり、この石の間にハブが居つく。従って、街中でもハブは目撃される。特に雨が降った後の夜はハブに遭遇しやすい。そのため、私は夜の飲み歩き用にいつも懐中電灯を持参する。西表島でのある夜、雨の後、港で星空を見るために空を見ながら歩いていると、ハブを踏んでしまった。今思うと、よく噛まれなかったなあ、と考えるだけでぞっとする。それ以降、夜出歩く時は必ず懐中電灯を持参することにしている。一日目の夜は、宿でめしを食った後、宿近くの飲み屋「釣吉」のカウンターでママと話しながらその日は終わった。

翌日は、予想に反して、朝から晴れた。前日の悪天候の中、島を回っていたのもあって、快晴時の島は全く表情が違った。海が無茶苦茶きれい。特に野甫島と伊平屋島を繋ぐ野甫大橋周辺。真っ白な砂浜に青々とした海が広がる。伊平屋島北部の方にも足を運んだが、余りにも野甫大橋周辺の景色がよく、気持ちよかったので、ほとんどの時間を野甫島周辺で過ごした。野甫大橋近くは潮の流れが速いが、島の方もここを薦めてくれた。ジューマ海岸では珊瑚と熱帯魚君たちの群れに遭遇できたし、驚いたのが海岸に無数の貝殻が落ちていた。通常、貝殻はみやげ屋や観光客に拾われるので、海岸で見かけるとしても小さなものしか残っていない。しかし、ここにはでかい貝殻も無数に落ちている。時期的なものなのか、これぐらいの量がいつもあるのが普通なのか・・・?ジューマ海岸にのべ4時間ほどいたと思うが、誰一人と会うことなくプライベートビーチ状態だった。

伊是名島でもそうだが、伊平屋島の家の石垣がきれいに整備されていた。きれいに石(珊瑚)が積まれているのである。こんなに芸術的に見える石垣は他の離島であっただろうか?私は、何度もバイクを止め、その美しさに見とれていた。

この日の夜も「釣吉」に顔を出した。ママも、

「天気になってよかったね。」
と喜んでくれた。

この夜は、島の診療所の先生が客でいた。島の診療所には、沖縄本島から先生と看護婦さんが任期制でやって来る。島では大きな手術ができないので、その場合は本島の病院で手術することになり、緊急の場合は本島からドクターヘリが来る。離島はどこでも同じだ。来る先生によっては雑な対応をされ、島民も困ることがあるらしい(「Dr. コトー」の世界とは少し違う)。この日は、ママのお孫さんの体調がよくなかったようで、先生に相談されていた。先生も大変である。島に一人しか医者がいないので、夜間救急も対応せざるを得ないので、お酒を飲むといっても深酒はできない。

店のカウンターがサバニと非常にユニークで、店の魚料理(私は肉よりも魚の方が好き)。ママも親切であり、すっかりここを気に入った。もし今後伊平屋島に来ることがあったら、間違いなくここに寄る。宿でめしを食わず、ここでがっつり魚料理を食う。


米崎海岸




念頭平松




伊平屋島西海岸




ジューマ海岸




Glance in Iheya Island No. 1






















 津嘉山酒造所

今回の旅では3軒泡盛の蔵元を回った。ここまで来たら全48蔵元を回ってやろうとも考えている。

伊是名酒造所

「常盤」のブランドを持つ酒造所。伊是名島の伊是名地区にあり小ぢんまりした蔵元。島では、30度の「常盤」よりも25度の「いぜな島」を飲まれている方が多かったような気がした。個人的に「常盤」は比較的好きな泡盛。


伊平屋酒造所

「照島」のブランドを持つ酒造所。伊平屋島の我喜屋地区にある蔵元で探すのに迷った。蔵元から直売できないのは珍しい。接客態度が悪かったのがいまいち。

「照島」も比較的好きな泡盛。ここの「芭蕉布」を初めて飲んだが飲みやすくて気に入った。瑞穂酒造が伊平屋島の米を使って「楽風舞」というブランドで泡盛を出しているが、癖があっていまいちかな。飲み屋の人から、この泡盛を頼む人は珍しい、と。






















津嘉山酒造所

この旅のヒットと言えば、「国華」の津嘉山酒造所であろう。「国華」は個人的にかなり好きな泡盛の部類に入るので、どうしてもここに寄りたかった。
蔵元は名護の街中にあるのだが、中通りにあって結構迷った。地元の何人かに尋ねたが「知らない」と。

「国華」は、とにかく飲みやすく、独特の心地よい風味を有している。
津嘉山酒造所に着いてびっくりしたのが、建物がかなり古い、赤瓦で、

「ほんまにここで泡盛を作ってんのか?」
と思ったほど。
古い建屋の横に事務所があり、「国華」ファンであることを伝えると、心よく見学させて頂いた。

津嘉山酒造所の建屋はとにかく古い。戦争中も崩壊することなく、85年もの年月が経過している。使用する黒麹は一般的なものだが、昔ながらの建屋には長年の麹が棲みつき、それが「国華」独特の風味を生み出している。昔の構造で、蒸留部分の熱は薪で焚き、温められた湯はお風呂に使われていた。現在、国から億単位の補助金が出て、建屋を復元中(下記、新聞記事参照)。その間は、仮設工場で泡盛を製造しているのだが、その仮設工場には昔からの麹は棲んでおらず、この間の「国華」はそれはそれでマニアには貴重品らしい。

津嘉山酒造は現在従業員3人。久米島の久米仙が1日で製造する量を1年で製造する。この趣のある建屋は、モーニング娘、AKB48などアイドルの写真集の舞台になり、有名人が撮影によく訪れる。いやー、いいね。益々「国華」ファンになった。

津嘉山酒造所 重要文化財に(琉球新報より)

国の文化審議会(西原鈴子会長)は17日、名護市にある泡盛醸造所「津嘉山(つかやま)酒造所施設」など、全国で7件の建造物を重要文化財(建造物)に新規指定するよう塩谷立文部科学相に答申した。答申通り告示する予定で、県内の建造物分野の重要文化財は計21件となる。津嘉山酒造所は1927年から28年にかけて、施設を現在地に建設し、泡盛の生産を始めたとみられる。泡盛醸造施設と居住部分を一体とした独特の構成を持つ主屋と麹(こうじ)屋からなり、構造は木造で寄棟造(よせむねづくり)、本瓦葺(ほんがわらぶき)。創業者は津嘉山朝保。

昭和初頭に整えられた酒造施設の形態を良好にとどめ、伝統的な泡盛の製造工程を知ることができる。居住部分は、伝統的な平面構成を受け継ぎながら、離れや玄関を構えるなど随所に近代的な展開も併せ持ち、沖縄の住宅の歴史を知る上でも重要な施設。

市民活動が結実「国頭の華」咲く 戦火くぐり、操業80年余

現存する赤瓦ぶきの木造建築物としては県内最大級。沖縄戦で名護市内の建物はほとんど破壊されたが、施設はほぼそのままの形で残された。内部には米軍に接収された当時の面影も残る。ただ屋根の骨組み、柱、壁などの傷みが激しく、大規模な補修が急務となっている。

4代目となる同社代表の瑞慶村實さんは「名護の街にこの建物が残っていく姿を思い浮かべた」と感慨深げ。「代々の経営者もほんとにうれしく思っているだろう」と話した。酒造りを一時休業したこともあったが、「國華」ファンは多い。今後は泡盛の品質向上と観光資源への貢献を図っていく考えだ。

4年前に発足した「津嘉山酒屋保存の会」は貴重な建物の意義を市民に考えてもらおうと、多彩なイベントを開催。宮城調福会長は「会員、ボランティアの多くの協力があった。指定は保存に向けた第一歩。うれしく思う」と喜んだ。

市文化財保存調査委員会の岸本林議長は「戦前から残っている泡盛工場はここだけ。当時としては珍しい玄関など、建物にはいろんな特徴がある。うまく活用すれば市街地活性化の目玉になる」と語った。































Glance in Iheya Island No. 2



























 台風16号、尖閣諸島問題、オスプレイ・・・

今回の沖縄訪問には色んな問題が重なった。台風16号直撃、尖閣諸島問題、そしてオスプレイである。

私の滞在時は、直接台風16号の影響を受けなかったが、その爪跡は各地で見かけた。那覇近辺よりも北部でその被害が大きかったように思う。名護では、停電により国道58号線のある交差点の信号が消えており、警察が交通整備をしていた。各地で倒木を見かけ、所々の海岸付近の道は砂で覆われていた。伊是名、伊平屋に工事の方が多かったのは、この台風16号も影響している。伊是名では電柱が折れて、電柱が本島から運ばれていた。「釣吉」のママ曰く、台風が去って、家の修復をしようと思った矢先にまた暴風雨がやって来た。どうやら台風が去ったと思った時はちょうど台風の目に入り、それで修復が遅れてしまった、と。私が滞在時も、まだ各地で家の修復作業が行われていた。



















尖閣諸島問題についても所々話に挙がっていた。「まる富」で飲んでいる時に、かなり酔っ払った島のおじいに、

「おい、若いの、尖閣問題をどう考えているんだ?」
といきなりからまれた。おじいは酔っ払っていたので、軽くかわそうと思っていたが、あまりにもしつこく聞いて来るので、

「模範解答かもしれないが、中立的な第三者機関が結論を出さない限り、日中間で永遠にこの問題は続くと思う。だから、個人的には国際司法裁判所で議論して、そこに判断してもらうのが一番いいと思う。」
と回答した。おじいは、

「それは一般的な考えだな。」
とだけ私に残し、その場から離れた。おじいは酔っ払っていたので、私もそれ以上この話に触れなかったのだが、

「なんでいきなりこんな質問をぶち込んできたんやろう?」
と疑問に思った。おそらく、こういった時事問題解決にこれから中心となって対応していかないといけない我々世代が、果たして真剣に問題と向き合っているのか?、おじいは心配になってきたのではないか?それで、あくまでも個人的な意見であったが、私はちゃんと回答したので、少し安心したのではないか?

普天間基地周辺では、「オスプレイ反対」のポスターを見かけた。昨春に走った時も感じたが、宜野湾市を走ると、市における普天間基地の占有面積の大きさを痛感する。金武町を走っている際、週末だったのもあって通行人の米兵率は高かったように思う。那覇の桜坂で外国人がたむろする店を見つけた。週末だったのでそのほとんどは米兵だったと思う。

ある飲み屋でママが言っていた。基地問題とオスプレイは別で考えないといけない。当然、沖縄に基地なんてない方がいい。ただ、沖縄の産業を考えると、基地ありきで作られたので、基地がなくなるとどうやって生計を立てていけばいいのか?地主もそうだし、米兵を顧客として商売されている方もそう。しかし、オスプレイは違う。こっちは事故が起こって人が死ぬ可能性が出てくる。そういった安全性が確認できていないものに上空を飛ばれても困る、と。

尖閣諸島、竹島、北方領土を含めた領土問題、オスプレイを含めた沖縄の基地問題。日本政府はどうやって折り合いをつけるのか?民主党であれ、自民党であれ、日本政府として明確なstrategyを示してほしい。




Glance in Sea of Iheya Island